出エジプト記

 

 

「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。」 出エジプト記1章17節

 

 本日から、出エジプト記を読み始めます。ヘブライ語聖書では、「出エジプト記」はその書き出しの「ブ・エーッレ・シェモート・ブネー・イスラエル(そして、これらはイスラエルの子らの名前です)」からとって、「シェモート(名前)」と呼ばれます。

 

 1節以下に、エジプトにやって来たイスラエル=ヤコブの子らの名前が列挙されているということは、出エジプト記が創世記の続編で、ここでヨセフ物語とモーセ・出エジプト物語の橋渡しをしているということを示しています。

 

 2,3節のルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、6人はヤコブの妻レアの産んだ子ら、ベニヤミンは妻ラケルの産んだ子、4節のダン、ナフタリはラケルの仕え女ビルハの産んだ子ら、そして、ガド、アシェルはレアの仕え女ジルパの産んだ子らで、御覧のとおり母親別にまとめられています(創世記35章2節以下も同様)。

 

 イスラエルの子孫は、エジプトにおいて急速にその数を増しました(7節)。パレスティナとは違って、気候が比較的安定していること、寄留の地とはいえ、ヨセフが国の宰相となっているため、特権的な地位、立場を享受出来たことなどがその要因と考えられます。

 

 そのため、帰国しようと思えばすぐに実行出来たと思われるのに、そしてヨセフはそれを願い、そのときには自分の遺骨を携え上るようにと命じていたにも拘らず、「此処に居るは善し」(マルコ福音書9章5節)とばかり、永住するつもりになっていたのではないでしょうか。

 

 そして、その背景に「あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう」(創世記15章13,14節)との御言葉、神のご計画がありました。

 

 神は、「ヨセフのことを知らない新しい王」(8節)を登場させ、イスラエルの立場を一変させてしまいます。イスラエルの民は、自分たちが寄留者であったことを思い知らされます。昨日まで特権階級であったのに、今日からは奴隷として重労働に服さなければならなくなったのです。安楽な日々を過ごしていた人ほど、この変化は受け入れがたい厳しく辛いものだったことでしょう。

 

 新しい王は、おびただしく数を増し、国中に溢れてきたイスラエルに恐れをなし、重労働を課して虐待しました(11節)。けれども、抑圧すればするほどイスラエルの民は増え広がっていきます(12節)。そこには、「あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がって行くであろう」(創世記28章14節)という神の祝福の御手が働いているといってよいでしょう。

 

 重労働でもイスラエルの民が増える勢いを抑えることが出来ないとみたエジプト王は、ヘブライ人の助産婦を呼びつけ(15節)、生まれ出た子どもが「男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ」(16節)と命じます。これは、死産だったことにするという工作をさせようとしているのです。

 

 ところが、冒頭の言葉(17節)のとおり、二人の助産婦はそれに従いません。二人は、エジプトの王よりも神を畏れていたというのです。そもそも、助産婦の務めは生まれて来る子どもの命を守ることです。彼らは、神から与えられた使命に忠実で、それゆえに、神の御旨に背くエジプト王の命令に従うことが出来なかったのです。

 

 そのことを知った王は、二人を呼びつけて詰問します(18節)。すると二人は、ヘブライ人の女性は丈夫で、助産婦が到着するまでに産んでしまう、死産にする工作が出来ないと答えるのです(19節)。これは、男児の命を守るための助産婦たちの方便でしょう。そして、主なる神は、エジプトの王を恐れずに神を畏れて行動した二人を祝福されました(20,21節)。

 

 詩編の詩人も、「主の慈しみは世々とこしえに、主を畏れる人の上にあり、恵みの御業は子らの子らに、主の契約を守る人、命令を心に留めて行う人に及ぶ」(詩編103編17,18節)と詠います。

 

 ここに、王の名は記されていないのに、助産婦二人の名が「一人はシフラといい、もう一人はプアといった」(15節)と記されているのは、主なる神の御前に、神を畏れる助産婦二人が覚えられ、その信仰が讃えられているという、何よりのしるしでしょう。

 

 結局、王は新たな触れを出し、ヘブライ人として「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め、女の子は皆、生かしておけ」(22節)と全国民に命じるのです。

 

 しかしなぜ、ナイル川に放り込めなのでしょう。イスラエルの民が皆ナイル川のほとりで生活しているわけではありません。兵士たちが剣にかけて殺害することも出来たはずですし、その方が確実だったのではないでしょうか。

 

 勿論、王の心を推し量ることは出来きませんが、ナイル川はエジプトの文明を育んだ繁栄の源であって、エジプトにとって、神のような存在です。エジプトの王が自ら手を下すというのではなく、イスラエル人の取り扱いをナイルの神に託すといった思いだったのではないかと考えられます。

 

 そうしたエジプト王の思いを利用して、まことの神は、イスラエルの民の指導者として、モーセが立てられる舞台をお造りになったわけです。そして、子殺しを命じたエジプト王とその民は、過越によって長子を失い、男児をナイルに放り込めと命じたことが、自らとエジプトの兵士たちが葦の海に呑み込まれて命を落とすことになりました。

 

 主は、イスラエルを祝福する者を祝福され、呪う者を呪われるのです(創世記12章3節)。

 

 主よ、あなたは万事を益に変えることのお出来になる方です。この時代、この地にもあなたのご計画があり、私たちはその中で主に導かれています。あなたを畏れて御前に謙り、日毎に御声に耳を傾けます。私たちをも御業のために用いてください。 アーメン

 

 

「その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。『水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。』」 出エジプト記2章10節

 

 ファラオが全国民に発した「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ」(1章22節)という命令が、イスラエルの民をエジプトでの過酷な重労働から救い出す指導者モーセが歴史の舞台に登場するための用意をさせることになりました。

 

 この命令が、エジプト中でどの程度厳格に守られたのか、よく分かりません。中には、エジプト人によって守られる新生児もいたでしょう。事実、その一人にモーセがいたのです。モーセは、レビの家の出であるアムラムと、その妻ヨケベドの次男として生まれました(6章30節)。兄のアロンは、この命令が出る前、助産婦たちの機転によって既に誕生していたのでしょう(1章15節以下)。

 

 モーセの両親は、生まれた男の子がかわいいのを見て、誰にも知られないように隠していました(2節)。「かわいい」と訳されているのは、「よい、立派、美しい」という意味を持つ「トーブ」という言葉です。姿形の美しさは、その人が神に選ばれ、用いられる重要な要素だったようです。

 

 モーセの母ヨケベドは、生後3ヶ月になって隠しおおせなくなった我が子をパピルスの籠に入れ、ナイル川の葦の茂みに置きます(3節)。「籠」(テーバー)は、創世記6章では「箱舟」と訳されています。かけがえのない愛児をナイルの神ではなく、天地を創造された主なる神の御手に委ねたのです。そして、その籠の様子を、モーセの姉ミリアムが見張っていました(4節)。

 

 やがて、緊張の瞬間がやって来ました。それは、ファラオの王女が水浴びに来て、葦の茂みの間に隠されているパピルスの籠を見つけたのです(5節)。王女が仕え女をやって籠を取って来させ(5節)、開けてみると、男の子が泣いています(6節)。

 

 王女は「これは、きっと、ヘブライ人の子です」(6節)と言います。王女はこの男児をどうするつもりでしょうか。当然のことながら、王女は父王の命令をよく知っているはずです。そのときに、姉ミリアムが飛び出して行って、「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか」(7節)と申し出ます。

 

 もし王女がこの子に憐れみを感じているならば、この申し出を受け入れるでしょう。父王の出した命令に従うつもりならば、冷たく跳ね除けられ、男の子を川に沈めてしまうことでしょう。それを今、確かめようとしているわけです。すると王女は「そうしておくれ」(8節)と答えました。そこでミリアムは、早速母ヨケベドを連れて来ました(同節)。

 

 王女は、連れて来られた女性が男の子の母親だと、分かっていたのではないでしょうか。しかし、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当はわたしが出しますから」(9節)とヨケベドに依頼します。それを受けて、母ヨケベドが再びわが子を胸に抱き、乳を含ませます(9節)。しかし今度は、堂々と子育てすることが出来ます。この子は、エジプトの王女の子となったのです。

 

 エジプトの王女がどのようにしてヘブライ人の男の子を養子に迎えたのか、理解出来ませんが、まさに、神がイスラエルの民をエジプトから脱出させるために、モーセを生かす道を備えられたのです。それにしても、助産婦のシフラ、プア、そしてモーセの母ヨケベド、姉のミリアム、そしてエジプトの王女という、王を恐れず行動した女性たちによって、大切な命が守られました。

 

 「その子が大きくなると」(10節)とは、乳離れしたという表現でしょう。当時は通常3歳になるまでは乳が与えられ、時には5歳で乳離れしたそうです。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、乳幼児の大切な時期を家族の中で過ごしたモーセは、自分の民族のこと、そして自分たちの神への信仰について、その心に刻みつけたことでしょう。

 

 冒頭の言葉(10節)のように、王女は「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」と言って、「モーセ」という名を与えました。エジプトの王女が、ヘブライ語の「マーシャー」から名付けるとは考えられません。エジプトの言葉で別の意味を持つ名(例:「産む、子」(メス)に由来する)をヘブライ語的に解釈し、それを王女が語ったようにしたということでしょう。

 

 王女は、王宮から「下りて来て」パピルスの籠を「見つけ」、その中で泣いている男の子を「ふびんに思い」、そこから引き上げ、必要の一切を支払います。そして、新しい名を与えました。ここに王女が果たした役割は、神がこの世にお遣わしくださった主イエスのようです。

 

 神の御子・主イエスは、天から下って来て罪の中に泣いている私たちを見つけ、そこから引き出すためにご自身の命をもって代価を払い、救ってくださったのです。そして、私たちに新しい名前が与えられました。それは「クリスチャン(キリストのもの)」という名前です。私たちはキリストのものとされ、神の子となりました。

 

 神なく生きていた罪人の私たちが、どうして神の子となれるのでしょうか。それはただ、神の憐れみです。キリストの十字架の贖いに、計り知れない神の愛が表されています。それは、モーセがイスラエルの救いに用いられたように、私たちを通して神の憐れみが多くの人々に証しされるためなのです。

 

 恵みの主を日々仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、聖霊の力を受けてキリストの証人としての使命に励むものとならせて頂きましょう。

 

 主よ、キリストの十字架によって、あなたの愛が川の流れのように私たちのところまで流れてきました。罪の中で泣いていた私たちも、あなたの愛によって救われました。平安と喜びのうちを歩むことが出来ます。心から感謝します。霊に満たされ、その力を受けて、この恵みを力強く証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。』」 出エジプト記3章7節

 

 エジプト王女の養子となったモーセは、イスラエルの同胞とは全く違う生活をすることが出来ました(2章10節)。重労働をする必要がなかったのです。エジプトの高度な教育を受けることも出来たでしょうし、帝王学をも施されたかも知れません。

 

 モーセが成人したある日、同胞が重労働に服しているのを見、一人のエジプト人が同胞を打つのを見て、撃ち殺し、遺体を砂に埋めました(同11,12節)。彼はそれを秘密裏に行えたと思っていましたが、翌日、同胞の喧嘩の仲裁をしようとして、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」(同14節)と言われます。

 

 モーセはヘブライ人を同胞と考えて、エジプト人に打たれていたヘブライ人を助けたつもりだったのでしょうけれども、エジプト王女の子という特権的な立場にいるモーセは、同胞から受け入れられておらず、しかも、自分の犯行が知れ渡っていることを悟ります。そのことがファラオの耳にも入り、モーセを殺そうと尋ね求めたので、その手を逃れてミディアン地方に逃げ落ちます(同15節)。

 

 そこで、ミディアンの祭司レウエル(3章1節ではエトロ)の娘ツィポラと出会い、結婚します(同16節以下、21節)。そして、ゲルショムという男児が与えられました(同22節)。それから長い年月、エジプトの同胞のことを忘れたかのような、穏やかな生活を送ります。

 

 1節に登場するモーセは、もはや同胞を救おうと血気にはやり、エジプト人を撃ち殺した青年モーセではありません。2章11節に「モーセが成人したころのこと」とありましたが、7章7節には「ファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった」と記されていますので、2章23節の「それから長い年月がたち」というのは、60年を超えるものであったことになります。

 

 モーセは、エトロの羊の群れを飼っていて、あるとき、神の山ホレブに来ました(1節)。2章18節でレウエルと呼ばれていた舅がここでエトロと呼ばれ、士師記4章11節にはホバブとされていて、異なる伝承が併存しています。民数記10章29節でもミディアン人レウエルの子ホバブとなっていますが、新共同訳は「舅(ホーテン)」を「義兄(ハータン)」と読み替えています。

 

 モーセはホレブで、燃える柴の炎の中から語りかける神の声を聞きます(2,4節)。モーセは初め、「この不思議な光景を見届けよう」(3節)と言いますが、神は「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」(5節)と語られました。

 

 靴を脱ぐというのは、奴隷は裸足であったことから、神の僕として御言葉に聞き従う者となるということを示しています。モーセは、自分が神を見ようとしていたことに恐れをなし、顔を覆います(6節)。イスラエルには、神を見る者は神に打たれて死ぬという信仰があるからです。

 

 そのとき、モーセに神が語られたのが、冒頭の言葉(7節)です。神は、モーセが忘れたことにしていた同胞イスラエルのことを、「エジプトにいるわたしの民」と呼び、その「苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」と言われます。

 

 「知る」(ヤーダ)は、「アダムは妻エバを知った」(創世記4章1節)の「知る」と同じ言葉で、相手に心を留め、愛することです。高いところから見下ろして、民が苦しんでいるのが分かったというのではなく、そこに自ら下って来られて、その痛み、苦しみを共に味わってくださったという表現といってよいでしょう。

 

 神は、この民を奴隷の苦しみから救い出し、約束の地に導き上ろうとお考えになり(8節)、エジプトから導き出す指導者として、モーセを遣わすと言われるのです(10節)。ここにモーセは、神の全権大使として、エジプトのファラオのもとに遣わされるわけです。

 

 それを聞いたモーセは、慌てました。「わたしは何者でしょう」(11節)とは彼の謙遜などではなく、到底そのような任に当たることの出来る者ではないと、固辞しようとしているのです。若かりしころ、同胞を救おうとして結局逃げ出すしかなかったことを思い出したのかも知れません。

 

 しかるに神は、「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」と言われました(12節)。モーセが何者であっても、神が共にいて、彼を用い、彼を通してイスラエルの民をエジプトの地から救い出すという、断固とした神の御心が、ここに示されます。

 

 イスラエルの苦しみを見、その叫びを聞かれた憐れみ深き神は、私たちの神であられます。この国の呻きをも聞き上げ、大いなる救いの御業を起こしてくださると信じます。そのために、私たちも主に用いられる器とならせて頂きましょう。

 

 主よ、私に何の取り柄もないことは、あなたがご存知です。あなたから離れては、何もすることが出来ません。どうか主が私と共にいて、御業のために整え、用いてください。御名が崇められますように。御心がなりますように。 アーメン

 

 

「ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、『わたしにとって、あなたは血の花婿です』と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、その時、割礼のゆえに『血の花婿』と言ったのである。」 出エジプト記4章25,26節

 

 イスラエルの民をエジプトから救出するために、主なる神はモーセを指導者として選ばれましたが、モーセは素直に主に従うわけではありません。まず、民はわたしを信用しないと言って断ります(1節)。すると主はモーセに、神に選ばれたものであるという証拠を示すことが出来るように、三つのしるしを与えます。

 

 主がお与えになったしるしは、その一つ目が、モーセが手に持っている杖を投げると蛇になるというしるし(2節以下)、二つ目は、手をふところに入れると重い皮膚病にかかり、もう一度入れると元通りになるというしるし(6,7節)、そして三つ目は、川の水が血に変わるというしるしでした(8,9節)。

 

 ここで「重い皮膚病」と訳されているのは「ツァラアト」という言葉で、祭儀的に穢れたものとみなされる、皮膚疾患の総称(レビ記13~14章)です。語源も正確な意味も不明で、かつては「らい病」と訳されていました。レビ記13章を見れば明確であるように、この「ツァラアト」は、いわゆる「ハンセン氏病」ではあり得ません。

 

 そもそも、ヘレニズム時代以前のオリエント世界に、ハンセン氏病が存在したという証拠はありません。アレキサンダー大王の大遠征に参加した兵士が、東方から持ち帰ったとする説が有力なのだそうです。また、皮膚科の専門家から見て、レビ記13章に記されている症状のすべてが当てはまる、単一の疾病はないと言われます。

 

 いずれにせよ、旧約聖書の「ツァラアト」という言葉は、医学的用語というよりも、浄・不浄の感覚に関わる祭儀的な用語です。しかも差別的なニュアンスを含んでいるので、現存するいかなる病名の訳語を当てることも、適切ではないでしょう。それで新共同訳は「重い皮膚病」としているわけです。

 

 話を戻して、しるしが三つ与えられたのは、一つで信じなければ二つ、二つで信じなければ三つということですが、これは後に、いくつもの災いを経験しながら、イスラエルの民を去らせることを拒み続けた、ファラオの頑迷さに通じているようです(7章8節以下)。即ち、イスラエルの民が主なる神を信じるためのしるしが、エジプトの民にとっては神の裁きのしるしとなるということです。

 

 けれども、モーセはそれでエジプト脱出の指導者就任を納得しません。次に、自分は弁が立たないと言って断ります(10節)。ただ、実際にモーセの口が重く、弁が立たなかったという証拠はありません。エジプトに行きたくないために、そうしなくて良い口実を見つけようとして、そう言ったのでしょう。

 

 それに対して主は、「一体、誰が人間に口を与えたのか」(11節)と言われます。この表現は、モーセの口が重く、弁が立たないのは、そのように主が造られたから、ということになります。そして、そうであるならば、主なる神は、モーセを弁が立つようにすることも出来ると仰っているのでしょう。

 

 ということは、主がモーセを出エジプトの指導者として選ばれたのは、モーセの弁が立つからということではないということを示しています。皮肉と言ってよいかもしれませんが、もし彼が弁舌爽やかであれば、もっと上手に自分が適任でないということを、主に訴えたことでしょう。

 

 そこで主なる神は、口が重いというモーセに、語るべき言葉をモーセの口に与えると言われました(12節)。主が語らせるままに、口を開いて語ればよいということです。それでも、イスラエルの指導者となることを承服せず、モーセは、「だれかほかの人を見つけてお遣わしください」(13節)と主の申し出を断ります。

 

 つまり、モーセの口が重く、弁が立たないというのは、実際にそのとおりだというのではなく、主がお与えくださる言葉を語る口の重さ、使命の重さの前に、主に信頼して従う思いの欠如を示すものです。ついに主は怒りを発して「あなたにはアロンという兄弟がいるではないか」(14節)と言われました。

 

 ここで、主が怒りを発して、兄アロンのことを言われたということは、もしもモーセが素直に神の選びに答えて立ち上がっていれば、アロンの起用はなかったということになるのかも知れません。その上、モーセはこの主の剣幕に恐れをなしたということで、主なる神の命令を素直に受け入れたわけではなかったのです。

 

 それで、モーセは家族をろばに乗せ、手に神の杖を取って、エジプトの国へ戻って行きます(20節)。ところが、エジプトに帰りつく前に事件が起こります。主がモーセと出会って、彼を殺そうとされたのです(24節)。それは何故か、まったく定かではありません。

 

 しかしながら、その直前、主がモーセに「『わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』とエジプトのファラオに言え」(23節)と命じておられます。このことで、モーセが前に主の命令を断っていたので(13節参照)、モーセとその長子を殺そうとされたと考えることも出来ます。

 

 そのとき、モーセの妻ツィポラが、息子に包皮を切り取り(割礼を施したということです)、それをモーセの両足に付けました(息子の包皮をつけたのが、モーセの足か、それとも息子の足か、原語でははっきりしない)。そしてツィポラは、「あなたは血の花婿です」(25節)と叫ぶと、主なる神はモーセから手を放されました。

 

 これは、後の過越の出来事、つまり、小羊の血を家の柱と鴨居に縫ったところは、神の御使いが過ぎこして災いを免れ、血が塗られていないところは、神の御使いがその家に入り、長子の命を奪ったという出来事に通じているようです(11,12章)。

 

 ただ、切り取った包皮を息子の足につけたのなら、「それはモーセがちの花婿でなかったこと、つまり結婚前に割礼を受けていなかったことが、ヤハウェの怒りを買ったのに対し、息子に割礼を施すことによって、いわば象徴的にモーセを『血の花婿』にするためである」と、岩波訳の脚注に記されていました。

 

 こうして、妻ツィポラの機転によって、モーセの命が救われました。そのときツィポラが叫んだ「血の花婿」という言葉について、花婿とは新約聖書では主キリストを指します。花婿なるキリストが血を流されることで、教会が清められ、花嫁として迎えられることになったのです。つまり、キリストの贖いの御業が、ここに予め示されているということではないでしょうか。

 

 神の御子キリスト・イエスの命によって贖い出された私たちには、それぞれに使命が与えられており、それを実行するために必要な賜物も、それを用いるために必要な知恵も与えられます。主の御旨をわきまえ、喜びをもってそれを実行できるよう、常に主の御言葉と聖霊による導きを祈り求めて参りましょう。

 

 主よ、人は誰も、自らを清くすることは出来ません。ただ、主イエスの血潮が私たちをすべての罪から清めるのです。そのために、主イエスは十字架で贖いの御業を成し遂げられました。感謝をもって主に従います。絶えず御言葉に聴き従うことが出来ますように。主の証人としての使命を全うできるよう、聖霊の力を授けてください。 アーメン

 

 

「ファラオは、『主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない』と答えた。」 出エジプト記5章2節

 

 モーセとアロンは、エジプトのファラオのところに行き、「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と」(1節)と言いました。それに対する答えが、冒頭の言葉(2節)です。

 

 先に主なる神はモーセに、「わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう」(4章21節)と語っていました。ということは、このファラオの反応は、既に折り込み済みというところでしょうか。

 

 モーセは主に教えられたように(3章18節)、「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう」(3節)と言います。主なる神を礼拝するために荒れ野に行かせてくれと、ファラオに一週間程の休暇を頼む言葉です。

 

 ファラオは、「お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ」(4節)、「「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか」(5節)と反問します。モーセたちの訴えを、休日の要求と正しく受け止めたわけです。

 

 そして、二人に耳を貸すつもりのないファラオは、民を追い使う者と下役に命じて、労働条件を厳しくし、「神を礼拝させよ」という偽りの言葉に心迷わさせないようにせよと告げます(6節以下)。つまり、休日を与えることを断じて拒否するという姿勢を示し、イスラエルが仕えるべきは、主などではなく自分であることを、イスラエル人に思い知らせようと考えたのです。

 

 民を追い使う者は、早速イスラエルの民にわらの配給を停止して、それを自己調達させ、なおかつ、造る日干しレンガの数を減らすなと命じます(10節)。それを聞いた下役は、それは無茶だと抗議しますが(15,16節)、ファラオは民を怠け者と決めつけ、厳しく語るだけです(17,18節)。

 

 下役とは、エジプトの手先となるように懐柔された、ユダヤ人たちのことです。彼らは、イスラエルの民を分断し、エジプトに協力する方が得だと思わせる役目を、担わされています。今回のファラオが採った措置は、同胞とエジプトの間で、下役たちを板ばさみにするようなことでした(19,21節)。

 

 そこで下役たちは、ファラオのもとを退出した後、モーセとアロンに抗議します(21節)。それを聞いたモーセは、主のもとに行き、「わが主よ、あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか.わたしを遣わされたのは、一体なぜですか」(22節)と訴えました。

 

 自分たちが行かなければ、ファラオのこの措置はなかったと、モーセは言いたいのでしょう。けれども、主なる神は既に、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫びを聞き、その痛みを知った」(3章7節)と言われており、それゆえ、モーセをファラオのもとに送られたのです。

 

 確かに、ファラオの心を頑なにして、モーセの要求をはねつけさせたのは、主なのかもしれませんが、それは勿論、民を災いに遭わせようとされてのことなどではありません。一週間の休みどころではない、エジプト人の好意を得て、彼らから餞別を受け取ってエジプトを去ることが出来るようにするため(3章21,22節)、必要な処置を執ろうとしておられるのです。

 

 冒頭の言葉でファラオがモーセに「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことを聞かねばならないのか」と告げていました。だから、モーセとファラオのこれからのやり取りは、主とは一体何者なのかということを、ファラオが心と体で知るようになるために、主ご自身の導きに従ってなされるのです。

 

 そして「主とは一体何者なのか」という問いは、ファラオやエジプト人たちだけでなく、「あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか」と問うモーセにも、そして出エジプト記の読者である私たちにも突きつけられています。

 

 物語にこめられた主の御心を注意深く読み取り、考え、探求しながら、答えを出していきましょう。

 

 主よ、神の富と知恵と知識はなんと深いことでしょう。誰があなたの定めを究め尽くし、あなたの道を理解し尽くせましょう。あなたを畏れ、御前に謙ることを学ばせてください。あなたはすべてのものを創造され、御手の内に守られ、やがて天に迎えられるのです。栄光が世々限りなく神にありますように。 アーメン

 

 

「神はモーセに仰せになった。『わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。』」 出エジプト記6章2,3節

 

 6章には、「主」という神の固有名詞が、繰返し語られています。冒頭の「わたしは主である」(2節)という言葉(6,8節)や、「主というわたしの名を知らせなかった」(3節)という言葉、また、「わたしがあなたたちの神、主である」(7節)という言葉などがそうです。これは、「主とは一体何者なのか」(5章2節)というファラオの問いに、主が答えられたかたちです。

 

 神はまず、ご自身の名が「主」であると教えておられます。「神」(エロヒーム)という普通名詞ではなく、固有名詞の「主」という名前を教えてくださったのです。ヘブライ語のアルファベットで「YHWH」と記されています。「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」と読みます。

 

 この「YHWH・ヤハウェ」は「主」という意味の言葉ではありません。元来イスラエルの人々は、十戒(20章1節以下)に「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」(同7節)という規定があるので、正確に発音しません。「アドナイ」と読みます。「ヤハウェ」をわざと「アドナイ」と読み替えているのです。

 

 そうして、神様の固有の御名を、みだりに唱えることがないようにしたというわけです。このアドナイという言葉の意味が「主」なのです。日本語旧約聖書ではごくわずかの例外を除き、「YHWH:ヤハウェ」を「主」と訳しています。つまり、イスラエルの伝統に従って、そのように訳出しているわけです。

 

 モーセが神にその名を尋ねたとき(3章13節)、神は「わたしはある。わたしはある、というものだ(I am that I am)」(同14節)と教えられました。原文で「わたしはある(I am)」は「HYH・ハーヤー」という言葉で、ヤハウェはこの言葉から派生して出来たものなのです。

 

