ルカ福音書

 

 

「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」 ルカによる福音書1章13節

 

 今日からルカ福音書を読み始めます。著者について、伝統的にパウロの同伴者で医者のルカであると考えられてきました。ルカは、福音書と使徒言行録を著しました。ただ、使徒言行録にはパウロが手紙を書いたという記述が全くないこと、ルカとパウロの信仰の内容にずれがあるようにみえることなどから、著者がパウロの同伴者というのは疑わしいという学者が少なくありません。

 

 ルカはマルコ福音書を手本に、マタイ福音書との共通資料(Q資料)とルカ自身の独自資料を用いて執筆しました。執筆場所は不明ですが、パレスティナの地理に明るくないことなどから、パレスティナ以外の場所であろうと考えられます。また、執筆時期は、エルサレム陥落後の紀元70年代前半でしょう。

 

 1~2章はルカの独自資料で、洗礼者ヨハネと主イエスの誕生物語が記されています。1~4節は序文で、テオフィロに対する「献呈の言葉」が記されています。使徒言行録も同様です(使徒言行録1章1,2節)。そして、5節から本文に入ります。

 

 そこに、ザカリアという祭司が出て来ます(5節)。当時、神殿で仕える祭司は、24の組に分かれていました。ザカリアの属するアビヤ組は8番目の組です。一組ずつ交代で神殿の務めをします。当番になった組の最も重要な務めが、神殿の聖所に入って一日2回、香をたく務めです。

 

 一組に千人近い祭司がいたそうです。毎回、くじで当番を決めていました。ということから、一生の間に一度も香をたく担当にならないまま、祭司の役割を終える人がいたとも言われます。

 

 ザカリアは、くじに当たってその務めにあたりました(9節)。香をたくのは、イスラエルのために祈るということです。祭司が聖所で香をたき、祈る所作は、しきたりの中で決められていたと思います。それを何一つ間違えないよう、落ち度がないよう、心の中で一つ一つ復唱しながら務めにあたっていたことでしょう。

 

 しかし、彼一人でその務めができるというものではありません。21節以下に、ザカリアを待っていた民衆について、言及されています。彼らも、聖所の外で祈っていたのです。そこに、祭司の務めを支える祈りがあったわけです。神に仕える者には、絶えざる祈りの支えが必要であり、そして、神はそれを備えてくださっているのです。

 

 ザカリアが香をたいているとき、主の天使が現れました(9節)。そして、冒頭の言葉(13節)を彼に語りました。「あなたの願いは聞き入れられた」ということは、イスラエルのために祈る祭司ザカリアの祈りが、神に聞き届けられたということです。そして、「妻エリサベトが男の子を産む」という祝福の言葉が告げられます。

 

 イスラエルのための祈りが聞かれ、その結果、男の子が生まれるということは、その男の子が、イスラエルの救いのために働く人物となるということでしょう。16節で「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる」と告げられている言葉が、そのことを示しています。ザカリアの子ヨハネが洗礼者となり、神の子主イエスの前に道を整える人物となるのです。

 

 しかしながら、エリサベトは不妊で、そして二人ともすでに年をとっていたというのですから(7節)、子が授かるというのは、もう絶望的だったでしょう。天使の祝福の言葉を聞いたザカリアの反応は、決して嬉しいというものではありませんでした。18節を見ると、そんなことは到底信じられないといった思いが記されています。

 

 このザカリアの反応に対して、天使は、「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」と言います(20節)。そして、その言葉のとおり、ザカリアは口が利けなくなります(22節)。

 

 62節に「手振りで尋ねた」という言葉がありますので、口が利けなくなっただけでなく、耳も聞こえなくなったわけです。突然、「聾唖」という障害を負うことになったザカリアは、どんなに驚き、不安を覚えたことでしょう。

 

 口が利けないというのは、不信仰に対する罰かもしれませんが、しかし、子を授けるという祝福は、取り消されませんでした。「この事の起こる日まで話すことができなくなる」(20節)と言われたのです。

 

 話すことが出来ないというのは、実に辛いものだったことでしょう。しかし、彼はモノが言えない、耳も聞こえないという中で、不妊で高齢に達している妻エリサベトが、胎に子を宿し、そのおなかが次第に大きくなっていくのをじっと注目させられています。

 

 彼の口を閉じられたのは、主なる神です。そして、不妊と言われていたエリサベトの胎に子が宿ったのも神の御業です。このことについて、ザカリアに発言することを許さず、神ご自身がその御業を通じて、力強く語られるのです。

 

 やがて妻エリサベトが、「主は今こそ、こうしてわたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」(25節)と主を賛美し始めます。その声を耳に出来なくても、心は伝わったでしょう。

 

 そしてザカリアの心にも、不安や恐れではなく、やがて自分たちの子どもが生まれてくるという喜びと共に、主への感謝と賛美が満たされていったようです。というのは、再び口が利けるようになったときに、「神を賛美し始めた」(64節)と記されているからです。

 

 ザカリアとは、「主は覚えておられる、主はお忘れになっていない」という意味の名前です。ザカリアは、本当に主は私を覚えていてくださった。私は見捨てられてはいなかった、その祈りが聞き届けられ、イスラエルの救いの実現のために、生まれた我が子ヨハネが主に用いられるとは、なんと素晴らしいことかと賛美したのではないでしょうか。

 

 時が来れば実現する神の言葉を信じましょう。御言葉の前に沈黙し、その実現を待ち望みましょう。

 

 主よ、御言葉を感謝します。聖霊の導きを感謝します。私たちの祈りを聞いてくださることを感謝します。我らが町・静岡に、我が国・日本にリバイバルを与えてください。あなたの御業が現れ、人々が救いの喜びに与りますように。そのために、私たちの教会を用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを探したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」 ルカによる福音書2章49節

 

 2章は、イエス誕生の物語(1~40節)と少年時代の主イエスのエピソード(41節以下)が記されています。1節に、ローマ皇帝アウグストゥスの住民登録の勅令について述べられており、主イエス誕生の時期を教えています。それは、「キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録」(2節)ということなので、ヘロデ大王の治世、紀元前7年になされたものと認められます。

 

 その際、ヨセフがガリラヤのナザレを出てユダのベツレヘムに赴いたというのは、単なる住民登録ではなく、郷土に土地を所有する者であることを認定してもらう必要があったためと考えられます。つまり、ヨセフはベツレヘムに嗣業の地があり、そこで生まれて、ナザレに移住したということなのでしょう。

 

 マタイ2章4節以下、メシアがベツレヘムで生まれることになっていると、ミカ書5章1節以下の預言の引用をもって明らかにしています。ヨセフがマリアを伴ってベツレヘムに帰り、そこでイエスが生まれることになったのは、この預言が実現するためであり、それで、住民登録をせよとの勅令が用いられたわけです。ローマの支配があればこその話です。

 

 先に述べたとおり、12歳の少年となった主イエスが両親に連れられて、過越祭の折にエルサレムに上られたときのことが、41節以下に記されています。4つの福音書だけでなく、新約聖書の中で唯一記されている主イエスの少年時代のエピソードです。

 

 ユダヤにおいては、12歳になると青年期に入ったということで断食することを習い、そして13歳で「契約の子=バル・ミツバ」として成人式を行い、ここから成人として宗教的義務を果たすように求められるようになります。

 

 毎年、主イエスは過越祭にエルサレムに家族で来ていましたが(41節)、このときに、一つの事件が起こりました。それは、祭りが終わって帰途に就いたとき、その一行の中に主イエスがいなかったというものです(43節)。一日歩いて宿をとった際に、両親は初めて息子のイエスがいないことに気づきました。

 

 巡礼の旅は大きな群れとなるのが常であり、大抵は町の人が一緒です。それは、盗賊などの災難から身を守るための手段でもありました。そのため、群れの中の一人がいないことに気づくのに、一日中探し続けることもあったようです。そこで、あちらこちら捜し回りながら、もう一度エルサレムまで引き返して来ました(45節)。

 

 そして三日後、神殿で律法学者たちの話を聞いたり質問したりしておられる息子のイエスを見つけたのです(46節)。そこで、母の口からは、わが子をようやく探し当てた安堵もあり、「なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんもわたしも心配して探していたのです」(48節)と、文句の言葉が語られます。

 

 旅先で親とはぐれ、どんなに心細い思いして親を捜し回っているかと思い、だからこそ、自分たちが一刻も早く見つけてやらなければと思って探していたのです。けれども、当の本人は学者たちとの議論に夢中になって、親のことなど考えているそぶりもなかったので、腹が立ったのでしょう。

 

 そのため、そのとき主イエスが学者たちと何を話していたか、少年イエスの話に学者たちがどんなに驚いていたかということなどは、およそ関心の外でした。ここに、成人=親離れへの準備が整いつつある主イエスと、子離れの備えもおぼつかない両親の有様が浮き彫りにされています。

 

 そこで語られたのが、冒頭の言葉(49節)です。福音書に記されている主イエスの言葉の中で、最も若い時の発言です。「どうしてわたしを探したのですか」という言葉では、探してもらう必要などなかった、これからはもう自分のことは自分で責任をもって行動するという、いわば独立宣言のように聞こえます。「契約の子」になるというのは、まさに、親から独立するということです。

 

 さらに、「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われました。成人して「契約の子」になるというのは、神の子になるということなのだから、少年イエスにとっては、これからエルサレムの神殿をご自分の家とされる。それが「当たり前」(デイ・エイナイ:must be)のことなんだと言われるのです。

 

 しかも、1章35節で「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と告げられていました。主イエスが「神の子」(フイオス・セウー:son of God)と呼ばれるのは、聖霊によって働く神の力であって、人間的な理由によるのではないということです。そのことを、どうしてご存じなかったのかと、少年イエスが反問しているのです。 

 

 ここで、「自分の父の家」という箇所を原文で読むと、「家」(オイコス)という単語がありません。「自分の父の~にいるのは当たり前だ」という文章の、「~」にあたるところが抜けているのです。ただ、「エン・トイス・トゥー・パトロス・ムー(in the ~ of my father)」という言葉遣いは、省略されている言葉が「家」(オイコス)であることを示唆する慣用句なのだそうです。

 

 しかしながら、抜けている単語につけられている冠詞(トイス)は、複数形です。つまり、「わたしの父の(家)」が、46節の「神殿の境内」(ヒエロン)と一致するわけではありません。因みに全体、「ナオス」は神殿の建物、「ヒエロン」は、境内を含む神殿を指す言葉です。父の「家」が複数あるという意味では、「家」は建物(house)ではなく、家庭(home)ということなのでしょう。

 

 つまり、父なる神のおられるところが、主イエスの父の「家」(home)なのです。神殿に神がおられれば、そこが「神の家」ですし、また荒れ野に神がおられるならば、そこも「神の家」(ベテル:創世記28章19節)なのです。少年イエスは、父なる神とご一緒だったのだから、ご両親が心配して探される必要はなかった、どうしてそのことがお分かりにならなかったのですかと問い返されたのです。

 

 主イエスのこの発言は、今私たちが主イエスをどこで見つけるのかということをも示しています。即ち、私たちが捜し求めるならば、どこででも主イエスを見出すことが出来るのです。目には見えませんが、父なる神がおられないところなど、地球上には存在しないからです。

 

 さらに、主イエスを信じ、神を信じた私たちも、神の家にいることが当たり前の存在です。主イエスを信じる人々には、神の子となる資格が与えられたからです(ヨハネ1章12節)。私たちは父なる神の家に住んでいるのです。神が共におられるのです。主イエスをどこに探しに行くのですか。主イエスはどこにおられるのでしょうか。

 

 私たちも、自分が父の家にいるのは当たり前だということをいつも信じ、主の御顔、御言葉を求めて、絶えず主の御前に進みたいと思います。

 

 天の父なる神様、御子イエスの贖いにより、主を信じる信仰によって私たちを神の子とし、神の家に共に住まうことを許してくださって、感謝致します。主がいつも共におられることが、どんなに大きな恵みであり、平安であるかを絶えず味わい知って、心から感謝と賛美をささげさせてください。 アーメン

 

 

「イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」 ルカによる福音書3章21,22節

 

 ルカは3章1節に再びローマ皇帝の年代を記し、主イエスの公生涯の始まりを歴史の中にしっかり組み込んでいます。ティベリウスは紀元14年8月にアウグストゥスの継承者として帝位に就きました。従って、「治世の第十五年」と言えば、紀元28~29年頃ということになります。

 

 さらに、ピラトは紀元26年にユダヤとサマリヤの総督となりました。これは、ヘロデ大王の息子アルケラオがアウグストゥスによって紀元6年に罷免されて以来、ユダヤをローマの直轄領としたため、総督が派遣されるようになったということです。

 

 そして、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスがガリラヤの領主です。彼は、ヨルダン川東岸のペレヤ地方も治めていました。また、彼の異母兄弟ヘロデ・フィリポがトラコン(ガリラヤ湖の東方)とイトラヤ(ガリラヤの北方)の領主、詳細不明のリサニアがアビレネ(イトラヤの東方)の領主でした。

 

 2節には、ユダヤの宗教指導者として、アンナスとカイアファの名が挙げられています。アンナスは紀元6~15年、その婿カイアファは17~37年に大祭司の職にありました。アンナスは、カイアファに大祭司の職を譲った後もサンヒドリン(ユダヤの最高議会)の中で最も権力ある人物でした。いわゆる院政を敷いていたわけです。

 

 そのような歴史的状況の中に、洗礼者ヨハネが登場して来ました(2,3節)。そして、4~6節にマルコと同様イザヤ書40章3節以下を引用し、荒れ野で主イエスのために道を備え、それによってすべての者が神の救いを見ることができるようにすると告げています。つまり、ヨハネの宣べ伝える「悔い改めのバプテスマ」(3節)は、正しく主イエスの方を向くようにするためのものということです。

 

 冒頭の言葉(21,22節)に、主イエスがメシヤ・救い主としての公生涯に入られるとき、洗礼者ヨハネのもとに行って、バプテスマを受けられたことが記されています。これは、どの福音書にも同様に記されています(マタイ福音書3章13節以下、マルコ福音書1章9節以下、ヨハネ福音書1章29節以下)。そのとき、聖霊が主イエスの上に降って来たことも、共通しています。

 

 そして、バプテスマを受けられた主イエスに天からの声があります。その声は、主イエスが神の子、御心に適う者であると宣言します。ヨハネ福音書だけは、天からの声ではなく、洗礼者ヨハネによって宣言されています。要するに、洗礼者ヨハネのバプテスマを通して、主イエスが神の子であることを、聖霊と天からの声によって神が確証されたという出来事なのです。

 

 この記事は四つの福音書に共通といいましたが、違いもあります。ルカは、バプテスマと聖霊降臨の間に、「祈っておられると」という言葉を挿入しています。ルカは、このほかの箇所でも(5章16節、6章12節など)、他の福音書が触れていない主イエスの祈りに言及しており、祈りによる神との交わりを強調していると見ることが出来ます。

 

 さらにこれは、使徒言行録に記された聖霊降臨を予め示すものとなっています。主イエスは、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」(使徒言行録1章4,5節)と言われました。

 

 そこで弟子たちは、エルサレムで婦人たちやイエスの母マリア、イエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました(同1章14節)。すると、五旬祭の日が来て、彼らの上に聖霊が降って来たのです(同2章1~4節)。つまり、水でバプテスマを受けた者が、祈りを通して聖霊によるバプテスマを受けるというのが、ルカが示そうとしていることではないでしょうか。

 

 最初に、バプテスマを通して主イエスが神の子であることを確証されたと言いましたが、私たちもバプテスマを通して、神の子とされるのです。そして、神の子が主イエスの証人として働くために、聖霊の力を受けるのです(同1章8節)。

 

 勿論、主イエスはバプテスマによる確証がなくても、聖霊の力を受けられなくても、神の御子であられました。しかしながら、主イエスはヨハネのもとに来てバプテスマを受けられ、聖霊が降って来たことによって、神の子、メシアとして行動し始められ、その言葉と業に神の力が表されるようになったことを物語っています。

 

 そして、私たちが神を信じ、主イエスを信じてバプテスマを受けるときに、聖霊によるバプテスマが与えられるということは、そのことによって、私たちも神の子として行動することが求められているということになります。ただ、言うまでもありませんが、私たちは、本来神の子ではありません。どうすれば、神の子として行動することになるのでしょうか。

 

 それは、天からの声で告げられたように、主イエスこそ神の子、神の御心に適うお方なのですから、主イエスに聴いて従うことです。主に聴き従い、主が語られるままに語り、主が言われるとおりに行動するとき、そこに、人の思いや行動を超えた、神の子としての働きがなされます。聖霊の力を求めて祈るとき、神ご自身が御業を表してくださることでしょう。

 

 被造物世界は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます(ローマ書8章19,22節)。私たちも、神の子とされること、すなわち救いが完成されることを、呻きながら待ち望んでいます(同23節)。そして、聖霊自ら、私たちのために呻きながら執り成してくださっています(同26節)。その呻きの祈りに応えて、神は万事が益となるようにお働きくださるのです(同28節)。

 

 祈りつつ主イエスを仰ぎ、その御言葉に日々耳を傾けましょう。御霊の満たしと導きを祈り求めましょう。 

 

 天のお父様、私たちを主イエスを信じる信仰に導き、神の子としてくださり、感謝致します。御言葉と祈りを通し、聖霊の御力によって神の御業を進めてください。私たちを神の御業を表す器として、恵みの通り易い管として整え、用いてください。ただ主の御名のみが崇められますように。御心がこの地になされ、キリストの平和と喜びが全世界にありますように。 アーメン

 

 

「さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を霊によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」 ルカによる福音書4章1,2節

 

 4章14節以下9章50節までに、ガリラヤにおける主イエスの宣教活動が記されます。それに先立ち、洗礼者ヨハネからバプテスマを受け(3章21節)、聖霊に満たされた主イエスは(同22節)、聖霊によって荒れ野を引き回され、悪魔の誘惑を受けたと、冒頭の言葉(1,2節)は語ります。

 

 荒れ野における40日間の試練は、モーセがシナイ山において神の律法を授けられるために過ごした期間(出エジプト記34章28節)、また、イゼベルに脅されて意気消沈したエリヤが御使いに励まされて神の山ホレブまで歩き続けた期間(列王記上19章8節)と同じです。主イエスはその期間、何も食べずに悪魔の誘惑を受けながら過ごされました。 

 

