宣言・声明

 

 

長 崎 平 和 宣 言

 

私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど 75 年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。

 

どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。

 

75 年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。

 

私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。

 

被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。

 

今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から 50 年の節目にあたります。この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。

 

しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。

 

“残り 100 秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。

 

3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。

 

被爆から 75 年、国連創設から 75 年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。

 

昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。

 

世界の皆さんに呼びかけます。平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。

 

今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から 75 年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。

 

この拍手を送るという、わずか 10 秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。

 

若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。

 

世界各国の指導者に訴えます。「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。

 

日本政府と国会議員に訴えます。核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。

 

そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

 

東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。

 

新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

 

2020 年(令和2年)8月9日

 

 長崎市長 田上 富久

 

 

 

 

広 島 平 和 宣 言

 

 

1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。

 

今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

 

およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。

 

こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

 

原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時13歳であった男性の訴え。

 

昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。

 

そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。

 

これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。

 

今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 

ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

 

そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

 

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

 

本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 

令和2年(2020年)8月6日

 

広島市長 松井 一實

 

 

 

 

天皇代替わりに関する諸儀式に反対する声明

 

 天皇代替わりに伴い、2019 年 4 月から関連諸儀式が計画され、政府はそれらを、先の天皇代替わりの事例を踏襲して行おうとしています。

 

 私たち日本バプテスト連盟靖国神社問題特別委員会は、かつての天皇即位の諸儀式が、国民主権、政教分離原則に違反すること、また即位後に行われる「大嘗祭」が、天皇を「現人神」(あらひとがみ)にする儀式だとして反対の声明を表明しました(1989 年 1 月 10 日)。

 

 今回の政府が行おうとしている天皇代替わりの諸儀式も、かつて私たちが反対の意を表明したように、国民主権、政教分離原則をないがしろにし、信教の自由を侵害する恐れがあり、改めて反対の意を表明します。

 

 さらに、特定の家系に生まれ、しかも男系にしか皇位継承権がなく、また自由に自分の意思を表現できないようにし、人権を制限して維持されていく天皇制は、法の下の平等に明確に違反し、それはまた他の一人の人権が脅かされる現実をつくり出すことにもつながっていく恐れがあります。

 

 また、皇室の重要な伝統行事だとして、政府が公金を支出して行われる大嘗祭は、政府が国民の象徴である天皇を「現人神」(あらひとがみ)とする行事に関わることであり、それがさも当然であるかのように行われることは、信教の自由を侵害し政教分離原則に違反すると共に、天皇を再び超然とした権威を持つ存在として国民を支配ことにつながる恐れすらあります。

 

 私たちは、神が造られた「いのち」がないがしろにされず、すべての「いのち」が尊ばれる平和をこの社会につくり出していくことが私たちキリスト者のなすべき務めなのだと信じています。それゆえ、基本的人権、国民主権が脅かされる恐れのある天皇代替わりの諸儀式に強く反対します。

 

2018年8月15日

 

 日本バプテスト連盟

靖国神社問題特別委員会

 

 

 

長 崎 平 和 宣 言

 

 73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃墟と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。

 

 15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 

 1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。

 

 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証です。

 

 しかし、第二次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には14,450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。

 

 核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。

 

 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

 

 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。

 

 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。

 

 もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」。

 

 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。

 

 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。

 

 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。

 

 被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。

 

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

 

2018年(平成30年)8月9日

 

長崎市長  田上 富久

 

 

 

 

広 島 平 和 宣 言

 

 73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。摂氏百万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。

 

 「熱いよう!痛いよう!」潰(つぶ)れた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。「水を、水を下さい!」息絶え絶えの呻(うめ)き声、唸(うな)り声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身を蝕(むしば)み続け、今なお苦悩の根源となっています。 

 

 世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂(さくれつ)したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。 

 

 被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。

 

 20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい。」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。 

 

 昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。 

 

 同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う。」

 

 人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めたとき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。核兵器の廃絶に向けた取組が、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって「継続」するようにしなければなりません。

 

 核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核不拡散条約)に義務づけられた核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取組を進めていただきたい。

 

 私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の7,600を超える都市で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。

 

 日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 

 本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎、そして世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

 

平成30年(2018年)8月6日

 

広島市長 松井 一實

 

 

 

 

静岡YWCAピースフェスティバルによせて 

 

 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師 原田攝生

 

 7月12日は、私が仕えている教会の設立記念日です。68年前に米国宣教師によって伝道が開始され、65年前に「静岡バプテスト教会」が誕生しました。

 

 この7月12日は5年前、国際的な記念日となりました。国際連合が「マララ・デー」と定めたのです。それは、すべての子どもたちが教育を受ける権利を唱えるために立ち上がったパキスタンのマララ・ユスフザイさん(当時16歳)の勇気をたたえてのことです。その日は、マララさんの誕生日でもありますが、彼女は国連本部に招かれて歴史に残るスピーチをしました。

