サムエル記上

 

 

「ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。」 サムエル記上1章20節

 

 今日から、サムエル記を読み始めます。サムエル記は、イスラエルが部族の連合によって形成された国家だったことに終止符を打ち、国王を立てる中央集権国家へと移行する状況を描写しています。サムエル記という表題は、サムエルという預言者に由来しています。しかし、サムエルはこの巻物、上下合わせて55章あるうち、最初の8章に登場するだけです。

 

 サムエル記には、主要な人物が二人登場して来ます。それは、イスラエル初代の王となったサウルと、サウルの娘婿であり、二代目の王で主イエスの先祖となったダビデです。上巻はサウル王の死で終わり、下巻には、サウルに次いで王となったダビデのことが記されます。

 

 この二人の王は、それぞれ預言者サムエルから油注がれて王に任命されました(サウル:10章1節、ダビデ:16章13節)。ですから、この巻物が「サムエル記」といわれて、この二人(の王)が気を悪くすることはないだろうと思います。

 

 1章には、サムエルの誕生の次第が記されています。ときは、紀元前1100年ごろのことです。その頃、エフライム山地のラマタイム・ツォフィム(「ラマ」はその短縮形:19節、2章11節)にエルカナという人が住んでいて(1節)、彼には、ハンナとペニナという二人の妻がいました(2節)。二人の妻がいたということは、彼はかなり裕福な人物と言えます。

 

 経済的には問題がなかったエルカナ家ですが、家族間には大きな問題がありました。エルカナはハンナの方を愛していたのですが、彼女には子が授かりませんでした(5節)。ペニナは子を有しておりますが、エルカナの愛を独り占めしているようなハンナに嫉妬し、子がないことでハンナを苦しめました(6節)。

 

 彼らは毎年、主の神殿のあるシロの町に上り、礼拝をささげていました(3,7節)。ペニナに苦しめられるハンナは、何も食べようとせず(7節)、主の御前に激しく泣いて祈りました(10節)。子が授らない苦しみを主に訴え、子を授けてくださるようにと、心を注ぎ出して祈っていたのです。

 

 その祈りの中で彼女は、「はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません」(11節)と誓います。ハンナは、自分のために子を授けて欲しいというのではなく、主に献げるために、男の子を授けて欲しいと願っています。

 

 ここで、「その子の頭には決してかみそりを当てません」というのは、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となることを表すものです(民数記6章5節、士師記13章5節)。その子が生まれながらのナジル人となるため、ハンナも「ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません」(同6章3節、士師記13章4,5節参照)。

 

 ハンナが心の内で祈っていて、唇は動いていても声が聞こえなかったため、祭司エリは、最初は酒に酔っていると誤解しましたが(13節)、ハンナの真意が分かると、「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」(17節)と祝福します。

 

 主はハンナの祈りに応えて、男の子をお授けになりました(19,20節)。ハンナはその子をサムエルと名付けました。それは、「その名は神」という意味です。岩波訳ではこれを、「(願いを聞いて下さった)神の名(をいつも覚えているように)」という意かと説明しています。

 

 けれども、サムエル記の著者はその名の根拠を、「主に願って得た(シャーアル)子供なので」(20節)と言っています。悩み嘆いて「はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく」(11節)と祈ったハンナに主が恵みをお与えになったのです。因みに「ハンナ」とは「恵み」という意味です。

 

 27節の「願ったこと」、28節の「委ねます」にも、同じ「シャーアル」が用いられています。「生涯、主に委ねられた者です」は、「シャーウール」(シャーアルの受身形)が用いられています。「シャーウール」は、イスラエル初代の王サウルと同じです。神に献げられたサムエルから、イスラエルを治めるバトンを委ねられるのが、サウルというわけです。

 

 もしも、苦しみを経ずにハンナに子が授けられていれば、ハンナは子を神に献げようとは思わなかったかも知れません。また、子が授けられるようにバアルやアシェラに求めても、与えられなかったでしょう。神への真剣な祈りを通して子が授けられ、その子を神に献げた結果、偉大な神の指導者が登場して来ることになったのです。

 

 「あなたの業を主に委ねれば、計らうことは固く立つ。主は御旨にそってすべての事をされる」(箴言16章3,4節)。

 

 主よ、ハンナに与えられた苦しみが祈りとなり、やがて真の指導者を産み出すこととなりました。背後に、主の御手があり、常にすべての者を最善に導かれること、主を愛する者のためには、どんなこともプラスになることを教えられます。常に主を愛し、主に信頼する者とならせてください。 アーメン

 

 

「わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものにしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む。」 サムエル記上2章35節

 

 幼子サムエルが、祭司エリのところで主に仕え始めた当時(1章24節以下)、エリの二人の息子たち(ホフニとピネハス)も、シロの神殿で祭司として仕えておりましたが(同3,9節)、「エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった」と記されています(12節)。彼らは、神への献げ物を横取りして、自分のものにするという酷い罪を犯しておりました(13節以下)。

 

 「ならず者」は、べリアルという言葉で、「ベリ」が「ないnot」、「ヤアル」が「価値worth」、併せて「無価値」という意味です。それが「破壊」という意味になり、新約時代には、悪魔的な存在として扱われるようになりました。パウロが、「キリストとベリアルとどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか」と記しています(第二コリント書6章15節)。

 

 「下働き」は「ナアル」という言葉で、「少年、若者、しもべ」といった意味があります。26節の「少年(サムエル)」が同じ「ナアル」です。エリの息子たちの「下働き」というより、祭司エリの「ナアル(若者)」ということで、エリの息子ホフニとピネハスのことを言っていると考えてもよいでしょう。

 

 神への献げ物を横取りし、礼拝を妨げるという点では、その振る舞いはまさに悪魔的ということになるでしょう。そのような悪行が、祭司である父エリの耳に入らないはずはありません(22節)。そこで、「主の民が触れ回り、わたしの耳にも入ったうわさはよくない。人が人に罪を犯しても、神が間に立ってくださる。だが、人が主に罪を犯したら、誰が執り成してくれよう」(23~25節)と忠告しました。

 

 しかし、年老いた父であり、祭司であるエリの忠告に、二人の息子たちは全く耳を貸そうとしない有様でした(25節)。やむを得ず、主なる神は彼らの命を絶つことに決め(25節)、神の人をエリのもとに遣わして、裁きの言葉を告げさせます(27節以下)。

 

 神の人は28節で、祭司の務めを示しています。先ず、「香をたく」とは、神の前に祈ることです(黙示録5章8節参照)。モーセが至聖所で神と会うときのため、アロンが朝に夕に絶えず祭壇で香草の香をたくように命じられています(出エジプト記30章)。これは背後の絶えざる執り成しの祈りを現わしています。祭司には、神の前に祈る務めがあります。

 

 次いで、「エフォドを着て神の前に立つ」というのは、神の御旨を示し、教えることです。エフォドは祭司が身につけるチョッキのようなものと考えられていますが、そこにウリムとトンミムという、神託を問う「くじ」を入れていました。

 

 そのくじで、進むか留まるか、右か左か、神の御心を尋ねるのです。そして祭司は、そこで示された神の御旨をイスラエルの民に教えました。祭司は、神の教え、神の命令を民に教える務めを持っています。

 

 そして、「燃やして主にささげる物」というのは、神にいけにえをささげる務めを示します。そして、燃やして主にささげた物の残りは、祭司とその家族の食物となりました(レビ記6章7節以下など参照)。主なる神は祭司に、いけにえを献げる務めと報酬(食物「テルーマー(奉納物、礼物)」レビ記7章14,32節)をお与えになっていたのです。

 

 ここで神の人は、そのような祭司の務めを蔑ろにし、礼拝を妨げていた息子たちの罪の責任を、エリに問います(29節)。子どもを教育し、家庭を治める親の責任が問われているのです。それを指導する立場の祭司が、自ら背く者であるというのは、イスラエルにとって致命的です。そこで、エリの家系を断つと言明されるのです(31,33,34節)。

 

 「腕を切り落とす」という言葉がありますが(31節)、腕は力の象徴、また子孫繁栄の象徴です。腕が切り落とされるとは、エリの息子たちが断たれると言っているのです。「長命の者がいなくなる」(32節)というのは、年老いたエリの死をほのめかす言葉です。

 

 神の教えを蔑ろにする者、それに従わない者は退けられます。けれども、罪を悔い改める者には、裁きを思い返し、どこまでも恵みを注いでくださるお方です。神は、打ち砕かれ、悔いる心を軽しめられることはありません(詩編51編19節)。神は、エリと二人の息子たちが、悔い改めて帰って来ることを待っておられたのです。

 

 冒頭の言葉(35節)のとおり、「わたしはわたしの心、わたしの望みのままに事を行う忠実な祭司を立て、彼の家を確かなものにしよう。彼は生涯、わたしが油を注いだ者の前を歩む」と言われています。ここで、「忠実」は、「アーメン」という言葉です。常に御言葉にアーメンと従って来ることを、主が求めておられます。

 

 ところが、これらの言葉を聞いても、なお神の御前に悔い改めることの出来なかったエリの家は、ついに取り除かれてしまいます。そして、主に忠実な祭司、預言者が立てられるのです。

 

 神は今日も、「忠実な祭司を立てよう」と語られます。聖書は、私たち主イエスを信じる者は、祭司であると教えます。私たちが「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(第一ペトロ2章9節)なのです。

 

 そして、神が選び立てた祭司は、「わたしが油を注いだ者の前を歩む」と言われます。「油を注いだ者」はメシアという言葉で、旧約においては、王のことを指しています。王が立てられ、その前を忠実な祭司が歩むということです。

 

 「油を注いだ者=メシア」をギリシア語でいうと、「キリスト」という言葉になります。私たちはキリストを信じて、生涯、キリストの前を歩むというより、キリストと共に、そのみ足跡に従って歩む者とされました(ローマ書6章4,6節、第二コリント書13章4節、一ペトロ書2章21節、ルカ9章23節参照)。

 

 主は私たちを忠実な祭司と言われ、そして「彼の家を確かなものとしよう」と約束してくださっています。私たちが永久に主と共にあることが出来る者にしようと約束し、十字架の死と復活によって、永遠に主キリストと共に歩むことが出来るようにしてくださったのです。

 

 絶えず共におられる主を仰ぎ、謙ってその御言葉に耳を傾け、聖霊の導きを受けて御言葉に従う者となりましょう。

 

 主よ、私たちがあなたを選んだのではありません。あなたが私たちを選び、主の証人として立ててくださいました。その使命を忠実に果たすことが出来ますよう、日々主の御言葉に聴き従う者としてください。聖霊により、絶えずその力に与らせてください。この地に主の御心がなりますように。 アーメン

 

 

「まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。」 サムエル記上3章3節

 

 シロの祭司エリは非常に年老いて(2章22節)、目がかすんで見えなくなっていました(2節)。当然、後継者が立てられる必要がありますが、彼の二人の息子はならず者で、祭司でありながら主を畏れない傍若無人の振る舞いを、だれも抑えることが出来ません(2章12節、23~25節)。ゆえに、主なる神は彼らを取り除かれることを告げさせられました(2章27節以下)。

 

 1節に「少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた」と言われます。「少年サムエル」は2章26節に続いて2度目の登場ですが、エリの息子たちとサムエルが「ナアル」として対比され、かたや「ならず者」(2章12節)と言われ、一方サムエルは忠実に主に仕え、やがて「主の預言者」(20節)と認められるようになります。

 

 「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」(1節)と言われています。祭司の息子ホフニとピネハスが主の御言葉を蔑ろにし、わがまま勝手にしたい放題に振る舞っていたので、主も彼らから遠く離れておられたわけです。

 

 しかしながら、イスラエルの民にとって、それは大変不幸なことでした。主の言葉が臨まないということは、主の言葉は必ず実現するものですから、主の御業が示されないということになり、それは、主の恵みを受けることが出来ないことを示すからです。

 

 ある夜、エリは自分の部屋で床に就き(2節)、少年サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていました(3節)。主の箱を守ることも、祭司の大切な務めです。すると、主がサムエルを呼ばれました(4節)。サムエルはそれをエリの声と聞き違えて、部屋に行きますが、エリは「わたしは呼んでいない、我が子よ、戻っておやすみ」と言います(5節)。

 

 それが3度繰り返されたとき、エリはサムエルを呼んでいるのは主なる神であると悟り(8節)、「またもし呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい」(9節)と指示を与えました。少年サムエルがまだ主を知らず、主の御言葉が示されることもなかったからです(7節)。

 

 それで、4度目に主がサムエルを呼ばれたとき、エリに教えられたとおり、「どうぞお話しください。僕は聞いております」(10節)と答えました。ここに、大切な祈りの姿勢を示されます。

 

 通常、私たちが主なる神に祈るとき、サムエルとは違い、「主よ、お聞きください。僕が語っております」という姿勢で神の御前に立っています。それは、私たちの日常の生活においても、「主の言葉が臨むことが少なく、幻が示されることもまれ」(1節)ということになっているからではないでしょうか。

 

 主イエスが故郷のナザレに帰られたとき、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさいませんでした(マタイ13章58節)。期待のないところで、主はその働きを控えられたのです。主を信じましょう。主に期待しましょう。聖書を開き、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と祈りつつ、御声に耳を傾けましょう。

 

 話を戻して、サムエルの言葉を聞かれた主は、サムエルに語り始められます(11節以下)。それは、先に神の人を通して語らせておられた裁き(2章27節以下)を、いよいよエリの家に下されるという内容でした(12節)。

 

 サムエルは主の語られた内容をエリに告げるのを恐れて黙っていましたが(15節)、エリから呼ばれ、神が語られたことを隠さず語れと言われるので(17節)、サムエルはすべてを話しました。エリは「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように」(18節)と言いました。

 

 そのときエリは、息子たちの所業により、一族が神に裁かれて祭司の務めから退けられたこと、替って幼いサムエルが、主の御心、主の望みのままのことを行う忠実な祭司として立てられたこと(2章35節参照)、さらに、主の御声を聞き、それを告げる主の預言者として、国を導く者となることを悟ったことでしょう(3,18,20節参照)。

 

 その後、「主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった」ので(19節)、前述のとおり「ダンからベエル・シェバに至るまで」(20節)、主の預言者として立てられたことが認められるようになりました。

 

 「ダン」は、イスラエル北端の町、「ベエル・シェバ」は南端の町です。つまり、北から南まで、イスラエル全土に亘って、神の人としてイスラエルのすべての人々に信頼される者になったわけです。主は引き続きシロで顕現され、サムエルに御言葉をお示しになり(21節)、それが確かに神の言葉だったので、サムエルが語ったとおりに実現しました。

 

 ヨシュア記18章1節で臨在の幕屋が建てられて以来、シロが中心地でした。ここにサムエルをお立てになったということは、イスラエルの民が主を礼拝し、再び神の恵みに与ることが出来るようにされたわけです。

 

 冒頭の言葉(3節)で「神のともし火は消えておらず」というのは、夜明け前を思わせる表現ですが、比喩的に、祭司エリが召される前に、その後継者として預言者サムエルが立てられたということを言い表しています。エリは自分の部屋にいますが、サムエルは主の神殿にいます。このとき既に、主はエリを遠ざけられ、サムエルをご自分の側近くに招いておられたわけです。

 

 ヨハネ福音書8章12節で主イエスが、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と言われました。サムエルが「主よ、お話しください。僕は聞いております」と主に求めたように、私たちが主の御前に出て御言葉を求めるとき、主は私たちも光の内を歩ませてくださり、罪の内に死ぬべき私たちをも輝く命に生かしてくださるのです(第一ヨハネ1章7節参照)。

 

 主よ、少年サムエルが「主よ、お話しください」と求めたように、聖書を通して語りかけられるあなたの御声に朝ごとに耳を傾け、その導きに従って歩むことを通して、岩の上に家を建てる、真に賢い信仰生活を送る者とならせてください。主に大いなることを期待し、その栄光を拝させて頂くことが出来ますように。 アーメン

 

 

「神の箱が奪われ、しゅうとも夫も死に、栄光はイスラエルを去ったと考えて、彼女は子どもをイカボド(栄光は失われた)と名付けた。」 サムエル記上4章21節

 

 サムエルがイスラエルのすべての人々に主の預言者として信頼され、その言葉が全イスラエルに及ぶようになった頃、隣国ペリシテとの間に戦いが起こりました。士師サムソンの時代以来(士師記13章1節以下)、40年に亘ってペリシテに支配されており、それを払拭すべく出陣したというかたちです(1節)。

 

 イスラエルはエベン・エゼルに、対するペリシテはアフェクに陣を敷きました(1節)。アフェクとは「要害」または「川」という意味で、イスラエル中西部、ヤッファ(現在のテル・アビブ)の東北東約18㎞に位置しています。エベン・エゼル(「助けの石」の意)はその東にあったものと考えられています。

 

 イスラエル軍はこの戦いに破れ、およそ4千の兵士が討ち死にしました(2節)。長老たちはその原因について、兵の実力というよりも、主なる神の助力がなかったからだと考えたようです。

 

 彼らが、「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう」(3節)といっていることで、それを伺うことができます。

 

 これは、サムソンの時代、ペリシテの支配に対してイスラエルの民は主を呼ぶことがありませんでしたが、サムエルの登場、彼が主の預言者として皆から認められるようになって、再び主を求める思いが生じてきたということでしょうか。

 

 兵士たちは、シロに人を遣わし、契約の箱をエベン・エゼルの陣営まで担いで来させました。契約の箱の移動には、エリの息子たちも同行しました(4節)。

 

 契約の箱が陣営に到着すると、全軍は大歓声をあげました(5節)。神が味方してくだされば、宿敵ペリシテを打ち破ることが出来ると考えていたからです。一方、ペリシテ軍はイスラエルの大歓声を聞いて、主の箱が陣営に届けられたことを知り(6節)、それに恐れをなしながら(8節)、だからこそ、なおいっそう奮起して戦おうと決意します(9節)。

 

 その結果、イスラエル軍はペリシテにさんざんに打ち負かされ、今度は3万もの兵が戦いに倒れました(10節)。そのうえ、神の箱がペリシテ軍に奪われ、箱を戦場に運び込んだエリの二人の息子ホフニとピネハスも、殺されてしまいました(11節)。

 

 つまり、神の箱が「助けの石(エベン・エゼル)」とはならなかったわけです。それは、先に神の人によって「二人は同じ日に死ぬ」(2章34節)と告げられていたことが、実現するときだったからです(3章11,12節)。ということは、長老たちが主を思い出したのも、そのためだったということになりそうです。

 

 その日、戦場から一人の男がシロの町に戻りました(12節)。「衣は裂け、頭には塵をかぶっていた」(12節)ベニヤミン族の男が、一人で戻って来たということは、およそ勝ち戦ではあり得ません。男が待ちに知らせをもたらすと、町全体から叫び声が上がりました(13節)。それは文字通り、悲痛な叫びだったことでしょう。

 

 祭司エリは、神の箱を気遣って道の傍らに設けた椅子に座り、目をこらしていましたが(13節)、その男がもたらした敗戦のニュース、つまり多くの兵が戦死したこと、二人の息子ホフニとピネハスも死んだこと、そして、神の箱がペリシテ軍に奪われたことを聞きました。特に、神の箱が奪われてしまったということで大変な衝撃を受け、椅子から仰向けに落ち、首を折って死んでしまいます(18節)。

 

 ピネハスの妻は、神の箱が奪われ、夫も舅も亡くなったと聞いて、陣痛に襲われ、男の子を産みます(19節)。死が迫る中で彼女は、冒頭の言葉(21節)のとおり、男の子にイカボドと名付けます。カボドは「栄光」、イは「ない」、あるいは「どこ?」という意味です。「栄光がなくなった、栄光はどこにいったのか」という意味の名が付けられたのです。

 

 エリと二人の息子が打たれ、神の箱が奪われたことで、神の栄光がイスラエルを去ったことが露呈したわけですが、戦に敗れ、神の箱が奪われ、エリと二人の息子たちの命が取られたので、神の栄光が離れたというのではありません。

 

 2章12節において、「エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった」と告げられていた二人に対して、主の裁きが臨むようにイスラエル軍をペリシテに向かって出撃させ、二人が戦場に赴くようにされたのであり、そのときには、主はイスラエルから既に遠く離れておられたのです。

 

 そして、祭司二人がならず者だったために、彼らと共に3万4千もの兵士が犠牲になりました。それを思うと、とても心が痛みます。そこに、祭司として油注がれた者の責任の重さが示されています。

 

 ただ、エリの家が完全に絶たれたというわけではありません。14章3節に、「そこには、エフォドを持つアヒヤもいた。アヒヤは、イカボドの兄弟アヒトブの子であり、イカボドはシロで主の祭司を務めたエリの息子のピネハスの子である」とあります。

 

 エフォドは、2章28節との関連で、祭司として立てられた者のしるしです。これも、「あなたの家の一人だけは、わたしの祭壇から断ち切らないでおく」(2章33節)と告げられていたとおりのことです。

 

 神の栄光は、神の箱と共にあるのではありません。祭司と共にあるわけでもありません。まさに、神の栄光は、神のおられるところにあるのです。

 

 詩編50編23節に「告白をいけにえとしてささげる人は、わたしを栄光に輝かすであろう」という言葉があります。「告白」(トーダー)というのは、「感謝」という意味の言葉です。神に向かい、感謝のいけにえをささげる人は、神の栄光を見るのです。

 

 そして、詩編22編4節には「あなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」と詠われていることから、神は、賛美のあるところを聖所、ご自身を顕される場所とされるのです。

 

 神の栄光を排するために、絶えず大いなる救いの御業に対する感謝のいけにえ、主をたたえる賛美のいけにえを神に献げましょう。

 

 主よ、私たちはあなたの深い憐れみにより、救いに与りました。あなたが私たちの味方であられるならば、誰が私たちに敵対出来るでしょうか。私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された主は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜ったのです。ただ感謝、賛美あるのみです。神の御子の降誕を、心から誉め讃えます。ハレルヤ!アーメン!

