哀歌

 

 

「御覧ください。主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています。わたしは背きに背いたのです。外では剣が子らを奪い、内には死が待っています。」 哀歌1章20節

 

 今日から哀歌を読みます。哀歌は、伝統的にエレミヤの作と考えられて来ました。文語訳は、「エレミヤ哀歌(耶利米亜哀歌)」と呼んでいます。だから、日本語訳の聖書はエレミヤ書の次に哀歌を配置しています。

 

 というのも、ギリシア語訳旧約聖書(セプチュアジンタ=70人訳)には、「イスラエルが捕え移され、そしてエルサレムが捨てられた後、エレミヤは泣きながら座し、エルサレムのためにこの哀歌を作った」という表題がつけられているからです。しかし、ヘブライ語聖書(マソラ本文)にはそのような表題はつけられていません。

 

 エレミヤ書と哀歌の間には、いくつかの類似した言葉遣いがあり、それで哀歌の著者がエレミヤだという最も有力な根拠として主張されているようです。しかし、両書は同じ時代に産み出されたものと考えられ、だからこそ、類似した言葉遣いが用いられることになったということでしょう。

 

 また、ヘブライ語聖書では、エレミヤ書は当然、預言者の書(ネビーム)の中に入っていますが、哀歌は預言者ではなく、諸書(ケトゥービーム)の中に、ルツ記、雅歌、伝道の書、エステル記などと共に置かれています。つまり、区分が全く違うのです。

 

 歴代誌下35章25節に「エレミヤはヨシヤを悼んで哀歌を作った」と記されています。ただ、哀歌の中には、ヨシヤの名は登場して来ませんし、ヨシヤを悼んでいると思われる箇所もありません。だから、歴代誌が言うとおりエレミヤが哀歌を作ったということを否定しませんが、それは聖書に記録された哀歌とは全く別物なのでしょう。

 

 ということで、ヘブライ語聖書からも、歴代誌との関連でも、哀歌の作者がエレミヤであるとは考えにくいところです。おそらく、エルサレム陥落後、それほど年月の経たないうちに、エルサレムに残された人々の中で、ある一人の人物によって作られたものでしょう。残念ながら、作者を特定できるものは、哀歌の中にはありません。

 

 勿論、作者が分からなければ、哀歌の価値が下がるというわけではありません。重要なのは、誰が語ったのかということではなく、誰が語らせたのかということです。つまり、真の著者は神ご自身であり、神が作者に霊感を与え、作者の手を通して、聖書を書き記されたのです(第二テモテ書3章16節参照)。

 

 哀歌は、5つの歌(章)で構成されており、3章を除きすべて22節あります。3章は66節、即ち22の三倍になっています。つまり、すべての歌(章)が22の倍数の節を持っているわけです。

 

 「22」はヘブライ語のアルファベットの数で、1~4章は、各節の冒頭の文字がアルファベット順に並ぶ、所謂いろは歌であり、3章は、3節ごと同じアルファベットで始まる形式になっています。

 

 ヘブライ語原典では、1,2章は各節が3行の詩、3,5章は各節が1行、4章は2行です。つまり、1~3章は66行、4章は44行、5章は22行になっています。ということは、1,2章で132行、3~5章で132行になります。

 

 何か面倒くさいことを記していますが、これらのことで、哀歌がいかに技巧を凝らして作られた詩であるかということをご理解いただけるだろうと思います。日本語訳を50音順にするというのは至難の業ですが、それが出来れば、さらに深く哀歌を味わうことが出来るというものでしょう。

 

 さて、1節に「なにゆえ、独りで座っているのか、人に溢れていたこの都が」とあり、続く2,3節で「夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き、異国の民の中に座り、憩いは得られず、苦難のはざまに追い詰められてしまった」と言われています。

 

