レビ記

 

 

「牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。」 レビ記1章3,4節

 

 今日からレビ記を読み始めます。レビ記には、主なる神の民が守るべき、いけにえの献げ方や儀式の様々な規定などが記されています。それが正しく行われるように指導する責任が祭司・レビ人にあったということで、「レビ記」と命名されたのです。

 

 元来、ヘブライ語聖書では、冒頭の言葉を書名とします。レビ記冒頭には、「ヴァ・イクラ」と記されています。「ヴァ・イクラ」とは、「そして(主がモーセを)呼ばれた」という意味です。御言葉を聞くべき場所に呼び出して、そこで主が御言葉を告げられたのです。つまり、この書は、主なる神がモーセを呼んで告げられた、主の御言葉を記したものなのです。

 

 「教会」の原語(ギリシア語)は「エクレシア」、ヘブライ語でいえば「カーハール」で、いずれも「呼び出された者の集い」という意味の言葉です。私たちは主に呼び出されて集まり、そこで主の御言葉を聞きます。それこそまさに、レビ記1章1節に語られている状況です。

 

 新約聖書の中に、レビ記からの引用が約30回なされているそうです。その中の代表選手は二つあります。まず「あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである」(11章44節)です。これは、レビ記において繰り返し語られる、中心的なメッセージです(45節、19章2節、20章7,8,26節、22章32節)。

 

 「聖なる者」(カードーシュ)とは、主なる神のために特別に区別された者、分かりやすく言えば、主に選ばれた者という意味です。わたしたちが主を選んだのではなく、主が私たちを選ばれました(ヨハネ15章16節も参照)。めいめいの分に応じ、賜物に応じ、目的に従って神に選ばれたのです。神に選ばれた者として、神の御心に従って参りましょう。

 

 新約に引用されている、重要なもう一つの御言葉は「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(19章18節)です。主イエスが最も大切な戒めとしてお示しになったこの言葉は(マタイ22章34節以下、38節)、レビ記に記されていたのです。

 

 マタイは、神を愛せよという命令と、隣人を自分のように愛せよという命令は、旧約聖書全体を支える車の両輪、コインの表と裏のようなものと教えた主イエスの言葉を伝えています。神を愛する者は、自分を愛するように隣人を愛するのだと言ってもよいでしょう。聖なる者になれと、様々な規定を通して語られている教えの中で、最も大切なのが「隣人を愛しなさい」という愛の教えだということです。

 

 こうしてみると、レビ記は「聖」と「愛」を語るものであることが分かります。「聖」と「愛」が語られているのは、主が聖なる方であり、また愛のお方であられるからです。このことを念頭に置いて、レビ記を読んでいきましょう。

 

 1章から7章まで、献げ物の規定が語られます。主なる神が私たちに求めておられるのは、いけにえをささげて主を礼拝することです。エジプトからイスラエルを救い出されたのは、イスラエルをご自分を礼拝する民とされるためです。

 

 そこで主が、先ず献げ物について命じておられるということは、主なる神がイスラエルとの正しい関係を求めておられるのです。この正しい関係を聖書では「義」と言います。主との関係が正しくなったところから、すべてが始まるというわけです。

 

 献げ物のリストの筆頭は、「焼き尽くす献げ物」(1章)です。この献げ物は文字通り、献げ物のすべてを祭壇の上で焼いて主に献げるのです。これは、私たちの信仰生活の基本を教えています。クリスチャンは、教会にいるときだけ、信仰生活をしているのではありませ。私たちの生活のすべてに主なる神が関わっておられます。私たちは主の御前で生活しているのです。

 

 かつて、イスラエルの宿営の中に幕屋を設けて民と共に歩まれた主は、今、私たちの心に聖霊として宿っておられます。私たちは聖霊の宮だと、パウロは言いました(第一コリント3章16節、6章19節など)。いつも共におられ、共に歩んでくださる主の御前に、すべてのものを主に献げてお従いするのだということが、焼き尽くす献げ物を通して、私たちに教えられているわけです。

 

 焼き尽くす献げ物として、牛や羊、山羊などの家畜や鳩が献げられます。家畜は大切なものです。百匹の羊のうち一匹でもいなくなれば、羊飼いは一匹を見つけるまで野山を捜し回ると、主イエスはたとえ話の中で語られました(ルカ福音書15章4節以下)。そんな大切な家畜の、それも冒頭の言葉(3節)のとおり、傷のない雄の家畜を献げるのです。

 

 奉納者は、その献げ物を臨在の幕屋の入り口に引いて行きます。そこに、いけにえを神に献げるための祭壇が置かれていたのです(5節、出エジプト記40章29節)。

 

 そして「手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる」(4節)と記されています。これは、焼き尽くす献げ物として献げた牛が、その人の罪を担って死ぬということであり、その行為は、まさに自分自身を犠牲にするのに等しいものだということを表しているのです。

 

 献げ物の血が祭壇の四隅に流されて祭壇が清められ、そうして、献げ物が主に受け入れられます。主はこの献げ物を受けて、私たちのあらゆる背きの罪を赦し、義としてくださるのです。ここに神の愛があります。まことの愛のあるところに義が表されるのです。

 

 主は、私たちの背きの罪を赦し、私たちを神の子として受け入れるために、ご自分の独り子を贖いの供え物とされました。かけがえのない御子イエスの血が、十字架という祭壇で流されました。この贖いの血によって汚れが取り除かれ、私たちは神に受け入れられる者となりました。これが、神によって与えられた新しい約束、新約の恵みです。

 

 日々主の御言葉に耳を傾けつつ、聖霊に満たされて賛美のいけにえ、主を誉め讃える唇の実を御前に献げて、絶えず主を仰いで参りましょう。

 

 主よ、私たちを神の民とするために、ご自身の独り子を贖いの供え物として十字架につけられました。その御愛のゆえに、御名を崇め、感謝を致します。主に愛され、生かされた者として、主を愛し、主に従います。日々、恵みの光のうちを歩ませてください。 アーメン

 

 

「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。」 レビ記2章13節

 

 2章には、「穀物の献げ物」についての規定が記されています。1節に「上等の小麦粉を献げ物としなさい」とありますから、小麦や大麦を収穫して、それをそのまま主にささげるというのではなく、粉に挽いてからそれを献げ物とするわけです。

 

 「それにオリーブ油を注ぎ、更に乳香を載せ」(1節)ます。小麦粉にオリーブ油を注いだのは、アロンとその子らに聖別の油を注いで聖別し、祭司としたように、小麦粉を聖別するためでしょう。3節の「これは、燃やして主にささげられたものの一部であるから、神聖なものである」という言葉も、それを示しています。

 

 そして、オリーブ油を注いだ小麦粉の上に乳香を載せるのも、主にささげるために聖別することを意味すると考えられます。乳香は決して安価なものではないため、献げ物をする者(奉納者)にとって、穀物を献げる以上に犠牲を伴うものであったと思われます。

 

 上等の小麦粉をささげるだけでなく、それをかまどや鉄板で焼いたもの、鍋で蒸したものをささげることもあります(4,5,7節)。そのときに、「酵母を使わずに」(4,5節)焼きます。11節にも、「主にささげる穀物の献げ物はすべて、酵母を入れて作ってはならない」と記されています。

 

 酵母を入れないということについては、エジプト脱出の際に、急いで出立しなければならず、道中の食料を用意する暇もなかったため、酵母を入れずにパン菓子を焼いたことを記念して(出エジプト記12章39節)、過越の祭りに続く除酵祭を行う(同13章3節以下)ということを思わせ、エジプトからイスラエルの民を導き出した神の恵み、憐れみに心を向けるよう仕向けています。

 

 2,9節の「しるし」(アズカーラー)は、穀物の献げ物のうち、祭司が手ですくい上げて祭壇で燃やし、煙として主にささげる部分のことです。語源が「覚える、思い起こす」(ザーカル)という言葉なので、その献げ物によって主が奉納者を覚えてくださるためにという意味だと思われますが、あるいは、神の救いの御業を絶えず思い起こして感謝のしるしとして献げると解することも出来ます。

 

 また、酵母による発酵が腐れと見なされ、そしてそれは、私たちの生活の中にいつの間にか忍び込んで来る罪の力を示しているとも、考えられていたようです。これは主イエスが、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」(マタイ16章6節)と言われたことにも通じています。

 

 11節に「蜜のたぐい」という言葉もあります。これは、蜂蜜ではなく、果汁のことではないかとする解釈もあるようです。しかし、酵母と並べて、主なる神への献げ物に加えてはならないとされる理由は、確かではありません。

 

 ただ、12節には「それらのものは、初物の献げ物として主にささげてもよい」と記されています。これは、罪に充ちた人間の献げ物でも、主なる神は喜んで受け入れてくださるという証拠と考えられます。また、燃やして主に献げるものとして煙にしてはならないということで(11,12節)、アロンとその子らのものにされたのかも知れませんね。

 

 冒頭の言葉(13節)で、「穀物の献げ物にはすべて塩をかける」と言われています。塩は味の変わらないものですから、「あなたの神との契約の塩」も、主なる神との間の変わらない契約関係を示すものと言ってよいでしょう。民数記18章19節、歴代誌下13章5節の「塩の契約」も、そのことを示しています。

 

 また、塩は調味料としてだけでなく、防腐の役割も果たします。預言者エリシャが、水質の悪い水源に塩を投げ込んで、「この水を清めた」と言ったのは、塩の清める働きを言っているのです(列王記下2章19節以下)。

 

 主イエスが、「あなたがたは地の塩である」(マタイ5章13節)と言われたのは、私たちがその役割を果たすことを主が期待しておられるということです。けれどもそれは、私たちに塩としての清めの力があるということではありません。「あなたがたは地の塩である」と言われる主イエスご自身がその力を有しておられ、主に信頼し、御言葉に従う者を通して、その力を発揮させようとしておられるのです。

 

 その意味で、塩は、主なる神に対する信頼、信仰の心ということも出来ます。感謝の献げ物をするときに、主を信頼する信仰の心を添えるということです。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ書11章6節)といわれるとおりです。

 

 絶えず新しい心で、感謝と喜びをもって主に従いましょう。

 

 主よ、冷たくも熱くもない、生温い信仰を悔い改めます。いつもあなたを私たちの心の王座に迎えます。私たちの生活の中心にお入りくださり、絶えず共に食する恵みに与らせてください。信仰をもってあなたに賜物を献げ、時間を献げ、そして奉仕を献げささげます。御業のために用いてくださり、地の塩としての使命を全うさせてください。 アーメン

 

 

「献げ物を和解の献げ物とするときは、牛であれば、雄であれ雌であれ、無傷の牛を主にささげる。」 レビ記3章1節

 

 献げ物の規定の3番目は、「和解の献げ物」です。「和解の献げ物」とは原文で「シェラミーム」と記されていて、これは複数形です。単数形は「シェレム(和解のいけにえ)」で、これは「シャローム」と関係の深い言葉です。

 

 その語源は、「完全、傷のないこと、調和」という意味です。つまり、和解の献げ物は、主なる神との平和的な交わりを得、また、それを強めるためのものだということです。口語訳聖書はこれを、「酬恩祭」と訳していました。神の恩に報いるいけにえということでしょう。

 

 ここに「シェレム」の複数形が用いられているのは、7章11節以下の「和解の献げ物の施行細則」に規定されているように、和解の献げ物には、感謝の献げ物」として献げる場合や「満願の献げ物」、「随意の献げ物」として献げる場合などがあることを示しているのでしょう。そしてまた、主と人間との間だけでなく、人と人との間の平和と調和が保たれるようにということを示しているのでしょう。

 

 「シェラミーム」の前に、「ゼバハ」という言葉があります。「ゼバハ・シェラミーム」は、「和解の献げ物の生贄」という表現で、日本語としては冗語と言わざるを得ないような言葉遣いです。それで単に「和解の献げ物」という訳語になっています(新改訳:「和解のいけにえ」)。その点,口語訳の「酬恩祭の犠牲」はよく考えられたものと言えます。

 

 「ゼバハ」は、主への献げ物として動物を「屠る」(ザーバー)ことを指しています。献げ物をささげる「祭壇」は「ミズベアハ」です。動物の命が献げ物としてささげられることで、主なる神との関係、また隣人との関係が回復する、整えられる、強められるということです。

 

 奉納者が献げ物の頭に手を置くこと(2節)、その血を取って祭壇に注ぎかけること、その後、祭壇で献げ物を燃やしてささげること(3節以下)、その煙が宥めの香りとなる(5節)というのは、「焼き尽くす献げ物」(1章3節以下)とあまり違いはありません。

 

 違いは、「焼き尽くす献げ物」は文字通り、動物をすべて焼いて献げるのに対し、「和解の献げ物」で燃やされるのは、「内臓を覆っている脂肪、内臓に付着するすべての脂肪、二つの腎臓とそれに付着する腰のあたりの脂肪、および腎臓と共に切り取った肝臓の尾状葉」(3~5節)です。17節に「脂肪と血は決して食べてはならない」とあるとおり、これらは主のものなのです。

 

 また、献げ物となった動物の胸の肉と右後ろ肢は、祭司に与えられます(7章28節以下)。そして、残りの肉は、献げ物を奉納した人のものとなります。即ち、和解の献げ物となった動物が、主と祭司と奉納者の三者で分かち合われ、そこで食されるのです。

 

 血を祭壇に塗り、肉は食べると言えば、過越の食事のようです(出エジプト記12章)。過越の小羊は屠られて、その血が家の鴨居と柱に塗られ(同7節)、肉は焼いて食べます(同8節)。主なる神と人、その間を執り成す祭司が、献げ物を分け合って食することで、「同じ釜の飯を食う」というような親密な関係を築くことが出来るというわけです。

 

 使徒パウロが「供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか」(第一コリント書10章18節)と言っているのも、このことです。

 

 ところで、預言者たちは、献げ物について痛切に批判しています。たとえばイザヤ書1章11節に、「お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に、わたしは飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない」と記されています。

 

 それは、神殿でささげられる献げ物が、真実な信仰の心をもってなされていないということです。つまり、献げ物を伴う神礼拝が、形式化、形骸化してしまっていると批判しているのです。

 

 詩編の記者が、「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(51編18,19節)と詠っているとおり、何よりも先ず主の御前に謙り、恵みをお与えくださる主を心を込めてたたえ、喜び歌いましょう。

 

 謙って主の御言葉に耳を傾け、御旨に適うことを喜んで行おうとする心で主を礼拝しようとするなら、主はその時、どんな献げ物も喜んで受け止めてくださることでしょう。「そのときには、正しいいけにえも、焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ、そのときには、あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう」(同21節)と詩人が言うとおりです。

 

 そうして「神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(第二コリント書5章18節)。その使命を忠実に果たして参りましょう。

 

 主よ、あなたは私たちを救うために独り子を犠牲とされました。そして、私たちに御子を信じる信仰を与え、神の子としてくださいました。その保証として、神の霊が授けられ、あなたに向かい、アッバ父よ、と呼ぶことが許されています。御霊の導きとその力により、委ねられた和解の務めを全うすることが出来ますように。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には、自分の犯した罪のために、贖罪の献げ物として無傷の若い雄牛を主にささげる。」 レビ記4章3節

 

 献げ物についての四番目の規定は、「贖罪の献げ物」です。2節に「これは過って主の戒めに違反し、禁じられていることをしてそれを一つでも破ったときの規定である」と記されており、故意に犯した罪と区別されていることに注意する必要があります。

 

 故意に罪を犯した者については、民数記15章30,31節に「主を冒涜する者であり、その人は民の中から断たれる。彼は主の言葉を侮り、その命令を破ったのであるから、必ず断たれ、その罪責を負う」という言葉があります。故意に犯された罪を赦し贖うための規定は、旧約聖書には存在しません(サムエル記上3章13,14節も参照)。

 

 「過って」(シェガーガー)犯された罪とは、無自覚で、または律法によって禁じられていることを知らずに行ったり、事故やはずみで犯してしまったといった意味です。その意味では、この過ちとは、全く無意識にということばかりではなく、無知のために行って、罪の自覚がなかったということも含まれます。

 

 最初に、「油注がれた祭司」の罪が取り上げられます(3節)。「油注がれた」ということは、大祭司として聖別されたということですから(8章12節、16章32節、出エジプト記29章7節)、その権威とともに大きな責任が課せられています。

 

 「(自分の犯した)罪」は、ヘブライ語でハッタースと言います。これは、「的を外す、道を外れる」という意味です。民を正しく導くべき祭司が道を外れて迷い出れば、後に続く民に与える影響は甚大です。個人的な過ちであれば、個人的な償いが行われるのでしょうけれども、民全体に罪責が及ぶということは、祭司として祭儀を執行する公務上での過失ということでしょう。

 

 彼はその過失の故に「無傷の若い雄牛を主にささげ」なければなりません。注解書に「それは多くの農民にとって、一年分の収入に相当する代償であった」と記されていました。責任ある祭司の責任は、それほどに重いものであるということです。

 

 第一ペトロ書2章5節に「あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通してささげなさい」とあります。かつて、アロンの子孫だけが祭司として立てられていましたが、今や血筋などによらず、ただ主イエスを信じる信仰によって、すべての信徒が聖なる祭司とされるのです。

