マルコ福音書

 

 

「荒れ野で叫ぶ声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」  マルコによる福音書1章3節

 

 今日からマルコ福音書です。マルコ福音書は、紀元66年頃、シリアあたりで著述されたものだろうと思われます。著者は、伝統的にエルサレム教会の集会所(家)の提供者マリアの子で、マルコと呼ばれていたヨハネのことだと考えられて来ました(使徒言行録12章12節)。しかし、パレスティナの地理に疎いような面が多々見られることなどから、マルコ=ヨハネが著者であるとは、考え難いところです。

 

 マルコ福音書は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」という言葉で始まります(1節)。ギリシャ語原文では、「初め」(アルケー)という言葉が一番初めに書かれており、これは、「初めに、神は天地を創造された」(創世記1章1節)という創世記の始まり方を意識したのではないかと思われます。

 

 「神の子イエス・キリストの福音」とは、イエス・キリストについての福音というだけでなく、イエス・キリストによってもたらされた、即ち、主イエスの存在と、あらゆる言辞と行為とによる福音ということです。

 

 マルコ福音書においてイエスに対する「神の子」という称号は、3章11節、5章7節で汚れた霊によって用いられ、そして15章39節では、主イエスの死を見届けた百人隊長が自身の信仰を表明するように「本当にこの人は神の子だった」と宣言しています。

 

 また、「福音」(エウアンゲリオン)とは、「よい知らせ」という意味ですが、元来、勝利を収めたという知らせを言い表すものでした。旧約聖書では「良い知らせを伝える」(メバッセール・トーブ、イザヤ書52章7節、61章1節、40章9節など)という動詞形の言葉でそれを表しています(70人訳=ギリシア語訳旧約聖書はその箇所に「エウアンゲリゾマイ」という動詞を用いています)。

 

 まず、旧約聖書の言葉が引用されます(2,3節)。それを「預言者イザヤの書」と言っていますが、「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」(2節)は、出エジプト記23章20節、マラキ書3章1節からの引用です。そして、冒頭の言葉(3節)がイザヤ書40章3節からの引用です。

 

 その引用された言葉のとおりに、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れたと、4節に記されています。ヨハネは、罪の赦しを得させるために悔い改めのバプテスマを宣べ伝えました。その活動は旧約聖書の預言を成就するためであり、ヨハネはメシアなる主の先駆けとして、主の道を整えるために荒れ野に登場したのです。

 

 勿論、荒れ野に人は住めません。生活を支えるものがなく、むしろ命を脅かす獣などが出現する場所だからです。なぜ、荒れ野なのでしょうか。それは、象徴的な意味があるようです。

 

 それはまず、生活の場から退き、神の御声に聴きなさいということでしょう。冒頭の「主の道を整え、道筋をまっすぐにせよ」(3節)という言葉は、御言葉を片手間で聴くことは出来ないということを示しているように思います。そのために、ヨハネは人々に悔い改めを迫るのです。悔い改めとは、思いを変えること(change of mind)であり、信仰において神の下に帰るということです。

 

 また、荒れ野は、神が新しいことを始められる場所です。イザヤ書43章19節に、「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」と言われています。

 

 かつて、エジプトを脱出したイスラエルの民が、40年過ごしたのがシナイの荒れ野でした(申命記1章3節、2章7節、29章4節など)。確かに荒れ野は水も食料もなく、民は神の御前に不平を鳴らしましたが(出エジプト記16,17章、民数記11章など)、主なる神はその訴えに応えて、天からマナを降らせ、岩から水を出させ、うずらの肉をお与えになりました。

 

 荒れ野は、主が共におられて、その恵みを味わわせられる場所でした。エレミヤ書31章2節に「民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける」という言葉がありますが、まさに命を脅かされるような荒れ野を通らなければ、味わうことの出来ない恵みがあるということです。

 

 今や、神の御子イエス・キリストがこの世に来られ、神の救いの御業を始められます。かつてなかった新しいことが始まったのです。こうしてヨハネは、主イエスが始められる新しい業のために、人々を荒れ野に招き、主イエスのための道を整えるのです。

 

 主の御声に耳を傾けましょう。その導きを受けて、絶えず新しい主の恵みに与りましょう。恵みを無にしないよう、主の御業に励みましょう。 

 

 天のお父様、あなたの御声を聴くために、私たちも荒れ野に退きます。私たちにも、モーセのように、またエリヤのように、あなたの御声を聞かせてください。そこで開かれる主の恵みに与らせてください。御旨を弁え、主の御業に励む者としてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。」 マルコによる福音書2章15節

 

 2章には、中風の男の癒し(1~12節)、徴税人レビを弟子として、食事を共にしたこと(13~17節)、ファリサイ派の人々らと断食についての問答(18~22節)、安息日を巡る論争(23~28節)が記されています。

 

 福音書には、主イエスの食事の場面がよく登場します。それは、主イエスが食事の席を大事にしておられたということです。また、一緒に席に着いた弟子たちにとっても、印象深い出来事、また話がそこでなされたわけです。13節以下の段落も、そうした食事の場面で起こった出来事を記録したものです。

 

 主イエスが湖の畔に「出て行かれ」(エクセルコマイのアオリスト[不定過去]形)、そばに「集まって来た」(エルコマイの未完了形) 群衆を「教えられ」(ディダスコーの未完了形)ました(13節)。この言葉遣いは、湖の畔を歩いていると、人々が続々とやって来たので、彼らを繰り返し教えられたという状況を示しています。

 

 やがて、収税所の所に来ます(14節)。湖の畔を通る幹線道路に収税所がもうけられ、通行税を徴収していたのでしょう。そこに、アルファイの子レビという徴税人が座っていました。主イエスはレビに、「わたしに従いなさい」(14節)と声をかけると、レビは立ち上がって、主イエスに従う者、即ち弟子となりました。

 

 冒頭の言葉(15節)に、「食事の席に着いておられた」とありますが、「席に着く」と訳された言葉は「横たわる、臥す」(カタケイマイ)という意味で、非常にくつろいだ宴会での食事の表現に用いられます。およそ、形式ばった儀式的な会食などではなく、親しい者が集う、和やかな楽しげな食事の席を想像します。

 

 その席に、多くの徴税人や罪人が同席していると記されています。それは、レビが彼らを招いたということでしょう。レビ自身、徴税を生業としていたからです(14節)。徴税人は、当時、ローマの手先となって同胞から税金を取り立てるということで、異邦人といつも交わっていること、信仰なき異邦人に仕えていることにより、罪人とされていました。

 

 しかも、徴税人は入札制度で一番多く税を納めると請け負った者が指名されたので、不正な取立てが横行していました。そのため、ユダヤ人だけでなく、ローマ人からも軽蔑されるという有様だったようです。

 

 ユダヤ人にとって、およそ好んでなりたい職業などではない、むしろ、なりたくない職業ナンバーワンだったろうと思われます。ということは、そのような職業についている人々には、そうせざるを得ない事情というものがあったのではなかろうかと想像されます。

 

 レビが徴税人となった理由について、「レビ」という名前が神殿で祭司たちに仕えるレビ族を想像させるところから、宗教家の家に生まれた者ではないかと思われます。マタイ福音書はこの徴税人の名を、「マタイ」と記しています(マタイ9章9節)。マタイ福音書だから、包み隠さず「マタイ」と名乗っていますが、他の福音書は、むしろ家系を示す「レビ」を、あだ名として採用したのではないでしょうか。

 

 ということは、徴税人「レビ」の家は、イスラエルにおいて尊敬を集める宗教家だったわけです。しかし、「レビ」は宗教に真実を見出せず、そのような宗教に対する反発、親に対する反発から、宗教的にも社会的にも、最も嫌われ、軽蔑される職業ともいうべき徴税人になったのではないかと、私は考えています。

 

 ですから、そのレビが「わたしに従いなさい」という主イエスの招きに応じたというのは(14節)、彼が主イエスに真理を見出したからではないでしょうか。なるべくしてなった務めではなかったので、レビ自身、徴税人の仕事に苦しいものを感じていたのではないかとも思われます。それゆえ、主イエスの招きは、彼にとって苦しみからの解放、真の救いだったのです。

 

 そして、仲間たちを主イエスとの食事に招待したのです。すると、その招きに大勢の仲間が集まりました。主イエスは彼らを軽蔑されませんでした。忌み嫌われませんでした。「レビ」とその仲間たちは、そこに安心して座っていることが出来たのです。

 

 主イエスが彼らの職業を認めて、周囲の偏見や差別などにへこたれずに、頑張りなさいと励まされたとは思いません。どうされたのか、はっきり分かるわけではありませんが、彼らに対する深い理解と同情をもっておられたのだと思います。

 

 ユダヤ人哲学者マルティン・ブーバーが、「人生は出会いで決まる」と言っています。人は、誰と出会い、交際するかによって、その生き方が変わることがあります。決定的な影響を受けることもあります。

 

 徴税人たちは主イエスから、その務めを辞めるようにと勧告されてはいません。しかしながら、たとえば、あのザアカイという徴税人のように、財産の半分は貧しい人に施し、不正に取り立てていたものは4倍にして返すという行動に導かれます(ルカ福音書19章1~10節)。それは、全財産を放出することになったのではないでしょうか。

 

 ザアカイがもし、それ以後も徴税人を続けるなら、不正な取立てをすることはなくなったでしょう。あるいは、お金が第一、人を見下すためという目的を失って、徴税人を続ける理由がなくなってしまったかもしれません。実際、レビは、徴税人をやめて主イエスに従う者となります(14節)。彼らは、主イエスとの交わりの中で、生き方を変えるように自分の内側から促しを受けたわけです。

 

 私たちも、罪人として主イエスの招きに与りました。主イエスのそばで親しい導きと交わりをいただいています。私のような者にも、主の御用をするようにという促しがありました。導きに従って今日まで歩いて来ました。色々なことを経験してきました。すべてが恵みです。

 

 主の恵みに応え、語りかけられる主の御言葉に耳を傾けましょう。み言葉を行う者となりましょう。

 

 主よ、私たちは御子キリストに招かれ、救いの恵みに与りました。導きを心から感謝しています。この恵みを無駄にせず、絶えず主と共に歩ませてください。御言葉に耳を傾け、御霊の助けと導きを受けつつ主の御旨を行い、主に喜ばれる者となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。」 マルコによる福音書3章19節

 

 主イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せ(13節)、そこから12人を任命して、彼らを使徒と名付けられました(14節)。主イエスの周りには、おびただしい群衆が従って来ていましたが(7節)、そのすべてが主イエスに召されて使徒とされたというわけではないわけです。

 

 ここで、「山」(ト・ホロス)には定冠詞がつけられています。「山」(the mountain)と言えば富士山というように、だれもがよく知っている山のことです。聖書にも様々な山が登場してきますが、なんと言ってもシナイ半島の南に位置するシナイ山、神の山ホレブでしょう。

 

 マルコは13節の「イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た」という言葉を、出エジプト記19章20節の「主はシナイ山の頂に降り、モーセを山に呼び寄せられたので、モーセは登って行った」という出来事に重ね合わせて記しているように思われます。 

 

 使徒として選ばれた12人は、シモン・ペトロ、ヤコブとヨハネ、アンデレという漁師がいれば、ローマに仕える徴税人レビ(マタイ)、それとは逆に、ローマに抵抗する熱心党に属していたシモンもいます。

 