 悪魔は、「石をパンに変えてみよ」(3節)と言い、また、「自分を拝むなら、全世界の権力と繁栄はお前のものだ」(6,7節)と言い、そして、「高いところから飛び降りても無事だという奇跡を行え」(9節以下)と言いました。これは、自分のために神の子としての力を用い、この世の王となれと唆すものです。

 

 かつて、悪魔は蛇の姿を借りて人間を誘惑したことがあります。そのとき蛇は、神が禁じられた木の実を食べて、神のように善悪を知る賢い者になれと唆しました(創世記3章4節)。人間は、蛇の言うとおりに行動しました。その結果、人間は神のように賢い者にはなれず、エデンの園を追い出されてしまいました。

 

 神はそのとき、「お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に」(同3章17,18節)と言われました。つまり、人間が悪魔に従って神に背いた結果、よく潤い、多くの実をみのらせる草木が生い茂っていたエデンの園が、茨とあざみの生える荒れ野になってしまったわけです。

 

 主イエスが聖霊によって荒れ野を引き回されたのは、かつて人間の背きの罪のために荒れ野に変わってしまったものを悪魔から取り返し、神のエデンの園を回復するためだったのではないでしょうか。そのために、荒れ野で悪魔の誘惑を受けられたのです。

 

 主イエスは、悪魔の誘惑に対して、自分のために神の子としての権威と力を用いられることはありませんでした。何をもって悪魔の誘惑を退けられたかというと、それは旧約聖書、申命記に記されている神の御言葉でした(申命記8章3節、6章13節、6章16節)。主イエスは、自分は神の御言葉にのみ従うという姿勢を明らかにされ、それを貫かれたのです。 

 

 私たちが悪魔の誘惑に打ち勝つというとき、もし自分の力や固い決意、揺るがぬ心で立ち向かうというのであれば、それはすでに悪魔の術中に陥っています。というのは、神の御言葉とその力に頼らず、神から離れて自分一人で立とうとしているからです。そうなることこそが、悪魔の誘惑の目的なのです。私たちが誘惑に打ち勝てるとすれば、それは徹頭徹尾、主に聴き従い、御言葉によって立つことです。

 

 主イエスが荒れ野に行かれたのは、聖霊の導きでした(1節)。そこで悪魔の誘惑に遭ったのですが(2節)、「誘惑を受ける」(ペイラゾー)は、「試みを受ける、試練に遭う」という言葉でもあります。即ち、主イエスが神の御心に完全に従う者であるかどうか、御言葉に立つ者であるかどうか、悪魔の誘惑を通して徹底的に試されたということになります。

 

 私たちも人生において苦しみを味わうことがあります。しかし、そこに聖霊の導きがあることを覚えなければなりません。荒れ野を通して、信仰が試され、真実が明らかにされるのです。

 

 エレミヤ書31章2節には「荒れ野で恵みを受ける」という言葉があり、ホセア書2章16節では「それゆえ、わたしは彼女をいざなって荒れ野に導き、その心に語りかけよう」と語られています。命が脅かされるような苦しみ、痛みを通して、神の御言葉を聴き、その恵みを味わうようになるというわけです。そこは、いつまでも荒れ野ではありません。主がおられるところは、神の家(ベテル)だからです(創世記28章19節)。

 

 神の御言葉ですべてものが創り出され、私たちの一切の必要が満たされます。「人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8章3節)とは、そのことです。「光あれ」と言われて、光を創造された主が(創世記1章3節)、イスラエルの民にマナを降らせ(出エジプト記16章)、ウズラを飛ばし(民数記11章31節以下)、岩から水を出されました(出エジプト記17章1節以下)。

 

 「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。おとめイスラエルよ、再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓を抱え、楽を奏する人々と共に踊り出る」(エレミヤ書31章3,4節)、「そのところで、わたしはぶどう園を与え、アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える」(ホセア書2章17節)と言われています。

 

 何よりもまず神の国と神の義を求めて(マタイ福音書6章33節)、主を仰ぎましょう。信仰をもって賛美しましょう(ヘブライ書13章15節)。主の御名はほむべきかな。

 

 主なる神よ、導きを感謝します。あなたはいつも私たちのために最善を行われます。最善以下をなさいません。私たちといつも共なり、私たちの弱さを思いやり、執り成していてくださる主イエスを信じ、感謝します。今苦悩の中におられる方に、希望の門を示してください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。」 ルカによる福音書5章12節

 

 5章に入り、主イエスはご自分に従う者を弟子としてお招きになります。初めに、ゲネサレト湖の漁師たちが招かれました(1~11節)。次には、収税所に座っていた徴税人を招かれました(27~32節)。主イエスが弟子とするのは、家柄や資産、職業、地位、才能などに着目してということではありません。ご自分の招きに従う者を弟子とされるのです。

 

 12節以下には、「重い皮膚病を患っている人をいやす」物語が記されています。ユダヤにおいて、重い皮膚病を患うというのは、病の苦しみ以上の苦しみを味わうことになります。彼は、宗教的に「汚れた者」とされ、一人宿営の外に出されました。人と触れ合うことは許されず、「わたしは汚れた者です」と呼ばわり叫ばなければなりませんでした(レビ記13章45,46節)。

 

 それは、感染を防ぐ目的であったとは思われません。というのは、皮膚病が全身を覆っているとき、その人は清い者とされたからです(同13章12,13節)。即ち、全身に白い湿疹が生じ、患部の毛が白くなっていて、全身が白く見えるというのが、清い者とされた根拠のようです。清い者となれば、宿営に戻り、人と交わることができます。しかしながら、湿疹がただれて赤くなると、再び、汚れた者とされました(同14節)。

 

 冒頭の言葉(12節)のとおり「全身重い皮膚病にかかった人」は、主イエスに「清く」されることを願っていますので、白い湿疹が赤くただれていて、あるいは膿んでいたのかも知れません。全身が慢性的な重い皮膚病であるというのは、大変不快なことでしょう。だから、通常ならば、「癒してください、よくなるようにしてください」と求めるところです。

 

 しかし、冒頭の言葉(12節)のように、「清く」されることを願うその言葉に、そしてそれは、癒しを願っていることであるに違いないのですが、医学的な癒しよりも、宗教的な清めを重く見ているといいますか、「汚れた者」とされた屈辱や、そこから生じる差別による苦しみが、とても大きかったということを語っているようです。

 

 この人は、汚れた霊を追い出し(4章31節以下)、多くの病人を癒した(4章38節以下)主イエスならば、自分の病を癒し、「汚れ」から清めていただけるに違いないと考えて、主イエスの前に進み出ました。彼はひれ伏して、清めを懇願します。それはまるで、神を礼拝するような行為です。

 

 さらに彼は、「わたしを清めてください」と懇願したのではなく、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と語っています。つまり、彼が願うとおりに皮膚病を癒し、清くしてほしいというのではないのです。

 

 主イエスは自分の皮膚病を癒し、清くすることができると信じた上で、自分を癒し、清くしてくださるかどうかは、主イエスの御心一つだと申し上げていることになります。主イエスがしたくないと思われるならば、それでも結構だということです。まさしくここに、彼の主イエスに対する信仰が表明されています。彼は、主イエスの御心をそのまま受け取ろうと言っているからです。

 

 主イエスは、彼の信仰の表明を聞いて手を差し伸べて、彼に触れながら、「よろしい、清くなれ」(13節)と言われました。すると、「たちまち重い皮膚病は去った」(同節)と、簡潔に述べられています。

 

 ユダヤにおいて、「汚れた者」に触れることは勿論、「汚れた者」が触れたものに触れることも、タブーでした。その人も同じように汚れると考えられていたのです。ですから、主イエスが彼に手を伸べて触れられたということは、彼の病、その汚れを御自分の身に負い、その苦しみや痛みをご自分が引き受けられたのです。

 

 預言者イザヤが、「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と」(イザヤ書53省3,4節)と記しているとおりです。

 

 そして、「彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(同53章5節)と告げられているように、病む者を癒し、律法の規定によって阻害されて来た人々が神と人との交わりを平和に回復してくださるということです。

 

 特に、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(12節)という願いに対して、主イエスが、「よろしい」(13節)と答えておられますが、ここに用いられている原語「テロウ」は、「わたしは意志する」(I will)という言葉です。文語訳の「わが意(こころ)なり」は、それをよく伝える訳だと思います。彼が清い者となり、人間性、社会性を回復することこそ、神の意思であると見ることができます。

 

 ここには、罪の悔い改めや赦し、贖いなどの表現がありません。一度も悔い改めを求められませんし、「もう罪を犯してはいけない」などとも仰っていないのです。このことは、かつて、重い皮膚病が「天刑病」と考えられていたのは、まったく根拠のないものであることを、明確に示しているといってよいでしょう。この世から、病気や障害などを根拠とした差別が完全になくなり、すべての人の人権が尊重される社会となるよう、願います。

 

 重い皮膚病を患っていた人が癒しを確信しつつも主の御心を尋ねたように、また癒しに御業を示された主イエスが静かな場所に退かれ、神の御心を求めて祈られたように、わたしたちも日々主の御心を求めて御前に進み、御言葉と祈りの時を持ちましょう。

 

 主よ、重い皮膚病に苦しめられていた人に与えられた、すべてを主イエスの御心に委ねる信仰は、本当に素晴らしいものだと思います。私たちにも、主に信頼しつつ御心を尋ねる信仰を授けてください。御言葉を求めて日々御前に進みます。御心をこの地になさせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。」 ルカによる福音書6章47節

 

 1節以下に、ファリサイ派の人々との安息日についての論争(1~5節)が記されます。それは、これまでの律法学者との罪の赦しについて(5章17節以下)、また徴税人や罪人との食事についての問答(同27節以下)、続いてファリサイ派の人々との断食についての問答(同33節以下)の延長線上でなされたものです。

 

 続いて、安息日を守ることと隣人愛に基づく善をなすこととの関係について、律法学者たちに問われました(6節以下、9節)。 ここで主イエスは、「人の子は安息日の主である」(5節)と宣言され、人々を主の安息に招き入れるため、安息日に善をなさるのです(10節)。

 

 それから主イエスは山に登られ、夜を徹して祈られた後(12節)、弟子たちを呼び寄せて、その中から12人を選んで使徒とされました(13節)。使徒とは、キリストの使者という意味で、主イエスの代理として全権を付与された者たちのことです。 12人はイスラエル12部族を象徴するもので、彼らは全イスラエルのため、主イエスと共に働くのです。

 

 17節以下には、マタイ福音書5~7章の、「山上の説教」とよく似た話が集められています。ルカ福音書版「山上の説教」というところですが、17節に「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らなところにお立ちになった」と記されていることから、「平地の説教」という呼び方をします。

 

 これは、ただ単に、主イエスが山と平地、別々の場所で説教されたということではありません。古来、山は神と出会う場所です。マタイは、山上の説教において神と出会うことが出来ると考えているわけです。一方、平地は人々が生活している場所です。ルカは、世の人々が生活の場でこの説教を神の御言葉として聞き、それを実行することを求めていると考えられます。

 

 46節以下のたとえ話は、「平地の説教」の結びとして語られています。それは、よく似たたとえ話が、「山上の説教」の結びとして語られているのと同様です(マタイ7章24節以下)。このたとえ話が語られた目的は、明らかです。それは、主イエスの言葉を聞き、それを行う者となることです。そうするのが、主イエスの真の弟子なのです。

 

 ただ、岩の上に土台を置いて家を建てたのか、或いは土台なしで地面に家を建てたのかということについて、一見してそれを判別するのは易しくありません。どちらも立派に建ててあるように見えます。これは、主イエスの御言葉を聞いて行う人と、聞いても行わない人とは、外見では判別出来ないということを示しています。

 

 そして、それを判別しなさいと言われているわけでもありません。むしろ、先走って裁いたりするなと教えています(マタイ13章24節以下)。ただ、自分のことは分かるでしょう。御言葉を聞いて行っていますか、それとも行っていないでしょうか。言うまでもなく、主イエスは聞いて行うことを求めておられます。行わない者であってはならないのです。

 

 ところで、主イエスの御言葉を聞いて行いなさいということであれば、たとえ話にしなくても、直接そのようにお語りになればよいと思います。なぜ、主イエスはたとえ話をなさったのでしょうか。そのことについて、このたとえ話から二つのことを考えました。

 

 まず、「地面を深く掘り下げ」(48節)と言われていることです。この言葉で示されているのは、家の土台となる「岩」は土の中に隠れているということです。岩が見えていないのです。ですから、土を深く掘って、その岩を見つけなければなりません。

 

 これは、聖書の文字面を追い、そこに書かれている通りにすればよいというのではない、と教えられます。むしろ、文字の奥に隠されている主イエスの御心を探れ、と語っているのです。それには、どうすればよいのでしょうか。それは、主に尋ねることです。祈るということです。そこに交わりがあります。

 

 親しい交わりは、一朝一夕で出来るものではありません。相手を深く理解するためには、時間がかかります。互いに挨拶を交わし、言葉を交わし、そして行動を共にするうちに次第に親しくなり、より深く交わるようになります。

 

 聖書を通して神の御心を悟り、それを行うというのも、同様でしょう。最初は、挨拶のようなもの。読んでそこに書かれていることを理解します。理解出来ないところは調べます。御言葉を理解しても、それで神の御心を悟ったということにはなりませんが、しかし、それは御心を悟る助けとなります。言葉が理解できなければ、親しく交わることが出来ないからです。

 

 たとえ話で教えられるもう一つのことは、家の土台が試され、明らかにされるときが来るということです。48,49節に「洪水になって川の水がその家に押し寄せる」と語られています。そのとき、岩の上に土台を据えて建てられた家は揺り動かされず(48節)、土台なしで建てられた家はたちまち倒れて、その壊れ方はひどいと言われます(49節)。問題は家の建て方などではなく、その土台だというわけです。

 

 土台が岩であれば、どんな自然災害に対しても家は大丈夫、万事OKというようなものではありません。実際、どんな家の建て方をしているかも問題になります。その意味で、このたとえ話が語っているのは、自然災害に強い家の建て方というようなことではありません。「家」で象徴されているのは、私たちの人生です。洪水は日常のストレスとか試練などではありません。私たちの人生を裁く神の裁きです。

 

 洪水が起こらないのなら、洪水に備える必要はありません。地震や津波が発生しないのであれば、それを心配しなくてもよいのです。しかしながら、私たちは、そのような災害が現実に起こることを知っています。だから、様々な備えをします。

 

 私たちの人生も、様々な出来事によって大きく揺さぶられ、流されそうになることがあります。だからこそ、備えるのです。岩の上に家を築こうとするのです。その上で主イエスが問いかけられておられるのは、あなたは、最後の裁きの前に備えが出来ていますか、その土台で大丈夫ですかということです。

 

 神の試練に合格できると胸を張れる人は、どれほどあるでしょうか。私には、その自信はありません。ただ、主の試練は、単に私の土台を試すだけのものではないでしょう。私たちの人生が深く御言葉に根ざしたものとなるように、主が愛をもって私たちを試し、訓練してくださるのです。

 

 愛の主の御言葉に絶えず耳を傾け、その導きに従って一歩一歩、しっかりと歩ませて頂きましょう。 

 

 天のお父様、自然災害に負けないような立派な人生を建て上げたいと思っています。しかし、立派な家を建ることはできても、岩を作ることはできません。昨日も今日も永久に変わらない主の御言葉に土台を据えることができますように。それも文字面でなく、生ける神の御言葉として、そこに込められている主の御心を深く受け止めさせて頂くことが出来ますように。 アーメン

 

 

「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」 ルカによる福音書7章13節

 

 1節以下の段落に「百人隊長の僕をいやす」という小見出しがつけられています。部下の癒しを願い出た異邦人百人隊長の信仰を、主イエスは「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(9節)と評されました。

 

 主イエスを驚嘆させたのは、百人隊長の権威に対する畏れ、特にそれは、神への畏れに連なるものと考えられます。部下が自分の命令に忠実に従うことから、神の御子の権威をもって「ひと言」(7節)仰ってくだされば、部下はそのとおりになるというのです。そして、実際にその部下は元気になりました(10節)。

 

 11節以下の段落には、「やもめの息子を生き返らせる」という小見出しがつけられています。11節に「ナインという町」と記されています。それは、ナザレの町から南東9kmほどのところにある小さな丘のふもとの町で、「愛らしい、楽しい」という意味の名前です。

 

 しかし、そこで主イエスが出会ったのは、ピクニックに出かけようという若者たちの列なあどではありません。死亡した一人息子を葬るために棺を担いで墓地に向かう、やもめとその町の人々という葬列でした。「やもめ」というのですから、既に夫を失っておられる女性です。そして今、大切な「一人息子」(12節)を失いました。

 

 この寄る辺のない不安や恐れ、寂しさ、悲しみの内にある女性をどのように慰め、励ますことが出来るでしょうか。否、むしろ他人の慰めや励ましなどまったく必要ない、ただ嘆いていたい、泣いていたい、自分の心の内はだれにも分からない、分かって欲しくもないというような心境なのではないかと想像します。

 

 そのような事情をよく知る町の大勢の人々が、女性に付き添って列をなしています。黙々とということでしょうか。あるいは一緒に涙し、声を出して泣きながらということでしょうか。

 

 確かに、誰でも死を迎えます。私たちにも、やがて召される日が来ます。驚くようなことでもありません。しかしながら、先に夫を亡くし、今また一人息子を失って、一人ぼっちになってしまったその女性に、こういうことは世の常だ、やがて皆死ぬんだなどと、無神経に言うことは出来ません。彼女自身、自分も死んでしまいたいと思っているのではないでしょうか。

 

 その葬列に主イエスが目を留められました。12節に「ちょうど」と記されていますが、原文は「見よ」(イドゥー)という言葉が用いられています。それは、たまたま、偶然、そこに行き会わせたということではありません。それこそ、「ちょうど」この葬列が町の門を出て来るところに合わせて、主イエスが町に近づかれたのです。

 

 冒頭の言葉(13節)をご覧ください。そこに、「憐れに思い」と記されています。原文には、「スプランクニゾマイ」という動詞のアオリスト(不定過去)形が用いられています。内臓を「スプランクナ」といい、「スプランクニゾマイ」は、「内臓が痛む」という意味の言葉です。日本語でも、「断腸の思い」という言葉があります。はらわたがちぎれるほどの悲しみ、苦しみを表す表現です。

 

 この女性を同情する思いは、主イエスの内臓を傷めるほどのものであったという表現です。主イエスが前々からこの女性のことをよく知っていたとは思われませんが、主イエスは、ご自分の内臓が痛むほどに彼女の心に寄り添われたわけです。

