ネヘミヤ記

 

 

「『おお、我が主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください』。この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。」 ネヘミヤ記1章11節

 

 今日から、ネヘミヤ記を読み始めます。ネヘミヤ記はエズラ記と併せて一続きの作品と考えてよいでしょう。

 

 ネヘミヤの人となりについて、ハカルヤの子で(1節)、アルタクセルクセス王の献酌官(11節)ということ以外の情報はありません。王に酌をする係ということですが、主な任務は王の護衛という、王の信任厚い大切な務めでした。側近中の側近で、ナンバーツーの位置にいると考える註解者もいます。豊臣秀吉の茶頭を務めた千利休のような立場といってもよいでしょうか。

 

 王妃との関わりもあったようなので(2章6節参照)、ネヘミヤは王の後宮で仕えていたのでしょう。であれば、ネヘミヤは宦官として去勢されていた可能性があります。となれば、祭司であり、書記官であったエズラと比べて、ユダヤ人の間でのネヘミヤの立場は、より困難が伴うものではなかったかと思われます(申命記23章2節参照)。

 

 ときは「第二十年のキスレウの月」(1節)で、「第二十年」は2章1節の「アルタクセルクセス王の第二十年」と同じく、紀元前445年のことと考えてよいでしょう。そして、「キスレウの月」は、ユダヤの暦で9月、今日の11~12月のことです。

 

 ペルシャの首都スサにいたネヘミヤのもとに、ユダからハナニがやって来たことでした。ハナニに関して、「兄弟の一人」と言われますが、後に、エルサレムの行政を託されていて(7章2節)、親族というよりユダヤ人同胞で、エルサレムの住民の代表といった立場の人物でしょう。

 

 ネヘミヤが、捕囚を免れてユダに残っている人々とエルサレムの様子をハナニに尋ねると(2節)、ハナニは、「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」(3節)と答えました。

 

 「捕囚を免れて残っているユダの人々」とは、捕囚とならずにエルサレムに留まっていたユダの人々というのではなく、捕囚から解放されてエルサレムに留まっている人々ということでしょう。エズラ記9章8節にも、同様の表現があります。

 

 エレミヤ書24章8~10節に「エルサレムの残りの者でこの国にとどまっている者、エジプトの国に住み着いた者を、非常に悪くて食べられないいちじくのようにする。わたしは彼らを、世界のあらゆる国々の恐怖と嫌悪の的とする。・・・わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って、わたしが彼らと父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす」とあります。

 

 その預言の言葉からも、エズラ、ネヘミヤのころまで、捕囚を免れて生き残ることの出来たユダの人など、いなかったのではないかと考えられます。

 

 また、「城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたまま」というのが、バビロンによるエルサレムの破壊ということであれば、そのことを知らないネヘミヤではなかったと思います。それから140年余りが経過し、捕囚から帰った人々がエルサレムで新しい生活を始めてかなり経つというのに、いまだに「恥辱を受けている」ような有様だというので、本当にショックを受けたのでしょう。

 

 エズラ記4章6節以下の、エルサレムの都の再建について反対するアルタクセルクセス王への書簡が、この時期のものであると考えられるので、イスラエルの民が修復した城壁がサマリア人らに破壊され、工事再開がアルタクセルクセス王に禁じられるなど(同17節以下)、都の再建は全く覚束ないという事態だったのだろうと思われます。 

 

 それらのことを聞いたネヘミヤは、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげ」(4節)ました。この姿勢は、祭司エズラが同胞の異民族の娘との結婚を知って示した悔い改めに通じます(エズラ記9章3節以下)。残っていた人々の不幸と城壁が打ち破られままにされているのは、イスラエルの罪だと考えているわけです。

 

 しかも6節後半に「わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました」と告白していることから、ネヘミヤは、エルサレムに住む者たちの罪だけを考えているわけではありません。「わたしも、わたしの父の家も」その犯罪者のリストから漏れてはいないのです。そしてこのことも、エズラの祈りと共通しています(エズラ記9章6,7,10節など参照)。

 

 ネヘミヤが献酌官の地位に上るのは、容易ではなかったでしょう。そのため、ペルシアの習わしに従い、形式的にペルシアの神の前に膝を屈めることさえあったかも知れません。また、彼の家はバビロンから帰還する群に加わっていません。エズラの帰国の時にも、同行しませんでした。ペルシアでのその地位と豊かな生活を捨ててまで、エルサレムに行かねばならないとは考えなかったのでしょう。

 

 だから、エルサレムの城壁が破壊されたままになっているというのは、そのまま、自分自身の信仰の姿を現わしていると、ネヘミヤは考えたのではないでしょうか。それを示されたからこそ、神の前に自らの罪を言い表し、神の憐れみを乞うのです。

 

 8,9節に「もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。もしもわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れ帰る」と記されているのが、モーセの戒めなる申命記28章58,64節、30章2~4節の言葉です。

 

 その言葉を引き合いに出して、冒頭の言葉(11節)のとおり「おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください」と祈り求めます。

 

 ここにネヘミヤは、神の御言葉を持ち出して、その実現を願い求めているのです。ここに、祈りのあるべき姿を見ます。自分自身の願望の実現を求めたのではなく、神の御心が実現するように、御言葉をその心棒にして祈っているのです(第一ヨハネ書5章14,15節参照)。

 

 ネヘミヤの願った「この人の憐れみを受けることができるように」とは、アルタクセルクセス王の憐れみを受けられるようにということです。彼は献酌官として王に仕えています。王の許しなしに、エルサレムに戻ること、城壁再建を行うことなど、出来はしません。それが実現できるよう王の心を動かして欲しいと訴え、そのために神の助け、導きを願っているのです。

 

 ところで、私たちの信仰生活、神との交わりの門はどうなっているでしょうか。私たちの心を守る城壁、霊の武具はきちんと整備されているでしょうか(詩編18編3節、エフェソ書6章10節以下など参照)。御言葉の剣は磨かれ、切れ味鋭く研がれているでしょうか。信仰の祈りが、芳しい薫香として、神の御前にささげられているでしょうか。

 

 絶えず神の御言葉に耳を傾けましょう。神の御旨に従いましょう。神の愛と恵みに応えて、まず第一に神の国と神の義を求めて生きる者として頂きましょう。

 

 主よ、エリヤはカルメル山上で壊された主の祭壇を修復しましたが、実に壊れやすいのは祈りの祭壇です。私たちの信仰がいつも生きて働くものであるように、御言葉と祈りによる霊的な交わりが常に豊かでありますように。私たちの耳を開き、目を開き、心を開いてください。御声を聞くことが出来ますように。御業を拝することが出来ますように。主の御足跡に従って歩ませてください。 アーメン

 

 

「王に答えた。『もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。』」 ネヘミヤ記2章5節

 

 ネヘミヤがアルタクセルクセス王の杯にぶどう酒を注いでいるとき(1節)、王から、「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない」(2節)と声をかけられました。ネヘミヤは、心の内にあることを王に告げることが出来ず、それを表情には表さないよう注意していましたが(1節)、かえって悩みを深めていたのでしょう。

 

 それで、王の気遣いに恐縮しながら「わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです」(3節)と答えると、王から、「何を望んでいるのか」(4節)と重ねて尋ねられます。

 

 それは、「アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のこと」と言われています(1節)。治世第20年は、紀元前445年です。「ニサンの月」とは、バビロンの暦の1月のことで、捕囚後にユダヤの暦の1月になりました。今日の3~4月を指します。

 

 1章1節に「第二十年のキスレウの月(9月)」とあり、そこでハナニの報告に衝撃を受け、その痛みを抱えて王の前に出たのが「第二十年、ニサンの月(1月)」ということは、時間的にあべこべになっています。

 

 そこで、マソラ本文(BHS)は1章1節を、「治世第20年」ではなく「アルタクセルクセス王の治世第19年」と読むよう提案しています。また、彼の統治が始まった時点(紀元前466年)から数えた「第20年」と考える学者もいます。いずれにせよ、1章1節の出来事を、紀元前446年9月のことと考えているわけです。

 

 そうすると、ネヘミヤは、ハナニの報告を受けて5か月後に、ようやくそれを王に打ち明けることが機会が訪れたということになります。城壁は撃ち破られ、城門は焼け落ちたままになっていると知らされて以来(1章3節)、ネヘミヤは神の前に、王の憐れみを受けることができるよう祈り続けて来ました(同4節以下,11節)。

 

 ネヘミヤがなかなか王に切り出すことが出来ず、思案して来たのは、城壁の修復工事禁止の命令が、当のアルタクセルクセス王によって出されたからです(エズラ記4章17節以下、21節)。どう切り出せば、王の理解と協力を得ることが出来るでしょうか。なかなかよい答えが見つからなかったでしょう。それが、王の方から声がかけられて、思いがけない展開になって来ました。

 

 そこで、王の「何を望んでいるのか」という問いに、すぐに自分の望み、神に祈り求めて来たことを話してもよかったのでしょうけれども、ネヘミヤはあらためて天の神に祈りました(4節)。それは、瞬時の祈りだったのでしょうか、それともしばらく、あるいは数日、祈りのときをとったのでしょうか。

 

 いずれにせよ、それは、自分の考えや計画を推し進めるのではなく、また、王がネヘミヤの希望を叶えてくれるよう上手に説得しようとするというのでもなく、常に神の御旨を尋ねて、その導きに従いたいとネヘミヤが考えている証しです。

 

 ネヘミヤはそのように神の御旨を尋ね求めてから、冒頭の言葉(5節)のとおり、「わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます」と王に答えました。すると、王は傍らの王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」(6節)と尋ねています。

 

 このとき、王は自分がエルサレムの都と城壁の再建を禁じる命令を出したことを忘れ、再建にかかる時間、ネヘミヤが工事を終えてスサに戻って来る時期を尋ねているのです。あまりに長期間になるのは困るというのでしょう。これは、ネヘミヤが王から全幅の信頼を得ているだけでなく、王妃にとっても大切な存在となっているわけです。

 