 

 

「ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ。」 サムエル記上5章1節

 

 エベン・エゼルでのイスラエルとの戦いに勝利したペリシテ人は(4章10節)、冒頭の言葉(1節)のとおり、奪い取った神の箱をアシュドドへ運びました。そして、ダゴンの神殿に運び入れ、神の像の傍らに置きました(2節)。

 

 ウガリット文書によると、ダゴン神はバアルの父神とされているそうです。バアルは、嵐の神で、天候を支配して大地に雨を降らせ、豊穣をもたらすと信じられていました。ダゴンは、穀物を意味する「ダーガーン」に由来する名前で、バアル同様、土地の豊饒を司る神だと考えられ、ガザ(士師記16章21~23節)や、アシュドドにおいて祀られていました。

 

 当時、戦利品は勝者の側の神殿に置かれるという習慣があったそうです。古来、それぞれの神が自分の勢力範囲を持っていると考えられていましたから、「荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った」(4章8節)イスラエルを打ち負かしたということは、ダゴンの神は偉大で、その力がイスラエルにまで及んでいたということをそのようにして示し、勝利を賜った我らがダゴンの神の栄光を称えるのす。

 

 ところが、翌朝見ると、ダゴン像がうつぶせに倒れています。それを元通りに据え直しますが(3節)、その翌朝、またも像は倒れており、その上、頭と両腕が切り取られて敷居の所にありました(4節)。さらに、アシュドドの人々に災いが下り、はれ物が生じました(6節)。勝利のしるしとして持ち帰った神の箱が、災いの種になったようです。

 

 アシュドドの人々は、これはイスラエルの神の手によるものだと言い(7節)、神の箱をガトへ移します(8節)。すると、ガトでも同じ災いが起きました(9節)。彼らは箱をエクロンに送りました。

 

 エクロンの人々はペリシテの領主を呼び集め、神の箱をイスラエルに送り返そうと相談します(11節)。人々の上に神の御手が重くのしかかり、死の恐れに包まれ、腫物で打たれたので、その叫び声が、天にまで達したと言われています(11,12節)。

 

 神の箱は、エベン・エゼルにおけるペリシテとの戦いでは、何の役割も果たしませんでした。しかし、今はペリシテをとことん苦しめています。ダゴンの神殿において、神の箱の上のケルビムの間、贖いの座の上に臨まれる(出エジプト記25章22節)主なる神の力が、ダゴンの像を倒し、ペリシテの民に災いを与えているのです。

 

 そうであれば、ペリシテがイスラエルに勝利を収めることが出来たのは、彼らが死にものぐるいで戦ったということもありますが(4章9節)、やはり、エリの家を裁き滅ぼすために、イスラエルを打つ道具として、神がペリシテ軍を用いられたからだったということになるでしょう。

 

 そして、今ダゴンを倒し、ペリシテの民に災いを与えることで、そのことをペリシテの民に思い知らせておられるのです。誰も、神の栄光を盗んで、それを自分の手に収めておくことは出来ません。ペリシテの民がイスラエルの主なる神に栄光を返すまで、神の御手は彼らの上に重く、災いとなったのです。

 

 そのことを通して、あらためて祭司の務めの重要性を思います。エリの息子たちは、神を畏れ、御言葉に従うことを教え、民のために執り成し祈る祭司としての使命がありました。ところが、彼らは神を侮り、神のものを横取りし、民のためのものすら貪って、自分たちの腹を満たしていたのです。

 

 そして、父エリは、彼らを諫め、正しく指導することが出来ませんでした。その罪が、エリの家だけでなく、全イスラエルに大きな災いとなり、3万4千もの兵士が犠牲となり、大きな悲しみを負わせたのです。

 

 戦利品として運び込んだ神の箱のために、ダゴンの神の像が壊されてしまったので、今日に至るまで、ダゴンの祭司やダゴンの神殿に行く者はだれも、アシュドドのダゴンの敷居を踏まないというのは(5節)、たいした忠誠心です。しかし、彼らも、真の神はどなたなのかということを、それを通して学ばなければならなかったのです。

 

 ペトロが「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神の物となった民です。あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。あなたがたは、『かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けているのです』」(第一ペトロ書2章9,10節)と記しています。

 

 私たちは、主の憐れみによって、祭司としての務めを果たすため、命の光を受け、神の民とされました。それを無にしないよう、神を畏れ、日々御言葉に耳を傾け、また、その恵みを周囲の人々に証ししましょう。また、彼らのために、神に執り成し祈りましょう。主の恵みに感謝し、賛美のいけにえをささげましょう。

 

 主よ、あなたの深い憐れみの故に、心から主を褒め称え、私たちのためになされた大いなる恵みの御業に感謝と賛美をささげます。福音が広く宣べ伝えられ、救いの恵みに与る人々が続々と起こされるよう、私たちの家族、知人友人のために執り成し祈ります。聖霊に満たされ、その力を受けて、主の証人としての使命を果たすことができますように。 アーメン

 

 

「主はベト・シェメシュの人々を打たれた。主の箱の中をのぞいたからである。」 サムエル記上6章19節

 

 ペリシテ人は、イスラエルとの戦いに勝利し、神の箱を戦利品として意気揚々持ち帰ったものの(4章10,11節)、その日から主の御手が重くのしかかったので、彼らにとってまさに重荷となってしまいました(5章)。そこで、神の箱をイスラエルに返すことにしました(5章11節)。

 

 ペリシテ人は祭司と占い師を呼んで、主の箱の返し方を尋ねました(2節)。すると、祭司たちは「必ず賠償の献げ物と共に返さなければならない。そうすれば、あなたたちはいやされ、神の手があなたたちを離れなかった理由も理解できよう」(3節)と答えました。

 

 賠償の献げ物として、金のはれ物と金のネズミを造るということは(4,5節)、それが彼らを苦しめていたものということでしょう。即ち、ネズミがもたらした細菌によって、ペリシテの民全体に腫れ物被害が広がっていたものと考えられます。

 

 腫れ物とネズミを金で造ったというのは、価値の高い贈り物が必要だと考えられたからであり、五つずつ造ったのは「ペリシテの領主の数に合わせて」とあるように、五つの都市全体、即ちすべてのペリシテ人が主への敬意、服従の意を示しているということです。この賠償の献げ物を、主の箱と一緒にイスラエルに返せば、災いもなくなると期待しているわけです。

 

 賠償の献げ物について、レビ記5章14節以下に規定があり、また、同7章1節以下にその施行細則が示されています。そこには、「聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊」を賠償の献げ物とすると定められています。それを、金で造った模型にするというところが、 異教的な発想なのでしょう。

 

 そうして彼らは、まだ軛をつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛を新しい牛車につなぎ、主の箱を運ばせます(7節以下)。子牛は引き離して小屋に戻し、御者なしで牛の行くままにして、まっすぐにベト・シェメシュへ上って行くなら、この災厄はイスラエルの神がもたらしたもので、そうでなければ、偶然の災難だということが分かると考えました(9節)。

 

 普通に考えれば、2頭の雌牛が御者なしにまっすぐベト・シェメシュを目指すことはないでしょう。だからこそ、イスラエルの神、主がその災いをもたらしたものであるかどうか、はっきりすると考えたのです。ただ、この方法を考えたのは主への敬意というより、主が恐れるに足る存在であるかどうかを試そうとしてのことのようです。

 

 また、主の箱を新しい車に乗せ、牛に引かせるという方法は、ダビデがアビナダブの家からエルサレムに主の箱を運び上ろうとしたときに採用されました(サムエル記下6章1節以下)。しかし、途中で御者の一人が主に打たれて亡くなるという悲劇が起こりました(同7節)。

 

 それが、主の御旨に適う方法でなかったということでしょう。だから、次に主の箱を運ぶときには、人の肩に担がせて6歩進むごとに雄牛をいけにえとして献げ(同13節)、ダビデは主の御前で力の限り踊りました(同14節)。そうして無事にダビデの町に運び上げることができたのです(同15節)。

 

 ただ、ペリシテには主の箱を担ぐレビ人はいません。車に乗せ、牛に引かせる他の手段は採れなかったというところです。そして、雌牛はベト・シェメシュへの道を、右にも左にも曲がらずまっすぐに進んで行きました(12節)。ペリシテ人たちに主の力を見せつけたかたちです。

 

 一方、ベト・シェメシュの人々は、戻されて来た主の箱を見て喜び(13節)、そこで主に献げ物をささげました(14,15節)。主の箱がペリシテに奪われ、祭司エリ一族が神に撃たれて、神の栄光がイスラエルを去ってしまったと思っていましたが(4章21節)、今、主の箱が戻って来たのです。どんなに嬉しかったことかと思います。

 

 ところが、またも問題が起こりました。冒頭の言葉(19節)のとおり、主がベト・シェメシュの人々を打たれたのです。それは、彼らが主の箱の中をのぞいたからです。「70人」もの人々が撃たれました。

 

 原文には、その後に「5万」(ハミッシーム)という数もあります。新改訳などは、「五万七十人」と訳しています。ただ、全員が覗いて神に打たれたとは思えないので、新共同訳は「五万のうち七十人」としたのでしょう。岩波訳は「五万の人々」の付け方が不自然で、これを記していない写本もあるということで、「民の内の七十人」としています。

 

 ベト・シェメシュは、祭司アロンの子孫に与えられた町です(ヨシュア記21章15節)。神聖なものに触れて神に打たれないよう、民を守る務めを担ったのがレビ人であり、中でも特に、祭司アロンの子らの役割でした(民数記1章51,53節、4章15,20節)。その子孫が、主の箱の中をのぞいて神に打たれるとは、なんということでしょうか。

 

 3章1節に「そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった」とありましたが、祭司エリやその息子たちと同様、ベト・シェメシュの人々も主の御言葉を蔑ろにし、自分たちの務めを忘れていたわけです。これは、主なる神に対する畏れをなくしていた、明らかな証拠ということになります。

 

 主の箱は、主なる神様との契約のしるしですが、災厄を恐れたベト・シェメシュの人々は、神の箱をそのまま自分たちの町に留めておくことが出来ませんでした。彼らは、キルヤト・エアリムの人々に使者を送り、「ペリシテ人が主の箱を返して来ました。下って来て、主の箱をあなたがたのもとに担ぎ上ってください」と要請しています(21節)。

 

 それは、「恐れる神にたたりなし」という態度です。まるで、異教徒のペリシテ人とひとつも変わらない有様です(5章6節以下、10節)。

 

 現在、主の御言葉を頂いている私たちはどうでしょう。主と主の御言葉に対する畏れを失い、聖書を開くことを忘れているならば、あるいは、ただ御言葉を聞いているだけで、それに従うことが出来なければ、ベト・シェメシュの人々を裁く資格はありません。

 

 主イエスは、御言葉を聞いて行う者を、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」と呼ばれ、御言葉を聞いても行わない者を、「砂の上に家を建てた愚かな人」と呼ばれました(マタイ7章24節以下)。勿論、主は私たちに、賢い者となって欲しいと思っておられるのです。

 

 主を畏れ、その御言葉に従って歩ませていただきましょう。主は、主に従う者に限りなく慈しみを注いでくださるからです。

 

 主よ、私たちに御言葉の恵みを開いてください。御言葉は私たちの足のともしび、道の光です。御言葉を聞いても従わない愚か者にならないように、主を畏れ、御言葉に土台して、右にも左にも曲がらず、常に生きた信仰生活を喜びと感謝をもって歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、『今まで、主は我々を助けてくださった』と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。」 サムエル記上7章12節

 

 ペリシテから主の箱が帰って来ました(6章13節以下)。イスラエルの民は、ベト・シェメシュから主の箱を担ぎ上り、キルヤト・エアリムのアビナダブの家に運び入れました(1節)。キルヤト・エアリムの人々は、ベト・シェメシュの二の舞にならないように、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせました。

 

 アビナダブについて、「我が父は高貴である」という意味の名を持ち、彼の家に主の箱が運び入れられ、彼の子らがそれを守ったということ以外、その人となりを示すものはどこにもありません。ベト・シェメシュは祭司の住む町でしたが(ヨシュア記15章15節)、キルヤト・エアリムはレビ人の町ではありません。

 

 あるいは、アビナダブはレビ人で、ひとりキルヤト・エアリムに住んでいたということかも知れません。彼の子エルアザルは、「神は助け」という意味の名です。

 

  主の箱がイスラエルに戻って来て、キルヤト・エアリムのアビナダブの家に安置され、エルアザルがそれを守るようになったからといって、それですぐにイスラエルに平和が訪れたわけではないようです。

 

 ペリシテの支配から解放されるのには、それからさらに20年以上かかりました(2節)。人々がこぞって主を慕い求めたということは、彼らがなお苦しみの中にあったということを示しています。

 

 なぜ主の箱がシロに戻されなかったのか、何故キルヤト・エアリムに留めることになったのか、よく分かりませんが、 そこにもペリシテの介入があったのかも知れません。

 

 主の預言者サムエルは、イスラエルの民を全員ミツパに集め(5節)、主の御前で断食し、「わたしたちは主に罪を犯しました」(6節)と悔い改めの祈りをささげました。「サムエルはミツパでイスラエルの人々を裁いた」(6節)ということは、その時サムエルが、全イスラエルの士師としての務めを果たしていたのです。

 

 イスラエルの民がミツパに集まっているというのを聞いたペリシテの領主たちは、イスラエルに攻め上って来ました(7節)。それに恐れをなした民は、サムエルに執り成しを願います(8節)。そこで、小羊を焼き尽くす献げ物としてささげて主に助けを求めました(9節)。

 

 これは、サムエルの祭司としての働きです。神殿で祭司としての務めを果たすのは、30歳になってからですから(民数記4章3節)、サムエルがその年齢に達するまで、主の箱が戻されてから、なお20年が必要だったということでしょうか。

 

 サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に、ペリシテ軍が戦いを挑んで来ましたが、主が激しい雷鳴を轟かせてペリシテを混乱させられたので、イスラエルは彼らを打ち負かし(10節)、ベト・カルの下まで追撃しました(11節)。ベト・カルは、ミツパの北東約16㎞、現在のラス・カルカルのことだろうと思われます。

 

 サムエルは、戦勝を記念する石をミツパとシェンの間に立て、それを「エベン・エゼル(助けの石)」と呼びました(12節)。「今まで、主は我々を助けてくださった」と言っていますから、これは、「主なる神こそ、イスラエルを救う岩である」といった意味でしょう。しかし、これはなかなか意味深長な命名です。

 

 かつて祭司エリのとき、ペリシテとの戦いで、ペリシテ軍はアフェクに、イスラエル軍はエベン・エゼルに陣を敷いたのでした(4章1節)。最初の戦いに敗れたイスラエル軍は、陣営に主の契約の箱を運ばせ(同3,4節)、エリの息子ホフニとピネハスも、主の箱と共に戦場に赴きました(同5節)。

 

 神の箱の到着に、イスラエルの兵士は大歓声をあげ、それで大地がどよめきました。神が味方してくださるならば、だれがイスラエルに敵対出来るだろうかというところです(ローマ書8章31節参照)。

 

 ところが、期待に反して、神はイスラエルがペリシテに打ち負かされ、契約の箱を奪われるままにされました。エリの息子たちもその戦場に倒れました(4章11節)。そして、その報告を受けたエリも、その場で命が絶えました(4章18節)。

 

 ピネハスの妻は、夫と義兄、義父を一度に失い、その上、神の箱が奪われたと聞いて、産んだ子に「イカボド」、栄光は失われたという名を付けて息絶えました。エリの息子たちの罪がイスラエルから除かれるために、多くの人々の血が流されなければならなかったのです。

 

 サムエルは、ミツパの聖会を招集するときに、「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる」と命じました(3節)。

 

 「ミツパ」とは、見張り場所、物見櫓という意味です。その意味から、国境近くや交通の要衝など、防衛の拠点とされるところに、ミツパという名がつけられたということは、想像に難くないところです。聖書に登場して来る「ミツパ」も、6箇所は確認されています。この箇所のミツパは、ベニヤミン族の所領と考えられています(ヨシュア18章26節)。

 

 サムエルが民をミツパに集めたのは、主が民の信仰を見張っているということを、象徴的に示しています。そのとき、イスラエルの民はサムエルの言葉に従って、バアルとアシュトレトを取り除いて、ただ主にのみ仕えました(4節)。それこそ、真の悔い改めであり、エベン・エゼルなる真の神を信ずる信仰の姿勢なのです。

 

 私たちも、私たちの罪のために自らを十字架に犠牲とされた主イエスに心を正しく向け、ただ主にのみお従いする者にならせていただきましょう。日々御言葉に耳を傾け、素直に聞き従う者となりましょう。絶えず主に信頼し、その御名を褒め称えましょう。

 

 主よ、あなたの御愛を感謝します。いつも、あなたの慈しみに依り頼みます。私の心を見張り、主に相応しくないものを取り除いてください。今まで、主は私たちを助けてくださいました。これからも、御名の故に、主の道をまっすぐに歩ませてください。 アーメン

 

 

「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」 サムエル記上8章5節

 

 長い間ペリシテ人に苦しめられていたイスラエルの人々は、主の預言者サムエルの指導のもと、しばらく平和を享受していました。「ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた」(7章13節)と記されているとおりです。

 

 同16,17節に「毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地で裁きを行い、ラマに戻った。そこには彼の家があった。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い、主のために祭壇を築いた」とあります。ベニヤミン領内を巡回しながら、全イスラエルの士師としての務めを果たしたのでしょう。

 

 サムエルはしかし、シロで主に仕えていたはずです(3章1節以下、21節)。それが、今ラマに住まいを持つということは、神の箱が奪われたエベン・エゼルでの戦いの折(4章1節以下、10,11節)、ペリシテ人が勝利の勢いをかって、シロの神の宮も破壊してしまったのかも知れません。

 

 詩編78編59~61節の「神は聞いて憤り、イスラエルを全く拒み、シロの聖所、人によって張られた幕屋を捨て、御力の箱がとりこになるにまかせ、栄光の輝きを敵の手に渡された」という言葉が、それを窺わせます。

 

 やがて、サムエルも年老いました。そこでイスラエルのために息子たちを「裁きを行う者」(ショフティーム、1節)、即ち士師に任じました。長男ヨエル、次男アビヤは、ベエル・シェバで裁きを行います(2節)。父サムエルのいるラマを離れ、ユダ領南部の町に赴いたわけです。

 

 ヨエルとは「主は神である」という意味、アビヤとは「私の父は主である」という意味の名前です。信仰深い名前を頂いた二人ですが、彼らは父サムエルとは違ってその道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げるようなことをしました(3節)。

 

 私たちは、危機を覚えているときには、互いに力を合わせ、思いを一つにすることが出来るのに、危機が去ると気が弛み、利己的になるという弱さを持っています。祭司エリの息子たちの非道な振る舞いのために、ペリシテとの戦争に敗れて多数の戦死者を出し、長い間、ペリシテに苦しめられました。父エリも、その責任を問われました。

 

 そうしたことを既に忘れたかのように、サムエルの子らは、父の心を悲しませる振る舞いに手を染めていました。そして、サムエルも、その子らを正しく治めることが出来ませんでした。子らを「イスラエルの士師」としたのは、サムエルのミスキャストだったのでしょうか。はたまた、その肩書が子らを狂わせてしまったのでしょうか。

 

 このままでは、再び、多くの民に苦しみが及ぶことになりかねません。そこで、イスラエルの長老たちがこぞってラマにサムエルを訪ね(4節)、冒頭の言葉(5節)のとおり、他の国々のように、王を立てるように求めました。王が立つことでそれまでバラバラだった部族間に統一が生まれ、他国に劣らぬ強い国を作ることが出来ると考えているのでしょう。

 

 「ほかのすべての国々のように」と言いますが、イスラエルを除くすべての国が王政を取っていたとは思えません。いわば、王政を敷く口実というところでしょう。

 

 また、「今こそ」と求めているのは、これまでにもサムエルにそう要求していたことを示しています。そして、特にサムエルの子らがこのような体たらくでは、将来がまったく覚束ないので、必ず自分たちの求めを入れてくれるようにと、全長老が迫っているのです。

 

 しかしながら、サムエル自身は、王を立てることをよしとしていませんでした。6節に、「裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った」と言われています。それは、イスラエルの民が、神を信頼するというのではなく、王の政治力、軍事力に依り頼もうとしているからです。そして、王制を敷くことは、徴兵と徴税を受け入れて、王の奴隷となることだと言います(11節以下、17節)。

 

 確かに、指導者の存在は、決して小さいものではありません。そして、これまでも、よい指導者が立つときには国が安定しました。しかし、士師は世襲ではありませんでしたし、常時立てられているわけでもありませんでした。ですから、継続的によい指導者が立てられる仕組みとして、王制を敷くようにと、サムエルに求めているわけです。

 

 しかしながら、聖書が絶えず問題にしているのは、王がいないとか、組織がしっかりしていないというようなことではありません。また、優れた指導者の子が、父と同じように優れているという保証はどこにもないということが、祭司エリの子ら、預言者サムエルの子らによって明らかにされています。

 

 問題は、彼らが主なる神の御言葉に耳を傾けず、絶えずその導きに従って歩もうとしないで、欲望の赴くまま、不正な利益を求めて賄賂を取ったり、異教の神々にひかれ、偶像礼拝に陥ってしまうことです。そして、それによって自ら神の怒りを招いているということです。

 

 神ご自身が7,8節で「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることと言えば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった」と、サムエルに仰っています。 

 

 そもそも、国の制度や組織は万能ではありませんし、不完全な人間が完璧な国家を作ることなど、不可能です。にもかかわらず、目に見えない神に依り頼むよりも、目に見えるものにその確かさを求めようとするところに、私たちの弱さ、罪があります。

 