 

 ヘブライ語で「憐れみ」は「ラハミーム」といいますが、これは「レヘム(子宮)」の複数形です。母親がおなかを痛めて産んだ子どもを思う思いを言うのでしょうか。産みの苦しみを経験した者として、苦しみの内にある者を思い遣ることをいうのでしょうか。そんな母性を思わせる言葉です。

 

 冒頭の言葉を原文で読むと、「彼女を見たとき、イエスは彼女を深く憐れみ、そして、彼女に『泣くな』と言われた」と記されています。即ち、「彼女」(アウテー)が3度出て来るのです。

 

 「彼女」を何度も繰り返して語るのは、日本語の文章としておかしいので、冒頭の言葉のように訳されているわけです。ルカがそのように記したのは、主イエスがそれほどにこの女性に目を留め、心を注ぎ、集中しているということではないかと思われます。

 

 そして、「泣くな」と言われました。それは、「泣いてはいけない」、「泣くのは可笑しい」ということではないでしょう。主イエスは6章21節で、「今泣いている人々は幸いである、あなたがたは笑うようになる」と言われました。これは、泣くことが幸いと言われているのではなくて、神によって慰められ、涙を笑いに変えていただくことができるということです。

 

 主イエスが女性に「泣くな」と言われたのは、それこそ、泣くこと以外に自分の心を向けることができない女性の心に、主イエスが寄り添ってくださるということです。先に夫を失い、今また一人息子の死に見舞われ、悼んでいる彼女を慰め、その涙をぬぐい、悲しみを喜びの笑いに変えようと仰っているということです。

 

 私たちが葬儀のときにご遺族に対して、「神様の慰めがありますように」、「主イエスの慰めと平安がありますように」と語るのは、ここで主イエスが、泣いている女性に、「もう泣かなくともよい」と声をかけてくださっていること、そして、本当に彼女の涙をぬぐってくださったことに基づいているのです。

 

 この後、洗礼者ヨハネの使者に対して、「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(22節)と主イエスが仰いました。

 

 ここに驚くべき奇跡が列挙されていますが、最後の「貧しい人は福音を告げ知らされている」というのは、前の五つとは異なっています。しかし、実はこれが一番重要なところです。というのは、前の五つは素晴らしい奇跡ではありますが、すべてこの地上のことです。どんな奇跡を味わっても、人生の終わりがやって来ます。

 

 しかし、福音はこの世と神の国をつなぎます。福音がなければ、誰も救いに与ることが出来ず、父なる神のもとに赴くことが出来ません。死んだらお仕舞いということになってしまいます。 ここにいう「貧しい人」とは、物質的なことに留まりません。自分の内に、自分を支え、生かす大切なもの、頼りになる確かなものが欠乏していることです。

 

 私たちはそれを、だれも自分のものとすることが出来ないのです。それは、私たちが主なる神によって土から造られた被造物であり、有限の存在だからです。生まれて育ち、そして年老い、死にます。どんなに健康でも、どんなに富んでいても、どんな権力を手にしていても、有限の存在であることに変わりはありません。

 

 けれども、福音を信じた者たちには、この世で終わらない新しい命、永遠の命が与えられます。その最も大切な福音を、主イエスを通して聴くことが出来る、その命の恵みに与ることが出来るのです。

 

 女性が死亡した一人息子を生き返らせて頂いたのは、実に神の恵みであり、ただ主イエスの憐れみによることでした。女性に出来たのは、感謝して息子を受け取ること、そして、神を畏れ、賛美することです。

 

 今日という日を、主イエスの福音を受け、その恵みに与る絶好の時として活かし用いることが出来るよう、聖霊の力と導きを祈り求めましょう。

 

 主よ、あなたは私たちのことを本当によくご存知です。確かに、髪の毛の数も数えておられるほどに常に私たちに目を留め、、痒いところに手が届くという取り扱いをしてくださいます。私たちも主イエスの福音に与らせて頂きました。その恵みに感謝し、聖霊の力を受けて主を愛を証しする者とならせてください。キリストの平和が全世界にありますように。 アーメン

 

 

「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」 ルカによる福音書8章39節

 

 1~3節は、7章36節から続くルカの独自資料で、ガリラヤにおける主イエスの働きを総括しています。主イエスは、町や村を巡りながら、神の国の福音を告げ知らせておられました(1節)。そこに、「十二人」(1節、6章13節参照)も共にいました。

 

 また、複数の女性たちも同行し(2節)、自分の持ち物を出し合って一行に奉仕していました(3節)。当時、ユダヤにおいては、女性や子どもはものの数に入れられませんでしたが、神の国においては、「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」(ガラテヤ書3章28節)。キリストにあって、同じ一人の弟子として召し出されたのです。

 

 4節以下9章50節までは、マルコ福音書に基づく記事となります。4節から18節までは、マルコ4章1~25節のとおりにたとえ話が語られます。その後に、主イエスの母と兄弟たちが主イエスに会おうとしてやって来たという記事があります。

 

 これは、マルコとは違う位置、順序に置かれていますが(マルコ3章31節以下)、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」(21節)という主イエスの言葉で、主イエスとの交わりにおいて豊かな実を結ぶのは、御言葉を聞いてよく守る者たちだという15節の言葉(6章47,48節も参照)を例証したかたちになっています。

 

 その後、主イエスと一行が舟でガリラヤ湖を向こう岸へと渡ろうとして、突風に悩まされましたが(22節以下)、弟子たちに眠りを覚まされた主イエスが風と荒波を叱って静めてくださり(24節)、無事に向こう岸のゲラサ人の地に着きました(26節)。

 

 ゲラサの地は、ガリラヤ湖の南方およそ60㎞に位置しています。マルコ福音書5章20節によれば、それはデカポリス地方、即ち、ガリラヤ湖の南東、ヨルダン川東部地域にあった、ヘレニズム時代の自由都市連合(デカポリスは「10の都市」の意)の地域にありました。

 

 しかし、それではガリラヤ湖から遠すぎて、「向こう岸にあるゲラサの地」という表記に合わないと考えて、「ゲラサ」をガリラヤ湖の南東およそ10㎞の「ガダラ」(マタイ福音書8章28節参照)、あるいはまた、ガリラヤ湖東岸の「ゲルゲサ」としている有力な写本があります。

 

 状況的には、ローマ皇帝アウグストゥスによって領主ヘロデに与えられた、基本的に異邦人が住む町「ガダラ」が最も可能性が高そうですが、しかし、誤りを修正しようと考えて書き換えが起こったということであれば、もともと「ゲラサ」と記されていたと考えざるを得ません。

 

 主イエスが陸に上がられると、悪霊に取り憑かれているゲラサの町の男がやって来ました(27節)。この男について、「この男は長い間、衣服を身につけず、家に住まないで墓場を住まいとしていた」(同節)と記されています。

 

 墓場は、死者を葬った場所です。ユダヤでは、死者に触れると「汚れる」と考えられていました(レビ記21章1,4,11節参照)。墓場を住まいとしていたということは、自らそこに住みたかったというよりも、そこにいるしかなかったということでしょう。

 

 彼は悪霊に取りつかれていて、鎖でつながれたり足枷をはめられたりしていたのに、それを引きちぎったとも記されています(29節)。人が悪霊を家に閉じ込めり鎖につないだりすることなど出来はしないと云うことでしょう。そして、町の人々はそのような人物を、町の中に住まわせるわけにはいかなかったのです。

 

 衣服を身に着けていないということは、彼を守るものが何もないというしるしです。孤独でただ一人、苦しみの中に置き去りにされて暴れていました。様々な束縛を力ずくで引きちぎり、自由を求めますが、それは、却って自分を傷つける行為だったことでしょう。彼自身、自分が何をしているのか分からなかったのかも知れません。

 

 主イエスが汚れた霊に出て行くように命じると(29節)、悪霊どもは、底なしの淵に行けと命ぜられることを恐れ(31節)、豚の中に入る許しを請います。主イエスがそれをお許しになると(32節)、悪霊どもはその人から出て豚の中に入り、豚の群れは湖になだれ込み、溺れ死んでしまいました(33節)。

 

 悪霊を追い出してもらった人は、正気になり、服を着て、イエスの足もとに座りました(35節)。服を着たということは、彼を守るものがあるということです。主イエスの足もとに座っているということから、その服をお与えくださった方、つまり、彼を守る方は、主イエスであるということが明らかになります。

 

 悪霊を追い出すという神の御業を行われた主イエスに対して、二つの反応が示されます。一つは、主イエスを恐れて「自分たちのところから出て行ってもらいたい」(37節)という反応です。ルカは、「彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである」と説明しています。何ものをもってしても縛りつけておけなかった男より、さらに強力な力を持った人物の存在は、恐怖そのものだったのかもしれません。

 

 それにしても、「恐れに取りつかれていた」というのは、まるで、男性から出て行った悪霊が、町の人々に取りついたかのような表現です。マルコの並行記事(マルコ福音書5章1節以下)によれば、主イエスに出て行くように願った理由が、悪霊を追い出してもらった一人の人物と豚2千匹を天秤にかけて、損失の大きさに驚いてのことだったようです。

 

 それは、本当に正気なのかということでしょう。そういえば、悪霊に取りつかれていた男性も、はじめは主イエスに向かって、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」(28節)と言っていました。即ち、悪霊にとって主イエスの存在は、自分たちを苦しめるもの、近づきたくないものなのです。

 

 悪霊を追い出した主イエスに対するもう一つの反応は、癒された男が示した、「お供したい」(38節)という反応です。自分を墓場に追いやった町の人々、そして今、主イエスに出て行ってほしいと願った町の人々とは一緒にいたくなかったということもあるでしょう。しかしそれ以上に、素晴らしい恵みをお与えくださった主に、心からお仕えしたいと思っていたことでしょう。

 

 主イエスは、町の人々の願いに応じて、町を離れられます(37節)。しかし、癒された男性の願いは受け入れられず、冒頭の言葉(39節)を語られました。男性にとって、それは残念で、ある意味で辛いことだったかもしれません。

 

 けれども、主イエスが彼に家に帰ることを命じ、町の人々に主イエスのなさった神の御業を語り聞かせるようにと派遣されたのです。それが、この男性に与えられた使命であり、主イエスに仕えることだったのです。

 

 そして、この男性は、その通りにしました。自分になされた主イエスの御業を町中に言い広めたのです(39節)。その結果、どういうことが起こったのかは記されていませんが、この男性にとって、主イエスの言葉を聞いて実行すること、それが主イエスにつながる神の家族となることであり、父の家こそ、彼の帰るべき家だということです。

 

 そのとき、彼は主イエスに着せられた服に示された、主イエスの守り、キリストの霊の導きを豊かに味わったことでしょう。真理に従う者には力が与えられるからです(第二コリント書13章8節)。

 

 主イエスはこの男性を悪霊の手から取り戻し、ご自分の家族とするために、ガリラヤ湖を渡って来られたわけです。そうであれば、ゲラサの地にやって来られるのを阻止するために悪霊がガリラヤ湖に突風を吹かせ、舟を海の藻屑にしようとしたのかも知れませんね。

 

 「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としてこられるのを、わたしたちは待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じかたちに変えてくださるのです」(フィリピ書3章20,21節)。

 

 私たちも自分の家に帰り、神が私たちになしてくださったことをことごとく語り伝え、また、生活を通して証ししましょう。

 

 主よ、私たちは主イエスと出会うまで、人生の目標が墓場、死であることにおびえ、平安がありませんでした。しかし今、主イエスを知り、心に平安と希望を与えられています。この恵み、喜びを町中に言い広めることができますように。町中の人々がこの平安と希望を心に頂くことができますように。 アーメン

 

 

「十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。」 ルカによる福音書9章6節

 

 9章1節から50節まで、マルコの資料に従って編集されています。1節以下「12人を派遣する」という見出しのつけられた段落で、主イエスは、使徒としてお選びになった十二人を、御もとに呼び集められ(1節、6章13節)、彼らに悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能を授け(1節)、神の国の福音を宣べ伝え、病人をいやすために派遣されます(2節)。

 

 マタイ、マルコには、「神の国を宣べ伝え」(2節)という言葉はありません。ルカの福音宣教への思いが強く表れているところでしょう。12人は主イエスの代理人として、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ」(4章43節)と仰っておられた主イエスの宣教を、その言葉と業において共に担うために遣わされるのです。

 

 福音書の記事によれば、使徒たちは主イエスの御心を本当に弁えていたとは言えません。むしろ、理解出来ずに叱られていました(マルコ福音書4章13節、40,41節、6章51,52節、8章17節など)。そもそも、主イエスが彼らを選ばれたのは、弟子としての素質が十分あり、宣教に相応しい教養などを身につけているからというのではありません。

 

 また、彼らを一からみっちり仕込み、使徒としてどこに出しても恥ずかしくないよう十分に鍛えてから、派遣するということでもありません。彼らは未熟なまま、欠点だらけ、弱点だらけのまま遣わされます。

 

 そこに、福音宣教の緊急性といいますか、重大さが示されているように思われます。私たちの側の条件が整っているから伝道するというのではなく、伝道する必要があるから、神の国の福音が宣べ伝えられるのを待っている人々がいるから、伝道するのです。

 

 また、伝道は自分の知識や経験、力によってするものではなく、主の導きと助けをいただいて行うものなのです。そのことを実地で学ばせるために、「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない」(3節)と言われています。全く軽装で遣わされました。

 

 そのとき、彼らが頼ることの出来たものはただ一つ、彼らに授けられた主イエスの力と権能だけでした(1節)。彼らはその力と権能を携えて、出かけて行きました。知恵も力も経験も、全く不十分であることは、承知の上です。どれほどのことも出来ないかも知れません。それでも、ただ主イエスの力に依り頼み、主イエスから託された神の国の福音を宣べ伝えたのです。

 

 すると、主の力が彼らと共に働いて、福音を告げ知らせることができ、また、病気が癒されるという成果をもたらしました。主イエスの御言葉に従って出て行き、御言葉に従って語り、御言葉に従って病気を癒したのです(6節)。

 

 それは、十二人がしたことですが、しかし勿論、彼らの力ではありません。神の力です。神の力が、彼らの弱さを通して働いたのです(第二コリント書12章9,10節)。彼らは、全く未熟な主イエスの僕です。欠けた土の器に過ぎません。けれども、その器の中に本物の宝があったのです(同4章7節)。

 

 パウロがテモテに対して、「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように勧めます。神はおくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」(第二テモテ書1章6,7節)と記しています。つまり、テモテが福音宣教に対して、臆病風に吹かれているようなところがあったのではないでしょうか。

 

 「神の賜物を、再び燃え立たせなさい」ということは、かつて、よく燃えていたように、もう一度燃え上がらせることを求めています。これは、テモテが福音宣教の使命を果たすために、新しい賜物が必要なのではなく、既に与えられている、否、初めから与えられていた神の賜物を、十分に活用するようにと求めているわけです。

 

 そのうえでパウロは、自分の殉教のときが迫って来ていると告げつつ(第二テモテ書4章6節以下)、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(同4章2節)と命じています。確かに、手紙を書き送ったパウロにとって、「折の悪いとき」かもしれません。しかしながら、それで口をつぐもうというのではなく、むしろ、福音宣教に励もうというのです。

 

 昔はよく街頭でのビラ配り、提灯などを持って路傍伝道、車にスピーカーを積んで集会の宣伝、塀や電柱にたくさんの看板やポスターを張り出し、道に横断幕を張ったりして、町の人々に集会の案内をしたものです。一週間連続伝道集会ということもありました。でも今はそういう時代じゃない、そういう声を聞きます。

 

 確かにそうかもしれませんけれども、時代があらたまって、伝道する方法や手段は変わっても、神の国の福音を宣べ伝えよという主のご命令に変更はありません。伝道しようというその情熱、人々に救いを伝えようという熱い思いも変わりません。

 

 私たちを選んでくださった主イエスの御言葉に従い、家族に、知人友人に、御言葉を伝えましょう。そのために、先ず祈りましょう。上からの知恵を頂きましょう。聖霊の力に与らせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは欠けた土の器に過ぎません。自分のうちになんら誇るものはありません。しかし、この私たちの中に、私たちを神の宮として、真の宝であられる主イエスがお住いくださっています。主が共におられるという平安と喜びを感じています。私たちにも福音を告げ知らせることが出来ますように、聖霊の力を与えてください。家族、知人友人を救いに導かせてください。 アーメン

 

 

「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリヤは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 ルカによる福音書10章42節

 

 9章51節に「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」と記されていて、それまでのガリラヤでの宣教を終えて、これから、エルサレムに向けての旅路を進まれることになります。

 

 10章はルカの独自資料やマタイとの共通資料に基づく記事で構成され、マルコからは離れています。ルカの独自資料には、72人を任命して宣教に遣わす話(1~12節)、その報告(17~20節)、「善いサマリア人」のたとえ話(25~37節)、そして、「マルタとマリア」(38~42節)の記事があります。

 

 72人の宣教については、先に12人の任命(6章12節以下)と、派遣(9章1節以下)の記事がありました。12人の働きが豊かな実りとなり、72人を選任するほどに弟子の群れが大きくなったわけです。そして、72人が派遣されることで、さらに多くの収穫を見ることになるでしょう(2節参照)。

 

 この「72人」について、新改訳は「70人」としています。その背景に、創世記10章に基づき、世界の非ユダヤ民族が70、あるいはまた72あるという伝承の存在があります。つまり、12人がイスラエル全部族を象徴しているように、70ないし72人は全世界の民を象徴しているということになります。

 

 ルカは、主イエスに従う者たちの中に、身の回りの世話する女性たちがいたことを報告していました(8章2,3節)。その女性たちの仲間だったのかどうかは分かりませんが、ある村でマルタとマリアという姉妹の家に主イエスとその一行は迎え入れられました。

 

 ヨハネは、この村を「ベタニア」と紹介しています(ヨハネ福音書11章1節)。因みにベタニアとは「悩みの家、貧困の家」といった意味と考えられます。ベタニアは、エルサレムの南東約3㎞のオリーブ山東麓に位置しています。

 

 そうであれば、ペトロが信仰を言い表したフィリポ・カイサリア(9章18節以下、マルコ福音書8章27節以下)からエルサレムのそばのベタニアまで、およそ150㎞の距離をずいぶん速いテンポでおいでになったことになります。

 

