イザヤ書①

 

 

「論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる。」 イザヤ書1章18節

 

 本日から、イザヤ書を読み始めます。イザヤ書は1~39章と40~66章の二つの部分に分けられ、双方の著者は別人とされています。前者を第一イザヤ、後者を第二イザヤと呼びます。また、第二イザヤをさらに二つに分けて、40~55章を第二イザヤ、56~66章を第三イザヤと呼ぶこともあります。

 

 第一イザヤは、その預言の内容から、ウジヤ王の死後(紀元前736年ごろ)から、ヒゼキヤ王の時代、アッシリア軍によるエルサレム包囲(紀元前701年ごろ)という大事件が起こったころまでの間、南ユダ王国で活躍した預言者です。

 

 第二イザヤは、それから200年ほど下った紀元前539年、ペルシア王キュロスがバビロンを占領し、イスラエルを解放する前後にバビロンで活動した預言者、第三イザヤは第二イザヤの弟子で、バビロンから帰国して困難な生活をしている民を慰め励ますために活動した預言者ではないかと考えられています。

 

 1章1節に「アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである」とあります。ウジヤからヒゼキヤまで、これは、上記の通り、第一イザヤの活動の時期を示しています。

 

 ただ、この箇所はイザヤ自身が記したものではありません。後に、第一イザヤ(1~39章)と第二イザヤ(40~66章)を一つにまとめてイザヤ書とした編集者が、1節を全体の表題のように記したものと考えられています。というのも、イザヤが自分のことを三人称で表現するとは考えられないからです。

 

 イザヤとは、「主は救い」(イェシャーヤーフー)という意味です。そのような名がつけられるのは、主の救いを味わって感謝しているという意味もあると思いますが、困難の中にあって主の救いを期待しているという名前ではないかと思われます。

 

 第一イザヤの活動期は、ちょうどアッシリア帝国の興隆期にあたり、紀元前732年にシリア、722年に北イスラエルを征服し、712年にはペリシテに遠征、701年にエジプト軍を撃破、そして南ユダに攻め込み、あと一歩でエルサレムを陥落させるところまで来ました。このアッシリアによる南ユダ王国への攻撃を、イザヤは神の裁きと考えて、ユダの民に悔い改めを説いたのです。

 

 イザヤの父アモツについては、何も分かってはいません。6章のイザヤの召命記事の中で、「神殿」が登場してきます。イザヤが祭壇のそばにいたということは、彼が神殿での役割を担う存在、たとえば祭司の家系だったのではないかということを想像させますが、はっきりそう言われてはいないので、詳細は不明です。

 

 「ユダとエルサレムについて見た幻」といいます。イスラエルの中で、ユダとエルサレムに注目させます。イザヤは、南北に別れたイスラエルの南王国ユダ、その都エルサレムを活動場所とする預言者ということです。そして、「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ」は、ダビデの子孫、ダビデ家に連なるユダの王たちです。

 

 エルサレムを都とし、ダビデの家をイスラエルの王として選ばれたのは、主なる神です。イザヤは、エルサレムとダビデの家の者たちに、主に選ばれた者としての責任を問うているのです。

 

 2節以下には、裁きの言葉が記されています。2節で「彼らはわたしに背いた」と言われ、4節にも「彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた」と告げられます。

 

 その裁きの言葉の中で、今日は冒頭の言葉(18節)に注目します。「論じ合おうではないか」というのは、神が民を話し合いに招こうとしている言葉ですが、ユダとエルサレムの民が呼び出されているのは、法廷というような場所ではないでしょうか。そこでお互いの立場をしっかり陳述し合おうというわけです。

 

 法廷で論じ合うのは、そこでイスラエルを裁き、悪しき者を滅ぼしてしまいたいということではありません。「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる」と語られていて、それは論じ合うことによってユダの罪を取り除きたいということでしょう。

 

 ユダの民はその時、神を信じていなかったわけでも、礼拝をしていなかったわけでもありません。ただ、「お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物にわたしは飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない」(11節)と告げられているように、礼拝行為をしさえすれば、神が喜ばれるということではないのです。

 

 むしろ、主の言葉を聞き、神の教えに耳を傾け(2,10節参照)、「善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して、搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護」(17節)することを求められます。謂わば、神に聴いて善を行うことこそ、神の喜び給う真の礼拝なのです。

 

 神の声を聞かず、その罪が赦されるという恵みを味わうことがなければ、南ユダ王国は、北イスラエルと同様にアッシリアに征服され、神の嗣業の地であった領土を奪われてしまうでしょう。

 

 けれども、彼らが神の御前に謙り、罪を認めて悔い改めるならば、おのが身を洗い、雪のように白くなることが出来るのです。悔い改めとは、ごめんなさいというだけでなく、生活をあらためること、常に主の方向を向いて、その御声に耳を傾けること、主の御言葉に従って歩むということです。

 

 だから、19,20節で「お前たちが進んで従うなら、大地の実りを食べることができる。かたくなに背くなら、剣の餌食になる」と言われます。これは、主に従って命の道を歩むか、主を拒んで死の道に進むか、自ら選び取りなさいということです。

 

 私たちの罪のために十字架で贖いの死を遂げてくださった主イエスを信じ、その御言葉に従って、真理と命の道を歩ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちは御前に神の怒りを受けるべき罪人でしたが、御子キリストの贖いにより、罪赦されて永遠の命に与り、神の子として天の御国に国籍を持つ者としていただきました。日々感謝をもって、主の喜ばれる信仰の道をまっすぐに歩ませてください。 アーメン

 

 

「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。」 イザヤ書2章2,3節

 

 1章に「シオンの審判」についての預言が語られていましたが、冒頭の言葉(2,3節)でエルサレムについてのもう一つの預言が語られています。「終わりの日に」とは、この世の終わりの日のことを指しています。つまり、イザヤの預言の射程が、今のこの時代を超えて、世の終わりの日、はるか未来に及んでいるということです。

 

 「主の神殿の山」とはエルサレムのことです。主の神殿は、ダビデの子ソロモンによってエルサレムに築かれ(列王記上5章以下:第一神殿)、バビロン捕囚後、破壊された神殿をダビデの子孫のゼルバベルが再建しました(エズラ記3章以下:第二神殿)。現在、エルサレムにあるのは、イスラム教の神殿ですが、その礎石や西壁は、主イエスの時代、ヘロデ大王が建てたもの(第三神殿)です。

 

 エルサレムは、ダビデの町といわれたシオンの丘にあります。シオンの丘は「どの峰よりも高くそびえる」という山ではありません。ケデロンの谷を挟んで東方にあるオリーブ山をはじめ、エルサレムを取り巻く山々の方が高いのです。その山々とシオンの丘との間に谷(ヒンノム、チュロペオンなど)があることから、それら自然の要害(シオン)によって、エルサレムの町は守られています。

 

 シナイ山やヘルモン山などの高い山は、天と地の接点と考えられていました。ですから、「どの峰よりも高くそびえる」というのは、地理的な表現ではなく、信仰的、霊的な表現で、エルサレムこそ主なる神を礼拝するにふさわしい都、世界の中心であるという言葉なのです。

 

 かつて、モーセはエジプトを脱出したイスラエルの民を率いてシナイ半島を南下し、ホレブの山(シナイ山)で神と顔を合わせ、十戒を授かりました(出エジプト記19,20章、申命記5章)。それと同じように、すべての民が主なる神と相見え、主の教えと御言葉を授けられるために、神の都エルサレム、主の神殿の山を目指して進んで来るのです。

 

 それは、終りの日には神の裁きが行われ、「シオンは裁きを通して贖われ、悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。背く者と罪人は共に打ち砕かれ、主を捨てる者は断たれる」(1章27,28節)からです。

 

 即ち、神の裁きに耐え得る生き方が、主によって示されるからです。多くの民が、「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」(3節)と言うのは、そのためです。

 

 「主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る」(3節)と言われます。マソラ本文に忠実に訳せば、「教え(トーラー)はシオンから出る。そして、主(ヤハウェ)の御言葉(ダーバール)はエルサレムから」という言葉です。

 

 ご覧になってお分かりのように、シオンがエルサレムと同じものであるように、「教え」は、モーセ五書の律法を指しているのではなく、預言者の口を通して告げられる「主の御言葉」と等しいものとして、ここに語られています。

 

 ヘブライ書1章1,2節に「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖たちに語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の創造者と定め、また、御子によって世界を創造されました」と記されています。

 

 ヨハネ福音書1章1,2節に「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった」とあり、「言(ロゴス=ことば)」として、神の独り子なる主イエスを紹介します(同14,17,18節)。

 

 また主イエスは、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しするものだ」(同5章39節)と言われました。聖書に証しされた神の御子イエス・キリストは、エルサレムにおいて、十字架において贖いの死を遂げられ、それによって救いの道を開かれました。

 

 「高くそびえる」(2節)という言葉から、「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」(マタイ福音書5章14節)と語られた主イエスの言葉を思い出しました。どの峰よりも高いということは、誰からも見られるということです。それは、全世界に向かって世の光となるためです。

 

 主イエスは続けて「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようにしなさい」(同16節)と言われました。ここに語られる「立派な行い」とは、私たちが天の父の光を反射することであり、私たちの主イエス・キリストこそ、まことの世の光であることを証しすることです(ヨハネ福音書8章12節)。

 

 そしてそれは、私たちが日毎に主の御前に進み、謙ってその御言葉に耳を傾け、祈りつつ御言葉に従う生き方を通してなされるものです。

 

 主よ、主イエスの御顔に輝く神の栄光を悟る光を、私たちの内にお与えさり、感謝します。私たちを聖霊で満たし、主こそ神であり、神は愛であられることを、力強く証しすることが出来ますように。キリストの言葉を豊かに宿らせ、心から御名を褒め称えさせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「見よ、主なる万軍の神は、支えとなり、頼みとなる者を、また、パンによる支え、水による支えをも、エルサレムとユダから取り去られる。」 イザヤ書3章1節

 

 預言者イザヤは、冒頭の言葉(1節)から、エルサレムとユダの滅亡を語り始めます。ここで、「支えとなり(マシュエーン)、頼みとなる者(マシュエーナー)」というのは、「支える」(シャーアン)という言葉の名詞の男性形と女性形です。同じ言葉を重ねてその意味を強調しているわけです。

 

 ここで、「者」という言葉は、原文にはありません。「エルサレムとユダから取り去られる」ものとして、2,3節に列挙されているのを見ると、それは人であることがは明らかなので、新共同訳は「頼みとなる者」と意訳しているのでしょう。

 

 しかし、「支えとなり、頼みとなる者」に続いて「パンによる支え、水による支え」と語られているので、「頼みとなるもの」とされるべきではないでしょうか。口語訳は「ささえとなり、頼みとなるもの」とし、新改訳は「ささえとたより」、昨年末に出版された聖書協会共同訳も「頼りとなり、支えとなるもの」になっています。

 

 岩波訳は、「エルサレムとユダから頼みと支えを除かれる。すなわち、頼みの総てのパンと頼みの総ての水を」と、「すなわち」という接続詞で「頼みと支え」を「頼みの総てのパンと頼みの総ての水」と並置しています。

 

 「パンによる支え、水による支え」は、まさに生命線です。それが取り去られれば、だれも生きることが出来ません。これは、旱魃や熱波などによる飢饉に見舞われるということが考えられているのでしょうか。

 

 エルサレムとユダが支えとし、頼みとしていたものについて、続く2節で「勇士と戦士」を挙げており、軍事力あるいは軍事的な指導者を頼みとしていることが分かります。さらに「裁きを行う者と預言者」を挙げて、法的、宗教的指導者を頼みとしていることが分かります。

 

 そして「占い師と長老」を挙げて、占いや呪いにより、あるいはまた長い人生経験をもとに助言、指導を与える指導者を頼りとしていることが示されます。3節は、2節を別の言葉で繰り返しています。

 

 そのような指導者たちが取り去られた後には、もはや国を治める力のある者はいません。あるのは、無秩序に荒廃した社会です。指導者がいないので、国の道徳、秩序は乱れてしまいます(5節)。そして、指導者を立てようとしても、それに応じられる者がいません(6,7節)。

 

 6節の「お前にはまだ上着がある。我らの指導者になり、この破滅の始末をしてくれ」というのは、そんな理由でもつけなければ人が立てられないということであり、また、人々は大変困窮した生活をしているということでしょう。

 

 イザヤがこの預言を語ったのは、南ユダ王国がバビロンに滅ぼされる100年以上も前のことです。当時は、アッシリアの脅威を退け、平和と繁栄を謳歌していました。ですから、これを聞いたエルサレムの人々は、驚いたことでしょう。あるいは、イザヤを嘲笑したかもしれません。「彼らは舌と行いをもって主に敵対し、その栄光のまなざしに逆らった」(8節)という言葉からもそれが窺えます。

 

 そもそも、申命記18章10~12節に「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、ト者、易者、呪術師、呪文を唱えるもの、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行うものをすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう」と命じられていました。

 

 それにも拘らず、ユダとエルサレムの人々が頼りとする者として、「占い師」(2節)、「魔術師、呪術師」(3節)が挙げられているということは、彼らがそのような異教の習慣に惑わされて、真の神を頼りとしていないということを明示しています。

 

 「溺れる者は藁をもつかむ」と言いますが、藁をつかんでも、何の助けにもなりません。イザヤは、ユダとエルサレムの人々が支えとし、頼みとしているものは、やがて取り去られてしまう、実際には頼りにならない藁のようなものだと宣告しているわけです。

 

 そして、「しかし言え、主に従う人は幸い、と。彼らは自分の行いの実を食べることができる」(10節)と言います。真に頼みとならないものなら、取り去られてしまった方が良いでしょう。そして私たちは、真の助けをお与えくださる主に聴き従うのです。

 

 主の御言葉に日々素直に耳を傾けましょう。主の御心がどこにあるのか、聖霊の導きを願い、祈り心で黙想しましょう。御言葉に示される教え、戒めを心に留め、誤りを正し、義に導く主の御言葉に聴き従いましょう(第二テモテ書3章16節)。  

 

 主よ、私たちは天地の造り主であられるあなたを、どんなときでも、おのが避けどころとします。私たちの祈りを聞いてください。日々恵みの御業の内に私たちを導き、まっすぐにあなたの道に歩ませてください。朝ごとに御言葉に耳を傾けます。私たちの心の耳を開いてください。御旨を悟り、喜んで従うことが出来ますように。御名を崇めさせてください。この地に御心が行われますように。 アーメン

 

 

「主は、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。」 イザヤ書4章5節

 

 2節に「その日には」とありますが、これは1節の「その日」とは天地の差があります。というのは、1節の「その日」は、3章に記されている、神の審判がユダとエルサレムに臨んだ日です。その日、7人の女性が一人の男性との結婚を望み、それも、パンや着物は自分で何とかするから、名目だけでも結婚したことにして欲しいと言います。

 

 この女性たちは、3章25,26節で「シオンの男らは剣に倒れ、勇士は戦いに倒れる。シオンの城門は嘆き悲しみ、奪い尽くされて彼女は地に座る」と言われているように、その日までに夫を失い、やもめとなった嘆き悲しみの中にいる人々です。

 

 イスラエルにはやもめを援助する法制度がありましたが、一人身となった女性が生きていくには、内縁の妻、妾となるほか術がないという、法制度が崩壊した状態、即ち神の裁きにより、エルサレムが陥落し、南ユダ王国が崩壊した状態を描いているわけです。

 

 一方、2節の「その日」は、裁きの日ではありません。「その日には、イスラエルの生き残った者にとって、主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる」と言われています。

 

 「イスラエルの生き残った者たちにとって」(リフレータト・イスラエール)は、原文ででは、「この地の結んだ実は」を形容する位置に置かれています。他の邦語訳(口語訳、新改訳、岩波訳など)は、そのように訳しています。ただ、解釈上、それほど大きな問題ではありません。即ち、イスラエルにとって、この日は恥が取り去られて栄光となり、また誇り、輝きとなる日だということです。

 

 ということは、「イスラエルの生き残った者」というのは、何とか難を逃れたとか、運良く生き残れたという人々ではありません。神が選んで、新しいイスラエルを築くためにエルサレムに残しておられた者たちのことです。

 

 3節にも、「シオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。彼らはすべて、エルサレムで命を得る者として書き記されている」と言われています。つまり、「イスラエルの生き残った者」は、命の書に名が記されていたので、神によって守られ、そこに残ることが出来たわけです。

 

 4節で、「裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる」というは、主が罪に満ちたユダに審判を下し、エルサレムの町を焼き尽くすことによって、それを罪をすすぎ、清められるということです。

 

 つまり、それまでイスラエルが頼りとしていた、目に見えるすべてのものが滅ぼされ、焼き尽くされることで、もう一度、神のみに頼り、神を仰いで生きる礼拝の民がここに再創造されたわけです。

 

 それに続いて冒頭の言葉(5節)で、「主は、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を作って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる」と言われるのは、出エジプトの民を荒れ野で導いた「雲の柱、火の柱」の記述を思い出させます(出エジプト記13章21節)。

 

 その意味で、イザヤは「その日」を、神に背く頑なな者が神に打たれ、神を信じ、御旨に従って歩む者に、救いと解放がもたらされる第二の出エジプトの日として描いており、「その日」を迎えるために、神はエルサレムとユダを裁かれたのだと言ってよいでしょう。

 

 それはしかし、生き残りの者たちが神の裁きに堪える清いものであったということを意味しません。「汚れを洗い」、「すすぎ清めてくださる」と言われているからです。彼らの汚れが洗われ、罪をすすぎ清めていただけるのは、主なる神の深い憐れみによることなのです。

 

 神の憐れみにより、神を仰いで生きる者として再創造されたイスラエルの民のために、主なる神は自ら、昼は雲となり、夜は火となって、民を覆われます。雲も火も、神の臨在を示すしるしです。もはや、主なる神は、神を礼拝する者、主の御名によって集う者たちから離れられず、彼らを昼の暑さ、夜の寒さから守られるということです。

 

 主イエスは、私たちの罪のために十字架にかかられ、死んで葬られ、三日目に甦られた後、天に登り、神の右の座に着かれました。肉眼では、主イエスを見ることが出来なくなりましたが、神は別の弁護者として真理の霊を遣わしてくださり(ヨハネ福音書14章16節)、私たちと共に、私たちの内にいるようにしてくださいました(同17節)。

 

 また、「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」(同20節)と言われました。「かの日」は、神が御業を行われるために選ばれた日ですが、主が私たちの内におられることが分かる日、主を愛する者が父なる神に愛され、主もその人を愛して、ご自身を啓示してくださる日です(同21節)。

 

 主を信じる私たちの心に聖霊が住まわれ、私たちに主イエスを啓示してくださり、あらゆる霊的な恵みをもって守り、満たし、導いてくださるのです。聖霊を求め、祈りましょう。求める者は得、探す者は見出し、門を叩く者には開かれます(ルカ11章9節)。主は、求める者に聖霊をくださると約束しておられます(同13節)。

 

 主よ、御名を崇めます。どうか御霊によって汚れを洗い、すすぎ清めてください。御言葉によって命の道に導いてください。主を拠り所とし、すべてを委ねて歩みます。私たちを通して御業を行い、御名の栄光を表してください。 アーメン

 

 

「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑。主が楽しんで植えられたのはユダの人々。主は裁きを待っておられたのに、見よ、流血。正義を待っておられたのに、見よ、叫喚。」 イザヤ書5章7節

 

 新共同訳聖書は、5章1~7節の段落に「ぶどう畑の歌」という小見出しをつけています。初めに「わたしは歌おう」(1節)といって歌い出すのは、イザヤ自身です。「わたしの愛する者」とは、主なる神のこと、そして、ぶどう畑とはイスラエルの家、ユダの人々のことを指しています。

 

 この書き出しから、洗礼者ヨハネが自分と主イエスの関係を花婿と花婿の介添え人として語った、「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人は傍に立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている」(ヨハネ福音書3章29節)という言葉を思い出します。

 

 ここに、主なる神が花婿、ぶどう畑とされているイスラエルの家が花嫁、そして、花婿の介添え人(=友)としてイザヤが登場しているということになります。花婿の友なるイザヤが、主なる神のためにぶどう畑の愛の歌をうたうのです。

 

 イスラエルは、ヨルダン川流域や北イスラエルの丘陵地帯には農耕に適した地が広がっていますが、南ユダ、エルサレムの南方には、農耕にあまり適さない荒れ野が広がっています。そこにぶどう畑を作ろうというのは、大変困難なことでしょう。もともと「肥沃な丘」(2節)ではなかったのです。

 

 肥沃な丘にするためには、固い地面を掘り起こして石を取り除き、土を豊かにするために堆肥を施さなければなりません。言葉で言うのは簡単ですが、重機はおろか鉄製の農具も満足に持ち合わせていないようなところで、それをするのはどんなに困難なことか、想像に難くありません。

 

 年月をかけてようやく立派な畑を作り上げ、そこに良いぶどうの苗を植え、丹精して収穫を待ちます。いよいよ収穫になりました。ところが、実ったのは、予想もしない酸っぱいぶどうでした(2節)。どうしてそうなってしまったのでしょう。全くわけが分かりません。

 

 それで、畑の持ち主が「わたし」として登場して、「わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ」(3節)と言い、「わたしがぶどう畑のためになすべきことで、何か、しなかったことがまだあるというのか。わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに、なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか」(4節)と尋ねています。

 

 外形は確かにぶどう、しかしながら、中身は似ても似つかないものになってしまっているというわけです。だから、畑の持ち主は怒って、畑を焼かれるまま、踏み荒らされるままにして見捨てると言います(5節)。

 

 これは、主なる神とイスラエルとの関係を言い表したもので(7節)、神はイスラエルに「裁き(ミシュパト:公正)」を期待されたのに「流血(ミスパハ)」を見、「正義(ツェダカ)」を待っているのに「叫喚(ツェアカ)」の声を聴くと言われます。

 

 ミシュパトとミスパハ、ツェダカとツェアカという二組のよく似た言葉、よく似た文字が用いられていますが、内容は全く違います。外形は似ていても内容は全く違う、よく世話をされたぶどう畑に、期待外れの酸っぱいぶどうが実った。礼拝の形式は整っているかも知れないけれども、そこに心が伴わないという状況なのでしょう。

 

 礼拝に心が伴わないというのは、心からの賛美ではない、説教を上の空で聞いているというような話ではありません。主なる神は、貧しい者や弱い者が守られる、公平で豊かなな社会が築かれることを願われたのに、強い者が弱い者を食い物にして、血が流され、その叫び声が響いているというのは、神の御言葉に聴き従おうとする姿勢ではないことを示しているというのです。

 

 29章13節の「主は言われた。『この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ』」という預言も、そのことを教えています。 

 

 主イエスが「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父がとりのぞかれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(ヨハネ福音書15章1,2節)と言われました。

 

 さらに、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(同5節)と語っておられます。

 

 私たちは、どんな実を結んでいるのでしょうか。良いぶどうでしょうか、それとも酸っぱいぶどうでしょうか。豊かによい実を結ぶために、主イエスを信じ、謙ってその御言葉をしっかり聴きましょう(同7節)。

 

 御言葉をしっかり聴くとは、その命令を守ることであり(同9,10節)、その命令とは、主イエスが私たちを愛されたように、私たちが互いに愛し合うことです(同12節)。それが、主イエスの期待されている良いぶどうの実なのです。

 

 主よ、どうか御霊と御言葉の導きにより、私たちに手を入れて、良い実を豊かに実らせる枝とならせてください。あなたの深い愛と慈しみのもとにとどまり、互いに愛し合う家庭、社会を築くことが出来ますように。そうして、御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「主は言われた。『行け、この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな、よく見よ、しかし悟るな、と』。」 イザヤ書6章9節

 

 6章には、イザヤが預言者として召し出されたときのことが記されています。それは、ウジヤ王が死んだ年のことでした(1節)。主なる神が、ご自身の姿をイザヤの前に現されました(1節)。主は天の御座に座し、衣の裾が神殿いっぱいに広がっていました。神殿の天井が抜けて、天の御座が見えたという光景を想像します。

 

 イザヤの頭上にセラフィムが飛び交い(2節)、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」(3節)との賛美の声を聞かせ、その声で神殿の入口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされました(4節)。地震や煙は、出エジプト記19章18節と同様、主なる神がそこに顕現されたことを示しています。

 

 それを見たイザヤは、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た」(5節)と言います。罪深い人間は、清い神を見ることが出来ません。神を見た者は、その後、生き続けることが出来ないと、固く信じられていました(出エジプト記33章20節参照)。

 

 「神を見た人は死ぬという伝統的な思想(創16章13節、32章31節、出19章21節、33章20節、士6章22節、13章22節など)に基づく判断というより、その伝統的な思想の因って来たる所以を自ら体験しての判断と見るべきだろう。すなわち、罪から隔絶しこれを焼き尽くす(4章4節、9章18節、10章17節)聖なる神を目の当たりにした者は、それによって鮮明に照らし出された己の罪の穢れに絶望するという体験である」と、岩波訳の当該箇所の脚注に記されています。

 