 ネヘミヤは、王と王妃の問いに好意的なものを感じ(6節)、町の再建に必要な期間について説明した後、通行手形となるユーフラテス西方の長官たちに宛てた書状と(7節)、城門や城壁を修復し、自分の家を建てるための木材を提供するようにとの森林管理者に宛てた書状も求めました(8節)。

 

 そこには、自分の決意や勇気、期待以上に、神が導いてくださっているという信仰がありました。「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた」(8節後半)と記しているからです。

 

 王の書状と、王が派遣した将校と騎兵に守られて、ネヘミヤは無事にエルサレムへと旅することが出来ました(9節)。けれども、それを良く思わない者たちがいました。ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤです(10節)。かつてサマリア人たちが神殿再建を妨害しましたが(エズラ記4章参照)、サンバラトらは、そのような勢力の代表者と考えられます。

 

 彼らの肩書きはここに記されていませんが、聖書外資料に、紀元前407年にサンバラトがサマリアの総督だったという記述があり、トビヤは、エルサレム神殿に仕える大祭司とも深い関係を築いていた人物で(13章3,4節)、アンモンの知事、サンバラトの部下に当たる者だったと考えられています。

 

 このような反対者のゆえに、城壁と城門が破壊され、再建工事が妨害されたままになっていたことを悟ったネヘミヤは、密かに城壁を調べた後(11節以下)、工事の計画についてユダの人々に話しました(17節)。それは、神がネヘミヤの心に示されていたことでした(12節)。

 

 私たちは、ことがうまく運ばないときには熱心に祈りますが、思い通りに行っているときは、祈りを忘れていることが少なくありません。どのようなときにもまず神の御旨を求めて祈ったネヘミヤの信仰に学びたいと思います。絶えず、神の御旨を求め、主の御言葉に聴きながら歩みましょう。

 

 主よ、ネヘミヤは主からなすべきことの示しを受けて行動していましたから、どんなときにも確信を持って行動することが出来ました。それは、不断の祈りによって培われた信仰でした。私たちも日々御言葉を求めて御前に進み、祈りをささげます。恵みと導きに与り、御旨に従って歩ませてください。御心が行われますように。その道具として用いていただくことが出来ますように。 アーメン

 

 

「大祭司エルヤシブは、仲間の祭司と共に羊の門の建築に取りかかり、それを奉献し、扉を付けた。次いでハンメアの塔まで、更にハナンエルの塔まで奉献した。」 ネヘミヤ記3章1節

 

 「エルサレムの城壁を建て直そうではないか」(2章17節)というネヘミヤの言葉で、「早速、建築に取りかかろう」(同18節)と、ユダの人々、祭司や貴族、役人たちは奮い立ちました。3章に、城壁の修復工事を担当した大祭司をはじめ、様々な職業、地域の人々が登場します。それは、いかにイスラエルの民が城壁再建のために一致団結、協力し合ったかということを証明する内容です。

 

 創世記11章6節に、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」という言葉があります。一致しているとき、何でも成し遂げることが出来るというのです。

 

 しかし、もともと民が一致していたわけではありません。城壁の修復に立ち上がろうとしていたわけでもありません。ハナニの報告を受けたネヘミヤが、祈りに祈って神の導きを受けたからこそ、この働きが進められているのです(1章4節以下、2章4,8,12,20節)。ということは、民が一つとなって工事にあたっているのも、神の導きということになります。

 

 ただし、5節後半に「その貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとしなかった」と記録されており、団結を乱す者たちがいたことが分ります。「貴族」(アディール)とは「高貴な、有力な」という言葉で、新改訳は「すぐれた人」、岩波訳は「名士」と訳しています。

 

 テコアに住む貴族、名士、有力者たちというごく一部の者たちではありますが、そのような人々もいたというのは、残念です。彼らが従おうとしなかった理由として考えられるのは、サンバラトをはじめとする反対者、また周辺諸国の攻撃を恐れたか、「貴族」という身分、立場が他の者と同じ作業に服することを恥ずべきことのように考えたか、あるいはまた、ネヘミヤに従うのが面白くなかったというようなことでしょう。

 

 しかしながら、彼らがその作業に服そうとしなかったことは、ネヘミヤにではなく、神に従おうとしなかったということになるのではないでしょうか。ネヘミヤらは神の導き、助けを受けて城壁修復の業を進めているからです。「彼らの指導者たち」(アドーネーヘム:彼らの主人)は、ネヘミヤに敬意を表す表現とも、あるいは神のこととも解することができると岩波訳の注に記されています。

 

 そのことで、償いの思いがあるのかどうかは不明ですが、テコアの人々は「その突き出た大きな塔の前からオフェルの城壁まで」という「第二の部分」(岩波訳「もう一区画」)を修復補強しています(27節)。

 

 冒頭の言葉(1節)のとおり、工事従事者リストの最初に出るのが、大祭司エルヤシブとその仲間の祭司らで、彼らは羊の門の建築に取りかかり、それを奉献しました。羊の門は、エルサレムの北東角に位置する門で、そこから、ハンメアの塔、更にハナンエルの塔までを奉献したということは、羊の門から西側へ、反時計回りにエルサレムの城壁を築き直した人々のリストが記録されていることになります。

 

 1節の「羊の門」から6節の「古い(エシャナ)門」までが都の北側、7節以下、「広い壁」(8節)から13節の「谷の門」までが西側、14節の「糞の門」が南、そして15節の「泉の門」から29節の「東の門」までが東、そして30節以下、32節の「羊の門」までが再び北側の場所になっています。

 

 南が小さいのは、逆三角形の形になっているからです。そこに「糞の門」(14節)があります。ここは、ヒンノムの谷に通じるところで、ゴミ、廃棄物、糞の処理に使われたので、その名で呼ばれたようです。

 

 リストの最初に記されていた「羊の門」(1節)は、ベニヤミン門とも呼ばれています(エレミヤ書20章2節など)。この門の傍らに羊を売り買いする市場があったことや、その羊がこの門を通って神殿に引き入れられたことから、そのように呼ばれるようになったようです。

 

 ヨハネ福音書5章2節によれば、羊の門の近くに「ベトザタ(オリーブの家)」と呼ばれる池がありました。この池は、羊を洗い清めるためのもので、ヘロデ大王が第三神殿を造営するときに設けた、周囲を柱廊で囲まれている、二つ並んだ大きなプールです。

 

 二つ並んだプールという構造から、それぞれ男女の巡礼者が別れて沐浴するためにも用いられたようで、その後次第にこの池に入ると神の憐れみによって病気が癒されると信じられるようになり、「ベテスダ(憐れみの家)」(口語訳、新改訳)とも呼ばれるようになったと考えられています。

 

 羊の門を祭司たちが再建したというのは、意味深いものです。羊は、いけにえとして神に捧げられるものです。建て直された神殿の近くにあり、神にささげる羊の通る門が祭司たちの手で建て直されるというのは、神への礼拝の道筋が整えられることにつながります。そしてそのことが、大祭司なる主イエスが私たちのために自らをいけにえの小羊として捧げられた十字架の出来事につながっているのです。

 

 主イエスは「わたしは羊の門である」(ヨハネ福音書10章7節)と仰り、続けて「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」(同9節)と言われました。主イエスは、羊に豊かな命を与えるために来られたのです(同10節)。

 

 その主を信じ、御言葉を聴いて従う者は、ベトザタの池で長患いの男性の病が癒され、立ち上がることが出来たように(同5章5節以下)、罪赦され、新しい力を得て立ち上がることが出来ます。

 

 世の罪を取り除く神の小羊として自らをささげられた私たちの大祭司なる主イエスを信じ、主の御言葉に聴き従う信仰生活をしっかりと築きましょう。

 

 主よ、イスラエルの人々が神の導きに従って、各々持てるもので城壁の修復に協力したように、主に心動かされた者が、キリストの御名のもと一つとなり、主の業に励むことができますように。賜物は様々、務めも様々、働きも様々ですが、それをお与えになったのは、同じ三位一体なる主です。心合わせて主の業に励むことで、その栄光を表わすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしたちはわたしたちの神に祈り、昼夜彼らに対し、彼らから身を守るために警戒した。」 ネヘミヤ記4章3節

 

 ネヘミヤらが神の御旨に従ってエルサレムの城壁を再建していると聞いて、サンバラトたちは憤慨し、ユダの人々を嘲笑しました(3章33節以下)。ネヘミヤらは神に依り頼みつつ(同36,37節)、工事に励み、城壁を高さ半分まで築きました(同38節)。

 

 それを知ったサンバラトにトビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドドの市民は、工事を妨害するため、エルサレムに攻め上り、混乱に陥れようとします(1,2節)。サンバラトが治めているサマリア(つまり北方)の兵に加え(3章34節)、南方のアラブ人、東方のアンモン人、そして、ペリシテに代わって西方を支配しているアシュドド人と、エルサレムとユダの包囲網が造られました。 

 

 自分たちを包囲する敵のあの手この手の妨害で、ユダの人々の心はすっかり挫かれてしまいました。「もっこを担ぐ力は弱り、土くれの山はまだ大きい。城壁の再建など、わたしたちにはできません」(4節)と言い始めます。エルサレムの城壁を築き直すのは簡単なことではなかったと思いますし、その上、敵の攻撃に備えなければなりませんでした。

 

 皆が心合わせ、一致してことにあたるからこそ、城壁が再建されて来たのです(3章38節)。意気阻喪してしまえば、サンバラトらに対抗できません。しかも、敵は、密かに侵入して来て工事を担当している人々を殺害し、工事をやめさせようとしていました(5節)。

 

 彼らは、ネヘミヤらの姿が見えないときに、日に十度も攻めて来たと言います(6節)。13,14節との関連で、ゲリラ的に様々なところで攻撃を仕掛け、ネヘミヤがそちらに守備隊を差し向けている隙に、別の箇所を攻撃するということが繰り返されていたと考えられます。そのようにして、城壁の修復工事に集中出来ないようにしていたわけです。

 