 

 「霊的な家」(オイコス・プネウマティコス)とは、人の手によって建てられるものではない、神の宮ということです。その土台は、「尊い、生きた石」なる主イエスです(同4,6~8節)。「生きた石」(リトイ・ゾーンテス:複数形)とは、聖書中、ペトロ書のその箇所だけにしか出ないとても珍しい言葉遣いです。

 

 生きているとは、人格的な交わりがあるということです。霊的な交わりについて、母が幼子に乳を与えるというイメージから(同2章2節)、「選ばれた、尊い,生きた石」(同4節)たるキリストという土台の上に、私たちが組み合わされて神の家という霊的な建物を造り上げるために用いられるという、建物のイメージで考えているわけです。

 

 これは、パウロが第一コリント書3章10節以下で、イエス・キリストという土台の上に、神の建物が建てられるということを書いているのと同じです。その直前に「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(同3章6節)とあります。

 

 ペトロもパウロも、神の子として成長するイメージと、神の建物のイメージを並べて、信徒個人の成長と教会全体の成長、教会が建て上げられるというイメージを重ねてとらえているわけです。

 

 そして、私たちは霊的な家、神の宮で,聖なる祭司として神と人に仕えます、そこで私たちが献げるいけにえは、屠られた動物ではありません。神がご自分の独り子を贖いの供え物とされたので、私たちがそれを献げる必要はなくなったのです(ヘブライ書10章10,12,18節)。

 

 ペトロの言う「神に喜ばれる霊的ないけにえ」とは、私たち自身のことであり(ローマ書12章1節)、また、私たちの「打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心」(詩編51編19節)です。主なる神は私たちを、御子キリストの命という代価によって贖い出してくださいました(第一コリント書6章20節)。

 

 ゆえに私たちは、主イエスを通して恵みをお与えくださる神に賛美のいけにえ、御名を讃える唇の実を献げ(ヘブライ書13章15節)、また、隣人に対する善い行いと施しを忘れず行います(同16節)。

 

 私たちが隣人に施すことの出来る最も善いものとは、主イエスを信じる信仰であり、それを証しする神の国の福音でしょう。私たちが毎日聖書を読み、祈ること、教会の諸集会を忠実に守ること、感謝と賛美の日々を送ることは、見える形でなされる証しです。人に躓きを与えるような愚かで弱い私たちの生活で、神の愛と恵みを証しすることが出来れば、どんなに幸いなことでしょうか。

 

 その恵みに与ることが出来るように,主の導きを祈りましょう。

 

 主よ、あなたは私たちを選び、聖なる祭司とされました。自分の知恵や力でその務めを全うすることなど出来ません。必要な知恵や力、賜物を授けて下さい。御名の栄光のために、私たちを用いてください。宣教の働きが前進し、豊かな実を結ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「貧しくて二羽の山鳩にも二羽の家鳩にも手が届かない場合は、犯した罪のために献げ物として小麦粉十分の一エファを携えて行き、贖罪の献げ物とする。」 レビ記5章11節

 

 「贖罪の献げ物」を献げるべき罪について、5章では「見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずにいる」(1節)、「汚れた野獣、家畜、爬虫類の死骸など汚れたものに気づかずに触れる」(2節)、「人体から生じる汚れに気づかずに触れる」(3節)、「軽はずみな誓いを立てた」(4節)などと規定されています。

 

 隣人のために証言することを拒否すること(1節)や、軽はずみな誓いを立てること(4節)と、それと気づかずに汚れたものに触れること(2,3節)とでは、罪の重さが違うのではとも思います。1節、4節は、隣人に対する故意の罪であり、2,3節は、気づかずに汚れに触れたという、不注意による罪ですが、ここでは全く同等に取り扱われています。

 

 誰に対してなされたものか、故意か不注意か、いずれも問題にもならないということは、隣人に対し、また主なる神に対して、常に真実な態度、姿勢が求められ、不注意でいることは赦されないということです。これはしかし、気をつけていても過ちを犯し、失敗を繰り返す私たちには、大変厳しいものではないでしょうか。

 

 この罪の代償として、群れの内から雌羊または雌山羊を取り、贖罪の献げ物として主にささげるように、そして祭司は彼のために罪を贖う儀式を行うように言われます(6節)。この代償の大きさに、主が人の犯す罪をいかに重大な問題と受け止めておられるかが示されています。

 

 しかしながら、家庭の経済的な事情で羊や山羊をささげることが出来ない人は、二羽の山鳩とまたは二羽の家鳩を献げよと言われます(7節)。そして、それも出来ない人は、冒頭の言葉(11節)のとおり、小麦粉十分の一エファを携えて来なさいと言われています。

 

 小麦粉十分の一エファは約2.3リットルで、これは一人が一日に食べるパンのための平均的な量だということです。貧しい者にとっては、それも大変ということはあるかも知れません。その献げ方は、2章の穀物の献げ物の規定によく似ています。違いは、「オリーブ油を注いだり、乳香を載せたりしてはならない」と言われるところです(2章1,15節など参照)。

 

 いずれにしても、ここに示されているのは、罪を贖う献げ物なしに、罪が赦されることはあり得ないということです。もしも罪が赦されず、神の裁きを受けなければならないとなると、「罪が支払う報酬は死」(ローマ書6章23節)ということで、自分の命で償わなければならないということになります。

 

 第一ヨハネ書1章9節に「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」とあります。「自分の罪を公に言い表すなら」、罪赦され、清められるのです。

 

 同7節に「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」とありました。つまり、神の御子イエスが贖罪の献げ物となってくださったことが分かります。父なる神は、人の罪の代価を払うために、罪も汚れもない神の独り子イエスを十字架に犠牲とされたわけです。

 

 よって、「責めを負うときには、彼はその罪を犯したことを告白し、犯した罪の代償として、群れのうちから雌羊または雌山羊を取り、贖罪の献げ物として主にささげる」(5,6節)という規定に基づいて自分の罪を告白すると、御子キリストが贖罪の献げ物となってくださったので、それによって、私たちの罪が赦されるのです。

 

 これは、考えることも出来ないような恵みです。父なる神がご自分に対する罪過を自ら引き受け、その代償として独り子イエスの命を犠牲とされたのです。それほどに神が私たちを大切に思っていてくださるということです。

 

 わが子よりも私たちを大切にするという心情は、私たちの理解を超えています。あり得ないことです。ただ、私たちの罪が赦され、神との和解が実現するためには、それしかなかったのです。

 

 主イエスが私たちのために血を流されたことを覚え、絶えず感謝をもって御前に進み、心から賛美のいけにえをささげましょう。右にも左にもそれることがないように、信仰の正道を真直ぐ、自分の十字架を負い、御足跡に従って歩みましょう。

 

 主よ、屠られた小羊こそ、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるに相応しい方です。玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。 アーメン

 

 

「アロンとその子らに告げてこう言いなさい。贖罪の献げ物についての指示は次のとおりである。贖罪の献げ物は、焼き尽くす献げ物を屠る場所で主の御前に屠る。これは神聖なものである。」 レビ記6章18節

 

 6章には、「各種の献げ物の施行細則」が記されています。2節以下に焼き尽くす献げ物についての指示、7節以下に穀物の献げ物についての指示、13節以下にアロンが油注がれて職に任じられる日にささげる献げ物についての指示がなされています。

 

 そして18節以下に、贖罪の献げ物についての指示があります。冒頭の言葉(18節)の通り「贖罪の献げ物は、焼き尽くす献げ物を屠る場で主の御前に屠る。これは神聖なものである」と規定され、続いて「この贖罪の献げ物は、それをささげる祭司が聖域、つまり臨在の幕屋の庭で食べる」と命じられています(19節)。

 

 「神聖なもの」(コーデシュ・コダーシーム)とは、「聖(複数形)の聖(単数)」という最も清いものを言い表す言葉遣いで、それが主なる神のものであるということです(18節)。そして、祭司は主の代理としてその献げ物を受け取り、血と脂肪のすべてを主に献げた後、肉は祭司のものとなり、臨在の幕屋の庭で食べます(19節)。

 

 2章10節、6章10,11節でも、献げ物の中で祭司の分け前とされる分について、そのように言われています。つまり、贖罪の儀式において、祭司は献げ物の奉納者の前に、主なる神の代理人として立っているということを示しています。

 

 20節に「この献げ物の肉に触れる者はすべて聖なる者となる」と言われます。これは、肉の神聖さが、それに触れた者に伝導するということでしょう(11節、出エジプト記29章37節、30章29節など)。「聖なる者となる」(カーダシュ)とは、聖所に属するものとなることと考えられます。

 

 贖罪の献げ物をささげるのは、犯した罪を神に赦して頂くためです。4章20節に「祭司がこうして罪を贖う儀式を行うと、彼らの罪は赦される」と記されています。献げ物は、決して安価なものではありません。そのことで、犯された罪がいかに重大な違反と考られているのかということが、はっきり示されます。

 

 ですから、この御言葉を実行するということは、自分の犯した罪を、主なる神に対する重大な違反と認めるということであり、主の御前で公に謝罪の意思を表わすということになります。そうすることによって、主が彼らの罪を赦してくださるというわけです。

 

 幼い子どもたちを見て、つくづく羨ましいと思わされるのは、今どんなに激しくケンカしていても、「ごめんね」、「いいよ」というと、後はまたうち解けて遊べることです。ケンカの直後は、腹の虫が治まらない様子でしばらく口を利かないということもありますが、いつの間にか、仲良く遊んでいます。ケンカしたことさえも、もうすっかり忘れてしまっているようです。

 

 ここが、子どもの素晴らしいところですが、大人はそうは行きません。それこそ、二度と口を利かない絶交状態になってしまうことだってあるでしょう。英語の単語で一番難しいのは、「forgive(赦す)」という言葉だと聞いたことがあります。

 

 それは、その単語を覚えることが難しいのではなく、実行することが難しいというのです。日本語でも、「ゆるす」というのはたった三つの平仮名ですが、赦せない相手に対してそれを言うのは、確かにとても難しいものになってしまいます。

 

 ところで、「贖罪の献げ物をささげよ」という指示は、主なる神がモーセに告げられたものです。贖罪の献げ物をささげると、その人の罪が赦されます。罪を赦すのは、主です。そして、主が贖罪の献げ物をせよと命じられました。つまり、主は人の罪を赦す用意があるということを、この規定をもって示しておられるわけです。

 

 主イエスが中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」(マルコ2章5節)と言われたとき、律法学者が「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」(同7節)と考えたといいます。人の背きの罪をお赦しになることが出来るのは、確かに主なる神だけです。

 

 ただ、4章に示されていた贖罪の献げ物は、「誤って主の戒めに違反し、禁じられていることをして」(同2節)しまったという過失による罪の贖いのためのものです。だから、たとえば、故意に、殺意をもって人をあやめる罪などは、贖いの対象から外れています。

 

 故意に主の戒めに違反することは、主なる神の御心に背くという意味で、神を冒涜する罪ともなります。そのような罪を犯した者に対して、それを贖う方法はないということだったのです。

 

 ところが、神の憐れみは、この規定を超えています。想定外の罪をさえ赦されます。ご自身の独り子が十字架で殺されました。法的には、無実の罪でしょう。主イエスを裁く法廷は、その認識を持っていました(マルコ福音書14章55節以下、15章10節)。

 

 しかしながら、主イエスはその裁きを甘んじて受けたうえ、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ福音書23章34節)と執り成し祈られました。

 

 自分を殺そうとしている者たちを赦し、その上で、これは過ちだ、自分が何をしようとしているのか、知らずにしていることなんだ、だから、ご自身を贖罪の献げ物とするので、それをもって彼らの過失の罪をお赦しくださいと嘆願しておられるのです。

 

 このような神の計り知れない憐れみによって私たちも救いに導かれ、神の子とされる恵みに与りました。贖いの供え物なる御子イエスに触れられて、聖なる者とされたのです。主に心から感謝と賛美をおささげしましょう。

 

  主よ、あなたの深い愛と憐れみに心から感謝し、御名を誉め讃えます。独り子が贖いの献げ物としてご自身を犠牲にされたほど、私たちの背きの罪は重いものでした。その私たちのために御子が犠牲を払ってくださり、その命をもって新しい生命に生きるものとしていただきました。私たちを聖霊に満たし、主の御業のために用いてください。宣教の御業が前進しますように。 アーメン

 

 

「彼は燃やして主にささげる物を自分の手にささげ持つ。すなわち胸の肉に脂肪を載せてささげる。奉納する胸の肉は主の御前に奉納物とする。」 レビ記7章30節

 

 11節以下に、「和解の献げ物の施行細則」が記されています。これは、3章に記されていた「和解の献げ物」をささげるための細則ということになります。

 

 和解の献げ物は、「感謝の献げ物」(12節以下)として、また「満願の献げ物」、「随意の献げ物」(16節以下)としてささげられます。「満願」とは、神に願い事をして、その願いがかなったときにささげると約束する献げ物のことです。「随意」とは、文字通り、思いのままに自発的にささげる献げ物です。

 

 和解の献げ物は、3章で学んだとおり、献げ物のいけにえが、神と祭司と奉納者の三者で分かち合われ、そこで食されます。神は、脂肪と血をとられます。同11節には脂肪のことを、「これが燃やして主にささげる食物である」と記されていました。祭司は胸と右後ろ肢をとり、残りの肉は奉献者が食べます。

 

 種々の献げ物の中で、奉献者が食するようにと規定されているのは、和解の献げ物だけです。これには、主なる神とその献げ物をささげた人が食事を共にして交わるという、喜びに満ちた意味があり、「和解の献げ物」という名前も、そうした内容からとられたものと考えられています。

 

 ヨハネ黙示録3章20節に「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」と記されています。

 

 主イエスを迎え入れる者はだれでも、主イエスが食事を共にするという約束が語られているのですが、それはまさに、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださった主イエスを信じ、受け入れると、主との間に「同じ釜の飯を食う」という親密な交わりが開かれるということを示しています。

 

 17節に「しかしこの残りの肉は三日目には焼き捨てねばならない」とありますが、これは、動物の死体は三日目には腐敗が始まると考えられていたからです。三日目にその肉を食べたなら、それは「神への献げ物とみなされず、不浄なものとなる」(18節)と規定されています。

 

 これは、考えてみれば非常に意味深長な言葉です。というのは、主イエスが十字架に贖いの死を遂げられてから三日目、まさに「不浄なものとなる」、腐敗が始まるとされていたその日に、死を打ち破って、甦らされているからです。

 

 ところで、冒頭の言葉(30節)は、口語訳では「主の火祭は手ずからこれを携えてこなければならない。すなわちその脂肪と胸とを携えてきて、その胸を主の前に揺り動かして揺祭としなければならない」と訳されていました。「その胸を主の前に揺り動かして揺祭とする」という言葉が、新共同訳で「奉納する胸の肉は主の御前に奉納物とする」という訳に変わっています。

 

 即ち、「揺り動かす」を「奉納」、「揺祭」を「奉納物」と変えているわけです。原文は「揺り動かし、波のような動き」(テヌーファー)という言葉で、欽定訳聖書(KJV、NKJ)は「揺祭」と訳せる訳語「wave offering」を採用しています。

 

 かつて「揺り動かす」というのは、左右に揺らすものと考えられていました。しかし、最近では、神に献上するという意味を表わすために、上に差し上げる動作を表わすものと解釈されるようになって来ました。それで、「奉納する」という訳語が採用されるようになったというわけです。

 

 「主の御前に奉納物とする」と言われている「胸の肉」は、31節を見ると「アロンとその子らのものとなる」とされています。つまり、主に「奉納物」としてささげられた「胸の肉」が、祭司たちのものとして下げ渡されるということになります。

 

 さらに、和解の献げ物のうち、祭司への礼物として「右後ろ肢」を祭司に与えよと言われます(32節)。「礼物」(テルーマー)は、14節では「奉納物」、10章14,15節では「献納物」と訳されています。しかし、それらはいずれも祭司のものとなるというのですから、「礼物」という訳語に統一した方がよさそうです。主にささげる和解の献げ物が、祭司のものとして、主から与えられているわけです。

 

 和解の献げ物が、奉納者から祭司の手を通して主なる神にささげられ、それが主から祭司に下げ渡されるという動きは、確かに「揺り動かし」(テヌーファー)そのもののように見えますね。

 

 「礼物」を受けた祭司たちは、それを下げ渡してくださった主に感謝すると共に、「和解の献げ物」を奉納した人に対して感謝するでしょう。こうして、主なる神と奉納者と祭司の間に、和解による感謝と喜びが巡ることになります。

 

 イエス・キリストによって、父なる神との和解に与った私たちにとって(第二コリント書5章18節)、その恵みを証しし、人々を神との和解へと招く働きをすることが、今日において、和解の献げ物を主に奉納するということになるのではないでしょうか(同19,20節)。

 

 主よ、今日の御言葉から、あなたから頂いた恵みを証しをすることが、今日、和解の献げ物を主の御前に奉納することではないかと教えられました。どうか私たちを聖霊に満たしてください。聖霊の力を受けて、主の恵みを証しするものとしてください。福音が前進しますように。主への感謝と喜びが広げられますように。 アーメン