 教会も同じです。人や組織、活動に頼むではなく、主イエスこそ私たちの真の指導者であり、神であることを認め、信頼していくとき、そこに主の御業がなされ、神の栄光が現れるのです。サムエルが絶えず神に聴き、神と交わり、神に従って歩んだように、私たちも主を信じ、御言葉を慕い求めて歩ませていただきましょう。

 

 主よ、あなたは、私たちが何よりも先ず求めるべきものは、神の国と神の義であると教えてくださいました。主との関係が正されると、豊かな恵みを見ることが出来るからです。主は、求める者に良いものをくださると約束されています。神との関係が正され、主なる神が私たちの内に住まわれ、共に歩んでくださること以上に、良いものはありません。そうして、御言葉に約束されている恵みが常に豊かに開かれますように。 アーメン

 

 

「三日前に姿を消したろばのことは、一切、心にかける必要はありません。もう見つかっています。全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。そして、あなたの父の全家にです。」 サムエル記上9章20節

 

 主なる神は預言者サムエルに「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」(8章22節)と言われていましたが、1「明日の今ごろ、わたしは一人の男をベニヤミンの地からあなたのもとに遣わす。彼に油を注ぎ、イスラエルの指導者とせよ」(16節)と告げられます。それは、主が遣わされる男を王に任ずるということです。

 

 その男とは、ベニヤミン族に属する勇敢な男キシュの子で、サウルという名の人物でした(1,2節)。サウルについて「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」(2節)と紹介されています。美しさや背の高さで抜きん出ているというのが、王として選び出されたしるしでしょうか。

 

 サウルは父親から頼まれて、いなくなったろば数頭を探し(3節)エフライム山地を越え、シャリシャの地を過ぎ、シャアリムの地を越えて(4節)、ツフの地まで来ました(5節)。ツフの地は、ラマタイム・ツォフィム(1章1節)の町がある地方のことで、ベニヤミン領の北方にあります。

 

 ベニヤミン領のギブア(11章4節参照)を出発したサウルが、エフライム山地を越えて、それからベニヤミンの地を過ぎて、ツフの地まで来たと言われるということは、およそ一両日かかる道のりを一往復以上したということでしょうか。

 

 岩波訳の付録地図11によれば、ギブアから東へ進み、その後北進、シャリシャの地(?)から西進、エフライム山地を南にラマに至るという反時計回りの旅程だったように描かれています。

 

 しかも、ロバを探し回りながらというのですから、どれ程の日数を要したのか、はっきりしたことは分かりません。だから、サウルは従者に「さあ、もう帰ろう。父が、ろばはともかくとして、わたしたちを気遣うといけない」(5節)と言いました。

 

 すると従者は、「ちょうどこの町に神の人がおられます。尊敬されている人で、その方のおっしゃることは、何でもそのとおりになります。その方を訪ねてみましょう。恐らくわたしたちの進むべき道について、何か告げてくださるでしょう」(6節)と答えました。

 

 神の人サムエルは、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩いて裁きを行い、そして、ラマに戻って来るということでした(7章16,17節)。ツフの地にラマの町があるので、サウルの従者がそう言ったわけです。「ちょうど」と訳されているのは、「ヒンネー・ナー」というヘブライ語で、「ヒンネー」は「見よ(behold)」、「ナー」は「どうか(I pray)」という言葉です。

 

 自分たちがここにいるのは、神の導きだという感じでしょうか。ラマの町に向かう道で水くみに出て来た娘たちに出会ったので、「ここに先見者がおられますか」(11節)と尋ねると、「お急ぎなさい。今日、この町に来られたのです」(12節)との答えです。まさに、「ちょうど」という訳語が示す通りの、神の導きでした。

 

 城門の中でサウルがサムエルと出会ったとき、サウルはサムエルのことを全く知らなかったようです(18節)。イスラエル全地に名が知られ(3章20節)、彼の従者でさえその動向を把握していたサムエルのことを、サウルが知らなかったということで、サウルが政治的宗教的に、随分うぶな若者だったという印象を受けます。

 

 一方、サムエルは「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する」(17節)という神のお告げを聞いていました。それで、サムエルは出会ったばかりのサウルを食事に招き(19節)、続いて冒頭の言葉(20節)を語ります。

 

 ここで、「期待」(ヘムダー)というのは、強く望むもの、高価なものという言葉で、口語訳などは「望ましきもの」と訳し、岩波訳は「宝」としています。つまり、全イスラエルの宝という表現で、彼が王となることを全イスラエルが期待していると告げたことになります。

 

 サウルは、サムエルの語る言葉を受け止めかねて、「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか」(21節)と尋ねます。そもそも、サウルがサムエルに尋ねたかったのは、いなくなったろばのことで、自分がどういう存在であるのかということではなかったからです。

 

 ベニヤミン族は、サウルが告げたとおり、イスラエルの最小部族で、嗣業の地は、ユダとエフライムというイスラエル最大部族に挟まれた間にあります。エフライム族から、モーセの後継者としてヨシュアが立ちました。この後、ユダ族から、王としてダビデが選ばれることになります。けれども、初代の王として選ばれたのは、その最小部族の中で最も小さい氏族の出身のサウルでした。

 

 それはしかし、決して偶然の出会いなどではありません。主が予めサウルとの出会いについてサムエルに告げておられたということは(16節)、この出会いは、主によって初めから仕組まれていたわけです。ろばがいなくなったこと自体は、神の仕業ではないかも知れませんが、それを用いて、サウルとサムエルの出会いの場を設けられたわけです。

 

 私たちにとっては予想外のことでも、そこに神の導きが豊かにあるといったことが、聖書には色々と記されています。ペトロはガリラヤの漁師でしたが、主イエスと出会って人間を漁る漁師になりました(ルカ5章1節以下)。サマリアの女性は人目を避けて水汲みに行きましたが、主イエスと出会い、永遠に渇くことのない命の水を受け、人々に主を証しする人になりました(ヨハネ4章1節以下)。

 

 また、徴税人ザアカイは主イエスを一目見ようとイチジク桑の木に登りましたが、主イエスが彼の家の客となられ、救いに与りました(ルカ19章1節以下)。さらに、イスラエル初代の王サウルにちなんで名付けられたキリスト教の迫害者サウロは、クリスチャンを捕らえるために出かけたダマスコの町の傍らで復活された主イエスと出会い、キリストの伝道者となりました(使徒9章1節以下)。

 

 水をぶどう酒に換えることのお出来になる主が、サウルをイスラエルの王とし、迫害者サウロを使徒パウロに変えたのです。このお方は、肉に割礼を受けず、罪の中に死んでいた私たちを赦し、キリストと共に生かしてくださったお方です(コロサイ2章13節)。そして、私たちが思う以上の、願う以上のことをしてくださるお方なのです(第一コリント2章9節)。

 

 この恵み豊かな主に信頼し、御霊の導きを祈りつつ、御言葉に耳を傾けましょう。そして、示されたところに従って歩みましょう。

 

 主よ、私たちは何者でもありませんが、あなたに選ばれました。あなたの期待に応える術を持ち合わせませんから、主よ、あなたに依り頼みます。必要な知恵と力を授け、導いてください。イースターに向けて、死の力を打ち破って甦られた救い主に出会い、導きによって恵みを受ける方が多くありますように。 アーメン

 

 

「サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。」 サムエル記上10章9節

 

 サムエルがサウルの頭に油を注いで、イスラエルの王に任じました(1節)。油を注ぐ儀式は、王として選ばれた者に聖霊の知恵や力が授けられることを、目に見えるしるしとして行うものです。

 

 サムエルはそのとき、「主があなたに油を注ぎ、ご自分の嗣業の民の指導者とされたのです」(1節)と言いました。即ち、民の指導者となるために霊の賜物を授けるのは、主なる神ご自身であるというのです。

 

 ただ、その儀式は公然となされたわけではありません。人目を避けて町はずれで、そして、サウルの従者を先に返して(9章27節)、サムエルとサウルの二人だけで、秘かに行われました。いわば、主なる神がサウルをイスラエルの王として選ばれたことを、サウルにだけ示すための儀式だったのです。

 

 公にすべきときが来るまで、しばらくこのことは伏せられます。叔父からどこに行っていたのかと尋ねられた際(14節)、その儀式について、また、その後に経験したことについても、サウルは何も話しませんでした(16節)。

 

 油を注がれたサウルは、しかし、それが何を意味するものなのか、よく分からずにいたようです。というのも、イスラエルは王制を敷いたことがありませんから、王が何者なのかが分からなかったかも知れませんし、部族の長となろうと考えたことすらなかったのでしょう。

 

 だから、サムエルは先見者として、これからサウルの身の上に起こることを告げるのです。第一は、二人の男性がサウルを探していること(2節)、第二に、礼拝に向かう3人の男にパンをもらうこと(3,4節)、第三は、預言者の一団に出会い、サウルも預言する状態になるということです(5,6節)。それらのことが、主がサウルを王として選任されたしるしでした。

 

 

 サムエルがサウルに告げたことは、二人が別れたその日のうちに起こったと、冒頭の言葉(9節)に報告されていますが、10節以下、ギブアで預言者の一団と出会い、サウルの上に霊が激しく降って預言する状態になったことだけが特記されます。

 

 それは、王として選ばれたしるしであると同時に、委ねられた職務を全うするのに必要な賜物が授けられたということでしょう。サウルの上に激しく霊が降り、預言する状態になったということは、霊の働きで神の御声を聞き、それを語り告げることが期待されているということです。

 

 そして「これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです」(7節)と告げます。神がサウルと共にいて、何をどのようにすればよいのか、知恵を授けてくださり、そして、思った通りに何でも出来るということでしょう。

 

 詩編1編2,3節に「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」という言葉があります。

 

 上記との関連で、サウルが主の教えを愛し、その教えに従う者となるよう促されているわけです。それは、サウルを通してイスラエルの民を祝福し、そのなすところすべて繁栄に至らせるためなのです。

 

 また、もう一つ大切な命令が発せられます。サムエルは、「わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげましょう。わたしがつくまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう」(8節)と言います。これは後に、サウルの運命を左右するものとなります(13章参照)。

 

 

 あらためて、「神はサウルの心を新たにされた」(9節)というのは、「別の心に変えた」(ヤハファーフ・レーブ・アヘール)という言葉遣いで、それは、サウルが霊の導きを受けて神の御心を悟ったということでしょう。その御心とは、サウルを王に任じるということで、サウルがそのとき、それを受け入れたわけです。

 

 「主の霊が激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになる」(6節)とサムエルが語っているのは、人が見てそれと分かるように容貌が変化するというのではなく、それまでとは違って、心新たに神に聴き、神に従う者となるということです。

 

 神はご自分の御旨に従って選任する者が、その使命を果たすことが出来るように聖霊の油を注ぎ、必要な賜物をお与えになります。サウルは、聖霊が降って心新たにされたとき、サウルは預言する状態になったと言われます(10節)。彼の耳が開かれて、神の御声を聴き、その言葉を語ったのです。

 

 それを見た人々は、「キシュの息子に何が起こったのだ。サウルもまた預言者の仲間か」と言いました(11節)。サウルの変化に驚いているわけです。以前のサウルを知っている人々は、サウルが預言者の一人のようになっていることが信じられないのでしょう。

 

 預言する状態からさめたサウルは、聖なる高台へ行きました(13節)。パレスティナでは、丘の上に礼拝の場所を築く習慣がありました。高いところは神に近いと考えられたのでしょう。そこに祭壇を築き、いけにえをささげて神を礼拝するのです。聖霊の賜物を受けて心新たにされたサウルが、神の御言葉を聞いた今、先ず神に礼拝をささげるのです。ここから、サウルの務めが始まりました。

 

 パウロが、「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ書12章2節)と語っていますが、それは「心を新たにして自分を変えていただき」とあるように、自分で自分を変えるというのではなく、神様に変えていただくのです。

 

 どのようにしてでしょうか。それは、聖霊が降り、その力を受けることによってです。サウルはその力を受けたのです。私たちも、聖霊によって油注がれて神の器とされています。神が私たちを選んだ、そして立てたと言われているからです(ヨハネ15章16節)。

 

 絶えず耳を開いて主の御言葉に耳を傾け、信仰の創始者であり、目を開いて完成者であられる十字架の主を仰ぎつつ、聖霊の力を受けて使命を果たすことが出来るように祈りましょう。

 

 主よ、私たちがそれぞれ召されたところに従って御旨を行うことが出来るように、聞く耳、見る目、悟る心を授けてください。キリストは、私たちにとって神の知恵であり、義と聖と贖いとなられました。キリスト・イエスに結ばれ、全力を注いで主の業に励む者となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「サムエルは民に言った。『さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を起こそう』。」 サムエル記上11章14節

 

 イスラエルの東隣、アンモン人の王ナハシュがイスラエルの東北辺、ギレアドの地のヤベシュに攻め上って来ました。創世記19章38節によれば、アンモンはモアブと共に、イスラエルとは血縁関係にあります。そのためであろうと思われますが、出エジプトの民が約束の地に入る前、主なる神は、モアブやアンモンに対して戦いを挑んではならないと言われました(申命記2章9,19節)。

 

 アンモン軍に包囲されたヤベシュの住民は、到底太刀打ち出来ないと見て、降伏を申し出ます。「契約を結ぶ」(1節)というのは、完全降伏して隷属するというものでしょう。それを聞いたナハシュは、ヤベシュの住民全員の右目をえぐり出すのが契約の条件で、それをもって全イスラエルを侮辱すると告げました(2節)。

 

 闘いもしないで降伏するような弱腰を侮辱するということなのでしょうか。あるいは、かつて士師エフタの時代、攻め込んで来たアンモンを徹底的に撃ち破ったことに対する報復ということなのでしょうか(士師記11章)。いずれにせよ、ヤベシュを足がかりにギレアドの地、そしてイスラエル全土を獲得したいと考えてのナハシュの発言でしょう。

 

 それを聞いたヤベシュの長老たちは、ナハシュに7日間の猶予を求め(3節)、サウルのいるギブアに来て、ことの顛末を民に報告しました(4節)。聞いた人々が声を上げて泣いたというのは、ヤベシュの人々だけにとどまらず、当時、イスラエルにアンモンに対抗出来る力があるとは考えていなかったという証拠でしょう。

 

 そのとき、サウルは畑にいました(5節)。サムエルから油注がれ(10章1節)、王に任ぜられたとはいえ(同24節)、サウルを侮る者もいる上(同27節)、未だ王として、王国としての制度、仕組みも整っておらず、政治・外交に専念出来るような状況にはなっていませんでした。それこそ、未だ正規軍もなく、周辺諸国と戦争を行う体制にはなかったわけです。

 

 しかし、畑から戻って来て報告を受けたサウルに、聖霊が激しく降りました(6節)。先に、激しく霊が降ったときには、預言者の一団と共に預言する状態になりましたが(10章6,10節)、今回は、アンモンの非道にさらされているヤベシュの人々への強い思い、アンモンに対する憤りに心が燃えました。

 

 すると、まるで士師サムソンのように(士師記14章6節)、一軛、つまり一対の牛を捕らえてそれを切り裂き、使者に持たせてイスラエル全地に送り、「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる」(7節)と告げさせます。

 

 サウルはここで、権威付けにサムエルの名も用いています。王に任ぜられたばかりのサウルより、預言者サムエルの名がイスラエル全体に知られていたからでしょう。しかし、聖霊の力を受けたサウルの檄に突き動かされ、民は主への恐れに駆られて、全土から33万の兵がサウルのもとに結集しました(7,8節)。

 

 翌朝、サウルは兵を三つの組に分けてアンモン人の陣営に突入し、「生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった」(11節)というほどに、徹底的に打ち負かすことが出来ました。一対の牛を切り裂いた霊の力が、アンモンを完全に打ち砕いたのです。即ち、太刀打ちできない相手に圧勝出来たのは、サウルを王として立てた主なる神の助けがあったからでした。

 

 この結果を受けて、サウルを侮っていた者たちを処刑しようと申し出た者もいましたが(12節)、サウルは手柄を私せず、「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから」(13節)と答えます。勝って兜の緒を締めよという故事を思い起こしますが、このときのサウルのごとく、常に謙遜を武具として、身にまとわせていただけたらと思います。

 

 預言者サムエルは冒頭の言葉(14節)のとおり、イスラエルの民に、王国を興すためにギルガルに行こうと言います。ギルガルは、イスラエルの民が40年の荒れ野の生活を終え、約束の地カナンに入るため、ヨルダン川を渡った日に、その乾いた川底から拾った12の石を記念の石碑とした場所です(ヨシュア記4章19節以下)。

 

 神はそのとき、「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた」(同5章9節)と言われました。そのために、その場所の名が「ギルガル(転がし去る、取り除くという意味)」と呼ばれるようになったのです。

 

 また、後に預言者エリヤやエリシャと関係して(列王記下2章1節)、預言者仲間たちが集団で生活する預言者学校のようなものが作られた場所になりました(同4章38節以下)。つまり、神に聴き、神の御旨を語り告げることを学ぶ場所になったのです。

 

 そのギルガルが、今日ここに、サウル王朝の興される場所となりました。かつてエジプトの恥辱を取り除かれた神が、今日もイスラエルにおいて救いの御業を行われることを認め、記念する場所であり、そして、神に聴き従い、神の御言葉を宣べ伝える事を学び教える場所です。

 

 私たちも、イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として心の中心にお迎えし、そこをギルガルとして、主と共に歩み始めさせていただきました。今日あらためて信仰の原点なるギルガルを確認し、私たちの王なる主の御言葉に耳を傾け、御心に従って忠実に喜びをもって前進させていただきましょう。

 

 主よ、私たちは主イエスの贖いにより、あらゆる縄目から解放され、神の子とされる栄誉に与りました。主イエスの十字架こそ、私たちのギルガルです。主を誇り、御名を褒め称えます。やがて、主イエスのご復活を喜び祝うイースターを迎えます。私たちの心の中心に主をお迎えし、その導きに従います。主を愛するすべての者に、恵みと平和が豊かにありますように。 アーメン

 

 

「わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。」 サムエル記上12章23節

 

 12章には、「サムエルの告別の辞」という見出しがつけられています。サムエルは、ギルガルでサウルの即位式を行い(11章14節)、国の指導者としての地位から退きます。そこで、退任にあたって全イスラエルに向かって語ったのが、ここに記されている言葉なのです。

 

 かつて、息子たちを士師に任命しましたが(8章2節)、彼らは不正な利益を求めて、その裁きを曲げる者たちでした(同3節)。だから、サウルを王として立てることになったのです(同5節、9章20節など)。サムエルは「わたしは年老いて、髪も白くなった」(2節)と言います。それが、退任の理由なのでしょうか。

 

 指導者の座を退いて、これからサムエルは、何をして過ごすのでしょうか。ゲートボールでしょうか。日がな一日日向ぼっこでしょうか。そうではありません。サムエルには、大切な使命があります。それは、主の預言者としての働きです。サムエルはここで、サウルに国の指揮を委ねるにあたり、祝辞を述べているわけではありません。

 

 12節に「アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると、あなたたちの神、主があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』とわたしに要求した」と言っており、王を立てることに、主なる神もサムエル自身も賛同してはいないことを示します。

 

 さらに、17節で「今は小麦の刈り入れの時期ではないか。しかし、わたしが主に呼び求めると、主は雷と雨を下される。それを見てあなたたちは、自分たちのために王を求めて主の御前に犯した悪の大きかったことを知り、悟りなさい」と告げます。

 

 そして、サムエルが主に呼び求めると、主は雷と雨を下されました(18節)。「小麦の刈り入れの時期」(17節)というのは、5~6月のことで、パレスティナは通常、既に乾期に入っており、雨が降ることはありません。季節外れの雷と雨は、小麦の収穫に打撃を与えると主に、民の目を覚まさせるものでした。

 

 それによって、主を退けて王を求めた罪の大きさを気づかせるのです。それで、民は主とサムエルを非常に恐れ(18節)、「僕たちのために、あなたの神、主に祈り、我々が死なないようにしてください。確かに、我々はあらゆる罪の上に、更に王を求めるという悪を加えました」(19節)と、悔い改めの言葉を語って助命を求めます。

 

 先にサムエルは14節で「主を畏れ、主に仕え、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい」と語っていましたが、あらためて「今後は、それることなく主につき従い、心を尽くして主に仕えなさい。むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。それはむなしいものだから何の力もなく、救う力もない」(20,21節)と告げます。

 

 そして、「主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい」(24節)と信仰の道を示します。そして、不従順の道を歩むならば、「主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られる」(25節)ということで、王を失うに留まらず、国を滅ぼすことになると警告しているのです。

 

 これは、紀元前8世紀に北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされたこと、紀元前6世紀に南ユダ王国がバビロンによって滅ぼされ、王を初め民が捕囚とされたという悲劇を暗示しています。

 

 サムエルは、イスラエルの民が希望を持って信仰の道を歩むことが出来るように、第一に、神はご自分の御旨に従って選ばれた民を、簡単に捨てて、ご自分の名を汚すようなことは決してなさらないということ(22節)、第二に、冒頭の言葉(23節)で告げているとおり、サムエル自身がその使命に忠実に、イスラエルの民のために執り成し祈り、神の御旨を正しく教えるということを告げました。

 

 サムエルは、自分が執り成しの祈りをやめることは、神の御前に罪を犯すことだと考えていました。これは、イスラエルの民のために執り成しの祈りが必要であるということであり、それなしに民は正しく歩むことが出来ないということを示しています。

 

 そして、執り成しの祈りは、神がサムエルに与えた使命だったのです。サムエルは神の御前に、民のために執り成し祈り、また、民に神の御旨を教える預言者として、残る生涯を献げるのです。

 

 「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」(ローマ書11章29節)と、使徒パウロは言いました。勿論、若いときと年老いてからとでは、働き方、働きぶりは異なるでしょう。しかし、主が取り消されない限り、その務めは続くのです。

 