 その上、日々の生活のための苦労もあったでしょう。妨害者の攻撃を防ぐ城壁が十分でない中で、安定した生活を営むことは、極めて困難です。城壁を築くことは重労働、敵の妨害はある、そして平和で安定した生活が営めない、まさに三重苦ですね。

 

 その中で、冒頭の言葉(3節)のとおり、ネヘミヤは立って神に祈りました。順調にことが進むときにも、神の御旨を求めて祈るネヘミヤです(2章4節)。問題が起これば、さらに熱心に祈ったことでしょう。

 

 ネヘミヤの祈りは、単に自分の願いをかなえてくれるようにというものではなく、神の御旨を求め、それが実現して神の栄光が表されるようにということだっただろうと思います。ただ、3章36,37節では、サンバラトやトビヤの嘲りに対して神の呪いを祈っているので、3節の祈りも、彼らの攻撃に対応して激しいものだったのではないかと想像されます。

 

 祈って立ち上がったネヘミヤは、城壁外の低いところやむき出しの部分に戦闘員を配置し(7節)、「敵を恐れるな。偉大にして畏るべき主の御名を唱えて、兄弟のため、息子のため、娘のため、妻のため、家のために戦え」(8節)と命じます。

 

 そして、民の半分を作業にあたらせ、他の半分は敵に備えるようにさせます(10節)。角笛で敵襲を知らせ、皆で立ち向かうようにもしました(12,14節)。その上で、「わたしたちの神はわたしたちのために戦ってくださる」(14節)と激励します。

 

 意気消沈している人々を励まし、立ち上がらせるのは、容易なことではありません。心挫けた者に「敵を恐れるな」と言っても、それで敵への恐れがなくなるはずもありません。けれども、この言葉で、自分たちの味方はどなたなのかということを、ネヘミヤは思い出させようとしているのです。

 

 即ち、かつてエジプトの奴隷の苦しみから救い出され、次にバビロンの捕囚とされたユダの民を、その恥辱から贖い出してくださり、神殿を再建させてくださった偉大にして畏るべき主が、自分たちの味方となって、城壁修復工事をも完成させてくださるのだと(出エジプト記3章7節以下、ヨシュア記5章9節、歴代誌下36章21節以下、ネヘミヤ記2章30節など参照)。

 

 偉大な主、それは、天地万物を創造されたお方です(創世記1章、詩編8編、104編、148編など)。私たちは、この主なる神の深いご計画によって、この世に生きる者とされました。主は私たちのために、最善のものを用意していてくださいます。その知恵と力を、人間の物差しで測ることなど出来はしません。

 

 畏るべき主、それは、すべて命あるものを死に追いやるだけでなく、体も魂も地獄で滅ぼすことのお出来になる方です(マタイ10章28節)。私たちの心の奥底までも見通しておられるお方です(ローマ8章27節、黙示録2章23節)。どこに行っても、この方から逃れることは出来ません(詩編139編7節以下)。

 

 そのような偉大にして畏るべき主が、私たちに味方になってくださいました(ローマ書8章31節以下)。私たちに目を留め、恵みを注いでくださいます。私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。私たちの賛美を受け止めてくださるのです。

 

 だから、偉大にして畏るべき主の御名を唱えて戦えというのです。私たちの戦いは、主を礼拝すること、主を信頼すること、主に賛美と祈りをささげること、それらのことを妨げようとする敵との戦いなのです。

 

 私たちも絶えず目覚めて主の御名を唱え、心から感謝をもって賛美と祈りを捧げましょう。主の祝福を祈ります。

 

 主よ、御名を崇め、心から賛美致します。どんなときにも私たちと共にいて、私たちを助け、導きをお与えくださることを感謝します。偉大にして恐るべき主の御名を唱えて、委ねられている務めに励みます。この月も、主の恵みが常に豊かにありますように。全世界に主イエスの平和がありますように。 アーメン

 

 

「あなたたちの行いはよくない。敵である異邦人に辱められないために、神を畏れて生きるはずではないのか。」 ネヘミヤ記5章9節

 

 外敵に対応しながら、城壁を修築することに懸命になっているとき(4章)、内部から叫びが上がります。それは民とその妻たちの声でした(1節)。「大きな訴えの叫び」という言葉は、心からの深い苦悩の叫びを示しています。働き盛りの男たちを城壁再建と国境警備に取られているので、家を守る役割は女性たちの肩に掛かっていました。

 

 そこには、育ち盛りの子どもたちもいます。そこで、「わたしたちには多くの息子や娘がいる。食べて生き延びるために穀物がほしい」(2節)と言います。さらに、労働力不足の上に飢饉で打撃を受けました。だから、「この饑饉のときに穀物を得るには畑も、ぶどう園も、家も抵当に入れなければならない」(3節)と訴えます。

 

 その上、ペルシア王の重い税に苦しめられています。それで、「王が税をかけるので、畑もぶどう園も担保にして金を借りなければならない」(4節、エズラ記4章13節参照)と嘆きました。城壁修復の労役で多少の賃金収入もあったのではないかと思われますが、借金を返済出来るほどのものにはなりません。あとはもう身売りするしかないという状態に追い込まれています(5節)。

 

 そうした時、貴族や役人ら裕福な者たちは、貧しい人々を奴隷として徴用したようです。3章5節で「貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとはしなかった」と言われているのは、貴族たちが奴隷を働かせて、自分では指一本触れようとはしなかったという意味にとることが出来ます。

 

 彼らは王の税を隠れ蓑に、同胞に高利で金を貸し、返済が出来なくなった者やその子らを奴隷にしたわけです。ネヘミヤはこれらの嘆きと訴えを聞いて激怒し(6節)、貴族と役人を集めて、「あなたたちは同胞に重荷を負わせているではないか」(7節)と非難しました。

 

 それは律法で、「もし同胞が貧しく、自分で生計を立てることができないときは、寄留者ないし滞在者を助けるようにその人を助け、共に生活できるようにしなさい。あなたはその人から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を畏れ、同胞があなたと共に生きられるようにしなさい」(レビ記25章35,36節)と命じられているからです。

 

 また、7年目毎に負債を免除し、奴隷を解放せよという規定もあります(申命記15章参照)。それらは、かつてエジプトの国で奴隷であったイスラエルの民を救い出された主なる神が、それを思い起こして守れと命じられたものです(レビ記25章38節、申命記15章15節など参照)。

 

 それにもかかわらず、8節の「わたしたちは異邦人に売られていた同胞のユダの人々を、できるかぎり買い戻した。それなのに、あなたたちはその同胞を売ろうというのか」という言葉から、貴族や役人らは同胞を奴隷としただけでなく、異民族に売ろうとさえしていたと考えられます。

 

 律法というと、あれするな、これするなと、数多くの禁止規定で私たちの生活を束縛する小難しい掟というイメージがあるかも知れませんが、最も重要な掟は、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)と「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19章18節)という規程だと、主イエスが言われました(マタイ22章34節以下)。

 

 つまり、神の民として律法を守る基本は、神が私たちを愛してくださっているので、その愛に応えて生きることなのです。そして、神を愛することは、自分のように隣人を愛することです。

 

 ヨハネが「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」(第一ヨハネ4章20,21節)と記しているのは、そのことです。

 

 ネヘミヤは、それをもう一度思い起こさせようとして、冒頭の言葉(9節)のとおり、「神を畏れて生きるはずではないのか」と問うたわけです。そして、自ら範を示して民の負債を帳消しにし(10節)、長官給与を返上して(14節)、重税を廃し(15節)、工事担当者には食事を提供しました(17,18節)。

 

 給与を12年間一度も受け取らなかったということは、5章に取り上げられている課題が解決するのに、相当の年月がかかったということです。神を畏れて生きることは、何が神を礼拝するにふさわしい態度であるかを自覚することであり、それは、特に民の苦しみに対する憐みの心をもって行動することであると、ネヘミヤは考えていたわけです。  

 

 私たちも神を畏れ、その御言葉に従って歩ませて頂きましょう。そのとき、神が必ず私たちを祝福してくださいますから、私たちの周囲から貧しい者がいなくなると言われています(申命記15章4節)。

 

 主よ、各国の指導者たちを豊かに祝福してください。彼らのブレーンとして、主を畏れ、御言葉に従って歩む者たちを配置してください。自分のことだけでなく、他者にも、特に弱い立ち場の者に目を向け、助けの手を述べる国になりますように。人権を脅かされているすべての人々に主イエスの平和が豊かにありますように。 アーメン

 

 

「彼らは皆、わたしたちの手が弱り、工事は完成しないだろうと言って、わたしたちに恐怖を与えている。神よ、今こそわたしの手を強くしてください。・・・わが神よ、トビヤとサンバラトのこの仕業と、わたしを脅迫した女預言者ノアドヤや他の預言者たちを覚えていてください。」 ネヘミヤ記6章9,14節

 

 これまでサンバラトらは、「王に反逆しようとしているのか」(2章19節)と脅し、「哀れなユダの者どもに何が出来るか」(3章34節)と嘲笑い、さらには実力行使で工事を辞めさせようとしましたが(4章)、そのような妨害にも拘らず、城壁の修復工事は進められて来ました。

 

 あとは城門に扉をつけるだけと聞いたサンバラトは(1節)、ネヘミヤに危害を加えようと企み、ネヘミヤのもとに使者を遣わして「オノの谷にあるケフィリムで会おう」(2節)と言わせます。

 

 オノの谷は、ヤッファ南東10㎞ほどにあり、ケフィリムとは「村」という言葉の複数形です。いくつかある村のどこかで会おうということでしょう。オノは、エズラ記2章33節に記される、ユダの帰還民が住み着いた西限地域です。そこには、サマリアを治めるサンバラトや南方を支配しているアラブ人ゲシェムの力の及ぶところということなのでしょう。

 

 いずれにせよ、エルサレムから遠く離れさせたところで、ピンポイントでネヘミヤを狙い、彼を亡き者にして、工事を中断させてしまおうというわけです。しかし、ネヘミヤは、大切な工事を中断して出かけていくことは出来ないと断ります(3節)。「同じことを4度も言って来た」(4節)というところに、敵の執念を見ることが出来ますが、ネヘミヤも同じ返事を繰り返しました。

