民数記

 

 

 「イスラエルの人々がエジプトの国を出た翌年の第二の月の一日、シナイの荒れ野にいたとき、主は臨在の幕屋でモーセに仰せになった。」 民数記1章1節

 

 今日から、民数記を読み始めます。民数記は、モーセが書いたと言われている5つの巻物の4番目のものです。「民数記」という書名は、イスラエルの民の数を数えるという記事が2度(1章、26章)出てくるところから、つけられています。

 

 ヘブライ語原典では「ベ・ミドゥバル」と呼ばれます。これは、「ベ」が in 「~の中で、~において」、「ミドゥバル」は「wilderness 荒れ野」です。「荒れ野の中で、荒れ野において」というのが民数記の原題で、冒頭の言葉(1節)の「荒れ野にいたとき」が、本書の巻頭にあって、それがそのまま、書名になったのです。

 

 荒れ野は当然、ものが満ちあふれ、生きていくのに困らないというようなところではありません。水がない、食べ物がない。死と隣り合わせといっても過言でない、瞬間瞬間生存が脅かされるという場所です。民数記は、イスラエルの民がその「荒れ野にいたとき」、そこで40年におよぶ生活をした際の出来事を記しているのです。

 

 何故主なる神は、イスラエルの民を荒れ野に導かれたのでしょうか。これがこの書のテーマです。ここから、いくつかのことを学ぶことが出来ると思います。

 

 まず第一に、ほかに頼るものが何もないところで、主に頼るということを学びました。イスラエルの民の宿営の中心に、神の臨在の幕屋が置かれ、モーセがそこで神の言葉を聴きます。イスラエルの民にとって、主なる神が共におられる、そば近くにいてくださるということです。

 

 呼べば答える、会おうと望めば、お会いくださる。そんな近くに神がおられるということです。何はなくても、すべてのものを創り、支えておられる主、エジプトの奴隷の苦しみから解放してくださったお方が、いつもご一緒してくださいます。必要なものは何でもお与えくださるお方が、常にそば近くにいてくださるのです。

 

 パウロは、神が味方となってくだされば、誰も私たちに敵対することなど出来ず(ローマ8章31節)、私たちを強くしてくださるので、何者に対しても輝かしい勝利を治めることが出来ると語っています(同37節)。

 

 第二に、主がイスラエルの民を荒れ野に導かれたのは、彼らを神の民として訓練するためです。神は愛する子を鞭打ち、訓練されます(ヘブライ書12章5節以下)。栄冠を得たければ、だれよりも厳しい訓練を受ける必要があるでしょう(第一コリント書9章24節以下など)。

 

 主イエスも、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられ、聖霊の力を頂いて公生涯にお入りになるとき、聖霊に荒れ野に導かれて、40日の間何も食べずに悪魔の試練を受けられました(マタイ福音書4章1節以下)。それは、何よりも神の御言葉を信頼する試練でした。そして、主はこの訓練において、悪魔に勝利されたのです。

 

 第三に、神の恵みを学び、味わうことです。主なる神は、兵役に就くことの出来る20歳以上のすべての男性の数を、氏族ごと、家系に従って登録するよう命じられました(2,3節)。その命令に従って兵士の数を数えると、総計はおよそ60万人でした(46節)。

 

 かなりの年数が経ってから、主なる神は、もう一度兵士の数を数えさせられました(26章2節)。それは、最初に数えられた兵士たちのほとんどが、荒れ野で死んでしまったからです。2回とも、その数に入れられたのは、わずか2名だったのです(同64,65節)。すっかり世代が交代してしまいました。

 

 しかし、2度目に数えた兵士の数は、最初に記されている兵士の数とほぼ同数です。40年の荒れ野の放浪生活でも、イスラエルは数を減らすことがなかったのです。

 

 民は、荒れ野の生活で主なる神や指導者モーセに対して、決して忠実、従順ではありませんでした。いつも不平ばかり、不満ばかりを語っていました。けれども、主はその都度、忍耐と寛容をもって彼らの願いに答えられました。嘆き、呻きに主が答えられ、祈りが聞かれるという経験、これは、主の恵み、憐れみです。民は荒れ野で主の恵みを学び、味わったのです。

 

 私たちも、荒れ野を通るとき、真剣に祈ります。そして、荒れ野で本当に頼りになるものは何か、ということを知り、学びます。真の神を畏れ、真の神に頼り、万事を益としてくださる神の恵みを味わいましょう。

 

 主よ、突然、人生の荒れ野に迷い込んでしまうことがあります。どうして良いか分からず、途方に暮れるようなこともあります。祈りが祈りにならないようなときもあります。その呻き、嘆きに応えてください。平安と慰めをお与えください。その荒れ野で主と出会い、その恵みを知ることが出来ますように。そのために、信仰の目が開かれますように。 アーメン

 

 

「臨在の幕屋は、レビ人の宿営に囲まれて全宿営の中央を行進する。宿営しているときと同じように、それぞれの宿営は、その旗印の下に行進する。」 民数記2章17節

 

 2章には「全軍の配置」という小見出しがつけられていますが、これは、シナイ半島を旅するイスラエル12部族が宿営するときの配置を記したものです。ただ、幕屋の四方に立てられた4本の旗印の下に3部族ずつ宿営するよう定められており、兵役に就くことの出来る男子の数で部隊として配列されているので、全軍の配置という見出しになったのでしょう。

 

 12部族が3部族ずつ四つに組み分けされ、臨在の幕屋の四方を取り囲むかたちで配置されます。単なる宿営というよりも、60万もの大軍に守られて、イスラエルの民以外のものが臨在の幕屋に近づくことを許さず、宿営の中央に臨在の幕屋があり、幕屋の周囲に宗教者集団のレビ人がいて、宗教行事が営まれるというかたちです。

 

 東の筆頭には、4男のユダが起用されました。そして、共に宿営するイサカルとゼブルンは、同じ母レアから生まれた5男、6男です。続く南の位置に、長男ルベン、次男シメオン、そして、レアの仕え女ジルパの子ガドが3男レビに代わって置かれます。

 

 その後、西の位置にラケルの子ヨセフの二人の子らエフライムとマナセ、そしてラケルがベツレヘムで生んだベニヤミン、最後に、北の位置に仕え女ジルパの産んだアシェルと、ラケルの仕え女ビルハの産んだダンとナフタリが置かれています。つまり、宿営するときには、レアの子らが東と南、ラケルの子らが西、そして仕え女の子らが北に置かれ、移動するときは、東西南北の順に行進するのです。

 

 1~3男と4~6男の位置が逆転しているのは、創世記49章で、父ヤコブ(=イスラエル)が、長男ルベン以下3男レビまで、呪いといってもよい言葉で祈りをささげており、一方、ユダに対しては最大限の祝福を与えていることが、ここに反映しているといったかたちです。

 

 ただし、レビ族は他の部族から区別されて、兵役に就く者がカウントされず、その配置には組み込まれませんでした。レビ人には、臨在の幕屋で主なる神に仕える務めが与えられており、それが、兵役に就くよりも大切な務めと考えられているのです。

 

 冒頭の言葉(17節)にあるとおり、臨在の幕屋は宿営の中心に置かれて、周囲をアロンとレビの子らが取り囲み、他の部族の者が不注意に幕屋に近づいてそれを汚し、それで主に打たれるという事態にならないようにしています。移動するときは、幕屋のすべてのものがレビ人の肩に担われて、全部隊の中央を進みます。

 

 主の臨在の幕屋が宿営の中心に置かれ、移動のときには部隊の中央を進むというのは、主の幕屋が共にあり、そこに主の臨在が表わされているということです。そしてそれが、荒れ野を旅するイスラエルにとって、最も重要なことであるということを示しています。

 

 出エジプトのイスラエルの民は、兵役に就くことのできる男だけで60万余り(1章46節)、女子どもに年寄りを含めると、200~250万というような人口だったでしょう。シナイの荒れ野で、それほどの数の人々が生きられるような場所はありません。

 

 そもそも荒れ野では、生きていくために必要な水や食糧を確保することが出来ません。彼らがシナイ半島で40年もの間、旅を続けることが出来たのは、彼らと共にいて、彼らを助け、導かれた主の恵みです。それ以外に考えられません。

 

 このことは、私たちの人生において、この地上の旅路を歩むのに、主が私たちと共におられること、主との交わりが与えられていることが、最も重要なことだということを示しています。かつてモーセの時代には、神の幕屋でその臨在を知り、感じることが出来ました。今日、神が御自身の臨在を表す幕屋は、どこにあるのでしょうか。

 

 そのことで、ヨハネ福音書1章14節に「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」とあります。「言」とは主イエスのことです。「宿る」は「テントを張る」(スケーノオウ)という言葉です。「家に住む」(オイケオー)でなく、「テントを張る」という言葉が用いられているのは、まさに主イエスが、私たちの人生の旅路にテント=臨在の幕屋をもってご一緒くださるということでしょう。

 

 更に、そのテントとは、わたしたちの体のことです。パウロが「わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』」(第二コリント書6章16節)と言っています(第一コリント書6章19節も参照)。

 

  さらに、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ書2章20節)とも言っています。つまり、私たち自身が神の幕屋であり、その内に主イエスが宿っておられるのです。だから、私たちは、この体をもって神の栄光を現し、証しする務め、責任があるのです(第一コリント6章20節)。

 

 私たちが神の栄光を表し、証しするとは、神を神として崇め、礼拝することです。神の御言葉を聖として、聴き従うことです。その御心を守り行うことです。絶えず主を仰ぎ、御言葉を受けて主を証しする者とならせていただきましょう。

 

 主よ、私たちは何ものでもありませんが、この土の器の中に計り知れない宝をもっています。その宝の輝きを曇らせ、汚すことがないように、いえ、むしろ積極的にその光を輝かしていくことが出来るように、この世の光としての使命を全うさせてください。生活を通して、主なる神に聴き従い、御心を行わせてください。そのために聖霊と御言葉によって、必要な知恵と力を授けてください。 アーメン

 

 

「アロンの子らの名はナダブを頭にアビフ、エレアザル、イタマルである。これらがアロンの子らの名であって、彼らは油を注がれて祭司職に任ぜられた。」 民数記3章2,3節

 

 3章には、1節以下にアロンの子ら、5節以下にレビの子らについて、40節以下にレビ人をイスラエルの長子の代わりに主のものとするということが記されています。モーセとアロンは、レビ族はケハトの子であるアムラムの子です(出エジプト記6章16節以下、20節)。

 

 冒頭の言葉(2節)に「アロンの子らの名はナダブを頭にアビフ、エレアザル、イタマルである」と、油を注がれて祭司職に任ぜられたアロンとその子らの名が記されています。けれども、ナダブとアビフは、規定に反した炭火をささげて、死を招いてしまい(4節、レビ記10章1,2節、16章1,2節)、そのため、残り二人が父アロンと共に祭司の務めを果たすことになりました。

 

 「祭司職に任じられた」(3節)とありますが、「任じる」というのは、原文では「彼らの手を満たす」(ミッレイ・ヤーダーム)という言葉です。この表現から言えば、祭司の仕事で手一杯にするといいますか、祭司の務め以外のことは出来ない、祭司に専任させるという言い方ですね。

 

 祭司が選ばれる以前は、たとえばカインとアベル(創世記4章3,4節)、ノア(同8章20節)、アブラハム(同12章8節)など、祭司でもない者が祭壇を築き、いけにえをささげています。また、王国時代には、ダビデ(サムエル記下6章17,18節)やソロモン(列王記上8章5節)が祭司の務めをしたことがあります。

 

 ところが、サウルがそれをして、王位から退けられる原因にもなっていますし(サムエル記上13章8節以下、14節)、ウジヤも主の神殿に入って、香の祭壇で香をたこうとして主に打たれ、死ぬ日まで重い皮膚病に悩まされました(歴代誌下26章16節以下、21節)。王であれば、祭司の務めをしてもよいということでもないのです。

 

 アロンたちが祭司職に任じられるとき、頭に油が注がれました(3節)。油を注ぐ行為は、それを神のために聖別することを意味していました。たとえば、ヤコブが枕していた石を立てて記念碑とし、油を注いでそこをベテル(神の家)と呼びました(創世記28章18,19節)。

 

 出エジプト記40章9節以下では、神の幕屋と祭具、祭壇などのため、油が注がれています。また、サウル(サムエル記上10章1節)やダビデ(同16章13節)を王とするために、油が注がれました。ということは、イスラエルにおいて、王たる者は、民の上に君臨して権力を振るうのではなく、神のために聖別され、民に仕えて働くことが、求められているわけです。

 

 エリシャがエリヤの後継の預言者とされるとき、油が注がれています(列王記上19章16節)。聖別という意味で油が注がれますが、それによって職に任じられるということから、「油注がれた者・メシア」という称号が生まれました。

 

 レビ記では、祭司を「油注がれた」者と呼びました(レビ4章3節など)。サムエル記では、サウルなど王を「油注がれた方」と呼んでいます(サムエル記上24章7節など)。特に、イザヤ書45章1節には「主が油を注がれた人キュロス」と、ペルシア王キュロスに対して、「油注がれた人=メシア」の称号が与えられていますが、これは少々驚きです。

 

 キュロスは、ペルシアの王だからそう呼ばれているというわけではなく、バビロンに捕囚となっているイスラエルの民を解放する者として、その称号で呼ばれているわけです。ということは、捕囚時代には、「メシア」という称号が、王や祭司、預言者を指すだけでなく、解放者、救い主という意味を持つようになっていたということですね。

 

 「メシア」をギリシア語では「クリストス」(キリストのこと)といいます。主イエスを信じる人のことをクリスチャンと言いますが(使徒言行録11章26節参照)、これは「クリスティアノス」の英訳で、「キリストに属する者」という意味です。新共同訳聖書などは「キリスト者」と訳出しています。

 

 クリスチャンにとって、主イエスがキリスト(メシア)というのは、即ち王であり、祭司であり、預言者であり、そして救い主なのです。キリストは「人の子は仕えられるためにではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ福音書10章45節)と言われました。

 

 ゆえに、クリスチャンも神に仕え、民に仕えることが求められます。パウロも「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい」(ローマ書12章10,11節)と奨めています。

 

 日々主を仰ぎ、聖霊の力を受け、主の御業に励む者とならせて頂きましょう。

 

 主よ、罪の奴隷となっていた私たちを招いて救ってくださり、新たな使命に生きる者としてくださったことを心から感謝します。私たちの手にも、主のための務めが満たされています。忠実にそれを果たすことが出来ますように。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「それは臨在の幕屋で作業に従事することのできる三十歳以上五十歳以下の者である。」 民数記4章35節

 

 3章で、レビ人の人口調査が行われていました。生後一ヶ月以上のレビ人の男子の総数は、2万2千人でした(3章39節)。レビ人だけが、生後一ヶ月以上のすべての男子を数えられたのは、レビの務めが「兵役に就く」という身体的な強さなどを必要としないこと、むしろ霊的に、主に仕えるために幼いときからの献身が求められるということが、その要因だろうと思われます。

 

 その後、イスラエルの生後一ヶ月以上のすべての長子を登録し、数を数えました(同40節)。すべての長子を数えるところで思うのは、エジプトを襲った最後の災いで、国中のすべての初子が撃たれたとき、イスラエルの家は、その災いが過ぎ越しました(出エジプト記12章12,13節)。ここに数えられた長子は、まさに、災いが過ぎ越して守られたいのちなのです。

 

 そして、レビ人をもって、すべての長子の代わりにするということは、災いを過ぎ越させて守られたいのちは、すべて主のものだと宣言しているようなものです。だからこそ、災いで撃たれることがないように、小羊の血をもって予め贖われていたのです。

 

 しかし、他の部族の兵役に就くことが出来る20歳以上の男子の総数が60万(1章46節:1部族平均5万)、最小部族でも3万2千に及ぶというのに、幼子も高齢者も皆数えて2万2千というのは、かなり少ないという印象です。弱小部族だから、主に仕える者として選ばれたのでしょうか。

 

 4章では、冒頭の言葉(35節)のとおり、臨在の幕屋において作業に従事することの出来る、30歳以上50歳以下のレビ人の数を数え、それぞれに務めが委託されます。アロンの子らも、30歳になって祭司の職に任ぜられたと考えられます。20歳ではなく30歳とされるところに、成熟して、主に対する奉仕に適応する力を備えていることが期待されています。

 

 主イエスも、「宣教を始められたときはおよそ30歳であった」(ルカ福音書3章23節)と言われています。そして、「いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」(同4章16節)と語られているように、ラビとして安息日毎に会堂で聖書を朗読し、その解説をされていたのです。

 

 ケハトの子らには「臨在の幕屋と神聖なものにかかわる」(4節)仕事が委ねられます。祭司職に就いたアロンとその子らも、ケハト族の出身でした。アロンとその子らが、掟の箱や机、燭台、金の祭壇を担当して、それを持ち運べるように覆いをかける仕事をします(5~14節)。

 

 そして、ケハトの残りの子らが、それを運搬する作業に携わります(15節)。ケハトの氏族で登録されたのは、2750人でした(36節)。ゲルションの子らは、幕屋の幕と覆い、綱、用具を運搬し、それに伴う作業をします(25,26節)。ゲルションの氏族で登録されたのは、2630人でした(40節)。

 

 メラリの子らは、幕屋の壁板、横木、柱、台座、杭、綱、その他すべての祭具を運搬し、またその関係の仕事をします(31,32節)。メラリの氏族で登録されたのは、3200人でした(44節)。結果、登録されたレビ人の総数は8580人、全レビ族男性の39%にあたります。

 

 興味深いのは冒頭の言葉(35節)で、「作業」と訳されているのが、本来は、戦争や軍隊を意味する「ツァーバー」という言葉なのです。1章3節で「兵役」と訳されているのが「ツァーバー」でした。

 

 ですから、ここでも、「兵役に就くことのできる」という訳になっても可笑しくないのです。それが「作業」という言葉になっているのは、場所が戦場ではなく臨在の幕屋ですし、実際に与えられる仕事は、どう考えても「兵役」ではないからです。

 

 ただ、37節に用いられている「作業」は、別の言葉(オーベード:アーバドの分詞形、「奉仕する、仕える」の意)です。そういう言葉もあり、現にそれを用いているのに、同じように「ツァーバー」も用いているのは、主なる神はレビ人に他部族と同様の務めをお与えになっているということであり、その務めは、兵役に就くのと同様に厳しいものであるという表現なのでしょう。

 

 登録された8580人の中には、その務めはいやだ、やりたくない、他の仕事の方がよいと考える人がいたかも知れません。たとえば、ケハトの氏族は「臨在の幕屋と神聖なものにかかわる」(4節)と言われますが、ゲルションとメラリの氏族の務めには、そのような表現は出て来ません。明らかに、その務めには高低差があります。

 

 しかしながら、幕屋の仕事には、いずれもが不可欠なものです。「この登録は、モーセを通してなされた主の命令によって」(45節)行われたものであり、「一人一人その作業や運搬の仕事に就かせるためにモーセが登録した」(49節)のです。

 

 仕事の内容によって、やりたかったり、やりたくなかったりということが生じるものですが、誰がそれを命じたかということも、大きな動機づけになります。70余年前、「天皇の命令」と聞いて、多くの若者が自ら進んで戦場に赴き、命を賭して戦いました。

 

 特攻という最も愚かな戦法にさえも進んで参加し、多数の若者が命を捨てました。命令に逆らえなかったということもあるでしょうけれども、与えられた任務を光栄と思い、忠実に仕えることを喜びとするという姿勢の表れだったのです。今日、あなたは誰の命令ならば、喜んで従いたいと考えるでしょうか。

 

 あらためてここに、私たちの信仰が問われていると思わされました。主を畏れますか。主がくださる任務を光栄と思いますか。どんなことでも、主の召しに喜んで従いたいですか。

 

 かつて、日本バプテスト連盟の副理事長、壮年会連合会長、ギデオン協会全国会長などを歴任され、十数年前に召天された小森平氏が生前、『「せよ」と呼ばれて「ハイ」と応える人生ーイエス・キリストの光に導かれー』(みことばの泉,2001)という著書を出版されました。

 

 これは、著者が折に触れて語って来られた信仰談話、講演、奨励などを、そのまま記憶のかなたに消え去るままにさせてしまわないよう、残しておきたいと願った有志の方々が、相計らって原稿をとりまとめ、著作集として出版されたものです。タイトルも、有志の方が全体を総括するものとなるように考えて、つけられたそうです。

 

 それは、著者が主イエスの召しを受けて、常に「ハイ」と応じる人生を歩んでおられたという何よりの証しです。この著書の背表紙を見る度に、爪の垢でも煎じて飲ませて頂きたいと思わされています。

 

 勿論、すべての人が同じ務めに任じられてはいません。委ねられた賜物、才能、能力は様々です。任じられている務め、役割も様々です。そこに表れる働きも、個々別々です。そしてそれは、全体の益となるように、主によって備えられ、与えられたのです。キリストの体として、その栄光を表すことが出来るよう、主の御心を行う者とならせていただきましょう。  

 

 主よ、御子イエスの命によって贖い取られた私たちが、心の底から新たにされて、何が神の御心か、何がよいことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えるようにならせてください。私たちの手に委ねられた新しい使命に、喜んで仕え、責任を果たすことが出来ますように。そうして、主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「この呪いをくだす水がお前の体内に入るや、お前の腹は膨れ、お前の腰はやせ衰えるであろう.女は、『アーメン、アーメン』と言わなければならない。」 民数記5章22節

 

 約束の地へと行進を開始する備えは、宿営の配置や行進の順序、幕屋におけるレビ人の務めなどの規定から、宿営を清く保つ課題へと移行して行きます。レビ人らは、神聖なものに触れて死を招かないように注意せよと言われていましたが(4章15,19節)、ここで、「わたしがそのただ中に住んでいる宿営を汚してはならない」(3節)と告げられます。

 

 宿営の外に出せと命じられているのは、「重い皮膚病(ツァラアト)にかかっている者、漏出のある者、死体に触れて汚れた者」(2節)です。それぞれ、汚れとされているものですが(レビ記13章15章、11章、19章参照)、しかし、レビ記では、漏出のある者、死体に触れて汚れた者を、宿営の外に出すようにと規定されてはいませんでした。

 

 5節以下では、隣人に対して罪を犯した者にその罪を告白し(7節、レビ記5章5節)、完全に賠償し、損害の2割をそれに加えて支払うよう命じます(7節、レビ記5章21節以下)。ただし、賠償を受け取る近親者がいない場合、祭司がそれを受け取るという規定(8節)は、レビ記には記されていません。

 

 その根拠を、「何か人が罪を犯すことによって、主を欺き、その人が責めを負うならば」(6節)と、隣人に対する罪が主を欺くことであり、それで、その責めを負うと示しています。岩波訳の脚注にあるとおり、この規定の前提には、隣人に損害を与える罪を犯していながら、偽り誓って身の潔白を主張したというようなことがあったかも知れません。

 

 11節以下の段落には、「姦淫の疑惑を持たれた妻の判決法」が記されています。この箇所は、理解し易いものではありません。女性は、このような規定を不快に感じるのではないでしょうか。というのも、妻が姦淫を犯したのではないかという夫の疑念、嫉妬心に応じる法であって、確たる証拠がないときに用いられるものだからです。

 

 そして、夫が妻に対して抱いた疑念に応じていますが、その逆の規定はないのです。さらに、妻が無罪であっても、疑念を抱いた夫は罪を問われず(31節)、証拠もなしに女性が一方的に疑われるというのは、不公平きわまりないと言わざるを得ません。