 かつて神に愛され、祝福に満ち溢れていた神の都エルサレムが、バビロン軍によって破壊され、よいものが皆奪われて、都は見る影もなく荒れ果て、民は捕囚の苦難を味わわされたのです。それを、独りぼっちで慰める者のいない有様として描いています。

 

 「(だれも)慰めを与えない」という言葉は、9,16,17,21節にも同様に語られます。7節には「助ける者はない」という言葉があります。その寄る辺なさが際立っています。

 

 「貧苦と重い苦役の末に」について、 原文は「貧苦から、そして重い苦役から」という言葉遣いになっていて、「捕囚となる」(ガーラー)には「故国を捨てる」という意味があります。ここでは、「貧苦と重い苦役から国を捨てて逃げ出す」という表現でしょう。

 

 エレミヤ書52章30節に「ネブカドレツァルの第23年に親衛隊の長ネブザルアダンがユダの人々745人を捕囚として連れ去った」とありましたが、第3次バビロン捕囚という事件があったわけではありません。誰も慰めを与えない助ける者もない寄る辺のなさから、自発的な投降がなされたのでしょう。

 

 また、総督ゲダルヤを暗殺したネタンヤの子イシュマエルらがアンモンへ逃亡し(同41章10,15節)彼を捕らえることが出来なかった軍の長カレアの子ヨハナンらがエジプトへ逃れたように(同43章5節以下)、周辺諸国へ逃亡する人々もいたことでしょう。ゲダルヤが殺された後、エルサレムに残っていた人々の社会生活は崩壊してしまったようです。

 

 しかし、作者には、なぜ王を初め主だった者が捕囚となり、エルサレムに残されていた者も逃げ出して、かつての神の都が、だれも助ける者がないまま荒れるに任されているのか、理由が全く判らないというわけではありません。むしろ、はっきり分かっています。彼らの本当の敵はバビロンなどではありません。主なる神が彼らの敵となられたのです。

 

 そしてそれは、元を正せば、すべてユダとエルサレムの住民の中に問題があったのです。だから、「シオンの背きは甚だしかった。主は懲らしめようと、敵がはびこることを許し、苦しめる者らを頭とされた。彼女の子らはとりことなり、苦しめる者らの前を、引かれていった」(5節)と語られています。

 

 そして、「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ」(16節)というように、主なる神の御言葉に従い得ない、背く思いが彼らの内側にあったのです。背きの罪が、主によって正しく裁かれたと、ここに認めているのです。同様の認識が、8,11節以下の言葉にも示されます。

 

 そうして、「御覧ください、主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています」(20節)と嘆きながら、「わたしは背きに背いた」(同)と罪を悔いています。徹底的に主に反抗した結果、ユダの民が悟ったのは、結局他人(国)は当てにはならないこと、異教の偶像に依り頼むのは空しいということです。

 

 だから、おのが罪のために主の裁きを受けているのですが、唯一のまことの希望の源である主に向かって呻き声を上げ、嘆きの歌を歌うのです。そして、恵みと慈しみに富む主は、心砕かれて御前に謙る者を軽しめられはしないのです(詩編34編19節、51編19節など)。

 

 感謝をもって恵みの主を仰ぎ、御前に謙りましょう。その御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きを頂いて、御心を行う者となりましょう。

 

 主よ、私たちを憐れんでください。御慈しみをもって、深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。どうか私たちの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御救いの喜びを再び私たちに味わわせ、自由の霊によって支えてください。そして、私たちの唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います。いよいよ、御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。主の御前に出て、水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ、あなたの幼児らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。」 哀歌2章19節

 

 主なる神は、神の都と呼ばれるエルサレムの町を見放され、敵の手によって破壊されるに任されました。1節に「イスラエルの輝き」と言われるのは、神の都エルサレムを指しています(15節参照)。また「主の足台」は、神殿が置かれた聖なる山シオンのことで、天上に座す主の足台と考えられていました(詩編99編5節、イザヤ書60章13,14節)。

 