 イザヤはこのとき、重い皮膚病になって死んだウジヤ王のことを思い出したのかもしれません。ウジヤ王は、イスラエル史上最長の52年間王位にありました(歴代誌下26章3節)。その善政のゆえに、国は繁栄しました(同4~15節)。

 

 ところが、次第に高慢になり、あるとき、神殿で香を炊く務めを行おうとしました(同16節)。祭司アザルヤがウジヤ王を制止しようとすると、ウジヤ王はそれを憤り、怒りを祭司にぶつけます(同17,18節)。そのとき、神がウジヤを打たれました(同19節)。

 

 イザヤは今、エルサレムの神殿にいます。ということは、イザヤは神殿で神に仕えるレビ族に属する者、あるいは祭司だったのでしょうか。神殿聖所に入れるのは、祭司、レビ人に限られていたからです。

 

 「災いだ。わたしは滅ぼされる」とイザヤが語ったとき、セラフィムのひとりが祭壇の炭火を取ってイザヤのところに飛んで来て(6節)、その口に火を触れさせて、「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」(7節)と言いました。

 

 祭壇の火で民の汚れを清め、罪を贖う儀式について、民数記17章に記されていますが、神はイザヤをご自身に仕える預言者として選び、用いるため、イザヤにその栄光の姿を見せ、恐れおののくイザヤを、祭壇の火をもって清められたのです。

 

 イザヤはそこで神の声を聞きます。それは、「だれを遣わすべきか、だれが我々に代わって行くだろうか」(8節)という声でした。それに対してイザヤは、モーセやエレミヤらとは異なり(出エジプト記3章11節、エレミヤ書1章6節参照)、すぐに「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(8節)と語ります。

 

 イザヤは、たった今神によって罪赦され、贖われる恵みを経験したばかりです。それはまさに、古い自分に死んで、神に仕える新しい人生の始まりを意味したのです(ローマ書6章11,13節、ガラテヤ書1章13節以下参照)。

 

 このように選び立てられた預言者イザヤに対して、神は特別な任務を授けます。それは、冒頭の言葉(9節)の通り、「行け、この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな、と」というものです。続けて、「この民の心を頑なにし、耳を鈍くし、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めて癒されることのないために」(10節)と命じておられます。

 

 聞いて理解し、悔い改めて癒されるように語れというのではなく、聞いても理解するな、見ても悟るな、悔い改めて癒されることのないためにというのです。つまり、神はイザヤに、イスラエルが悔い改めをなすべき時期はもう終わった、もはやそれをするには遅すぎる、彼らには神の裁きが下ると告げさせようとしておられるわけです。

 

 それは、イスラエルの民自身が、「イスラエルの聖なる方を急がせよ、早くことを起こさせよ、それを見せてもらおう。その方の計らいを近づかせ、実現させてみよ。そうすれば納得しよう」(5章19節)などと語っているからです。なんと愚かなことでしょう。

 

 イスラエルの民に裁きを下すことにされた神は、しかし、決してそれを喜んでおられるはずがありません。怒りよりもむしろ、悲しみがその心を満たしていたのではないでしょうか。だからこそ、すぐに滅ぼし尽くされるのではなく、イザヤを遣わして「もう遅い」と語らせるのです。

 

 そして主は、そのように語らせながら、もしも悔い改めてくれば、ニネベの町の人々を赦し、災いを下すことを中止されたように(ヨナ書3章10節)、赦しをお与えになられるのです。それは、「わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者」(5節)と語ったイザヤを、セラフィムの一人が祭壇の炭火で清めたところに、既に示されていました(6,7節)。

 

 今日も、愛と憐れみに富む父なる神を仰ぎ、その御声に耳を傾け、御霊の導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、あなたは愛と憐れみに富むお方です。背いたイスラエルに悔い改めを解き、滅ぼすことに決められた後も預言者を遣わし続けられました。その愛と憐れみにより、私たちも救いの恵みに与りました。どうか、この恵みを無駄にせず、神の愛と憐れみを、その生活を通して証しするため、私たちを遣わしてください。 アーメン

 

 

「しかし、アハズは言った。『わたしは求めない。主を試すようなことはしない』。」 イザヤ書7章12節

 

 アハズの治世、アラムの王レツィンと北イスラエルの王ペカが同盟を組み、南ユダに攻撃を仕掛けて来ました(1節、列王記下16章5節以下)。アラムとは、ダマスコを首都とするシリアのことです。また、サマリアを首都とする北イスラエルの中心部はエフライム族の所領なので、歴史家はこれを、シリア・エフライム戦争と呼んでいます。

 

 その当時、シリアからパレスティナ全域をも支配していたアッシリアに反旗を翻し、独立を果たすため、アラムとエフライムが同盟し、南ユダにもその連合軍に参加するよう呼びかけたのですが、南ユダの王アハズはそれを拒否しました。アハズがアラム・エフライム連合軍に与しなかった背景には、預言者イザヤの進言があったものと思われます。

 

 それで、アラム・エフライム連合軍が南ユダに攻め寄せてきたのです。それは、「ユダに攻め上って脅かし、我々に従わせ、タベアルの子をそこに王として即位させよう」(6節)というとおり、この戦いで勝利を収め、自分たちの意に従う王を立てて、南ユダをいわゆる傀儡国家としようとしていたのです。 

 

 アラム・エフライム連合軍の攻撃に対して、主なる神がアハズに「落ち着いて静かにしていなさい。恐れることはない」と告げられました(4節)。これは、30章15節と同様、他国との軍事同盟で危機を乗り切ろうとする王の企てに対して、主なる神へ信仰を求められたものです。その信仰に立つならば、アラム・エフライム連合軍の企ては「実現せず、成就しない」(7節)と言われました。

 

 そして、「信じなければ、あなたがたは確かにされない」(9節)と迫られ、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に」(11節)と告げておられます。アハズ王の信仰を明確にするため、主が信仰の保証として「しるし」を与えると言われるのです。天のしるしとは雨や稲妻など、陰府のしるしとは地震のようなもののことでしょう。

 

 それに対してアハズは冒頭の言葉(12節)の通り、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」と答えました。これは、主イエスが悪魔の誘惑を退けるために、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」(マタイ4章7節)と語られた言葉に似て、わたしは主を信じているから、その上しるしを求めて、主を試す必要などはないと敬虔に語っているように見えます。

 

 けれども、アハズがしるしを求めなかったのは、主への信仰があったからではなく、むしろ主なる神を軽んじていたからです。実際、連合軍の侵攻を知ると、アハズはアッシリアに使いを送り、贈り物をして援軍を頼みました(列王記下16章5節以下)。アッシリアの援軍を、目に見えない神に依り頼むよりもよいと考えていたわけです。

 

 アッシリアの王ティグラト・ピレセルは、アハズの頼みを受けてアラムの都ダマスコに攻め上ってこれを占領し、王レツィンは殺されました(同9節)。また、北イスラエルの全地方を占領し、住民を捕囚として、アッシリアに連れ去りました(同15章29節)。

 

 こうして、アッシリアの援軍により、南ユダはってアラム・エフライム連合軍から守られました。アハズは直面していた危機に対して、神の助けによらず、自らの政治手腕によって切り抜けることが出来るという自信を深め、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」と、さらに強く語るようになったことでしょう。

 

 その後アハズは、ダマスコにアッシリアの王ティグラト・ピレセルを訪ね、アッシリア式の祭壇を模して、エルサレムの神殿に同形の祭壇を築かせ(同16章10節以下)、その上で献げ物をささげました(同12節)。

 

 北イスラエルは、ヤロブアムの罪を離れることが出来ず、結局アッシリアによって滅ぼされ、ユダの部族だけが残されたのですが(同17章18節)、南ユダも同様に異教の偶像を礼拝する罪と無縁でなく、やがて御前から捨てられてしまうのです(同20節)。

 

 6章10節で言われている通り、アハズ王は主なる神の御前に心を頑なにして、「目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのない」者とされてしまいます。

 

 そこで主は、アハズ王に一つのしるしを与えられます(14節)。それは、「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」というのです。インマヌエルとは、神が我々と共におられるという意味です。

 

 3節に、イザヤの子がシェアル・ヤシュブという名であることが記されています。これは、「残りの者は帰って来る、悔い改めるのは残りの者」といった意味の名前です。この子を伴うイザヤに会って、しかし、アハズは悔い改めに至りませんでした。ゆえに、アハズは主の前から退けられるということになるのです。

 

 そこで、イスラエルの残りの者から、「インマヌエル」と呼ばれる男の子、「神が我らと共に」という意味の名が付けられる王が生まれるということです。

 

 インマヌエルなる王が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、アッシリアの王がパレスティナに来襲してアラム、エフライムを滅ぼし(16,17節)、ユダも大いなる荒廃に見舞われることが告げられます(18節以下)。

 

 つまり、アハズに与えられる「インマヌエル」なるしるしは、おのが不信仰を裁く神のしるしであり、救いのしるしではありませんでした。しかし、私たちは真に「インマヌエル」と唱えられるお方、私たちの助け主となってくださったお方を知っています。それは、どんな時にも共にいて、私たちを守ってくださる私たちの救い主、主イエス・キリストです(マタイ1章23節)。

 

 人は自らの行いによって救いを獲得することは出来ず、インマヌエルなる主イエスの贖いにより、恵みによって救いの道を開いて頂いたのです。主を信じ、その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、試みに遭うとき、その人の真実な姿がそこにあぶり出されます。アハズは目に見えない神にではなく、目に見えるアッシリアに依り頼むことで馬脚を表しました。しかし、私も五十歩百歩です。どうかいつも主に目を留め、その御声に耳を傾け、御霊の導きに従って歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしは主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なおわたしは、彼に望みをかける。」 イザヤ書8章17節

 

 イザヤは、8章でも繰り返し、神を畏れ、神を信頼するようにと説きます。

 

 初めに、大きな羊皮紙に「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」(1節)と書かせます。それは「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」という意味だと、新共同訳聖書は括弧書きで説明しています。そして、女預言者の産んだ男の子に、その言葉通りの名前を付けるように言われます(3節)。女預言者とは、イザヤの妻のことと考えられています。

 

 それは、「この子がお父さん、お母さんと言えるようになる前に、(アラムの首都)ダマスコからはその富が、(北イスラエルの首都)サマリアからはその戦利品が、アッシリアの王の前に運び去られる」(4節)という、シリア(アラム)、北イスラエル(エフライム)両国がアッシリアに打ち破られ、滅亡してしまうことを、その行動によって預言するものでした。

 

 次で、「この民はゆるやかに流れるシロアの水を拒み、レツィンとレマルヤの子のゆえにくずおれる」(6節)、「それゆえ、見よ、主は大河の激流を彼らの上に襲いかからせようとしておられる。すなわち、アッシリアの王とそのすべての栄光を」(7節)と告げます。

 

 ここで、「シロアの水」とは、ヒゼキヤの掘った水道トンネルのことではなく(列王記下20章20節)、ギホンの泉から町に沿ってゆるやかに流れる開放式水道のことで、エルサレムの町のことをそのように表現しています。一方、「大河の激流」とはチグリス・ユーフラテス川を指し、アッシリアのことを表現したものです。

 

 これは、アハズが主なる神に信頼せず、アッシリアに援軍を依頼して、アラム(レツィン王)・エフライム(レマルヤの子ペカ王)の連合軍に対抗するようにしたことで、かえってその激流を南ユダ王国に呼び込むことになるという預言です。

 

 「(激流は)ユダにみなぎり、首に達し、溢れ、押し流す。その広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす」(8節)というのですから、南ユダ壊滅の危機です。ここで、翼を広げるのはアッシリア王で、それは当然のことながら、保護するためなどではなく、南ユダのものをすべて翼の下に集めて奪い去るためなのです。

 

 しかし、そう語られるのは、神がイスラエルを徹底的に滅ぼしてしまうということではありません。「諸国の民よ、連合せよ、だがおののけ。遠い国々よ、共に耳を傾けよ。武装せよ、だが、おののけ。武装せよ、だが、おののけ」(9節)と、アラムとイスラエルの連合軍、そしてアッシリアが南ユダを打つ道具として用いられるけれども、しかし、彼らに神を畏れよと言われるのです。

 

 さらに、「戦略を練るがよい、だが、挫折する。決定するがよい、だが、実現することはない。神が我ら(イスラエルの家、ユダの民)と共におられる(インマヌエル)のだから」(10節)と言われています。ユダに壊滅的打撃を与えようとしていた主が、それを実行する諸国に対して、彼らがユダを滅ぼし去ることは出来ないことを明言されているのです。

 

 しかるに、イスラエルの民は主に信頼せず、御言葉に聴き従おうとしません。主なる神はイザヤに、イスラエルの民と共にその道を行かないようにと、戒めを与えます(11節)。恐れるべきは、アラム・イスラエル同盟でも、はたまたアッシリアでもありません。主なる神なのです(13節)。

 

 主を信じ、主に依り頼む者にとって、主は聖所であり、逃れ場、堅固な岩、砦の塔となられますが、背く者には、躓きの石、妨げの岩となり、仕掛け網、罠ともなられます(14節)。つまり、神の裁きの手に陥り、それから逃れることは出来ないということです。

 

 イザヤは、預言者として神の言葉を語り続けて来ました。けれども、功を奏しません。それは、6章10節で「この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、園心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために」と言われていたとおりです。

 

 これからイザヤのすることは、彼の語った預言がどう実現するのか、事態を静観することです。そこで、まず預言の言葉を封印します(16節)。ことが起こった後、確かにそれがイザヤの語った預言の成就であるということを証明するという目的です。そして、冒頭の言葉(17節)のとおり、イザヤは主を待ち望みます。

 

 イザヤの心境は複雑でしょう。いかに彼らが自分の預言に耳を傾けないからとはいえ、同胞に神の裁きが降るのを待ち望みたいはずはありません。神の裁きの預言が実現して、同胞が裁かれるのを、いい気味だなどと思えるでしょうか。それは、イザヤの心ではないと思われます。

 

 イザヤが預言者として選ばれるとき、彼は神の前に罪人であることを自覚し、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者」(6章5節)と言いました。それに対して、主なる神は祭壇の火をもってイザヤを清め、預言者として立てられました(同7節)。

 

 イザヤが待ち望んでいるのは、自分と同様、イスラエルの家、ユダの民が罪を悔い改め、清められること、救われることでしょう。「主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なおわたしは、彼に望みをかける」(17節)と語っているところにも、それが言い表されていると思います。

 

 主なる神の裁きは、救いを排除しているわけではありません。むしろ、裁きは救いを指し示すものです。今、主はヤコブの家に御顔を隠しておられるけれども、裁きを通して必ず御顔の光をイスラエルの民の前に輝かせてくださるとイザヤは期待しているのです。

 

 「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(40章31節)と語られるあように、どんなときにも主に望みを置き、いつも喜び、絶えず祈り、すべてを感謝する信仰で前進させていただきましょう。 

 

 主よ、イザヤが見ている現実は、決して彼が望んでいるようなありさまではありませんでした。しかし、それで失望してしまうことはありませんでした。希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて信じたのです。私たちも、絶えず主を待ち望み、固く主に信頼することが出来ますように。 アーメン

 

 

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」 イザヤ書9章5節

 

 イザヤが預言を語り始めたとき(1章1節、6章1節以下参照、紀元前740年ごろ)、イスラエルの民は自分たちが「闇の中」(1節)を歩いているとは考えていなかったでしょう。北イスラエル王国は紀元前750年ごろ、ヤロブアム2世の治世下、最盛期を迎えていました(列王記下14章25節)。国土を拡張し、交易も盛んで、経済的基盤が確立されていました。

 

 同様に、南ユダ王国もイスラエル史上最長の52年という治世を誇るアザルヤ(ウジヤとも言われる)のもとで国力を増大しました。アザルヤの業績の中に「エイラトの町を再建して、ユダに復帰させた」(列王記下14章22節)というものがあったと、報告されています。

 

 ところが、それから30年後、急速に勢力を拡大したアッシリアによって、北イスラエルは滅ぼされてしまいました(同17章、前721年)。それをイザヤは「闇」、「死の陰の地」という、神の裁きを示すことばで表現しています。つまり、アッシリアは、裁きを行う神の御手だということです。

 

 北イスラエルに「闇」がもたらされ、「死の陰の地」となったのは、彼らが神に背き、異教の神々を祀り、礼拝したからです。そして、真の神に頼らず、おのが力に頼み、隣国と同盟して強国と戦おうとしたからです(シリア・エフライム戦争)。

 

 南ユダのアハズ王はその同盟に加わらず、かえって彼らが反抗しようとしたアッシリアに貢を贈って援軍を頼み(列王記下16章7節以下)、そのうえ、異教の祭壇を築いていけにえをささげさせたのです(同10節以下)。であれば、南ユダも北イスラエルと同じ運命に見舞われることになるでしょう。

 

 7節以下、「北イスラエルの審判」を告げる段落で、「しかしなお、主の怒りはやまず、御手は伸ばされたままだ」(11,16,20節)と繰り返し語られるのは、むしろ北イスラエルの審判というより、それを見ていながら悔い改めようとしない南ユダに、神の「御手は伸ばされたままだ」と告げているのではないでしょうか。

 

 ところが、アハズからヒゼキヤに王位が引き継がれました(列王記下18章1節)。ヒゼキヤは、ダビデのように主の目にかなう正しいことをことごとく行い、イスラエルの神、主を固く信頼し、その戒めを守りました(同18章3節以下)。

 

 ヒゼキヤの治世14年目(前701年)にアッシリアがユダの各地を征服してエルサレムを包囲し、全面降伏を勧告したときも(同18章13節以下)、ヒゼキヤはイザヤに執り成しの祈りを要請しました(同19章1節以下、4節)。

 

 このことから、イザヤが1節の「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」という言葉で語っている「大いなる光」とは、ヒゼキヤ王のことと言ってよいかも知れません。ヒゼキヤの父アハズは上述の通り、アラム・エフライム連合軍に対抗するため、アッシリアに援軍を願いました(同16章4節以下)。それが、最強の敵を自ら呼び込むかたちになったのです。

 

 一方、アハズの子ヒゼキヤは主なる神に依り頼み、その危機を信仰によって乗り越えることが出来ました。神がヒゼキヤの求めに応えて、「アッシリアの王がエルサレムに入城することも、矢を射ることも、盾を持って向かってくることも、都に対して土塁を築くこともない」(同19章32節)と約束され、その言葉のとおり、主の使いが一晩のうちに18万5千の兵を撃ち、全滅させられました。

 

 イザヤが「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた兵士の軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた」(3,4節)と語っているのは、そのことではないかと思えるような内容です。

 

 そして、冒頭の言葉(5節)が告げられます。ここで、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」というのは、子どもの誕生というより、王の即位を知らせる言葉だと言われます(詩編2編7節参照)。

 

 その王は、名を「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」(5節)と唱えられると言われます。ここで「驚くべき指導者」(ペレ・ヨーエーツ)とは、「不思議な助言者 wonderful counselor」(新改訳)という言葉で、岩波訳は「奇しき議官」とし、「議官」について巻末の用語解説で「官邸の一員で、王の顧問(1章26節、3章3節、9章5節など)」と説明しています。

 

 次に、「力ある神」(エル・ギッボール)について、王を神と呼ぶのは、詩編45編7節とここだけです。その意味は、王はこの地上において、神の代理者として立てられるということです。さらに、「永遠の父」(アビー・アド)は、公正で思い遣り深い父親のように長期にわたって統治するようにということでしょう。

 

 そして、その統治がもたらすものは、「平和」(シャローム)です。士師記6章24節に、ギデオンがオフラに築いた主の祭壇を「平和の主」と名付けたとありますが、それは、主の名は「平和(シャローム)」だということでしょう。

 

 平和とは、戦争がないという以上の、万物が健全で本分にふさわしい状態にあることをいいます。つまり、平和とは、あらゆる被造物が神を神として認識し、崇め、その御旨に従って生き、行動するときに、主なる神によって与えられるものなのです。

 

 王がその名で呼ばれるということは、主なる神こそ、イスラエルの王であるという信仰が、そこに示されており、王はその主なる神の代理として振る舞うことが求められるということです。 

 

 ヒゼキヤは、その任を果たすことが出来たでしょうか。アッシリアを退けた後、ヒゼキヤが死の病にかかりましたが、主に祈って寿命を15年延ばしてもらいました(列王記下20章1,6節)。その後、バビロンから見舞いが来ました(同12節)。ヒゼキヤはその使者を歓迎し、財宝などすべてのものを見せました(同13節)。

 

 それを聞いたイザヤが、「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされるものもある」(同17,18節)と告げると、ヒゼキヤは、「主の言葉はありがたいものです」と応えています(同19節)。

 

 それは、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていたからと説明されています(同19節)。アハズの代から、神の御手が伸ばされたままになっているのを、在世中は平和と安定が続くと思っていたということは、彼がいかに、徹底して主に仕えようとしてきたかというしるしと言えます。子らの代に悲劇に見舞われるのは、彼らが主に背く歩みをするからなのです。

 

 イザヤは、1~6節で告げた預言の成就を、自身の存命中に見ることが出来ませんでした。それは、700年後を待たなければならなかったのです。主イエスこそ、「まことの光で、世に来てすべての人を照らす」(ヨハネ福音書1章9節)のです。マタイは、主イエスの誕生を7章14節のインマヌエル預言の成就と告げています(マタイ福音書1章23節)。

 

 主なる神は、救いを待ち望む全世界のあらゆる世代の民のために、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられるまことの光なる主イエスを、神の独り子にも拘わらず、人としてこの世に生まれさせてくださったのです。

 

 主よ、あなたの深い憐れみのゆえに私たちも恵みに与りました。御名を崇め感謝します。主に従い、絶えず命の光のうちを歩ませてください。今なお復興の進まない被災地に住み、また避難生活を余儀なくされている人々、軍隊に嗣業の地を奪われ、平和を脅かされている人々に、希望と平安の光が訪れますように。 アーメン

 

 

「その日には、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者とは、再び自分たちを撃った敵に頼ることなく、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。」 イザヤ書10章20節

 

 5節以下に、「アッシリアの傲慢」を断罪する言葉が記されています。その中に、「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就されるとき、アッシリアの王の奢った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられる」(12節)という言葉があります。

 

 神はアッシリアを怒りの鞭、憤りの杖として(5節)、「神を無視する国」、即ち、シリアと北イスラエルに遣わし、「戦利品を取り、略奪品を取れ。野の土のように彼を踏みにじれ」(6節)と命じられます。これは、8章1,3節でイザヤに生まれた男の子の名前に示されていたことです。

 

 しかるに、アッシリアの王は神の計らいを越えて滅ぼし尽くし、断ち尽くそうと考え(7節)、シリアの都ダマスコにしたことを北イスラエルの都サマリアにも行い(9節)、さらにその手を南ユダの都エルサレムにまで伸ばそうとしていました(11節)。

 

 確かに、南ユダの王アハズはダビデの道を歩まず、異邦の慣習に倣い、異教の神々を礼拝していました(列王記下16章3,4節)。さらに、アッシリアに従属するようになって、アッシリアの神の祭壇をエルサレムの神殿に据えさせました(同10節以下)。だから主は、北イスラエルを滅ぼされたように、南ユダも侵略者の手に渡して、御前から捨てることにされたのです(同17章19,20節)。

 

  7章17節で「主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ」と語られていたのも、主なる神がアッシリアの王を用いて、シオンの山・エルサレムを撃つということでした。それが12節の「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就される」ということでしょう。

 

 けれども、それを成就されたとき、主はアッシリアの王の奢った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられると言い(12節)、その理由は「自分の手の力によってわたしは行った。聡明なわたしは自分の知恵によって行った」(13節)と、力と知恵、栄光を盗んで私しようとしていることだと断じています。

 

 あらためて、主なる神がアッシリアをイスラエルを打つ鞭、杖としたのは、ユダを徹底的に滅ぼし尽くしてしまうようなことではありませんでした。なぜならば、冒頭の言葉(20節)にあるとおり、「イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者」がいると語られているからです。

 

 「残りの者」や「逃れた者」とは、生き残った者、裁きを免れた者ということで、神は彼らを滅ぼし尽くされることなく、むしろ、彼らによって新しいイスラエルを築こうとされます。

 

 この「残りの者」は、「自分たちを撃った敵」つまりアッシリアに頼るのではなく、「イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る」と言われているからです。つまり、主なる神は、イスラエルの聖なる方、主に真実に依り頼む者が、「イスラエルの残りの者」、「ヤコブの家の逃れた者」となると言われているのです。

 

 そして、この預言が、ヒゼキヤ王の治世の第14年に成就しました。ヒゼキヤは、父アハズのとき以来、アッシリアに贈っていた貢ぎ物をやめました。アッシリアに頼るのをやめて、主を堅く信頼することにしたのです(列王記下18章6,7節)。

 

 それで、アッシリアの王センナケリブが攻め込んで来て、ユダの砦の町をことごとく占領しました(同13節)。ヒゼキヤは慌てて貢ぎ物を贈ります(同14節以下)。けれども、アッシリアは大軍をエルサレムに派遣し、全面降伏を要求します(同17節以下)。