 

 14節に「嫉妬にかられて」と2度記されていますが、原文は「嫉妬の霊が来て」という言葉です。この言い方は、夫が自分で妻に疑いを抱いたというのではなくて、霊が嫉妬をもたらして、その念が去らないという表現でしょう。

 

 とはいえ、霊の導きだから良いとか、霊の導きなら仕方ないと言いたいのではありません。疑り深いとか嫉妬心が強いということではなく、それは、神によって取り扱われるべきであるということです。そこで、夫は妻を祭司のところに連れて行き、献げ物をするのです。その献げ物について、「これは嫉妬した場合の献げ物、すなわち罪の判定のための献げ物である」(15節)と言われています。

 

 「罪の判定のための献げ物」について、原文には、「不正を思い出させる記憶の献げ物」という表現が用いられています。神がその罪に目を留め、正しく裁いてくださいという思いを込めてささげられるもので、「大麦の粉十分の一エファを、オリーブ油を注がず、乳香も載せずに」(15節)ささげます。

 

 通常、穀物の献げ物にはオリーブ油を注いだり、乳香を載せてささげます(レビ記2章参照)。それをしないのは、「罪の判定のための献げ物」が「贖罪の献げ物」と同様のものとみなされているわけです(同5章11節)。

 

 祭司はまず、女性を聖所の前に連れて行きます(16節)。それから、聖所の容器に入っていた水を土の器に注ぎ、そこに幕屋の塵を取って入れます(17節)。それは、「呪いをくだす苦い水」(18節)です。女性に「嫉妬した場合の献げ物」を持たせます。

 

 続いて、「心迷い、身を汚したこともない」(19節)と誓わせ、もしその誓いのとおりなら呪いを免れ、誓いに反して罪を犯していれば、「主がお前の腰を衰えさせ、民の中で主がお前を呪いの誓いどおりになさるように」(21節)と言います。

 

 その呪いの言葉を聴きながら、冒頭の言葉(22節)のとおり、女性は「アーメン、アーメン」と言わなければなりません。それから、祭司は呪いの言葉を巻物に書き、そのインク文字を呪いをくだす苦い水に溶かします(23節)。それから、女性の手にある献げ物を一つかみ、祭壇で燃やします。そうして、その水を女性に飲ませます(26節)。

 

 およそ、科学的合理性がある方法とは思えません。しかしながら、呪いの言葉どおり、「腹は膨れ、腰はやせ衰える」という事態になれば、女性は有罪と判定され、何の害も受けなければ、無罪となります。つまり、罪の判定を人がするのではなく、神に委ねるというのが、この規則なのです。

 

 この規則に則って実際に罪が判定されたという記事はありませんが、しかし、このような規定が設けられたということは、聖なる民の間に性的な乱れがあったということでしょう。当然、姦淫は一人で出来ることではありません。相手があります。双方が裁かれなければならないのです。

 

 そうして、家庭を破壊し、家族に悲しみをもたらす汚れは、取り除かれるべきですし、このような規定が設けられることによって、姦淫の罪が未然に防がれることを期待したわけです。

 

 けれども、夫の嫉妬心、猜疑心で、この規定を乱用すべきではありません。その嫉妬心、猜疑心による振る舞いも、夫婦の関係を破壊してしまうものだからです。お互いに相手に対する尊敬の心や信頼の心、何よりも互いに愛し合う愛の心を持たなければなりません。

 

 お互いに弱い存在、助けを必要としている存在です。そもそも「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2章18節)といって神が創造されたお互いなのです。神に守られ、恵みをいただきながら、互いに助け合い、支え合って参りましょう。

 

 神様、私たちの人生には、様々な荒れ野があります。家庭が荒れ野になってしまうこともあります。もう一度、道を造り直せるように、心を通わせることが出来るように、出来ればそのような事態に陥らないように、守り、助けてください。互いに愛し合い、赦し合い、高め合う関係を築かせてください。 アーメン

 

 

「ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。」 民数記6章5節

 

 主なる神は、御自身のためにイスラエルの民の中からアロンとその子らに油を注いで祭司職に任じ(3章2節以下)、そしてアロンとその子らに属する者としてレビ人を選び、祭司に仕え(同6節)、臨在の幕屋を警護し、幕屋の仕事をする者とされました(同7節以下)。他の人々が祭司の務めをしようとするなら、死刑に処せられると規定されています(同10節)。

 

 しかるに、一般の人々でも特定の目的のために期間を定めて誓願を立て、主に献身することも出来ます。そのようにする人々のことを、「ナジル人」(2,4,5,節など)といいます。「ナジル人」は「聖別する、ささげる、離れる」(ナーザル)という言葉に由来し、「聖別された人、献げられた者」という意味になります。

 

 2節に「男であれ、女であれ、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となる」と言われています。即ち、このナジル人の規定は、主に献身しようとする男女に、平等に適用されるわけです。

 

 ナジル人となる「特別の誓願」について、先ず「ぶどう酒も濃い酒も断ち、ぶどう酒の酢も濃い酒の酢も飲まず、ブドウ液は一切飲んではならない。またぶどうの実は、生であれ、干したものであれ食べてはならない。ナジル人である期間中は、ぶどうの木からできるものはすべて、熟さない房も皮も食べてはならない」(3,4節)と言われます。

 

 ナジル人が酒類を口にしないということについては、士師記13章4,7,14節なども参照してください。これは、単にアルコールを禁ずるというより、カナンの町のぶどう栽培に象徴される優雅さ、快楽を追い求める堕落した生活から決別することを意味しているのでしょう(ホセア書3章1節、サムエル記上25章18,36節参照)。

 

 アモス書2章12節に「しかし、おまえたちはナジル人に酒を飲ませ、預言者に、預言するなと命じた」とあります。それは、ヤロブアム2世の時代、ヤロブアム王のみならず、北イスラエルの民が、いかに神に反逆していたかということを示しています。

 

 ナジル人となる「特別の誓願」について、第二に冒頭の言葉(5節)のとおり、「ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない」とあります。イスラエルの民は、「もみあげをそり落としたり、ひげの両端をそってはならない」(レビ記19章27節)と命じられていましたが、ナジル人に対しては、祭司と同様の規定になっているわけです(同21章5節)。

 

 「頭にかみそりを当てない」という言葉は、母の胎内にいるときからナジル人として神にささげられていた士師サムソンが、恋人のデリラに騙されて、長い髪がそられ、力を失ってしまったという記事を思い出します(士師記13章以下、16章19節)。

 

 髪を剃られただけで力を失ってしまうなんて、まるで笑い話のようですが、同16章20節には、「主が彼を離れられた」とあり、ナジル人の誓願がいかに重大なものであったかという証拠でしょう。ただ、サムソンはその前にペリシテの娘と婚姻を結び、宴会を開いたところ、ペリシテの人々30人がそれに参加しました(同14章10節)。飲酒の禁を犯してしまっているのです。

 

 第三に、「主に献身している期間中、死体に近づいてはならない。父母、兄弟姉妹が死んだときも、彼らに触れて汚れを受けてはならない」(6,7節)と記されています。一般の祭司は、「父母、息子、娘、兄弟、および同居している未婚の姉妹の場合」(レビ記21章2節)、その遺体に触れること、彼らを葬る儀式を行うことは許されていました。

 

 父母や兄弟姉妹の死体に触れるなと言われるのは、頭髪のことと同様、「聖別の油を頭に注がれ、祭司の職に任ぜられ」(レビ記21章10,11節)た大祭司と等しい規定になっており、ナジル人になるというのは、それほどに重大な献身の出来事だということを示しています。

 

 もしも、死者に触れて、献身のしるしである髪を汚したなら、頭をそって清めの儀式を行い、もう一度はじめから誓願をやり直します(9節以下)。汚れによって、最初の誓願期間が無効になったからです(12節)。

 

 上記のサムソンは、宴会を開く前、獅子の死骸に触れています(士師記14章8,9節)。つまり、三つの禁をすべて犯してしまっているわけです。それによって献身のしるしが汚されたので、それ以前の誓願の期間は無効になってしまい(12節)、主がサムソンを離れられたのです。

 

 主イエスから「わたしに従いなさい」と招かれて、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」と願った人に対して(ルカ福音書9章59節)、主イエスは、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と言われました(同60節)。ここに、主イエスの弟子となることは、ナジル人の誓願のような覚悟を必要としていることを見ることが出来ます。

 

 主イエスは、「ナザレ人」と言われます(ルカ18章37節、ヨハネ1章45節など)。それは、ナザレの出身を意味するものですが(マタイ2章23節)、それとは別に「ナジル人」との関連を考える注解者もいます。確かに主イエスも、生まれる前から神に聖別された存在だったからです。

 

 私たちも主イエスに選ばれた者として、主を畏れ、主に従うことを通して、聖霊の力により、神の国の恵みを広く証しして行きたいと思います。

 

 主よ、私たちは御子イエスに選ばれ、主のものとして任命されました。出かけて行って実を結び、その実がいつまでも残るように、御言葉をもって私たちを整えてください。聖霊に満たされ、常に喜びをもって主の福音を告げ報せ、その恵みを証しする者となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「モーセは神と語るために臨在の幕屋に入った。掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から、神が語りかけられる声を聞いた。神はモーセに語りかけられた。」 民数記7章89節

 

 7章は、臨在の幕屋が完成した時点(出エジプト記40章、レビ記8章10,11節)に時計を戻し、まず幕屋と祭壇、その祭具に油を注いで聖別したと記されています(1節)。

 

 幕屋は出エジプトの第2年1月1日に立てられました(出エジプト記40章17節)。そして、民数記はそれから一ヶ月後の2月1日から始まっていました(民数記1章1節)。幕屋と祭壇、祭具、および祭司の聖別は、レビ記8章10節以下において行われています。

 

 ここでもう一度、そのことに触れることにより、荒れ野の生活といえども、否、荒れ野の生活だからこそ、神と交わるために、まず清められなければならないことを繰り返し思い起こさせるのです。

 

 モーセがそれらを聖別し終えると、イスラエルの指導者、家系の長たちが牛車6台と雄牛12頭を幕屋の前に引いて来ました(3節)。臨在の幕屋の作業に用いるためです(5節以下)。

 

 それから、指導者たちが一日に一人ずつ、祭壇奉献のための献げ物を持って来ます。12部族が献げ物をする順番は、宿営が設けられた際の部族の順番に倣っています(2章参照)。

 

 彼らがささげたのは、130シェケルの銀の皿一枚、70シェケルの銀の鉢一個、それぞれに穀物のささげ物としてオリーブ油を混ぜた小麦粉がもってあります(13節)。更に、香を盛った金の柄杓一つ(14節)。

 

 焼き尽くす献げ物として若い雄牛一頭、雄羊一匹、一歳の小羊一匹(15節)。贖罪の献げ物として、雄山羊一匹(16節)。和解の献げ物として雄牛二頭、雄羊五匹、雄山羊五匹、一歳の雄の小羊五匹をささげます(17節)。

 

 これらは、12部族がみな、同じものをささげています。その意味で、最初の部族の献げ物を書いて、後の部族については、「以下同文」と言えばそれですむのに、わざわざすべての部族の指導者の献げ物を同いちいち記しているのは、すべての民が神の御前に平等であることを示しています。

 

 イスラエル12部族は、創世記においてヤコブの息子たちがヨセフに嫉妬し、亡き者にしようとしたことを皮切りに(創世記37章参照)、しばしば部族間の争いが引き起こされました。そして、部族間の不和が大きくなったとき、イスラエルは南北に分裂し(列王記上12章)、戦いを交えたことさえあります(列王記下16章5節など)。

 

 エズラ記、ネヘミヤ記には、バビロンからの帰還民とサマリア人との憎み争いが描かれています。旧約学者の中に、民数記=祭司資料を著述した人々は、捕囚からの帰還民およびユダの人々を、北の諸部族出身の人々より優遇する分離主義者(エズラ、ネヘミヤの著者)の排他性に対する批判を書いていると主張する人がいます。つまり、イスラエル12部族の融和、和解は、積年の願いだったのです。 

 

 ここで、「献げ物」(12節:コルバン)とは、元来「近づく、進み出る」(カーラブ)という意味の言葉です。即ち、神に近づくため献げ物をするのです。イスラエルの民は、幕屋にあって自分たちと共に歩んでくださる神に近づくことを喜びとして、多くの献げ物をしたということです。

 

 そうして、冒頭の言葉(89節)のとおり、神と語らうためにモーセが臨在の幕屋に入りました。そのとき、神が「掟の箱の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から」、語りかけられました。「贖いの座」(カポーレト)とは「覆う」(カーファール)という意味です。私たちの罪を神が覆ってくださり、神との関係が正しく整えられたということです。

 

 「ケルビム」は、翼を持った半人半獣の神話的存在です。神が乗られ(サムエル記下22章11節)、また、その上に座しておられる(列王記下19章15節)という記述があります。つまり、贖いの座のケルビムは、神の臨在を示しているものと考えられます。献げ物をもって近づく民に、神がご自身を現され、語りかけられます。そこに、親密な深い交わりが開かれるのです。

 

 私たちは、イエス・キリストを通して、神との新しい契約の関係に入りました。私たちには目に見える契約の箱はありません。臨在の幕屋も、目には見えません。しかし、それらのものは必要ないのです。それは、神は私たちの心に住み、石の板ではなく、私たちの心に契約の言葉を刻み込んでくださったからです(エレミヤ書31章33節)。

 

 また、神の御子、主イエスご自身が、贖いの供え物となってくださいました(ヘブライ書7章27節、9章11,12,26節)。十字架がその祭壇です。キリストが十字架で息を引き取られたときに神殿の幕が真っ二つに裂けて、私たちが神に近づく道が開かれました(マルコ福音書15章38節、ヘブライ書10章20節)。大胆に神に近づくことが出来るようになったのです(同21節、4章16節)。

 

 そのとき私たちは何を携えて神の御前に出ましょうか。イスラエルの民が喜びをもって献げ物をしたように、喜びをもって賛美のいけにえ、唇の実をささげましょう(同13章15節)。

 

 「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」という言葉もあります(ネヘミヤ記8章10節)。私たちが喜んで主を賛美するとき、主ご自身がそれを喜ばれて栄光を現してくださいます。そしてそれが信仰者にとって何よりの喜びではないでしょうか。

 

 「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊」という言葉もあります(詩編51編19節)。主の前に謙った私たちの霊、つまり私たち自身を主が求めておられるのです。それはパウロが、「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ書12章1節)と語っていることにつながります。

 

 それは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する生活です(第一テサロニケ5章16~18節)。主が私たちと共におられるからこそ開かれる、恵みの生活なのです。

 

 主よ、あなたは御子キリストをお遣わしくださり、贖いの御業を成し遂げてくださいました。その深い憐れみのゆえに心から感謝致します。御子という貴い代価をもって贖い取られた私たちの身体です。ご自身の栄光のために、この地に御旨が行われるために、その器としてお用いください。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「わたしはレビ人を、イスラエルの人々のすべての長子の身代わりとして受け取った。」 民数記8章18節

 

 7章には、民の指導者たちが神の命令に従順に従って、献げ物をしたことが記されていました。8章には、レビ人の従順さが記されます。

 

 1節以下には「燭台のともし火皿」について、5節以下には「レビ人の清めの儀式」について記述され、「モーセとアロンとイスラエルの人々の共同体全体は、主がレビ人についてモーセに命じられたとおり、レビ人に対して行った」(20節)と言われています。

 

 レビ人は、祭司に仕え、臨在の幕屋での奉仕や神の箱の運搬などの務めに当たります(3,4章)。レビは、父ヤコブと母レアとの間に、三番目に誕生した子どもでした(創世記29章34節)。

 

 父ヤコブはレビについて、「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」(創世記49章5節以下)と祈っています。

 

 それは、レビと兄シメオンが妹ディナのことでシケムの人々を殺し、町中を略奪するという事件を起こしたからです(同34章参照)。つまり、レビは、とりたてて宗教的な人物であったわけではなく、むしろ、それとはほど遠い存在だったのです。

 

 レビの子孫にモーセとアロンがいて、レビ一族が神の幕屋で神に仕える仕事をする者とされたというのは、出エジプトの民が金の雄牛像を造るという事件を起こした際(出エジプト記32章)、すべてのレビ人が主につく者としてモーセに従ったことから、呪いが祝福に変えられたというかたちです(同29節)。

 

 けれども、彼らは、一貫して主につく者であったわけではありません。事実、彼らも金の雄牛事件を起こした民の一員だったのです。同3節に「民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た」と言われています。しかし、彼らは「だれでも主につく者は、わたしのもとに集まれ」(同26節)との呼びかけに応答しました。

 

 他の人々がそうしようとしなかったということは、金の雄牛事件が主に背く行為であり、民はそれを自覚していたことを示します。その中で、レビ人はそれを悔い改めて、主に従う道を積極的に選び取ったわけです。それで、「今日、あなたたちは主の祭司職に任命された」(同29節)と言われることになったのです。

 

 子どもの頃にお世話になった、米国人の元宣教師の女性が再来日された際、福岡にいた私のもとを訪ねてくださったことがあります。彼女に「私が牧師になると思ったか」と尋ねると、彼女ははっきり「いいえ」と答えてくれました。兄弟のうちで誰が牧師になると思っていたかと尋ねると、長兄と次弟の名前を挙げました。当時のことを知っている人は、誰もがそう考えるかも知れません。

 

 私自身、子どもの頃には、自分が牧師になろうなどとは想像もしていませんでした。長兄は10年ほど牧師職に就き、その後辞任しています。次弟は牧師にはなりませんでした。主に仕えるのに相応しい能力や資質、性格などがあるというのではなく、むしろ主は、無きに等しい者をお選びになるということであり、その主の呼びかけに素直に従うだけという典型的な例ではないかと思います。

 

 主なる神は、「イスラエルの人々の内に生まれた初子は、人間であれ、家畜であれ、すべてわたしのものである。エジプトの国ですべての初子を打ったとき、わたしは彼らを聖別して、わたしのものとした」(17節)と語られていました。

 

 過越の時、エジプトの国の初子は、神の使いに打たれて死んだのに対し、イスラエルの長子は、その死を免れました(出エジプト記12章1節以下、29節)。彼らが神の命に従って小羊を屠り、その血を家の入り口の二本の柱と鴨居に塗れと言われた主の命令に従ったからです(同3節以下、7節)。

 

 柱と鴨居に小羊の血が塗られている家は、災いが通り過ぎました。イスラエルの長子の身代わりとして、小羊が屠られたかたちです(同3節以下)。つまり、イスラエルの長子は、羊の命をもって贖われ、神のものとなったということです(同13章2節、第一コリント書7章22,23節参照)。

 

 そうして神は、イスラエルのすべての初子の身代わりに、レビ人をお選びになって、彼らをご自分のものとされました(3章12,13節)。それは、屠られて祭壇にささげられるというのではなく、生きて神に仕える者とされたのです。

 

 しかし、神に選ばれれば、それでよいわけではありません。そのままで役に立つものではないのです。神は「イスラエルの人々の中からレビ人を取って、彼らを清めなさい」(6節)と言われました。そのために先ず、「罪の清めの水をふりかけ、身体全体の毛をそらせ、衣服を水洗いさせ」(7節)ます。

 

 それから、雄牛二頭とオリーブ油を混ぜた小麦粉を献げ物としてささげ、贖いの儀式を行います(8節以下、12節)。そして、レビ人をアロンとその子らの前に立たせ、彼らを奉納物として主に差し出し(13節)、イスラエルの人々から区別すると、彼らは主のものとなります(14節)。そうして初めて、臨在の幕屋に入って、作業に従事することが出来るのです(15節)。

 

 あらためて、冒頭の言葉で「レビ人」とは、私たちクリスチャンのこと、イスラエルとはすべての人々と読みましょう。それは使徒ペトロが、「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」と言っているとおり、そしてそれが、プロテスタントで語られている「万人祭司」ということだからです。

 

 私たちが選ばれたのは、それを誇るためではなく、すべての人々に神の恵みを報せ、またすべての人々に仕えて執り成し、祈りをささげるためです。絶えず主の前に進み、御言葉と祈りをもって主と交わり、その使命に励む者とならせていただきましょう。

 

 主よ、私たちはあなたに選ばれる取り柄など持ち合わせていません。ただ、その恵みに感謝し、喜びをもってその呼びかけに応え、主にお仕えするのみです。私たちは不束な僕、端女にすぎませんが、御言葉と背入れによって私たちをふさわしく整え、御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「幕屋を建てた日、雲は掟の天幕である幕屋を覆った。夕方になると、それは幕屋の上にあって、朝まで燃える火のように見えた。」 民数記9章15節

 

 エジプトを脱出した翌年の正月のこと(1節)、主なる神が過越祭を祝うように仰せられ(2節以下)、イスラエルの民はそれを、モーセに命じられたとおりに行いました(4,5節)。こうして、二度目の過越が実施され、シナイを出発することになります(10章11節以下)。

 

 しかしながら、死体に触れて「汚れた者」とされた人々が、過越祭から除外されることに異を唱え(6,7節)、一ヶ月後の2月14日にそれを行うことになりました(10節以下)。こうした規定を設けられたことにより、過越祭を祝わず、定めの献げ物をしなかった者は、神の民から断たれ、その責を自ら負わねばならないことになりました(13節)。

 

 かつて、過越の出来事の後、イスラエルの民はエジプトを急いで出たのですが(出エジプト記12章31節以下、33,39節)、一年後に過越祭を祝う際、死体に触れて汚れている者や遠く旅に出ている者たちは、一ヶ月後に過越祭を祝うことになったため、シナイを出発するのは、祭を祝った後の2月20日ということになったわけです(10章11節)。

 

 冒頭の言葉(15節)に「幕屋を建てた日、雲は掟の天幕である幕屋を覆った」とあります。これは、エジプトを脱出した翌年、即ち第2年の正月一日のことで(出エジプト記40章17節)、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」(同34節)と報告されていました。

 

 この雲は、神がイスラエルを導いている、神の導きをあらわす徴です。イスラエルの民が荒れ野を旅するとき、神は雲を使って導かれました。出エジプト記13章に「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き」(同21節)とありました。雲が柱のように立ち、その雲の柱が動いて民を導いたというように書かれております。

 

 雲はまた、神がそこにおられるという徴です。神が確かにおられるという証拠なのです。最初にモーセが山の上で神様とお会いしたとき、神がそこに降って来られると、雲が山全体を覆ったと書かれております(同19章9,16,17節)。シナイ山に下られた神が、幕屋にあってシナイを出立する民と共に行動されるということを、ここに改めて示されたのです。

 

 「幕屋」はヘブライ語で「ミシュカン」と言います。これは、「シャーカン=住む、天幕を張る」という言葉から来ています。シャーカン、ミシュカンという言葉から、シェキナーという言葉が出来ました。「栄光」というように訳されます。幕屋を覆う雲の内に神がおられ、栄光が満ちたという表現です。

 

 第三に、雲は私たちを守るものです。葦の海を渡ろうとするイスラエルの民と後ろから押し迫ってきたエジプト軍との間に雲の柱が立ち(出エジプト記14章19節)、真っ黒な雲が立ちこめました(同20節)。イスラエルの民に続いて葦の海に入ってきたエジプト軍を、主が火と雲の柱からかき乱され(同24節)、全軍が海の中に投げ込まれて、イスラエルの民は守られたのです(同27,30節)。

 