 

 すると、五度目に配下の者を遣わして、「あなたのユダの人々は反逆を企てていると、諸国のうわさにもなっているし、ガシュムも言っている。城壁を立てているのはそのためだろう。あなたはユダの人々の王になろうとしているということだ」(5節)という書状を届けました。しかしネヘミヤは、それは事実に反するといって、動じません(8節)。

 

 そこで、敵は預言者シェマヤによって、「神殿で会おう、聖所の中で。聖所の扉を閉じよう。あなたを殺しに来る者がある。夜、あなたを殺しにやって来る」(10節)と告げさせます。ネヘミヤの命を狙っている者がいるから、神殿で会おう、そして聖所に隠れようというのです。

 

 「閉じこもっていた」(10節)というのも、行為による預言だったのでしょうか。あるいは、シェマヤ自身がネヘミヤと同様の敵によって危機な状態にあり、ネヘミヤの同情を買おうという狙いだったかも知れません。

 

 神殿の祭壇の角をつかむというのは、神に助けを求める行為です(列王記上1章50節、2章28節参照)。しかしながら、聖所の中に入るのは、祭司、レビ人以外には許されてはいません(民数記18章7節参照)。それで、「わたしのような者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があろうか」(11節)と答えているわけです。

 

 そして、ネヘミヤはシェマヤの嘘を見抜きます。シェマヤはトビヤとサンバラトに買収されて、偽りの預言をしていたのです(12節)。真実に預言しているなら、律法に背く罪を犯すよう(13節)唆すはずはないからです。

 

 6章には、「恐れる」(ヤーラー)という言葉が4度出て来ます(9節「恐怖」、13節「恐怖心」、14、16節「脅迫」)。脅迫や偽りの預言でネヘミヤの恐怖心をあおり、過ちを犯させようとしたわけです。

 

 確かに、主に敵対する勢力は、人の不安や恐れにつけ込み、正しい判断や行動が出来ないように働きかけて来ます。けれども、主なる神がネヘミヤと共におられ、その都度、必要な助け、導き、知恵を授けておられたことが分かります。

 

 主イエスの十字架の贖いを通して救われた私たちにも、聖霊の賜物が授けられ、それぞれに主の業が託されています。悪魔は、主の業が進まないように、完成しないように、様々な方法で妨げて来ます。

 

 脅しがあるかも知れません。買収があるかも知れません。私たちを意気消沈させたり、怠けるようにさせることもあるでしょう。自分が何をしたらよいのか分からなくなることもあるでしょう。命の危険が及ぶことさえあるかも知れません。

 

 悪魔の本質は、偽りであり、神への反逆です(ヨハネ福音書8章44節)。神の業を妨害します。どうすれば、その悪魔の策略に打ち勝つことが出来るでしょうか。

 

 ネヘミヤは、冒頭の言葉(9,14節)の如く、祈りで対抗しました。「わたしの手を強くしてください」というのは、出エジプトの際に襲って来たアマレクとの戦いで、モーセの手が下がらないようにアロンとフルが支えたので、イスラエルが勝ったという故事から(出エジプト記17章8節以下)、ネヘミヤの祈りの手が常にしっかり挙げられているようにと読みたいと思います。

 

 エフェソ書6章11節に、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」とあり、同18節で、「どのようなときにも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」と命じられています。

 

 さらに、「また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください」(同19,20節)と、繰り返し祈りを要請しています。

 

 祈りを通して神と交わり、それによって悪魔の策略を見抜くことが出来るからです。そして、神の力を頂き、悪の力に勝利することが出来るからです。

 

 祈りましょう。主が答えてくださいます。神は、求める者には聖霊をくださるのです(ルカ11章13節)。聖霊は私たちの救いの保証です(エフェソ書1章13,14節)。また、神は聖霊を通して私たちの心に神の愛を注ぎ、苦難をも喜び誇ることの出来る者にしてくださるのです(ローマ書5章3~5節)。

 

 主よ、あなたを信じます。弱く不信仰な私たちを助け、御言葉に立って口を開き、御言葉に従って行動することが出来るよう、絶えず祈りに導いてください。聖霊に満たされて、唇の実を主にささげ、主の恵みを人々に証しする者としてください。主の導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「わたしは、兄弟のハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託した。このハナンヤは誠実で、だれよりも神を畏れる人物だった。」 ネヘミヤ記7章2節

 

 バビロンから帰還したユダの民は、ようやく城壁の修復工事を終了することが出来ました(6章15節)。「52日かかってエルルの月の25日に完成した」ということは、前月(アブの月)の初めに着工したということです。

 

 ニサンの月(1月)にアルタクセルクセス王の許しを得(2章1節以下)、ユダの地の長官として派遣され(5章14節)、数ヶ月を経てエルサレムに到着後、城壁の状況を調べ(2章11節以下)、城壁の工事にかかりました(3章1節以下)。アブの月とは5月のことですから、スサから3ヶ月余りをかけてエルサレムにやって来て、すぐさま着工したわけです。

 

 アルタクセルクセス王の治世の初めに城壁工事の中止を求めて告訴状が送られ(エズラ記4章6節以下)、正式に工事差し止め命令が王より出されて(同17節)、以来およそ20年に亘り、城壁は打ち破れ、城門は焼け落ちたままにされていましたが(1章3節)、ようやくその恥辱をぬぐうことが出来るようになったわけです。

 

 そこでネヘミヤは、あらためて主の神殿の奉仕のため、門衛と詠唱者とレビ人を任務に就けました(1節)。城壁を修復する間、レビ人たちも工事や警護の務めに就いていて(3章1,17,28節、4章10節以下)、神殿の奉仕は休止していたのでしょう。

 

 4節以下に、帰還した捕囚の民の名簿が発見されて、そのリストが紹介されています。エズラ記2章で紹介したリストをここに再掲しているのは、城壁の修復工事に携わった人々は、捕囚前にイスラエルの民として数えられていて、捕囚を経験し、新しいイスラエル建国に立てられた民の子孫であることを、あらためて確認しているわけです。

 

 4節で、「町は二方向に大きく広がっていたが、その中に住む民は少数で、家屋は建てられてはいなかった」と言われます。これは、バビロンから帰って来た人々の中で、エルサレムの町に住んでいる人が少ないということです。

 

 城壁を築いているときは、周辺から工事に参加するために集まっていた人々もいたでしょう。工事が終わって各々自分の家に帰って行ったら、エルサレムに住まいしている人がほとんどいなかったわけです。 

 

 城壁が崩れたままで安全が保証されない町には、特に家族を持っている人々は住めなかったでしょう。また、エルサレムに住むと、神殿に関係する何らかの義務を負わされると考える人々がいて、そういったことで居住が敬遠されたのかも知れません。

 

 確かに、神に仕えるときに、何の犠牲もないということはありません。けれども、ネヘミヤにとって、イスラエルの民として生きるということは、神に仕え、喜んで神を礼拝する生活を営むことでした。だから、最初に神殿の奉仕者を任命したのです。

 

 それから、冒頭の言葉(2節)のとおり、ネヘミヤは、兄弟ハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託しました。そして、町の警護のための細かい指示を与えます(3節)。

 

 これは、ネヘミヤがしばらくエルサレムを離れようとしているということでしょう。彼は、神殿や城壁の再建が出来たので、一度バビロンに戻って、王に事業の報告を行うと共に、バビロンに残っているイスラエルの民に帰国を促すつもりだったのだと思います。

 

 ハナニはネヘミヤの「兄弟」で、以前、エルサレムの城壁が打ち破られたままだとネヘミヤに報告した人物です(1章2,3節)。もしも実の兄弟であれば、兄はペルシアの都スサにいて、弟はエルサレム在住とは考え難いところです。1章のハナニとは別人で、ネヘミヤの兄弟ハナニをスサから呼び寄せて任命したというのも、もう一つ合点のいかない話です。

 

 ハナンヤは要塞の長として、町を警護する責任者だったようですが、さらに、「このハナンヤは、誠実で、だれよりも神を畏れる人物だった」と紹介しています。ネヘミヤは、エルサレムの行政に携わる者の要件として、行政手腕やその実績などではなく、「誠実」であるか、「神を畏れる人物」であるかどうかを重要視したのです。

 

 「誠実」はエメトという言葉です。「忠実、真実」などと訳される場合もあります。これは、常に真実な神に対してどのように答えるかという、人の誠実さ、忠実さが問われる言葉なのです。

 

 それは、神の前に隠し事のない姿勢、ありのまま神に委ね、明け渡している姿、それは、素直に神に信頼している姿です。因みに、「誠実、忠実」を英語でfaithfulnessといいます。faith(信仰)がful(満タン)という言葉です。 

 

 「神を畏れる」という言葉は、ヤーレイ(恐れる)とエロヒーム(神)という二つの言葉です。聖書で語られる恐れは、三種類に分類出来ると思います。

 

 第一に、人を恐れる恐れです。ピラトが主イエスを十字架につけてしまうのは、群衆を恐れたためでした(ヨハネ19章8節)。6章に出て来る「恐怖」(9,13節)、「脅迫(恐れさせるという言葉遣い)」(14,19節)は、これでしょう。

 

 第二は、罪と死に対する恐れです。罪の刑罰を受ける恐れ、それゆえ罪が発覚する恐れです。アダムとエバは、神の足音を聞いて姿を隠しました(創世記3章8,10節)。彼らが罪を犯したために生じた恐れです。

 

 第三は、神に対する恐れです。神は最も恐れるべきお方ですが、それは恐怖というより、創造者、全能者に対してだれもが当然持つべき畏怖、畏敬の念です(詩編89編8節、ルカ23章40節、など)。

 

 しかるに神は私たちに、「恐れることはありません」、「平安があるように」と語ってくださいます。私たちと神とを隔てる罪と死の壁を、キリストの十字架によって打ち破ってくださいました。神が私を愛していてくださることを知ることから始まる聖なる畏れです。