 

 そのとき、アッシリア王の使者ラブ・シャケが「国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国をわたしの手から救い出したか。それでも主はエルサレムをわたしの手から救い出すと言うのか」(同35節)と語りました。

 

 ヒゼキヤは粗布をまとって神殿に行き(同19章1節)、また高官たちをイザヤのもとに遣わして「生ける神をののしるために、その主君、アッシリアの王によって遣わされて来たラブ・シャケのすべての言葉を、あなたの神、主は恐らく聞かれたことであろう。あなたの神、主はお聞きになったその言葉をとがめられるであろうが、ここに残っている者のために祈ってほしい」(同4節)と要請します。

 

 ここに、力ある神のもとに帰って来た、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者がいます。そして主なる神は、「イスラエルの残りの者」なるヒゼキヤの要請に応えられました。一夜のうちに、主の御使いがアッシリア陣営で18万5千の兵士を皆撃ったのです(同35節)。

 

 一人ニネベに逃げ戻ったセンナケリブ王も、アッシリアの神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、暗殺されてしまいました(同37節)。センナケリブがラブ・シャケによって冒涜したイスラエルの神は、彼らの手からエルサレムの都を救いましたが、センナケリブが礼拝している神は、暗殺者の手から彼を守ってはくれなかったのです。

 

 ヒゼキヤ王の信仰に倣い、主を信じて御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、私たちに行くべき道を教えてください。あなたの御言葉こそ、私たちの道の光、私たちの歩みを照らす灯火です。私たちはあなたに信頼しています。どんなときにも御心に従って歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。」 イザヤ書11章3節

 

 1節に「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち」とあります。「エッサイ」は、ダビデ王の父親です。「株」とは、切り株のことです。「エッサイの株」と言われているということは、エッサイの子ダビデの家という木が切り倒されて、切り株になるということです。それは、主なる神の裁きが、ダビデの子孫に臨んだ結果です。

 

 けれども、それでおしまいということではありません。「ひとつの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち」と、その切り株から新しい命が芽吹き、成長していきます。神が南ユダを裁き、ダビデ王朝を滅ぼされたのは、ダビデ家に代表されるイスラエルの民を滅ぼし尽くすためではなく、救いを与え、希望を与えるためだったのです。

 

 それは、かつてエッサイの家の最も小さい子ダビデが王として選び出されたように(サムエル記上16章11節以下)、エッサイの子孫の中から新しいダビデが選び出されるということです。このことは、エレミヤ書23章5,6節でも告げられています。イザヤの告げた預言を、100年後に登場して来たエレミヤが語り継いでいるわけです。

 

 サムエル記上16章13節に、預言者サムエルがダビデに油を注ぐと、「主の霊が激しくダビデに降るようになった」と記されています。同様に、新しく選ばれる第二のダビデにも、「主の霊がとどまる」(2節)と言われます。主の霊は第二のダビデに、「知恵と識別」、「思慮と勇気」、そして、「主を知り、畏れ敬う」思いを与えます。

 

 冒頭の言葉(3節)にも、「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる」と記されています。箴言に、「主を畏れることは知恵の初め」(1章7節、9章10節、15章33節)と言われていました。コヘレトの言葉にも、「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間のすべて」(12章13節)と語られていました。

 

 これは、ダビデ王朝の王たちが、「主を知り、畏れ敬う霊」に満たされてはいなかったということを示しているのです。王として油を注がれさえすれば、主の霊に満たされるのではないということです。王が御心に適う政治を行うためには、聖霊の満たしが必要だという心を持つからこそ、「主を知り、畏れ敬う霊」に満たされるということではないでしょうか。

 

 ですから、「目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない」とは、裁きを行うとき、あるいは弁護に立つとき、自分では判断しないと表明しているわけです。

 

 自分で判断しないのであれば、どのように判断するのかと言えば、神の御心に適う判断をするために「主を知り、畏れ敬う霊」の導きに従って裁き、弁護するということです。彼の目は人にではなく神に向けられており、彼の耳も神の口から出る一つ一つの言葉を注意深く聴こうとしているのです。

 

 知恵に満ち、神の霊を受けて正しい裁きを行うダビデの子といえば、ソロモンのことを思い出しますが(列王記上3章)、ソロモンはその道を踏み外してしまい、国が割れるという結果を引き起こします(同11章)。御霊の導きを受けずして、正しい道を歩み続けることは出来ないということです。

 

 キリスト教会は、1節以下のこの段落を、メシア=キリスト預言として読んで来ました。パウロは、ローマ書15章12節でこの箇所(1,10節)を引用しながら、キリストを論証しようとしています。

 

 主イエス・キリストが公生涯に入られたとき、聖霊が天から鳩のように降って来て、彼の上に留まりました(マルコ福音書1章10節、ヨハネ福音書1章32節など)。さらに、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえました(マルコ1章11節など)。

 

 また、主イエスご自身も、「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする」(ヨハネ福音書5章19節)、「わたしは自分では何も出来ない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意思ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである」(同30節)と言われました。

 

 ダビデの子孫としてお生まれになった主イエスこそ、まさに、エッサイの株から萌え出た新しい芽なのです。そして「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」(エフェソ書2章4~6節)。

 

 私たちも、聖霊に満たされて主を仰ぎ、御声に聴き従いましょう。

 

 主よ、私たちの耳を開き、御声をさやかに聴かせてください。目を開いて、御業を拝させてください。心を開いて、御心を深く悟らせてください。御霊に満たし、主を畏れてその使命を全うすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった。」 イザヤ書12章2節

 

 12章で、第一イザヤ(1~39章)の預言の第一部(1~12章)が終了します。第一部の最後に「救いの感謝」が記されています。

 

 これは、主に背き続けたユダを裁く(3~5章)ために、神の道具として用いられたアッシリアが、奢り高ぶりのゆえに衰弱と火をもって神に撃たれること(10章16節)、そして第二のダビデが立てられ(11章1節以下)、各地に散らされた「残りの者」が帰って来ること(11章11節以下)に対する感謝、あるいは信仰の宣言といってよいでしょう。

 

 感謝の言葉は、「その日には、あなたは言うであろう」(1,4節)という言葉によって導かれます。つまり、神の救いの御業が実現した暁には、感謝の歌を歌うことになるということです。「その日」とは、11章11節以下にある、主なる神がご自分の民の残りの者を買い戻される日のことです。

 

 まず、1節と2節に、救いに対する感謝の歌が予告されています。冒頭に「主よ、わたしはあなたに感謝します」と語られています。その感謝の理由を「あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが、その怒りを翻し、わたしを慰められたから」と語って、主の赦しと救いのゆえであることが言い表されています。

 

 ここで、神が南ユダに向かって「怒りを燃やされた」というのは、南ユダ王国にアッシリアの危機が迫り、あと少しで滅びを刈り取らなければならないところだったということで、その原因は神を怒らせた自分たちの背きの罪にある、と告白していることになります。

 

 このように、イスラエルの民が救いに与り、慰めを受けたのは、神の一方的な恵みです。民が悔い改めて一心に神に聴き従うようになったから、というようなことではないのです。それが、「その怒りを翻し、わたしを慰められた」という言葉に表れています。

 

 神はヒゼキヤを立て(列王記下18章1節以下)、アッシリアの脅威に対して御自身に依り頼むように導かれました(同19章1節以下)。そして、御手を伸べてアッシリアを撃ち(同35、36節)、ユダに救いをもたらしてくださったのです。

 

 そこで、冒頭の言葉(2節)の通り「見よ、わたしを救われる神、わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった」と歌います。

 

 「わたしは信頼して、恐れない」という信仰の宣言こそ、イザヤがアハズ王から聴きたかった言葉です(7章4,9節参照)。しかし、アハズは敵を恐れて神を畏れず、異邦人を信頼して神に頼りませんでした。それゆえ、滅びを招く結果になったのです。

 

 イザヤは、この救いを第二の出エジプトと考えているかのようです。冒頭の「主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった」という言葉は、エジプトを脱出したイスラエルの民を追いかけて来たエジプト軍を、神が葦の海に投げ込んで滅ぼされたとき、モーセとイスラエルの民が主なる神に献げた歌の一節だからです(出エジプト記15章2節)。

 

 また、「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」(3節)というのは、救いの神から、命の力と恵みを受けるということを象徴しています。これは、もはやアッシリアの脅威に怯えることはないということでしょう。この2,3節に「救い」(イェシュア)という言葉が3度語られます。

 

 イザヤの預言の中には、子どもの名がイスラエルに与えられるしるしとして、重要な役割を果たしています(「シェアル・ヤシュブ」(7章3節)、「インマヌエル」(7章14節)、「マヘル・シャラル・ハシュ・バズ」(8章3節)。それと同様、イザヤの名もしるしとして与えられたものなのです。

 

 8章18節に「見よ、わたしと、主がわたしに委ねられた子らは、シオンの山に住まわれる万軍の主が与えられたイスラエルのしるしと奇跡である」と言われていました。「イザヤ」は、ヘブライ語で「イェシャヤフー」と言い、これは、「主は救い」という意味です。

 

 かくて、イザヤとその子らを通して示される預言は、イスラエルを断罪するものであっても、それは滅びを告げているのではなく、救いを語るものだということが分かります。

 

 私たちの信じる主は、「主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった」と、歌わせてくださいます。イザヤが告げるとおり、「見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない」と、絶えず信仰の宣言を致しましょう。

 

 主に感謝し、御名を呼びましょう。諸国の民に御業を示し、気高い御名を告げ知らせましょう(4節)。イスラエルの聖なる方は、私たちのただ中におられる大いなる方だからです(6節)。ハレルヤ! 

 

 主よ、命の水が川となって流れ出るまでに私たちを豊かに潤してくださることを信じます。その恵みを至るところで証しし、世界の果てまでその御業を示すことが出来ますように。主が私たちの力、私たちの歌、私たちの救いとなってくだったからです。主に感謝し、御名を呼びます。イスラエルの聖なる方は、私たちのただ中におられる大いなる方だからです。 アーメン

 

 

「泣き叫べ、主の日が近づく。全能者が破壊する者を送られる。」 イザヤ書13章6節

 

 周辺諸国に対する預言が記されている第二部(13~23章)の初めに、「バビロン」に対する預言が記されています(1節)。「バビロン」の原語は「バベル」で、創世記11章1節以下の「バベルの塔」物語の「バベル」と同じ言葉です。

 

 バビロンは、アッシリア帝国の南東部、チグリス・ユーフラテス川の下流域に位置しています。紀元前627年にアッシリアから独立し、その後勢力を拡大して、前612年にはニネベの町を占領、さらに前610年にアッシリア帝国最後の要塞ハランを占領して、アッシリア帝国の歴史に幕を引きました。

 

 その後、前605年にシリアに駐留していたエジプト軍を撃破し、さらにペリシテ最大の都市アシケロンを占領、その勢いを駆ってエルサレムに迫りました。ユダの王ヨヤキムは、バビロン軍に降伏しました。前601年のことです。

 

 その3年後、反旗を翻した南ユダに再びバビロン軍が押し寄せました。バビロン軍がエルサレムに到着する直前、ヨヤキムは死去し、その子ヨヤキンが王座に着きました。ヨヤキン王はすぐに降伏し(前597年)、ユダの上流階級の人々と共に、捕囚としてバビロンに連れて行かれました。これが、第一次バビロン捕囚です。

 

 その10年後の前587年、バビロンの王によってヨヤキン王に代わって王位につけられたヨヤキンの叔父ゼデキヤが、バビロンに反旗を翻したため、バビロン軍に攻められて町が破壊され、神殿も焼かれ、王をはじめ町に残っていた者は皆、捕囚として連れ去られました(列王記下25章・第二次バビロン捕囚)。かくて、イスラエルはバビロニア帝国の属州となり、ダビデ王朝は滅亡しました。

 

 神に背き続けた北イスラエルを、アッシリアをその鞭として裁かれた神は、同様に神に背いた南ユダ=ダビデ王朝を、バビロンを用いてお裁きになったわけです。ところが、そのバビロンが神の怒りを招き、裁かれています。

 

 イザヤが預言した当時、バビロンを知っているユダヤ人は殆どいなかったのではないでしょうか。それは、バビロニア帝国が登場する百年も前のことだったからです。さらに、バビロンを打ち砕くのに、「メディア人」(17節)の名が挙げられています。バビロンが滅ぼされるのは、二百年後のことになります(前538年)。

 

 けれども11節に「わたしは、世界をその悪のゆえに、逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の奢りを砕き、横暴な者の高ぶりを挫く」とあり、その悪の世界を代表するものとして、バビロンの名が最初に掲げられています。

 

 ただし、このイザヤの預言は「バビロンについての託宣」ではありますが、直接バビロンの人々にむけて語られたのではありません。これを聞いたのは、南ユダの人々でしょう。彼らも、ここに語られている「傲慢な者の奢り、横暴な者の高ぶり」という悪と、決して無縁ではなかったのです。

 

 バビロンが悪の代表として裁かれるならば、本来、主なる神に礼拝をささげる民として選ばれていたイスラエル、ユダの人々は、彼らと同じ罪の下にいて、どれほどの罰を蒙ることになるのでしょうか。

 

 北イスラエル王国は、アッシリアによって滅ぼされました(列王記下17章)。南ユダ王国は、アッシリアを滅ぼしたバビロニアによって滅ぼされます(同24,25章)。預言者は、それをイスラエルの民の背きの罪に対する神の裁きと考えました。今ここに神の怒りを招き、裁かれているバビロニアが、南ユダ王国を罰する神の道具として用いられたわけです。

 

 冒頭の言葉(6節)に「泣き叫べ、主の日が近づく。全能者が破壊する者を送られる」とあります。北イスラエルにとってはアッシリア、アッシリアや南ユダにとってはバビロニア、そして、バビロニアにとっては17節の「メディア人」、即ちペルシャ帝国が「破壊する者」でした。

 

 「破壊する者」(ショード)は、「シャーダド」(破壊する、荒らす、暴力を振るう)という動詞の名詞形ですが、「全能者」(シャダイ)が「破壊する者」(ショード)が送るというのは、語呂合わせ以上の意味を感じます。即ち、神はその全能をもって万物を創造されましたが、傲慢と横暴で御旨に背くもの、神が創造された秩序を壊すものを神が破壊されるわけです。

 

 今日、主イエスが十字架で死なれ、その三日目、「週の初めの日」(マルコ16章2,6節など)に甦られたことを記念して、日曜日を「主の日」と呼んでいます。「全能者」が世界の悪を代表するものとして、御自分の独り子イエスを十字架につけて滅ぼされました(ローマ書4章25節、2コリント書5章21節など)。

 

 それによって私たちの罪が赦されることになり、さらに死の力を打ち破って甦られたことで、私たちに永遠の命の希望をお与えくださったのです。泣き叫ぶべき「主の日」を、喜び感謝する日に変えてくださった神の深い憐れみと慈しみに感謝しましょう。

 

 主よ、感謝します。あなたの憐れみは永久に堪えることがありません。私たちも世界の悪の中におり、そして私たち自身が悪を行う者でした。けれども、その罪を赦し、御子イエスの血によって清めてくださいます。その恵みに感謝して、常に御前に謙り、十字架の主を仰がせてください。その御声に耳を傾けさせてください。御名が崇められますように。御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「まことに、主はヤコブを憐れみ、再びイスラエルを選び、彼らの土地に置いてくださる。寄留の民は彼らに加わり、ヤコブの家に結び付く。」 イザヤ書14章1節

 

 1~3節に「イスラエルの回復」が語られ、4節以下には、バビロンから解放されたイスラエルの民が歌う「バビロンの嘲りの歌」が記されています。その歌の中に、「ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた、もろもろの国を倒した者よ」(12節)という言葉があります。

 

 ここで、「明けの明星、曙の子」とは、金星のことです。日の入り後の西の空か、日の出前の東の空に、金色に明るく輝く星が金星です。太陽光を反射して輝くので、昼の明るさでは金星を見ることは出来ません。日の出前の東の空に見つけても、すぐに太陽が昇って来ますし、日の入り後の西の空に見つけたときには、すぐ沈んでしまいます。ですから、その輝きは一瞬の間ということになります。

 

 バビロンが「明けの明星、曙の子」にたとえられているのは、「わたしは天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう」(13,14節)と高ぶったため、世界都市として絶頂にあったのに、神の裁きを受けて、その座を転がり落ちることになったからです。それは、愚かなことと言わざるを得ません。

 

 創世記11章1節以下に「バベルの塔」の物語があります。バベルの塔は、今日バビロンに建てられたジグラットと呼ばれる聖塔のことだろうと考えられています。塔の土台の幅と奥行が約90メートル、高さは神殿自体も含めて100メートルほどという大きさで、煉瓦とアスファルトを用いて造られました。

 

 ジグラットは、イスラエルの父祖アブラハムが歴史に登場した紀元前2000年頃に建立された後、ペルシア時代まで何度も修復されたそうでが、バビロンがペルシアによって滅ぼされた後、この塔に用いられていた煉瓦は周辺住民によってすべて切り取られてしまい、現在は何も残っていないそうです。

 

 「バベル」とは、アッカド語で「神の門」という意味です。創世記の記事によれば、彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(同4節)と言っていました。

 

 けれども、神はそれを許されず、かえって言葉を混乱させて(7節)民を全地に散らされ、それで、町の建設が中止されたとされます(同8節)。「混乱」は、原語では「バラル」と言います。バラルとバベルは、文字のかたちが非常によく似ていますし、語呂合わせによって、バベルと言えば混乱(バラル)を思い起こすことになります。

 

 また、エルサレムの都を破壊し、イスラエルの民に捕囚の苦しみを味わわせたことから、バビロンは、世界の悪を象徴するような存在となりました(ヨハネ黙示録14章8節、16章19節、18章2節など参照)。

 

 世界の悪を象徴する存在とは、黙示録によれば、「悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」(同12章9節など)で、地上に投げ落とされ、最後は、「火と硫黄の池に投げ込まれ」(同20章10節)ます。

 

 それで、イザヤの「明けの明星(ヘーレール)」(12節)という言葉も、「金星」というだけでなく、「悪魔、サタン」のことを言っていると解釈されます。英語で「Lucifer(ルシファー)」というと、「明けの明星、金星」という訳と共に「悪魔、サタン」という訳語も紹介されています。 

 

 神は、バビロンの支配のもとに縛られていたイスラエルの民を憐れみ、まことの神を礼拝する民として再度彼らを選ばれ、エルサレムへの帰還を許されます。13章6節に言われていた、「泣き叫べ、主の日が近づく。全能者が破壊するものを送られる」とは、世界の悪を代表するバビロンが裁かれることでした。

 

 ですから、イスラエルにとって「主の日」は、解放の日、回復の日となったのです。冒頭の言葉(1節)で「再びイスラエルを選び」というのは、一度選ばれたイスラエルが神に背いて捨てられ、しかし、もう一度選ばれたということです。

 

 最初に選ばれたのは出エジプトのときで、申命記7章6節に「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、ご自分の宝の民とされた」と記されています。そしてそれは、主の深い愛と憐れみによることでした(同7,8節)。

 

 彼らは、シナイで主なる神と契約を結んだ後、荒れ野を導かれて約束の地にたどり着きました。しかし、神に背いてその地から引き抜かれ、バビロン捕囚の憂き目を味わいました。もう一度選ばれて、そこから約束の地に帰ることが許されました。それを、「彼らの土地に置いてくださる」と言います。 

 

 さらに、「寄留の民は彼らに加わり、ヤコブの家に結び付く」と言います。これは、単にイスラエルの回復だけでなく、すべての民が和合して神を礼拝する、主なる神をおのが神として礼拝するイスラエルの民となるということ、具体的には、イスラエルの民に加わる割礼を受けるということです。

 

 現在、イスラエルを取り巻く環境は、イスラエル北方のシリアで政権側と反政府勢力との内戦が続き、それに国際社会が巻き込まれて、なかなか解決を見ることが出来ません。そのために、多数の難民が国外に逃亡しようとして、彼らをどうするのかということで、新たな問題が発生しています。そのため、イスラエルとパレスティナの関係が今どうなっているのかということが伝わってきません。

 

 しかしながら、双方が民族主義を捨てて相互平和を願わないかぎり、終戦を迎えることは困難です。ただただ、主の深い憐れみがパレスティナに、またシリアやアフガニスタン、イラクに豊かに注がれ、平和が打ち立てられますようにと祈るのみです。

 

 主よ、バビロンの悪が裁かれましたが、その悪と無縁の国民はありません。再び選ばれたイスラエルも、例外ではありません。もし神の憐れみがなければ、みな滅びてしまいます。どうか、今日の世界を憐れんでください。地上にキリストにある平和がありますように。キリストの十字架がいたるところに立てられ、皆、主の十字架を仰いで癒されますように。そうして、この地に御心が行われますように。 アーメン

 

 

「モアブについての託宣。一夜のうちに、アルは略奪され、モアブは滅びた。一夜のうちに、キルは略奪され、モアブは滅びた。」 イザヤ書15章1節

 

 15,16章には、モアブについての託宣が記されています。モアブ人の祖先は、ロトの姉娘が父ロトによって産んだ子モアブです(創世記19章30節以下、37節)。その領土は、ヨルダン川下流域から死海の東部、アルノン川とゼレデ川の間の高原地帯です。

 

 冒頭の「モアブは滅びた」(1節)という言葉について、彼らがいつどのようにして滅びたのか、この箇所から具体的なことは全く分かりません。

 

 「アル」、「キル」がどういうものなのかも、学者の間に一致がないようです。申命記2章9,18節から、「アル」は、モアブの領土全般を指す表現ではないかと想像されます。そうであれば、「キル」は、モアブを代表する首都の名であろうと推測されます。

 

 「一夜のうちに」という言葉通りかどうか、決定的なことは何も言えませんが、短時日でモアブ全土を覆うような敵の攻撃があり(8節)、首都が陥落して国が滅んだということでしょう。また、モアブを滅ぼす「敵」についても、確かなことは不明です。推測を可能にするような言葉はありません。

 

 ということは、イザヤはここに、敵がだれであれ、モアブを滅ぼすのは神ご自身であるということを強調しようとしているのではないでしょうか。

 

 モアブは、上述の通りアブラハムの甥ロトの子の名で(創世記19章37節)、イスラエルとは親戚関係ということになります。けれども、イスラエルとモアブとの関係は、決して良好とは言えません。そもそも、アブラハムとロトは、財産が多すぎて一緒に住めず、家畜を飼う者たちの間で争いが起きたために別れたという経緯があります(創世記13章)。

 

 それから数百年後、イスラエルがエジプトの奴隷から解放されて約束の地に向かって進んでいるとき、主なる神は、モアブとアンモンを敵として戦いを挑んではならない、それは既にロトの子孫に領地として与えたものだと言われました(申命記2章9,19節)。

 

 一方、モアブの王バラクはイスラエルの大軍に恐れをなし(民数記22章3節)、預言者バラムを雇ってイスラエルを呪おうとします(同6節)。ところが、バラムは主の御声に従い、呪うどころか、かえって祝福しました(同23章7節以下、18節以下、24章3節以下)。

 

 それで主なる神は、「アンモン人とモアえブ人は、決して主の会衆の加わることができない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることができない。それは、かつてあなたたちがエジプトから出て来たとき、彼らがパンと水を用意して旅路で歓迎せず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたを呪わせようとしたからである」(申命記23章4~6節)と定められました。

 

 ダビデの曾祖母ルツはモアブ人であり(ルツ記1章4節)、ダビデがサウルの追っ手から逃げるとき、両親をモアブの王に託していますので(サムエル記上22章3,4節)、非常によい関係のときもあったようですが、ダビデがイスラエルの王となった後にモアブを討ち、彼らを隷属させており(サムエル記下8章2節)、その後、しばしば戦いが繰り返されています。

 

 エレミヤ書48章、エゼキエル書25章、ゼファニヤ書2章にもモアブの滅びを預言する言葉があります。それは、彼らがイスラエルと主なる神に対して高ぶり、嘲ったからということです(イザヤ書16章6節参照)。

 

 ということは、神がアブラハムを祝福して、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12章3節)と言われたことが、ここでも生きて働いているということになります。

 

 人を悪く思うとき、私たちの心が平安で豊かであるはずがありません。私たちの心もそのとき、悪に染まっているのです。イスラエルに恐れをなして、彼らを呪おうとしたその心のゆえに、主の会衆に加わることができず、繁栄や幸福に入れないと言われていることを心に留めましょう。「人を呪わば穴二つ」です。

 

 主イエスは、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイ5章44,45節)と教えられました。

 

 それを受けて使徒パウロは、「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」(ローマ書12章14節)、「だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい」(同17節)と告げています。

 

 使徒ペトロも、「皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ書3章8,9節)と語っています。

 

 今世紀初めの9.11米国同時多発テロ以来、テロとの戦いと称して、世界各地で戦闘行為が続けられていますが、その攻撃に対する報復のテロと、戦いがやみません。悪をもって悪に報いた結果です。この悪の連鎖、復讐の連鎖を断ち切るために、主イエスの言葉を思い起こす必要があります。