 「わたしはある」という言葉は、正確に表現すると「わたしはなろう(I will be)」という未来形です。だから、「わたしはある」とは、神はいつもある、いつまでもあるという名前であると解釈されて来ましたが、「わたしがあなたの神になろう」という神の意思の表明ととることも出来ます。

 

 主なる神がモーセとその民にご自分の名を知らされたということは、「わたしの名を呼びなさい、主と呼びなさい」と求めておられるということでしょう。そして、主の名を呼ぶ者たちの神となられ、わたしがあなたを守ろうと仰っておられるのです。苦しいとき、辛いとき、いつでも主を呼ぶとよいのです。主なる神は、誰もから「主」と呼ばれることを願っておられるのです。

 

 「アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった」(3節)とは、神が御自身を「ヤハウェ」という名では先祖たちに知らせなかったと読めます。しかし、たとえば創世記15章2節でアブラハムが「わが神、主よ、わたしに何をくださるというのですか」と言っています。

 

 このような事実をどう説明できるでしょうか。学者たちはこれを、もともと別々の資料が一つの物語に結合された証拠であると説明します。J典(ヤハウェ資料)は創世記4章26節に基づいて「ヤハウェ」を用い、E典(エロヒーム資料)は3章14,15節、P典(祭司資料)はこの箇所で、モーセに「ヤハウェ」という名が提示されているというのです。

 

 ただ、私たちが現在のかたちで聖書を読むとき、「全能の神」(エル・シャダイ)なる「主」の御名をこのときまで全く知らなかったというのではなく、「アブラハム、イサク、ヤコブの神、全能の主の御名が、モーセとイスラエルの民に新しい意味をもって知られるようになるということを、言い表そうとしているように読めます。

 

 それが、1節で「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によってついに彼らを国から追い出すようになる」と言われた、エジプトで重労働に服させられていたイスラエルの人々を救い出して(6節)、彼らをおのが民とし、主がイスラエルの神となられるということです(7節)。

 

 漢字の「主」という字は、燭台の上で火が燃えている様子をかたどり、ともしびを表わした象形文字から出来たそうです。家の中を照らすともしびは、家の中心に置かれました。そこから、家の中心になる人を主(あるじ)、主人と言うようになったわけです。まさに主なる神こそ、私たちの暗い心を照らし、私たちの住むこの暗い世を照らす命の光、ともしびです。

 

 そのことを、学校で勉強するというのではなく、主が私たちと共にいて、私たちのためになさったことを見、経験することを通して、心と体で味わうのです。神が「わたしは主である」と言われるのは、単なる知識としてでなく、私たちが「主よ、わたしの主よ」と呼びかけて、触れ合い、交わることの出来る相手として、信じ受け入れて欲しいと言われているのです。

 

 主は、私たちを甘やかされません。私たちの言いなりにはなりません。私たちを豊かに成長させ、豊かに実を結ばせてくださいます。その過程では、嬉しいことばかりはないでしょう。むしろ辛いことがあるでしょう。枝を折り、葉を落とすこともあります。いくつかの実は成熟する前に切り取られます。もっとよく花を咲かせ、よい実を結ばせるためです。

 

 主は、イスラエルの民を取り巻く状況がますます厳しさを増した中で、モーセに対して「わたしは主である」と何度も呼びかけられました。モーセ自身が「神がおられるとしたら、どのようなお方か」と哲学的に、形而上学的に考えたのではなく、主とは誰か、何をなさるのか、その目で見、耳で聞き、体で味わうことが出来るように、主の方から近寄り、語りかけられたのです。

 

 どのような状況の中でも、私たちと共にいて、私たちを守り導いてくださる主の御言葉を聴きましょう。主を御名を呼び、主を仰ぎましょう。そうして主の恵みと導きに与りましょう。

 

 主よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が天で行われるとおり、この地でも行われますように。私たちの耳を開き、御言葉を聴かせてください。目を開き、御業を拝させてくだください。心を開き、御心に従って歩み、委ねられた使命に励む者とならせてください。 アーメン

 

 

「そこでファラオも賢者や呪術師を召し出した。エジプトの魔術師もまた、秘術を用いて同じことを行った。」 出エジプト記7章11節

 

 エジプトの国で主がモーセに「見よ、わたしはあなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄はあなたの預言者となる。わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう」(1,2節)と言われました。

 

 「ファラオに対して神の代わりとする」というのは、モーセが語れば何でもその通りになるとか、しようと思えば何でも出来るというようなことではありません。神の力や権威で相手を圧倒するということではないのです。4節に「ファラオはあなたたちの言うことを聞かない」と言われているからです。

 

 この言葉で、主イエスが「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」(マタイ11章17節)と言われた言葉を思い出しました。主イエスは神の御子であられましたが、神の力や権威を捨ててこの世においでくださり、自分を無にして僕の身分になり、人間と同じものになられました(フィリピ書2章6,7節)。

 

 神の愛を説き、助けを必要としている人々のために、愛と憐れみをもって働かれました。けれども、宗教指導者たちを含め、当時のイスラエルの民は主イエスを受け入れず、かえって、神を冒涜する者として十字架刑に処してしまいます(マルコ14章61節以下など)。

 

 しかるに主イエスは、自分を殺そうとする者のために「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と執り成しの祈りをささげ、十字架に死んで、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださったのです(エフェソ書1章7節、コロサイ書1章14節など)。

 

 そうすると、ここでモーセがファラオに対して神の代わりとなるということは、神の御心を行う、神の代行者ということですが、思うにまかせないファラオとの交渉を通して、イスラエルの民とファラオとの板挟みとなる苦難を味わうことも含めて、イスラエルをエジプトの奴隷から解放する指導者とされたということでしょう。

 

 ファラオは、主を認めず、その御言葉に従おうとしません。モーセはファラオの前で、杖を投げて蛇に変えて見せ(8節以下)、続いて杖でナイル川を打って水を血に変えて見せましたが(14節以下)、ファラオはそれに対抗して賢者や呪術師を召喚し、彼らの秘術で同じことを行わせます(11,12,22節)。

 

 これは、魔術師の得意分野に神が切り込まれたということでしょう。そして、アロンの杖が魔術師たちの杖を呑み込んだということは(12節)、神が彼らに打ち勝たれたということです。また、ナイル川の水が血に変わったのは、ファラオがヘブライ人の男の子をナイルに投げ込ませたことに対する報いを思わせます(1章22節)。

 

 ところば、魔術師たちも出来ることをモーセが行ったからといって、それで主の言葉に従わなければならないということにはならないと言わんばかり、ファラオは心を頑なにして、モーセらの言葉に耳を傾けようとはしません(13,22節)。そのため、初めは杖が蛇に変わるという殆ど無害の奇跡でしたが、血の災い、蛙の災いと、次第に不快さの上に災いの度を増し加えていきます。

 

 あらためて、ここでの一番の奇跡は、杖が蛇に変わったり、水が血に変わったということなどよりも、むしろ、モーセとアロンが、「主が命じられたとおりに行った」(6,10,20節)と言われていることではないかと思われます。

 

 初め、自分を指導者として立てようとする主に、モーセは何度も辞退を申し出ました(3章11節、4章1節以下、同10節以下、同13節)。そして、最初の交渉に臨んだとき、ファラオが全く耳を貸さないばかりか、ますます事態を悪化させたため(5章7節以下)、イスラエル同胞から抗議されると(同21節)、モーセは神に文句を言いました(同22,23節、6章1節以下、12節も参照)。

 

 しかるにここでは、ファラオの頑なな態度、対抗意識丸出しの振る舞いに接しても、全く感情を害することもなかったかのように、淡々と、あるいは黙々と、主の御言葉に従って行動しています。

 

 それは、「主の御手にあって王の心は水路のよう。主は御旨のままにその方向を定められる」(箴言21章1節)という言葉があるように、主なる神がモーセの心に働きかけて、主の望まれる方向に舵を切り替えられたかのようです。

 

 このことで、自分の周りの人々、家族親族、知人友人が主イエスを信じる信仰に対してどんな態度を示していても、主はその心の向きを変えることの出来るお方ですから、皆が主イエスを信じる信仰に導かれるよう、真剣に祈りましょう。

 

 主よ、羊は羊飼いの声を聞き分け、羊飼いについて行きます。主イエスこそ良い羊飼いであり、他にはいません。よい羊飼いは羊のために命を捨てるからです。私も主にあって命を得たのです。いまだ主の囲いに入っていないほかの羊にも、この恵みを知らせることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ファラオが『明日』と言うと、モーセは答えた。『あなたの言われるとおりにしましょう。あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります。』」 出エジプト記8章6節

 

 「蛙の災い」(7章25節以下)がエジプトの全土で引き起こされることになり(同27節)、河川、水路、池から這い上がった蛙で王宮が襲われ、寝台にまで入り込まれ、家臣や民の家のかまど、こね鉢にも侵入されます(同28節)。主に命じられて(1節)、アロンが水の上に手を差し伸べると、蛙がエジプト全土を覆いました(2節)。

 

 ところが、これも魔術師が秘術を用いて、同じことをすることが出来ました(3節)。それで、ファラオがまた心を頑なにするかと思いきや、モーセを呼んで、「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」(4節)と言いました。

 

 皮肉なことに、エジプト全土を覆った蛙の災いが、魔術師の秘術によって2倍にされたので、ファラオをはじめエジプトの民の苦しみをも倍増させてしまい、そのうえ魔術師は自ら呼び出した蛙の災いを退けることが出来なかったのでしょう。ここでファラオが「主に祈願して」と願ったのは、この災いが主によって引き起こされたことを、ファラオが認知したということでしょう。

 

 モーセがファラオに、「あなたのお望みのときを言ってください」(5節)と、主なる神に祈り願って、いつ蛙を退ければよいのかと尋ねると、ファラオは冒頭の言葉(6節)のとおり、「明日」と答えます。「今すぐ」と求めないところが、ファラオの意地でしょうか。

 

 それを聞いてモーセは、「あなたの言われるとおりにしましょう」と言い、続けて「あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります」と告げます。魔術師たちの出来ないことをしよう、それによって、イスラエルの主こそ神であることを知るようになりなさいというわけです。

 

 ファラオの前を退出したモーセが、蛙のことを主に祈ると(8節)、主はその願いを聞き入れ、蛙は死に絶えました(9節)。ところが、蛙が死に絶えて一息つけるいとまが出来るようになると、ファラオはまた頑迷になって、モーセたちの言うことを聞かなくなります(11節)。

 

 続いて、「ぶよの災い」(12節以下)がエジプトに臨みます。アロンが杖で土の塵を打つと、それが全部ぶよになって、エジプトの全土を襲ったのです(13節)。「塵」(アーファール)は、人を形づくった材料で(創世記2章7節)、堕罪のアダムに「塵にすぎないお前は塵に返る」(同3章19節)と告げられた神の言葉から、エジプト人の最期がほのめかされているかのようです。

 

 魔術師が秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしようとしましたが、今度は出来ませんでした(14節)。彼らはファラオに、「これは神の指の働きでございます」(15節)と報告します。つまり、魔術師がそこにイスラエルの神の力を認め、魔術などで出来ることではないと告げているわけです。

 

 蛙に主の業を見たファラオと同様、今度は魔術師がそれを認めざるを得ない事態だったということでしょう。けれども、ファラオは素直に主の力を認め、その言葉に耳を傾けようとはしません。面子やプライドにこだわり、そのうえイスラエルの奴隷を解放することなど出来るはずもなく、真実を素直に受け入れられないのです。

 

 次に、「あぶの災い」(16節以下)が語られます。この災いでは、「国があぶのゆえに荒れ果てた」(22節)と言われます。あぶの大発生のために、エジプト人の屋外での活動が著しく制限されることになったのでしょう。

 

 エジプト全土で災いが起こり、その被害が尋常でなかったのですが、ただイスラエルの民のいるゴシェンの地には、あぶが入り込みませんでした。見えない壁があぶの災いから、ゴシェンの地のイスラエルの民を守ったかたちです。それによって、イスラエルの民の中に主なる神がおられることを、ファラオが知るようになると、予め告げられていました(18,19節)。

 

 ファラオはモーセらを呼び寄せ、犠牲をささげるために民が去ることを許します(21節以下、24節)。モーセは、あぶを去らせるように祈るにあたり、「二度と、主に犠牲をささげるために民を去らせないなどと言って、我々を欺かないでください」(25節)と求めますが、災いが取り去られると、ファラオはまた頑迷になってしまいます(28節)。

 

 「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」で、とりあえず被害がなくなれば、その原因を真剣に考えようとしないのが、ファラオのみならず、私たちの常ではないでしょうか。少々胸に傷みがあっても、あるいは意識を失うというような経験をしても、一過性のものならば、疲れからだろうと軽く考えて検査することを怠り、その結果、重大な病気のサインを見逃して手遅れになるというのも、よくあることです。

 

 また、分かっちゃいるけど、やめられないということもあります。悪いと知りながら、あれこれと言い訳し、結局、とことん行き着くところまで行かないと止められない。そして、早く止めればよかった、すぐに行動すれば助かったのにと後悔したときには、すべてが後の祭りといった話もよく聞くことです。

 

 神は私たちを災いに遭わせたいわけではありません。むしろ、祝福したいと願っておられます。私たちが主の慈しみの御手のもとに留まれば、私たちに対して主の慈しみがありますが、自ら恵みの傘の外に出てしまえば、神の保護を失い、災いに対処することが出来ません(ローマ11章22節)。

 

 「我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります」(6節)とモーセがファラオに告げましたが、頑なに御言葉に聴き従うことを拒んで滅びを刈り取り、裁き主として主を知るのではなく、恵みと慈しみに富む主を知り(34章6節、詩編23編6節、33編5節など、エフェソ書1章17節以下)、その恵みに豊かに与る者とならせて頂きましょう。

 

 主よ、苦しいときの神頼みに必死になる私たちですが、苦しみが過ぎ去ると、感謝することも疎かにする恩知らずです。もっと深く主を知り、もっと深く主と交わり、主が本当に望んでおられることを知って、その導きに従って歩む者とならせてください。 アーメン

 

 

「しかし、あなたもあなたの家臣も、まだ主なる神を畏れるに至っていないことを、わたしは知っています。」 出エジプト記9章30節

 

 災いは次第に厳しさを増し、ついに命に関わるものになって来ました。主はモーセに「わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ」(1節)とファラオに告げさせます。そして、それを拒み、民を去らせないままであるなら(2節)、野にいるエジプト人の家畜がすべて、馬、ろば、らくだ、牛、羊が疫病によって死に絶えると語られます(3節)。

 

 それに対するファラオの応答は記されていませんが、主がそれを翌日実行されたということは(6節)、ファラオがモーセの宣告を無視したということなのでしょう。そして、エジプト人の家畜が死に絶えたのに(同節)、イスラエルの家畜は災いを免れているということが確認されます(7節)。災いが主なる神によってもたらされたことが明示されましたが、ファラオはいよいよ頑迷になりました。

 

 ここで、「疫病」(3節)は「デベル:DeBeR」という言葉で、5節の「(この)事(ダーバール:DaBaR)」との語呂合わせになっています。「ダーバール」は通常「言葉」と訳されますが、主の言葉はそのまま「事実、出来事」になるという信仰が、この言葉遣いに示されているといってよいでしょう。そして、その主の「言葉」が「疫病」という裁きになってエジプトの家畜に臨んだのです。

 

 「疫病」に続いて、「はれ物の災い」(8節以下)がエジプトに臨みます。これは、ぶよの場合と同様、主を礼拝するために民を去らせるようにという要求や、不服従に対する災いの警告などがなされないまま、ファラオの頑迷さに対する主の裁きとでもいうかのごとく、かまどのすすをまき散らすと(8節)、エジプト全土を覆う細かい塵となり(9節)、膿の出るはれ物が人と家畜に生じました(10節)。

 

 ファラオは魔術師を召喚しました(11節)。モーセと同じことをさせるか、はれ物の災いを取り除かせようとしたのでしょう。けれども、彼らもはれ物に苦しめられていて、ファラオのもとの来ることが出来ません(同節)。そしてこの後、再び魔術師がモーセらの前に姿を表すことはありません。恐らく魔術師の方で、この舞台から降りてしまったのではないでしょうか。

 

 それでもファラオが頑なにイスラエルの民を去らせようとしないので、次に「雹の災い」(13節以下)が起きます。年中殆ど降雨のないエジプト人にとって、「エジプト始まって以来、今日までかつてなかったほどの甚だ激しい雹」(18節)、「このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほど」(24節)というのですから、肝を潰したどころではなかったでしょう。

 

 今回は、「今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためだ」(14節)と言われ、「それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう」(19節)と告げられていました。 

 

 それに対して、「ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕と家畜を家に避難させたが、主の言葉を心に留めなかった者は,僕と家畜を野に残しておいた」(20,21節)と記されています。度重なる災いによって「主の言葉を畏れた者」たちがいる一方で、ファラオと同様、主なる神の言葉を心に留めない頑迷な家臣、民も大勢いたということです。

 

 やがて雷鳴が轟き、稲妻が走り、そして雹が降るという、エジプト開闢以来経験したことがない規模と威力の天変地異に襲われます(23,24節)。ファラオは慌ててモーセを呼び、「今度ばかりはわたしが間違っていた。正しいのは主であり、悪いのはわたしとわたしの民である」(27節)と謝罪します。

 

 ファラオは心底、雷と雹に震え上がらせられたようです。それで、「主に祈願してくれ。恐ろしい雷と雹はもうたくさんだ。あなたたちを去らせよう。これ以上ここにいることはない」(28節)と懇願しました。ファラオがモーセに執り成しを願うのは、これで3度目です。モーセはその願いを入れて主に祈ることを約束し、それによって災いが止むことを請合います(29節)。

 

 それはしかし、民を去らせるというファラオの言葉を信用したということではありませんでした。というのは、冒頭の言葉(30節)のとおり、「あなたもあなたの家臣も、まだ主なる神を畏れるに至っていないことを、わたしは知っています」とモーセが語っているからです。

 

 ファラオとその家臣が恐れているのは災いそのものであって、災いをもたらしているお方のこと、そしてエジプトに災いが臨んでいる原因は何かを、真剣に考えてはいません。だから、ファラオにとっては、災いが取り去られればそれでよいのであって、主なる神の言葉に従ってイスラエルの民を去らせるという思いなどはさらさらないということが、モーセにははっきり分かっているということです。

 

 このことは、私たちと神との関係を問い直させます。私たちにとって、神とはどのようなお方なのでしょうか。聖書は、「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」(箴言1章7節)と言います。この言葉によれば、神を畏れるに至っていないファラオとその家臣は、神を知らない、真の知恵を持たない無知な者であるということになります。

 

 そのような者について、「彼らは知ることをいとい、主を畏れることを選ばず、わたしの勧めに従わず、懲らしめをすべてないがしろにした。だから、自分たちの道が結んだ実を食べ、自分たちの意見に飽き足りるがよい。浅はかな者は座して死に至り、愚かな者は無為の内に滅びる」(箴言1章29節以下)と宣告されています。

 

 ヘブライ書4章2,3節にも、「彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったためです。信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです」という言葉があります。

 

 あらためて、主は「今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである」(14節)と言われ、「わたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた」(16節)と、ファラオに告げておられました。

 

 主なる神は、ファラオに裁きを下すことを望んでおられるわけではありません。ファラオが主なる神のことを分からせ、そして主の御名を全地に語り告げるという使命を果たす者になって欲しいと考えておられるのです。

 

 私たちも、主の御言葉に耳を傾けずに滅びを刈り取るような愚かな者ではなく、主に聴き従って岩の上に家を建てるような賢い者にならせていただきましょう(マタイ7章24節以下参照)。

 

 主よ、私たちにもあなたの御言葉が告げられています。それが、どのように聞こえているでしょうか。恵みに招く言葉でしょうか。災いを告げる言葉でしょうか。あるいはまた、耳を通り過ぎるだけの、信仰によって結び付けられることのない、単なる音にすぎないといった扱いでしょうか。もう一度、主を畏れ、謙って御言葉に聴くことを学ばせてください。 アーメン

 

 

「人々は、3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいるところにはどこでも光があった。」 出エジプト記10章23節

 

 1節で主がモーセに、「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である」と告げられます。そこでモーセは、アロンと共にファラオのところに行き、「いつまで、あなたはわたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい」(3節)という主の言葉を伝えます。

 

 それに対するファラオの返答は記されませんが、モーセが「身を翻してファラオのもとから退出」(6節)したということですから、良い返事を聞くことは出来なかったようです。ところが、1節に「家臣の心を頑迷にした」と記されているにも関わらず、家臣たちがファラオに、「即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょうか」(7節)と進言します。

 

 それでファラオはモーセを呼び戻して、「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい」(8節)と言いますが、若い者も年寄りも、息子も娘も羊も牛も(9節)、すべてのものが主の祭りのために行くと聞くと、その態度を一変させ、「わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい」(10節)と拒絶しました。

 

 そして、「行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい」(11節)と言い渡します。そうすれば、彼らは荒れ野での礼拝後、妻子らの待つエジプトに戻って来なければならないからです。そして、それがファラオの最終判断であることを示すかのように、モーセを追い出してしまいました(同節)。

 

 それに対する主の応答が「いなごの災い」(12節以下)です。いなごは、雹の害を免れたすべてのものを破壊し尽くします(5,12,15節)。「いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体に留まった」(14節)、「いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった」(15節)と記されていて、主がエジプトを徹底的に裁こうとしていることが伺えます。

 

 エジプト全土の緑のものが何も残らないという事態に(同節)、ファラオは慌ててモーセとアロンを呼び、「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した」(16節)と謝罪し、「どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないですむように」(17節)と依頼します。

 

 それで、ファラオの前を退出して主に祈願すると(18節)、主は強い西風を起こし、いなごを吹き飛ばして葦の海に追い遣られたので、エジプト全土からいなごは一匹残らずいなくなりました(19節)。ところが、それを見るとファラオはまた頑迷になり、イスラエルの人々を去らせはしません(20節)。

 

 そこで主は、9番目の災いとして「暗闇の災い」(21節以下)を臨ませます。エジプト全土を暗闇が襲い、冒頭の言葉(23節)のとおり、「3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかった」のです。

 

 3日間というのですから、それは、日食というのではありませんし、互いに見ることも、立ち上がることも出来ない暗闇とは、夜の闇のようなものではないでしょう。というのは、夜の闇のようなものならば、灯火を持ってくれば、互いに見ることも、立ち上がって歩き回ることも出来るようになるからです。

 

 ですからそれは、灯火をもってしても全く明るく出来ない、まるで空気を黒い色で完全に染めてしまったかのような、漆黒の闇に閉ざされてしまったということでしょう。考えただけで窒息してしまいそうになるほどの、どこまでも深い闇が、エジプトの人々を覆い包んでいたのです。

 

 それは、神が光を創造される前の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり」と、創世記1章2節に記されているような、原初の状況に戻ってしまったかのようで、エジプトの壊滅的な運命を暗示しています。またそれは、エジプトで連続する災いのゆえに、エジプトの民がどれほどに不安や恐れに包まれているかを示すかのようです。

 

 ところが、「イスラエルの人々のいるところには、どこでも光があった」(23節)と記されています。これは、ファラオにとって最も屈辱的なことではなかったでしょうか。というのは、ファラオは、エジプトで人々が崇拝している太陽神の化身と考えられていたからです。

 

 しかしながら、太陽もファラオの威光も、主と主が遣わされたモーセの前に、全く歯が立たないということ、そして、主に従う者は光の内を歩むことが出来るということを、いやというほど見せつけられたのです。

 

 天地創造の初め、神が「光あれ」と言われると、光が現れました(創世記1章3節)。この光は、太陽光ではありません。太陽などは、第四の日に造られるからです(同14節以下)。

 

 主イエスは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8章12節)と言われ、また、「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中に留まることのないように、わたしは光として世に来た」(同12章46節)と語られました。主イエスが暗闇に輝く世の光であられ(同1章5節)、主に従う者に神の栄光を表わしてくださるのです(第二コリント4章6節参照)。

 

 ファラオは、「羊と牛は残しておけ」という条件付きで「行って、主に仕えるがよい」(24節)と許可しますが、家畜も連れて行くというモーセに(26節)、「引き下がれ。二度とわたしの前に姿を見せないように気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない」(28節)と宣告します。

 

 けれども、頭を冷やして冷静に考えれば、災いによって命が脅かされているのは、モーセたちではなくファラオの方ですし、本当に二度とモーセの顔を見たくないのであれば、むしろ、イスラエルの民をエジプトから退去させてしまえばよかったのです。

 

 このとき、ファラオは暗闇を取り除くように願いませんでした。まさにファラオの心を暗闇が支配していて、自分が何をしているのか分からなくなっていたのです。ファラオのメンツ、プライドが、光を遮る高い壁となっていたわけです。

 

 第二次世界大戦の敗色濃い1945年2月、ときの首相・近衛文麿が昭和天皇に所謂「近衛上奏文」を奏上し、軍部を押さえて欧米と和平を結ぶべきと主張しました。それに対して天皇は、「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う」として、否定的な態度をとります。

 

 これが3月の東京大空襲から沖縄戦、そして決め手とされる広島、長崎への原爆投下を受けて、8月15日の「遅過ぎた聖断」となりました。もしも昭和天皇が、近衛首相の上奏文で英断を下し、行動を起こしていれば、沖縄を本土防衛の捨て石とすることも、その後、本土が焼かれ、原爆が投下されて大量の死者と被爆者を生み出すことも回避出来たはずです。

 

 ただし、敗戦を受け入れる心があればということですが、それは誰にでも、容易く出来るというものでもありません。確かに面子やプライドが、それを邪魔します。謙遜に頭を下げることが出来ません。結局、行き着くところまで行って、無条件降伏するしかなかったわけです。

 

 「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(第一ペトロ書5章6,7節)。

 

 主よ、私たちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光をお与えくださり、感謝します。私たちはイエス・キリストの命をもって買い取られました。主イエスは私たちのために、十字架の死に至るまで従順であられました。私たちも主の御前に謙り、主の栄光を表わす器、主に従順な一つの群れとして、御業のために用いてください。 アーメン

 

 

「わたしは、なおもう一つの災いをファラオとエジプトにくだす。その後、王はあなたたちをここから去らせる。いや、そのときには、あなたたちを一人残らずここから追い出す。」 出エジプト記11章1節

 

 これまで、杖のしるしに始まって(7章8節以下)、9つの災い(血、蛙、ぶよ、あぶ、疫病、はれ物、雹、いなご、暗闇)が発生しました。けれども、イスラエルの民を主の祭りのため去らせることに、ファラオが同意しません(10章27節)。ファラオは、「引き下がれ。二度とわたしの前に姿を見せないように気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない」(同28節)と言い渡しました。

 

 モーセも、「よくぞ仰せになりました。二度とお会いしようとは思いません」(同節)と応じて、もうファラオとの交渉はこれで終わりにしようと思ったのでしょう。しかし、エジプトに下る災いは、それで終わりではありませんでした。もう一つ、大変厳しい災いが残されていたのです。そしてそれは、エジプトにとって決定的なものでした。

