今月の御言葉

 

 

 ここに、「知らないのですか」という言葉があります。調べてみますと、第一コリント書6章には、6回も「あなたがたは知らないのですか」という言葉が出て来ます(2,3,9,15,16,19節)。

 

 それは、当然知っていると思われるものであり、信仰にとって重要な事柄であるのに、あなたがたはまるで知らない者であるかのように振舞っているという表現ではないでしょうか。そうであるなら、ただ単にコリントの教会の人々に語られている言葉としてではなく、今を生きている私たちに対して語られている言葉として、聞く必要があります。

 

 私たちの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、私たちはもはや自分自身のものではないと、本当に知っているでしょうか。確かな知識を持っていて、その知識にふさわしく行動していると言い得るでしょうか。あるいは、もう一度、「あなたがたは知らないのですか」とパウロから尋ねられなければならないような振る舞いをしてはいないでしょうか。

 

 「あなたがたの体」とありますが、「あなたがた」は当然複数形なのに、「体」は単数形です。厳密に言えば、あなたがたの一つの体ということになります。つまり、この「体」というのは、私たち一人一人の身体というのではなく、キリストによって一つとされた体、つまり「教会」を指しているということになります。

 

 というのは、12章27節に「あなたがたはキリストの体」だといい、エフェソ書1章23節には「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」と記されているからです。

 

 しかしながら、12節以下の段落で繰り返し語られている「体」というのは、自分の体のことです。そして、「娼婦と交わる」(16節)「みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」(18節)と語った後、「知らないのですか」と出て来ますから、「体」は単数形として教会を指しているという解釈と同時に、教会を形成している信徒一人一人の「体」のことが考えられていると言わざるを得ません。

 

 だからこそ、「あなたがたはもはや自分自身のものではない」、自分の体を自分の自由にしてよいということにはならないというわけです。私たちの体が私たち自身のものでなければ、一体全体だれのものというのでしょうか。

 

 それは、私たちを救うために罪の代価を支払われた主イエスのもの、主イエスをお遣わしになった神のものということです。こうして神のものとされた私たち一人一人の「体」に聖霊が宿り、そうして、私たちをキリストにあって一つの「体」とするのです。

 

 20節に命じられている「自分の体で神の栄光を現しなさい」というのは、私たちが神のものであればこそ、可能になることです。神がご自分のものを用いて、ご自身の栄光を現されるということになるからです。

 

 そこで、パウロが求めているのは、私たちが「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ」(ローマ書112章1節)ることであり、「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようにな」(同2節)ることです。真実な礼拝がなされるところに神は臨在され、ご自身の栄光を現してくださるのです。

 

 主よ、いつも聖霊の導きによって御言葉に聴き従い、キリストと結びついて一つの霊とならせてください。私たちの交わりが主に喜ばれ、主の愛の証し人になることが出来ますように。 アーメン

 

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