ゼファニヤ書

 

 

「わたしは地の面から、すべてのものを一掃する、と主は言われる。」 ゼファニヤ書1章2節

 

 本書の著者、預言者ゼファニヤは、「ユダの王アモンの子ヨシヤの時代」(1節)に活動しました。ヨシヤの治世は紀元前640年から609年です。ゼファニヤ書が著わされたのは、その内容から、ヨシヤ王が徹底的な宗教改革を行う紀元前622年よりも前、630年ごろのことではないかと想定されています。

 

 これは、イザヤやホセア、アモス、ミカという預言者が活動した紀元前700年代から半世紀以上たっていて、その間には預言者の活動は記録されていません。ですから、ゼファニヤは待ち望まれていた預言者の出現ということが出来るでしょう。

 

 ゼファニヤについて、本書に記されている以外のことは不明です。「クシの子ゼファニヤに臨んだ言葉」と記した後、他の預言書とは異例の、「クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒズキヤの子」と、預言者の4代前に遡る系図が記されています。

 

 「ヒズキヤ」は、ユダの王ヒゼキヤと綴りは同じです。新共同訳がこれを「ヒズキヤ」と読ませているのは、ヒゼキヤ王とは別人と考えていることを示しているものと思われますが、ゼファニヤがヒゼキヤ王の血筋か否か、はっきりとした証拠は何もありません。

 

 王の血筋ということであれば、ヒゼキヤによって進められた宗教改革が、その子マナセの代に頓挫し、北イスラエルと同じく主なる神に背き、滅びの道を進んでいることに、王家の血を引く者として、痛みをもって預言しているということになるでしょう。

 

 ヨシヤが王となったのは8歳です(列王記下22章1節)。当然のことながら、およそ、国を統治する力があったとは思われません。ヨシヤの父アモンは2年間、国を治めましたが、謀反によって殺害されてしまいました。

 

 アモンの父マナセは、12歳から55年ユダを治めました。イスラエル史上最も長く国を治めた王でした。しかしその治世は、アッシリアの強大な力によって政治的に隷属させられているような状態であり、生活文化、宗教に至るまで多大な影響を受けました。そのためもあってか、マナセは、父ヒゼキヤとは違って、信仰的に堕落してしまっていました。

 

 そして、ヨシヤが王となってしばらくは、マナセ、アモンの時代状況がそのままそこに存在していたのです。そこに預言者ゼファニヤが登場して、このままでは、天地万物を創造された神が憤られて、冒頭の言葉(2節)にあるとおり、すべてのものが破滅してしまうと警告したのです。

 

 特にここで問題とされているのは、バアル神や天の万象を拝む偶像礼拝(4,5節)、主に誓いを立てながらマルカム神にも誓いを立てるという二心(5節)、そして、主に背き、主を求めようとしない不信仰(6節)です。

 

 ここで「マルカム」とは、王という意味のアンモン人の神ミルコムのことと考えられ(列王記上11章5節)、それはまた、「モレク」と同義のものです(同11章7節参照)。この「モレク」は、「メレク(「王」の意)」に「恥」(ボシェト)の音を重ねた、ミルコム神を貶める名として用いられているものです。

 

 レビ記20章に「死刑に関する規定」がありますが、最初に、「自分の子をモレク神にささげる者」が登場して来ます(同2節以下)。そう規定されるということは、イスラエル国内において、その問題が深刻だったということを示しているわけです。つまり、北イスラエルが偶像礼拝の罪のゆえにアッシリアに滅ぼされましたが、南ユダは、その歴史から何も学ばなかったということです。

 

 冒頭の言葉(2節)の「すべてのものを一掃する」という主の言葉を、どのように聞くことが出来るでしょうか。ユダの人々がこの言葉を聞き流し、なおも不信仰の罪を続けるなら、語られたとおりに裁きを受けることになります。いわばこれは、イエローカードです。

 

 ニネベの町が預言者ヨナの宣教によって徹底的に悔い改めたとき、主はニネベを憐れみ、災いを下すことをやめられました(ヨナ書3章)。そして、ユダの王ヨシヤが紀元前622年に宗教改革を断行したのも(列王記下22章3節以下、23章)、ゼファニヤの預言活動に強く刺激されたことによって、真の信仰に目覚めさせられたからかも知れません。

 