 最後のイスカリオテのユダですが、イスカリオテとは、カリオテの人(イシュ)という言葉が訛ったものだろうと考えられています。このカリオテが地名だとすると、その場所は分かっていませんが、ユダヤの地方だったと言われます。であれば、ペトロを初めガリラヤ出身の弟子たちの中で、唯一ユダヤ地方からの選出ということになります。

 

 また、ラテン語の「シカリウス」(短剣を隠し持つ男)が訛ったものではないかという考えもあります。だとすると、ユダは熱心党の中のもっとも過激なグループに属していたことになりますが、主イエスの時代にシカリウスが存在したという証拠は、まだ見つかっていません。シカリウスが登場したのは、もっと後の時代のことでした。

 

 「12」は完全数と言われ、12人はイスラエル12部族を象徴しています(マタイ19章28節参照)。「任命する」というのは、「作る」(ポイエオウ)という意味の言葉が用いられています。つまり、使徒として任命された12人は、神がご自分の民を新しく作られるしるしなのです。主イエスは彼らに、あらゆる人々に新しい神の民となるよう呼びかける使命を授けられたのです。

 

 ここに上げられた12人に共通の特徴を見つけることは困難です。上記のとおり、出身地も職業も、政治的な関心の持ち方も様々です。誰が一番偉いかと議論していたとされる彼らですが(9章33節以下)、彼らの背景を考えると、どの土俵で一番を競っていたのかと疑わざるを得ないような、つまり、かみ合う議論が出来ていたとは到底考えられないような状況です。

 

 冒頭の言葉(19節)のとおり、最後に名が記されているイスカリオテのユダに「このユダがイエスを裏切ったのである」という解説がついています。確かにユダは祭司長らに主イエスを引き渡す手引きをし、金をもらうことになります(14章10,11節、43節以下)。

 

 けれども、主イエスが捕らえられようとしたとき、弟子たちは皆、主イエスを見捨てて逃げてしまいました(14章50節)。筆頭と目されていたペトロは、ひとり主イエスが裁きを受けられる大祭司の家の中庭まで入り込みましたが、そこで、自分はイエスの仲間ではないと、3度否定してしまいます(同66節以下)。

 

 結局、主イエスが十字架にかかられるとき、使徒とされた十二人のうち、主イエスに従っている者は一人もいなかったという不名誉な結果を共有することになってしまいました。彼らが特別な存在だから、「十二人」に選ばれたわけではありません。また、選ばれれば、特別な存在になれるということでもなかったわけです。

 

 もちろん彼らは、最初から裏切り者ではありませんでした。裏切ることになる直前まで、自分が裏切り者になろうとは考えてもいなかったでしょう。行けと言われれば行き、来いと言われれば来、せよと言われれば喜んでする、主イエスに従う人々でした。主イエスを信じ、主イエスに従うほかには、何の取り柄もない人々と申し上げてもよかったでしょう。

 

 だから、主イエスを見捨てて逃げてしまった後、彼らは自分自身をどれほど惨めに思ったことでしょう。裏切り者とされたユダは、ゲッセマネという所で主イエスを捕えさせた後(14章42節以下)、姿を消してしまいます。マルコ福音書には、その後彼がどうなったのか、全く記されていません。

 

 マタイは、彼の死を自害としています(マタイ27章5節)。ルカ福音書には、ユダの死などは記されていませんが、続編の使徒言行録で、不正を働いて得た土地にまっさかさまに落ちたという、神の罰を思わせる表現をしています(使徒1章18節)。ヨハネには、マルコやルカ同様、ユダの死の報告はありません。

 

 それぞれの視点で福音書は描いているので、多少の違いは当然あるところですが、しかし、マタイと使徒言行録は、自害か事故(神罰)かということで、全く違った死に方になっており、どちらを信用するということも出来ない状況です。

 

 さらに、第一コリント書15章5,6節に「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました」と記されています。これは、主イエスが復活されて、姿を現された人々のリストです。

 

 もしも、ユダが自害にせよ、事故にせよ、主イエスが十字架につけられる際に死んでいたのであれば、ケファに現れた後、「十二人」に現れたというのは間違いで、「死んだユダを除く十一人に現れた」というはずです。パウロが正しければ、主イエスが復活して姿を現されたとき、ユダは存命だった、ユダにも復活された姿を現されたということになります。

 

 そして、「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」(ローマ書11章29節)という言葉があります。「招き」とは「クレーシス」という言葉で、口語訳、新改訳は「召し、召命」と訳しています。この言葉から、主イエスを裏切ったから、見捨てて逃げたからといって、神の賜物と任命が取り消されるわけではないと読めます。

 

 ユダ以外は、新しい神の国として建てられるキリストの教会で、主を証しする使徒としての使命を果たすよう、聖霊の力を受けました(使徒言行録1章5節、8節、16節以下、2章など)。11人と行動を共にしなかったユダについても、ローマ書の御言葉に照らして、神の憐れみが彼の上に注がれたと信じます。

 

 同じ主の深い愛と憐れみに与っている私たちです。神の慈しみにとどまり、聖霊の力をいただいて、委ねられている福音宣教の使命を全うすることが出来るように、御言葉に耳を傾け、熱心に祈りましょう。

 

 主よ、あなたの深いご愛を感謝致します。「十二人」は期待を裏切りました。しかし、主イエスの恵みは、彼らの裏切りの罪以上に力あるものです。死と罪の呪いを打ち破られたからです。新しい命に生かされた私たちが、主のものとして歩み続けることが出来ますように、その使命を全うすることが出来ますように。御心を地にもなさせたまえ。 アーメン

 

 

「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実が出来る。」 マルコによる福音書4章28節

 

 26~29節は、主イエスが語られたたとえ話の中で唯一、マルコ福音書だけにしか記されていないものです。マタイ福音書はこのたとえ話の場所に、「毒麦のたとえ」(マタイ福音書13章24~30節)と呼ばれるたとえ話を入れており、それは、マルコ福音書にあるたとえ話の発展というか、あるいはその解釈の方向性を示していると考えることが出来るかも知れません。

 

 いずれにせよ、冒頭の言葉(28節)で「土はひとりでに実を結ばせるのであり」というのは、種が実を結ぶのは大地の力によるのであって、人間の労作などというものではないということです。人が手を出して引っ張ってやる必要などありません。ここで、「ひとりでに」というのは、原語で「アウトマテー」といいます。これは、「人手によらず、自ずから、オートマティックに」という意味の言葉です。

 

 同じ言葉が、投獄されていたペトロを天使が起こし、鎖が外れ、衛兵のいる詰所の前を通過し、町に通じる鉄の門の所まで来ると、「門がひとりでに開いたので」(使徒言行録12章10節)と記されているところに用いられています。この時代に自動ドアがあるはずはありませんが、まるで自動ドアのようにオートマティックに鉄の扉が開いたということです。

 

 そのように、畑に蒔かれた種は、土の力で実を結んでいるのであって、ヒトが苦労したからといって、特別に早く収穫出来るようになったり、驚くほどたくさん結実したりということにはならない、そのような収穫を自分の手柄にすることは出来ないということではないでしょうか。

 

 これは勿論、農家の方々は何の苦労もなく、収穫の恵みを受けているということを言っているのではありません。何もせずに放っておいて、収穫を期待することはできません。肥えた土を作り、耕し、種をまき、水をやり、雑草を抜き、肥料をやりして、大切に育てます。

 

 そうしたからといって、豊作になるとは限りません。日照りもあれば、大風や大雨もあります。病虫害もありますし、すぐに雑草がはびこります。そして、人間の努力などひと吹きで破壊する、自然の驚異が襲って来ることがあります。台風が頻繁に襲ってくる秋になる前に収穫できるように改良をして、早生の品種を作り出しても、限度があります。工業製品を作るようなわけにはいかないのです。

 

 その意味でこのたとえ話は、自然の力の前に謙虚にならざるを得ない経験に基づいて語り出された言葉ではないでしょうか。自然の力を象徴的に「土」と言い、豊かな実が出来るのは土の力、自然の恵みだ。人が思い上がって自分の努力の結果だなどと言っていれば、そうでないということをいやというほど思い知らされるだろう。神の恵みをただ感謝するだけだと言っているようです。

 

 主イエスはこのたとえを、「神の国は次のようなものである」(26節)といって語り始められました。神の国とは、神が王として統治、支配しておられるところということです。ということは、種が成長して収穫に至るのは、すべて神の支配によると読むことが出来ます。

 

 「土」を「神」と読み替えて、考えてみればよいでしょう。どんな仕事が出来ても、どんなに成果が上がっても、それは、神がご自分の力をそこに働かせてくださったからであり、ゆえに、必要な協力者が与えられたり、不思議に条件が整えられたり、タイミングよく出来事が組み合わされたりして、そのプロジェクトが成功したのではないでしょうか。

 

 パウロが、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(第一コリント書3章6節)と語っているのは、このことを理解しているからと言えるのではないでしょうか。確かに、大事を一人の力で成し遂げることはできません。

 

 神は私たちを愛し、豊かな恵みを与えようとしておられるのです。今、私たちの目に苦労としか見えなくても、困難にふさがれているように思われても、そこを通ることによって、私たちが耕されるということがあるでしょう。あるいは、麦の根付きをよくするための麦踏みということもあるでしょう。困難も私たちを愛する神の御手のうち、と考えることが出来る人は幸いです。

 

 納得いかない人は、神に叫びましょう。訴えましょう。平安に導かれるまで、御言葉が示されるまで、祈りましょう。主なる神は、私たちの呻きをさえ受け止めてくださいます(ローマ書8章23節以下、26,27節)。そして、神が必ず豊かな収穫の恵みに与らせてくださると信じましょう。万事が益となるように共に働いてくださるからです。

 

 天のお父様、天地万物を創造され、独り子をお与えになったほどに私たちを愛していてくださる主を信じ信仰に導かれたことを、心より感謝します。様々なことですぐに思い煩って平安を失い、夜眠ることの出来なくなる私たちです。しかし、あなたは愛する者に眠りを与えると約束されました。あなたを信頼して休むことを学ばせてください。 アーメン

 

 

「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」 マルコによる福音書5章34節

 

 5章には、悪霊につかれたゲラサ人の解放(1~20節)と、ヤイロの娘と長血の女の病と死の力からの救い(21~43節)が記されています。ゲラサ人の地方の(1節)「レギオン」(9節)という汚れた霊に取り憑かれた男が、解放されて(15節)、主イエスの御業をデカポリス地方に言い広めたことは(20節)、異邦人の地での伝道の始まりを示しています。

 

 21節以下の段落は、ヤイロの娘の病の癒しの話(21~24節、35~43節)に、長血の女の癒しの話(25~34節)が割り込むかたちになっています。長血の女性の癒しのために、ヤイロの家に向かう主イエスの足が留められることになって、娘は亡くなってしまいますが(35節)、主イエスは娘を生き返らせ(41節)、死に打ち勝つ神の力をお示しになりました。

 

 今日は、その話の間に挿入された長血の女の癒しの話で、その女性の信仰に注目します。主イエスの周りに大勢の群集が押し迫っていたとき(24節)、そこに紛れ込んで、後ろからそっとイエスの服に触れた女性がいました(27節)。それは、12年間も出血が止まらない女性でした。そ㋨出血は、婦人科の病気によるものだったようです。

 

 始終出血があるというだけでも気分の優れないものですが、この病気が辛かったのは、出血が宗教的に「汚れ」とされることです(レビ記15章19節以下、特に同25節以下)。その規定は、この女性を清潔な環境に隔離するためのものと考えることも出来るのですが、しかし「汚れ」と言われる以上、差別的な扱いを受けることになったのではないかと思われます。

 