 

 冒頭の言葉(1節)で「災い」(ネガー)は、出エジプト記ではここに一度きりの登場ですが、レビ記13,14章には多く用いられています。これは「疾病、打ち傷」という言葉で、レビ記では「症状、患部、患者」(同13章2,3,4,5,6,9,12,13節ほか)などと訳されています。

 

 これは、エジプトに下される最後の災いが、疾病や打ち傷といった類のものであるということを示す用語法です。主がエジプトを打つ最後の災いが大変厳しいものなので、ファラオはイスラエルをエジプトから去らせる決断をせざるを得ない、否、一人残らず、一刻も早く追い出さなければならない事態になるということです。

 

 一方、主なる神はイスラエルの民のために、「あなたは民に告げ、男も女もそれぞれ隣人から金銀の装飾品を求めさせるがよい」(2節)と言われました。これは既に、3章21,22節に語られていたことで、「それを自分の息子、娘の身に着けさせ、エジプト人からの分捕り物としなさい」(同22節)ということでした。

 

 繰り返される災いで、エジプトの民はイスラエルの主なる神に、恐れを抱くようになっていたでしょう。それで、イスラエルの民の要求に応えざるを得ない空気が生まれていたということもありましょう。

 

 その上、主は「エジプト人の好意を得させるようにされ」(3節)ました。喜んで差し上げますという具合です。モーセについては、「ファラオの家臣や民に大いに尊敬を受けていた」(同節)とさえ、記されています。

 

 何が、異邦人の指導者に対して尊敬という感情を起こさせたのでしょうか。それは、エジプト中に繰り返し起こる災いで民が苦しんでいるのに、そこに目を留めず、ひとり心頑なになっているファラオに対する憤りや失望を背景に、おのが民を奴隷の苦しみから解放しようとして行動するモーセを支持し、尊敬する思いになったのではないでしょうか。

 

 このように、ファラオを除くエジプトの民は主なる神を畏れ、モーセとイスラエルの民に好意を持つようになっているのに、ファラオだけがひとり、いよいよ頑迷になっているわけです。そして悪いことに、ファラオの頑迷さがエジプトの運命の鍵を握っているのです。その結果、最後の災いがエジプトに臨みます。

 

 10章1節に「彼(ファラオ)とその家臣の心を頑迷にしたのはわたし自身である」とあり、それで最後の災いがエジプトに臨むことになったのだとすると、主はその時点でこの災いを下す決断をしておられ、ファラオと家臣たちが心を変えて裁きを免れることがないようにされたということなのでしょう。

 

 主がモーセに告げられたのは、「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む。そのとき、エジプトの国中の初子は皆、死ぬ。王座に座しているファラオの初子から、石臼を引く女奴隷の初子まで。また家畜の初子のすべて死ぬ。大いなる叫びがエジプト全土に起こる。そのような叫びはかつてなかったし、再び起こることもない」(4~6節)という言葉です。

 

 どのようにしてエジプトの国中の初子がすべて、自由人であれ奴隷であれ、そして家畜までも死ぬことになるというのか、ここには具体的に記されてはいませんが、前述のように、疾病によって打たれるということなのでしょう。そして、この災いが直接主なる神の手で、エジプト全土にもたらされることになります。主が「わたしはエジプトの中を進む」(4節)と仰っているとおりです。

 

 モーセがエジプトに遣わされたのは、主なる神が奴隷とされたイスラエルの民の苦しみを見られ、その叫び声を聞かれたからです(3章7節)。助産婦に命じて、イスラエルの家に生まれてくる男児を殺させようとしたり(1章15節以下)、生まれてきた男児は皆ナイル川にほうり込めと、全国民に命じたこともありました(同22節)。

 

 かつて、主がイスラエルの父祖アブラハムに、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(創世記12章3節)と告げられました。まさしくここに、彼らがイスラエルの民の苦しませたように、エジプトの民に災いが下されているのです。それによって、彼らがイスラエルの神、主を知るようになることが目指されているのです。

 

 イスラエルの民を去らせるために、家臣たちが行動します。8節に「あなたの家臣はすべてわたしのもとに下って来て、『あなたもあなたに従っている民も皆、出て行ってください』とひれ伏し頼むでしょう」と告げられています。繰り返される災いから解放され、安心安全な生活をするために、それが最善の手段だということです。

 

 家臣もファラオと同様に心を頑なにされていたはずですが(10章1節)、繰り返された災いに、すっかり心くじけてしまったようです。そして、すべての家臣がそのように行動するということは、彼らがファラオに従わなくなっているということで、それゆえ、ファラオの許可を得ないまま、家臣たち皆の要請に従って、エジプトをあとにするというのです(8節)。

 

 主の御言葉の前に頑迷になってその怒りを買い、裁きを招くことにならないように、主の力強い御手のもとに謙り、主に聴き従う者となりましょう。

 

 主よ、わが国の指導者の周りに主を畏れる者を配置して、正しい政を行うことが出来るようにしてください。武器によらず、兵の数などによらず、愛の奉仕を通して世界の平和に貢献する国となれますように。私たちの町に希望を与えてください。主の恵みと導きに与らせてください。私たちはあなたを待ち望みます。 アーメン

 

 

「この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」 出エジプト記12章14節

 

 主なる神は、エジプトに最後の災いを下すと宣告されましたが(11章参照)、モーセとアロンに、「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい」(2節)と言われました。エジプトからの脱出を記念して、その月をイスラエルの正月とするということです。

 

 なお、イスラエルの正月について、大贖罪日が7月で、直後に仮庵祭が行われることなどから、もともとは秋に正月を祝っていて、後にメソポタミアの暦に倣って春に移されたのではないかと考えられています。正月移行の時期について、①アハズの時代(紀元前744~729年)、②エホヤキムの時代(前608~598年)、③エルサレム滅亡後(前587年以降)など諸説あります。

 

 主は、正月14日の夜に最後の災いを下すことを決め、4日前の正月10日には小羊を調達しておくこと(3節)、14日当日は夕暮れに小羊を屠り(6節)、その血を入り口の二本の柱と鴨居に塗り(7節)、そしてその夜、小羊の肉を焼き、酵母を入れないパンと苦菜を添えて食べること(8節)、そのときには、腰に帯を締め、靴を履き、杖を手にして急いで食べよと指示されます(11節)。

 

 すぐに出立できる準備をして急いで食事をするのは、最後の災いの後、エジプト人にせきたてられるまま、ファラオの気が変わらないうちに行動しなければならないからです。イスラエルの民は、主が命じられたとおりに行いました(28節)。

 

 真夜中になって、主がすべての初子を撃たれたので、大いなる叫びが国中に起こりました(29,30節)。しかしながら、ゴシェンのイスラエルの民の家には災いが起こりませんでした。二本の柱と鴨居に塗られた小羊の血がしるしとなって、主はその家を過ぎ越した=パス・オーバーしたのです(13,27節)。

 

 ファラオはモーセたちを呼び出し、「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい」(31,32節)と言います。

 

 この言葉は、ただ礼拝するために荒れ野に行くことだけを許可したということではなく、帰国をも許すという表現でしょう。エジプト人はイスラエルの民の望むままに金銀の装飾品や衣類を与えて、急いで国を去らせようとしました(33節以下)。そうしなければ、初子を失うだけでなく、みんな死んでしまうと思ったからです。

 

 イスラエルの民は、ヤコブの家族70人がエジプトに下って来てから(1章1節以下5節、創世記46章)、430年ぶりにエジプトを去り、故郷を目指します(40節)。彼らは、430年の間に、壮年男子だけでおよそ60万人になっていました(37節)。ということは、女性に子ども、老人を加えると、200万人にもなっているということでしょう。

 

 エジプト人はじめ異邦人との混血を繰り返したとしても、にわかには信じがたい、およそ考えられない数です。ただ、確かにこれは、神がイスラエルを祝福しておられたという証拠なのです(1章7,12,20節参照)。

 

 イスラエルの民は、エジプトの奴隷の苦しみから解放され、神の民イスラエルとしての歩みを始めました。冒頭の言葉(14節)のとおり、そのことを毎年記念するように命じられているのは(17,24,25節も参照)、この出来事が神の民イスラエルの原点となったからです。

 

 主なる神はこの出来事を「主の過越(ペサハ・ラ・アドナイ)」(11節)と呼ばれました。そこから、この出来事を記念して祝うこの祭りを「過越祭(ハ・パサハ)」(43節)と呼びます。私たちキリスト教徒はこの日を、キリストの受難と復活を祝うイースター(復活祭)として大切に守っています。主イエスが、過越祭の前日に十字架につけられ、そして三日目に甦られたからです。

 

 洗礼者ヨハネが主イエスを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました(ヨハネ福音書1章29節)。それは、ヨハネが主イエスを過越祭に屠られる小羊に見立て、キリストの十字架の血によって、私たちに下されるべき罪の呪いがパス・オーバー=過越されたと語っているのです。

 

 命ぜられるまでもなく、キリストの十字架の贖いによって救いの恵みに与ったことを、代々にわたり不変の定めとして祝い続けましょう。

 

 主よ、あなたはエジプトの奴隷であったイスラエルの民を贖い出して御自分の民とされたように、罪に縛られていた私たちを贖い、神の民としてくださいました。そのために、御子キリストが十字架で死に、贖いの御業を成し遂げてくださったことを心から感謝します。主の救いに与った者として、その恵みを喜んで証しするものとならせてください。 アーメン

 

 

「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開く者はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」 出エジプト記13章2節

 

 13章には、初子の奉献と除酵祭についての詳しい記述があります。冒頭の言葉(2節)に「すべての初子を聖別してわたしにささげよ」という主なる神の命令があり、11~16節にささげ方が記されています。人間とロバ以外のものは殺してささげ、ロバの初子は小羊をもって贖わねばならないと言われています。

 

 家畜の中でロバだけが、主によって汚れた動物とされています。だから、ロバの初子は主へのささげものに適さなかったので、清い動物である小羊と交換するか、首を折って殺すというかたちで、ロバの初子を主のものとするのです。

 

 人間の初子の贖い代は、ここには記されておりません。初子が与えられるのは、家系が途絶えないという、主なる神の祝福です。その初子をささげるのは、すべてが主のものであることを意味します。出エジプト記4章22節で、「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である」と言われています。

 

 主は、エジプトの最後の災いとして、国中のすべての初子を撃たれました(出エジプト記12章)。人も家畜もです。死人が出なかった家は一件もなかったと記されています。つまり、主はエジプトのすべての人と家畜を、汚れたものと見做されたのです。しかし、イスラエルの家は、この災いがパス・オーバー=過ぎ越しました。

 

 イスラエルの家をエジプト人のものと区別するために、主なる神は予め、小羊の血を入り口の2本の柱と鴨居に塗らせました(12章6,7節)。そのために、1歳の雄の小羊が犠牲となりました(同5節)。人の初子の贖い代として、1歳の小羊がささげられたと考えることが出来るでしょう。

 

 次いで、除酵祭です(3~10節)。過越祭を行う日から7日の間、酵母を除いたパンを食べて過ごします(3,6節、12章15節以下)。酵母を入れなかったら、柔らかなパンは出来ず、美味しいものではなかったでしょう。スープか何かに浸さなければ、食べることが出来なかったかも知れません(マルコ14章20節、ヨハネ13章26節参照)。

 

 そのようなパンを食べるように言われているのは、イスラエルの民がエジプトを出るとき、ぐずぐずしていることは出来なかったし、道中の食糧を用意する暇もありませんでした(12章32節)。そこで彼らは、酵母を入れないパン菓子を焼いて食べたのです。除酵祭を7日間にわたって守るのは、イスラエルが主によって救い出された日のことを、記念するためです。

 

 この除酵祭の記述(3~10節)が初子奉献の記事(1,2節、11節以下)に挟まれているのは、「主がわたしのために行われたこと」(8節)、「主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出された」(9節)という救いの決定的な出来事とは、主なる神がもたらした、エジプトの初子を死に到らせる災いが、イスラエルの家を過ぎ越したということであるという証しです。

 

 主による救いの出来事を祭として記念するというのは、救われる以前の生活を思い出し、また、どのような出来事を通して救われたのかを思い出すことです。奴隷の生活をしていたイスラエルの民が苦しみ呻いた呻きを主が聞かれ、過ぎ越しの出来事を通してエジプトから救い出してくださったのです。そして、最後まで主の御言葉に耳を貸さなかったエジプトには、大きな災いが下りました。

 

 記念とは、昔そんなことがあったということを、懐かしむことではありません。もともとイスラエルには、過去、現在、未来という時間概念はありません。彼らが用いるヘブライ語には、そのような時制がありません。完了形と未完了形があるだけです。既にあることが起こってその状態が継続しているか、まだ起こっていないかのどちらかだということです。

 

 ですから、過越祭、除酵祭を守るのは、かつて主の救いの御業がおこり、今その恵みの中にあり、これからもその救いの業がおこり続けるという信仰の表明なのです。確かにイスラエルは、歴史の中で何度も国難を経験しましたが、その都度、主はイスラエルを救い出されました。

 

 もう一つのことも示されます。イスラエルの家の初子が救われるのは、初子自身の信仰などではなく、何より親の信仰です。親が御言葉を信じて忠実に従ったからこそ、つまり、主の御言葉どおりに小羊を屠り、その血を門の柱と鴨居に塗ったからこそです。

 

 そうしなければ、イスラエルの家といえども、主の災いが過ぎ越すことはなかったでしょう。これは、親の信仰によって子どもが救われることがあると教えていないでしょうか。

 

 ソロモン王が祈りの中で「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました」(列王記上3章6節)と言っています。

 

 つまり、自分が王になることができたのは、父ダビデが忠実で憐れみ深く正しい心をもって主の御前を歩んだので、主がその豊かな慈しみを父のみならず、その子ソロモンに対しても、絶やすことなく示されたからだと言っているわけです。

 

 口語訳では「この大いなる慈しみをたくわえて、今日、彼の位に座する子を授けられました」とあります。「絶やすことなく示されて」を「たくわえて」と訳してあるわけです。原語は「シャーマル:守る、見張る、気をつける」という言葉です。

 

 父に与えられる慈しみの分が蓄えられて子どもに授けられる。そうであれば、なんと素晴らしいことでしょう。愛する子どもたちのために、ダビデのごとく、「忠実に、憐れみ深く正しい心をもって」主なる神の御前を歩みましょう。

 

 この「忠実に、憐れみ深く正しい心」(ベ・エメト・ヴ・ビ・ツェダカー・ヴ・ベ・イェシュラト・レーバブ:in truth,in righteousness, and in uprightness of heart)とは、主イエスの心ではないでしょうか。

 

 私たちはその心を持っていると胸を張ることは出来ませんが、主が私たちの心にお住まいくださっているので、主イエスにあって私たちの心にもそれがあると言わせて頂くことは出来るでしょう。主を信じ、主と共に歩ませていただきましょう。

 

 私たちは、神の御子イエス・キリストの受難、十字架の死を通して贖われ、神のものとされました。この主の死と復活を祝うイースター、主の晩餐式、そして毎週の主日礼拝(日曜礼拝)を通して、救いの御業を記念し続けています。神の御業が今も起こされ続けていることを証しています。これからも起こされ続けていくでしょう。

 

 何故そのようなことをするのかと子どもから尋ねられたら、主イエスの受難を通して、救いの業がなされ、自分もその恵みに与った、そして、子どもたちもその恵みを受けるためだと教えましょう。

 

 エジプトの奴隷となって苦しみ嘆くイスラエルの声を主なる神が聞かれたように、主は御言葉に従って祈る私たちの祈りに耳を傾け、その求めをかなえてくださいます。私たちの内にあって、真実と正しさと真心をもって導いてくださる主の御前に謙り、その御言葉に聴き従う者となりましょう。

 

 主よ、どうか私たちを大いに祝福してください。私たちの領土を広げてください。御手が私たちと共にありますように。災いから私たちを守り、私たちが苦しむことのないようにしてください。私たちの祈りをかなえてくださる主の恵みを感謝します。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と永久に彼らを見ることはない。」 出エジプト記14章13節

 

 イスラエルの民は、追い立てられるようにしてエジプトを脱出し、葦の海に通じる荒れ野に出ました(13章18節)。総勢2百万人とも推定されるイスラエルの民(12章37,38節参照)が、モーセに導かれてピ・ハヒロトの傍ら、バアル・ツェフォンの向かいの海辺に宿営します(2節)。

 

 それは、とてつもなく大きなキャンプだったことでしょう。一方、ファラオはもう一度頑迷になって、イスラエルの民を労役から解放してエジプトを去らせたことを後悔し、自ら軍勢を指揮して、民の後を追います(5節以下)。そして、バアル・ツェフォンの手前に宿営しているイスラエルの民を見つけました(9節)。

 

 イスラエルの民は葦の海を前に、追って来たエジプト軍に気づきますが、なす術もなく、モーセに向かって、「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか」(11節以下)と文句を言います。

 

 これはちょうど、ガリラヤの海で嵐に遭遇したとき、その舟の中で眠っておられた主イエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えたのに似ています(マルコ福音書4章35節以下38節)。絶体絶命の危機の中で、そう叫び訴えるほかなかったのです。

 

 そのときモーセは、冒頭の言葉(13節)のとおり、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と永久に彼らを見ることはない」と言い、続けて、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(14節)と語りました。

 

 モーセは、この危機的な状況を造られたのが神であることを承知していました。イスラエルの民は、約束の地カナンへ、近道のペリシテ街道ではなく、シナイ半島を南下するという迂回ルートを進むのです。それは、ペリシテ街道には国境守備隊が配置されていて、戦いを構えるようなことになれば、民は恐れをなしてエジプトに帰ろうとするかも知れないからです(13章17節)。

 

 けれども、スコトからまっすぐ南下してシナイ山を目指したのではなく、「引き返して」(2節)の言葉どおり、一旦北上して「ミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営」(2節)しました。それは、ファラオが、イスラエルは荒れ野で道に迷ったと思い込み(3節)、後を追うようにさせられるためでした(4節)。

 

 主なる神がそのようにされたのは、イスラエルの民をエジプト人の手から解放するためというのではありません。ファラオとその全軍を打ち破って栄光を現し、エジプト人に主こそ神であることを知らしめると、主が告げておられます(4節、18節も参照)。

 

 とはいえ、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(13節)、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(14節)と語ったモーセも、実は、心中穏やかではなかったようです。というのは、主がモーセに「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか」(15節)と言われているからです。

 

 ただ、海に行く手を阻まれ、後ろに敵の軍勢が迫って来ているという状況を見て、主を信じているとはいえ、いったい誰が叫ばずにいられるでしょうか。というのも、その場所に導かれたのは、主なる神なのです。むしろ、主を信じているからこそ、その絶体絶命の状況の中で「神様、助けて!」と叫ぶのだと思います。

 

 主は、「イスラエルの人々に命じて出発させなさい」(15節)と言われました。それは、後ろから迫るエジプト軍に向かってではなく、前に横たわる葦の海に向かっての出発です。主は、イスラエルに戦いを命じてはおられません。エジプト軍に打ち勝つことが目的ではなく、イスラエルが御言葉に従うことを、主は求めておられるのです。そのとき、主が勝利をお取りになるのです。

 

 主は、モーセに杖を高く上げ、手を海に差し伸べるよう言われます(16節)。その通りにすると、激しい風が東から吹いて海を二つに分け、民は乾いた地を進むことが出来ました(16,21,22節)。分かれた水が、イスラエルの人々の左右に壁のようになっています(22節)。

 

 イスラエルの民の後をエジプト軍が追って、海の中に入って来ました(23節)。「ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく」(23節)というのですから、頑迷なファラオのために、全軍がイスラエル追跡に動員されたということです。主はそれを見て、エジプト軍をかき乱し(24節)、戦車の車輪を外して進みにくくされました(25節)。

 

 このときエジプト人が、「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる」(25節)と言います。それを聞いた主がモーセに、「海に向かって手をさしのべなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ変えるであろう」(26節)と言われます。

 

 モーセがそのようにすると、海は元通りになり、主は逃げようとするエジプト軍を海の中に投げ込まれました(27節)。28節に、ファラオの全軍で生き残った者は一人もなかったと報告されています。これはまさに、主を信じて行動したイスラエルのために、主ご自身が戦われたということです。

 

 「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち返って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」と、イザヤ書30章15節に述べられています。

 

 私たちを深く憐れみ、慈しみをもって導かれる主を信頼して、その御言葉に耳を傾け、素直に従って参りましょう。

 

 主よ、あなたを信じます。不信仰な私を憐れんでください。力のない私を支えてください。知恵のない私に知恵を授けてください。聞き分ける耳を、見分ける目を、そして深く悟る心をお与えください。何よりも、主よ、あなたを畏れる心をお授けください。御心がこの地になされますように。栄光が世々限りなくあなたにありますように。 アーメン

 

 

「モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。その所で主は彼に掟と法とを与えられ、またその所で彼を試みて」 出エジプト記15章25節

 

 葦の海を通ってエジプトの軍勢から救われたイスラエルの民は、心から主を賛美します(1節以下)。2節に、「主はわたしの力、わたしの歌、主はわたしの救いとなってくださった」と詠われていますが、これは、詩編118編14節やイザヤ書12章2節にも、同じ賛美の言葉が記されています。

 

 まず、「主はわたしの力」とは、主が私と共におられて力となってくださるということであり、主が味方してくださったということを言い表しています(ローマ書8章31節)。それは、聖霊に満たされ、力を受けることと言ってもよいでしょう(使徒言行録1章8節)。

 

 次に、「主はわたしの歌」とは、主が歌を授けてくださったということですが、主は「イスラエルの賛美を受ける方」(詩編22編4節)であり、口も利けないほどに圧迫されていた者に、主を賛美する歌を歌えるようにしてくださったということでしょう。使徒言行録3章には、生まれつき歩くことの出来なかった者が踊りながら神を賛美するようになったという記事があります。

 

 エフェソ書5章18,19節に「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」と言われていますが、聖霊が、お互いに語り合う歌、そして主へのほめ歌をお与えくださるということです。

 

 それから、「主はわたしの救い」とは、彼らが主によってエジプトの苦しみから救われたことを言うのですが、上記のとおり、詩編やイザヤ書にも同じ歌が歌われるということは、主なる神がイスラエルの民を様々な苦しみから解放し、繰り返し救いを与えられるという経験をしたこと、それにより、主はどんな時にも救いをお与えくださるお方であるという信仰表明の言葉になっています。

 

 過越という災いによってエジプトの労役から解放され、葦の海の奇跡によってエジプト軍から救われ、国を脱出して歓喜の歌を歌ったイスラエルの民は、意気揚々とシナイ山への旅を進めます。一方、過越で長子を失い、そしてファラオの頑迷さによって全軍を失うことになったエジプトの民は失意落胆、悲嘆に暮れていることでしょうし、主こそ神であると思い知らされたことでしょう。

 

 主なる神を礼拝する民イスラエルとして契約を結ぶ場(19章3節以下、24章、34章27,28節)となるシナイ山への旅行きに、一つの問題が生じました。それは、3日間、飲み水が得られなかったということです(22節)。

 

 そして、マラで泉を見つけましたが、その水は苦くて飲めませんでした(23節)。そもそも、「マラ」とは、「苦い、苦しい」という意味なのです。ルツ記1章20節の「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください」と言っているのも、同じ「マラ」という言葉です。

 

 飲み水がなくて不満がたまっているところに、見つけた水が苦くて飲めないということですから、当然のように民は「何を飲んだらよいのか」と不平を言います(24節)。イスラエルの民はシナイの荒れ野で40年を過ごします。水の問題は、決して小さな問題ではありません。

 

 このとき、民は「主はわたしの力、わたしの歌、わたしの救い」と歌うことを忘れています。文句を言うのが当たり前ということになっているのです。なかなか、「どんなことにも感謝する」(第一テサロニケ1章18節)ということが出来ません。

 

 つまり、力も歌もそして救いも、イスラエルの民自身が所有しているのではなくて、まさに主こそが「力であり、歌であり、救い」なのです。主とつながっていなければ、何も出来ないわけです(ヨハネ福音書15章5節)。

 

 モーセが主に助けを求めて叫ぶと、主は一本の木を示されました。モーセがそれを取って水に投げ込むと、なんと苦い水が甘くなりました(25節)。飲み水が与えられました。飲めなかった水が飲めるようになったのです。民はようやく一息つくことが出来たのです。

 

 中世以来、主が示されたという「一本の木」は、キリストの十字架を象徴するものだと解釈されて来ました。それを仄めかす言葉があるわけでもありませんが、歩けなかった者を力づけて立たせてくださる主、物の言えなかった者に歌を賜る主は、私たちのために十字架で死んでくださった主であり、その死を打ち破って三日目に甦られた主です。

 

 苦しみを喜びに変えてくださる主を自分の人生にお迎えするという意味で、木を十字架と解釈することは意義のあることでしょう。

 

 そして、民は「掟と法を与えられ」(25節)、主の御声に聞き従って歩むと(26節)、12の泉があり、70本のなつめやしの茂るはエリムに到着しました。これは、主イエスがヨハネ福音書7章38節で語られた、聖霊の恵みを示しているようです。イスラエルの民は、荒れ野の苦しみを経て御言葉に聞き従うことを学び、そうして霊の豊かな恵みに導き入れられたのです。

 

 主よ、私たちの人生のいたるところにマラの泉があります。否、私の心の内にマラがあります。しかし主の十字架が示されるとき、マラがナオミとされること、主がわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなられたと歌うことが出来るようにしてくださることを、心から感謝します。 アーメン

 

 

「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。」 出エジプト記16章4節

 

 「エジプトを出た年の第二の月の15日」(1節)、それは、エジプトを脱出して一ヶ月後のことです(12章参照)。イスラエルの民は、12の泉と70本のナツメヤシが茂るエリム(15章27節)を出発して、シンの荒れ野に入りますが(2節)、モーセとアロンに対して「あなたたちは我々をこの荒野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」(3節)と不平を述べ立てます。

 

 「シンの荒れ野」とは、英語で「the wilderness of Sin」と書き、SINとは英語で「罪」という意味ですから、英語的には「罪の荒野」ということになってしまいますが、当然ヘブライ語の「シン」に「罪」という意味はありません。ヘブライ語では「とげ、粘土」といった意味がありますが、月の神シンに由来する名前だろうと考えられています。

 

 民がモーセらに不平を述べたのは、葦の海からシナイ半島を南へ荒れ野を旅して一ヶ月、エジプトから持って出た食糧が底をついてきて、明日から何を食べればよいのか分からないという事態になったからでしょう。マラの水の問題に続いて、またも発生した大問題です。民が不平を言うのは、至極当然とも考えられます。

 