 「卑しめられる」(1節)と訳されているのは、「ウーブ」という、聖書中ここにしか見られない言葉が用いられています。新共同訳は「嫌悪」という名詞から派生した言葉と考えて「卑しめられる」としたのでしょう。

 

 岩波訳も「辱めた」とし、脚注に「『辱めた』と訳した同士は旧約聖書では用例がない。『雲で覆う』、『曇らせる』のような訳語も考えられているが、これでは表現として弱すぎるように感じられる」と記しています。

 

 岩波訳が「表現として弱すぎるように感じられる」とした「雲で覆う、曇らせる」という訳語は、「暗闇、雲」(アーブ)という名詞から派生した動詞と解釈してのものでしょう。「黒雲をもっておおわれた」(口語訳)、「曇らせ」(新改訳)がそうです。

 

 雲は主の臨在を表すもので(出エジプト記19章16,18節、24章15,16節、33章9,10節、民数記12章5節)、そこに主の栄光が満ちました(列王記上8章10,11節、歴代誌下5章13,14節)。また、民を導き(出エジプト記13章21,22節、民数記14章14節)、敵の手、昼の日照りなどから守る役目を果たしました(同14章19,20,24節)。

 

 けれども今や、雲が恵みや守りではなく、主の怒りと裁きの徴となっています。雲と主の怒り、裁きとの関連で、ヨエル書2章1,2節に「主の日が来る、主の日が近づく。それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である」とあります。同様の表現がゼファニヤ書1章14,15節、エゼキエル書30章3,18節にもあります。

 

 そう見ると、新共同訳、岩波訳よりも、主の憤りと裁きを表す嵐をもたらす雲に覆われるという口語訳や新改訳の方がより相応しいように思われます。そして、昨年出版された聖書協会共同訳は、そのように考えて「(怒りで)覆われ」という訳語を選んでいます。

 

 主の怒りは激しく、「ヤコブの人里をすべて、主は容赦せず圧倒し、憤って、おとめユダの砦をことごとく破壊し、この国を治める者、君候らを地に打ち倒して辱められた」(2節)、「イスラエルを圧倒し、その城郭をすべて圧倒し、砦をすべて滅ぼし、おとめユダの呻きと嘆きをいよいよ深くされた」(5節)と言われます。まさに、主がユダの敵となられたのです(4,5節)。

 

 神の救いを祝う祭りも、神を礼拝する神殿も荒れ廃れさせられ、敵の軍勢が歓喜の声をあげています(6,7節)。また、神の御言葉に従うように教え導く王や祭司らも、バビロンに捕らえ移されてしまいました(9節)。

 

 そのような悲劇を蒙らないように、預言者たちは王や民らの罪をあばくべきなのに、空しい、偽りの言葉ばかりを語っていました(14節)。「偽りの言葉」は「しっくい」(ターフェル)という意味で、汚れを上塗りで隠すという表現です。岩波訳は「粉飾」としています。

 

 企業が信用評価を下げないよう、損益状況や財政状態を実際よりよく見せるために、利益を過大に計上する会計行為を、粉飾決算といいます。しかし、決算を粉飾することは、適切な対応を遅らせ、あるいは必要な対策を取らないことを意味します。それで健全な経営が出来るはずがありませんし、不正が発覚すれば、一気に信用を失ってしまいます。

 

 エゼキエル書13章10節に「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ」とあるのは、まさにそのことです。「平和だ」という偽りの言葉に惑わされて危険を回避する措置をとらなければ、それは致命的な結果となってしまいます。

 

 17節に言われているのは、「見よ、わたしはお前たちに災いを備え、災いを計画している。お前たちは皆、悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ」(エレミヤ書18章11節)と主の言葉が告げられたのに、民が「それは無駄です。我々は我々の思いどおりにし、おのおののかたくなな悪い心のままにふるまいたいのだから」(同12節)と反抗したためになされた結果でしょう。

 