 この女性は、何とかこの病気を治そうと手を尽くしましたが、財産を失っただけで何の役にも立たなかったばかりか、病気を悪化させてしまったということです(26節)。そういう状況でしたから、この女性が主イエスのことを聞いたとき、これが最後の望みという思いもあったのではないでしょうか。

 

 しかも、彼女は一途にそのことを思っていたようです。というのは、28節に「『この方の服にでも触れれば癒していただける』と思っていた」と記されていて、「思っていた」と訳されている言葉は、未完了形の動詞が使われているからです。これは、動作が継続していて完了していないこと、つまり、「思い続けている」ということになります。

 

 さらに、「思う」と訳されている「エレゲン」は「話す」(レゴー)という動詞です。とはいえ、「汚れ」と言われる病気の身の上で他者との接触がはばかられ、公にだれに対してもそのように語っていたと考えることは出来ず、主イエスの衣に触れれば癒して頂けると自分自身に対して繰り返し語っていたということで、それを「思う」と訳したわけです(岩波訳参照)。

 

 思い続けていたことを実行する日が来ました。うまい具合に大群衆が主イエスを取り巻いていて、誰が誰だか判別できないような状況です。こっそり近づき、こっそり触り、そしてこっそり抜け出すには、絶好の状態です。彼女はそのようにして、そっと主イエスの衣に触れたところ、たちどころに病気がよくなりました(29節)。思い続けていたとおりになったのです。

 

 ところが、その後の展開は彼女の思い通りではありませんでした。女性が触ったことに主イエスはお気づきになり、「わたしの服に触れたのはだれか」(30節)といってその人をお探しになります。

 

 弟子たちが、「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか」(31節)と主イエスに言います。つまり、誰もが主イエスの触れようとして押し迫っているのだから、衣に触れた「一人」を探し出すのはナンセンスだということでしょう。

 

 勿論 、主イエスは誰がどのように触れたのか、一人ひとりきちんと感じ取っておられたということではないでしょう。主イエスの内から力が出て行ったことに気づかれたということですから(30節)、主イエスから力を引き出す触れ方をした人がいたということです。だから、「わたしの服に触れたのはだれか」(30節)という問いに応答する人を、主イエスは探しておられるのです。

 

 「触れたのはだれか」と探されたとき、女性は一目散に逃げようとしませんでした。彼女は、自分の身に起こったことに驚き、そしてご自分に触れた者は誰かとお探しになる主イエスの言葉を聴いて、畏れを感じました(33節)。黙って逃げ出すことはできないと思ったのでしょう。否、逃げてはいけないと考えたのかも知れません。それは、女性が主イエスに「神」を感じているからです。

 

 彼女は主イエスの前に進み出て、ありのままをすべて話しました(33節)。そのとき、主イエスが女性に対して語られたのが、冒頭の言葉(34節)です。主イエスは女性に、「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。

 

 ここに主イエスが「あなたの信仰」(へ・ピスティス・スー)と言われていますが、それは、どのようなものなのでしょうか。一つは、前述のとおり、主イエスの服に触れれば癒していただけると、繰り返し話していた、思い続けていたことです。その一途な思いが信仰と受け止められたと見ることが出来ます。

 

 しかしさらに大切なのは、主イエスの前に進み出て、「すべてをありのまま」申し上げたということです。その心は、神を畏れる心でした。主イエスはその心を「信仰」と言われたのではないでしょうか。つまり、病気がよくなりさえすればよいというのではないのです。主イエスとどのように向き合い、交わりを持つかということが大切だというのです。

 

 だから、「治った」(セラペウオー)というのではなく、「救った」(ソウゾー)という言い方になるのです。実は、女性が、「いやしていただける」(28節)と言っていたという箇所でも、原文には「救われる」(ソウゾー)という言葉が用いられていました。

 

 さらに、「安心して行きなさい」も、直訳は「平和の中へと帰りなさい」(フパゲ・エイス・エイレーネーン)という言葉で、神に救っていただいた者として、魂の平安と共に家族や隣人との平和な交わりの中にお帰りなさいという主イエスの思いを、そこに読み込んでもよいだろうと思います。

 

 そのようにして、主イエスは救いに与った私たちをも、平和の交わりへと招き入れておられるのです。主の御声に耳を傾け、信仰をもって主の導きに応答しましょう。

 

 天のお父様、主イエスを信じる信仰により、救いの恵みに与らせてくださり、心から感謝いたします。いつも、主への畏れの心をもって、その御衣に触れるほどに近くおらせてください。平和の源なる主の恵みにより、私たちの家族がいつも平和でありますように。絶えず平安な心で過ごせますように。 アーメン

 

 

「イエスは、『預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである』と言われた。」 マルコによる福音書6章4節

 

 主イエスが故郷ナザレの町にお帰りになりました(1節)。目的は明言されていませんが、神の国の福音を携え、故郷の人々にそれを伝えるためでしょう。安息日になったので、会堂で教え始められたところ、人々はその教えに驚嘆し、「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か」(2節)と言います。

 

 通常であれば、驚きは賞賛に変わるのでしょうけれども、そのときの人々の評価はむしろ侮蔑的なものでした。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここでわれわれと一緒に住んでいるではないか」(3節)というところに、それが表れています。

 

 主イエスを「大工」というのは、マルコだけです。マタイは、父ヨセフが大工であったと言い(マタイ13章55節)、ルカは、職業についての発言を削除しています(ルカ4章22節参照)。「大工」と訳されている「テクトーン」という言葉は、木工だけでなく、金属、石などを加工するあらゆる職人を指す用語です。

 

 農機具を作ったり、屋根や門を修理する便利屋のような職人を指しているのではないかと言われます。マタイ11章30節の「わたしの軛は負いやすく」も、文字通り、主イエスが作った軛は使い易いという意味に解する人もいます。

 

 ここで、「ヨセフの息子」ではなく、「マリアの息子」と母親の名で呼ばれているのは、ユダヤにおいて、大変珍しいことです。ルカ4章22節では「ヨセフの子」と言われています。「マリアの息子」というのは、父ヨセフが早くに亡くなっていることを示すものだという解釈があります。

 

 であれば、主イエスは長男として、母マリアや「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン」ら弟妹を養う責任を負わされたのです。その後、弟たちが家計を支えられるようになって、主イエスは公生涯に入られたのでしょう。

 

 また、母親の名だけでなく弟たちの名も、そして姉妹たちの存在も記されて、故郷の人々が主イエスの家族について、よく知っているということが示されます。そして、小さいころからその育ちをよく知っている「イエスちゃん」が、何を偉そうにしゃべっているのかというのでしょう。それで、主イエスが語られる教えを、神の言葉として真剣に聴くことが出来なかったのです。

 

 それに対して、主イエスが冒頭の言葉(4節)のとおり、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と語られました。どんなに偉くなっても、子どものころのことやその家庭や家族までも知られている郷里では、あまり評価してもらえないものだということです。

 

 ただ、故郷で敬われないのは、預言者だけの問題ではありません。多かれ少なかれ、誰もが味わうことではないでしょうか。「人は故郷を離れて貴し」という故事ことわざもあります。人の心理というのは複雑なもので、なかなか素直に成功を喜んではくれません。

 

 特に、自分よりも下に見ていた者の功績を素直に認めることは、とても困難だったりします。小さな成功に喜んでいると、そのくらいは誰でも出来ると言ってしまいます。人に出来ないでっかいことをやってから喜べと言いたくなります。いわば、やっかみですね。

 

 勿論、主イエスはここで、そんな心理的なことを仰っているわけではありません。主イエスの権威ある言葉、力ある業が故郷の者たちを不信仰へと駆り立てる結果となっているからです。「人々の不信仰に驚かれた」(6節)と記されています。神の言葉、神の御業を受け入れることを拒むので、主イエスは奇跡を行うことが出来なかったのです。

 

 この話には、もうひとつ考えるべきことがあると思います。というのは、マルコが福音書を記したのはAD66年ごろと想定されています。そのころ、主イエスの兄弟たちがキリスト教会の指導的な役割を担うようになっていました。

 

 一人はヤコブで、12使徒の一人ゼベダイの子ヤコブ殉教後、エルサレム教会の柱と目されるようになっています(使徒言行録12章17節、15章13節、ガラテヤ書1章19節、ヤコブ書1章1節)。また、ユダの名も知られています(ユダ書1節)。

 

 彼らが書いたとされる手紙を読む限り、主イエスの兄弟たちは熱心なキリスト者であり、よき指導者とされています。当然、彼らは主イエスに対して尊敬以上の信仰を持っていると思われます。それが、「親戚や家族の間」では敬われないとされているのは、どういうことなのでしょうか。

 

 最初はそうだったと言いたいのかも知れません。律法学者たちが主イエスを、「ベルゼブルに憑りつかれている」(4章22節)と非難していたとき、身内の者も、「あの男は気が変になっている」と言われて、主イエスを取り押さえに来たと記されていました(同21節)。

 

 しかしながら、さらに重要なことは、彼らが教会の柱として指導的な役割を果たすのは、主イエスの家族、兄弟姉妹だったからというのではありません。そうではなく、主イエスを信じる信仰のゆえであり、主イエスの僕として教会に仕え、人々に仕えているからであるということです。

 

 ヤコブは「神と主イエス・キリストの僕」(ヤコブ書1章1節)と言い、ユダも「イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟」(ユダ書1節)と言っています。彼らにかく言わしめた信仰の導き、主イエスとの信仰による出会いがあったのでしょう。

 

 第一コリント書15章7節に「次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ」とあるのは、12使徒のヤコブではなく、主イエスの弟ヤコブのことです。十字架にかかられた後、三日目に甦られた主イエスとの出会いを通して主を信じる信仰に導かれ、真の神の家族とされたということでしょう。

 

 自分の家族や郷里の人々に福音を伝え、信仰に導くのは、決して容易いことではありませんが、私たちを信仰に導き入れてくださった主が、私たちの家族をも同様に導いてくださると信じます。謙って日々主イエスの御言葉を聴き、その御業に触れて、信仰の確信に堅く立ち、導かれるままに祈り、主の福音を伝え、その恵みを証ししましょう。

 

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)。

 

 主よ、イエスは主であるという信仰に私たちを導きいれてくださり、心から感謝します。そこには聖霊の導きと働きがありました。御前に謙って絶えず御言葉に耳を傾け、御霊の導きに従って前進させてください。愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制という霊の実を豊かに結ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「そこでイエスは言われた。『それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。』」 マルコによる福音書7章29節

 

 24節に「イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた」と記されています。「ティルス」は、口語訳では「ツロ」と呼ばれていました。これは、シリアの国、フェニキア地方にある地中海沿岸の町です。

 

 ガリラヤの湖のほとりゲネサレトからおよそ60㎞、随分遠くまで足を伸ばされたものです。「だれにも知られたくないと思っておられた」(24節)と記されているように、主イエスは、ひっそりと過ごすために、ティルスまで来られたのです。

 

 そこに一人の女性がやって来ます。26節に「女はギリシア人でシリア・フェニキヤの生まれであった」と紹介されています。この女性が主イエスを訪ねてやって来たのは、幼い娘に取りついた悪霊を追い出してくれるよう頼むためでした(25節)。主イエスの評判を聞き、苦しんでいる娘のために主イエスのもとを訪ねて、願いを聞いてもらおうと思ったのでしょう。

 

 ところが、主イエスは自分の前でひれ伏している女性に、「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と答えられます(27節)。ここで、「子供たち」とはユダヤ人のこと、「小犬」とは異邦人のことを指していると考えられます。

 