 

 マララさんは、すべての人が平和に生活する権利、尊厳をもって扱われる権利、均等な機会の権利、そして教育を受ける権利を訴えるためにスピーチをしたのです。

 

 彼女は2012年10月9日(火)、乗っていたスクールバスがパキスタン・タリバン兵士の襲撃を受け、頭を銃撃されました。彼らはマララさんを黙らせようとしましたが、奇跡的に回復したマララさんは、声を上げることを辞めませんでした。

 

 しかしそれは、抗議の気持ち、復讐心からではないと言います。すべての子どもたちに教育が与えられる権利をはっきりと主張するため、すべての過激派、とりわけタリバンの息子や娘たちのために教育が必要だから、声を上げているのだと。

 

 彼女のスピーチを一部引用します。

 

 「私は自分を撃ったタリバン兵士さえも憎んではいません。私が銃を手にして、彼が私の前に立っていたとしても、私は彼を撃たないでしょう。これは、私が預言者モハメッド、キリスト,仏陀から学んだ慈悲の心です。これは、マルチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、そしてムハンマド・アリー・ジンナーから受け継がれた変革という財産です。これは、私がガンディー、バシャ・カーン、そしてマザー・テレサから学んだ非暴力という哲学なのです。そして、これは私の父と母から学んだ『赦しの心』です。まさに、私の魂が私に訴えてきます。『穏やかでいなさい、すべての人を愛しなさい』と。

 

・・・(略)・・・

 

 『ペンは剣よりも強し』という諺があります。これは真実です。過激派は本とペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。だから彼らは、罪のない医学生を殺したのです。多くの女性教師やポリオの研究者たちを殺害したのです。毎日学校を破壊するのです。なぜなら、彼らは、私たちが自分たちの社会にもたらそうとした自由を,そして平等を恐れていたからです。そして彼らは、今もそれを恐れているのです。

 

・・・(略)・・・

 

 本を手に取り、ペンを握りましょう。それが私たちにとって最も強力な武器なのです。一人の子ども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。」

 

 私たちにとって最も強力な武器、一冊の本とは聖書です。聖書が教える平和、自由を語りましょう。教えましょう。知らせ続けましょう。

 (静岡YWCA2018年8月号に寄稿)

 

 

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長 崎 平 和 宣 言

 

 「ノーモア ヒバクシャ」

 

  この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。

 

 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、15,000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 

 日本政府に訴えます。

 

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7,400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。

 

 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 

2017年(平成29年)8月9日

 

長崎市長  田上 富久

 

 

 

広 島 平 和 宣 言

 

皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼けただれ裸同然で剝(は)がれた皮膚を垂らし、燃え広がる炎の中を水を求めてさまよう。目の前の川は死体で覆われ、河原は火傷(やけど)した半裸の人で足の踏み場もない。正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。

 

このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄(ほの)めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨(むご)たらしい目に遭(あ)うのは、あなたかもしれません。

 

それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います。15歳だった被爆者は、「地獄図の中で亡くなっていった知人、友人のことを偲(しの)ぶと、今でも耐えられない気持ちになります。」と言います。そして、「一人一人が生かされていることの有難さを感じ、慈愛の心、尊敬の念を抱いて周りに接していくことが世界平和実現への一歩ではないでしょうか。」と私たちに問い掛けます。

 

また、17歳だった被爆者は、「地球が破滅しないよう、核保有国の指導者たちは、核抑止という概念にとらわれず、一刻も早く原水爆を廃絶し、後世の人たちにかけがえのない地球を残すよう誠心誠意努力してほしい。」と語っています。

 

皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。

 

為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です。

 

市民社会は、既に核兵器というものが自国の安全保障にとって何の役にも立たないということを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいます。核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

 

今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

 

その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

 

今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

 

特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい。また、平均年齢が81歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々に寄り添い、その支援策を一層充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。 

 

平成29年(2017年)8月6日

 

広島市長 松井 一實

 

 

 

長 崎 平 和 宣 言

 

 核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。

 

 1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、 長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。

 

 原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そのために引き起こされる病気や障害は、辛うじて生き残った人たちを今も苦しめています。

 

 核兵器は人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。

 

 今年5月、アメリカの現職大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。大統領は、その行動によって、自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを世界に示しました。

 

 核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです。

 

 今年、ジュネーブの国連欧州本部で、核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて話し合う会議が開かれています。法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。しかし、まもなく結果がまとめられるこの会議に、核兵器保有国は出席していません。そして、会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との対立が続いています。このままでは、核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、会議が閉会してしまいます。

 

 核兵器保有国のリーダーの皆さん、今からでも遅くはありません。この会議に出席し、議論に参加してください。

 

 国連、各国政府及び国会、NGOを含む市民社会に訴えます。核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を決して絶やしてはなりません。今年秋の国連総会で、核兵器のない世界の実現に向けた法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。そして、人類社会の一員として、解決策を見出す努力を続けてください。