 

 私たちの日常も、負の連鎖に陥らないように、祝福を祈るものにならせていただきたいと思います。 

 

 主よ、モアブが一夜にして滅ぼされたことを対岸の火事とせず、御前に謙って、常に隣人の祝福を祈り、願う者とならせてください。およそ人の過ち、特に自分を傷つけ、侮辱する者を赦せるような器量の者ではありませんが、主の慈しみの御手のもとで絶えず隣人との平和を追い求める者とならせてください。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「そのとき、ダビデの幕屋に、王座が慈しみをもって立てられ、その上に、治める者が、まことをもって座す。彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす。」 イザヤ書16章5節

 

 15章に続いて16章にも、モアブに対する裁きの預言が記されています。それは、「モアブが傲慢に語るのを聞いた」からであり、彼らは「甚だしく高ぶり、誇り、傲慢で奢っていた。その自慢話はでたらめであった」(6節、エレミヤ書48章29節など)ためです。

 

 それで、モアブがどのように撃たれ、嘆き苦しむことになるのかということが、7節以下に記されています。それは、ぶどうが枯れるという被害を通して示されています(8節)。ぶどうの収穫による歓声が(10節)、敵の鬨の声や、民の泣き叫ぶ声にかき消され(9,11節)、それによって、モアブの繁栄が終りを告げたということを示しているわけです。

 

 ぶどうが枯れたことを、新共同訳は「かつて、その若枝は諸国の支配者たちを押さえ」と、モアブが諸国を支配する力を有していたのにといって嘆く内容になっていますが、いつ、そのような状況にあったのか分かりません。

 

 他の邦語訳聖書は、その箇所を「国々の支配者たちがそのふさを打ったからだ」(新改訳など)と訳して、枯れた理由を示す内容になっています。つまり、周辺諸国の王たちが攻め寄せて、モアブ全土が破壊されるような事態になったということでしょう。ただ、それがどのようにしてなされたのか、歴史的に確認することも出来ません。

 

 そのようなモアブに対する裁きが記されている中で、1節に「使者を立て、貢ぎ物の羊を送れ、その地を治める者よ、荒れ野の町セラから、娘シオンの山へ」とあり、続けて、モアブの民らに助言を与え、逃れ場を与え、保護してくださいと求める言葉が記されています(2~4節)。

 

 これは、モアブに対して神の厳しい裁きが下るので、「娘シオンの山」、即ちエルサレムを都とするイスラエルに救いを求め、モアブを襲う者、破壊する者たちから保護してくれるよう願いなさいという託宣なのです。

 

 彼らが従うとき、冒頭の言葉(5節)に「そのとき、ダビデの幕屋に王座が慈しみをもって立てられ、その上に、治める者が、まことをもって座す。彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす」と言われているように、地上から虐げる者、破壊する者、踏みにじる者が取り除かれて、イスラエルの王が彼らの上に慈しみとまことをもって君臨し、公平と正義を行うようになるというのです。

 

 ただ、彼らの上にイスラエルの王が君臨するということは、慈しみとまこと、公平と正義による統治が行われるというのですから、モアブの民にとって歓迎すべきことでしょうけれども、それはしかし、イスラエルによる保護と引き換えに、自分たちの民族による自治が終わりを告げることを意味するものです。

 

 神の裁きを免れるためとはいえ、イスラエルの庇護を求めてモアブがその支配下に移ることを、自ら求めるでしょうか。もともと、彼らが「甚だしく高ぶり、誇り、傲慢で奢っていた」(6節)から、自らに滅びを招いているわけで、それを逃れるために神の御前に謙り、イスラエルに対して恭順の態度をとれるかというならば、それはなかなか出来ることではないだろうと思わざるを得ません。

 

 このことを通して、主なる神に救いを求めないということが高慢で、神はその高慢を砕こうとしておられるのだということが示されます。神に救いを求めないということは、自分の知恵や力などに頼って生きるということで、一面、それは自立した人間の生き方のように映ります。

 

 しかしながら、実際に自分だけの力で生きることが出来る者がいるでしょうか。様々な人々の知恵や力に守られ、支えられていながら、さも自分の知恵、力で生きていると考えるとするなら、それこそ、「甚だしく高ぶり、誇り、傲慢で奢っている」有様でしょう。

 

 神は、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2章18節)と言われました。つまり、人は絶えず「助ける者」を必要としているのです。それは、自分が誰かの助けを必要としていると同時に、誰かが自分の助けを待っているということです。

 

 「助ける者」(エゼル)は、詩編121編2節で「わたしの助け(エゼル)は来る、天地を造られた主のもとから」と詠われているように、主なる神ご自身が私たちを助けてくださるお方であり、具体的に私たちを助けるために、「助ける者」を遣わしてくださるのです。

 

 天地万物の創造者にして支配者であられる神の御言葉に従わず、その御心を無にする自分勝手な生き方をすることは、自ら救いの羽の下から外に出ることです。だから、滅びを刈り取ることになるわけです。

 

 「モアブの娘ら」(2節)は、4節で「モアブの追われている者」と言い換えられており、必ずしも女性に限られているわけではありません。助けを必要としている人々をそのように言い表しているわけです。彼らに対して悔い改めの呼びかけがなされたように、はるか東の日本に生きる私たちにも、神の御手が述べられ、救いの恵みに与りました。

 

 様々な問題に直面するたびにうろたえ、何とかしようとあせり、その挙句、自分の知恵や経験、力に頼って生きようとして苦しみもがき、呻き声を上げています。その生き方の愚かさに気づいて本心に立ち返り、常に主イエスのもとに逃れ場を見出し、主に結ばれて平安を頂きましょう。その平安と喜びの恵みを、周りにいる人々に証ししましょう。

 

 主よ、私たちは、自分の力で髪の毛一本を白くも黒くも、抜けないようにすることも出来ません。一瞬先のことさえ分からない私たちが、自分の知恵や力に頼って、何をすることが出来るでしょうか。その愚かさに気づき、いつも目覚めた信仰をもって主に従うことが出来ますように。この身を御手に委ねます。御業のために用いてください。 アーメン

 

 

「その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。」 イザヤ書17章7節

 

 周辺諸国に対する預言が記されている第二部(13~23章)で、新共同訳聖書は、17章冒頭に、「ダマスコとエフライムの運命」という小見出しをつけています。「ダマスコ」はアラムの首都です。一方、「エフライム」は北イスラエルの一部族ですが、ここでは、北イスラエルを代表する部族として、北イスラエル王国のことを表わしています。

 

 エフライムは、エジプトの宰相となったヨセフの2男で(創世記41章52節)、その子孫は、レビ族に代わって12部族の一つに数えられるようになりました(民数記1章10,32節)。そして、ヨセフの子マナセとエフライムの子孫は、それぞれイスラエルの中央を嗣業の地として受けました(聖書地図を参照)。シロやベテルといった重要な聖所は、エフライム族の所領のうちにあります。

 

 また、モーセの後継者となったヌンの子ヨシュアは、エフライム族出身です(民数記13章8節「ホシェア」=ヨシュア、ヨシュア記19章50節)。さらに、イスラエルが南北に分かれたときの北イスラエルの初代の王とされたネバトの子ヤロブアムも、エフライム族の出身です(列王記上11章26節)。

 

 1節に「ダマスコについての託宣」とありますが、ダマスコ=アラムのことは3節までのことです。4節以下には、エフライム=北イスラエルのことが述べられています。ダマスコとエフライムと言えば、台頭してきたアッシリアに対抗するために同盟を組んだ両国です。

 

 そして、反アッシリア同盟の輪を広げるため、南ユダにも、同盟に加わるように呼びかけました。そして、南ユダが従わないと見ると、ユダに攻め込みました(列王記下16章5節以下)。慌てたユダの王アハズは、アッシリアに援軍を頼み、これを撃退することに成功しました(同7節以下)。

 

 アッシリアは先にダマスコを攻めて占領し(同9節、前733年)、この町を州都としました。ついでサマリアがアッシリアの手に陥ちて、北イスラエル王国の歴史に幕が下ろされました(同17章、前721年)。

 

 イザヤが、周辺諸国についての託宣集の中に「エフライム」=北イスラエルを含め、「ダマスコについての託宣」と言いながら、その実、ほとんど北イスラエルのことを語っているということは、北イスラエルがダマスコ=アラムと同盟して、南ユダに攻め込んで来たことのゆえに、北イスラエルを異邦人と同様に見なしているということになりそうです。

 

 4節以下に、「その日」という言葉が3度出て来ます(4,7,9節)。「その日」は、「ダマスコは都の面影を失い、瓦礫の山となる」日(1節)、つまり、ダマスコ=アラムがアッシリアによって滅ぼされる日ということです。

 

 ダマスコが滅びる日に、「ヤコブ」、即ち北イスラエルも衰退すると語って(4節)、ダマスコとヤコブが同じ運命をたどることを示そうとしています。9節にも、その日にはイスラエルの砦の町々が捨てられて廃墟となると語られています。

 

 その間に、異色の「その日」が語られています。それが冒頭の言葉(7節)で、「その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ」と言われているのです。

 

 ここで、「造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ」のは誰でしょうか。「その腕に集めた落穂、レファイムの谷で拾った落穂のよう」(5節)な、あるいは、「摘み残り」(6節)のオリーブの実という表現は、イスラエルの家の残りの者、難を逃れて生き残った者のことを指していると思われます。

 

 彼らが神を仰ぐということになれば、それは、イスラエルの残りの者が神の御前に悔い改め、主なる神に従う者となったということになります。また、ダマスコ、ヤコブになされた神の裁きを見た人々が、自分たちの手で造った異教の偶像に依り頼むことの愚かさに気づかされ(10節参照)、まことの造り主なる神を仰ぐようになると読むことも出来るでしょう。

 

 ただ、人は何度も失敗すれば、悔い改めることが出来るようになるでしょうか。アッシリアによって植民された異民族と混血したサマリアの人々は、エズラ、ネヘミヤの時代、エルサレムの再建を妨害しました(エズラ記4章、ネヘミヤ記3章33節以下)。その後、ユダの人々とよい関係を築くことは出来なかったようです(ヨハネ4章9,20節)。

 

 神は私たちの弱さをよくご存知です。キリストによって贖いの業を完成し、ただ信じるだけで、救われる道を開いてくださいました(ガラテヤ書2章16節、エフェソ書2章8,9節など参照)。

 

 絶えず、造り主の憐れみの御手のもとに留まり(ローマ書11章22節)、十字架の主キリストを仰ぎ(ヘブライ書12章2節)、御言葉に聴従する道を、喜びと感謝をもって歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは裁かれるべき罪人でしたが、驚くべき恵みを受けて救いに与りました。捨てられて当然だったのに、憐れみによって選ばれ、神の御業のために使命が与えられました。この恵みを無駄にせず、御業に励むことが出来ますように。神の愛の広さ、長さ、高さ、深さを知り、神の満ちあふれる豊かさのすべてに与り、それによって満たされますように。 アーメン

 

 

「主はわたしにこう言われた。『わたしは黙して、わたしの住む所から、目を注ごう。太陽よりも激しく輝く熱のように、暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように』。」 イザヤ書18章4節

 

 18章には、「クシュとの陰謀」という小見出しがつけられています。クシュとは、エチオピアのことと考えられています。

 

 紀元前714年、エチオピアはエジプトを征服し、台頭してきたアッシリアに対抗するため、パレスティナ諸国に働きかけて、反アッシリア同盟を結成しようとしました。「クシュとの陰謀」という小見出しは、クシュがイスラエルに同盟を働きかけようとしているという、預言の背景を示したものでしょう。

 

 2節の「彼らは、パピルスの舟を水に浮かべ、海を渡って使節を遣わす」とは、そのことを指していると思われます。であれば、1節の「災いだ」(ホーイ、「ああ」という悲嘆をあらわす言葉、口語訳、新改訳参照)という言葉は、イザヤがこの同盟の働きかけに反対していることを示していることになります。

 

 アッシリアはこの動きを察知、ペリシテに軍を進めてアシドドを落とし、ペリシテに援軍を送ったエチオピア軍も撃破されて、同盟は壊滅しました。紀元前711年ごろのことです。

 

 アッシリアがペリシテを攻めたのは、ペリシテが反アッシリア同盟の急先鋒だったからで、3節の「山に合図の旗が立てられたら、見るがよい。角笛が吹き鳴らされたら、聞くがよい」とは、ペリシテがアッシリアに反旗を翻し、同盟諸国に蜂起を促したという事実を指しているように見えます。

 

 5,6節を、神によるアッシリアの滅亡と読む立場もありますが、むしろ、アッシリアによる反アッシリア同盟の壊滅と読むべきでしょう。

 

 7節で「貢ぎ物が万軍の主にもたらされる」と語った後、その貢ぎ物は「背高く、肌の滑らかな民から、遠くの地でも恐れられている民から、強い力で踏みにじる国、幾筋もの川で区切られている国から、万軍の主の名が置かれた場所、シオンの山へもたらされる」と言われています。

 

 「背高く、肌の滑らかな民」、「遠くの地でも恐れられている民」、「強い力で踏みにじる国、幾筋もの川で区切られている国」というクシュ・エチオピアから、「シオンの山」、即ちイスラエルに貢ぎ物がもたらされるということで、イスラエルがエチオピアを支配しているということを示しているわけです。だから、エチオピアと共に反アッシリア同盟を結ぶべきではないのです。

 

 この預言の中心に、冒頭の言葉(4節)において語られている主の言葉が響きます。主なる神は、「わたしは黙して、わたしの住む所から、目を注ごう」と言われます。

 

 ここで、「黙して」と訳されているのは「シャーカト」という言葉で、「静まる、落ち着く、安んじる、沈黙する、休む、留まる、平安を与える」といった意味があります。この言葉は、イザヤにとって重要な言葉です。

 

 「落ち着いて、静かにしていなさい」(7章4節)、「しかし今、全世界は安らかに憩い、喜びの声を放つ」(14章7節)、「お前たちは、立ち返って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ、力がある」(30章14節)、「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である」(32章17節)などと用いられています。

 

 これらの箇所は、民が主なる神を信頼する様子を描写する言葉として語られていますが、今日の箇所では、神ご自身が静まって成り行きをしっかりと見守るという言い方になっています。そうすることによって、ユダに信仰による行動を求め、また、平安を与えようとしていると言ってよいのでしょう。

 

 もともと、シャーカトは「鳥が巣篭もる」という意味だったそうです。卵を抱いた鳥は、むやみに動き回りません。そこから、大切なときにバタバタしない、おどおどしないという意味になったというわけです。

 

 勿論、神を信じる者は、世の中の動きと無縁というわけではありません。様々な世の荒波に揉まれます。不安や恐れに襲われます。そして、神もまた、そのような私たちとは無縁の天の高みに、独りおられるのではありません。

 

 4節後半の「太陽よりも激しく輝く熱のように、暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように」という言葉の意味は、必ずしも明らかではありませんが、「太陽よりも激しく輝く熱」、「暑い刈り入れ時を脅かす雨雲」は通常、人々の生活を脅かし、不安に陥れるものでしょう。

 

 それらを例にとって、そのように「目を注ごう」というのは、神がどんなに熱い思いでイスラエルに目を注いでおられるのかが示されます。その熱い眼差しは一見、人を不安にするもののように思われますが、人を脅かすものに勝る神の静かさ、安らかさに支えられ、守られて、波立つ心が穏やかにされるのです。

 

 主は、今を生きる私たちのことをも、深い憐れみをもって見守っていてくださいます。だからこそ、私たちのために独り子イエスを、贖いの供え物としてお与えくださったのです。

 

 もしも、クシュの王ではない、アッシリアの王でもない、万軍の主なる神ご自身がシオンの山に十字架の旗印を立てられ、角笛を吹き鳴らされたなら、喜んで馳せ参じ、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」(6章8節)と、その召しに応答したいと思います。

 

 主よ、私たちは自分で自分を支えることが出来ません。あなたが見ていてくださり、支えていてくださるので、まっすぐに立つことが出来ます。落ち着くことが出来ます。今日も主に信頼し、御言葉に耳を傾け、その導きに感謝をもって従います。御心が行われますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「万軍の主は彼らを祝福して言われる。『祝福されよ、わが民エジプト、わが手の業なるアッシリア、わが嗣業なるイスラエル』と。」 イザヤ書19章25節

 

 19章には、「エジプトについての託宣」(1節)が記されています。先ず「主は速い雲を駆ってエジプトに来られる」(1節)とあります。神が雲に乗られるという記述は、詩編68編5,34節、104編3節、申命記33章26節などにあり、また、雲は神が顕現された徴です(出エジプト記13章21節、19章16節以下、列王記上8章10,11節))。

 

 つまり、「速い雲を駆って」とは、主なる神がエジプトを急襲されること、ここではそれがエジプトを裁かれるためであることを示しているのです。「主の御前に、エジプトの偶像はよろめき」(1節)とは、主なる神の権威の前に、エジプトの神ならぬ神々がよろめき怯えているごとくに、エジプトが拠って立つものが振るわれ、国が混乱に投げ込まれるということを示しています。

 

 「わたしは、エジプトをエジプトに刃向かわせる。人はその兄弟と、人はその隣人と、町は町と、国は国と戦う」(2節)とは、エジプトの中央政権の力が衰えて、内戦状態となることを示すものでしょう。

 

 「偶像と死者の霊、口寄せと霊媒に指示を求める」(3節)とは、人々が国の将来に明日に不安を覚えていること、それで、口寄せ、霊媒に伺いを立てていること、そしてそれは、まことの主なる神の前に、エジプトの民が迷信に頼る愚かさを表しているようです。

 

 そして4節の「わたしは、エジプトを過酷な支配者の手に渡す」とは、18章との関連から、エチオピアのシャバコ王がエジプトを征服して、エジプトの王となったことを語っていると考えてもよいでしょう。

 

 あるいは、ナホム書3章10節がアッシリア王アシュルバニパルによるエジプト攻略の様子ともいわれ、それを「過酷な支配者の手に渡す」と表現しているとすると、これは紀元前669年以降の出来事ということになります。

 

 5節以下では、文明の母胎とも言うべきナイル川が干上がってしまうと語られています。ナイル川全体が干上がったことは史上一度もないことでしょうが、何度も氾濫を繰り返してきた川が、その度に少しずつ流れを変えて、そのようなことで水が流れなくなった支流はいくつも存在したことでしょう。

 

 そうすると、その流域で漁業や農業を生業としていた人々は、生活に大きな打撃を受けたのではないでしょうか。この預言は、エジプト人の生活全体が脅かされるほどの規模でエジプトの自然が振るわれると語っているわけです。

 

 さらに、エジプトの賢者たちが振るわれます(11節以下)。彼らは、国の危機に対処することが出来ません(15節)。それは、万軍の主がエジプトに対して抱いておられる御心を悟ろうとしないからです。

 

 ただし、これらのことを通じて、実際に裁かれているのはエジプトでしょうか。まことの神を知らないエジプトがこのように裁かれるのならば、主なる神に従うべきイスラエルの民が、おのが思いに任せて偶像に頼り、口寄せや霊媒に指示を求めていることについて、どれほどの裁きを受けることになるのでしょう。そのことを考えよというのが、この預言の主旨ではないでしょうか。

 

 しかしながら、16節以下には「終わりの日の和解」(新共同訳聖書参照)が記されています。突然の展開です。それまでの詩文形式が、散文形式に変わっていることもあり、多くの学者は、この段落を後代の付加と考えているようです。

 

 「その日には」(16,18,19,23,24節)と5回語られます。16節の「その日」は、1節以下に語られているエジプトの審判が実行される日のことだったと思われます(16節)。そこに一つずつ「その日」が書き加えられて、審判の日が改心の日となり、さらにアッシリアも主を礼拝するようになり、エジプト、アッシリア、イスラエルが同じ一つの神の民となるとされます。

 

 今日に至るまで、文字通りこれらのことが叶えられたことはありません。そのようなことで、新共同訳は「その日」を「終わりの日」、即ち終末の預言がここに語られていると解釈し、この段落に「終わりの日の和解」という見出しをつけたのでしょう。

 

 19節に、エジプトの地の中心に主のために祭壇が建てられ、その境には主のために柱が立てられると言われ、「もし彼らが、抑圧する者のゆえに、主に叫ぶならば、主は彼らのために救助者を送り、彼らを救われる」(20節)と記されます。これは、かつてモーセを遣わしてイスラエルを救われたように、今度はエジプトを救われるということです。

 

 そして、冒頭の言葉(25節)のとおり「万軍の主は彼らを祝福して言われる。『祝福されよ、わが民エジプト、わが手の業なるアッシリア、わが嗣業なるイスラエル』と」と言われます。イスラエルのために用いられてきた「わが民」、「わが手の業」という形容詞が、ここではエジプト、アッシリアに対して用いられます。ここに、平和の主なる神の真骨頂があります。

 

 また、「わが民エジプト、わが手の業なるアッシリア、わが嗣業なるイスラエル」と、イスラエルの地位がエジプト、アッシリアに次ぐ「第三のもの」となっています(24節)。地理的にイスラエルはエジプトとアッシリアの中心に位置しますが、主への信仰において、第三のものとされることで、その地位が相対化されています。 

 

 このことで主なる神は私たちに、エジプトとアッシリアという強大な敵であったものを、自分と同じように愛することを求めておられるようです。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ書3章9節)と言われているとおりです。

 

 それは、私たちの感情の許さないところかも知れません。だからこそ、主に祈りつつ、御霊の導きに与って、御言葉を実行させて頂くのです。祝福を受け継ぐ者として、主の祝福のうちを歩みましょう。

 

 主よ、あなたは私のような罪人をも「わが民」と呼び、「わが手の業」と呼んで愛を注いでくださいます。絶えずキリストを主と崇め、キリストに結ばれてすべての人々と相和し、善い生活を送ることが出来ますよう、聖霊の満たしと導きに与らせてください。 アーメン

 

 

「主はアモツの子イザヤを通して、命じられた。『腰から粗布を取り去り、足から履物を脱いで歩け』。彼はそのとおりにして、裸、はだしで歩き回った。」 イザヤ書20章2節

 

 20章には、「アシュドドの占領」が記されます。アシュドドは、エルサレムの西方、ガザの北北東およそ30kmの地中海沿岸にあった町で、ペリシテ人が居住した5大都市(アシュケロン、アシュドド、エクロン、ガザ、ガト)の一つです。

 

 1節に「アッシリアの王サルゴンに派遣された将軍がアシュドドを襲った年」とあります。アッシリア軍がペリシテに攻め込んだのは、紀元前711年のことでした。

 

 それに先立って、冒頭の言葉(2節)にあるとおり、主なる神はイザヤに「腰から粗布を取り去り、足から履物を脱いで歩け」と命じられました。これは、行動預言と言われるもので、イザヤの行動を通して、神が御心を示されているのです。

 

 3節以下に、この行動についての説明がなされています。まず、3節に「わたしの僕イザヤが、エジプトとクシュに対するしるしと前兆として、裸、はだしで3年間歩き回った」とあります。

 

 「裸、はだし」では、寒いイスラエルの冬を過ごすことは出来ないので、3年もの間ずっとイザヤが裸、裸足で過ごしていたというのではないでしょう。おそらく、ことが起こる前に象徴的な行為によって預言した、あるいは、3年の間、時折そのような姿をして見せたということではないかと思われます。

 

 また、イスラエルには、裸で表を歩くという習慣はありませんから、イザヤの行為は人々の目に、とても奇異に映ったことでしょう。また、711年の3年前といえば、ヒゼキヤが王位についたころということになります。

 

 続く4節で、イザヤが裸、裸足で歩いたように、「アッシリアの王は、エジプトの捕虜とクシュの捕囚を引いていく。若者も老人も、裸、はだしで、尻をあらわし、エジプトの恥をさらしつつ行く」と語っています。つまり、イザヤの行動は、エジプト、クシュがアッシリアに敗れ、民が捕虜とされるということだったのです。

 

 このように語られているのは、勿論エジプトやクシュのためなどではありません。エジプトとクシュが、アッシリアの前に敗れて捕虜、捕囚とされるのだから、彼らに頼って反アッシリア同盟に与してはならないと言われているのです。

 

 紀元前715年ごろ、クシュの王シャバコがエジプトを制圧して王となりました。その強さを見た周辺諸国は、アッシリアに対抗し得るものと考えて、エジプト・クシュを軸に、反アッシリア同盟を組もうとしました。

 

 というのも、紀元前721年にアラムと北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたとき、パレスティナの諸国は滅亡を免れるため、アッシリアに貢ぎ物を贈らざるを得ず、その負担が重くのしかかっていたからです。そしてそれは、南ユダも例外ではありませんでした。

 

 ヒゼキヤの父アハズは、アラム・エフライム連合軍の攻撃に対抗するためもあり、進んで朝貢しました。列王記下18章7節に「彼(ヒゼキヤ)は、アッシリアの王に刃向かい、彼に服従しなかった」とありますので、このとき、ペリシテなどの反アッシリア同盟の動きに同調して、アッシリアへの朝貢を辞めたのでしょう。