 あなたのような異邦人にではなく、神に選ばれたユダヤ人に十分食べさせなければならない。そのために自分はやって来たんだ。ティルスの町に来たのは、人目を避けて休むためであって、異邦人のために働くことは考えていないといって、主イエスは、この女性の要請をはねつけられたかたちです。

 

 しかし、それが主イエスの本心だとは思えません。「小犬」というのは、家族に可愛がられているペットのことです。そこで、「まず」最初に「子供たち」と言われるユダヤ人に、それから「子犬」と呼ぶ異邦人にという、世界宣教の順序が示されているようです。

 

 しかしながら、女性はそれに満足しませんでした。順番が回ってくるのをゆっくり待つ余裕はそのとき、彼女にもその娘にもなかったわけです。彼女は、「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」(28節)と言います。主イエスが「小犬」といわれた言葉を差別と考えて、悲しんでいるのではありません。腹を立て、主イエスに食ってかかっているわけでもありません。

 

 主イエスの言葉を受け取り、そこからもう一度、主に自分の思いを伝えます。自分は、主人に「待て」と言われれば、そのとおりにするしかない「小犬」です。ご主人のものを取り上げて、「腹が減っているのだから、先に食べさせろ」などと要求出来る資格も権利も持ち合わせていないことは、十分承知しています。

 

 その時女性は、主イエスが「先ず子供たち、それから小犬」と仰ったのをしっかり受け止めながら、食卓の下にいる小犬が子どもたちのこぼしたパン屑を食べているという情景を思い浮かべたのではないでしょうか。

 

 順番を待たなければ食べられないというのではなく、主イエスがユダヤの人々のために用意している恵みの働きそのものがとても豊かなので、待っていなくても食卓の下に一杯こぼれ落ちて来る。床に落ちているものなら、小犬が頂いてもよいだろう。食卓で子どもと一緒に食べたいとか、先に食べさせろというのではない。子どもがこぼした余りもので自分たちは十分だということです。

 

 なんとウイットに富んだ言葉、機転の利いた発言でしょうか。驚くべき想像力です。それこそ、汚れた霊などではない、聖霊の導きと言わざるを得ないようなことでしょう。

 

 女性の言葉を聞かれた主イエスは、冒頭の言葉(29節)のとおり「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」と言われました。この「それほど言うなら、よろしい」という言葉をリビングバイブルは、「実に見上げたものです」と訳しています。

 

 原文を直訳すると「この言葉に従って」という言葉遣いですが、岩波訳は「そう言われては〔かなわない〕」と訳しています。この言葉遣いは、主イエスがこの女性の言葉に脱帽しているものだと解釈しているわけです。これは、主イエスがこの女性の信仰や謙遜さに心動かされての表現でしょう。

 

 そのような信仰が、異邦人の女性から示されるとは思っても見なかったということかも知れません。このことで、主イエスが見たいと思っておられる信仰とはどのようなものなのかということが示されます。

 

 ユダヤ人は、確かに神によって選ばれた民ですが、それは、彼らに選ばれる資格、値打ちがあったからではありません。取るに足りない、エジプトで奴隷として苦しめられていた民を神が憐れみ、御自分の民とされたのです(申命記7章6節以下)。

 

 そのことを、彼らは恩知らずにも忘れてしまっていたのでしょう。恵みをいただいて当たり前、自分たちには、神の恵みに与る資格がある、権利があると考えるようになっていたのです。

 

 ところが、神から遠くに離れていると思っていた異邦人女性が、驚くほど豊かな主の憐れみに信頼する姿を見せました。女性のその実に見上げた信仰の言葉に従って、主イエスは「わたしもあなたに言いましょう。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった」(29節)と仰ったわけです。即ち、もう既に彼女の願いは聞かれ、主の業が娘の上になされているというのです。

 

 主の足もとにひれ伏し、謙遜の限りを尽くしつつその豊かな憐れみに信頼する女性に「実に見上げた信仰」を見て主イエスは喜ばれ、栄光の御業を見せてくださいました。私たちも、どんなマイナス状況もプラスに変えることのおできになる主の恵みの豊かさをたたえる信仰の告白、賛美の祈りをささげましょう。

 

 主よ、この異邦の女性は、困難な状況の中で、主イエスの御前にひれ伏しつつ、その恵み深さにひたすら信頼し、大胆に憐れみを求めました。 私たちもこの女性に倣い、恵みの源なる主の御顔を仰ぎます。御言葉に耳を傾けます。御心に従います。御名の栄光を現してください。主の恵みと聖霊の導きが豊かにありますように。 アーメン

 

 

「すると、盲人は見えるようになって、言った。『人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。』」 マルコによる福音書8章24節

 

 22節以下に「ベトサイダで盲人をいやす」という小見出しのつけられた段落があります。マルコにだけ記されている奇跡物語です。

 

 アラム語で「漁師の家」という意味を持つ「ベトサイダ」の町に主イエスがやって来たということが伝わって、主イエスのもとに人々が一人の盲人を連れて来ました。そして、彼に触れて頂きたいと主イエスに願います(22節)。

 

 この「願う」というのは「パラカレオー」という言葉で、「慰める、励ます」とも訳されます。この言葉の名詞形は「パラクレートス」、ヨハネ福音書14章16節で「弁護者、助け主」と訳される言葉です。

 

 それは、聖霊に対する呼び名ですが、第一ヨハネ書2章1節では、御父のもとにおられる主イエスを「弁護者」と呼んでいます。主イエスは、7章31節以下で「耳が聞こえず舌の回らない人」を癒されたように、ここでも目の見えない人の癒しを懇願されて、助け主、癒し主としてお働きくださるわけです。

 

 主イエスは、盲人の手を取って町の外に出て行き、それから、目に唾をつけ、両手をその人の上に置かれました(23節)。目に唾をつけた後、両手をその人の頭に置かれました。それは、病を癒し、神の祝福を与える行為です(5章23節、6章5節、7章32節、8章23節、10章16節、16章18節)。

 

 耳が聞こえない人を癒されるとき、「エッファタ」(7章34節)と仰いましたが、今回は「何か見えるか」(23節)とお尋ねになりました。すると、冒頭の言葉(24節)のとおり、盲人は見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」と言いました。

 

 ここで、この盲人は、かつて視力があった人であるということが分かります。というのは、「見えるようになって」というのは「アナブレポウ」という動詞ですが、「ブレポウ」が「見る」、「アナ」は接頭辞で、「上に(up)」という意味と「再び(re)」という意味があります。

 

 「上に」と採れば、「見上げる(look up)」という意味になります。口語訳は「顔を上げて」と訳していますので、「上に」の意味に捉えたわけです。一方、「再び」の意味と採れば、「視力の回復(see again)」という意味になります。新共同訳、新改訳のように「見えるようになって」と訳しているのは、再び見えるようになったととらえているといってよいのではないでしょうか。

 

 実際、初めて視力を得た人であれば、見えて来たものが人なのか、木なのかを判断したり、また、動いているのを「歩く」と表現することなど、瞬時に出来るものではないでしょう。だから、かつて見えていたものが、何らかの理由で視力を失って、それがまた再び見えるようになったということですね。

 

 しかし、すっかりはっきり見えるようになったわけではありませんでした。人が木のように見えているというのです。しかし、歩いているのが分かるので、それが木ではなく、人が見えるといったわけです。それで25節、「イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えて来ていやされ、何でもはっきり見えるようになった」と記されています。

 

 主イエスが二度目に手を置かれて、はっきり見えるようになったというのですが、ここに、「よく見えて来て」、「いやされ」、「何でもはっきり見えるようになった」と、三つの動詞が用いられています。

 

 最初の二つはアオリスト(不定過去)形で、これは過去の一回的な経験を言い表すのに用いられるものです。三つめの「はっきり見えるようになった」は未完了形で「何でもはっきり見えるようになった」状態が今も続いているということです。

 

 ここに、視力の回復、癒しが段階を追って徐々になされたということが示されます。そして、癒しが徐々に行われたということは、それがとても難しい問題であったということ、しかし、それを癒す奇跡的な力を発揮されたということでしょう。

 

 ここで、視力というのは、単にモノを見るということだけではない、見ることで、その向こうにあるものを見ようとするというものでもあるということが分かります。25節の言葉で、「よく見えて来て」というのは「ディアブレポウ」で「見抜く、見通す」という意味があります。よく見て、一心に見つめて見抜くことから、分かる、理解出来るようになるということにもなるでしょう。

 

 17,18節で主イエスが「まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか」と仰っていましたが、ここでこの盲人は、繰り返し主に手を置いて頂くことで、自分に触れてくださるお方のことがはっきり分かるようになった、視力の回復だけでなく、霊的な目が開かれ、霊的な理解力も与えられたということでしょう。

 

 この盲人は、視力を失ったことで気力を失い、希望を失って、人々によって主イエスのところに連れて来られたのでしょうけれども、主イエスは彼を人々の間から村の外へ連れ出し、彼と一対一となられて、彼に繰り返し触れてくださいました。それによって視力を回復しただけでなく、気力を取り戻し、希望が与えられ、意気揚々と家に帰ることが出来るようになりました。

 

 その時主イエスは彼に、「村に入ってはいけない」と仰いました。村に入らずに家に帰ることが出来るのかというところですが、これは、真の視力、霊的な理解力を持たない人々のところで何を見せ、何を語っても、それを正しく受け取ることは出来ないということでしょう。奇跡を見ることで信仰を得るということにはならないということです。

 

 真の視力、霊的な理解力をお与えくださるのは主イエスであり、この盲人が人々の間から、ひとり主イエスに連れ出されたように、主イエスとの個人的な交わりを持つ必要があるということではないでしょうか。マタイ6章6節に言われているように、所謂、密室で祈るということです。

 

 それとともに、帰るべき場所がある、魂の真のホームともいうべき神の家、キリストを中心とした、主イエスの御名によって集う教会に帰って来るということでしょう(マタイ18章20節参照)。私たちの信仰生活には、そのような教会での交わりと、個人的な密室での交わりが必要だ、それによって、私たちの信仰的な理解は広げられ、深められていくということではないでしょうか。

 

 御言葉により、御霊の導きに与って、主イエスのこと、そして、主イエスが説かれた神の御国のことが、はっきり見えるようにならせていただきましょう。

 

 主よ、今日も御言葉に耳を傾ける恵みのときをお与えくださり、ありがとうございます。私たちの耳を開いて、聴くべき御言葉をしっかりと聴き取らせてください。私たちの目を開いて、この世の現実の向こうに、主の御業をはっきりと見させてください。また、将来に向けて、上からのビジョン、幻を見させてください。密室での主との個人的な交わりと、教会での信仰の交わりとが、共に豊かに祝されますように。 アーメン

 

 

「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」 マルコによる福音書9章19節

 

 2節以下に「イエスの姿が変わる」という小見出しの付けられた段落があります。これは、主イエスが受難と復活を予告された8章31節以下の物語の「六日の後」(2節)の出来事として、記述されています。

 

 主イエスが、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られました(2節)。この「高い山」について、伝説的にガリラヤ湖の南西20kmに位置する標高588mのタボル山だと考えられています。そこに、記念の会堂も建てられています。また、パレスティナの北方、レバノン山脈の南端にそびえるヘルモン山のことではないかと考える学者もいます。

 

 ただ、「ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて」山に登られたこと、そして「六日の後」というのが、モーセが従者ヨシュアと共に神の山、シナイ山に登った折り、六日間雲が山を覆っていて、七日目に主が雲の中からモーセに呼びかけられたという出来事を思わせます(出エジプト記24章12節以下)。 