 

 核兵器保有国では、より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。このままでは核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。

 

 今こそ、人類の未来を壊さないために、持てる限りの「英知」を結集してください。

 

 日本政府は、核兵器廃絶を訴えながらも、一方では核抑止力に依存する立場をとっています。この矛盾を超える方法として、非核三原則の法制化とともに、核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである「北東アジア非核兵器地帯」の創設を検討してください。核兵器の非人道性をよく知る唯一の戦争被爆国として、非核兵器地帯という人類のひとつの「英知」を行動に移すリーダーシップを発揮してください。

 

 核兵器の歴史は、不信感の歴史です。

 

 国同士の不信の中で、より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が開発されてきました。世界には未だに1万5千発以上もの核兵器が存在し、戦争、事故、テロなどにより、使われる危険が続いています。

 

 この流れを断ち切り、不信のサイクルを信頼のサイクルに転換するためにできることのひとつは、粘り強く信頼を生み続けることです。

 

 我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと努力してきました。ふたたび戦争をしないために、平和国家としての道をこれからも歩み続けなければなりません。

 

 市民社会の一員である私たち一人ひとりにも、できることがあります。国を越えて人と交わることで、言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、身近に信頼を生み出すことです。オバマ大統領を温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。市民社会の行動は、一つひとつは小さく見えても、国同士の信頼関係を築くための、強くかけがえのない礎となります。

 

 被爆から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。世界が「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいています。戦争、そして戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、今、問われています。

 

 若い世代の皆さん、あなたたちが当たり前と感じる日常、例えば、お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、友だちとの会話、好きな人の笑顔…。そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。

 

 戦争体験、被爆者の体験に、ぜひ一度耳を傾けてみてください。つらい経験を語ることは苦しいことです。それでも語ってくれるのは、未来の人たちを守りたいからだということを知ってください。

 

 長崎では、被爆者に代わって子どもや孫の世代が体験を語り伝える活動が始まっています。焼け残った城山小学校の校舎などを国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。

 

 若い世代の皆さん、未来のために、過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。

 

 福島での原発事故から5年が経過しました。長崎は、放射能による苦しみを体験したまちとして、福島を応援し続けます。

 

 日本政府には、今なお原爆の後遺症に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、被爆地域の拡大をはじめとする被爆体験者の一日も早い救済を強く求めます。

 

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、世界の人々とともに、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くすことをここに宣言します。

 

2016年(平成28年)8月9日

 

長崎市長  田上 富久

 

 

 

広 島 平 和 宣 言

 

 1945年8月6日午前8時15分。澄みきった青空を切り裂き、かつて人類が経験したことのない「絶対悪」が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜などを含め、子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。

 

 辛うじて生き延びた人々も、放射線の障害に苦しみ、就職や結婚の差別に遭い、心身に負った深い傷は今なお消えることがありません。破壊し尽くされた広島は美しく平和な街として生まれ変わりましたが、あの日、「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、歴史と共に育まれた伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

 

 当時17歳の男性は「真っ黒の焼死体が道路を塞ぎ、異臭が鼻を衝(つ)き、見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした」と語ります。当時18歳の女性は「私は血だらけになり、周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、水を求めて泣き叫ぶ人がいました」と振り返ります。

 

 あれから71年、依然として世界には、あの惨禍をもたらした原子爆弾の威力をはるかに上回り、地球そのものを破壊しかねない1万5000発を超える核兵器が存在します。核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。

 

 私たちは、この現実を前にしたとき、生き地獄だと語った男性の「これからの世界人類は、命を尊び平和で幸福な人生を送るため、皆で助け合っていきましょう」という呼び掛け、そして、血だらけになった女性の「与えられた命を全うするため、次の世代の人々は、皆で核兵器はいらないと叫んでください」との訴えを受け止め、更なる行動を起こさなければなりません。そして、多様な価値観を認め合いながら、「共に生きる」世界を目指し努力を重ねなければなりません。

 

 今年5月、原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、「私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と訴えました。それは、被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という心からの叫びを受け止め、今なお存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう「情熱」を、米国をはじめ世界の人々に示すものでした。そして、あの「絶対悪」を許さないというヒロシマの思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした。

 

 今こそ、私たちは、非人道性の極みである「絶対悪」をこの世から消し去る道筋をつけるためにヒロシマの思いを基に、「情熱」を持って「連帯」し、行動を起こすべきではないでしょうか。今年、G7の外相が初めて広島に集い、核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、包括的核実験禁止条約の早期発効や核不拡散条約に基づく核軍縮交渉義務を果たすことを求める宣言を発表しました。これは、正に「連帯」に向けた一歩です。

 