 主の御名によって立てられた預言者の働きによって、民は生き返らされ、正しい道に導かれ、災いを恐れず、むしろ勇気と希望を持って進むことが出来るのです。私たちも、主に委ねられている能力に応じ、賜物に応じて、主のために精一杯励ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちのためには、御子キリスト・イエスが右の座で執り成していてくださいます。それは何よりも心強く、希望と平安が与えられるものです。主の祈りに支えられながら、私たちに委ねられている宣教の使命に、また執り成し祈る務めに勤しみます。御名が崇められますように。全世界に主キリストによる喜びと平安が豊かにありますように。 アーメン

 

 

「しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」 サムエル記上13章14節

 

 サウルは、サムエルに命じられた通りにギルガルで七日間、サムエルの到着を待っていました(8節)。けれども、約束の日になっても、なかなかサムエルが現れません。サウルは気が気ではありませんでした。

 

 というのは、イスラエルに向かって、ペリシテ軍が大軍をもって戦いを挑んで来ているからです。その数は、戦車3万、騎兵6千、兵士は海辺の砂のように多い、つまり、数え切れないほどの大軍です(5節)。対するイスラエルの兵士は、わずか3千です(2節)。国土は、イスラエルの方が大国のようですが、戦争する体制には、ずいぶん差があります。

 

 この戦いのきっかけは、3千の兵のうち千を預けられたサウルの子ヨナタンが(2節)、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破ったからでした(3節)。ペリシテ軍は、打ち破られた守備隊の報復にやって来たかたちです。

 

 ゲバの地というのは、ベニヤミン族の所領です。そこにペリシテの守備隊が配置されていたということは、その地を実効支配していたのはペリシテの方だったわけです。だから、ヨナタンは自分たちの所領の地を取り戻そうと考えて、守備隊を打ち破ったのでしょう。

 

 その当時、イスラエルには鍛冶屋が一人もいませんでした(19節)。それは、ペリシテ人が製鉄、鍛冶の技術を徹底的に管理、独占していたからです。というのも、イスラエル人が刀や槍を作り出させないようにするためです。鋤や鍬、斧などを研ぐのも、ペリシテ人のところに行かなければなりませんでした(20節)。

 

 だから、ペリシテとの戦いにおいて、鉄の剣や槍を手にしていたのは、サウルとヨナタンだけでした(22節)。つまり、イスラエルの兵士たちは、武器さえまともに持ってはいなかったのです。兵の数だけでなく、武器の質と量にも、大きな差があります。これでは全く戦いになりません。主なる神の助けがなければ、とても生き残れないという状況です。

 

 だからこそ、ギルガルに踏みとどまっているサウルは(7節)、サムエルに一刻も早く来てほしいと、その到着を待ちわびているのです。なかなかサムエルがやって来ないので、ペリシテに恐れをなしたイスラエル兵の中には、逃亡する者が続出するようになりました(8節)。

 

 危機感を募らせ、ついにしびれを切らしたサウルは、自ら焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を神にささげて、戦勝の祈願をすることにしました(9節)。ともかく、主の助けと導きを得たかったし、主が助けてくださると期待することによって、兵の逃亡を防ぎたかったのです。献げ物をするところに、彼の信仰心が表れているとは言えるかも知れません。

 

 サウルが献げ物をささげ終わったとき、サムエルが到着しました(10節)。そしてサムエルは、冒頭の言葉(14節)のとおり、主の命令を守らなかったから、あなたの王権は続かないとサウルに告げます。

 

 サムエルは先に「わたしよりも先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう」(10章8節)と命じていました。

 

 なすべきことを教えるので、先にギルガルに行って、サムエルの到着を七日間待てというのは、サウルに課せられた試験です。目に見える状況に振り回されないで、神を仰ぐことが出来るかどうか。兵の数や軍備などよりも、主なる神に信頼することが出来るかどうか。そして何より、自分の知恵や力よりも、主の御言葉に耳を傾け、それに従うことが出来るかどうかです。

 

 ペリシテの大軍が攻め寄せたのも、その大軍に恐れをなしたイスラエル兵が戦線を離脱して逃げ出したのも、主の差し金だったのかも知れません。そしてサウルは、残念ながらこの試験に失敗してしまいました。命令どおり従うことが出来なかったからです。

 

 私たちはどうでしょうか。状況に動かされないで、常に主に信頼することが出来るでしょうか。御言葉に忠実に従うことが出来るでしょうか。見える状況が最悪の時、見えない神に頼るというのは、決して容易いことではありません。むしろ、とても困難なことです。まさに、その信仰が問われます。

 

 日毎、主なる神の御前に謙り、主の御旨が行われることを信じて祈りましょう。目には見えませんが、常に共にいて私たちを慰め、励ましてくださる主の御言葉に耳を傾けましょう。死者を甦らせ、無から有を呼び出す方を信ずる真の信仰に与らせていただきましょう。

 

 そして、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、主イエスに従いましょう。試練を通して開かれてくる主の新しい恵みに与り、心から主を賛美させていただきましょう。

 

 主よ、幼子が母親の胸で安心して憩うように、外に何がありましても、あなたに信頼し、御言葉に従って歩むことが出来ますように。弱い私たちを憐れみ、聖霊の導きを受けて常に信仰に歩ませてください。祈り求める者に平和をお与えになる主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。」 サムエル記上14章6節

 

 ミクマスに陣を敷いたペリシテ軍の先陣が、ミクマスの渡しまで進んで来ました(13章23節)。それを見たヨナタンは、自分の武器を持っている従卒に、「向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう」と言い出します(1節)。

 

 3万の戦車に6千の騎兵、無数の兵士に攻め込まれて、それを迎え撃つ自軍イスラエルの兵はわずか6百。戦闘の火蓋が切られれば、結果は見えています。そこで、自分たちの方から打って出ようというわけです。

 

 とは言っても、ヨナタンの手には杖(24節)、従者の手に一本の剣、それが彼らの武器です。たった二人で、鉄の戦車や馬で武装してやってくるペリシテ軍に、どう立ち向かおうというのでしょうか。言うまでもなく、敵の方が圧倒的に数は多く、強力な武器を持っているのです。やってみなくても、結果は火を見るより明らかなのではないでしょうか。

 

 しかし、ヨナタンはそのように考えませんでした。冒頭の言葉(6節)で、彼はペリシテ人を「無割礼の者ども」と呼んでいます。当時、割礼をしているのはイスラエル人だけではありませんでしたが、ここに、ペリシテ人は割礼をしていないという「情報」を従者に提供しているのではありません。主なる神を信じていない、異教徒だということです。

 

 主を信じていない異教徒が、主なる神を信じ、主が味方してくださるイスラエルの軍隊に勝てるはずがないと、ヨナタンは確信しているのです。だから、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」というのです。

 

 理屈から言えば、人間がどんなに束になってかかっても、神に打ち勝つことなど、あり得ないでしょう(ローマ書8章31節参照)。けれども、目に見えない神に依り頼むというのは、言うほど易しくはありません。

 

 ヨナタンの父サウルは、ペリシテの大軍が迫って来ている中、主に信頼して、七日間、ギルガルでじっとサムエルを待っているということが出来ませんでした。目の前に大軍が集結して来ているのを見て、イスラエル軍の中に逃亡する兵が続出したからです(13章8節)。

 

 だから、神を味方していただくため、サムエルを待たず、自分で献げ物をささげようとしました(10章8節、13章8節以下参照)。先にギレアドにおいて、神の霊の力を受けてアンモンの王ナハシュの軍を徹底的に打ち破った(11章6,7,11節)、あの勇敢なサウルは、どこに行ってしまったのでしょう。

 

 けれども、ヨナタンには、主を信じる信仰がありました。彼の信仰の目には、ペリシテの大軍よりも、自分たちに味方される神の方が大きく見えていたのです。だからでしょうか、先に、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を千の兵で打ち破ることができました(13章2,3節)。

 

 後に、アラム軍に町を包囲された折、怖じ惑う召使いゲハジに預言者エリ者が「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者よりも多い」(列王記下6章15節以下)と告げるという出来事がありました。そのとき、火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちていたのです。

 

 神が共におられることを信じる心、主の御業を見ることの出来る信仰の目、主が語られる御言葉を聴く信仰の耳を持つ者は幸いです。とはいえ、それは一朝一夕に獲得されるものではありません。常日頃から、主との親しい交わりを持つことを通して、培われて行くものでしょう。

 

 このとき、敵を撃ち破るために用いられたヨナタンの手足、その心は、日頃から主の御前に跪き、賛美と祈りをささげるために用いられていたものと思われます。彼が、神の御前で時を過ごす者であったからこそ、どんなときでも神が味方してくださることを信じることが出来たのです。そして、主なる神もまた、その信仰にお答えくださったわけです。

 

 ペリシテ軍の混乱に気づいたサウルは、祭司アヒヤに神の箱を運んで来るようにと命じました(18節)。その目的は不明です。あるいは、神が共におられるしるしとしようとしたのでしょうか。しかし、ペリシテ軍の混乱が拡大するのを見て、祭司に「もうよい」(19節)と言い、それを中止させました。

 

 口語訳は、ギリシア語訳旧約聖書(セプチュアギンタ:七十人訳)に基づいて「神の箱」を「エポデ」(新共同訳でいえば「エフォド」)と訳しています。それは、神の託宣を求め、また、神意を尋ねるためのくじ(ウリムとトンミム)をポケットに収めているものです。37節、41節との関連から、このところでもエフォドを持って来させ、軍を進めるべきかどうか、神意を尋ねようとしたというのでしょう。

 

 しかしながら、実際には祭司の手を留めさせています。つまり、きちんと神意を尋ねることはしませんでした。情勢が自分たちに有利になったのを見て、行動を起こすことにしたわけです。

 

 サウルは、神にいけにえをささげることは知っていても、謙って主の御言葉に聞き従う者ではありませんでした。彼は常日頃、神の御前に両手を上げ、主の御名を呼ぶことがあったでしょうか。だから、信仰が萎えてしまって、いざというときに力にならなくなってしまうのです。

 

 パウロが、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ書6章12節)と言っています。主との交わりのために時間を割き、日々御言葉に耳を傾け、絶えず御前に祈りをささげることこそ、私たちがいつも勝ち取らなければならない信仰の戦いなのです。そうして、主を信じ仰ぐならば、勝利は常に私たちのものとなるでしょう。

 

 絶えず主を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、聖霊の導きを求めつつ、感謝をこめて賛美と祈りを主に捧げましょう。 

 

 主よ、あなたはいつも取るに足りない者、数少ない者を用いられます。彼らが勝利を得るのは、主に依り頼んでいるからです。主イエスの弟子は一握りでしたが、主は彼らを用いて全世界に福音の業を広げられました。私たちも主に選ばれた者として、主と主の御言葉に信頼して宣教の働きを進めることが出来ますように。 アーメン

 

 

「反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」 サムエル記上15章23節

 

 サムエルが主の言葉として「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」(3節)と、サウルに命じました。創世記36章12節によれば、アマレクはエサウの孫で、イスラエルにとっては親族という間柄です。

 

 しかし、エジプトを脱出したイスラエルの民にレフィディムで攻撃を仕掛けたり(出エジプト記17章8節以下)、その後も近隣諸国の民と共にイスラエルに攻め上って来たりして(士師記3章13節、6章3節)、絶えず敵対しています。

 

 アマレクを滅ぼし尽くせという命令は、レフィディムの攻撃に報復するためだと、2節にその理由が記されています。そして、申命記25章17節以下にモーセを通じて、この命令は既にイスラエルの民に告げられていました。

 

 「滅ぼし尽くす」は「滅ぼす、献げる」(ヘーレム)という言葉で、新改訳、岩波訳はそれを「聖絶する」と訳しています。「聖絶」とは、戦いに敗れた民やその家畜を絶滅させることで、勝利をもたらされた神にそれを儀礼的に献げ尽くすことを意味します。

 

 サウルは21万の兵を集め、イスラエル南方のアマレクの町に攻め込み(4節以下)、アマレク人を討ちました(7節)。ところが、滅ぼし尽くせという命令にも拘わらず、サウルはアガグ王を生け捕りにし(8節)、羊と牛の最上のもの、肥えた動物、小羊など、上等なものは、惜しんで滅ぼし尽くしませんでした(9節)。

 

 それを見た主はサムエルに、「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」(11節)と告げます。サムエルは翌朝サウルのもとに赴き、主の命令に従っていないことを指摘すると(14節,17節以下)、それは神への供え物にしようと、最上のものをとっておいたのだと言い訳けをします(15節,20,21節)。

 

 もしかすると、その供え物によって、サウルは敬虔な王だという評判を得ようとしていたのかも知れません。しかしながら、その敬虔そうな振る舞いは偽りで、自分の強欲さを隠す隠れ蓑にすぎません。

 

 サムエルは「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(22節)と語り、冒頭の言葉(23節)のとおり、反逆と高慢によって主の御言葉を退けた故に、サウルは王位から退けられると、厳しく宣告します。

 

 エフェソ書5章5節に「た貪欲な者、つまり、偶像礼拝者」という言葉があります。偶像礼拝者すべてが「貪欲な者」だとは思いませんが、神に聴き従うというのではなく、自分の願いを実現し、欲望を満たすために宗教を利用しようとする姿勢を偶像礼拝だと規定しているのでしょう。

 

 偶像を仰ぐことや占いや呪術を行うことは、主の目に悪とされ、そのようなことを行う者は神に厭われます(レビ記19章4,26節など)。「口寄せや霊媒を訪れて、これを求めて淫行を行う者があれば、わたしはその者にわたしの顔を向け、彼を民の中から断つ」(同20章6節)という言葉もあります。

 

 今サムエルは、サウル王に対して、神の命令に従わないこと、御言葉に耳を傾けないことは、神への反逆、高慢な所業であり、聖絶すべきものを惜しんで残したのは、貪欲のなせる業で、神の忌み嫌われる占いや偶像礼拝の罪に等しいものだと、断罪しているのです。

 

 さらに、サウルの高慢は、命令に忠実に従おうとしなかっただけでなく、勝利をお与えになった主に感謝して賛美をささげることはせず、自分のために戦勝記念碑をカルメルに建てたというところにも表われています(12節)。そのときサウルは、サムエルに報告することさえしていません。

 

 サムエルによる厳しい断罪の言葉を聞いて、サウル王は慌てて罪を認めますが、しかし、「兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました」(24節)と、それを部下の所為にします。勿論、王として君臨している者に、このような言い訳が許されるはずがありません。

 

 さらに、「民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します」(30節)とサウルは答えます。およそ真の悔い改めとはほど遠い、王の位にしがみつき、そのためにサムエルに媚びへつらおうとする権力者の哀れな姿をここに見ます。

 

 サウルは、神に喜ばれることよりも、自分自身を喜ばせることを優先し、神を畏れるよりも人々の前に体面を失うことを恐れています。これは、サウルの息子ヨナタンの信仰とは全く好対照です(14章6節)。

 

 サウルのこうした姿勢が、やがて登場してくるダビデに対して、地位を守るためになりふり構わず、その命をしつこく狙うという行動に出させるのです(18章6節以下)。それゆえ、主によってその地位から退けられるのです。

 

 私たちの主なる神は、私たちを愛し、あらゆる罪の呪いから解き放つため、独り子を贖いの供え物とされました。ただ信じるだけで、救いに恵みに与ることが出来ました。感謝と喜びをもって主の御声に耳を傾け、御旨に従って歩ませていただきましょう。聞き従うことは、どのようないけにえにも勝るものだからです。

 

 主よ、御慈しみをもって御子をお遣わしになり、深い御憐れみをもって、私たちの愚かな背きの罪をぬぐってくださいました。また、私の内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてくださいました。神よ、私たちの救いの神よ、恵みの御業をこの舌は喜び歌います。主よ、私の唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います。 アーメン

 

 

「しかし、主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。』」 サムエル記上16章7節

 

 主なる神はサムエルに、「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見出した」(1節)と告げられます。

 

 サムエルは、サウルのことで嘆き続けていました(15章35節参照)。主もまた、サウルを王としてたてたことを悔いられたと記されています(同上)。サムエルは、もともと王を立てることには反対でした(8章6節)。そして、立てられた王が神の命に従わないことから、イスラエルの行く末を思って嘆いていたのでしょう。

 

 けれども主なる神は、サムエルとは別の将来を見ておられました。信仰生活において、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」(フィリピ書3章13節)、ひたすら進むことが求められているのです。

 

 また、「どこにも主の御目は注がれ、善人をも悪人をも見ておられる」(箴言15章3節)と言われる通り、主は、サウルのことだけでなく、次の王として立てられるべきものを、既に見つけておられました。そこで、油注ぎの用意をして、ベツレヘムのエッサイのもとへ行けと命じられるのです。 

 

 サムエルは、ラマに拠点を置いて、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩きながらイスラエルのために裁きを行っていました(7章16,17節)。南方ユダ族の所領、ベツレヘムに足を運ぶのは、初めてのことでしょう。これまでとは違う、新しいことが始まろうとしているようです。

 

 ベツレヘムに赴いたサムエルは(4節)、町の長老たちの不安を余所に、早速エッサイとその息子たちを会食に招きます(5節)。やって来たエッサイとその息子たちを見て、サムエルは、長男エリアブに目を留め、彼こそ、イスラエルの新しい王に相応しい者だと思いました(6節)。

 

 けれども、主は冒頭の言葉(7節)のとおり、「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われます(7節)。

 

 ここに、「容姿や背の高さに目を向けるな」と言われます。初代の王サウルは「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」(9章2節)という人物でした。「わたしは彼を退ける」は、エリアブのことでしょうけれども、サウルのことでもあるわけです。

 

 また、「目に映ること」の原語は、「アイナイム=両眼(アイン=目)」という言葉です。目に代表される「外観」ということでしょうか(岩波訳参照)。同席した「七人の息子」らはいずれも、主によって選ばれる者ではありませんでした(10節)。残念ながら、彼らは主の御目にかなわなかったわけです。

 

 ところが、エッサイには、食事の席に来ていないもう一人の息子がいました。完全数の「七」人の内に数えられない、8番目の息子です。それは、その子がまだ成人していなかったということでしょう。そして、主なる神は最も小さな、取るに足りないと考えられたその息子を選ばれました(12節)。

 

 その子の名は「ダビデ」といいます(13節)。主は「容姿や背の高さに目を向けるな」(7節)と言われましたが、しかし「彼は血色がよく、目は美しく、姿も立派であった」(12節)と記されています。「心によって見」られたダビデの内面が、外側に美しく示されていたということでしょうか。

 

 ただ、ダビデは、王として名を上げた後、他人の妻と姦淫し、それで女性が懐妊したと知るや、その夫を戦場から呼び戻して事実を誤魔化そうとしました。それが出来ないとなると、夫を戦死と見せかけて殺し、未亡人となった女性を自分の妻とするという、とんでもない罪を犯します(サムエル記下11章)。

 

 「主は心によって見る」というのは、まさか、そのような大罪を犯すダビデを選ぶのが神の御心であるという表現ではないでしょう。エリアブら、彼の七人の兄たちはもっと重い罪を犯すということでもないはずです。国王という権力には、様々な誘惑があるということです。

 

 ただ、ダビデは、預言者ナタンにその罪を指摘されると、それを素直に認めました(同12章13節)。あるいは、その素直さを主は見ておられたということかも知れません。ダビデは、父親や兄たちが食事をしている間、羊の番を忠実に果たしていました(11節)。そのような、主に素直に聴き従う心が見られたのです。

 

 勿論、だからと言って、ダビデの罪を不問にされるわけではありません。ダビデとその子らの罪だけでなく、全人類の罪の呪いを身に受けて贖いの業を成し遂げさせるため、主なる神は、御心に適う者をダビデの末裔から生まれさせます。それが、主イエスなのです(マタイ1章1節、3章17節)。

 

 話をもとに戻して、サムエルがダビデに油を注ぐと、彼の上に主の霊が激しく降るようになりました(13節)。これは、かつてサウルに起こったことです(10章6,10節)。しかし、サウルはその恵みを失ってしまいました。

 

 神の恵みは、神に仕え、また人に仕えるために与えられます。御旨に従って働くなら、さらに豊かに与えられるでしょう。しかしながら、それを死蔵したり、御旨に沿わないかたちで用いようとするなら、朽ち果ててしまうことでしょう。

 

 神の栄光を盗むことは出来ません。欲望がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます(ヤコブ書1章15節)。聖書が語る死とは、肉体の死というより、関係が絶たれることを意味します。罪によって人との関係が壊れ、神との関係が途絶するのです。サウルは神の命に従わず、自分の欲望に流されたために神に退けられ、主の霊が彼から離れ去ってしまったのです。

 

 それだけではなく、「主から来る悪霊が彼をさいなむようになった」(14節)と言われます。「主から来る悪霊」というのは、主なる神が自ら悪霊を送り出すというのではなく、悪霊といえども主なる神の許しなしに人を苛むことは出来ないということでしょう(ヨブ記1章6節以下、12節、2章1節以下、6節参照)。

 

 悪霊に苛まれるようになったサウルは、竪琴の名手を召し抱えるようにします(15節以下)。それはなんと、サムエルに油注がれたエッサイの子ダビデでした(18節)。ダビデが竪琴を奏でると、サウルの心が安まり、悪霊が彼を離れました(23節)。これは、音楽療法の始まりといってよいのかも知れませんが、ダビデを通して、主がそこに働かれたということです。 

 

 かつて、蛇がエバを、「神のように善悪を知るものとなる」(創世記3章5節)といって誘惑しました。それで、エバとアダムは神の命に背き、善悪の知識の木の実を食べてしまいました(同6節)。その結果、エデンの園から追放され、苦しみながら生きる者とされてしまいます(同16節以下、23節)。

 

 高慢と反逆によって退けられたサウルは(15章23,26,28,35節)、ますますその罪を拡大させ、彼に替わって油注がれたダビデを妬み、殺そうとするようになります(サム上18章8節以下)。