 民はモーセたちに対して、エジプトを脱出させてくれたことは感謝に価するけれども、この荒れ野でどのようにして飲み水や食べ物を確保するつもりなのか、その計画を示せ。まさか、計画なしに事に及んだわけではあるまい。もし示せないようなら、荒れ野で飢え死にするより、エジプトに戻ってパンと肉を食べて生きる方がよいという思いを、ここに訴えているわけです。

 

 しかし、彼らはエジプトの労役に苦しんでいたところを、その嘆きを聞かれた主が彼らを救い出してくださったこと(3章7,8節、12章1節以下41節)、ゴシェンの地を出立した彼らの後を追ってきたファラオの軍勢を葦の海で撃退してくださったこと(14章1節以下)、マラの苦い水を甘い水に変えて頂き、力を得てエリムというオアシスに到着したこと(15章25,27節)などを忘れています。

 

 確かに、思い出で腹を満たすことなど、出来はしません。しかし、彼らが先に「主はわたしの力、わたしの歌、主はわたしの救いとなってくださった」(15章2節)と自ら歌った主への信仰を思い出すべきです。どんなときにもどんな場所でも、主はおのが民を力づけ、救い出し、歌を歌わせてくださるのです。

 

 主はそのように不平を言う民に対して、冒頭の言葉(4節)のとおり「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる」と告げられました。それは、イスラエルの民が、彼らをエジプトから導き出された主を知り(6節)、彼らの嘆きを聞いて食料を用意される主の栄光を見るためです(7節)。

 

 そして、その言葉のとおりに、翌朝、宿営の周りに露が降り、その露が蒸発すると、霜のようなものが薄く残ります(13,14節)。それが、主が荒れ野を旅する民のために食物として与えられた天来のパンでした(15節)。

 

 これは、不思議なパンです。このパンは「マナ」と名付けられます(31節)。「これは一体何だろう」(マン・フー:15節)がその語源と考えられています。民は毎朝、必要な分のマナを集めることが出来ました(18節)。けれども、たくさん集めて翌日の分としてとっておくと、虫がついて臭くなります(20節)。また、日が高くなると溶けてしまいます(21節)。

 

 ところが、六日目だけはいつもの2倍の量を集めることが出来(22節)、翌日まで残しておいても臭くならず、虫もつきません(24節)。それは、七日目が休息の日、主の聖なる安息日だからという説明がなされています(23節)。十戒で安息日が定められるのは、20章の記事になってからですが、それを前提として、予め安息日を守るための対策がなされていたというところです。

 

 冒頭の言葉で主は、「わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す」と言われていました。そのことで、「あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ」(16節)と命じられ、「だれもそれを、翌朝まで残しておいてはならない」(19節)と言われますが、聞かずに翌朝まで残しておく者が出ます(20節)。

 

 また、「今日は主の安息日である。今日は何も野に見つからないであろう」(25節)と言われますが、七日目に集めに出る者がいます(27節)。彼らは、主を信頼し、その御言葉に忠実に従うという「試験」(15章25,26節参照)に、ものの見事に失敗しています。

 

 そこで、「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか」(28節)と叱られ、「よくわきまえなさい。主があなたたちに安息日を与えたことを」(29節)と言われて、安息日の守り方を具体的に指導されました。

 

 それは、安息日には何もしないようにということを、徹底するためなどではありません。民が主に信頼して、主の御言葉に注意深く耳を傾け、その御心を行う者となるようにするためです。主を主として崇めること、それが主を神として従う神の民イスラエルの礼拝です。

 

 主イエスが悪魔の試みに遭われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書4章4節)という言葉で、誘惑を退けられました。

 

 これは、「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」という申命記8章3節からの引用です。

 

 主は、日毎の糧を私たちにお与えくださいます。ゆえに、日毎の必要のみを求めるのではなく、日毎の必要を満たしてくださる主に信頼するよう、期待されています。主は、その御言葉をもって私たちのすべての必要を満たしてくださるのです。「光あれ」(創世記1章3節)と言われると、そのとおりになりました。パンを与えると言われると、その通りになったのです。

 

 主を信じ、しっかりとその御言葉に耳を傾けましょう。

 

 主よ、弱い私たちを顧み、絶えず憐れみと慈しみをもって導いてくださり、感謝します。私たちの日常生活のあらゆる必要を満たしてくださる主に信頼し、御言葉に聴き従う生活を通して、主の愛と恵みの証し人とならせてください。 アーメン

 

 

「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。」 出エジプト記17章11節

 

 民は主の命令に従ってシンの荒れ野を出発し、レフィディムに宿営しますが、そこでは飲み水が得られませんでした(1節)。ゴシェンを出立し、エジプトを脱出して既に一ヶ月以上が経過していますが(16章1節参照)、この後、約束の地にたどり着くのにどれだけの時間を必要としているのか分かりません。その上、主に従って進む民を、主が飲み水のないところに導かれたのです。

 

 民がモーセに「我々に飲み水を与えよ」(2節)と言うと、モーセは「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか」(同節)と答えました。それに対して、渇きの中にいる民は「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか」(3節)と文句を言います。かくて、旅路だけでなく、民の心も荒れ野になって行くのです。

 

 モーセは民と論じ合うのをやめ、主を叫び求めました。それは、彼自身の命が危ういからです(4節)。主はモーセに「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる」(5,6節)と言われました。

 

 主はモーセに、不平の処理の仕方についてのアドバイスではなく、水の見つけ方を指示されたのです。モーセは指示に従って長老たちを連れ(5節)、ナイル川を打って川の水を血に変えた杖(7章17,20節)でホレブの岩を打ち(6節)、その岩から水を出します。長老たちはその目撃者となりました。

 

 それは2節でモーセが、「なぜ、主を試すのか」と言っていることから、彼らはモーセに水がないと文句を言っただけでなく、主は我々の間におられるのかと疑っていたからで(7節)、もしおられるなら、飲み水がないという事態に陥ることはなかったはずだと言って、主を試したというのでしょう。それに対して主自ら、しるしをもって存在を示されたわけです。

 

 この奇跡を行われたのは、杖の力ではありませんし、モーセの力でもありません。ホレブの岩の上に立たれた主が、その岩から水を出されたのです(6節)。けれども、主はモーセ抜きでその奇跡を行おうとはされませんでした。さらに、その御業のために、杖と岩をもお用いになったのです。

 

 ホレブとは、モーセが十戒を授けられるシナイ山のことです。また、レフィディムは「平原」という意味で、シナイ山の北西の平原を指します。主がホレブの岩の上に立たれるということは、シナイ山で主が行われることを予見させます。主なる神は、レフィディムで飲み水を与えられたように、シナイ山でモーセに律法を授け、イスラエルの民と契約を結ばれるのです。

 

 そうしているとき、アマレク人が襲い掛かりました(8節)。岩波訳脚注によれば、アマレク人の記録を、聖書以外の資料に見出すことは出来ないそうです。アマレク人は、イスラエル南部のネゲブとシナイ半島にいた遊牧民で、この地方の泉や放牧地をめぐって、イスラエル人との争いが絶えなかったようです。このときも、岩から出た水を自分たちのものにしようとして争ったのかも知れません。

 

 モーセはヨシュアに、「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ」(9節)と告げ、ヨシュアはその通りに実行します(10節)。それは、愛する家族・同胞を守るための真剣な戦いです。

 

 一方、モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登りました(10節)。それは、高みの見物をするためではありません。冒頭の言葉(11節)に「モーセが手を上げている間」と記されていますが、これは、イスラエルの賛美、あるいは祈りの姿勢を表わしています。3人は、主なる神に賛美と祈りを捧げるために、丘の頂に登ったのです。モーセの手には、「神の杖」(9節)が握られています。

 

 そこで、不思議なことが起こります。それは、モーセの手が上がっている間はイスラエル軍が優勢に戦いを進めるのですが、モーセの手が下がるとアマレク軍が優勢になるというのです(11節)。これをどう考えたらよいのでしょうか。

 

 これは、イスラエル軍の実力がアマレク軍に劣っているということでしょう。祈りなしには、勝利を取ることが出来ないということです。そもそも、エジプトを脱出したイスラエルですが、奴隷だった彼らが、戦いのために十分武装していたとは考えられませんし、そのための訓練を受けていたはずもありません。だからこそ、モーセは祈りの手を上げ続けるのです。

 

 ヨシュアらの命がかかっているわけですから、祈りも真剣勝負です。しかし、モーセも齢80歳、一人で手を上げ続けることが出来ません。アロンとフルはモーセを座らせ、その両側に立って、彼の手を支えます。それで、モーセの手は一日中しっかりと挙げ続けられていました(12節)。

 

 ところで、この記事に登場して来なかった人々がいます。それは、戦いに参加していない高齢者や女性、子どもたちです。彼らはそのとき、何をしていたのでしょうか。遊んでいたでしょうか。家事で忙しくしていたのでしょうか。

 

 そうではないでしょう。ヨシュアに率いられた男たちが、アマレク軍と命懸けで戦っているのです。そしてそれは、自分たちを守るための戦いです。アマレク軍の優勢が伝えられるならば、「モーセ、何やってる」と野次を飛ばすなどということではなく、「主よ、イスラエルをお守りください、私たちのために戦ってください」と、これまた真剣な祈りを捧げたのではないでしょうか。

 

 イスラエルの民はホレブの水を飲み、主が自分たちと共にいてくださることを知らされていました。そのような民の祈りがモーセに力を与え、アロンとフルが彼の両手を支えているように、モーセの心をしっかりと支え続けたのだと思います。

 

 ここに、前線に出て戦っているヨシュアたち、それを背後で執り成すモーセ、その右腕としてモーセを支えるアロンとフル、さらにモーセの背後で祈りを捧げる民らが一つとなって、この戦いに臨んでいる様子を見ることが出来ます。

 

 地上で二人が心を合わせて祈るなら、それを叶えてあげようと約束された主は(マタイ福音書18章19節)、こうした一致の祈りに応えて、イスラエルに勝利をお与えくださったのです。

 

 また、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(同18章20節)と主イエスが言われました。私たちと共におられ、一致の祈り願いをかなえてくださる主に向かい、皆で心を合わせ、一つになって祈りと願いを献げましょう。静岡、東海地方、全日本のリバイバルを願って!

 

 主よ、私たちはこの世にあって無力な存在です。しかし、私たちと共におられる主が私たちのために立ち上がってくださるなら、どのような戦いにも勝利することが出来ます。御名の故に、栄光を主がおとりくださいますように。この地に御業が行われますように。そのために、私たちを用いてくださいますように。そうして、御名を崇めさせてください。 アーメン

 

 

「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。」 出エジプト記18章17,18節

 

 モーセの舅、ミディアンの祭司エトロが、ツィポラと二人の息子を連れて、神の山に宿営しているモーセのもとにやって来ました(5節)。4章20節で、ツィポラたちはモーセと一緒にエジプトに下っており、いつ実家に帰っていたのか、定かではありませんが、モーセが後顧の憂いなく働けるよう、ファラオとの対決の直前に実家に戻したのでしょう。

 

 というのも、ファラオは、イスラエルの神、主の祭りを行うために、エジプトを出て荒れ野に行かせてほしいというモーセの申し出に腹を立て(5章1節以下)、イスラエルの民の労役を重くした人物です(同7節以下)。モーセが家族を連れていれば、怒りにまかせて家族を殺したり、人質に取ってモーセに圧力をかけたりすることは、想像に難くないところです。

 

 モーセは舅に、主がイスラエルのためにファラオとエジプトに対してなされたすべてのこと、すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したけれども、主が彼らを救い出されたということを語り聞かせると(8節)、舅は喜び(9節)、「主をたたえよ」(10節)と主なる神を褒め讃え、焼き尽くす献げ物といけにえを神にささげました(12節)。

 

 その賛美の中に「今、わたしは知った。彼らがイスラエルに向かって高慢にふるまったときにも、主はすべての神々にまさって偉大であったことを」(11節)という言葉があります。舅はミディアン人の祭司として(2章21節、3章1節)、自分の民族の神に仕えているはずですが、「今、わたしは知った」と語っているとおり、確かに今、モーセの仕えている主について、認識を新たにしたのでしょう。

 

 かつて、エジプトのファラオが主の名を聞いたとき、彼はその心を頑なにして、モーセの言葉に従おうとはしませんでした。その意味で、ミディアンの祭司エトロは、モーセの語る主なる神の証しを受け入れ、礼拝した最初の外国人ということになるのかも知れません。

 

 ところで、7節に「天幕に入った」と記されていますが、これは、モーセ個人のテントではなかったようです。というのは、エトロが主を賛美した後、焼き尽くす献げ物と生贄をささげ、そしてアロンとイスラエルの長老たちと一緒に、神の御前で食事をしていますが、前後の文脈から、彼らがこの天幕を出た形跡がないからです。

 

 つまり、7節で彼らが入った「天幕」は、神を礼拝する幕屋(移動式聖所)だったということでしょう。ただ、主に命じられてモーセが「聖なる所」(25章8節)として神の幕屋を建てるのは、まだ後のことです。ここでは、モーセと家族の天幕が、神の幕屋としての役割を果たしていたということなのでしょう。

 

 翌日、エトロは、座について民を裁くモーセの仕事振りを見て、問題があることに気づきました。それは、モーセの裁決を求めて、民がモーセの前に朝から晩まで列をなしているということです(13節)。あまりにも多くの人が並んでいて、対応が追いつかないのです。

 

 エトロは冒頭の言葉(17,18節)の通り、「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう」と忠告します。いかにモーセが主なる神が選んだカリスマ指導者であっても、兵役に就く男子だけで60万人以上、女子どもに老人を加えると200万人にも及ぶイスラエルの民の身の上相談を、一人で裁けるはずがないからです。

 

 これは、さらにいくつかの問題を生み出します。一つは、モーセが一日中問題の処理に追われ、その結果、疲れ果ててしまうということです。二つ目は、順番を待っている民が無為な時間を過ごさなければならず、それが新たな不満の種になってしまうことです。

 

 さらに、少なくとも「イスラエルの長老」(12節、3章16節、12章21節など)と呼ばれる部族ごとの指導者がいたのに、彼らが力を発揮する場所が与えられていないことです。これは、カリスマ的指導者が陥りやすい落とし穴です。私が一番上手だ、自分でやった方が早いなどといって、自分一人で仕事を抱え込み、誰にも譲らない結果、全く効率の悪い組織になってしまうのです。

 

 「あなたのやり方は良くない」という言葉は、創世記2章18節の「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」という言葉を思い出させます。神の御心に反しているといった響きです。エトロは「民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい」(21節)と助言します。

 

 確かに、モーセでなければ出来ない課題もあったことでしょう。しかしながら、多くの問題は、こうして選ばれた有能な指導者たちによって迅速に処理されるようになり、民は大いに喜ぶはずです。モーセの負担も劇的に軽減出来るでしょう。有能な人々には、その力を存分に発揮する場が与えられます。

 

 モーセは舅エトロの勧めるとおりにしました(24節以下)。それはさながら、主の言葉に聴き従うようなことです。主なる神は、ミディアン人の祭司エトロの洞察や判断力を用いて、神の民の指導者にその知恵を与え、民を整えるのを助けました。そして、神の山ホレブ=「シナイ山」で、モーセが主なる神から特別な啓示を受け取る準備が、整えられたのです。

 

 私たちキリスト者は、主キリスト・イエスによって呼び集められ、キリストの体としての教会を形成しています。私たちの頭はキリストです。日々頭なるキリスト・イエスの言葉に耳を傾け、導きに従って各々の使命を果たし、キリストの体として、つまり皆で、主イエスの栄光を現すことが期待されています。

 

 「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるためにバプテスマを受け、皆一つの霊をのませてもらったのです」(第一コリント書12章12,13節)。

 

 聖霊の導きに従い、各々がその役割を果たしながら、皆で独りの神、主を仰ぎ、礼拝する日々を過ごしましょう。

 

 主よ、私たちは、頭であられる主イエスの命をもって贖われ、神の民に招き入れられた者です。主の御声に聴き従い、その使命を果たすことが出来ますように。そのときに、一人一人ばらばらというのではなくて、互いに「助ける者」として、持てる力を出し合い、キリストの体なる教会をしっかりと築き上げることが出来ますように。 アーメン

 

 

「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。」 出エジプト記19章5節

 

 1節に、イスラエルの民が「エジプトを出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した」とありますが、「三月目のその日」は、原文では「第三の新月」(岩波訳参照)という言葉です。1月15日に出立していますので(12章参照)、第三の新月は、4月1日ということになります。

 

 彼等はレフィディムを出発してシナイの荒れ野に着き、天幕を張り、山に向かって宿営しました(2節)。その山とは、18節の「シナイ山」のことです。ただ、シナイ山の場所は諸説あります。その位置確認で最古のものは、紀元4世紀の修道士たちがジェベル・セルバルを選んでいました。

 

 しかし、6世紀中葉にユスティアヌス帝がジェベル・ムーサ(「モーセの山」の意)の麓に聖カタリナ修道院を創建して以来、ここがシナイ山であるとされ、それが今日の伝統的な位置となりました。シナイ山(ジェベル・ムーサ)の頂上には、石造りのチャペルが建てられています。

 

 その他にも、シナイ半島北部のジェベル・ハラル、あるいはアカバ湾の東、アラビア半島の山という説さえあります。そのように、神の律法を授けられた場所が未だ確定出来ないのは、主なる神がそこを聖地とすることを望まれなかったということなのでしょう。つまり、どの国家にも属さない荒れ野の、人目から隠された場所において、主はイスラエルに律法をお授けになったのです。 

 

 モーセが山を登って行くと、主なる神が彼に語りかけ、「ヤコブの家にこのように語り、イスラエルの人々に告げなさい」(3節)と言われました。そして先ず、「あなたたちは見た、わたしがエジプト人にしたこと、また、あなたたちを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを」(4節)と言われます。

 

 主がイスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから解放し、そして、シナイ山のふもとまで連れて来たのを、あなたたちは見ただろうというのです。「鷲の翼に乗せて」(4節)と同様の表現が申命記32章11節にあり、「鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように」と記されています。

 

 申命記では主なる神を、雛を養い育てる鷲に見立てています。巣を揺り動かし、雛の上を飛び翔って、自らの翼で飛び立つように促し、上手に飛べずに墜落しそうになるときは、雛の下でその羽を広げて受け止め、翼にのせて運ぶというのです。また、母鳥の大きな翼は、雛の避難場所となり、翼の下で雛を守ります。

 

 イスラエルの民は、気がついたらシナイ山の麓に宿営していて、ここに至るまでの間、何の苦労もなかったというわけではありません。むしろ、飲み水がない(15章22節、17章1節)、食べるものがない(16章3節)、外敵に襲われる(17章8節以下)など、苦労の連続でしたが、どんな時にも神が彼らの避け所となり、恵みを与え、かくて無事シナイ山まで連れて来られたのです。

 

 その恵みを受けたのは、冒頭の言葉(5節)のとおり、イスラエルの民が神の「宝」となるためです。主なる神がイスラエルを「宝」とされるのは、彼らの知恵や知識、能力が優れているからなどということではありません。主の御声に聴き、契約を守ることがその条件とされていますが、主は、彼らを「宝」としたくて、ここまで連れて来たということです。

 

 イザヤ書43章4節で主がイスラエルを、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする」と仰っていますが、これも同じ消息を現しているといって良いでしょう。

 

 このときイスラエルの民は、主の目に価高く、貴しとされる者たちであったわけではありません。主の怒りを買って、国が滅び、バビロンの捕囚とされていたのですイスラエルの民が主の目に価高く、貴い者とされるのは、彼ら自身にその資格や値打ち、そう主張する権利があるなどということではなく、主がそう評価するほど、彼らを一方的に愛してくださったということです。

 

 だから、イスラエルが自ら「神の宝」と主張してよいというものではありません。主なる神が、そう言い表してくださるのです。また、この宝は、いつも宝箱に納められていたわけではありません。イスラエルの民は、エジプトの奴隷の家で苦しみ、呻き声を上げていました。神は民の苦しみに目を留め、その呻きを聞いて、救い出してくださったのです(3章7節)。

 

 それは、主イエスがルカ福音書15章のたとえ話を通して語られた、神の姿そのものです。神は、迷子になった一匹の羊を捜し回る羊飼いのように、なくした1枚の銀貨を捜す女のように、そして、親不孝の弟息子を待ち続け、ぼろぼろになって帰ってきたら最上のもので喜び祝う父親のように、そうするのが当たり前だといって、無限の愛をイスラエルの民に、注いでくださったのです。

 

 そして今、その愛が私たちに注がれています。主なる神が独り子・主イエスを私たちの身代わりに神の裁きを受け、それゆえ私たちの罪が赦され、清められて神の子とされる道が開かれました。御子の命を引き替えにするほどに、一方的に主が私たちを「宝」として大切にしてくださっているのです。

 

 主なる神が私たちをそのように愛してくださったのは、勿論、宝箱に陳列しておくためではありません。主は私たちをも、祭司の王国の聖なる民として(6節)、世界中の人々のために執り成し、彼らに主の御言葉に聴き従うよう語り広める使命を委ねるために選ばれたのです。「世界はすべてわたしのものである」(5節)というのは、全世界のすべての民が主の「宝」だということです。

 

 主イエスが「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがを任命したのである」(ヨハネ福音書15章16節)と言われています。

 

 私たちを任命してくださった主の御言葉に耳を傾け、私たちに「せよ」と言われることを精一杯、心を込めて行いましょう。

 

 主よ、私たちは何者なので、御心に留めてくださったのですか。私たちが何者なので、これを顧みられるのですか。その限りないご愛の故に、ただただ驚くばかりです。心を尽くして感謝をささげ、喜びをもってその驚くべき御業を語り伝えます。聖霊の満たしと導きに、日々与らせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」 出エジプト記20章6節

 

 20章には、「十戒」と呼ばれる有名な規定が、主から授けられるという記事が記されています。ここが出エジプト記の頂点であり、この十戒が、主なる神とイスラエルとの間で結ばれた契約の基盤になっていると言われます。

 

 旧約聖書の「約」は、契約の約、約束の約ですから、十戒が契約の基盤であるということは、言い換えれば、十戒は旧約聖書の基礎、基盤であるということも出来ます。十戒は、それほど大切なものなのです。

 

 まず1~2節で「神はこれらすべての言葉を告げられた。『わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である』」と記されます。十戒は、主なる神が直接に語り告げられたもの、主がイスラエルの民にお与えになったものであると言われています。人間が考えて作り出した代物ではないのです。

 

 そして、主の語りかけの最初の言葉は、自己紹介です。「わたしは主、あなたの神。あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と言われます。シナイ山においてイスラエルの民に十戒をお与えになる主は、彼らをエジプトの奴隷の苦しみから救い出されたお方です。決して、人間が考え出した架空の存在などではありません。

 

 イスラエルを苦しみから解放されたお方が、「わたしは主(=ヤハウェ)というものである、わたしがあなたの神である、あなたに恵みを与えよう」というご自分の意志を表明されているのです。即ち、私たちの神は、私たちの歴史に介入し、「主」としてご自分を啓示されます。私たちのために救いの御業をなさる主が、私たちにこの戒め、私たちを祝福する言葉をくださったのです。

 

 随分前のことですが、NHKの教育番組で、聖書学者が十戒にふれて、「あなたは~してはならない」という言葉を厳密に訳せば、「あなたは当然~しないであろう」、「~するはずがない」という表現になると言われました。神の恵みに与って感謝しているイスラエルの民は、当然神の教えに従うはずだ、背くはずがない。つまり、従って当然だというのです。

 

 つまり、戒めに従うかどうかの選択権は、イスラエルにはありません。主に聴き従うのが当たり前のことなのです。けれどもそれは、いわゆる無理強いではありません。したくはないけど、恩を受けたから仕方ないなどというものではないのです。これは主の恵みに応える表現で、喜んで従わせていただきたいという世界なのです。

 

 3節は、主なる神とは異なる、他宗教の神を礼拝してはならないということ、4節は、主なる神の像として、いかなるかたちのものも造ってはならないということ、そして5節は、その像を拝み、仕えてはならないということです。

 

 5節後半に「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」と言われます。「三代、四代」ということは、子だけでなく、孫、ひ孫にまで影響があるということになります。

 

 古代イスラエル社会では、結婚すると親の家のすぐ近くに住みました。年老いた家長は、通常3~4世代を近くに住まわせ、自分の影響下におくことになります。もし家長が、異教の偶像を礼拝したり、主なる神の像を刻んで造らせるという不適切な信仰生活をすると、すべての家族が害を被ることになったのです。受けるべき恵みが受けられず、むしろ、罰を免れないことになるからです。

 

 そして、冒頭の言葉(6節)が語られます。ここに「幾千代にも及ぶ慈しみを与える」と言われていますが、一世代を20~30年と考えると、幾千代というのは、少なく見積もっても2~3万年以上、10万年といってもよいような年数になるでしょう。80年生きられるかどうかという私たちにとって、それは想像することも困難な、殆ど無限に通じる長さです。

 

 岩波訳の脚注に「『千』の基数と序数は形態が同じなので、『千代の人々』とも訳せる。従来の日本語訳はほとんどそうしている」と記されていました。確かに、口語訳、新改訳も「千代」としています。

 

 それとは別に、「幾千代」(アラーフィーム)は「千」(エレフ)の複数形ですが、「エレフ」には、「氏族」(サムエル記上10章19節など)という意味もあります。岩波訳はこの意味にとって、「いくつもの氏族」と訳しています。

 

 その脚注に「氏族は家族の次に大きく、部族よりも小さい単位。神が罪を報いるのは一つの家族内だけ、恵みをなすのは、多くの家族からなる氏族の複数のものにまで広範囲に及ぶという対比」とあります。時間の長さではなく、横の広がりをここに見ているわけです。時間的な長さか、空間的な広がりか、二者択一というのではなく、両義的に考えても面白いですよね。

 

 その恵み、慈しみに与る条件は、「わたしは主、あなたの神」と言われる方を愛し、その戒めを守ること、即ち、主なる神以外のものを、神として礼拝しないことです。それは新約の時代を生きている私たちにとって、主イエスを信じ、主イエスと共に歩むことといっても良いでしょう。

 

 主イエスは、かつてイスラエルをエジプトの奴隷の家から解放されたように、私たちを罪の奴隷の家から解放してくださったお方です。神は、私たちのために独り子を購いの犠牲にされました。私たちが神を愛する前から、神は私たちを愛しておられました。

 

 私たちの呻き、私たちの嘆きを聞いて、そこから引き上げて下さいました。その方が、「わたしは主、あなたの神、わたしは熱情の神である」と言われます。口語訳は「熱情」を「妬む」と訳しておりました。妬むほどの熱い愛をもって私を愛しておられる方が、「わたしがあなたの神となろう」と言われます。

 

 主は、その教えを聴き、その御言葉に従って、子々孫々に及ぶ永遠の祝福に与るようにと、私たちを招いてくださっているのです。折ある毎に主の祈りをささげるように、十戒を口ずさんでみましょう。そこにたたえられている神の愛と慈しみを感じてみましょう。