 

 

「今日執り行ったことは、あなたたちのために罪を贖う儀式を執行せよという主のご命令によるのである。」 レビ記8章34節

 

 8章は、「祭司の聖別の任職式」について記しています。これは主なる神が、出エジプト記28,29章で命じておられたことを、あらためて祭司の任職の規定として、ここに書き記しているということです。

 

 まず、任職式のために準備すべきものが語られます。即ち「アロンとその子らに、祭服、聖別の油、贖罪の献げ物の雄牛一頭、雄羊二匹と酵母を入れないパンを入れた籠を携えて来させなさい」(2節)と命じ、「また、共同体全員を臨在の幕屋の入り口に召集しなさい」(3節)と告げます。

 

 準備が整えられると(4,5節)、アロンとその子らを水で清め(6節)、アロンに祭司の衣服を身に着けさせます(7節以下)。即ち、長い服を着せて飾り帯をつけ、上着を着せてその上にエフォドをかけ、その付け帯で締めます(7節)。次に胸当てをつけさせ、それにウリムとトンミムを入れ(8節)、頭にターバンを巻き、正面に聖別の印の黄金の花をつけます(9節)。

 

 続いて、聖別の油で幕屋とその中にあるすべてのものを清め(10節)、その油の一部を祭壇に七度振りまき、祭壇とすべての祭具、洗盤とその台を聖別します(11節)。次に、聖別の油の一部をアロンの頭に注いで聖別します(12節)。それから、アロンの子らにも祭服を着せます(13節)。

 

 そうして、アロンとその子らのための贖罪の献げ物として、雄牛一頭をささげ(14節以下)、次に焼き尽くす献げ物として雄羊をささげます(18節以下)。更に、任職の献げ物として、一匹の雄羊をささげます(22節以下)。そして、聖別の油と祭壇の血を取って、アロンとその子ら、彼らの祭服に振りまきます(30節)。この儀式を7日間にわたり、毎日行います(33節以下)。

 

 このように聖別の任職式を行うのは、主なる神がアロンとその一族を祭司として選美立てたのは、それだけの価値ある特別な存在だったからではないということです。彼らが主の御前に出て、主に仕える働きをするためには、徹底的に清められなければならない罪人、私たちと同様に汚れた存在だったわけです。

 

 アロンの父祖レビは、「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」(創世記49章5節以下)と呪われました。

 

 ですから、そのようにヤコブ=イスラエルから呪われたレビの子孫の中から、イスラエルの祭司となる者が選ばれたというのは、どんな人にも主なる神の恵みが与えられ、どんな人も主の御業のために召され、用いられる器とされるということを示すためということになるでしょう。

 

 そうして、この恵みが私たちにも開かれたのです。であれば、私たちがその任に就くためにも、このような清めの儀式が必要ということでしょう。

 

 神の御子キリストが十字架で私たちの罪のための贖いの供え物となられたということが、私たちの罪の重大さを示すと共に、神が私たちを召され、私たちを御業のために用いてくださるという御心が示されています。私たちは、主イエスを信じ、その御言葉に従うことで、神の御心に応答するのです。

 

 ところで、任職の儀式に7日間を要するというのは、7日間で天地を創造されたように、罪人をご自分の祭司として「創造」するためということではないでしょうか。また、完全数の「7」で、彼らが日々徹底的に主の御言葉に聴き従うことが求められていることを表しているのです。

 

 冒頭の言葉(34節)に、「今日執り行ったことは、あなたたちのために罪を贖う儀式を執行せよという主のご命令によるのである」と記されています。あらためてこのように言われなくても、この儀式が罪を贖うため、そして祭司として立てられるためであることは、繰り返し述べられています。

 

 この箇所がなくても、即ち、33節と35節を直接つないでも、意味は通じます。敢えてこの文章が書き加えられたとすると、この言葉の強調点は、「今日執り行った」というところにあるようです。

 

 つまり、私たちが主なる神に「今日」聴き従うように、いつも招かれているということです。そして、「今日」聴き従うかどうかが私たちの生き方を決め、そして一生を決めます。そしてそれは、永遠に影響を与えるということです。

 

 これはパウロが、「今や、恵みのとき、今こそ、救いの日」(第二コリント書6章2節)と語っているときの「今」と同じ意味でしょう。私たちは「今」、主の御言葉に聴き従うように召されており、信じ従う私たちに「今」、主の救い、恵み、導きが与えられるのです。

 

 「主はわたしたちの神、わたしたちは主の民、主に養われる群れ、御子の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。『あの日、荒れ野のメリバやマサでしたように、心を頑なにしてはならない」(詩編95編7,8節、ヘブライ書7,8節)。

 

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ福音書1章45節)。「わたしは主のはしため(しもべ)です。お言葉どおり、この身になりますように」(同1章38節)。

 

 主よ、あなたを信じます。御言葉を信じます。お建てになったキリストの教会を信じます。キリストがその頭であり、教会はキリストの体だからです。私たちも、その体の一部に加えられました。この体で神の栄光を表わします。主の御業のために私たちを整え、用いてください。 アーメン

 

 

「そのとき主の御前から炎が出て、祭壇の上の焼き尽くす献げ物と脂肪とをなめ尽くした。これを見た民全体は喜びの声を上げ、ひれ伏した。」 レビ記9章24節

 

 9章には、「アロンによる献げ物の初執行」の様子が記されています。

 

 七日間の任職の儀式が終わった後、八日目に、モーセはアロンとその子ら、及びイスラエルの長老たちを招集し(1節)、アロンに「無傷の若い雄牛を贖罪の献げ物として、また同じく無傷の雄羊を焼き尽くす献げ物として、主の御前に引いて来なさい」(2節)と命じます。

 

 また、イスラエルの民には「雄山羊を贖罪の献げ物として、無傷で一歳の雄の子牛と小羊を焼き尽くす献げ物として、また雄牛と雄羊を和解の献げ物として主の御前にささげ、更にオリーブ油を混ぜた穀物の献げ物をささげなさい」(3,4節)と告げました。

 

 祭司となったアロンの最初の務めは、贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物を、自分たちのために献げることでした(8,12節参照)。それから、イスラエルの民が携えて来る献げ物を主の御前に献げるのです(15節以下参照)。

 

 アロンは、主がモーセに命じられたとおりにします(10,21節)。献げ物をささげる儀式の初めと終わりにそう記して、アロンが祭司として徹底的に主の命令に聴き従い、真心尽くして主に仕えている様子を、そこに窺うことが出来ます。

 

 ただ、21節の「胸の肉と右後ろ肢は」「主の御前に奉納物(テヌーファー)とした」という言葉について、7章30節で「胸の肉は主の御前に奉納物(テヌーファー)とする」とされていますが、右後ろ肢は同32節で「礼物(テルーマー)として祭司に与えなさい」と言われています。奉納物は主なる神にささげられた後、アロンとその子らに与えられ、礼物は奉納者から直接アロンに与えられます。

 

 献げ物をささげ終えたアロンは、手を上げて民を祝福した後、壇を降ります(22節)。そして、モーセと共に臨在の幕屋に入ります(23節)。それは、主の御前にパンを供え、香壇で香をたき、祈りをささげるためでしょう(出エジプト記30章6節以下、40章22節以下など参照)。

 

 それからもう一度幕屋から出て民を祝福すると、主の栄光が民に現れました(23節)。民に現れた「主の栄光」(23節)とは、出エジプト記24章16,17節、40章34節以下の記事から、雲の中で輝く火、あるいは光のことと考えられ、そこに主なる神が御臨在くださっていることを、明らかに示しています。

 

 「栄光」(カーボード)は、イスラエルの民が不従順な態度を示した折に現れるものとして、繰り返し示されます(出エジプト記16章10節、民数記14章10節、16章19節、17章7節、20章6節)。幕屋の建設が命令される直前(出エジプト記24章16,17節)と幕屋が完成した折(同40章35節)に主の栄光が現れたのは、主の命令に対するイスラエルの誠実さが問われた形です。

 

 その関連で、ここに主の栄光が現れたのは、アロンとその子らの祭司としての務め、祭儀の実施の始まりに際して、あらためて主に聴き従うことが求められたわけです。

 

 そして、冒頭の言葉(24節)のとおり、主の御前から炎が出て、祭壇の上の献げ物を焼き尽くしてしまいました(24節)。それは、神がその献げ物を受け入れてくださったということです。

 

 それは、そのとき初めて献げ物に火がつけられたということではありません。アロンが祭壇で献げ物を燃やし始めたのですが、焼き尽くすのには時間がかかります。その献げ物が主の火によって焼き尽くされたのです。

 

 確かに民は、神の栄光を見ました。そして、神が彼らの献げ物を喜び受け入れてくださったことを知り、喜びの声を上げて主の御前にひれ伏し、礼拝します(24節)。神が献げ物を受け入れてくさったということは、献げ物にこめられた民の心、思いを受け入れてくださったということであり、これから民と神との真の交わりが開かれていくのです。

 

 ここで、「喜びの声を上げて」(ラーナン)は、「叫び声を上げて」という言葉で、必ずしもそれは、喜びを意味するものではありません。確かに、献げ物が受け入れられたのは、嬉しいことでしょう。喜びの叫びといって良いものだと思われます。

 

 しかし、すべてを焼き尽くす火は、神の裁きを連想させます。主の栄光を見たことも、民を恐れさせたことでしょう(出エジプト記20章18節以下)。ですから、喜びの感情と共に、畏怖の念がイスラエルの民の心を支配していたということになるのではないでしょうか。

 

 これは、一晩中漁をして一匹も取れなかったのに(ルカ福音書5章5節)、主イエスの御言葉に従うと二艘の船が沈みそうになるほど大量の魚が漁れたとき(同6節)、ペトロが主イエスの足もとにひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」(同8節)と言った心境に似ていると思います。聖なる神の圧倒的な御力の前に、自分の罪を自覚せざるを得なかったのです。

 

 しかしながら、主は民を裁くために、ご自身の栄光を現わされたのではありません。罪を贖う献げ物が献げられたからです。そしてそれは、主のご命令でした(6節参照)。即ち、主ご自身が交わりの道を開かれたのです。

 

 ひれ伏したペトロに、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5章10節)と言われたように、イスラエルは、神の民としての使命に生きるのです。

 

 私たちが主イエスにあって、主の民として選び立てられたのは、私たちが出かけて行って実を結び、その実がいつまでも残るようにするため、そして主イエスの名によって父なる神に願い求めるものは何でも与えられるようにするためです。主の召しに相応しく、光の子としてその使命に歩みましょう。

 

 主よ、あなたは御子イエスを贖いの供え物とされて、私たちの罪を赦し、憚ることなく御前に近づくことを許されました。ペトロがすべてを捨てて主イエスに従ったように、私たちも自分の十字架を担って日々その御足跡に踏み従うことが出来ますように。御心を行うために、すべてのよいものが備えてくださいますように。 アーメン

 

 

「モーセがアロンに、『「わたしに近づく者たちに、わたしが聖なることを示し、すべての民の前に栄光を表わそう」と主が言われたとおりだ』と言うと、アロンは黙した。」 レビ記10章3節

 

 10章には、「祭司ナダブとアビフの違反」という小見出しがつけられています。アロンの子ナダブとアビフが、規定に違反した炭火で香をたいたので(1節)、主の御前から火が出て二人を焼き殺してしまいました(2節)。

 

 「規定に反した」(1節)という炭火の詳細は不明ですが、原語の「ザーラー」は「異なる、他の、外国人、敵」という言葉です。また、「主の命じられたものではない」(1節)も、異教のものを想像させます(エレミヤ7章31節、19章5節参照)。

 

 七日間連続の任職式を終え(8章35節)、8日目に祭司としての務めを始めたばかりのアロンの子らが(9章1節以下)、なぜそのような振る舞いに及び、主の火で焼かれるという裁きを受ける羽目に陥らなければならなかったのでしょうか。

 

 9節に「あなたであれ、あなたの子らであれ、臨在の幕屋に入るときは、ぶどう酒や強い酒を飲むな。死を招かないためである。これは代々守るべき不変の定めである」と記されているので、二人が酒に酔ったままで務めに就き、規定に反する不適切な装束や振る舞いをしてしまい、それで主なる神の裁きを受けたのではないかとも思われます。

 

 そもそも、飲酒を禁ずる律法は存在しませんが、酒に酔って、自らを主の前に清めることなく、規定に違反する装束で、あるいは規定違反の振る舞いに及び、それで、二人が主に撃たれることになってしまいました。そこで、幕屋の務めに入る前の飲酒だけは、ここに禁じられることになったわけです。

 

 8節に「主はアロンに仰せになった」とあり、モーセを介さずに神がアロンに直接語りかけておられます。こうしたケースは極めて稀です。それほどに、この違反が重大な問題だということでしょう。そして、その責任の一端が大祭司であり、また二人の親であるアロンにあるということでしょう。

 

 冒頭の言葉(3節)でモーセがアロンに「『わたしに近づく者たちに、わたしが聖なることを示し、すべての民の前に栄光を現そう』と主が言われたとおりだ」と告げています。ここで、「わたしに近づく者たち」とは、祭司のことです。

 

 原文には「ベ」(中に、~において)という前置詞が用いられていて、「わたしに近づく者の中で」という言葉遣いです。また、「聖なることを示し」(エカーデーシュ)は「聖なる者とされる」、「栄光を表そう」(エカーベード)は「栄光ある者とされる」という受身形の言葉です。

 

 祭司たちの中で主が聖とされ、すべての民の前に主が栄光ある者とされるために、規定に反する炭火で香をたいたアロンの子らが,主の御前から出た火で焼かれたと言っているわけです。その栄光とは、神の威厳、神の権威を示すものでしょう。アロンの子らが主の命令に背き、主が聖なる者であることを民に示さなかったので、主が自らそれを示されたということです。

 

 そして6節でモーセがアロンとその子エルアザルとイタマルに、「髪をほどいたり、衣服を裂いたりするな。さもないと、あなたたちまでが死を招き、さらに共同体全体に神の怒りが及ぶであろう」と告げます。「髪をほどいたり、衣服を裂いたり」というのは、悲しみを表わす表現です。

 

 ナダブとアビフは主に背いたため、その裁きを受けて火で焼かれ、それによって、主が聖なる者であることを示されたのだから、肉親の死を悼み、悲しんでいることを示す行為として、髪をほどいたり、衣服を裂くような真似をするなと言われているのです。これは、21章1節以下、10,11節の規定にほぼ一致しています。

 

 しかしながら、どんな理由であっても、肉親の死を悼み、悲しむことを禁ずるというのは尋常なことではないでしょう。罪を犯して裁かれたとはいえ、子は子です。悼むな、悲しむなと命じられたからといって、なかなか「ハイ、そうですか」とそれを受け入れることが出来るものではありません。ところが、冒頭の言葉(3節)には、「アロンは黙した」と記されています。

 

 故榎本保郎先生は著書『旧約聖書一日一章』(主婦の友社)で「信仰とは神の御前にもだすことである」と言われています。そして「二人の息子を失ったとき、張り裂けんばかりの悲しみにおおわれたことであろう。文句も言いたかったであろう。言いわけもしたかったであろう。そんな神から逃げ出したいとも思ったことであろう。しかし、彼は黙していたのである」と説かれています。

 

 つまり、アロンは息子たちを失った悲しみ、それが主に背く罪の故に主に裁かれてのものであったという,どのように言い表したら良いのか分からないような苦しみの中、主の御前に黙することで、主が聖であることを表わし、おのが信仰を示しているわけです。

 

 詩編62編1,2節に「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない」と言われています。主なる神は、自分の悲しみ、苦しみをご存知だという信頼に生きていればこその言葉です。つまり、詩人は万感の思いを込めて、すべてを知っておられる主の御前に黙しているのです。

 

 確かに、主なる神は子を失う悲しみ、苦しみをご存知です。主は、独り子イエスを私たちの罪の贖いのため、十字架に犠牲とされるからです。そのお方にこそ、私たちの救いはあるのです。恵み深く、憐れみに富む主を常に仰ぎ、その御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きにより、委ねられた主の使命に歩ませていただきましょう。 

 

 主よ、大切な務めを自分の弱さ、愚かさ、不注意によって台無しにしてしまうような私たちです。私たちが主にあっていきることができるのは、ひとえに主が憐れみ深いお方だからです。主の憐れみに生かされている者として、内側から新たにされて、何が神の御心であるか、何が善いことで神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえることが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい。」 レビ記11章45節

 

 11章から15章までには、種々の汚れの清めに関する規定が記されています。11章には「清いものと汚れたものに関する規定」、即ち清い動物と汚れた動物、食べてよい動物と食べられない動物が列挙されています。

 

 1~8節に地上の動物、9節以下に水中の生物、13節以下に鳥類、20節以下に昆虫が挙げられます。また、24節以下には、死骸が汚れたものとされ、それに触れる者は夕まで汚れ、清めの儀式が必要とされています(24,28節など)。

 

 考えてみれば、すべての動物,生物は、主なる神が御心のままにお造りになったものです(創世記1章20節以下)。そこに、清い動物と汚れた動物などという区別がなされるというのは、少々不思議な思いがします。