 

 ある人から出て行った悪霊が戻って来てみると、空き家できちんと整理整頓されているのを見て、他の七つの霊を連れて来て入り込み、住み着くと、その人の状態は前よりも悪くなると、主イエスが例え話をされたことがありますが(ルカ11章24~26節)、このときのサウルは、まさにそのような状態でした。

 

 神様から与えられた恵みを疎かにせず、神のため、人のために用いて神に栄光をお返しするため、日々主の御前に謙って御言葉に耳を傾け、聖霊の導きに従って歩み、絶えずその油注ぎを保ち続け、後の状態は前よりもよくなったと言われるようにして頂きたいものです。

 

 主よ、あなたはダビデを選ばれました。それは、ダビデが清かったからではありません。ダビデの子孫として、御子キリストを誕生させ、全人類の罪の贖いを成し遂げさせるためでした。ダビデが選ばれたのは、主の恵み以外の何ものでもありません。主は私たちもお選び下さいました。その召しに答え、御言葉に従い、主の御心を行う者となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々に渡される。」 サムエル記上17章47節

 

 前にペリシテ軍と戦ったときには、戦車3万、騎兵6千、砂粒のように多い兵士というペリシテ軍に対し、サウル王の息子ヨナタンと従者が二人で敵の先陣に攻め入って大混乱に陥れ(14章1節以下)、その後イスラエル全軍でペリシテをたたくことが出来ました(同16節以下)。

 

 ところが、またもペリシテ軍がイスラエルに向かって、エルサレム南西およそ27kmの地にあるソコに集結し、その北西方向エフェス・ダミムに陣を張りました(1節)。対するイスラエル軍はエラの谷に陣を敷き(2節)、谷を隔てて対峙します(3節)。

 

 先にペリシテ軍が守備隊を配置していたゲバは(13章3節)、ベニヤミン領内・エルサレムの北方9kmにある、アロンの子孫に与えられた「レビ人の町」(ヨシュア記21章17節)の一つで、した。今回は、エルサレム南西27kmのソコということは、ギルガルを拠点にイスラエルを治めるサウルの統治が、一定の効果を上げているということでしょう。

 

 今回は全軍による戦闘ではなく、ゴリアトという戦士が進み出て(4節)、双方の代表者による一騎打ちを申し出ました(8,10節)。そして、勝利した方が相手方の全兵士を奴隷とするという取り決めです(9節)。

 

 ペリシテ代表のゴリアトは身長6アンマ半(約3メートル)の巨人で(4節)、五千シェケルと言えば50㎏を優に超える重さになる青銅の鎧兜に身を包み(5,6節)、鉄の穂先を持つ青銅の投げ槍を肩に担いで立っています(6,7節)。その上、彼は歴戦の勇士です(33節参照)。

 

 おかげで、全イスラエルはゴリアトの前にすっかり怖じ気づいてしまい(11節)、40日に亘って戦いを挑まれますが、誰もそれに答えることが出来ませんでした(16節)。かつて、従卒一人だけを連れてペリシテの先陣に切り込んだヨナタンも(14章1節)、軍の司令官アブネルも(55節、14章50節)、全く沈黙していたようです。

 

 主の霊がサウル王を離れ、悪霊にさいなまれるようになった結果(16章14節)、恐れが全イスラエルに蔓延してしまったのでしょう。指導者が主の命に背いて、神の臨在と聖霊の油注ぎを失うことは、神の民イスラエルにとって致命的な問題なのです。御言葉に従って歩み、主の霊の恵みを絶えず豊かに味わい、主の賜物と恵みを主のために用いさせていただかなければなりません。

 

 そこに、サウルに代わって油を注がれた少年ダビデが登場します。ダビデは竪琴の奏者としてサウル王に召され、気に入られてサウルの武器を持つ者とされていましたが(16章14節以下、21節)、常にサウルに同行していたわけではなく、サウルに仕えたり、ベツレヘムで羊の世話をしたりしていました(15節)。

 

 ダビデは、父親に頼まれて、戦いに参加している兄たちにパンを届けがてら、チーズ十箇を千人隊長に渡して、兄たちの安否を確かめ、そのしるしをもらうために戦場に赴きました(17,18節)。

 

 ダビデはそこで、ゴリアトの口上を聞きます。兵士たちは恐れ戦きますが、ダビデは、「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、いったい何者ですか」(26節)と、周りにいた兵に尋ねます。

 

 何しろ、ダビデはまだ少年で、戦争に参加したこともありません。自分が行ってペリシテ人と戦いましょうというダビデに(32節)、サウルは、戦いにならないと答えています(33節)。

 

 しかし、ダビデには主の霊が激しく臨んでいました(16章13節)。羊の群れを襲う獅子や熊の口から羊を取り戻すことができたのだから、無割礼のペリシテ人ゴリアトを打ち倒してみせようと言い(36節)、続けて「士師の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるに違いありません」(37節)と語ります。

 

 36節の「取り戻す」と37節の「守ってくださる」は、同じ「ナーツァル」という言葉が用いられています。熊や獅子の手から羊を救ったダビデを、主が救ってくださったので、ゴリアトの手からイスラエルを救い出す自分を必ず救ってくださるという言葉遣いで、ここに、ダビデの信仰の核心があります。

 

 ダビデが書いたという詩に、「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません」(詩編16編8節)という言葉があります。これは、常に自分の目の前に主を見ているということです。

 

 それは、必ずしもダビデが「常に」主を仰いでいたということではないでしょう。むしろ、主が「常に」ダビデの前にお立ちになって、ダビデをお支えくださっていたのです。ダビデは自分の右に立ち、ゴリアトと戦われる万軍の主の御姿を信仰の目で見ており、それゆえ、恐れることがなかったわけです。

 

 ダビデの信仰の表明を受けて、サウルも「行くがよい。主がお前と共におられるように」という祈りの言葉を口にします。主の霊がサウルを離れ、悪霊にさいなまれるようになって、ついぞ祈りを忘れていたのではないでしょうか。

 

 これが、信仰から出た言葉ではなかったので、ダビデに自分の武具を着せようとします(38節)。目に見えない万軍の主の守りよりも、武具の方が確実に身を守れると考えたのでしょう。けれども、ダビデはまだ少年ですし、イスラエルのだれよりも背の高いサウルの武具は、それを身に着けて歩くことさえできませんでした(39節)。

 

 

 ダビデは、それらを脱ぎ去ると、杖と石投げ紐、五つの石を持ってゴリアトの前に立ちます(40節)。それを見たゴリアトはダビデを侮り(42節)、ペリシテの神々によってダビデを呪って(43節)、「お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」(44節)といいます。

 

 それに対して「お前は剣や槍や投げやりでわたしに向かってくるが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう」(45節)とダビデは言い、そして冒頭の言葉(47節)を語ります。

 

 ダビデが語ったとおり、神がイスラエルを救うのに用いられたのは、剣や槍ではありません。それを巧みに操る勇士でもありません。未だ成人していない少年ダビデの、石投げ紐に石一つでした(50節)。まさにそれは、戦列の神、万軍の主が勝利をダビデ=イスラエルにお与えになったというしるしです。

 

 今日、私たちにとって勝利とは何でしょうか。それは、どんなときでもイエスを主と告白し、神が死人の中から主イエスを甦らせてくださったと信じることです(第一ヨハネ書5章4,5節)。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝する信仰を固く持つことです(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 

 主よ、有力な者を辱めるために無力な者を選び、用いられます。ダビデを用いられたのは、まさにそれです。ゴリアトはダビデを侮りましたが、それが彼の致命傷でした。彼には、ダビデと共におられる神が見えなかったからです。主よ、私たちは絶えず御顔を仰ぎ、御言葉に耳を傾けます。聖霊で満たし、主の望まれるような者にしてください。イースターから始まる新しい年度が、主の恵みで満ちあふれますように。 アーメン

 

 

「ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。」 サムエル記上18章1節

 

 ゴリアトを倒したダビデはその日、サウルに召し抱えられることになりました(2節)。ダビデは出陣するたびに勝利を収め、武功をあげるので、サウルはダビデを戦士の長に任命しました(5節)。それが、すべての兵士やサウルの家臣に喜ばれたと記されています。

 

 若いダビデが戦士の長に取り立てられて、それを兵士や家臣たちが妬んだというのではなく、すべての者が喜んだということは、ダビデの勇敢さや戦術の巧みさなどを、彼らが認めていたということでしょう(17章18節)。

 

 また、ペリシテの勇士ゴリアトを倒した者に、サウルが大金を与え、王女もくださり、その父の家には特典を与えると言われていましたので(同25節)、ダビデが王家の一員となることを歓迎していると見ることも出来ます。

 

 女たちもダビデを喜び迎え(6節)、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(7節)と歌い交わします。こうして、ダビデはすべての人々から愛されるようになりました。

 

 しかし、ただ一人サウル王は、そのようにダビデが讃えられるのを聞いて腹を立て、悔しがります(8節)。王の心はダビデへの嫉妬の念で満たされてしまいました(9節)。そして、ダビデを壁に突き刺そうと、槍を振りかざします(11節)。

 

 聖書はそれを悪霊の仕業と表現していますが(10節)、地位の高い者が自分の地位を危うくする者を憎み、退けようとするのは世の常です。ということは、地位の高い者が、武功のある忠臣に嫉妬心や猜疑心を抱いて退けようとしたり、時には殺してしまうように仕向けるという手を、悪霊はよく用いるということでしょう。だから、一介の羊飼いから取り立てたダビデに対して、サウルは本気で殺意を抱いているのです。

 

 それは、サウルがダビデを恐れているということです(12,15節)。主がダビデと共にいて戦いに出れば連戦連勝(14節)、そして人望も厚く、人気は上がる一方となれば(15,16節)、主の霊が離れた自分から、王の地位が奪われるのも時間の問題と、サウルは考えていたのかも知れません。

 

 そこで、自ら手を下すことなく、ダビデを亡き者とするために、敵ペリシテの手を借りる手立てを考えます(17節)。それは、長女メラブの婿となり、サウルの戦士として先陣を切ることです。それはダビデがこれまでも常にして来たことで(13節)、だからといって王の婿となれるとは考えていませんでした(18節)。実際にサウルにもその気はなく、メラブは別の男性に嫁がせられました(19節)。

 

 ところが、次女ミカルがダビデを愛していることを知ったサウルは(20節)、それを利用して罠を考えます(21節)。それは、ダビデを次女の婿として迎える条件として、ペリシテ人への報復のしるしに、彼らの陽皮百枚を結納金代わりに差し出すようにということです(25節)。それによって、サウルはペリシテ人からダビデを返り討ちにしてもらおうと考えたわけです。

 

 初めは受けられる話ではないと固辞していたダビデですが(23節)、家臣たちの重ねての要請にそれを受けることにしました(22,25節)。そうなると、ダビデはすぐに行動を起こし(26節)、要求された倍の200人分の陽皮を持ち帰りました(27節)。

 

 ここにサウルは、主がダビデと共におられることを、改めて思い知らされます(28節)。また、自分の娘ミカルまでもダビデを愛しているということで、ますますダビデを恐れ、敵意すら抱くようになりました(29節)。

 

 そうした中で、王子ヨナタンの態度は注目に値します。ダビデの登場で一番不利な立場になるのが、ヨナタンです。王位を継ぐ最短距離にいる自分が、その地位を赤の他人に奪われるのです。年齢も、ヨナタンの方が10歳以上も上ではないかと考える注解者がいます。

 

 しかし、それらのことは、ヨナタンにとってどうでもよいことでした。彼は冒頭の言葉(1節)の通り、誰よりもダビデに惹かれ、自分自身のようにダビデを愛したのです。

 

 3節に「ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び」と記されています。それは、王子と羊飼い上がりの若者が、対等の立場にいるということを示します。このことは、ダビデが望んで出来ることではありませんから、ヨナタンがダビデをいかに大切に思っているかということの、何よりの証拠です。

 

 そして、自分の着ていた上着をダビデに着せ、また装束を剣、弓、帯に至るまで、すべて与えます(4節)。これはまるで「乞食王子」の物語よろしく、この日、ヨナタンがダビデとその立場を取り替えたことを象徴しているような出来事です。

 

 今日、神の独り子なる主イエスは、私たち人類をご自分のように深く愛され、一方、私たちはその愛に相応しい者でもないのに、むしろ、敵対していたような者なのに(ローマ書5章6節以下、10節)、ご自身を十字架に贖いの供え物とされ、私たちを罪の呪いから解放してくださいました。

 

 それは、ご自分を信じる者に神の子となる資格をお与えになるためであり(ヨハネ1章12節)、主が私たちのために貧しくなられ、それによって私たちが豊かになるためだったのです(第二コリント8章9節)。これは、全く一方的に与えられた恵みなのです。

 

 その御子イエスが十字架にかかられ、死んで葬られ、三日目に墓を破って甦られたことを喜び祝う日、それがイースターです。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けた私たちは、その死に与り、そしてキリストが死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きる者とされます。

 

 イースターの希望と喜びが全世界のすべての人々にありますように。 

 

 主よ、私たちに豊かな恵みをおあたえくださり、心から感謝致します。私たちが神の子とされるためにどれほどの愛を賜っていることか、いつも覚えさせてください。それによって愛を知った私たちが、感謝をもって互いに愛し合い、赦し合い、助け合う神の家族として、主と共に歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた。」 サムエル記上19章24節

 

 サウル王は、娘婿ダビデの武勇にも拘わらず、否、どんなときにも必ず武功をあげるからこそ、それを妬み、今や公然と彼の殺害を家臣全員に命じます(1節)。ダビデは多くの人々から愛されていましたので、すべての家臣がサウルの命令を積極的に実行しようとは考えなかったと思いますが、一方で、これを機会に自分の名を上げ、サウルに取り立てられようと、その命に従う者も少なからずいたのかも知れません。

 

 となれば、ダビデの命は風前の灯火のように見えます。ところが、そのときにダビデの命運を吹き消そうとする風の盾になったのは、なんと、サウルの息子ヨナタンと娘ミカルです。ここに、皮肉以上のものを感じます。ヨナタンは、父サウルに対してダビデの功績を語り、翻意を促します(4,5節)。サウルはそれを受け入れ、「彼を殺しはしない」と誓いました(6節)。

 

 けれども、また主からの悪霊がサウルに下り(9節)、竪琴を奏でるダビデを槍で突き刺そうと狙います。ダビデはそれを避けて逃げ、難を免れました(10節)。そこでサウルは使者を送ってダビデを見張らせ、翌朝には殺させようとしました(11節)。それを知ったミカルは、寝台を偽装した上、夜の間にダビデを逃がします(11,12節)。

 

 そのようにヨナタンとミカルが行動したのは、ダビデ自身に、父サウルを退けて自ら王になろうとするような振る舞いがいささかもなかったこと、むしろサウルのため、イスラエルのために常に命を賭して敵と戦い、勝利して来たことを認めていればこそです。そして、そのようなダビデを、二人は愛していたのです。その上、ダビデを守られる神の御手があります。

 

 ミカルの機転で難を逃れたダビデは、ラマのサムエルのもとに行き、サウルのことを報告します(18節)。サムエルは、ダビデとナヨトに行きます。「ナヨト」は「住居」という意味で、これは固有の地名ではなく、ラマにサムエルを中心とする「預言者の一団」(20節)が生活する家があって、それを「ラマのナヨト」と言っているのではないかと考えられます。

 

 ダビデがラマにいることを知ったサウルは、そこに使者を差し向けますが(19,20節)、預言者の一団の先頭に立っているサムエルの前で、彼らにも神の霊が降り、預言する状態になって、ダビデを捕らえることが出来ません(20節)。

 

 三度使者を遣わして、その度に同じことが起こりました(21節)。最後にサウル自身がやって来ましたが、彼にも神の霊が降り、預言する状態になりました(22,23節)。

 

 預言には、言葉で語られる預言の他に、行動で示される預言もあります。それぞれ、どのような状態になったのか、何が語られたのか、述べられてはおりません。ただ、冒頭の言葉(24節)には、「彼(サウル)は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた」と記されています。

 

 それこそ、サウルの真の姿です。神の霊が離れ、預言者サムエルが離れ、勇士ダビデが離れ、そして息子、娘までも自分から離れてしまい、たった一人、裸で倒れています。心からサウルに味方する者は誰もいません。しかしそれは、サウル自身が神の命を守らず、自分のため命懸けで働くダビデを亡き者にしようとして招いた結果でした。

 

 そのサウルに神の霊が降り、預言する状態になりました。そして今、裸でサムエルの前に倒れています。これはただ、興奮状態、恍惚状態になっていただけというのではないでしょう。神が霊をもってサウルに働きかけておられたのです。彼がまさに「裸の王様」であることを教え、諭しておられたのではないでしょうか。

 

 あるいは、彼が裸のまま一昼夜を過ごしても、誰も彼を襲って危害を加える者がないように、神の霊が彼を覆い、その身と心を守りながら、彼が神の御旨を受け入れ、もう一度神の御言葉に忠実に従うように促されていたのではないでしょうか。

 

 あの「放蕩息子」が、分与された財産すべてを使い果たして無一物となり、豚のえさを奪って食べたいと思うほどに落ちぶれ果て、我に返って父のもとに帰る決意をし、再び家族としての生活を取り戻したように(ルカ15章11節以下、17節)、すべてのものを失ったこの最大の危機が、サウルにとって、神の恵みに与る最大のチャンスだったのです。

 

 サウルは、そのことを悟って、チャンスをものにすることが出来るでしょうか。主なる神は、ご自分を信頼し、ご自分にすべてを委ねる者たちのために、万事を益としてくださるのです(ローマ書8章28節)。主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上ることができます(イザヤ書40章31節)。

 

 私たちも、主に信頼して一切を主の御手に委ね、御言葉と聖霊の導きを受けて、日々主と共に歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは自分の弱さ、愚かさを認めることが苦手です。問題を感じながらも、それを手放すこと、ハンドルを委ねることが、なかなか出来ません。どうか助けてください。裸のサウルを霊で覆ってくださったように、私たちを御霊で覆い、守り導いてください。すべてを御手にお委ねします。イースター(4月1日)から始まる新しい一年も、主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない。」 サムエル記上20章31節

 

 サウルに追われてラマを逃げ出したダビデは、サウル王の息子ヨナタンのもとに来て、サウル王が自分の命を狙う理由を尋ねます(1節)。ヨナタンは、そのようなことはさせはしないと請け合いますが(2節)、ダビデはヨナタンに、新月祭の席を欠席して、サウルがそれを認めるか激怒するかで、サウルの真意を探るよう求めます(5節以下)。

 

 8節で、ダビデの方から「主の御前で契約を結んでくださったのですから、僕に慈しみを示してください」と持ちかけているところから、18章3節の契約以来、両者が対等の立ち場でいることが伺えます。ヨナタンは実行を約束した後(11節以下)、ダビデと契約を結び(16節)、サウルの真意を知った後の連絡の仕方を打ち合わせます(18節以下)。

 

 新月祭が来て、食事の席に来ないダビデに激怒したサウル王は、息子ヨナタンにダビデを捕らえ、殺すように命じます(30,31節)。ヨナタンがその理由を質すと(32節)、サウルはヨナタンをも殺そうと槍を投げつけます。

 

 サウルは、預言者サムエルの前で神の霊に満たされて預言する状態になり(19章23節)、自分の真の姿を見せつけられていたのですが(同24節)、結局、真の悔い改めにまでは至らなかったわけです。

 

 父サウルがダビデに対して殺意を抱いていることを知ったヨナタンは(33節)、翌朝ダビデと取り決めた時刻に若い従者を連れて野に出、打ち合わせどおりに行動しました(35節以下)。そして、ヨナタンが従者を帰すと(40節)、隠れていた場所からダビデが現れ、互いに別れの挨拶を交わします(41,42節)。ヨナタンは、出来ることならダビデと同行したかったことでしょう。

 

 ところで、冒頭の言葉(31節)の、ヨナタンの王権は確かではないというサウルの分析は、間違ってはいません。けれどもそれは、ダビデが生きているからではありません。第一、ダビデはヨナタンの王権を狙ってなどいません。

 

 そもそも、サウルが王位から退けられることになったのは、彼が神の御言葉に耳を傾け、忠実に従おうとしなかったからであり、今もなお、それを悔い改めようとしないからです。彼がそのようだから王位から退けられ、代わってダビデが王としての油注ぎを受けることになったのです。

 

 つまり、サウルが主に聴き従わない限り、首尾よくダビデを殺すことが出来たとしても、第二のダビデ、第三のダビデが登場して来ます。それは、主ご自身がサウルを王位から退けられることに決めておられ、サウルに代わる新たな王を選ばれているからです。そして、ダビデを新しい王として油注がれたのは主なる神ですから、人がそれを取り消すことは出来ないのです(15章29節)。

 

 また、神がサウルを王位から退けれらることは、既にサムエルによって語られており(同23,28節)、サウルも承知しているはずです。それをなお、ダビデの所為にするところがサウルの罪であり、今日でも、権力の座に着いた者がしばしば露呈する人間の弱さ、愚かさでしょう。

 

 既に、サウルを王位から退ける決定がなされ、サウルに代わる新たな王としてダビデに油が注がれましたが、状況が変化する兆しもありません。神は、サウルが御前に謙り、悔い改めて帰って来るのをひたすら待っておられたのではないでしょうか。ところが、サウルは自分が御言葉に聴き従おうとしないだけでなく、神に油注がれた者に手をかけようとしているのですから、処置なしです。

 

 一方、父サウルから、ダビデが生きている限り王権を脅かされていると言われた息子ヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛し、ダビデのために行動します。「ダビデとヨナタンの間には何があるか」と問われて、「『と』があった」と、どこかの牧師がジョークを飛ばしていましたが、上述の通り、二人の間には、真実な契約が結ばれています。立ち場を超えて、二人に間には真実の愛があったのです。