 

 光り輝くお姿になった主イエスは、そこに現れたモーセ、エリヤと語り合われます(4節)。神の律法を授けられたモーセと預言者を代表するエリヤ、二人合わせて旧約聖書を代表しています。一方、主イエスは新約聖書の代表者です。この三人の共通点は、地上に墓がないということです。

 

 モーセはピスガとも呼ばれるネボ山で息を引き取り、葬られましたが、今に至るまでそれがどこなのか分かりません(申命記34章6節)。ユダヤの伝説では、天に引き上げられたことになっています。エリヤは、死を見ないまま火の戦車に乗って天にあげられたと、列王記下2章に記されています。主イエスは十字架に死なれた後、葬られましたが、三日目に甦られ、天に昇って行かれました。

 

 この山の上で弟子たちは「これはわたしの愛する子。これに聞け」(7節)という神の声を聞きました。主イエスが神の御子であることを、神ご自身が確証されたかたちです。その声がかかったとき、栄光の姿に変えられた主イエスが雲に覆われて何も見えなくなっていたときでした(7節)。神は、主イエスの栄光を見ることではなく、主イエスに聞くことを求められたのです。

 

 パウロが、「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ書8章17節)と言っています。神が主イエスに聞くことを求められたのは、主イエスに聞く弟子たちの信仰を導こうとされたということになります。

 

 主イエスとペトロたちが高い山に登っている間に、山のふもとで一つの事件が起こっていました(14節以下)。主イエスが山を降りて来られると、ほかの弟子たちが大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論をしていたのです。

 

 主イエスが群衆に向かい、「何を議論しているのか」とお尋ねになると(16節)、群衆の中にいた一人の人物が、「息子に憑りついてものを言えなくし、所かまわず引き倒す悪しき霊を追い出してくださるように弟子たちに頼んだけれども、できなかった」(17,18節)というように答えました。

 

 それを聞いて主イエスが語られたのが、冒頭の言葉(19節)です。ここで主イエスは、「信仰のない時代」(ゲネア・アピストス)を嘆いておられ、「いつまであなたがたと共にいられようか」と仰っておられますが、それは誰の信仰のなさが問題とされているのでしょうか。

 

 ここで「あなたがた」と言われているのは、群衆ということになりますが、子どもから悪霊を追い出してくれるよう弟子たちにお願いしたけれども、出来なかったという報告を受けての発言と考えると、それは弟子たちということも出来ます。

 

 また、信仰のなさということで問われているのは、悪霊を追い出すことが出来なかったという点でしょうか。そうかもしれませんが、しかし、もっと大きな問題は、霊に憑りつかれた息子とその父親を横においたままで、弟子たちと律法学者とが議論をしていたという点にあると思います。

 

 14節以下の段落の中で、弟子たちが口を開いたのは、28節で「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と主イエスに尋ねた時だけです。その問いに対して、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と主イエスが答えておられます(29節)。

 

 ということは、弟子たちは祈らなかったのでしょうか。祈らなかったとは思いません。むしろ、熱心に祈っただろうと思います。弟子たちは、前に二人組みで宣教に派遣された折、悪霊を追い出す経験をしています(6章7節以下、13節)。そのときも、祈りをもって霊を追い出したのだと思います。

 

 だから、今回も出来ると思ってやってみたところが、霊を追い出せなかったというので、そこに居合わせた律法学者たちと議論になっていったのでしょう。ということは、律法学者たちにもそれをすることが出来なかったということになります。律法学者たちに霊を追い出すことが出来たのなら、議論ではなく、弟子たちを一方的にやり込めたことでしょう。

 

 であれば、なぜ追い出せないのかということを、出来ない者同士で議論しても、何の解決にもなりません。もしかすると、彼らの議論は、何故子どもが悪霊に憑りつかれたのかと、子どもやその親の罪を問う内容のものだったのかも知れません。

 

 ところで、「なぜ、わたしたちは追い出せなかったのか」という質問をみると、弟子たちの関心は自分たちの力にあることが分かります。自分たちには霊を追い出す力、その権威があったと思うのに、なぜその力が発揮出来なかったのかと、主イエスに尋ねているわけです。つまり、彼らの祈りは、自分に与えられた力を発揮する手段ということになります。

 

 そうすると、彼らの信仰の対象は、彼ら自身の力ということになってしまいます。つまり、自信です。霊を追い出す自信があって、やってみたけれどもうまくいかなかった、それで自信を失った、面目がつぶれたということです。それで、なぜ出来なかったのかと尋ねているわけです。

 

 そう考えると、主イエスが嘆かれたのは当然です。「祈りによらなければ」というのは、悪霊を追い出す手段の問題ではないのです。祈りを聞かれるお方に対する信頼、まさに信仰が問題なのです。悪霊を追い出す力、権威を持っておられるお方により頼まなければ、出来ないということです。神がそれをなさるのでなければ、と言い換えてもよいでしょう。

 

 自信を失った弟子たちは、主イエスに問題を持ち出して、そこでようやく、「祈りによらなければ」という大切な御言葉を聴くことが出来ました。問題を解決してくださるのは神ご自身であり、神から遣わされた御子、主イエスご自身です。それが、「信じる者には何でもできる」(23節)と仰った主イエスの意図でしょう。「何でもできる」のは主なる神をおいてほかにはいないからです。

 

 私たちは、その主に信頼して祈りをささげればよいのです。主は祈る私たちのために最善をなしてくださり、私たちはその恵みと導きに与ることができるのです。「自信」ではなく、主イエスを信じる信仰によって、絶えず主に祈りをささげ、私たちのなすべきこと、進むべき道を教えていただきましょう。

 

 主よ、私たちが自分の内側に目を向け,自分の力、自分の知恵、経験などに頼るならば、あなたを失望させ、嘆かせるようなものしかありません。けれども、今、目をあなたに向けるように、あなたを信じて祈るようにと教えていただきました。御言葉と祈りによって、日々を歩みます。常に正しい道に導いてください。御名があがめられますように。御心が地になされますように。 アーメン

 

 

「イエスは、『何をしてほしいのか』と言われた。盲人は、『先生、目が見えるようになりたいのです』と言った。」 マルコによる福音書10章51節

 

 10章では、エルサレムへの途上、三度目の受難予告(32~34節)を挟み、十字架へと歩む主イエスに従う弟子たる者の姿勢、覚悟を求める言葉が告げられます(23節以下、35節以下)。そのことによって、受難の日が近づいてきていることが示されます。

 

 そうして、主イエスと弟子たち一行は、エリコの町までやって来られました(46節)。エリコの町からエルサレムまで27kmという距離です。主イエスが、弟子たちや大勢の群衆と町を出て、エルサレムに向かおうとされたとき、ティマイの子でバルティマイという名の盲人が、道ばたで物乞いをしていました(46節)。

 

 この出来事は、マタイにもルカにも記されていますが、盲人の名を記しているのはマルコだけです。「バルティマイ」とは、アラム語で「ティマイの子」という意味です。盲人の父親の名がティマイということで、つまり、盲人の本名は、他の福音書記者は勿論、マルコも知らないということになりそうです。

 

 バルティマイは、エリコの町を出て行こうとしておられる主イエスご一行の物音、ざわめきなどを耳にし、これは何事か、だれがお通りになるのかなどと、近くにいた者に尋ねたのでしょう。そして、それが主イエスの一行だと聞くと、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」(47節)と叫び始めました。

 

 バルティマイは、どこかで主イエスの評判を聞き、できればお会いしたい、そして見えるようにして頂きたいと考えていたのでしょう。そして、千載一遇のチャンスが突然訪れたのです。彼はそれを逃すまいと、叫んで主イエスを呼び止めます。

 

 すると、多くの人々が彼を叱りつけて黙らせようとしました(48節)。それは、主イエスご一行の歩みを妨げないようにとの配慮でしょうか。それとも、マルコで唯一、「ダビデの子」とバルティマイが呼んでいるのを、人々が好ましく思わなかったということでしょうか。

 

 それにもめげず、バルティマイはさらに叫び続けました(48節)。そしてついにその声が主イエスに届きました。主イエスは立ち止まり、「あの男を呼んで来なさい」(49節)といって、バルティマイを招かれました。

 

 この物語の直前で主イエスは、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命をささげるために来た」(45節)と仰っておられました。神は御口をもって約束されたことを、御腕をもって成し遂げられます(列王記上8章15節参照)。主は、ひたすら憐れみを求める人の叫びを無視されることはありませんでした。

 

 「わたしを憐れんでください」(47節)と叫んでいたバルティマイに、主イエスは「何をしてほしいのか」(51節)と尋ねられました。これは、弟子のヤコブとヨハネが進み出て、「願いをかなえてほしい」(35節)と願ったときに、主イエスが尋ねられたのとまったく同じ言葉です(36節参照)。

 

 二人は、「栄光をお受けになるとき、ひとりを右に、もう一人を左に座らせてください」(37節)と求めました。それに対して主イエスは、「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受けるバプテスマを受けることができるか」(38節)と仰いました。

 

 主イエスの栄光は、十字架を通して表されます。「わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」(38節)というのは、主イエスの十字架の右と左に、主と共につくことができるかと尋ねておられるわけです。ところが、ヤコブとヨハネは、それを理解しないまま、「できます」(39節)と答えています。

 

 「何をしてほしいのか」(51節)という主イエスの問いに対してバルティマイは、「目が見えるようになりたいのです」(51節)と答えています。すると主イエスは、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(52節)と応じられました。ヤコブとヨハネに対する対応との違いは歴然です。

 

 「目が見えるようになる」(アナブレポウ)というのは、「再び(アナ)+見る(ブレポウ)」で、視力が回復するという意味に解釈されますが、「アナ」には、「上に」という意味もあるため「アナブレポウ」には、「見上げる」という意味もあります。それで、今まで見えていなかった主を見つめたい、主を見上げたいという意味にとることも出来ます。

 

 もしもバルティマイが、視力の回復を願っていただけであれば、見えるようになると喜んで、主イエスに感謝はするでしょうけれども、やがてそこから離れて行ったことでしょう。ところが、彼はそうしませんでした。エルサレムへと道を進まれる主イエスに従う者となったのです(52節)。

 

 彼が主を仰いでいたい、もっと深く知りたいと願っていることは、弟子たちの無理解と比較すると、まさに対照的です。そして、主イエスはバルティマイのこの求めを、「あなたの信仰」と言って喜ばれたのです。

 

 バルティマイには、自分は主に喜ばれる信仰を持っているなどという思いはなかったでしょう。必死にお願いすれば、聞いてもらえるはずだとも思っていなかったのではないでしょうか。ただひたすら主の憐れみにすがるほかはないという、一途な思いだったと思います(47,48節)。そしてこれこそ、13節以下で主イエスが仰っておられる、「子供のように神の国を受け入れる」ことなのです。

 

 イスラエルでは、子どもは自分を主張する権利を持ちません。ものの数に入れてもらえない、取るに足りない存在と考えられています。子どものようになるということは、自分の資格や権利、力などに頼るのではなく、ひたすら神を信じる、自分を主に委ねるということです。そういう者に、神は御国の恵みを豊かにお与えくださるのです。

 

 バルティマイは、この後主イエスに従う者となりました(52節)。彼は、エルサレムに歓呼の声で迎えられる主を見ます。そして、「十字架につけろ」と叫ぶ群集を見ます。そして、十字架にかかられた主イエスを見ることになります。そうして、三日目に死を打ち破って甦られた主イエスにお会いすることが出来たでしょう。それが、彼の願ったことなのですから。

 