 17章11節に「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」とあり、再びベタニアからガリラヤ方面に戻っておられるので、ルカはヨハネ同様、公生涯の間に何度かエルサレムに上られたと考えているのかもしれません。

 

 主イエスがエルサレムに上られるのは、祭のときと考えられます。そこで、家の女主人であるマルタは、祭の客をもてなすため、腕によりをかけて忙しく立ち働いています(40節)。ところが、妹のマリアは主イエスの足もとに座って話に聞き入っており(39節)、姉を手伝おうとはしません。もしかすると、マリアだけが主イエスを信じる弟子になっていたのでしょうか。

 

 マルタは、忙しく立ち働いている自分を手伝わず、客の話に耳を傾けている妹マリアに腹を立て、なんと客の主イエスに、私一人だけが忙しくしているのをなんとも思わないのか、自分を手伝うように言ってくれと告げます(40節)。彼女の立場や状況を考えれば、それももっともなことだろうと思われます。

 

 けれども、主イエスはマルタの要求どおりにはなさいませんでした。そうではなく、マルタに対して、「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」(41節)と言われ、続けて、冒頭の言葉(42節)で、「しかし、必要なことはただ一つだけである」と仰っています。つまり、マルタが忙しく立ち振る舞っているのは、真に必要なこと以外の、それほど重要ではない多くのことに追われているからだというのです。

 

 一方、妹のマリアについては、冒頭の言葉(42節)の後半で、「マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。即ち、マリアは本当に重要なものについて知っていて、それを選んだというのです。それが、主イエスの足もとに座って、その話に聞き入っていたという行動です。

 

 主イエスの言葉を、マルタはどのように聞いたのでしょう。「マリアはよい方を選んだ」ということは、自分は悪い方を選ばされたのだと考えて、ふてくされたでしょうか。あるいは、分かりましたといって、そこに座り、妹と一緒に主イエスの言葉に耳を傾けたでしょうか。

 

 それとも、たとえば、誰が食事の用意をするのですか、どうやってご一行をもてなすための準備を整えたらいいと言われるのですか、結局は私がしなければいけないんでしょうなどと、主イエスに噛みついたでしょうか。ここには、マルタの反応は記されてはいません。どう考えたらよいでしょうか。

 

 実際の反応は分かりませんが、マルタも妹のマリア同様、そこに座って主イエスの話に耳を傾けるべきでしょう。それが、必要なただ一つのことと言われているからです。主イエスは、仕えられるためではなく、仕えるために来たと言われ、それは、私たちの身代わりにご自分の命を献げられることでした(マルコ福音書10章45節)。

 

 マリアのように主イエスの足もとに座って御言葉を聞くことが、主イエスの奉仕を受け入れることであり、その命の恵みに与ることなのです。そして、私たちは、パンだけで生きる者ではありません。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ福音書4章4節)のです。

 

 「人はパンだけで生きる者ではない」(同節)というのは、肉体のためにはパン、心のためには神の口から出る言葉という具合に、パンと神の言葉の両方とも必要だということではありません。パンも、そのほかの必要も、神の口から出る御言葉で与えられるという信仰の表明です。

 

 つまり、このときのベタニアの家の真の主人は主イエスで、マルタもマリアも、主イエスの命のもてなしを受けるべきときだということです。「今日」を逃してしまえば、マルタがその恵みに与ることはできなくなるのです。

 

 時を逃さず、主の御言葉に耳を傾けましょう。その恵みをしっかりと受け取りましょう。御心をわきまえ、主に支えられて御業に励むものとなりましょう。

 

 主よ、私たちはあなたの奉仕を受けて生かされています。絶えず私たちの心を恵みの光で照らしてください。それによって、必要なただ一つのことを選び取らせてください。主の恵みを頂くからこそ、日々の務めに勤しむことが出来ます。思い煩うことから解放されます。今日もその導きに与らせてくださり、感謝致します。 アーメン

 

 

「そこで、イエスは言われた。『祈るときには、こう言いなさい。「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」』」 ルカによる福音書11章2節

 

 マルタに対して、御言葉を聞くことの大切さを教えられた後(10章38節以下)、祈りについて弟子たちに教えておられます(1~13節)。ここに、「主の祈り」(1~4節、マタイ6章5~15節)、「執拗に願うこと」(5~8節)、「求めれば与えられる」(9~13節、マタイ7章7~11節)と、三つの記事がまとめられています。

 

 ルカは、主イエスがよく祈られる方であったことを、折々に伝えています(3章21節、5章16節、6章12節、9章18節、28節など)。主イエスは、祈りを通して神の御心を尋ね、また御心を行う力と助けを求めておられたのでしょう。そこに、主イエスと父なる神との親密な交わりを見ることが出来ます。

 

 神の御子だから、神の御心など先刻承知で、祈る必要などないということはありませんでした。むしろ、御心を知っておられるからこそ、それを正しく実践するために、祈りを通して父なる神と交わることを必要としておられたということでしょう。

 

 そのような主イエスの祈りを耳にし、その姿勢にしばしば接して来た弟子たちは、「ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と願いました(1節)。しかしそれは、個人的な祈りではありません。集団の祈り、教会の祈りというべきものを求めたのです。洗礼者ヨハネの弟子集団にもそのような祈りの言葉があったわけです。

 

 主イエスはその願いに応えて、祈りの言葉を教えてくださいました。それが、2~4節に記されている祈りです。「主の祈り」とは、主イエスが教えてくださった祈りなので、そのように呼ばれるのですが、主イエスがいつも祈っておられた祈りを、弟子たちに分けてくださったものでもあります。主の祈りを通して主イエスにつながり、そして、教会を形成する信徒を一つに結ぶのです。

 

 冒頭の言葉(2節)は、主の祈りの第一、第二の祈りです。祈りの言葉に先立って、呼びかけの言葉が記されています。主イエスは神に対して、「父よ」と呼びかけられました。

 

 ギリシア語原文では、「パーテル」と記されていますが、主イエスの口から出たのは、アラム語の「アッバ」という言葉でしょう(マルコ福音書14章36節、ローマ書8章15節など)。「アッバ」とは、ユダヤの家庭で幼児が父親に向かって呼びかける、「父ちゃん」とでもいうような言葉です。

 

 私たちが主なる神に向かってそのような言い方をするのはあまりにも不謹慎、なれなれし過ぎるなどと批判を受けそうですが、しかし、主イエスがそのように祈れと命じられていること、その心をまず受け止めるべきでしょう。主イエスは私たちを神の子どもとするために、ご自分が犠牲となられたのです。

 

 そして、「御名が崇められますように」という第一の祈りです。この祈りは、誰が誰の御名を崇めるのかということが重要なポイントであろうと思います。

 

 「御名」には、原文では「あなたの」(スー)という言葉がつけられていますが、邦語では、神に対して「あなた」という表現を用いることを避けて、ただ「御名」と訳されています。私たちがあなたと呼びかける相手は、私たちの祈りを聞いてくださる天の父なる神なのですから、「神の御名が崇められるように」という祈りです。

 

 そして、「崇められるように」という訳語は、すべての人々から主なる神が崇められるようにという祈りの言葉と解釈されてのものと考えられます。原語は「聖とする、清くする」(ハギアゾウ)という意味の動詞(アオリスト[不定過去]、受動態、命令形)で、岩波訳では「あなたの名が聖なるものとされますように」と訳しています。

 

 神の御名を聖なるものとするということについて、エゼキエル書36章23節に「わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる」という言葉があります。

 

 ここに、「彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする」と言われています。イスラエルの民が汚した神の名を聖なるものとする、清めるということですが、このとき、誰が主なる神の名を清くする、聖なるものとするというのでしょうか。そうです、主語は「わたし」、主なる神ご自身です。主がご自分の名を清め、聖なるものとされるというのです。

 

 つまり、私たちに崇めさせてくださいというのでも、世界中の人が崇めるようにというのでもないのです。「あなたの名前が聖とされますように」とは、主なる神ご自身によって、ご自分でご自分の名前を聖なるものとしてくださるように。もしも誰かに汚されることがあれば、ご自分で清めてくださるようにと祈っているのです。

 

 誰かに汚されることがあればと言いましたけれども、いったい誰が主なる神の名を汚すのでしょうか。勿論、主がご自分の名を汚されるというのではありません。それは、主なる神によって造られた人間、私たちです。私たちが神の名前を汚したのです。

 

 どのようにして、主の御名を汚したのでしょうか。それは、神を神としない、神の御言葉に耳を傾けない、主の御言葉に従わないことをによって、神をないがしろにし、その御名を汚したのです。それこそ、主なる神を神として崇めないということでしょう。

 

 神が汚れを取り除こうとするときに、何が起こるのでしょうか。それは、御名を汚した者の責任を問い、その罪を罰するということです。つまり、御名を汚した者の罪を罰して、主なる神が神としての権威、威光を周囲に表されるということです。主なる神にその責任を問われ、罰せられるとは、恐るべきことです。

 

 主なる神がご自分の権威、威光を表され、御名を聖なるものとされるために、どのようになさったのでしょうか。私たちが汚したご自分の御名を清めるため、私たちの罪を罰するために取られた手段は、私たちの身代わりに罪を犯されたことのないご自分の独り子イエス・キリストを十字架に磔にして殺し、その罪を裁くということでした。

 

 主イエスが十字架について死んでくださったということが、主なる神が神としてこの上もないほどに最も神様らしく振る舞ってくださり、ご自身の権威、威光を表してくださる御業だということです。そう考えると、「御名を崇めさせたまえ」とは、私たちを罪から救ってくださいということです。そのために、神の御子が贖いの御業をなさってくださいと祈っているわけです。

 

 主イエスを信じる私たちが、神の民としてしっかり立つことが出来なければ、私たちは主なる神の名を汚してしまいます。そのため、主はご自分をいと高く清く立てることがお出来にならないのです。

 

 主なる神が神として、この上もなく高くあられる、清くあられることは、私たちを厳しく裁くことでありながら、それは私たちを深く愛して、罪人の私たちを救ってやまないものでもあるということです。主イエスは、そのように私たちの主なる神を示し、主を「父」と呼ぶように教えてくださっているのです。

 

 主の祈りを唱えつつ、日々主に感謝し、御旨に歩む者とならせていただきましょう。 

 

 天のお父様、私たちに祈りを与えてくださり、感謝致します。今日も、お父様の御名が崇められますように。御子イエスの贖いの御業のゆえに私は神の子とされました。お父様から頂いた愛の広さ、長さ、高さ、深さのいくらかでも理解することが出来、感謝と喜びにあふれる日々を過ごすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。」 ルカによる福音書12章6節

 

 12章の記事は、マルコ福音書から離れ、ルカの独自資料とマタイとの共通資料に基づいて記述されています。ここには、主として弟子たちに対する主イエスの教えが宣べられています。それは、主イエスに仕えるために必要な心がけや態度を教えるものです。

 

 2番目に「恐るべき者」という小見出しがつけられた段落(4~7節)があります。その初めに「友人であるあなたがた」という言葉があります。主イエスがここで、弟子たちのことを「友人」と呼んでおられます。これは、主イエスと弟子たちとが、師弟関係を超えた親しい交わりを持っていることを言い表しています。

 

 ヨハネ福音書15章15節にも、「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と語られています。

 

 私たちは、主イエスが私たちを友と呼ばれ、すべてのことを知らせたと言われる言葉をどのように聴いているでしょうか。本当に親しい関係にあると感じていれば、その言葉を疎かにすることはないでしょう。もし主イエスと親しくなりたければ、その言葉に真剣に耳を傾け、その導きに従って歩むことです。

 

 冒頭の言葉(6節)に目を留めてください。「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない」と告げられています。

 

 この段落の平衡箇所のマタイ10章29節には、「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか」と記されています。「アサリオン」というのはローマの通貨で、1アサリオンは1デナリオンの十六分の一です。1デナリオンは、当時の労働者の一日の賃金と言われます。1デナリオンを5000円と仮定すると、十六分の一はおよそ300円になります。そうすると、雀一羽の値段は150円ですね。

 

 ところで、マタイが「2羽の雀が一アサリオンで売られている」と言い、ルカは「五羽の雀が二アサリオンで売られている」と言います。つまり、ルカはマタイを2倍して、4羽で2アサリオン払うと1羽おまけ、5番目の雀はおまけ、ただで貰えるというのです。

 

 主イエスは、そのような無価値ともいうべき雀の「一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない」と言われるのです。マタイ10章29節には、「その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」と記されていました。

 

 30年前、ある牧師がこの箇所について、主なる神は雀の管制官で、いつ飛び立つか、どこの空をどのように飛び、いつ、どの木の枝に降りるかなど、それらすべてを完璧に把握され、一羽一羽にきちんと指示を出しておられるということだと説かれたのを、はっきりと覚えています。

 

 世界中の航空機の数よりもはるかに多い鳥のことを、神は一羽一羽覚えて、許可なく地に落ちるようなことが起こらないように守っておられるのです。その配慮は、今ここで人に捕らえられ、売られていく雀、4羽買うと1羽オマケでついてくるその5番目の雀にも及んでいると言われているのです。

 

 ということは、「友人」と呼ぶ弟子たちのことをほっておかれるはずがない、必ず守ってくださると言われているわけです。その守りは、私たちの髪の毛一本一本にさえも及んでいると仰っておられます(7節)。私たちの髪の毛の数は、日に日に変化します。少々大げさな言い方ですが、私たちから決して目を離されることはなく、それほど大切に見守っていてくださるということです。

 

 先に申し上げたとおり、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われた主イエスは、弱く、神に敵対する罪人であった私たちをまさしく愛し、身代わりにご自分の命を捨ててまで、私たちを守っていてくださいます。

 

 もちろん、その守りは私たちを完全にガードして、まったく苦しみなど味わわせないということではありません。4節に「体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」と記されています。これは、主イエスの弟子ということで殺されることさえある、ということです。けれども、恐れる必要はないというのです。

 

 それは、死によって、神と私たちの関係が損なわれることはないからです。それどころか、神の国の栄光へと迎え入れられるのです。私たちは、「神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです」(ローマ書8章17節)とパウロが記しているとおりです。

 

 それによって、神はその死をさえも、私たちを守り、恵みを与える通路とされるということが分ります。神が信頼出来なければ、死を恐れるでしょう。そして、死をもたらすものを恐れます。けれども、そんな臆病な私たちに向かって「恐れることはない」と仰ってくださる神がおられます。そして、恐れから解放するために聖霊を通して平安と自由をお与えくださると信じています。

 

 12節に「言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」と記されており、そこに「聖霊」という言葉があります。聖霊は、神の霊、真理の霊、キリストの霊、イエスの御霊などと表現されるように、父なる神、子なるキリストと同質の、三位一体なる神の第三位の神です(第二コリント書3章17節、ヨハネ福音書4章24節など)。

 

 ヨハネは、「弁護者」(パラクレートス)という表現を用いて、その役割を説明しています(ヨハネ14章16,17節)。その際、「別の弁護者」として、真理の霊が紹介されていますが、「別の弁護者」が派遣される前の弁護者とは主イエスのことですから(第一ヨハネ2章1節参照)、主イエスと真理の霊は、「弁護者」という部分で同じ働きを担うことが示されています。

 

 イエス・キリストにおいて表された神の愛を、私たちが信じ、受け入れることが出来たのは、聖霊の働きです。誰も、聖霊によらなければ、「イエスは私の主です」と告白することは出来ません(第一コリント12章3節参照)。聖霊は、キリストの語られた御言葉や行われた御業を思い起こさせ、神の御心が何であるかを教えてくださいます(同2章10~12節)。

 

 聖霊に満たされるという体験でもっとも嬉しいこと、あるいは大切なことは、神の御言葉は真実だという信仰に導かれることです。神の御言葉に対する信仰を持てることほど心強く、平安で、嬉しいことはないでしょう。

 

 エフェソ書5章18節で、「聖霊に満たされなさい」と命じられています。また、ルカ11章9,13節には、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。・・天の父は、求める者に聖霊を与えて下さる」と約束されています。

 

 私たちは「5番目の雀」、取るに足りない無価値な存在かも知れませんが、聖霊がいつも私たちと共にいて、私たちを助けてくださることを信じ感謝しつつ、御霊の力を頂いて、主の福音宣教の業に用いて頂きましょう。神に愛され、救いの恵みに与ったことに絶えず喜びと感謝をもって、委ねられているキリストの福音を家族や友人に証ししましょう。

 

 主よ、私たちを友と呼び、常に見守っていてくださることを、心から感謝致します。それは、私たちが友に相応しい者だからではありません。一方的に注ぎ与えられた驚くべき恵みです。その恵みが無駄にならないよう、御言葉の約束の通りに聖霊を私たちの内にお遣わしください。常に私たちの内に、私たちと共にいてくださり、私たちを日々栄光から栄光へと主と同じ姿に造り変え、主の証人として整え用いてください。委ねられた使命に励むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」  ルカによる福音書13章3,5節

 

 13章の記事は、1~17節がルカの独自資料、18,19節はマルコ福音書に基づく記述、そして20節以下はマタイとの共通資料に基づく記述という構成になっています。

 

 1節以下に「悔い改めなければ滅びる」と小見出しのつけられた段落があります。これは、前段の「訴える人と仲直りする」(12章57~59節)に続けて語られています。仲直りすることが悔い改めるということと見ることができそうです。

 

 1節に「何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた」と記されています。いけにえは当時、エルサレムの神殿でしかささげることが出来なかったので、これは、エルサレムでの話です。ガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたということは、エルサレムを巡礼していたガリラヤ人を総督ピラトが殺害したということです。

 

 この事件について、バークレーの注解書には、エルサレムの水事情が悪いので、ピラトが神殿に入るお金の一部を用いて水道を造ることにしたこと、事柄自体はよいことと受けとめられますが、しかし、神への献げ物を水道事業に流用することについて反対運動が起こり、それをピラトが兵士を使って制圧する際、多くのガリラヤ人の血が流される事態となったと記されています。

 

 なぜ、この事件の情報が主イエスにもたらされたのか、明らかにされてはいません。この事件に対する主イエスの対応を巡って何らかの言質をとり、捕縛するきっかけにでもしようということだったのかも知れません。

 

 また、主イエスの弟子たちの中に「熱心党と呼ばれたシモン」(6章15節)がいます。熱心党というのは、神に対する熱心により、律法に背く者を排除することを目的に、ローマの圧政と暴虐に反抗して、自由と独立を獲得しようとする活動を展開していた人々です。主イエスの返答次第では、弟子の中にいる熱心党のメンバーが反乱を起こすことを期待したのかも知れません。