 

 しかしながら、神から愛され、恵みを頂いたら、それに応えて神の御言葉に従うのは当たり前だというのは易しいことですが、現実には決して当たり前のことではありません。誰が、神の戒めを聴いた初めのときからずっと守ってきましたと、主イエスの前で胸を張って言うことができるでしょうか。

 

 「するな」と言われることを、してしまいます。「せよ」と言われることを実行することが出来ません。戒めを守ることが出来る強い信仰、あらゆる誘惑にうち勝つ強い信仰をくださいと祈りますが、祈り終わった瞬間から、誘惑との戦いです。そしてなかなか、それに打ち勝てません。

 

 しかし、弱いのが悪いというのではありません。負けることが悪いのでもないでしょう。主の助けを受けなくても勝てる強さ、神なしでも強く生きられる強さを主からいただこうというのは、どだい間違っているのです。

 

 土台が間違っていると、正しい建築はできないでしょう。私たちは、主イエスという幹にきちんとつながっていなければ、実を結ぶことは出来ません(ヨハネ15章4,5節)。幹から離れてしまった枝は、実を付けることが出来ないのです。主なる神が味方になってくださればこその力です(ローマ書8章31節以下)。

 

 神が共におられ、聖霊を通して私たちの人生を、豊かに充実、実を結ぶようにしてくださるのです。絶えず祈れというのは、いつも主なる神と交わり、主の御声を聴き、御言葉に応えるということです。瞬間瞬間主により頼み、瞬間瞬間御言葉を慕い求め、感謝をもって主の導きに与らせていただきましょう。

 

 主よ、幾千代にも及ぶ慈しみをもって祝福をお与えくださる主の御心が、この地にも行われますように。御心を行う道具として、教会を、私たちを用いてください。この地に主の御国が来ますように。そうして、すべての者があなたの御前に膝を屈め、すべての舌があなたの御名を褒め称えますように。 アーメン

 

 

「もし、その奴隷が、わたしは主人と妻子とを愛しており、自由の身になる意志はありません』と明言する場合は、主人は彼を神のもとに連れて行く。入り口もしくは入り口の柱のところに連れて行き、彼の耳を錐で刺し通すならば、彼を生涯、奴隷とすることができる。」 出エジプト記21章5,6節

 

 20章22節から23章33節までは、「契約の書」とされています。24章7節に「契約の書を取り、民に読んで聞かせた」という言葉があり、モーセがこの箇所を「契約の書」として、イスラエルの民に読んで聞かせたわけです。

 

 この「契約の書」の初め(20章23節)に、神の像を造ってはならないとあり、終わり(23章32,33節)に、異教の神々と契約を結んではならないと記されていることで、十戒の規定との関連は明らかです。十戒とこの契約の書が、シナイにおける主の顕現(19章)と契約締結(24章)の間に置かれて、大きなまとまりをなしています。

 

 1節に「以下(21~23章)は、あなたが彼らに示すべき法である」と言われています。ここで、「法」と訳されている「ミシュパーティーム」という言葉は、「ミシュパート(公正、定め、裁きという意味)」の複数形です。岩波訳は「法集」と訳しています。2節以下に「奴隷について」、12節以下は「死に値する罪」、18節以下は「身体の傷害」といった具合に法令が収録されています。

 

 最初に「ヘブライ人である奴隷」(2節)についての定めが取り上げられています。ヘブライ人とは、申命記15章12節では「同胞のヘブライ人」と記されていることから、同じイスラエルの民と言ってよいと思います。

 

 しかし、ただ単に「同胞」と言わずに「同胞のヘブライ人」と言うということは、イスラエルの同胞の中で、経済的に困窮し、奴隷として身売りせざるを得なくなった人のことを、「ヘブライ人」と呼称したのかもしれません(レビ記25章39節参照)。

 

 ヘブライ人の奴隷を買った場合、彼は6年間奴隷として働いたなら、7年目は無償で自由の身となれると規定されています(2節)。申命記15章13,14節には「自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たせずに去らせてはならない。あなたの羊の群れと麦打ち場と酒ぶねから惜しみなく贈り物を与えなさい」と記されています。

 

 そうする根拠として、神がイスラエルの民を奴隷の家から救い出し、祝福を与えて財産を豊かに持つようになったことを思い起こせと言います(同15節)。さらに、「自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、厳しくしてはならない。彼は六年間、雇い人の賃金の二倍も働いたからである」(同18節)とも記されています。

 

 しかしながら、奴隷に対して、実際にこのような人道的な取り扱いをすることがあったのでしょうか。もしも、イスラエルの民が主なる神を信じる者でなければ、この規定が守られることはなかったと思います。

 

 そもそも誰が、7年目には贈り物を惜しみなく与えて去らせなければならないと知っていて、奴隷を買うことにするでしょうか。一旦手に入れた奴隷を、そのように簡単に、しかも贈り物まで与えて、手放すはずはないでしょう。それは、度重なる災いの襲来にも拘らず、心頑なになってイスラエルの民を奴隷から解放しようとしなかった、エジプトのファラオのことを考えても分かります。

 

 ところで、冒頭の言葉(5節)のとおり、「もし、その奴隷が、『わたしは主人と妻子とを愛しており、自由の身となる意志はありません』と明言する場合」は、主人は彼を主なる神のもとに導き、新たな契約を結びます。

 

 契約のしるしは、一般的には割礼ということですが、奴隷が主人や妻子と共にいることを望む場合は、耳を錐で刺し通すという方法を用います。耳たぶに穴が開いているのは、主人が生涯、彼を奴隷として扱うことが出来るというしるしなのです。

 

 奴隷に自由の身となる意志がないというのは、主人としては歓迎するところでしょうけれども、しかし、奴隷自身が解放されたくないと明言することが本当にあったのでしょうか。

 

 もしも7年目に奴隷を解放するという規定が全く守られないようなものなら、解放されるのを断るとき、耳を錐で刺し通すという規定は無用です。こうした規定が設けられたということは、それが実行されていたということを示していると考えることも出来ます。

 

 「主人と妻子を愛しているから、自由の身になる意志はない」というのは、主人のもとにいるほうが安全で豊かな生活が出来るとか、愛する妻子と別れるのが辛いといった理由が考えられます。主人への献身を表わしているようですが、それで耳を錐で刺し通すという痛みを味わわせるというのは、それは決して褒美ではないということでしょう。

 

 むしろ、主なる神が奴隷からの解放という道を開いてくださったのに、自分の思いのままにそこに留まり続けて、主の御心を無にしたという意味で、主に向けて耳の開かれていない者の耳に穴を穿ち、主の御声にもっと真剣に耳を傾けよという意味を、そこに込めているのではないかと思えて来ました。

 

 罪の縄目から解放され、新しい命に生かされた私たちも、古い生活に留まり続けるのではなく、主イエス・キリストにあって新しく造られた者として、神から頂いた恵みを無駄にせず、神の栄光を表わす働きに用いられる器とならせて頂きたいと思います。

 

 主よ、古い自分に死に、新しいキリストの命に生かされている者として、主の御言葉に耳を傾けつつ聖霊の導きに従って歩みます。そうすれば、決して肉の欲を満足させるようなことはないからです。聖霊によって実を結び、聖霊の導きに従って前進させてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「女呪術師を生かしておいてはならない。」 出エジプト記22章17節

 

 冒頭の言葉(17節)について、レビ記19章31節に「霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない。わたしはあなたたちの神、主である」とあり、同20章27節にも、「男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。彼らの行為は死罪に当たる」と記されています。

 

 また、申命記18章9~14節にも、同様の規定があります。つまり、呪術、占い、霊媒などが禁止されており、それを行う者は死罪であるとされているわけです。ここで、「女呪術師」と、女性だけを対象にしている理由は定かではありません。女呪術師だけでなく、男の呪術師も、必ず死刑に処せられるべきだと考えられるからです。

 

 古代エジプトに限らず(7章11節など)、呪術、魔術は古今東西一般に行われています。世界最古と言われるハムラビ法典に「もし人が他人を告訴して、死の呪文をその人の上に唱え、しかもその罪を証明し得ないときには、彼を告訴したその人は、死刑に処せられなければならない」という規定があるそうで、呪術を悪用して他人に危害を加える黒魔術(ブラックマジック)は禁止されているようです。

 

 その意味で、聖書の呪術に対する規定は徹底しています。それは、呪術、魔術などは、悪霊の力を用いて自分の欲求を満たそうとする方法であり、聖霊の導きに信頼せずに将来を知ろうとすること、そうして、主なる神の御旨に従うことを拒絶する態度を明らかにすることにほかならないからです。

 

 サウル王がペリシテ軍との闘いに臨んで平安がなく、女霊媒師に陰府のサムエルを呼び起こさせたことがあります(サムエル記上28章7節以下)。それは、ペリシテ軍の陣営を見て、恐怖に包まれたサウルが(同5節)、主に託宣を求めたところ、夢でもウリムによっても預言者によっても、主が全くお答えにならなかったからでした(同6節)。

 

 霊媒師によって呼び出されたサムエルが「なぜわたしを呼び起こし、わたしを煩わすのか」(同15節)というと、サウルは「ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神はわたしを離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべきことを教えていただくためです」(同15節)と答えました。

 

 それでサムエルが「なぜわたしに尋ねるのか。主があなたを離れ去り、敵となられたのだ。主は、わたしを通して告げられたことを実行される。あなたの手から王国を引き裂き、あなたの隣人、ダビデにお与えになる。あなたは主の声を聞かず、アマレク人に対する主の憤りの業を遂行しなかったので、主はこの日、あなたに対してこのようにされるのだ」(同16節)とサウルに告げます。

 

 託宣を求めたのに主が全く答えられなかったときに、既に主が自分の敵となられれたことを、サウルは悟るべきでした。そして、悔い改めて主に従う決意を新たにすべきでした。しかしながら、ペリシテ軍に心脅かされているサウルは、主の沈黙に耐えられず、サムエルの霊を呼び出すという行為に走ってしまいました。

 

 それはしかし、明確に禁じられている罪です。そして、それを知らないサウルではなかったはずです。というのも、恐らくサムエルに指導されてのことでしょうけれども、サウル自身が既に国内から口寄せや魔術師を追放していたからです(同3節)。

 

 それにも拘らず、霊媒に頼ろうとしたところに、サウルの不安の大きさ、その狼狽振りが窺えるように思います。けれども、神はもはやサウルに同情してはくださいません。サウルの背きがここに明らかになり、悔い改めのチャンスを失って彼の死罪が確定し、主なる神は、彼とイスラエルの軍隊をペリシテ人の手に渡されることにされたのです(同19節)。

 

 今日わが国では、占い、霊媒の類が大手を振って表通りを闊歩しています。星占い、今週の運勢などを載せない大衆誌は、殆どないでしょう。霊視や占いを扱うTVのスピリチャル番組も、様々な話題を提供しています。それだけ、人々が将来に強い不安を抱き、少しでも良い運勢を引き寄せたい、より良い未来を自分のものにしたいと求めているわけです。

 

 主イエス誕生の折り、東方から占星術の学者たちがやって来て、ベツレヘムで幼子に会い、礼拝して贈り物を献げ、自分たちの国へ帰って行きました(マタイ福音書2章1節以下)。彼らはしかし、占星術によって幼子イエスを見出すことが出来たというわけではありませんでした。

 

 彼らはヘロデ王に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(同2節)と尋ねました。それに対し、宗教指導者たちはそれは「ユダのベツレヘムです」(同5節)と答え、その根拠として、ミカ書5章1節の言葉を示します(同6節)。

 

 それに従って出かけると、東方で見た星が彼らを幼子の生まれた家に導きました(同9節)。占星術の学者たちを東方から幼子のいるところまで、星がずっと導いていたというわけではありませんでした。彼らは途中で星を見失っていたわけで、だから、ヘロデの王宮を訪れ、王子の所在を尋ねたのです。

 

 幼子を礼拝した後、彼らは夢で神のお告げを受けて、ヘロデのところに寄らない、別の道を通って帰ります(同12節)。それは、占星術でこれからの振る舞いを考える道を離れ、神の御言葉に従う道を進むことにしたことを、象徴的に示す行動でしょう。彼らは主に聴き従うことを学び、その確かさを経験したのです。

 

 真実な愛をもって私たちを愛し、御子キリストを通してその愛を私たちに示された主なる神を信じ、日々、その真実な御言葉に耳を傾け、絶えず主の御心を尋ね求めつつ、聖霊の導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、あなたの憐れみを受け、恵みに与って、時宜にかなった助けをいただくため、大胆に恵みの座に近づきます。私たちの手と心を清めてください。新しい確かな霊を授けてください。あなたを慕い求めます。私たちには明日のことは分かりません。ですから、あなたの導きに従います。主の御業のために私たちを用いてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「あなたは年に三度、わたしのために祭りを行わねばならない。あなたは除酵祭を守らねばならない。七日の間、わたしが命じたように、あなたはアビブの月の定められた時に酵母を入れないパンを食べねばならない。あなたはその時エジプトを出たからである。何も持たずにわたしの前に出てはならない。」 出エジプト記23章14,15節

 

 冒頭の言葉(14節)で、年に三度、主なる神のために祭りを行えと命じられています。それは先ず、春の除酵祭であり(15節)、次に畑の初物の刈り入れの祭り(16節)、そして産物の取り入れの祭り(16節)です。そのことについては、34章18~23節に再度記され、レビ記23章にも細かく規定されています。

 

 「祭りを行う」と訳された「ハーガグ」という言葉は、本来「巡礼の祝祭を守る」という意味です。祝祭を守るために、日々の仕事や生活を離れて、巡礼しなければならないということです。

 

 除酵祭を祝う春の大麦の刈り入れの頃、イスラエルの民はエジプトの国を脱出しました。それを過越祭として祝い、続く7日間、酵母を入れないパンを食べながら神に感謝する除酵祭を祝うのです(レビ記23章5~14節など参照)。

 

 大麦の刈り入れから7週間後、初夏を迎える頃、小麦の収穫を祝う七週祭を行います(同23章15~22節など参照)。後にこれは、シナイ山で十戒を授けられたことを祝う祭りとなります。

 

 畑の産物の取り入れの祭りは、秋のぶどうの収穫を喜び祝う祭りで、収穫したぶどうからぶどう酒を作る作業をするため、郊外に仮小屋を建て、作業を続けます。それが、40年間シナイの荒れ野を旅して過ごした天幕生活を偲ばせることから、仮庵祭として祝われるようになります(同23章34~43節など参照)。

 

 新約時代には、仮庵祭の期間中、毎日シロアムの池の水を、朝夕の供え物と共に祭壇に注ぐという行事が行われました(ヨハネ福音書7章37,38節参照)。一種の雨乞いのようです。こうして、イスラエルの人々は農業の収穫祭を、エジプトの奴隷生活から解放された救いの出来事と重ねて祝うように導かれました。

 

 子や孫から、どうしてこのような祭りを行うのかと尋ねられたときに、収穫をお与えくださった神に感謝しているというだけでなく、苦しい奴隷生活をしていたイスラエルの先祖たちを神が憐れみ、そこから救い出してくださった出来事を、こうして記念しているのだと、子々孫々に語り継ぐのです。

 

 そしてこの伝統は、キリスト教にも引き継がれています。過越祭は、主イエスの受難と復活を祝うイースター(復活祭)となりました。七週祭は、聖霊降臨を祝うペンテコステ(五旬祭)となりました。仮庵祭は収穫感謝祭ですが、キリスト教会はそれに代わる祭として、「年の終わりに」(16節)主イエスの誕生を祝うクリスマス(降誕祭)があって、年に三度、主の前に大きな祭りを行っています。

 

 冒頭の言葉(15節)の中に、「何も持たずにわたしの前に出てはならない」という言葉があります。もともと三大祭は収穫祭なのですから、「土地の最上の初物」(19節)を主の宮に携えて来ることが規定されているわけです。

 

 ただし、イスラエルの民がエジプトを出て40年、シナイの荒れ野を彷徨っていたときには、この規定は意味をなしません。畑に蒔いて刈り入れたり、果物を収穫することなど、出来はしないからです。ということは、必ず約束の地に入り、豊かな産物を手にするときが来ることを、こうして予め示していたということになります。

 

 ところで、「何も持たずにわたしの前に出てはならない」という規定は、今どうなっているのでしょうか。勿論、取り消されたわけではありません。何も持たずに主の前に出るとは、それは、神の恵みに対する感謝の心を持たずに、ということでしょう。

 

 私たちは、心ばかりのものですといって、贈り物をします。贈り物で心の内を示しているわけです。その意味では、どんなに豪華な献げ物をしても、感謝の心が伴わないままであれば、「何も持たずに」ということになってしまうのではないでしょうか。

 

 主イエスが、金持ちがたくさんの献金を賽銭箱に入れるのを見られ(ルカ21章1節)、そして、貧しいやもめがレプトン銅貨2枚(今日のお金にして約100円)献げたのを御覧になって(同2節)、「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」(同3節)と言われました。それは何よりも、その女性の心を御覧になっての賛辞だったのです。

 

 私たちの心が主への感謝と喜びに満ちていれば、それにふさわしい献げ物を主の御前に携え行くことでしょう。主を喜び祝うことこそ、私たちの信仰の生活の力の源だからです(ネヘミヤ記8章10節)。

 

 「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」(ヘブライ書13章15,16節)。

 

 主よ、あなたは慈しみ深く、憐れみに満ちた方です。その恵みによって、私たちは主の救いに与りました。あなたの恵みに応える術を知りませんが、感謝と喜びをもってこの身を献げ、日々御名を褒め称えつつ主の導きにお従いします。御業のために用いてください。福音宣教の働きが、主にあって力強く前進しますように。 アーメン

 

 

「主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。」 出エジプト記24章16節

 

 イスラエルの民が、自分たちをエジプトの奴隷の家から導き出してくださった主なる神と、シナイ山のふもとで契約を結びます。契約書には、十戒からはじまる神の言葉が記されています(20~23章)。

 

 契約の主文は、19章5,6節の「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる」という言葉です。

 

 モーセは、山のふもとに祭壇を築き、12部族に因んで12の石の柱を契約の記念として建てました(4節)。そして、若者たちに焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を献げさせました(5節)。そして、雄牛の血の半分を取って祭壇に注ぎかけ(6節)、契約の書を読み聞かせて、イスラエルの民に「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(7節)と言わせます。

 

 それから、残りの血をイスラエルの民にふりかけ、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」(8節)と宣言します。いけにえとなった雄牛の血が、祭壇に象徴されている主なる神と、祭壇の前で主の御言葉に従うと約束したイスラエルの民とを結ぶしるしということです。

 

 興味深いのは、契約を「結ぶ」(8節)というのは、原文では「切り離す、切り落とす」という意味の「カーラト」という言葉が用いられていることです。

 

 この言葉遣いについて、故関谷定夫先生(元西南学院大学名誉教授・聖書考古学)から、二つに切り裂かれた動物の間を松明の火が通って、主なる神がイスラエルの父祖アブラハムと契約を結ばれたという創世記15章の記事から、もしも契約を破るならば、そのように二つに切り裂かれてもよいということで、「契約を切る(結ぶ)」という言葉になったと伺いました。

 

 ヘブライ語辞典には、契約のためにいけにえとして献げた動物を、共に食するために切り分け、分配したことから、そのような言葉遣いになっているという説明が付けられていました。その語源について、様々な解釈があるということでしょう。

 

 主イエスの十字架の死によって、神と民との間に新しい契約が結ばれました。最後の晩餐の席で、主イエスはパンを取って、「取りなさい。これはわたしの体である」と言われ、杯を取って、「これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました(マルコ14章22節以下)。

 

 十字架で裂かれた主イエスの体を象徴するパンを食べ、十字架でながされた主イエスの血潮を象徴する杯を飲む者は、主イエスの命に与り(ヨハネ6章53節以下)、神と和解させていただいたのです。

 

 契約を結んだ後、主がモーセを招かれます(12節)。教えと戒めを記した石の板を授けると言われるのです。モーセは、ヨシュアを連れて神の山に登ります(13節)。すると、雲が山を覆いました(15節)。19章9節で「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む」と主は言われていました。

 

 雲は神の姿を隠しますが、その雲は神の臨在のしるしなのです。モーセが主なる神に命じられたとおりに神の幕屋を建設し終えたとき、雲が臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちました(40章34節)。また、ソロモンが壮麗な神殿を建て、契約の箱を安置したときにも、神殿に雲が満ち、そこに神の栄光が現れました(列王記上8章1節以下、10,11節)。

 

 冒頭の言葉(16節)で、六日間、雲が山を覆っていて、七日目にようやく主の御声が聞こえたということです。18節に「モーセは四十日四十夜山にいた」とありますので、7日目に主の声が聞こえた後34日間は主との交わりの中にいたということでしょう。ところで、いったいモーセは最初の六日間、山の上で何をしていたのでしょうか。

 

 申命記9章9節に「わたしが石の板、すなわち主があなたたちと結ばれた契約の板を受け取るため山に登ったとき、わたしは四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず水も飲まなかった」とあります。これは、食べ物、飲み物がなかったということではなく、ひたすら主の御声を待って、賛美と祈りをささげていたということではないでしょうか。

 

 雲に覆われて何も見えはしません。神の御声も聞こえません。六日間待たされたというのは、モーセが心穏やかに主と主の御言葉に信頼し、主を畏れてその道を歩もうとするかどうか、神が試されたということかも知れません。

 

 がしかし、雲の中に満ち溢れている神の栄光に包まれていて、人知では測り知ることの出来ない神の平安、神の平和が、モーセの心と体を満たして、食事する必要すら感じなかったのでしょう。そして、七日目に神の語りかける言葉を聞いたとき、いよいよ豊かに心満たされたことでしょう。

 

 私たちは、神の口から出る一つ一つの言葉で生かされるからです(申命記8章3節、マタイ福音書4章4節)。命を与える主の言葉に日々耳を傾け、その導きに素直に従って参りましょう。

 

 主よ、あなたの限りない愛と慈しみにより、極東に住む私たちのところにまで、福音が伝えられて来ました。十字架で贖いの業を成し遂げてくださった主イエスを信じる信仰によって、新しい契約に与る恵みを得ました。感謝しつつ、賛美しつつ、御前に進みます。御言葉に聞き、御旨に従います。いつも、全力を尽くして神の業に励むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしのために聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。」 出エジプト記25章8節

 

 主はモーセに対し、「イスラエルの人々に命じて献納物を持って来させなさい。あなたたちは、彼らがおのおの進んで心からささげるわたしへの献納物を受け取りなさい」(2節)と仰せになりました。それは、冒頭の言葉(8節)のとおり、イスラエルの民の中に住まわれると言われる主のための「聖なる所」、すなわち、神の幕屋とそのすべての祭具(9節)を作らせるためです。

 

 献納するように言われたのは、金、銀、青銅という金属材料(3節)、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛(4節)、赤く染めた雄羊の毛皮、じゅごんの皮(5節)、アカシヤ材という木材(5節)、灯火のための油、種々の香料(6節)、ラピス・ラズリやその他の宝石類(7節)です。

 

 最初に作るように命じられたのは、箱です(10節)。その中に、主がイスラエルの民に授けてくださる「掟の板」を納めます(16節)。それで「掟の箱」(22節、26章33節、16章34節など)と言われます。この箱は、垂れ幕の奥(26章33,34節、40章21節)、つまり至聖所に置かれて、垂れ幕の手前、つまり聖所からは見られないようになっていました。

 

 箱の材料に用いるアカシヤの木は、普通直径40~50センチ、樹高5~10メートルに至るまめ科アカシヤ属の木です。自らを守るために鋭いとげがあります。まめ科なのでよく乾燥に耐え、根を深く張り、根粒バクテリアをもって自ら空気中の窒素を取り込んで、養分とします。

 

 アカシヤ材はオレンジ色で、堅くて鋸や鉋などで加工するのは容易くありませんが、病虫害に強く腐り難いし、乾燥で収縮が少なく摩耗に非常に強い、衝撃や曲げにも強いという、木材として優良な特徴を持っているので、建築材や家具など利用価値があります。これは、荒れ野で鍛えられたからこその堅牢さなのでしょう。

 

 次に、贖いの座を純金で作ります(17節)。それから、ケルビムを作って贖いの座につけます(18,19節)。ケルビムは複数形で、単数形はケルブです。だから、岩波訳はケルビムを「ケルブたち」と訳しています。ケルブとは、スフィンクスのように頭は人間、体は動物、4本の足に二つの羽を持つ天上の生き物です。

 

 創世記3章24節では、エデンの園から追い出されたアダムたちから命の木を守るため、園の東に置かれたと言われています。ここでも、掟の箱とその中に納められた掟の板を守る役割が、贖いの座に設置されたケルビムに与えられていると考えてよいでしょう。

 

 また、サムエル記上6章2節の「ケルビムの上に座す万軍の主の御名によって」という言葉や、サムエル記下22章11節の「(主は)ケルビムを駆って飛び、風の翼に乗って現れる」という言葉で、主の乗り物としての役割も果たしていたようです。イスラエルの民が移動するとき、主なる神がケルビムを神輿としてその上に座られ、民と共に動かれるものだったのでしょう。

 

 この贖いの座を掟の箱の上において、箱の蓋とします(21節、26章34節)。22節に「贖いの座の上からあなたに臨み」とあるとおり、これは神の臨在を表すものであり、民が主なる神を礼拝するとき、主が人とお会いになる場だということです。

 

 特に、大祭司が年に一度、自分の一族の贖罪のために雄牛を一頭、またイスラエルの民の贖罪のために雄山羊を一頭屠り、それらの血を贖いの座とその前方に振りまき、贖いの儀式を行います(レビ記16:11~17)。だから、「贖いの座」と言われるのです。

 

 次に、アカシヤ材で机を作ります(23節以下)。この机は、主の御前に供える「供えのパン」を置くためのもので(30節)、至聖所の垂れ幕の手前、即ち聖所の北側(至聖所に向かって右側)に置かれます(26章35節、40章22節)。

 

 「供えのパン」は、主の食物というのではなく、主が食べ物、飲み物をお与えくださることへの感謝を表わすためです。つまり、食べ物、飲み物は主のくださるものであるということを示しています。そして、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書4章4節)という言葉から、このパンは、神の言葉を象徴しているということも出来ます。

 

 それから、純金で燭台を作ります(31節以下)。これは主柱の両側に三本ずつ支柱がつけられ、合計七つの枝がある「燭台」(メノラー:31節)です。この燭台は、祭司らが礼拝を行う場所を照らす灯火として、幕屋の中の垂れ幕の手前、即ち聖所の南側(至聖所に向かって左側)に置かれます(26章35節、40章24,25節)。

 

 マタイ福音書3章11節の「その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる」という言葉や、使徒言行録2章3節の「炎のような舌が分かれ分かれに現れ」という言葉から、灯火は聖霊を象徴しているといっても良さそうです。

 