 

 「ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするもの」だけが、食べてもよい清い動物だというのは(2,3節)、何を根拠にこのように言われるのでしょうか。これに従えば、豚も鯨も食べられません。馬もダメです。

 

 また、ひれ、うろこのある魚以外の「水の中の生き物はすべて汚らわしいもの」(10節)と言われるのは、なぜでしょうか。これでは、鯨、タコ、イカ、海老や蟹、貝類なども食べられません。

 

 また、鳥類のうち、食べてはならない汚れたものとされているのは、肉食をする鳥です。からすやみみずくなどは雑食で、こうのとり、青鷺は魚や小動物を補食します。ただ、コウモリは鳥類ではなく、昆虫や果実を餌としていて、肉食というわけでもありません。ここに挙げられる理由は不明です。

 

 昆虫類で羽のないものは、地上を這う爬虫類と同じ扱いになるのでしょう。羽があっても群れをなす昆虫は汚れているとされます(21,23節)。この原則によれば、群れをなさず、鳥のように自由に空を飛ぶ昆虫は清いのです。また、羽があり、群れをなしても、後ろ肢で跳ねるばった、いなごの類は清いとされます(22節)。

 

 勿論、ここに記されているのは科学的、医学衛生的な区別ではありません。極めて宗教的な区別です。主なる神は、イスラエルの民が御言葉に聴き従うどうかを試しておられるのです。

 

 44節に「わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである」と言われています。イスラエルの民は他の民と区別され、神の民とされたのです。聖なる者でない異国の民は、何を食べ、何を触ってもかまわないのですが、神の民とされたならば、その規定に従いなさいということなのです。

 

 その意味で、冒頭の言葉(45節)は象徴的です。ここに「わたしはあなたたちの神になるために、エジプトの国からあなたたちを導き上った主である」と言われています。イスラエルの民をエジプトの国から脱出させることが、彼らをご自分のものとして聖なる民とする主の御業であったかのような表現です。

 

 「わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい」というのは、17章から26章までの「神聖法集」で繰り返し語られる表現や観念と言えます。ここにそれが言われているのは、イスラエルの民が奴隷として仕えさせられていた「エジプトの国」が、主が禁じられた汚れているものを食べ、汚れたものに触れる、汚らわしい国として言い表されていることになるでしょう。

 

 イスラエルの民はエジプトの奴隷の苦しみから解放されたのですが、それは、彼らが何をしても自由、好き勝手して過ごしてもよいというものではありません。彼らは「聖なる者」となるべく呼び出されたのです。エジプトの文化、風習、宗教に倣わず、主の御言葉に聴き従うことが、主の「聖なる者」、神の民となることなのです。

 

 勿論それは、当然のことながら、イスラエルの民を規則でがんじがらめにするため、などではありません。イスラエルが規則のためにあるのではなく、規則がイスラエルの民のためにあるのであり、民が御言葉に聴き従うことによって、主にあって真の自由を得るためなのです。

 

 主イエスが、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ福音書8章31,32節)と言われているとおりです。

 

 後に、使徒ペトロがヤッファの革なめし職人シモンの家にいたとき、一つの幻を見、神の声を聞きました(使徒言行録10章9節以下)。それは、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入った入れ物が天から下りて来て、それを屠って食べなさいと ペトロに語りかけるというものです(同11~13節)。

 

 その声に対して、「清くないもの、汚れた者は何一つ食べたことがありません」(同14節)とペトロが答えると、また声があって、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(同15節)と言われました。

 

 神は、清くないもの、汚れたものを清めることが出来ます。それはまさにイスラエルのことであり、そして、私たちのことです。私たちは、独り子キリストの贖いにより、罪清められ、新しくされました(ローマ書4章25節、6章4節など)。そして、神の御言葉に従って生きるように、絶えず招かれています。

 

 上述のとおり、御言葉に聴き従って生きることこそ、聖なる者となることなのです(ヨハネ17章17節、使徒言行録20章36節参照)。私たちを生かし、自由にする主の御言葉に堅く立たせて頂きましょう。

 

 主よ、あなたの御言葉は正しく、御業はすべて真実です。御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られました。主が仰せになると、そのようになり、主がお命じになると、そのように立ち現れます。瞬間瞬間、私たちに「聖なる者となれ」とお命じください。その通りになるからです。 アーメン

 

 

「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合は、二羽の山鳩または二羽の家鳩を携えて行き、一羽を焼き尽くす献げ物とし、もう一羽を贖罪の献げ物とする。」 レビ記12章8節

 

 新共同訳聖書には、12章に「出産についての規定」という小見出しがつけられています。その内容は、産婦の汚れの期間と、清めに要する日数(2節以下)、そして、産婦のための贖いの儀式についての規定(6節以下)です。

 

 男児を出産したときの汚れの期間は「月経による汚れの日数と同じ七日間」(2節、15章19節以下)で、その期間は、月経期間と同様、出産した女性が触れたものは汚れると考えられます。ただし、それが人でない場合に、それを清める儀式の規定はありません。こ子に記されている「汚れ」が、衛生的なものではないことが分かります。

 

 汚れを清めるのに要する期間は、33日です。この期間は、、その女性が触れるものが汚れたとされることはないようです。女性は、汚れの期間7日とそれを清めるのに要する期間33日、合わせて40日間、外出が禁じられます(4節)。女児の場合には、それぞれ倍の日数が必要と言われます(5節)。

 

 しかし、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(創世記1章28節)と言われた主の御言葉に従って命を宿し、出産の時を迎えた女性が、それによって「七日間汚れている」(2節)と言われる理由は、よく分かりません。この汚れは、いわゆる律法違反、過失や犯罪などとは全く無縁です。

 

 ある註解書は「月経という女性特有の生理現象の期間は、通常妊娠しない=生殖能力があるのに子が生れないときであり、同様に、出産後の33日間は妊娠しない=子が生れないときと考えると、それは、医学的に、また神学的に、『新しい生命に対するネガティブな身体的状態』にある」と説明し、その状態を「出産における出血の汚れが清まるのに必要なとき」としています。

 

 また、7日間の「汚れ」と、33日間の「汚れから清まるのに必要な」期間、家に留まり、「その清めの期間が完了するまでは、聖なる物に触れたり、聖所にもうでたりしてはならない」(4節)と言われているだけですから、これは、産婦が出産後、しばらく安息を得ると共に、清潔で健康的な生活を送るために必要な期間と考えることも出来ます。

 

 それにしても、そのことを「汚れ」と表現するのはどうかと思いますが、しかし、そう言われることで、その期間、誰とも接触しないですむならば、また、家事から解放されて安息出来るのであれば、それも良しとされるように思われます。

 

 ただし、男児の出産では清めまでに要するのが40日間で、女児では倍の80日になるというのは(5節)、贖いの儀式のために献げるいけにえに男女間の違いがないこともあって(6,8節)、その理由を合理的に説明することが出来ません。これは、女性に対する差別的な思想が、その背景にあるのではないかと考えざるを得ません。

 

 それについて、「女性の繁殖の力と神秘に対する尊敬と恐れを反映している」という註解者がいます。しかしながら、そのような「尊敬と恐れ」を動機として、その女性を「汚れている」とする規則を、肯定的に評価することは極めて困難です。

 

 男児が生まれると、8日目に割礼を施します(3節)。産まれた子どもの清めの期間などの規定がないということは、その子どもは汚れてはいないということになります。だから、産婦は「家に留まる」と言われますが、子どもについての規定はないわけです。

 

 神の御子イエスも、生後8日目に割礼を受ける日を迎えました(ルカ福音書2章21節)。そしてそのとき、天使の御告げのとおりに(同1章31節、マタイ福音書1章21節)、「イエス」という名付けが行われました(同25節、ルカ福音書2章21節)。

 

 主イエスの誕生された日付に関して、聖書にその記述はありませんが、12月25日をクリスマスと定めたのは、神の導きだったと思います。クリスマスから8日目は、1月1日です。元日に「イエス」と名付けられたということは、イエスという名が付けられてから、今年2021回目の正月がやって来たと言い表していることになります。

 

 産婦の清めの期間が終わった後、焼き尽くす献げ物と贖罪の献げ物を行います。通常、雄羊一匹と鳩一羽をささげるのですが、冒頭の言葉(8節)にあるとおり、貧しくて小羊に手が届かない場合は、山鳩か家鳩を二羽携えて行き、一羽を焼き尽くす献げ物、もう一羽を贖罪の献げ物とするように規定されています。

 

 主イエスの母マリアも、定められた清めの期間が過ぎたとき、即ち、出産から40日後に、「主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるため」(ルカ福音書2章24節)に、エルサレム神殿に詣でました。この記録は、ヨセフとマリアが大変貧しかったということを示しています。

 

 そのように貧しい二人にとって、ナザレからベツレヘムに行って出産に臨み、それからエルサレムの神殿に詣でて、献げ物をするというのは、大変大きな負担だったと思いますが、まず神の国と神の義を求めることで、必要の一切は加えて与えられるということを、二人は確かに知っていたのでしょう(マタイ福音書6章33節)。

 

 イエス・キリストは神の御子でしたが、その身分を捨てて人となり、貧しい家庭にお生まれになりました。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」(第二コリント書8章9節)とパウロが言うとおりです。

 

 私たちを豊かにしてくださる主に目を注ぎ、日々その御言葉に耳を傾け、主の御心にかなう信仰の道をまっすぐに歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、あなたは御子イエスをこの世にお遣わしくださり、十字架に於いてすべての罪汚れを清める贖いの供え物とされました。日々新たに恵みの主を信じ、感謝と喜びをもって御言葉に聴き従うことが出来ますように。聖霊に満たされてその力を受け、主の証人としての使命を全うすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です、汚れた者です』と呼ばわらねばならない。」 レビ記13章45節

 

 13章には「皮膚病」に関する規定が記されています。「重い皮膚病」(ツァーラアト)という言葉は、以前「ライ病」と訳されていました。しかし、ここに記されている症状は、いずれも所謂「ライ病」ではないことを示しています。

 

 「ツァーラアト」の語源や正確な意味は不明ですが、「汚れている」と判定される皮膚病の総称として用いられています。これが「ライ病」と訳されたのは、七十人訳(ギリシア語訳旧約聖書)が、「レプラ」と訳したからです。

 

 ただし、「レプラ」というギリシア語も、元来は「ライ病」を指すものではありませんでした。「鱗状の、かさぶた状の」という意味の「レプロス」という形容詞の女性形が「レプラ」です。語源から考えると、皮膚が鱗状、かさぶた状になる症状全体を指し、乾癬や湿疹など幅広い皮膚疾患がそのように称されていました。そこに「ライ病」が含まれていたかについては、諸説あるようです。

 

 正確な知識を持ち合わせませんが、これが「ライ病」のことと考えられるようになったのは、その症状に基づく診断などではなく、祭儀的に「汚れている」と判定されることが原因でしょう。1873年にノルウェーのアルマウェル・ハンセンがライ病菌を発見するまで、ライ病の正しい診断を行うことが出来ず、似たような症状を持つものはすべて、ライ病とされて来ました。

 

 ライに感染・発症すると、末梢神経が侵され、皮膚に症状が現れ、それが進むと身体に変形が生じることもあります。その重い症状によって、ライ病患者は神によって打たれたものと考えられ(天刑病)、「汚れている」者として、差別を受けることになったのです。その意味で、聖書の不正確な翻訳が、ライ病患者に対する差別を助長する一因となったとするならば、それは大変残念なことです。

 

 冒頭の言葉(45節)で、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらなければならない」と言われています。感染症で隔離を必要とする病気である場合、「一人で宿営の外に住まねばならない」(46節)というのは、止むを得ない措置かもしれません。

 

 「口ひげを覆う」というのは、空気感染や飛沫感染を恐れて、口を衣服などで覆うことを言っているのでしょう。病気を「汚れ」とすることで、健常者が重い皮膚病を患っている人と接触することがないようにするという狙いがあるのでしょう。けれども、患者にとって、病気の身体的な苦しみに加えて、宗教的、社会的差別までも受けるというのは、どれほどに辛く悲しいことだったでしょうか。

 

 考えてみると、「わたしは汚れた者です」と叫ぶ必要のない清い人はいません。私たちは神の御前に、「だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない」(詩編14編3節、ローマ書3章12節)と言われる者です。

 

 その汚れのゆえに神に打たれるのであれば、皆、重い皮膚病を患い、苦しまなければならないでしょう。私たちはパウロの同様に「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ書7章24節)と言わなければならない、罪人の頭だからです(第一テモテ書1章15節)。

 

 しかるに神は御子キリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物とされました(ローマ書3章25節)。御子キリストの贖いのゆえに、私たちは律法の呪いから救い出され(ガラテヤ書3章13節)、永遠の命に与り(ローマ書6章23節)、神の子となる資格をあたえられたのです(ヨハネ福音書1章12節)。

 

 だから、「以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身につけ、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」(エフェソ書4章22節以下)。

 

 13節の「全身が白くなっていれば、その人は清いのである」という言葉は、とても不思議です。病気が治ったというわけではなく、慢性皮膚病が全身を覆い、頭から足の先まで、全身の皮膚が白くなっていれば、「患者は清い」と言い渡すのです。

 

 どう考えたらよいのか分かりませんが、これを、病変が覆われて全身の皮膚が白くなっているということで、罪人の私がそのままで、「神にかたどって造られた新しい人を身につけた」(エフェソ書4章24節参照)と読みたいと思います。 

 

 詩編32編1節に、「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」と言われるとおりです。それによって、もはや私たちは「汚れた者」ではなく、「清められた者」と見做していただいたということです。

 

 勿論それは、私たちがキリスト・イエスを離れて、自ら感謝を清く正しい生活が送れるということではありません。ただ、キリストによって背きを赦され、罪を覆っていただいただけです。けれども、だから清く正しい生活をしなくてよい、どうせ出来ないといって善いわけでもありません。「わたしは聖なる者であるから、あなたたちも聖なる者となりなさい」(11章45節)と言われているからです。

 

 私たちを「清い」と仰せになり、そのために御子キリストを償いの供え物とされた主なる神を畏れ、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。絶えず聖霊の導きを求めて,祈りを捧げましょう。そして、命の恵みに与らせてくださる主を,心からほめ讃えましょう。

 

 主よ、あなたの愛と憐れみの故に、心から感謝します。平和と信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、私たちの上にありますように。主の恵みが、私たちの主キリスト・イエスを信じ愛するすべての人々と共に、限りなく豊かにありますように。 アーメン

 

 

「もし、彼が貧しくて前記のものに手が届かないならば、自分の贖いの儀式のための奉納物として賠償の献げ物の雄羊一匹、更に穀物の献げ物のためにオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の一エファ、及び一ログのオリーブ油を調える。」 レビ記14章21節

 

 14章には、「重い皮膚病」(ツァーラト)を患った人の「清めの儀式」についての規定が記されています。これは、重い皮膚病を癒すための儀式ではなく、重い皮膚病が癒された人を清めるための、即ち思い病状のために隔離されていた人を社会生活に戻し、主なる神を礼拝する民として整えるための儀式です。

 

 そのためにまず、祭司は患者の状態を調べます(3節)。患者は汚れているとされているため、宿営の外に留め置かれていますから、そこまで往診に行くわけです。そして、治っていれば、清めの儀式を行います(4節以下)。

 

 清めの儀式を行った後で、その人は宿営には戻れますが、すぐに天幕に入ることは出来ません(8節)。七日の間、家族などとの接触は禁じられているのです。七日目に第二の清めの儀式があり、それから社会生活に戻ることが出来ます(9節)。それでもまだ、聖なるものに触れることは禁じられていると考えられます。

 

 それで八日目、主の御前に賠償の献げ物、焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物をささげます(10節以下)。まずは、賠償の献げ物として雄羊一匹を、一ログのオリーブ油と共にささげます(12節)。

 

 このとき祭司は、雄羊の血を取り、清めの儀式を受ける者の右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗ります(14節)。これは、祭司として任職するときの儀式と似ています(8章23,24節、出エジプト記29章20節)。賠償の献げ物をするということは、重い皮膚病が単なる病気などではなく、信仰上の汚れ、即ち主なる神に対する罪の結果と考えられていることを示しています。

 

 次いで、オリーブ油を主の前に振りまいた後(15,16節)、右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に塗り(17節)、更に頭にも塗ります(18節)。これも、祭司アロンの頭に油を注いで聖別したのに似て(8章12節、出エジプト記29章7節)、皮膚病の汚れから清められた人物を、更に聖別して、主に仕える者とするということでしょう。

 

 最後に祭司は、焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物を、祭壇で燃やして主なる神にささげます(19,20節)。こうして、重い皮膚病を癒やされた人が、これらの儀式を経て宗教的にも清い者とされ(20節)、晴れて神の民イスラエルの一員として、公私共に承認されるのです。

 

 21節以下には、貧しくて清めの儀式が出来ない人のための規定が記されます。焼き尽くす献げ物は、雄羊一匹、雌羊一匹を鳩2羽に替え、穀物の献げ物は、十分の三エファを十分の一エファに減量されています。貧しい人々に対する配慮は、1章14節以下、5章7節以下などにもありました。

