第二コリント書

 

 

「あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。」 コリントの信徒への手紙二1章11節

 

 今日から、コリントの信徒への手紙二を読み始めます。本書は、聖書学者の注解によれば、もともと一通の手紙ではなく、数通の手紙がパウロの死後、一つにまとめられたものと考えられています。岩波訳は、五つの手紙の集合体(A:2:14~7:4、B:10:1~13:13、C:1:1~2:13,7:5~16、D:8:1~24、E:9:1~15)として、その順番に並べ直して翻訳しています。

 

 五つの手紙の集合体ということであれば、誰が、いつ、何の目的でこのように組み合わせたのか、五つの手紙それぞれの執筆場所や時期など詳細は分からないということになりますが、一般的に、第三回伝道旅行の途中、エフェソから紀元55年に出した第一の手紙に続いて、その1年後の紀元56年頃にマケドニア地方、恐らくフィリピで執筆されたものと考えられています。

 

 私たちは、この手紙がいつどこで、どのようにして執筆されたか、はたまた編集、統一されたかということについて、十分に知り得なくても、それで、手紙の内容が理解出来なくなるわけではないので、現在、新約聖書において提供されているまま、読み学ぶことが出来ることを喜び、そのメッセージを受け止めていこうと思います。

 

 第一の手紙は、コリント教会の質問に答える形で、教会内の問題、危機に対処しようとしている内容でしたが、第二の手紙は、第一の手紙で問題とされていたことが解決を見ることが出来たので、そのことの喜びと感謝をもって、さらにコリント教会の信徒たちを整えるために、パウロが筆をとったものと考えられます。

 

 3節に、賛美の言葉があります。特に「慰めを豊かにくださる神」(セオス・パセース・パラクレーセオース the God of all comfort、新改訳:すべての慰めの神,岩波訳:あらゆる慰めの神)と言っています。これは、パウロが様々な苦難を味わい、神によって慰めが与えられたという彼自身の体験から語られた賛美の言葉でしょう。そしてこの表現で、1~9章の基調が規定されています。

 

 4節の「神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」という言葉から、パウロの苦難の体験、そして、神の慰めを受けた体験が、使徒としての働きにマイナスになるのではなく、むしろ、それが有益に用いられていることが示されます。

 

 8節で「アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」と言っています。それは苦難の内容ではなく、彼が苦難に際してどのように考え、何を信頼したのかということです。11章23節以下にパウロが経験した苦難のリストがありますが、今ここでパウロが語る苦難がどのようなものなのかは、判然としません。

 

 恐らくそれは、パウロが熱心に福音を告げ知らせることによって生じたものでしょう。それは「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」(8節)ということですから、彼に対する厳しい迫害、宣教妨害がなされたことを想像します。

 

 「アジア州で被った苦難」について、具体的には何も知らされていません。あるいは、エフェソで投獄の難に遭ったのではないかと想像します。それは、生きる希望を失わせるほどの厳しさでした。9節に「死の宣告を受けた思いでした」とありますから、法廷で死刑を宣告されたわけではないでしょうけれども、そう表現せざるを得ない事態に至ったということでしょう。

 

 そのときに、パウロの内側には、自分を支えるものがありませんでした。「自分を頼りにすることなく」(9節)というのは、そのことです。つまり、「自分は信仰を持っているから、この状況から必ず救い出されると確信する」というような心境ではなかったのです。その意味では、まさに絶望的だったわけです。

 

 しかし、まったく絶望していたというのではありませんでした。彼には唯一のよりどころがありました。それは、「死者を復活させてくださる神を頼りにする」ことです。自分が生きていられるという希望は全くないけれども、死者をさえ生かしてくださる神に信頼する、すなわち、殉教しても永遠の命に生かされる希望を持っているというわけです。

 

 そして、ただ主だけを頼りとするというこの信仰に神が応えられ、パウロは、その絶体絶命の危機から脱出することが出来たのです。そうして、これからも神が救ってくださるに違いないという希望を持つようになったのです(10節)。

 

 かつて使徒ペトロがエルサレムで捕えられて獄に投じられたとき、やはり絶体絶命の状況でした(使徒言行録12章1節以下)。その背後では、ペトロの救出のために熱心な祈りがささげられていました。神は、その祈りに応えて天使を遣わし、厳重監視の下、拘束されていた牢の中から、ペトロを救い出されました(同6節以下)。

 

 パウロのためにも、フィリピの教会の人々やアンティオキアの教会の人々が熱心に祈っていたことでしょう。その祈りに応え、そして、先に記した「死者を復活させてくださる神を頼りにする」パウロの信仰に応えて、主なる神は、大きな死の危険からパウロを救い出してくださいました。

 

 パウロにとって、「慰め」(パラクレーシス)というのは、情緒や感情の問題ではなく、神によって与えられる救いの業と見ることが出来ます。そのような経験をする度に、これからも、使徒としての使命を全うするために、神が自分を慰め、励ましてくださるに違いないという信仰が確かなものとされたことでしょう。

 

 ちなみに、ヨハネ福音書では聖霊を「弁護者」(パラクレートス)と紹介します。口語訳は「助け主」としていました。「慰め」(パラクレーシス)との関連で「慰め主」とすることも出来ます。詳訳聖書は「慰め主、助言者、とりなす者、弁護者、激励者、援助者」と記しています。

 

 パウロは冒頭の言葉(11節)で「あなたがたも祈りで援助してください」と、祈りの要請を致します。パウロがコリントの人々にこのように要請するということは、これからも福音宣教に伴う苦難を受けると、彼が考えている現われです。また、神の慰めなくして、福音宣教の使命を果たすことは出来ないと考えている証拠です(エフェソ書6章19,20節、コロサイ書4章3,4節も)

 

 神の慰めは、教会の祈りを通して与えられるものであることを、パウロは繰り返し教えられ、体験していました。だからこそ、祈りの援助を願い、それによって彼らがパウロの福音宣教に参加協力することを願うのです。

 

 そして、パウロが苦難の中で慰めを得たこと、苦難から救い出されたことが多くの人々の感謝となり、賛美となります。ここに、キリスト・イエスを信じる信仰による執り成しの祈りの力が示されています。祈りを聞いてくださる神がおられるのです。

 

 私たちも、キリストの身体なる教会を通して神の栄光を現すために、各自に委ねられている使命を全うすることが出来るよう、互いに神の慰めを祈り合いましょう。

 

 主よ、どのような苦難のときにも、私たちを教会の祈りによって慰め、強め、励ましてくださることを感謝します。あなたこそ、慈愛に満ち、慰めを豊かにくださる神であられるからです。主の御声を聞き、その導きに絶えず与らせてください。 アーメン

 

 

「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。」 コリントの信徒への手紙二2章14節

 

 第三回伝道旅行の途中、パウロはトロアスに行きました(12節)。ここは、第二回伝道旅行のとき、マケドニアに渡って伝道するよう、幻によって導かれた場所です(使徒言行録16章8節以下)。そして、コリントに教会が作られたのです。

 

 パウロは、自分がテトスに持たせた「涙の手紙」の結果が知りたかったのですが(4節)、おとなしくトロアスで待っていることが出来ず、せっかく伝道の門戸も開かれていたのに(12節)、マケドニアに出発してしまいました。13節に「兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」と記されているとおりです。

 

 その直後に冒頭の言葉(14節)で、「神に感謝します」と述べられています。このつながりがよく分かりません。「神に感謝します」は、直前のパウロの不安な思いとどうつながるのかということになりますが、具体的には、7章5節以下にその内容は述べられます。

 

 7章5節に「マケドニア州についたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです」とあり、続く6節に「しかし、気落ちした者を力づけて下さる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました」と記されていて、13節は直接そこにつなげると、大変分かり易くなります

 

 勿論、この手紙を記しているパウロは、よい結果になったことを知って感謝しているわけですから、不安な心を抱いていたけれども、それが神の導きによって感謝に変えられたというかたちです。

 

 この感謝の表明に続いて、パウロは「キリストの勝利の行進」ということを語り始めます。勝利の行進といえば、通常、戦いに勝った将軍が多くの戦利品と共に捕虜を引き連れて意気揚々と戻ってくる凱旋の行進を思わせます。そのときには、凱旋将軍を迎えるために香が振りまかれ、沿道は歓呼の声で包まれます。

 

 ところで、キリストの勝利の行進とはどのようなものでしょうか。馬にまたがり颯爽とという行進ではないでしょう。見栄えのしないロバに乗り、それもまだ力不足の子ロバに乗っての行進ではないでしょうか。あるいは、ローマ兵に引き立てられ、十字架を負ってよろよろと歩む主イエスの姿を思い浮かべます。見るところ、勝利の栄光はありません。

 

 しかし、それはまさに私たちの罪と死に勝利する行進でした。パウロが「わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ」というのは、自分たちは勝利した軍勢の一兵士として誇らしく行進していると言っているわけではないでしょう。むしろ、鎖につながれ、引き立てられて歩く捕虜として、その行進に連なっているのです。そして、パウロをつないでいるその鎖は、恵みという鎖なのです。

 

 キレネ人シモンが、主イエスに代わって十字架を担いで歩かされました(ルカ福音書23章26節など)。自ら進んでそうしたのではなく、無理に負わされたのです。人々は彼の不運を思ったでしょう。あるいは、主イエスと共に、忌まわしいものと考えられたかも知れません。

 

 しかし、この男もその家族も主イエスを信じ、キリストのために働く者となりました(マルコ福音書15章21節、ローマ書16章13節参照)。パウロは、あるいは自分をそのキレネ人に重ねているといっても良いのではないでしょうか。そしてそれは、パウロにとって、この上もない喜びと思われたのです。

 

 だから、この行進に連なる者となったことを、ここで感謝しているのです。その行進に加わることで被る苦しみ、それによる不安や恐れがあるでしょう。また、誤解も曲解もあるでしょう。それでも、彼から感謝を奪うことは出来ないのです。