 

 しかしながら、アシュドドがアッシリアの攻撃を受けたときも、そして、ユダが壊滅寸前の危機に陥ったときも(前701年)、エジプト・クシュは、ユダを守ってはくれませんでした。その後、そのエジプト・クシュがアッシリアに敗れ(前663年)、4節の預言が成就します。

 

 エジプトのような強国でもこのような有様ならば、パレスティナの小国イスラエルの運命はどうなることでしょう(6節参照)。

 

 北イスラエルやペリシテ、エジプトの出来事を見ながら、なお神の御言葉に聞き従わず、真に悔い改めることのなかった南ユダは、アッシリアに対しては首の皮一枚でその攻撃を凌ぐことが出来ましたが、次いで登場したバビロニア帝国により、紀元前587年にエルサレムが陥落し、捕囚とされる憂き目を見たのです。

 

 けれども、主なる神はそれで神を礼拝するべきイスラエルの民を滅ぼしておしまいにされるわけではありません。もう一度、その縄目から解放し、新たな契約を結んで、神の民を造られます。それが、エレミヤ書31章31節以下に記される「新しい契約」なのです。

 

 私たちは、この新しい契約の時代に生かされています。放蕩息子のたとえにあるように、イエス・キリストという最上の衣が着せられ、神の子とされたしるしの指輪がはめられ、罪の奴隷ではないことを示す履物を履かさていただきました(ルカ福音書15章22節参照)。

 

 その恵みに感謝し、聖霊の力を受けて、主の愛と慈しみを証ししつつ、光の子らしく歩みたいと思います。

 

 主よ、神の民イスラエルから最も遠くにいた私たちをも、永遠の計画の中に入れていてくださり、主イエスを信じる信仰の恵みに与らせてくださいました。古い人を脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々、新たにされて、真の知識に達することが出来ますように。 アーメン

 

 

「『見よ、あそこにやって来た、二頭立ての戦車を駆る者が。』その人は叫んで、言った。『倒れた、倒れた、バビロンが。神々の像はすべて砕かれ、地に落ちた。』」 イザヤ書21章9節

 

 1節に「海の荒れ野についての託宣」と記されています。「海の荒れ野」(ミドゥバル・ヤーム)とはなかなか面白い表現ですが、これは、バビロンの地を指しています。もともと、バビロニアを表すアッシリア語は「マト・タムティー」で、これは「海の平原」という意味でした。「ミドゥバル・ヤーム」は、それをヘブライ語訳したということです。

 

 ここで「海」はペルシア湾ではなく、チグリス・ユーフラテスの大河のことを指しています。18章2節の「海」も、ナイル川のことを指していると考えられます。また、聖書で「海」は、龍や悪しき怪物の住む混沌の世界を指します(27章1節、51章9,10節、黙示録13章1節など)。そこから、「海の荒れ野」という言葉で、バビロンの悪しき力を言い表そうとしているようです。

 

 1節に「ネゲブに吹き荒れるつむじ風のように彼は来る」と言われます。ここで「彼」とは、「海の荒れ野」なるバビロンのことでしょう。ユダ南部の乾燥地帯から吹いてくる熱風シロッコのように、バビロンがイスラエルを襲って来るということです。

 

 その厳しい幻のゆえに(2節)、詩人の腰は激しくもだえ、産婦の痛みのような痛みにとらえられました(3節)。楽しみにしていた夕暮れ(4節)、それは、宴が開かれ、人々がそこで楽しく飲み食いすることですが、しかし、そこに「立て、武将たちよ、盾に、油を塗れ」(5節)、つまり、戦いの備えをせよという声がかかったのです。

 

 バビロンがイスラエルに攻め寄せて来たのは、ヨシヤ王の次男ヨヤキムが王であったときのことです(列王記下24章1節、紀元前605年ごろ)。最初は貢ぎ物を納めていましたが、後に反逆(朝貢停止)したため、再びバビロン軍が押し寄せました。

 

 それはヨヤキムの死後、その子ヨヤキンが即位したばかりのことでした(同10節)。そして、王とその家族、高官、軍人たちをバビロンに連行します(同15,16節)。第一次バビロン捕囚と呼ばれるものです(前597年)。

 

 その10年後、傀儡の王ゼデキヤが反旗を翻したため、三度攻め寄せてきたバビロンにエルサレムが陥落し、貧しい民の一部を残して、イスラエルの民を捕囚として連れ去ります(同25章11節)。これは、第二次バビロン捕囚と言われます(前587年)。

 

 こうしたことが起こったのは、イスラエルの民が主の目に悪とされることを行って主を怒らせたからだと、繰り返し説明されています(同23章26,27節、24章3,4,20節)。つまり、神はバビロンを、イスラエルを打つ道具とされたわけです。

 

 2節に「欺く者は欺き続け、荒らす者は荒らし続けている。上れ、エラムよ、包囲せよ、メディアよ」とあります。「欺く者」、「荒らす者」とは、バビロンのことです。こうした表現が用いられているのは、バビロンが、主の御心を越え、また主の御心に背いて、周辺諸国、就中イスラエルを荒らしたということなのでしょう。

 

 「エラム」はバビロンの東方で、「メディア」はその北方にあります(聖書巻末地図参照)。このエラムとメディアは、ペルシアのことを指しています。欺き、荒らし続けているバビロンを罰するため、ペルシアが立ち上がり、戦うよう、主なる神に告げられているのです。

 

 バビロンを倒したのは、ペルシア王キュロスでした(歴代誌下36章20,22節)。バビロンによって捕囚とされていたイスラエルは、キュロス王によって解放されたのです。そのことが6節以下に記されているわけです。

 

 2頭立ての戦車やろば、らくだを駆る騎兵などは、ペルシアが戦闘に用いたものです。7節はバビロンに向かう隊列、冒頭の言葉(9節)はバビロンを倒して帰って来たところ、と読むことが出来ます。

 

 10節に「打たれ、踏みにじられたわたしの民よ」とありますが、これは、今ここに裁きが語られているバビロンによって打たれ、踏みにじられたイスラエルの民に向かって呼びかけた言葉です。イスラエルは紀元前587年、バビロンによって滅ぼされ、捕囚の苦しみを受けましたが、その民に対して、バビロンの裁きが告げられたわけです。

 

 けれども、それを喜ぼうというのが、この預言の意図ではないようです。3節でイザヤは、「それゆえ、わたしの腰は激しくもだえ、産婦の痛みのような痛みにとらえられた。わたしは驚きのあまり、聞くこともできず、恐れのあまり、見ることもできない」と言いました。

 

 これは、上記でバビロンが押し寄せて来ることに対する恐れと読みましたが、ペルシアがバビロンに攻め上って包囲し、バビロンに苦しめられている諸国の民の呻きを終わらせるという2節の言葉、即ち、バビロンを滅ぼすという主の言葉を受けての、イザヤの恐れでもあるでしょう。

 

 というのは、ペルシアがバビロンを攻め滅ぼすとき、イスラエルの民はバビロンの捕囚とされているからです。イスラエルを罰する道具としてバビロンが用いられ、バビロンを罰する道具としてペルシアが用いられるとき、バビロンにいるイスラエルには、さらに厳しい状況が待ち受けていると考えたのではないでしょうか。

 

 そうすると、冒頭の言葉(9節)で「倒れた、倒れた、バビロンが」というのは、二頭立ての戦車を駆るものにとっては歓喜の宣言というものでしょうけれども、それを聞くイスラエルの民にとっては、嘆きの歌なのかも知れません。

 

 そして、その主による裁きにおびえ、嘆く姿が、十字架にかかられる前にゲッセマネで祈られた主イエスのお姿と重なります。「イエスはひどく恐れてもだえ始め」(マルコ14章33節)、弟子たちに、「わたしは死ぬばかりに悲しい」(同34節)と言われました。ルカは、「汗が血の滴るように地面に落ちた」(22章44節)と描写しています。

 

 それはまさに、全人類の罪を担い、神の裁きを受けようとしているからです。あらゆる罪の呪いを主イエスがご自分の身に引き受けてくださったので、私たちは神に裁かれ、呪われて捨てられることはありません。

 

 さらに、主イエスが死の力を打ち破って甦られ、天に上り、神の右の座に着かれました。すべての呪い、裁きを引き受けて陰府に下られた主イエスが、天の御座に高く引き上げられたということは、その救いに与ることが出来ない者などいない、だれもが主の御国に迎えられる救いの道が開かれたということです。

 

 だから私たちは、「倒れた、倒れた、バビロンが」という言葉を、あらためて歓喜の宣言として語ることが出来ます。ヨハネ黙示録で、「倒れた。大バビロンが倒れた」(18章2節)と天使が叫んでいるのは、まさしく勝利の宣言なのです。

 

 なお苦しみ多き人生を歩んでいる私たちですが、勝利は私たちのものです(ヨハネ16章33節、ローマ書8章31節以下、第一ヨハネ5章4,5節)。主に信頼し、主と共に日々歩みましょう。御言葉に耳を傾けましょう。そうして、主の御名を心から褒め称えましょう。 

 

 主よ、私たちをキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを通じて至るところに、キリストを知るという香りを漂わせてくださることを、感謝します。御霊の働きにより、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。絶えず主を信じる信仰に堅く立ち、主の業に励むことが出来ますように。御言葉を聴かせてください。信仰は聴くことにより、聴くことはキリストの言葉によって始まるからです。 アーメン

 

 

「しかし、お前たちは、都を造られた方に目を向けず、遠い昔に都を形づくられた方を見ようとしなかった。」 イザヤ書22章11節

 

 1節に、「幻の谷についての託宣」と言われます。この表題は、5節の言葉から採られたものと考えられます。新共同訳は、段落の小見出しを「いやし難いエルサレムの罪」としていますが、それは8節以下の記述から、「幻の谷」が、エルサレムのことを指していると解釈しているわけです。

 

 エルサレムの町は、シオンと呼ばれる丘の上に建てられています。町の東にケデロンの谷、南にヒンノムの谷、西にチュロペオンの谷と、三つの谷に囲まれています。周囲を山と谷が巡っているので、「シオン(要害)の丘」と呼ばれているわけです。

 

 それを「幻の谷」と表現するのは、本来、高い山の上にあって真の神を礼拝すべきイスラエルの民が、異教の偶像に迷い、特に、ヒンノムの谷にモレク神を祀る礼拝所があり(列王記下23章10節)、そこでは子どもを火で焼くというおぞましい儀式が執り行われたことから(同16章3節、21章6節など)、その不信仰、不真実を示そうとしているのだろうと思われます。 

 

 ここに語られているのは、アッシリア軍がエルサレムの都に大挙押し寄せて包囲した紀元前701年の出来事ではないでしょうか。紀元前705年のサルゴン王の死去によってアッシリア帝国内に叛乱が頻発し、それに乗じてユダの王ヒゼキヤは、エジプトやバビロンと結び、朝貢を辞めました。

 

 そして、都を防護するために軍備を増強(8節)、城壁を強化します。その際、エルサレムの東側城外に湧き出しているギホンの泉を攻め寄せてくる敵から守り、その水を場内で利用するため、地下水道を掘ってシロアムの池まで引き込んだのです(9~11節、歴代誌下32章1節以下、30節)。

 

 けれども、ユダの町々はアッシリア軍の前にことごとく征服され、最後に18万5千の兵士がエルサレムを取り囲みました(列王記下18章3節)。亡くなった将校や兵士たちは、戦いで命を落としたのではなく、都を逃げ出そうとして捕えられ(2,3節)、見せしめに処刑されたのです。それは、降伏以外に道がないことを、ヒゼキヤ王とエルサレムの住民に思い知らせるためです。

 

 ヒゼキヤはアッシリアに降伏し、神殿と王宮の宝物庫から賠償の金品を差し出しました(列王下18章14~16節)。センナケリブの年代記には、ヒゼキヤが王女や侍女、男女の歌い手も差し出して、ニネベに送って来たと記されているそうです。それら多額の賠償が差し出されたので、エルサレムの町はなんとか滅亡を免れたわけです。

 

 そのような犠牲の大きさを考えないで、徒らに喜んでいるように見えるエルサレムの民に対して(1,2節)、「わたしから目をそらしてくれ。わたしは激しく泣く。あえてわたしを慰めるな。娘なるわが民が滅びたのだ」(4節)とイザヤは言います。それは、これからエルサレムを襲うことになる不幸の大きさ、悲しみの深さを教えようとしているのです。

 

 そして、その災いの原因を考えて神の御前に謙り、悔い改めることを求めているのです(12節)。彼らが本当にしなければならなかったこと、神が彼らに求めておられたのは、冒頭の言葉(11節)のとおり、都を形づくられた方を仰ぎ見、共におられる神の御手に依り頼むことだったのです(8章9,10節参照)。

 

 ところが、悔い改めを求められ(12節)、神に目を向け、その御手に信頼することが求められているのに(11節)、エルサレムの住民は、そうしようとはしません(13節)。敵が退却して危機が去ったのを見て、喜び祝っているのです。それで万軍の主は、「お前たちが死ぬまで、この罪は決して赦されることがない」(14節)と宣告されます。

 

 このことについて、列王記下20章に記されている出来事を思い出します。それは、死の病が奇跡的に回復した後、バビロンからの見舞いの使者を迎えて喜んだヒゼキヤが、宝物庫や武器庫、倉庫に納めてある物をすべて見せたことに対し、預言者イザヤが、それらすべてがバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来ると預言したという出来事です。

 

 アッシリアから守られたことも、死の病から癒されたことも、すべて神の憐れみであるのに、ヒゼキヤはまるで自分の手柄であるかのように誇り、持ち物を自慢して見せたわけです。そこには、主なる神に対する畏れや感謝など、かけらも見ることが出来ません。

 

 そのことについて、歴代誌下32章31節に「バビロンの諸侯が、この地に起こった奇跡について調べさせるため、使節を遣わしたとき、神はヒゼキヤを試み、その心にあることを知り尽くすために、彼を捨て置かれた」と記されています。かくてヒゼキヤの浅薄な振る舞いが、国の滅びを招く結果となってしまいます。

 

 ヤコブの手紙4章8~10節に「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを憂いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます」と記されています。

 

 だれが、自分自身を清めることが出来るでしょう。手を洗えば、清くなるわけではありません。心を清めるには、どうすればよいのでしょうか。ただ主の憐れみに依り頼み、キリストの流された血潮によって清められ、神の生ける言葉によって新しく生まれた者としていただくだけです(第一ペトロ書1章3,18,19,23節)。 

 

 キリストの贖いにより、聖なる者とされ、愛されている者として、キリストの言葉を心の内に豊かに宿らせましょう。知恵を尽くして諭し合い、感謝して心から神を褒め称えましょう。そして、何事につけ主イエスの御名によって行い、神に感謝しましょう(コロサイ書3章12節以下、16,17節)。

 

 主よ、絶えず御前に謙り、日々その御言葉に心から耳を傾けさせてください。あなたの御心を教えてください。聖霊により、知恵と力を授けてください。御旨を悟り、御言葉を行うことが出来ますように。そうして、私たちの体を通して、あなたのご栄光を表すことが出来ますように。 アーメン

 

 

「しかし、彼女の利益と報酬は、主の聖なるものとなり、積み上げられも、蓄えられもしない。主の御前に住む者たちの利益となり、彼らは飽きるほど食べ、華やかに装う。」 イザヤ書23章18節

 

 第二部「イスラエルの周辺諸国に対する預言」(13~23章)の最後に、「ティルスの審判」が語られます。1節に「ティルスについての託宣」とありますが、3,4節に「シドン」についての預言もあり、ティルスやシドンに代表される、イスラエルの隣国フェニキヤについての預言と考えればよいのだろうと思います。

 

 7節に「町の初めは、遠い昔にさかのぼり」とあります。ティルスもシドンも、紀元前15世紀以前に存在していたことが、古文書によって知られています。ティルスは地中海沿岸、フェニキヤの南端に位置しています。

 

 ダビデがイスラエル全土の王となり(サムエル記下5章1節以下)、エルサレムをダビデの名で呼ばれる町、即ち首都に定めたとき(同5節以下)、ティルスの王ヒラムが使節を派遣し、王宮建設のためのレバノン杉に木工、石工を送って来ました(同11節)。また、ダビデの子ソロモンが神殿を建設する際には、レバノン杉、糸杉と石工を提供しています(列王記上5章15~32節)。

 

 かくて、ダビデ・ソロモン時代を通じて、イスラエルとフェニキヤの関係は大変良好なものでした。イザヤがこの預言を告げていたときも、両国の関係に特に問題があったわけではないようです。

 

 当時のティルスは、スペインにまで貿易船を送り、交易する力を有していました。1節の「タルシシュ」は、南スペインにあったとされる港町で、ヨナ書1章3節にもその名が出て来ます。地中海の西の果てまで船団を送れたということは、地中海を縦横に行き巡って貿易する力を有していたということでしょう。

 

 北イスラエルを滅ぼし、エジプトにも勝利したアッシリアですが、ティルスの町を征服することは出来ませんでした。また、バビロニアのネブカドネザルがティルスを13年間も攻撃しましたが、果たせませんでした。紀元前332年にアレキサンダー大王が7ヶ月間包囲して、ようやく陥落させましたが、その後も、影響力を保持していたという資料もあるようです。

 

 北イスラエルの王アハブの妻イゼベルは「シドン人の王エトバアルの娘」と列王記上16章31節に記されていますが、イスラエル史の研究者M.ノートによれば「王の名はイトバアルであるが、旧約聖書では誤って母音がつけられた。シドン人とティルス人との関係は、フェニキア人は一般にシドン人と言い表され、イトバアルはティルスに居住していたフェニキア人の王であった」とされています。

 

 イトバアルは「バアル神と共に(生きる)」という意味の名であり、その娘イゼベルの名は、バアルの栄誉を表わすフェニキヤ名をヘブライ語化したものであろうと言われます。このイゼベルがイスラエルにバアル信仰を持ち込み、アハブ王は、首都サマリアにさえバアルの神殿を建てて(列王記上16章32節)、エリヤをはじめ、預言者たちの批判を浴びています。

 

 ここに、ティルス、シドンを代表とする「海辺の住人たち」(2,6節)たるフェニキアへの審判が語られているということは、おのが貿易力、海洋権を頼みとし、また、異教の偶像を拝んで真の神に栄光を帰さないこと、その意味で、彼らの奢り、高ぶりが裁かれているわけです。

 

 しかしそのことは、単にティルスや北イスラエルのことだけでなく、実にエルサレムの問題であり、そしてそれは、私たちの問題でもあるのです。誰もが、武力や経済力、知力があれば国が守れる、自分たちの生活が守れると考えてしまいます。

 

 逆に、経済力などに陰りが見られるとき、不安と恐れにかられ、パニック状態を呈してしまいます。そしてそのとき、真の神の御心を尋ね求めること、その導きに従うことを忘れてしまっているのです。

 

 神は、ティルスを裁かれた後、70年して顧みられると言われます(15,17節)。上述したとおり、紀元前332年にアレキサンダー大王によって陥落させられましたが、60年後の紀元前274年、エジプトの王プトレマイオス2世がティルスの自治権を回復させました。プトレマイオスは、ヘブライ語旧約聖書のギリシア語訳(70人訳)をなさせたことでも知られています。

 

 ティルスが顧みられたのは、彼らが主なる神の前に謙り、悔い改めたからというのではありません。「彼女は再び遊女の報酬を受け取り、地上にある世界のすべての国々と姦淫する」(17節)と言われます。

 

 ならばなぜ、神はティルスを顧みられるのでしょうか。それは、冒頭の言葉(18節)にあるとおり、彼女の利益と報酬が「主の聖なるものとなり、積み上げられも、蓄えられもしない。主の御前に住む者たちの利益となり、彼らは飽きるほど食べ、華やかに装う」ものとなるからというわけです。

 

 箴言13章22節に「善人は孫の代にまで嗣業を残す。罪人の富は神に従う人のために蓄えられる」という言葉があります。善人は豊かになり、罪人は富を失う、その富は神に従う人のものになるという考え方で、ティルスの富は、イスラエルのためだと読んでも良さそうです。

 

 さらには、終わりの日にすべてのものが主のもとに呼び集められ、主の御名が賛美される日が来る、そこに、ティルスの町の民もいるということではないかと思われます。

 

 だからこそ、「全世界に行って、すべての造られたものに(主イエス・キリストの)福音を宣べ伝えなさい」(マルコ福音書16章15節)と命じられているのです。

 

 主よ、私たちはあなたの深い愛によって選ばれました。それは、私たちがあなたから委ねられた使命を果たすためです。それは、全世界に行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えることです。聖霊が降るとき、私たちは力を受けて主イエスの証人となると言われています。福音宣教の使命をよく果たすことが出来ますように。そのために、聖霊の満たしと導きに豊かに与らせてください。そして、絶えず心をキリストの平和が支配しますように。 アーメン

 

 

「月は辱められ、太陽は恥じる。万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、長老たちの前に、主の栄光が現されるとき。」 イザヤ書24章23節

 

 24~27章には、全世界が主なる神に裁かれる、世の終わりを思わせる記述が並んでおり、「イザヤの黙示録」と呼ばれています。24章の前半は旱魃による荒廃、後半(14節以下)は「ノアの洪水」(創世記6章以下参照)を思わせる神の裁きの始まりが記されています。

 

 そのような神の裁きが臨む理由について、5節に「地はそこに住む者のゆえに汚された。彼らが律法を犯し、掟を破り、永遠の契約を捨てたからだ」と記されています。

 

 ここに記される、地を汚す罪について、民数記35章33節において、それは人を殺して大地に血が流れることと示されます。また、エレミヤ書3章1節以下によれば、それは偶像礼拝をするというように告げています。いずれかというより、むしろ、双方の意味が込められていると考えるべきなのでしょう。

 

 ここに、「永遠の契約」とありますが、イスラエルとの契約ではなく、世界との契約ということでいうなら、創世記9章16節で「神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」と、神がノアとその家族に語られたものを指しているということになります。

 

 ノアとその家族に対して結ばれた「永遠の契約」は、神が一方的に宣言されたもので、特に人間が守るべき条項は何も記されていません。とはいえ、人が神との関係を蔑ろにし、他の神々に心を向けるようなことがあれば、それは、自ら主なる神との契約を捨てる行為ですから、その庇護を受けることが出来なくなります。ゆえに、滅びを刈り取ることになるわけです。

 

 然るに神は、「地に住む者は焼き尽くされ」(6節)ると言いながら、滅ぼし尽くすようにはなさらず、わずかな者が残されます(6節)。これも、「ノアの洪水」(創世記6章5節以下,8節)物語と同じような展開です。

 

 残された者たち、神の憐れみによって滅びを免れた者たちは、声を上げ、主の威光を喜び歌います(14~16節)。実に、箱舟を出たノアとその家族が祭壇を築いて神を礼拝したことに通じるものです(創世記8章20節)。

 

 ノアの献げ物を受けて神は「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」(同21節)と宣言されましたが、それは、「世界の一切の悪と罪を洪水をもって滅ぼしたので、もはや、大地が呪われることはあり得ない。ノアとその子孫は清く正しく生きることが出来る」ということではありません。そうではなく、「人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ」(同21節)と言われたのです。

 

 それは、そもそも神が人を地上からぬぐい去ろうと考えた理由でした(同6章5節)。洪水後、人に対して大地を呪わないと決意されたのも同じ理由です。即ち、人間が何を学び、何を経験しても、それで自分を全く造り替えることなど出来ない、自分の知恵や力、振る舞いで、神の御国に到達することは出来ない、神の憐れみによらずして、救いに与ることの出来る者はいないということです

 

 残された者たちの賛美を聞いて、イザヤは「わたしは衰える、わたしは衰える。わたしは災いだ。欺く者が欺き、欺く者の欺きが欺く」(16節)と言います。これも、残された者は、神の救いを必要としないほど清い者などではないということでしょう。神の裁きの前に、「わたしは衰える、わたしは災いだ」と、おのが罪を認めざるを得ないのです。

 

 「その日が来れば」(21節)、神は天地の悪をことごとく罰し、滅ぼされ(21,22節)、そして、冒頭の言葉(23節)にあるごとく、「万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、長老たちの前で栄光を現され」ます。そのとき、「月は辱められ、太陽は恥じる」と言われます。

 

 太陽が輝いている昼間、街灯をつけても何の意味もありません。月や太陽は、周辺諸国において、異教の神として仰がれているものです。しかしながら、太陽も月も、神に創られたものです(創世記1章14節以下)。天地を創造された万軍の主なる神が、ご自身の栄光をシオンの山、エルサレムで現されるとき、月も太陽も、つまり異教の神々といわれるものは、恥じ入ることになるわけです。

 

 ヘブライ書13章20,21節に、「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン」とあります。

 

 神の御子、主イエス・キリストが十字架にかかられて、その死をもって私たち人類の罪を贖い、三日目に甦られて罪と死の力を打ち破り、神の栄光を現されたのです。主イエスを心の王座に迎え、心から主をほめ歌いましょう。

 