 

 ダビデを王として選ばれたのが神の憐れみであれば、ヨナタンがダビデを愛するように仕向けられたのも、神の導き、恵みでしょう。神は、様々な手段、方法、そして人を用いて、ダビデをイスラエルの王として守り育て、導いておられるのです。だから、ダビデはサウルを主に油注がれた者として敬い、その命を奪うことが出来る状況になったときにも、サウルに手をかけようとはしなかったのです。

 

 神は祝福する者を祝福され、呪う者は呪われます(ルカ6章35節以下、38節、創世記12章3節)。主を仰いで主の御言葉を聴き、上からの恵みと平安で心を満たしていただきましょう。主の御愛を心いっぱいいただいて、互いに愛し合う者としていただきましょう。ダビデとヨナタンのように。

 

 主よ、今私たちを聖霊に満たし、キリストの御言葉が心に豊かに宿るようにしてください。絶えず感謝と賛美の生贄を、人としてこの世においでくださり、贖いの御業を成し遂げてくださった御子イエスの御前に献げることが出来ますように。そして、このイースターの良いときに、隣人に主の愛と恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ダビデは更にアヒメレクに求めた。『ここに、あなたの手もとに、槍か剣がありますか。王の用件が急なことだったので、自分の剣も武器も取ってくることができなかったのです』。」 サムエル記上21章9節

 

 ヨナタンを通してサウル王の殺意を確認したダビデは、ヨナタンと別れて逃避行を始め(20章33,42節)、最初にノブの町を訪ねました(2節)。ノブは、エルサレムの北にあったベニヤミンの町で、サウルの時代、祭司アヒメレクのいる幕屋が置かれていました。

 

 アヒメレクの父アヒトブ(22章9節参照)は、サウルに仕えていた祭司アヒヤの父でもあり、シロで主の祭司を務めたエリの孫にあたります(14章3節参照)。もしかすると、アヒヤとアヒメレクは同一人物なのかも知れません。

 

 ダビデがノブの町にアヒメレクを訪ねたのは、あるいは避難所を求めてのことだったのではないかと思われますが、アヒメレクの「不安」(2節)に示されているように、それは適わないことでした。というのも、そこにサウルの家臣の一人でドエグというエドム人がいたからです(8節)。

 

 ダビデは、サウルの密命を帯びて行動しているとアヒメレクに告げ(3節)、彼に食べ物を求めました(4節)。逃避行を続けていて、空腹になっていたわけです。そこには、通常祭司以外の者が食べることは許されない、神への献げ物として聖別されたパンしかありませんでした(5節)。けれども、空腹を抱えているダビデの求めに応じて、アヒメレクはそれを与えました(7節)。

 

 ファリサイ派の人々との安息日を巡る論争のときに、主イエスがこのダビデの行為を取り上げて、「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか」(マルコ2章25節)といって語っています(同26節も参照)。

 

 それから、冒頭の言葉(9節)にあるとおり、ダビデはアヒメレクに剣や槍などの武器を求めます。すると、なんとそこに、ペリシテ人ゴリアトの剣が保管されていました(10節)。ダビデはそれを喜んで受け取りました。

 

 こうして、食べ物と武器を手に入れることが出来、力づけられていざ出発というところですが、しかし、このことは後に大きな傷となりました。というのは、上述のとおり、サウルの家臣の一人が、ノブの聖所に留められていたのです(8節)。「主の御前に留められていた」ということは、必要があって宗教的な儀式に参加していたということでしょう。

 

 そこに、ダビデがやって来て、祭司アヒメレクとやりとりしている話が、耳に入ったのでしょう。ドエグが、それをサウルに告げ口をしたため、アヒメレク一族をはじめ多くの祭司たち、ノブの町の住民が皆、家畜も含めて剣で撃たれることになりました(22章9節以下、18,19節)。

 

 ダビデはドエグの存在に気づいていましたが(8節、22章22節)、自分がサウルを避けて逃げていることを悟られないように、巧みに嘘をついて、その場を繕いました。そのときのダビデは、自分のことで精一杯で、アヒメレクや他の人のことまで考えている余裕がなかったのです。

 

 実際、ダビデはゴリアトと戦ったときに見せた信仰を忘れてしまっているかのようです。かつて、「わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにして見せましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから」(17章36節)と言い、そして「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされない」(同47節)と語っています。

 

 少年のときのダビデは、神がゴリアトの手から自分を必ず守ってくださると信じて疑わなかったのです。しかるに、そのダビデが、祭司アヒメレクを訪ねて、神の加護を求めて執り成しの祈りを要請したとか、どの道に進むべきか神の託宣を求めたというのではありません。お腹を満たすためのパンだけでなく、身を守るための武器を求めたのです。

 

 これは、神の守り、助けよりも、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(12節、18章7節)と歌われた自分の腕を信じているということになるでしょう。ペリシテに対して連戦連勝するうちに、あるいは危険な逃避行を続けていく中で、サウルに対する恐れから、少年の日の信仰が大きく後退してしまったのです。

 

 ダビデといえども、自分の力で主に対する信仰を保持し続けることは出来ませんでした。信仰は、日毎の主との交わりを通して養われていくものであるということを、改めて教えられます。

 

 この後、ダビデは隣国ペリシテに逃れ、ガトの王アキシュの下に身を寄せようとしますが(11節)、自分のことがガトの人々に知られていることが分かり(12節)、気が狂ったような振る舞いをしてそこから逃れ出ました(14節以下)。およそ、かつてのダビデ少年ではありません。そんなダビデが敵の手から守られたのは、ただ神の愛であり、憐れみなのです。

 

 恐れや不安、心配があるならば、それを主に訴え、主の守りを求めましょう。苦しみがあるなら、癒しと解放を求めましょう。困難があるなら、主の導きを待ちましょう(ヤコブ書5章13節以下参照)。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7章7節)のです。

 

 主は、求める私たちに聖霊、即ち主なる神ご自身をお与えくださいます(ルカ11章13節)。主イエスが「インマヌエル(神は我々と共におられるの意)」(マタイ1章23節)と呼ばれるお方であったのと同様、聖霊は絶えず私たちと共に、私たちの内にいて、私たちを力づけてくださいます(ヨハネ14章16,17節)。

 

 そして、私たちには聖書が与えられています。いつでも、神の御言葉を頂くことが出来ます。年度末を迎え、新年度を始めようとしているこの時から、忠実に聖書日課に従って御言葉を聴き、主の御前に感謝をもって祈りと願いをささげましょう。そのとき、主の平安が、私たちの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくださるのです。

 

 主よ、御言葉を感謝します。あなたは、永遠の命の言葉を持っておられます。日々、命の言葉を聴かせてください。いつも御言葉の光の中を歩ませてください。あなたから離れては、実を結ぶ人生を歩むことが出来ないからです。御名が崇められますように。御国が来ますように。御心がこの地に行われますように。 アーメン

 

 

「わたしのもとにとどまっていなさい。恐れることはない。わたしの命をねらう者はあなたの命をもねらう。わたしのもとにいれば、あなたは安全だ。」 サムエル記上22章23節 

 

 サウルを恐れて逃避行を続けているダビデですが、彼のもとに人が集まり始めました。

 

 先ず、ダビデがアドラムの洞窟に難を避けていることを聞いた兄弟や父の家の者が皆、ベツレヘムから下って来ました(1節)。ダビデがサウル王から命を狙われているということは、兄弟や家族、親族にとっても大きな脅威だったことでしょう。実際に、彼らにもサウルの手が伸びていたのかも知れません。

 

 続いて、「困窮している者、夫妻のある者、不満を持つ者」(2節)が集まって来ました。サウルのもとでは力を発揮することが出来なかった者、役に立たなかった者が、ダビデのもとで整えられ、やがて大きな戦力となっていきます。その数は、既に400人にもなりました。

 

 そして、ダビデは両親をモアブの王に託します(3節)。おそらく、ダビデの両親は年老いていたので、ダビデと共にサウルを避けて荒れ野を旅するのは困難なことだったと考えられます。また、サウルの兵と戦いを交えることになれば、表現が適切でないと思いますが、ダビデの両親が足手まといになってしまうでしょう。

 

 両親をモアブの王に託したということは、そのとき、モアブの王とダビデの間には、友好的な関係が築かれていたわけです。モアブは、ダビデの曾祖母ルツの故郷ですし(ルツ記1章4節、4章17節)、そもそも、モアブは、イスラエルの父祖アブラハムの甥ロトの子孫です(創世記19章37節)。

 

  ところが、ダビデは王となった後、モアブを征服して多くのモアブ人を処刑し、モアブを属国としました(サムエル記下8章2節)。モアブに対するダビデのこの態度の変化について、モアブ王に託したダビデの両親が殺害されたためだったと、ユダヤ教の伝説は伝えています。

 

 話をもとに戻して、アドラムの洞窟にいたダビデのところに預言者ガドがやって来て、「要害にとどまらず、ユダの地に出て行きなさい」(5節)と指示を与えます。預言者を通して、主の助言が与えられているわけです。ダビデは、その指示に従って、すぐに行動を起こし、ハレトの森に移って行きました。それは、アドラムから南東に数kmという「ユダの地」にあります。

 

 その後、祭司アヒメレクの息子アビアタルが、ダビデのもとに逃れて来ます(20節)。アヒメレクとその父アヒトブの家の者たち、「亜麻布のエフォドを身に着けた者」、即ち祭司が「85人」(18節)、無実の罪でサウルに殺され(11節以下)、祭司の町ノブの住民も家畜も、皆殺しにされました(19節)。アビアタルがただ一人、逃れることが出来たのです。

 

 その悲劇の原因は、ダビデがその種を播いたのですが(21章参照)、しかし、ただダビデに利することをしたというだけで、祭司たちを打たせたサウルの非道ぶりが示されます。だから、それを家臣に命じたとき、だれもそれに従おうとしませんでした(17節)。エドム人ドエグが祭司たちに手をかけたのです(18節)。

 

 おのが非を認めたダビデは(22節)、冒頭の言葉(23節)にある通り、アビアタルの保護を約束します。王としての役割を離れて権力を私し、その座にしがみつこうとしているサウルとは違い、ダビデは自分の責任を果たそうというのです。

 

 一方、サウル王は、主なる神の命に背いたため、先ず預言者サムエルが離れました(15章35節)。そして、ダビデが油注がれた結果、主の霊がサウルを離れます(16章14節)。そして、誰よりも勇敢に戦って武勲を立て、名声を得た家臣ダビデを妬み、殺そうとしたので(18章30節)、当然のことながら、ダビデとその家の者が離れて行きました。

 

 その上、サウル王の息子ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛して契約を結び(18章3節)、ダビデの妻となったサウル王の娘ミカルもダビデを愛していたので、王の命に背いてダビデを逃がしました(19章11節以下)。

 

 そして、ダビデに味方してサウルに刃向かわせたというかどで、祭司一族とその町の者を皆殺しにします(13,16,18節)。そのようなことをして、主なる神を味方に付けることは出来ません。主に敵対しながら、今後、外敵に対してどのように立ち向かうつもりなのでしょう。

 

 こうして、サウルが王座にしがみつこうと躍起になればなるほど、主に背いてそこから退けられ、人心も離れるという結果を招いていきます。サウルに不満を持つ者がダビデのもとに身を寄せるようになるのも、主の霊が彼のもとを去り、神の恵みを失ってしまっているからです。これが、「他のすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください」(8章5節)と民の求めた結果です。

 

 しかるに、サウル王が失ったものを、ダビデが集めるようになっていきます。主がダビデと共におられ、神の国イスラエルを立て直そうとしておられるのです。そこに神の癒しがあり、救いがあります。

 

 ダビデがアビアタルに、「わたしのもとにいれば、あなたは安全だ」(23節)と言っていますが、逃避行中のダビデがここでアビアタルの安全を保証出来るのは、勿論ダビデ自身の力などではありません。主なる神がダビデと共におられるからです。

 

 主の御言葉に背いたサウルから主の霊が去ったように、主を信頼し、その御言葉に従おうとしないなら、道端に落ちた種を鳥が来て食べたごとく(マルコ4章4,15節)、私たちも恵みを失うでしょう。私たちと共に働いて、万事が益となるようにしてくださる主を仰ぎ、信じて御言葉に耳を傾けましょう。

 

 主よ、私たちは心を確かにして、あなたに賛美の歌を歌います。あなたの慈しみは大きく、天に満ち、あなたのまことは大きく、雲を覆います。このイースターに、主なる神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください。地の上には、キリストの平和が豊かにありますように。 アーメン

 

 

「そのとき、サウルの子ヨナタンがホレシャにいるダビデのもとに来て、神に頼るようにとダビデを励まして」 サムエル記上23章16節  

 

 ダビデのもとに、ケイラがペリシテに襲われているという知らせが届きました(1節)。ケイラは、ヘブロンの北西に約13km、ダビデのいるハレトの森から西に約10kmのユダの低地(シェフェラ)にある要塞の町の一つで(ヨシュア記15章44節)、穀物の産地です。ペリシテ人は、そこにある麦を略奪するためにやって来たわけです。

 

 ダビデが主なる神に「行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか」(2節)と尋ねると、「行け、ペリシテ人を討ってケイラを救え」(2節)と命じられました。ケイラを失うことは、ユダの人々にとって生活を脅かす一大事だったことでしょう。

 

 ダビデの兵は、逃避行中であることを理由にケイラ行きを渋りますが(3節)、ダビデは再び主に尋ねて、腹を決めます(4節)。長年に亘って脅威となっているペリシテを打つため、主の命に従って逃亡の旅を中断するのです。サウルを恐れてはいますが、さらに主なる神を畏れている証しです。

 

 主なる神はダビデの信仰に答え、「ペリシテ人をあなたの手に渡す」(4節)と、勝利を保証されています。ダビデとその兵はケイラに行き、ペリシテと戦って彼らの家畜を奪い、彼らに大打撃を与え、ケイラの住民を無事救うことが出来ました(5節)。

 

 ところが、ダビデがケイラにいると知って(7節)、サウルは兵を招集し、ケイラに向かおうとしていました(8節)。それを知ったダビデは、サウルはケイラに下って来るかと主に尋ねると、「彼は下って来る」(11節)と言われ、ケイラの有力者は自分たちをサウルに引き渡すだろうかと尋ねると、「引き渡す」(12節)という答えが返って来ました。

 

 なんという恩知らずな人々でしょう。ペリシテ人の手から救ってくれた恩人を、サウルに売り渡してしまうというのです。しかも、ケイラの民はユダ部族で、ダビデとは同族です。主はそんなことを許されるのでしょうか。もし、そうすることが最初から分かっていれば、彼らを助けることはなかったのではないでしょうか。

 

 もちろん、主はすべてをご存じでした。こうなることは、最初から分かっていたのです。主はしかし、どうしてこういうことを許されるのでしょうか。ここで主は、ダビデが自分の利害よりも隣人のことを優先して考えることが出来るか、そして何より、主の御言葉に従うことが出来るかどうかを試されたかたちです。

 

 かつて、ダビデがノブの祭司アヒメレクにパンと剣を求めたとき(21章)、そのことがアヒメレクとその家族、そしてノブの町にどのような結果を生じるのかということを考える余裕がありませんでした。そして、そのためにノブの町は全滅させられてしまったのです(22章19節)。難を逃れることが出来たのは、アヒメレクの子アビアタルただ一人だけでした(同20節)。

 

 ですから、今このケイラの町に、ノブの町の二の舞をさせるわけにはいかないということを、ダビデはしっかりと肝に銘じていたのだと思います。そのときダビデは、何の見返りも求めなずにケイラを去りました。そんな潔いダビデのもとには、彼を慕ってくる者がさらに加えられて、合計600名の集団になりました(13節、22章2節参照)。

 

 主なる神は、ご自分に信頼し、御言葉に従って行動するダビデを顧み、その旅路を守られます。14節に「サウルは絶え間なくダビデをねらったが、神は彼をサウルの手に渡されなかった」とあるように、ダビデの知恵や素早さなどではなく、主が守っておられるからこそ、逃避行を続けることができるのです。

 

 死海西方、ユダ山地のジフの荒れ野ホレシャに身を隠しているとき、サウルの息子ヨナタンがダビデのもとに来ました(15節)。ホレシャは、ヘブロンの南10㎞ほどのところにある「樹木の茂った丘」という名がつけられた要害です。

 

 サウル王が必死にダビデを探していながら、容易に見つけることが出来ないのに、その子ヨナタンはいつでもダビデと意思疎通が可能になるというのは、どういうことでしょうか。それと明言されてはいませんが、主がヨナタンをダビデのもとに導かれたのでしょう。

 

 それはしかし、命がけの行動です。ヨナタンがダビデと会ったことが分かれば、父サウルからどんな目に遭わされることになるか、分かったものではありません。そのように命がけでダビデを訪ねたのは、冒頭の言葉(16節)のとおり、ダビデを励ますためでした。

 

 ヨナタンはここで、「神に頼るようにとダビデを励まし」ました。彼は、父サウルが、無二の親友であり、かつ妹ミカルの婿であるダビデを、亡き者にしようと必死になっている様子を、そばでずっと見て来ました。

 

 そして、サウルから逃げている身の上のダビデが、ケイラをペリシテの手から救ったというニュースを耳にしたのだと思います。そして、イスラエルのために行動しているダビデを殺すために、サウルが兵を召集するのを見たことでしょう。ここに、どちらがイスラエルの王としてふさわしい者か、既に答えは出ていると言わざるを得ません。

 

 ヨナタンは、「恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただ」(17節)と語ります。聖書中では、これがダビデにとって、ヨナタンの遺言となりました。この後、ダビデはもうヨナタンの顔を見ることはありません。次にヨナタンが登場するのは、31章の箇所ですが、それは、ヨナタンの死を報告する記事です。

 

 主の御旨を尋ね、その御言葉に従って行動しているダビデにとって、最も信頼出来る親友ヨナタンの励ましが、どんなに力強く彼に心に響いたことでしょうか。命がけで自分を励ましに来てくれた親友が、「神に頼れ」というのです。ダビデは、はっきりと信仰に立つことを学びました。

 

 ダビデは完璧な人間ではありません。失敗など決してしないという人間ではありません。同じ過ちを繰り返す、私たちと同じ人間です。しかし彼は、自分の過ちが指摘され、自分の失敗に気づくと、素直に自分の非を認め、悔い改めをする人間でした。反省に留まらず、神を仰ぎ、神に聴き従う人間でした。

 

 神は、その御名のゆえに私たちを救い、御手をもって私たちを守ってくださいます(詩編54編3節)。主を愛し、信じて祈る者のためには、万事を益としてくださいます。人に出来ないことも神には出来ると信じ、主に依り頼んで参りましょう。

 

 主よ、あなたはケイラの人々の裏切りで傷ついたダビデのもとにヨナタンを遣わし、神に頼るようにと励まされました。絶えずあなたに目を留めて、どんな困難も乗り越えることが出来ますように。困難を感謝に、賛美に変えてくださる主を仰ぎ、御言葉に耳を傾けます。弱い私たちを助けてください。神の御子、主イエスが私たちのところに来られ、命をもって救いの道を開いてくださったことを、心から感謝いたします。 アーメン 

 

 

「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」 サムエル記上24章7節

 

 ダビデとその一行は、エン・ゲディの要害に隠れ家を移しました(1節)。エン・ゲディとは、「小山羊の泉」という意味で、死海西岸に広がるユダの荒れ野のほぼ中央に位置するオアシスです。その名のとおり、付近の岩山には野生の山羊が生息しています。

 

 ダビデがエン・ゲディに隠れているという情報が、ペリシテとの戦いから帰って来たサウル王にもたらされます(2節)。ケイラといい(23章12節)、ジフといい(同19節以下)、そしてこのエン・ゲディといい、これらの地はすべて、ダビデと同じユダ族が支配しているところです。

 

 ところが、彼らが同族のダビデをかくまい、保護するどころか、むしろ積極的にサウルに情報を提供するのは、やはり、あのノブの地の二の舞にだけはなりたくないという思いがあるのでしょう。王を敵に回すわけにはいかないと考えているわけです。あるいは、一時期にでもダビデがサウルに重く用いられたのを、ユダの人々は快く思っていなかったのかも知れません。

 

 サウルは、イスラエル全軍から三千人を選りすぐり、ダビデ討伐軍を結成します(3節)。ダビデを追ってエン・ゲディの荒れ野にやってきたサウル王は、一つの洞窟を見つけて、そこで用を足します(4節)。ところがなんと、その洞窟の奥にはダビデたちが隠れていたのです。そんなことがあるんですね。

 

 ダビデを捜索するのに、三千の兵を先頭に洞窟に入って来ていれば、洞窟の奥に隠れているダビデたちには、逃げ場はありませんでした。実際、用をたす前に洞窟内の安全を確かめるということも出来たでしょう。けれども、何故か、そうはしませんでした。

 

 そして、エン・ゲディの荒れ野には無数の洞窟があるのに、どうしてサウルはよりによって、ダビデたちの隠れていた洞窟にやって来たのでしょうか。ダビデと共にいた兵たちがダビデに、「主があなたに、『あなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と言われたのは、この時のことです」(5節)と進言しています。

 

 即ち、これは決して偶然ではなく、神がそのようになさったということでしょう。確かに神は、このときダビデの手にサウルの命を委ねられたのです。だから、兵の進言どおり、サウルの命を奪い、自らの手でその後のイスラエルの歴史を書き換えることも出来たのですが、しかし、ダビデはその道を選びませんでした。

 

 冒頭の言葉(7節)の通り、「主が油を注がれた方」、即ち、神からその王位を授けられたサウルに手をかけることはしない。これがダビデの出した結論でした。自分が手を下さないだけでなく、共にいる者たちをも説得して、サウルを襲うことを許しませんでした(8節)。サウルを王として立てた主の御手に、サウルを委ねたのです。

 