 こうして、主のための「聖なる所」(8節)がかたち作られていきますが、それは何よりも先ず、主の臨在が現され、神を礼拝するところです。賛美をもって絶えず主を心の王座に迎え(詩編22編4節、歴代誌下5章13節参照)、聖霊に満たされ、霊に燃えて主を礼拝しましょう(ローマ書12章11節)。

 

 主よ、あなたが私たちの間に、私たちと共に住まわれ、共に歩んでくださることを感謝致します。主が共におられることに勝る平安、喜びはありません。あなたこそ私たちの希望と平安、慰めの源だからです。心から御名をほめたたえます。日々命の言葉によって生かされ、御霊の力を受けてキリストの証人となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「その垂れ幕は留め金の下に掛け、その垂れ幕の奥に掟の箱を置く。この垂れ幕のはあなたたちに対して聖所と至聖所とを分けるものとなる。」 出エジプト記26章33節

 

 箱や机、燭台に続いて、幕屋を覆う幕(1節以下)、壁板と横木(15節以下)、至聖所の垂れ幕を造ります(31節以下)。15節以下の記事によれば、幕屋には縦10アンマ、横1.5アンマの壁板が用いられます。1アンマはおよそ45センチですから、10アンマは4.5メートル、1.5アンマは67.5センチです。

 

 聖所の南北の壁にはその板を20枚ずつ並べます(18節)。ということは、幕屋の奥行きは30アンマ、約13.5メートルになります。間口は壁板を8枚(22節)、即ち12アンマ、約5.4メートルです。そして幕屋の高さは10アンマ(16節)、つまり約4.5メートルです。この幕屋は、敷地面積22.5坪で、天井の高い大きな立方体であることが分かります。

 

 そのため、幕屋を覆う「幕」(イェリアー)を織るというのは、骨の折れる仕事だったでしょう。長さ28アンマ、幅4アンマの幕を10枚織ります。「亜麻のより糸、青、紫、緋色の糸を使って意匠家の描いたケルビムの模様を織り上げ」(1節)ます。それは、亜麻布に青、紫、緋色の糸でケルビムの刺繍を施すということでしょう。

 

 また、山羊の毛を使って11枚の幕を造り、幕屋を覆う「天幕」(オーヘル)とします(7節)。1枚の幕は、長さ30アンマ×幅4アンマです。さらに、赤く染めた雄羊の毛皮とジュゴンの皮で天幕の「覆い」(ミクセ)を造ります(14節)。この「天幕」と「天幕の覆い」により、雨や風、強い日射から幕屋の「幕」が守られることになります。

 

 こうして、神の幕屋は幾重にも守られているのですが、それは、そこでなされる神への礼拝が何ものにも妨げられないように守るためのものと考えても良いのでしょう。

 

 15節以下に幕屋の壁板と横木の造り方が指示されています。岩波訳は「壁板」(ケレシュ)を「木枠」とし、「一枚の平板とする見方もあるが、細長い材木を枠状に組み合わせた木枠と解する方がよいであろう。その方が重量も軽く、通気性もあり、また、第一の層の豪華なタペストリーやそこに刺繍されたケルブたちの姿を内側から見ることができる」と注をつけています。

 

 横木の取り付け方がよく分かりませんが、おそらく並べた壁板の内外の上と下を固定するために4本の横木が用いられ、壁板の外側の中央の高さに1本取り付けられたのでしょう。それで、正面を除く3方の壁板に5本ずつの横木が作られるのです。この壁板と横木が「幕屋」(ミシュカン)の骨格となり、その上に幕屋の「幕」、「天幕」、「天幕の覆い」が掛けられます。

 

 次に、至聖所の垂れ幕作りについて指示されます(31節以下)。この垂れ幕は、冒頭の言葉(33節)のとおり、幕屋を垂れ幕の前の聖所と垂れ幕の奥の至聖所とに分け隔てするものです。至聖所には贖いの座(掟の箱)が置かれていて、そこに主が臨まれます(25章22節)。聖所は、祭司たちが主を礼拝する場所です。

 

 至聖所と聖所の間に垂れ幕があるのは、罪ある人間が聖なる神を見て、撃たれることがないように、隔ての壁となっているわけです。そこにもケルビムの模様がつけられています。これは、エデンの園の命の木に至る道を守るためにケルビムときらめく剣の炎を置かれたという、創世記3章24節の言葉を思い出させます。人が神の神聖を侵すことは許されないということです。

 

 けれども、その垂れ幕が二つに裂けて、隔ての壁がなくなるときが来ます。それは、主イエスが十字架で息を引き取られたときのことです。そのとき、神殿の至聖所の分厚い垂れ幕が真っ二つに裂けました(マルコ福音書15章38節など)。神殿の前室から至聖所の中を見ることが可能になったのです。

 

 キリストの十字架の死によって罪赦され、すべての汚れから清められた私たちには、もはや神殿の垂れ幕は不要になり、大胆に神に近づけるようになりました(ヘブライ書6章19節、10章20節)。主イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ福音書14章6節)と言われたとおり、主イエスによって父なる神のもとに行く道が開かれたのです。

 

 マタイ福音書では「墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」(同27章52節)と言われています。それは、エデンの園の東で、命の木の番をしているケルビムが退けられて、人が永遠の命に与れるようになったということでしょう。

 

 「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ書4章16節)。

 

 主よ、御子キリストが私たちの罪のためにご自身を献げられ、その後、罪と死の力を打ち破って甦られ、天に上り、永遠に神の右の座に着かれました。イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道を私たちのために開いてくださったので、心清められ、感謝と喜びをもって御もとに近づくことが出来ます。ハレルヤ! アーメン

 

 

「アカシヤ材で祭壇を造りなさい。縦五アンマ、横五アンマの正方形、高さは三アンマとする。祭壇の四隅にそれぞれ角を作り、祭壇から生えているように作り、全体を青銅で覆う。」 出エジプト記27章1,2節

 

 冒頭の言葉(1節)に「アカシヤ材で祭壇を造りなさい」と記されています。幕屋を造る木材はアカシヤ材です。聖書辞典によると、アカシヤはシナイ半島およびエジプトの荒れ野に生育する豆科の落葉喬木で鋭いとげを持ち、葉は羽状複葉、花は金色の小毛鞠形、樹高4~7m、木理は緻密、堅牢、美しいオレンジ・ブラウン色なのだそうです。

 

 荒れ野に生育する樹木なので、イスラエルの民がそれを調達するのは困難ではなかったでしょう。しかし、堅い木で、その上とげまであるというのですから、切ったり細工したりは大変困難だったことでしょう。また、「全体を青銅で覆う」(2節)と記されています。柔らかい銅に錫を混ぜると、硬くて強靱な青銅になります。

 

 このアカシヤ材は私たちのことを象徴しているようです。神の恵みなき荒れ野に育って頑なになり、その上言動にとげがあって周りの者を傷つけます。そして、努力しても、自分で自分を変えることが出来ません。神はしかし、私たちのありのままを受け入れ、そして「主の用なり」と、私たちを尊い主の御業のために用いてくださいます。

 

 それは、主イエスの犠牲の上になされました。主イエスの額にはとげある茨の冠、手足には釘、脇腹には槍。止めどなく血が流れました。その時、流された血潮で主イエスは私たちの罪を覆い、清めてくださいました。アカシヤ材が青銅で覆われたように、私たちの体に主イエスという衣を着せて、主の業に相応しく整えてくださるのです。

 

 祭壇は、神へのいけにえをささげるものです。その祭壇の四隅に角を造れとあります(2節)。角は力を表わしています。贖いの供え物の血を、祭司がこの角に塗りました(レビ記4章7節)。それは、贖いの血で祭壇を清めることですが、また、救いの力を表わしています。

 

 列王記には、ソロモンの怒りを逃れるため、ソロモンの兄アドニヤや軍の司令官ヨアブが祭壇の角をつかんだと記されています(列王記上1章50節、2章28節)。それは、アドニヤが主なる神の贖いの力、救いの力にすがろうとしたということです。

 

 私たちの罪のための贖いの供え物は、牛や羊という動物ではなく、神の御子、イエス・キリストです。その祭壇は、十字架でした。主イエスの十字架は、アカシヤ材で造られていたかも知れません。十字架に主イエスの血潮が流れました。私たちは真の救い主、主イエスの十字架のもとにひざまずき、より頼んでいます。主の十字架を通して魂の救いを得、恵みと平安とに与ることが出来ました。

 

 祭壇は、幕屋を囲む庭に置かれます。幕屋を囲む庭を造るようにと、9節以下に指示されています。この幕屋を囲む庭は、イスラエルの民が神を礼拝する場所です。かつては、礼拝する場所が国籍や性別、職業などにより区別されていました。

 

 幕屋の中には祭司、レビ人しか入れません。垂れ幕の奥の至聖所には、大祭司しか入れません。一般の人々は幕屋の庭で礼拝を捧げました。人々が礼拝する場所に、祭壇が置かれています。これは、礼拝には供え物が必要であり、まず供え物を捧げてから礼拝がなされたということを意味しています。私たちの礼拝の供え物は何でしょうか。

 

 詩編100編4節に「感謝の歌を歌って主の門に進み、賛美の歌を歌って主の庭に入れ」と歌われています。私たちのために主イエスが贖いの供え物となってくださった今、私たちの礼拝の供え物は何よりも、主への感謝、主への賛美です。「賛美のいけにえ」(ヘブライ書13章15節)という言葉もあります。礼拝でささげる献金は、主なる神への感謝と賛美のしるしなのです。

 

 また、詩編84編2~3節に「万軍の主よ、あなたのいます所は、どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです」とあり、同5節にも「いかに幸いなことでしょう、あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら」と歌われています。

 

 主の庭に入って礼拝することは、詩人にとって慕わしいことであり、出来ればそこに住みたいというほどのことなのです。彼は、主と交わり、主と語らい、主を賛美する恵みを深く味わっているのです。そして、そこから離れたくない。いつも主の御前にいたい、主の御前で生活したい。生活を通して絶えず主を賛美したいと詠っているのです。

 

 イエス・キリストの誕生の時、「その名はインマヌエルと呼ばれる」(イザヤ書7章14節)という預言者の言葉が実現するためだったと告げられ(マタイ福音書1書22,23節)、インマヌエルとは「神が私たちと共におられる」という意味だと、そこに説明されています。イエス・キリストの降誕は、これから常に神が私たちと共にいてくださるということだと教えているのです。

 

 今日、キリストの御霊が、主イエスを信じた私たちのからだを、聖霊の宮としてお住まいくださっています(第一コリント書3章16節、6章19節)。私たちは主イエスの血潮により(ヘブライ書9章12,14節、第一ヨハネ書1章7節など)、御言葉を通して清められました(エフェソ書5章26節)。私たちの祭壇から絶えず芳しい賛美の供え物、感謝の供え物が神に捧げられているでしょうか。

 

 主のご命令に従って、まず祭壇を造りましょう。賛美と祈りを通して、主と共にある恵みを深く味わわせていただきましょう。いよいよ深く、熱く、主と交わり、御霊に満たされましょう。そして、心から絶えず主に感謝し、主を賛美しましょう。

 

 主よ、御子キリストを通して賛美のいけにえ、即ち御名をたたえる唇の実を、絶えずあなたに献げます。永遠の契約の血による大牧者、私たちの主イエスを死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによって私たちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものを備えてくださいますように。 アーメン

 

 

「あなたの兄弟アロンに威厳と美しさを添える聖なる祭服を作らねばならない。」 出エジプト記28章2節

 

 28章には、アロンとその子らが身につける祭服(祭司としての装束)についての規定が記されています。それは「胸当て、エフォド、上着、格子縞の長い服、ターバン、飾り帯」(4節)の六つです。6節以下にエフォド、15節以下に胸当て、31節以下に上着、そして39節以下に格子縞の長い服・ターバン・飾り帯の作り方が記されています。

 

 なお、祭司の祭服で4節に記されていないものとして、36節以下に額当て、そして42節にズボンの作り方が記されています。42節のズボンは、アロンだけでなく、アロンを補佐する子らの衣服でもあります。一方、ここに履物の記述がありません。それは、神の幕屋で祭司たちが務めを行うときには、裸足になっているということなのでしょう(3章5節参照)。

 

 これらの祭服について、冒頭の言葉(2節)では、「威厳と美しさを添える聖なる祭服」と言われています。即ち、威光と尊厳ある主に仕える者として、その務めに相応しい服装を身につけるということです。

 

 そして43節で、「アロンとその子らがそれを身に着けていれば、臨在の幕屋に入ったとき、あるいは聖所で務めをするために祭壇に近づいたとき、罪を負って死を招くことがない」と言われています。ということは、祭服が彼らを神の裁きから守る役割を果たすことになります。

 

 エフォドとは、チョッキのようなものであろうと想像されますが、正確なところはよく分かりません。肩紐にイスラエル12部族の名を彫りつけたラピス・ラズリがつけられています(9節)。「イスラエルの子らのための記念の石」(12節)とあることから、エフォドを身につけることで、12部族の代表者であることを表わすことになります。

 

 サムエル記上23章9節、30章7,8節では、エフォドは神の御心を尋ねることと関連しています。士師記8章27節、17章5節、ホセア書3章4節では、エフォドは服飾品を意味してはいないようです。

 

 胸当てにも、12部族の名が彫り付けられた12の宝石が付けられています(17節以下、21節)。「裁きの胸当て」(15,29,30節)と呼ばれていますが、それは、イスラエル12部族のために神の裁定を求めて、胸当てに入れられている「ウリムとトンミム」(30節)を用いるからです。

 

 「ウリムとトンミム」とは、祭司が神託を求めるときに用いる、くじのようなものだと考えられています(民数記27章21節、サムエル記上28章6節)。それがどのようなものなのか、どのように用いられたのか、正確なところは分かりません。後に預言者が登場して来て、ウリムとトンミムが用いられなくなり、姿を消してしまったようです。

 

 また、上着の裾には、金の鈴とざくろの飾りが付けられました(33,34節)。ザクロの飾りはおもりの役割を果たし、上衣がずれ上がるのを防いだようです。金の鈴は、その鈴の音が聞こえることで、「死を招くことがない」(35節)ようにするということですが、それは、この上衣を着ている者が神の祭司であり、聖所の務めを行おうとしていることを神に知らせるということでしょう。

 

 のみならず、祭司自身が神の御前で奉仕していることを常に意識するため、また、祭司が聖所で務めを行っていることを知って、民が共に神を礼拝するためにも、鈴の音を響かせていたのではないでしょうか。

 

 ターバンには、「主の聖なる者」(36節)と彫られた純金の花模様の額当てが付けられました。「主の聖なる者」とは、主なる神の目的のために聖別された人ということです。「これがアロンの額にあれば、アロンは、イスラエルの人々がささげる献げ物、つまり、聖なる献げ物に関して生じた罪を負うことになる」(38節)と言われます。

 

 祭司の務めは、民を代表して神にいけにえをささげ、民のために執り成し祈ることで、そのとき、祭司は民の罪を負っているわけです。額に「主の聖なる者」という札を付けることについて、黙示録7章4節以下で、神の僕たちの額に刻印が押されることが記されています。それは、「小羊の名と、小羊の父の名」(14章1節)を記すものでした。

 

 小羊とその父の名は「主=ヤハウェ」です。小羊なる主イエスは、私たちのすべての罪を背負い、自らを罪の贖いの供え物として十字架についてくださった方です(ローマ書3章25節、第一テモテ書2章6節)。父なる神は、十字架の死に至るまで従順であられた主イエスに、「あらゆる名にまさる名」(フィリピ書2章9節)すなわち、至高の「主=ヤハウェ」の名を授けられたのです(同11節)。

 

 パウロは、「バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」(ガラテヤ書3章27節)と言いました。それはまさしく、私たちが罪赦され、清められた者であり、裁かれることなく死から命に移された者であることを示しています(ヨハネ5章24節)。

 

 アロンの祭服は、その豪華さによって「威厳と美しさ」を表したのかも知れませんが、私たちは、主の霊の働きにより、鏡のように主イエスの栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていくのです(第二コリント3章18節)。

 

 主が私たちのためにご自身を献げられたように、私たちも神の憐れみにより、自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げましょう。それこそ、私たちのなすべき礼拝だからです(ローマ書12章1節)。

 

 主よ、私たちは土の器の中に、主イエスの命という宝を納めています。それは、死ぬはずのこの身に主イエスの命が現れるためです。キリストの福音を宣べ伝えます。今こそ、恵みのときであり、救いの日だからです。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「彼らは、わたしが彼らの神、主であることを、すなわち彼らのただ中に宿るために、わたしが彼らをエジプトの国から導き出したものであることを知る。わたしは彼らの神、主である。」 出エジプト記29章46節

 

 祭服についての規定に続いて、本章では、祭司を聖別する儀式について記しています。まず任職の儀式の準備として、雄牛と小羊を種入れぬパンなどと共にささげ(1節以下)、アロンとその子らを臨在の幕屋の入り口で清めます(4節)。次に、祭服を着用させ(5節以下)、聖別の油を頭に注いで聖別します(7節)。

 

 「任職式」(9節)は、「手を満たす」という言葉です。これは、聖職者への任職行為を表す専門用語(28章41節、レビ記8章33節、士師記17章5節など)で、任職に際して、実際に祭服かささげるべき犠牲などが手渡されたことに由来する表現だろうと考えられています(24節、レビ記8章27,28節参照)。

 

 任職式のはじめに、「贖罪の献げ物」(14節)として若い雄牛一頭をささげます(10節以下)。次に「焼き尽くす献げ物」「宥めの香り」(18節)として、雄羊一匹をささげます(15節以下)。

 

 続いて、任職のため雄羊をもう一匹取り(19節)、それを屠って血を取り、その一部をアロンとその子らの右の耳たぶと右手の親指と右足の親指とに付け、血を祭壇の四つの側面に注ぎかけます(20節)。また、血の一部と聖別の油の一部でアロンと子らの祭服に振りまき、聖別します(21節)。

 

 血を右の耳たぶ、右手と右足の親指につけるのは、清めの儀式と考えられますが、耳につけるのは、耳が開かれて神の御言葉を聴くことが出来るようになるためでしょう。それと同様、手は御言葉に従って祭司の務めを全うすることが出来るように、足は御心に適う道を歩むことが出来るようになるためでしょう。

 

 聖書の「聖」という文字は、「耳」と「呈」に分けられます。即ち、耳をささげるというのが、「聖」の字の意味するところです。耳がよくとおって神の声を聞きとることが出来る人、それゆえ、知徳の最も優れた人を、「聖(ひじり)」、「聖人」というようになりました。つまり、「聖」という漢字を作った人の思いは、道徳的な清さというよりも、神との関係の正しさを重要視しているわけです。

 

 そこから、「聖書」とは、神の声を聞くことの出来る書物ということになります。主イエスが「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ福音書4章9,23節、7章16節など)と言われました。聖書を通して耳が開かれ、聞くべき神の御言葉を聴くことの出来る耳のある者にならせて頂きたいと思います。

 

 ヤコブ書1章21節に「あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」とあり、続く22節に「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」と言われています。耳で聞いた御言葉を、手と足で行う者とならせて頂きましょう。

 

 次に、雄羊の脂肪と右足を切り取ります(22節)。また、一塊のパン、輪形のパン、薄焼きパンを取ります(23節)。それらをアロンとその子らの手に載せ、主の御前に「奉納物」(テヌーファー:「揺り動かし、波のような動き、揺祭」の意)としてささげさせます(24節)。そして、それらを焼き尽くす献げ物と共に祭壇の上で煙にします(25節)。

 

 そうして、この任職の儀式を7日間行います(35節)。祭司として聖別され、専ら神に仕える者となるために、儀式が7回繰り返されるわけで、祭司として任職されるために、主なる神への完全な献身が求められているということです。

 

 続いて38節以下に、「日ごとの献げ物」についての規定が記されています。日ごとの献げ物として、一歳の雄羊一匹と、四分の一ヒンのオリーブを砕いて取った油を混ぜた、十分の一エファの小麦粉、そして四分の一ヒンのぶどう酒を、朝と夕に、それぞれの規定に従って主の御前で燃やして献げます。

 

 四分の一ヒンとは約1リットル、十分の一エファは一オメルで、約2.3リットルです。量として、それほど大量ということでもありませんが、しかし、それを毎朝晩、献げるということは、オリーブ、小麦、ぶどうの収穫が安定していて、必要な量が絶えず確保出来るということが、必須条件となります。それらを保存するための施設も必要です。

 

 今はまだ、荒れ野をさすらう生活をしていて、安定的に小麦粉やオリーブ油、ぶどう酒を確保するというのは、不可能です。ということは、これからこの規定を守るということになるのですから、主が、彼らのために小麦やオリーブ油、ぶどう酒を豊かに供給されるということ、それはつまり、モーセに率いられたイスラエルの民が、約束の地カナンに安住出来るようになるということを示しているわけです。

 

 主なる神は、「わたしはイスラエルの人々のただ中に宿り、彼らの神となる」(45節)と言われ、そして冒頭の言葉(46節)を告げられました。イスラエルをエジプトの国から導き出した神が、彼らを約束の地へと導き入れ、地の産物を豊かにお与えくださるのです。それゆえ、日ごとに主への献げ物をするということは、彼らが主をおのが神とすることであり、彼らが神の民であるという証しです。

 

 神はイスラエルを神の民とするため、そして彼らのただ中に宿られるために導き出されました。シナイ山に下られた神が、さらに山を下って民の間に住まわれるようになったのです。私たちの主イエスは、「インマヌエルと呼ばれる」(マタイ1章23節)お方です。

 

 神の右の座から、この世に降って来られ、人となられました。主イエスに向かい、朝ごとに夕ごとに、賛美のいけにえを献げ、また時間を聖別して御言葉に耳を傾けましょう。そのとき、主が私たちを罪の呪いから解放してくださった神であられ、私たちの内に、私たちと共におられるお方であることを心と体で味わい知るのです。

 

 主よ、あなたは天地万物を創造され、御手の内にすべてを支えておられます。私たちのような者にまで目を留め、私たちの内に住い、共に歩んでくださいます。その恵みに感謝しつつ、朝ごとに夕ごとにあなたの御前に進み、御言葉に耳を傾けます。私たちの耳を開いてください。御心を悟り、御業を行うために私たちの手と足を用いてください。 アーメン

 

 

「アロンはその祭壇で香草の香をたく。すなわち、毎朝ともし火を整えるとき、また夕暮れにともし火をともすときに、香をたき、代々にわたって主の御前に香りの献げ物を絶やさぬようにする。」 出エジプト記30章7,8節

 

 主は、アカシヤ材で香をたく祭壇を造るように命じられます(1節以下)。この祭壇は、掟の箱を隔てる垂れ幕の手前、即ち聖所に置かれます(6節)。聖所の入り口から中に入ると、右手にパンの供え物を置く机、左手に七つ枝の燭台が置かれ、正面にこの香をたく祭壇があります。そして、掟の箱を隔てる垂れ幕の向こうに掟の箱が置かれ、そこが至聖所と呼ばれる場所ということになります。

 

 ヘブライ書9章3,4節には「第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって」と記されていて、香をたく祭壇が至聖所にあるという理解が示されています。

 

 けれども、冒頭の言葉(7,8節)にあるとおり、祭司たちが毎朝晩、七つ枝の燭台のともし火を整えるときに、祭壇で香草の香をたくためには、この祭壇が垂れ幕の前、つまり聖所に置かれている必要があります。というのは、至聖所には大祭司が一年に一度、贖罪日にしか入れないからです(レビ記16章、ヘブライ書9章7節)。

 

 少数ながら、写本の写字生の中にこの誤りに気づき、記述を正そうと考えて、「金の香壇と」をヘブライ書9章2節に移して、至聖所ではなく「第一の幕屋」即ち聖所の中に香壇があるようにした写本もあります。

 

 ただ、レビ記16章12,13節に「主の御前にある祭壇から炭火を取って香炉に満たし、細かい香草の香を両手にいっぱい携えて垂れ幕の奥に入り、主の御前で香を火にくべ、香の煙を雲のごとく漂わせ、掟の箱の上の贖いの座を覆わせる。死を招かぬためである」とあります。

 

 ここでは、香炉に炭火を入れ、両手一杯に香を携えて垂れ幕の奥、すなわち至聖所で主の御前で香をたくのですが、その際、香の祭壇が至聖所に置かれているかのように読むことも出来ます。しかし、炭火を入れた香炉に香草の香を入れてたくと思われるので、香の祭壇が必ずしも至聖所に置かれている必要はないわけです。

 

 至聖所に入って務めをなす大祭司が、香の煙を雲のごとく漂わせ、掟の箱の上の贖いの座を覆わせるのは、大祭司が死を招かないようにということですが、それは、雲が臨在の幕屋を覆って主の栄光が幕屋に満ちたという出来事を思わせ、雲のごとき香の煙によって神の栄光を覆い、大祭司がそれを直接見ることがないように守るということでしょう。

 

 また、民数記17章11節に「香炉を取り、それに祭壇の火を入れ、香を載せ、急いで共同体のもとに行って、彼らのために罪を贖う儀式を行いなさい。主の御前から怒りが出て、もう疫病が始まっている」とあります。

 

 モーセらに逆らって不平を行っているイスラエルの民に対して、主なる神が怒りを発せられ、疫病が始まっているので、祭司アロンが民のための贖いの儀式を行うのですが、それによって災いが取り除かれたことから(同12,13節)、祭壇の炭火が民の罪を清める働きをするということが分かります。

 

 このことは、神殿にいたイザヤが、主の預言者として選び立てられるとき、セラフィムのひとりが祭壇から火鋏で取った炭火を持って来て、イザヤの口に触れさせ(イザヤ書6章6節)、「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」(同7節)と言ったという箇所からも確認出来ます。

 

 毎日、香の祭壇で香草の香をたくように命じられているのは、聖所で働く者たちを守るためであり、また彼らを清めるためにそれをせよと言われているということでしょう。

 

 ヨハネ黙示録に、香は祈りの象徴として登場します(黙示録5章8節、8章3,4節)。詩編の記者も、「わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとし、高く上げた手を、夕べの供え物としてお受けください」(詩編141編2節)と詠っていて、旧約時代から同様に理解されていたことが分かります。

 

 それは、朝に夕に芳しい香りが香の祭壇から立ち上るごとく、祭司たちだけでなく、多くのイスラエルの民が、主なる神の御前に絶えざる祈りをささげていたということでしょう。そして、かつては神の幕屋、またエルサレム神殿の至聖所の前にしか、香壇はありませんでしたが、今日では、主を信じる信徒たちが祈りをささげるとき、そこに香壇が置かれているかのようです。

 

 私たちにとって香の祭壇とは、聖霊のようです。聖霊は私たちを「イエスは主である」と告白する信仰に導き(第一コリント書12章3節)、また祈りに導きます。ゼカリヤ書12章10節に「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ」とあります。私たちは聖霊によって「アッバ、父よ」と神を呼ぶことが出来るのです(ローマ書8章15節、ガラテヤ4章6節も)。

