今月の御言葉

 

 

 冒頭の言葉(1節)で「憐れみによって勧める」とありますが、パウロがローマ書1章から11章までに語ってきた福音を一言にまとめて、「神の憐れみ」と記しています。この「憐れみ」という言葉は、複数形です。神の憐れみの豊かさ、恵み深さを示していると考えられます。

 

 キリストを信じて神の家族とされた私たちに勧められているのは、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」ということです。体を献げるとは、私たちの生活すべてを神のものとするということです。兄弟姉妹すべての生活が、神のものであるということです。

 

 「体」は複数形です。それは、一人一人様々な生活があるので当たり前でしょう。しかし、「いけにえ」という言葉は単数形です。兄弟姉妹の生活すべてが、神の御前に一つのいけにえとなるということです。

 

 一方、神の独り子が私たちの贖いのためのいけにえとされました。この一つのいけにえによって、時代を超えたあらゆる部族、民族、すべての者が救いに与ることが出来るようにされたわけです。

 

 ですから、私たちが一つのいけにえとして自分の体を献げるというのは、このキリストの贖いの業に対する私たちの信仰の応答ということです。信仰の応答として、生きている体=生活を献げるということになれば、どのように生活しなければならないかということも、自ずと示されてきます。

 

 パウロはそれを、「これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と言いました。私たちがキリストの慈愛に応えようとして生活することこそが、神に喜ばれる礼拝であり、聖なる=神のために区別された、とっておきの礼拝であり、生ける=命ある礼拝なのです。

 

 神の愛に私たちが応答するのは当然ですが、実に教会はキリストの体であり、キリストがご自身をいけにえとして十字架に献げられたことと、すべての兄弟姉妹が一つのいけにえとして自分の生活をささげることとが、神の御前に一つとされるのです。それこそ、神の御業です。

 

 2節の「ならう」(シュスケーマティゾー)は、「形(スケーマ)を同じ(シュン)にする」という言葉です。一方、「変える」(メタモルフォオー)は、「形(モルフェー)を変える(メタ)」という言葉です。つまり、「ならってはならない」とは「一致するな」ということで、「変えていただく」は、「変貌、変容する」ということです。

 

 その「変貌、変容」の目的を、「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるように」なることと言います。聖霊の導きによって、神の御心をわきまえることが出来るようにされていくのです。

 

 主の御心を尋ねて、日々御言葉に耳を傾けましょう。御心をわきまえることが出来るよう、聖霊の導きを祈り求めましょう。そうして、神に喜ばれる「まことの礼拝」へと導いていただきましょう。

 

 主よ、教会に集う私たちの生活すべてが神のものです。それは、私たちがキリストによって贖われた者だからです。キリストの者とされた私たちが、どのような生活をしなければならないのか、どのようにして一つとされていくのか、教えてください。そうして、神に喜ばれるまことの礼拝をささげさせてください。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設