静岡市の紹介

駿府城公園(手前の緑)、富士山を望む
駿府城公園(手前の緑)、富士山を望む

 

 

 静岡市(AD2021年3月1日現在、人口685,589人、面積1,411.93㎢)は、静岡県中部に位置する政令指定都市であり、県庁所在地です。

 

 因みに、県西部の政令指定都市・浜松市の人口は789,806人、面積は1,558.06㎢で県最大、静岡市よりも少し大きめです。静岡県全体の人口は3,615,571人、面積は7,777.35㎢です。

 

 駿府城下を基盤とした商業都市の旧静岡市と、清水港を擁する港湾都市の旧清水市が、2003年4月1日に合併して、現在の静岡市になりました。そのため、市街地は日本平(にほんだいら)を境に東西に分かれ、各々の交通拠点(高速道路IC、JR駅など)は11㎞以上も離れており、完全に二極都市となっています。

 

 政令指定都市は、条例で区を設けるものとされており(地方自治法第252条の20第1項)、静岡市は葵区、駿河区、清水区の三区で構成されています。旧静岡市をJR東海道線で南北に分け、北が葵区、南が駿河区となり、日本平から東の旧清水市が清水区になりました。

 

 静岡市役所は旧静岡市役所庁舎をそのまま利用、葵区役所は静岡市役所の中に設けられ、清水区役所は旧清水市役所庁舎をそのまま利用するということで、駿河区役所だけが政令指定都市への移行に伴い、2005年に新設されました。

 

 

 静岡市は、静岡県の東西のほぼ中央、東京と名古屋のほぼ中間の太平洋ベルト地帯に位置しており、東は山梨県、静岡県富士宮市、富士市と接し、東端は富士川河口です。西は、長野県、静岡県榛原郡川根本町、島田市、藤枝市、焼津市と接し、西端は川根本町、長野県境の光岳(標高2,519.5m)です。

 

 東西50.62km、南北83.10km、面積1,411.93㎢のうち市街化区域は104.0㎢で、かなりの部分を山が占めています。

 

 南には、サクラエビ漁で知られる駿河湾、世界文化遺産「富士山」の構成資産に登録された清水の三保の松原、また日本平の南斜面、駿河湾沿いに「石垣イチゴ」のビニールハウスがあります。南端は、焼津市との境、大崩海岸です。一方、北は長野県、山梨県との県境、赤石山脈(南アルプス)で二番目(日本で四番目)に高い間ノ岳(あいのだけ:標高3,189.5m)がそびえています。

 

 間ノ岳の名は、南アルプスの最高峰・北岳(標高3,193m:間ノ岳の北方3.3㎞)と南方の農鳥岳(標高3,025.9m:間ノ岳から2.9㎞)との間にある山ということでつけられたそうです。この三つの山で白峰三山(しらねさんざん)と呼ばれます。

 

 南は海岸線、北は山梨県、長野県、岐阜県との県境ということなので、静岡市を通らないで静岡県を東西に通り抜けることはできません。

 

 上述のとおり、旧静岡市と旧清水市が合併したことにより、2003年4月の時点で静岡市は、福島県いわき市を抜き、日本一広い面積を持つ市になりました。その後、全国で市町村合併が相次いだ結果、現在では、岐阜県高山市、静岡県浜松市、栃木県日光市、北海道北見市に次いで、全国で5番目に広い市となりました。都道府県庁所在地の市としては、現在も日本最大です。(Wikipediaより)

 

 

 

 清水市と合併して人口が70万人を超え、その後、2006年に鎌原町、2009年に由比町と合併して最大71万7千人余りとなりましたが、以後年間およそ3000人ずつ人口を減らして、2017年4月に70万人を割り込みました。現在も減少が続いています。

 

 出生数より死亡者数が3千人ほど上回るという少子高齢化の状況に加え、転出は若年齢層が比較的多く、静岡市内に拠点を置く大企業が少ないこと、そのために大学進学や就職を機に静岡を離れる若者が少なくないことが、人口減少の要因と考えられます。

 

 

 2016年に徳川家康没後四百年記念事業が執り行われました。家康は1600年(慶長5年)9月15日の関ヶ原の合戦に勝利、1603年(慶長8年)3月24日に征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きました。2年後、将軍職を息子・秀忠に譲り、1607年(慶長12年)に駿府城に居を移しますが、「大御所」として政治の実権を掌握し続けました(大御所政治)。

 

 1614年(慶長19年)の大阪冬の陣、翌年の大阪夏の陣をもって豊臣家を滅ぼし、1615年(慶長20年)に禁中並公家諸法度、武家諸法度・一国一城令を制定、徳川氏による日本全域支配を実現、江戸幕府264年の礎を確かなものとしました。

 

 1616年(元和2年)太政大臣に任ぜられますが、5月に駿府城において死去しました。遺体は遺言により久能山東照宮に埋葬され、翌年、日光東照宮に改装されています。

 

 死因は鯛の天ぷらによる食中毒とされていましたが、近年は『徳川実記』の記述などにより、胃癌とする説が主流になっているそうです。享年75は当時としては長寿の部類で、歴代将軍の中でも、第15代将軍・徳川慶喜に次ぐ長命でした。

 

 大御所時代の町作りが今に続いているといわれますが、今川義元の時代から家康の大御所時代を経て現在まで、どのように町が変遷また維持されてきたのか、詳細に検証する必要があると思われますし、そこに、人口減少に歯止めがなかなかかからない静岡市、静岡県がこれからどのような町作り、地域作りを目指せば良いのかという手がかりも隠されているように思います。

 

 2019年5月に「今川義元公生誕五百年祭」が行われました。大御所政治を行った家康が静岡をその地に選んだのは、幼少期に人質として静岡に来て、元服を迎えたことと無縁ではないでしょう。駿府・今川家の繁栄ぶりを直に体験させられたわけです。2万5千の大軍を擁しながら、わずか2千の織田軍に打ち破られたため、義元を凡庸な武将だと思っていましたが、今に続く静岡の礎を築いた重要な存在として、評価し直す必要がありそうです。

 

 

 「やらまいかの浜松、やめまいかの静岡」という言葉を聞きます。「やらまいか」は「やりましょう」、「やめまいか」は「やめましょう」という方言です。

 

 静岡西部・遠州地域は、ホンダやスズキ、ヤマハなどの企業が生まれ、トヨタの創業者・自動織機を発明した豊田佐吉の出身地として知られています。「やらまいか」というのは、このような企業や発明家を支えたチャレンジ精神を示す言葉とされています。

 

 一方、静岡中部・駿河地域には、そのような企業は残念ながら誕生してはいません。とりあえず性急に行動を起こすようなことは辞めて、まずは様子を見ましょうという慎重な姿勢ということなのでしょう。「やめまいか」というのは、あまり変化を望まない保守的な土地柄を示しているといってよさそうです。

 

 

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2014年8月6日サイト開設