 

 4節の「シロアムの塔が倒れて死んだあの18人」というのも、どのような事故だったのか明確ではありませんが、バークレーは、水道工事のときに誤って塔を倒してしまい、工事を請け負っていた人が災難にあったという解釈を示しています。

 

 主イエスは、もたらされた事件の情報に対し、シロアムの塔の事故のことを語りながら、その災難に見舞われた人々は「ほかのどの人々よりも罪深い者だったと思うのか」(2,4節)と問われ、それに対して、冒頭の言葉(3,5節)のとおり、「決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と仰っています。

 

 ということは、エルサレムでの情報をもたらした人々をはじめ、周囲の人々は、ピラトに殺されたガリラヤ人やシロアムの塔の下敷きになった者たちが、神に背いたために、その罪の罰を受けたと考えていることになります。

 

 この問答の背景には、人々が災難にあったとき、それをその人が犯していた罪の罰と考える、因果応報的な考え方があります。ヨブ記で、ヨブの三人の友らがヨブを諫めるとき、ヨブの災難の原因が彼の罪にあるとして悔い改めを迫ったのは、まさにこの因果応報的な考え方に従っているのです。

 

 そのような考え方は、ヨハネ福音書9章2節で主イエスの弟子たちが生まれつき目の見えない人を見て、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか」と尋ねた言葉にも示されています。

 

 主イエスはここで、因果応報的な考え方を完全に否定されているわけではありません。しかしながら、災難にあった人と、それを罪のゆえと批判する人、いずれも神の前に悔い改めなければ、皆滅びると言われました。つまり、主イエスは、災難に遭った人を批判している人も罪と無縁ではないと仰っているのです。

 

 時代劇で、主人公が悪役に向かい、「天に代って悪を討つ。正義の刃、受けてみよ」などと語りますが、私たちが他者を罪に定めようとするときは、自分が神の座についているわけで、そのとき、神を見てはいないのです。悔い改めるとは、180度方向転換することです。神の方を向くこと、主なる神に目を向けることなのです。

 

 このことで、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい。人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(6章37,38節)と語られた主イエスの御言葉を思い出します。

 

 主イエスは私たちが、神の座について人を裁く者となるのではなく、主イエスの御言葉に従って憐れみ深い者となること、人を裁かず、罪人と定めず、むしろその罪を赦す者となることを期待されているのです。

 

 主イエスはそれを、「実のならないいちじくの木」のたとえ(6節以下)で語られました。ぶどうやイチジクは、神のお与えになる恵みの豊かさを示しています。パレスティナでは、ぶどうの枝を支えるために、イチジクを一緒に植えることがあったそうです。しかし、実を結ばないイチジクのために、ぶどうの生育が妨げられることにならないよう、実を結ばないようなイチジクは切り倒せということになるのです。

 

 土地の主人は、「もう3年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ」(7節)と言います。何年待っても、実がならない。いつも期待はずれだ。もう待てない、無駄に土地をふさいでおくなというわけです。

 

 かくて、神の恵みを知っていながら、その恵みを豊かに受けていながら、良い実を結ばないイチジクは、切り倒される運命にあります。そのことについて、私たちは今、実を結んでいますと、主の御前に胸を張ることが出来るでしょうか。そうありたいものですね。

 

 ところが、切り倒せという主人の言葉に対して園丁は、「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください」(8,9節)と言います。

 

 主イエスは、イチジクが切り倒される運命にあることを承知しておられます。園丁として、イチジクが実を結ばないことに胸を痛めておられたのではないでしょうか。だから、切り倒せという命令に、すぐに「はい、分りました」とは仰いません。「今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます」(8節)と仰ってくださいました。

 

 それは、何とかして実を結ばせようという主イエスの思いであり、しかも、それが最終手段であることが示されます。「もしそれでもだめなら、切り倒してください」(9節)と言われているからです。

 

 こうしてみると、この箇所は、主イエスの公生涯のお働きを示していると考えることも出来ます。主イエスは、3年余り公の生涯を歩まれました。神の御国について教え、大いなる御業によって神のご愛を示されました。けれども、人々は主イエスを受け入れようとはしませんでした。かえってイエスを捕らえ、亡き者にしようとします。

 

 主イエスの神の国の福音が、恵みとして受け止められず、実を結ぶことが出来なかったので、主イエスは最後の手段として、十字架の道に進まれます。私たちが実を結べるよう十字架の上で執り成し、切り倒されてしまわないように御自身が贖いの供え物となってくださいました。

 

 この十字架の贖いによって罪赦され、救いに与り、神の子とされ、実をつけられなかった者が良い実を結ぶことの出来る者へと造り替えられ、こうして、はっきりと神に立ち帰り、全き悔い改めに至る機会が与えられるのです。

 

 自分で自分を正しいとする道、それによって、他者を裁き、罪に定める道を離れ、主イエスの進まれる十字架への道、神の憐れみを受けて、その恵みに生かされ、他者を赦し、愛し合う道へ進みましょう。

 

 主よ、心静かに御言葉に耳を傾け、その導きに素直に従う私たちに、主の恵みと慈しみを豊かに注いでください。絶えず目を覚まして主なる神を仰ぎ、御言葉に耳を傾ける者とならせてください。導きに従って歩み、主の御心を行って、良い実を結ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。』」 ルカによる福音書14章23節

 

 14章の記事は、1~14節がルカの独自資料、15~33節がマタイとの共通資料、そして34,35節はマルコ福音書に基づく記述で構成されています。

 

 15節に「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」という言葉があります。「神の国」とは、「Kingdom(キングダム) of(オブ) God(ゴツド)」、神が王として支配している国、神の支配が及んでいる場所のことです。普通は、天の御国のことを指していると考えられます。

 

 この言葉を語ったのは、ファリサイ派の議員の家の食事に招待された客の一人だということですが(1,7,15節)、その人は、天の御国の宴会に招かれるのは、大変光栄なことだと言っているわけです。この世の王様に招待を受けることも勿論名誉なことですが、なんといっても、「King of Kings,Lord of Lords、王の王、主の主」なるお方の招きです。

 

 その席に招かれたとなれば、それこそ、天にも昇る思いになるのでしょうね。そこにどんなご馳走が並ぶでしょうか。そのお方のテーブルで食事をご一緒するというのは、どんなに幸い、光栄に感じることでしょうか。

 

 恐らくその人は、自分がファリサイ派の議員の宴会に招かれているように、天の御国にも招かれて宴会に臨んでいる様子を思い浮かべていることでしょう。そして、「俺は、神の宴会に招待されて、一緒に食事する栄誉に与った男なんだぞ」と、それをとても誇らしく思っていることでしょう。その気持ちは分らないでもありません。

 

 主イエスはその言葉を聞いて、大宴会のたとえ話(16節以下)をなさいました。それは少々不思議な話です。そこに「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った」(16~18a節)と記されて、続けて断りの理由が述べられています。

 

 まず第一の不思議は、招かれていた人々が次々と断りを言って、だれも宴会に来ようとしないことです。それは、招いた家の主人を軽んずることです。招待に答えるよりも、自分の用件の方が重要なのです。それで、当然のことながら、家の主人は立腹します。宴会の出席をドタキャンした人々は、もう二度と招かれないでしょう。

 

 第二の不思議は、立腹した主人が僕に指示する言葉です。「僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい』」(21節)と記されています。

 

 その指示に従って宴会の客が招かれますが、それでもまだ席があると聞くと(22節)、冒頭の言葉(23節)のとおり、「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と言います。

 

 いかに、招待を土壇場で断られて腹を立てたからとはいえ、自分が主催する宴会に「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」といった、当時差別の対象とされていたような人々を招くでしょうか。誰でもいいから無理矢理にでも人々を連れて来て、空席を満たせというような、そんな主人がいるでしょうか。

 

 通常ではあり得ないところが、この話の味噌です。この話の中で、宴会を開く主人は父なる神様、招待客を迎えに行く僕は、主イエスご自身です。主イエスは、貧しい人、体の不自由な人、罪人と呼ばれた人など、当時のユダヤ社会では、神の選びから漏れていると考えられて社会の片隅に追いやられていた人々を招き、食事を共にされていました。

 

 ユダヤの指導者たちは、主イエスが罪人の仲間になられたということで、主イエスを軽んじます。およそ、「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」と一緒に食卓に着こうなどとは考えません。そういう人々の仲間と言われるのは、彼らにとってはこの上もなく不名誉なことだったわけです。だから、宴会に出席するのを、口実を設けて断るわけです。

 

 一方、「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」は、自分たちは神の宴会に招かれる資格があるなどとは、思ってもみなかったことでしょう。ただ、招かれたので来たということです。さらには、「無理にでも連れて来い」と言われる人々がいます。ここに、この家の主人の強い意思が示されます。つまり、神はご自分の家、天の御国の宴席を、人々で満たしたいのです。

 

 自分には招かれる資格があると思っていた人々は、神の恵みを軽んじました。資格があると思わなかった人々、元来招かれていなかった人々がその恵みに与ることになりました。勿論、無理矢理に連れて来られた人々の中には、宴会に出席することをよしとせず、家に帰ってしまい、その恵みを受け損ねてしまった人がいたかも知れませんね。

 

 「ふうけもん」という映画があります。中村雅俊が主演で、浅野ゆう子、中村玉緒、哀川翔なども出演します。監督は、釣りバカ日誌を撮っている栗山富雄監督。「ふうけもん」は、便利屋さんの元祖でクリスチャンの右近勝吉さんをモデルにした映画です。「ふうけもん」とは、佐賀弁で「馬鹿者、怠け者」といった意味の言葉です。

 

 当初、全国東映系の映画館で上映予定でしたが、制作元の資金面の問題で公開中止となり、その後、2014年に制作元の自主上映のかたちで全国の映画館、ホールで上映され、宣べ3万人を超える観客動員を達成しました。

 

 この映画のモデルとなった右近さんは、高校生時分、やくざの鉄砲玉をしていましたが、マカルパイン宣教師と出会って生活が変わります。1956年の冬、マカルパイン宣教師に誘われて出席した集会の講師ダビデ・マーチン先生が、説教中に千円札を取り出して、「これを欲しい人にあげましょう」と言いました。

 

 右近さんは、マーチン先生の余りの気前の良さにびっくりしてしまいました。それは、当時の一般サラリーマンの月給が1万5千円程度ですから、当時の千円は今なら2万円にもなるものだったからです。

 

 皆があっけにとられている中、一人の女子学生が「はい」と手を上げ、千円札を講師から貰いました。そのときマーチン先生は、「信仰とは、差し出されたものを素直に受け取ることなのです」と言われました。

 

 それを聞いて右近さんは、「差し出されたものを有り難く頂戴する、それが信仰ってヤツなら、俺にだってできるじゃねぇか」と、その晩マカルパイン宣教師が信じているイエス・キリストを受け入れたのです。というのも、マカルパイン宣教師が、自分のようなヤサグレ者を分け隔てせずに、笑顔で受け入れてくれていたからというのです。

 

 私たちが救われて神の国の民となることが出来るのは、実にこの神の恵みなのです。私たちが何者なのかが問題ではなく、天の御国の宴会の席に座る恵みに与るためには、父なる神が遣わされた神の御子、主イエスに「はい」と従順について行き、差し出されたものを素直に受け取ることだけなのです。

 

 子どものように素直に神の国を受け取ろうとする皆様に、神様の恵みと導きが常に豊かにありますよう、祝福をお祈りします。ご一緒にお祈りしましょう。

 

 天の父なる神様、御名を崇め、感謝と賛美をおささげします。私たちを御国の宴会にお招きくださり、感謝します。あなたのくださる恵みをそのまま素直に受け取ります。絶えず、主の御声に聴き従わせてください。私たちの上に、主の恵みと慈しみが常に豊かにありますように、そして、いよいよ主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「ここを立ち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。』」 ルカによる福音書15章19節

 

 15章は、1節以下の段落にマタイ福音書との共通資料、8節以下の段落と11節以下の段落にはルカの独自資料という構成になっています。

 

 ここには、三つのたとえ話が記されています。一つ目は「見失った羊」のたとえ(1~7節)、二つ目は「無くした銀貨」のたとえ(8~14節)、三つ目は「放蕩息子」のたとえ(15節以下)です。これらはいずれも、なくしたものを見出した喜びについて語っています。

 

 この観点から言えば、「見失った羊」は、羊を見つけた羊飼いの話、「無くした銀貨」は銀貨を見出した女性の話、「放蕩息子」はいなくなっていた息子を見出した父親の話ということになります。

 

 7節の「このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」という言葉と、14節の「このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある」という言葉は、「放蕩息子」のたとえを語る備えを与えていて、三つのたとえ話で一つの話になっています。

 

 以前、一人の壮年男性と出会いました。彼は町でクリスチャン女性と会い、教会に連れて来られました。以後、毎週のように礼拝に出席し、やがて祈祷会にも出席するようになりました。秋の伝道集会でクリスチャンになる決心をし、クリスマスにバプテスマを受けられました。

 

 彼は、親の財産を食いつぶして、家に帰ることが出来なくなり、ホームレス生活をしていました。彼がクリスチャンになる決心に導かれたのは、熱心なクリスチャン女性の励ましがあったからですが、秋の伝道集会において語られた「放蕩息子」の話を聞いて、それに自分を重ね合わせたということでした。

 

 自分のしたことは、この放蕩息子以上の大きな罪だと彼は言いました。そして、罪を告白するといって、それまでに自分が犯した罪・過ちについて、ノート1ページにびっしりと書いて持って来られました。

 

 聖書に「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(第一ヨハネ書1章9節)とありますから、好み言葉どおり、神はその男性の罪を赦してくださったと信じます。

 

 彼がバプテスマ(洗礼)を受けるとき、「今はホームレスをしているけれども、バプテスマを受けて生まれ変わり、一日も早くもとの生活に戻りたい。それが私の本当の悔い改めだと思っている。できれば、仕事をして蓄えを作り、住まいを確保して、他のホームレスを助けられるようになりたい」と語ってくれました。

 

 バプテスマを受けて数ヵ月後には、導かれて仕事が与えられ、それに伴って住まいも備えられました。この男性と同じような境遇の人が、すべて同じように導かれるわけではありません。むしろ、人々の善意に甘えて寸借を繰り返し、返済しないままおいでにならなくなるといったケースのほうが多いのではないかと思います。

 

 言うまでもなく、教会が彼らに提供できるのは、お金や仕事などではなく、信仰と祈りです。それ以外のものを与えはしないということでもありませんが、しかし、信仰と祈りが彼らにとっても、最も重要な助けではないかと思います。

 

 かの男性が、「元の生活の戻ること、それが自分の真の悔い改めだ」と語り得たのは、私たちが何かを与えたからではありません。むしろ、何も差し上げませんでした。ただ一緒に聖書を学び、祈っただけでした。そして、御言葉を通して放蕩の罪を赦し、新しい生き方、歩むべき道を与えてくださる神と出会ったのです。

 

 聖書の中の放蕩息子は、危機的状況の中で家を思い出し、帰る決断をします。そこにしか、自分の生きる道を見つけることが出来なかったのです。17節に「彼は我に返って」とありますが、それこそ、しばらく我を忘れていた放蕩息子が、すべてを失い、危機に直面することで、もう一度我を取り戻したのです。

 

 しかし、財産の生前分与を受けて家を出るという親不孝をしたこの息子には(12,13節)、もはや帰る「家」はありません。自分の罪を自覚した息子は、父親にその罪を侘び、そして、息子としてではなく、雇い人の一人にしてくれるように頼もうと考えました。それが冒頭の言葉(18,19節)です。その願いが聞かれるという自信もなかったでしょう。けれども、前述の通り、彼にはそれしか考えられなかったのです。

 

 ところが、家に帰った彼を待っていたのは、そんな彼の思いをはるかに超える父親の愛でした。雇い人にしてもらえれば恩の字だったのに、父親は息子にその言葉を言わせないで、すぐに最上の着物を着せ、靴を履かせ、家族のしるしの指輪を与え(22節)、肥えた子牛を屠らせ、祝宴の準備をさせました(23節)。そこに、父親の息子に対する深い愛が示されています。

 

 私たちの天の神は、この父親のようなお方なのだと、主イエスが教えてくださっています。そして、だれもが、天における大きな喜びの中に、この父なる神との交わりへと、絶えず招かれています。外で見物している必要はありません。招きに応じて、喜びの輪に加わればよいのです。

 

 御言葉と祈りを通して、その恵みの世界に共に進ませていただきましょう。

 

 主よ、あなたのご愛を忘れ、見失って右往左往している愚かな僕を赦してください。いつもあなたの慈愛の御手のもとに留まらせてください。絶えずその恵みを豊かに味わわせてください。今、悩み苦しみの内におられる方々に主の恵み、喜び、平安が開き与えられますように。 アーメン

 

 

「そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。」 ルカによる福音書16章26節

 

 16章には、富の所有、管理に関するたとえ話が、「律法と神の国」というマタイとの共通資料に基づく記事を挟んで二つ(「不正な管理人」のたとえ:1~13節、「金持ちとラザロ」:19~31節)、ルカの独自資料によって物語られています。

 

 その中で、16~18節には「律法と預言者」即ち旧約聖書のこと、また離縁についての文言が取り上げられていて、前後の文脈にそぐわないように見えます。ただ、申命記24章には、離縁についての規定と、経済的な問題を含む人道的な規定が並べられており、そこで、律法なる神の教えをどう読むかが問われているのです。

 

 その点から、14,15節は19節以下のたとえ話の前半(19~26節)の導入、16~18節は、たとえ話の後半(27~31節)の導入として語られているものと考えられます。ということもあって、今回は主イエスが語られた「金持ちとラザロ」(19~31節)というたとえ話について考えたいと思います。

 

 このたとえ話の特徴は、主イエスが語られたたとえ話の中で、唯一、固有名詞が登場することです。即ち、ラザロとアブラハムです。ただし、金持ちと言われる人物の名は記されていません。金持ちは贅沢に遊び暮らし(19節)、一方、ラザロは金持ちの家の門前に横たわり、食卓の残り物で腹を満たしたいと思っていました(21節)。

 

 ある写本では、満たそうと思ったけれども、「何も与えてくれなかった」となっているものがあり、ヴルガタ訳と呼ばれるラテン語聖書はそれを採用しています。そうすると、金持ちはラザロに対して全く無慈悲だったということになります。けれども、日本語の聖書はそれを採用しませんでした。別のことを考えるようにと示されているように思います。

 