 しかし、現代の私たちには、雲が守るというのは分かりにくいことかも知れません。雲が私たちを覆ったらどうなるでしょうか。何も見えなくなります。高い山に登ると、実際に雲の中に入ることがあります。そうすると、まわり一面真っ白になります。霧というか、濃い水蒸気というか。ほとんど視界が利かない状態になります。

 

 神はあるとき、私たちを本当に何も見えない世界に導かれます。その何も見えない状態、何も出来ないような状況で、何をするか。見ることを奪われたら、私たちはどうするでしょうか。必然的に、当然のことながら、耳を澄まします。真剣に耳で聞くという世界が開かれます。心を澄まして、聞くことに集中します。

 

 イエス・キリストが、これから贖いの死を遂げるために十字架に向かって歩み始めるということを公表し始められてすぐ、三人の代表的な弟子たちを連れて高い山に登られました(マルコ9章2節以下)。主イエスが山に登って行かれると、次第に光り輝く栄光のお姿に変わり、そうして、いつの間にか、モーセとエリヤが現れて、主イエスと語り合っています。

 

 何が語り合われていたのかは分かりませんが、そこに居合わせたペトロは、「ここに小屋を三つ建てましょう」、いつまでもここに留まりましょうと語ります。大変興奮していて、自分でも何を言っているのか分からないという有様でした(ルカ9章2節以下)。ペトロがそう言っていると、雲が彼らを覆いました。何も見えなくなったのです。

 

 それで、わけが分からなくなったのでしょうか。そうではなく、もっとはっきりと分かりました。彼らはそこで神の声をはっきり聞いたのです。イエス・キリストが神の子、神の愛する子どもだから、この人に聞きなさい。大切なことを聞きなさい。何も見えなくてもよい。ただ、イエス・キリストから聞きなさい。そういう、信仰の最も大切な世界がそのとき、開かれたわけです。

 

 15節以下の段落で、「イスラエルの人々は主の命令によって旅立った」と三度記され、同様に、「主の命令によって宿営した」と三度言われています。

 

 主の御声を聞いて移動し、御声を聞いて停泊する。すべて主のご命令の通り。イスラエルの民は、確かにこの荒れ野の生活の中で主に聞き従うように、訓練されていきました。自分たちを守るものが何もないところで、御言葉に聞き従うことを学び、そして、神の御言葉は必ず実現するという恵みを味わったのです。

 

 私たちも同じように、主から呼ばれたら立ち上がり、行くべきところへ行き、留まるべきところに留まる。そして、なせと言われることを行う。それが、今私たちの導かれている信仰であり、神の恵みの世界なのです。

 

 主よ、常に御声をはっきりと聴くことが出来ますように。日毎に御顔を仰ぐことが出来るますように。絶えず私たちの信仰を整え、訓練してください。いつも共におられ、内におられる真理の御霊の導きに従い、主の御言葉を守ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ラッパを吹くのは、祭司であるアロンの子らの役目であって、それはあなたたちが代々にわたって守るべき不変の定めである。」 民数記10章8節

 

 イスラエルの民は長くシナイの荒れ野に宿営していましたが、ようやく約束の地カナンに向かって歩を進めることになりました。「シナイ出発」(11節以下)について、「第二年の第二の月の二十日のことであった」(11節)と言われています。

 

 エジプトを脱出したときを記念して第一年の正月としましたから(出エジプト記12章2節)、それからこれまで1年余りが経過しています。また、シナイの荒れ野に到着したのが3月1日でしたから(同19章1節)、あと10日で丸一年そこに留まっていたということです。

 

 「エジプトの国を出た翌年の第二の月の一日」(1章1節)に、人口調査が命じられました(同2節)。そして、全部族の宿営の配置、行進の際の順序が決められました(2章)。その定めに従い、ユダ族から出発します(13節以下)。

 

 その際、モーセは「義兄にあたるミディアン人レウエルの子ホバブ」(29節)に同行を求めます。ミディアン人はアラビアの荒れ野に住む民族だから、荒れ野を旅する専門知識も持っていますし、シナイの荒れ野からカナンを目指して進むための道案内を願ってのことでしょう(31節)。

 

 最初、ホバブはそれを拒みますが(30節)、「一緒に来てくだされば、そして主がわたしたちに幸せをくださるなら、わたしたちは必ずあなたを幸せにします」(31節)というモーセの約束の言葉に、肯定的に応じたものと思われます。士師記1章16節、4章11節で、ホバブの子孫がイスラエルの民と共に、約束の地カナンに住んでいることを述べているからです。

 

 「義兄にあたるミディアン人レウエルの子ホバブ」(29節)について、ヘブライ語原典では「ホバブ、レウエルの子、ミディアン人、モーセの義父」とあり、「ホバブ」がモーセの「義父」だと語っていることになります。新共同訳は「義父」(ホーテーン)を「義兄」(ハータン)と読み替えているのです。

 

 なお、出エジプト記2章16,18節によれば、モーセの義父はミディアン人の祭司「レウエル」ですが、同3章1節、18章1,2節ではその名は「エトロ」です。同4章18節では「エトロ」とされていますが、原文では3章1節などとは単語が異なっています。

 

 士師記4章11節には「モーセのしゅうとホバブ」とあります(70人訳の同1章16節も)。どう考えたらよいのか、正確なところは全く分かりませんが、ここに「レウエル」と「ホバブ」を親子として記されているのは、異なる伝承を調和しようとした民数記編集者の工夫であろうと、岩波訳の脚注に記されていました。

 

 主なる神は、シナイを出発し、荒れ野を旅する準備として、モーセに銀のラッパを2本作らせます(2節)。それは、音色の違うもの、つまり長さや大きさの違うラッパだったと思われます。音色が違っていなければ、二本ともが吹かれているのか、一本だけなのか、区別が難しいからです。

 

 というのは、二本とも吹かれれば民全体、一本だけだと部族の長である指導者が招集されることになっているからです(3,4節)。音の区別がつかなければ、その合図が何を意味しているのか分からず、民は混乱してしまいます。

 

 そのような、民を招集するラッパとは別に、出陣ラッパもありました。それは、旅立ちのとき(5節)、また敵を迎え撃つときに吹かれました(9節)。招集ラッパと出陣ラッパの吹き方はどんなものであったのか、色々説がありますが、概ね、招集には長く1回、出陣には短く数回吹き鳴らされたということのようです。

 

 パウロが「ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか」(第一コリント14章8節)と言っています。このことから、ラッパの吹き方やその音色について、当時の人々はよく訓練され、しっかりと理解していたのであろうと思われます。

 

 また、パウロは民を招集するためのラッパを、最後のときの合図に用いられるとも記しています。第一コリント15章51節以下では、そのラッパが鳴ると、主にあって召された者は復活して朽ちない者とされ、そのときまで生きている者は、一瞬にして栄光の姿に変えられると言います。

 

 また第一テサロニケ4章16,17節でも、「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます」と言っています。

 

 黙示録8,9章では、七人の天使が吹くラッパで大きな災いが天地に起こります。しかし、「これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった」(同9章20節)と言われるので、その災いは、神の敵に対する攻撃、審判であったことが分かります。

 

 即ち、これらのラッパは、単なる合図なのではなく、神の権威がそこに表わされていると見ることが出来ます。

 

 だから、冒頭の言葉(8節)にあるように、「ラッパを吹くのは、祭司であるアロンの子らの役目」であり、「代々にわたって守るべき不変の定め」なのです。祭司たちは、神の御旨を知って民を集め、あるいは、旅立ちのラッパを吹きます。また、敵を迎え撃つ備えをさせます。

 

 特に、敵を迎え撃つための出陣ラッパは、主なる神に助けを求めるものでもありました。出陣ラッパが吹かれると、「主の御前に覚えられて、敵から救われるであろう」(9節)と言われています。主ご自身が立ち上がってくださり、イスラエルのために戦って勝利をお与えくださるというのです(歴代誌下13章12,14節)。

 

 「主の御前に覚えられる」という表現が、出陣のときだけでなく、祝日や毎月一日にささげる献げ物に向かってラッパを吹くというところでも用いられます(10節)。感謝のしるし、神を賛美するために吹かれるかのようです。

 

 そうしなければ、神が覚えてくださらない、忘れておしまいになるというのでしょうか。なぜそうなのか明言されていませんが、それは、イスラエルの民を子ども扱いはしておられないということでしょう。

 

 民の必要については、求められる前から神はご存知です(マタイ6章8節)。敵に襲われたとき、助けを必要としているでしょう。しかし、ラッパが吹かれ、助けが求められるまで、神は待っておられるのです。また、献げ物に感謝と賛美を添えること、即ち、心から感謝を込めて、賛美の心で献げ物をすることが求められているのです。

 

 さらに、私たちは本来、神に覚えて頂く資格も権利も持ち合わせていないということではないでしょうか。勿論神は、絶えず私たちに心を留めておられるでしょう。覚えていてくださるでしょう。むしろ、私たちの方が神を忘れ、その教えに背いてきたのです。

 

 調子のよい時には神を忘れ、自分勝手に歩んでいて、上手く行かなくなると、「私たちを覚えてくださらないのですか」と主に訴えるというのは、あまりに虫のよい話なのではないでしょうか。

 

 その意味で、ラッパは主なる神に対する悔い改めの祈りであり、祭司が民に代わって神の御前に謙り、憐れみを求めて吹かれるのです。神は、焼き尽くす献げ物などではなく、打ち砕かれ悔いる心を求めておられるのです(詩編51編19節)。

 

 主よ、御言葉を感謝します。私たちのことを手のひらに刻み、愛をもって髪の毛一本までも数えるほどに常に目を留めていてくださることを嬉しく思います。今、弱さの中にいる方々、痛み、苦しみを負っておられる方々を顧み、癒しと助け、慰めと平安をお与えください。互いに助け合う心を導いてください。御心が地の上に行われますように。私たちを御言葉と聖霊をもって清め、整え、主の御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して燃え上がり、宿営を焼き尽くそうとした。」 民数記11章1節

 

 シナイ山麓からおよそ1年ぶりで旅立ったイスラエルの民は(10章11節)、次にパランの荒れ野に留まります(同12節)。男だけで60万、全部で200万を越える人々が、シナイ山麓の荒涼たる荒れ野で1年を過ごしたということ自体、奇跡以外の何ものでもありません。主なる神が、水や食物などをお与えになって、民を支えられたからでしょう。

 

 ところが、冒頭の言葉(1節)にあるように、民は主なる神への不満を爆発させました。彼らは主の山シナイを発って、まだ三日の道のりを進んだだけですが(10章33節)、生存を脅かす荒れ野の旅、それも大多数の民が長い列を作っての行進は、「激しく不満を言った」とあるように、とても大変なものだったのでしょう。

 

 イスラエルの民は、エジプトを出て以来、荒れ野で既に一年以上過ごしています。ようやく旅立ったと思ったら、歩みを進めて行くところも宿営する場所もまた荒れ野。乳と蜜の流れる約束の地に近づいているという実感はありません。むしろ、本当にそこに行き着くのかという、指導者モーセや主なる神に対する不信が、日々の苦労に対する不満を激しくかき立てたのかも知れません。

 

 感謝と喜びをもって主に従うべきイスラエルの民が、その恩を忘れて不平を言うのに対して、主は激しく憤られました。ここで、「憤る」は「鼻が熱くなる」という面白い言葉です(10,30節も同様)。鼻が熱くなって、荒い鼻息と共に火を噴出したということなのでしょうか。主の火が燃え上がって、宿営を焼き尽くそうとします。

 

 旧約聖書において、火は神の臨在を示すしるしであり(出エジプト3章2節以下、13章21,22節)、また罪に対する憤り、神の裁きを表わします(レビ記10章2節、申命記4章24節)。そして、火は清める神の力をも示します(イザヤ6章7節、マラキ3章2,3節)。罪を裁いて焼き払い、汚れたものを清めるのです。

 

 それを見た民は、慌ててモーセに助けを求めます。主への執り成しを願ったのです。民はかつて、食べ物がない、飲み水がないとモーセに不平をぶつけたことがありますが(出エジプト記15~17章)、しかし、彼らはモーセが神の人であると認めていたわけです。そして、モーセが主に祈ると、火は鎮まりました。主がモーセの祈りを聞かれたのです。

 

 この経験で、民がすっかり主の前に謙り、その恵みに感謝して不平不満がなくなったというのではありません。彼らは、飢えと渇きから、またも泣き言を言います(4節)。即ち、「エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない」(5節)と、奴隷として酷使されていたときの方がまだマシだったいうのです。

 

 それは、彼らの食物が、マナしかないという状況だったからです(6節)。しかしそれは、主なる神が天から降らせたパンでした(出エジプト16章4節)。イスラエルの民は、それを集めさえすればよかったのです。しかも安息日の前日には、二日分が与えられるという、配慮の行き届いた給食でした。

 

 モーセは、どの家族も泣き言を言っているのを聞きます。それに対して、主が激しく憤られます(10節)。民の不平と主の憤りの板挟みとなったモーセは、「あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか」(12,13節)と尋ねます。

 

 また、「わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことは出来ません。わたしには重すぎます。どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください」(14,15節)と訴えています。

 

 主なる神はモーセの訴えに応えて、モーセに授けられている霊の一部を取り、民の長老の中から集められた70人に授けられ、彼らは預言状態になりました(16,17,24節以下)。そうすることによって、モーセ一人では負えないと言っていた重荷を、70人の長老が共に負うことになったのです。

 

 また、主が民に一ヶ月の間肉を与えて食べさせると言われ(18節以下)、モーセはそれをにわかに信じることが出来ませんでしたが(21,22節)、「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう」(23節)と言われ、風を起こしておびただしい数のうずらの群れを宿営地に落とされました(31節以下)。

 

 民は2日間にわたり、出来るだけ多くのうずらを欲深く集めました(32節)。「少ない者でも十ホメルは集めた」と言われますが、ホメルは容積を示す単位で、1ホメルは230リットルに相当しますので、10ホメルは2300リットル(2.3立方メートル)です。

 

 彼らは集めたうずらを宿営の周りに広げ(32節)、食べ始めます。しかし、それを飲み込む前に、主は「激しい疫病」で民を打たれました(33節)。主に打たれた死者が葬られたその場所は、「キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)」(34節)と名付けられました。これは、4節の「飢えと渇きを訴えた」(ヒトアッウー・タアワー)との語呂合わせになっています。

 

 しかるに、彼らはこの後も相変わらず不満を鳴らし、繰り返しモーセたちを非難し続けます(12章2節以下、14章1節以下、16章、17章6節以下、20章2節以下など)。そのような不従順の結果、彼らは、約束の地に入ることが出来なくなってしまいました。

 

 「だから、神の安息に与る約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちから出ないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼ら同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったからです」(ヘブライ書4章1,2節)。

 

 恵みの御手のもとに留まり、感謝と喜びをもって御言葉の導きに従いましょう。

 

 主よ、「論語読みの論語知らず」ならぬ「聖書読みの聖書知らず」にならないように、絶えず憐れみを受け、恵みに与って、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づかせてください。怠け者とならず、信仰と忍耐によって、約束されたものを受け継ぐことが出来ますように。 アーメン

 

 

「彼らは更に言った。『主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか』。主はこれを聞かれた。」 民数記12章2節

 

 モーセに対する非難が、思わぬところから飛び出しました。それは、彼の身内、姉のミリアム、兄のアロンです。これまで、不満の声をあげていたのは一般の民でしたが、今や指導的な立場にいる人々も、声をあげるようになったわけです。

 

 彼らは先ず、「モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難」(1節)しています。クシュとは、南エジプト、今のエチオピアのことと考えられています。モーセがミディアン人の祭司エトロの娘ツィポラを娶ったことが、出エジプト記2章21節に記されています。クシュ人とはツィポラのことと考える学者もあるようですが、ミディアン人をクシュ人とは呼ばないでしょう。

 

 同18章2節の「モーセが先に帰していた妻のツィポラ」という表現をモーセの離婚と考え、クシュ人と再婚したという解釈もありますが、その真偽は不明です。しかし、今ここに来て、なぜミリアムとアロンは、モーセを非難しているのでしょうか。

 

 冒頭の言葉(2節)で、彼らは「主はモーセを通してのみ語られるのか」と言い、自分たちも御言葉の取次ぎが出来るはずだと語っています。これは、彼らがモーセの指導者としてのあり方を問うているわけです。ということは、モーセの妻がミディアン人であれクシュ人であれ、異邦人の女性を妻としているモーセは、イスラエルの民の指導者としては相応しくないと非難していることになるでしょう。

 

 出エジプト記2章4節以下で、男児殺害の命令が出されている中、姉ミリアムは弟モーセのために見張りを務め、エジプトの王女に実の母親を乳母として紹介するなど、モーセの生い立ちに一役買いました。また、同15章20節に「アロンの姉である女預言者ミリアム」と記されており、イスラエルの民の指導的な立場にいたことが分かります。

 

 また、アロンは、モーセが民の指導者として神に召された際(出エジプト記3,4章)、「自分は口が重い者だから、誰か他の人を遣わしてください」と固辞して主が憤られ、「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか」(同4章14節)と言われ、「彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる」(同4章16節)と告げられました。

 

 モーセがイスラエルの指導者としては相応しくないと彼らが非難したということは、自分たちが指導者としての地位を確保するという狙いがあるものと思われます。旧約学者の一人が、モーセの新しい妻となったクシュの女性が、ミリアムやアロンたちよりもモーセに対して強い影響力を発揮したという、家族内の人間関係の変化が原因ではないかと想定しています。もしかすると、そうかも知れません。

 

 彼らの非難に対して、モーセは何も答えていません。しかし、彼らがモーセを非難するのを、主なる神が聞かれました。そして、二人を呼び出され、語られます。確かに、モーセによらず、彼らも直接に神の言葉を聞くことが出来るわけです。しかしながら、そのとき彼らに告げられたのは、彼らを厳しく裁く言葉でした。

 

 主は「あなたたちは何故、畏れもせず、わたしの僕モーセを非難するのか」(8節)と言われ、彼らに対して憤り、去って行かれました(9節)。憤りのゆえに、彼らと共にはいられなかったのです。そのとき、「ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなって」(10節)しまいました。

 

 アロンがその罰を免れたのは、そのときミリアムが主導的な立場にいたからでしょう。そして、アロンはモーセに執り成しを頼みます(11,12節)。そうすることで、アロンもモーセと神の特別な関係、神の前にいるモーセの特別な立場を認めていることになります。

 

 ここで初めてモーセが口を開き、「神よ、どうか彼女をいやしてください」(13節)と助けを求めて叫びます。主なる神が二人に対して憤り、去って行かれたからです(9節)。叫ぶというところに、真剣さ、必死さを見ることが出来ます。自分を非難した姉の助けを必死に求めるところに、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」(3節)と言われたその面目が表れています。

 

 それは、ヨブが友人のために執り成し祈ったことを思い出させるものであり(ヨブ記42章8~10節)、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章44節)と言われた主イエスの御言葉に従う正しい態度でした。

 

 七日間宿営の外に隔離されたミリアムのため、イスラエルの民は出発をせず(15節)、ミリアムの戻って来るのを待ってハツェロトを発ちました(16節)。そこに、民のミリアムに対する敬意を見ることが出来ます。それはまた、モーセの祈りの姿勢に学んだ、柔和な態度でしょう。

 

 「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい」(ルカ福音書6章36節)と言われる主に倣い、主の憐れみに与っている者として、御言葉と聖霊を受けて主の憐れみを証しする者としていただきましょう。

 

 主よ、御子イエスの軛を負い、その柔和と謙遜を学ばせてください。そしてモーセのごとく、自分を非難する者に対し、悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を祈る者とならせてください。聖霊を通して神の愛を私たちの心に充たし、主の御心を行う者とならせてください。 アーメン

 

 

「人を遣わして、わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい。父祖以来の部族ごとに一人ずつ、それぞれ、指導者を遣わさねばならない。」 民数記13章2節

 

 冒頭の言葉(2節)は、主なる神がモーセに命じられた言葉です。ようやく、約束の地に手が届くところまでやって来ました。モーセは主の命令に従って、パランの荒れ野から偵察隊をカナンの地に派遣します。そのために、各部族の長を選び出しました(4節以下)。

 

 ここに名を挙げられた各部族の指導者たちは、前に家系に従って兵役に就くことの出来る二十歳以上の男子の数を数え、祭壇奉献のための献げ物をささげた家系の長たち(1章5節以下、7章12節以下)とは違います。未知の土地を偵察するために、年長者ではなく若い指導者たちが求められたのかも知れません。

 

 この中で興味深いのは、エフライム族のヌンの子ホシェアです。著者は、偵察者の名前のリストの最後に、「モーセはヌンの子ホシェアをヨシュアと呼んだ」(16節)と付記します。「ホシェア」とは「彼は救う」、「ヨシュア」は「主は救い」という意味で、代名詞の「彼」を「主(ヤハ)」と確定させたかたちです。

 

 ヨシュアは、レフィデムでのアマレクとの戦い(出エジプト記17章8節以下)にイスラエル軍の長として(同9,10節)、金の子牛像事件(同32章1節以下)ではモーセの従者として(同17節、33章11節)、舞台に登場していました。民数記11章28,29節にも、その名があります。何時、ホシェアがヨシュアと呼ばれるようになったのか、よく分かりません。

 

 偵察者として名を挙げられた各部族の長たちのうち、ユダ族のエフネの子カレブ(6節)とエフライム族のヌンの子ホシェア(8節)以外は、最初で最後の登場です。それは、彼らが偵察から戻って、その土地に住む者たちについて悪い情報を流し、共同体全体がモーセに不平を言うように仕向けたため、そのような者部族の長たちを、主が疫病で打ってしまわれたからです(同36,37節参照)。

 

 モーセは偵察隊に「その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否かを」(18節以下)と命じていました。

 

 それは、主なる神が約束の地の情報を得ようとしていたということではありません。むしろ、各部族の長たちに、その地の豊かさ、乳と蜜の流れるところを、彼らの目で直接見て欲しいということだったのではないでしょうか。

 

 偵察隊として送り出された各部族の長たちは、ツィンの荒れ野からネゲブ、ヘブロンへと上り、エシュコルの谷に着きました(21~23節)。これらは、イスラエル南方の地名です。そこから、更にはるか北方、アラムのレボ・ハマトに近いレホブまで(21節)、40日にわたって偵察しました(25節)。

 

 彼らが見たのは、確かに乳と蜜の流れるところでした。彼らはそこでぶどうを取りましたが、「一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ」(23節)と記されていて、その実りの豊かさを示しています。彼らは、パランの荒れ野のカデシュに戻り、その旨を報告をします(27節)。

 

 ところが、それによって約束の地に向かって出発ということにはなりませんでした。というのは、「その土地の住民は強く、町という町は城壁で囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけ」(28節)たと、からです。

 

 アナク人とは、「首が長い者」という言葉から派生した「巨人」を意味するものです。ダビデ王がまだ羊飼いをしていた少年時代に戦ったペリシテ人戦士ゴリアトは、背丈が6アンマ半(約3メートル)もあり、アナク人の子孫と考えられます(サムエル記上17章4節)。

 

 偵察隊が出した結論は、「あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々より強い」(31節)というものでした。この結論が妥当であることを示すため、彼らは約束の地について、非常に悪い情報を流します(32,33節)。

 

 しかし、この情報は事実に基づいているとは言えません。初めは「そこは乳と蜜の流れるところでした」(27節)と報告し、その地の果物を持ち帰って見せていたのに(同節)、「そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ」(32節)と論評しているからです。同様に「我々が見た民は皆、巨人だった」(同節)というのも、誇張が過ぎるでしょう。