 ここに来て、徹底的に破壊されたエルサレムに残る民に、何が出来るでしょうか。何をしなければならないのでしょうか。18節で「おとめシオンの城壁よ、主に向かって心から叫べ。昼も夜も、川のように涙を流せ。休むことなくその瞳から涙を流せ」と要求します。つまり、自分の罪を悔いて泣けというのです。

 

 さらに、冒頭の言葉(19節)で「立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声を上げるために。主の御前に出て、水のようにあなたの心を注ぎ出せ」と言います。心の奥底にある思いや感情を言い表すようにという意味です。

 

 一晩中、悲しみであれば悲しみを、悔やみであれば悔やみを、愚痴であれば愚痴を、そして言葉にならない思いは言葉にならない呻きとして、神の御前に注ぎ出すのです。昼日中は、その日の様々なことに取り紛れていますが、夜に一人静まると、あらゆる思いがこみ上げて来ます。それを包み隠さず、夜を徹して神に告げよう、嘆きの声を上げようというのです。

 

 そして、「両手を上げて命乞いをせよ、あなたの幼子らのために」と言います。夜を徹して主の御前に心を注ぎ出すのは、幼子の命乞いのためです。「彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく」というとおり、深刻な飢餓に見舞われているからです。

 

 「両手を上げて命乞いをせよ、あなたの幼子らのために」とは、「彼(主)に向かってあなたの両手を上げよ、あなたの幼子らの命(ネフェシュ)のために」という言葉遣いです。両手を上げるというのが祈りの姿勢であり、特に幼子らが飢えで衰えているという状況から、「命乞い」と意訳したのでしょう。

 

 その危機的な状況が、「女がその胎の実を、育てた子を食い物にしている」(20節)と、我が子を食べるほどの飢えの状態、そして、捕囚後のエルサレムに祭司や預言者はいなかったと思われますが(列王記下25章18節以下、21節参照)、「主の聖所で殺されている」と言われています。

 

 「両手」は、「手のひら」(カフ)という言葉の双数形です。両方の手のひらを主に向けることで、自分には何もないということを示しているようですし、両手が主に向かって上げられているのは、まさにお手上げ、降参という姿勢に見えます。

 

 勿論、主がその祈りに答えてくださるという保証など、どこにもありません。しかしながら、打ち破られてしまった城壁たるエルサレムの残りの民には、その窮状を主に訴えるほかになす術がないのです。ただ、主なる神だけが彼らにとっての最後の望みなのです。

 

 そして、憐れみ豊かな主は、神の子たちの呻き、嘆きを聞き流されはしません。むしろ、御霊自ら言葉に表せない呻きをもって執り成してくださいます(ローマ書8章26節)。そして、聖霊の呻きの祈りをとおして、万事が益となるように共に働くのです(同8章28節)。そうして、嘆きが喜びに、呻きが賛美に変えられるときがやって来るのです。

 

 主に信頼し、心から主なる神に近づきましょう。 主イエスを通して賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。

 

 主よ、あなたは助けを求める人の叫びを聞かれ、苦難から常に助け出してくださいます。主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださいます。御許に身を寄せる幸いに与っています。いよいよ深くあなたの恵みを味わわせてください。あなたを信頼し、御もとに参ります。御霊に満たし、感謝と賛美に溢れさせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「わたしたちは自らの道を探し求めて、主に立ち帰ろう。天にいます神に向かって、両手を上げ、心も挙げて言おう。わたしたちは、背き逆らいました。あなたは、お赦しになりませんでした。」 哀歌3章40~42節

 

 3章は、66節からなっています。3節づつ一括りのアルファベット歌、つまり、1~3節の文頭にはアレフ、4~6節の文頭にはベト、7~9節はギメルという具合に、ヘブライ語のアルファベット順の文字が置かれています。

 

 作者は、「わたしは、主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者」(1節)と語り、自分が苦しみの中にあること、その苦しみは、主なる神の怒りによるものであることを告げています。これは、自分たちが主を怒らせるようなことをしたという罪の告白であり、苦しみを被っているのが不当なことではないという理解を示すものです。