 常に主を仰ぐことが出来るよう、信仰の目を開かせて頂きましょう。御言葉を正しく聞くことが出来るよう、信仰の耳を開かせて頂きましょう。そして、何より神の国と神の義とを求める生活をする者とならせていただくことが出来るよう、信仰の心を開かせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちの信仰の目はすぐに曇り、そして見えなくなってしまいます。そして、見えなくなっていることに気づきません。いつも主にあって信仰の目を開き、主を見上げさせてください。耳を開き、御言葉に耳を傾けさせてください。神の国と神の義を求める生活をする者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、」 マルコによる福音書11章1節

 

 11章より、主イエスの生涯の最後の一週間の記述が始まります。一週間の出来事を記述するために福音書の3分の1の量を配分するということは、マルコ福音書の著者が書きたいと考えていた中心的な内容がここにあるということです。

 

 主イエスの生涯の最後、エルサレム入城(11章1節以下)から十字架の死、埋葬(15章33節以下47節まで)までの一週間を「受難週」と呼びます。冒頭の言葉(1節)のとおり、いよいよ主イエスがエルサレムの町に近づいて来られました。受難週の始まりです。

 

 ここにいくつかの地名があります。ベトファゲはエルサレムから東へ約1km、オリーブ山の南、現在のケフル・エ・トゥールと同定されており、それは山のふもとではなく、山腹にあります。ベタニアはそこから2km、オリーブ山の東麓にある村で、現在のエル・アザリエと同定されています。

 

 ということは、エリコからベトファゲからベタニアへと進むというのは順序が逆で、エルサレムから遠ざかることになります。正しく言うなら、「オリーブ山のふもとにあるベタニアから山腹のベトファゲにさしかかったとき」ということになります。恐らく、著者はエルサレム周辺の地理について、正確な知識を持っていなかったのでしょう。

 

 主イエスはベトファゲの村から子ロバを調達しました(2節、マタイ21章1節参照)。「主がお入り用なのです」というと、すぐに子ロバを貸してくださったというのですから(3,6節)、予め約束が出来ていたのでしょう。そうでないとしても、主イエスを信じている人の持ち物だったのでしょう。

 

 ベトファゲとは「未熟なイチジク(ファゲ)の家(ベト)」という意味です。未熟という名のつく村から、まだ誰も乗ったことのない子ロバ、つまり未熟なロバが調達されたということになります。

 

 主イエスはここから子ロバに乗られ、弟子たちと共に山を下るようにしてエルサレムに向かわれました。未熟な子ロバですから、転ばないかどうか、弟子たちも周りの人々も、そして子ロバ自身も心配だったことでしょう。

 

 ローマ総督をはじめ支配者たちは、馬や馬車に乗って颯爽とエルサレムに入城して来ました。それに引き換え、子ロバに乗られた主イエスのお姿は、滑稽にさえ思われたのではないでしょうか。

 

 ただ、そこには脅威を感じさせるものはまったく存在しません。誰もが主イエスのところに、安心して近づくことが出来ました。主イエスと弟子たちは、多くの人々の「ホサナ」(9節)と叫ぶ歓呼の声に迎えられて、エルサレムに入られたのです。

 

 「ホサナ」はヘブライ語「ホーシーアー・ナー」のギリシア音訳で、詩編118編25節にある「わたしたちに救いを」という意味の言葉ですが、その言葉本来の意味は失われて、ただ単に、賛美に伴う感嘆詞のように(マタイ21章9,15節、ヨハネ12章13節)、あたかも尊敬や挨拶の言葉であるかのように、「ごきげんよう」とか「栄光あれ」というように誤って解されるようになっていたようです。

 

 入城された主イエス一行は、都を見て回られた後、夕方になったので、ベタニアに出て行かれました(11節)。ここは、マルタ、マリヤ、その兄弟ラザロの住む家のあった村です(ヨハネ福音書11章1節、12章1節など)。主イエスは、エルサレムにおいでの時は、この家を宿舎としておられたようです。また、重い皮膚病を患ったシモンの家もありました(マタイ26章6節など)。

 

 ベタニアとは、「悩む者、貧しい者(アニヤ)の家(ベト)」という意味です。宿を取るには、エルサレムの街中のほうが容易かったでしょう。ベタニアのような小村には宿屋はなかったと思われます。けれども、病いに苦しみ、悩み、悲しむ者に寄り添い、共に歩まれた主イエスにとって、相応しい宿所だったのです。

 

 主イエスは、私たちの病いを負い、罪の呪いを身に受けて十字架で殺されるため、エルサレムに来られました(マタイ8章17節、ヘブライ9章28節、第一ペトロ2章24節など)。それによって救いの道、命の道を開かれるためです(ヨハネ14章6節参照)。

 

 私たちは、主イエスを信じる信仰によって救いの恵みに与り(エフェソ2章8節)、神の子とされ、永遠の命を得ることが出来ました(ヨハネ1章12節、3章16節)。主イエスを信じ、主がご自分の命によって開かれた救いの道、真理と命の道を、賛美しつつ、感謝しつつ日々歩ませていただきましょう。

 

 「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福がありますように。いと高きところにホサナ」。神の独り子主イエスを私たちの生活の中心、心の玉座にお迎えします。どうか私たちの人生を、あなたの御心のままに導き、わたしたちをあなたが望まれるとおりに造り変え、あなたの御業のために用いてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。」 マルコによる福音書12章24節

 

 12章には、「ぶどう園と農夫」のたとえ(1~12節)、皇帝への税金(13~17節)、復活についての問答(18~27節)、最も重要な掟(28~34節)、ダビデの子についての問答(35~37節)など、宗教指導者たちとの問答が集められ、そして、律法学者を非難する主イエスの言葉(38~40節)の後、最後にやもめの献金に対する主イエスの評価(41~44節)を記しています。

 

 その中で、18節以下の「復活についての問答」の段落に目を留めました。それは、主イエスとサドカイ派の人々とのやりとりです。

 

 サドカイとは、ダビデ・ソロモン時代に神に仕えた祭司ツァドクに由来する名前ではないかと考えられています。ツァドクはソロモンのときに大祭司となり、その子孫が正統の祭司として尊ばれるようになりました。主イエスの時代、サドカイ派は祭司の家族によって構成された貴族階級で、彼らの中から大祭司が選ばれていました。

 

 サドカイ派の人々は、モーセ五書(創世記~申命記)だけを正典として認め、それを字義通りに解釈して教えていました。そのため、肉体の甦り、未来における罰と報い、天使や霊の存在という教理を否定していました。これらのことがモーセ五書には記されていないというのが、その最大の理由です。

 

 19節の「ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない」という言葉は、申命記25章5節に記されている規定で、このような制度をレビラート婚と言います。「レビラート」とは、ラテン語で「夫の兄弟」を意味する「レウィル(levir)」に由来します。

 

 この規定に従って、7人兄弟の長男が結婚して、子がなくて死に(20節)、そのために二男が兄嫁を妻としましたが、やはり子をなさないまま死に(21節)、そのようにして7男まで次々と結婚したけれども、いずれも子が与えられずに死に、最後にその女性も亡くなったという場合(22節)、その女性は復活後、誰の妻とされるのかと、主イエスに質問しました(23節)。

 

 サドカイ派の人々の意図は、モーセによって制定されたレビラート婚が、ファリサイ派の復活信仰とは矛盾していることを示すことで、それを主イエスの受難予告の中で「三日の後に復活する」と告げておられたことに対応させているわけです。なかなか、悩ましい問題ではないでしょうか。

 

 この件について、律法学者たちは、その女性は長男の妻とされるという統一見解のようなものを持っていたようです。しかしながら主イエスは、その双方を批判する形で、冒頭の言葉(24節)のとおり、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」と反問されています。

 

 サドカイ派の人々が聖書を知らないはずはありません。レビラート婚に関する規定が聖書のどこに記されているのかを知っていますし、それを、復活を否定する材料に用いることも出来ます。けれども、聖書が生ける神の御言葉であり、この御言葉は、神の御旨を実現する力あるものであることを忘れているか、知らないでいるのです。

 

 主イエスは、「死者の中から復活するときには、天使のようになる」(25節)と語られました。天使の存在も信じられないサドカイ派の人々には、ますます分からない言葉でしょう。しかし、実際に天使とはどのような存在なのでしょうか。誰も正確に答えることは出来ないものでしょう。

 

 つまり、どのように復活するのかということについて、私たちが予め知ることは出来ない、それは、神の主権の中にあると仰っておられると聴くべきだと思います。しかし、復活はあるのかないのかということであるならば、答えは「復活はある」です。主イエスは、「復活するときには、天使のようになる」と仰っておられからです。

 

 さらにそのことを、サドカイ派の人々の拠って立つモーセ五書の中から、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という出エジプト記3章6節の御言葉を取り上げて、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」(27節)と教えられました。

 

 アブラハム、イサク、ヤコブは、イスラエルの始祖で、紀元前2000年ごろに生きていた者たちです。モーセが生きていたのは紀元前1300年ごろと考えられています。つまり、モーセにとって、アブラハム以下の始祖は、すでに死んでいるご先祖様です。

 

 けれども、「わたしはアブラハムの神であった、イサクの神であった、ヤコブの神であった」と、過去形で言われてはいません。そうではなく、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と、現在形で語られています。つまり、この言葉が語られた時、アブラハム、イサク、ヤコブは生きている存在だったということです。

 

 27節の「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」という宣言は、今も主なる神は、イスラエルの父祖たちの神であられるということです。ということは、イスラエルの父祖たちは過去の存在ではなく、今も死後の命を主と共に生きていると言い表しています。

 

 私たちが御言葉を学ぶとき、その言葉の意味や内容を理解することに留まらず、それが神の御言葉であること、新しい御業を私たちの内に引き起こし、主が神であられることを力強く示すものであることを理解するよう、私たちに求めておられるのです。

 

 私たちは、そのような聖書と神の力を知っているでしょうか。知らないまま、思い違いをしてきたのではないでしょうか。もう一度神の御前に鎮まって、生ける神の口から出る一つ一つの言葉に耳を傾けましょう。そこに、永遠の命の言葉があるからです。

 

 主よ、御言葉を感謝します。私たちは聖書と神の力を知りません。どうか教えてください。味わわせてください。アブラハムが、イサクが、ヤコブが、モーセが御声を聴いたように、私たちにも聴かせてください。その御言葉によって、真に生きる者とならせていただくことができますように。 アーメン

 

 

「イエスは言われた。『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。』」 マルコによる福音書13章2節

 

 13章は「マルコの小黙示録」と言われます。これは、2節の神殿崩壊の予告を受けて、その予兆について弟子たちが尋ねたことに(4節)、主イエスがお答えになったというもので(5節以下)、いわゆる訣別説教のかたちになっています。

 

 特に、偽メシア、偽預言者の惑わしに気をつけるよう、2度警告されています(6,21,22節)。惑わされないように、真のメシアである主イエスの言葉に絶えず耳を傾け、主にゆだねられた使命、特に、主を証しし、福音を宣べ伝えるために、忍耐強く働くことが求められています(9,10,34節以下)。

 

 その中で、今日は冒頭の主イエスの言葉(2節)に注目しました。主イエスとその弟子たち一行が詣でているエルサレムの神殿は、ヘロデ大王がBC19年に修築に着手し、約10年間で大部分の修復を終えましたが、最終的に竣工するのはAD64年です。ということは、弟子たちが見ている神殿は、AD30年前後のことですから、まだ修復工事中ということになります(ヨハネ福音書2章20節も参照)。

 