 

 これは、主を怒らせ、あるいは悲しませるものです。主は「わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地」(2節)と仰っておられました。その土地について悪い情報を流すということは、主なる神がくださるものは悪いものだということであり、また、その土地を手に入れることは出来ないということだからです。つまり彼らは、主の御言葉は信じられないと言っているわけです。

 

 確かに、目に見える現実と主の御言葉、どちらを信じ、どちらを取るかと言われて、目に見えない神を信じ、その御言葉に立つというのは易しくないことでしょう。けれども、カレブはそれをしました。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」(30節)と言います。主なる神とその御言葉への信仰が、それを語らせたのです。

 

 「人間にできることではないが、神はできる。神は何でもできるからだ」(マルコ10章27節など)と言われる主イエスを信頼し、御言葉の光の内を歩ませていただきましょう。

 

 主よ、信じます。不信仰の私たちをお助けください。私たちは自分の中に、希望や平安の根拠を持ちません。主こそ、希望の源であり、平和の源であられます。信仰によって得られるあらゆる喜びと平和で私たちを満たし、聖霊の力によって希望に満ち溢れさせ、主の御業に励む者とならせてください。 アーメン

 

 

「しかし、今はアマレク人とカナン人があの平野に住んでいるから、向きを変え、明日、葦の海の道を通って、荒れ野に向けて出発しなさい。」 民数記14章25節

 

 パランの荒れ野、カデシュ・バルネアから、主なる神がイスラエルの民に賜ろうとしている約束の地カナンを偵察したところ、そこは確かに「乳と蜜が流れる」と言われるほど豊かな土地でした(13章23,27節)。けれども、先住民はとても強そうで(同28,29節)、彼らと戦ってもイスラエルに勝ち目はないと、斥候たちには思われました。

 

 そこで、「あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」(同31節)と言い、「我々が偵察してきた土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった」(同32節)、「我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にも沿う見えたに違いない」(同33節)と言って、カナンの地に向かって行くことに反対しました。

 

 斥候たちの悪い情報を聞いたイスラエルの民は、エジプトか、この荒れ野で死ぬ方がまだましだ。カナンの地に行けば、自分たちは剣で殺され、妻子は奪われてしまう。そうなる前にエジプトに引き返そうと言い出します(2~4節)。イスラエルの民にとって、エジプトの国を逃れ出たことは、自分たちに対する神の悪意のようにしか思えなくなっていたのです。

 

 一方、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブの二人は、「我々が偵察してきた土地は、とても素晴らしい土地だった。もし、我々が主の御心にかなうなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう」(7,8節)と告げ、「ただ主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食に過ぎない」(9節)と進言します。

 

 けれども、共同体全体はすっかりほかの斥候たちの悪い情報に洗脳され、ヨシュアたちの言葉に耳を貸さないだけでなく、彼らを石で打ち殺せと言います(10節)。律法に定められた石打ちの刑は、神を冒涜する者や父母に不従順な者、姦淫をする者などに執行されるものですが(レビ記24章14節以下、申命記21章18節以下、22章21節以下など)、ここでは本末転倒の状況になっています。

 

 そのとき、主の栄光がイスラエルのすべての民に現れます(10節)。主が臨在の幕屋に臨んでおられること、神の権威をもって民を裁こうとしておられることが、強く印象づけられます。主は「この民は、いつまでわたしを侮るのか」(11節)と言われ、「わたしは、疫病で彼らを撃ち、彼らを捨て、あなたを彼らよりも強大な国民としよう」(12節)と告げられます。

 

 それを聞いたモーセは、「もし、あなたがこの民を一挙に滅ぼされるならば、あなたの名声を聞いた諸国民は言うことでしょう。主は、与えると誓われた土地にこの民を連れて行くことができないので、荒れ野で彼らを殺したのだ、と」(15,16節)と主なる神をいさめます。

 

 そして、「今、わが主の力を大いに現してください。あなたはこう約束されました。『主は、忍耐強く、慈しみに満ち、罪と背きを赦す方。しかし、罰すべき者を罰せずにはおかれず、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問われる方である』と。どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください」(17節以下)と訴えます。

 

 主なる神は、驚くべきことに、このモーセの執り成しを受けて、いったん振り上げた拳を静かに降ろされます。その時に語られたのが冒頭の言葉(25節)で、主は「向きを変え、明日、葦の海の道を通って、荒れ野に向けて出発しなさい」と言われたのです。

 

 イスラエルの民がいるカデシュ・バルネアからは、約束の地カナンは、もう目と鼻の先でした。ようやくそこまでやって来ていたのに、「回れ右、前に進め」という号令がかかったのです。目指すのは約束の地ではなくて「荒れ野」です。

 

 主は、イスラエルの民を疫病で直ちに打ち滅ぼされたりはなさいませんでしたが、主の声に聞き従わなかった者はだれ一人として先祖に誓った土地を見ることはない、主を蔑ろにする者は荒れ野で死に絶え、約束の地に入ることは出来ないと言われたのです(26節以下、35節)。

 

 主は、主を否む罪を決して蔑ろにはなさいません。主に従って約束の地に進むより、荒れ野で死んだ方がましだと、自ら語ったとおりになるのです(3,27,28節)。子どもたちも、親が神に反抗した罪の呪いを負って、40年の荒れ野の生活を余儀なくされました(34節)。神を否む者は、父祖の罪が子孫に三代、四代までも問うと、十戒に言われていたとおりです(18節、出エジプト20章5節)。

 

 イスラエルの民が約束の地に入れなくなったのは、彼らが御言葉に信頼出来なかったからです(ヘブライ書4章2節参照)。斥候の言葉を聞いて、主の御言葉に従うのは無理、そうするには問題が大きすぎると考えたのです。その問題のゆえに主なる神がとても小さく、否むしろ、主の姿が全く見えなくなっていたのです。

 

 ただ、エフネの子カレブは違いました。彼は、目前の問題よりも主なる神の方が大きいと考えたのです。御言葉は必ず実現すると信じることの出来た者はなんと幸いでしょうか(ルカ福音書1章45節)。カレブは、ヨシュアと共に約束の地に入ることを許されました(24,30,31,38節)。

 

 多数決のルールに従えば、12人中10人が反対したのですから、約束の地に上って行かないという結論になるわけですが、しかし、神の民イスラエルにとって肝心なのは、主の御心はどうなのか、主なる神はどのように仰っているのかということです。

 

 ここで主は「荒れ野に向けて出発しなさい」と仰っていますが、荒れ野という場所が問題なのではありません。主が共におられるなら、たとえ嵐が来ようが、飲み水や食べ物がなかろうが、それらが問題ではありません。主のもとに、すべての問題の解決があるからです。

 

 荒れ野は私たちを試します。私たちが誰を頼りにしているのか、何に信頼を寄せているのかを試します。あなたが信頼しているのは、物ですか、人ですか。自分自身ですか。それとも主なる神ですか。荒れ野は、私たちが徹底的に神を信じ、その御言葉を信頼して従うことが出来るようにように訓練してくれる場所なのです。

 

 荒れ野は、裁きの場所、滅びの場所というだけではありません。明日を約束する道でもあります。「お前たちは、子供たちが奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる」(31節)と約束されています。

 

 主に信頼し、その御言葉に耳を傾けつつ、明日に向かって踏み出しましょう。明日を約束する主イエスを信じましょう。

 

 主よ、現実に振り回され、目に覆いが掛かってあなたが見えなくなる私たちの不信仰、不従順をお赦しください。いつも御顔を仰ぎ、御言葉を拝聴させてください。私たちを試みに遭わせず、悪しき者からお救いください。御言葉に信頼を置き、希望をもって前進することが出来ますように。 アーメン

 

 

「会衆は、あなたたちも寄留者も同一の規則に従う。これは代々にわたって守るべき不変の定めである。あなたたちも寄留者も主の前に区別はない。あなたたちも、あなたたちのもとに寄留する者も、同一の指示、同一の法に従わねばならない。」 民数記15章15,16節

 

 15章には「献げ物に関する補則」などが記されていますが、11~14章の民の反抗の記事と16章のコラによる反逆という記事に挟まれているので、多少違和感を感じさせられる書き方になっています。しかしながら、なぜこの記述がここに入れられているのかという観点でよく読めば、いくつかのことに気づかされます。

 

 先ず、「わたしが与える土地にあなたたちが行って住むとき」(2節)、「わたしが導き入れる土地にあなたたちが入り、そこから得た糧を食べるようになるとき」(18,19節)という表現が示すように、この補則が実行されるのは、今ではありません。カナンの地に定住するようになってからのことです。

 

 「穀物の献げ物」(4節)や「ぶどう酒の献げ物」(5節)、「輪型のパン」という献納物(20節)など、定住して農耕の生活が出来るようにならなければ、始まらない話です。そのように、約束の地に入らなければ実行出来ない規則が、イスラエルの民の反逆の物語の間に配置されているということは、決して無意味なことではありません。

 

 イスラエルの民は、不信仰と不従順によって神を怒らせました。それで「わたしの栄光、わたしがエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度もわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者はだれ一人として、わたしが彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。わたしをないがしろにする者はだれ一人としてそれを見ることはない」(14章22,23節)と言われていました。

 

 けれども、「お前たちは、子供が奪われると言ったが、わたしは彼らを導き入れ、彼らは、お前たちの拒んだ土地を知るようになる」(同31節)と告げて、彼らの子孫が約束の地に入り、そして、穀物やぶどうの収穫を得て神に感謝する生活をすることが出来るということを、この規則によって約束しているわけです。

 

 また、牛や羊、山羊などの献げ物と、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物をセットでささげるように規定されていますが(3節以下、9節以下、24節以下)、これは、レビ記23章に記されている三大祝祭日や、民数記6章のナジル人の誓願のときに、特別にささげるものでした。3節の「特別の誓願を果たすため、あるいは随意の献げ物を献げるとき、または祝日に」というのは、それを示しています。

 

 しかし、8節で「和解の献げ物」として、また、22節以下、過失で律法を守らなかった共同体の献げ物としても、それらをささげるようにと、レビ記3章以下の規定が改定されています。

 

 その上、それをするのは「土地で生まれた者」(13節)です。つまり、イスラエルの民は勿論のことですが、「あなたたちのもとに寄留する者や何代にもわたってあなたたちのもとに住んでいる人」(14節)、つまり、異邦人や奴隷という非ユダヤ人も同様だと、ここに言われています。

 

 出エジプト記12章43節以下の過越祭の規定で、寄留者や奴隷も、割礼を受けたなら、過越の犠牲を食べることが出来るとされていました。今回は献げ物です。献げ物をささげるのは、神の幕屋です。幕屋は、宿営の中心におかれています。つまり、寄留者や奴隷の身分の者が、献げ物において、その中心に招かれているわけです。

 

 そして、冒頭の言葉(15,16節)のとおり、イスラエルの民も寄留者も区別なく、同一の規則に従えと言われています。即ち、主の御言葉に従うことにおいて、主の御前に、イスラエルの民も異邦人寄留者も、同様に見なされるということです。

 

 イザヤ書56章には「異邦人の救い」が約束されており、そこに「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」(同7節)と記されています。すべての民が主を信頼し、主に祈りをささげ、そして、徹底的に主に聴き従うことを、主なる神が求めておられるのです。

 

 だから、主イエスがこの御言葉を引用しながら、神殿で主に仕える宗教指導者らが、神殿の中にいくつもの壁を立てて人々を分け隔てし、すべての人に与えられるべき神との交わりという恵みを、独善的に奪って自分たちだけのものにしようとして、主の神殿を「強盗の巣にしてしまった」(マルコ福音書11章17節)と言われたわけです。

 

 そして、ご自分の死をもって、至聖所と聖所を隔てていた垂れ幕を真っ二つに裂き(同15章37,38節)、「新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださった」(ヘブライ書10章20節)ので、主イエスを信じる者がだれでも、安心して神に近づくことができるようになったのです(同22節)。

 

 「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります」(エフェソ書2章19~21節)。

 

 これが神のご計画であり、恵みによって実現する神の御業です。主がしようとしておられることを妨げないよう、日々御言葉に耳を傾け、その導きに素直に従いましょう。

 

 主よ、私たちは先に救いの恵みに与った者として、全家族の救いを祈ります。友の救いを願います。日々の生活を通して、主の証しが出来るよう、聖霊の満たしと導きを求めます。私たちの隣り人と共に、主を神として礼拝する真の礼拝者として共に歩むためです。主を主がこの祈りを聞いてくださることを信じて、感謝します。 アーメン

 

 

「あなたたちは分を越えている。共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか。」 民数記16章3節

 

 16章には「コラ、ダタン、アビラムの反逆」が記されています。コラは、「レビの子ケハトの孫でイツハルの子」(1節)です。3章27節以下、4章1節以下に「ケハトの氏族とその務め」が記されています。彼らは聖所を警護し、契約の箱や供え物の机、燭台、香の祭壇、その祭具などに関わり、レビの他の家系と比べて重要なポストを任されています。

 

 祭司アロンと指導者モーセもケハト族で、アムラム家に属します。コラが冒頭の言葉(3節)の通り「あなたたちは分を越えている」、「なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか」と語ったということは、彼は、モーセやアロンだけでなく、同じケハト族に属しているイツハル家の自分も、モーセのような指導的な立場に立てるはずだと言っていることになります。

 

 あるいは、アロンとその子孫だけでなく、イツハル家の自分たちでも、祭司としての務めにつけるはずだと考えていたのではないでしょうか。モーセが、「あなたたちは祭司職をも要求するのか」(10節)と語っていることからも、それが伺えます。

 

 コラの反逆に、ルベン族のダタンとアビラム、オン(1節)、そして集会の招集者である共同体の指導者250名の名のあるイスラエルの人々(2節)がそれに加担しています。ルベンはヤコブ=イスラエルの長男です。彼らが、反逆するコラの仲間となったのは、2章に記された「全軍の配置」で家族の長の位置を4男ユダに譲るかたちにされたことに対して、不満があるのかも知れません。

 

 彼らは、「あなたは我々を乳と蜜の流れる土地から導き上って、この荒れ野で死なせるだけでは不足なのか」(13節)と言います。ここで「乳と蜜の流れる土地」というのは、主なる神が与えると約束されたカナンの地のことではなく、奴隷とされていたエジプトを意味しています。

 

 つまり、豊かな土地であったエジプトから荒れ野に連れて来て、ここでイスラエルの民を死なせようとしているというわけで、これは15章41節で「わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である」と言われた主なる神に対する明白な反抗です。

 

 続けて、「我々の上に君臨したいのか。あなたは我々を乳と蜜の流れる土地に導き入れもせず、畑もぶどう畑も我々の嗣業としてくれない」(14節)と言います。これは、一年以上も自分たちを荒れ野におらせて、豊かな生活に導き入れることが出来ないモーセを、これ以上指導者として信頼し、従うことなど出来ないということでしょう。

 

 コラたちの「共同体全体、彼ら全員が聖なる者である」(3節)という主張は、正しいものです。「聖なる者」とは、主によって区別された者という意味です。イスラエルは主のものとして、他の民から区別されました。そして、イスラエルの民の中からレビ人を区別し、レビ人の中からアロンとその子孫を区別して祭司とし、モーセを指導者としたのも、主なる神なのです。

 

 「イスラエルの神はあなたたちをイスラエルの共同体から取り分けられた者としてご自身のそばに置き、主の幕屋の仕事をし、共同体の前に立って彼らに仕えさせられる。あなたたちはそれを不足とするのか」(9節)と言われているのは、そのことです。

 

 モーセとアロンに逆らったコラとダタン、アビラムは、家族、持ち物一切を家もろとも大地に呑み込まれ(32節)、すべて生きたまま陰府、即ち死者の世界へ落ちました(33節)。また、コラに仲間として引き入れられた共同体の指導者250名は、主のもとから出た火で焼き尽くされました(35節)。

 

 彼らが「なぜ、あなたたちは主の会衆の上に立とうとするのか」(3節)といってモーセとアロンに逆らったとき、その動機は何であれ、二人を会衆の指導者として立てた主なる神に対して反逆していたわけです。

 

 主から託された使命を、主への畏れをもって果たそうとしない者は、主によって重く用いられることはありません。主イエスが「不正な管理人のたとえ」(ルカ福音書16章1節以下)を話されて、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」(同10節)と教えてくださったとおりです。

 

 イザヤが預言者として召されたのは、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た」(イザヤ書6章1節以下)と主を畏れたときでした。ペトロが使徒として主イエスに召されたのは、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(ルカ福音書5章8節)と語った後でした。

 

 私たちも、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」です(第一ペトロ2章9節)。私たちを選ばれた教会の頭なる主イエスの御前に謙り、畏れの心をもって各々委ねられた使命を忠実に果たして参りましょう。主が私たちに委ねてくださった務めはいずれも、決してごく小さな事ではないからです。

 

 主よ、静岡教会に連なるすべての信徒が御前に謙り、日々御言葉に真剣に耳を傾け、そこに示された主の御心に従い、それを忠実に実行することが出来ますように。静岡の町に住む686,085名の人々の日々の祝福を願って主の恵みと導きを祈り、主イエスの証人として喜びをもって神の愛と恵みをお伝えすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「死んだ者と生きている者との間に立つと、災害は治まった。」 民数記17章13節

 

 主はモーセに、祭司アロンの子エルアザルに対して、共同体の指導者250名が焼き尽くされた焼け跡から青銅の香炉を取り出し、炭火は遠くにまき散らすように告げさせます(2節)。さらに、取り出した香炉を打ち伸ばして板金にし、祭壇の覆いを作るよう命じさせます(3節)。そして、「これは、イスラエルの人々に対する警告のしるしとなる」(同節)と主は言われました。

 

 祭司エルアザルは、モーセを通じて命じられたとおり、香炉を集めて打ち伸ばし、板金にして祭壇の覆いを作りました(4,5節)。それによって、モーセに対する反逆は収まるかと思われましたが、翌日、共同体全体が「あなたたちは主の民を殺してしまった」(6節)と言って、さらにモーセとアロンを非難します。

 

 このように不平が噴出してくる背景には、エジプトを脱出して既に1年以上が経過しているのに、未だに乳と蜜の流れる約束の地に入れず、荒れ野を彷徨っていること(16章14節)、それはモーセとアロンによるミスリードではないかという考えがあるのでしょう。

 

 あるいは、「お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。わたしに対して不平を言った者、つまり戸籍に登録された二十歳以上の者はだれ一人、わたしが手を上げて誓い、あなたたちを住まわせると言った土地に入ることはない」(14章29,30節)と主なる神によって断罪されたことに対して、反発する思いがあるのかも知れません。

 

 神が民を断罪されたのは、審きを文字通りに実行することがその目的ではなく、むしろそれによって、悔い改めに導くためです。モーセらに対する不平不満ではなく、必要を満たしてくださる主に信頼し、荒れ野に向かって出発することで信仰が試され、成長することが求められているのです。主は、すべての人々が救われて、真理を知るようになることを望んでおられるのです(第一テモテ2章4節)。

 

 モーセとアロンに反旗を翻したイスラエルの民が、臨在の幕屋の方を向くと、雲がそれを覆い、主の栄光が現れていました(7節)。「栄光」(カーボード)というヘブライ語は、もともと「重さ」を意味していました。主の御手がイスラエルの民の上に重くのしかかると、誰もそこから逃れることが出来ません。

 

 「神の力強い御手のもとで自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」(第一ペトロ5章6節)という御言葉があります。謙遜な態度が求められます。けれども、その時イスラエルの民は主なる神の御前に謙り、主が立てられたモーセとアロンの指導に素直に従うことが出来ませんでした。それゆえ、主の重い御手が民の上に厳しい裁きとなって臨むことになります。

 

 主はモーセに「この共同体から離れなさい。わたしは直ちに彼らを滅ぼす」(10節)と言われました。それを聞いたモーセは、そこで民のための執り成しの祈りをしていません。それは、主の御前から怒りが出て、既に疫病が始まっていたからです(11節)。

 

 そこでアロンに「香炉を取り、それに祭壇の火を入れ、香を載せ、彼らのために罪を贖う儀式を行いなさい」(11節)と言います。アロンはモーセの命じたとおりに香を焚き、罪を贖う儀式を行いました(12節)。そして、冒頭の言葉(13節)の通り、死んだ者と生きている者との間にアロンが立つと、災害は治まりました。

 

 大祭司は、死者に触れて汚れを身に負うことが禁じられていますが(レビ記21章10節以下、11節)、アロンは死者の汚れを引き受けて、生きている者の防波堤の役割を果たしたのです。疫病で17,400人が亡くなりましたが、モーセとアロンの働きで、災害は治まりました。ここに、アロンが主によって立てられた神の祭司であることが、はっきり目に見えるかたちで示されます。

 

 それは、主イエスが私たちのために十字架にかかり、罪の呪いをその身に受けて死んでくださったことにより、その命の代価をもって私たちを罪と死の呪いから贖い、永遠の命に預かり、神の子として生きる救いの道を開いてくださることを、予表しています。

 

 不信仰によって神の安息から漏れることがないよう、「わたしたちには、諸々の天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」(ヘブライ書4章14節)。

 

 主よ、あなたこそ生けるまことの神です。あなたが私たちを選び、その使命に与らせてくださったことを感謝します。しかし、私たちはその働きに相応しい者ではありません。知恵も力も足りません。主よ、委ねられた働きを忠実に果たすことが出来るよう聖霊に満たし、知恵と力を授けてください。宣教の御業が前進しますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたとあなたと共にいる息子たち、娘たちに与える。これは不変の定めである。これは、主の御前にあって、あなたとあなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である。」 民数記18章19節

 

 18章には「祭司とレビ人に関する規定」が記されています。ここには、「主はアロンに言われた」という言葉が3度(1,8,20節)記されています。それは、そこから新しい段落になるというしるしになります。25節に「主はモーセに仰せになった」という言葉があるので、ここには4つの段落があるということです。

 

 通常、アロンは、モーセを通じて主なる神の言葉を聞いていました。ここで主がアロンに直接語りかけられたのは、それによってアロンが主なる神に選ばれた祭司であることを確証しているかたちです。12章2節以下の「ミリアムとアロン」によるモーセの非難や、16章1節以下の「コラ、ダタン、アビラムの反逆」事件以来、アロンの祭司としての地位について、疑問視されていたのかも知れません。

 

 神は、アロンとその子らに、二つのものを賜物として与えたと言われます。それは、祭司アロンの務めを助け、幕屋の作業に従事するレビ人(3,4,6節)と、アロンを祭司職に任じたこと(7節)です。これらの賜物が与えられたのは、イスラエルの民を幕屋を汚す罪による死から守るためであり(3~5,7節)、その働きを通して主の恵みが民に届けられるためです。

 

 主は、聖なる献げ物の一部を「定められた分」(ホーク:口語訳「分け前」、岩波訳「割り当て分」、8節)として、アロン家の男子だけが食べられるのものとされています(10節)。「神聖な献げ物」について「穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物」(9節)とリストアップされています。

 

 次いで、「最上のオリーブ油、極上の新しいぶどう酒、穀物など、主にささげられた初物はすべて、あなたのものとなる。彼らの土地にできた初物で、彼らが主に携えるものはすべて、あなたのものとなる」(12,13節)と記されています。息子も娘も、男女を問わずそれに与ることが出来るのです(11節)。

 