 

  そしてパウロは、使徒の働きを「キリストを知るという知識の香りを漂わせ」ることと語り、続く15節でも、「わたしたちはキリストによって神にささげられる良い香りです」と言います。神へのいけにえには、香油が添えられました。その働きがよいものであり、神にささげられたものであることが示されます。

 

 しかしそれは、決してパウロ自身が良いものであるということではありません。それが良い香りとされるのは「キリストによって」、十字架につけられたキリストの手を通して、神にささげられたものだからです。

 

 こうして、パウロはここでも自分を、十字架につけられたキリストの福音を宣べ伝える使徒とされた者であると、明確に語っているのです。「キリストを知る」者とされたこと、キリストの迫害者からキリストの使徒へと変えていただいたことを思うとき、パウロの心はいつでも、感謝で溢れるのです。

 

 私たちも、主の恵みによってキリストを知る者とされました。心から感謝を込めて賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の実を絶えず神に献げましょう。 

 

 主よ、あなたは私たちを選ばれました。あなたは慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神であられ、その恵みによる選びから漏れる者は一人もいません。心から感謝し、御名を褒め称えます。御心がこの地に行われますように。そのために私たちを聖霊で満たし、あなたの用い易い器とならせてください。 アーメン

 

 

「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」 コリントの信徒への手紙二3章18節

 

  新共同訳は、3章に「新しい契約の奉仕者」という小見出しをつけています。そのことについて、6節に「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました」といいます。この言葉で「新しい契約に仕える資格」を「霊に仕える資格」と言い換えることで、文字に仕える務めが古い契約に仕えるものであると仄めかしています。

 

 パウロはローマ書7章6節でも、「わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです」と記しています。キリストに結ばれて、律法に対して死んだ者となった結果(同4節)、霊に従う新しい生き方で仕えるようになったのです。

 

 そして、「文字は殺しますが、霊は生かします」(6節)と言います。「文字」は、古い契約の記された「契約の書」(出エジプト記24章7節)を示しています。律法は法を遵守する力を与えてはくれないので、律法の下にある者はその裁きを免れません。

 

 パウロはそのことをガラテヤ書3章10節でも、「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。『律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている』」と、申命記27章26節を引用しながら語っています。

 

 「霊は生かす」という言葉について、「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(ヨハネ6章63節)と主イエスが仰った言葉を思い起こします。

 

 人は、土で形作られ、鼻から命の息を吹き入れられて、生きる者となりました(創世記2章7節)。それを詩編104編30節でも「あなたはご自分の息を送って彼らを創造し、地の面を新たにされる」と語っています。「ご自分の息」は「あなたの霊」(岩波訳)という言葉です(口語訳、新改訳も参照)。

 

 7節以下、モーセの顔の輝きと覆いが話題となります。これは、出エジプト記34章29節以下に記されている出来事です。それによれば、モーセがシナイ山で神と語っている間に、彼の顔が神の栄光を映して光を放っていました。それでモーセは神と語るとき以外は顔に覆いをかけたというのです。

 

 そのように、旧約の律法に仕える務めでも神の栄光を表すのなら、霊に仕える務め、新約の福音に仕える務めはなおさら栄光に満ち溢れているのだと説明します(8節)。

 

 このような説明が語られている背景として、ユダヤ教の影響を受けている者がコリントにやってきたか、あるいは教会にユダヤ人キリスト者がいて、神の祝福を得るために、律法を守るべきだと主張していることが考えられます。

 

 ただ、パウロがここでモーセの顔の輝きと覆いについて説明しているのは、旧約聖書の物語のとおりではありません。彼独特の解釈が施されています。まず、顔の覆いについて、輝きが消え去るのを見られまいとして覆いをかけたと言います(13節)。

 

 そして、14節で「今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです」というのは、旧約聖書を読み、律法に仕えているとき、そこに主イエスのことが記されていることが分からなかったという、パウロ自身の経験に基づいています。そして、今もキリスト教徒に対する迫害が続いていることが、その明確な証拠だというわけです。

 

 それに対して、霊によって新しい契約に仕える者は、顔に覆いをかけません(13節)。むしろ、キリストに向き直ることよって覆いが取り去られる(16節)と言います。これも、パウロの体験です。復活の主に出会ったとき、彼の目からうろこのようなものが落ち、はっきり見えるようになりました(使徒言行録9章18節)。それによって、キリストの伝道者、使徒と変えられたのです。

 

  同様に、コリントの信徒たちは、既に神の栄光を見る者とされているのです。キリストに心を向けるとき、栄光を拝することが出来ます。パウロは、十字架を負って歩まれる主の姿に、信仰によって、神の栄光をはっきりと見出すことが出来たのです。

 

 私たちも、キリストを信じたとき、心の覆いが取り除かれました。信仰によって主イエスの御顔を仰ぐ者となりました。勿論、主は霊ですから(17節)、肉眼で捉えることはできません。しかし、私たちは信仰によって、主イエスと顔と顔を合わせて語り合っています。御言葉に耳を傾け、思い巡らし、何度も口ずさみ、そして祈りをささげるのは、まことに素晴らしい神との交わりのひとときです。

 

 夫婦は似てくると言います。また、ペットも飼い主に似ると言います。そんな言い方は不遜かもしれませんが、いつも主を仰ぎ、その御言葉を聴き、交わりに生きる者は、主と似た者に変えられます。自分で変わる努力をするのではありません。努力すれば出来るというものでもありません。

 

 冒頭の言葉(18節)に言うとおり、主を仰ぐ私たちは、顔の覆いを除かれて主の栄光を映し出し、主の霊の働きで、栄光から栄光へと主と同じ姿に造りかえられるというのです。

 

 毎日少しずつ、段々にということでもないかもしれません。霊の働きは目に見えないからです。しかし、終わりの時、それは完成されます(第一コリント書15章49節、フィリピ書3章21節)。日々主を仰ぎ、御言葉を慕い求めて参りましょう。

 

 主よ、あなたは私たちに御言葉を通し、聖霊によって、主と親しく交わる恵みをお与えくださいました。主が常に共におられ、私たちを守り導いてくださること、そして、天に召される希望に生かしていてくださることを、感謝します。絶えず主を仰ぎます。御言葉通り、霊の働きによって栄光から栄光へと主と同じ姿に造り変えてください。 アーメン

 

 

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」 コリントの信徒への手紙二4章7節

 

 新共同訳は1節以下の段落に「土の器に納めた宝」という小見出しを付けています。これは、冒頭の言葉(7節)の「このような宝を土の器に納めています」という言葉からつけられたものです。

 

 冒頭の言葉(7節)に、私たちは土の器の中に宝を納めていて、その宝には並外れて偉大な力があること、それは、その力が私たちから出たものでないことが明らかになるためだとあります。ここから学びます。

 

 先ず、「土の器」です。私たちは土の器であると読むことが出来ます。神は人を土で創られました(創世記2章6節)。人間は土で創られた神の被造物です。土から創られたものですから、やがて土に帰ります。決して永遠に生きることは出来ません。けれども、人間は、神が意味と目的を持って創り出したものです。何の目的もなく、意味もなく、偶然に出来たものではありません。

 

 しかし、器も色々です。貴いことに用いられる器もあれば、日常のことに用いられる器もあります(ローマ書9章21節、第二テモテ書2章20,21節)。高価な器もあれば、廉価な器もあるでしょう。いずれにしても、器として重要なのは、その器が使う人にとって、使い勝手がよいものかどうかということです。

 

 器が、私は価値が高い器だから、そんなことに使われるのはイヤだと言えばどうでしょうか。逆に、私は安価な器だから、人前に出るようなことはしたくありませんといえばどうでしょう。選んだ人を困らせ、恥じ入らせ、そして、二度と選ばれず、用いられなくなってしまうでしょう。器の価値は、器自身が決めるのではなく、器を用いる人が決めるのです。

 

 パウロは、上記・ローマ書9章21節で「焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか」と言い、さらに「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました」(同24節)と語っています。

 

 ここには、パウロ自身の経験がにじんでいます。パウロは、自分は母親の胎内に形作られる前から、異邦人に福音を伝える者として神に選ばれていたと語ったことがあります(ガラテヤ書1章15節以下)。主イエスの福音を異邦人に告げ知らせるように、神によって予め選ばれ、創られたのだというのです。

 

 しかし彼は、主イエスの福音を伝える者になるどころか、かえって主イエスの弟子たちを迫害し、福音宣教を妨げる者になりました。まさに、神の意に添わない、神の怒りが注がれる怒りの器になっていたのです。

 

 しかるに神は、そのような者を憐れみをかけてくださいました。「憐れみの器」とは、神の憐れみをいただいた器ということです。そうして、主イエスの福音を異邦世界に伝える使徒となったのです(同1章1節、11節以下、2章7,8節)。キリストによる、パウロという土の器の再創造と言ってよいでしょう。

 

 神がパウロを異邦人に福音を伝道する器として創られた。しかしパウロは、そのように創られた器を自らの手で壊してしまった。キリストはご自分と引き替えに、パウロをもう一度ご自分の福音を伝える者として再創造されたわけです。神は、キリストの十字架の血と聖霊の火を通して、清い霊、新しい心を創ってくださいます。

 

 確かに土の器は壊れやすい。8,9節に「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、うち倒されても滅ぼされない」とありますが、土の器は、圧力をかけると割れてしまいます。落とすと壊れてしまいます。途方に暮れて失望します。虐げられると、神は自分を見捨ててしまったのだと考えまるでしょう。うち倒されると、起き上がれません。

 

 実際、1章8節でパウロは「わたしたちは、耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」と言っています。

 