 

 そして、4節で「わたしの皮膚を打ち、肉を打ち、骨をことごとく砕く」と肉体を襲う痛み、5節には「陣を敷き、包囲して、わたしを疲労と欠乏に陥れ」と兵糧攻めに遭っている様子を描くなど、様々な苦しみが描写されています。17節で「わたしの魂は平和を失い、幸福を忘れた」とさえ言います。

 

 そして18節で「わたしは言う、『わたしの生きる力は絶えた、ただ主を待ち望もう』と」と語ります。即ち、作者は生きる気力を失せさせるような苦しみの中で呻きつつも、主なる神を仰いでいます。それは、ここに至って頼るべきものが、主の憐れみ以外にはないということを悟ったということではないでしょうか。

 

 そこで、「再び心を励まし、なお待ち望む」(21節)と言い、続けて「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる」(22,23節)と言い表し、「『あなたの真実はそれほど深い。主こそわたしの受ける分』とわたしの魂は言い、わたしは主を待ち望む」(23,24節)と告白しているのです。

 

 ということは、亡国という苦しみを味わうまでは、主なる神に背き、頼りにならないものに頼っていたということでしょう。そして、主が憤られて民を守ることをやめてしまわれた結果、塗炭の苦しみを味わわせられ、自分が依り頼んでいたものがいかに無力なもの、空しいものであるかを思い知らされたわけです。

 

 ここに、父を裏切って家を出た放蕩息子が、財産をすべて使い果たし、飢饉の中で飢えて死のうとしていたときに、我に返って180度の方向転換をしたように(ルカ福音書15章11節以下、17節)、今、この作者をはじめエルサレムに残された民は方向転換しようとしています。

 

 神から目を逸らし、御言葉に耳を傾けようとしない姿勢を改め、正しく神の方向を向き、その御言葉に耳を傾け、その導きに従おうとする方向転換のことを、聖書では「悔い改め」(メタノイア)と呼びます。冒頭の言葉(40節)で「自らの道を探し求めて、主に立ち帰ろう」というのは、そのことです。

 

 そうして、「天にいます神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう」(41節)と語ります。「両手を上げる」は2章19節にもありましたが、これは、主への賛美(詩編134編2節)、あるいは主に祈りを捧げる姿勢です(同28編2節)。

 

 つまり、主を喜び、主に感謝して、「ハレルヤ!万歳!」とほめ讃える表現であると同時に、もうお手上げです、すべてを明け渡して無条件降伏します、私たちを助け導いてくださいと願い求める表現でもあります。

 

 しかも、「両手を上げ心も挙げて」と言われています。口語訳では「手と共に心をもあげよう」と記されています。これは、手を上げる姿勢というのではなく、心から主に願い求めているということでしょう。「手」は「手のひら」(カフ)という言葉です。開いた手のひらに心を乗せて差し出すということで、悔い改めた心を見ていただこうという思いの表われのようです。

 

 かつて、エルサレムには荘厳な主の神殿がありましたし、そこで主に向かって大量の生贄を捧げる盛大な儀式が行われておりました。けれども、主なる神はそれを喜ばれませんでした。そこに、主にのみ前に謙ってみ言葉に聴き従おうとする心がなく、主から受けた恵みに対する真の喜び、感謝の心を見ることが出来なかったからです。

 

 詩編51編18,19節に「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけには打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」と記されているとおりです。

 

 ところで、自分の力で心を入れ替えることが出来るでしょうか。私には出来ません。そのつもりはありますが、何とかやってみようと努力はしますけれども、残念ながら、長続きしません。まさにお手上げです。

 

 そして、主もそれをよくご存じです。勿論、両手を上げさえすれば、主なる神に頼ると言いさえすれば、背きの罪を赦されるということでもありません(42節)。ですから、作者は「主よ、生死に関わるこの争いを、わたしに代わって争い、命を贖ってください」(58節)と願っています。