 ここに告げられている献げ物の規定は、約束の地に定住し、収穫の恵みに与って初めて有効になるものです。8~19節で「これは不変の定めである」と3度(8,11,19節)語られるのも、アロンとの間に定められるこの規定が、アロンの子らにとっても有効であるという保証を与えているわけです。

 

 冒頭の言葉(19節)に「永遠の塩の契約」という言葉があります。「塩の契約」という言い方について、歴代誌下13章5節に「イスラエルの神、主が、塩の契約をもって、イスラエルを治める王権をとこしえにダビデとその子孫に授けられたことを、あなたたちが知らないはずはない」とあり、それは永遠、不変の契約という意味であることを示しています。

 

 ですから、ここで「永遠の塩の契約」と言われているのは、同じ意味の言葉を二つ重ねて「永遠不変」という意味を強調していることになります。それは、イスラエルの民が必ず約束の地に入ることが出来るということが、ここで強調されているということでもあります。

 

 アロンとその子らに献げ物の一部が授けられる根拠について、20節に「あなたはイスラエルの人々の土地の内に嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。わたしが、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である」と言われています。

 

 つまり、アロンとその子孫には、嗣業の土地という資産を持つことが許されません。だから、生活の基盤を主なる神の上に置いているのであり、献げ物の一部が与えられるのは、主の賜物と恵みに頼って生きることを、見えるかたちで証しするものだったのです。

 

 主イエスが、「人は皆、火で塩味をつけられる。塩はよいものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味をつけるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい」(マルコ9章49,50節)と言われました。ここで「塩」は、神との契約関係を示しています。

 

 これは、レビ記2章13節の「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ」という言葉で、塩が契約の永遠性を示しているのと同様です。

 

 人は、自分で塩味をつけることが出来ません。それは、「火」に象徴される聖霊の働きによるのです。永遠の命を授けて神の子としてくださった主に信頼し(ヨハネ1章12節、3章16節)、聖霊の働きによって日々内側から清められ、御子キリストの姿に造りかえられましょう(第二コリント3章18節)。

 

 主よ、私たちは皆、御子の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けました。私たちの内に働く御力により、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。教会の働きを通して、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなく神にありますように。 アーメン

 

 

「祭司は自分の衣服を洗い、体に水を浴びた後、宿営に入ることができる。しかし、祭司は夕方まで汚れている。」 民数記19章7節

 

 19章は、「清めの水」を取り上げています。9節では「罪を清める水」と言われていますが、11節以下で、特に死者に触れて汚れた者を清めるための水とされています。

 

 ここに、清めの水が取り上げられたのは、キブロト・ハタアワで疫病に打たれた人々をはじめ(11章31節以下)、カナンの地を偵察して悪い情報を流した者たち(14章36節以下)、レビ人コラやその仲間250名の指導者たち(16章参照)、そしてモーセとアロンに逆らって不平を言い、疫病に打たれた14,700人もの人々(17章6節以下)と、宿営内に死者が多数生じたからです。

 

 その葬りがなされたことを考えると、死者に触れずにすんだ者の方が少なかったのではないでしょうか。そうなると、社会生活に様々な支障が出て来ますから、宿営全体をその汚れからいかに清めるのかというのが、大きな問題になります。そこで、この定めが与えられたのでしょう。

 

 まず、赤毛の雌牛を宿営の外で屠り(2,3節)、その血を臨在の幕屋に向かって振りまきます(4節)。「正面に向かって」と言われますから、幕屋から東方、ユダ族を中心に宿営している地域の外側だろうと思われます。

 

 それから、その雌牛を焼きます。ここで、「皮も肉も血も胃の中身も」焼くという表現は、他に例がありません。というのは、焼き尽くす献げ物でも、血は祭壇の側面に注ぎかけられ(レビ記1章5節)、内臓は水洗いされるので(同1章9節)、血や胃の中身が共に焼かれることはないからです。すべてを焼き尽くして神にささげるということで、清めにつながるのでしょう。

 

 次いで、牛を焼いている火の中に、杉の枝、ヒソプ、緋糸を投げ込みます(6節)。これらは、重い皮膚病を患った人を清める儀式でも用いられています(レビ記14章6節)。それらのものが、汚れを清める力を持っていると考えられているのでしょう。

 

 そうして、その灰を集め、宿営の外の清い場所に保存します(9節)。その灰を容器に入れ、新鮮な水を加えると(17節)、それが清めの水となります。そして、その水にヒソプを浸し、死者に触れて汚れた人々などに振りかけて、汚れを清めます(18節以下)。

 

 この清めの水に関して、よく分からないのが、その作業に関わる人々がみな汚れると言われることです。冒頭の言葉(7節)で、雌牛を屠った祭司エレアザルが夕方まで汚れると記されています。汚れを身に受けることになるので、大祭司アロンではなく、息子の祭司エレアザルがこの儀式を任せられているものと思われます。

 

 これはまだ、屠られた雌牛とその血に触れたからと考えてもよいのですが、その灰を集めた者も汚れていると言われます(10節)。その灰は、罪を清める水を作る材料として集められたものだから、むしろ、その作業に携わる者は清くなると言われてもよさそうです。

 

 究めつけは、清めの水を振りかける人、その水に触れた者も汚れるとされるところです(21節)。人を清めるための水に触れて、その水を人に振りかけて、どうして汚れると言われるのでしょうか。水に触れた者が汚れるのであれば、水を振りかけられた人の罪がどのようにして清められるというのでしょうか。そのメカニズムは、全く理解不能です。

 

 ただ、私たちの罪のため、主イエスが贖いの供え物となられたということを考えると、少し見えてきます。神が罪を赦すと言えば、それで罪が清められるというのではなく、清い神の御子が私たちの汚れをその身に引き受けられることで初めて、私たちは清い者とされるのです。

 

 「善いサマリア人」の例え話で(ルカ福音書10章25節以下)、サマリア人は、追いはぎに襲われた人を見て憐れに思い(同33節)、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました(同34節)。

 

 翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」(同35節)と言いました。このサマリア人が、追いはぎに襲われた人の「隣人になった」人だと、主イエスは教えられます(36節参照)。

 

 そして、主イエスこそ、この例え話のサマリア人のモデルとなられたお方です。主イエスは、罪人の罪を自分の身に負ってその汚れを引き受け、罪そのもののようになられました(第二コリント書5章21節)。それによって私たちは清められたのです。主の打たれた打ち傷により、私たちを癒し、清め、解放し、自由の身にしてくださったのです(第一ペトロ書2章24節、ガラテヤ書5章1節)。

 

 「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を得させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです」(ガラテヤ書5章13,14節)。

 

 主よ、私たちは傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によって贖われました。それは、あなたの一方的な愛でした。真理なる主イエスを信じて魂が清められた者として、聖霊によって心に注がれる神の愛に満たされて、感謝と喜びをもって互いに深く愛し合うことを学び、実行する者とならせてください。 アーメン

 

 

「主はモーセとアロンに向かって言われた。『あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。』」 民数記20章12節

 

 イスラエルの共同体全体が、ツィンの荒れ野に入りました。それはイスラエル南部のネゲブの南に位置し、約束の地カナンの南端を指しています(34章4節)。

 

 そこでミリアムが死に、埋葬されました(1節)。出エジプトにおいて重要な役割を果たしたミリアムですが(出エジプト記2章1節以下、15章20,21節)、アロンと組んでモーセを非難したかどで神に打たれ(12章)、以来再び表舞台に登場してくることはありませんでした。

 

 ツィンの荒れ野、カデシュには飲み水がありませんでしたので(2節)、民がモーセとアロンを非難して、「なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか」(4節)と言います。問題に直面して平安を失い、未来に希望を持てなくなると、ここで死んだ方がましとか、昔はよかったとか言い出すのが、私たちの常です。

 

 二人が臨在の幕屋の入り口にひれ伏すと、主の栄光が現れ(6節)、モーセに「あなたの杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい」(8節)と言われました。

 

 モーセは命じられたとおり、主の御前から杖を取りました(9節)。そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて、「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか」(10節)と言いました。モーセが手を上げて、杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲むことが出来ました(11節)。

 

 ところが、このモーセの言動は、主を悲しませました。主の告げられた御言葉に素直に聴き従わなかったからです。だから、冒頭の言葉(12節)のとおり「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった」と断じられ、それゆえ「あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」と告げられたのです。

 

 問題は、モーセが会衆に語った言葉です。主なる神は「『反逆する者らよ、聞け』と民に告げよ」とは仰いませんでした。確かに、民は繰り返しモーセに逆らい、非難を口にしました。その都度、モーセはそれに対応して来ました。11章以来繰り返されて来た指導者批判に、いい加減にしないかという思いにさせられたというのは、理解出来ないものではありません。

 

 けれども、モーセは何を考えて、「この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか」と語ったのでしょうか。それは、私はあなたたちの召使いなのか、何故に私があなたたちのために水を出さなければならないのかという思いでしょう。また、私がこの岩から水を出すことができるとでも思っているのか、それは出来ない相談だといった思いでしょう。

 

 「あなたたちはわたしを信じることをせず」と主が仰っているということは、モーセが自分には出来ないことと思っているだけでなく、主の仰るとおりにしても、それでは水を出すことが出来ないのではないかと考えていたことになります。

 

 また、絶えず自分を非難し、あれこれと文句を言って来るイスラエルの民のために、水を出してやりたくはないと言っているのであれば、岩から水を出すという主の御業を、自分自身の栄光にすることです。そして「彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい」(8節)と言われた主の御心に背いています。

 

 ここで決定的なことは、主は「岩に向かって、水を出せと命じなさい」(8節)とモーセに命じられたのですが、モーセはそのとおりにせず、杖で岩を二度打ちました(11節)。杖で岩を打って水を出すというのは、十戒が授与される前に一度、レフィディムで経験していたことでした(出エジプト記17章5,6節)。

 

 つまり、モーセは主の御言葉に注意深く聴き従うことをせず、むしろ、それでは水を出すことは出来ないと考えて、自分の経験に従って杖で岩を打ったのです。そして、二度打ったということは、一度では水が出なかったので、もう一度岩を叩いたというわけです。それは、まさに御言葉への不信であり、不従順でしょう。

 

 歴史に「タラレバ」をいっても仕方がありませんが、もしも一度打ったところで気がついて、主の御前に悔い改め、あらためて主の御言葉を思い起こし、主が告げられたとおり、岩に命じて水を出そうとしていれば、その後の展開はまったく違ったものになったはずです。

 

 ただ、そのようなモーセの不信仰、不従順にも関わらず、2度叩いた岩から水がほとばしり出たのは、主が恵み深く、民の必要を満たされるお方であること、即ち、主が聖なるお方であられることを、自らお示しになられたということです。

 

 こうして、主が聖なるお方であること、主の御言葉が聖であることを示さなかったモーセとアロンに対して、主なる神は「この会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」(12節)と告げられ、神の民を導く指導者の座から退けられることになります。

 

 彼らは二人とも、約束の地を前にしながら、あと一歩のところで入れないということになります。一度の過ちが、取り返しのつかないことになってしまいました。イスラエルの民をエジプトの地から導き出したモーセとアロン兄弟、そして姉のミリアムは、誰も約束の地をその足で踏むことが出来なくなってしまったのです。

 

 この出来事の後、カデシュを旅立ってホル山に着いたところで、アロンは死に、先祖の列に加えられました(22節以下、28節)。また、モーセも後継者を任命した後(27章12節以下、申命記31章)、モアブ領アバリム山地のネボ山に上り、約束の地カナンを見渡して、息を引き取り、葬られました(申命記34章)。主に近くあることに、畏れを持たざるを得ません。

 

 その引き金は、民の不平でした。不信と不平によって、出エジプト第一世代は、モーセとアロン、ミリアムも含め、殆ど荒れ野で命を落とすことになります。あらためて、互いに主の御前に柔和と謙遜を学ばなければなりません。主の御言葉に真剣に注意深く耳を傾け、素直に聴き従って参りましょう。

 

 主よ、誰よりも謙遜で主と会衆に仕えて来たモーセが指導者として相応しくないと言われるのであれば、主の御前に立つことができる者など一人もいません。そうです。今私たちが主とともに歩むことができるのは、すべて主の恵みです。そのことを忘れ、思い上がることのないよう、常に主を畏れ、日々御言葉に注意深く耳を傾け、素直にその導きに従って歩ませてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。」 民数記21章9節

 

 イスラエルの民は、祭司アロンが息を引き取ったホル山(20章27,28節)を、30日間喪に服した後に旅立ち、エドムの領土を迂回しながら、モアブの地を目指します(4,10節以下)。エドムを迂回するのは、領内を通過する許可が下りず、かえって強力な軍勢で迎え撃つと警告されたからです(20章14節以下、18節)。

 

 そこで、迂回路を進むほかなかったというわけですが、民は途中で耐えられなくなり(4節)、神とモーセに逆らって、「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか、パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます」(5節)と文句を言います。

 

 女預言者ミリアムや大祭司アロンを失って、この先、どうなるのかという不安が広がったのでしょうか。また、カデシュからネゲブに進んで来たのに、逆戻りするように南下して反時計回りにエドムを迂回するルートを進むのは、いつになったら約束の地につけるのかという思いにさせたことでしょう。その上、パンや水の蓄えもないという現実に、不満が出るのもやむを得ないという状況ではあります。

 

 しかしながら、彼らが「こんな粗末な食物」(5節)と呼んでいる「マナ」は、神が彼らのために提供されたものです(出エジプト記16章)。民は何の苦労もなく、毎朝それを集め、食事をすることが出来ているのに、あからさまに不平を言うということは、民の間に神への畏れや感謝の心が失われている証拠です。

 

 かつてイスラエルの民は、シナイの荒れ野を発ってパランの荒れ野を三日の道のり進んだんだ時、飢えと渇きを訴え、「今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」(11章6節)と泣き言を言いました。主は彼らにうずらをお与えになりましたが、主は食べ始めた民に憤りを発し、激しい疫病で打たれたのです(同31節以下)。

 

 彼らはここで、以前の出来事を忘れてしまったかのごとく、再び同じような文句を言っているわけです。主はそういう民の不満の言葉を聞いて、炎の蛇を民に向かって送られました。蛇が民を噛んだので、多くの死者が出ました(6節)。

 

 「炎の」(サーラーフ)という形容詞は、蛇の毒で燃えるような感覚を覚えることを表わしているそうです。また、火は神の裁きを示すものですから、主の憤りを表現するものとして、「炎の蛇」という表現が用いられたのではないでしょうか(11章1節参照)。

 

 民はモーセのもとに来て、「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って蛇を取り除いてください」(7節)と罪を告白し、執り成しの祈りを要請します。ここ以外で民が主に背いた罪を告白したのは、約束の地を偵察した後、その地を悪く言って民の心をくじいて主の怒りを買い、不平を言った者は約束の地に入れないと宣告されたときだけです(13章1節以下、14章40節)。

 

 「我々は誤っていた」(14章40節)と言いましたが、それは二度と主に背かず、主に聴き従うという意味ではありませんでした。「荒れ野に向かって出発しなさい」(同25節)と告げられていたのに、「主が約束されたところへ上って行こう」と言い、「どうして主の命令に背くのか。成功するはずがない」(同41節)というモーセの警告を無視して行動したからです(同44節)。

 

 ここで改めて、民の悔い改めの姿勢が問われます。モーセが民のために祈りをささげると、主は「炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(8節)と言われました。血清を造らせて民を癒したとか、神の力で蛇を消滅させるというような方法ではなかったのです。

 

 なぜ、竿の先に掲げられた炎の蛇を見上げるだけで、助かるというのでしょうか。勿論、そこに科学的な根拠などあるはずがありません。竿の先に掲げられた蛇が毒を消すのではなく、主がそれをなさるのです。しかしながら、主は民に信仰を要求し、御言葉に従うかどうかを試されました。

 

 冒頭の言葉(9節)のとおり、モーセは青銅で蛇を造り、それを旗竿の先に掲げました。「蛇」は「ナーハーシュ(nachash)」、「青銅」は「ネホーシェト(nechoshet)」という、非常によく似た単語で、いわゆるダジャレのようになっています。

 

 旗竿の先に掲げられた青銅の蛇を仰ぎ見た人は、命を得ました(9節)。そんなばかばかしいことは出来ないと考えて蛇を見上げなかった人は、命を落としたことでしょう。即ち、旗竿の先に掲げられた青銅の蛇に人を癒す力があるのではなく、「蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る」(8節)と言われた主を信じ、御言葉に従う者に、癒やしの恵みが与えられたのです。

 

 後に、主イエスがこの出来事を律法学者ニコデモとの対話の中で取り上げて、「モーセが荒れ野で蛇をあげたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである」(ヨハネ福音書3章14~15節)と言われました。「人の子も上げられる」とは、十字架につけられることであり、また、復活後に天に上げられることでもあります。

 

 主なる神は、民の罪を裁いて炎の蛇を送って死をもたらし、竿の先に掲げられた青銅の蛇によって民に命を得させられました。そのように、主イエスの十字架は私たちの罪の裁きの場であると同時に、主イエスを信じる者に罪の赦しと永遠の命を与える救いの場なのです。

 

 主イエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と招かれます(ルカ福音書9章23節)。先立って歩まれる主イエスを絶えず拝しながら、日々、十字架を背負って主に従って参りましょう。

 

 主よ、神を畏れず、感謝を忘れた者たちは、不平不満に満たされ、やがて死を招きました。しかし、悔い改めて御言葉に従い、十字架の主を拝する者は命を得ました。弱い私たちを助け、常に信仰をもって主を仰がせてください。あなたこそ、主であって私たちを癒す方だからです。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「バラムは主の御使いに言った。『わたしの間違いでした。あなたがわたしの行く手に立ちふさがっておられるのをわたしは知らなかったのです。もしも、意に反するのでしたら、わたしは引き返します』。」 民数記22章34節

 

 22~24章は、「バラクとバラム」について記されています。モアブ人の王ツィポルの子バラクは(4節)、おびただしい数のイスラエルの民が近づいて来るのを見て恐れをなし(2,3節)、「ユーフラテス川流域にあるアマウ人の町ペトルに住むベオルの子バラム」(5節)を招き、イスラエルを呪ってもらおうと考えました(6節)。

 

 21章27節以下に、モアブがアモリ人の王シホンに滅ぼされ、捕虜となったという歌が記されています。アモリ人の勝利を祝う歌がそこに記されているのは、モアブ人に勝ったアモリ人を、イスラエルが打ち破ったからです。モアブに勝ったアモリ人を打ち破ったイスラエルが、いかに強いのかということを強調しているわけです。

 

 それによって、モアブの王バラクがイスラエルの民を恐れるのは、当然の成り行きだということを示しているのです。そこで、バラクは、長老たちを使者として礼物を持たせ、イスラエルに呪いをかけることを依頼するために、遠路はるばる預言者バラムのもとに遣わします(7節)。

 

 しかし、バラムが主の前に伺いを立てると(10,11節)、主は「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」(12節)と答えられました。それでバラムは、バラク王の使者に断りを告げます(13節)。

 

 バラク王は使者が役不足だったのかと考えて、次には政府高官を派遣し(15節)、「あなたを大いに優遇します。あなたが言われることは何でもします」(17節)と、まるで、白紙の小切手を渡して、好きなだけの金額を書き込みなさいといわんばかりの招き方をしました。

 

 バラムは、「たとえバラクが、家に満ちる金銀を送ってくれても、わたしの神、主の言葉に逆らうことは、事の大小を問わず何もできません」(18節)と言いつつ、もう一度主の前に出ます。すると、先には「彼らと一緒に行ってはならない」と言われた神が、「立って彼らと共に行くがよい。しかし、わたしがあなたに告げることだけを行わねばならない」(20節)と、方針を転換されました。

 

 「ところが、彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった」と22節に記され、抜き身の剣を手にした主の御使いが、妨げる者となって道に立ちふさがります。「妨げる者」とは「サタン」という言葉です。これは、どのように考えたらよいのでしょうか。

 

 ヨブ記1,2章で、サタンは天上における主の御使いたちの集いに、ヨブの告発者として登場しています。その意味で、単に道をふさいで邪魔していたというのではなく、バラムを主の御前に有罪として告発するために、そこに立ちふさがっていたわけです。

 

 23節以下の「バラムとろば」のやり取りは、大変ユーモラスです。ろばが主の御使いを避けて道を逸れ、端に寄り、うずくまると、バラムは理由が分からず、ろばを打って思い通りに進ませようとします。バラムに三度も打たれたろばが口を開いて、バラムに抗議します。

 

 その時、主がバラムの目を開き、主の御使いを目にして、ひれ伏します(31節)。32節の主の御使いの言葉は難解です。「あなたはわたしに向かって道を進み、危険だったから、わたしは妨げる者として出て来た」という新共同訳の訳し方では、主の御使いがバラムを危険から守るために出て来たと読めます。

 

 けれども、それでは33節の「ろばがわたしを避けていなかったなら、きっと今は、ろばを生かしておいても、あなたを殺していたであろう」という言葉と合いません。守るために出て来たと言う主の御使いが、バラムを殺していたであろうというからです。

 

 「あなたはわたしに向かって道を進み、危険だったから」を、新改訳は「あなたの道がわたしとは反対に向いていたから」、岩波訳は「この道が、わたしの意に反する、堕落させるものだから」と訳しています。つまり、主の御使いが抜き身の剣をもって道をふさぎ、その道から逸れさせようとしていたと解釈される訳し方です。

 

 それにしても、ろばに見えた主の御使いが、預言者に見えなかったというのは、皮肉なことですね。それは、「立って彼らと共に行くがよい」(20節)という神の御告げに従った行動でしたが、バラムは「あなたを大いに優遇する。言われることは何でもします」(17節)という報酬の大きさに目がくらんでいたということだったのでしょう。

 

 最初に「一緒に行ってはならない、呪ってはならない」(12節)と告げられてたのですから、再度やって来た使者のために改めて託宣を求めているのは、その際に持ちかけられた報酬に、バラムの心が動かされていたという証拠でしょう。このようにバラムの心の内にあるものを、主の御使いが「妨げる者=サタン」となって告発しようとしていたわけです。

 

 新約聖書において、使徒ペトロが「バラムは不義のもうけを好み」(第二ペトロ書2章15節)と記し、主イエスの弟ユダも「金もうけのために『バラムの迷い』に陥り」(ユダ書11節)などと語っていて、バラムの行動が金儲けのためだったと指摘しています。

 

 主によって目が開かれ、抜き身の剣を持った主の御使いを見たバラムは、すっかり肝を潰して、冒頭の言葉(34節)を語りました。主の御前に、自分がろばよりも劣る者であることが明らかにされ、それゆえ、バラムが預言者であるのは、彼の能力によらず、主が彼を預言者として用いようとされているからだと、繰り返し教育されたのです。

 

 だから、「もしも、意に反するのでしたら、わたしは引き返します」とバラムが言うのに対して主の御使いは「この人たちと共に行きなさい。しかし、ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい」(35節)と、先の託宣と同じことを告げます。

 

 ここに主なる神は、バラムをイスラエルを呪う呪(まじな)い師としてでなく、イスラエルを祝福する主の預言者として召し、モアブの王バラクのもとに遣わそうとされているのです。そのときにバラムが報酬などに心惑わされてしまわないように、主の御使いによって、しっかり釘を刺されたわけです。

 

 私たちも、置かれている状況や得られる利益、自分の目で見える行く末などに惑わされず、しっかりと御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みたいと思います。

 

 主よ、知恵と啓示の霊を賜り、神を深く知ることが出来ますように。心の目が開かれて、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、そして、私たちに対して絶大な働きをなさる神の力だどれほど大きなものであるか、悟らせてくださいますように。 アーメン