 為政者には、こうした「連帯」をより強固なものとし、信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。そのため、各国の為政者に、改めて被爆地を訪問するよう要請します。その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、必ずや、被爆の実相を心に刻み、被爆者の痛みや悲しみを共有した上での決意表明につながるものと確信しています。

 

 被爆者の平均年齢は80歳を超え、自らの体験を生の声で語る時間は少なくなっています。未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、若い世代の皆さんの力も必要です。世界の7000を超える都市で構成する平和首長会議は、世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、また、世界規模では広島・長崎が中心となって、若者の交流を促進します。そして、若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、具体的な行動を開始できるようにしていきます。

 

 この広島の地で「核兵器のない世界を必ず実現する」との決意を表明した安倍首相には、オバマ大統領と共にリーダーシップを発揮することを期待します。核兵器のない世界は、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、その実現を確実なものとするためには核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。また、日本政府には、平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 

 私たちは、本日、思いを新たに、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心からの哀悼の誠を捧(ささ)げ、被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。

 

2016年(平成28年)8月6日

 

広島市長 松井一実(かずみ)

 

 

 

 

日本バプテスト連盟諸教会御中

 

         福岡地方バプテスト連合社会委員会からのお知らせ

 

 平和の主の御名を賛美いたします。

 

 福岡地方連合社会委員会では、今夏の国政における安全保障政策決定の出来事の意味を決して忘れることなく、信仰者として神学的・宗教的に想起し続けることが大切であると考え、「決して忘れない」ということを運動にしていきたいと願い続けてきました。平和を追い求める民意に耳を傾けず、暴力的な方法論で強引に政策を推し進めていったことから引き起こされた今夏の政治的出来事でした。それは、私たち日本が戦後70年に渡り大切に育んできた民主主義の否定・歪曲であり、それだけでなくバプテスト主義の信仰理解からすれば、私たちが依って立つ世界観、社会への認識が根底から揺るがされかねない大きな出来事であります。

 

 クリスマス物語においても、イエス・キリストが誕生された社会の時代状況として、ユダヤの権力者あるいはローマの権力者による自己保身と自己都合によって多数の民衆たちの血が流され、苦境に立たされた様子が描かれています。民衆たちの声にならない声に耳を傾け、その声をあきらめずに集め続け、挙げ続けていくことは、信仰のど真ん中の営為なのであると感じざるを得ません。

 

 私たち社会委員会は、福岡地方連合の諸教会・伝道所の皆さま方と共に、「忘れない」という運動、覚え続ける歩みを具体的に推し進めるために、民意が問われる次の大きな国政選挙までカウントダウンをしながら聖書の言葉に聞き続けるための「忘れないカレンダー」を作成いたしました。週めくりのカレンダーを一部ずつ、福岡連合の諸教会・伝道所に送付させていただきました。また、カレンダーのデータ(PDF版)を、連合ホームページに掲載しています。データを活用されたい方は、存分にお用い下されば幸いです。また、福岡地方バプテスト連合のホームページからもリンクを貼はっていますので、データの入手が可能です。そちらもご確認ください。

 

 現行の参議院選出の議員の任期は2016年7月25日までですから、参院選の選挙日程は2016年7月10日(日)あるいは17日(日)の実施であると言われています。仮に7月10日(日)が参院選投票日となるならば、現在(2015年12月28日 )は29週前に、7月17日(日)が参院選投票日になるならば、現在は30週前になります。ぜひとも、教会・伝道所内に掲示していただき、信仰を抱きつつ、国のありように目を凝らしながら歩むことができる群れとして諸教会・伝道所が主にあって世に用いられていくよう祈ります。

 

 また、2016年2月14日(日)15:00~17:00(予定)には、毎年企画している集会「バプテストの日」を、福岡バプテスト教会を会場に開催いたします。今年度は「バプテスト信仰と民主主義」というテーマで、安全保障関連法の廃止を求める西南学院有志の会などで積極的にメッセージを発信してこられた須藤伊知郎神学部教授、学生たちのグループであるFukuoka Youth Movementに関わるバプテストの青年たちにお話しをしてもらおうと考えております。集会告知の第一信は諸教会・伝道所に宛てて送信させていただきました。本格的なチラシが完成しましたら、改めて告知をさせていただきます。

 

 末筆ではありますが、諸教会・伝道所のお働きと連なる皆様お一人ひとりの生活の上に、平和の主よりの一層の励ましと祝福が豊かにありますよう、せつに祈りつつ。

 

                 福岡地方バプテスト連合社会委員会 委員長 三上 梓

 

 

 

内閣総理大臣 安倍晋三様

 

         憲法違反である年頭の伊勢神宮参拝を行わないことを要請すると共に

       「伊勢志摩サミット」を利用して伊勢神宮に特権を付与することに反対します

 

                                                               2015年12月26日

 

                                        日本バプテスト連盟 靖国神社問題特別委員会

                                                           委員長 松藤一作

 