 

 しかしながら、冒頭の言葉(21節)のとおり、賠償の献げ物としてささげられるのは、いずれも雄羊一匹です。5章14節以下に「賠償の献げ物」についての規定が記されていますが、すべて、聖所で定められた支払い額に相当する無傷の雄羊を,群れの中からとって主にささげることになっていました。

 

 これは、人が罪を犯して汚れを負った場合、それから清められるのは、雄羊の血を賠償の献げ物とするほかにはないということです。ヘブライ書9章22節に「血を流すことなしには罪の赦しはあり得ない」と言われるのは、そのことです。

 

 ただ、重い皮膚病になったことは、罪の結果などではありません。癒されるまで社会生活から隔離されてきた方々が、清めの儀式のために賠償の献げ物をささげるというのは、どんなに大変なことだったろうと思います。

 

 彼らに代わって賠償の献げ物をささげてくれる人がなければ、もとの生活に戻れなかったかもしれません。洗礼者ヨハネは主イエスのことを、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ福音書1章29節)と言いました。神が御子キリストをこの世に遣わし、私たちのための贖いの供え物としてくださったので、私たちはもはや、主の御前にいけにえをささげる必要がなくなったのです。

 

 私たちはかつて、「わたしは汚れた者です」と呼ばわらなければならないような存在でしたが、今は神の御子、主イエス・キリストの血によって清められた者とされ、聖霊の力を受けて、主の恵みを証しし、福音を告げ知らせる務めに任じられました(ヘブライ書9章14節、使徒言行録1章12節、ヨハネ福音書15章16節、第二コリント書5章15節)。

 

 神の憐れみによって選ばれ、聖なる者とされているのですから、互いに愛し合い、忍び合い、赦し合って、キリストの平和が心を支配するようにしましょう。そのために、私たちは招かれて一つの体とされたのです(コロサイ書3章12節以下、15節)。

 

 主よ、あなたの御愛を感謝します。深い憐れみに感謝します。私たちを、御名のゆえに正しい道に導き返してくださいました。家族や知人をお与えくださって感謝します。日ごとの恵みを家族、友人と共に分かち合い、恵みの地境を広げさせてください。 アーメン

 

 

「あなたたちはイスラエルの人々を戒めて汚れを受けないようにし、あなたたちの中にあるわたしの住まいに彼らの汚れを持ち込んで、死を招かないようにしなさい。」 レビ記15章31節

 

 種々の汚れを清めるための規定の最後は、様々な種類の身体的な漏出を扱っています。2節以下に尿道の炎症による漏出、16節以下に精の漏出、19節以下に月経、25節以下に月経異常の出血が汚れとして取り扱われ、それぞれの清めの手順が示されています。

 

 そして、31節以下に結論的な規定が告げられます。冒頭の言葉(31節)に「あなたたちの中にあるわたしの住まい」という言葉が出て来ます。このとき、主が語られた「わたしの住まい」(ミシュカーニー:My tabernacle)とは、イスラエルの民と一緒に旅をするために作らせた臨在の幕屋のことでした(出エジプト記25章8,9節)。

 

 「あなたたちの中にある」と訳されている「アシェル・ベ・トーカーム」は「彼らの間にある:that among them」という言葉です。彼らとは「イスラエルの人々」(ブネー・イスラエル:直訳は「イスラエルの子ら」)のことです。主なる神が、エジプトを脱出したイスラエルの民の間に住まわれ、彼らと共に荒れ野を旅されているのです。

 

 また、「汚れを受けないように」は「ヒッザルテム・ミ・トゥムアーターム=彼らの汚れから離れさせよ」という言葉です。それは、「わたしの住まいに彼らの汚れを持ち込んで、死を招かないように」させるためです。罪、汚れを持ったまま、幕屋に近づく者は死ぬことになるというのです。

 

 言うまでもありませんが、神は天地万物を創造されたお方です。聖書には、この宇宙も神を住まわせることは出来ないと記されています(列王記上8章27節参照)。まして、人が造った家に住まわれるのでしょうか。

 

 そうです。それは、神ご自身が望まれたことであり、主のご命令に従って、臨在の幕屋が造られました(出エジプト記25章8節、40章)。主が、人々の間に住まわれ、彼らとの親しい交わりを求めておられるのです。言い換えれば、すべての民から愛されること、信頼されること、具体的には、私たちが主を畏れ、真の礼拝を捧げる者となることを、主なる神ご自身が求めておられるのです。

 

 この御思いを繰り返し踏みにじり、背き続ける私たちに対して、主なる神は究極の愛を示されました。神の独り子キリスト・イエスを犠牲になさったのです。ご自分の独り子と私たちの立場を、そっくり交換してくださったのです。

 

 乞食王子という童話があります。瓜二つの王子と乞食が着物を交換するという話です。その後、乞食の身なりをした王子は、ひどい生活を経験します。一方、王子の着物を着た乞食の子は、夢のような生活を味わうのです。そして、王子が新しい王様として即位する戴冠式の直前、元に戻るというお話です。

 

 乞食王子は、いわゆる物語です。しかし、神の御子イエス・キリストと私たちの交換は、ただのお話ではありません。本当に私たちは神の子ども、天の御国の王子とされているのです。

 

 主イエスを信じて、その救いに与った者には、神の子どもになる資格が与えられました(ヨハネ福音書1章12節)。また、主イエスは私たちに「天におられるわたしたちの父よ」(マタイ福音書6章9節)という呼びかけの言葉を教え、神が私たちのお父さんだと紹介してくださったのです。そして、神は私たちを本当に自分の子どもと認め、私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。

 

 パウロも、「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供どもであることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます」(ローマ8章15~16節)と言っています。

 

 またエフェソ書1章13,14節に「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになります」と言われます。

 

 イエス・キリストを信じて与えられた約束の聖霊によって、「アッバ、父よ」と呼ぶ私たちの神の住まいはどこでしょうか。モーセたちに造らせた神の幕屋も、ソロモンの建てた神殿も、その後エズラ、ネヘミヤによって建てられた第二神殿も、さらにイエスがその破壊を預言されたヘロデの神殿も、今はありません。それでは、神の住まいは今日、どこにあるのでしょうか。

 

 聖書は、「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(第一コリント6章19節)と私たちに語ります。私たちの体が神の霊が宿る神殿だと言われています。私たちの体に神の霊が宿り、住まいとされたというのです。

 

 この体は、贖罪の小羊なる主イエスの血によって購われたものです。だからこそ、この神殿を汚すことがないように、むしろ、この体で神の栄光を現わすように(同6章20節)、主の御前に、主を畏れつつ清い生活を送ることが求められているのです。

 

 これらのことを教え、私たちを愛し、守り支えてくださる主を信頼し、日ごとに語られる主の御言葉で心も体も清められ、主なる神と交わり、隣人を互いに大切にし合う健全な生活を,主の御前で送りましょう。

 

 主よ、あなたの深い愛と恵みのゆえに、心から感謝致します。あなたの御旨はあまりに深くて、すべてを探り知ることは出来ません。ただ、日ごとに御言葉を聴き、その導きに従うのみです。常に御言葉の光のうちを歩み、その交わりから外れることがないように、守り導いてください。私たちの交わりと日々の生活を通して、神の栄光を現わすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「これはあなたたちの不変の定めである。年に一度、イスラエルの人々のためにそのすべての罪の贖いの儀式を行うためである。モーセは主のお命じになったとおりに行った。」 レビ記16章34節

 

 16章には、「贖罪日」についての規定が記されています。ただ、「贖罪日」(ヨーム・キプリーム)という言葉は聖書中、23章27,28節、25章9節と、3回登場して来るだけです。「贖い」は「覆う、隠す」(カーファール)という言葉で、主なる神の裁きから罪人を覆い隠すという意味で用いられています。

 

 1節に「アロンの二人の息子が主の御前に近づいて死を招いた事件の直後、主はモーセに仰せになった」と記されていて、これが10章の「祭司ナダブとアビフの違反」事件の直後に、主がモーセに語られたものであることを示しています。ということは、11~15章の「種々の清めの規定」が、その間に割り込んだかたちになっています。

 

 これは、主の臨在の幕屋がイスラエルの民の宿営の真ん中にあるので、気を抜いて汚れを持ったまま幕屋に近づき、アロンの子らのように打たれることがないように、具体的な例証としたというものでしょう。

 

 2節に「決められた時以外に、垂れ幕の奥の至聖所に入り、契約の箱の上にある贖いの座に近づいて、死を招かないように。わたしは贖いの座の上に、雲の内に現れるからである」とあります。

 

 ここで「贖いの座」(カポーレス)は、上述の「キプリーム」「カーファール」と同根で、「覆い」という意味の言葉です。単純に箱の「蓋」というのが、初めの意味だったかも知れません。ここに「座」という意味はありません。宗教改革者マルティン・ルターが、ドイツ語訳聖書を翻訳しているときに、作り出したものと言われています。

 

 「わたし(主=ヤハウェ)は贖いの座(カポ-レス)の上に、雲のうちに現れる」とあり、神が顕現され、アロンの祭儀を受けられる場ということで、その意味を込めて「座」という意味が加えられたわけです。「雲」は主なる神の姿を隠しつつその臨在を示すもので、そこに主の栄光が現れました(出エジプト記16章10節、24章16,17節、40章4節など)。

 

 また、「決められた時」は、29節によれば「第七の月の十日」のことです。それが「贖罪日」と呼ばれるというのは、23章27節にそのように言われて初めて分かることです。この贖罪日の規定が実行されたという記録がありません。もとになった祭儀は初期の段階から存在していたようですが、国を挙げてそれを守るよう、規定が整えられたのは捕囚からの帰還後のこととされています。

 

 アロンが主の御前に出て大祭司の務めをなすのは年に一度、「第七の月の十日」の贖罪日ということですが、モーセは絶えず主の御前に進み、親しく御言葉を聞いています。モーセが特別な存在だということもあるかも知れませんが、主なる神が呼びたいと思われるなら、一度と言わず、いつでも呼び寄せられるということでしょう。

 

 一方、11章以下の種々の清めの儀式において、贖罪の献げ物をささげることが規定されています。この規定が文字通り守られたならば、兵役に就くことの出来る20歳以上の男だけで60万(民数記1章46節、26章51節)、全体で200万はいると思われるイスラエルの民のために、臨在の幕屋ではひっきりなしにいけにえがささげられることになったでしょう。

 

 そうすると、おびただしい動物の屠られた臭い、祭壇で焼かれた献げ物や、祭壇に注がれた血の臭いなどで、幕屋の周辺は息もつけないような場所になってしまったことでしょう。また、臨在の幕屋を引き継いだソロモンの神殿で、たとえば、生理の清めのためだけでも、毎月エルサレム詣でをしなければならないとなると、ガリラヤなど遠方に住む人々は、生活が成り立たなくなってしまいます。

 

 そのようなことのため、年に一度、贖罪の献げ物をささげる「贖罪日」が設けられ、そのときエルサレムに行き、まとめて一度献げ物をするというのは、様々な負担を考えると、主なる神の粋な計らいなのかなあと思ってしまいます。

 

 3節以下に、贖罪日の儀式について規定されていますが、興味深いのは、8節以下の「アザゼルのものに決まった雄山羊」のことです。アザゼルの語源は不明ですが、「主のもの」との対比で、主なる神に背く悪魔的な存在を指しているのではないかと考えられます。

 

 アザゼルのための雄山羊は、イスラエルのすべての人々の罪責と背きと罪をすべて負わせて、生きたまま荒れ野に追いやられます。それは、悪霊に対していけにえをささげるのではなく、罪を負わせた雄山羊を、民の住むところから遠く離れた、悪霊の住む荒野に追放し、それによって、民の罪が宿営から取り除かれたことを象徴しているのです。

 

 そして、主はその計らいをさらに進めて、毎年ささげなければならない贖罪の献げ物、しかも、全世界のあらゆる世代の人々の罪を贖うための献げ物として、ただ一度、御子イエスをいけにえとされたのです。

 

 ヘブライ書10章11~13節に、「すべての祭司は、毎日礼拝をささげるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを繰り返してささげます。しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえをささげて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもがご自身の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです」と言われています。

 

 ただ一度の献げ物で、すべてのものを贖い、清められたのです(同14節参照)。「罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません」(同18節)。日々主イエスの十字架を仰ぎ、感謝をもって賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の実を主に献げましょう(同13章15節)。

 

 主よ、あなたは私たちに対する数知れない御計らいをもって、恵みに恵みを増し加えてくださいます。あなたを尋ね求める人が、あなたによって喜び祝い、楽しみ、御救いを愛する人が、主を崇めよといつも歌いますように。 アーメン

 

 

「それを臨在の幕屋の入り口に携えて来て、主の幕屋の前で献げ物として主にささげなければ、殺害者と見なされる。彼は流血の罪を犯したのであるから、民の中から断たれる。」 レビ記17章4節

 

 17~26章は、レビ記の第二部といった構成になっており、新共同訳聖書にあるように、「神聖法集」と呼ばれています。このような呼び名がつけられるというのは、「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」(19章2節)というのが、第二部全体の主題であるということです。

 

 17章1節以下の段落には、「献げ物をささげる場所」という小見出しが付けられています。3節以下に、牛や羊、山羊を屠る場合は、常に献げ物として主にささげなければならないと規定しています。食用とするための屠殺でも、主への献げ物としてささげなければならないということは、それを「和解の献げ物」(5節)として献げるということになります。

 

 和解の献げ物のささげ方については、3章、7章11節以下にその規定があります。即ち、和解の献げ物として屠られた動物の血は祭壇に注ぎかけ、脂肪は宥めの香りとして燃やして煙とされます(6節、3章、7章31節)。

 

 供え物の胸の肉は「奉納物」(テヌファー)として主にささげられた後、祭司のものとされます(7章30,31節)。また、いけにえの右後ろ肢は「礼物」(テルマー)として祭司とその子らに与えられます(同32節)。そして、それ以外の肉は奉納者自身に下げ渡されるのです。

 

 食肉について、和解と感謝の献げ物とされた供え物の肉は、ささげられた日に食べねばならないと言われ(同15節)、満願の献げ物、随意の献げ物については、ささげた日とその翌日にも食べることができるとされています(同16節)。

 

 残った肉は三日目には焼き捨てねばならないと(同17節)、時間的な制限が設けられています。それは「不浄なもの」(同18節)となると言われます。「不浄なもの」(ピグール)は、「腐敗したもの」という意味を持っています。文字通り、食品衛生的に食べるわけにはいかない物になっていると解することもできるわけです。

 

 一方、供え物とする場合の屠殺で、「野外で屠っていたいけにえ」と言われるということは、主への献げ物でないいけにえが「野外」、あるいは宿営の外で(3節)ささげられていたことを思わせます。7節の「彼らがかつて、淫行を行ったあの山羊の魔神に二度と献げ物をささげてはならない」という言葉が、それを明示しています。

 

 「山羊の魔神」と呼ばれるような異教の神にいけにえをささげていたということであるならば、それは明確に、十戒の第一、第二の戒め(出エジプト記20章3~5節)に背く罪です。「山羊の魔神」と訳されているのは、「雄山羊」(サーイール)の複数形「スイーリム)です。淫行を行った雄山羊に献げ物をするという表現から、これは、雄山羊の形をした異教の神々のことを指しているようです。

 

 歴史家ヨセフスの著書に、エジプトに山羊やその他の家畜を拝む慣わしのあったことが記されているそうです。祭司アロンが金の雄牛像を造って拝ませたように(出エジプト記32章)、雄山羊の形をした偶像を拝むということがなされていたのでしょう。

 

 主の幕屋以外での献げ物を禁じることで、いけにえを献げて神を礼拝する場所は、主の幕屋だけということになります。そうすることによって、異教の偶像にいけにえをささげて、それを拝むのを止めさせようとしているわけです。

 

 特に、冒頭の言葉(4節)のとおり「主の幕屋の前で献げ物として主にささげなければ、殺害者とみなされる。彼は流血の罪を犯したのであるから、民の中から断たれる」ということで、それがいかに重大な罪であるかを示しています。

 

 その意味で、当然、家畜を屠る度に、誰に対して献げ物をささげようとしているのか、誰を礼拝しようとしているのかが問われることになります。そして、イスラエルの民は、そのような規定が設けられる必要があるほど、十戒に背き、異教の神礼拝を熱心に行なっていたわけです。

 

 サマリアの女が主イエスに「わたしどもの先祖はこの山(ゲリジム山)で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」(ヨハネ福音書4章20節)と言った時、主イエスは「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(同21節)と答えられました。

 

 そして、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(同23,24節)と仰っています。

 

 サマリアの女は、ゲリジム山とシオンの山、どちらで神を礼拝すべきなのかと問うたわけですが、主イエスは、神礼拝で重要なのは場所などではない、どのように神を礼拝するのかということが、とても重要なのだと教えられたのです。

 

 それは、私たちを新しく生まれさせる聖霊の働きを通し、真理なる主イエスを信じる信仰によって、主なる神を礼拝することです。その意味では、聖霊と主イエスと父なる神、三位一体の神を礼拝することが、まことの礼拝ということになります。