 やがて、ラザロは亡くなって、天使たちによりアブラハムのもとへ連れて行かれました。また、金持ちも死んで葬られました(22節)。そして、金持ちは陰府でさいなまれており、ラザロは宴席でアブラハムの傍らにいます(23節)。

 

 金持ちはアブラハムに、「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください」(24節)と大声で呼びかけました。ここで、ラザロも金持ちもユダヤ人として物語られているようです。というのは、金持ちが「父アブラハム」と呼びかけていますし、ラザロは、アブラハムの傍らにいるからです。

 

 金持ちは、神の憐れみのしるしとしてラザロを遣わし、指先を水に浸し、その水で自分の舌を冷やさせてくださいと願いました(24節)。生前、ラザロは全身できもので覆われ、それを犬がなめるという悲惨な有様でした(21節)。金持ちは、ラザロの手が触れたものを、どれほど汚らわしく思っていたことでしょう。しかし今、陰府の炎で苦しめられ、ラザロの指先の水で舌を冷やしたいと願うのです。

 

 その願いに対してアブラハムは、「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ」(25節)と言いました。

 

 即ち、生前と現在とで、ラザロと金持ちの立場が全く入れ替わったというわけです。さらに、冒頭の言葉(26節)が語られます。願いをかなえてやりたくても、陰府、即ち地獄と、アブラハムのいる宴席、即ち天国との間には、大きな淵が横たわっていて、渡って行くことができないというのです。

 

 単純に考えれば、天国と地獄を往来出来るはずがないということになりますが、「大きな淵」は、生前の金持ちとラザロの間に横たわっていた深い溝を示しています。最初に記したように、金持ちがラザロのために何もしてやらなかったということではないと思います。残り物を与えることもあったと思われます。

 

 そうでなくても、水を恵むほどのことはしたでしょう。ラザロの指先の水をねだるとき、生前自分のしてやったことを思えば、その程度のことはしてもらえるのではないかという考えがあるようにも思われます。

 

 けれども、アブラハムからきっぱりと断られました。渡れない大きな淵にしたのは、あなたなのだ、そしてそのことを、まだ理解していないのかと言われているかのようです。どういうことでしょうか。

 

 それは、金持ちが生前、その深い溝を渡ってラザロの傍らに座すこと、彼を理解し、友となろうとすることがなかったと言っているのです。彼に何を上げたか、どれだけ上げたかということが問われているのではなく、彼を憐れみ、彼を理解しようとしたかと問われているのです。その溝が天と陰府とを隔てる淵のようになってしまったわけです。

 

 そうなってなお、真に悔い改めることができないまま、ラザロを召使のようにして、その指先の水を届けるため、陰府にまで遣わして欲しいと願っているので、なおさら、金持ちとラザロの溝が深くなってしまいました。金持ちはラザロを、「アブラハムの子」、即ち自分と共に神の祝福を受けるべき者と見ることができなかったのです。

 

 私たちの目も、この金持ちと同じです。自分の思いで周りの者を裁き、こんな人を神が祝福するはずがないと、勝手に決めつけてしまいます。そうです。自分と違う者を受け入れることが出来ません。優しくなれません。私たちは自分の行い、態度、心持ちで神の国に入ることが出来るような立派な者ではないのです。

 

 その意味では、神の目から見て、私たちは神の前に何ら功績を差し出すことの出来ない貧しく乏しい者ラザロなのです。どうすればよいでしょうか。ただ赦していただくしかありません。憐れんでいただくほかないのです。そして、主なる神は、ラザロにされたとおり、ご自身の豊かな恵みと愛によって私たちを深く憐れみ、赦してくださることでしょう。

 

 神の憐れみを受け、豊かな恵みに与って、隣人に対して互いに優しい者にならせていただきましょう。

 

 主よ、私たちを憐れんでください。その弱さ、愚かさ、罪を赦してください。信仰の目をもって主を仰ぎ、また隣人を見ることが出来ますように。理解することが出来ますように。自分のように隣人を愛する者とならせていただくために、私たちの心に、生活の中においでください。主の恵み、憐れみが私たちの上に常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「主は言われた。『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、「抜け出して海に根を下ろせ」と言っても、言うことを聞くであろう。』」 ルカによる福音書17章6節

 

 1節以下の段落には、主イエスと弟子たちとの会話が記されています。そのテーマは、罪と信仰というものでしょう。聖書が語っている「罪」とは、刑法に触れる犯罪とイコールではありません。勿論、犯罪は罪です。しかし、自分は犯罪を犯したことがないといって、それで罪人でないわけではありません。聖書がいう罪とは、関係を壊し、背くことを言います。

 

 詩編14編1節に「神を知らぬ者は心に言う、『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない」という言葉があります。「神などない」と心で考えただけで、その人は腐敗している、善を行っていないというわけで、神を否定することは、聖書で神に背く「罪」とされているのです。

 

 1節に「つまずきは避けられない」とありますが、これは、誰もが罪を犯す、犯さない者はいないということです。私たちが誰かに腹を立て、悪口を言うとき、自分も同じ罪人だと考えてはいないでしょう。悪口を言う私自身はその時、正しい人です。自分のことは正しい人だと考えています。だから、間違ったことをする者に腹を立て、馬鹿だ、愚かだというのです。

 

 けれども、本当にあなたは正しい人か、賢い人かと突っ込まれると、答えに窮します。他人を非難し、罵っているとき、自分自身のことは棚に上げているだけだからです。

 

 勿論、罪を犯すことは非難されるべきことです。罪を無視することをよしとはしません。だからといって、私たちに罪を裁く権限はありません。神が私たちに求めておられるのは、罪の裁き、人を罪に定めることではなく、罪の悔い改め、方向転換です。関係を損ねる行為、その行為を産み出す考えを変えることです。

 

 3節に「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい」と記されているとおりです。人に忠告を与えるというのは、なかなか難しいものです。一所懸命に言葉を選び、相手のことを考えて話しても、かえって逆恨みされることもあります。そうなるくらいなら黙っておこうと思ってしまいます。けれども、それでは相手との関係を真に良くすることは出来ません。

 

 難しいといえば、罪を赦すことほど難しいことはないのかも知れません。3節に「悔い改めれば、赦してやりなさい」とあり、続く4節には「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と記されています。

 

 確かに、本当に悔い改めて来れば、赦してやれるかも知れません。けれども、一日に七回罪を犯し、七回「悔い改めます」と言って来るというと、それは、本当に悔い改めていることにはならないだろう、本当は悔い改める気などないんじゃないか、それなら、到底赦してやることは出来ないと思ってしまいます。

 

 イエス様は、そのような私たちのことをよくよくご存じです。つまり、赦してやりなさいという主イエスのご命令を、私たちはなかなか守れないのです。一日に何度、主イエスの言いつけに背くことでしょうか。そして何度、「悔い改めます」と赦しを請うでしょうか。

 

 否、「悔い改めます」と言わないことも多々あります。赦せないのは相手が悪いからで、それは仕方のないこと、頭で赦さなければと思っても、心が絶対無理、絶対赦せないというのです。しかしながら、もし神が、それなら私もお前たちを赦してやることなど出来ないと言われれば、どうしましょう。

 

 そのような赦しを実行するには、より強い信仰、大きな信仰が必要だと弟子たちは考えたのでしょう。5節に「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』と言った」と記されています。信仰の巨人になれば、そして、心に神の愛が充満していれば、他者を戒め、あるいは彼の罪を赦してやることが出来るようになるだろうと思っていたわけです。

 

 それに対して主イエスは、冒頭の言葉(6節)のとおり、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」と言われました。

 

 「からし種」は、人が栽培する野菜などの中で最も小さい種といわれます。「からし種一粒ほどの信仰」とは、これ以上小さくは出来ない、最小の信仰といった表現です。つまり、信仰の量、大きさは問題ではなく、信仰があるかないかが問われるということです。

 

 あらためて言うまでもないことですが、桑の木が動き出して海の中に根を下ろすことなど、あり得ないことです。誰が桑の木にそのように命じることが出来るでしょうか。特別な能力を授けられた人ならば、あるいは出来るかも知れませんが、私のような凡人には、到底不可能という話です。

 

 桑の木が言うことを聞くとすれば、神が木に命じられるときです。主イエスはここで、信仰とは、全知全能の神を信頼することであると教えておられるのではないでしょうか。人には出来ないことでも、神に出来ないことはないのです。

 

 18章27節に「人間にはできないことも、神にはできる」と記されています。私たちは、不可能を可能とし、死者に命を与え、存在していない者を呼び出して存在させるお方を主と呼び、私たちの神として信頼しているのです(ローマ書4章17節)。

 

 神は、私たちの罪を赦すため、独り子イエスをこの世に送り、贖いの供え物となさいました(第一ヨハネ4章10節)。それは、私たちが悔い改めたからではありません。私たちがまだ罪人であったとき、神に敵対していたときに、御子の死によって、和解の道を開かれたのです(ローマ書5章6節以下)。

 

 主なる神が罪人の私たちと和解することを望まれ、その道を切り開いてくださいました。全くもってあり得ないことを、神が自ら行ってくださったのです(同10,11節)。

 

 神は、動くはずのない桑の木に命じて、抜け出して海の中に根を下ろすという奇跡を行うことが出来ます。桑の木が神の言葉に聴き従うのです。そうであれば、私たち主イエスを信じる者が「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい」(3節)と言われる主イエスの御言葉に聴き従うのは当然です。

 

 桑の木が自分で動けたのではありません。神の御言葉が桑の木を動かしたのです。神は私たちに、兄弟の罪を赦せるような寛大さ、包容力を求めておられるのではありません。神の御言葉に聴き従うことを求めておられるのです。

 

 だから10節で、「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」と言われているのです。

 

 私たちが神の御言葉に聴き従うのは、私たちが立派だからではありませんし、そうすれば褒めてもらえるということでもありません。それは、神の僕として、しなければならないことをするだけのことなのです。つまり、御言葉に従おうとして、出来ないことはないのです。

 

 かくて、「からし種一粒ほどの信仰があれば」というのは、私たちが主を信じ、御言葉に従うのが、信仰の第一歩だということです。そして、私たちが主イエスの御言葉に耳を傾け、導きに従ってそれを実行していくならば、私たちの信仰は大きく成長することになるのです。主は、少事に忠実な者に、より多くのものを委ねられるお方だからです(マタイ25章21節など)。

 

 そして、主が開いてくださる恵みの世界、赦しの道、和解の道、平和の道を歩むことがどんなに豊かなものであるかということを、主の御言葉に従って歩む者は、味わうことが出来ると教えてくださっているのです。

 

 それでも、主の御前に悔い改めようとせず、「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい」という御言葉に従うことが出来ないならば、それを不信仰というのです。信じない者にならないで、信じる者になりましょう。人間には出来ないことも、神には出来るのです。

 

 永遠の御国へと到る主の道、真理の道、命の道を、主の御言葉に聴き従いながら、歩ませて頂きましょう。御言葉に従う者に与えられる恵みは無限大なのです。

 

 主よ、信仰の醍醐味を味わうために日々主の御言葉を正しく聴き、その導きに素直に従うことが出来ますように。「御言葉ですからやってみましょう」と語らせて頂きながら、主が私たちに与えられた救いの恵み、永遠の御国の喜びを真に味わい知る者となることが出来ますように。まことに主を畏れ、謙って、霊と真実をもって主を礼拝する者とならせてください。主の恵みが私たちの上に常に豊かでありますように。 アーメン

 

 

「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」 ルカによる福音書18章8節

 

 ルカは、17章11節に「イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」と記して、9章51節から始まったエルサレムへの旅路にあることを読者に確認させました。

 

 そして、それが十字架への道行きであることを、18章31節以下、「イエス、三度死と復活を予告する」という小見出しの段落で明示するのです。そのようにして、弟子たちをはじめ福音書の読者たちにも、主イエスに従う姿勢、心構えを教え、その意志、覚悟を問うているわけです。

 

 あらためて、18章はルカの独自資料に基づいて二つのたとえ話(1~8節、9~14節)を記した後、15節以下はマルコ福音書に従う記事になっています。そこに、上述の「イエス、三度死と復活を予告する」の段落があり、「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く」(31節)と、いよいよエルサレムが近づいたことを告げます。

 

 今日は、最初の「やもめと裁判官」のたとえが語られている段落から学びます。最初に、「イエスは、気を落とさず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」(1節)と言います。信仰を持つということは、神に祈るということといってもよいでしょう。

 

 キリスト教の祈りの特徴のひとつは、皆で祈るというものです。マルコ福音書11章17節に「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである」と記されています。ここで語られている「家」(オイコス)とは、神の宮、神殿のことといってよいでしょう。そしてそこは「祈りの家」であって、そこで共に祈り、また、お互いのために祈り合うのです。

 

 祈りはときに、直ぐには答えられないことがあります。祈っても、事態が思うように動かなかった、むしろ、悪くなってしまったという経験をすることもあります。だからこそ、気落ちせず、絶えず祈るべきことを、主イエスが教えてくださっているのです。

 

 そのたとえ話とは、神を畏れず人を人と思わない悪徳裁判官の下に、一人のやもめがしつこく訴え出て裁判を開いてくれるように頼むと、そのあまりのうるささに、裁判官がやもめの訴えを取り上げてやるというものです。一文の得にもならないやもめの裁判を引き受けるような人物ではないのに、それをするようにしたのは、やもめのうるささ、しつこさということでしょう。

 

 5節に「ひっきりなしにやってきて、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない」と言われていますが、ここで「さんざんな目に遭わす」というのは、「目の下を打ってあざを作る」(フポウピアゾウ)という意味の言葉が用いられています。 そうなれば、仕事にも差し支えるようになるというのを恐れて、女性の望む裁判をしてやろうというのです。

 

 主イエスは、私たちの祈りを聞かれる神がこの悪徳裁判官のような方であると仰っておられるのではありません。また、どんな願い事でも、しつこく願いさえすれば、泣く子と地頭には勝てないといって、主なる神が私たちの言うことを聞いてくださると教えておられるわけでもないでしょう。

 

 7節に「まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか」と言われています。選ばれた人たちが昼も夜も叫び求めているのは、神が公正な裁きを行ってくださることです。つまりそれは、神が義を行われることです。

 

 「昼も夜も叫び求めている」ということは、地上に神の義が行われていない、神の義の支配を見ることが出来ないということでしょう。それは、裁判が公正に行われていない、裁判にすら、神の義を見ることができないということを示しているのかもしれません。

 

 主イエスは、大祭司カイアファの家で(22章54節、66節以下)、そしてローマ総督ピラトの官邸で裁判を受けられましたが(23章1節以下)、その裁判に正義はありませんでした。ピラトは主イエスの無罪を確信しながら(同4,14,15,22節)、十字架で処刑することを要求する声(同5,18,21,23節)に負けて、処刑に同意してしまいました(同24,25節)。

 

 話を戻して、「選ばれた人たち」(7節)とは、主イエスを信じる人々ということです。主イエスを信じた人々は、自分が主イエスを選び信じたのではなく、主イエスから選ばれたのだと教えられています(ヨハネ福音書15章16節)。主イエスを信じる人々が昼も夜も叫び求めているもう一つの理由は、神が必ず祈りに応えてくださると信じているからです。

 

 このたとえ話の最後に、冒頭の言葉(8節)のとおり「人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか」と主イエスが言われました。これは、疑いの表現です。神の裁きをもたらすために再臨してみたら、忍耐強く信じて待っている者が一人もいないのではないかと、主イエスが疑っておられる言葉と読めます。

 

 その質問に対して、「私なら大丈夫です。他の皆が信仰を失っても、自分は決して信仰を失いません」と応えることができる人がいるでしょうか。そのように応えてはいけないとは申しませんし、それは嘘だと申しませんが、主イエスは私たちの心をご存知です。それで、そのまま素直に「信仰を見いだすだろうか」と問うておられるのだと思います。

 

 そして、主イエスが来られるのは、選ばれた人々が叫び求めている神の義を実現するためなのですから、その時まで、信じて祈り続けてほしいと仰っておられるのです。そのことのために、義の神に信頼しつつ、どのようなときにも気を落とさずに絶えず祈るようにと願っておられるのです。

 

  落胆せず、主を信じて祈るべきことについて、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(第一テサロニケ5章16~18節)とパウロも教えています。自分の祈りの姿勢を正すために、先ずここに語られている主の御言葉を心に留め、主の御心、神の義が実現されることを祈り求めましょう。

 

 主よ、地上に神の義をもたらすために、御子をお遣わしくださるり感謝いたします。ところが、私たち人間は愚かにも御子を十字架につけて殺してしまいました。しかるに主は、ご自分の命をもって私たちの罪を贖い、私たちに救いの道、命の道を開いてくださいました。そして、救いの完成のために、神の義の到来のために祈りを要請されました。どうか私たちを祈りにも忠実な者とならせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。」 ルカによる福音書19章22節

 

 18章31節以下に三度目の受難予告、同35節以下にエリコの門外で盲人を癒やされた記事と、エルサレム入城直前の出来事が記されます。19章1節からマルコを離れて、1~10節はルカの独自資料、11~27節はマタイとの共通資料に基づいて語られています。

 

 そして、28節以下20章44節まで、マルコに基づくエルサレムでの主イエスの宣教が物語られます。そのうち、28~44節はエルサレム入城、45節以下は「神殿から商人たちを追い出す」という宮清めの記事になっています。

 

 今日は、11節以下、「『ムナ』のたとえ」という小見出しがつけられた段落を学びます。ムナはギリシアの銀貨で、1ムナはローマのデナリオン銀貨100枚分、つまり100デナリオンに相当します。1デナリオンは労務者一人一日の賃金と言われますから、1ムナ=100デナリオンは100日分、およそ4か月分の賃金ということになります。

 

 主イエスのエルサレムへの旅は、エルサレムの北東約27㎞、ヨルダン河畔のエリコに達しました(1,11節)。このたとえ話は、エリコで語られました。「人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたから」(11節)というのが、このたとえ話が語られた理由でした。

 

 立派な家柄の人が王位を受けるために遠くに旅立つことになり(12節)、10人の僕に1ムナずつ渡して、「わたしが帰ってくるまで、これで商売をしなさい」(13節)と言います。その後、彼は王位を受けて家に戻り、僕たちを呼んで清算させるという展開です(15節)。

 

 この話は、当時あった実際の出来事にヒントを得たものでしょう。ヘロデ大王の息子アルケラオが父の遺言に従って紀元4年にユダヤの君主になりましたが、その承認を受けるためにローマに赴きました。