 主よ、私たちはキリストの十字架により贖われた罪人です。私たちが救いに与り、永遠の命を受け、神の子とされたのは、報酬などではなく、一方的な神の恵みです。いつも心の王座を主に明け渡し、日々主の御手にすべてを委ねて御言葉に聴き従い、絶えず御業を拝して感謝と賛美をささげさせてください。 アーメン

 

 

「(主は)死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。」 イザヤ書25章8節

 

 25章は、「イザヤの黙示録」(24~27章)の一部で、その内容から、「感謝の歌」(1~5節)、「諸国民のための祝宴」(6~10a節)、「モアブの滅亡」(10b~12節)に分けられます。

 

 1,2節に「あなたは驚くべき計画を成就された、遠い昔からの揺るぎない真実をもって。あなたは都を石塚とし、城壁のある町を瓦礫の山とし、異邦人の館を都から取り去られた。永久に都が建て直されることはないであろう」と言われています。

 

 これは、列王記下19章25節の「お前は聞いたことがないのか。はるか昔にわたしが計画を立てていたことを。いにしえの日に心に描いたことを、わたしは今実現させた。お前はこうして砦の町々を瓦礫の山とすることになった」という言葉によく似ています。これは、イザヤがヒゼキヤ王に語った預言の中で、主がアッシリアの王に告げたとされている言葉の一部分です。

 

 列王記によれば、北イスラエルを滅ぼした後(列王記下17章)、アッシリア軍はユダの砦の町々をことごとく占領しました(同18章13節)。そして、エルサレムの都を大軍で包囲し、あと一歩で攻め落とすことが出来るところでした(同17節以下)。それは、主がアッシリアを、イスラエルを打つ道具として用いられたということです。

 

 4節の「まことにあなたは弱い者の砦、苦難に遭う貧しい者の砦、豪雨を逃れる避けどころ、暑さを避ける陰となられる」という言葉は、弱い者、貧しい者を苦しめる強い国が撃たれ、弱い者らが救い出されることを示しています。

 

 即ち、思い上がったアッシリアが撃たれ(王下18章32節以下、19章35節以下)、それによって、アッシリアに苦しめられていた南ユダ、エルサレムの町は救いに与ることが出来るということになります。そうして救いに与った民は、主こそ真の避けどころであると知るでしょう。そして、暴虐の限りを尽くしていた国々は、神を畏れ敬うことを学ぶでしょう。

 

 すべての民のための祝宴が、「この山」(6,7,10節)、即ちシオンで開かれます。そのとき、「主はこの山で、すべての民の顔を覆っていた布を滅ぼす」(7節)と言われます。「顔を覆っていた布」とは、冒頭の言葉(8節)の「涙、恥」との関連で、悲しみを意味していると解釈することが出来ます。

 

 あるいはまた、6章10節の「この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ」という御言葉との関連で、神の御顔を拝させない、御心を悟らせない、御言葉を聞かせないための覆いと考えることも出来ます。

 

 パウロは、「今日に至るまで、モーセの書が読まれるときは、いつでも彼らの心には覆いが掛かっています。しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます」(第二コリント書3章15,16節)と言い、旧約の律法が主イエスの顔に輝く神の栄光を見えなくしていること、復活の主を仰いだときに目からうろこが落ちる経験をすることが出来るということを、自分の経験に基づいて語っています。

 

 イザヤは冒頭の言葉(8節)のとおり「死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を、地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである」と告げています。

 

 ヨハネの黙示録21章4節で「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」と言われるのは、イザヤと同じ意見であるといってよいでしょう。

 

 歴史は、滅びに向かって動いているのではなく、人を悲しませ、嘆かせる「死」の滅びに向かって、つまり、私たちの救いの完成に向かって動いている、それが主の御計画だということです(9節、エフェソ書1章10節など参照)。

 

 「『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか』。死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」(第一コリント書15章54~56節)と言われるとおり、甦られた主イエスを絶えず仰ぎ、神に感謝と賛美をささげましょう。

 

 死に打ち勝たれたお方は、万事を益とされるお方です。主に信頼して歩む私たちの労苦は決して無駄にならない、そのことを知っているはずだとパウロは言います(同58節)。共に主の業に励みましょう。周囲の人々に主の恵みを証ししましょう。十字架と復活の福音を告げ知らせましょう。

 

 主よ、ここに終わりの日の祝福を示してくださり、心から感謝致します。主イエスは十字架の死と復活を通して、罪の呪いと死の力に勝利されました。その力をもって私たちをも復活の恵みに与らせ、救いを完成してくださいます。その救いを祝って喜び躍ります。主の御名は誉むべきかな。私たちを御霊に満たし、主の証人としてお用いください。御名が崇められますように。ハレルヤ! アーメン

 

 

「あなたの死者が命を得、わたしのしかばねが立ち上がりますように。塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え。」 イザヤ書26章19節

 

 1~6節の段落には「勝利の歌」という小見出しがつけられていますが、内容的には4節の「主に信頼せよ」という戒めが、この段落の中心テーマでしょう。

 

 1節に「我らには、堅固な都がある。救いのために、城壁と堡塁が築かれた」とありますが、城壁と堡塁で都が守られるわけではありません。5節には「主は高いところに住まう者を引きおろし、築き上げられた都を打ち倒し、地に打ち倒して、塵に伏させる」と記されているからです。

 

 25章2節にも、「あなたは都を石塚とし、城壁のある町を瓦礫の山とした」と記されていました。いかに堅牢な城壁を築くことが出来たとしても、その周りに堅固な堡塁を築いてはいても、神の守りがなくては、やがてそれは石塚となり、瓦礫の山になってしまうのです。

 

 実際、アッシリアの脅威からエルサレムの都を守ったのは、城壁ではありません(列王記下19章)。イスラエルの民が背きの罪から離れることが出来なかった結果、神の都はバビロン軍によって瓦礫の山とされてしまいました(同24章20節、25章参照)。

 

 詩編127編1節で、「主ご自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい。主ご自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい」と言われているとおりです。即ち、主なる神がおられて守ってくださるからこそ、都が堅固にされるのです(25章4節)。

 

 そこで求められるのが、主なる神に対する信頼です(4節)。主ご自身が建ててくださる家とは、私たちが主を礼拝する神殿、神がそこにお住まいくださる神の宮のことといってもよいでしょう。主は、御自分に信頼する者たちと共におられ、自ら堅固な城壁となって平和を授けられ(1,3節)、安んじて眠ることが出来るようにしてくださるわけです(詩編127編2節も参照)。

 

 7節以下の段落には、「復活を求める祈り」という小見出しがついています。それは、冒頭の言葉(19節)の「あなたの死者が命を得、わたしのしかばねが立ち上がりますように」と祈る言葉があるところからつけられたものでしょう。

 

 これはしかし、死んだ者が再び息を吹き返すという、所謂、蘇生を求める祈りではないでしょう。14節に「死者が再び生きることはなく、死霊が再び立ち上がることはありません」と語られています。であれば、「死者が命を得、わたしのしかばねが立ち上がる」というのは、神と民との関係を指していると考えるべきでしょう。

 

 放蕩息子のたとえの中で、父親が弟息子の帰宅を、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(ルカ福音書15章11節以下、24節)と喜び祝っています。

 

 この話の中で、弟息子は本当に死んでいたわけではありません。父親の財産の生前分与を要求して家を飛び出して行ったとき、弟息子の中では、父親との関係、また長兄との関係は、既に死んでいると言わざるを得ない状況だったのです。

 

 しかしながら、父親の方は弟息子の帰宅を、首を長くして待っていました。見つけると走り寄って接吻し、最もよい服を着せ、履物を履かせ、指輪をはめてやりました。親子の関係が復活したのです。そうして、祝宴が開かれます。ここに弟息子は、改めて父親の深い愛を知りました。恵みを味わいました。

 

 そもそも、彼が本心に返ることが出来たのは、父親の愛のゆえです。父親は、雇い人にも有り余るほどに食物を与えていました。塵の中に住まい、死と隣り合わせに生きているような弟息子は、もう一度、父親の愛を思い出したのです。親子の契りが結べるとは考えず、それゆえ、雇い人の一人として家に入れてくれるよう懇願するつもりでしたが、父親の愛は、弟息子の思いをはるかに超えていたのです。

 

 かくて、再び親子の関係を取り戻すことが出来た弟息子は、心に平和を得、喜びと感謝に満たされ、今後、雇い人のひとり以上の働きをもって、父親と共に生きようと決意したことでしょう。

 

 たとえ話の中に描かれているこの父親こそ、私たちの罪を御自身の身に引き受け、十字架に死んでくださった主イエス・キリストです。その死によって、罪と死の力を打ち破ってくださいました(第一コリント書15章54節以下など)。この愛のゆえに、神の命が死を飲み込み、私たちは罪赦されて神の子とされ、新しい永遠の命に生かされるのです。

 

 どんな時にも主を信頼して、その御言葉に耳を傾け、主に従って生きる者とならせていただきましょう。

 

 主よ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身につけ、真理に基づいた正しく清い生活を送ることが出来ますように。光の子どもとして、何が主に喜ばれることかを吟味し、わきまえつつ、光のうちを歩んで主と交わりを持ち、豊かな実を結ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「そうではなく、わたしを砦と頼む者は、わたしと和解するがよい。和解をわたしとするがよい。」 イザヤ書27章5節

 

 27章は「イザヤの黙示録」(24~27章)の最後の章で、この中に「その日」という言葉が4度語られます(1,2,12,13節)。

 

 最初の「その日」は1節で、主が逃げる蛇レビヤタンを罰し、海にいる龍を殺すと語られます。「レビヤタン」は、わにのような怪獣で(ヨブ記40章25節以下参照)、海に住んでいます(詩編104編26節)。主に罰を受け、殺されるという表現から、神に逆らう悪しき存在で、悪魔、悪霊の象徴と考えられています。

 

 ヨハネ黙示録21章1節に「最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」と言われていますが、これは、美しい海が干上がってしまうというようなことではなく、旧約テキストとの関連で、海がなくなることで海に住む悪しきレビヤタンが滅ぼされるという意味に解釈すべきでしょう。

 

 となれば、イザヤの語る「その日」も、当然のことながら過去の歴史的な出来事を指しているのではなく、世の終わりに主がご自身の主権をもって行動され、悪しき力が滅ぼされる日を指しているということになります。

 

 2番目の「その日」は2節で、「見事なぶどう畑について喜び歌え」と言われます。イザヤは5章にも「ぶどう畑の歌」を記していますが、それは、喜びの歌ではなく、ぶどう畑を呪う歌でした。

 

 同7節には「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑、主が楽しんで植えられたのはユダの人々」とありました。そして、イスラエルが主なる神の期待を裏切り、悪を行うので見捨てられ、茨やおどろが生い茂るようになると言われていたのです(同6節)。

 

 しかるに、その日には「常に水を注ぎ」(3節)、「茨とおどろをもって戦いを挑む者があれば、わたし(主なる神)は進み出て、彼らを焼き尽くす」(4節)と言われます。それで、「時が来れば、ヤコブは根を下ろし、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、地上をその実りで満たす」(6節)というのですから、5章で歌われていた呪いが祝福に変えられ、喜びの歌となっているわけです。

 

 第3の「その日」は12節で、「ユーフラテスの流れからエジプトの大河まで、主は穂を打つように打たれる。しかし、イスラエルの人よ、あなたたちはひとりひとり拾い集められる」と言われます。

 

 ここで、「エジプトの大河」と言えば、ナイル川のことでしょう。しかし、そこに用いられているのは、「ワーディー、谷川、急流」という意味の「ナハル」という言葉です。「エジプトの大河」ではなく、「エジプトの川」というときには、ナイルではなく、イスラエルとエジプトの間の国境線を流れるワーディー・アル・アリーシュのことを指しています。

 

 創世記15章18節で主なる神がアブラハムと契約を結んで、「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで」と言われているのがそれです。用語的に考えれば、「大河」(ナーハール)ではなく、口語訳、新改訳などと同様、「エジプトの「川」(ナハル)と訳すべきでしょう。

 

 アブラハムとの間に結ばれた、エジプトの川から大河ユーフラテスまでがアブラハムの子孫イスラエルの嗣業の地となるという契約は、ダビデ・ソロモンの時代にも実現しませんでした。世の終わりの日に、神に背く悪しきものが滅ぼされた後、それが完成するということでしょうか。

 

 その際、神はすべてのものを打たれ、そこから麦粒を集めるように神の民イスラエルだけを大切に拾い集められ、その他のものは、籾殻や麦わらとして、燃える火に投げ込んでしまわれるということでしょう。 

 

 最後は13節で、「その日が来ると、大きな角笛が吹き鳴らされ、アッシリアの地に失われて行った者も、エジプトの地に追いやられた者も来て、聖なる山、エルサレムで主にひれ伏す」と語られています。

 

 「アッシリアの地に失われて行った者」といえば、アッシリアに滅ぼされて連行された北イスラエルの民のこと(列王記下17章6節)と考えられますが、「エジプトの地に追いやられた」というのは、いつの出来事なのでしょうか。

 

 あるいは、バビロンによるエルサレム陥落後、立てられた総督ゲダルヤを撃ち殺し、バビロンの報復を恐れてエジプトに逃れたという出来事(列王記下25章25,26節、エレミヤ書40章13節以下、43章7節)を指しているのかも知れません。

 

 その後、ギリシア・アレキサンダー大王がエジプトにアレキサンドリアを設けたころ(紀元前332年頃)、そこには多くのユダヤ人が居住していました。公用語はギリシア語だったので、やがて母国語のヘブライ語を忘れるようになったため、ギリシア語訳の聖書が必要となり、それで、70人訳(セプチュアギンタ)と呼ばれるギリシア語訳旧約聖書が作られることになりました。

 

 70人訳には、ヘブライ語原典にはない「外典」(「続編付き新共同訳聖書」に「続編」として付けられている文書)と呼ばれる文書が含まれています。これは、預言者マラキの時代から主イエスが登場されるまでの中間時代に記されたもので、カトリック教会は、これも第2正典として受け入れていますが、プロテスタント教会はそれを認めてはいません。

 

 話をもとに戻して、アッシリア、そしてエジプトに追いやられていた人々が「聖なる山、エルサレムで主にひれ伏す」、つまり、アッシリアやエジプトに代表される様々な国地域に散らされているイスラエルの人々を呼び集め、神を礼拝する民を再建するというのです。

 

 このように語られる「その日」を迎えるために、冒頭の言葉(5節)で主なる神が民に向かい、「わたしと和解するがよい」と、繰り返し呼びかけておられます。そういえば、ローマ書12章1節で、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます」という言葉の「憐れみ」は、原文では複数形が用いられていました。憐れみの豊かさの表現なのでしょうけれども、繰り返し憐れみをもって呼びかけられ、勧められているとも読めます。

 

 パウロはガラテヤ書3章7節で、「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい」と言います。つまり、憐れみによって呼びかけられ、信仰をもってその呼びかけに応答した者が、アブラハムの子、真のイスラエルだということになります。終わりの日には、世界中のアブラハムの子らが神の御前に集められるのです。

 

 主の呼びかけに従い、主と和解して呪いを祝福に変えていただき、主を礼拝する神の民として造り上げて頂きましょう。

 

 主よ、あなたの深い憐れみにより、主イエスを信じて救いの恵みに与らせていただきました。御言葉と聖霊の導きにより心強められ、御前に聖なる者となり、清い生活をすることが出来ますように。私たちをお互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ち溢れさせてくださいますように。 アーメン

 

 

「その日には、万軍の主が民の残りの者にとって、麗しい冠、輝く花輪となられる。」 イザヤ書28章5節

 

 1節に「災いだ、エフライムの酔いどれの誇る冠は」とあります。「エフライム」とは北イスラエルのこと、「冠」は北イスラエルの首都サマリアを指します。4節の「肥沃な谷にある丘を飾っているその麗しい輝き」も、サマリアのことを指しているといってよいでしょう。

 

 ところが3節で「エフライムの酔いどれの誇る冠を、御足で踏みにじられる」と言われます。宴会の客が身につけていた花の冠が、いつしか投げ落とされ、踏みにじられてしまうように、サマリアの町、そして北イスラエルは、「激しく降る雹、破壊をもたらす大風、激しく押し流す洪水のよう」(2節)な主の御手によって、地に投げ倒されてしまうのです。

 

 北イスラエルの指導者たちは、真の神に聴き従わず、空しい偶像に迷って主の怒りを招き、滅ぼされてしまいました(列王記上12章25節以下、13章33,34節、17章7節以下など)。つまり、真の神に背いて偶像を礼拝し、またシリアとの連合に依り頼もうとする姿勢を、ときの徴を見分けることが出来ずに酔っ払ってふらふらしている「酔いどれ」と断罪しているわけです。

 

 7節で「彼らもまた、ぶどう酒を飲んでよろめき、濃い酒のゆえに迷う」というのは、「エフライムの酔いどれ」(1節)のように、「彼らもまた」(7節)ということで、これは、サマリアの人々ではなく、南ユダ、エルサレムの住民のことを指しています。

 

 さらに「祭司も預言者も濃い酒を飲んでよろめき、ぶどう酒に飲まれてしまう」(7節)と、民を指導すべき祭司や預言者たちまでも、まともな判断が出来なくなっているという様子を思い浮かべます。指導者がそのような有様であるならば、北イスラエルに災いが臨んだように、南ユダ、エルサレムにも災いが及ぶことになるということで、全く嘆かわしい状況です。

 

 つまり、イザヤの目には、南ユダ王国の指導者も、サマリアの指導者と同様、まことの神に信頼せず、あるときはアッシリア、またあるときはエジプト、エチオピア(クシュ)、あるいはバビロンと、国を守る算段のために右顧左眄している様子が、道に迷っていると映っていて、だから、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされたように、南ユダも「踏みにじられる」(18節)というわけです。

 

 10節の「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ。カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ」という言葉は、祭司、預言者たちが酒に酔っているような状況で語った「異言」(第一コリント13章1節、14章2,7,9節等参照)のようなものでしょうか。意味不明な言葉は耳障りで騒がしいだけということです。

 

 それに対して、主なる神は、「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」(12節)と語っておられますが、しかし、ユダの民、エルサレムの祭司、預言者たちはそれを聞こうとしません。

 

 ゆえに、主の語りかけられる言葉が、10節の祭司たちが教え、説き明かしたのと同じ言葉になっています。つまり、主の御言葉は彼らにとって、「どもる唇と異国の言葉」(11節)、即ち「異言」としか思えなかったわけです。

 

 彼らには、神の言葉を「聞く耳」がなかったため(マルコ4章9節参照)、「彼らは歩むとき、つまずいて倒れ、打ち砕かれ、罠にかかって捕えられる」(13節)ことになるのです。

 

 5~6節は、1節以下の「災い」の宣告とは全く対照的な、救いの宣言になっています。冒頭の言葉(5節)で「民の残りの者」という言葉は、災いの到来から逃げ延びた人々、あるいは、捕囚となって生き延びた人々のこと、特にここでは、南ユダの人々だけでなく、北イスラエルの民の中にも「残りの者」がいるということを示唆しています。

 

 神は、御自分が選ばれた神の民イスラエルが、その指導者の罪のゆえに全く滅び去るのを看過されず、憐れみをもって臨まれます。そして、万軍の主ご自身が、「麗しい冠、輝く花輪」(5節)、即ちエルサレムの誇る冠となられるのです(4章2節参照)。

 

 それを16節では、「一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い石だ。信ずる者は慌てることはない」と言っています。これは、「家を建てる者の退けた石が、隅の親石となった」(詩編118編22節)という御言葉を思わせる発言です。

 

 そして、この詩編の言葉が主イエスによって引用され(マタイ福音書21章42節)、「家を建てる者」とは当時の指導者たち、そして、「石」とは主イエスのことです。主イエスは、宗教指導者たちに捨てられること、即ち十字架の苦しみを味わわなければなりませんでしたが、それによって、私たちの救いの道を開いてくださったのです。

 

 主イエスを信じ、その御言葉に聴き従うことが出来る者は幸いです。主が私たちの麗しい冠、輝く花輪となってくださるからです。

 

 主よ、御言葉を聞くだけで終わる者ではなく、聞いて行う者とならせていただくことが出来ますように。主に信頼し、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰に導いてください。 アーメン

 

 

「それゆえ、アブラハムを贖われた主は、ヤコブに向かって、こう言われる。『もはや、ヤコブは恥を受けることはない。もはや顔が青ざめることもない』。」 イザヤ書29章22節

 

 「アリエルよ、アリエルよ、ダビデが陣を張った都よ」と、1節にあります。「アリエル」について、「ダビデが陣を張った都」と言われていることから、エルサレムの都をそのように呼んでいるということになります。

 

 そもそも「アリエル」とは「神の炉」という言葉で、2節、エゼキエル書43章15節では「祭壇の炉」と一般名詞として用いられています。何故、エルサレムをアリエルと呼ぶのか、以前にもそのように呼ばれていたのか、よく分かりません。本章以外でエルサレムがそのように呼ばれることはありません。

 

 エルサレムはもともとエブス人の町で、シオン(要害)と呼ばれて難攻不落を誇っていましたが、ダビデは周囲に陣を張り(1節)、水汲みのトンネルを通って町に入り、陥落させました(サムエル記下5章6節以下)。

 

 その後、ダビデはこの町に先ず城壁を築き(同9節)、そこに王宮が建ち(同11,12節)、続いて、神の幕屋を建てて神の箱を運び上げました(同6章1節以下、17節)。その後、ダビデの子ソロモンがここに壮麗な神殿を建てました(列王記上6章)。ゆえにエルサレムは神の都と呼ばれました(詩編48編2,6節など)。

 

 しかるに、今度は、主なる神がエルサレムに向かって陣を張り、この町を攻められます(3節)。2節に「アリエルには嘆きと、ため息が臨み、祭壇の炉のようになる」と言われています。「祭壇の炉」と訳されているのが「アリエル」で、供え物を焼いて献げる祭壇を意味します。これは、エルサレムが祭壇で、その住民が神への供え物として焼かれるということでしょうか。

 

 エルサレムが主なる神によって攻められる理由は、エルサレムの指導者たちが心迷い、目が閉ざされているからです(9節以下)。これは、紀元前701年にアッシリア軍がエルサレムの城壁まで押し寄せてきたときのことを物語っているのかも知れません(列王記下18章13節以下)。

 

 当時、南ユダのヒゼキヤ王がエジプトと同盟を結び、アッシリアに反旗を翻したのです。このような、神の御声に従わず、人に頼ろうとしている振る舞いを、目が見えず、酒に酔っているようなものと断じているのではないでしょうか。

 

 13節に「この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚えこんだからだ」と語られているのは、そのことでしょう。

 

 しかし、神はエルサレムを顧み、神の御使いを送ってアッシリア軍を打ち、一夜のうちに全滅させられました(同19章35節)。これはイザヤが、「アリエルを群がって攻撃する国はすべて、夢か夜の幻のようになる。彼女を攻撃し、取り囲み、苦しめる者はすべて」と、7節に語っている通りです。

 

 アッシリア軍の全滅は、列王記の記事に拠れば、それはヒゼキヤの信仰のゆえというようにいうことになりそうですが、むしろアッシリアの王センナケリブとその使者ラブシャケの高ぶりが原因であり、それゆえに南ユダを神が憐れんでくださった結果であると思われます。

 

 17節以下に「イスラエルの回復」が述べられます。その日には、聞こえなかった者が書物の言葉すら聞き取り、見えなかった者が見えるようになり、苦しんでいた者が喜び祝い、貧しい人々が喜び躍ると言われます(18,19節)。

 

 そして冒頭の言葉(22節)のとおり「アブラハムを贖われた主は、ヤコブの家に向かって、こう言われる。『もはや、ヤコブは恥を受けることはない。もはや顔が青ざめることもない』」と記されています。「アブラハムを贖われた」とは、アブラハムを御自分のものとされたということです。

 

 跡継ぎのないまま年を重ねていたアブラハムは、神に「生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12章1節)と語りかけられて、妻のサライ、甥のロトと共にアラム・ナハライムのハランを出立し、約束の地カナンに導かれました(同4,5節)。そこに嗣業の地を得、子孫が与えられたのです(同21章、23章)。

 

 であれば冒頭の言葉は、エルサレムが陥落し、国が滅びてバビロンの捕囚となり、幾多の苦しみ、辱めを味わったイスラエルの民が、神の憐れみにより解放されて帰国を果たし、神殿と町を再建してその恥を雪ぐということを示しているのではないでしょうか。イスラエルの民は、不信仰のゆえに恥を被りましたが、神の憐れみにより、その縄目からの解放に与ることが出来ました。

 

 憐れみと慈しみに富む主なる神は、私たちにも信仰によって神の子とされる恵みをお与えくださいました。「彼はその子らと共に、民の内にわが手の業を見てわが名を聖とする」(23節)と言われます。「聖とする」(カーダシュ)をギリシア語で「ハギアゾー」といい、これは、主の祈りで「あがめる」と訳されています。「わが名を聖とする」は、主を崇めるということです。

 