 

 日ごと夜ごと、私たちの体という臨在の幕屋、神の宮で(第一コリント書6章19節)、私たちと共にいてくださる主イエスを仰ぎ(マタイ福音書28章20節など)、聖霊に満たされて詩編と賛歌と霊の歌により、感謝して心から神をほめたたえる賛美のいけにえを献げましょう(エフェソ書5章18,19節、ヘブライ書13章15節)。

 

 主よ、霊によるあらゆる知恵と理解によって御心を悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、主をますます深く知ることが出来ますように。神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「自分の子を一人たりとも火の中を通らせてモレク神にささげ、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。」 レビ記18章21節

 

 3節に「あなたたちがかつて住んでいたエジプトの国の風習や、わたしがこれからあなたたちを連れて行くカナンの風習に従ってはならない。その掟に従って歩んではならない」と告げられています。「従ってはならない」と言われる風習とは、6節以下を見れば、近親相姦をはじめ、乱れた性的な関係のことであることが分かります。

 

 新共同訳聖書は18章に「いとうべき性関係」という小見出しをつけています。イスラエルの民には、かつて奴隷とされていたエジプトの国や、これから獲得することになる約束の地カナンとその周辺に住む異国民らの乱れた風習に染まず、主なる神に選ばれた聖なる民として生きることが求められているのです。

 

 25節に「これらの行為によってこの土地は汚され、わたしはこの地をその罪のゆえに罰し、この地はそこに住む者を吐き出したのである」とあり、イスラエルの民が主の約束の地カナンに定住出来るのは、先住民がその罪によって地を汚して罰を受け、地がそこに住んでいた者たちを追い出したためだと説明しているのです。

 

 ということは、彼らがエジプトの国やカナンの民の風習に従って歩めば、彼らも罰を受けて「先住民をはき出したと同じように、土地があなたたちを吐き出すであろう」(28節)ということなります。そこで、民全体が吐き出されてしまう前に、「これらのいとうべき事の一つでも行う者は、行う者がだれであっても、民の中から断たれる」(29節)と言われるのです。

 

 この規定の中で、冒頭の言葉(21節)だけは、性行為と直接関係がないように見えます。モレク神に子どもをささげるなというのは、偶像礼拝禁止条項です。それがここに入れられているのは、偶像礼拝が神との関係の乱れということで、乱れた性的関係との類似ということも出来るでしょうけれども、そうであるなら、カナンの代表的なバアルやアシェラの礼拝が取り上げられるべきです。

 

 「モレク」というのは、ヘブライ語の「王」(メレク)という言葉に、「恥ずべきもの」(ボシェス)の母音をつけて発音したもので、「恥ずべき王」という意味になるかと思われます。モレクは、列王記上11章7節ではアンモン人の神とされており、同33節ではミルコムとも呼ばれています。あるいは、それが正しい呼び名なのかもしれません。

 

 モレクの神殿は、エルサレムの南西ベン・ヒノムの谷トフェトに築かれていました(エレミヤ書7章31節)。それは、ダビデの子ソロモンによって、彼の異邦人妻たちのために建てられたものです(列王記上11章5,8節)。

 

 列王記下23章10節に「王はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、誰もモレクのために自分の息子、娘に火の中を通らせることのないようにした」という記事があります。トフェトはもともと、エルサレムの町のごみ捨て場だったようですが、そこに築かれたモレクの神殿で、子どもを火で焼いてモレクにささげるというおぞましいことが行われていたのです。

 

 大切な子どもをささげることで、なんとしても自分たちの願い事をモレクの神に叶えてもらおうという目的があったのでしょう。しかしそれは、主なる神に与えられた大切な命を神ならぬものにささげることであり、自分たちの将来を犠牲にすることです。

 

 ヒノムの谷はヘブライ語原典で「ゲイ・ヒンノム」と発音されます。それが「ゲエンナ」とギリシア語音写されました。マタイ5章22節、マルコ9章43節などに「ゲエンナ」が用いられていますが、新改訳、岩波訳はこれを「ゲヘナ」とし、新共同訳などは「地獄」と訳しています。ヒノムの谷という言葉が、滅びの比喩、神の永遠の裁きの象徴となったのです。

 

 21節冒頭の原文「ミッザレアハー・ロー・ティッテン・レハアビール・ラモレク」を直訳すると、「自分の種から献げ物としてモレクに与えてはならない」となります。これは、20節の「あなたの隣人の妻に種のためにあなたの性交を与えてはならない」という言葉と続けて、隣人の妻に種を与えることと、モレクに自分の種の一つを与えることが並置されているということになります。

 

 隣人の妻との姦淫が、相手の家庭と自分の家庭の双方を破壊してしまうので、十戒で禁止され(出エジプト記20章14節)、20章10節で「必ず死刑に処せられる」と宣告されています。モレクに子をささげることが民の間に広がることで、主との関係が蔑ろにされ、主の民としての共同体を破壊し、将来を担う命を無駄にするという恐るべき罪とされているわけです。

 

 そして何と、ユダの王アハズ(列王記下16章3節)、同じく王マナセ(同21章6節)もこれを行っており、この罪によって繰返しその地が汚された結果、イスラエルの民は、この地から追い出され、亡国とバビロン捕囚という憂き目を味わわなければならなくなったわけです。

 

 改めて、イスラエルが自分の知恵や力で主なる神の聖なる民となることは出来ません。人が自分でエデンの園を作り出すことなど、出来はしないのです。イスラエルが神の民として選ばれたのは、ただ主なる神の憐れみです(申命記7章6節以下参照)。

 

 主なる神がエゼキエル書36章25,26節で、「わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える」と宣言されています。

 

 これは、エレミヤが「しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ書31章31節以下、33節)と語った「新しい契約」預言と同じ内容の言葉でしょう。

 

 それはまた、姦淫と殺人の罪を犯したダビデが、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください」(詩編51編12~14節)と祈り求めた願いに対する、主の応答ともいうべきものです。

 

 主なる神は、求めるものに得させ、捜すものに見出させ、門を叩くものには開いてくださるお方です(マタイ7章7節以下)。何よりもまず、神の国と神の義とを求めて、主の御前に進みましょう。その御言葉に耳を傾けましょう。その恵みに与り、心から主を誉め讃えましょう。

 

 主よ、何よりも先ず、神の国と神の義を求める者とならせてください。絶えず御言葉を通して清められ、新しい霊で満たしてください。心から、霊と真実をもって主を礼拝することが出来ますように。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。」 レビ記19章18節

 

 2節に「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である」とあります。これは、神聖法集(17~26章)のテーマであると共に、レビ記の中で繰り返し語られる大きなテーマです(11章44,45節、20章7,8,26節、21章6,7,8節)。

 

 「神は愛なり」(第一ヨハネ4章8節)と言われるように、主なる神は愛なるお方、慈しみ深く憐れみに富むお方でもあるのですが(歴代誌上16章34節など参照)、しかし、イザヤが預言者として召されるとき、セラフィムが互いに呼び交わし、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」(イザヤ書6章3節)と唱えたことも、よく知られています。

 

 主は、罪に染まない聖い神であられます。けれども、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」と唱えられる方は、御自分を聖く保つため、天の彼方に孤高を貫いておられるというわけではありません。主なる神の清さは、愛の中に、愛を通して表わされます。

 

 そのことが、父と母を敬うことや(3節)、貧しい者や寄留者を配慮することなどを通して(9節以下)、表わされます。また「隣人を虐げてはならない。奪い取ってはならない。雇い人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしてはならない。耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。わたしは主である」(13節以下)と言われます。

 

 イスラエルの民をご自分の民として選ばれたのは、恵みと憐れみによって選ばれたイスラエルの民が、聖なる者としてその範を垂れることにより、すべての民に神の恵みと憐れみが表されるためだったのです。

 

 そうして、罪を憎まれる聖い神は、私たちを愛して、御子キリストを贖いの供え物とされ、罪の呪いから解放して下さいました。この神の御愛のゆえに、私たちが聖なる者として歩むように、求められるのです。

 

 ペトロが、「聖なる生活をしよう」という段落の中で(第一ペトロ1章13節以下)、「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい」(同22節)と告げているのも、聖さが愛を通して表わされることを示しています。

 

 19章を通じて「聖なる者となれ」と示されているところに、冒頭の言葉(18節)で「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉が記されているのも、同じ消息です。

 

 隣人愛を説く掟は、「心の中で兄弟を憎んではならない」(17節)、「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない」(18節)という禁止命令と対置されています。憤りの感情に支配されず、隣人への愛を意志せよ、その幸福を図れというのです。

 

 第一の掟はどれかと尋ねられた主イエスは(マルコ福音書12章28節)、「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい』。この二つにまさる掟はほかにない」(同29節以下)と答えられました。

 

 マルコで「第一の掟」と言われているところを、マタイは「最も重要な掟」(マタイ22章36節)と書き表し、「この二つ(申命記6章5節、レビ記19章18節)にまさる掟はほかにない」を「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタイ23章40節)と言い換えています。

 

 主なる神を愛することと、自分のように隣人を愛することというこの二つの掟が、「律法と預言者」で示されている旧約聖書全体を基礎づけている、この二つの掟から旧約聖書の定め、教えが生み出されたと言っているわけです。

 

 ここで、「隣人を自分のように愛しなさい」とは、口語訳の「自分を愛するように、隣り人を愛しなさい」という、自分を愛する自己愛を土台として、隣人を愛しなさいと命じているのではありません。岩波訳では「あなたは、あなたの隣人をあなた自身として愛するであろう」と訳しています。

 

 私たちを愛してくださる主イエスは、「人の子には枕するところもない」(マタイ福音書8章20節)と言われていました。それは、家を所有出来ない貧しさと共に、自分のことを考えている暇もないということをも示しています。

 

 パウロがそれを「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(フィリピ書2章6,7節)と記しています。まさしく主イエスは、御自分のことは顧みず、私たちのことをご自分と置き換えて考えてくださり、救いの御業を完成してくださったのです。

 

 主の恵みに感謝し、主に愛されている者として、隣人を自分のように愛する者とならせてくださいと、聖霊の満たしと導きを祈り求めて参りましょう。

 

 主よ、あなたの恵みと慈しみは、永久に絶えることがありません。その深い憐れみにより、私たちは御救いに与リました。神の子とされたことを感謝し、絶えず主の愛と導きに応える信仰の歩みが出来ますように。聖霊に充たし、主の御業に励む者とならせてください。御心が、この地になされますように。 アーメン

 

 

「あなたたちはわたしのものとなり、聖なる者となりなさい。主なるわたしは聖なる者だからである。わたしはあなたたちをわたしのものとするため諸国の民から区別したのである。」 レビ記20章26節

 

 主なる神は冒頭の言葉(26節)で、イスラエルの民をご自分のものとするために諸国の民から区別した、と言われました。だから、聖なる者となり、自分を清く保つために、汚れた動物などを食べたり、それに触れたりしてはならない、清いものと汚れたものとをはっきり区別せよというのです(25節)。

 

 このことで、二つのことを思わされます。一つは、主によって諸国の民から区別される前のイスラエルは、決して特別な存在ではなかったということです。区別される前から特別な存在、清い民であれば、わざわざ「諸国の民から区別」する必要はありません。

 

 イスラエルは清い民であったから選ばれ、他の国民から区別されたというわけではないのです。そうであれば、彼らの側に主に選ればれるだけの理由があったわけではなく、一方的に与えられた恩寵、主の恵みと憐れみによる選別といってよいでしょう。

 

 そうすると、もう一つのことが気になります。それは23節で「あなたたちの前からわたしが追い払おうとしている国の風習に従ってはならない」と言われていることですが、当時のイスラエルの民と他の諸国の民の風習も、それほど大きな違いはなかったことでしょう。であれば、他の国々の風習に倣わない道を歩むというのは、決して容易いことではなかったのではないでしょうか。

 

 主なる神は「あなたたちはわたしのすべての掟と法を忠実に守りなさい」(22節)と告げ、また「あなたたちは、清い動物と汚れた動物、清い鳥と汚れた鳥とを区別しなければならない」(25節)と命じています。主の言葉、神の教えに従って、清いものとそうでないものとを区別し、汚れたものから離れた生活をせよというわけです。

 

 しかしながら、イスラエルの民は、主の言葉に忠実に聴き従うことが出来ませんでした。むしろ、御言葉に背き続ける道を歩みます。繰返し預言者が遣わされ、背きの罪を離れるよう警告しますが(列王記上17章、列王記下17章など参照)、結局、主に導き入れて頂いた約束の地カナンから、先住民同様、吐き出されることになってしまうのです(18章28節)。

 

 つまり、人は自分の知恵や力、考えで、おのが道を清く保つことは出来ないのです(詩編119編9節参照)。パウロが「わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。次のように書いてあるとおりです。『正しい者はいない。一人もいない』」(ローマ書3章9,10節)と記しています。

 

 そこで示されるのが、詩編51編のダビデの詩です。「わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください」(4節)と願った後、12節で「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」と求めました。自分の罪咎が清められるというだけでは、また同じことを繰り返してしまいます。

 

 たとえが不適切かも知れませんが、放漫経営のために倒産寸前の会社があって、その債権をすべて肩代わりしてくれる人が出て来て、それによって倒産を免れることが出来たとしても、経営方針が見直され、それによって会社運営が改善されなければ、結局また倒産に追い込まれるような結果となってしまうことでしょう。

 

 そこで、新しい指導者を遣わし、新しい方法でこの会社を立て直してくださいと願うのです。それが、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」という祈りなのです。これは、実に虫のいい祈りでしょう。しかしながら、それ以外に、罪人が自分の生活を清め、その歩みを清く保つ道はないということなのです。

 

 このことについて、預言者エレミヤが「新しい契約」(エレミヤ書31章31~34節)について告げた後、32章39,40節で「わたしは彼らに一つの心、一つの道を与えて常にわたしに従わせる。それが、彼ら自身とその子孫にとって幸いとなる。わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れることのないようにする」と預言しています。

 

 この預言は、神の御子イエスが十字架で血を流されることによって、成就しました(ヘブライ書9章15節以下)。キリストの血潮により、罪が清められたのです(第一ヨハネ書1章7節、ヘブライ書9章14節など参照)。

 

 また、第二コリント書3章18節に「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」とあります。聖霊の力で私たちは、新たに造り替えられるのです。

 

 主の御前に謙り、御言葉に従って歩むことが出来るように、主に信頼し、絶えず「憐れみと祈りの霊」(ゼカリヤ書12章10節)を注いで頂きましょう。

 

 主よ、渇いている者に命の水の泉から価なしに飲ませてくださる恵みを感謝します。主にあって心の一新によって造り変えられ、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえさせてください。求める者には、聖霊をお与えくださいます。聖霊に満たされ、力を受けてキリストの証し人となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ただし、彼には障害があるから、垂れ幕の前に進み出たり、祭壇に近づいたりして、わたしの聖所を汚してはならない。わたしが、それらを聖別した主だからである。」 レビ記21章23節

 

 21章には、「祭司の汚れ」について記されています。1節に「親族の遺体に触れて身を汚してはならない」とありますが、これは、葬儀に参列することを禁ずる戒めです。死や遺体が、人に汚れをもたらす最大の要因と考えられていたようです(エゼキエル44章25節、民数記19章11節以下)。ただし、父母や息子、娘、兄弟など近親の葬儀は、例外として許されました(2,3節)。

 

 5節の「頭髪の一部をそり上げたり、ひげの両端をそり落としたり、身を傷つけたり」というのは、哀悼の意を表す異教の習慣だったようです。これは申命記14章1節で、祭司だけでなく、一般の人々についても禁じられています。

 

 しかし、「聖別の油を頭に注がれ、祭司の職に任ぜられ、そのための祭服を着る身となった者」(10節)、即ち選ばれた大祭司だけは、「自分の父母の遺体であっても、近づいて身を汚してはならない」(11節)と定められています。民の代表として聖所で仕える責任者が、汚れによって職務が全う出来なくなることを禁止し、どんなときでも自らを清く保つという模範を示すことが求められたのです。

 

 神の定めといえば、守るほかないのかもしれませんが、命を限りあるものとし、その死を悼む思いを人の感情の中に作られたのも、主なる神です。であれば、葬儀を行い、哀悼の意を表すことを禁ずるというのは、なかなか胃の腑にすとんと落ちるものではありません。

 

 主イエスが、ベタニアで兄弟ラザロの死を悼んでマリアが泣いているのを御覧になって激しく心を揺さぶられ、ご自身も涙を流されました(ヨハネ福音書11章35節)。その後、ラザロを生き返らせて、御自分が人に命をお与えになるメシアであることを示されます(同38節以下)。主イエスにとって、死は触れてはならない汚れというのではなく、神によって打ち破られるべき敵なのです。

 

 17節以下には、障害のある者は誰も、祭司の任務に就くことを禁ずるという規則が記されています。献げ物が「無傷」のものでなければならないように(1章3節など)、それを主にささげる祭司も無傷、欠陥のない者でなければならないと考えるわけです。主が聖であられるように聖であれという要求を、その容姿に対しても適用しようということです。