 エルサレム神殿の礎石や西壁は今に残されており、その壮麗さ、堅牢さを窺い知ることが出来ます。その意味では、弟子の一人が冒頭の言葉(1節)のように、感嘆の声を上げるのも無理はないだろうと思います。しかしながら、神殿の壮麗さ、堅固さが国を守り、民を守るわけではありません。

 

 かつて、ソロモンは国の威信をかけて、7年で立派な神殿を建てました。それは、シェバの女王をして、息も泊まるような思いにさせるものでした。けれども、その神殿は、紀元前587年にバビロンによって焼かれ、エルサレムの都も破壊されてしまいました(列王記下25章8節以下)。

 

 その後、イエシュアとベルゼブルの指導によって再建され(エズラ記6章13節以下)、ヘロデ大王によって大規模に増改築されて、弟子たちが感嘆の声を上げた第二神殿も、紀元70年、エルサレムの町を包囲したローマ軍と戦う熱心党が立て籠もった最後の砦となり、ついに陥落炎上しました。以後、イスラエルの民は国土を失い、世界中に散らされることになります。

 

 イスラエルの民が期待した神風は、そのとき残念ながら吹きませんでした。むしろ、冒頭の言葉通り、「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」というようになったわけです。

 

 ただ、文字通り、「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」ということが起こったわけではありません。上記の通り、現在イスラム寺院となっているエルサレムの神殿の西の壁や神殿の礎石は、ヘロデ大王の建てた神殿の名残です。今後、それが粉々に破壊されるときがくるということを予言しているわけでもないでしょう。

 

 ここで主イエスが仰っているのは、人間の業を積み上げて天に達しようというような試みは成功しないということです。結局、バベルの塔を建設しようとしたときとと同様(創世記11章)、人々は全地に散らされることになったのです。

 

 勿論、神殿など建てるなと言いたいのではありません。静岡教会は、1953年に会堂を建てました。大牟田教会は、2010年に新会堂を建てました。けれども、会堂が私たちの信仰を守り、祝福してくれるわけではありません。

 

 会堂に集う私たちキリスト者の、主なる神を礼拝する真実な礼拝がそこにあるかどうかが問われるのです。主イエスは11章15節以下で、祈りの家であるべき神殿が、強盗の巣になってしまっていると言われていました。

 

 私たちはどうでしょう。霊と真実による礼拝をなしているでしょうか。主イエスを信じ、その御言葉を神の言葉として真剣に聴いているでしょうか。祈りによる主との交わりが充実しているでしょうか。賛美と喜びが満ち溢れる生活でしょうか。

 

 主なる神は、私たちの心の内側を御覧になります。到底、あなたの信仰は立派だと仰っていただけるものでないことを、自分自身がよく知っています。どんなに立派そうに見せかけても、熱心そうに見せかけても、それで主を誤魔化すことは出来ません。

 

 パウロが、「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」(ガラテヤ書1章10節)と言っています。

 

 信仰によって神を喜び、神に喜ばれる歩みをさせていただきたいと思います。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ記8章10節)と言われる主の御言葉のとおりです。聖霊に満たされ、主に向かって心からほめ歌いましょう(エフェソ書5章18,19節)。

 

 主よ、自分のしていることが人の目にどう映るか、絶えず気になります。しかし、主がどう見ていてくださるかを考えていませんでした。勿論、人々の躓きの石になりたくはありません。御言葉の光で私の心を照らし、御前に相応しくない思い、考えなどを取り除き、清めてください。聖霊が心を満たし続けてくださいますように。 アーメン

 

 

「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った。」 マルコによる福音書14章12節

 

 14章は、「過越祭と除酵祭の二日前になった」(1節)という、主イエスの受難の日がいよいよ近づいたということを示す言葉から始まります。「過越祭と除酵祭の二日前」は、木曜日です。宗教指導者たちは主イエスを捕らえて殺そうと計画しますが(1節)、「祭りの間はやめておこう」(2節)と考えていました。祝祭を血で汚すわけにはいかないからでしょう。

 

 彼らの考えを他所に、主イエスはベタニヤで重い皮膚病の人シモンの家で食事の席に着いていたとき、一人の女から非常に高価なナルドの香油を一度に全部頭に注ぎかけられました(3節)。周囲にいた人はその無駄遣いを非難しましたが(4,5節)、主イエスはそれをご自身の埋葬の準備として受け止められました(8節)。

 

 この出来事が、宗教指導者による主イエスの殺害計画(1,2節)とイスカリオテのユダの裏切りの企図(10,11節)の間に置かれています。そのような悪意、敵意の中でも、神の救いの御業は麗しい香りをもって着実に進められているということを、ここにはっきりと示しています。

 

 そして、冒頭の言葉(12節)に「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日」と言われます。過越の小羊は、アビブの月(ユダヤの正月)の14日、金曜日の午後に屠られて、その夕方6時過ぎ、即ち、イスラエルにおいて15日、土曜日に過越祭が始まるところで過越の食事をします(レビ記23章5,6節、出エジプト記12章6節以下)。

 

 今から3500年ほど前、イスラエルの民は、エジプトの国の奴隷にされていました。その嘆きの声を聞かれた主なる神が(出エジプト記3章7節以下)、モーセを指導者に立ててエジプトのファラオのもとに遣わされます(同5章1節以下)。その際、杖を蛇に変え、懐に入れた手が重い皮膚病になり、ナイル川の水を血に変えるという徴を授けられました(同4章1節以下)。

 

 モーセは、エジプトの王にイスラエルの民を解放するようかけあいますが(同5章1節以下)、なかなか上手くいきません。神がモーセを通してエジプトに災いをもたらされると、その時には民を去らせてもよいと王は言いますが、災いが過ぎ去ると、前言を翻してしまいます(同7章14節以下参照)。

 

 そこで決め手となったのが「過越」の出来事です(同11章以下)。それは、エジプト中の長子、母親の胎を最初に出た男の子が、それは人だけでなく家畜も、神によって皆殺しにされたという大変な事件です。ただ、イスラエル人の家だけは、その災いに遭いませんでした。それは、神の言いつけを守ったからです。

 

 主なる神は、イスラエルの人々に予め一歳の雄の小羊を屠らせ、その血を取って家の入り口の二本の柱と鴨居に塗らせました。小羊の血が入り口に塗られている家には、災いが及びませんでした。滅ぼす者がその家を何もせず通り過ぎたので、「過越(pass over)」と言われるのです。

 

 イスラエルの民はその日、取るものも取り敢えず急いで脱出するために、主の指示に従って、酵母菌を入れずにパンを焼いて食べました。この出来事を記念するため、「過越」祭から七日間、酵母菌を入れないパンを焼いて食べる「除酵祭」を守るのです。その「過越の食事」が、生前の主イエスにとっての最後の食事となりました。それで、「最後の晩餐」と言われるわけです。

 

 ところで、少々小難しいことを申しますが、もしも「最後の晩餐」が「過越の食事」であれば、主イエスが十字架につけられたのは、過越祭の最中、即ち安息日ということになります。それは、仕事をしてはならない日です。しかも、イスラエルの民にとって最も大切な祝いの日です。

 

 主イエスはその食事の後、オリブ山に出かけ(26節)、ゲッセマネの園で祈りをささげた後(32節以下)に捕えられ(43節以下)、大祭司カイアファの家に連行されました(53節)。そこにサンヒドリンの議員が集まっていて裁判が行われ(53節以下)、死刑が宣告されます(64節)。

 

 過越祭の最中、安息日に議会が招集され、裁判を行うことなど絶対にないと断言することは出来ませんが、しかし、極めて考え難いところです。むしろ、ヨハネ福音書13章1節に「過越祭の前のこと」といって、最後の食事の席での出来事が記されているように、これは「過越の食事」というより、「過越イブの食事」といった方がよいのではないかと思われます。

 

 特に、過越の食事のメインディッシュ、屠られた小羊の肉を食するというところですが、最後の晩餐には、小羊の肉が登場しません。過越の食事のために屠られる小羊とは、主イエスご自身のことです。ヨハネが、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29,36節)と記しているとおりです。

 

 いずれにせよ、過越とそれに続いて守られる除酵祭のときに、主イエスは十字架にかかって死なれ、三日目に復活されて救いの御業を完成されました。私たちは、キリストの犠牲により、罪の呪いから解放され、死の災いから守られることになりました。私たちの命の戸口にキリストの血が塗られ、死の災い、罪の呪いが過ぎ越したわけです。なんと有り難いことでしょうか。

 

 話を元に戻して、弟子たちが、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」(12節)と、過越の食事をする場所について尋ねています。原文を直訳すると、「あなたはどこに行きたいと思われますか。あなたが過越の食事をなさるために私たちが準備をするとすれば」という言葉になります。

 

 つまり、過越の食事をなさるのは主イエスで、弟子たちは主の僕として、食事の席の用意をするというのです。そしてそのために、どこに行けばと尋ねているわけです。

 

 主イエスは「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい」(13~15節)と答えられました。

 

 

 ここで、その家の主人が用意された部屋を見せてくれるということは(15節)、主イエスと家の主人との間に密接な関係があり、予め話がついていたということでしょう。であれば、過越の食事の準備は、弟子たちによらず、主イエスが既にしておられたということです。

 

 あるいはまた、主イエスが聖霊の導きによって、奇跡的に部屋のある家の主人のことを察知されたということかも知れません。そうであれば、それは父なる神の備えと言ってもよいでしょう。

 

 この後、過越の食事を中心に、弟子たちの裏切りが明らかになっていきます。しかしながら、弟子たちの裏切りが、主の救いの御業の妨げとなったというのではありません。むしろ、この裏切りのゆえに、過越祭において過越の小羊として主イエスが屠られることになるというわけです。

 

 つまり、除酵祭の折りに主イエスが十字架につけられたのは、決して偶然などではなく、神の深いご計画に基づいてのことだったということです。その計画に基づいて、最後の晩餐が用意され、弟子たちの裏切りさえも、その準備のために用いられたということです。

 

 弟子たちの裏切り、特にイスカリオテのユダの裏切りが、予め定められていたことだとは申しません。なぜ彼がそのような思いになったのか、昔から様々な議論がありますが、マルコはそこに全く触れてはいません。

 

 その代わりに、18節の主イエスの弟子による裏切り予告を聞いて、12人が皆、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言ったと記しています。即ち、誰も裏切り者になろうとは思っていないけれども、誰もが裏切り者になるということでしょう。

 

 主イエスは最後に、「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切る者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(21節)と言われました。なんと悲しい言葉だろうかと思います。それは、裏切られる主イエスご自身の悲しみ、痛みの込められた言葉でしょう。

 

 もしも、主イエスの死が、すべての人の罪を贖う赦しと救いの死でなければ、「生まれなかった方が、その者のためによかった」という言葉そのままの報いを受けなければならなくなったことでしょう。しかしながら、主イエスは十字架で贖いの死を遂げてくださいました。

 

 私たちは、どのような者でも、主イエスの救いの恵みに与り、「生まれてきてよかった」といわせていただくことが出来るのです。そのために、主が過越の食事の準備を、すべて整えてくださったのです。

 

 今、その恵みに与った者として、心から主に感謝と賛美をささげましょう。御霊に満たされ、主イエスの恵みを大胆に証する者となりましょう。日々主の御言葉に耳を傾け、御心を行う者とならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたの深い憐れみと、その御計画に基づく贖いの御業によって私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命に与りました。救いの恵みを賜わったことを心から主に感謝します。御霊の満たしと導きに与り、主イエスの恵みを大胆に証しさせてください。日々主の御言葉に耳を傾け、御心を行うものとならせてください。 アーメン