 もしも、サウルとダビデの立場が逆であれば、サウルは間違いなくダビデを捕らえ、殺したでしょう。勿論、ダビデに迷いがなかったとは思いません。ダビデはサウルの上着の端をこっそりと切り取りました(5節)。上着の一部を切り取るという行為は、自分がいつでもサウルに手をかけることが出来るという徴です。

 

 そのことは、15章27節以下との関連で、やがてサウルの王位を奪い取りたいというダビデ自身の願望をも表しているようです。6節でダビデがその行為を後悔したというのは、内なる欲求のままに行動してしまったからと考えられます。

 

 ただ、ダビデがそのように行動しなければ、彼と共にいる兵士たちが、自分たちの逃避行を終わらせるために、殺気だってサウルに迫り、手を下してしまうかも知れませんでした。兵士が「この時」といった言葉に応じて行動することで、彼らの機先を制し、サウルに手をかけさせず、彼を守ろうとしていたのかも知れません。

 

 それでも、油注がれた方に手をかけるような真似をしたことを後悔して、上述の通り、自分が手を下さないだけでなく、兵士たちにもそうすることを禁じたのです(7節)。ダビデは、自分がよいと思ったとおりに行動するのではなく、主の御心に適う道を歩もうとしていました(13章14節、16章7節参照)。 

 

 洞窟を出たサウル王を追ってダビデも洞窟を出て、王に呼ばわります(9節以下)。そして、こっそり切り取ったサウルの上着の切れ端を見せながら(5,12節)、自分にはサウルに手をかける意志は全くないことを説明します。

 

 そのようなダビデのとった行動、特に、自分を「王」と呼び(9,15節)、「油注がれた方」として重んじているというダビデの心根に触れたサウルは(11,12節参照)、声を上げて泣き(17節)、「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお目に悪意をもって対した」(18節)と言います。

 

 その涙は、ダビデの心根に触れ、その善意に対して感動すると共に、悪意をもって対して来た自分自身の振る舞いに対して後悔の思いを明らかにしています。それゆえに、「今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう」(20節)と告げます。

 

 サウルも、主がダビデと共におられ、彼に恵みを与えられると認めざるを得なかったのです。かつて、「しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです」(10章7節)とサムエルから言われていたサウルですが、主の命を蔑ろにした結果(15章19,23節)、主の霊が彼を離れ(16章14節)、恵みを失ってしまったのです。

 

 そして、「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される」(21節)と語ります。これは、ヨナタンが「イスラエルの王はあなただ。わたしはあなたの次に立つ者となるだろう。父サウルも、そうなることを知っている」(23章17節)と報告していたことですが、ここにサウルの口から、ダビデが王となるという言葉が語られました。

 

 それは、このときサウルが、「今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ」(13章14節)というサムエルの預言を受け入れたということでしょう。

 

 サウルはダビデに、「わたしの子孫を断つことなく、わたしの名を父の家から消し去ることはない」(22節)と誓わせて、自分の館に帰って行きます(23節)。その誓いは、先にヨナタンに対してなしたことで(20章14,15節)、それをサウルにも行っただけのことです。

 

 特に、彼はサウルの王冠をもらうことも、王位を約束させるようなこともしませんでした。それはまだ、彼の手に与えられません。ゆえに、サウルと同行せず、エン・ゲディに留まり、主が恵みをもって報いてくださることを待つのです(20節)。

 

 主が喜ばれるのは、主の御声に聴き従うことです(15章22節)。ダビデはそのようにして、主の恵みに与ろうとしています。私たちも主の御言葉に耳を傾け、その御心に適う道を歩みましょう。

 

 主よ、ダビデはサウルを、主に油注がれた方と呼んで、手を下すことを恐れました。そこに、ダビデが主を畏れる信仰が如実に示されます。私たちも主を畏れて御言葉に耳を傾け、一切を主に委ねて、与えられた使命に日々励むことが出来ますように。そのとき、主はすべてを益としてくださることを信じます。 アーメン

 

 

「サムエルが死んだので、全イスラエルは集まり、彼を悼み、ラマにある彼の家に葬った。ダビデは立ってパランの荒れ野に下った。」 サムエル記上25章1節

 

 イスラエルの精神的な支柱であった預言者サムエルが亡くなりました(1節)。サムエルは、宗教が乱れ、預言も幻も少なくなってしまっていたときに、神がお立てになった預言者であり(3章1節以下)、新しく王が立てられるまでの間、イスラエルをために裁きを行った(7章)、いわば最後に登場した「士師」でした。彼は、生涯主と共に歩み、使命を全うしました。

 

 ところが、サムエルの息子たちは、その道を歩まなかったので(8章3節)、民は王を求めるようになりました(同5節)。サムエルは、民の求めに応じて王を立てました(8~11章)。王を宗教的に指導するのは、預言者の務めです。

 

 しかしながら、初代の王サウルは、サムエルを通して語られた主の御言葉に従いませんでした(13章8節以下、15章)。そのために、サムエルはサウルを王としたことを嘆き、彼から離れます(15章35節)。

 

 前にも学んだとおり、サムエルは、王を立てることに賛成ではありませんでした(8章6節以下)。しかしながら、サウルが王位から退けられたとき、やはり王は必要なかった、主が王なのだとは考えていません。むしろ、サウルが神に従い、正しく民を導くことに期待をかけていたために、それが適わなくなって嘆いていたわけです。

 

 「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい」(16章1節)と主に言われて、サムエルはベツレヘムに行き(同4節)、主がお選びになったエッサイの8番目の息子ダビデに油を注ぎました(同13節)。そして、表舞台から退きます。サウル王とは全く没交渉になりました。

 

 「幻がなければ、民は堕落する(口語訳:「預言がなければ、民はわがままに振る舞う」)。教えを守る者は幸いである」(箴言29章18節)という御言葉がありますが、預言者サムエルの指導を受けられなくなったサウルは、道を誤り、わがままに振る舞うようになります。

 

 即ち、王位を守り、サウル王朝を築くため、それを危うくしかねないダビデを殺すことに血眼になるのです(20章31節)。政治は二の次で、絶えずダビデの命を狙います。

 

 ダビデに協力したというかどで、祭司アヒメレクの一族と、彼らが住んでいたノブの町の住民、その家畜まで、剣にかけて滅ぼしました(22章18,19節)。これでは、神を味方につけるのは不可能です。サウルが王位から退けられるのも当然で、自業自得と言わざるを得ません。

 

 神は、彼が神に聞き従おうとしないので、彼のするままに任せておられます(ローマ1書24節参照)。神とつながっていなければ、実を結ぶことは出来ません(ヨハネ15章5節)。木につながっていない枝は枯れて、集められ、火の中に投げ込まれて焼かれてしまうのです(同6節)。

 

 サウルは、アマレクの一件以降(15章)、一度だけサムエルの前に行きました。そのとき、サウルの上に激しく神の霊が下り、預言する状態になりました。しかしそれは、サウルがサムエルに託宣を求めたのでも、自ら預言することを望んだわけでもありません。ダビデがラマにいたサムエルのもとに逃げたので、追いかけて行っただけのことです(19章18節以下)。

 

 そのとき、サウルに神の霊が降って預言する状態になり、そのままラマのナヨトまで歩きました。そして、サムエルの前で丸一昼夜、着物を脱ぎ捨て、裸で倒れていました(同24節)。それは、自分の真の姿を見せつけられ、神の前に悔い改めることを、主なる神が望まれてのことだと思います。けれども、残念ながら、サウルはそこで悔い改めることが出来ませんでした。

 

 こうして、預言者サムエルは神のもとに召されました(1節)。サウルは、サムエルと和解する機会を永久に失ってしまいました。それは、神と和解する道が最後的に閉ざされてしまったということでもあります。

 

 主の霊がサウルから離れ、悪霊が彼をさいなむようになったとき、ダビデが竪琴を奏でてサウルを癒していましたが(16章14節以下、23節)、そのダビデに対して妬みを抱き、殺意をもってつけ狙うようになりました。そして、上述のとおり、祭司アヒメレク一族を滅ぼしてしまいました。

 

 そうして、自分に油を注いで王としてくれた預言者サムエルが亡くなりました。もはや、サウルの周囲には、主の託宣を告げる者、主に執り成しをする者が誰もいなくなってしまったのです。しかしながら、今一番の問題は、サウル自身が、ここに至ってもなお悔い改めて神と和解しよう、誠心誠意主の導きに従おうとは考えていないということです。

 

 24章で、ダビデを次の王と認め(同21節)、サウルの家を寛大に扱うという誓約をさせていたのに、ハキラの丘にダビデが隠れているというジフ人の報告を受けると(26章1節)、またもや精鋭部隊を率いて出陣します(同2節以下)。結局、ダビデとも真に和解することができないまま、サウルの最期の時を迎えることになってしまいます(31章参照)。 

 

 「今日」という日に、心を頑なにすることがないように、絶えず主の御声に耳を傾け、御言葉に従って歩ませていただきましょう(ヘブライ書3章7節以下、同4章2節)。

 

 主よ、愚かで罪深い私たちを憐れみ、罪を赦してください。キリストの血潮により、すべての不義から清めてください。私たちの耳を開き、日々御声を聴かせてください。私たちの唇を開き、絶えず賛美のいけにえを御前に献げさせてください。恵みに与り、時宜に適った助けを頂くために、大胆に御座に近づかせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「さらに言った。『主は生きておられる。主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ。』」 サムエル記上26章10節

 

 ジフ人がベニヤミン領ギブアにサウル王を訪ね、「砂漠の手前、ハキラの丘にダビデが隠れている」と報告しました(1節)。ダビデがジフ人から売られるのは、これが二度目です(23章19節参照)。ジフ人はダビデと同じユダ族ですから、同じ部族の人々から裏切られ続けているわけです。

 

 この背後には何があるのでしょうか。サウル王に対する忠誠心でしょうか。それとも、ノブの町のようにはなりたくないという、サウルに対する恐怖心でしょうか。あるいは、ダビデに対して何か恨みでもあるのでしょうか。主イエスが、「預言者は故郷では敬われない」と仰っていますが(マルコ13章57節)、所謂ダビデへの妬みややっかみがあるのでしょうか。

 

 聖書はその理由について何ら語っていませんが、ジフ人の告げ口が呼び水となって、サウル王は再び3千の精鋭を連れ、ダビデを追い始めました(2節)。ダビデの側からすれば、ようやく和解が成立したと思っていたのに(24章)、なぜ再び追いかけっこが繰り返されることになったのか、合点がいかなかったのではないかと思います。

 

 けれども、ダビデは主なる神によって守られており、むしろ、追いかけているサウルの方が、再びダビデの前に命を晒します。主がサウルと兵士たちを深い眠りに落としたので、ダビデと数名の供の者がサウルの陣地に侵入したことに気づいた者は、一人もいませんでした(5節以下、12節)。

 

 ダビデの従者アビシャイが「神は、今日、敵をあなたの手に渡されました。さあ、わたしに槍の一突きで彼を刺し殺させてください。一度でしとめます」(8節)とダビデに進言しますが、ダビデはそれを許さず、「殺してはならない。主が油注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」(9節)と言います。

 

 先のエン・ゲディの洞窟でサウルと遭遇したときにも、ダビデは兵たちに同じように語っていました(24章7節)。アビシャイもそのことを知っていたと思いますが、しかし、再びダビデの命を狙ってサウルがやって来たので、この際、危険な芽は摘んでおこうと考えたのではないでしょうか。

 

 ダビデは、改めてアビシャイに釘を刺した上で、さらに冒頭の言葉(10節)のとおり、「主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ」と語ります。即ち、サウルを主の手に委ね、自ら手を下さないようにしようということです。

 

 ただし、原文は「主が彼を打たれる」(アドナイ・イガーフェヌー)という言葉遣いで、「彼」がサウルではなく、前節の「主が油を注がれた肩に手をかける者」を指すという可能性もあります。次節との関連で、サウルに手をかけることは許されない、そうする者を主が打たれるということです。

 

 ダビデはサウルの枕元から槍と水差しを取ってその場を離れ(11,12節)、遠く離れた山の頂からサウル軍の長アブネルに呼びかけます(14節以下)。それは、軍の長でありながら、本陣に忍び込んだ敵兵に気づかず、王の槍と水差しが奪われてしまったことを糾弾するものでした(15,16節)。そのことを通して、自分はサウルに手をかける気がないことを、再び証明したのです(23,24節)。

 

 サウルは「わたしが誤っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。この日わたしの命を尊んでくれたお前に、わたしは二度と危害を加えようとはしない。わたしは愚かであった」(21節)と言い、さらに「わが子ダビデよ。お前に祝福があるように。お前は活躍し、また、必ず成功する」(25節)と祝福しました。

 

 先のカルメルにおけるナバルとのやりとりでは、ダビデは短気を起こして武器を取って出陣し(25章13節)、ナバルに属する男を一人残らず殺そうとしましたが(同22節)、ナバルの妻アビガイルになだめられて(同24節以下)、思いとどまりました。その結果、無意味な流血の罪を犯さずにすみました(同33節)。

 

 主はここに、再びサウルをダビデの手に渡して、彼をどのように取り扱うかを試みられたのでしょう。ダビデが語っているとおり、主が油を注いだ器に対して刃を向けることは許されません(11節)。ダビデは、サウル王を主の手に委ね、自らサウルに手をかけることはしませんでした。

 

 主イエスが、「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6章35,36節)と教えられています。また、主に油注がれた者に敬意を払うことは、主を畏れることであり(ローマ13章1節参照)、自分がその職務に就くときに、主を畏れて謙虚にその務めを果たしていくことにつながります。

 

 さらに、「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ3章9節)と教えられています。ダビデは、その信仰によって神に祝福されたのです。

 

 神の慈しみの下に留まり、憐れみ深い主の憐れみに支えられて、主にあって憐れみ深い者とならせていただきましょう。

 

 主よ、私たちはあなたから選ばれ、聖なる者とされ、愛されています。聖霊を通して注がれている神の愛により、互いに憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けて、互いに忍び合い、赦し合うことが出来ますように。また、祝福を受け継ぐために、祝福を祈る者となれますように。 アーメン

 

 

「ダビデは心に思った。『このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエル全域でわたしを捜すことを断念するだろう。こうしてわたしは彼の手から逃れることができる。』」 サムエル記上27章1節

 

 ジフの荒れ野において、再びサウルと和解したダビデですが(26章参照)、しかし、冒頭の言葉(1節)の通り、彼はペリシテの地に逃れることを決断します。4節に、ダビデがガトに逃れたというニュースを聞いたサウルは、「二度とダビデを追跡しなかった」とありますから、ダビデの決断が功を奏したかたちですが、サウルは既に、ダビデ追跡をやめようと考えていたのではないかとも思われます。

 

 これまで、サウルの手から神によって守られて来たダビデが、何故今、ペリシテの地に逃げ出すのでしょうか。理由は記されてはいませんが、一つには、逃亡生活が長期化して、ダビデも供の者たちも、疲労が蓄積していたのかも知れません。いい加減、逃亡生活に終止符を打って、落ち着いた生活がしたいと考えたのでしょう。

 

 彼には、600人の兵士がおり(2節)、その妻子もいます(3節)。水や食料の調達など、生活基盤を整える必要もあります。逃避行を続けながら、そのように大勢の者たちの生活を守っていくのは、とても大変なことだったろうと思います。

 

 それに、何度も同族から裏切られたことも、ダビデの疲労を増幅させていたのではないでしょうか(23章11,12節、19,20節、24章2節など)。彼らから、「行け、他の神々に仕えよ」(26章19節)と、謂わばやっかい払いされていたわけです。

 

 ダビデはそこで、ペリシテのガトの王アキシュのもとに身を寄せます(3節)。そこは、以前に一度サウルから逃れて行ったことのある場所です(21章11節以下)。そのときには、自分の素性が知れてしまい、捕らえられることを恐れ、アキシュ王の前で気が狂っていると見せかけて、その難を逃れたのです(同14節以下)。だから、もう一度アキシュ王の前に出るのには、よほどの勇気が要ったと思います。

 

 ただ、ダビデがサウル王からずっと命を狙われているという情報は、ペリシテにも伝わっていたと思われます。そうであるならば、アキシュの方でも、ダビデを敵に回すよりも味方にした方が、イスラエルと戦う上で有利だと考えたにちがいないと思います。 

 

 そこで、ダビデと600人の兵士たちとその家族は、かつてダビデが勇士ゴリアトを倒し(17章)、ペリシテ相手に手柄を立てて「ダビデは万を討った」と歌われていたことなど(18章6,7節)、あたかも不問のしたかのごとく、アキシュ王の傭兵として迎えられ、ツィクラグの町に住むことが許されます(5節)。

 

 ツィクラグは元来ユダ族の所領で最南端のネゲブの地にあり(ヨシュア15章21節以下31節)、後でシメオン族に割り当てられた町です(同19章5節)。ガトの南方30kmの距離にあり、アキシュ王の目が届きにくい場所に置かれることになりました。こうして、念願の平穏な生活が送れるようになりました。そこには、確かにダビデを守る神の助けもあったことでしょう。

 

 しかし、この章には、彼と同行しているはずの祭司や預言者たちが、全く登場して来ません。そして、ダビデが神に託宣を求めて祈るということもありません。サムエル記の著者は、読者にそのことに気づかせようとしているのではないでしょうか。イスラエルの王となるべきダビデが、そのようにペリシテに寄留者となることは、およそ神の御心だとは思えません。

 

 彼らは確かに、念願の平穏な生活を手に入れたように見えます。そして、そこに神の導きや助けもあるようです。けれどもそれは、賢い者が地面を深く掘り下げて堅固な岩を見出し、その岩を土台として建てた、突然の嵐や洪水にも耐え得る頑丈な家ではなく、愚かな者が建てた砂上の楼閣なのではないでしょうか(ルカ6章46節以下)。

 

 ダビデがツィクラグに住んだ一年四ヶ月の間(7節)、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲いました(8節)。それを、ユダのネゲブ、エラフメエルのネゲブ、カイン人のネゲブを襲ったと嘘をつきました(10節)。その嘘が露呈しないために、襲った地の住民は男も女も生かしておかず、その家畜は戦利品としてアキシュのもとに引いて行きました(9,11節)。

 

 ツィクラグでの居住を認める代わりに、傭兵としてイスラエルと戦うことを、アキシュ王から求められていたのでしょう。そうすることで、ダビデ一行が再びイスラエルに寝返ることが出来ないようにと考えられたわけです。神は、ダビデのついた嘘を、彼らが生きていくための方便と認めてくださるでしょうか。

 

 ただ、サウル王が「アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ」(15章3節)と主に命じられていたのに、アガグ王を生け捕りにし(同8節)、羊や牛の最上のもの、初子でない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさなかったので(同9節)、主の怒りを買い、王位から退けられることになりました(同23節)。

 

 その点、嘘が露呈しないためとはいえ、民を滅ぼし尽くし、戦利品とした家畜も私せず、ガトに引いて行ったことで、その地のすべてのものを滅ぼし尽くしたかたちになり、知ってか知らずか主の命に応えています。ダビデの信仰によらない行動ですが、しかし、主が彼と共におられ、彼を恵まれているがゆえに、主の道具として用いられたわけです。

 

 ひるがえって私たちの家は、私たちの生活は、何を基盤として、何に根ざして建てられているものでしょうか。主の御言葉に土台し、神の愛に根ざし、信仰に堅く立つものとなっているでしょうか。賛美と祈りが絶えず神の御前にささげられているでしょうか。

 

 主イエスに贖われた者として、悔い改めの実を結ぶことが出来るように、主に祈り求めましょう。朝ごとに神を仰ぎ、神に尋ね、御言葉に聴き従って参りましょう。

 

 主よ、あなたは取るに足りない私たちに目を留め、かけがえのない御独り子の命によって私たちを贖ってくださいました。その恵みを無駄にすることなく、主の栄光を表す器となることが出来ますように。御名のゆえに用いられる器としてください。主を証しする教会、賛美と感謝に溢れる教会を建てることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神はわたしを離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべきことを教えていただくためです。」 サムエル記上28章15節

 

 ペリシテがイスラエルと戦うために集結し(1節)、ガリラヤ湖の南西、エズレルの谷の北方に位置するシュネムに陣を敷きました(4節)。シュネムはイサカル族の領地ですが(ヨシュア19章18節)、鉄の武具で武装し、戦車を駆るペリシテ軍は、そこまで楽々と進軍できたわけです。

 

 そこには、傭兵となっているダビデもいます。アキシュは、ダビデを護衛の長に任じました(2節)。これまで、おそらくガトの王アキシュの要請に応じて、ユダの南方に出かけ、ネゲブを襲ったと嘘を言ってゲシュル、ゲゼル、アマレクを襲撃して来ました(27章8節以下)。けれども今回は、ペリシテの一員としてサウルの軍と刃を買わさなければならないのです。

 

 アキシュがダビデに意向を尋ねたとき(1節)、ダビデは「それによって、僕の働きがお分かりになるでしょう」(2節)と答えました。到底本気とは思えませんが、サウル軍との戦いが始まったとき、ダビデは実際どうするつもりだったのでしょうか。

 

 一方、迎え撃つサウル軍は、シュネムと谷を挟んで向かい合う南方ギルボア山麓に布陣しました(4節)。王位が奪われることを恐れてダビデを殺そうとしていたサウルでしたが、シュネムに集結しているペリシテ軍を見て、彼らに対する恐れが襲って来ました(5節)。

 

 これまでは、亡くなった預言者サムエルや、そして戦士の長であり(18章5節)、娘婿となった(同27節)ダビデが、サウルを守り助けて来たのです。しかし今、彼と共にいてこの戦いに頼りになる者は、息子ヨナタン以外にはいません。

 

 そこで、久しくしていなかった神の前に出て祈りをささげ、神の託宣を求めましたが、どんな方法をもってしても、神は何もお答えにはなりませんでした(6節)。彼の問いかけに答えないというのが神の答えで、それは、神の霊がサウルから離れ去り、その関係が完全に断絶しているというしるしだったのです。