 

 冒頭の言葉(23節)は、障害を「汚れ」と考えていることを示しており、それゆえ、聖所の中に入り、祭壇に近づいて神を礼拝する場所を汚してはならないというわけです。「障害」について、18節以下に10ほどのケースが挙げられていますが、後期ユダヤ教においては、これを142にも拡大したと言われます。

 

 サムエル記下5章6節以下の記事において、ダビデの命を憎む者として「目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない」と言われるようになったとされていることも(同8節)、この流れの中にあると思います。とはいえ、ここにあるのは、まさに障害者に対する不当な偏見、差別と言わざるを得ません。

 

 祭司アロンの子孫は、障害がある者でも、神聖なるものも聖なる献げ物も食べることができると言われますが(22節)、しかし、「垂れ幕の前に進み出たり、祭壇に近づいたりして、わたしの聖所を汚してはならない」(23節)となると、聖域でしか食べられない神聖なるもの、聖なる献げ物を食べることは、事実上不可能ではないでしょうか。

 

 このような規定があるので、生まれつき目の見えない人を見かけたときに(ヨハネ福音書9章1節)、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」(同2節)という質問が、弟子たちの口から出て来るのです。

 

 弟子たちは「生まれつき目が見えない」という障害の原因を、本人か両親の罪と考えていて、罪を犯した人を特定しようとしたわけです。けれども、その問いに対して主イエスは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(同3節)とお答えになられました。

 

 ここに主イエスは、その障害が罪から生じたものという考えを明確に否定して、神がその人に障害をお与えになった真の目的を示されたのです。即ち、生まれつき目が見えないというその障害は、神の業が現れるためにその人に与えられた神の賜物だと言われたわけです。

 

 即ち、見えないということは、神から遠ざけられるべき、文字通りの「障害」なのではなく、むしろ、神が彼に目を留め、彼を通して神の御業が表わされるための賜物なのです。主イエスはそのことを、生まれつき目の見えない人に近づいてその目に触れ、シロアムの池に遣わしてその目を癒されるという形で表わされました。

 

 大きな布の入れ物に、あらゆる獣、地を這う物、空の鳥が入っていて、それを屠って食べよという天の声がペトロにあったと、使徒言行録10章11節以下に記されています。それに対してペトロは、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」(同14節)と答えました。

 

 すると、また声が聞こえて「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(同15節)と告げられました。11章にあった「清いものと汚れたもの」についての定めを、神ご自身が変更され、すべてのものが清いとされているのです。 

 

 「闇」という漢字は、門が閉ざされ、日が隠れるという文字だそうで、「暗」が書き換え文字だと、漢和辞典にありました。ただ、素直に見れば、暗やみの中で「音」の門が開くという文字のように見えます。光がないところでは、晴眼者は動きが制限されますが、目の不自由な方には、何の妨げにもなりません。

 

 クリスチャンで目の不自由な方々が、「目が見えないのは不自由ではあるが、決して不幸ではない。むしろ、それによって神を知ることが出来てよかった」とよく言われます。それは、晴眼者の私には味わうことの出来ない神の恵みを、そのように証ししてくださっているのです。

 

 真理に目が開かれ、真理によって自由にされるため、主の御言葉に耳を傾け、御言葉に留まるものになりたいと思います(ヨハネ8章31,32節参照)。

 

 主よ、御子イエスを遣わして、文字に縛られて他者を裁き、不自由にする心から、私たちを解放してくださったことを感謝します。あなたが創造されたものはすべて、はなはだ善いものであることを、いつも教えてください。表されようとしている神の御業を見落とし、見逃すことがありませんように。 アーメン

 

 

「祭司が金を出して買い取った奴隷はそれを食べることができる。また、家で生まれた奴隷も祭司の食物を食べることができる。」 レビ記22章11節

 

 22章には、「聖なる献げ物について」の規定が記されています。イスラエルの人々が主の前に奉納するいけにえは神に献げられた物なので、「聖なる献げ物」と呼ばれています。主なる神のために特に区別された、とっておきのものということです。

 

 ゆえに、主に許可された者以外は、それに触れたり、また食べたりすることは出来ません(2,3節)。10節に「一般の人はだれも聖なる献げ物を食べてはならない。祭司のもとに滞在している者や雇い人も食べてはならない」とあります。

 

 6~7章の規定では、聖なる献げ物を食べることが出来るのは、祭司の家系につながる男子、つまり祭司としての務めを果たす者たちだけでした(6章11,22節など)。たとえ祭司の家族といえども、女性や子どもには許されてはいなかったのです。

 

 しかし、冒頭の言葉(11節)を見ると、金で買われた奴隷、その家で生まれた奴隷は、食べることが許されています。そして12~13節では、祭司の娘も食べることが出来たようです。このように、ここでは聖なる献げ物を食べることが出来る者の範囲が、祭司の家族や彼らに仕える奴隷たちと、すこし拡げられています。

 

 祭司でなくても、その家の奴隷であれば、その食事に共に与ることが出来るというのは、聖書に一貫して流れている恵みの世界です。恵みとは、神が権利のない者にお与えになるものであり、受ける資格のない者がそれに与ることです。神の恵みは、決して、自分で働いて獲得した報酬などではありません。

 

 救いは、主イエスを信じる者に与えられる神の恵みですが(エフェソ書2章8,9節)、使徒言行録16章31節によれば、その恵みが家族にまで及ぶと語られています。冒頭の言葉では、金で買い取られた奴隷、その家で生まれた奴隷も、祭司の家族の一員と認められています。ここに、神の愛があります。

 

 私たちは、まことの大祭司なるイエス・キリストの贖いによって買い取られた主イエスの奴隷です(ヘブライ書4章14節以下、10章10節、第一コリント書6章20節、7章22,23節など)。主イエスを信じると、主イエスが私たちの家に入って来られ、一緒に食卓を囲むことが許されました(黙示録3章20節参照)。神の家族、家の者とされたのです。

 

 私たちが食べることの許された聖なる献げ物とは、実に、主イエスの肉と血です。「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる」(ヨハネ6章55~56節)と言われる通りです。

 

 主イエスの肉を食べ、血を飲むとは、神の御子の命に与ることです。主は私たちのためにご自身の肉を裂かれ、血を流されました。それによって私たちの罪を赦し、私たちに神の子どもとなる特権、資格をお与えくださいました(同1章12節)。

 

 命に与るとは、イエス様を救い主、人生の主として心に受け入れること、そして主と親しく語らい、交わることです。私たちに、神の御子イエス・キリストの命を頂き、主と親しく語らい、交わることが許されたのです。なんと幸いなことでしょうか。私たちは、日毎に主と親しく交わり、日々の糧を受けるように招かれています。この食卓は本当に豊かです。

 

 かつて、カナンの女性が娘の病気の癒しを主イエスに願った際に、「資格のない者に与えられる神の恵み」について、主人の食卓から落ちるパンくずを小犬が食べると語りました(マタイ15章21節以下)。主人たちと一緒に食卓について食事をする資格のない小犬にすぎない自分だけれども、食卓から落ちるパンくずで十分おなかを満たすことが出来る、それほど豊かな食卓だと言っているのです。

 

 主イエスは、神の恵みの豊かさ、憐れみ深さをそのように信じているカナンの女性の信仰を喜ばれました。確かに主は恵み深く、その慈しみはとこしえに絶えることがありません(詩編100編5節、136編)。私たちの神は、ご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、私たちに必要なものをすべて満たしてくださいます(フィリピ書4章19節)。

 

 そして、神はさらにこの恵みを押し広げようとしておられるのです。ヨハネ15章16節で「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」と言われているとおりです。

 

 私たちには、日毎に聖書の御言葉を通して、祈りによってその食卓の恵み、神との深く親しい交わりに与ることが許されています。それは、恵みを味わった者が他者にもその恵みが広げられるように祈り、救いを告げ知らせるためです。

 

 共に心から主を畏れ、信頼し、心を合わせて主に従って参りましょう。主なる神が私たちを愛し、受け入れてくださったように、お互いに愛し合いましょう。毎日、心を合わせて神の愛と真実の言葉である聖書を読みましょう。家族一人一人のことを覚え、感謝をもって祈りましょう。

 

 神は私たちを、愛の砦、平安の港、祝福の湧き出す泉としてくださるでしょう。そして、そこから全世界に向かって、主の恵みが広げられていくのです。

 

 主よ、この町に神の恵みを伝えるよう、先達に伝道の働きを命じられました。今日まで、それを守り続けて来ることが出来たのも、神の恵みでした。心からなる感謝をもって、思いも新たに主に仕えて参ります。さらに恵みの世界を広げることが出来るよう、日々聖霊に満たし、伝道の力、証しの力を与えてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「これは、わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々の人々が知るためである。わたしはあなたたちの神、主である。」 レビ記23章43節

 

 23章には、「主の祝祭日」についての規定が記されています。2節に「あなたたちがイスラエルの人々を聖なる集会に招集すべき主の祝日は、次のとおりである」とあります。原文は少々難解で、新共同訳聖書はこの節の最後の「モーアダーイ(わたしの祝日)」という単語を訳出していません。

 

 直訳すれば「これらは、あなたたちが彼ら(イスラエルの子ら)を聖なる集会に召集すべき主(ヤハウェ)の祝日であり、わたしの祝日である」となります。岩波訳が「〔以下は、〕あなたたちが聖なる集会〔の時〕として宣布すべき、ヤハウェの指定祭日である。それらはわたしの指定祭日である」としているとおりです。

 

 新共同訳の「祝日」を岩波訳が「指定祭日」としているのは、原語の「モーエード」が「定められたもの」という言葉で、定期的に行われる祝祭行事という意味で用いられているからです。

 

 イスラエルの民が守るべき祝日とは、「安息日」(3節以下)、「過越祭」(5節以下)、「七週祭」(15節以下)、「角笛の日」(23節以下)、「贖罪日」(26節以下)、「仮庵祭」(33節以下)です。彼らはそれを、「聖なる集会」としなければなりません。これらは、主のために聖別された集いです。だから、主がこれらを「わたしの祝日」(モーアダーイ)と呼ばれるのです。

 

 もともと、「主の過越」と共に守る「除酵祭」は大麦の収穫の初め、「七週祭」は小麦の収穫の終わり、「仮庵祭」は葡萄やオリーブの収穫という、農業の収穫を祝う祭でした。それが、イスラエルの救いの物語と結びつき、「過越祭」は文字通り、イスラエルがエジプトから解放された「過越」の出来事(出エジプト記12章参照)を記念する祝いとなりました。

 

 そして、キリストが十字架につけられ、三日目に甦られたのが過越祭のときでした(マルコ福音書14章12節、15章6節)。私たちは今日、これを「イースター(キリストの復活祭)」として祝います。

 

 また、キリストが甦られたことが明らかになったのが、「週の初めの日」(同16章2,9節など)、即ち日曜日でした。そこで、週の最後の日(セブンスデー)の安息日、即ち土曜日ではなく、主が甦られた子とを記念する毎週日曜日を、主の日、主を礼拝する日としています。その意味で、毎週イースターを祝っているわけです。

 

 「七週祭」は、後に、シナイ山で十戒を含む律法を授与された(出エジプト記20章)ことを祝う祭りとなりました。七週祭は、ギリシア語で「ペンテコステ(五旬祭)」と言います。過越祭から「七週」間を経た次の安息日が「五旬」(50日)目で、その日にいけにえをささげる祭儀を行うということです。

 

 この日、約束の聖霊が注がれ、聖霊に満たされた弟子たちの宣教により、3千人もの人々が一度にクリスチャンとなり、エルサレムに教会が誕生しました(使徒言行録1章4,5,8節、2章1~42節)。教会では、この「ペンテコステ」を聖霊降臨日、また教会の誕生日として祝います。

 

 そして、「仮庵祭」は、ぶどうの収穫のために雇われた人々に簡素な小屋が提供されるのを、シナイの荒れ野を旅したときの幕屋に見立て、40年間の旅路を共に歩み、その必要を満たされた主を記念師、いけにえをささげて礼拝するのです。冒頭の言葉(42節)は、そのことを説明しています。これは、今日の「収穫感謝祭」であり、また「勤労感謝の日」ということになりますね。

 

 一週間を仮小屋で過ごすことによって、かつての荒れ野の生活を振り返ると共に、人生はいわば「旅」であり、今与えられているものすべてが、神によって私たちに一時預けられているものに過ぎない、やがてそれをすべて、主なる神に返すべきときがやって来るということを、繰り返し思い起こすのです。

 

 仮庵祭では、大祭司が大きな金のひしゃくを頭に乗せてシロアムの池で水を汲み、神殿の祭壇にそれを注ぐという儀式が行われていたそうです。それによって、神が収穫のために雨を降らせてくださった感謝をささげると共に、次の収穫のために雨が再び与えられることを祈願するのです。

 

 主イエスが「(仮庵の)祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に」(ヨハネ福音書7章37節)、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(同37,38節)と言われたのは、雨の恵みを与えるのはご自分だと、ここに宣言されたかたちです。

 

 そして、その恵みとは、雨の水に象徴的に示されている、人に命を与える「霊」であると説明されています(同39節)。同4章14節に「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と言われていましたが、ここでは「川(複数形)となって流れ出るようになる」と言われて、わき出る水の量が拡大されています。

 

 私たちの人生の旅路に同伴してくださり、絶えずその必要を満たしてくださる方、私たちを神の宮としてうちに住み、真理を悟らせ、賛美をお与えくださリ、祈りに導かれる聖霊なる神に、心から感謝しましょう。

 

 主よ、私たちは聖霊の働きによってイエスを主と信じ、救いの恵みに与りました。今、聖霊の働きによって御言葉の真理を教えられています。絶えず御霊に満たされ、その力に与り、神の愛と恵みを、いつでも、どこでも、誰にでも、喜びと感謝をもって証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々に命じて、オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持って来させ、常夜灯にともさせ、臨在の幕屋にある掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に備え付けさせなさい。アロンは主の御前に、夕暮れから朝まで絶やすことなく火をともしておく。これは代々にわたってあなたたちの守るべき不変の定めである。」 レビ記24章2,3節

 

 24章の最初の段落には、「常夜灯」についての規定が記されています。常夜灯については、出エジプト記27章20,21節に同様の規定があり、同25章31節以下に灯火をともす燭台作りの命令、同37章17節以下にその実施のさまが記録されていました。

 

 常夜灯をともす燭台は、聖所の中で至聖所に向かって左側、即ち幕屋内の南に配置されていました(同40章24節)。「常夜灯」という名前のとおり、「夕暮れから朝まで」(3節)、幕屋の中を照らさせます。聖所では朝に夕に、主の御前に礼拝がささげられます。聖所に置かれている香の祭壇は祈りを、パンの机は神の御言葉を、そして燭台は神への賛美を象徴しているようです。

 

 常夜灯がともされるのは、神が天地創造の初めに「光あれ」(創世記1章3節)と言われて、光が造られたこと、それゆえ「神は光であり、神には闇が全くないということ」(第一ヨハネ書1章5節)を象徴しています。

 

 このことは、詩編27編1節で「主はわたしの光、わたしの救い。わたしは誰を恐れよう」と告げ、また同80編4節で「神よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください」と求めているところにも示されています。神が光を輝かせているとき、人は勝利を与えられて喜びと平安の中におり、その光が見えないとき、恐れと不安で神を呼び求めるわけです。

 

 そのことについてパウロが「この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです」(第二コリント4章4節)と言い、そして「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(同6節)と記しています。

 

 私たちの体をご自身の神殿としてその内に住まわれる神が(第一コリント6章19節、第二コリント6章16節)、私たちの内に「光」に象徴される主イエスへの信仰をお与えくださったことを教えているのです。

 

 これは、パウロ自身の体験に基づいているようです。というのは、キリストを信じる以前のパウロは、主イエスに神の栄光を見ることが出来ませんでした。そのために、キリストの福音を恥として、教会を迫害しました。しかしながら、神はパウロを憐れんで復活のキリストと出会わせ(使徒言行録9章1節以下)、パウロの内に、キリストを信じる信仰をお与えになったのです(同18節)。

 

 そして「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」(エフェソ5章8節)と言います。私たちは自分自身が光ではありませんが、まことの世の光なる主イエスを信じ、主イエスを証しすることで、光の子として歩み、世の光としての使命を果たすのです。

 

 これは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ福音書8章12節)と言われた主イエスが、私たちに「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」(マタイ福音書5章14節)、「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」(同16節)と語られたことと通じています。

 

 常夜灯をともすのに、冒頭の言葉(2節)で「オリーブを砕いて取った純粋の油をともし火に用いるために持って来させ」なさいと言われます。「純粋の油」とは、オリーブの実を砕いてざるに入れ、自然に流れ出た油のことだそうです。実を押し潰し、搾り出した油とは区別しています。

 

 これは、主イエスを証しするときに、内側から主に促され、聖霊の力を受けて、味わわせていただいている主イエスの恵み、神の愛を語ることと、私たちが自分の知恵や力、経験で語ろうとすることとを区別しているかのようです。

 