 壊れやすい器、そして壊れたら、自分でもとに戻すことが出来ない土の器が、どうして「四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず」(8節)と言い得るのでしょうか。

 

 器は、ものを入れるものです。器のうちにあるものが重要なのです。パウロは、私たちは宝を納めていると言っています。宝が器の中にあるというのです。この宝に力があるのです。それは半端な力じゃない。「並外れて偉大な力」と書かれています。口語訳では「測り知れない力」と訳しています。

 

 測ることが出来ない。けた外れな、人間の想像を超えた力があるというのです。それは、「光あれ」と言われると、光が出来る(創世記1章3節)という力。一言で無から有を生み出す力。何もないところに、材料なしで、ものを作り出すことが出来る力です。科学で証明出来ない、超自然の力です。

 

 6節に「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さいました」とあります。かつて光を創られた神が、光を失った人間のために、キリストを通してその光を再創造される。その光がキリストの顔の輝き、神の栄光を悟らせると言います。

 

 信じられなかった主イエスが、信じられるようになります。イエス・キリストを信じた時、イエス・キリストは私たちの心の中に入ってこられました。私たちの内にキリストがおられる、それは永遠の希望を与えます。「あなたがたの内におられるキリスト、(それは)栄光の希望です」(コロサイ1章28節)とあるとおりです。

 

 また、聖霊の賜物を頂きました。聖霊を通して、わたしたちの心に神の愛が注がれてきます。神の愛は、神の憐れみは測ることが出来ません。神の愛が私たちを生かします。愛は恐れを取り除きます。希望が与えられます。その希望は失望に終わることがありません。また、聖霊は私たちに力を与えます。

 

 これは理屈ではありません。本当にそのような愛が、希望が必要です。それは、自分の家庭や職場、学校、そして地の果てまで、どこでも、誰に対しても、キリストの証人となるためです。

 

 そして、この力は、キリストを死者の中から甦らせました。復活の力、再創造の力です。14節に「主イエスを復活させた神が、イエスと共に私たちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」と記されています。蘇生ではありません。神の子どもとなる霊の体に生まれ変わるのです。

 

 これらは神の力です。「並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」というのですから、神に期待し、神を信頼して祈るのです。神がその並外れて偉大な力を働かせてくださるように。私たちの考えでは測り知ることが出来ない力を働かせてくださるように。いまだかつてなかったような恵みの御業が起こされるように。

 

 そのために、先ず何よりも、御言葉を読みましょう。信仰は聞くことから、聞くことは、キリストの言葉からです。そして祈りましょう。御言葉がこの身になりますように、お言葉ですからやってみましょうと。そして、結果を主に期待しましょう。

 

 主よ、欠けだらけの土の器である私たちに霊の賜物を与え、福音宣教の業を託されました。御言葉に立ち、信仰によって前進させてください。私たちの内に光が輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟ることが出来ますように。教会の宣教の御業を通して多くの人が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになりますように。御名が崇めさせてください。 アーメン

 

 

「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」 コリントの信徒への手紙二5章1節

 

 新共同訳聖書は、4章16節から5章10節までの段落に「信仰に生きる」という小見出しをつけています。

 

 この段落の最初に、「わたしたちは落胆しません」(4章16節)と記されています。実際には、パウロを失望落胆させる出来事、数々の問題が、コリント教会内部で起きていました。パウロが派遣したテトスの問題解決のための働きが不首尾で、教会が分裂するようなことになっていれば、また、パウロの指導に従わない事態になっていれば、「落胆しません」とは言えなかったかも知れません。

 

 その意味でここに「落胆しません」と記すことが出来たのは、パウロの精神力などではありません。それは、テトスを用い、テトスを通して働かれた神の御霊、聖霊の導きの賜物です(5節参照)。その聖霊がパウロの内に働いておられるので、それで「いつも心強い」(6節)、「わたしたちは心強い」(8節)と言うのです。

 

 7節の「目に見えるものによらず」という言葉は、4章18節にも「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」とありました。見えないものに目を注ぐというのは、少々不思議な、矛盾した表現です。どのようにすれば、見えないものに目を注ぐことが出来るのでしょうか。

 

 「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続する」(4章18節)という表現から、見えるものとはこの地上のこと、見えないものとは天上のこと、あるいは死後の永遠の世界を指していると考えられます。

 

 4章16節に「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」と言われています。同18節との関連から、「外なる人」を「見えるもの」、「内なる人」を「目に見えないもの」と言っていることになります。「外なる人」が衰えるというのは、高齢で体が弱ったとか病を患ったというようなことではないのです。

 

 同17節の「わたしたちの一時の軽い艱難」という言葉は、伝道を妨げる迫害などを想像させます。「衰える」(ディアフセイレオー)は、「破壊する、滅ぼす」という意味もあり、主を信じる信仰により、キリストに従うゆえに迫害を受けて外なる人が衰える、滅ぼされるということです。

 

 ですから、「内なる人」が日々新たにされるというのは、精神はいつまでも元気とか、勇気が湧いて来るということでもありません。17節に「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」とあります。つまり、キリストを信じる信仰によって新しくされること、再創造されること、甦りの命に与る、その力をいただくことと言ってよいでしょう。

 

 ということは、「見えるもの」とは、私たちの肉体を含むこの地上の命のこと、そして「見えないもの」とは、主イエスを信じる信仰によっていただいた永遠の命を指していることになります。

 

 創世記2章6節の記述によれば、人は、土で形作られたところに神が息を吹き込まれて生きる者となりました。即ち、神の霊が私たちの命、私たちを生かすものであるということになります。生きている者は、周囲の人と関係を持ちます。だから、「人が独りでいるのはよくない」(同2章18節)という表現が出てくるわけで、神は共に生きる、互いに助け合う仲間を創造されたのです。

 

 命ある者は、呼べば答えます。反応します。亡くなると、呼んでも答えなくなります。アダムとエバが善悪の知識の木の実をとって食べたとき(創世記3章6節)、それによって心臓が止まりはしませんでした(同2章17節参照)。それはしかし、神との関係が壊れたことを意味しました。

 

 背きの罪のゆえに二人はエデンの園を追放されてしまい(同3章23節)、神と顔と顔を合わせて親しく交わることが出来なくなったのです。そのことを、聖書は「死」と表現していたのです(創世記2章17節、3章23節、ローマ書6章23節参照)。

 

 永遠の命は、神との交わりに生きるために与えられた、神と関係を回復するための、神の子となる命です。神は霊ですから(ヨハネ福音書4章24節)、目には見えません。神は目には見えませんが、イエス・キリストを信じて御子イエスの命、永遠の命をいただいたときに、神がおられるということは確かなことであると知ることが出来るようになります。

 

 パウロが冒頭の言葉(1節)で説いているのは、私たちの家のこと、建物のことではなく、自分たちの体、そして命のことです。この地上における体と命を、「地上の住みかである幕屋」と表現しています。

 

 幕屋とはテントのこと、移動式住居のことです。それは一時的な、仮の宿です。ということは、この「幕屋」という表現は、私たちの地上の命は仮のものであるということを示していることになります。同じ考えが第二ペトロ書1章13節で「わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています」と表現されています。

 

 この体、そしてこの命が仮の宿であるとすれば、本当の住まいはどれか、どこにあるのかということになります。それは、神によって備えられた建物、人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかと記されています。神が私たちの本当の体、永遠の命を、天に準備しておられるということです。

 

 パウロは、この「住みかを上に着たい」(2節)と、今度は着物のイメージで語ります。新しい着物を着せていただくために、そのことに望みをかけて、今この地上で苦しみ悶えているというのです。しかし、天における永遠の住みかに行き、新しい体を上に着るというのは、単に早く死んで天国に行きたいということではありません。

 

 それは4節で「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません」と語っている言葉で分かります。パウロにとっては、死んだら新しい命をいただくことになるというものではないのです。

 

 そうではなくて、地上の幕屋を「脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません」(3節)と言い、また、「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たい」(4節)と語っている言葉から、彼にとっての「死」は、永遠の命に飲み込まれることなのです。

 

 ということは、地上の体を脱いだ裸の魂、裸の命というようなものはありません。今の苦しみは、命に飲み込まれるためのものであって、苦しみから逃れて新しい命を受け取るというのではないのです。

 

 そのことをパウロは、主イエスの十字架を通して学びました。主イエスは、十字架の苦しみから逃れるために死に、天に昇られたのではありません。そうではなく、十字架の苦しみを通して私たちを贖い、救う道を開かれました。十字架の死に至るまで従順であられた主イエスを、神は高く挙げ、主として、御自分の右に座らせられたのです(フィリピ書2章7~10節)。

 

 私たちが、「イエスは主なり」と告白出来るのは、イエスを信じる信仰が与えられたからであり、それは聖霊の導きによることでした(第一コリント書12章3節)。パウロは、私たちに聖霊の導きが与えられているということが、天から与えられる住みかを上に着る保証であると言いました(5節)。

 

 ですから、私たちのこの地上の命が終わる日、死ぬべきものが命に飲み込まれるその日まで、イエスこそ全人類の救い主、私たちの主であるということを、周りの人々に、そして地の果てまで、しっかりと証ししていきましょう。

 

 主よ、私たちは神の国の住民となる資格を持ってはいませんでした。私たちのためにキリストが死んで、真理であり、命である道を開いてくださいました。それにより、主のもとへ行くことができるようになりました。この福音のために命がけ働いたパウロに倣い、私たちも同胞に広く語り伝えることが出来ますように。 アーメン

 

 

「なぜなら、『恵みのときに、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ救いの日。」 コリントの信徒への手紙二6章2節

 

 冒頭の言葉(2節)の二重括弧は、旧約聖書・イザヤ書49章8節からの引用です。この箇所は、イスラエルの民がバビロン捕囚から解放され、祖国に戻り、イスラエルを再興するという預言の言葉が記されているところです。

 