 ここに、偶像礼拝と二心、不信仰の芽は取り除かれたように見えます。しかし、その根っこは深いところにあって、そう簡単に一掃することは出来ません。ヨシヤの死後、その子ヨヤキムは、「先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」(列王記下23章36,37節)と言われるとおり、再び芽を出し、国中にはびこって行きました。

 

 その結果、先に北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたように、南ユダもバビロンによって滅びを刈り取らねばならなくなってしまいました。勿論、「すべてのものを一掃する」という言葉は、主なる神に従う者まで一掃するということではなかったはずです。このイエローカードを見せられてなお、主に立ち帰ることがなかったので、警告通りに執行されてしまったのです。

 

 私たちは神の憐れみによって、主イエスを信じる信仰に導かれ、ぶどうの木なる主イエスに連なる枝にしていただきました。信仰の実りをもたらすことが出来るよう、無用な枝は取り除いていただくなど、農夫であられる神に手入れしていただきましょう。 

 

 主よ、私たちを憐れんでください。私の中に、苦い根が蔓延しています。主に従いたいと願いながら、二心があります。モノに心が惹かれます。いつも主を求め続けることが出来ません。私たちの心を深く耕してください。悪の根を一掃してください。私たちに清い心、新しく確かな霊を授けてください。聖霊の満たしと導きを受けて、あなたの望まれるとおりの者になれますように。 アーメン

 

 

「主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきたこの地のすべての人々よ、恵みの業を求めよ。苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に、あるいは、身を守られるであろう。」 ゼファニヤ書2章3節

 

 1章2節に「すべてのものを一掃する」という主の裁きの言葉があり、2章4節以下に、イスラエルだけでなく諸外国の裁きが語られます。4節以下にペリシテ人、8節以下にもアブとアンモン、12節にクシュ人、13節以下にアッシリア人の裁きが告げられています。

 

 中でも、12節のクシュと13節のアッシリアに対する言葉が目を引きます。クシュは、今日のエチオピアのことです。エチオピアの王がエジプトを治めていたこともありましたから、ここでは、エジプトと考えても良いでしょう。イスラエルは、エジプトとアッシリアという二つの大国に挟まれて、長い間、その対応に苦慮してきました。

 

 12,13節で、これら両大国が滅ぼされると語られています。これは、イスラエルの民にとっては大喝采となるところでしょうけれども、しかし、彼らはこの預言を、額面どおりに受け取ることが出来たでしょうか。北イスラエル滅亡後、1世紀にわたってアッシリアに隷属して来た南ユダが、この言葉を聞いて、素直に信じ、喜ぶことが出来たかどうか、少々疑問です。

 

 それは、エジプトとアッシリアが滅ぼされるというのは、今日において、アメリカやロシア、あるいは中国が滅亡するというのに等しいようなことだからです。そして、そのように強大な国々が滅びるような事態にあって、小国イスラエルは無事でいられるでしょうか。

 

 私たちはしかし、紀元前612年にアッシリアの都ニネベがバビロニア帝国によって陥落させられ、やがて歴史の舞台から姿を消したこと、また、エジプトも紀元前525年にペルシア帝国に支配され、前332年にはアレキサンダー大王に征服され、その後、ギリシア系のプトレマイオス朝が成立、ギリシア文化の中心地の一つとなったことを知っています。

 

 このように、すべてのものが移り変わる中で、神の御言葉の確かさが証明されたのです。蛇足ながら、アレキサンダー大王がエジプトに建設した町アレキサンドリアで、旧約聖書がギリシア語に翻訳されました(70人訳・セプチュアジンタ)。新約時代にクリスチャンたちによってそれが世界伝道のために用いられました。それはアレキサンダー大王の隠れた功績と言ってもよいでしょう。

 

 これが、後にペトロがイザヤの預言を引用しながら、「『草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない』。これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです」(第一ペトロ1章24,25節)と記している消息です。

 

 アッシリアもバビロンもペルシアもアレキサンダー率いるギリシアも、そして使徒ペトロの時代、「すべての道はローマに通ず」と言わしめたローマ帝国であっても、「草は枯れ、花は散る」、どんなに栄耀栄華を誇っていても、枯れるとき、散るときがやって来ます。進んだ文明も華やいだ文化も、豊かな富も強大な軍事力も、決して明日を保証してはくれないのです。

 

 ゼファニヤは、この裁きを身に受けることがないよう、その日が来る前に、すべての民を招集します(1節)。ここで「恥を知らぬ国よ」と呼びかけていることから、預言者として主のみ言葉を告げてはいるものの、どこまで彼らがそれを受け止めてくれるのか、まったく分からなかったのではないでしょうか。