 というのは、「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたし(主イエス)の証人となる」(使徒言行録1章8節)と言われているとおり、主イエスの証人となるためには、聖霊の力と導きを受けることが必要不可欠だからです。

 

 主イエスが、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ福音書28章18~20節)とお命じになりました。

 

 ご命令に従い、主の証人として、いつでもどこでも誰にでも、主イエスの福音を告げ知らせ、信仰の恵みを証しすることが出来るよう、日毎に主の御前に進み、祈りと御言葉によって主との交わりを持ち、聖霊の力と導きに与らせていただきましょう。

 

 主よ、私たちと共におられ、私たちを絶えず正しい道に導いてくださることを感謝します。主の恵み、神の愛を証しする者として整え、用いてください。そのために、聖霊に満たし、その力を与えてください。世の人々にキリストの光を輝かせることが出来ますように。 アーメン

 

 

「身売りをした後でも、その人は買戻しの権利を保有する。その人の兄弟はだれでもその人を買い戻すことができる。」 レビ記25章48節

 

 25章には、「安息の年とヨベルの年」についての主なる神の教えが記されています。

 

 まず「安息の年」について、2節で「あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい」と言われます。「主のための安息」とは、七年目に全き安息を土地に与えることであり(4節)、それは、畑に種を蒔かず、ぶどう畑の手入れをせず、また休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れをせずにおいたぶどう畑の実を集めないことなどです(4,5節)。

 

 これはちょうど、一週間に一日を安息日としてあらゆる仕事を休むように、七年のうち一年は安息の年として、土地に安息を与えると言われるわけです。安息日を守ることは、問題が少ないだろうと思いますが、土地を一年休ませるとなると、勿論その年の収穫は全く期待出来ません。収穫なしでは、早晩やっていけなくなります。どうしたらよいのでしょうか。

 

 そのことについて、主は「わたしは六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。あなたたちは八年目になお古い収穫の中から種を蒔き、食べつなぎ、九年目に新しい収穫を得るまで、それに頼ることができる」(21,22節)と言われました。

 

 安息できる保証を与えるということですが、そのことは、シナイを旅するイスラエルのために、6日目には二日分のパンを与えて、安息日にはマナを集めに出て行かなくてもよいようにされていたということで(出エジプト記16章5節、22節以下)、既に実証されています。

 

 しかしながら、一年間畑を遊ばせて、次の年の収穫まで、1年半以上もあるとなれば、この規則を守るのは、実際には容易いことではありません。主が言われたとおり、6年目に3年分の収穫があり、それをきちんと管理すれば、何の問題もないということにはなります。

 

 とはいえ、豊作だったからと気が緩み、つい無駄遣いをしてしまうというのが、世の常、人の常です。自分一人くらいと、贅沢三昧に過ごすようなら、安息年の次の年、収穫に与るまでの間、食べるものがないという有様になってしまいます。そのように振る舞う人は、一人二人ではないでしょう。恵みの主に依り頼みつつ、その恵みを徒や疎かにしないようにしなければなりません。

 

 次に、「ヨベルの年」について、8節以下に規定されています。安息の年を7回数えた年の翌年(8,10節)、即ち五十年目は、8回目に巡ってくる安息の年です。この安息年について、「五十年目はあなたたちのヨベルの年である」(11節)と言われます。

 

 「ヨベル」とは、ヘブライ語で「雄羊の角」のことです。五十年目毎に、国中に雄羊の角笛を吹き鳴らしてその年を聖別し、全住民に解放を宣言することになっています(9,10節)。ということで、雄羊の角笛を吹き鳴らす年ということから、「ヨベルの年」と呼ばれます。

 

 ヨベルの年は安息の年ですから、種蒔くことも、休閑中の畑に生じた穀物を収穫することも、手入れせずに置いたぶどう畑の実を集めることも出来ません(11節)。さらに13節には、所有地の返却を受けるとあります。つまり、50年ごとに嗣業の地が元の持ち主に返されるというわけです。そうすることで、どの人も神の嗣業の地を損なうことなく、共に神の民として生きることが出来ます。

 

 また、土地だけでなく、奴隷に売られた人も家族のもとに帰らせよと言われます(10節、39節以下)。これも、イスラエル各部族の士族、家族が損なわれないようにするためということでしょう。

 

 まるで、我が国の鎌倉時代に、元寇戦役の負担などによって没落した御家人を救済するために発布された「徳政令」のようです。貧窮した人々を救済するためには、非常によさそうな制度です。

 

 けれども、買い取ったものを無償で、元の持ち主に返さなければならない時が来るということになれば、高いお金を払って他人の土地を手に入れるという行動を、誰も起こさなくなるでしょう。そうなると、貧窮者は逆に生活に困ってしまうことになるかも知れません。だからなのか、ヨベルの年が守られたという記述は、聖書中、どこにも見当たりません。

 

 ただ、主なる神ご自身が歴史的に、バビロン捕囚(紀元前587年~538年)によってヨベルの年を実施され、その期間、イスラエルの地は安息を得ました(歴代誌下36章21節参照)。そして、バビロンで捕囚となっていたイスラエルの民が、50年目にペルシア王キュロスによって解放され、嗣業の地に戻って神殿を再建するようにされたのです(同23節、エズラ記1章)。

 

 さらに主は、イスラエルの民のみならず、罪の奴隷となっていた私たちをも(ヨハネ福音書8章34節、ローマ書6章16節)、独り子という高価な代価を払って、買い戻されました。その贖いの御業により、私たちは神のものとされたのです(ローマ書6章16節以下、第一ペトロ1章18,19節)。

 

 冒頭の言葉(48節)で、奴隷となっていた者を買い戻すのは、その兄弟や伯父、従兄弟という血縁者でした。親族の誰かということではなく、最も近い親族に、買い戻す責任があるのです(ルツ記3章12節、4章3節以下参照)。主なる神が御子キリストの命の代価で私たちを買い戻してくださったということは、主ご自身が私たちの最も近い血縁者となってくださったということです。

 

 その事実から、私たちが主イエスを信じたから、神の子となる資格が与えられたのではなく、主が私たちを神の子とするために、先に贖いの業を行っておられ、その上で、主イエスを信じるように私たちを導かれたということが分かります。それは当に一方的な主の恵みです。ハレルヤ!

 

 その恵みを無駄にすることがないよう、日々主の御言葉に聴きながら、主の証人としての使命を全うできるよう、聖霊の満たしと導きを祈りましょう。その力を受けて主の御業に励む物とならせていただきましょう。

 

 主よ、御子イエスの血の代価によって贖いとられた私たちです。頭なるキリストによって一つからだとされ、御言葉に聴き従って歩み、互いに愛し合って主の栄光を表すことが出来ますように。主の御名が崇められますように。御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「それにもかかわらず、彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだわたしの契約を破らない。わたしは彼らの神、主だからである。」 レビ記26章44節

 

 26章は、神聖法集(17~26章)の結論部分で、主なる神の祝福の約束と呪いの警告が記されています。1,2節は十戒の第2戒と第4戒を引用して、主の祝福に与るよう告げるための導入としています。

 

 主の祝福に与ることが出来るかどうかの条件は、私たちが主の掟に従って歩み、その戒めを忠実に守るかどうかということです(3節)。これは、レビ記全体を通して主なる神が私たちに問いかけている、基本的な問いです。

 

 レビ記の原題は「ヴァ・イクラ」、即ち、「そして(モーセを)呼ぶ」(1章1節)というものでした。つまり、主なる神がモーセを臨在の幕屋に呼び出し、そこで告げられた主の御言葉を記したのが、このレビ記なのです。

 

 そして、私たちが主なる神の命令に従って歩み、それを忠実に守るなら、地の産物(4,5,10節)、諸国との平和(6~8節)、子宝に恵まれる(9節)という祝福を与え、また、主が私たちのただ中に住まいを置いて(11節)、私たちのうちを巡り歩き、私たちの神となり、私たちを主の民とされる(12節)という約束が、そこに記されています。

 

 一方、主の御言葉を聞かず、すべての戒めを守らず、法を捨て、何一つ戒めに従わず、その契約を破るなら(14,15節)、恐怖が臨み、病にかかり、種を蒔いても敵がそれを食べ尽くし、何より、主なる神ご自身がイスラエルの敵となられます(16,17節)。

 

 それで悔い改めなければ、天地に示された七倍の罰で懲らしめられます(18節以下)。それでも悔い改めなければ、子どもや家畜が野獣に襲われるという7倍の災いが加えられます(21節以下)。それでも悔い改めないなら、更に戦争や疫病という7倍の災いがくだされます(23節以下)。

 

 それでも悔い改めないなら、さらに自分の息子、娘の肉を食べ、あらゆる偶像が打ち壊され、町が廃墟となり、国が荒れ果てるという、7倍の懲らしめが加えられます(27節以下)。

 

 まるで、モーセとアロンの前に心頑なになったエジプトのファラオのように、罰が7倍に拡大され、災いが繰り返し襲って来ても、最後の最後まで真に悔い改めることが出来ずに滅びを刈り取ることになると言われているようです。そして、それが私たち人間の罪の現実なのでしょう。

 

 主の「祝福と呪い」、どちらを選ぶのかと問われて、「わたしは呪いを選ぶ」と答える人は、百人中一人もいないでしょう。みんな祝福を受けたいと言うのだろうと思います。

 

 けれども、それでは主の掟に従って歩み、その戒めを忠実に守り続けることが出来るかというと、悲しいことに、いつの間にか怠惰に流れてしまいます。頭で考え、理解している通りに生活することが、なかなか出来ません。ここに、私たちの弱さ、私たちの罪があります。

 

 パウロが「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(ローマ書7章18,19節)と告白し、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(同24節)と嘆いているとおりです。

 

 主は、そのような私たちの現実を勿論よくご存じです。にも拘らず、それで私たちを滅ぼし尽くされません。冒頭の言葉(44節)で「彼らが敵の国にいる間も、わたしは彼らを捨てず、退けず、彼らを滅ぼし尽くさず、彼らと結んだ契約を破らない」と言われています。

 

 「敵の国にいる」ということは、国が滅ぼされて敵の捕虜になったということでしょう。そこで罪を悔い改めたら、滅ぼさないと言われているわけではありません。滅ぼし尽くされない理由は、私たちの善良さや罪を悔い改める態度などではないのです。

 

 主は「わたしは彼らの神、主だからである」と言われます。彼らの神、主だから、滅ぼし尽くさないというのは、合理的な説明ではありません。考えられることは、主なる神は憐れみと慈しみに富むお方だということです(詩編136編1節など)。

 

 そして、ここに言われるとおり、イスラエルがバビロンの捕囚とされて50年が過ぎたとき(歴代誌下36章17節以下21節)、主なる神はイスラエルを顧み、ペルシアの王キュロスを動かして、イスラエルをバビロンから解放してくださいました(同22節以下、エレミヤ書29章10節以下、同33章1節以下)。

 

 因みに、捕囚期間は70年と語られていますが、実際は紀元前587年~538年の50年でした。ただ、バビロン軍によって神殿が破壊され、エルサレムの都が火で焼かれてから70年後に、キュロスによってエルサレムに帰還を許されたイスラエルの民が、総督ゼルバベルと祭司イエシュアの指導の下、神殿を建て直しました。主を礼拝する民の再建で捕囚が終了したと考えるとよいのでしょう。

 

 絶えず私たちを祝福される主を仰ぎ、その深い憐れみに依り頼みつつ、日毎に御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、私たちがあなたの祝福から漏れることがないように、日々主の御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩むことが出来ますように。聖霊の導きに与り、主の御心を弁えて、それを行う者とならせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。この地に御心が行われますように。 アーメン

 

 

「特に、永久に神に奉納された奉納物が人である場合は、その人を買い戻すことは出来ず、必ず殺さねばならない。」 レビ記27章29節

 

 27章には、種々の「献げ物」について記されています。本章は、後から付け加えられた補遺のようなもので、その内容はバビロン捕囚後、神殿が再建されるまでは起こらなかった状況を扱っていると考える学者がいます。

 

 2,3節に「もし、終身誓願に相当する代価を、満願の献げ物として主にささげる場合、その相当額は20歳から60歳までの男子であれば、聖所のシェケルで銀50シェケルである」とあります。

 

 この定めは、ある人が何かを主なる神に願い、それが叶えられたときには、自分自身を主にささげるという約束をして、現実にその願いが叶えられたので、一生涯主に仕えるために身をささげる代わりに、年齢、性別に応じた相当額を支払うように、定められています(2節以下)。その人が貧しくて相当額が支払えない場合は、祭司が彼の資力に応じて支払額を決定することになっています(8節)。

 

 しかし、身をささげるという誓願をして、その相当額を支払うというのは、興味深いものです。ここに、「贖い」の思想が見えるからです。本来、私たちは罪人として、自分で罪の償いをしなければなりません。つまり、主なる神の御前に、自分を清い、傷のないものではありません。聖なるものとして奉納することが出来ないので、相当額の代価を払って、誓願の供え物とするわけです。

 

 しかしながら、私たちが主のもの、聖なるものとされるために、自分でその相当額を支払いませんでした。私たちに代わって、神の御子キリストがご自分のいのちをもって、その代価を支払われたのです。

 

 主イエスは、12弟子の一人イスカリオテのユダによって、銀貨30枚で祭司長たちに売られました(マタイ26章15節など)。これは、男奴隷の価格でした(出エジプト21章32節参照)。ユダが主イエスを、祭司長たちに奴隷として売ったかたちです。

 

 後にユダは後悔し、銀貨30枚を祭司長たちに返そうとして(同27章3節)、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」(同4節)と言いますが、受け取りを拒否され、彼は銀貨を神殿に投げ込み、首をつって死んでしまいます(同5節)。

 

 これは、28,29節の規定が当てはめられたものでしょう。冒頭の言葉(29節)にあるとおり、一旦、永久の奉納物として主なる神に奉納された人は、買い戻すことが出来ず、必ず殺さねばならないというのです。

 

 ここで、「奉納物」(へーレム)という言葉は、もともと敵を人も家畜もすべて滅ぼし尽くすことでした(申命記7章26節、13章18節など)。新改訳はこれを「(絶滅すべき)聖絶のもの」と訳しています(岩波訳:「聖絶物」)。

 

 岩波訳の用語解説に「基本的に聖絶は聖戦の法(サム上17:47)。戦争において敵のすべてを人も家畜も滅ぼし尽くして神への奉納物とすることを意味した(申7:2,ヨシ6:21)。同様の習慣はモアブ人やアッシリア人にも見られた。戦いに敗れ捕虜となった者や、土地や戦利品も神に献げられた」とあります。

 

 それに続けて「占領物のすべての物、土地を含めた家畜や家屋等の所有・所属の古い絆が切断されて『神なきもの』となり、穢れた存在になるが、聖絶は勝利をもたらした自国の守護神に、それらを『剣によって』儀礼的に献げ尽くすことを意味していた。こうして『神なきもの』の状態から贖い、新たに神の所有へと移すこの儀礼的行為全体を聖絶と呼ぶ」と記されています。

 

 ユダは主イエスを祭司長たちに「奉納物」として引き渡したつもりではなかった、単に主イエスを祭司長たちに引き合わせたかっただけだろうと思われますが、祭司長たちは主イエスを「奉納物」としてユダから受け取ったというわけで、「その人を買い戻すことはできず、必ず殺さねばならない」ということになるのです。

 

 当然のことながら、主イエスはユダの持ち物などではありません。また、終身誓願の代価として銀貨30枚をユダが祭司長に支払ったというのではなく、祭司長らが奴隷を買い取るように、ユダに銀貨30枚を払って手引きをさせ、ゲッセマネで主イエスを捕らえて、十字架で処刑するために総督ピラトに引き渡したのです。

 

 その意味で、祭司長たち自身にも、主イエスを終身誓願の代価としての「奉納物」としたという思いはなかったはずです。彼らは、ただ神を冒涜する主イエスをこのまま野放しにしておけないと考えて、それを実行したわけです。

 

 ペトロが、「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」(第一ペトロ1章18,19節)と言っています。

 

 主イエスの血は、銀貨30枚で買うことができるような代物ではありません。全世界の富をもってしても、買うことなど到底出来ないのです(マタイ16章26節参照)。主なる神は、御子を十字架の死に至らせたユダや祭司長たちのため、そして今ここに生きている私たちのために、御子の命という高価な代価を「奉納物」として支払われたのです。

 

 この「贖い」によって、罪人の頭である私たちを、永久に主のものとして奉納された、主に属する「神聖なもの」としてくださったのです。これらすべて、私たちの力や働きによるものではなく、すべてが恵みであり、神の賜物です(エフェソ書2章4,5,8節)。

 

 その恵みを無駄にしないため、「動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励み」(第一コリント15章58節)ましょう。神の恵みによって今日の私たちがあるのであり、主のために働らかせていただくことが出来るのも、私たちと共にある神の恵みだからです(同15章10節)。

 

 主よ、あなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。私たちの主よ、あなたの御名はいかに力強く、全地に満ちていることでしょう。わたしは心を尽くして主に感謝をささげ、驚くべき御業をすべて語り伝えます。いと高き神よ、わたしは喜び、誇り、御名をほめ歌います。全地で御名が崇められますように。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設