 

 その時、ユダヤ人たちは、イドマヤ人であるヘロデ家の支配を排して、ローマの直轄地にしてくれるように嘆願しました(14節)。そのためなのか、アルケラオは王にはなれず、領主の地位を与えられましたが、事実上それは王と同じ権力でした。ところが、アルケラオの圧政に対する度重なる苦情で、10年後、ローマ皇帝により地位と領土を取り上げられ、追放されてしまいます。

 

 その出来事を利用して、このたとえ話では主イエスが、彼を嫌う宗教指導者たちによって十字架の刑に処せられるけれども、天に昇られ、父なる神の全権をもってこの世に再びおいでになり、主イエスを排斥した者たちを裁かれる話として語られていると解釈できそうです。

 

 15節以下、金を預けた者たちを呼び集めて清算をするという段になると(15節)、最初の者は10ムナ儲けたと言い(16節)、二人目は5ムナ儲けたと言って(18節)、主人を喜ばせ、「十の町の支配権」(17節)、「五つの町の統治」(19節)という褒美、新たな使命が与えられました。

 

 これは、すべての僕が主イエスから同等の責任をもって福音宣教の働きが委ねられたこと、しかしながら、すべての者に同じ業績、同じ収益が要求されてはいないことを示しています。それぞれ、自分の力に応じて、委ねられたものを用いて精一杯働くことが求められ、それに真実と完全な献身をもって応えた者たちを、主は喜び評価されているのです。 

 

 ところが、三番目の者が「これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました」(20節)と、預けられていた銀貨を差し出しました。彼がそうしたのは、主人が厳しい人だと知っていたので、失敗を恐れたのだというのです(21節)。それを聞いた主人は、彼らからそれを取り上げて、10ムナを持っている者に与えます(24節)。

 

 冒頭の言葉(22節)は、このたとえ話の鍵になる言葉です。ここに、「その言葉のゆえにお前を裁こう」(エク・トゥー・ストマトス・スー・クリノー・セ:out of your mouth I judge you)と言われています。

 

 一つは、文字通りの言葉遣いで裁かれるということが考えられます。同じ事態を表現するのに、「1ムナしかない」というのと、「1ムナもある」というのでは、ずいぶん違った印象になり、そこから生まれる行動も、全く違ったものになるでしょう。

 

 積極的な言葉を使えば、積極的な行動が生まれ、そしてよい評価を受けることが出来る。一方、消極的な言葉を使えば、行動も消極的になり、よい評価を受けることが出来ないということになります。

 

 また、その言葉遣いを聞けば、その人の思いが分かるというものです。主人が厳しい人だと知っていたので、恐ろしかったという僕は、「商売をしなさい」という主人の命令を無視してしまいました。彼は主人の命令に従うことよりも、それによって蒙るかもしれない処罰のほうが気になったのです。

 

 彼は、主人の意図を誤解しました。主人が僕たちを信頼してその管理を委ねた1ムナというお金を、主人の処罰が恐ろしいという理由で使わなかったのです。あるいは、主人は初めから自分たちを懲らしめるために、こんな無理難題を押しつけていると、その僕は考えていたのかもしれません。

 

 一方、商売で利益を上げた二人の僕は、主人についてどう考えていたのでしょうか。そのことは何も記されてはいませんが、このたとえ話は、徴税人ザアカイの物語に続けて語られています(7,11節)。

 

 そのことから、ザアカイが、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」(8節)と主イエスに向かって語ったことを受けていると考えられます。

 

 ザアカイが自ら語ったとおりにすれば、彼はかなり貧しくなってしまうでしょう。そればかりか、財産を全部失ってしまうかもしれません。けれども、そんなことは主イエスを自宅に迎えて救いに与ったザアカイには、もはや問題ではありませんでした。

 

 ここでザアカイは、財産を使い果たして救われたというのではありません。救いに与ったとき、彼は財産よりも大切なものを知ったのです。そして、そのように財産を使うことが、主イエスに喜ばれることであり、主なる神に従うアブラハムの子としての使命であると考えることができたわけです(16章9節、18章22節参照)。

 

 徴税人ザアカイはその言葉によって、彼が主イエスを信頼する者であること、主イエスに従うことを喜びとするものであることを示し、そして、主イエスは彼の言葉によって、「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから」と喜びの言葉、祝福の言葉を語られたのです(9節)。

 

 主イエスを信じる者として、御言葉に従って歩むことを喜びとし、肯定的積極的にその思いを表現しましょう。最適な表現が賛美です。「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげましょう。善い行いと施しを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです」(ヘブライ書13章15,16節)と言われるとおりです。 

 

 主よ、今日の御言葉を通して、どのような境遇にあっても主を信頼し、その御言葉に従うことが出来るかどうかが問われていると示されました。私たちはすぐに不平や愚痴を口にします。どうか憐れんでください。助けてください。信仰の心を授け、導いてください。そうして、主イエスの再臨の日まで、委ねられた賜物を用いて主に委ねられた業に励むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」 ルカによる福音書20章44節

 

 20章はすべて、マルコに基づいて記述されています。この箇所には、ユダヤの宗教指導者たちとの問答や彼らに当てつけたたとえ話など、主イエスと宗教指導者たちとがいかに対立していたかということを示す記事が集められています。

 

 それは、19章47節に「祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが」とありましたが、彼らがどのように謀っていたのかということを、説明するかたちになっているわけです。 

 

  最初は、祭司長、律法学者たちによる「権威についての問答」(1~8節)、次いで、彼らの回し者による「皇帝への税金」への対応(20~26節)、そして、サドカイ派の人々による「復活についての問答」(27~40節)と続き、その後41節以下で、主イエスが彼らに「ダビデの子」についての質問をされました。

 

 41節に「イエスは彼らに言われた。『どうして人々は、「メシアはダビデの子だ」と言うのか』」と記されています。「ダビデの子」というのは、ダビデの子孫、ダビデの家系という表現と考えればよいでしょうし、また、「ダビデのような」能力、性質を帯びた、特に政治的、軍事的な能力を期待する表現でもあります。

 

 人々が、「メシアはダビデの子だ」と考えたというのは、たとえば、サムエル記下7章5節以下に記されている主なる神の言葉の中に、「あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」(同12節)とあります。

 

 また、詩篇132編11,12節に「あなたのもうけた子らの中から王座を継ぐ者を定める。あなたの子らがわたしの契約とわたしが教える定めを守るなら、彼らの子らも、永遠にあなたの王座につく者となる」と詠われています。

 

 このような御言葉に基づいて、ユダヤの人々は、ダビデの子孫の中からメシアが誕生することを待望して来ました。ダビデという人物は、イスラエルを400年間治めたダビデ王朝の創始者です。バビロン帝国によってダビデ王朝が倒され、列強諸国によるパレスティナ支配が続いている中で、独立と自由を勝ち取るメシアの到来を強く望んでいたのです。

 

 エルサレムに入城される主イエスに向かって、「ダビデの子にホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があるように」(マタイ21章9節)と歓呼の声を上げたということは、主イエスをダビデの子、メシアであると人々が考えている、そう宣言しているということですね。

 

 主イエスは、御自身のことを「神からのメシアである」(9章20節)とペトロが語ったとき、その言葉を喜ばれました。また、エリコのそばで盲人が「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(18章38節)と呼び求めたとき、その声に応えておられます。

 

 ですから、ここで主イエスに向かって「ダビデの子」、「メシア」と呼ぶのは、決して間違っているとは考えられません。ですが、主イエスの方から、「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」と問いかけられて、そのことを問題にしておられるわけです。

 

 主イエスはここでご自分が「ダビデの子」と呼ばれることを反対なさっているというわけではありません。「メシアがダビデの子だ」と言われることを全面的に否定されているのでもないでしょう。

 

 問題になさっているのは、「メシアはダビデの子だ」という言葉の意味、その内容です。少なくとも、ダビデの子孫からメシアが生まれるということは、聖書が新旧約問わず告げていることであり、先に記したとおり、主イエス御自身が否定されず、受け入れておられるところです。

 

 主イエスが問題にしているのは、「メシアはダビデのような、政治的、軍事的指導者だ。ダビデは、私たちの国で最も偉大な王、指導者であった。理想的な国家を築いてくれた。だから、ダビデの子孫として登場して来るメシアは、必ずローマの支配を排除し、理想的な国を建て上げ、民族の誇りを取り戻してくれるはずだ」という人々の考え方、期待の仕方なのです。

 

 当時、メシアと呼ばれる人が何人も現れました。有名なのは、バル・コクバという人物です。紀元130年に第3次ユダヤ・ローマ戦争が起こりました。当時、ユダヤ教最大の指導者で律法学者のラビ・アキバという人物が、バル・コクバを指して、彼こそ真のメシアだと、民に紹介しました。

 

 バル・コクバはダビデ家の出身でも何でもありませんでしたが、彼は、イスラエルの尊厳を回復するため、ローマに対して反乱を起こしたのです。この人物こそメシアだと、ラビ・アキバは考えたわけです。そして彼を支援しました。結果はどうなったかというと、反乱は鎮圧され、バル・コクバも彼を支援したラビ・アキバも、同じように処刑されました。

 

 この事件をとおして、イスラエルの民にとって、「ダビデの子」という尊称、「メシア」という称号がどういう意味を持っているものであるかということが、よく分かります。そのような期待、そのような考え方に対して主イエスは、聖書の言葉をとって問われるのです。

 

 42節に「ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主はわたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで」と』」とあります。これは、詩篇110編1節(「わが主に賜った主の御言葉。『わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。』」)を引用されたものです。

 

 この言葉で、ダビデはメシアのことを「わが主」と呼び、神を「主」と呼んでいます。つまり、ダビデの主メシアに対して主なる神が、「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい」とお告げになっているというのです。

 

 そうして、冒頭の言葉(44節)のとおり、「このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」と、改めて問われます。

 

 余談ですが、「主」という字は、非常に興味深いものです。第一画は、炎、火を表しています。第2画以下「王」という形は、ランプ台をかたどっているのです。つまり、「主」という字は「ランプ」を表していると考えれば良いわけです。

 

 ランブが家の真ん中にあって家全体を照らしているところから、「主」は「中心」という意味を持ち、一家の中心人物として、「主人」という言葉が生まれて来るわけです。だから、主人、指導者と呼ばれる人は、家全体、組織全体を照らす明るい人でなければいけない。ネクラではいけないというところがあるわけです。

 

 扇谷正造という人の書いた『トップの条件』という書物には、その条件として、花がなければならないという項目がありました。人に喜びを与え、光を与える、そういう器でなければならない、その人が入ってくれば、暗雲漂う、皆の顔が曇る、それでは駄目なのです。器、度量が大きいということも、その大切な条件の一つですね。どんなものもどんと受け止め、安心を与え、勇気を与える器。そういう器になりたいものだと思います。

 

 主イエスこそ、この世に来てすべての人を照らすまことの光です(ヨハネ福音書1章9節)。主なる神はメシアに対して、「わたしの右の座に着きなさい」と言われました。「あなたの敵をあなたの足台にする」ということは、すべてのものの上に君臨する主だということです。

 

 つまり、ダビデのようなイスラエルの支配者ではなくて、イスラエルのみならず、ローマもエジプトも、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるようになるということです(フィリピ2章10,11節)。

 

 そのように、ダビデがメシアを主と呼んでいるのに、なぜメシアをダビデのようなイスラエルの支配者、王として期待しているのかというわけですね。

 

 主イエスはダビデの子孫としてこの世にお生まれになりましたが、しかし、大工の息子として(マタイ福音書13章55節)、貧しい生涯を歩まれました(第二コリント8章9節、フィリピ2章6,7節)。

 

 王として崇められることなど一度もなく、むしろ、「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マタイ福音書20章28節)と言われたとおり、すべての者の僕として、人々の命を生かすために来られたのです。

 

 主イエス様にとって「メシア=キリスト」という称号は、自分を天よりも高く上げて人から誉めてもらおうというようなことではなくて、本当の救い主メシアは、自らを低くして人々にお仕えをする。下僕として、奴隷として人々に仕えるということだったわけです。そのことを多くの人々は理解出来ませんでした。

 

 今、私たちも、神の御子イエスを主と呼んで、その信仰を言い表しています。私たちのために最も低くなって私たちに仕えてくださったイエスを主と呼ぶということは、主イエスがその生き様を通して私たちに生きる道、命の道を示してくださった、私たちもそのように歩むと言っていることなのです。

 

 信仰により、神の御言葉を通して主イエスと出会い、私たちのために贖いの供え物となってくださったということの意味をしっかりと受け止めさせて頂きましょう。初めからおられ、神と共におられ、ご自身神であられる「言(ことば:ロゴス)」なる主イエスの力ある主の御言葉に耳を傾け、心を留めましょう。

 

 主よ、今日も御言葉に与ることができて感謝いたします。御言葉を通して主イエスを知ることが出来ることは、パウロが、それまで持っていた一切のものを無価値な、糞土のようにさえ思っているというほどに、価値のある豊かな恵みです。常に主イエスを仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、さらに主に近づかせて頂くことが出来ますように。聖霊が私たちのうちに住まわれ、私たちに御言葉の真理を悟らせてくださることを感謝します。祈りと御言葉により、さらに深く聖書と神の力を味わわせてください。 アーメン

 

 

「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」 ルカによる福音書21章19節

 

 21章には、宗教指導者たちとの対立に関する記述(20章1節~21章4節)に続いて、神殿崩壊の予告とその前兆を提示する教えなど、終末論的な物語(5~38節)が、マルコに基づいて記されています。なお、34節以下の「目を覚ましていなさい」の段落だけは、ルカの独自資料です。

 

 主イエスが神殿の崩壊を予告されたとき(5,6節)、それを聞いた人々は、いつそれが起こるのか、それが起こる前兆はどのようなものか尋ねました(7節)。何か不安なことがあるとき、早く結果が知りたい、不安を解消するために直ぐにも手を打ちたいと考えます。

 

 新型インフルエンザなどが流行すると言われると、たちまちマスクが売り切れるということも、そのような心理の表れでしょう。今年はそれに加え、新型コロナウイルスのために、消毒薬、ティッシュペーパーやトイレットペーパーなど紙製品も、商店の棚から姿を消すという異常事態になりました。

 

 人々に質問された神殿崩壊の徴について主イエスは、偽メシアの出現(8節)、戦争や暴動の噂(9節)、民族、国家の対立(10節)、地震や疫病などの大災害(11節)などを挙げておられます。

 

 しかし、それらに先立って教会に対する迫害が起きると語られ(12節)、王や総督たちの迫害が、キリスト者たちにとって、証しの機会となると告げられます(13節)。ここは、当にルカたちが直面していた事態であり、キリスト者たちを励ましたいと考えていた状況でしょう。

 

 そして冒頭の言葉(19節)のとおり、忍耐によって命をかち取りなさいという勧めが語られています。新約聖書中、「忍耐」(フポモネー)という言葉は32回用いられています。そのうち、福音書には2回、いずれもルカが用いています(8章15節、21章19節)。つまり、他の福音書によると、主イエスが「忍耐」を口にされることはなかったということになります。

 

 「忍耐」の原語「フポモネー」は、「下に」(フポ)と「留まる、住まう」(メノー)の合成語です。苦難が押し寄せ、危機が臨むと、私たちは慌てふためきます。およそじっとしていることが出来ず、右往左往し始めます。何があっても、そこを動かない、じっとそこにいるということで、「忍耐」の意味をよく表している表現ではないかと思います。 

 

 教会の迫害を証し、福音宣教の機会と捉え、続けて「忍耐」が語られているのは、迫害の苦難に遭わない努力をすることやそこから逃げ出すことではなく、その場に留まって明石、福音宣教という自分の使命をしっかりと果たすべきであるということが、ここに教えられているのです。

 

 1922年、幼児教育専門家、宣教師としてゲルトルード・キュックリッヒがドイツ福音教会から派遣され、フレーベルの愛の保育の精神で日本の子どもたちのために働き始めました。翌1923年9月1日、関東大震災に見舞われました。地震にあとには火事が起こり、死者、行方不明者は東京だけでも6万人、神奈川、千葉、静岡で亡くなられた方を合わせると、14万人にもなるそうです。

 

 キュックリッヒが働いていた向島の教会は何とか無事で、地震と火事で家を失った人々の避難所になっていました。キュックリッヒは彼らの食事の世話を手伝い、また、放り出されている子どもたちの面倒を見ました。そのとき、ドイツの父親から帰国を促す電報が届きますが、彼女は生涯日本に留まって、日本のために出来るだけのことをしようと決心していました。

 

 キュックリッヒが8歳の時、母親が世を去りました。父親は牧師として忙しい日々を送っていて、落ち着いた生活が出来ませんでした。彼女は無口になり、沈んだ少女になっていきました。父親は、家庭や子どもたちのことを考えて、新しい奥さんを迎えました。しかし、初めはお互いになじめず、気まずい冷たいものが流れ、しばらく辛く苦しい思いをしました。

 

 ある日、彼女はヨハネ福音書5章の箇所を読んでいました。7節に「病人は答えた。『主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです』」という言葉があります。これは、38年も病気で弱っていた人が、主イエスによって癒されるという話です。

 

 「わたしを池の中に入れてくれる人がいない」、この言葉が彼女の心に刺さりました。自分は、この不幸な病人を池に入れて上げる人になりたい、病人だけでなく、幼子、赤ん坊、恵まれない子どもたちやこの世で悩み苦しんでいる人々を助けるために働く人になりたい、そう思ったのです。

 

 彼女は父親と相談して、ベルリンのペスタロッチ・フレーベル・ハウスに入学し、世界で初めて幼稚園を造ったフレーベルの精神を修得しました。その後、南ドイツの国立大学付属女子高等師範・幼児専門部に入って勉強しました。

 

 卒業後、児童保護施設で働いていたとき、福音教会の世界宣教本部から、ゲルトルード・キュックリッヒを日本に派遣するよう指名して来ました。ある夜、自分は日本に行くべきだという考えが起こり、真剣に神に祈っているうちに、どうしても日本に行くことが自分の使命と感じられ、日本行きを決意したのです。

 

 大震災の翌年、キュックリッヒは東京・目白に東京保育学院を設立しました。これは現在、東洋英和女学院大学の保育子ども専攻の学部になっています。また、キリスト教保育連盟を造り上げ、生涯この働きに貢献しました。そのお蔭で昭和初期に幼稚園はめざましい発展を遂げました。

 