 

 そして、冒頭の言葉(3節)にあるように、「主を求めよ」と語ります。さらに「恵みの業」(ツェデク=義)を求めること、「苦しみに耐えること」(アナーヴァー=謙虚、柔和)を求めよと告げます。主を求めるということが,単に救いを求めるのではなく、その義と謙遜を追い求めることであると教えられます。

 

 主なる神は、ご自身のかたちに創造された人間を滅ぼしてしまおうとされているわけではありません。すべての民が悔い改め、謙ってご自分に立ち帰って来ることを求めておられるのです。そのため、預言者を繰り返し遣わされて、裁きの日の来ぬうちに主を求めよと呼びかけ続けておられるのです。

 

 「判決が出されぬうちに。もみがらのように、その日は飛び去る。主の燃える怒りがお前たちに臨まぬうちに。主の怒りの日がお前たちに臨まぬうちに」(2節)。ただ、このように語っているゼファニヤ自身、この言葉をイスラエルの民が聞き入れてくれると思っていたでしょうか。

 

 3節終わりで「主の怒りの日に、あるいは、身を守られるであろう」と言っているのは、主が怒りをおさめ、裁きを取りやめられるという事態にはならないのではないかということも示しています。「あるいは、身を守られるであろう」という確信のない表現は、主を求め、恵みの業を求め、苦しみに耐えることを求める人が極めて少ないと考えている表れのようです。

 

 しかしながら、彼の言葉に耳を傾ける者がどんなにわずかであっても、襲い来る裁きの苦しみから逃れ得る人の数がいかに少なくても、預言者は主の御旨に従い、委ねられた使命を全うするためにイスラエルの民に悔い改めを呼びかけ、主を求めよ、恵みの技を求め、苦しみに耐えることを求めよと叫ぶのです。

 

 主の御言葉に耳を傾けましょう。その導きに従いましょう。御子イエスの命をもって贖われ、神の子として召し出された私たちです。キリストの平和実現のため、共に委ねられている主の御業に励みましょう。 

 

 主よ、憐れんでください。御前に謙り、従順を学ばせてください。柔和を学ばせてください。あなたを求めます。恵みの業を求めます。どんな困難をも乗り越えることが出来ますように。愛の御手をもって弱く貧しい私たちを正しい道に導いてください。聖霊に満たされ、力を受けて主の恵みの証し人、愛の証し人となれますように。 アーメン

 

 

「その後、わたしは諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える。」 ゼファニヤ書3章9節

 

 2章4節以下、諸国民の罪を裁く言葉を語っていたゼファニヤは、改めてエルサレムの都に目を向けます。列王記上14章21節に「エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった」と記されています。主なる神に選ばれ、主の神殿が置かれたこの町は、神の恵みによってどんなときにも平和裏に守られると信じられていました。

 

 その町がしかし、「反逆と汚れに満ちた暴虐の都」(1節)と言われます。それは、「神の声を聞かず、戒めを受け入れなかった」(2節)からであり、「主に信頼せず、神に近づこうとしなかった」(同節)からです。3節以下に、役人たち、裁判官たち(3節)、預言者たち、祭司たち(4節)という職名が掲げられます。つまり、国の指導者たちの反逆と汚れが、主に裁かれているのです。

 

 ここに王のことが語られていないのは、ゼファニヤの活動時期に8歳で即位したヨシヤ王はまだ若く(列王記下22章1節、紀元前630年頃は18歳)、政治の実権を握っていたのは、摂政を初めとする役人ら、指導者たちだったからと考えられます。ヨシヤはその治世第18年、26歳になって決然と宗教改革に乗り出しました(同22章3節、紀元前623年頃)。

 

 6,7節に、国の指導者らが過去の歴史や周辺諸国の状況から何も学ばず、自ら滅びを招いたことが語られます。主なる神は諸国の民を滅ぼし、城壁の塔を破壊、街路をあれるに任せられ、それを見たイスラエルの民が必ず主を畏れ、戒めを受け入れるに違いないと思っておられました。けれども、「彼らはますます堕落を重ね、あらゆる悪事を行った」(7節)と言われます。

 

 即ち、アッシリアによってアラムの都ダマスコが陥落し、また北イスラエルの都サマリヤが陥落したこと、そして、今はそのアッシリアの国力が低下し、バビロニアが台頭してきていることを背景として、そこに主の御手があることを見て取らず、自らを省みて主を畏れ、戒めを受け入れようとはしなかったと言われているのです。