 

 神への畏れは、人への恐れ、罪と死の恐れから私たちを解放してくれます。私たちを命がけ愛してくださる神に対する畏れなのです。神の祝福を受けて、誠実で神を畏れる者にしていただきましょう。

 

 主よ、絶えず祈りつつ誠実に主に従ったネヘミヤにより、城壁は完成しました。ネヘミヤは後を託す者に、神を畏れて誠実であることを求めています。それがいかに大切であるか、体験的に知っていたからです。私たちも神を畏れ、委ねられた使命を誠実に果たす者とならせてください。御心が行われますように。そうして、全世界にキリストの平和がありますように。 アーメン

 

 

「彼らは更に言った。『行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、われらの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。』」 ネヘミヤ記8章10節

 

 城壁が完成して6日目の7月1日に、イスラエルの民がエルサレムの水の門の前にある広場に集まりました(1,2節、7章72節後半、6章15節参照)。「一人の人のように」(1節)というのは、第二神殿の建設工事が始まる前、バビロンから戻ってきたイスラエルの民が礼拝を開始したというエズラ記3章1節にも記されていた言葉でした。

 

 7月1日は角笛を吹いて聖なる集会を召集する日で(レビ記23章24節)、同月10日は年に一度の贖罪日(同27節以下)、そして15日からは仮庵祭を祝います(同34節以下)。バビロンから戻った民も7月から礼拝を始め、そして仮庵祭を行っています(エズラ記3章4節)。

 

 仮庵祭について、申命記31章11節以下に「主の選ばれる場所にあなたの神、主の御顔を拝するために全イスラエルが集まるとき、あなたはこの律法を全イスラエルの前で読み聞かせねばならない。民を、男も女も子供も、町のうちに寄留する者も集めなさい。彼らが聞いて学び、あなたたちの神、主を畏れ、この律法の言葉をすべて忠実に守るためであり」と語られています。

 

 これは、モーセがヨシュアを後継者として任命した際に、律法を書き記して、祭司およびイスラエルの全長老に与え、命じた言葉です。この言葉で、仮庵祭が主との契約を確認、あるいは更新する機会とされていることが分かります。

 

 城壁が修復されて、すぐに仮庵祭を祝うときが巡り来ることになったのも、神の配剤の素晴らしさです。即ち、バビロンからの解放後、90年を超える長い時を経てようやく城壁が修復されたことを、第二の出エジプトとして記念し、それによって神を礼拝する民として整えられ、主なる神との契約を更新したことを祝うのです。

 

 彼らは集まって、まず聖書の朗読を聞きました(1節以下)。その指導者は、書記官であり、神殿で神に仕える祭司でもあるエズラです。ネヘミヤが総督としてエルサレムに派遣されてからこれまで、エズラはどこで何をしていたのでしょうか。まさに書記官として、総督ネヘミヤの行動記録をつけていたのかも知れません。

 

 ここで、イスラエルの民は、男も女も子どもも大人も、起立したまま、エズラの聖書朗読に耳を傾けました(3節)。これは、まず聖書から神の御心を聴くことの大切さを教えています。それもなんと「夜明けから正午まで」6時間も。御言葉を聴く真剣さ、神の御言葉を切に飢え渇いて求める熱心さです。

 

 8節に「彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した」と記されています。「(律法の書を)翻訳し」という言葉は、「はっきりと、明瞭に」(パーラシュ)という言葉です。口語訳、新改訳は、そのように訳しています。

 

 「翻訳し」という訳語は、同根のアラム語から採られたものです。新共同訳は律法の書をヘブライ語からアラム語に翻訳したものと考えているわけで、長いバビロンでの生活で、ヘブライ語を忘れ、アラム語しか話せない人がいたというのでしょう。それで、ヘブライ語をアラム語に翻訳した上で、その意味を分かり易く解説したということでしょう。

 

 岩波訳の脚注に「後代の会堂におけるように、ヘブライ語原典の朗読に続くアラム語による口頭の翻訳という習慣の起源をここに求める者もある」と記されています。その学者は、新共同訳と同様に「翻訳し」と解釈しているわけです。 

 

 総督ネヘミヤと祭司エズラは、御言葉を聴いた民全員に「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言いました(9節)。民が律法の言葉を聞いて泣いていたからです(9節)。御言葉が開かれ、その解説を聞いたとき、自分たちの不信仰な姿、神に背いてきた罪が示されたのです。御言葉に心刺され、罪を悔いる涙が流れたのでしょう。

 

 御言葉を聴いた人々が涙を流したのは、7月10日の贖罪日に「苦行」(レビ記23章29,32節)と言われる断食を行って悔い改めの姿勢を示したことに通じているようです。ただ、「(角笛を吹き鳴らして)記念し」(同24節)とは、祝うという意味のある言葉なので(出エジプト記12章14節参照)、「嘆いたり、泣いたりしてはならない」というのでしょう。 

 

 続いて語られたのが、冒頭の言葉(10節)です。エズラたちは、祝宴のようなご馳走を飲み食いし、備えのない者と分かち合うように命じて、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と語りました。

 

 ここで、「力の源」(マーオーズ)は、しばしば「砦」と訳される言葉であり、危機を避ける安全な場であると共に、私たちを守る力を表します。主を喜びとすること、あるいは主から与えられる喜びの経験が、罪の悲しみの中にいる神の民を励まし、保護する力となるということです。

 

 バビロンからの解放、神殿の再建、そして城壁を修復することが出来たのは、神がその罪を赦し、おのが民に恵みを与えようという、深い愛と憐れみのしるしなのです。民は今、主の愛と恵みを喜び、祝うことが求められているのです。

 

 罪を悔いる民の心に、神の愛が注がれて来ました。新しく、感謝と感動の涙が溢れ流れたのではないでしょうか。そこには、平安と喜びがあります。民は、罪赦された喜びで大いに飲食し、救いを祝いました。

 

 そして、その喜びが次の日もさらに御言葉を求めさせ、仮庵祭をかつてなかったような大きな喜びで祝うことになりました(17節)。彼らは毎日聖書を朗読し、喜びをもって祭を祝いました(18節)。

 

 御言葉から喜びが与えられ、主を喜び祝うことが神の民に新たな力の源を与えています。御言葉のうちに身を潜め、そこで神の守りや癒し、平安、そして喜びを豊かに味わわせて頂きましょう。

 

 主よ、罪のために国が滅び、捕囚の憂き目を見たイスラエルが、今ここに新たに神の救いを喜び祝う時を迎えました。彼らはそのとき、真剣に御言葉を聞きました。神の愛に感動し、更に御言葉を求めたのです。私たちも、日毎に耳が開かれて御言葉を聴き、絶えずその恵みと平安を味わい、喜びに与らせてください。 アーメン

 

 

「しかし、まことに憐れみ深いあなたは、彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず、見捨てようとはなさらなかった。まことにあなたは恵みに満ち、憐れみ深い神。」 ネヘミヤ記9章31節

 

 御言葉を聴き(8章3節)、仮庵祭を喜び祝った民が(同13節以下)、もう一度集りました(1節)。仮庵祭は七日間行われ、八日目に聖なる集会を開いて主に献げ物をします。それは、7月15日からの8日間です(レビ記23章34~36節)。「その月の24日」(1節)といえば、仮庵祭を祝った後、その二日後ということになります。

 

 彼らは、誰かに命令されたわけではなく、自発的に集まって断食し、粗布をまとい、土をその身に振りかけました(1節)。それは、神の前に悔い改めているしるしです。彼らは、異民族との関係を一切断ち、進み出て、自分たちの罪過と先祖の罪悪を告白しました(2節)。

 

 そして、「その日の四分の一の時間」、即ち6時間、律法の書を朗読して過ごしました(3節)。それは、7月1日の集いと同じです(8章3節)。各自が手元に聖書を持っているわけではないので、祭司の朗読する律法の言葉を、それぞれの場所で立って聞いていたのでしょう。

 

 申命記31章9,10節に「七年目の終わり、つまり負債免除の年の定めの時、仮庵祭に、主の選ばれる場所にあなたの神、主の御顔を拝するために全イスラエルが集まるとき、あなたはこの律法を全イスラエルの前で読み聞かせねばならない」と規定されていました。

 

 エルサレムが陥落し、神殿が破壊されて70年で第二神殿が建てられ(エズラ記6章15節)、それから70年後、ネヘミヤがエルサレムにやって来て、城壁を修復しました(6章15節)。民が祭司エズラに律法の書を持って来させ(8章1節)、それを朗読させたのは(同2節)、この規定を実行するためということになります。

 

 律法朗読の後、続く6時間、罪を告白し、ひれ伏して神を礼拝しました(3節)。神の前に進み、御言葉を聴くことによって、神の民の背信の歴史を再確認し、そしてまた、神の恵みの歴史を再認識したのです。

 

 そのことを、5節以下の賛美で表明しています。神は、天地万物を創造されました(6節、創世記1章1など)。そして、アブラハムを選んでカルデヤのウルから呼び出され(7節、創世記11章31節以下)、契約を結ばれました(8節、創世記15章7節以下、18節)。これが、イスラエルの原点です。

 

 その後、不思議と奇跡を行ってイスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから解放され(9,10節、出エジプト記5章以下)、葦の海を分けて乾いた地を通らせ(11節、出エジプト記14章)、荒れ野を旅する間、雲の柱、火の柱で導き(12,19節、出エジプト記13章17節以下)、パンと水を備えられました(15,20節、出エジプト記16,17章)。

 

 何より、主がシナイ山に降ってモーセと語られ、「正しい法、真実の律法、優れた掟と戒めを授け」(13節、出エジプト記19章18節以下)、安息日を布告されました(14節、出エジプト記20章8~11節、31章12~17節、35章2,3節など)。

 

 傲慢にも不平をもらし、エジプトの苦役に戻った方がよいさえと考えました(16,17節、出エジプト記16章3節、民数記11章)。牛の像を鋳て造り、エジプトから救ってくれた神だと称しました(18節、出エジプト記32章4,8節)。

 

