今月の御言葉

 

 

 

 33編は22節からなっています。これはヘブライ語のアルファベットと同じ数です。詩人は、言葉を尽くして主に信頼する喜びを語りたいという思いを、22行の詩で表現しているのでしょう。

 

 冒頭の言葉(4~7節)は、この詩の主題が提示されているところです。「主の御言葉は正しく、御業はすべて真実」(4節)と言われます。言葉は、思いや考えが表現されたものです。言葉が正しいとは、嘘偽りがないこと、裏表がないということでしょう。だから、主の御業も真実なのです。

 

 5節の「恵みの業」は「正義」(ツェダカー)、「裁き」は「公正」(ミシュパート)という言葉です。神の義は、「慈しみ」(ヘセド)として地に表されます。地は、「主の慈しみに満ちている」ところです(119編64節)。新共同訳が「正義」を「恵みの業」と訳しているのは、神の義が、私たちに対して慈しみ、特に救いの御業として働くからでしょう。

 

 主なる神は、御言葉によって天と地を創造されました(創世記1章3節以下)。詩人は、「主の口の息吹によって天の万象は造られた」(6節)と言います。「万象」は「軍勢・軍団」(ツァーバー)という言葉で、ここでは太陽や月、星というすべての天体を指しています。

 

 天を御言葉で、天体は口の息吹で、それぞれ個別に創造の業をしたというのではなく、御言葉で天を造ったというのを、口の息吹で天体を造ったと言い換えた、同じことを別の表現で言い表したというものでしょう。

 

 「息吹」(ルーアッハ)は「霊」とも訳されます。御言葉による創造は、神の霊による創造でもあるということです。神が天地を創造されたとき、「神の霊が水の面を動いていた」(創世記1章2節)というのが、それを示しています。

 

 言葉による創造について、ヨハネ福音書1章1節以下の「言(ロゴス)賛歌」で、「万物は言(ロゴス)によって成った」(同3節)と告げています。そしてこの「言」とは、「肉となって、わたしたちの間に宿られた」、「父の独り子」(同14節)、即ち主イエスのことと示されています。つまり、創造主とは、父なる神と神の独り子イエス・キリスト、そして主の「口の息吹」と言われる聖霊との、三位一体なる神のことなのです。

 

 主イエスはサマリアの女性に「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4章24節)と教えられました。主イエスはご自身を、真理としてお示しになりました(同14章6節)。「霊と真理」とは聖霊と主イエスのこと、「~をもって」は「~の中で、~において(エン)」という前置詞です。

 

 聖霊と主イエスにおいて神を礼拝する。神の義と愛をもって創造され、御子イエスを信じる信仰によって神の子とされた私たちが、祈りの霊を注がれて真の悔い改め、父なる神を仰ぐことへ導かれる、これが、父なる神が私たちに求めておられる、「霊と真理をもって神を礼拝する」ことなのです。

 

 私たちを贖うために御子イエスをお遣わしになり、聖霊によって私たちを信仰に導き入れてくださった父なる神を共に仰ぎ、主に向かって新しい歌をうたい、琴を奏でて主に感謝をささげ、美しい調べと共に喜びの叫びをあげましょう。

 

 主よ、私たちはあなたの深い愛と憐れみによって形作られ、主イエスを信じる信仰に導かれ、神の教会に招き入れられました。聖霊に満たされ、絶えず唇の実を御前にささげさせてください。主の慈しみに満たされて、その恵みを証しする、まことの礼拝者となれますように。 アーメン

 

 

 

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2014年8月6日サイト開設