 1965年の佐藤栄作首相の年頭の伊勢神宮参拝以来、ほぼ毎年内閣総理大臣による年頭の伊勢神宮参拝が行われており、安倍首相も就任以来毎年伊勢神宮を参拝しています。伊勢神宮は一宗教法人であり、首相の参拝は憲法20条の「信教の自由」に反するものです。また首相の継続的な伊勢神宮参拝は、政教分離原則に関わる最高裁の「目的効果基準」による判断に照らしても、その関わりが「相当」とされる限度を超えるものであることは明白です。私たちは安倍首相が、このような憲法違反である年頭の伊勢神宮参拝を行わないことを強く要請します。

 

 また安倍首相は6月に伊勢神宮参拝後の記者質問に対し、2016年5月26日・27日におこなわれる「伊勢志摩サミット」の開催地決定に関して、「日本の美しい自然、豊かな文化・伝統を、世界のリーダーたちに肌で感じてもらえる場所にしたいと考え、三重県で開催することを決定した」との談話を発表しました。安倍首相はまた、「伊勢神宮は悠久の歴史を紡いできました。そして、たくさんの日本人が訪れる場所であり、日本の精神性に触れていただくには大変良い場所だと思います。ぜひG7のリーダーたちに訪れていただき、伊勢神宮の荘厳で凛とした空気を共有できればよい」とも語っています。

 

 しかし、宗教法人神社本庁は、その『神社本庁憲章』において「全国神社を結集する神社本庁が設立され、(伊勢)神宮を本宗と仰ぎ、道統の護持に努めることとなった」と述べています。本宗とは「伊勢神宮が古来、至高至貴神社であるので、全国の神社の総親神」であることを意味します。伊勢神宮を念頭において「日本の美しい自然、豊かな文化、伝統」というスローガンを首相が公にする行為は、日本国憲法第20条1項に規定する「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」に抵触する違憲行為に他なりません。

 

 戦前・戦中の私たちプロテスタント諸教派は、宗教団体法による国の圧力に屈して日本基督教団を結成し、1942年1月11日には、当時の富田満教団統理が伊勢神宮に参拝し、「我が国における新教団の発足を報告し、その今後における発展を希願せられた」という負の歴史を有しています。それゆえ私たちは、伊勢神宮と国とのかかわりに関して敏感にならざるを得ません。

 

 一宗教団体である伊勢神宮に、首相が継続的に参拝をすること、また「伊勢志摩サミット」時にG7のリーダーたちを伊勢神宮に案内しようとしていることは、国の内外に対して伊勢神宮に特権があるかのごとき印象を与えることであり、また国家神道の復権につながる行為にほかなりません。私たちは、安倍首相が憲法を遵守することを重ねて強く求めます。

 

 

 

安全保障関連法の廃止を求める西南学院有志の声明

 

内閣総理大臣 安倍晋三様

衆議院議長  大島理森様

衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会委員長 浜田靖一様

参議院議長  山崎正昭様

参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会委員長 鴻池祥肇様

 

衆参両院での強行採決によって成立したとされてしまった安全保障関連法は、明白に憲法違反であり、立憲主義のみならず民主主義を破壊するものです。われわれはこれに断固反対し、廃止を求めます。

 

真の平和、安全保障は、武力による敵の威嚇や殲滅ではもたらされません。要請されるのは、アメリカや中国が何者かを問うことではなく、われわれが何者か、われわれが何者であったが故に何者であろうとしているのかを問うことです。

 

日本は無謀な侵略戦争に敗れ、その非を認め、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、憲法9条で戦争放棄を定め、国家権力を縛りました。この縛りのおかげでわれわれは70年間、一度も海外で武力行使をせず、平和国家として世界の信頼を得てきたのです。

 

われわれはかつて「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」いました。今改めて、自らの怯懦や怠惰、諦念に流されることなく、権力や忘却に抗して、われわれ主権者一人ひとりが個々の生きる場において、覚悟と優しさを持って考え行動し、声をあげられない者や小さき声の者、無念に倒れた死者、まだ見ぬ未来の世代、アジアのひとびとらと共に平和を育み、分かち合うことを、九州福岡の地で、学びの共同体である西南学院において、決意します。

 

そして、勇気を振り絞って安保法(案)に反対の声をあげた本学学生をはじめとするFYM(Fukuoka Youth Movement)の若者たちと共に悩み、立ちすくみながらも、連帯していくことを表明します。

 

われわれは認めない。従わない。決して忘れない。声をあげ続ける。

殴られてもまた立ち上がり、もう一方の頬を差し出す。

あきらめない。何度でもはじめる。

 

「幸せだ、平和を行う人たちは。」(聖書)

 

2015年9月24日

    安全保障関連法の廃止を求める西南学院有志の会(仮称)

 

 

 

 

*2015年8月9日 長崎平和宣言

 

 昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。

 

 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

 原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省のなかから生まれ、戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