 引用句の直後に「わたしはあなたを形づくり、あなたを建てて民の契約とし、国を再興して荒廃した嗣業の地を継がせる」(同節)と言われており、また同11節には「わたしはすべての山に道を開き、広い道を高く通す」と記されています。

 

 ここで、「恵みのときに、わたしはあなたの願いを聞き入れた」というのは、イスラエルの願いが聞かれたのは、彼らが神に喜ばれる正しい歩みをしていたからではなく、神が彼らを憐れみ、恵みを与えようと思われたゆえだということです。「救いの日」という言葉で、捕囚からの解放とイスラエルの再興は、神の御業であることが明示されています。

 

 パウロは1節で「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」と語っていました。「無駄に」は「空っぽへ」(エイス・ケノン in vain)という言葉です。父親から生前贈与してもらった財産を、放蕩三昧に使い果たした弟息子のことを思い出す表現です。これは、神の恵みにふさわしい生活をするようにという勧めです。

 

 神からいただいた恵みを無駄にするということは、神の救いをいいことに、放縦な生活を続けて罪を重ね、その上、高慢な態度をとっているという、第一コリント書5章1,2節に記されている問題行動や、それを容認するようなことでしょうか。

 

 それとも、救いの完成のためには、キリストを信じるだけでなく、割礼を受けることや神の律法を忠実に守り行うことが必要だといって、パウロの告げ知らせたキリストの福音から他の福音に乗り換えるというようなことでしょうか(ガラテヤ書1章6,11節、2章21節参照)。

 

 パウロはこの勧めを、「(神の)協力者」(スネルグーンテス)として行います。これは、「共に(スン)」・「働く(エルゲオー)」という言葉の現在分詞です。「神」という言葉は、原文にはありません。誰と「共に働く」のかを明確にするため、前後の文脈から、「神」を付加したのでしょう(口語訳、新改訳も)。

 

 その意味で、神と対等の協力者、神のパートナーなどと言おうとしているわけではありません。5章19節にあるように、キリストを通して神と和解する恵みを受けた者が、和解のために奉仕する任務を神に授けられたということでしょう。それで、「キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい」と語っています(5章20節)。

 

 これは、未信者に語られている言葉ではありません。コリントの信徒に語られている言葉です。この文脈から、和解の恵みは、信仰を持たない者に与えられるばかりでなく、既に信仰を持っているコリント教会の人々が、絶えず与り続けなければならないものであり、そうであれば、私たちすべての者が聴くべき言葉であるということが分かります。

 

 「恵みの時、救いの日」は、人の意思や願いによって起こされるものではなく、神が御自分の意思でお与えになるものす。そして、イザヤがこの預言を語ったとき、この御言葉を信じた人々の信仰において、神の救いの御業が始まったのです。

 

 パウロはイザヤの預言を引用してすぐに、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」と語ります。「こういうことがあったといって話するだけではすまないように感じられ、大声を上げて感謝し、その感動を伝えるほかはないと思ったのであるに違いない。だから、ほとんど絶叫するように、『今や、恵みの時、今こそ、救いの日』とパウロは叫んだ」と、ある説教者が語っていました。

 

 キリストと出会って神の恵みを味わい、和解の務めに任じられたパウロは、すべての人が、絶えず神の恵みを味わい、救いの喜びに溢れていることを願い、そのために働いているのです。

 

 私たちは、神と和解させていただいたこと、救いの恵みに与ったことをどれほど喜び、感謝しているでしょうか。私たちが味わっている神の恵みは、時に何とも貧弱で、困難に出会うとどこかに消え去ってしまいます。自分は神に愛されているのだろうかと疑うことさえあります。

 

 「天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ。主はご自分の民を慰め、その貧しい人々を憐れんでくださった」(イザヤ書49章13節)とあるとおり、すべての被造物と共に、主の救いの御業をほめたたえ、感謝しましょう。今こそ、願いが聞き入れられ、神の助けを受ける恵みの時、救いの日なのです!

 

 主よ、あなたは私たちの弱さをご存じです。あらゆる困難から救ってください。苦しみを取り除いてください。あなたを信じます。御言葉を信じます。今を恵みの時、救いの日としてくださることを信じて、感謝します。恵みに相応しい生活、主に感謝し、御言葉に聴き従う歩みが出来ますように。 アーメン

 

 

「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」 コリントの信徒への手紙二7章10節

 

 6章14節から7章1節を括弧に括り、6章13節と7章2節をつなげることが出来ます。そして、7章5節以下は2章13節に接続するという内容になっています。

 

 冒頭の言葉(10節)に「神の御心に適った悲しみ」という言葉があります。悲しみというものは、あまり歓迎されるものではありません。私たちは、悲しむことより、喜ぶことを望みます。求めます。

 

 しかし、そこに悲しむべき事態が生じていれば、それに目をつぶって、いたずらに喜んでいるわけにはいきません。そのまま放置していれば、悲しむべき事態はさらに悪化し、取り返しがつかないことになってしまうでしょう。

 

 2章4節に「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」と記されていました。コリント教会にある憂えるべき事態にどう対処すべきなのかという方法を、パウロがその手紙に書いたのでしょう。「涙ながらに手紙を書きました」というところから、その手紙は「涙の書簡」と呼ばれています。

 

 「涙の書簡」とは、「第一コリント書」のことではなく、本書10章~13章を指すものであろうと推定されています。2章6節で「その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です」と言われ、7章12節に「あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく」とあるように、は教会内で行われた不義のために「涙の書簡」は書かれたのです。

 

 その不義の内容は、第二回伝道旅行と第三回伝道旅行の間でなされたパウロのコリント教会訪問(「中間訪問」と言われる)の際、指導的な一教会員が会衆の前で侮辱的な仕方でパウロの使徒としての正当性を否定し、人格を非難するという事件を指していると考えられています。それによって、パウロとコリント教会との交わりが破壊され、教会の交わり自体も大きな傷を受けました。

 

 そこでパウロは、もう一度コリントの教会を訪ねる計画を立てます。それが、12章14節、13章1節に示されています。それを「涙の書簡」と言われるこの箇所に書き記して、テトスに持たせて先にコリントに送りました(12章18節参照)。

 

 その際、パウロは多少なりとも後悔していたようです(8節以下参照)。それは、手紙がどのような結果をもたらすか、とても不安だったからです。彼は不安の中で、テトスからの報告を待ちわびていました。

 

 2章12節に「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」と記されています。

 

 つまり、小アジアで福音を宣べ伝えながら、トロアスでテトスと落ち合うことにしていたのでしょう。主がその伝道を祝福してくださって、働きが大きく拡大する可能性が示されました。「わたしのために門が開かれた」というのはそのことです。

 

 ところが、パウロはその伝道を中断して、マケドニア州に渡りました。コリントの様子を聞かないうちは不安で、テトスの帰りをおちおち待ってはおられず、マケドニアまで迎えに行ってしまったというわけです。

 

 けれども、その不安が喜びに変わりました。コリントから戻ってきたテトスの報告によって、その手紙が良い結果をもたらしたことを知ったからです。それが6節に「気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました」と記されています。パウロが慰められたというのは、涙の書簡が教会を悲しませ、悔い改めを生じさせたことです。

 

 8節で「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています」と言い、続く9節に「今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです」と記しています。

 

 手紙によって教会が悲しんだということは、「涙の書簡」を受け取るまで、悲しむべき事態を放置していたということを示しています。そして、教会が悲しんで悔い改めたということは、彼らがその事態に正しく対処したということを表しています。

 

 だから、悔い改めを生じさせるためには、彼らが悲しみの門を通らなければならなかったわけです。それが、上記の「神の御心に適った悲しみ」という言葉で表現されていることです。彼らは、その悲しみを神の前に持って来ました。問題の解決を神に求め、その導きに従ったのです。その結果、彼らは「取り消されることのない救い」に導かれたのです。

 

 このことで、ヨハネ福音書5章にある記事を思い出しました。38年もの長い間、病気のためにベトザタの池の回廊で苦しんでいた人が(同2,5節)、主イエスに出会って癒されるというところです(同6節以下、9節)。

 

 主イエスが、「良くなりたいか」と尋ねられましたが(同6節)、彼は、「はい、良くなりたいです」とは答えませんでした。そうではなくて、誰もが早くよくなろうとして先に行き、自分を助けてくれる者がいないという答えをします(同7節)。

 

 彼は、悲しんでいました。それは、病気の悲しみではなく、誰も当てにはならないということを、38年にも亘って思い知らされた悲しみです。病気がよくなったところで、自分のことを顧みようとしない世の中で生きていて何になるかという気持ちでしょう。そのままなら、悲しみの果て、絶望して死ぬしかありませんでした。パウロが「世の悲しみは死をもたらします」(10節)というとおりです。

 

 けれども、主イエスがその人に目をとめ、長い間病気であるのを知って、声をかけられました。彼は、自分に関心を寄せ、声をかけてくれた人物に、誰も当てにはならないという彼の悲しみをぶつけました。彼の一番の問題を、そのまま主イエスに差し出したのです。

 

 そしてそのとき、彼の問題は解決されていました。それは、主イエスこそ、彼が信頼を寄せるに足る神の御子キリスト、救い主だったからです。主イエスが、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)と言われると、彼はすぐに良くなって、床を担いで歩き出しました(9節)。

 

 確かに、信頼すべきお方を見出したとき、彼の病いも癒されたのです。自分の悲しみを主イエスに打ち明けたとき、その悲しみは、死をもたらすものから、取り消されることのない救いに通じる門に変えられます。

 

 「悔い改め」(メタノイア)とは、向きを変えること、方向転換という意味です。それはコリントの人々が罪から離れたこと以上の、キリストに対する信仰、そして献身を意味しています。

 