 キュックリッヒは、第二次世界大戦中も日本に留まり、幼稚園、教会のために忙しく働きました。欧米の宣教師が退去を余儀なくさせられたり、強制収容所送りにさせられる中、彼女は、同盟国ドイツからの派遣宣教師であったために、働き続けることが出来たわけです。

 

 けれども、東京空襲ですべてが灰となり、事業は解散状態になりました。この苦難の中でキュックリッヒは、「どんなことになっても、祈る力と、笑う力と、正確な判断力だけは失うことがないようにしてください」と常に祈っていました。神様はこの祈りを聞き届け、どんなに苦しくても、祈りを通して平安と明るい希望を取り戻すことが出来、また、時に応じて正しい判断をすることが出来ました。

 

 大戦後、埼玉に戦災孤児の施設「愛泉寮」、働く女性のために保育所「愛泉幼児院」を設立しました。その後、県の要請を受けて乳児預かり施設「愛泉乳児園」を開きます。それから、養護老人ホームを造り、施設全体の「愛の泉」理事長に就任します。

 

 誰に対しても、母親のような愛情をもって、わが子に対すると同じように世話をし、面倒を見、信仰に導いていったので、キュックリッヒに影響されて信仰に入り、施設で働こうと決心する人がたくさん出ました。

 

 また、色々な悩み、難しい問題の相談を受けると、彼らに適切な忠告や暖かい慰めを与えたあとで、「お祈りするとき私たちは、『神様、どうして私ばかりこんなに苦しまなければならないのでしょうか』と文句を言いたい。でもね、その時、神様は何の目的のためにそうなさるのかと尋ね求めることよ。きっと力が与えられます」と、人々を諭していたそうです。

 

 困難にぶつかるたび、問題に出会うたびに、キュックリッヒはそこに留まり、神の御心を尋ね求める祈りをささげながら、その解決の糸口を見出してきたのです。彼女こそ、忍耐によって命をかち取った人ではないでしょうか。

 

   「友よ歌おう」というゴスペルフォーク歌集に、「試みはだれにでも」(詞・曲:山内修一)という歌が収録されています。「♪ 1.試みはだれにでも来るもの、真実はそのとき分るのさ。どんなに雨や風が吹いても、太陽はその上で輝く。だから涙を拭いてイェス様に祈ろう、やがて喜びの日が来るだろう ♪」と歌います。

 

 常に共にいてくださる主イエスに目を留め、その御言葉に耳を傾け、自分の使命を自覚して祈りましょう。そのとき、どんな境遇でも忍耐する力を上から受けることでしょう。  

 

 主よ、私たちは弱い者です。自分の力で困難に立ち向かい、その下に留まり続けることなど出来るものではありません。どんなときにも祈る力、喜び、感謝する心を与えてください。そして、神の御心を知り、委ねられている責任をしっかりと果たすことが出来ますように。御言葉と聖霊の助け、導きを与えてください。 アーメン

 

 

「食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である』。」 ルカによる福音書22章20節

 

 22章には、最後の晩餐の記事(14~23節)を中心として、初めに「イエスを殺す計略」(1~6節)、食事の後、オリーブ山に赴かれ(30節以下)、弟子のユダに裏切られて捕縛され(47節以下)、大祭司の家に連行されて(54節以下)、最高法院の裁判を受ける(66節以下)という記事が記されています。

 

 上述のとおり、14節以下の「主の晩餐」という小見出しのつけられた段落に、最後の晩餐の様子が描かれています。共観福音書といわれるマタイ、マルコ、ルカの福音書に、それぞれ、「主の晩餐」が記されていますが、ルカ福音書の「主の晩餐」は、マルコやマタイとは少し違ったプログラムになっています。

 

 マルコやマタイでは、パンと杯が一回ずつ出てきます。パウロの記した第一コリント書11章でも、パンと杯が一回ずつです。それに対してルカでは、最初に杯があり(17節)、それからパン(19節)、そして杯(20節)と、杯が二度登場します。主の晩餐式の形式も、教会によって様々なバリエーションがあったのかもしれません。

 

 「杯」(ポテーリオン)とは、飲み物を飲む器、コップのことですが、ここでは、杯に入れる飲み物、18節に「ぶどうの実から作ったもの」とありますので、過越の食事に供されるぶどう酒のことを表しています。

 

 もともと、過越の食事では、第一の杯、苦菜とパン、過越の由来を説明、第二の杯、詩編113,114編の歌、苦菜とパンと小羊の肉、第三の杯、第四の杯、詩編115~118編の歌というプログラムになっています。この過越の食事に最も近い形という意味で、ルカ版「主の晩餐式」がプロトタイプなのかも知れません。

 

 冒頭の「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」という言葉(20節)は、ご承知のように最後の晩餐において主イエスが語られた言葉です。

 

 マルコは「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マルコ14章24節)と記し、マタイは「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ26章28節)と、罪の赦しを強調する言葉にしています。

 

 19節でパンを取り上げられたとき、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」と仰っていました。この表現と対比すれば、「杯」は主イエスの血を象徴するものと考えられているので、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血である」と言われるのが普通でしょう。あるいは、そう言われているものと思い込んでいたかもしれません。

 

 

 その際、マタイのように主イエスの血は私たちの罪のために流されたものと解釈していました。けれどもルカは、他の福音書に勝って最後の晩餐を過越の食事と関連づけています。過越祭において屠られる小羊は、罪の赦しのためのいけにえではありません。罪のために犠牲となる小羊は、別の祭儀のものです。

 

 また、「この杯は、多くの人のために流される、わたしの血による新しい契約である」という表現は、モーセが、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」(出エジプト記24章8節)と、主なる神とイスラエルの民との契約締結にあたって宣言したのを模したものです。

 

 旧い契約のとき、和解の献げ物としてささげられた雄牛の血が用いられました。けれども、新しい契約に用いられたのは、神の独り子キリスト・イエスの血です。父なる神が独り子を犠牲として、すべての民と和解の契約を結ばれたのです。

 

 「新しい契約」という言葉を最初に用いたのは、旧約の預言者エレミヤです(エレミヤ書31章31節)。「新しい契約」が締結されるということは、旧い契約が破棄されたということです。

 

 同32節に「この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる」と告げられています。

 

 そこで、新しい契約を締結して「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(同33,34節)と言われるのです。

 

 旧い契約では、十戒をはじめ教えと戒めが石の板に刻まれ(出エジプト記24章12節)、契約の箱に納められました(同25章16節,40章30節)。新しい契約では、それが胸の中に授けられ、心に記されると言われます。主イエスの血によって新しい契約が結ばれると、神の言(ロゴス)なる主イエスご自身が私たちの心のうちに住まわれ、私たちと共にいてくださるのです。

 

 私たちが、主を私たちの神としたというのではありません。主ご自身が、お前たちの神になってあげようと仰ってくださったのです(ヨハネ福音書15章16節参照)。私たちが主を私たちの神と呼ぶこと、そしてまた、主が私たちの神と呼ばれることを喜んでくださっています。

 

 日本バプテスト静岡キリスト教会では、「わたしの記念としてこのように行いなさい」(19節)と主イエスが命じられた「主の晩餐式」を、毎月第一日曜日(主の日)の礼拝の中で執り行っています。

 

 「主の晩餐」に与るたびに思いを新たにして、主に従い、福音宣教の業に励んでいきたいと思います。

 

 主よ、私たちと契約を結ぶために独り子をお遣わしくださり、罪の贖いの供え物としてくださったことを感謝します。いつも心に刻まれた主イエスの十字架を仰ぎ、御顔を拝しつつ、歩みたいと思います。絶えず信仰に目覚めさせてください。耳を開いて主イエスの御声を聴くことが出来ますように。 アーメン

 

 

「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』人々はくじを引いて,イエスの服を分け合った。」 ルカによる福音書23章34節

 

 23章には、受難週の6日目、金曜日の出来事が記されています。

 

 最初に、総督ピラトの法廷の様子が描かれ(1~25節)、民衆の声に押されて十字架刑を決定し、引き渡します。「されこうべ」と呼ばれる場所で十字架につけられ(26節以下、33節)、午後3時ごろ(44節)、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(46節)と叫んで息を引き取られ、アリマタヤ出身の議員ヨセフの所有する墓に葬られました(50節以下、53節)。

 

 冒頭の言葉(34節)は、主イエスが十字架の上で語られた、とても大切な言葉です。ここに、「彼ら」という言葉があります。彼らとは、だれのことでしょうか。直接には、主イエスを十字架につけた人々のことでしょう。彼らはくじを引いて、主イエスの服を分け合っています。

 

 マルコ福音書15章24節によれば、イエスを十字架につけ、その服を分け合ったのは、ローマの兵士たちでした(マタイ27章35節,ヨハネ19章23節)。ルカの表現では、祭司長たちに動員された民衆が、それを行ったように見えます。

 

 ローマ兵であれ、民衆であれ、彼ら自身が主イエスを十字架につけたいと考えたわけではありません。彼らは、祭司長たちに動員され、あるいは、総督ピラトに命じられて、その役割を忠実に果たしているだけです。

 

 ピラトは、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」(4節)と言いました。そして、ユダヤの宗教事情による訴えだと理解して、判断をガリラヤの領主ヘロデに託そうとしました(6節以下)。そして再度取り調べて、犯罪は見つからないので、鞭で懲らしめて釈放しようと提案します(13節以下、15節)。

 

 無罪なのに鞭打ちの刑というのは、納得のいかない話ですが、ピラトが考える無罪放免と、宗教家たちの求める死刑との中間を取ったという妥協策でしょう。しかし、無罪の者を鞭打つという妥協を図ったからこそ、十字架につけよという民衆の声に抗し切れなくなります。

 

 人々は、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」(18節)と要求します。バラバについてマタイ福音書27章16節には、「バラバ・イエスという評判の囚人」と記されています。メシアのイエスではなく、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバというイエスを釈放しろと要求したのです。

 

 ピラトはなんとか、主イエスを釈放しようと呼びかけますが(20,22節)、人々の「十字架につけろ」(21,23節)という叫びに、結局、宗教指導者らの要求を入れる決定を下し(24節)、バラバを釈放し、イエスは彼らに引き渡してしまったのです(25節)。

 

 主イエスを十字架につけよと訴える声がなければ、主イエスは釈放されたでしょう。イエスをピラトのもとに引き出し、死刑を要求したのは、祭司長や律法学者たちです。その訴えに基づいてピラトが取り調べたけれども、それにあたる事実を見出せなかったというのですから、それこそ、あることないこと訴え出て、何が何でも死刑にしてもらおうと、なりふりかまわず行動しているわけです。

 

 ところで、「彼ら」が冒頭の主イエスの祈りの言葉(34節)を聴いたら、心が刺されるでしょうか。赦しを祈ってくれていると喜ぶでしょうか。むしろ、犯罪者が何を言っているかと思うことでしょう。ピラトは、あるいはホッとするかもしれませんが、しかし、自分には責任がないと思っていることでしょう。

 

 そして、祭司長や律法学者たちは、自分たちの宗教的な立場に基づき、主イエスを冒とく罪で訴えているわけで、十字架でそれを罰するのが当然と考えて、赦しを必要としているのは主イエス自身だろうと思うことでしょう。こうして、「彼ら」自身は、主イエスのこの祈りを、自分のための祈りとは考えないと思われます。

 

 主イエスは、「彼らは何をしているのか知らないのです」と祈られました。つまり、悪いことをしたとは思っていないのだから、赦してほしいと祈られているわけです。この祈りは、私たちの常識を超えています。彼らは悪いことをしましたが、悔い改めていますから、赦してやってくださいと仰っているのではないのです。

 

 考えてみれば、私たちが悪事を働くとき、自分は悪いことをしているという自覚を持ってはいないでしょう。罪が指摘されて、「魔が差したのです」というのは、単なる言い訳ではないと思います。

 

 勿論、それで罪が軽くなるわけではありませんし、自分のしていることが分からないのだから、赦されるはずだと言いたいのでもありません。いずれにせよ、主イエスが言われたとおり、まさしく、自分で何をしているのか知らないという状態で罪を犯すのです。

 

 ですから、主イエスが祈られたこの祈りは、主イエスを実際に十字架につけた人々のためのみならず、今この御言葉を読んでいる私たちのための祈りなのです。今回、そのことを強く思いました。それは、冒頭の「言われた」と訳されているのが、「言う」(レゴー)の未完了形「エレゲン」という言葉だったからです。つまり、繰り返しそう言われていて、完了していないということです。

 

 主イエスを裏切ったユダ、主イエスを捨てて逃げ出した弟子たち、三度知らないと否んだペトロ、そして、冒涜の罪で極刑を決めたサンヒドリンの議員たち、無責任に主イエスの十字架刑を許可してピラト、刑を執行するローマ兵、嘲笑する群衆などに対して、そのように繰り返し祈っておられたということです。そして、今、この言葉を読んでいる私たちのためにも、そう祈ってくださっているのです。

 

 昨年度一年間を振り返って、どれほど主を悲しませ、そのお心を痛ませたことでしょう。私たちはこの祈りをいつも必要としている罪人であることを自覚し、主の十字架による贖いを感謝しつつ、新年度も主と共に歩ませていただきましょう。

 

 主よ、主イエスの執り成しの祈りを感謝します。主イエスの贖いのゆえに感謝します。常に主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾けます。いつも感謝と喜びを心に満たしてください。新しい年度を、希望をもって歩ませてください。主の霊に力づけられ、主に委ねられた福音宣教の使命を果たすべく、主の恵みに与るとの出来る喜びを、多くの人々と分かち合うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」 ルカによる福音書24章51節

 

 ルカ福音書最後の章(24章)の最後、50~53節の段落はとても短い箇所ですが、大切なことが書かれていることに気づかされます。それは、主イエスが弟子たちの見ている前で天に帰られたことであり、その時に、主イエスは弟子たちを祝福してくださったということです。

 

 使徒言行録1章3節によれば、主イエスは復活された後、40日に亘って弟子たちに現れ、神の国についてお話になり、それから、天に上げられたと報告されています(同9節)。その意味で、1節から50節までの間に40日という時間が経過しているわけです。

 

 主イエスは最後に弟子たちを「ベタニアの辺り」(50節)つまりオリブ山に連れ出し、彼らを祝福されました。けれども、主イエスの祝福の祈りは、終りの時を迎えませんでした。

 

 冒頭の言葉(51節)をご覧ください。「そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」とあります。主イエスは、「祝福しながら」天に上られたのです。原文は、「祝福の中で、祝福において」(エン・トー・エウロゲイン)という言葉遣いになっています。祝福し終わって、弟子たちを離れられたというのではありません。天に上げられた後も、弟子たちを祝福し続けておられるということです。

 

 そのことについて、使徒言行録1章11節に「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。イエスは天にいかれ野をあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」と語られています。

 

 主イエスは、弟子たちを祝福しながら天に上げられたのと同じ有様で、またおいでになります。つまり、祝福しながら再臨されるわけです。天にお帰りになるときと再臨されるときにだけ、祝福をされているということではなく、ずっと祝福し続けておられるという表現でしょう。

 

 主イエスは弟子たちを離れて天に引き上げられましたが、主イエスの祝福は、今も彼らと共にあり、彼らを離れることがないのです。つまり、今日、今このときに私たちも主イエスの祝福に与ることが出来るのです。

 

 ルカ福音書をあらためて読み返してみますと、ルカは確かに、「今日」という言葉にアクセントを置いた用い方をしています。

 

 たとえば、主イエスが誕生されたとき、天使が羊飼いたちに現れて、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになる。この方こそ主メシアである」(2章10,11節)と告げました。これは、2000年前のベツレヘムでの出来事ですが、ルカは私たちに、今日、私たちはここでその喜びに与ることが出来ると教えているのです。

 

 また、19章9節でザアカイに「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから」と言われました。23章43節では十字架上の強盗に「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。死んだら楽園に入ると仰ったのではありません。今日このとき、イエスと楽園にいるというのです。私たちも今日、その救いに与ることが出来るわけです。

 

 神の言葉は、時が来ると実現すると、ルカは福音書の初めから告げています。主イエスの母マリアが、親類のエリサベトを訪ねたとき、エリザベトが、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」と祝福を語っています(1章45節)。

 

 また、公生涯に入られた主イエスがナザレの会堂で「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」というイザヤ書61章1,2節を朗読されました。

 

 そして、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(4章16節以下、21節)と話されました。御言葉が語られ、人々の耳に届いたとき、そこで御言葉が成就する、出来事になるというのです。これがルカ福音書のテーマ、ルカが私たちに告げている福音といってよいでしょう。

 

 主イエスは、確かに今も生きておられます。私たちと共にいてくださいます。私たちのうちにおられます。求める者には、聖霊をくださいます。神様が今日、私たちに恵みを与えてくださるように、御言葉が実現することを感じ、味わうことが出来るように、聖霊に満たし、導いてくださるように祈りましょう。2000年前の弟子たちと同じような経験を、私たちもすることが出来ると信じます。

 

 主イエスの祝福を受け続けている弟子たちは、主イエスが天に引き上げられてその姿が見えなくなっても、悲しがりはしませんでした。むしろ、「大喜び」をしています(52節)。そして、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえてい」(53節)ました。ここで、「ほめたたえていた」(エウログーンテス)は現在分詞で、直訳的に訳せば、「神をほめたたえながら、常に神殿にいた」ということになります。

 

 また、「ほめたたえる」と訳されている言葉は、「祝福する」というのと同じ「エウロゲオー」という言葉です。英語訳聖書(たとえばKJV,RSV,ASVなど)は、blessingと直訳しています。つまり、主イエスの祝福を受けて、神に祝福を返しているわけです。これは祝福の循環であり、さらには祝福の増幅といったらよいでしょうか。

 

 主イエスの祝福を受けて、神をほめたたえる(祝福する)と、益々祝福を受け、だから、もっと神をほめたたえるようになる。こうして、彼らは、神をほめたたえながら、ずっと神の宮にいたわけです。

 

 神のおられるところはどこでも、神の家、神の宮でしょう。私たちの体は、神からいただいた聖霊の宿られる神殿です(第一コリント書6章19,20節)。私たちを祝福していてくださる主を仰ぎ、心から主をほめたたえましょう。

 

 主よ、年度の初めに祝福の言葉を聞くことが出来て感謝します。心の内にキリストを住まわせ、愛に根ざし、御言葉に信頼する信仰に堅く立つことが出来ますように。御霊に満たされ、御名をほめ讃えつつ、主の愛の証し人として歩ませてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設