 約束の地に入り、その地を嗣業として受け、豊かな生活が出来るようになりましたが(24,25節)、またもや、神に背いて反逆し、律法を捨てて顧みず(26節以下、士師記2章6節など)、立ち帰るようにとの勧めにも耳を貸さず、頑なに背を向け続けました(29節)。

 

 その結果、恵みから落ちて、分裂して北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国はバビロンに滅ぼされてしまったのです(30節、列王記上12章、列王記下17,25章)。イスラエル10部族はそれによって消滅し、ユダ族はバビロンに捕囚とされました。

 

 しかし、彼らはそこで滅ぼし尽くされたのではありません。神に見捨てられたのでもありません。冒頭の言葉(31節)で、「まことに憐れみ深いあなたは、彼らを滅ぼし尽くそうとはなさらず、見捨てようとはなさらなかった」と言っている通りです。50年の捕囚生活の後、神の憐れみによって、捕囚から解放される恵みに与ったのです。

 

 神殿が建て直されました(エズラ記6章15節)。城壁も修復されました(ネヘミヤ記6章15節)。しかしそれは、イスラエルの人々が自分たちで計画立案して実行したというわけではありません。また、彼らだけでは、それぞれの工事の完成を見ることも出来なかったでしょう。神の憐れみと導きによって、主を礼拝し、安定した生活を送るための環境が整えられたのです。

 

 しかし、その後もたびたび神に背いてその道を離れます。そのたびに民は挫折と神の憐れみを味わいます。「まことにあなたは恵みに満ち、憐れみ深い神」(31節)と言っているのは、彼らがこれまで繰り返し経験して来たことです。昔はそうだったということだけではなく、今もイスラエルはこの神の憐れみの下にいるのです。

 

 そして、絶えずその憐れみを必要としています。つまり、神の豊かな恵みと深い憐れみ、それなしに生きることは出来ないという、彼らの信仰の表明ということが出来ます。というのは、相変わらず罪の誘惑にさらされており、しばしばその奴隷になってしまうからです。

 

 捕囚から帰還して100年、神の民イスラエルがその恵みにどのように応えて生きてきたのかということが、御言葉を通して、御言葉によって問われたのです。彼らは今、バビロン捕囚から解放されていますが、ペルシアの支配下にあります。重税に苦しめられています。

 

 それが、自分たちの罪の結果であることを御言葉を通して示されたので、「わたしたちはあなたに背いてしまいました」(33節)と告白し、「先祖に与えられたこの土地、その実りと恵みを楽しむように与えられたこの土地にあって、ご覧ください、わたしたちは奴隷にされています」(36節)と、その認識を示しています。

 

 「あなたは正しく行動されました。あなたは忠実に行動されました」(33節)というのも、自分たちの被った苦難のすべてが、起こるべくして起こったこと(32節)、イスラエルの民の背信による神の行動、裁きなのだということです。

 

 そう示されたからこそ、彼らは神の救いの出来事を記念する仮庵祭を祝った後(8章16節以下)、「集まって断食し、粗布をまとい、土をその身にふりかけ」(1節)、自分たちが死すべき運命にあることを示し、悔い改めの姿勢をとったのです(2,3節)。

 

 神は、イスラエルの民が真に悔い改めてご自分のもとに帰って来ることを、豊かな恵みと憐れみをもって待ち続けておられますが、同様に主イエスを信じる信仰の恵みに与った私たちにも、絶えず豊かな慈愛と寛容と忍耐をもって、悔い改めの実を結ぶように待ち続けていてくださるのです(ローマ書2章4節、9章22節以下、11章22節以下参照)。

 

 日毎に主を仰ぎ、謙ってその御言葉に耳を傾け、御心に従って歩ませて頂きましょう。 

 

 主よ、御名が崇められますように。あなたのみが主、すべてのものを創造され、万物に命をお与えになるお方です。私たちを憐れみ、私たちの罪を赦しください。私たちを試みに遭わせず、悪からお救いください。そうしてくださることを感謝します。全世界にキリストの平和がありますように。 アーメン

 

 

「そのまことに貴い兄弟たちに協力するものであり、神の僕モーセによって授けられた神の律法に従って歩み、わたしたちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである。」 ネヘミヤ記10章30節

 

 真剣に主の律法を朗読し、御言葉の光を受けて悔い改めへと導かれ(9章3節)、主を賛美した民は(同5節以下)、総督ネヘミヤを筆頭に(2節以下)主の御前に誓約してそれを書き留め、捺印します(1節)。

 

 その誓約に加わったのは、総督ネヘミヤ(2節)、ツィドキヤ以下の祭司たち(2節以下)、イエシュア以下のレビ人(10節以下)、そして、パルオシュ以下、民の頭という高官たち(15節以下)、そして、そのほかの人々です(29節以下)。 

 

 誓約した内容は、31節の「わたしたちは、娘をこの地の民に嫁がせず、彼らの娘をわたしたちの息子の嫁にしない」から始まって、安息日、安息年、負債免除の規定を守ること(32節)、神殿税の納付(33節以下)、時に応じての献げ物など(36節以下)というものです。

 

 最初に、異民族との結婚についての条項が上げられているところに、この問題の深刻さが示されます(エズラ記9章、ネヘミヤ記13章23節以下)。安息日、安息年は、民族のアイデンティティー形成に関係する条項です。そして負債免除の規定が上げられるのは、5章1節以下のエピソードがここに繁栄しているといえます。

 

 そして、この誓約の大半が献げ物についての言葉になっていることは、エズラが朗読した神の律法に耳を傾けたイスラエルの民が、主なる神を礼拝することをいかに大切に考えていたかを示しています。

 

 そのことを冒頭の言葉(30節)で、「神の僕モーセによって授けられた神の律法に従って歩み、わたしたちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである」と、言い表しています。

 

 ここで、「わたしたちの主」はアドーネーヌー、つづく「主(の戒め)」はヤハウェという言葉です。そのまま訳せば、「わたしたちの主ヤハウェの戒めと法と掟をすべて守り」という言葉遣いになっています。

 

 また、「誓い、確約する」という言葉は、口語訳、新改訳では「呪いと誓いとに加わる」と訳されています。これは、もしもこの約束を破れば、神に呪われてもよいという誓いであることを表しています。それは、申命記28章に規定されているようなことでしょう。

 

 即ち、「もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう」(同28章1,2節)と、主に従う者に対する祝福が告げられます。

 

 他方、「しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう」(同15節)と、主に聞き従わない者に対する呪いの言葉も記されています。

 

 呪いを込めた誓約を行ったということは、その誓約を真剣に実行する覚悟を示すものといえますが、そうでもしなければ誓いを守れないということでもあります。それは、人間がいかに不真実な存在であるかということを、如実に表わしています。それにも拘わらず、神は深い憐れみをもって、真実を尽くし、恵みをお与えくださいます。それが、9章のレビ人の賛美と祈りによく示されていました。  

 

 神に献げるものは、勿論、真実なもの、良いものでなければなりません。残り物、余り物を捧げるのではありません。それは、しばしば痛みを伴うものでしょう。神への献げ物をいけにえ、犠牲という所以です。

 

 けれども、それを強いられてというのではなく、自ら進んで、喜びと感謝をもって行うのです(第二コリント9章7節)。それは、先に神が私たちのために犠牲を払われたこと、神が痛みをもって私たちを受け止め、受入れてくださっていることを知るからです。

 

 私たちの献身は、その神の憐れみに支えられ、促されてなされていくものなのです。パウロが、「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(ローマ書12章1節)と言っているのは、そのことです。神の恵みを知り、神の愛に応えたいという思いが具体的に表されて、献身の誓いとなったのです。

 

 誓約の最後で「わたしたちは決してわたしたちの神殿をおろそかにしません」(40節)と言っています。これは、当然、建物を大切にするという意味でしょう。そしてまた、神殿で行われている祭儀、行事を大切にするという意味もあるでしょう。さらに、そこで働く祭司やレビ人、門衛や詠唱者たちを大切にするという意味もあるでしょう。

 

 それは何より、神殿にご臨在なさる主なる神を、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして愛することです(マルコ12章30節)。そして、主なる神を愛するとは、主との交わりを大切にすること、具体的には、主の御言葉を聴き、祈り、礼拝をささげ、感謝し喜びをもって御言葉に従うことです。

 

 第二コリント書6章16節に「わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』」と言われています。

 

 インマヌエルの主、私たちと共にいてくださる神の御言葉に耳を傾け、主と共に歩み、絶えず感謝と喜びをもって、唇の実を主にささげて参りましょう。

 

 主よ、私たちは御子イエスの死によって罪赦され、神の子として生きる恵みに与りました。私たちに注がれている神の愛に応え、聖霊の力を受けて、主の御業に励む者とならせてください。主イエス・キリストの平和が全世界にありますように。 アーメン

 

 

「詠唱者に対しては王の命令があって、日ごとに果たすべきことが定められていた。」 ネヘミヤ記11章23節

 

 7章5節以降、ネヘミヤが1人称(わたし)で語る記事は姿を隠し、8章9節、10章2節にネヘミヤの名が登場するものの、この箇所で一人称での語りは9,10章の「わたしたち」という複数形だけ、それは「祭司、レビ人、および民」(10章35節)という、イスラエルのすべての民の発言になっていました。

 

 彼らは、エズラの律法朗読とレビ人による律法の説明を受けてそれを理解し(8章3,7節)、定めに従って仮庵祭を祝いました(同13節)。彼らは、バビロンからの帰還を第二の出エジプトと受け止め、喜び祝ったのです。そして、改めて主の御前に罪を告白し(9章1節以下)、主に従うことを約束しました(10章29節以下)。

 

 その上で、くじを引いて、イスラエル全住民のうち十人に一人を、聖なる都エルサレムに留まる者として選出しました(1節)。くじ引きにすることで、それを神の御心と受けとめるように、また、不公平にならないように配慮したわけです。

 

 これまで城壁、城門が壊れたままで安全が保たれていなかったし、エルサレムとその周辺が他所よりも農耕牧畜に適しているということでもないので、エルサレムに居住し、神殿を守ろうとする者が少なかったのです。