 

 

「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った。」 マルコによる福音書15章39節

 

 最高法院で死刑が確定し(14章64節)、主イエスの身柄は、総督ピラトに引き渡されました(1節)。それは、その時、ユダヤの当局者に死刑を執行する権限がなかったからです(ヨハネ18章32節)。そうでなければ、主イエスは主の御名を汚し、神を冒涜した廉で(14章64節)、石打ちという方法で処刑されることになっていました(レビ記20章1節以下)。

 

 十字架刑になったのは、主イエスがローマの法で裁かれることになったからです。パウロが申命記21章23節を引用しつつ、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」(ガラテヤ書3章13節)と言っています。十字架刑であればこその解釈です。

 

 ピラトは、祭司長たちがイエスを引き渡したのは妬みのためだと分かって(10節)釈放しようとしましたが(9,12節)、祭司長たちに扇動された群衆の「十字架につけろ」(11,13,14節)という要求に押し切られて、イエスを鞭打った後、十字架につけるために引き渡します(15節)。

 

 十字架につけられた主イエスの周りには、色々な人々がいました。まず、主イエスを十字架につけたローマの兵士たちがいます(24節)。彼らは、主イエスを侮辱して引き出し(17節以下)、刑場となるゴルゴタ(「されこうべの場所」の意)というところまで担いで運ばせ(21,22節)、イエスを裸にして十字架に釘で打ち付け、その服をくじ引きしました(24節)。

 

 また、そこを通りかかって、主イエスを侮辱する人々がいます(29,30節)。主イエスのエルサレム入城を「ホサナ」と歓呼の声をもって迎えた人々が(11章9節)、一週間もたたないうちに、主イエスを十字架につけるように要求し、そして、散々罵るのです。上述のとおり、彼らは祭司長らに扇動されていました(11節)。群集心理の怖さを見る思いです。

 

 そして、祭司長たちも、代わる代わる主イエスを侮辱しました(31,32節)。これも上述のとおり、彼らが妬みの故に主を殺そうとしていることを、ピラトに見抜かれていました(10節)。磔刑を受けている主イエスを見上げて、彼らはどんな喜びを味わっているのでしょうか。それはしかし、歪んだ喜び、サタンを喜ばせる喜びでした。   

 

 さらに、主イエスの両側に二人の強盗が十字架につけられています(27節)。マルコは、この二人も、主イエスを罵ったと報告しています(32節)。これは、自分たちの苦しみのゆえに主イエスを罵るという、八つ当たり的なものでしょう。

 

 一方、遠くから見守っている婦人たちがいます(40節)。彼女らは、ガリラヤから主イエスに従って来て世話をしておりました(41節)。そして、遺体を納める墓を確認することさえします(47節)。それは、後で主イエスの遺体に香油を塗るためでした(16章1節)。逃げてしまった弟子たちとは大違いというところです。

 

 ここで、注目すべきは、冒頭の言葉(39節)に登場する百人隊長です。彼は主イエスの方を向いて、傍に立っていました。現場責任者として、主イエスの処刑を監督していたのです。その彼の口から出たのは、なんと、「本当に、この人は神の子だった」という、全く思いがけない言葉でした。

 

 これは、大声で語られた言葉ではないでしょう。ほとんど呟きのようなものだったと思います。だれかれに向かって語られたわけでもないでしょう。それなのに、どうして福音書に記されることになったのでしょうか。

 

 想像をたくましくして考えると、後にこの百人隊長がクリスチャンとなり、自分が信仰を与えられたのは、この主イエスの十字架を見上げ、息を引き取る様を見ていた時だと、人々に語り知らせたからではないでしょうか。すなわち、この言葉はただの呟きではなく、百人隊長の信仰の表明なのです。さらに、「主イエスに目を注いでいれば、誰でも彼が神の御子であることが分かる」と人々に奨めたのでしょう。

 

 祭司長たちは妬みで真実をまっすぐに見ることができず、彼らに扇動された群衆も目が曇らされ、主イエスの弟子たちは裏切って散り散りに逃げ去ってしまい、女性たちも遠く離れて主を見ているだけでした。そんなとき、異邦人の百人隊長だけが傍近くで主を仰ぎ、特に何かを語り、何かをなさったわけでもない十字架の主イエスに、真の「神の子」を見ることができたのです。

 

 そのことについて、38節に「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」と記されています。「神殿の垂れ幕」は聖所と至聖所を区切る分厚い幕であり、垂れ幕の奥、即ち至聖所は、大祭司が一年に一度しか入れない場所でした。つまり、大祭司以外、至聖所の中を見ることはだれにも出来なかったわけです。

 

 垂れ幕が裂けてしまったということは、聖所と至聖所を隔てるものがなくなったということであり、神殿の入り口から至聖所の中が見えるようになったということです。つまり、それは、見ようと思えばだれもが主なる神を見ることができるということであり、ひとりでに垂れ幕が裂けたということは、主なる神ご自身がそれをなさったということでしょう。

 

 即ちそれは、主なる神がだれにでもご自身を現してくださるという象徴的な出来事だったということです。だから、ユダヤ人ではない百人隊長が、主イエスを「本当に、この人は神の子だった」と言い得たわけです。 

 

 耳を開いて主の御声を聴き、目を開いて主イエスを仰がせて頂きましょう。分かっただけの主イエス様に、あるがままの自分をささげて、従って参りましょう。

 

 天のお父様、私たちの罪を贖うために十字架にかかられた主イエスを神の御子、救い主と信じる信仰に導いてくださり、感謝いたします。常にイエスを主と告白する生活のために、主の御言葉に耳を傾けます。そして、聖霊の導きに従って歩みます。私たちの証しを通して、キリストのよい香りが家族に、周りの人々に広げられますように。 アーメン

 

 

「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」 マルコによる福音書16章17,18節

 

 16章は、聖書学者の研究の成果により、本来8節で終わっていたと考えられています。9節以下の段落は、〔 〕に囲まれていて、これはもともとマルコ福音書になく、後代の人が付加したものですが、年代的に古く重要なものだということを示すしるしです。

 

 主イエスの復活について報告する記事、そしてマルコの福音書が、「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(8節)という言葉で閉じられるのはおかしいと考えた後代の人が、他の福音書の記事を参考にして結びがを付加したようです。

 

 長い結び(「結び一」)が付加された写本と、短い結び(「結び二」)が付加された写本という具合に、写本によって巻末に違いがあります。そして、シナイ写本、バチカン写本などの重要な写本には、そのいずれの結びも付加されてはいないのです。

 

 マルコが「恐ろしかったからである」で筆を置いたのは、その後のキリスト教会の歩みが人の考えや働きなどによるのではなく、もっぱら主なる神によって進められてきたものであり、これこそまさに、主イエスが甦られた証拠だということを伝えたかったからではないでしょうか。

 

 だからということでもありませんが、4節の「(石は既にわきへ)転がしてあった」や、6節の「(あの方は)復活なさって」は、受け身形です。つまり、石はわきに転がされ、主イエスは復活させられたということす。そして、石を転がし、主イエスを復活させられたのは、天の父なる神であられるというわけです。

 

 冒頭の言葉(17,18節)は新共同訳聖書において、「結び一」と記された9節以下の段落の中にあります。冒頭の言葉を含む15節以下の主イエスの言葉は、置かれている位置からも、主イエスの遺言ともいうべき内容になっています。

 

 その言葉の初めに、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(15節)と告げられています。聖霊の力を受けたキリストの教会は、この御言葉を忠実に実行しました。ヨーロッパに福音が伝えられ、またアジア各地に教会が建てられ、470年前、極東の日本にも伝えられました。

 

 戦国時代、宣教師たちを運んできた舟で鉄砲がもたらされたこともあり、キリストの教えが全国にもたらされ、各地に指導者を養成する神学校が建てられるまでになりました。さらに、九州のキリシタン大名の名代として、4人の少年がヨーロッパに派遣され(天正遣欧使節団)、ヨーロッパ各地で大歓迎を受けて、無事戻ってきました。

 

 禁教、鎖国によって、宣教の働きが中断されましたが、信者たちは密かにその教えを代々語り伝えて来ました。明治の代に、信仰を守り通した人々が現れて、世界を驚かせました。また、開国後、プロテスタントの宣教師が、次々と日本にやって来るようになりました。わがバプテストの宣教師が伝道を始めたのは、130年ほど前のことです。

 

 16節に「信じてバプテスマを受ける者は救われる」という約束が語られ、また、「信じない者は滅びの宣告を受ける」とも言われます。ここに、全世界の福音宣教命令に従うべき根拠が示されます。宣べ伝えられた福音を信じてバプテスマを受けた人は、誰でもどんな人でも救われるのです。

 

 ところで、冒頭の言葉(17節)には、信じる者には「しるし」がついて来ると言われています。「しるし」とは、原文で「セイメイオン」という言葉で、マルコ福音書の中では、あまり肯定的な意味で用いられて来ませんでした。

 

 8章11節以下で、「しるし」を求める人々のことを、主イエスが嘆かれています。13章4節では、終末が実現するときの「徴(しるし)」について尋ねた弟子たちに対して、世の終わりの前に起こることが語られてはいますが、これぞ、「ザ・徴」というものは、明示されませんでした。

 

 13章22節では、「偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとする」と言われます。つまり、「しるし」に惑わされるなということでしょう。

 

 そういう意味で言うと、冒頭の言葉は、確かにマルコ本来の言葉遣いではなさそうです。「しるし」について、肯定的積極的に語るのは、ヨハネです(ヨハネ福音書2章11,23節、3章2節、4章54節、6章2,26節など)。

 

 信じる者に伴う「しるし」とは、信じる者は奇跡を行うことができるということではありません。というのは、20節に「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」と記されています。つまり、その「しるし」とは、私たちの宣べ伝える福音が、真実であることを示すものだということです。

 

 冒頭の言葉にある「しるし」のリストの中に、「新しい言葉を語る」という言葉があります。「新しい言葉」とは「新しい舌」という意味の言葉で、岩波訳では「新しい異言」と訳されています。「異言」について、聖霊派と呼ばれる人々の集会以外で、肯定的な評価を聞くことは、殆どありません。むしろ、異様なものと評価されることが多いようです。

 

 しかし、聖書がここで肯定的に語っていることに心を留めるべきです。福音が真実であることを示す「しるし」とされているからです。また、「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します」(第一コリント書14章18節)とパウロは言い、また、「異言を語ることを禁じてはなりません」(同39節)と語っています。

 

 異言について「熱狂的忘我状態で語られる」といった説明もよく見かけますが、私の知る限り、忘我状態で異言を語る人はいません。勿論、異言を語ることが重要なのではありません。主の命令に従えばよいのです。ただ、主を信じて、命じられるままに福音を告げ知らせていれば、それが真実である「しるし」として、必要に応じて異言が与えられることもあるということです。

 

 主イエスの周りでは、そして初代の教会には、ここに示された「しるし」が多く表れました。それだけ、熱心に福音宣教がなされたということでしょう。それに伴って、神の奇跡的な御業も現れたということです。ここに、「しるし」を求めよと命令されてはいません。繰り返しますが、重要なのは、主のご命令に従うことなのです。

 

 ご命令のとおり、全世界に行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えましょう。

 

 主よ、どうか、我らが日本を顧みてください。憐れんでください。教会に委ねられた大切な主の命の御言葉を、大胆に語り伝えることが出来ますように。そして、御言葉が真実であることを、主ご自身がそのしるしによってはっきりと示してください。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設