 

 そして、聖霊は弱い私たちのために、言葉に表せない呻きをもって執り成し祈ってくださいます(ローマ書8章26節)。それゆえ、神が私たちのために、万事を益となるよう共に働いてくださるのです(同28節)。

 

 また、聖霊は主の証人となる力を与えます(使徒言行録1章8節)。そのことについてパウロは、「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます」(第二コリント2章14節)と言います。福音宣教を香りにたとえて語っているわけです。

 

 朝ごとに夕ごとに、主なる神の御前に進み、何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けましょう。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、私たちの心と考えとを、キリスト・イエスにあって守ってくださいます(フィリピ書4章6,7節)。

 

 主よ、私たちを朝ごと夕ごとに、御言葉と祈りに導き、御旨を悟らせ、またそれを行う力を授けてください。御名が崇められますように。御心が地の上で行われますように。全世界にキリストの福音が告げ知らされ、イエスを主と信じ、告白する信仰の導きが与えられ、喜びと平和が満ち溢れますように。 アーメン

 

 

「あなたたちは、わたしの安息日を守らねばならない。それは、代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのものである。」 出エジプト記31章13節

 

 25章以下、神がイスラエルの民の中に住むために聖なる所を造るようにと、神の幕屋作りが命じられ(25章8節)、さらに祭司の服装(28章)や聖別の儀式などが定められましたが(29章)、最後に、冒頭の言葉(13節)のとおり「安息日を守らねばならない」という規定が与えられています。

 

 十戒の第4戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」と規定されていました(20章8節)。安息日を守ることについて、17節に「主は六日の間に天地を創造し、七日目に御業をやめて憩われたからである」と、その理由が説明されています(20章11節、申命記5章15節も参照)。

 

 それを意識してのことでしょうけれども、実は25章の幕屋建設の指示以下、「主はモーセに仰せになった」という言葉が、25章1節、30章11節、17節、22節、34節、31章1節と用いられてきて、この安息日厳守の指示のため、「主はモーセに言われた」(12節)と記すのが、ちょうど7回目になるのです。まるで、幕屋建設が天地創造になぞらえられているようなかたちです。

 

 「安息日」(シャバット)は、「やめる」(シャーバト)という動詞に由来します。17節の「(御業を)やめて」がその動詞です。その意味で、安息日というのは、自分のための働きをやめて安息する日であり、その休みが神から与えられた賜物であることを喜ぶ日なのです。

 

 だから、六日間働き、そして主の安息日に憩いの時を持つとき、私たちは主の創造の秩序に参与しているのであり、主の安息日を守ろうとしないことは、神の創造の秩序を破壊する行為になるわけです。ゆえに、安息日を守ってそれを聖なる日とすることを怠る者は、それを汚す者として、「必ず死刑に処せられる」と言われるのです(14,15節)。

 

 この安息日規定が神の幕屋作りを命じている文脈に置かれているということで、神のための幕屋作りにイスラエルの民が最善を尽くし、完成のために精一杯の努力と献身が求められるところですが、しかし、それを安息日を守ることに優先させてはならないと、ここに厳命されているわけです。

 

 冒頭の言葉(13節)では、安息日を守ることが、「代々にわたってわたしとあなたたちとの間のしるしであり、わたしがあなたたちを聖別する主であることを知るためのもの」と言われます。この言葉から、安息日を守るとは、ただ自分の仕事を休むということではなく、主と私たちとの関係を表わすためにその日を聖別する、神のために取って置く日とすることと示されます。

 

 すなわち、安息日を聖別することは、その日を他の六日間と区別して、それを主のための日とすることであり、それは、すべての時間を自分のものとして好き勝手に使うことは出来ないこと、本来、時は主のものであると認めることです。主こそが、「時」を御自分のものとして、自由に用いる権利を有しておられるお方なのです。

 

 ですから、私たちが人間的な努力をやめ、私たちの一切の重荷、問題をすべて主の御手に委ねるとき、主が私たちのためにいかなる安息をお与えくださるかを、本当に知り、味わうことが出来るのです(詩編37編3節以下、46編11節、55編23節、箴言16章3節、イザヤ書30章15節、フィリピ書4章6,7節など参照)。

 

 主イエスは、ベトザタの池の傍らで38年も病気に苦しんでいた人を、安息日に癒されました(ヨハネ福音書5章1節以下、9節)。それをユダヤ人たちに咎められたとき、主イエスは「わたしの父は今もなお働いておられる。わたしも働くのだ」(同17節)と仰いました。

 

 主なる神は、私たちに安息を与えるために、今も働いておられると、主イエスは言われるのです。それが、マルコ福音書2章27,28節で、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」と言われていることなのです。

 

 11年前のクリスマス直前、体調不良を訴えて入院した父の腎臓がパンクし、カリウムが排出できなくなりました。カリウムは心臓に影響を及ぼすのだそうで、いつ心停止になってもおかしくないと主治医に告げられました。働きの悪い心臓は人工透析に絶えられず、薬物治療も効果がなく、最期の時を待つばかりでしたが、父の意志に従って延命治療は行わないと決めました。

 

 クリスマスの朝、父の枕元で冒頭の御言葉を読み、「なすべき務めを終えて、永遠の安息に迎え入れられる日が来ているのならば、そのとおりにしてください。まだなすべき務めが残されているのなら、主の安息に与った後、再び立ち上がる力を授けてください。いずれであれ、共に主の栄光を見させてください」と祈りました。

 

 辛そうにしていた父が「アーメン」と和し、笑顔を見せてくれました。このように祈り、心を合わせることの出来る信仰、そして信仰に伴う希望と平安が与えられていることを、共に主に感謝しました。

 

 私たちに安息を与えるため今も働いておられる安息日の主を仰ぎ、主の安息の恵みに共に与らせて頂きましょう。

 

 主よ、あなたは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と私たちを安息に招かれました。主に重荷を委ねることが主を礼拝することであり、安息を喜ぶことが主を賛美することであると知りました。どんな時にも主を仰ぎ、導きに従います。あなたの軛は負い易く、その荷は軽いからです。 アーメン

 

 

「今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば・・。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」 出エジプト記32章32節

 

 イスラエルの民がアロンのもとに来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください」(1節)と要求しました。民は、モーセが山から下りて来ないのを、主なる神に打たれて死んでしまったのではないかと考えたのでしょう。シナイ山が全山煙に包まれ、山全体が激しく震え、雷鳴が轟く(19章16節以下参照)という恐るべき状況の中、モーセは山に登って行ったからです。

 

 そこで、モーセに代わって自分たちを導く神々を造れと、アロンに要求するわけです。ここで、「神々」とは「エロヒーム」という言葉で、これは、尊敬の複数形といわれる言葉遣いです。ですから、聖書中、「神(God)」と訳される場合が少なくありません。

 

 けれども、新共同訳はここで、まことの神と区別するために敢えて「神々」と訳しています(岩波訳も)。そう考える根拠は、13章21節で「主は彼らに先立って進み」というときの動詞は3人称単数ですが、ここで「我々に先立って進み」というのは、3人称複数形になっているからです。

 

 同様に、4節の「神々」も同じ「エロヒーム」ですが、「導き上った」(ヘエルー)というのが3人称複数形の動詞なので、そのように訳されているわけです。ただ、祭司アロンが実際に「神々」と言い、「導き上る」に3人称複数形の動詞を用いたとは考え難く、出エジプト記の著者がアロンと民の過ちを明示するための言葉遣いなのだろうと思われます。

 

 主とイスラエルとの契約締結について記している24章3節に、「モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、『わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います』と言った」とあります。

 

 既に十戒(20章)が与えられ、「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない」(20章4節)という戒めを聞いていました。

 

 それにも拘らず、民がこのように振舞ったのはなぜでしょうか。それは、イスラエルの民がモーセのことを、目に見えない主の代理として「我々に先立って進む神々」のように考えていたのでしょう。そのモーセが、現在どうなったのか分からないのだから、自分たちを導く代わりの神々が必要だというわけです。

 

 民の要求を聞いたアロンは、彼らに金の耳輪を供出させ(2節)、若い雄牛の鋳造を造ります(4節)。民がつけていた金の耳輪は、エジプト脱出の際にエジプト人から餞別のようにもらったものでしょう(11章2節、12章35,36節)。

 

 牛は、エジプトにおいて神の化身、あるいは代理として崇拝されていましたが、エジプトの神が自分たちを奴隷の苦しみから解放してくれたと、イスラエルの民が考えたとは思えません。角をつけた祭壇を神の象徴として、神と民との契約行為を行った24章6,8節の記事との関連で、恐らく、この牛は神を載せて運ぶもの、ケルビムのような存在と考えているのではないでしょうか。

 

 主なる神は目に見えません。13章21節で主が先立って歩んでおられると言われていたとき、民が見ていたのは、主ご自身の姿などでありません。「昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって照らされた」(同節)と記されています。主は民を導く指導者としてモーセを立て、彼らを雲の柱、火の柱によって先導されていたのです。

 

 何らかの理由でモーセが取り去られたのだとすれば、主は彼に代わる指導者を民のためにお立てになるでしょう。そして、雲の柱、火の柱で民を先導されるでしょう。民は、自分たちをエジプトから解放し、荒れ野を導いておられる主なる神に信頼し、素直に従っていれば

よかったのです。

 

 イスラエルの民がモーセに代わって彼らを導く神の使者の鋳像を造らせたことは、まさに主への不信仰、そして自分たちの思い通りの神を造ろうとする偶像礼拝です。主なる神は、民が雄牛の鋳像を造ってひれ伏し、いけにえをささげている事実をモーセに告げ(7節以下)、「わたしは彼らを滅ぼしつくし、あなたを大いなる民とする」(10節)と言われます。

 

 それに対してモーセは、「どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、ご自分の民に下す災いを思い直してください」(12節)と主をなだめ、災いをとどめて(14節)、山を下りました(15節)。

 

 ところが、宿営に近づき、像の周りで戯れている民を見ると、モーセは激しく怒り、手に持っていた石の板を投げつけて砕いてしまいます(19節)。それは、主が御自分の指で刻まれた2枚の掟の板でした(31章18節)。

 

 モーセがそうしたのは、主の意に背いて神像を造り、いけにえをささげて踊り戯れている民には、主との契約のしるしである掟の板を受け取る資格はないということです。そうしてアロンに、「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」(21節)と詰問しました。

 

 すると、「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです」(22節)と言い、彼らが「我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」(23節)と言ったので、彼らに金を供出させ、それを火に投げ入れたら若い雄牛が出来たのだとアロンは答えました(24節)。

 

 まったく、言い訳以外の何ものでもない無責任な答えです。これが大祭司たる者の姿勢であれば、イスラエルの民が主なる神を畏れて聴き従うはずもありません。アロンがこうだから、民が自分たちを導く神々を要求したといってもよいのかも知れません。

 

 モーセは、「あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかもしれない」(30節)と言って主のもとに戻って行き、「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました」(31節)と告げ、そして、冒頭の言葉(32節)を語りました。

 

 そこでモーセは、自分の名を「神が書き記された書」から消し去るよう求めています。それは、詩編69編29節、フィリピ書4章3節、ヨハネ黙示録3章5節などで「命の書」と言われているもののことでしょう。それは、天に名前が記録されているということで(ルカ福音書10章20節参照)、永遠の命が約束されているという意味で用いられているものでしょう。

 

 永遠の命の約束を取り消すようにということは、「お前たちの罪のために贖いができるかも知れない」(30節)と後々を告げた贖い代として、その命を差し出すということか、あるいはまた、民の罪が赦されないのなら、自分も民の指導者として、死をもって連帯責任を果たすということでしょう。

 

 当然のことながら、モーセ自身も主にあって、罪の赦しを必要とする人間です。他者のための贖いの供え物となることはかないません。しかしながら、ここに民を指導するまことの牧者、羊のために命を捨てる「良い羊飼い」(ヨハネ福音書10章11節)の姿を見ることが出来ます。そして、その「良い羊飼い」とはただ独り、私たちの主イエス・キリストだけです。

 

 主イエスは、私たちのために十字架において贖いの業を成し遂げ、救いの道を開いてくださいました。「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブライ書12章2節)、私たちに先立って歩まれる主イエスの御足跡に、しっかり従って行きたいと思います。

 

 主よ、私たちのために御子イエスを遣わし、御霊によって私たちを満たしてくださることを感謝します。御子の血潮によって清められ、絶えず主と交わりながら、御言葉の光の内を歩ませてください。私たちを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった主の力ある御業を、広く告げ知らせることができますように。 アーメン

 

 

「モーセは主に言った。『もし、あなたご自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。いったい何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか。そうすれば、わたしとあなたの民は、地上のすべての民と異なる特別なものとなるでしょう。』」 出エジプト記33章15,16節

 

 32章34節に「今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く」と主がモーセに語られ、そして「あなたは乳と蜜の流れる土地に上りなさい。しかし、わたしはあなたの間にあって上ることはしない。途中であなたを滅ぼしてしまうことがないためである。あなたはかたくなな民である」(3節)と告げられています。

 

 口では「主が語られたことをすべて行い、守ります」(24章7節)と言いながら、実際には主の教えに背いて、神像として純金の雄牛像を造り、戯れていたイスラエルの民に(32章参照)、主は見切りをつけられたというところでしょうか。だから、御使いが先立って導くと言われ(32章34節)、しかし、ご自分は彼らとご一緒されないと告げられたのでしょう(3節)。

 

 そして、「途中であなたを滅ぼしてしまうことがないため」(3節)という理由もよく分かります。イスラエルの民は、この後もモーセにたびたび不平を言い、主を試すようなことを繰り返すからです。

 

 ただしかし、人が心に思い計ることは幼いときから悪いということは、主は先刻ご承知のはずです(創世記8章21節)。「わたしのために聖なる所を造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう」(25章8節)という決断をなさったとき、それはイスラエルの民が御言葉に従うと告白したからではありましょうが、イスラエルの民の頑なさ、愚かさ弱さは織り込み済みではなかったのでしょうか。

 

 そもそも、主がイスラエルの民をエジプトから脱出させるためにモーセをお遣わしになるとき、「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」(3章12節)と言われ、また、「さあ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」(4章12節)と言われていました。

 

 それなのになぜ、「あなたの間にあって上ることはしない」(3節)と仰られるのでしょうか。それは、主がモーセとイスラエルの民を試そうとされたことで、本心からそう仰っておられたのではないのでしょう。

 

 この後で、「直ちに、身につけている飾りを取り去りなさい。そうすれば、わたしはあなたをどのようにするか考えよう」(5節)と言われています。民は、「わたしはあなたの間にあって上ることはしない」(3節)という主の言葉を聞いて、飾りを身に着けず、悲嘆の様を示していました(4節)。

 

 重ねて「飾りを取り去れ」と言われることで、悔い改めの姿勢を示し続けることが求められているかたちです。それに対して、「イスラエルの人々は、ホレブ山をたって後、飾りをはずした」(6節)ということですから、主の命令に徹底的に恭順する姿勢を示したわけです。

 

 その後、モーセは一つの天幕を、宿営の外、宿営から遠く離れたところに張り、臨在の幕屋と名付けました(7節)。偶像を造ったという罪で宿営が汚されてしまったこと、しかし、主が民と共に歩もうとされていることを表しています。この臨在の幕屋が、初期の神の幕屋の姿だと考えられています。

 

 神の幕屋が示されたとおりに造られるまでの間、臨在の幕屋で主とモーセの会見が行われ(9節)、雲の柱と共に主の臨在が幕屋に示され、また、「モーセがどうなってしまったか分からない」(32章1節)という心配を、民に抱かせずにすむことになります。

 

 そうしたことがあって、モーセが「もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください」(13節)と求めると、主は「わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう」(14節)と答えられました。

 

 考えてみれば、主がイスラエルの民とご一緒されないと言われたとき、それならばモーセも、自分の使命は終わったということも出来たでしょう。主から愛想つかされるような民のお守りはご免だと、そこから逃げ出すことも出来たでしょう。しかし、モーセはそうはしませんでした。

 

 「さわらぬ神にたたりなし」という言葉があります。主がご一緒であれば、頑なな民との間に何度も騒動がおき、しんどい目をする。そうなるくらいなら、主には離れておいていただこうか。御使いが先立って道を教えるなら、それでもよいのでは、と考えることも出来たでしょう。しかし、モーセはそれもしませんでした。

 

 モーセは、同胞を見限ることが出来ないと考えていたと思います。それ以上に、主なる神がご一緒でなければ、何が出来たとしても、それは空しいことだろうし、本当に主がご一緒くださらなければ、自分たちは何も出来ないだろうと考えていたのです。

 

 だから、冒頭の言葉(15,16節)のとおり、「もし、あなたご自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないでください。いったい何によって、わたしとあなたの民に御好意を示してくださることが分かるでしょうか。あなたがわたしたちと共に行ってくださることによってではありませんか」と神に語っているわけです。

 

 主イエスも、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことが出来ないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」(ヨハネ福音書15章4節)と仰っているとおりです。

 

 死んで甦られた主イエスが弟子たちに「わたしは、天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ福音書28章18~20節)と命じられました。この命令を大宣教命令(グレート・コミッション)と言います。

 

 この命令に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(同20節)という言葉が続きます。主イエスは「インマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれる」(1章33節)お方であり、それをもう一度、ここで確かなものとされたということです。

 

 常に共にいてくださる主イエスの恵みと力を受けて、すべての民を主イエスの弟子とするために、絶えず御言葉に耳を傾け、主が私たちに託してくださっている御業に、共に励んで参りましょう。

 

 主よ、いつも私たちと共にいてくださる恵みを感謝します。絶えず御言葉に耳を傾け、御心を行うものとしてください。すべての民を主イエスの弟子とすることができますように。主の栄光を表すものとならせてください。主の御名が崇められますように。御心が行われますように。 アーメン

 

 

「モーセがシナイ山を下ったとき、その手には二枚の掟の板があった。モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。」 出エジプト記34章29節

 

 34章には、「戒めの再授与」について記されています。1節に「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう」と主がモーセに告げられた言葉が記されています。

 

 イスラエルの民が金の雄牛の鋳像を造って礼拝しているのを知ったモーセが、神の指で掟の書き記された石の板を激しく怒って砕いてしまいました(32章4,15,16,19節)。その後、民の悔い改める姿勢を見られた主が(33章1節以下)、もう一度掟の石の板を授け、契約を結ぼうというのです。

 

 10節以下に、契約の言葉が記されています。岩波訳はこの箇所に「もう一つの十戒」という小見出しをつけ、「内容から『祭儀十戒』と呼ばれ、20章の『倫理十戒』と対比される。ここには23章14~19節に極めて似た事柄や表現が頻出」と付言しています。

 

 24章12節には「教えと戒めを記した石の板」と記されていましたが、ここでは「十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した」(28節)と言われています。それが20章の「倫理十戒」なのか、それとも岩波訳の言う「祭儀十戒」、つまり11節以下に記されている戒めのことなのかは明確ではありません。

 

 モーセは前回同様(24章18節)、シナイ山に上り、主と共に四十日四十夜、そこに留まって、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記しました(28節)。その後、山を降ったとき、彼の手には二枚の掟の板があったと、冒頭の言葉(29節)に記されています。

 

 その際、モーセは「自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかったあ」とあります。それは、肌の色ツヤがよいとか、興奮して顔が真っ赤になっているというようなレベルではありません。電球のように、光を放っているというのです。なぜ、モーセの顔の肌が光を放つようになったのか詳細は不明ですが、ともかく、神と語り合っている間に、自分の顔が光を放つようになっていたのです。

 

 モーセは、40日40夜、山で主なる神の語られる言葉を聞き、主と交わりましたが、山で話し合っている間、モーセは飲み食いをしなかったのです(28節)。そのときのモーセにとっては、食事をすることよりも主なる神と語り合うことの方がずっと大切で、そうすることが、大きな喜びだったことでしょう。

 

 そして、主が語られる言葉は、ただの言葉ではなかったのです。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」と、ヨハネ福音書1章4節に記されています。また、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と、マタイ福音書4章4節にあります。神の御言葉こそ、人を生かす命のパンなのです。

 

 主イエスは、「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」(ヨハネ福音書6章55~56節)と言われました。これは勿論、実際に主イエスの肉を食べ、血を飲むことではありません。主イエスの肉を食べ、血を飲むとは、イエス様の命を頂くことです。

 

 主は私たちのために十字架にかかってご自身の肉体を裂かれ、血を流されました。それによって私たちの罪を赦し、私たちに神の子どもとなる特権、力をお与えくださいました。主イエスを自分の救い主、人生の主として心に受け入れること、そして主と親しく語らい、交わることです。モーセは確かに、まことの食物、まことの飲み物なる神の御言葉を神から頂いたのです。

 

 モーセは、自分の顔が光を放っていることを知りませんでした。人々が自分を恐れている様子から、その理由が自分の顔の光であることを悟ったようです。そして、山で主が語られたことをすべて人々に語り聞かせ、それが終わったとき、モーセは顔に覆いをかけました。

 

 モーセはなぜ、顔に覆いをかけたのでしょうか。主が語られたことをイスラエルの民に告げるとき、モーセの顔は輝いていました。そして、語り終わると、顔に覆いをかけたのです。だから、モーセの顔の輝きは、主の御言葉がイスラエルの人々に告げ知らされるときにだけ、見られることになります。つまり、主の御言葉を知らせるとき、主はモーセの顔に神の栄光の輝きをお与えになっているのです。

 

 ということは、その光によって、モーセの語る言葉は神の御言葉なのだということを示しているわけです。顔の光が神の栄光、御言葉の力を表すしるしであるなら、御言葉を語り終わった後に顔に覆いをかけたのは、それを自分の栄誉、自分の誇りなどとはしないとモーセが考えたからではないでしょうか。

 

 私たちが神の御言葉を聴いて、示される主の恵みを互いに分かち合うとき、自分には分からなくても、私たちの顔も神の栄光を映して光り輝いて来るのです。

 

 パウロが、「主の方に向き直れば、覆いは取り去られます」(第二コリント書3章16節)、「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます」(同18節)と記しています。

 

 主なる神の前を離れ、御言葉から離れると、顔に、心に覆いがかかります。しかし、主の方に向き直れば、覆いが取り去られ、御霊の働きによって主の栄光を映し出す者に造りかえられると教えています。御言葉に従い、恵みを分かち合って、神の栄光を映す光を放つ者にならせて頂きましょう。

 

 主よ、キリストの言葉が私たちの内に豊かに宿るようにしてください。それによって知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩と賛歌と霊的な歌により、感謝して心か主をほめたたえます。御言葉の命と光を与え、その栄光を証しするものとしてください。周囲を明るく照らす世の光としての使命を果たすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「心動かされ、進んで心からする者は皆、臨在の幕屋の仕事とすべての作業、および祭服などに用いるために、主への献納物を携えて来た。」 出エジプト記35章21節

 

 主が、「わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう」(25章8節)と言われ、その造り方が同10節以下30章10節までに記されていましたが、いよいよ具体的に建設に取りかかるときが来ました。そこでまず行われるのが、建造に必要な資材を集めることです(4節以下)。

 

 資材のリストの中で、「エフォドや胸当てにはめ込む縞めのうの石やその他の宝石類」(9節)について、「縞めのう」と訳された「ショーハム」は、25章7節では「ラピス・ラズリ」、岩波訳では「紅玉髄」と訳されています。このように違って訳されるということは、「ショーハム」がどのような宝石であるのか、明確ではないということです。

 

 主が命じられた言葉として、各自の持ち物のうちから、主のもとに献納物を持って来るようにと、モーセが共同体全体に語り告げますが(4節以下)、そこに一言、非常に重要な言葉を添えています。それは、「すべて進んで心からささげようとする者は、それを主への献納物として携えなさい」(5節、25章2節も参照)という言葉です。自発的な献納を願っているわけです。

 

 35章中、「進んで」(ナーディーブ:副詞)という言葉が2回(5,22節)、「進んでする」(ナーダブ:動詞)という言葉も2回(21,29節)用いられています。また、「随意の献げ物」(ネディーバー:名詞)という言葉が1回(29節)、そして「心動かされて」という言葉も2回(21,26節)出て来ます。民は当に自発的に主の言葉に応答したわけです。

 

 これは、モーセの告げる主の言葉を聞いた者たちが、金の雄牛の鋳像を造り、いけにえをささげて踊り戯れていたことを悔い改めて、心を主に向け、主からの促しに喜んで従ったということでしょう。主と語らい、その御言葉を民に語り告げたモーセの顔が光り輝いたように、主の御言葉を聞いた者たちの心が、主のために働こう、自ら進んで献げようという具合に動かされたということでしょう。

 

 第二コリント書4章6節に、「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」と記されています。

 

 イスラエルの民がモーセの顔の肌が光を放っているのを見、そして、それが神の栄光であると畏れ、ひれ伏す思いになったというのは(34章29節以下)、神がイスラエルの民に働きかけて、モーセの顔に輝く神の栄光を悟る光をお与えになったからということでしょう。そして、神の栄光を悟る光を授けたのは、「主の霊の働き」ということになります(第二コリント書3章18節)。

 

 だからこそ、「あなたたちの持ち物のうちから、主のもとに献納物を持って来なさい。進んで心からささげようとする者は、それを主への献納物として携えなさい」(5節)とモーセが語ったとき、「これは主が命じられた言葉である」(4節)と言われなくても、確かにこれは、他の誰でもない、自分たちに向かって主が語られた言葉だと民は悟った、そう悟る光を授かったということです。

 

 それゆえ、冒頭の言葉(21節)のとおり、モーセの告げた主の言葉に心動かされ、進んで心からささげようとする者たちは、主の召しに応えて立ち上がり、進んで献納物を携えて来ました(22節以下)。また、建造工事のために選び出された技術者たちに神の霊を満たし、必要な知恵と英知と知識を持たせて工芸に従事させ、また人に教える力をお与えになりました(30節以下)。

 

 主のために聖なる所を造るという働き、キリストの体なる教会を立て上げる働きのためには、どうしても、神の御言葉に促され、神の霊に満たされ、心動かされて行うという、御言葉への応答、信仰による自発的な献げ物が必要なのです。

 

 そしてまた、その働きは、一人では出来ません。一人の献げ物で聖なる所を造り上げることなど、出来はしません。モーセという偉大な宗教指導者が献身しさえすれば、どんなことでも出来るなどというものではないのです。だからこそ、主の言葉が共同体全体に向かって告げられたのです(4節)。

 

 即ち、主なる神は、ご自分のご計画遂行のために、私たちひとりひとりに持ち物、賜物、才能、能力、知恵、英知、知識、技術などを分け与えられたのです。そしてそれを、主のために自発的に進んで献げるよう、共同体全体、共同体を形成する民ひとりひとりに語りかけておられるのです。

 