 パウロには、キリストを通して神の使命が授けられていました。それは、彼が受けた神との和解の恵みを宣べ伝えるという使命です(5章18節)。今、コリント教会の人々がパウロの言葉に熱心に従うようになったということは、もう一度神との和解の道をしっかりと歩み始めたということです。そこに、キリストに対する献身を見たパウロは、真の慰めを得、喜びを得たのです(6,7,13節)。

 

 キリストの言葉の光に照らされて、自分の真の姿を見つめ、神の御心に適った悲しみから取り消されることのない救いに通じる悔い改めに導かれ、贖いのみ業を成し遂げてくださった主イエスを絶えず仰ぎ、感謝をもってその導きに従いましょう。

 

 主よ、私たちには悲しみを持ち出す場所があります。その解決を願って祈ることが出来ます。祈りを聞かれる主が共にいてくださいます。そのとき、あらためて何が問題だったのかを悟ります。そして、正しく神の御顔を拝し、御言葉に聴くことが出来ます。絶えず祈りに導いてください。 アーメン

 

 

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。即ち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」 コリントの信徒への手紙二8章9節

 

 8,9章には、エルサレム教会への献金の勧めが記されています。8章と9章は別々の手紙だったと考える学者もいますが(岩波訳はその立場)、そう考えるのは当然だと言えるほどの確かさがあるとも思えません。第一コリント書16章1節以下で指示していた募金について、コリントの信徒たちが示した熱心さのことを、8章10節、9章2節で等しく触れています。

 

 1節で「マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう」と記した後、「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです」(2節)とパウロは語ります。

 

 パウロはここで、マケドニアの諸教会の情報を伝えようとしているのではありません。「知らせる」とは、マケドニアの諸教会が味わった神の恵みをコリントの人々にも体験して欲しい、味わって欲しいということです。恵みといえば、神が私たちにくださる恩恵のことです。しかし、ここで語られている恵みの内容とは、「人に惜しまず施す豊かさ」というものでした。

 

 マケドニア州の諸教会とは、フィリピ(使徒言行録16章11節以下、フィリピの信徒への手紙参照)、テサロニケ(使徒言行録17章1節以下、テサロニケの信徒への手紙参照)、ベレア(使徒言行録17章10節以下参照)などを指しています。

 

 マケドニア州は、鉱物資源のほか、農林業と交易によって豊かな地域でしたが、ローマの支配によってその富を独占され、マケドニア全体が貧しい状態におかれていたという報告があります。そのうえ、キリスト教徒には迫害(「苦しみによる激しい試練を受けていた」)が加えられたとなれば、「極度の貧しさ」(2節)とパウロが語っているのも、むべなるかなというところです。

 

 ところが、そのような境遇にありながら、マケドニアの信徒たちは喜びに満ち満ちて、人に惜しまず施す豊かさという恵みに与っているのです。極貧の生活をしている彼らが、自分たちの持てるものを私しようとは思わず、すべて神のため、隣人のために喜んでささげるということでしょうか。

 

 恐らくパウロは、彼らの窮状をよく知っていたので、エルサレムのための義援金を募らなかったのだと思います。ところが、義援金のことを知ったマケドニアの人々は、ぜひ自分たちにも献金させて欲しいと自ら熱心に願い出て(3,4節)、しかも、パウロを驚かせるような献金を集め、献げたのです(3,5節)。

 

 パウロは、この募金活動を「神の恵み」(1節)、「慈善の業と奉仕」(4,6,7節)などと呼んでいます。「慈善の業」は「恵み」(カリス)という言葉、「奉仕に参加させてほしい」は「(聖徒たちのための)奉仕の交わり」(ヘ・コイノーニア・テース・ディアコニアス)という言葉です。

 

 彼らの募金活動が単なる寄附ではなく、神の恵みによって神と人に仕える働きへの献身と¥考えているのです。5節の「わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心に沿ってわたしたちにも自分自身を献げたので」という言葉がそれを示しています。パウロ自身、マケドニアの人々を通じて、この働きがまさに神の恵みによって可能になることを知らさああれたのでしょう。

 

 ですから、そのような恵みというものを、コリントの人々にも味わって欲しいと願っているわけです。しかし、マケドニアの人々と同じようにしなさいということではありません。恵みの業なのです。神の恵みによって生じる献身の喜び、愛の力を味わって欲しいということです。

 

 「苦しみによる激しい試練を受けていたのに」(2節)という言葉を、岩波訳では「患難に耐えるという彼らの大いなる確証」(直訳は「患難の大いなる確証」)と訳しています。即ち、苦しみの中で彼らがなした物惜しみしない施しによって、彼らの恵みの豊かさが確証されたということでしょう。ここでは、貧しさとか寄附の額などは、問題ではないのです。

 

 幾つになっても、親の存在はありがたいものです。いつ訪ねて行っても、精一杯のもてなしで迎え、帰るときには土産を持たせ、そして、帰り着いたころを見はからって、「せっかく来てくれたのに何にもしてやれなくてごめんね」などと電話をかけてきます。自分は食べなくても、子どもには良いものを与えたいと考えてくれるのです。

 

 人が親になるときにそのような思いが出て来るように、神が遺伝子に書き込んでくださったのでしょうか。というのは、神は私たち人間を愛して、独り子をさえ惜しまず与えてくださいました。そして、冒頭の言葉(9節)のように、主イエスも、豊かであられたのに、自ら私たちのために貧しくなられたのです。

 

 それは、神の子であられるのに、神としての身分と立場に固執しようとなさらず、かえって自分を無にして、僕の身分、人間と同じ者になってくださったということです(フィリピ書2章6,7節)。その上、十字架において、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださったのです。私たちは、主イエスを信じるだけで、罪が赦され、神の子どもとされ、永遠の命が与えられるのです。

 

 そして、「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」と言われます(ローマ書8章32節)。

 

 主イエスが語られた「放蕩息子」のたとえ話(ルカ福音書15章11節以下)の中で、父親が兄息子に、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」(同31節)と語るところがありますが、まさしく与えつくす神の愛の表現です。

 

 このような愛を受けて神の子どもとされた私たちが、それに胡坐をかいているわけには行きません。恵みによって神の子どもとされたのだからといって、不肖の息子、娘でよいということにはならないのです。神の子どもであるということは、この神の愛に生きることです。

 

 私たちが受けたのは、与えるためなのです。「受けるよりは与えるほうが幸いである」(使徒言行録20章35節)という御言葉がありますが、その言葉によって主イエスは私たちに、与える祝福を授けようとしておられるのです。それは、私たちが主イエスの御心を引き継ぎ、この世に神の御業を進めていくことです。

 

 逆の見方をすれば、自分を主に明け渡し、イエスが私たちの主人、私たちが主イエスの僕となって主イエスに用いていただくということです。主の御言葉を聴き、徹底的に従う者とならせていただきましょう。

 

 主よ、御子イエスは私たちのためにすべての豊かさを捨てて貧しくなられました。私たちはその犠牲によって豊かな者とされたのです。私たちも、マケドニアの人々が体験し、それによってパウロ自身も教えられた恵みを味わうことが出来ますように。私たちは弱い者です。自分の意志と決断で、神の愛を全うすることが出来ません。主にすべてをお委ねします。御霊の導きに従います。導いてください。用いてください。 アーメン

 

 

「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」 コリントの信徒への手紙二9章10節

 

 9章も、前の章に続いてエルサレム教会への献金について勧める言葉が記されています。この献金のことを、「奉仕」(ディアコニア;1,12,13節)と記しています。8章3節に「聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕」とあり、同6,7,19節では「慈善の業」(カリス:「恵み」の意)と言われていました。

 

 それが同19節の「わたしたちが奉仕している、この慈善の業」から、同20節で「自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金」と、募金のための働きを「奉仕」と言っています。奉仕とは、他者に仕えて働くことで、信仰によって共に生きる輩のために仕える喜びから、この献金のための働きが「奉仕」と言われているわけです。

 

 マケドニアの諸教会の信徒たちに倣い、その奉仕、この働きのための献身を通して、主への信仰を表明し、その恵みと愛を証ししてほしいと、パウロは望んでいます(同24節)。そして2節に「アカイア州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたのことを誇りました」と記しています。

 

 マケドニア州の諸教会の信徒たちがエルサレムの聖徒たちのための献金について知ったときに、アカイア州の人々(即ちコリント教会の信徒たち)が既にこの働きを始めていると、パウロがマケドニア州の人々に「誇りました」というのです。

 

 この「誇る」(カウカオマイ)という言葉は、パウロがよく用いているものですが(「喜ぶ」と訳されることもあります)、特にこの手紙には、動詞の形で23回、名詞の形で6回用いられています。パウロが自慢好きであったというようなことではありません。

 

 「誇る者は主を誇れ」と言い(10章17節、第一コリント書1章31節)、自分自身のことは、「自分の弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(11章30節)と言っています。パウロはここで、コリントの人々が募金活動を始めていることを自分のことのように喜び、マケドニアの人々にその証しをしたのです。

 

 冒頭の言葉(10節)で「慈しみが結ぶ実」と訳されている言葉は、口語訳、新改訳では直訳的に「義の実(複数形)」(タ・ゲネーマタ・ディカイオシュネース)と訳されていました。ユダヤでは「義」(ディカイオシュネー)という言葉を狭く捉えるときは、「慈善、施し」の意味で用いたようです。

 

 主イエスが山上の説教(マタイ福音書5~7章)の中で、「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい」(同6章1節)と言われたとき、この「善行」という言葉が「ディカイオシュネー」でした。「善行」について、同2節で「施しをするときは」と言われていますし、同5節以下では「祈り」、同16節以下で「断食」のことが語られています。

 

 「施し」と「祈り」と「断食」が、「義」(ディカイオシュネー)の業、「善行」と考えられていた証拠です。そう考えると、本章全体でエルサレム教会の人々に対する施し、募金について考えておりますから、当然ここでも、「慈しみが結ぶ実」として具体的に「施し、募金」が考えられていることになります。