 

 7章4節に「町は二方向に大きく広がっていたが、その中に住む民は少数で、家屋は建てられていなかった」と記されていました。また、バビロンから帰って来た人々の数自体が少なかったことも、一因です。

 

 さらに、既にエルサレム帰還後100年以上経過しており、今さら生活の場を変えるというは、誰もが進んで行いたいことではなかったでしょう。自分の畑や放牧地から離れて住むのも大変です。ですから、進んでエルサレムに住むことを表明した人々は、民から祝福されています(2節)。くじで選ばれた人も、四の五の言わずに移住を受け入れて、その祝福に与ったのでしょう。

 

 士師記5章の「デボラの歌」に、「イスラエルにおいて民が髪を伸ばし、進んで身をささげるとき、主をほめたたえよ」(同2節)、「わが心はイスラエルの指揮する者らとともに、この民の進んで身をささげる者と共にある。主をほめたたえよ」(同9節)とあります。これは、カナンの王の軍勢を打ち破って歌われた凱歌です。

 

 そのことから、進んでエルサレムに移住した人々の存在が、新生イスラエルの一層の発展、繁栄を約束したものと考えられ、それで、すべての民から祝福されたといってもよいでしょう。

 

 マラキ書3章10節に、十分の一の献げ物をもって主を試してみよ、主が必ず天の窓を開き、祝福を限りなく注がれる、と語られています。十人に一人が進んでエルサレム、神の都に住むことで、イスラエルの民全体に祝福が注がれるという思いが、この背後にあるのかも知れません。 

 

 3節以下にエルサレム居住者のリストがありますが、エルサレムに住むことになったのは、ユダの一族が468人(6節)、ベニヤミンの一族が928人(8節)、祭司たちが1192人(10~14節)、レビ人が456人(18,19節)、合計3044人です。そのうち、半数以上の1648人が、祭司やレビ人、門衛、詠唱者という神殿に仕える者たちで、一般住民は1400人足らずということになります。

 

 十人に一人がくじでエルサレムに住むことになったとすれば、少なくとも4200人以上、男女の使用人、詠唱者を含めると、5000人にもなるはずです。3節に、「この州の頭たちでエルサレムに住んだ者は次のとおり」とあるので、家長の数が1400人で、家族すべてを数えると、4~5000人になると考えたらよいのでしょう。

 

 この記事の中で、冒頭の言葉(23節)に目が留まりました。「詠唱者に対しては王の命令があって、日ごとに果たすべきことが定められていた」と記されています。祭司やレビ人、その他神殿に仕える者は、それぞれ果たすべき日課をもっていたと思いますが、詠唱者についてだけ特記されているのは何故でしょうか。

 

 ここに「王の命令があって」とありますが、このとき、イスラエルには王は立てられていません。これがペルシアの王のことだとすると、「王と王子らの幸福な人生を願って祈ってくれるようにせよ」(エズラ記6章10節)という命令に、詠唱者たちをはじめ、レビ人、祭司らが従っているということになります。

 

 しかしながら、これはおそらく、歴代誌上6章16節以下、9章33節以下、25章などにある、ダビデ王によって定められた規定を指しているのでしょう。同9章33節に「レビ人の家系の長である詠唱者たちは、祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき務めを持っていたからである」とあり、ダビデの定めたその日課に従っていたと考えられます。

 

 ここで「日ごとに果たすべきことがさだめられていた」という言葉が、口語訳では「日々の定まった分を与えさせた」と訳されていて、王の指示によって彼らに日当が支払われていたという見解に立っています。

 

 同じ言葉遣いが12章47節にあり、そこでは、「毎日詠唱者と門衛に生活の糧を提供した」と訳されています。毎日の生活の糧、即ち日当が払われていたのであれば、それは詠唱者の生活を安定させるための特別な配慮だったと考えられます。

 

 そうすると、ダビデが家系の長である詠唱者たちに、日毎に果たすべき務めを課して祭司室に留まらせ、他の務めを免除するという特別扱いをしていたのを受けて、ペルシア王が彼らに日当を与えるという定めを設けたということでしょう。それは、彼らの務めが、ペルシアの政治の上でも重要と考えていた証拠です。

 

 ペルシア王が何故そのように考えるようになったのかは、詳らかではありませんが、主を喜び祝うことが力の源であり(ネヘミヤ書8章10節)、また、主なる神はイスラエルの賛美を聖所でお聞きくださる聖なるお方ですから(詩編22編4節)、賛美が絶え間なくささげられるよう、ペルシアの王を動かしたと想像することは、許されるのではないでしょうか。

 

 私たちも、私たちのために十字架にかかって贖いを成し遂げ、救いの道を開いてくださった主イエスに向かい、絶えず心から賛美のいけにえ、主の御名をたたえる唇の実をささげたいと思います(ヘブライ書13章15節)。

 

 主よ、私たちを御霊に満たし、心から主に向かってほめ歌わせてください。いよいよ御名が崇められますように。御国が来ますように。御心がこの地になされますように。全世界に主イエスの平和がありますように。 アーメン

 

 

「その日、礼物と初物と十分の一の供出物を蓄える収納庫の監督が任命された。こうしてそこに、律法が定めているように、祭司とレビ人の生活の糧を、町々の耕地から徴収して納めた。実にユダの人々は、祭司とレビ人の働きを喜んでいた。」 ネヘミヤ記12章44節

 

 完成した城壁を神にささげる奉献に際して、イスラエルの民はあらゆる所からレビ人を集めました(27節)。感謝の祈りと、シンバルや竪琴、琴に合わせた賛美の歌をもって、喜び祝うためです。「祝典」(27節)は、「喜び」(シムハー)という言葉で、新改訳などは、「喜んで(奉献式を)」という訳し方をしています。

 

 エルサレム周辺に住んでいた詠唱者たちも、招集に応じて集まって来ました(28,29節)。祭司とレビ人は、身を清めた上で、民と城門、城壁を清めました(30節)。こうして、奉献式の準備が整えられました。

 

 それから、二つの大合唱隊が組織され、おそらくエルサレム西南にある「谷の門」のあたりから、一隊は城壁の上を右へ反時計回りに糞の門に向かって進み(31節)、泉の門からダビデの町への上り坂を上がり、東の水の門まで行きます(37節)。これは、ネヘミヤがエルサレムにやって来て、城壁を調査したのと同じコースです(2章13節)。

 

 もう一隊は、ネヘミヤと共に左へ時計回りに炉の塔から広壁(38節)、エフライムの門から古い門、魚の門、ハナンエルの塔、ハンメアの塔から北の羊の門、そして警備の門まで進みました(39節)。「羊の門」は、大祭司エルヤシブが、仲間の祭司と共に修復、奉献した場所で(3章1節)、ここから反時計回りに、城壁修復の担当者のリストが記されていました(3章1節以下)。

 

 城壁の上を行進した合唱隊が神殿で合流してその庭に立ち(40節)、ラッパを手にした祭司たちや歌をうたう詠唱者たちも共にいて(41,42節)、その日、人々は大いなるいけにえを捧げて喜び祝いました(43節)。

 

 かつて、サンバラトが「この哀れなユダの者どもに、何ができるか。修復していけにえをささげるつもりか」(3章34節)と嘲り、トビヤが「そんな石垣など、狐が昇るだけで崩れてしまうだろう」 (同35節)と笑いましたが、大合唱隊が神へのいけにえを携え、城壁を行進して勝利の主をたたえたのです。

 

 「エルサレムの喜びの声は遠くまで響いた」と言われていますが(43節)、それは、喜びの声が大きかったということだけではないでしょう。「神は大いなる喜びをお与えになり」(43節)は、「大きな喜びを喜ばせた」という言葉遣いです。

 

 つまり、43節には「喜ぶ」という動詞が3回、「喜び」という名詞が2回用いられて、神のお与えになった喜びが、エルサレムの町だけでなく、ユダとベニヤミンのすべての民を大いに喜ばせたということです。

 

 あるいはそれが異邦の民を驚かせ、彼らをも共に喜びに与らせるようなものであったのかも知れません。それは、単に城壁が完成したということに止まらず、神の都エルサレムを再建された生ける神に対する驚きであり、喜びなのです。

 

 そして、冒頭の言葉(44節)のとおり、その日、礼物と初物と十分の一の供出物を蓄える収納庫の監督が任命されました。それは、イスラエルの民が、礼物と初物、収入の十分の一を神への献げ物として供出することになったということです。

 

 そして、監督が任命されたのは、供出が民に徹底されるためであり、そうなれば、供出された物を正しく管理する必要が生じて来るわけです。しかし、ユダの人々はそれを強いられて嫌々行ったのではなく、自発的に進んで行いました。というのは、彼らが祭司やレビ人の働きを喜んでいたからです(44節)。

 

 少し前まで、城壁や城門の再建もままならなかったのに、そして、再建中も敵の攻撃や飢饉などで大変な困難があったのに、こうして修復工事を成し遂げることが出来たのは、実に神の憐れみと助けがあったからです。民は、そのことを実感していたことでしょう。ですから、自分たちだけでなく、異邦人をも驚かせる神の恵みに喜んで応えようとして、彼らは惜しみなく献げたのです。

 

 その献げ物を受けて、祭司、レビ人は神への務めと清めの務めを守り、詠唱者と門衛はその定めによく従いました(45節)。民の進んで献げる思いが、神に仕える者らの心を喜ばせ、その心を込めた奉仕が、イスラエルの民を更に喜ばせていたわけです。

 

 それは、新約の時代、マケドニア州の諸教会の聖徒たちが、「苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさ」を有し(第二コリント書8章2節)、「彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させて欲しいと、しきりに願い出た」ことと同様です(同3節)。

 

 それは、窮乏の中にあるエルサレム教会を支援するための募金でした。パウロは、各地の教会から義捐金を集め、それを届ける働きをしていたのです(第一コリント書16章1節以下)。それは、ご自分のすべてを捧げて私たちに救いの道を開き、豊かな恵みをお与えくださった主イエスに喜んでお従いすることでした。