 

 つまり、自分自身では買い戻すことの出来ない命を、「最も近い親戚」(ゴーエール)として、主なる神に買い戻してくださいと願っているのです(レビ記25章25節、ルツ記2章20節参照)。それは、一切を主に委ね、その導きに従うほかはないということです。

 

 「♪慈しみ深き友なるイエスは、罪、咎、憂いを取り去りたもう。心の嘆きを包まず述べて、などかは降ろさぬ、負える重荷を♪」(新生讃美歌431番1節)。

 

 主の慈しみに信頼し、自分の心をありのまま、神にお見せしましょう。主の御前に身を屈め、心から御言葉に耳を傾けましょう。御旨をわきまえ、喜びをもって導きに従いましょう。

 

 求める者に聖霊を与えてくださると約束してくださった天のお父様、どうぞ、私たちの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御救いの喜びを味わわせ、自由の霊によって支えてください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。この口はあなたの賛美を歌います。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹、その人が彼らの罠に捕らえられた。異国民の中にあるときも、その人の陰で生き抜こうと頼みにした、その人が。」 哀歌4章20節

 

 4章もアルファベットによる詩で、各節の冒頭の文字がアルファベット順に並んでいて、各節は2行ずつの詩形をしています。

 

 冒頭の言葉(20節)に「主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹」、「その人の陰で生き抜こうと頼みにした」という文言が記されています。これらはいずれも、王を表わす表現と言われます。

 

 原文では、「わたしたちの命の息吹」(ルーアハ・アペイヌー:「私たちの鼻の息」)が、最初に出て来ます。これはエジプトの王の伝統的な称号だそうですが、ここではそれをユダの王に適用しているものと思われます。そして「命の息吹という表現」は、王としての役割がその国の民にとって、必要不可欠であることを示しています。

 

 また、「主の油注がれた者」(メシーアハ・ヤハウェ)は、まさにイスラエルの王を指す表現です。また、「その人の陰で」(ベツィッロー)とは、主なる神の庇護を表す言葉ですが(詩編63編7節、91編1節など参照)、ここでは主の代務者としての王の役割を指しているものと考えられます。

 

 ゼデキヤはヨシヤ王の息子で、甥のヨヤキン王に代わり、バビロンの意によって立てられた傀儡の王でしたが(列王記下24章17節)、後にバビロンに反旗を翻しました(同20節)。これは、親エジプト派の高官たちからの、エジプトを頼りにしてバビロンからの独立を勝ち取ろうという圧力に抗しきれなかったということでしょう。勿論その背後に、エジプトからの働きかけもあったはずです。

 

 ただ、列王記の記者はそのことについて、「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついに御前から捨て去られることになった」(同20節)と述べており、ユダがバビロンに反抗すること、それによってバビロンに滅ぼされてしまうことが、主なる神の差し金だったように記述しています。

 

 実際、エジプトは何の助けにもならず、エルサレムの都は陥落し、傀儡の王ゼデキヤは厳しい裁きを受けなければなりませんでした(同25章6,7節)。そのことが、17節で「今なお、わたしたちの目は、援軍を求めていたずらに疲れ、救ってはくれない他国をなお見張って待つ」と言い表されています。

 

 それは、ゼデキヤが主の目に悪とされることを行い、主の御前に謙ろうとしなかった結果でした。そして、宗教指導者たちも、罪に罪を重ねるような状態だったので(歴代誌下36章11節以下)、主の怒りを買い、滅びを刈り取るほかはないようにされたのです。

 

 ダビデ王朝が滅び、エルサレムの都は破壊され、神殿は焼かれて、祭具もすべて奪われてしまうに及んで、ヨヤキンと共に捕囚となっていた民にとっては、最後の望みが完全に打ち砕かれた形になってしまいました。

 