 

 だから、「諸国の民を集め、もろもろの王国を呼び寄せ、彼らの上に、憤りと激しい怒りを注ぐことを定めた」、「必ず、地上はくまなく、わたしの熱情の火に焼き尽くされる」(8節)と告げられ、神の都エルサレムもその例外ではないことが示されたのです。

 

 ところが、9節からはまったく様子が変わります。冒頭の言葉(9節)のとおり、主の激しい怒りによって地上が熱情の火で焼き尽くされた後、諸国の民に清い唇が与えられ、彼らは皆主の名を唱え、一つとなって主に仕えると言われます。

 

 10節の「クシュの川」とは、エチオピアがエジプトを治めていたこともあるので、ナイル川のことをそのように言っているのでしょう。「クシュの川の向こうから」、「かつてわたしが散らした民」という表現は、イスラエル、ユダの民以外にも、主なる神を礼拝する者、主のもとに献げ物を携えて来る者が起こされることを明示するものです。

 

 そして、12,13節にイスラエルの「残りの者」についての言及があり、彼らに「娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声を上げよ」(14節)と呼びかけられ、「主はお前に対する裁きを退け、お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない」(15節)と力強く宣言されます。

 

 何があって、こんな変化が生まれたのでしょうか。学者の中には、9節以下は別の人の筆になるのではないかと考える人も少なくありません。特に、20節の「そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す」という言葉から、バビロン捕囚の苦汁を嘗めているイスラエルの民が、バビロンから解放されて帰国することを示していると考えて、これを捕囚中、あるいは捕囚後に語られたものと想定するのです。

 

 しかしながら、ゼファニアは北イスラエルと同様、南ユダもアッシリアによって滅ぼされると考えていたのではないかと思われますし、そして、その中で残される者がいると期待して語ったと考えることも出来ます。また、そのような具体的な出来事ではなく、この世界の終末について、ゼファニヤが主に示されるまま語ったと考えることも出来るでしょう。

 

 いずれにせよ、確かにバビロン捕囚はエルサレムが主に裁かれ、すべてのものを失うという決定的な経験でした。主だった者は皆、奴隷としてバビロンに連れ去られ、神殿が破壊され、エルサレムの都も廃墟になるという、もう二度と立ち上がれないような出来事でした。にもかかわらず、そこから再び立ち上がることが出来たのはなぜでしょうか。

 

 それこそ、イスラエルの人々の努力の賜物というのではありません。悔い改めた結果などでもありません。捕囚によって打ち砕かれて小さくされた人々、苦しみ呻いている人々を、主なる神が憐れみ、救いを与えてくださったからではないでしょうか。

 

 詩編の記者が、「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」(詩編34編19節)、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(同51編19節)、そして、「打ち砕かれた心の人々を癒し、その傷を包んでくださる」(同147編3節)と詠っています。

 

 あらためて冒頭の言葉で主は、「諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える」と言われました。これは、かつて、人々が思い上がって天にまで届く塔を建てようとしているのを主がご覧になって、人々の言葉を混乱させ、全地に散らされたというバベルの塔の物語(創世記11章1~9節)を、逆転させるような話です。

 

 主なる神は、不信仰、不従順の罪に満ちた地の面からすべてのものを一掃し(1章2節)、諸国の民を滅ぼされた後(3章6節)、それを清めて、新しい言葉を語る新しい民を創造されるのです。それは、主の名を唱えながら、一つになって主に仕える神の民イスラエルの再創造です。

 

 この御言葉は、使徒言行録2章で実現したといってよいでしょう。聖霊に満たされた使徒たちが、世界中の国言葉で「神の偉大な業を語っている」のを、人々が聞いたのです(使徒2章7節以下、11節)。そして、多くの人々がペトロの言葉を受け入れ、主に仕える仲間に加わり、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心」になりました(同2章41,42節)。

 

 私たちも主なる神の御前に謙り、その救いに感謝して、聖霊により喜び叫びましょう。歓呼の声を上げ、心の底から喜び躍りましょう。

 

 主よ、あなたの愛と憐れみに感謝します。何度も私たちの名を呼び、正しい道に導き返してくださいました。死んでいたような者を生き返らせてくださいました。今、あなたが私たちと共にいて、私たちを守り導いていてくださることを感謝します。絶えず御名を崇めさせてください。どんなときにも喜んで主を賛美することが出来ますように。 アーメン

 

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