 

 

「あなたは、何ということをしたのですか。わたしは敵に呪いをかけるために、あなたを連れて来たのに、あなたは彼らを祝福してしまった。」 民数記23章11節

 

 モアブ人の王バラクは、招聘した預言者バラムが、自分の思い通りにイスラエルを呪ってくれると期待しました。バラクはアモリ人をうち破ったイスラエルを恐れていました。自分たちの国を守るためには、神の呪いをかけるしかないと考え、最強の預言者をユーフラテス川流域の町ペトルから招いたのです。それが成功すれば、報酬に糸目を付けないつもりでした。

 

 バラクに招かれた預言者バラムは、王の意に適う預言をしなければ、預言者としての地位や経済的な基盤だけでなく、生命を失うことさえあり得ます。安定した豊かな生活を望むなら、王の意に添う預言をすることでした。

 

 しかし、22章の出来事を通じてバラムは、神の告げられたことだけを語るように、強く示されていたのです。預言者とは、神が告げられたことをそのまま語る務めをなす者です。王の意向を汲んで、彼の気に入る言葉のみを語るというのであれば、それは預言ではなく、甘言、巧言でしょう。聞く人の気持ちをよくするというだけで、実際には何の助けにもなりません。

 

 「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)という言葉があります。御言葉を聞くために犠牲がささげられましたが(2,14節)、主が喜ばれたのは、謙って主に聴き従うバラムの心でした。

 

 バラムは、モアブの王バラクの求めに従ってイスラエルを呪うどころか、逆にイスラエルを祝福する言葉を告げます(7節以下)。イスラエルを祝福し、出来ることならイスラエル人になりたいといったことまで言うバラムに(10節参照)、バラクは驚愕してバラムを別の場所に連れて行きます(27,28節)。

 

 預言者バラムがイスラエルを祝福したのは、イスラエルの民の数や勢いに圧倒されたのかも知れないとバラクは考えたのでしょう。だから、イスラエルを呪うことに集中してもらうため、彼らの姿が見えないところで、呪いの儀式を行ってもらいたいと考えたわけです。

 

 しかし、どの様に手を変え、品を買えても、バラムはイスラエルを祝福することをやめません。自分たちの生存を脅かすイスラエルを祝福する言葉は、バラクにとって聞くに堪えない、むしろ自分自身に対する呪いの言葉に聞こえたことでしょう。

 

 とうとうバラクは激しく怒り、バラムを無報酬で追放することになります(24章10~11節)。バラクの心は、イスラエルに対する恐れとバラムに対する怒りで、ますます混乱してしまったでしょう。彼はどうすればよいのでしょうか。

 

 バラムがイスラエルを、「見よ、これは独り離れて住む民、自分を諸国の民のうちに数えない」(9節)と祝福しています。独り離れて住むというのは、独りぼっちということではなく、他には類を見ないとてもユニークな存在、神に選ばれた特別な民であるという意味です。それは、イスラエルが祝福の源であり、すべての民はイスラエルによって祝福に与ることが出来るということでしょう。

 

 神はアブラハムに対して「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12章2,3節)と約束されました。バラムはイスラエルを祝福して、神の祝福に与ったのです。

 

 考えてみると、バラムはバラクに逆らっているわけではありません。むしろ、バラクを守り、祝福に与らせようとしているわけです。イスラエルを祝福することが、バラムの祝福となり、彼を招請したモアブ王バラクとその民を豊かに祝福することになるからです。

 

 逆に、イスラエルを呪うことは、自分自身に呪いを招くことです。このことは、ロバが預言者バラムの言うことを聞かなかったのは、主の御使いの剣からバラムを守ろうとしたことだったという出来事(22章22節以下)と同じです。

 

 しかし、敵を祝福するというのは、バラク王でなくても、容易く出来ることではありません。自分の感情に従うならば、それは不可能なことでしょう。もし出来るとすれば、それは主なる神の御言葉に信頼することです。神が祝福せよと言われるから、敵でも祝福するのです。

 

 それをまず神が、私たちのために行ってくださいました。神は、私たちがまだ弱かったとき、罪人であったとき、敵であったときに私たちを愛して、私たちのために独り子イエス・キリストを遣わし、十字架で贖いの業を完成してくださったのです(ローマ書5章6節以下)。

 

 私たちを愛して命を捨ててくださった主イエスの教えに従い、呪いの相続を祝福の相続に変えましょう。呪いの言葉を祝福の祈りに変えて、幾千代にも及ぶ神の祝福に与らせていただきましょう(出エジプト20章6節など参照)。

 

 主よ、以前、ルワンダの和解のプロジェクトについて聞きました。国の復興は、敵を赦すことからしか始まらないと教えられました。感動でした。自分を傷つけた者を決して赦せないでいる私たちを、敵を赦し愛する者と変えてください。敵としか思えない人のために祝福を祈る者としてください。主の平和と喜びが私たちの心を満たしますように。 アーメン

 

 

「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。」 民数記24章17節

 

 1節に「バラムは、イスラエルを祝福することが主のよいとされることであると悟り、いつものように、まじないを行いに行くことをせず、顔を荒れ野に向けた」とあります。そうして、荒れ野に宿営しているイスラエルの民を眺めていると、神の霊がバラムに臨んだのです(2節)。まるで、バラムがイスラエルの主なる神の預言者であるかのような表現です。

 

 23章で主の託宣を受ける際には、「主は、バラムの口に言葉を授け」(23章5節)、「主はバラムにあい、彼の口に言葉を授け」(同16節)と言われていました。その時は、言葉だけが彼に託されたようです。けれども、今は神ご自身が霊としてバラムのうちに臨まれ、バラムに祝福を語らせておられるのです。

 

 バラムは4節で「神の仰せを聞き、全能者のお与えになる幻を見る者、倒れ伏し、目を開かれている者の言葉」と述べています。今ここに私利私欲を離れ、また呪いなどによらず、主なる神に目が開かれて預言を語るというのです。まさにバラムは「イスラエルを祝福することが主のよいとされることであると悟り」、それによって神の祝福を受けているのです。

 

 4節の「倒れ伏し」というのは、神の霊の力によって、神に従うこと以外の道がすべて閉ざされた、もはや神の前に無条件降伏だという表現でしょう。そしてそれは、バラムにとって屈辱などではありません。「いかに良いことか、ヤコブよ、あなたの天幕は、イスラエルよ、あなたの住む所は」(5節)と祝福するところに、その喜びが言い表されています。

 

 しかしながら、イスラエルを呪うために招いたはずの預言者バラムが、このように再三祝福を語るのを聞いて、モアブの王バラクは激しく怒り(10節)、「自分のところに逃げて帰るがよい。お前を大いに優遇するつもりでいたが、主がそれを差し止められたのだ」と告げます(11節)。ぐずぐずしていれば、罰を与えるぞという脅迫です。

 

 当初、報酬に目がくらんでいたようなバラムでしたが(22章31節以下)、ここでは王バラクの脅迫に対して「たとえバラクが、家に満ちる金銀を贈ってくれても、主の言葉に逆らっては、善にしろ悪にしろ、わたしの心のままにすることはできません。わたしは、主が告げられることを告げるだけです」(13節、22章18節)と答えます。

 

 王の言葉に怖気づくどころか、却ってその感情を逆なでするかのように、「あなたに警告しておきます」(14節)とさえ告げています。そうして15節以下、第4の託宣を述べます。

 

 そこに、今バラムが見ている幻が語られます。それは、冒頭の言葉(17節)に見るとおり、「彼」、「星」、「笏」として語られている、イスラエルに優れた指導者が出現するという預言です。しかし、それは、既に存在しているとか、すぐに登場して来るということではありません。「今はいない」、「間近にではない」と言われているからです。

 

 特に、「笏」は王権を示すものであり、「星」もその栄光と輝きを表わしています(黙示録22章16節も参照)。イスラエルの王として登場して来る人物が、「モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕」きます。18節の「エドム」と「セイル」は同じ意味であることから(創世記32章4節)、「シェト」はモアブのことを言っていると考えてよいでしょう。

 

 サムエル記下8章2節に「(ダビデは)モアブを討ち、彼らを地面に伏させて測り縄で測り、縄二本分の者たちを殺し、一本分の者は生かしておいた。モアブ人はダビデに隷属し、貢を納めるものとなった」と記されています。

 

 勿論、バラムはダビデのことを知って、そのように預言したわけではないでしょう。いつしか、一人の優れた王が登場してきて、モアブを討つと語ったわけですが、それがダビデ王の代に実現することになるわけです。

 

 それは、バラク王がバラムを召した際に「あなた(バラム)が祝福する者は祝福され、あなたが呪う者は呪われることを、わたし(バラク)は知っている」(22章6節)と伝えさせていたとおり、バラムを通して語られた祝福がイスラエルに臨み、イスラエルを呪わせようとしたその呪いがモアブに臨んだということです。

 

 それはまた、バラムがイスラエルを祝福して「あなた(イスラエル)を祝福する者は祝福され、あなたを呪う者は呪われる」(9節)と語っていたことでもあります。イスラエルを祝福するバラムは祝され、イスラエルを呪わせようとしてそれに従わなかったバラムを脅迫した王バラクとモアブの民に、主の呪いが及ぶのです。

 

 アブラハムは祝福の源となるように召され、祝福を受けました(創世記12章2,3節)。信仰に生きる者こそ、アブラハムの子だとパウロは言いました(ガラテヤ書3章7節)。主イエスを信じる信仰に生き、アブラハムの子とされた私たちは、祝福の源となるように召されたのです。

 

 ペトロも、「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱の報いてはなりません。かえって、祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ3章9節)と記しています。

 

 主の御前に謙り、日々その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、世界にキリストの平和が実現されるため、命を愛し、舌を制して悪を言わず、唇を閉じて偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願ってこれを追い求めます。世界から貧困や虐待、差別、迫害などがなくなりますように。国々の指導者たちをはじめ、上に立つ者たちを祝福し、神の平和の御心を実現する者としてください。 アーメン

 

 

「彼と彼に続く子孫は、永遠の祭司職の契約にあずかる。彼がその神に対する熱情を表し、イスラエルの人々のために、罪の贖いをしたからである。」 民数記25章13節

 

 25章には、モアブの野のシティムと呼ばれる場所で、ペオルのバアルという神を礼拝したという物語が記されます。イスラエルの民がモアブの娘たちに惑わされ、主に背く行為をしたというのです。

 

 異邦人預言者バラムに主の御言葉が聞こえ、幻を見、聖霊の力に与ってイスラエルを祝福することが出来たのに(22章9節以下、24章3,4節、15,16節)、神に選ばれたイスラエルの民には、神の御告げが聞こえませんでした。ここにも、バラムとろばの関係に似た皮肉があります(22章22節以下)。

 

 出エジプト以来、偶像を拝んで神に背いたというのは、これが二度目です。最初は、十戒授与のためモーセがシナイ山に登っていて不在のおり、アロンが金の雄牛像を造り、それを主なる神として拝んだという出エジプト記32章の記事です。

 

 そのとき、モーセの召集令に応じたレビ人が(同26節)、雄牛像を拝み、踊っていた民を打ち、3千人ほどの者が倒れました(同27,28節)。そして主は「わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する」(同34節)と言われました。

 

 今回、イスラエルの民は、モアブの娘たちが神々に犠牲をささげるための食事に加わり、ペオルのバアルを慕うようになりました(2,3節)。18節の主の御言葉によれば、背後にミディアン人がいて、モアブの女性を利用してイスラエル人を巧みに惑わし、そうしてペオルの事件が引き起こされたものとされています。

 

 モーセに不満を抱いていた人々が、その惑わしに乗ってしまったということでしょうか。民の背きに憤られた主が、モーセに「民の長らをことごとく捕らえ、主の御前で彼らを処刑し、白日のもとにさらしなさい」(4節)と言われます。ということは、民の長たちだけではなく、多くの人々がその背きに加担していたわけです。だから、民の代表として長たちが捕らえられ、処刑されるのです。

 

 神の裁きが実行されようとして、共同体全体が主の御前に嘆き、悔い改めているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて入って来ました(6節)。それを見た祭司ピネハスがすぐさま立ち上がり、槍を手に取ってその二人を突き殺します(8節)。

 

 男はシメオン族のサルの子ジムリで、家族の指導者でした(14節)。女はミディアン人の部族の父祖の家の長ツルの娘コズビです(15節)。いわば、イスラエルに罪を犯させた首謀者の一人であったコズビが、シメオン族の指導者の一人であるジムリと共に処刑されることで、イスラエルを襲って既に2万4千人もの死者を出していた主の災いが、治まることになったわけです(8節)。

 

 かくて、主の憤りを治める働きをした祭司ピネハスに対して、冒頭の言葉(13節)の通り、その働きを「彼がその神に対する熱情を表わし、イスラエルの人々のために、罪の贖いをした」と主は喜ばれ、①主の平和の契約を授ける(12節)、②彼とその子孫は、永遠の祭司職の契約に与る(13節)と約束されています。

 

 詩編106編28節で「彼らはバアル・ペオルを慕い、死者にささげた供え物を食べた」と、ペオルの事件に触れ、同30節に「ピネハスが立って祈ると、疫病はとどめられた」と記しています。ここに、神によってもたらされた「災害」(9節)を「疫病」といい、バアルを慕った者を討ち、悪を取り除こうとした祭司ピネハスの行為(7,8節)を「祈り」といっています。

 

 詩人は、神のために熱心に働くことを、神への祈りと告げているわけです。その働きにより、イスラエルの災害は治まり、民に平和がもたらされました。すなわち、祭司は祈りによって、イスラエルの平和に仕える働きをするわけです。平和の契約を授けるとは、そのことでしょう。

 

 また、「永遠の祭司職」について、詩編110編4節に「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司メルキゼデク」と記されています。その御言葉を引用しながら、ヘブライ書の記者は、主イエス・キリストこそ、永遠のメルキゼデクに等しい大祭司であると言います(同5章10節、6章20節など)。

 

 私たちは、キリストの贖いによって、神と和解することが出来ました。すべての罪が赦され、神の子とされ、永遠の命に与りました。神と和解することが出来た私たちには、和解のために奉仕する任務が授けられています(第二コリント6章18節)。神から頂いた恵みを無駄にせず、主に結ばれてしっかり立ち、主の業に常に励みましょう(第一コリント15章52節)。

 

 主よ、キリストの贖いにより救いに与ったことを感謝致します。そして、和解のために奉仕する任務が授けられたことを感謝します。私たちが今日あるのはすべて、主の恵みです。その恵みを無駄にせず、使命を全うすることが出来ますように。霊の力を受け、御言葉に従順であることが出来ますように。 アーメン

 

 

「その中には、モーセと祭司アロンがシナイの荒れ野でイスラエルの人々を登録したときに登録された者は一人もいなかった。」 民数記26章64節

 

 26章には、「第二の人口調査」が記されています。それは、主がモーセと祭司エルアザルに、「イスラエルの人々の共同体全体の中から、イスラエルにおいて兵役に就くことのできる二十歳以上の者を、家系に従って人口調査しなさい」(2節)と命じて行わせたものです。

 

 1章に記されていた「最初の人口調査」では、部族ごとの家系の長の名が挙げられて、登録者数が記されていました。26章では、家系の長の代わりに氏族名が挙げられています。1章と26章で数えられた部族の順番は、マナセ族とエフライム族が逆転した以外に、違いはありません。登録者総数は、一回目が603,550人だったのに対し、今回は若干減少して、601,730人でした。

 

 部族毎に比較すると、最大部族は、ユダ族で1,900人増えています。第2位はダン族で、1,700人の増加になっています。一回目第3位だったシメオン族は37,100人減少させて最小部族になりました。

 

 シメオン族が数を減らした背景に、創世記34章のディナにまつわる事件や49章のヤコブの呪いがあります。また、人口調査の直前、ペオルのバアルを慕ったかどで災害が生じた際(25章1節以下)、ミディアンの女に惑わされたシメオン族の指導者ジムリが討たれたこと(同14節)も関係があるでしょう。

 

 一方、一回目最小だったマナセ族が20,500人増加して第5位になりました。増加率は断然トップです。マナセが増加した明確な理由を見いだすことは、きわめて困難です。その時々に、神に対して、また隣人に対して、いかに振る舞い、語ったかによって、登録された者の数に影響が出たということです。

 

 十戒の中で「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(出エジプト20章5,6節)と約束されている通り、自分の言動が自分だけでなく、子々孫々にまで影響を及ぼすわけです。

 

 同時に53節以下で、人数の多い部族には多くの、少ない部族には少しの嗣業の土地を与えよと言われており、今回の人口調査が、兵役のためだけでなく、嗣業の土地分配のためであることを表わしています。荒れ野の生活の中で神に祝され、その数を増した部族が、より多くの嗣業の地を取ることが出来るということになりました。

 

 冒頭の言葉(64節)は、この人口調査の結語です。驚くべきことに、40年前、シナイの荒れ野で登録された者は、一人もいないと言われます。40年前にも20歳以上50歳以下の者が登録されたわけですから、40年経った今、その人々は60~90歳になっています。「兵役に就くことができる」という条件があるので、二度目に登録される者が一人もいないというのは、当たり前なのです。

 

 けれども、一人もいないという報告は、60歳から90歳までの男性が、本当はいるけど登録されなかった、抹消されたというのではなくて、「主が、彼らは必ず荒れ野で死ぬと言われたから」(65節)と記され、「ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアを除いて、だれも生き残った者はなかった」(同節)ということですから、実際にその世代の男性が、その二人しかいないというのです。

 

 これは、神に背いた古い世代が一掃されたということ、しかるに、イスラエルの民が約束の地を嗣業の地として受けるという神の御計画には、何ら変更がないということをを示しています。そして神は、神の約束の地を受け継ぐ新しい世代のイスラエルの民が、神を愛し、その戒めを守って歩むように、期待しておられるのです。

 

 その民の中に、カレブとヨシュアがいます。約束の地を探る斥候の中でこの二人だけは、主が共におられ、必ず約束の地を与えてくださると主張しました(14章6節以下)。この信仰が彼らを救ったのです。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ書11章6節)。

 

 ヨシュアが、モーセの後継者として、イスラエルの民を約束の地に導き入れます。そして、先に召されたアロンに代わり、新しい世代の一人であるエルアザルが大祭司としての役割を受け継ぎ、モーセと共に登録者を数え上げました。

 

 絶えず主を仰ぎ、御言葉に信頼して歩みましょう。

 

 主よ、荒れ野の試みにおいて、多くの人々は不信仰、不従順のゆえに約束の安息に入ることが出来ませんでした。私には、ヨシュアやカレブのように信仰に立って行動出来るという保証はありません。だからこそ、あなたに依り頼みます。あなたから離れては何も出来ないからです。どうか、試みにあわせず、悪しきものからお救いください。 アーメン

 

 

「あなたの権威を彼に分け与え、イスラエルの人々の共同体全体を彼に従わせなさい。」 民数記27章20節

 

 12節以下の段落は、「モーセの後継者ヨシュアの任命」について記しています。主なる神はモーセに、「このアバリム山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えた土地を見渡しなさい。それを見た後、あなたもまた兄弟アロンと同じように、先祖の列に加えられるであろう」(12,13節)と言われました。

 

 モーセは、兄アロンと共にイスラエルの民をエジプトから連れ出した後、40年に亘って荒れ野を導いて来ました。けれども、アロンもモーセも、また女預言者であった姉ミリアムも、約束の地に入ることは出来ませんでした。ミリアムはカデシュで死にました(20章1節)。アロンはホル山で息を引き取りました(同28節)。二人してモーセに不平を言ったことが、その理由でしょう。

 

 モーセは、メリバで民に水を与える際、主の御言葉を注意深く聞かず、主が「岩に向かって、水を出せと命じなさい」(同8節)と言われたのに、杖で岩を二度打ちました(同11節)。それで主なる神は「イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない」(同12節)と言われていました。

 

 そして、いよいよモーセにも、最期の時が近づいて来ました。ただ、モーセには、約束の地を見渡すことが許されました(12節)。アバリム山から約束の地を見渡したら、それがモーセにとって、地上の生の最期になるわけですが(13節)、モーセは反発するわけでもなく、取り乱すでもなく、素直にその御言葉を受け入れています。

 

 その上で、「どうかこの共同体を指揮する人を任命し、彼らを率いて出陣し、彼らを率いて凱旋し、進ませ、また連れ戻す者とし、主の共同体を飼う者のいない羊の群れのようにしないでください」(16,17節)と主に求めました。モーセは、どこまでも民の指導者としての使命を果たそうとして、自分が召された後の心配をしているわけです。

 

 主はモーセの願いに、すぐに応えられました。「霊に満たされた人、ヌンの子ヨシュアを選んで、手を彼の上に置き、祭司エレアザルと共同体の前に立たせて、彼らの見ている前で職に任じなさい」(18,19節)と言われます。

 

 ここで、「霊に満たされた人」(イーシュ・アシェル・ルーアッハ・ボー)は、「霊がその人の内におられる」(a man in whom is the spirit)という言葉です。つまり、モーセが手を置いて自分の後継者として職に任じる前に、既に主ご自身がヨシュアを選び、その務めを果たすために必要な賜物を与えるため、彼の内に霊においてお住まいになっていたということです。

 

 主は、続けて冒頭の言葉(20節)で「あなたの権威を彼に分け与えなさい」と言われます。ここで、「権威」(ホード)という言葉は、普通「神の威光、尊厳」という意味で用いられるものです。それがここで「あなたの権威(ホード)」という言い方がなされるのは、モーセの有していた権威が神の権威、威光を表わすものであったということを示していると言ってよいのではないでしょうか。

 

 そのすべてをヨシュアに与えるというのではありません。原文は「あなたの権威から与えよ」(ナータッター・メー・ホーデハー)という言葉で、与えられるのが一部であることを示しています。だから、「権威を彼に分け与え」と訳されているのです。

 

 確かにヨシュアも傑出した指導者で、既に、エフライム族の長としてカナン偵察に派遣され(13章8節)、エフネの子カレブと共に信仰に立って語り(14章7~9節)、ほとんどの者が荒れ野で命を落とした中、約束の地に入る恵みを得ました(同30,31節)。

 

 ただ、「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られ」(出エジプト33章11節)ますが、ヨシュアとはそのようになさらず、彼は祭司エルアザルを通して、ウリムによる判断を聞かなければならないのです(21節)。

 

 これは、モーセのような指導者は、再び現れないということでしょうか。そうかも知れません。そしてそれは、一人の指導者によって導かれるのではなく、主に従う一人一人にその役割が分け与えられるというしるしなのでしょう。

 

 主なる神は私たちのために、神の御子イエスをお遣しになり、神の御心を教えてくださいます(ヘブライ書1章2節)。また、聖霊が私たちを導いて、真理を悟らせてくださいます(ヨハネ16章13節)。それは、私たちがキリストに従い、福音宣教の使命を全うするためなのです(マタイ28章18節以下、ヨハネ15章16節)。

 

 聖霊に満たされ、霊の賜物とその力を頂いて、めいめいの使命を全うすることが出来るよう、御言葉と御霊の導きを祈り求めましょう。

 

 主よ、あなたは御子によって天地を創造され、力ある言葉によって万物を支えておられます。その御子が私たちの身代わりとして十字架に死なれ、私たちはその贖いによって活かされています。その深い恵みのゆえに、主に委ねられた使命を全うすることが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン

 

 