 それからおよそ600年後、主なる神は御自分の独り子をこの世に送られ、ダビデ家の子孫として生まれさせられました。主イエス・キリストです。キリストとは「油注がれた者」(マーシーアッハ)をギリシア語訳したものです。主イエスこそ、まことのメシアです。

 

 主イエスについて、「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」(ルカ24章21節)と、弟子たちが語っています。「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者だった」(同19節)からです。

 

 けれども、ユダヤの祭司長たちや議員たちは、主イエスを死刑にするために引き渡し、十字架につけて殺してしまいました。ローマという異国の民の支配下にいて、主イエスの陰で生き抜こうと頼みにしていた人々にとって、またもやその期待が裏切られる結果となってしまいました。

 

 悪魔も、これによって全人類を救おうとする神の計画を完全に破棄することが出来たと考えたかもしれません。然るに神は、御自分の独り子を殺してしまうような私たち人間の罪をすべて御子イエスに負わせ、十字架につけて滅ぼし、その贖いによって私たちを赦し、永遠の命を与えて神の子として生きることが出来るように、救いの道を開いてくださいました。

 

 イエス・キリストは、私たち人間の罪の身代わりに十字架で死なれたのです。そればかりでなく、三日目に甦られました。罪と死に打ち勝たれたのです。22節に「おとめシオンよ、悪事の赦される時が来る。再び捕囚となることはない」と記されていますが、主は、再び罪の奴隷としてその呪いを受けることがないように、私たちのすべての罪を赦し、その軛を打ち砕いてくださったのです。

 

 私たちは今、どんな時にも主メシアなるイエスの翼の陰で守られて、恵みと平安の内に生きることが許されています。主は私たちに、別の弁護者として真理の霊を送ってくださいました。聖霊は私たちにキリストの証人となる力を与えてくださいます。

 

 絶えずまことの主を仰ぎ、御霊の力と恵みに与って歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、あなたの深い御愛に心から感謝致します。その憐れみは、永久に尽きることがありません。慈しみの御手の下に謙り、導きに従って歩みます。私たちの耳を開いて、御言葉を聴かせてください。御霊に満たし、主の証人として用いてください。この地に御心がなされますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「主よ、わたしたちにふりかかったことに心を留め、わたしたちの受けた嘲りに目を留めてください。」 哀歌5章1節

 

 5章は、アルファベット数と同じ22節ありますが、アルファベットによる詩ではありません。また、各節1行ずつで22行の詩です。これは、詩編74編のような民の嘆きの歌で、1節で「わたしたちに降りかかったことに心を留め、わたしたちの受けた嘲りに目を留めてください」と求めて、2~18節に民の危機的な状況を述べます。

 

 神から与えられた嗣業の地イスラエルは異邦人の支配を受け(2節)、自分たちのものをお金を払って買わなければならなくなりました(4節)。絶えず、飢えと病と剣の危機が待ち受けています(9,10節)。

 

 女性は辱められ(11節)、君候、長老処刑され(12節)、若者や子どもは重労働に駆り出されています(13節)。実態を知っているわけではありませんが、終戦直後の満州などは、そういう有様だったのではないかと思います。

 

 18節に「シオンの山は荒れ果て、狐がそこを行く」とありますが、シオンの山はイスラエルの首都エルサレムの町があったところで、そこには、壮麗な王宮と神殿が建てられていました。それが荒れ果てたまま放置されているので、狐の住処になったということです。

 

 それは、「エジプトに手を出し、パンに飽こうとアッシリアに向かった」(6節)結果です。即ち、安心安全と繁栄を手に入れるために、主に信頼するよりも、状況に応じて北のアッシリアやバビロン、南のエジプト、また近隣諸国との同盟を図り、異教の偶像を拝んだので、主なる神の怒りを買ったのです。

 