 

 八方ふさがりでサウルは、死んだサムエルを口寄せによって呼び出し、教えを乞うことにしました(7節)。サウルは、前に国中から魔術師や口寄せを追放していました(3節)。それらは、神の忌み嫌われるものだったからです(レビ記19章31節、20章6節)。そうすることで、少しでも神との関係を改善したいという思いがあったものと思われます。

 

 それなのに、口寄せのところに行って死者の霊を呼び出し、教えを乞うというのは、どういうことなのでしょう。神の忌み嫌われる方法を用いるということは、ますます、神が彼には答えないということになるでしょう。そうして、決定的に神から捨てられてしまう結果を招くことになるのです。

 

 サウルは二人の供を連れて密かに陣を抜け出し、エン・ドルの口寄せのもとを訪ねて、サムエルを呼び起こしてもらいます(8,11節)。そして冒頭の言葉(15節)のとおり、託宣を求めようとしても、夢でも預言者でも、神はお答えにならないと訴え、教えを請います。

 

 神がサウルの問いかけに応えないのは、確かに神がサウルとその家を切り捨てておしまいになった結果です。それで、禁じ手の口寄せを使ってサムエルを呼び出し、今後のことを尋ねようとしているのですが、サムエルから最後通牒を突きつけられることになります。

 

 口寄せによって呼び出されたサムエルは、主がサウルを離れて敵となられ(16節)、王位をダビデの手に渡されようとしていることをサウルに告げ(17節)、さらに、「主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる」と語りました(19節)。

 

 つまり、死者となったサムエルと共にいるということは、明日、サウルと彼の子どもたち、彼と共に戦いに挑むイスラエルの兵士たちが死ぬということです。サウルはそれを聞いて、すっかり意気消沈してしまいました(20節)。しかし、口寄せの女性とサウルの家臣たちに励まされて食事をし、立ち上がりました(25節)。

 

 神から捨てられたとはいえ、サウルは決して孤独ではありません。彼と運命を共にするはずの家族や家臣、そして口寄せの女性が彼のそばにいます。また、サムエルも「明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる」と言っています。神の手に陥ることは恐ろしいことですが、サウルは、彼と共にいる者たちに励まされて立ち上がりました。神の言われるとおりに進む腹が決まったのだと思います。

 

 そして、すべてを神に委ねて進もうとするサウルの魂を、神は決して黄泉に捨て置かれることはないと信じます。主イエスが十字架の上で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15章34節)と叫ばれたのは、サウルのためでもあるでしょう。そして、神はいつでも、この主イエスの叫びに答えてくださると信じます。

 

 どんなときにも主に依り頼み、主の御旨を求めて御前に進みましょう。求めるところを率直に神に申し上げましょう。神は、人にははかり知ることが出来ないほどの平安を心に満たし与えてくださいます(フィリピ4章6~7節)。

 

 主よ、御言葉に従わなかったサウルは、自分の播いた種を刈り取ることになりましたが、最後に家臣や口寄せの女に耳を傾け、励ましを受けることが出来ました。その背後に主の深い憐れみがあると信じます。愛の御手にすべてを委ね、導きに従って歩むことの出来る者は幸いです。私たちにも主に従って歩む幸いを授けてください。 アーメン

 

 

「主は生きておられる。お前はまっすぐな人間だし、わたしと共に戦いに参加するのをわたしは喜んでいる。わたしのもとに来たときから今日まで、何ら悪意は見られなかった。だが、武将たちはお前を好まない。」 サムエル記上29章6節

 

 ダビデがペリシテの地ガトに逃れ、ツィクラグに住んで1年4ヶ月(27章1節以下、6,7節)。傭兵として、ガトの王アキシュに仕えて来ました。これまで、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲いながら(同8節)、ユダのネゲブ、エラフメエル人のネゲブ、カインのネゲブを襲ったと嘘をついて、アキシュを安心させていました(同10節)。ようやく得た安住の地を、そう容易く失うわけにはいかなかったのです。

 

 ところが、ペリシテ軍がシュネムに集結し、イスラエル軍と一戦交えることになりました(28章1節以下、4節)。アキシュはダビデに戦陣に加わるように要請し(同1節)、ダビデもそれを承諾したので、アキシュはダビデを護衛の長としました(同2節)。アキシュとしては、ダビデを参戦させることで、再びイスラエルに戻ることがないようにしたかったのでしょう。

 

 その後ペリシテは、軍をアフェクに動かします(1節)。アフェクについて、ヤッファ(現在のテル・アビブ)の東北東約18kmの地点、ヤルコン川の源流に近く、エジプトとフェニキヤを結ぶ街道に面している(ヨシュア記12章18節参照)、現在のラース・エル・アインと同定されると、新聖書辞典に記されていました。であれば、イスラエル軍と対峙していたシュネムから、一旦軍を引いたかたちです。

 

 軍の体制を、もう一度整える必要があったのでしょうか。アキシュ率いるペリシテ軍の中に、ダビデとその兵士たちがいます。アキシュと同行して、同胞イスラエルと戦うためです。今日ダビデは、アキシュを護衛する責任者として、アキシュと共に、しんがりに控えています(2節)。

 

 そのとき、ダビデはどんな思いだったのでしょうか。アキシュに雇われている身で、戦いに参加しないとは言えず、さりとて、自分の同胞に刃を向けることも出来ません。何というジレンマでしょう。ダビデはそのとき、イスラエルとどのように戦いを交えるつもりだったのでしょうか。

 

 かつて、神が自分の手にサウルを渡されたとき、自分は主が油注がれた方に手をかけることはしないと言明していましたが、ここでペリシテ軍の手を借りて、サウルを殺してしまおうと考えたのでしょうか。しかしながら、そうであれば、神の民に弓引くことになりますので、サウルの死後、ダビデがイスラエルの王となることは不可能です。

 

 それとも、ペリシテの武将たちが考えたように、途中でペリシテを裏切り、武将たちの首を土産にイスラエルに帰還するつもりだったのでしょうか(4節)。しかし、関ヶ原の合戦で西軍から東軍へ寝返った小早川秀秋のように、ペリシテを裏切ってイスラエルに戻ることは、再びサウルに命を狙われ、国内を逃げ回る日々に逆戻りすることになります。

 

 このジレンマからダビデを救ったのが、ペリシテの武将たちでした。彼らは、ダビデの同胞イスラエルと戦っている最中に、ダビデに寝返られたらかなわないので、この戦いに参加させるなというのです。アキシュは不承不承、苛立っている武将たちの言葉を入れて、ダビデを帰すことにしました(6,7,10節)。それによって、ダビデは、同胞と戦うという難を逃れることが出来ました。

 

 冒頭の言葉(6節)でアキシュは「主は生きておられる」と言いました。それはアキシュにとって、生ける神に誓ってといった表現だったと思われますが、ダビデにとっては、まさに主なる神が生きておられるので、この窮地から救われ、自分に与えられた町ツィクラグに平和に帰ることが出来るということだったのです。

 

 まさに、異邦のペリシテの地にも生ける主の御手が延べられ、ダビデを守り支えていたのです。しかしそれは、ダビデが祈り求めたことではありませんし、主が必ず守ってくださるという信仰に、ダビデ自身が立っていたというわけでもありません。

 

 ダビデが守られたのは、ひとえに主の憐れみです。ペリシテの地に逃れたことがたとえ間違いであっても、主はそこで、ダビデを守り、恵みを与えておられたのです。

 

 それは、かつて神の箱がペリシテに奪われた際(4章11節以下)、運び込まれたところどこででも、その力を発揮したように(5章参照)、 主の守りに国境線はないのです。今回は、イスラエルと戦うペリシテの武将たちを用いて、ダビデの窮地を救われました。

 

 主は確かに、万事を相働かせて益とすることがお出来になる方であり(ローマ書8章28節)、そのお方が私たちの内におられるお蔭で、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、うち倒されても滅ぼされないのです(第二コリント書4章8,9節)。

 

 信じている通りに告白して、絶えず主の恵みに与らせて頂きましょう。

 

 主よ、どこに行っても、あなたはそこにおられ、御手をもって私たちを導き、守り支えていてくださいます。あなたの御計らいは、いかに貴いことでしょう。その果てを極めようと思っても、とうてい計り知ることが出来ません。その守りと導きに、心から感謝いたします。これからも、私たちの内に迷いの道があるかどうかをご覧になり、いつも永久の道に導いてください。  アーメン

 

 

「ダビデは主に託宣を求めた。『この略奪隊を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか。』『追跡せよ。必ず追いつき、救出できる。』という答えであった。」 サムエル記上30章8節

 

 ダビデとその従者600人が、ペリシテの将軍たちの拒否によってアキシュ王護衛の任を解かれ、アフェクからツィクラグの町に戻って来ると、大変なことになっていました。彼らの留守を狙って、アマレク人がツィクラグに侵入して町を焼き、すべてのものを略奪して行ったのです(1,2節)。

 

 ダビデも、彼と供にいた兵士たちも、愛する者を奪われて、辛くて悲しくて、そのうちに泣く気力もなくなってしまいました(4節)。やがて、兵士たちは6節に言うとおり、こんなことになったのはダビデの責任とばかり、彼を石で打ち殺してしまおうと言い始めました。

 

 それは、八つ当たりもいいところです。そんなことをしても、妻子が戻って来るはずもないのですが、そうせずにはおれなかったのです。勿論、600人の部隊の長なのですから、ダビデに責任がないわけではありません。町を守り、家族を守るために、守備兵を配置したり、城壁を築いて町を要塞化しておくのが、長たる者の務めと考えられるからです。

 

 とはいえ、妻子を奪われたのは、兵士たちだけではありません。ダビデも、二人の妻アヒノアムとアビガイルを連れ去られていたのです(5節)。ダビデには、自分自身の苦しみの上に、兵士たちの彼を責める言葉と思いがのしかかってきます。どんなに辛く苦しかったことでしょうか。

 

 しかし、主なる神は窮地に陥ったダビデに救いの手を差し伸べられます。「ダビデはその神、主によって力を奮い起こした」(6節)と記されています。しばらくの間、主に祈ることも、その御心を尋ねることもしていなかったダビデが、主の御声を聞いたのです。

 

 苦しみの中で、ダビデは主の御声を聞くように、主によって導かれました。これまで、繰り返し主に窮地を救われてきたダビデは、祭司アビアタルにエフォドを持ってくるように要求します(7節)。それは、託宣を求めるのに用いるためです。

 

 冒頭の言葉(8節)の通り、ダビデが主に託宣を求めて「この略奪対を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか」と尋ねると、「追跡せよ、必ず追いつき、救出できる」という答えです。これは心強い言葉です。この言葉に励まされたダビデは、600人を従え、略奪者のアマレク人を追いかけます(9節)。

 

 途中、疲れ過ぎて200人はベソル川を渡れず、そこに留まりましたが、ダビデと残りの兵は追跡を続けます(10節)。すると、野原で一人のエジプト人を見つけました(11節)。それはアマレク人の奴隷となって連れて来られた者で、病気にかかって捨てられたというのです(13節)。

 

 彼は、ネゲブに侵入し、ツィクラグに火をかけたのは我々だと告げます(14節)。そこで、彼に略奪隊のもとに行くための道案内をさせます(15節)。もしエジプト人に出会わなければ、ネゲブの荒れ野でアマレク人略奪隊を見つけることは困難だったでしょう。

 

 また、もしもペリシテの将軍たちがダビデの参戦を拒否してくれていなければ、それで戦線を離脱することが出来、ツィクラグに戻って来てこの事態を知り、アマレクを追いかけていなければ、妻子を救出する機会を得ないままだったかもしれません。

 

 一方、アマレク人たちは、自分たちを追跡してやって来る部隊があるなどとは、およそ考えていなかったようです。彼らはそこら一面に広がり、ペリシテとユダの地から奪って来たおびただしい戦利品で呑めや歌えのドンチャン騒ぎをしていました(16節)。

 

 ダビデたちの攻撃が始まったとき、ラクダに乗って一目散に逃げた400人の者以外は、皆討たれました(17節)。けれどもそれは、一方的なダビデの勝利ではなかったのかも知れません。皆が酔っ払っていて戦いにならなかったというのではなく、夕暮れに始めた戦いが、翌日の夕方まで続いたというからです(17節)。ある程度組織だった抵抗はできたわけです。

 

 ダビデたちは、奪われたものをすべて取り返すことが出来ました(18,19節)。こんなにうまくいったのは、偶然ではないでしょう。確かに主は生きておられ、これらの出来事の背後で主が働いておられたということ、ダビデを祈りに導き、それに主がお応えになられたものだということです。

 

 今日の学びの箇所のキーワードは、「取り戻す、救出する」(ナーツァル)という言葉です。8節、18節に二度ずつ、22節に一度、用いられています。8節では、同じ言葉を二つ重ねて「必ず救出する」と、意味を強調する言葉遣いになっています。18節では、戦利品を「取り戻す」、妻たちを「救い出す」と訳し分けています。

 

 19節にも「取り返す」という言葉がありますが、それは「帰る、報いる」(シューブ)という言葉が用いられています。いずれにせよ、取り戻す、取り返すという言葉が用いられるということは、奪われたものがあるということです。それも、取り戻さねばならない、大切なものだということです。

 

 ここから、私たちが持っていた大切なものが、いつの間にか奪われてしまっている。それに気づいて、それを取り返しなさいというメッセージを受け取ります。ダビデたちは家族を奪われて、泣く力さえ失いました。そのとき、主なる神がダビデを励ましました。

 

 ダビデはサウルに追われて逃げている間、祈ることも主に尋ねることもしばし忘れていたようですが、このピンチにあって、もう一度祈りを始めました。祈りとは神様とのコミュニケーションです。「絶えず祈りなさい」(第一テサロニケ書5章17節)という御言葉がありますが、神様が私たちの祈りを待っておられるのです。

 

 しかるに、ダビデはサウルから逃げることに心奪われていました。ゆとりがなくて、恐ろしさと不安で、ペリシテに逃げ出しました。そこでも、自分の本性を隠すため、偽りの生活にあくせくしていてました。神を仰ぐことを忘れ、いつしか祈らない毎日を過ごしていたのです。

 

 それにも拘わらず、主なる神が彼を守り、導いていました。意気消沈していた時も、主に励まされて、祈りを取り戻すことが出来ました。憐れみ深い主が、ダビデに恵みを注ぎ続けておられたのです。

 

 主は私たちの祈りを聞いてくださいます。祈りを通して、主への信仰が取り返されました。希望を失っていたのですが、立ち上がることが出来ました(詩編145編14節)。主は、マイナスをプラスに変えることがお出来になります(ローマ書8章28節)。

 

 信仰を取り戻したダビデは、兵士を励まし、略奪者追跡に立ち上がります。病気になってアマレク人に捨てられ、すっかり生きる気力を失っていたエジプト人も、ダビデのもとで元気を取り戻すことが出来ました(12節)。

 

 主によって、元気を取り戻しましょう。祈りを取り返しましょう。信仰を取り返しましょう。どこに主の道があるか、祈り求めましょう。いつでも、どんなときにも主の守りがあることを信じましょう。死人を甦らせ、無から有を呼び出される主に導かれ、信仰の正道を主と共にまっすぐに歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、私たちが呼び求めるとき、私たちに答え、苦難が襲うとき、私たちと共にいて助け、私たちに名誉を与えてくださいます。生涯私たちを満ち足らせ、救いを私たちに見せてくださいます。その恵みを無駄にすることがありませんように。日々主を喜びたたえ、その恵みを広く告げ知らせることが出来ますように。 アーメン

 

 

「この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、さらに彼の兵は皆死んだ。」 サムエル記上31章6節

 

 先に陣を敷いたギルボアから(28章4節)進んでイズレエルにある一つの泉の傍らに布陣したイスラエル軍に対し(29章1節)、シュネムからいったんアフェクまで引いた(29章1節)ガトの王アキシュ率いるペリシテ軍は、そこでダビデとその従者をペリシテの地へ帰らせ、アキシュは軍をイズレエルへ向かわせます(同11節)。

 

 イズレエルで対峙した両軍の戦いの火ぶたが切られると、サウル率いる「イスラエル兵がペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた」(1節)とあるとおり、イスラエル惨敗という結果に終わりました。

 

 ギルボアとは「丘陵地」という意味だと思われますが、イズレエルの南東に位置する標高518mの山とその周辺の山岳地帯を指します。イズレエル平原で戦いが始まり、戦車を駆るペリシテ軍の前から敗走したイスラエル兵がギルボアの山中に逃げ込み、そこであえなく戦死したのです。

 

 このとき、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキシュアも殺されました(2節)。そして、ペリシテ軍の弓矢で深手を負ったサウルは(3節)、無割礼の敵になぶりものにされることがないよう従卒にとどめを刺すよう命じますが、彼は恐れてそれができなかったので、自ら剣の上に倒れ伏して果てました(4節)。

 

 従卒が抱いた恐れについて、ダビデのように信仰的に主に油注がれた王に手をかけることを恐れたのか、サウルに対する尊敬の念からの恐れなのか、はたまた一般論的に殺人という恐れ多い行為におよぶことを恐れたのか、はっきりしたことは分かりません。それらすべてのことが含まれる恐れと考えてもよいのかも知れません。

 

 冒頭の言葉(6節)にあるように、サウル軍は全滅でした。結局、サウルが口寄せの女性によって呼び出したサムエルの告げたとおりの結果になったわけです(28章19節)。戦死者として名を挙げられているのはサウルとその子らだけで、彼に忠実に仕えていた家臣たちの名は記されていません。

 

 サウルはダビデに王位を奪われるのではないかと恐れていましたが、それは全くの杞憂でした。イスラエル最初の王朝は、息子ヨナタンに引き継がれることなく、ペリシテ軍によって完全に粉砕されてしまったのです。

 

 このことで、イスラエルの国は、王が立てられる前の状態に戻されました。イスラエルの民は、国を守るために王を立てることを望みましたが(8章5節)、ここに、国を守るのは王の存在、王が率いる軍隊、王を中心とする政治、制度などではないことが確認されたかたちです。 

 

 ところで、サウルの子ヨナタンは、かつてペリシテの大軍が押し寄せてきた際、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」(14章6節)と、たった二人で立ち向かい、圧倒的な勝利を収めました(同13節以下)。

 

 また、ダビデをかばい、何度も父サウルを諫めました(19~20章)。ジフの荒れ野にいたダビデのもとに来て、神に頼るようにと励ましました(23章)。そのような信仰の勇者ヨナタンが、なぜここでサウルと共に戦死してしまったのでしょうか。彼がどのようにして命を落としたのかも、記録されていません。

 

 そのことで、十戒に「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが」(出エジプト記20章5節)とあることから、父サウルの不従順の罪のゆえに、信仰篤く、真実の愛をもってダビデに接していたヨナタンまでも、共に死ななければならなかったというのは、悲しすぎるような気がします。

 

 しかしながら、「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(同20章6節)とも言われています。自分の信仰の在り様が、祝福であれ呪いであれ、子孫に大きな影響を与えると告げられているわけです。自分のためだけでなく、後に続く者のためにも、神を愛し、戒めを守る者とならせていただきたいと思います。

 

 特に、王位につく者は、祭司のもとにある原本から律法の写しを作り、それを自分の傍らに置いて読み返し、主を畏れることを学ぶよう、申命記に規定されています(申命記17章18,19節)。主なる神こそ、イスラエルの真の王であることを、王位につく者は、知らなければならないのです。

 

 そもそも、主はサウルに対し、実行不可能な無理難題を与えたわけではありません。謙遜に忠実に主に聴き従っていれば、イスラエルは平安のうちに守られていたのです。主が守ってくださるからこそ、イスラエルは安泰だったのです。

 

 だから、「カルメルに行って自分のために戦勝碑を建て」(15章12節)るなど、主に帰すべき栄光を私し、思い上がるならば、主に退けられるのは必定というものでしょう。父の罪の呪いを被るヨナタンに、無念の思いがなかったとは思いませんが、信仰に歩んでいたヨナタンは、既に一切を主の御手に委ねて、最期まで主と共にある平安のうちを歩んでいたことでしょう。

 

 ペリシテ軍は、ギルボア山上に倒れていたサウルの首を切り落とし(9節)、その武具をアシュトレト神殿に納め、遺体をベト・シャンの城壁にさらしましたが(10節)、それを聞いたヤベシュの住民は、奮い立ってその遺体を取り降ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付した後(12節)、ぎょりゅうの木の下に埋葬して、七日間断食しました(13節)。

 

 ヤベシュは、サウルがアンモン人を撃退して救った町で、これが王となったサウルの初陣でした(11章)。ヤベシュの住民は、そのときの恩に、こうして報いたのです。また、主に油注がれた者に対する最後の敬意が、そのように表されたともいうことが出来ます。

 

 キリストの弟子という理由で一杯の水を与えた者は、その報いから漏れることはないと、主イエスは言われました(マルコ9章41節)。ヤベシュの人々に対しても、そうでしょう。後に油注がれてユダの王となったダビデが(サムエル記下2章4節)、サウルを鄭重に葬ったヤベシュの人々のことを聞き、最大の賛辞を贈っています(同5節以下)。

 

 私たちは、主イエスの十字架の犠牲により、罪の呪いから解放されました。どのようにしてその恩に報いましょうか。まことに、「ああ主の恵みに、報ゆるすべなし、ただ身と魂とを、献げてぬかずく」(新生讃美歌235番5節)とうたわれている通り、感謝をこめて主の御前に謙り、その御言葉に聴き従うほかはありません。

 

 主よ、恩知らずな私たち、思い上がって主の栄光を我がものにしようとする私たちを赦してください。日々御顔を拝し、御言葉に耳を傾けることを通して、主の愛と恵みに応える生活をすることが出来ますように。御霊の導きを受け、御言葉を実践する信仰と知恵、力に与らせてください。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設