「安息日には、無傷の一歳の羊二匹をささげ、上等の小麦粉十分の二エファにオリーブ油を混ぜて作った穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を添える。」 民数記28章9節

 

 28,29章には、出エジプト記29章38節以下、レビ記23章以下などにも記されていた「献げ物の規定」がまとめられています。28章には、毎日、毎週、毎月ささげる献げ物と(1~15節)、年度前半の祭の規定があり(16節以下)、29章には年度後半の祭の規定があります。

 

 初めにイスラエルの兵役に就くことの出来る男たちが数えられた後(1章)、全軍の配置(2章)とレビ人の務め(3,4章)が規定されました。それは、主なる神を中心として、空間的な秩序を定めるものでした。しばらくして、もう一度民の数が数えられたおり(26章)、献げ物の規定(28,29章)がなされたのは、それによって時間的な秩序を創り出すためです。

 

 主なる神は、天地創造の初めに光をお創りになりました(創世記1章3節)。それまで闇に閉ざされた無時間的な世界でしたが、光を昼、闇を夜と呼ばれ、夕べがあり、朝となる一日のリズムが形成されました(創世記1章3~5節)。昼から夜へと変わる夕べと、夜から昼へと移り変わる朝、「日ごとの献げ物」として、無傷の一歳の羊一匹ずつ、日ごとの焼き尽くす献げ物として、毎日ささげます(3節)。

 

 また、神は6日間で天地万物を完成され、第七の日に安息されたので、この日を祝福して聖別されました(創世記2章1~3節)。一週間の務めを終えて安息するとき、冒頭の言葉(9節)のとおり、無傷の一歳の羊二匹を、安息日ごとにささげるべき焼き尽くす献げ物として、主にささげます。

 

 天の大空に光る物として、太陽と月、星が作られました(創世記1章14~19節)。天体の運行により、季節が設けられ、一年が定められます。ユダヤでは、新月がその月の一日です。一ヶ月が経過して新月を迎えるとき、「一日(ついたち)の献げ物」として、雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹をささげ(11節)、それに贖罪の献げ物として、雄山羊一匹をささげます(15節)。

 

 第一の月の14日は主の過越(16節)、15日は除酵祭という祭りの日です(17節)。主の過越から50日目に七週祭を祝います(16節以下)。因みに、半年後の第七の月には、大贖罪日(29章7節以下)と仮庵祭(同12節以下)があります。

 

 かくて、日毎、週毎、月毎、そして年毎に献げ物をささげ、主なる神を礼拝するリズムが創られました。イスラエルの民は、主なる神を中心に、空間的時間的に秩序づけられ、それをもって、主のために聖別された民であることを示しています。

 

 イスラエルの民は、主の形作られた秩序、その権威に従うことをよしとせず、主に背き、異教の風俗、習慣にならい、偶像崇拝を行おうとする誘惑に、絶えずさらされていました。そして、その誘惑に打ち負かされた結果、主の恵みを失い、アッシリアやバビロニア、ギリシア、ローマの支配に支配され、国土をさえ失うことになったのです。

 

 あらためてこの「献げ物の規定」の中で、安息日の献げ物について具体的な指示がなされているのは、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の中では、この箇所だけです。他には、エゼキエル書46章4節以下にもう一度、言及されています。

 

 十戒には、主を礼拝する祝祭日について、過越祭や仮庵祭などの規定はありません。ただ安息日だけが、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20章8節)と規定されています。

 

 十戒に規定されるほどに重要な日なのですが、安息日の献げ物についての具体的な指示が、出エジプト記にもレビ記にもないというのは、少々驚きの発見です。勿論、ここに規定されているのですから、行われなかったということではありませんし、いい加減になされていたということでもないでしょう。

 

 ただ、「六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である」(同9~11節)という安息日の定めは、神殿がなくても実行可能なので、特に捕囚期に大きな意味を持つようになりました。

 

 イザヤ書58章13,14節に、「安息日に歩き回ることをやめ、わたしの聖なる日にしたいことをするのをやめ、主の聖日を尊ぶべき日と呼び、これを尊び、旅をするのをやめ、したいことをし続けず、取引を慎むなら、そのとき、あなたは主を喜びとする」(イザヤ書58章13,14節)と語られているのも、そのことを示しています。

 

 今日、私たちは神にいけにえをささげてはいません。それは、神の御子キリストが、罪のための唯一のいけにえとしてご自身をささげられ、罪と不法の赦しをお与えくださったので、罪を贖う供え物が必要でなくなったのです(ヘブライ書7章27節、9章23節以下、10章12,14,18節)。

 

 だからといって、献げ物は一切不要ということでもありません。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(詩編51編19節)と言われます。謙って主なる神を礼拝する私たちの心、思いこそ、主が求められるものだというのです。主を畏れ、謙って心から主を礼拝することこそ、主の日に相応しい献げ物ということです。

 

 また、「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」(ヘブライ書13章14,15節)と告げられています。私たちのために独り子をお与えくださった主の御名をたたえ、主に贖われた者として、主の喜ばれる務めに勤しむのです。

 

 日毎に主の御前に進み、御言葉に耳を傾けましょう。主の御心をわきまえ、委ねられた務めに励みましょう。主の恵みに感謝し、心から主をほめたたえましょう。主は、そのような礼拝者を求めておられるのです(ヨハネ福音書4章23,24節)。

 

 主よ、あなたは私たちに、謙って御言葉を聴き、御言葉に従うように教えてくださっています。それは、私たちが御言葉を守らなければならないからではなく、御言葉によって私たちが守られ、祝福されるためです。変わらない愛をもって常に守り導いてくださる主の御名がいよいよ崇められますように。 アーメン

 

 

「八日目には、聖なる集まりを開く。いかなる仕事もしてはならない。」 民数記29章35節

 

 28,29章には「献げ物の規定」がまとめられており、28章には、毎日、毎週、毎月ささげる献げ物と、年度前半の祭の規定、29章には、年度後半の祝日の献げ物の規定が、記されています。

 

 まず、7月1日に「角笛を吹き鳴らす日」として、聖なる集会を開きます(1節)。ユダヤ教では、この日を「新年の日」と呼ぶそうです。現在は、春を新年としていますが、春と秋のいずれを新年とするかで、綱引きがあったと聞いたことがあります。7月1日を「新年の日」と呼ぶのは、その名残ということでしょう。

 

 アメリカで9月が入学式になるという理由をきちんと聞いたことはありませんが、その背景にユダヤの暦の名残があるという話があります。となると、日本の4月~3月の学年度という年度のとらえ方はどこから始まったのか、興味のあるところです。

 

 10日にも、聖なる集会を開きます(7節)。ここには、この祝日の名が記されていませんが、レビ記23章27節には「贖罪日」と記されています。同16章に「贖罪日」の詳細な規定があり、そして同31節に「これは、あなたたちにとって最も厳かな安息日である」と記されています。

 

 年に一度、この日に大祭司は至聖所に入って、罪の贖いの儀式を行います(出エジプト記30章10節、レビ記16章3節以下、34節)。この日、民は「苦行」(レビ記16章29~31節、23章27,29節)、即ち断食を行います。

 

 贖いの儀式の後、大祭司は生きている雄山羊の頭に両手を置き、イスラエルの人々のすべての罪責と背きと罪を雄山羊の頭に移して荒れ野に追いやります(レビ記16章20~22節)。罪の身代わりとされることを英語でスケープゴート(scapegoat)と言いますが、それは、ここから来ています。

 

 「贖罪」(キプリーム)という言葉は、「覆う」(キッペル)という言葉から派生したものです。「いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」と詩編32編1節に詠われています。雄牛と雄山羊の血で主の目から罪が覆われ、それによって赦しが与えられるということです。

 

 最後の晩餐の席上、主イエスが杯を取って、「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マルコ福音書14章24節)と言われましたが、神の独り子なる主イエスの血によって私たちの罪が覆われ、神との新しい契約が締結されたわけです。

 

 15日にも聖なる集会を開き、その後、七日間祝祭が続きます(12節)。これは「仮庵祭」です(レビ記23章33節)。13節以下に、8日間にわたって祝われる祭りのためにささげられる献げ物のリストが、詳細に記されています。

 

 三大祭(過越祭、七週祭、仮庵祭)の中で、仮庵祭が最も盛大に祝われました。ユダヤには、「仮庵祭にエルサレム巡礼をしなかった者は、喜びとは何かを知らない者だ」という言葉があるそうです。そのことは、いけにえの量にも現れています。

 

   過越祭 牛14頭 羊7匹  小羊49匹  山羊7匹

   七週祭 牛2頭  羊1匹  小羊7匹   山羊1匹

   仮庵祭 牛71頭 羊15匹 小羊105匹 山羊8匹

 

 仮庵祭はぶどうの収穫祭ですが、約束の地に入ってぶどうなどの豊かな収穫にあずかったとき、エジプトの奴隷生活から脱出し、荒れ野を40年旅したときのことを忘れないようにするためのものであり(レビ記23章43節)、そのときの苦しみと比べて、約束の地での生活がいかに幸いなものであるかを知って、主に感謝するのです。

 

 ヨハネ福音書7章37節に「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日」という言葉があります。これは仮庵祭の最終日のことです。最大の祝祭日の最も盛大な祝日が終わりの日、即ち8日目のことというわけです。冒頭の言葉(35節)では、この日「聖なる集まりを開く」とあり、そこで神を礼拝します。

 

 そして、前日までと比べると、全く控えめな量のいけにえをささげます(36節)。雄牛は初日13頭から(13節)毎日1頭ずつ減って七日目7頭(32節)、それが八日目は1頭になります(36節)。雄羊は毎日2匹づつでしたが八日目は1匹、小羊は14匹ずつが八日目7匹となりました。

 

 にもかかわらず、ヨハネがそれを「盛大」と表現しているのは、人が神の御前に静まるときに、神の御声がさやかに聞こえたり、大いなる御業を見させていただくことが出来る。それこそが、神の民の最も大きな喜びであるということではないでしょうか。

 

 「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてある通り、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ福音書7章37,38節)と、そのとき主イエスが言われました。

 

 命の御言葉を受け、御霊の恵みに与り、「その人の内から生きた水が川となって流れ出る」と言われているように、主の御業のために働く者とならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたから離れて、私たちが実のある人生を送ることが出来ません。あなたこそ、恵みの源であり、また希望と平安の源であられるからです。私たちの感謝のしるしとして、賛美のいけにえ、即ち唇の実を絶えずあなたにおささげします。私たちを主に喜ばれるまことの礼拝者としてください。 アーメン

 

 

「人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。」 民数記30章3節

 

 30章には、「誓願の規定」が記されています。これは、前章39節の「満願の献げ物や随意の献げ物」という規定との関連で、ここに置かれたものと思われます。というのも、「満願の献げ物」は、誓願の際に、その願いが成就すれば献げ物をするという約束をして、実行されるというものだからです。

 

 「誓願の規定」の基本は、冒頭の言葉(3節)のとおり、「人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない」ということです。

 

 士師記11章に、その例があります。士師エフタがアンモン人との戦いに臨んで、「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします」(士師11章30,31節)と誓いました。

 

 その願いがかなえられ、アンモン人に勝利することが出来ました。ところが、凱旋して来たとき、一人娘が彼を出迎えたのです(同34節)。エフタは、「わたしは主の御前に口を開いてしまった。取り返しがつかない」(同35節)と語り、娘もそれに「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください」(同36節)と応じています。主の前に立てた誓いを、破ってはならないということです。

 

 4節以下には、女性が誓願を立てるときの規定が記されています。まず、結婚前で、女性が家にいるときには、父親がそれを許可することによって、その誓願は有効となります(5節)。しかし、父親の許可が下りなければ、誓願は無効です(6節)。

 

 結婚することになって、それが誓願期間中である場合、夫が許可すれば、それは有効ですが(8節)、許可しなければ、破棄されます(9節)。結婚後に誓願を立てる場合も、夫が許可すれば有効ですが(12節)、許可しなければ無効です(13節)。最初何も言わず、後からそれを禁止する場合、夫が誓願破棄の罪を負うことになります(14節)。

 

 今日では、これは女性を半人前扱いする差別的な規定ということになるかも知れません。ただ、この規定は、誓願の責任者を定めているわけで、責任者の下で、誓願が必ず実行されることを、求めているのです。

 

 というのは、当時の女性は、経済的にも極めて弱い立場にありました。誓願を立てても、自身では満願の献げ物をする能力がなかったのではないかと考えられます。だから、誓いがきちんと果たされるために、最初に家長の許可を求めて、神の前にその誓願を実行する責任者としておくわけです。

 

 ところで、山上の説教の中で主イエスは「わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない」(マタイ福音書5章34節)と言われました。それは、誓いが果たせないくらいなら、最初から誓うなという意味ではありません。誓いなど必要としない真実な生活をせよと言われるのです。というのは、偽りを誓いで誤魔化すことさえするからです。

 

 主イエスの12弟子の一人、シモン・ペトロがカイアファの家の中庭で、イエスを知らないと三度否みます(マルコ14章66節以下)。それは、主イエスが予めペトロに告げていたとおりでした(同30,72節)。三度目には呪いの言葉さえ口にしながら「そんな人は知らない」(同71節)と、誓って言ってしまいます。

 

 ペトロ自身、自分が主イエスを否定するようになるなど、考えもしなかったことでしょう(31節参照)。けれども、状況次第でそれが起こってしまう、それが私たちの弱さです。主イエスは、このペトロに見る私たちの弱さ、不真実な誓いの罪をも、ご自分の身に負ってくださいます。

 

 エフェソ書5章21節以下では、夫婦の関係を、キリストと教会の関係で教えています。つまり、教会はキリストの花嫁なのです。だから、妻なる教会のために、主イエスが夫として、責任をおとりくださるのです。その主イエスの真実に、教会は、そして教会を形作る私たち一人一人は、常に支えられているのです。

 

 命をかけて私たちを愛してくださる主を心の中心に迎え、誓いを必要としないほどに真実な生活を、主にあって作らせて頂きましょう。

 

 主よ、あなたは常に真実をもって語り、恵みの御業を行われます。生まれながらの怒りの子であった私たちを神の子とされたのは、神の愛と真実の賜物です。主から離れて、私たちの内に真実はありません。主の真実に支えられて、今の私たちがあります。すべてを主に委ね、その導きに従って歩みます。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「わたしたちは、めいめいで手に入れた腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなど金の飾り物を献げ物として主にささげ、主の御前に、わたしたち自身の贖いの儀式をしたいのです。」 民数記31章50節

 

 31章には「ミディアンに対する復讐」の物語が記されています。主が、「イスラエルの人々がミディアン人から受けた仕打ちに報復しなさい」(2節)と言われました。「ミディアン人から受けた仕打ち」とは、ミディアン人がモアブ人と共にイスラエルの人々を唆して、ペオルのバアルという偶像を拝むようにさせたことを指しています(25章1節以下、18節)。

 

 そのことについては、既に25章17節で「ミディアン人を襲い、彼らを撃ちなさい」と言われていました。それをここで、実行するようにと言われたわけです。26章に、出エジプトの第一世代亡き後、新しい世代の人々が数えられました。古い世代が果たせなかったことを、ここで新しい世代が実行するように命じられたというかたちです。

 

 このミディアンに対する報復というのが、モーセに率いられての最後の軍事行動になりました。そして、「その後、あなたは先祖の列に加えられるであろう」(2節)と言われていて、モーセがこの働きを終えると、息を引き取り、葬られることになるということです。つまり、これがモーセの最後のミッションなのです。

 

 メリバの水の一件で、モーセはイスラエルの会衆を約束の土地に導き入れることは出来ないと、主に言われていました(20章12節)。先に姉ミリアムが召され(20章1節)、次いで兄アロンが召されました(20章28節)。そして、いよいよモーセにも、最期の時が近づいて来たわけです。

 

 この戦いで殺された王たちの名と共に、「ペオルの子バラムをも剣にかけて殺した」(8節)と記されています。ペオルの子バラムは、モアブの王バラクの招きでイスラエルを呪うためにやって来た預言者でしたが、主の導きに与り、王バラクの意向に反して繰返しイスラエルを祝福しました(22~24章)。そのバラムが、なぜここで殺されたのでしょうか。

 

 16節に「ペオルの事件は、この女たちがバラムに唆され、イスラエルの人々を背かせて引き起こしたもので、そのために、主の共同体に災いがくだったではないか」と、その理由が記されています。モアブではイスラエルを祝福したバラムでしたが、25章のペオルの事件の首謀者とされているのです。

 

 主の御旨に従ってイスラエルを祝福した預言者が、なぜ、民を誘惑させて異教の偶像を拝み、主に背かせるようなことをしたのでしょうか。また、そうであれば、ミディアン人に報復するのは何故か、訳が分かりません。ある旧約学者が、ペオルの事件(25章)とイスラエルを祝福した出来事(22~24章)とで、順序が逆になっているのではないかと言います。

 

 即ち、ミディアンの女性を用いてイスラエルの民を主に背くよう唆させる事件が先にあって、イスラエルの民がペオルのバアルを慕ったので、主が民に対して憤られ、2万4千もの人々が災害で倒れました(25章)。それを知ったモアブの王バラクが、バラムを自国に招き、イスラエルを呪ってもらおうとしたのではないかというわけです。それが、妥当なのかも知れません。

 

 そう思えば、22章4節でバラクが、「今やこの群衆は、牛が野の草をなめ尽くすように、我々の周りをすべてなめ尽くそうとしている」と言って、ミディアン人の長老たちを巻き込んだのも、バラムをモアブに招くためだったということになるのではないでしょうか。

 

 このとき、各部族から1000人ずつ総勢1万2千の兵が集められました(4,5節)。1000は、完全数10の3乗、12000は10の3乗の12倍、12も完全数ですから、完全数を4回掛け合わせる完全な数ということで、集められる最大数を表現したものでしょう。実際にはもっとずっと少ない数だったのではないでしょうか。

 

 ミディアン軍の兵士の数は不明ですが、「男と寝ず、男を知らない娘」(18節)3万2千人を捕虜にしたということで(35節)、そこから類推すると、ミディアンの兵はイスラエルの兵士よりもずっと数が多かったということでしょう。

 

 ところが、戦いが終わって調べてみると、ミディアン軍は全滅(7節)、後方の王たちも皆殺しで(8節)、対するイスラエル兵には一人の犠牲者も出なかったと報告されています(49節)。この戦いは、後のギデオン率いる300人の兵士と、大挙押し寄せたミディアン軍との戦いを思い起こさせます(士師記6,7章)。

 

 それを知った兵士たちは、冒頭の言葉(50節)のとおり、分捕り品の金の飾り物を、主への献げ物としてモーセのところに持って来ました。それらは恐らく、ミディアンで分捕った戦利品のうち、会衆と分け合う必要がなかった、即ち兵士の個人所有とすることが許された品だったのでしょう。

 

 献げられた金は、合計16,750シェケルでした。1シェケルは11.4gということですから、16,750シェケルは190.95kgになります。これを、今日の純金価格(1g:6,500円)に換算すると、12億4千万円余りになります。

 

 それを主の御前に献げることにしたのは、ミディアンとの戦いで1人も命を落とさなかったということ、そして、そういう結果になったのは、万軍の主ご自身がイスラエルの民を率いて戦われ、完全な勝利をお与えくださったからということで、それらに対する感謝の意を表しているわけです。

 

 部隊の指揮官である千人隊長、百人隊長たちは、「主の御前に、わたしたち自身の贖いの儀式をしたいのです」(50節)といって献げ物を主にささげました。「わたしたち自身」(ナフショーテーヌー)は「私たちの命」、「贖いの儀式」(レ・カッペール)は「贖うため」という言葉です。

 

 岩波訳は、「私たちの命の贖いをするため」と訳しています。そして、「動詞『キッペール』の動名詞形。抽象的に『贖う』、祭儀的に『贖いの儀式』とも訳せるが、『戦士たちの頭数を調べた』(48節)ことに対する『贖い代』(コーフェール)という意味であろう」という注を付けています(出エジプト記30章11~16節参照)。

 

 主イエスは、私たちの一切の罪の呪いを身に受け、身代わりに十字架に死なれました。神が、御子・主イエスを私たちの贖い代とされたわけです。そして、主イエスは三日目に死の力を打ち破って甦られました。私たちは、ただ主イエスを信じるだけで、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命に与ることができます。

 

 その恵みを知った私たちは、主の御前に何を献げましょうか。「ただ身と魂とを献げてぬかずく」(新生讃美歌235番5節)のみです。

 

 主よ、あなたは愛する者を失う痛みをよくよくご存じでしょう。私たちを神の子とするために、その独り子を犠牲にされました。どれほど感謝しても、それでもう十分ということはありません。だからこそ、いつも喜び、どんな時にも感謝が出来ます。そこに常に留まり、感謝と喜びをもって過ごすことが出来るよう、祈ります。弱い私たちを絶えず助け支えてください。 アーメン

 

 

「それなのに、罪人であるあなたたちが父に代わって立ち上がり、またもや主の激しい怒りをイスラエルの上に招こうとする。」 民数記32章14節

 

 ようやく約束の地カナンが近づいてきたとき、また一つの問題が起こりました。ルベン族とガド族の人々は、おびただしい数の家畜を持っていて、アモリ人の王シホンとオグとの戦いに勝利して奪い取った(21章21節以下)「ヤゼルとギレアドの地方」(1節)、つまりヨルダン川の東の地を見渡し、「家畜を飼うのに適した所」(同節)であることを確認しました。

 

 そこで、ルベンとガドの人々が、モーセと祭司エルアザルおよび共同体の指導者のもとにやって来て(2節)、家畜を飼うのに適したヨルダン川東部の豊かな牧草地を、自分たちの嗣業の地としてお与えください、ヨルダン川の西側の土地はいりません、と申し出たのです(4,5節)。

 

 それを聞いたモーセはすぐに、カデシュ・バルネアでの出来事を思い出しました(13,14章参照)。それは、カナンの地を探った斥候たちが、カナンには上って行けない、自分たちはそこで殺されてしまうと報告して民の心を挫き、それを聞いた民は、殺されるくらいなら、エジプトに戻ろうと文句を言って、結局、民が皆、荒れ野で命を落とすという結果になったことです(8~13節)。

 

 つまりモーセは、ルベンとガドの人々が「ヨルダン川を渡らせないでください」(5節)と申し出た言葉を、約束の地よりもヨルダン川東部の「ヤゼルとギレアドの地方」の方がよいという、主への不信と受け止めたのです。それを放置すれば、またもや荒れ野の道に逆戻りさせられてしまうかも知れませんし、この世代の人々は、荒れ野で死に絶えることになってしまうかも知れません。

 

 だから、「主はイスラエルに対して激しく怒り、四十年にわたり、彼らを荒れ野にさまよわせられ、主が悪と見なされることを行った世代の者はことごとく死に絶えた」(13節)と語った後、冒頭の言葉(14節)で「それなのに、罪人であるあなたたちが父に代わって立ち上がり、またもや主の激しい怒りをイスラエルの上に招こうとする」のかと語るのです。

 

 「罪人であるあなたたち」を、口語訳は「罪びとのやから」、新改訳は「罪人の子ら」と訳しています。「やから、子ら」と訳されたのは「タルブート」という言葉で、これは旧約聖書中ここだけにしか用いられないもので、「増し加えること、子孫、ひな」といった意味を持っています。これは、神が人を創造して「増えよ」(ラーバー)と祝福された言葉と同類です。

 

 26章以下、主なる神に背いた親の世代が死に絶え、新しい世代は主に従うものだと期待していました。それなのに、生み出されて数を増して来た新しい群れもまた、同じ罪人だったのかという驚き、あるいは憤り、はたまた落胆の表現のようです。