 原爆や戦争を体験した日本そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、集まれば大きな力になります。長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障を核抑止力に頼らない方法を検討してください。アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、平和の種を蒔き続けます。

また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、長崎はこれからも応援し続けます。

 

 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

                

2015年(平成27年)8月9日

長崎市長  田上 富久

  

 

 

*2015年8月6日 広島原爆の日 平和宣言

 

 私たちの故郷(ふるさと)には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども含まれていました。


 辛うじて生き延びた人々も人生を大きく歪(ゆが)められ、深刻な心身の後遺症や差別・偏見に苦しめられてきました。生きるために盗みと喧嘩(けんか)を繰り返した子どもたち、幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、被爆が分かり離婚させられた女性など−−苦しみは続いたのです。


 「広島をまどうてくれ!」これは、故郷や家族、そして身も心も元通りにしてほしいという被爆者の悲痛な叫びです。


 広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛(か)みしめてみたいと思います。


 しかし、世界には、いまだに1万5000発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。また、核戦争や核爆発に至りかねない数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。


 核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分かりません。ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。


 当時16歳の女性は「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、大きな和に育てていくことが世界平和につながる。思いやり、やさしさ、連帯。理屈ではなく体で感じなければならない」と訴えます。当時12歳の男性は「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。思いやり、いたわり、他人や自分を愛することが平和の原点だ」と強調します。


 辛(つら)く悲しい境遇の中で思い悩み、「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、紡ぎ出した悲痛なメッセージです。その心には、人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。


 人間は、国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。私たちは「共に生きる」ために、「非人道の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を目指さなければなりません。そのための行動を始めるのは今です。既に若い人々による署名や投稿、行進など様々(さまざま)な取り組みも始まっています。共に大きなうねりを創りましょう。


 被爆70年という節目の今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えました。広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、次世代に伝えるための取り組みを強化するとともに、加盟都市が6700を超えた平和首長会議の会長として、2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。


 今、各国の為政者に求められているのは、「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福追求ではないでしょうか。為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが核兵器廃絶への第一歩となります。そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。


 来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。


 日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案します。また、高齢となった被爆者をはじめ、今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。


 私たちは、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、被爆者をはじめ先人が、これまで核兵器廃絶と広島の復興に生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。そして、世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます。


平成27年(2015年)8月6日


広島市長 松井 一実

 

 

 

 

 

「敗戦 60 年にあたって」声明

 

 私たち日本バプテスト連盟は、これまで「反ヤスクニ宣言」(1982 年)、「戦争責任に関する信仰宣言」(1988 年)、そして「平和に関する信仰的宣言」(2002 年)を表し、その告白に誠実であることを求めて歩んできた。それら三つの宣言は、いずれもかつて日本の引き起こした侵略戦争の過ちを反省し、戦争に荷担しまた助長した私たち自身の戦争責任を表白しつつ、アジアの隣人たちへ赦しを求めた告白であった。

 

 私たちは繰り返し告白する。私たちは、侵略戦争の歴史の中で、主イエス・キリストの福音に生き抜くことができなかった。「神ならぬものを神としない」という最も重要な信仰姿勢をあいまいにし、天皇を神格化した。国家・天皇のために戦って死ぬことを美しい生き方だと讃え、「大東亜共栄圏の樹立」という思想の中にこめられていた自己優越意識と近隣諸国への軽蔑を自覚できなかった。そして、目的を遂行するためには戦争は必要だと考えた。私たちは、戦争に反対できなかった。それどころか、戦争を賛美してしまった。それゆえ、アジア・太平洋地域の2000万人を超える戦争犠牲者たちの命を奪った罪責は、私たち教会にも確かにある。

 

 戦後、私たちは長らく、自らの戦争責任を省みることを忘れてきた。高度経済成長を謳歌する時代風潮の中で、それらの経済成長が再び別の形で近隣諸国を収奪していることに気付けずに歩んできた。戦前・戦中の私たちの「むさぼり」と「迎合」の罪を、戦後も克服しえなかったことを、私たちは改めて表明しなければならない。

 

 今年 2005 年、私たち日本社会は敗戦から 60 年を迎えた。戦争への深い反省から掲げられた憲法の平和主義――戦争を永久に放棄して平和をつくりだす歩み――を、私たちはどれだけ自らのものとしえたのだろうか。この 60 年を振り返るとき、残念ながら私たちはあの反省から逆の道を歩みつつあると答えざるを得ない。

 

 今、悲しむべきことに、かつての侵略戦争、その軍国主義と植民地政策を正当化する声が大きくなり広がりを見せている。靖国神社への参拝を繰り返す小泉首相や石原東京都知事への支持は依然として高い。教育現場での日の丸掲揚、君が代斉唱は強制され、それを拒否する教員たちへの処罰は公然と行われている。外国人は排斥され、人権を無視した強制送還が相次いでいる。自衛隊はイラクに派兵され続け、もはや常駐化している。沖縄の苦しみと痛みを無視して、米軍基地機能はさらに強化されつつある。9月に実施された衆議院選挙では、連立与党だけで憲法「改正」を決議できる3分の2の議席を占有し、今や一部の野党や財界も加わって憲法「改正」の主張がいたるところで声高に語られている。そこでは憲法の平和主義を大切に生きる思想はすでに過去のものとして葬られつつある。