 

 パウロは、「あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい」と、コリントの人々に勧めています(第二コリント書8章7節)。キリストのゆえに私たちが豊かにされたのは(同9節)、その恵みを分かち与えるため、献げるという点で豊かになるためだというわけです。

 

 「マケドニア州の諸教会の聖徒たち」というのは、フィリピ、テサロニケ、べレアの教会のことでしょう(16章6節以下、17章参照)。特にフィリピの教会は、募金に協力しただけでなく、パウロの伝道旅行を物心両面で支援していました(フィリピ書2章25節、4章10節以下)。それを、「香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」(同4章18節)と言っています。 

 

 同じ信仰の恵みにあずかっている私たちも、喜びと感謝を込めて惜しみなく精一杯捧げ、天に宝を積む者とならせて頂きたいと思います。

 

 主よ、御子がご自分の命をさえ惜しまず与え尽くされたように、私たちの主に倣い、その恵みに応えて感謝と喜びをもって献げる豊かさ、分かち合う恵みに与らせてください。全世界に主イエスの恵みと平和が豊かにありますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「その日、モーセの書が民に読み聞かされ、アンモン人とモアブ人は神の会衆に永久に加われないと記されているのが分かった。かつて彼らは、パンと水をもってイスラエル人を迎えず、バラムを雇ってイスラエル人を呪わせようとしたからである。わたしたちの神は、その呪いを祝福に変えてくださった。」 ネヘミヤ記13章1,2節

 

 冒頭の言葉で「その日」(1節)とあるのは、12章44節の「その日」とともに、「あるとき」といった意味で記されているものだと考えられます。もしも「その日」を12章7節以下の城壁奉献の日と考えると、4節の「それに先立って」というのは、城壁奉献の前にということになるでしょう。

 

 しかし、6節に「その時わたしはエルサレムにいなかった。バビロンの王アルタクセルクセスの第32年にわたしは王のもとに行っていたからである」とあり、それは城壁を再建したアルタクセルクセス王の第20年9月から12年経過した後のことです。奉献式の12年後の出来事が、奉献式の日の出来事に先立って行われるというのは、あり得ないことです。

 

 ネヘミヤが城壁を再建して、アルタクセルクセス王のもとに帰っている間に、エルサレムの人々のタガが緩み、祭司以外には入ることが許されていない神殿の祭司室を、アンモン人のトビヤが使用するようになっていました(4,5節)。

 

 トビヤは、アラの子シェカンヤの娘婿であり、トビヤの子ヨハナンはベレクヤの子メシュラムの娘をめとっていました(8章18節)。1節の「トビヤと縁のある祭司エルヤシブ」とは、そのような婚姻関係を言うのでしょう。

 

 また、レビ人に対する報酬が支払われずに、務めに就いていたレビ人と詠唱者が、自分の耕地に帰り、農耕に従事せざるを得ない状況になっていました(10節)。「神殿を見捨てられたままにしておくのか」(12節)、「ユダの人々が皆、十分の一の穀物と新しいぶどう酒と油を貯蔵室に持って来た」(13節)との言葉から、ユダの人々が献げ物を持って来なくなっていたようです。

 

 また、祭司シェレムヤ、書記官ツァドク、レビ人ペダヤに貯蔵室の管理を命じ、「彼らは忠実な人物とされており、仲間に分配する任務が彼らにゆだねられた」(13節)と記されているので、役人たちが不忠実で、祭司室と同様の流用がなされていたのかも知れません。

 

 また、安息日も蔑ろにされ、酒ぶねでぶどうを踏み、穀物の束を運ぶ者、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじくその他あらゆる荷物が同じようにエルサレムに運び入れられていました(15節)。ティルス人もそこに住み着いて、魚を初めあらゆる種類の商品を持ち込み、安息日にエルサレムで、ユダの人々に売っていました(16節)。

 

 さらに、エズラ記10章で取り扱われた異民族との結婚が、再び問題になりました。それが23節以下の記事です。28節の「大祭司エルヤシブの孫でヨヤダの子の一人が、ホロニ人サンバラトの娘婿となっていた」という言葉で、アンモン人トビヤといい(4,5節、6章18節)、ホロニ人サンバラトといい、婚姻を道具にいかに中枢に食い込んでいることでしょう。

 

 「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。それは、かつてあなたたちがエジプトから出て来たとき、彼らはパンと水を用意して旅路で歓迎せず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたを呪わせようとしたからである」(申命記23章4,5節)との規定を無視する所業です。

 

 ネヘミヤがバビロンからエルサレムに戻って来て、正確な日付は不明であるものの、それらの問題の解決のために行動したというのが、12章44節以下の記録なのです。

 

 トビヤが祭司室を流用し(5節)、さらに収納庫を流用していたので(7節)、収納庫の監督を任命して、献げ物、供出物の収納、管理にあたらせ(12章44節)、また、「モーセの書」と言われる申命記23章4~7節の規定に基づいて(1,2節)、アンモン人のトビヤをイスラエルから切り離したわけです(3節)。

 

 レビ人に対する報酬が支払われていないという問題については(10節)、問題を放置していた役人たちを責め、レビ人、詠唱者を招集して務めにつかせ(11節)、分配が滞らないようにしました(12節以下)。 

 

 安息日が汚されている問題については(15節)、それを行っている者たちを戒め(15節)、それを行わせている貴族たちを責め(17,18節)、その対策として、安息日の間、城門を閉じて荷物が運び込まれないようにし(19節)、城門の外にいる商売人らを戒め、繰り返す者は処罰すると宣言しました(21節)。

 

 また、異民族の女性と結婚している人々について、彼らの子らの半数はユダの言葉を知らないという有様だったので(24節)、あらためて、異民族の娘との結婚を禁じました(25節以下)。特に、大祭司の孫がホロニ人サンバラトの娘婿になっているのが分かり、祭司職を汚したということで、遠く追放しました(28節)。

 

 ここに記されている「ネヘミヤの改革」は、10章31節以下の誓約に基づいて行われています。つまり、イスラエルの民は、ネヘミヤ不在のときに、その誓約を疎かにしていたということです。こうしたことが繰り返される背景には、イスラエルに戻って来た民の生活が、ずっと苦しく厳しいものだったということもあるのだろうと思います。

 

 始終、近隣の強い敵に脅かされ、あるいはパレスティナの厳しい自然環境に苦しめられていたのでしょう。そこで、少しでも安定した生活を送るために、周辺諸民族と姻戚関係を結び、彼らの生活習慣を取り入れ、その民のようになることを望むということが、繰り返し行われたのではないでしょうか。

 

 ここで、アンモン人とモアブ人が永久に神の民に加われないというのは(1節)、彼らがユダヤ教に改宗することを許さないということではないと思います。異教の神をイスラエルの中に持ち込ませない、永久に異教の習慣に倣ってはいけないということです。

 

 エズラの時代にも、捕囚の地から帰って来たイスラエルの人々だけでなく、イスラエルの神なる主を尋ね求めて、カナンの地の諸民族の汚れを離れて来た人々も、過越の食事に加わることが許されています(エズラ記6章21節)。

 

 士師の時代に、飢饉に見舞われたユダ族のエリメレク一家が故郷のベツレヘムを離れてモアブに移り住み、そこでモアブ人の嫁を迎えました(ルツ記1章1,2節)。それが災いを呼んだのか、一家の主人エリメレクと二人の息子たちが相次いで亡くなりました(同3,5節)。

 

 一人残されたエリメレクの妻ナオミは、傷心のうちに寂しく帰国しようとします(同5,6節)。それは、主が祖国の民を顧み、食べ物をお与えになったということを聞いたからです。

 

 二人の嫁もついて来ましたが(同7節)、自分の里に帰るようにというナオミの言葉に(同8節以下)、嫁の一人オルパは別れの口づけをして去りました。しかし、もう一人の嫁ルツは離れようとしません(同14節)。結局、ルツはナオミについて来ることになりました(同18,19節)。

 

 ルツは姑のナオミに「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」(同16節)と言いました。彼女は、ナオミの嫁としてイスラエルの民になり、ナオミの神を自分の神にすると、固く決意していたのです。

 

 そして、導かれてエリメレクの親戚ボアズに嫁ぎ、ナオミのために男の子をもうけました(同4章13節)。その子は、オベドと名付けられます(同16節)。そして、オベドにはエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれたのです(同22節)。

 

 冒頭の言葉(2節)に「わたしたちの神は、その呪いを祝福に変えてくださった」という言葉が記されていますが、確かに神は、モアブ人の嫁ルツを通して、ナオミ一族の呪いを祝福に変えてくださったわけです。しかも、そのオベドは前述の通り、イスラエルの偉大な王ダビデの祖父にあたります。イスラエルにとっても、大きな恵みが与えられることになったわけです。

 

 ネヘミヤは、このような厳しい状況の中で、罪を繰り返し犯し続けるイスラエルの民を正しく導くために、乱れた祭司室を清め(9節)、レビ人らを務めに就かせ(11節)、安息日を守らせるためにエルサレムの城門の管理を厳しくし(15節以下)、レビ人に身を清めて安息日を聖とするように命じました(22節)。

 

 そして、神の憐れみと恵みの導きを求めて祈っています(14,22,29節以下)。主は、そのように主を尋ね求める者にご自分を示してくださり(歴代誌下15章2節)、主と心を一つにしようとする者を力づけてくださいます(同16章9節)。

 

 私たちも、人ではなく、ただ主を求め、主に信頼して、歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは弱いものです。自分で決めたこと、約束したことを守ることが出来ません。御言葉を聴くことなく、その導きに与ることなく、おのが道を正しく保つことの出来る人はいません。むしろ、あなたの祝福を呪いと取り換えるような真似さえしてしまいます。主よ、憐れんでください。助けてください。御名によって正しい道に導いてください。万事を益としてくださる主に依り頼みます。絶えず主の恵みに与らせ、御名の栄光をほめ讃えさせてください。 アーメン

 

 

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