 

 それに対してルベンとガドの人々は、自分たちは主の御旨に背くつもりはないから、イスラエルの先頭に立って進み、民を約束の地に導くことを約束し、そのため先ずこの地に城壁のある町を築いて子らを住まわせること、約束の地を征服し終えるまで戦うこと、そして、約束の地には嗣業を得ないことを提案します(16節以下)。

 

 モーセは、約束の地を獲るために先頭に立って戦い、その後にヨルダン川東岸のギレアドの地に戻るという、彼らのこの提案を受け入れます(20節以下)。彼らが民の心を挫こうとして、ギレアドの地が欲しいと語ったわけではないということが、ここで明確になったからです。

 

 モーセは、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュアという後継者たち、及び諸部族の家長たちを集め、ルベンとガドの人々の嗣業の地について、指示を与えます(28節以下)。モーセは召される日が近く、自ら最終確認をすることが出来ないためです(31章2節)。ガドとルベンの人々は、それらの人々の前で再度約束します(31,32節)。

 

 そこでモーセは、ヨルダン川東部のシホンとオグの王国、その領内にある町々、およびその周辺の町々を、ルベンとガドとマナセの半部族に与えます(33節)。ただ、マナセの半部族については、ここまで全く語られていなかったので、実に驚きです。

 

 ルベンとガドの人々はアモリ人から奪い取った町々を再建し、城壁を築いて子供たちのために町を作りましたが(34~38節)、マナセの子らは新たにギレアドを攻めて占領し、新しい名をつけて嗣業の地としました(39~42節)。

 

 ここを足場にして、12部族はいよいよここから、旧世代が偵察して「乳と蜜の流れる所」(13章27節)と報告した約束の地カナン、しかし、先住民は強くて、そこに上って行くのは不可能だと民の心を挫いた土地へ踏み出します。

 

 あらためて、「もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食に過ぎない。彼らを守る者は離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない」(14章8節)と、先にカレブが語った信仰が問われます。

 

 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブライ書11章6節)。

 

 「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」(エフェソ書2章4~6節)。

 

 主なる神に愛されている子どもとして、主と共に、主を信頼して歩みましょう。光の子として歩みましょう。

 

 主よ、私たちをこの上なく愛してくださる主の恵みによって救いに与り、侵攻によって首都ともに歩む者としていただきました。主に愛されている者として、主が前もって準備してくださった善い業を行って歩み、主を畏れて互いに仕え合うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「もし、その土地の住民をあなたたちの前から追い払わないならば、残しておいた者たちは、あなたたちの目に突き刺さるとげ、脇腹に刺さる茨となって、あなたたちが住む土地であなたたちを悩ますであろう。」 民数記33章55節

 

 33章には、「エジプトを出てからの旅程」が記されています。出発地のラメセスから(3節)、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野まで(48節)、40箇所の宿営地の名がその間に記されていますが、現在でも殆どの場所が確定されてはいません。

 

 出エジプトのルートも、一般的にはジェベル・ムーサ(アラビア語で「モーセの山」の意)と呼ばれる山をシナイ山として、シナイ半島の南方を回るコースが考えられていますが、シナイ半島の北方を通ってカデシュに直行したと考える北方説を説く学者もいます。

 

 また、シナイ山での主の顕現が活火山の活動を思わせるので(出エジプト記19章18,19節参照)、シナイ半島の中央を横断して、エイラトからアラビア半島をアカバ湾沿いに南下したところの死火山地帯にシナイ山があるとする中央説をとる学者もいます。

 

 つまり、出発地のラメセス、スコトと、重要な中継点のカデシュ・バルネアを除くと、場所が特定される宿営地は殆どありません。主の掟が刻まれた石の板を授けられたシナイ山でさえも、これが絶対にそれだといわれるものではないのです。

 

 そうなると、主の命令によってモーセが宿営地を書き留めたということですが(2節)、その目的は、宿営地の場所を知るということよりも、そこで何があったのかということを忘れないようにするためということなのでしょう。民数記のヘブライ語の原題が「荒れ野で」(ベ・ミドゥバル)でした。まさに、荒れ野で何があったのかを、民数記は記しているわけです。

 

 上述のとおり、ラメセスを出発したイスラエルの民は、モアブの平野に至るまで、40箇所で宿営しながら、シナイの荒れ野で40年を過ごしました。神の助けがなければ、およそ考えられない年数です。それはまた、イスラエルの民が神に背いた記録でもあります。彼らが素直に主を信じ、その導きに従っていれば、もっとずっと早く、カナンの地に入ることが出来たでしょう。

 

 その最大の理由が、約束の地を探った斥候たちがもたらした悪い情報で、主なる神に泣き言を言い、エジプトに戻ろうとして主の怒りを買い、約束の地を前に回れ右、40年の荒れ野の旅に出発させられた、カデシュでの出来事です(13,14章)。不信の罪がいかなる災いをもたらしたか、決して忘れてはならないということです。

 

 そして50節以下に、「ヨルダン川を渡るにあたっての命令」が記されています。まず最初に、「あなたたちの前から、その住民をすべて追い払い、すべての石像と鋳像を粉砕し、異教の祭壇をことごとく破壊しなさい」(52節)とあります。

 

 これは、律法を授かるためにモーセが留守をしていたシナイの荒れ野で、アロンが金の雄牛像を造って拝ませたことや(出エジプト記32章)、モアブの女性に惑わされてペオルのバアルを拝んだことが(民数記25章)、その背景にあります。

 

 しかしながら、この命令にも拘らず、異教の神を拝む偶像礼拝の罪は、この後、イスラエルから除き去られることはありませんでした。それほどに根深い、民にとって根本的な問題だということです。

 

 国内から、異邦の民、異教の偶像を完全に一掃出来なかったのは、異邦の民がイスラエルの民よりも強かったからです(ヨシュア記17章16節、23章7節、士師記1章19節など)。ダビデ王の時代に力関係が逆転した後も、それをしなかったのは、長い年月、異教の生活文化に慣らされてしまったからでしょう。

 

 そして、異教の神々を取り除かなかったイスラエルは、冒頭の言葉(55節)で警告されていたとおり、周辺列強に悩まされ、結局、北イスラエル王国が紀元前721年にアッシリアによって、南ユダ王国は紀元前587年にバビロンによって滅ぼされ、異邦の地に捕囚として連れ去られる結果になってしまうのです。

 

 この民数記の記事について、詩編106編の作者が同7~33節で、イスラエルの民のために主がなされた業と、イスラエルが犯した不忠実、不信仰のさまを再確認しています。そして「ヨルダン川を渡るにあたっての命令」にも拘わらずそれに背いた結果(同34節以下)、「諸国の民の手に渡された」(同41節)と報告しています。

 

 それでお仕舞いということにならなかったのは、主の深い憐れみです。主がいかに恵み深い、憐れみ深いお方であるかということです。だから、詩編の作者も「イスラエルの神、主をたたえよ、世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ」(同48節)と賛美するのです。

 

 私たちは、自分の生活の中から、神の御旨に沿わないものを追い払っているでしょうか。神に喜ばれないものを持ち込んではいないでしょうか。深厚な師に神に喜ばれることはできないのです。御言葉に従って点検してみましょう。

 

 主よ、私たちの心を探り、あなたを喜ぶ心であるかどうかを点検してください。あなたが私たちと共におられるとき、私たちは揺らぐことがなく、心喜び、安心して憩うことが出来ます。真理の御言葉に従って歩むとき、満ち足りて永遠の喜びをいただきます。常に、御手の内に私たちを守ってください。あなたを避け所といたします。 アーメン

 

 

「東境は、ハツァル・エナンからシェファムに線を引き、シェファムからアインの東側のリブラに下る。更に境界線は、キネレト湖の東斜面を経て、ヨルダン川を下り、塩の海に達する。以上の境界線の内側があなたたちの土地である。」 民数記34章10~12節

 

 約束の地カナンを望むことの出来るモアブの平野までやって来て、主なる神は「イスラエルの嗣業の土地」について、境界線を示し(2~15節)、次にその土地を分配する責任者を各部族から一人ずつ、計10名を指名します(17節以下)。ルベン族、ガド族は、ヨルダン川の東、アモリ人の地に既に分配を受けているため、責任者が呼び出されていません。

 

 指名された10名のうち、ユダ族の責任者エフネの子カレブ以外に(19節)、予め知られている名前はありません。しかし、その名の意味は、興味深いものです。特に、エルやエリというのは、神を意味する言葉です。彼らに名をつけた親たちが、主なる神にどのような思いを持っていたのかを、その名前から窺い知ることが出来ます。

 

 シェムエル(20節)は「神の名」、エリダド(21節)は「わが神は愛する」、ブキ(22節)は「試みる」、ハニエル(23節)は「神の恵み」、ケムエル(24節)は「神の会衆」、エリツァファン(25節)は「わが神は守る」、パルティエル(26節)は「私を救う神」、アヒフド(27節)は「威厳ある兄弟」、そしてペダフエル(28節)は「神は贖う」というものでした。

 

 彼らは、荒れ野において様々な試みを受けていましたが、そこに神の愛と恵みを感じ、また御翼の下に守られる安心感のようなものを感じていたようです。そしてまた、主がそのような名を持った者たちを、土地分配の責任者として指名されたということは、約束の地に民を迎え入れようとしておられる主のメッセージと受け止めることも出来ます。

 

 ただ、カレブだけは、その意味が「犬」という言葉です。何故そのような名前なのか、よく分かりません。しかし、カレブの信仰、勇敢さは、これまでの彼の言動によく表れています。

 

 イスラエル諸部族の指導者のリストを見るのは、これで3度目です(1,13章)。1章では、指導者たちが最初の人口調査の監督をしました。13章では、約束の地を偵察に向かいます。ここで、最初に数えられた世代が主に決定的な反逆をして、第二世代に取って代わられることになります。それによって新しくなった世代が、約束の地分配の責任者を立てることになったのです。

 

 ところで、冒頭の言葉(10~12節)は、イスラエルの東の境界線を示しています。北境がかなりシリア領に食い込んでいますが、ヨルダン川の水源地からキネレト湖すなわちガリラヤの湖を経、ヨルダン川を下って塩の海すなわち死海に達するという線です。

 

 レバノンに降り積もった雪や雨がフィリポ・カイサリアなどから湧き出し、それらがフーレ湖に流れ込み、そこからガリラヤ湖に上ヨルダン川が流れ、ガリラヤ湖から下ヨルダン川を下って死海に至ります。死海は、海抜マイナス392メートルにあり、ここから流れ出るところはありません。

 

 流れ込む水の量と、水面から蒸発する量がほぼ等しいため、死海の水量は一定に保たれています。しかし、流れ込む水が蒸発して塩分が濃縮されていきますので、通常の6倍という塩分濃度になり、とても生物の住めない世界です。だから「死海」と言われるのです。魚が豊かに生息して周辺の漁師たちの生計を立てさせることの出来る、ヨルダン川上流のガリラヤ湖とはまったく対照的です。

 

 水は高いところから低いところへと流れます。恵みもそうです。御前に謙る者に、神の恵みは豊かに注がれます。しかし、受けるだけで与えることを学ばなければ、その恵みは価値を失い、死んでしまいます。

 

 イスラエルの民は、主に愛され、その恵みを豊かに受けました。彼らにそれを受ける資格があったというのではありません。神が貧弱なイスラエルの民を憐れみ、文字通り恵みとしてお与えになったのです。それは、神の愛と恵みを証しするため、すべての人が神の愛と恵みを味わえるようにするためです。その御心を悟らず、恵みを私し、徒に自ら誇り高ぶるなら、御前から退けられてしまいます。

 

 アブラハムは「祝福の源」と言われました。彼は祝福を自分のために受ける者ではなく、アブラハムを通して地上のすべての氏族が祝福に入るようにするのです(創世記12章2,3節)。

 

 ヨルダン川の水源地の一つフィリポ・カイサリアは、もともとパニアスと呼ばれ、自然神パンを祀る祠がありました。紀元前20年、ヘロデ大王が皇帝アウグストゥスからこの町を与えられた記念に、皇帝の像を安置した神殿を建てました。

 

 その後、息子のヘロデ・フィリポが町を拡張美化し、皇帝ティベリウスに敬意を表して町の名をカイサリアと改めました。父へロデ大王が建てた地中海沿岸のカイサリアと区別するため、フィリポ・カイサリアと呼ばれます。ここは古くから自然神パンやローマ皇帝を神として礼拝する偶像礼拝の町だったのです。

 

 主イエスが弟子たちを連れてこの町に来て、彼らに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(マタイ16章13節以下、15節)と尋ねられました。そこで、ペトロが弟子たちを代表するようにして「あなたはメシア、生ける神の子です」(同16節)と答え、主イエスを喜ばせました。いつでもどこでも、この信仰が求められているのです。

 

 常に聖霊に満たされ、イエスを主と告白する信仰に堅く立ち、委ねられた福音宣教の使命、主イエスの証人としての務めを全うさせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちも主イエスを信じて、アブラハムの子となりました。信仰に堅く立ち、聖霊に満たされて、主の愛と恵みの証し人として用いられますように。主の御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「共同体は、人を殺してしまった者を血の復讐をする者の手から救い出し、共同体が、彼の逃げ込んだ逃れの町に彼を帰さなければならない。彼は聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにとどまらねばならない。」 民数記35章25節

 

 34章にイスラエル諸部族の土地の配分について記されていましたが、35章では「レビ人の町」について言及されています。レビ人は、12部族の一つですが、約束の地に土地の配分を受けません。嗣業の地を所有することが許されていないのです(18章24節、26章62節)。だから、レビ人に代わって、ヨセフの子らマナセとベニヤミンが配分を受けています。

 

 ゆえに、レビ人たちの居住地を、諸部族の所有地から提供してもらう必要があるのです。それで、主なる神がイスラエルの民と共に住まわれるために臨在の幕屋が設けられたように、主に仕える人々が諸部族の中に住むための町が設けられました。レビ人にとってそれは、神と人に仕える生活を送ることであり、人々にとっては、神に仕える人々の聖なる生活の手本を身近に垣間見ることでした。

 

 レビ人の町は、人を殺した者が逃れるための逃れの町6つと、その他に42の町、合わせて48の町が設けられることになります(6節)。「大きい部族からは多く取り、小さい部族からは少なく取り、それぞれ受ける嗣業の土地の大きさに応じて」(8節)レビ人に提供するのです。

 

 町の外側には放牧地が設けられることになっています(2節)。レビ人の家畜やその他の動物が、そこで飼育されるのです(3節)。ただ、4節で「町の城壁から外側に向かって周囲一千アンマとする」とされているのに、5節では「町の外から東側に二千アンマ、南側に二千アンマ、西側に二千アンマ、北側に二千アンマ測り、町をその中央に置かねばならない」と言われます。

 

 このことについて、古くから様々な解釈がなされていますが、レビ人の住む町が2千アンマ四方、その外側に1千アンマの幅で放牧地が取られ、4千アンマ四方の土地がレビ人に提供されることになると考えるのが、一番妥当なのではないかと思われます。 

 

 9節以下に「逃れの町」の規定が記されています。これは、出エジプト記21章12,13節で「人を討って死なせた者は必ず死刑に処せられる。ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる」と定められていたものを、具体的に実施するための施行細則のようなものです。

 

 逃れの町は、「誤って人を殺した者が逃げ込むことができ」(11節)、「共同体の前に立って裁きを受ける前に、(復讐する者の手に落ちて)殺されることのないため」(12節)に設けられます。

 

 故意に、殺意を持って暴力を振るう者は、必ず死刑に処せられることになっていました(出エジプト記21章12,14節)。故意に、殺意をもってなされた殺人かどうか、16節以下に判例が示され、それに基づいて、共同体が当事者を裁くわけです(24節)。

 

 また、認定に当たって、複数の証人の証言が必要とされていますが(30節)、これは、冤罪を防ぐ工夫と言ってよいのでしょう。あるいはまた、どのような理由であれ、人を死に至らしめることには慎重であるべきだということでしょう。

 

 冒頭の言葉(25節)に「彼(逃れの町に逃げ込んだ者)は聖なる油を注がれた大祭司が死ぬまで、そこにとどまらねばならない」と記されています。共同体の前で裁きを受けて、故意の殺人とされた者は処刑されてしまいますから、町に留まっているのは、故意ではないと認定された殺人者たちのことです。彼らはしかし、無罪放免ということにはならなかったのです。

 

 「血の復讐をする者」は、「人を殺した者」を殺すことで、自身の近親者の血の贖いをする責任がありました(33節参照)。そこで、故意でない殺人者は、逃れの町で身の安全を図ったわけです。その規定を守らずに町の外に出れば、復讐する者から殺されても止むを得ないとされたのです(27節)。

 

 一方、大祭司が死ねば、誤って人を殺した罪は赦されて、自分の所有地に帰ることが出来るとされています(28節)。大祭司は神と民との仲保者で、大祭司の死が身代わりの死、贖いの死と見なされるわけです。

 

 ヘブライ書9章11,12節に「キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです」と記されています。

 

 これは、主イエスが私たちの身代わりに贖いの死を遂げてくださったことにより、私たちは罪赦され、神の子とされて天に国籍を持つ者となり、永遠の御国に迎えられるということです。逃れの町の規定、そして、大祭司の死による贖いは、後に永遠にメルキゼデクと同じようになられた大祭司と称された主イエス(同5章5節以下10節)の御業、予め表しているようです。

 

 大祭司なるイエス・キリストにつながり、その御言葉に留まっていれば、イエス・キリストの弟子として真理を知り、真理は私たちを自由にします(ヨハネ8章31,32節)。また、望むものを何でも願えば、それがかなえられ、豊かに実を結び、主イエス・キリストの弟子となることで、父なる神が栄光を受けると教えられます(同15章7,8節)。

 

 「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない」(詩編34編9,10節)、「主に逆らう者は災いに遭えば命を失い、主に従う人を憎む者は罪に定められる。主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は、罪に定められることがない」(同22,23節)。

 

 日々、御言葉の恵みに与り、真理の内を共に歩ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちをあなたの慈しみの御翼のもとに守り、慈しみをお与えくださリ、感謝致します。絶えず慈しみ深い御手のもとに留まります。その恵み深さを味わいます。私たちをあなたの恵みと慈しみをあかしする証人として、御言葉をもって整え、用いてください。御名があがめられますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々の嗣業の土地が一つの部族から他の部族に移ることはなく、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣業の土地を固く守っていかなければならない。」 民数記36章7節

 

 いよいよ、民数記最後の章です。1章1節に、「イスラエルの人々がエジプトの国を出た翌年の第二の月の一日、シナイの荒れ野にいたとき、主は臨在の幕屋でモーセに仰せになった」とありました。マソラ本文(ヘブライ語原典)では「荒れ野にいたとき」(ベ・ミドゥバル in the wilderness)が冒頭にあって、民数記の原題とされています。

 

 そして、36章13節に「以上は、エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野で、主がモーセを通してイスラエルの人々に命じられた命令と法である」と記されています。つまり、シナイ山のふもとに広がっていたシナイの荒れ野から、もう一歩でカナンというヨルダン川の東側、モアブの平野まで、約39年に及ぶシナイ半島の荒れ野の旅において起こった出来事が本書に記されていたわけです。

 

 1章と26章に「民数記」という題がつけられる根拠となった、イスラエルの人口調査の記事があります。1章でエジプトを脱出した民の、兵役に就くことの出来る男子の数が数えられます。そして、彼らはモーセに不平を言い、神に背いたため、ユダ族エフネの子カレブとエフライム族ヌンの子ヨシュアの二人を除き、この第一世代の人々は荒れ野で死に絶えてしまいました。

 

 26章で数えられたのは、約束の地に入ることが出来る民のうち、1章と同様、兵役に就くことの出来る男子の数で、彼らは荒れ野で死に絶えた民の子どもたち、つまり第二世代の人々です。言ってみれば、25章までの荒れ野の旅で、世代交代がなされたわけです。

 

 36章には、「相続人が女性である場合の規定」が記されています。これは、27章の「ツェロフハドの娘たちの申し出」と関連があります。26章でその人口が確認された新世代の人々に命じられた様々な規定(27章12節~35章34節)が、ツェロフハドの娘たちの土地取得と相続に関する物語で挟み込まれたかたちです。

 

 マナセ族のヘフェルの子ツェロフハドには、娘は5人いますが、息子はいませんでした。父の死後、この娘たちがモーセのところに来て、「男の子がないからといって、どうして父の名が氏族の中から削られてよいでしょうか。父の兄弟たちと同じように、わたしたちにも所有地をください」(27章4節)と申し出て、それが了承されました(同7節以下)。

 

 36章では再度そのことを取り上げ、神はツェロフハドの嗣業の地を娘たちに与えるようにされたけれども、娘たちが他の部族の男子と結婚すると、その土地は他部族に移ってしまい、マナセ族の嗣業の地が削られてしまうではないかという訴えが、マナセ族の家長たちによってもたらされたのです(2節以下)。

 

 それに対するモーセの回答は、「娘たちは自分を気に入ってくれた男と結婚してよい。ただ、父方の部族の一族の者とだけ結婚できる」(6節)というものです。通常、結婚相手を同族の者に限るというのは、劣性遺伝を出現させる確率が高まるので、歓迎されません。だから、そのような制限を設けずに、「娘たちは自分を気に入ってくれた男と結婚してよい」というのが大原則です。

 

 しかしながら、それでは、マナセ族の嗣業の地が損なわれてしまいます。冒頭の言葉(7節)に言うとおり、「イスラエルの人々の嗣業の土地が一つの部族から他の部族に移ることはなく、イスラエルの人々はそれぞれ、父祖以来の部族の嗣業の土地を固く守っていかなければならない」ということです。

 

 そこで、「嗣業の土地を相続している娘はだれでも、父方の部族の一族の男と結婚しなければならない」(8節)という制限が設けられるのです。それほどに、主から賜った嗣業の地を守ることが重要だということです。

 

 ただ、イスラエルの民は、ヨルダン川東部のギレアドの地を手に入れたものの、約束の地カナンにはまだ一幅の土地も手に入れてはいません。「エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平野」にいるのです。

 

 けれども、27章と36章のツェロフハドの娘たちへの嗣業の地の分配と、他部族への移動を禁じる規則を通して、イスラエルの民が必ず嗣業の地を得ることが出来ることを確証するとともに、男子のみが遺産を相続するという旧来の伝統に対して、嗣業の地分配の公平性が性差によって侵されないようにしたことで、聖書世界における女性の地位を高める小さな一歩を踏み出したのです。

 

 イスラエルの民は、神の御言葉に信仰をもって忠実に聴き従うよう、荒れ野で訓練されて来ました。そしてまた、伝統にはなかった女性の相続を認めるなど、信仰の恵みを堅持しつつ、状況に応じて柔軟に対応することも学んだのです。

 

 日々主の御前に進み、謙ってその御言葉に耳を傾け、聖霊の導きによって主の御心をわきまえ、信仰をもって行動しましょう。

  

 主よ、私たちは勿論、神の子として生まれた者ではありません。しかしながら、主イエス・キリストにより、天に国籍を持つ者として頂きました。御国に生きる者として、御言葉に誠実に聴き従うように、今この地で訓練を受けています。愛する子として訓練して頂けることを、感謝します。御心をわきまえることができるよう、聖霊の導きに与らせてください。主の霊のおられるところに自由があるからです。 アーメン

 

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