 

 これらすべてが、かつて日本の侵略行為によって計り知れない苦しみを背負わされたアジア近隣諸国の新たな悲しみ、新たな不安となっている。私たち日本社会に生きる者の歴史認識はかくも薄く、謝罪の質はかくも軽く、平和への願いはかくも弱いものであったのか。戦後 60 年の節目に、これらの問いが私たちに重く迫ってくる。

 しかし、主イエスは、今もこの暗やみの中に立ち、十字架を背負い、罪人を赦し、招いておられる。ここに「世の光」がある。だからこそ、私たちはこの赦しと招きに与りつつ今一度、信じ、告白する。

 

 私たちが服従するのは、十字架で敵を赦し、引き裂かれた者の和解のために祈り、命を捨てた主イエス・キリストのみであることを。主イエスの赦しの恵みに生きる私たちは、赦すこと、愛すること、分かち合うことしか許されていないことを。それゆえ、私たちは問題解決を武力・暴力に求めようとするすべての道に反対する。軍事力での国際貢献にも反対する。軍備増強にも、派兵の法整備としての憲法「改正」にも、国家による戦死者の顕彰行為としての靖国参拝にも反対する。過去の過ちを「美」へと転化し、歴史を歪曲しようとする風潮に反対する。特に、皇国史観教育の復活にも等しい昨今の教育基本法の「改正」の動きに反対する。

 

 歴史の記憶は、共に生きる者同士の間で共有されなければならない。私たちは、アジアという地域でそこに住む人々と神の恵みを分かち合い、平和を造りだしつつ生きていきたい。それゆえ、私たちは独善的な歴史認識と決別し、自己保全、自国中心の考え方から解放され、アジアの隣人たちと歴史を共有し、記憶を継承しながら、未来への豊かな構想と協働にあずかっていきたい。

 

 主イエスの十字架の福音、平和と和解の福音に私たちは生きる。再び主が来られるときまで、私たちは主の死を告げ知らせ、共に結ばれて生きる和解の福音を担いつづける。

 

 主イエスが私たちに先立ち、伴い、平和と和解の器としてくださるように。アーメン。

 

「平和を実現する人々は、幸いである。」マタイ福音書5章9節

 

2005年11月18日 日本バプテスト連盟 第51回定期総会

 

 

 

平和に関する信仰的宣言【平和宣言】  

 

前 文

 「平和をつくりだす人たちは、さいわいである」と主イエスは言われる。しかし今、世界は敵意に満ちている。殺戮と報復が果てしなく繰り返され、絶望が支配しようとしている。

 

 十字架の主イエスはこの世界において審きと和解を為し、解放と平和を告げ知らせ、私たちを復活のいのちへと導かれる。私たちは静まって沈黙し、主イエスの声に聴く。教会は救われた者の群れとして応答に生きる。

 

 神は奴隷の地エジプトから人々を解放し、十戒を与え、救いの出来事に応答して生きることを命じた。主イエスは十字架と復活を通してこの律法を成就された。それゆえ私たちは十戒を死文と化してはならない。教会は十戒を生きる。

 

 この世界の中で主のことばに従って平和を創り出していくために、日本バプテスト連盟に加盟する私たちは主の恵みに与りつつ、主の戒めに生きることを宣言する。

 

1.私たちは主イエスに従う

 十字架の恵みを受けた私たちは主イエスに従う。信じる者は服従へと召され、主イエス以外のすべての束縛から解放される。主イエスへの服従こそが、私たちを自由にする。

 

第一戒 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。

 私たちは主イエスの御顔をのみ仰ぎ見る。私たちは御声をのみ聴く。私たちは自らを誇ることをせず、十字架の主イエスを誇る。私たちは御心のままにと祈る。私たちは主イエス以外を知らない心貧しき者として生きる。私たちはこの生に平和を見出す。

 

2.私たちは主イエスのほか何ものにも服従しない

 主イエスへの服従はそのほか一切のものに対する服従の拒否である。不服従を伴わない服従はあり得ない。主に服従する私たちは自分自身にとって最も大切なものさえも断念する。

 

第二戒 あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。

 国家、民族、イデオロギー、経済、富、宗教的政治的権威、自由と正義、道徳、良心、感情、感覚、生命、自分自身、そして愛する者たち。これら一切は、服従の対象ではない。私たちはこれらを神に仕立て上げ、これらにひれ伏し仕えることをしない。

 