 7節に「父祖は罪を犯したが、今はなく、その咎をわたしたちが負わされている」と語られていますが、荒れ果てたエルサレムに残されている民に責任がないとは言えません。イザヤ書65章7節に「彼らの悪も先祖の悪も共に、と主は言われる。彼らは山の上で香をたき、丘の上でわたしを嘲った。わたしは、初めから彼らがしてきた業をはかり、その懐に報いた」と言われています。

 

 またエレミヤ書16章11節にも「『お前たちの先祖がわたしを捨てたからだ』と主は言われる。『彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、ひれ伏し、わたしを捨て、わたしの律法を守らなかった』」と記されています。

 

 哀歌の作者はしかし、その罪はひとり父祖のもの、先祖の罪の故に自分たちが苦しい目に遭っているというのではありません。16節に「いかに災いなことか。わたしたちは罪を犯したのだ」と語って、それが現世代の自分たちの罪でもあることを、認めています。

 

 ただ、イスラエルの民が被った災い、その辛く悲しい状況を、自分たちの罪の報いと認めた上で、だからこうなったのは仕方がない、イスラエルの再興を諦めるなどというのではありません。冒頭の言葉(1節)のとおり、この状況を心に留めてください、わたしたちに目を留めてくださいと、作者は願い訴えているのです。

 

 ダビデ王朝は倒れ、国は滅びてしまいました。けれども、イスラエルの神、主こそ、まことの王であり、その支配は永遠に続きます(19節)。そこに、作者をはじめエルサレムに残された者たちの希望があります。その希望の上に、もう一度国を建てたいと願っているのです。

 

 だから、「なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ、果てしなく見捨てておかれるのですか」(20節)と主に訴え、「主よ、御もとに立ち帰らせてください、わたしたちは立ち帰ります。わたしたちの日々を新しくして、昔のようにしてください」(21節)と、その憐れみに縋っているのです。

 

 果たして、そのような日は来るでしょうか。主なる神は、彼らの願い通りイスラエルに目を留めてくださるでしょうか。それとも、激しい怒りによって永久に見捨てられてしまうのでしょうか。

 

 苦しみの最中にあるとき、「朝の来ない夜はない、トンネルの向こうに明るい光がある」などと言われても、「本当にそうだろうか、この夜はわたしの最後ではないか、深い洞窟の迷路に迷い込み、もはや二度と日の光を見ることはないのではないだろうか」と思ってしまうものです。

 

 そのことで、主イエスが十字架につけられて、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ福音書15章34節)と叫ばれた言葉を思い出します。この主イエスの激しい叫びを、父なる神は聞かれたのでしょうか。それとも聞かれなかったのでしょうか。

 

 主イエスがもう一度大声で叫ばれて、そのまま息を引き取られたとき(同37節)、誰もが、この叫びに父なる神が答えてくださらなかった、主イエスは見捨てられてしまったのだと思ったことでしょう。

 

 けれども、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(ヘブライ書13章5節)と言われた神は、放蕩三昧に身を持ち崩した息子でさえも駆け寄って喜び迎えてくださる憐れみ深き父です(ルカ15章11節以下、20,22節)。

 

 マルコは、そのようにして息を引き取られた主イエスを見て、百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と言ったと記します(マルコ15章39節)。神に捨てられて息を引き取る、それが、神の御子のメシアとしての振る舞いであり、そして、神が私たちを救うための御業であると言い表しているわけです。

 

 御子キリストの命をもって私たちを贖われる神は、必ず私たちの状況に目を留め、そこから救い出してくださると信じます。だからこそ、この苦しみがいつまで続くのかと尋ね、心を留めてください、立ち帰らせてくださいと訴えるのです。主によって、そうすることが許されているのです。

 

 主よ、どうか私たちを大いに祝福してください。祝福の地境を広げてぃださい。御手を私たちの上に置き、あらゆる災いから護り、すべての苦しみを遠ざけてください。そうして、一切のことを御心のままに行ってください。あなたこそ、生きておられる唯一の神だからです。御名が崇められますように。 アーメン

 

日本バプテスト

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2014年8月6日サイト開設