 

 6節以下では、種まきのたとえが考えられています。種をまく者は、豊かな収穫を期待してそれをします。冒頭の言葉で主なる神を「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方」と語り、そして、まいた種を増やし、結ぶ実を豊かに成長させてくださると告げます。

 

 これは、慈しみが結ぶ実を成長させてくださる主なる神を信頼して、自分の持っている種をまきなさい、つまり、エルサレムの聖徒たちのために「施し、募金」という奉仕をしなさい、そうすれば、主なる神はあなたがたをパンで養い、あなたがたの奉仕は神に祝福されて、豊かに用いられると語られているわけです。

 

 このことで、ヨハネ福音書6章の記事を思い出します。少年が自分のお昼の弁当を主イエスにささげた話です。少年のお弁当は、大麦パン五つと魚が二匹でした。食べ盛りの少年なら、それなりの量だったかもしれません。

 

 しかし、そこには男だけで五千人もの人がいました。アンデレは、「こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」(同9節)と言いました。弁当を差し出した少年も、そのくらいのことは分かっていたと思います。ですが、彼は精一杯のものを主イエスにささげたのです。

 

 それを主は感謝され、人々に配られると、そこにいたすべての人々が満腹しました。ささげた少年が自分ひとりで食べたら、他の人々は空腹で帰らなければなりませんでした。少年は、自分は空腹で帰ってもよいと考えていたことでしょう。しかし、彼も満腹で帰ることが出来たのです。ここに、神の御業、主イエスの祝福の力が表されました。

 

 「祝福」は原文のギリシア語で「エウロギア」という言葉ですが、5節に2度用いられており、最初のものは「贈り物」、二つ目は「惜しまず差し出したもの」と訳されています。続く6節では「惜しんでわずかしか」(フェイドメノース)の対句として「惜しまず豊か」訳されています。

 

 「恵み」(カリス)が相手への「慈善の業」だったように、「祝福」(エウロギア)が「惜しまず差し出した贈り物」とされ、「慈善の業」が神の恵みによって可能になったように、「惜しまず差し出した贈り物」をすることで、「慈しみが結ぶ実」を成長させてくださる神が「あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせ」てくださるでしょう。

 

 ところで、この「祝」という漢字は、神を表す「示」へん、そして、「兄」というかたちは、ひざまずいている人が口を開いていることを表しています。つまり、神への祈りということになるわけです。

 

 ですから、「施し」という「祝福」の「贈り物」が、祈りとして神の御前にささげられ、それを神が「豊か」なものとして相手の心に届けてくださるということになります。そしてそれは、神の畑に「慈しみ」の種をまく振る舞いで、ささげた者自身も天において「豊か」に祝福されるというわけです。

 

 私たちも恵みの主に信頼して、委ねられている主の業に日々励んでまいりましょう(第一コリント書15章58節)。

 

 主よ、物惜しみして心貧しくなるものではなく、主にあって、惜しみなくささげて祝福される者とならせてください。自分のお弁当をささげた少年のごとく、レプトン銅貨2枚をささげた貧しいやもめのごとく、喜んで精一杯ささげ、主にあって富む者とならせていただくことが出来ますように。 アーメン

 

 

「誇る者は主を誇れ。」 コリントの信徒への手紙二10章17節

 

 10章に入って、パウロの論調がまったく変わります。それまでは、親が子に諭すような優しさがあり、また感謝や喜びの表現がありましたが、ここからは、けんか腰のような表現になっています。自身の使徒としての権威を主張し、「違った福音」を携えてコリント教会に侵入して来た偽使徒を強い言葉で非難しています。

 

 10~13章はもともと別の手紙で、「涙の書簡」(2章4節参照)と呼ばれる手紙の一部ではないかという解釈が広く受け入れられているようです。そう考えたほうが分かりやすいかも知れません。もっともその内容は、涙ながらにというより、憤って筆を執ったように見えます。

 

 いずれにしても、パウロに対して、「面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る」(1節)という非難や、「手紙は重々しく力強いが、実際にあってみると弱々しい人で、話もつまらない」(10節)という非難もありました。

 

 教会の創設者である使徒パウロを非難するということは、愛と信頼の関係が壊されるということです。少なくとも、パウロに対する感謝や尊敬の念を持たない、教会の外からやって来た人の所業です。これは教会の交わりを損ない、傷つけることですから、そういう非難に対して、ここでパウロは真っ向から反論を展開しているわけです。

 

 そしてその結論が、冒頭の言葉(17節)です。この言葉は、第一コリント書1章31節にも記されていました。かぎ括弧がつけられているのは、旧約聖書からの引用であることを示していて、これは「むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい。目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主」というエレミヤ書9章23節の言葉から引用されたものです。

 

 同22節には「主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな」と記されています。パウロはその言葉を引用してはいませんが、当然、結論の前提となっています。

 

 「誇る」(カウカオマイ)という言葉が新約聖書に37回用いられているうち、ヤコブ書に2度出る以外は、残りすべてパウロ書簡、そのうち20回、第二コリント書で用いています。「誇り」(カウケーシス)は11回中10回がパウロ、そして第二コリントに6回出ます。また「誇り」(カウケーマ)も11回中10回がパウロ、第二コリントに3回用いられます。

 

 この用語法から、パウロは、誇ること自体を悪いことなどとは考えていないようです。問題は、誇りの内容です。何を誇るのかということです。本書中に用例が多いのは、まさにそのことが問われているということでしょう。

 

 私たちの誇りは自慢であり、そして自惚れ、奢りにつながります。けれども、私たちの誇りなどは高が知れています。自分よりも優れた業績をあげた人、優れた才能のある人が現れると、自慢が卑下に変わります。優越感が劣等感になります。

 

 パウロを非難している者は、パウロより雄弁かもしれません。教養があるかもしれません。有力者かもしれません。経済的に豊かな生活をしているかもしれません。当時、手に職を持っているというのは、学問をしていない証拠と考えられたのだそうです。

 

 教会からの報酬を受け取らないことも、使徒として相応しくない態度と見なされたようです(11章7~9節、第一コリント書9章3節以下参照)。弁が立たないと、教養がないためだとされたようです(11章6節)。そうしたことが、パウロは教会指導者としてふさわしくないという非難になっていたのでしょう。

 

 けれども、彼らがパウロよりも雄弁であること、教養があること、政治的な力があること、経済力があることなどを誇り得たとしても、そして、それによってパウロを非難したとしても、それは神の御前にまったく意味を持ちません。エレミヤの預言にあるとおり、神は明確に、それらを誇るなと仰っているからです。

 

 どういう事業を起こし、どれほどの成功を収め、財を成すことが出来たとしても、それらは一つとして天に携えることが出来ません。神の御前において、その裁きに耐え得るものは唯一つ、それは主イエスを知っているということ、主イエスから知られているということです(ホセア書6章6節、ヨハネ10章14節など)。

 

 主イエスは私たちの弱さをよくご存じです。愚かさをご存じです。神様から「適格者として受け入れられる」(18節)資格のある人間はいません。神は、知恵ある者や力ある者を選ばれるのではなく、むしろ、無学な者や無力な者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれます(第一コリント書1章27,28節)。

 

 無に等しい存在を通して、神の知恵や力、恵みの計画が明らかにされるためなのです。だから、主に選ばれた人は、自分ではなく自分を選ばれた主を誇り、ひたすら主の命じられた業を行って主に栄光を帰すのです。

 

 パウロはかつて、キリストの迫害者でした。彼が選ばれてキリストの伝道者、使徒とされたのは、神の憐れみです。そのように主イエスから使徒として任じられたパウロによって、コリントの教会が設立されたのです。ゆえに、自分を召し、自分を用いてくださる主を誇るのです。

 

 資格のない者を選び、恵みによって用いていただけることにただただ感謝しながら、自分のなすべきことを一所懸命果たして行きましょう。

 

 主よ、あなたの恵みによって救われ、生かされていることを感謝致します。御言葉と御霊の導きに従い、喜びと感謝をもってあなたに信頼し、信仰の道筋をまっすぐに歩みます。あなたの召しに忠実な僕とならせてください。精一杯の献身をもって、主の恵みに応えることが出来ますように。 アーメン

 

 

「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」 コリントの信徒への手紙二11章29節

 

 パウロは、10章17節で「誇る者は主を誇れ」と記していましたが、1節で「わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたら良いが」と言い、16節でも「誰もわたしを愚か者と思わないでほしい」と語り、21節に「愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう」と記して、自分の誇りを数え上げます。こうした言い方で、自分を誇るのは愚か者だと示しているわけです。

 

 そして、「ヘブライ人」、「イスラエル人」、「アブラハムの子孫」が誇りになるということは(22節)、パウロを排除しようとして侵入して来た偽使徒たちが、同様にディアスポラのユダヤ人、アブラハムの血を継ぐ神の選びの民に属していること、そして、それならばパウロ自身も同様だということを示しています。

 

 その上で、自分が「キリストに仕える者」(23節)であることを挙げます。このときに、彼の相手は自分の優れた知恵や経験、業績などを持ち出したのでしょうが、パウロはそれをしません。もし言い出せば、パウロには、誰にも引けをとらない、むしろ人々を圧倒する業績があったでしょう。

 

 3度の伝道旅行を通じて、彼が回った村や町、そして国の数はどれほどに上ることでしょう。そして、どれほどの人々がキリストの福音に触れ、救いに導かれたことでしょう。教会が幾つ建て上げられたことでしょう。何人が献身して、直接伝道に従事する者となったことでしょうか。

 

 そういったことを何一つ取り上げません。10章13節で「わたしたちは限度を超えては誇らず」と語っておりましたが、パウロはストイックなまでに、そのような成果はすべて神の御霊の働きであって、自分の業績として数え上げられるものなどではないと考えているのです。