第三戒 あなたはあなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。

 教会は神の御心を騙(かた)ってはならない。教会が神の名を利用して、暴力や報復、正義の戦いを肯定することは許されない。

 

第四戒 安息日を覚えてこれを聖とせよ。

 礼拝をこの世と区別しないとき、服従してはならないものへの服従が始まる。礼拝は主イエスへの服従行為であり、この世に対する断念である。私たちは礼拝を第一とする。

 

3.主イエスに従う私たちは殺さない

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、もはや殺すことができない。もし殺すなら、私たちは服従してはならないものに服従するのであり、主の恵みを否定するのである。

 主によって解放され生かされた私たちは、もはや赦すこと、愛すること、分かち合うこと、生かすことしか許されてはいない。教会はただそれらのことにおいて主に服従し、主の恵みを喜ぶ。

 

第五戒 あなたの父と母を敬え。

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、年老いて弱さの中におかれた者たちを尊ぶ。戦争の時代、生きる価値がないとされた者たちは殺される。私たちは彼らと共に生きることによって、戦争の価値観を拒否する。教会は戦争の役に立たない群れとして生きる。

 

第六戒 あなたは殺してはならない。

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、他者を殺しその存在を否定することができない。殺しのあるところに平和はない。私たちは殺さない。軍備のあるところに平和はない。私たちは殺すための備えを否定する。戦争に協力するところに平和はない。私たちは殺すことにつながる体制づくりに協力しない。暴力のあるところに平和はない。私たちは暴力の正当性を否定する。主に従う教会は敵を愛し、迫害する者のために祈る。

 

第七戒 あなたは姦淫してはならない。

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、姦淫することができない。姦淫は人が性的欲望を持って他者の尊厳を侮辱することである。戦争は姦淫を正当化する。姦淫のあるところに平和はない。私たちは姦淫をしない。教会は性の領域においても他者の尊厳を冒さない。

 

第八戒 あなたは盗んではならない。

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、盗むことができない。しかし神が造られたこの世界は、常に搾取と収奪にさらされ盗まれ続けている。搾取と収奪は一部の富める者と多くの貧しい者たちを生み出し、紛争の要因となっている。富める者は自らの権益を守るため戦争をする。搾取と収奪のあるところに平和はない。私たちは盗まない。教会は神が与えた恵みを分かち合う。

 

第九戒 あなたは隣人について偽証してはならない。

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、偽証することができない。偽証は自己保身と悪の正当化の手段である。歴史に対する偽証はアジアの隣人との和解を阻害してきた。偽証のあるところに平和はない。私たちは偽証をしない。主イエスの赦しを受けた私たちは、もはや保身のための偽証を必要としない。教会は罪をありのままに告白することによって隣人との和解を願う。

 

第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

 主イエスによって解放され生かされた私たちは、むさぼることができない。一切を独占しようとする私たちのむさぼりが、隣人を傷つけ、世界を破壊し、戦争を引き起こしている。死者さえもむさぼられ戦争の道具とされる。むさぼりのあるところに平和はない。私たちはむさぼらない。国、力、栄え、一切は神のものである。教会は一切を神に捧げ、奉仕に生きる。

 

結 語

 教会は戦争に協力した。私たちは十戒を守らなかった。さらに主イエスが十字架においてこの罪さえも赦し、応答に生きるために復活のいのちを与え給うたにもかかわらず、私たちはこの恵みを理解しなかった。赦された故に主の戒めを守る必要がないとさえ考えた。こうして私たちは主イエスの恵みを安価なものにしてしまった。そしてイエスは今日も十字架の上からそのような私たちを召しておられる。

 

 極限状況は暴力とその正当化へと私たちを誘惑する。しかしたとえそれが愛する者を守るための暴力であっても、その暴力行為によって私たちは主イエスの十字架の下で審かれる。私たちは主の審きと赦しのもとで十戒を生きるしかない。

 

 教会は主イエスに従う。教会は主イエス以外のものを断念する。教会は弱いものを尊ぶ。教会は殺さない。姦淫しない。盗まない。偽証をしない。むさぼらない。

 

 主イエスの十字架の和解はすでに成し遂げられた。絶望の闇はこれに勝たなかった。私たちは復活のいのちに与り、平和を創り出す。主は世の終わりまでいつも私たちと共におられる。

 

 終わりの日に、主は敵意と殺戮、報復と絶望を完全に終わらせ、苦しめられてきた者たちの目から涙を全く拭い去ってくださる。教会は主が来られる時に至るまで主の死を告げ知らせ、和解の福音を担い続ける。

 

 主イエスよ、先立ちたまえ。伴いたまえ。我らを新たにしたまえ。聖霊なる神よ、我らをきよめ、平和の器となさせたまえ。父なる神よ、御国を来たらせたまえ。

 

 アアメン、主イエスよ、来たりませ。

 平和の主イエスよ、来たりませ。

 

2002年11月15日 日本バプテスト連盟第49回定期総会 

 

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