 各自が神の御言葉に促されるため、そこで心動かされるために、聖霊の助けが必要です。聖霊が私たちにすべてのことを教え、主の語られたことを思い起こさせてくださるからです(ヨハネ14章26節)。また聖霊は、真理の霊とも呼ばれ、私たちを導いて、真理をことごとく悟らせるという働きをするからです(同16章13節)。

 

 このことは、神を礼拝する器、建物のことだけでなく、主によって教会に集められた私たちが、キリストの体をしっかり建て上げるためにも、重要な内容です。私たちが主を礼拝するまことの礼拝者として整えられ、主イエスの証人として全世界に福音を宣べ伝え、主の栄光を表わすものとなるよう、共に主の御言葉を聞き、御霊の導きを求めて祈り、示される主の御業に励みましょう。

 

 主よ、私たちは取るに足りない土の器ですが、恵みにより、主を信じ、主に従う者とされました。御子キリストが私たちの頭です。聖霊によって全体に調和を与え、キリストの体なる教会を建て上げさせてください。喜びと感謝をもって主を仰ぎ、主の業に勤しみ励むものとなれますように。 アーメン

 

 

「この民は、主がお命じになった仕事のために、必要以上の物を携えて来ます。」 出エジプト記36章5節

 

 主なる神は、聖所の建設工事のためにユダ族のフルの子ベツァルエルを呼び出して、神の霊を満たし、どのような工芸にも必要な知恵と英知と知識を持たせ、あらゆる細工に意匠を凝らし、すべての細かい工芸に従事させ、さらに、人を教える力をも与えられました(31章2節以下、35章30節以下)。

 

 また、ダン族のアヒサマクの子オホリアブに、知恵の心を満たし、すべての工芸に従事させ、彫刻し、衣装を考案する者、あらゆる種類の工芸に従事する者とされました(31章6節以下、35章34節以下)。

 

 ベツァルエルとオホリアブ、二人の指示で「聖所」(1節:ハ・コーデシュ)、即ち「幕屋」(25章9節:ハ・ミシュカン)作りが始まります。「ミシュカン」は「シャーカン」(住まう、宿る)という動詞に由来する「住居」という名詞で、後代のヘブライ語で人々の間に共に宿られる神の栄光を表すのに用いられた「シェキーナー」と同根です。

 

 モーセはさらに、主から心に知恵を授けられたすべての人を召集します(2節)。彼らも「心動かされた」と言われていますから、招集がかかったとき、主の召しだからと、進んでその呼び出しに応えたのです。モーセは、イスラエルの民が幕屋建設の仕事を行うために携えて来たすべての献納物を、幕屋作りに従事する人々に手渡しました(3節)。いよいよ、仕事の始まりです。

 

 しかしながら、問題が起こりました。仕事に携わっていた人々が仕事場を離れて(4節)、モーセに訴えます。しかしそれは、不平ではありませんでした。嬉しい悲鳴です。というのは、イスラエルの民が次から次へと献納物を携えて来るので、その対応に追われますし、何より、冒頭の言葉(5節)にあるとおり、既に必要以上の量が集まって来ているのです(5,7節)。

 

 それを聞いて、モーセは早速、「聖所の献納物のためにこれ以上努める必要はない」(6節)と、民に伝えました。思えば、幕屋作りは、主なる神がイスラエルの民の中に住まわれるというご自身の御心によって始められたことです(25章8節)。ことの実現に向けて、ある人には知恵を、ある人には技術を、またある人には労働力、またある人は資材といったかたちで、必要なものが分け与えられました。

 

 19節に「雄羊の皮で天幕の覆いを作り、更にその上をじゅごんの皮の覆いでおおった」とあります。イスラエルの民が「雄羊の皮」を手に入れるのは、それほど困難なことではなかっただろうと思うのですが、しかし、天幕全体を覆うための「じゅごんの皮」を手に入れるというのは、決して容易いことではなかったでしょう。

 

 「じゅごん」と訳されているのは「タハシュ」(岩波訳参照)という単語で、岩波訳巻末の用語解説に「水棲動物の名で、正確に何を指すかは不明であるが、しばしばジュゴン、もしくはイルカと解される。その防水性の皮が会見の天幕の上層の覆いに用いられた(出26:14,36:19)。祭具の包装(民4:6-14)や履物(エゼ16:10)にもその皮が用いられた」と記されています。

 

 430年間エジプトで奴隷生活をし、そして今、シナイの荒れ野を旅しているイスラエルの民が、いつどのようにしてそれらのものを手に入れたのでしょうか。エジプト脱出の折にエジプト人から貰い受けたのでしょうか(12章35,36節)。そうかも知れません。詳細は全く不明ですが、その必要のために、主なる神がお授けになった賜物であることに違いはありません。

 

 あらためて、神の天幕作りのために必要なすべてのものを、一人で持っている人などいません。一人の力でこの働きを完成することも、出来るものではありません。つまり、皆が力を合わせ、思いを一つにして取り掛からなければ、工事の完成を見ることは出来ないということです。

 

 パウロが「賜物にはいろいろありますがそれをお与えになるのは同じ霊です」(第一コリント書12章4節)と言い、そして「一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(同7節)と語っています。つまり主に召し集められたキリストの体なる教会(同27節)に奉仕するために、各自に賜物が分け与えられているというのです。その賜物が用いられて、「全体の益となる」わけです。

 

 それは、一人一人が主の方を向いている、主の御顔を仰いでいるということです。そして主の御言葉に聴き従うということです。主に心動かされ、民が自ら進んでそれに応えるときに、その奉仕のための必要が満たされ、更に余るほど豊かに与えられるということになるのです。ここに、主の業、主の導きを見ることが出来ます。

 

 あるいは、私たちがささげることが出来るのは、五つのパンと二匹の魚かもしれません。それだけでは、男だけでも五千人いるという大群衆の前に、焼け石に水というか、子どもだましというか、ほとんど何の役にも立たたないだろうと思われるかも知れません(ヨハネ福音書6章9,10節)。

 

 けれども、主イエスはその献げ物を必要としておられたのです。主イエスはパンをとって神に感謝の祈りをささげ、人々に分け与えられました(同11節)。すると、すべての人々が満腹し(同12節)、残ったパン屑を集めると、12の籠を満たしました(同13節)。

 

 いつも主に心を向けましょう。主の御顔を仰ぎましょう。朝毎に御言葉を聴きましょう。絶えず御霊の導きを祈り求めましょう。そうして主にあって心動かされ、進んで御旨を行うことの出来る者としていただきましょう。

 

 主よ、イスラエルの民の内にお住まいくださるために、必要の一切が備えられたことを知りました。そして、民はそれを喜んで、進んで献げました。御旨に従って行ったとき、すべてが満たされました。私たちの内におられる聖霊を通して、私たちにも、従う喜び、献げる喜び、そして、御業に与る恵みを味わわせてください。 アーメン

 

 

「ベツァルエルはアカシヤ材で箱を作った。寸法は縦2.5アンマ、横1.5アンマ、高さ1.5アンマ。」 出エジプト記37章1節

 

 36章で主のための「聖なる所」、神の「幕屋」造りが実際に始まりました。37章には、「掟の箱」(1節以下)、「贖いの座」(6節以下)、「机」(10節以下)、「燭台」(17節以下)、そして「香をたく祭壇」(25節以下)を造ったという記事が記されています。

 

 「香をたく祭壇」については30章1~5節、それ以外のものは25章10~39節の記事の、「作りなさい」という言葉を「作った」と書き換えただけで、後は丸写しといった書き方になっています。冒頭の言葉(1節)は、25章10節の「アカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦2.5アンマ、横1.5アンマ、高さ1.5アンマ」という命令を、そのまま実行したということなのです。

 

 つまり、作業を命じられた25~30章と、それを実行した36~39章は、作るものの順序に多少の前後移動はあるものの、命令されたことをそのまま忠実に実行したという表現になっています。その意味では、同じ言葉がほぼ文字通り繰り返されるという、少々あくびの出るような表現の仕方になっているわけです。

 

 それならば、36~39章全体を、39章42節の「イスラエルの人々は主がモーセに命じられたとおりに、すべての作業を行った」という一文で済ませたてもよかったのではないかとさえ思ってしまいます。

 

 ただ、このような書き方で明らかになるのは、イスラエルの人々が、主なる神の命令に対して、いかに細部に至るまで注意深く聞き、その言葉に忠実に従ったか、従順であったかということでしょう。それが繰り返し語られることで、御言葉を朗読する者、それを聞く者たちに、主の言葉を注意深く聞き、忠実に従うように教えているわけです。

 

 面白いことにと言えば語弊がありますが、25章以下の幕屋作りの命令と36章以下の幕屋作りの実行の記事の間に、民が律法に背き、金の雄牛の鋳像を造って神を怒らせ(32章)、モーセも契約の板を砕いてしまいますが(同19節)、民が悔い改めて(33章)、掟の板が再授与される(34章)という物語が記されています。

 

 主が民に「聖なる所」を造らせ、民の間に宿られるという御心(25章8節)は、民の背きにも拘らず、実行されるということです。そして、民の悔い改めと再契約の記事に続いて幕屋作りが語られることで、民の悔い改めの真剣さ、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(24章7節)と約束したことを、言葉だけでなく徹底的に従う態度で示すという表現になっているわけです。

 

 つまり、ここに示されるような従順こそ、主なる神がイスラエルの民の間に住まわれるための「聖なる所」造りに欠かせない、信仰の姿勢なのです。そうした主への信仰の姿勢が、心動かされた人々の進んで携えてきた献納物となり、あるいは奉仕となってすべての必要を満たし、そして、幕屋作りを完成させます。

 

 そう考えれば、民が今ここで主の命令に従って「掟の箱」、「贖いの座」、「机」などを造っているのですが、彼らは今、主なる神に自分たちの信仰を示しているのであり、それによって主を礼拝しているのです。そして、その礼拝を可能にしたのは、彼らの心を動かし、必要な知恵を授けられた主の深い憐れみです。

 

 そのことを言い表すためだと思いますが、幕屋作りを指示した後の31章12節以下と、幕屋作りを実行する直前の35章1節以下に、「安息日を守れ」という命令があります。神に背いた記事(32,33章)が「安息日を守れ」という命令で囲い込まれているという言い方も出来ます。

 

 主と共に安息せよという命令を受けながら、それに背いた民に、あらためて安息を命じ、そうして以前と何も変化がなかったかのように、幕屋作りが始まっていくのです。ここに、主なる神の赦しと憐れみが表わされ、それによって、民が主の命令に忠実に従うという信仰の表明が出来たわけです。

 

 このことは、パウロが「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ書12章1節)と語っている言葉にも通じます。

 

 「自分の体」という言葉に示される自分の生活そのままを神に献げよと命じ、それが私たちのなすべき礼拝だというのは、私たちが常に主を仰ぎ、御言葉を信じてその導きに従うことを求めているということです。そして、「神の憐れみによって勧める」という言葉で、私たちの礼拝は、神の憐れみによって成り立っていると明示するのです。

 

 日ごとに主の御言葉に耳を傾け、主の告示されたことを忠実に、喜びと感謝をもって実行することを通して、主を礼拝する群れとならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたを讃えます。あなたは私たちを励まし、夜ごと私たちを諭してくださいます。私たちは絶えずあなたに相対し、揺らぐことがありません。主の恵みと憐れみによって私たちの心は喜び、魂は躍ります。身体は安心して憩います。私たちは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びを頂きます。ただ感謝あるのみです。 アーメン

 

 

「仕事、すなわち聖所のあらゆる仕事に用いられた金の総額は、奉納物の金が聖所のシェケルで29キカル730シェケル」 出エジプト記38章24節

 

 「祭壇」(1節以下)、「幕屋を囲む庭」(9節以下)の作業をもって、幕屋建設の準備が整いました。それは、27章に命じられているとおりのものでした。そこでモーセは、祭司アロンの子イタマルを監督として、レビ人に幕屋建設の記録を作るよう命じます(21節)。

 

 そして24節以下に、聖所の仕事に用いられた金属材料の総額が記されています。木材のほか種々の糸、布、毛皮なども用いられているのに(35章4節以下)、なぜ金属材料の総額だけなのか、その理由は不明です。

 

 冒頭の言葉(24節)に、「金が聖所のシェケルで29キカル730シェケル」とあります。「聖所のシェケル」の重量は詳しく分かりません。通常のシェケルは約11.4グラム、キカルは約34.2キロです。聖所のシェケルは、それを上回るものではないかと思いますが、通常の度量衡で計算すると、金の総量はおよそ1トン、同様の計算で銀は3.4トン、青銅は2.4トンになります。

 

 現在の価格で、金は1キロ約700万円、銀10万円、青銅の買取価格600円弱ということから、販売価格は1000円前後と推測します。そこで、聖所の仕事に用いられた金の総額は約70億円、銀は約3億4千万円、銅は約240万円となります。総計すると73億4240万円ほどということになります。

 

 ソロモンが神殿を建てたとき、ダビデが蓄えていた金が3000キカル、即ち約102.6トン、家系の長が寄贈したのが、金5000キカル1万ダリク、即ち171.1トンでした。合わせて273.7トンとなり、金額にして1兆9160億円にも上ります。あまりにも高額なので、それがどれほどの価値なのか、想像を超えてしまっています。

 

 臨在の幕屋に用いられた貴金属の総額は、ソロモンが建てた神殿のおよそ3百分の一の金額とはいうものの、1年前まで奴隷の生活をしていたイスラエルの民が、幕屋建設のために70億円余もの献げ物をしたのです。手持ちの資金や貴金属類があったなどとは、到底思えません。

 

 これは民がエジプトを脱出する際、エジプトの民から好意を得て、金銀の装飾品や衣類を手に入れたものでしょう(12章35,36節)。ということは、幕屋を建てるために、神がエジプトの民にイスラエルに対する好意を持たせられたということになります。つまり、神のなさることに手抜かりも、無駄なこともないということでしょう。

 

 そういえば、主イエス誕生の折、ヘロデの難を避けるため、ヨセフは夢で告げられたとおり、生まれたばかりの幼子と妻マリヤを連れてエジプトに逃げました(マタイ2章13節以下)。そのとき、東方の学者たちが幼子に贈り物として献げた黄金、乳香、没薬が役立ったことでしょう。

 

 そしてまた、五つのパンと二匹の魚で5000人の腹を満たすことが出来たように(マルコ6章30節以下など)、主が民の献げ物を祝されたので、幕屋建設の必要が満たされ、その総額を計算すると、貴金属だけでも70数億円という、大変大きな金額になっていたということなのかも知れません。

 

 35,36章で見たとおり、イスラエルの民は、モーセを通して語り告げられた主なる神のご命令によって心動かされ、進んで献げ物をささげました。そして、献げ物が必要以上の量になったので、それ以上献げ物をしなくて良いという命令まで出されました。

 

 また、幕屋建設の現場指揮官ベツァルエルはユダ族出身、補佐官オホリアブはダン族出身と、22,23節に記されています。ユダは約束の地の最南部、ダンは最北部を嗣業の地とした部族です。つまり、北から南までのあらゆる人々が、幕屋建築に従事し、その賜物をささげて奉仕したのです。

 

 このようにして幕屋建設を進めたイスラエルの民の心のうちを考えると、栄耀栄華を極めたソロモンが建てた神殿よりも、ここに建て上げられる主の「聖なる所」、神の「幕屋」のほうが、はるかに美しく着飾っているということにもなりそうです(マタイ6章29節参照)。 

 

 主を畏れ、御言葉に真実に耳を傾け、喜びをもって忠実にそれに従おうとする心こそ、主なる神がおのが民に求めておられるもの、主に喜ばれるいけにえです。そのようないけにえをささげることこそ、霊と真理をもって神を礼拝することなのです(ヨハネ4章24節)。

 

 「わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来たるべき都を探し求めているのです。だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」(ヘブライ書13章14~16節)。

 

 主よ、私たちの心を探ってください。御前に相応しくない思いを取り除いてください。私たちの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御救いの喜びを再び私たちに味わわせ、自由の霊によって支えてください。私たちを、霊と真理をもって礼拝するまことの礼拝者とならせてください。日々主の御言葉を受けて、主の証人となることができますように。 アーメン

 

 

「幕屋、つまり臨在の幕屋の作業はすべて完了した。イスラエルの人々は主がモーセに命じられたとおり、すべてそのとおり行った。」 出エジプト記39章32節

 

 39章には、アロンの祭服、即ちエフォド(2節以下)、胸当て(8節以下)、上着(22節以下)、その他の衣服(27節以下)が主に命じられたとおりに造られたと報じられています。28章にその命令があります。アロンとその子らの祭服の違いを見ると、出エジプト記が執筆されたときイスラエルの祭司は一人で、他の者は祭司の補佐役に留まっていたということでしょう。 

 

 祭服が整えられたところで、主なる神がイスラエルの民の内に住まわれるための聖なる所、幕屋建設の準備作業が、ここに完了しました。冒頭の言葉(32節)で「幕屋、つまり臨在の幕屋の作業はすべて完了した」と言われているとおりで、あとはそれを組み立てて幕屋を完成させるだけです(40章)。

 

 ここで、神の幕屋のことを、「臨在の幕屋」(オーヘル・モーエード)と呼んでいます。「モーエード」を「臨在」と訳すのは新共同訳聖書だけで、口語訳、新改訳は「会見」と訳しています。「定める」(ヤーアド)から「会合、例祭、定めのとき、季節」という意味で用いられ、主なる神の会見の場ということから、神顕現の場、臨在の幕屋という訳語が選ばれたのでしょう。

 

 「臨在の幕屋」という言葉は、27章21節に最初に出て、以後、時々用いられています(28章43節、29章4,10,11,30,32,42,44節、30章16,18,20,26,36節、31章7節、33章7節、35章21節、38章8,30節、39章32,40節、40章2,6,7,12,22,24,26,29,30,32,34,35節)。

 

 ただ、33章7節以下の段落に「臨在の幕屋」という小見出しが付けられ、モーセが張った天幕を「臨在の幕屋」と名付けたと、7節に記されています。けれどもこれは、25章以下で建設が命じられた本来の幕屋のことではありません。本来の幕屋は、宿営の中央に置かれ、この幕屋を中心に、東西南北にそれぞれ3部族ずつ分かれて宿営します(民数記2章参照)。

 

 一方33章では、既存の天幕の一つがとられて宿営の外の、宿営から遠く離れたところに張られました(同7節)。これは、主に命じられた幕屋が完成するまでの仮設の幕屋というべきものであり、また、イスラエルの民が金の雄牛の鋳像を造ってその地を汚し、主なる神の怒りを買っているので、宿営の中にその天幕を設置することが出来なかったのでしょう。

 

 それで、この天幕が「臨在の幕屋」として設置され、そこにモーセが入ると、入り口に雲の柱が降りて来て、その幕屋の前に立ちました(同9節)。つまり、見える形で主なる神が幕屋に降臨されたわけです。それは、主が民の罪を赦されたことを示していると受け取ってもよいでしょう。だからこそ、この後で本来の幕屋作りが実行に移されたわけです。

 

 また、33章の仮設の幕屋と、主のための「聖なる所」として設けられる本来の幕屋との違いもあります。本来の幕屋で奉仕するのは、アロンの家の者ですが(28章1節参照)、33章ではモーセと並んでヨシュアも、従者として奉仕しています。ヨシュアはエフライム族です(民数記13章8,16節)。

 

 また、アロンは年に一度、贖罪日に香の祭壇で香をたいてから至聖所に入りますが(レビ記16章、ヘブライ書9章7節)、33章では、民の必要が生じたときはいつでも、モーセは幕屋に向かいました’同7,8節)。そして何より、モーセは主と、友と語り合うがごとく顔と顔を合わせて、親密に語り合いました。それは、モーセが神と民の仲保者として、特別な任務を担っていたからです。

 

 主イエスが十字架で息を引き取られたとき、神殿の聖所と至聖所を隔てる垂れ幕が、上から下まで真二つに裂けました(同15章38節)。それによって、聖所で働く祭司たちは皆、そして、聖所の入り口に立った人々も、至聖所の中を見ることが出来るようになりました。憚ることなく、神に近づくことが出来るようになったのです。

 

 ヘブライ書10章22~22節に「イエスは、垂れ幕、つまり、ご自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」と記されています。

 

 また、ヨハネ福音書15章15節に「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」とあります。

 

 更に主イエスは、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(同16節)と言われました。

 

 私たちは、主イエスから「友」と呼んでいただける、親密な関係に招き入れられました。それは、主イエスが父なる神から聞いたことをすべて、私たちに知らせたからと仰います。私たちは主イエスに選ばれた者です。私たちが選ばれたのは、遣わされて行って実を結ぶため、その実が何時までも残るため、そして、主イエスの名で父に願うことは何でもかなえられるためだというのです。

 

 「何でも願いなさい、与えられます」と言われたのは、私たち自身の欲求を満たすためではありません。主イエスの名で願うとは、主イエスが父なる神に願うということです。主イエスが願われるように願い、主イエスが祈られるように祈るという、主イエスの御心をわきまえて、その御心がなされるように祈るのです。

 

 特に、モーセが民の必要のため、主と親しく語ろうとして臨在の幕屋に入りました。私たちも、主に選ばれた者として、絶えず神の御前に大胆に進み、隣人の必要を覚えてことごとに執り成し祈るものとなりましょう。

 

 主よ、御子イエスは私たちを「友」という親しい関係に導き入れてくださいました。それは、私たちに主の御心を悟らせ、主の御業に励み、実を結ぶものとならせるためです。心の一新によって造りかえられ、御旨を悟り、何が神に喜ばれ、完全なことであるか、わきまえることが出来ますように。 アーメン

 

 

「モーセは臨在の幕屋に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。」 出エジプト記40章35節

 

 幕屋建設の準備が整い、主はモーセに、「第一の月の一日に幕屋、つまり臨在の幕屋を建てなさい」(2節)と言われました。イスラエルの民がエジプトを脱出したのが、正月14日の夜中でした(12章6,18節、29節以下)。それから三ケ月目にシナイの荒れ野に到着し、シナイ山に向かって宿営しました(19章1,2節)。その山で十戒を受け(20章)、主と契約を結びました(24章)。

 

 それから、主なる神がイスラエルの民と共に住むための「聖なる所」、神の「幕屋」作りが命じられ(25章以下)、その実行のために必要なものが集められ(35章)、そして、アロンとその子らの祭服も含めたすべての準備が完了したのです(39章32節)。

 

 こうして、エジプト脱出からおよそ一年、シナイの荒れ野にやって来て9ヶ月が経過しました。これから、絶えず主なる神が臨在の幕屋にあって民の内に民と共に住まわれ、いつも共に歩んでくださるという新しい生活が始められるわけです。

 

 幕屋を建て(2節)、掟の箱を置き、垂れ幕を掛け(3節)、机とその付属品、燭台、香をたく金の祭壇を置き、幕屋の入り口に幕を掛けます(4,5節)。幕屋の入り口の前に祭壇を据え(6節)、祭壇と入り口の間に洗盤を据えます(7節)。周囲に庭を設け、入り口に幕を掛けます(8節)。幕屋とその中のすべての祭具、祭壇と祭具、洗盤と台に油を注いで聖別します(9~11節)。

 

 次に、アロンとその子らを水で清め(12節)、アロンに祭服を着せ、油を注いで聖別し、祭司として仕えさせます(13節)。また、彼の子らにも衣服を着せ(14節)、油を注いで主に仕える祭司とせよと命ぜられます(15節)。アロンの祭服と彼の子らの衣服との違いなどから、アロンは祭司として、彼の子らは祭司アロンの補佐役として、主に仕えたのでしょう。

 

 モーセはこれらのことを、主に命じられた通りに行いました(16節)。17節以下、仕事の様子が記録され、その都度「主がモーセに命じられたとおりであった」(19,21,23,25,27,29,32節)と、計7回記されます。「7」という完全数をもって、その仕事が主の命令に忠実に、完全に従っていることを示しています。

 

 仕事が主の命令通りであったのかどうか、モーセ自身で確かめたことでしょう。アロンとその子らが祭司として任職されるのは、レビ記8章になってからのことでした。ゆえに、灯火を主の前にともすのも(25節)、香草の香を金の祭壇でたくのも(26節)、焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を祭壇の上で主にささげたのも(29節)、モーセの仕事だったということになります。

 

 臨在の幕屋が完成したとき、「雲が臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」(34節)と記されています。宿営の外に設けられた仮設の臨在の幕屋では、降って来られた主と「人がその友と語るように、顔と顔を合わせて」(33章17節)語り合ったのですが、幕屋が完成したこの日、冒頭の言葉(35節)のとおり、主の栄光が幕屋に満ちていたため、モーセは幕屋に入ることが出来ませんでした。

 

 ここに示されるのは、勿論、主なる神の権威です。幕屋に満ちている栄光に示された主の圧倒的な権威の前に、モーセといえども、そのままで近づくことは出来ません。主の許しなしに、主の御前に進むことなど、誰にも出来はしないのです(19章13節、24章12節参照)。

 

 それはまた、臨在の幕屋は、何よりも主なる神が臨在されるために設けられたものであって、民のために造られたものではないということも示しています。願い事があり、あるいは解決困難な問題があるとき、幕屋に行きさえすればそれでよいということではないのです。

 

 しかしながら、モーセがそこに入ることが出来ないほど、主の臨在によって神の栄光が満ち溢れているとき、主は何かをして人に仕えてもらう必要など、何もないのです。主はご自身の御力をもって幕屋を満たしておられるのであり、その御力によって、イスラエルの民を祝福してくださっているのです。

 

 主の栄光が表されるというのは、主が神として崇められ、人が主の民としてその恵みに与り、栄光を拝することが出来るということです。その意味で、アロンやモーセの働きというのは、そこに主が臨在され、主の栄光が満ちるためのものであるということ、また、主の栄光の故に何も出来なくなり、主がご自身の栄光を表されるための奉仕だと言ってよいでしょう。

 

 勿論、主は機械仕掛けのお方ではないので、何かをすれば必ず幕屋に主の臨在が表され、主の栄光がそこに満ちるというものではありません。私たちが主の臨在を仰ぎ臨み、御言葉に従順に歩めばこそです。絶えず主の御名を賛美し、主を仰ぎ望みましょう。その御言葉に耳を傾けましょう。

 

 主よ、御子の十字架によって贖いを成し遂げ、罪の呪いから解放し、救いの恵みに与らせ、神の子としてくださったことを心から感謝し、御名をほめたたえます。どうか私たちの心に御臨在を表わしてください。そのために、私たちの心を清め、御言葉と御霊によって満たしてください。 アーメン

 

日本バプテスト

静岡キリスト教会

〒420-0882

静岡市葵区安東2-12-39

☏054-246-6632

FAX    209-4866

✉shizuokabaptist★gmail.com

★を@に変えて送信してください

 

 

facebook「静岡教会」

 

 

当教会のシンボルマーク
当教会のシンボルマーク

当サイトはスマートフォンでもご覧になれます。

 

当教会のYouTubeのチャンネルが開きます。

 

 

2014年8月6日サイト開設