 恵み深い主に依り頼み、日々その御言葉に耳を傾け、絶えず御霊の導きに従い、喜びと感謝をもって常に真理の道を歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは主イエスの十字架と復活に示された主の深い愛と憐れみのゆえに罪赦され、神の子とされました。主イエスは今も生きて、私たちの心の内に、私たちと共におられます。その御言葉を慕い求めて、御前に進みます。絶えず、命の言葉をもって養い、真理の道に進ませてください。いよいよ御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け。右に行け、左に行け』と。」 イザヤ書30章21節

 

 アッシリアの王サルゴンの死を契機に、パレスティナ諸国に独立の気運が高まり、エジプトに使いして助力を依頼します。ユダのヒゼキヤ王もこの同盟に加担し、アッシリアへの朝貢を中止しました。そのことについて、イザヤは「災いだ、背く子らは」(1節)と語り、この同盟が神から出たものでなく、その意味ではイザヤに知らせずに、政治的に行われたということを物語っています。

 

 6節に「ネゲブの獣についての託宣」とあります。ネゲブはユダ南方の荒れ野です。「ネゲブの獣」という表現で、エジプトとパレスティナを結ぶ場所が人の生存を脅かす獣の住処であることを示しています。

 

 それによって、エジプトとの同盟を結ぶため、「富をろばの背に、宝をらくだのこぶに載せて、ほえたける雌獅子や雄獅子、蝮や、飛び回る炎の蛇が住む」(6節)荒地を行くのは危険であり、また無益、愚かなことであるというのです。

 

 これは、エジプトとユダ王国との交流を妨げるために、アッシリアが海沿いの道を封鎖していて、そのためにシナイ半島を横断するという、あまり使われず、危険の多い南方ルートを選んで密使を送ったということかも知れません。

 

 イスラエルの神は、エジプトの軍事力などではなく、主ご自身を頼りとするように、「お前たちは、立ち返って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(15節)と告げられます。

 

 これは、7章4,9節で「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」、「信じなければ、あなたがたは確かにされない」と、ヒゼキヤの父アハズに告げられた言葉を思い起こします。アハズは、神に信頼するよりアッシリアに貢ぎ物を贈り、アラム・エフライム連合軍の攻撃に対しました(列王記下16章5節以下、8節)。

 

 ヒゼキヤも、イザヤの告げる声に耳を貸そうとせず(15節)、「馬」、「速い馬」を求めます(16節)。そうするのは本来、戦いに備えるためのものです。エジプトの武力を頼みとして、アッシリアに対抗しようとしているわけです。

 

 しかしながら、16節では「逃げよう」と語られて、エジプトとの同盟があてにならず、かえって状況を悪くしてしまう結果になると告げられているわけです。実際、アッシリアの武力の前にエジプト軍は撃破され、ユダの町も次々と占領されました。そのとき、20万もの人々が捕虜としてアッシリアに連行されたそうです。

 

 「わが主はあなたたちに、災いのパンと苦しみの水を与えられた」(20節)とありますが、これは、エジプトの奴隷から解放されたことを記念する過越の食事を思わせます。そして今、あらためてアッシリア・バビロンという災いと苦しみを味わっていることが示されます。それが、神に信頼せず、人に依り頼んでことの解決を図ろうとした罪の結果でした。

 

 けれども、神は彼らにただ「災いのパン、苦しみの水」をお与えになったわけではありません。それによって信仰に目覚めさせ、「主はあなたの呼ぶ声に答えて、必ず恵みを与えられる」(19節)と語られます。その恵みは霊の目が開かれることで、「あなたを導かれる方はもはや隠れておられることなく、あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る」(20節)と言われます。

 

 彼らの耳も開かれて、神が語りかけられる声を聞きます。神は、冒頭の言葉(21節)のとおり、「これが行くべき道だ、ここを歩け、右に行け、左に行け」と指示されます。御言葉どおり主を信じてその道を行くということは、「銀で覆った像と金をはり付けた像を汚」(22節)すこと、即ち、異教の神々に依り頼まないこと、目に見えるもの、人の手で造られたものを捨て去ることです。

 

 そうすると、主が「地に蒔く種に雨を与えられ」て、「穀物は豊かに実る」ようになり、「家畜は広い牧場で草をは」むという祝福に与るのです(23節)。「主は恵みを与えようとしてあなたを待ち、それゆえ、主は憐れみを与えようとして立ち上がられる。まことに、主は正義の神。なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は」(18節)と告げられるとおりです。

 

 主イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命なのです。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ福音書14章6節)と宣べられ、また「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(同10章10節)と告げられました。

 

 信仰の目が開かれて絶えず十字架の主を仰ぎ、信仰の耳が開かれて常に主の御声に聴き従い、右にも左にも逸れずまっすぐに、真理であり、命であられる主の道を進みましょう。

 

 主よ、心の目が開かれて、主の御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいますように。あらゆる覆いが取り除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきますように。主の御声に耳を傾け、御言葉の導きにまっすぐに従うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる。」 イザヤ書31章3節

 

 「災いだ」(ホーイ:間投詞・悲嘆の声「ああ!」)という言葉が1節冒頭にあります。これは、イザヤ書中に21回(1章4,24節、5章8,11,18,20,21,22節、10章1,5節、17章12節、18章1節、28章1節、29章1,15節、30章1節、31章1節、33章1節、45章9,10節、55章1節)用いられています。

 

 これらは、神の御心に背く者たちへの裁きが告げられることを示しています。そしてこの言葉は、ここで「助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者」(1節)と言われる南ユダの王ヒゼキヤに向けて語られています。

 

 この背景は、18~20章で学んだように、エチオピアの王シャバコがエジプトを征服してファラオになったとき、ヒゼキヤがパレスティナ諸国の王たちと共にエジプトに助力を依頼し、アッシリアに反旗を翻したことにあります。「馬を支えとする」とは、馬が戦車や騎兵など戦争に用いられるもので、エジプトの軍事力に頼ることを言います。

 

 もしも、列王記下18章6節に記されているとおり、「彼(ヒゼキヤ)は主を堅く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った」ということであれば、ここでイザヤから「災いだ」と言われることはなかったでしょう。

 

 確かにヒゼキヤは、主を信じ、その御言葉を行うことに意を用いた善い王だったかも知れません。ですから、ペリシテなどとは違い、イザヤの指導もあって、エジプトとの同盟に積極的に参加してはいなかったのかも知れません。

 

 けれどもイザヤは、「助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとしている」とヒゼキヤを批判し、それは、「イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない」(1節)ことだと断じています。

 

 2節の「災いをもたらす者の家」、「悪を行う者」とはいずれもイスラエルのことです。そして「災いをもたらす」、「悪を行う」とは、神に聞き従おうとしないこと、所謂、不信仰な振る舞いをしているということです。

 

 2節の初めに「しかし、主は知恵に富む方」と記されています。これは、ヒゼキヤらがエジプトに助力を頼むことを、自ら知恵ある振る舞いと考えていることを予想させ、そのことに対するイザヤの批判が込められているといってよいでしょう。

 

 冒頭の言葉(3節)のとおり、「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」と言い、エジプトに頼ることが、むしろ愚かな選択であることを示します。

 

 これはしかし、ひとりヒゼキヤだけの問題ではありません。エジプト人が神でないこと、馬が霊でないことは、百も承知です。けれども、神が霊であるということは、不信仰な者にとってそれは、目には見えず、手で触れることも出来ない不確かなものという表現であり、それは、無きに等しいものということにさえなります。

 

 パウロが、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(第二コリント書4章18節)と言っていますが、私たちもそのように宣言することが出来るでしょうか。

 

 実際、見えないものに目を注ぐというのは、言うほど容易いことではありません。なにしろ、それは見ることが出来ないものだからです。そして私たちは、どうしても見えるところに左右され、状況に振り回されてしまいます。

 

 「霊」(ルーアッハ)は「息、風」とも訳されます。神が人を造られたとき、御自分の命の息を吹き入れて、人は生きる者となりました(創世記2章7節)。ですから、霊は命を与えるもので、その命を受けなければ、肉なるものは生きることが出来ません。つまり、人や馬、すべての生物は、創造主なる神なしには存在し得ないといっているわけです。

 

 目に見えない神に頼るよりも、見える人間の力を頼りとする方がよいということであるならば、神の助けを期待することは出来ません。むしろ、「主が御手を伸ばされると、助けを与える者(エジプト)はつまずき、助けを受けている者(イスラエル)は倒れ、皆共に滅びる」(3節後半)という結果を招いてしまいます。

 

 エジプトの軍勢がアッシリアに撃破されて、ヒゼキヤはエジプトの助力を得られずにエルサレムに閉じ込められることになり、やがてユダの各地の要塞が次々と陥落し、ついに降伏を余儀なくされました。それが、列王記下18章13,14節に記されているところです。 

 

 真に恐るべきは、万物の創造主であり、審判者であられる神です。もしも、信仰の目が開かれたなら、大漁の奇跡を見て主イエスの神性に接したペトロが、自分の罪深さを示されて、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」(ルカ5章8節)と語ったように、私たちも、神の前に立つことの出来ない者であることを悟るでしょう。

 

 けれども、その悟りを得たペトロに主イエスは、「恐れることはない」と言われ、そして、「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と、その使命を授けられました(同10節)。主イエスをまことの神として認め、畏れること、そこから主の僕としての使命が始まるということです。

 

 神の慈しみと厳しさを考えましょう(ローマ書11章22節)。主の慈しみの御手のもとに留まりましょう。御言葉に聴き従いましょう。すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。

 

 主よ、私たちに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることが出来ますように。心の目を開き、神の招きによってどのような希望が与えられているか、私たちの受け継ぐべきものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、そしてまた、私たちに対して絶大な働きをなさる神の力がどれほど大きなものであるか、悟らせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「ついに、我々の上に、霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、園は森と見なされる。」 イザヤ書32章15節

 

 1節の「見よ、正義によって一人の王が統治し」という言葉は、メシアの到来を預言しているとも考えられますが、後半の「高官たちは、公平をもって支配する」という言葉から、「正義(ツェデク)」によって統治する王と共に、「公平(ミシュパート)」をもって支配する役人たちの存在が欠かせない、それが理想的正しい統治であるという知恵を教えているものといってよいでしょう。

 

 「一人の王が統治する」というのは、あるいは具体的な人物を考えているのかもしれません。イザヤの存命中ということであれば、それは、ヒゼキヤ王のことではないかと思われます。一方、イザヤの死後に登場して来るヨシヤ王を指すという解釈もあります。

 

 ただ、ヒゼキヤもヨシヤも、いわゆる理想的な王、メシアのような王という存在ではありませんでした。ヒゼキヤはアッシリアと対抗するためにエジプトと結んだこと(30,31章)、また、晩年はバビロンと通じたことでイザヤの批判を受けています(39章、列王記下20章12節以下、16~18節)。

 

 ヨシヤ王は、徹底的な宗教改革を行った結果、祝福を受けて国力を回復させることに成功します。ところが、それが奢りとなったのか、バビロンと戦うアッシリアを支援しようとカルケミシュに向けて出陣したエジプト軍に対し、メギドで無用の戦いを仕掛けて、残念なことにヨシヤはそこで戦死してしまいました(歴代誌下35章20節以下、22,24節)。

 

 その後、ユダはエジプトの支配下に置かれ(歴下36章1節以下)、次にバビロンの支配下に移されます(同6節以下)。9節以下に「憂いなき女たち」に対する預言がありますが、これは14節の「宮殿は捨てられ」という言葉から、エルサレムに住む人々を指していることが分かります。

 

 一年余りぶどうの収穫がないこと(10節)、美しい畑が茨といらくさに覆われるということ(13節)で、都が荒れ果てたままになることが描かれ、それを14節で具体的に、「宮殿は捨てられ、町のにぎわいはうせ、見張りの塔のある砦の丘は、とこしえに裸の山となり」と語っています。ヨシヤ王の死後、南ユダは力を失い、急速に滅びの坂を転がり落ちてしまうのです。

 

 イザヤは恐らく、これをヨシヤ王の後のこととしてではなく、神に信頼するのではなく、エジプト、即ち人の力に頼ろうとしたヒゼキヤ王のときに起こることとして(31章1節参照)、ここに預言しているのではないでしょうか。

 

 ところが、冒頭の言葉(15節)のとおり、「ついに、我々の上に、霊が天から注がれる」という言葉が突然語り出され、ここに、最後に神の霊の賜物が注ぎ与えられること、それによって「荒れ野は園となり、園は森と見なされる」というように、イスラエルの運命の転換がなされることが示されます。それは上から、つまり、イスラエルに神の救いが与えられるのが、神の御心だということです。

 

 エルサレムの都が神に捨てられ、荒れ廃れるという苦しみを味わった後、神の霊が降ってきて、ここに新しい命が注ぎ込まれます。霊は、生命を与える神の力です。上述の通りこの霊の力で「荒れ野は園となり、園は森と見なされ」るようになります。

 

 それは、復興というよりも、再創造といってよいでしょう(詩編104編29,30節参照)。そこには、霊の力によって正義と公平が宿ります(16節)。それは1節で、イスラエルを正しく統治する指導者たちが備えるべき姿勢として示されていたものです。

 

 正義と公平によって、平和が造り出され、安らかな信頼が生み出されると言います(17節)。「安らかに信頼していることにこそ力がある」(30章15節)と預言されていましたが、神は、上より神の霊を注がれ、その預言を自ら実現してくださいます。

 

 それは、かつて人が神に背いて追い出されたエデンの園を、再びイスラエルの民のために創造されたと言えばよいのでしょう。そこでは、人が神を心から信頼し、人と人との間に、人と自然の間に、真の平和があるのです。

 

 このことは、ヨエル書3章の預言に通じています。そして、新約の時代、ペンテコステの日に聖霊が使徒たちの上に降り、彼らが大胆に福音を語り出して、3000人もの人々が信仰に入りましたが(使徒言行録2章1節以下4,41節)、ペトロはその説教の中でヨエル書の預言を引用しながら、ペンテコステの日に起こったのは、ヨエルの預言の成就であると語りました(同16節以下)。

 

 この聖霊の力により、血筋、民族によらず、信仰によって、あらゆる国民が神の民となる道が開かれたのです。我が国にも、天から霊が注がれ、荒れ野が園に、園が森と見なされるような神の恵みに満たされるときが到来するよう祈りましょう。

 

 主よ、どうか私たちに、日本全国の教会の上に、聖霊を注いでください。主イエスを信じる者ひとりひとりが、十字架の主イエスを仰ぎ、その血潮によって清められ、聖霊に満たされて、御言葉に生き、力強く福音を証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。」 イザヤ書33章22節

 

 1節に「災いだ、略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者は」とあります。冒頭の「災いだ」(ホーイ)という言葉は、旧約聖書中に51回用いられていますが、列王記下13章30節で、老預言者の言葉として語られる以外は、すべて預言書で用いられています。

 

 28章から本章までに6回(28章1節、29章1,15節、30章1節、31章1節、33章1節)、「ホーイ」で始まる段落があり、意図的にここに集めて置かれたかのようです。これは、「ああ」という慨嘆の言葉(間投詞)ですが、単に不幸だというようなことではなく、むしろ、「呪われよ」という意味の、神の裁きを示す言葉遣いでしょう。

 

 これまで、イスラエルに対して「災いだ」と語られて来ましたが、本章でその対象が、イスラエルの敵に変わります。「略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者」とは、ヒゼキヤの代にエルサレムの都に攻め寄せたアッシリアのことを言っているようです。岩波訳は1節以下の段落に、「アッシリアへの処罰」という小見出しを付けています。

 

 ヒゼキヤ王の治世第14年(紀元前701年)にアッシリア王センナケリブが南ユダに大軍を送り込み、町々をことごとく撃破し(列王記下18章13節)、エルサレムに迫ります。9節で「レバノンは辱められて、枯れ、シャロンは荒れ地となり、バシャンとカルメルは裸になる」というのは、アッシリアによって、善きものがすべて奪われてしまったという表現でしょう。

 

 それを見たヒゼキヤは、アッシリアに使者を遣わして和睦を申し入れると、センナケリブはその額を提示しました(列王下18章14節)。金30キカルはおよそ1トン、銀300キカルと合わせ、現在の貴金属価格でおよそ60億円になります。ヒゼキヤは言われるとおりに金品を贈りました(同15,16節)。それで、和睦が成立したはずでした。

 

 ところが、金品を受け取ったアッシリアの王センナケリブは、それでは足りないと言わんばかり、大軍でエルサレムを包囲し、エルサレムの都の無条件降伏を迫りました(同17節以下)。だから1節で「災いだ、略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者」と言われるのです。

 

 それに対してヒゼキヤは、「主よ、我らを憐れんでください。我々はあなたを待ち望みます。朝ごとに、我らの腕となり、苦難のとき、我らの救いとなってください」(2節)と、祈りの手を上げます。自分たちの力ではアッシリアに対抗することは出来ず、大群に取り囲まれて万策尽きたという状況で、しかしながら、イスラエルには、なお頼るべきお方があるということを示しています。

 

 そして、まさに「苦しいときの神頼み」というかたちの祈りであるにも拘わらず、主は耳を傾け、応えてくださいます。10節に「今や、わたしは身を起こすと主は言われる。今や、わたしは立ち上がり、今や、自らを高くする」と言われるとおりです。そして、主は焼き尽す火となられ、イスラエルを苦しめる者を焼き尽されるのです(11,12節)。

 

 列王記下19章1節以下の記事によれば、ヒゼキヤがイザヤに執り成しを願い、主なる神は、クシュの王が戦いを交えようと軍を進めているという噂をアッシリアの王に聞かせます(同7,9節)。アッシリアの王は、クシュとの戦いに備えるため、すぐにイスラエルを全面降伏させようと、さらに脅迫します(同10節以下)。

 

 それを受けて、ヒゼキヤは生ける神である主に救いを求めて祈りました(同15節以下)。絶体絶命の危機において、ヒゼキヤの信仰が目を覚まされたようです。主はその願いに応え、主の御使いを送って、アッシリア18万5千の大軍を一夜にして全滅させられました(同35節)。

 

 17節以下は、この一連の災いの預言のまとめの部分です。ここに描かれるのは、終わりの日の都エルサレムの様子です。「安らかな住まい、移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく、一本の綱も断たれることはない」(20節)と、神の幕屋が永遠に固く据えられています。

 

 そこには、多くの川、幅広い流れがあると言われます(21節)。エゼキエル書47章の、神殿の敷居の下から湧き上がった命の水の豊かな流れや、黙示録22章の都の大通りの中央を流れる命の水の川を思わせます。詩編の記者が、「大河とその流れは、神の都に喜びを与える。いと高き神のいます聖所に」と詠っています(詩編46編5節)。

 

 「魯をこぐ舟はそこを通らず、威容を誇る船もそこを過ぎることはない」(21節)と言われます、「魯をこぐ舟」、「威容を誇る船」とは、ローマのガレー船のような戦艦を思わせるもので、イスラエルに対して横暴に振る舞ったアッシリアのような大国を示しているようです。しかし、人々に安らぎを与える命の水の川は、そのようなものが通る場所ではないというのです。

 

 そして冒頭の言葉(22節)のとおり、「まことに、主は我らを正しく裁かれる方、主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる」と言われます。イスラエルの民は、不信仰、不従順によって神の怒りを招き、国の滅亡と捕囚という災いを味わわなければなりませんでした。

 

 しかるに神は、イスラエルに憐れみの御手を伸べられ、神の霊を遣わして、新しい神の民を創造されるのです。主なる神ご自身がその国の王となられます。もはや、大国の横暴に怯えることも、重税に苦しめられることもありません。神が正義と公正をもって統治される国には、いたるところ真理と慈しみが満ちています。

 

 主を心の王座にお迎えし、恵みに与らせて頂くため、すべてを主の御手に明け渡し、十字架の血潮によって洗い清めて頂きましょう。

 

 主よ、あなたの豊かな栄光に従い、霊により私たちの内なる人を強め、信仰をもって心の内にキリストを住まわせ、私たちを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。キリストの愛の広さ,長さ,高さ,深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知り、ついには、神の満ち溢れる豊かさのすべてに与り、それによって満たされるように。 アーメン

 

 

「主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。それは、主の口が命じ、主の霊が集めたものだからである。」 イザヤ書34章16節

 

 イスラエルに対する終末の希望が語られた後、全世界の神に背く民への徹底的な裁きが語られます(1~4節)。そして、この神の怒りを受ける代表であるかのように、5節以下に、エドムに対する神の裁きが記されています。13~27章にも周辺諸国に対する裁きの預言が語られており、その代表として、バビロンが取り上げられましたが、そのシリーズにエドムは登場して来ませんでした。

 

 エドム人は、イスラエルの父祖ヤコブの兄エサウの子孫です。つまり、イスラエルと血縁関係にあります。エドム人の地は死海の南部、セイルの山地です。そこは主がエサウの子孫に与えたもので、イスラエルの民には与えないと、エジプトを脱出して約束の地を目指していた折、主がモーセに語られたことがあります(申命記2章1~8節)。

 

 2,5節に「絶滅する」(ハーラーム)という言葉があります。これは、申命記7章2節で、「滅ぼし尽くさねばならない」と訳されている言葉です。新改訳聖書では「聖絶」と訳されます。即ち、イスラエルの民が他の神々に惑わされて神の怒りを招かないよう、カナンの地の先住民(ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)を絶滅させよというわけです。

 

 しかしながら、イスラエルの民はその掟を守らず、彼らと交わり、異教の神々に仕える道を進みました。鉄の戦車で武装する強い先住民を追い出すことが出来ず(ヨシュア記17章16節など)、むしろ、先住民の風俗、習慣に倣い、彼らの神々を礼拝することにより、自分たちの生活の安定、平和を図ろうとしたのでしょう。そのために、神の怒りを招く結果となりました。

 

 6,7節でエドムに対する陰惨な裁きが語られる背景には、「報復の日」(8節)という言葉があるように、エドムとイスラエルとの間の確執があげられます。ダビデの時代、周辺諸国との戦いがなされた際、塩の谷でエドム人1万8千を討ち殺し(サムエル記下8章13節)、その後の占領政策で軍の司令官ヨアブがエドムの男子をことごとく打ち殺したという報告があります(列王記上11章15節)。

 

 それに対して、バビロンがイスラエルに攻め寄せたとき、エドムはユダが絶滅することを願ってエルサレム占領軍に加わり、その後、イスラエル南部を領有したりしています。ここに、神による絶滅が、報復が報復を生むというかたちで語られていると言ってもよさそうです。

 

 徹底的な殺戮で住人の絶えた地は(6節)、火と硫黄の燃える地となり(9,10節)、「茨」や「いらくさとあざみ」が生い茂り(13節)、「ふくろうと山あらし」、「みみずくと烏」(11節)、「山犬」、「駝鳥」(13節)、「ジャッカル」、「山羊」(14節)、「鳶」(15節)などの住処となります。

 

 かくてエドムの地は、33章に語られた祝祭の都エルサレムとは正反対に、死の支配する呪われた地となったのです。

 

 冒頭の言葉(16節)に、「主の書に尋ね求め、読んでみよ」とあります。それは、エドムの領地が廃墟と化し、あらゆる獣の住処となることなどが、「主の書」に記されているということで、即ち、エドムが絶滅させられるのは、主の定めということです。獣の住処とすべく、主の霊がそれを集めたということは、そこには、二度と悪をなす人を住まわせないということでしょう。

 

 けれども、イスラエルは憐れみを受け、エドムは絶滅させられるというのは、もう一つ胃の賦に落ちないものがあります。イスラエルは真の神を知り、その恵みに与りながら、神に背いて異教の偶像に走って神の怒りを招いたのです。エドムが絶滅させられるというなら、イスラエルの民は、人類の記憶から消し去られるほどに重く裁かれてしかるべきではないでしょうか。

 

 ですから、イスラエルが憐れみを受けて、聖なる都エルサレムが再創造されるとするならば、新生イスラエルには、エドム人を含むすべての民が憐れみを受け、その住民として招かれると考えるべきでしょう。

 

 事実、神の御子イエス・キリストは全人類の罪を贖うために十字架にかかられ、すべての民を弟子とするように招かれました(マタイ28章19節、マルコ16章15節)。信仰によってキリストと結ばれた者は、皆アブラハムの子孫であり、そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もないと、パウロは言いました(ガラテヤ書3章26節以下)。 

 

 放蕩息子のたとえ話において、落ちぶれ果てて帰って来た弟息子のことを兄息子に「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」(ルカ15章32節)と告げた父親とは、私たちの主なる神のことです。

 

 その深い愛と憐れみによって、私たちも主を信じる信仰に導かれ、神の恵みを受け継ぐアブラハムの子とされています。感謝と喜びをもって主に仕え、日々心新たに、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる者とならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたの民でなかった私たちを「わたしの民」と呼び、宝の民としてくださるその深い愛と憐れみのゆえに、心から感謝します。そのために御子・主イエスが身代わりとなって死なれました。主の愛に留まり、御旨を行なって歩むことが出来るように、日々信仰に目覚め、御言葉に聴き従うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。」 イザヤ書35章1節

 

 35章には、イスラエルの「栄光の回復」が語られます。

 