 

 パウロが「キリストに仕える者」としてあげた誇りは、業績ではなく、「苦労したこと」(23節)でした。考えてみれば、なんでも自慢の種になるものだなあと思います。確かに、私たちにも、貧乏自慢をしてみたり、ワル自慢をしてみたくなる場面がないわけではありません。しかし、パウロがしているのは、自分を誇って見せることとは無縁です。

 

 24節に「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度」とありますが、申命記25章3節に「四十回までは打ってもよいが、それ以上はいけない」という規定があり、間違って41回打てば、鞭打った者が罰せられたので、数え間違いがないように、39回になったのだそうです。

 

 それから25節に「鞭で打たれたことが3度」とあるのは、ローマの官憲による鞭打ちを指しています。使徒言行録によれば、ローマ市民権を持つ者がそのような仕打ちを受けることはなかったようです(16章37節、22章25節)。けれども現実には、ローマ市民権を持っているということで、迫害を免責されるものではなかったということです。

 

 同胞からも、そしてローマ帝国によっても厳しい迫害に晒されながら、その他にも、旅行に伴う様々な危難、苦労と戦いながら、なおもパウロは「キリストに仕える者」として前進するのです。

 

 この苦難のリストを見ると、パウロが使徒として歩んだ道は、決して平坦な生易しいものでなかったこと、まさに苦難の連続であったことが分かります。これらは、彼がキリストに仕える者であったからこその苦難であり、それによって侵入者をはるかに凌駕する者であることを明らかにします。

 

 また、何度も死ぬような目に遭いながら、それにも拘らず、キリストに従い続けてきたパウロの使徒としての心意気が示されます。しかし、それを誇りとするというなら、それもまた愚かなことなのです。ですから、「気が変になったように言いますが」(23節)と付言しているわけです。

 

 自分の業績や経験などを誇るとき、自分は一人で立っています。けれども、本当に一人で立つことの出来る人が一人でもいるでしょうか。多くの人に支えられ、そのお蔭で立たせていただいているのではありませんか。そして何より、神によって生かされているのではありませんか。

 

 パウロの苦労は、冒頭の言葉(29節)に示されるとおり、彼が使徒として召された使命、つまり、弱っている者、つまずいている者に共感すること、彼らと弱さ、悩みを共にし、彼らをつまずかせるものと心燃やして戦うことでした。そして、この苦労はキリストの苦難につながっていて、その苦労を通してキリストの栄光に与ることが出来ると確信していたからです。

 

 そこでパウロは「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(30節)と言います。なかなか「弱さ」を誇る人はいません。弱さを認めることは恥とさえ考えています。

 

 弱さは、誰かの助けや守りを必要とすることです。パウロが経験や業績を誇ることを愚かと考え、恥ずかしいことと考えているのは、「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者」(フィリピ3章5,6節)だったパウロには、それがキリストに敵対するものであることが分からなかったからです(同18節参照)。

 

 それにも拘わらず、キリストを信じる信仰に導かれ、キリストの福音を異邦人に告げ知らせる使徒、伝道者として召されたのは、主なる神の深い憐れみ、慈しみによるものであり、神の助け、御霊の導きなしに今日はなかったことを知っているからです(ローマ5章6節以下)。

 

 第一コリント書15章10節でも、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」と言います。教会の迫害者であったパウロを使徒とした神の恵みを、そう語るのです。

 

 パウロにとって「弱さにかかわる事柄を誇る」とは、主イエスの助けがなければ、何も出来なかった、神の恵みがあればこそ、今日の自分になることが出来たと認め、その恵みに応えて生きることなのです。こうしてパウロは、「誇る者は主を誇れ」との御言葉に立ち帰るのです。

 

 私たちを救いに導き入れてくださった主の恵みを覚え、心新たに主の御心を弁え、使命に生きる者としていただきましょう。

 

 主よ、パウロの言葉の前に、自分を恥じます。何と私たちは、自分の持ち物や暮らし向きのことで自慢し、あるいは意気消沈していることでしょうか。一方、多くの方々に迷惑をかけながら、なお愛され、支えられていることを教えられます。主イエスの謙遜と柔和を学ばせてください。主に仕える者とならせてください。もう一度、主の十字架を仰ぎます。御言葉をもって導いてください。 アーメン

 

 

「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」 コリントの信徒への手紙二12章9節

 

 1節に「わたしは誇らずにはいられません」とあります。ここに「デイ」(must)という言葉が用いられています。そういう言葉遣いをするということは、パウロは、誇りというものを大変重要なものと考えていたことを表していると思います。誇るという言葉が、この手紙の中に繰り返し登場しているのも、その表れです。

 

 パウロが、誇らずにはいられないといって口にしたのは、第三の天、即ち楽園(パラダイス)にまで引き上げられた男を知っているということでした(2節)。これは、自分自身の体験を、他人が経験したことであるかのように語ったものです。

 

 パウロは、「第三の天」(トゥリトス・ウラノス)、4節では「楽園」(パラダイス)と言われていますが、天の最も高いところに「引き上げられて」(ハルパゾー:catch up,take by force)、そこで「人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にし」(4節)ました。

 

 それは、そこで聞いたことを語るのを神に禁じられたということではないかと思われますが、そのように神の言葉を聞いたというのです。パウロがいつ天に登り、神の言葉を聞くという体験をしたのかということについて、パウロの第一回伝道旅行の途上、リストラという町で伝道していたときのことではないかという説があります。使徒言行録14章にその記事があります。

 

 足の不自由な男がいて、パウロによって足が癒されて立ち上がるという奇跡が起こり、それを見た町の人々がパウロとバルナバを、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」(同11節)といっていけにえを献げ、礼拝しようとします。それを、「わたしたちも、あなたがたと同じ人間に過ぎません」(同15節)といって、なんとか押し留めました。

 

 その騒動の最中、ユダヤ人たちがやってきて、パウロに石を投げつけました(同19節)。石を投げつけるのは、神を冒涜したという刑罰です。パウロたちが自分たちを神と宣伝して礼拝させていると誤解したのでしょう。大きな石を投げつけられて、それでパウロは死んだようになりました。

 

 人々は、パウロが死んだものと思って町の外へ引きずり出しました(同19節)。ところが、弟子たちに取り囲まれているとき、息を吹き返し、また町の中へと入って行きました(同20節)。それは、伝道を継続したということでしょう。

 

 石に打たれて死んだようになり、天国の門まで行ったところ、「せっかく来たのだから」と天国の中を案内され、第三の天まで見せて頂いた後で、「お前はもう一度、地上に戻って、福音を伝えなければならない。頑張りなさい」と励まされ、力づけられたのではないでしょうか。それで、息を吹き返した途端、リストラの町に入って伝道を始めたというようなことではないかと想像されているわけです。

 

 それは「14年前」の経験だと、2節に記されています。他の手紙や使徒言行録で、パウロがこのような経験をしたということは、全く触れられていません。ですから、パウロは自分の経験をここで初めて(最初で最後)紹介したわけです。

 

 14年間、だれにも語らずにいた体験談をここで持ち出したのは、自分にもこんな経験があると自慢したり、自分は特別な存在だと誇ろうということではありません。これが自分の経験したことだと言わないのも、彼が自分の体験を自慢しようなどと考えていない証拠です。

 

 むしろ、霊的な体験を誇示している人々に、「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません」(5節)といって、そういう人々と自分を区別するのです。体験の誇示は自分が「適格者」(10章18節)であると言おうとすることですが、重要なのは、「自己推薦する者ではなく、主から推薦される人」(同18節)となることだからです。

 

 7節でパウロは、「思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました」と言い、続けて「それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、左端から送られた使いです」と語っています。

 

 「思い上がることのないように」、「思い上がらないように」、いずれも「ヒナ・メー・フペライローマイ」(lest I should be exalted)という同じ言葉が使われています。それによって、「思い上がってはならない」ということを強調しているわけです。

 

 「フペライロー」という言葉は、「高く持ち上げる、上に運ぶ」という意味です。分を超えて、より権威づけよう、偉大さを誇示しようとして、自分を高く持ち上げるという表現です。風船にガスを入れて膨らませると、高く上って行きます。でも、風船に入るガスの量には限度があります。入れ過ぎると爆発してしまいます。

 

 神のようになろうとしたアダムとエバがエデンの園を追放されたように(創世記3章)、また、あなたの声は神の声だと言われていい気になり、虫にかまれて死んだ領主ヘロデのように(使徒言行録12章20節以下)。

 

 そうならないように「わたしの身に一つのとげが与えられた」(7節)、つまり、自分に弱みが与えられたとパウロは言います。「とげ」というから、小さなささくれが刺さったり針の先で引っかくようなことを考えるかも知れませんが、続いて語られている「わたしを痛めつけるために」というのは、「こぶしで殴る」(コラフィゾウ)という言葉です。

 

 主イエスが十字架につけられる前、唾を吐きかけられ、目隠しされてこぶしで殴りつけられたことがありますが(マルコ福音書14章65節など)、この「こぶしで殴りつけ」という言葉が「わたしを痛めつける」という言葉なのです。「とげ」よりも「杭」(stake)というような、肉体的、精神的に大変大きな苦痛を与えるものと考えた方がよいのかも知れません。

 

 そのことについて、これはパウロの身に何度となく襲いかかった迫害のことだと考える人がいます。また、彼の病気や障害のことと考える人もいます。有力なのは、眼病だったのではないかという説があります(ガラテヤ書4章14,15節など)。また、主の光に打たれて地に倒れたという表現から(使徒言行録9章)、てんかんという障害を考える人もいます。

 

