今月の御言葉

 

 

 パウロは、同労者のエパフラスからコロサイ教会のことを聞いて以来、執り成しの祈りを続けていました。その祈りについて、9~12節に三つの祈りが記されており、冒頭の言葉(9,10節)は、最初の祈りです。

 

 ここでパウロが「絶えずあなたがたのために祈り、願って」いるのは、「神の御心を十分悟り」(9節)、「主に従って歩」(10節)むということです。

 

 「神の御心を十分悟り」は、原文を直訳すると「あなたがたが彼(神)の御心の知識に満たされるように」という言葉です。ここに用いられている「知識」(エピグノーシス)は、単なる「知識」(グノーシス)を超えた(エピ)、物事の本質をつかむことで、それは観念的な知識ではなく、人格の深みにおいて交わることです。

 

 その知識の満たしは、「霊によるあらゆる知恵と理解によって」(9節)与えられます。だからこそ、パウロたちが絶えず祈り求めているわけです。言い換えれば、祈りという神との交わりを通して「上からの知恵」(ヤコブ書3章17節)が授けられて、神の御心を深く認識することが出来るのです。

 

 この認識は、それに満たされれば良いということではありません。「主に従って歩」(10節)むという信仰の実践と結びついています。

 

 「主に従って歩む」とは、「主にふさわしく歩く」という言葉遣いです。「生きること、生活すること」を「歩く」と表現しているわけです。

 

 「主にふさわしく歩く」という言葉を説明するのに、「あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように」と言います。ここで、「ますます深く知る」は「知識(エピグノーシス)が増し加えられる」という言葉です。

 

 また、「実を結ぶ」ことと「知識が増加する」ことが一つのこととして語られています。というのは、「実を結ぶ」と「知識が増加する」はいずれも現在分詞で、「あらゆる善い業において実を結びながら、神の知識を増し加えられながら」という言葉遣いになっているからです。

 

 神との交わりを通して御心を深く認識し(エピグノーシス)、主に喜ばれるよう生活する(ペリパテオー)ことで、更に深く神を認識する(エピグノーシス)という、認識と実践の循環、ここに信仰の成長、成熟を見ることが出来ます。

 

 パウロが絶えずこの祈りをしているということは、信徒たちの霊的成長、成熟が常に求められているということです。

 

 私たちも、主にあって成長成熟していけるよう、聖霊の導きと交わりを求めて祈り続けましょう。

 

 主よ、私たちも神の御心を十分に悟り、その御心の実践を通して更に深く主を知るという充実した信仰生活のために、絶えず聖霊の交わりに導いてください。その力を受けて主の証人としての使命を果たすことができますように。 アーメン

 

 

 

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