 冒頭の言葉(1節)のとおり、荒れ野、荒れ地に花が咲き、続く2節で「砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる」と言われるのは、33章9節において「大地は嘆き、衰え、レバノンは辱められて、枯れ、シャロンは荒れ地となり、バシャンとカルメルは裸になる」と語られていた災い、神の裁きが、まさに栄光に変えられたことを示しています。

 

 弱った者、心挫けた者には、新たな力と勇気が与えられます。敵を打ち、悪に報いる神が来られるのです(3,4節)。そのとき閉ざされていた目や耳が開き、歩けない足で躍り上がり、口の利けなかった人で喜び歌うという奇跡が起こるといいます(5,6節)。後に、これらが終末の到来のしるしと信じられるようになりました(マタイ11章1~6節参照)。

 

 ただ、6節後半から10節までの箇所との関連で、ここに記されている身体の障害は、神に対するイスラエルの不信仰の表現でしょう。不信仰により、北王国はアッシリア、南王国はバビロンによって滅ぼされ、「荒れ野」、「熱した砂地」とあるとおり、国土も荒れ果ててしまいました。

 

 けれども、神はイスラエルを憐れみ、もう一度、主を礼拝する神の民として呼び集められます。荒れ果てて砂漠となったカナンの地にいのちの水が湧き出で、川が流れて(6節)、多くの人が行き交い(8節)、再び賑わうところとされるというのです(10節参照)。

 

 こうして、神の測り知ることの出来ない豊かな憐れみにより、絶望の暗闇が破られ、希望の光が差し込んで来ました。苦しみが楽しみに、悲しみが喜びに変えられたのです(イザヤ書61章3節、エレミヤ書31章13節)。

 

 苦しみが大きいほど、喜びもまた大きくなります。即ち、荒れ野を通らなければ味わえなかった、大いなる喜びです(エレミヤ書33章9節)。「万事が益となる」(ローマ書8章28節)、マイナスがプラスに変えられるとは、実にこのことです。

 

 以前、田崎健作牧師の著書『捨て身で生きる』に紹介されている、田崎先生ご自身の証しを読みました。ある日曜日、どうしても説教が出来なくて、著名な説教者の説教集から説教を拝借し、それに少々尾ひれをつけて語りました。それが、冒頭の言葉からの説教でした。

 

 荒れ野が美しい花園に変わったごとく、罪人が主の福音に触れて驚くべき変化を起こしたという話です。文語訳聖書は「野ばらの花」(ハバツェレト)を「番紅の花」と訳していました。「番紅」に「さふらん」という振り仮名が振ってあります。口語訳は「さふらん」、新改訳は「サフラン」としています。田崎先生はサフランを知らず、これを「ソーラン」と読みました。

 

 翌朝、教会の長老が先生の許に来て、「昨日の説教には全く感心致しました。そのお礼のしるしに、花を持参致しました。この花はサフランと申します。ソーランと読めば読めないこともありませんが、おそらくそれはサフラン、この花のことだろうと存じます。荒れ野に生じる薬草の一種で、御覧のように可憐な花です」と言います。

 

 長老が訪ねて来たのは、ソーラン、ソーランと繰り返し得意気に語っていた愚かな自分に忠告するためだったと気づかれて、拝借説教の顛末を正直に告白されました。すると、長老は床に跪き、「主よ、わが愚かなる罪を赦し、この若き先生を祝福して、ますます立派な牧師とおなりになることの出来ますように、ご聖別を垂れたまえ」と涙の祈りをささげ、非礼を詫びて静かに帰られたというのです。

 

 そして、「人の誤り、また他人の罪悪を攻撃したり、悪口を言ったりしているだけでは、世の中は悪くなっても、決して善くはならない。もし、人様の欠点に対して花を捧げ、祈りをもってこれに仕えるならば、これこそ、荒れ野は変じてサフランの花咲くところとなるのではないか。キリスト教の真理、神様の独り子イエス様が罪人のために生命を捧げて、そして救いを完成してくださったのだ」と記しておられました。

 

 主は、砂漠のような私たちの心にいのちの水を注ぎ、花を咲かせ、御霊の実を結ぶことが出来るようにしてくださいました。信仰の世界に目を開かせ、心挫け、足の萎えていた者に賛美の踊りを授け、福音を大胆に証しする者に変えてくださるのです。

 

 道であり、真理であり、命であられる主イエスを信じ、先立って進まれる主の御足跡に、おのが十字架を負い、喜びと感謝をもって従って参りましょう。

 

 主よ、私たちの弱っている手に力を与え、よろめく膝を強くしてください。主の御力に依り頼み、御言葉に聴き従うことが出来ますように。荒れ地に川が流れるように、聖霊の力を受けていのちの主キリストの恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「しかし彼らは、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。」 イザヤ書36章21節

 

 36~39章は、列王記下18章13節以下20章19節までとほぼ同じです。36章の記事での違いは、列王記にはヒゼキヤがアッシリアに降伏する意を伝え、求められた金品を贈ったという文言がありますが(王下18章14~16節)、イザヤ書にはそれが抜けていることです。

 

 ここはイザヤの預言ではなく、イザヤが登場している記事を取り込み、39章(王下20章12節以下)の記事がバビロン捕囚を暗示していることから、多くの学者たちによって第二イザヤと称される40章以下、捕囚期の預言への橋渡しとして、この箇所に配置されたものと考えられます。

 

 エジプトを頼みとしてアッシリアに反旗を翻したヒゼキヤ王ですが(30章1,2節、31章1節)、頼みのエジプトがアッシリアに撃破され、ユダの町は次々と占領されていきます(1節)。

 

 2節の「ラキシュ」は、エルサレムの西南約45kmに位置する、エジプトからユダの地にやって来る重要な隊商路を確保するための町ですが、この時点で既にアッシリアの手に落ちてしまっているようです。というのは、ラキシュからアッシリアの大軍がエルサレムに迫って来るからです。

 

 アッシリアの王センナケリブは、大軍にラブ・シャケを同行させました。ここで「ラブ・シャケ」というのは固有名詞ではなく、職名のようです。ATD注解書は「軍隊の第二位の司令官を指す」と言います。

 

 ただ、37章8節の「ラブ・シャケは、王がラキシュをたったということを聞いて引き返し、リブナを攻撃しているアッシリアの王と落ち合った」というのは、彼が軍を離れて行動しているようで、大軍をエルサレムに残し、司令官だけが別の場所を攻撃している王のもとにやって来るとは考えにくいところです。

 

 岩波訳の脚注には「アッシリア宮廷の役職名。訳せば『献酌長』。王の杯に酒を注ぐ高官である」と記されています。献酌長が軍に同行するというのは、通常考えられないところですが、王がラキシュにいるので(2節)、そこにやって来ていたのでしょう。また、ラブ・シャケが王の使者としてエルサレムに遣わされたのは、ヘブライ語が話せたからのようです(11~13節)。

 

 

 ラブ・シャケは、「お前はエジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ」(6節)と言います。これは、イザヤが既に30,31章で語っていて、頼るべき主なる神に従わず、人の力により頼む不信仰のゆえに、アッシリアに攻め込まれているのです。

 

 また、8節で「もしお前の方でそれだけの乗り手を準備できるなら、こちらから二千頭の馬を与えよう」と言います。兵士が二千人もいないということはないと思いますが、たとい、それだけの騎兵がいても、アッシリアの大軍には全く歯が立たないと考えての、嘲りの言葉です。

 

 詩編33編16,17節に「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない」とあり、ここで、救いは主なる神がお与えくださるものだと宣言しています。つまり、アッシリアは大軍だから戦いに勝利出来るのではなく、敵を打つ道具として主が用いられるので、連戦連勝ということになるわけです。

 

 10節で「わたしは今、主と関わりなくこの地を滅ぼしに来たのだろうか。主がわたしに、『この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ』とお命じになったのだ」というのは、そのことを示しているわけです。しかし、それが真実ならば、そのとおりに実現したはずではないでしょうか。

 

 アッシリアは北イスラエルを滅ぼし、南ユダを苦しめました。確かにそれは、主と無関係であるとは思いません。しかしながら、彼らがエルサレムを陥落させることはありませんでした。つまり、南ユダの不信仰を裁くためにアッシリアが用いられましたが、それは、神がアッシリアの味方となられるということではありません。彼らが神の御心に従わず、思い上がるなら、御前から退けられるのです。

 

 このようなラブ・シャケの嘲りや脅しの言葉に対して、冒頭の言葉(21節)の通り、高官らは何ら答えませんでした。それは、「答えてはならないと王に戒められていた」からです。

 

 圧倒的な敵の力の前に何も言い返せない苦しみもありますが、何より主に信頼する姿勢がそこに込められています。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(30章15節)と言われているとおりです。焦って、不安と恐れによって、不信仰なことを口にするくらいなら、沈黙しましょう。

 

 洗礼者ヨハネの父ザカリアは、天使による告知からヨハネが生まれるまでの間、口が利けませんでした(ルカ福音書1章20,22節)。それは、沈黙して、神がなさる御業にひたすら注目させるためであったと考えられます。

 

 だから、舌のもつれがほどけて話せるようになったとき、ザカリアは神を賛美し始めたと言われます(同64節)。ザカリアは、天使が告げたとおり、神の言葉は時が来れば実現するということを(同20節)、その目で見、その体で味わったわけです。

 

 ヤコブ書1章19節に「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」とあります。何よりも先ず神の御言葉に耳を傾け、祈り深く御言葉を心に受け止めましょう。自分の思いではなく、神の御心に従って語り、その導きに従って歩むことが出来るように、祈りましょう。

 

 主よ、言葉数に反して実を結ぶことの少ない私であることを御前に告白し、悔い改めます。自分を誇るため、あるいは弁護するために口数が多くなりますが、そんな時、御前に沈黙させて下ください。ただ主に信頼し、静まって主の導きに従うことが出来ますように。そして、喜びと感謝をもって御名を崇めさせてください。 アーメン

 

 

「主がアッシリアの王に向かって告げられた言葉はこうである。おとめである、娘シオンはお前を辱め、お前を嘲る。娘エルサレムはお前に背を向け、頭を振る。」 イザヤ書37章22節

 

 37章は、列王記下19章とほぼ同一の記事が記されています。

 

 アッシリアの司令官ラブ・シャケの言葉を伝え聞いたヒゼキヤ王は、主の神殿に行きます(1節)。「粗布を身にまとって」とは、悔い改めのしるしです。アッシリアの王の代替わりを機に朝貢を辞め、エジプトを頼りに反旗を翻した南ユダの王ヒゼキヤは、かえって絶体絶命の危機を招いてしまいました。

 

 国内の砦の町々が占領され、20万ともいう人々が捕虜としてアッシリアに引いて行かれたそうです。その勢いをもって大軍がエルサレムに迫って来ました。一度はアッシリアの王に対しておのが非を認め、貢ぎ物を差し出して和睦しようとしたヒゼキヤですが(列王記下18章14,15節)、エルサレムが包囲され、ラブ・シャケの嘲りの言葉(36章16節以下)を聞いて、腹を決めたのでしょう。

 

 悔い改めて主の御前に進んだヒゼキヤは、高官たちにも粗布をまとわせてイザヤの下に遣わし、執り成しを願って(2節以下)「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」(3節)と言います。無事に出産を終えることが出来ない母と胎児は、医師の助けがなければ、いずれも死を待つほかないという非常に危険な状態にあるでしょう。

 

 助けを頼もうとしても、周りに頼りになるものはなく、また自ら出て戦うには力がない、絶体絶命のピンチです。ここにヒゼキヤは、まさに苦しいときの神頼みではありますが、主なる神の前にひれ伏し、助けを求めたのです。

 

 その中で、アッシリア王センナケリブがラブ・シャケに告げさせたことを、「生ける神をののしるため」(4,17節)と言っています。センナケリブがイスラエルの神を「生ける神」(エロヒーム・ハイ)などと言うはずがありません。これはヒゼキヤが、主は「生ける神」、木や石で造られた命のない偶像などではない、他国の神々とは違うという思いを明らかにした言葉遣いです。

 

 使徒パウロが、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(第二コリント4章8,9節)と言っています。それは勿論、パウロ自身の強さではありません。

 

 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(同7節)というとおりです。即ち、八方ふさがりで途方に暮れるという絶望的な状況の中で、共におられる主を仰ぐことが許されており、その御力に依り頼むことが出来るのです。

 

 「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」(6,7節)という神の言葉を聞いて、ヒゼキヤは心励まされました。

 

 それで、「お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはない、と思ってはならない」(10節)と神を嘲るラブ・シャケの手紙を受け取ると、それを主の前に広げて、「わたしたちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください」と祈ります(20節)。

 

 37章は列王記下19章とほぼ同一と、冒頭に記しましたが、僅かながら違っている箇所の一つが16節の「万軍の主」(ヤハウェ・ツェバオート)という言葉です。列王記下19章15節ではただ「主」と記されています(岩波訳は何故か、「万軍の」を訳出していません)。これも、上述の「生ける神」と同様、万軍の主は、ラブ・シャケが語った諸国の神々とは違うということを表明した用語でしょう。 

 

 ヒゼキヤの祈りを受けて、イザヤが告げたのが、冒頭の言葉(22節)です。アッシリアがいかに強大であり、自分の知恵、力を誇っていたとしても、それは所詮、人の知恵、力に過ぎません。主なる神を嘲ったアッシリアは、「おとめ」と言われるエルサレムの町によって嘲られ、辱められます。「頭を振る」は、相手を侮辱する行為です(ヨブ記16章4節、詩編22編8節など)。

 

 神はかつてアブラハムに、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(創世記12章3節)と宣言しておられました。主なる神を嘲り、イスラエルを侮辱したアッシリアの王センナケリブは、自分の身にそれを受けなければなりません。

 

 彼は、18万5千という大軍でエルサレムを囲んでいましたが、矢を射ることも、土塁を築くことも、ましてエルサレムに入場することもなく(33節)、一夜のうちに主の御使いによって撃たれ、皆死体となりました(36節)。センナケリブひとりニネベに帰り、ニスロクの神殿で礼拝をささげていたとき、息子らに背かれて暗殺されてしまいます(37,38節)。

 

 「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ書8章31,32節)。

 

 絶えず主を仰ぎ、その御言葉に聴き従って力を頂きましょう。主の力強い御手の下で、自分を低くしましょう。神がわたしたちのことを心にかけていてくださるからです。

 

 主よ、信仰に固く立ち、思い上がって神に背く者となることがありませんように。神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えくださいます。絶えず私たちのことを心にかけていてくださる主に信頼し、一切を主に委ねて、主と共に歩ませてください。力が世々限りなく神にありますように。 アーメン

 

 

「ヒゼキヤは言った。『わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか』。」 イザヤ書38章22節

 

 38章は、列王記下20章1~11節とほぼ同じ内容で、ヒゼキヤが死の病にかかり、イザヤから死の宣告を受け、それに対してヒゼキヤが主に祈ると、主はその祈りを聞いて寿命を15年延ばされるという出来事が記されています。

 

 ただし、「ユダの王ヒゼキヤの記した歌、ミクタブ」(9節)の表題で始まる詩(9~20節)は、列王記にはありません。また、冒頭の言葉(22節)を含む21,22節の言葉は、列王記下20章の記事に従えば、6節と7節の間に置かれることになります。それが、今の位置に置かれることになった理由は何でしょうか。

 

 列王記下20章では、癒しの約束に対してヒゼキヤがしるしを求め、日時計の影を10度後戻りさせるというしるしが与えられたとされますが、イザヤでは、癒しの約束に続いて、しるしが与えられ、「ヒゼキヤの記した歌」が詠まれた後に回復して(21節)、そして、ヒゼキヤのしるしを求める言葉で終わっています。

 

 内容的に考えると、イザヤ書の編者が、列王記の記事(1~8節)に「ヒゼキヤの記した歌」を導入した際、何故か、ヒゼキヤのしるしを求める言葉など(21,22節)を間違って「ヒゼキヤの詩編」の後ろに配置してしまったということなのでしょう。

 

 また、「ヒゼキヤの記した歌」は本当にヒゼキヤ王の作なのか、それともイザヤによる作文なのか、あるいは、どちらでもないのかなど、詳しいことは何も分かりません。それこそ、イザヤに聞いて見たいところです。

 

 列王記の記者はヒゼキヤについて、「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目に正しいことを行い」(王下18章3節)と記しており、理想的な王として描いています。国内から徹底的に異教の偶像を排除したということから(同4節)、そのように語られることについて、ことさらに異論を差し挟むものではありません。

 

 しかしながら、王下20章12節以下、バビロンからの見舞い客を迎えたとき、ヒゼキヤの心が完全に主と結びついていたのかといえば、それをイザヤから厳しく咎められていることから、そうではなかったと言わざるを得ません。小国の南ユダが近隣諸国と渡り合っていくために、どうしても右顧左眄せざるを得なかったのでしょう。

 

 そうしたことを考えると、なぜ冒頭の言葉(22節)が列王記のように、7節の前に置かれないのかということについて、なにやら理由があるようにも思えて来ます。それは、ヒゼキヤの父アハズが、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」(7章11節)と語るイザヤに、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」(同12節)と答えてその言葉に従わなかったという出来事があったからです。

 

 それと同じように、寿命を15年延ばすという約束と共に(5節)、日時計の影を10度後戻りさせるという「しるし」について語られ、それが実現したにも拘わらず(8節)、ヒゼキヤは「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか」(22節)とあらためて尋ねているわけです。

 

 即ち、アハズもヒゼキヤも、語っている言葉は一見信仰深い言葉に聞こえるけれども、どちらも神の言葉を注意深く聞いて、それに忠実に従おうとしてはいないという批判が、もしかすると、ここで表明されているのではないでしょうか。

 

 私たちはしかし、ヒゼキヤを批判できません。口では信仰深そうなことを言うことは出来ますが、その生活において、日ごろの行いによってそれを否定するところがあります。他者に見られるところは整えますが、見られないところはいい加減になってしまいます。まことに不徹底です。

 

 ヒゼキヤの病が癒されて再び公務につけるようになるのは、ヒゼキヤが「まことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきた」(3節)からと読めますが、訴えるヒゼキヤに目を留めてくださった主なる神の憐れみがあればこそです。

 

 神は、私たちに対しても、絶えず憐れみをもって語りかけ、礼拝へと招いていてくださいます。パウロが、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ書12章1節)といっています。

 

 ここで、「憐れみ」(オイクティルモス)には複数形が用いられています。憐れみの豊かさを示し、また何度も何度も呼びかけ、私たちのなすべき礼拝へと招いてくださっているということです。私たちに与えられたキリストの十字架というしるしを胸に、絶えず主の神殿に、神の宮に上りましょう。

 

 主よ、私は罪人です。私の罪を赦してください。私はあなたを必要としています。あなたの招きに従い、心の扉を開きます。どうか私の心の真ん中、その王座にお着きくださり、あなたの望まれるような者に造り変えてください。絶えず十字架の主の御顔を拝し、御言葉に聴き従って、神に喜ばれる礼拝を行うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「ヒゼキヤはイザヤに、『あなたの告げる主の言葉はありがたいものです』と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。」 イザヤ書39章8節

 

 39章は、ごくわずかな違いがあるだけで、列王記下20章12節以下とほぼ同じです。ヒゼキヤの病気が回復したと聞いたバビロンの王メロダク・バルアダンが使者に手紙と贈り物を持たせ、遣わしました(1節)。それに気をよくしたヒゼキヤは、宝物庫、武器庫、倉庫にある一切のものを彼らに見せたと言われます(2節)。

 

 イザヤは、見せたものすべてがバビロンに奪われる日が来ると、ヒゼキヤに告げます(3節以下、6節)。ヒゼキヤの召天が紀元前687年頃であれば、寿命が15年延ばされたということですから、メロダク・バルアダンが使節を遣わしたのは前702年頃になるでしょうか。

 

 メロダク・バルアダンは、紀元前721年にアッシリアの王位継承(シャルマナサルの急死でサルゴン2世が即位)の混乱に乗じてバビロンを支配しました。サルゴンに追われ、逃亡しますが、サルゴンの死後、センナケリブの即位の翌年(前704年)、西方諸国に反アッシリア同盟の結成を呼びかけています。しかし、701年にセンナケリブによって滅ぼされてしまいました。

 

 つまり、ヒゼキヤのもとにやって来た病気見舞いの使節というのは、本当は反アッシリア軍事同盟の締結のためにやって来たわけで、ヒゼキヤが使節を歓迎したということは、同盟が締結されたということです。だから、イザヤはそのことを批判して、この軍事同盟がむしろ、南ユダがバビロンに滅ぼされ、大切なものがすべて奪われる結果になるというのです。

 

 ヒゼキヤの父アハズが採った親アッシリア政策、即ちシリア・エフライム連合軍に対抗するためにアッシリアに貢ぎを贈って援護してもらうことで、危機を回避することが出来ましたが(列王記下16章5節以下)、この朝貢外交は国家財政を圧迫しただけでなく、アッシリアの神アッシュール礼拝を強要されるようになりました。列王記下16章10節以下に記されているのは、そのことです。

 

 ヒゼキヤは、サルゴンの死に伴う王位継承時に朝貢をやめ、宗教改革、即ち、エルサレム神殿からアッシュール神や他の神々の像や祭壇を取り除く宮清めを断行しました(列王記下18章3節以下)。その背後に、預言者イザヤの指導があったと思われます。そして、その指導に従うヒゼキヤにイザヤは大きな期待をしていたと思います。

 

 ところが、サルゴンによって追放されていたメロダク・バルアダンが反アッシリア同盟を呼びかけると、イザヤの反対を押し切って同盟に加わることにしてしまいました。それでイザヤは、異教の神々を礼拝し続けていた北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、捕囚とされたのと同じ運命が、南ユダにも及ぶと告げるわけです。

 

 財宝に武器、倉庫にあるものがすべて奪われ(6節)、さらに、息子の中に、バビロンの宦官として連行される者もあると語られたとき(7節)、ヒゼキヤは冒頭の言葉(8節)のとおり、「主の言葉はありがたいものです」と返答します。

 

 まるで反省しているような言葉ではありません。大切なものがすべて奪われ、家系が途絶えるかもしれないと聞かされているのに、何が「ありがたい」のでしょうか。自分さえ安泰であれば、子孫はどうでもよいというのでしょうか。

 

 ただ、「ありがたいものです」というのは、「トーブ(よい)」という言葉です。素直に読めば、「主の言葉はよいものだ」という彼の信仰を表明しているようにも読めます。それは、ヒゼキヤの増長というよりも、当時のイスラエルが置かれていた環境の厳しさが、その背景にあるということでしょう。

 

 一国の王として、イスラエル存続のためにどこと同盟し、軍事協定を結ぶのか、始終周囲に目を配っている必要があり、ヒゼキヤには気の休まるときもなかったことでしょう。自分の時代に「平和と安定」が続くのであれば、王としての責任は果たせると考えたのかもしれません。「安定」は「エメト(真実、確実)」という言葉です。

 

 王という立場の者が間違えば、国を危うくします。ヒゼキヤの瀕死の病は、イスラエルの国の状況とも言えます。ヒゼキヤの祈りを受けて神が寿命を15年延ばされたように(38章5節)、絶体絶命の危機にあったイスラエルは、イザヤの執り成しを通して、奇跡的な救いを味わいました(37章16節)。

 

 けれども、バビロンの使節派遣によって「神はヒゼキヤを試み、その心にあることを知り尽くすために、彼を捨て置かれた」(歴代誌32章31節)とされ、相応しく対応出来なければ、イザヤが告げたとおり、バビロンによって滅ぼされ、すべてのものが奪われてしまうことになるのです。

 

 ヒゼキヤのすべきことは、バビロンの使者に対して、宝物庫の財宝や武器庫の武具、武器などすべてを見せること、それによってバビロンとの反アッシリア同盟に加わることなどではなく、癒しを与え、エルサレム陥落の危機から救ってくださった神に感謝すること、栄光を神に帰すことであり、どんなときにも主なる神に信頼をおくことです。

 

 30章15節で「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と言われていたとおりです。それが出来なかったところに、ヒゼキヤの、そしてわたしたちの弱さがあります。そして、その弱さを克服することは、容易に出来るものではありません。

 

 パウロが「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(第二コリント書12章9,10節)と言っています。

 

 それこそ、私たちは自分の弱さを主に委ね、主の守りを祈り求め、その導きに従うほかありません。主の憐れみを受け、神の子として生かされている私たちは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝するという信仰の姿勢を、周りの人々に示して行くことが、主なる神によって求められています(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 

 日々主の御言葉に耳を傾け、その御心を知り、聖霊の導きに従って歩むことが出来るよう、喜びと感謝を込めて主の導きを祈り求めましょう。

 

 主よ、私たちは自分のしていることが分かりません。なさんと欲する善はなす力がなく、欲しない悪は、それをしてしまいます。まさに、罪人の頭です。どうか憐れんでください。助けてください。導いてください。私たちの内に、清い心、新しい霊を授けてください。主の恵みと平安が常に私たちと共にありますように。その恵みを周囲の人々に証しする者とならせてください。 アーメン

 

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