 いずれにしても、パウロにとってこの「とげ」は、宣教の妨げになるものだったので、パウロは3度、取り除いてくださるようにと主に願いました(8節)。ちょうど、主イエスがゲッセマネの園で、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」(マタイ福音書26章39節など)と三度願ったというのと同じ状況です。

 

 3回という回数以上に、心を込めて繰り返し繰り返し、何度も主に願い求めたということでしょう。「主に願う」というのは、「傍に呼ぶ」(パラカレオー)という言葉なので、主の衣をつかんで、その脚に縋りついて懇願するといった表現でしょう。

 

 繰り返し主に願って、ようやく与えられた答えが、冒頭の言葉(9節)です。この言葉をリビングバイブルという聖書では、「いや治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ最もよく表されるものだから」と訳しています。

 

 もう十分に与えている、これ以上は出来ないと、門前払いというか、主から突っぱねられた言葉のように見えます。けれどもパウロは、そうだ、わたしには神の恵みが十分与えられていると信じ、受け止めることが出来たのです。

 

 それはなぜでしょう。これは、理屈では分かりません。ここは、とても大切なところです。神が神であられるということが、どういうことなのかということを、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」と言われた言葉の中に、パウロははっきりとつかむことが出来たのです。

 

 だから、「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と語ることが出来たわけです。私たちと神様との間に愛と信頼の関係がなければ、パウロのように語ることは出来ません。そうでなければ、ただギブ・アンド・テイク、打算の関係、ご利益があるから拝む、言うことを聞いてくれたら信じるという、所謂ご利益宗教になってしまいます。

 

 1章8,9節に「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」とありました。

 

 そして、「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」(同10節)と語っています。

 

 自分の病気や障害、それらの苦しみ、それは確かに、何かをしようとするときの妨げとなるかも知れません。それでも働かなければならない、頑張らなければならないとすれば、それは苦痛かも知れません。

 

 けれども、そこで神ご自身が働いてくださるというなら、主が御業を行ってくださるというのであれば、主ご自身がなさりたいことを、自分の弱さを通してなされるということならば、喜んで主にお委ねしますから、御心のままになさってくださいという思いになって、パウロは「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(9節)と語ることが出来たのではないでしょうか。

 

 確かに、神様の恵みは私たちに対して十分なのです。信仰の目を開いて、神様のなさることを見ることが出来るならば、それ以上望むことがあるかと思うほどに、十分なものを与えられているということを知る、それが、今日私たちが学ぶべき信仰の世界なのです。

 

 主の前に、主を傍らにお呼びする祈りをしましょう。失望しないで願い続けましょう。そして、主の御声を聴きましょう。御言葉に耳を傾けましょう。御言葉に従って歩ませていただきましょう。

 

 主よ、どうか私たちの心の目を開いてください。常に共におられる主を見出すことが出来ますように。そして、主の恵みが完全に覆っていること、弱さの中に力強く働いていることを知ることが出来ますように。そして、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰に歩ませてください。主の御名があがめられますように。 アーメン

 

 

「わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。」 コリントの信徒への手紙二13章8節

 

 冒頭の言葉(8節)の「真理」とは「アレセイア(「真理、真実」の意)」という言葉です。ここで「真理」と言われているのは、神が御言葉の中に啓示されていること、即ち、神の御旨を指します。主イエスは、ご自分のことを「わたしは真理である」と言われました。その言葉と働きを通して神の御旨を表しておられるからです。

 

 そしてパウロは、「真理」という言葉を、彼が宣べ伝えている福音を表すために用いています。その福音の内容は、十字架につけられたキリストに示される神の愛と義、私たちの救いです。

 

 教会では、教会においでになる方に、①聖書を読むこと、②祈ること、③教会の集会に出席することをお勧めしています。それは、真理を悟り、真理に従うためです。というのは、真理こそ、私たちの人生に最も必要なものだからであり、真理によって私たちは生かされているからです。

 

 聖書は、イエス・キリストについて記しています(ヨハネ福音書5章39節)。主イエスは、宣教の初めに「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ福音書1章15節)と言われました。神の国は天国と言ってもよいのですが、「神の国が近づいた」と言われています。これは、私たちが死ぬ時が近づいたということではありません。

 

 神の国とは、神様が支配しておられ、神様の恵みに与ることが出来るところです。そのために、悔い改めなさいと言われます。悔い改めとは、方向を変えること、神様の方を向くことです。神を無視していた生活を改め、神の方に向き直れば、神様の恵みの支配が近づいていることが分かる、神の国に入ることが出来ると言われているのです。

 

 旧約聖書にこのような記事があります。長年奴隷として仕えたエジプトを出て、神が約束された国に向かっていく途中、紅海を渡ります。追っ手のエジプト軍はそこで全滅しました(出エジプト記14章)。喜び躍ったイスラエルの民でしたが(同15章1節以下)、三日後には荒れ野で飲み水に困りました(同15章22節)。

 

 ようやく泉を見つけましたが、その水は苦くて飲めません(同23節)。そこで、民は不平を言い始めます(同24節)。その時、神は一本の木を示され、それを泉の中に投げ込ませます。すると、苦くて飲めない水が、甘い水に変えられました(同25節)。

 

 この物語は、私たちの日常生活を表わしているようです。どんなに嬉しいことがあっても、感動的な出来事に出会っても、その喜びが三日と続きません。少しのことで全く気分が損なわれ、滅入ってしまいます。何もかもがイヤになり、どうすればよいのか、落ち着いて考えることも出来ません。

 

 その時に神は、一本の木を示されます。これは、イエス・キリストの十字架を象徴しているようです。問題しか見えない現実の中で、イエス・キリストに目を向ける、十字架に心を向けると、それが恵みに、祝福に変えられる、力が与えられるということです。「辛」いときに「十」字架を仰ぐと「幸」いになるのです。

 

 主イエスに心を向け、毎日、神が語られた言葉、聖書を読む。新約聖書と旧約聖書を1章ずつ、読みましょう。そうすると、苦い水が甘い水に変えられる世界、すべてがプラスに変えられるという恵みの世界が開かれるのです。

 

 主イエスは弟子たちに、どのように説教すればよいのか、きちんと教えたなどという記事は見当たりませんでしたが、祈りについては、しばしば教えておられます。主イエスご自身が、夜を徹して、あるいは夜明け前に起きて、また、一人寂しいところに退いて、祈られるお方でした。

 

 ルカによる福音書22章39節に「いつものようにオリーブ山に行かれると」、同40節に「いつもの場所に来ると」と記されています。これは、ゲッセマネの園での祈りを記しているところですが、そこで祈られることは特別なことではなかったのです。

 

 「いつものように」、「いつもの場所で」というのですから、主イエスは祈る時間、祈る場所を決めておられた、そうすることが常だったというのです。このように、毎日の生活を通して、祈る生活を弟子たちにお見せになりました。

 

 主イエスは、「こう祈りなさい」(マタイ福音書6章9節)と、「主の祈り」(同9~13節)を教えてくださいました。主イエスが教えてくださった祈りなので、「主の祈り」と言われるのですが、それはまた、主イエスご自身がいつも祈っておられた祈りでもあるのです。

 

 祈りは、神に心を向けること、神様と会話し、交わることです。手を組み、頭を垂れ、目を閉じて祈らなければならないと、決まっているわけではありません。そうするのは、心を神に向け、祈りに集中しやすくするためです。

 

 学生時代に、祈りは霊的な呼吸であると学びました。汚れた空気を吐き出し、きれいな空気を吸い込むように、祈りを通して、神に相応しくない思いや態度を告白し、悔い改めます。そうすれば、神が愛、喜び、平安、清い思いで私たちの心を満たしてくださいます。

 

 パウロは私たちに、「絶えず祈れ」(第一テサロニケ書5章17節)と教えていますが、祈りが心の呼吸であると考えれば、なるほど納得ではないでしょうか。絶えず心を主に向け、神様に導きを願い、神様の語りかけを待ちましょう。そして、神様の御心が分かったら、信仰をもってお従いしましょう。

 

 キリストは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ福音書18章20節)と言われました。私たちにとって「教会」とは、建物ではなく、主イエス・キリストを信じた者たちの集まりを言います。

 

 信者一人一人はキリストの体の一部分であると教えられます(第一コリント書12章27節)。体の各器官はそれぞれ形や働きなどが違うように、教会に集まる人々も様々、各自の才能や能力、賜物などは勿論、働き、生き方、好みも様々ですが、キリストを信じる信仰によって一体とされているのです。

 

 様々な違いが仲違いの原因になりますが、お互いを理解し、助け合い補い合うことで、大きな力にもなります。「1+1」が「2以下」になることもあれば「5」にも「10」にもなり得るのです。信仰の交わりを通して、愛や謙遜を学び、思いやりを学びます。私たちの信ずる神は、愛だからです(第一ヨハネ書4章7節、マタイ福音書11章29節参照)。

 

 教会の建物には十字架があります。それは、私たちのために死なれたイエス・キリストが架けられたものです。そこに神の愛が示されました。

 

 十字架の縦の棒が、神様と私たちをつなぐ橋、横の棒が人と人との間をつなぐ橋を表わします。私と神様との間、私と周りにいる人々との間にキリストがおられ、愛と赦しの架け橋となられました。私が神の民として、神と人とを愛する生活が出来るようにするため、愛の関係、真実な交わりが開かれるためです。

 

 日毎に聖書を通して神の御声を聴き、感謝を込めて神に祈りをささげ、頂いた恵みを共に分かち合う教会の交わりを大切にして参りましょう。 

 

 天のお父様、私たちを真理から離れさせる力が働いています。すぐに聖書が読めなくなります。生活の中で祈らなくなります。教会の敷居が高くなってしまうことがあります。どうか私たちを守り導いてください。真理は私たちをあらゆる束縛から自由にするからです。そのため、絶えず聖霊に満たされ、賛美の心で互いに語り合い、主に向かって心から唇の実を献げさせてください。    アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設