今月の御言葉

 

 

 「いかに幸いなことか」(1節)。ここに、詩人の驚きがあります。素晴しい「幸福」を見つけたのでしょう。ここに、詩人のあこがれがあります。自分もその幸福を得たいという思いです。そして、詩人の喜びがあります。幸いを嬉しく味わっているのです。

 

 その幸いは、川のほとりの植えられた木が、葉を青々と茂らせ、ときが来れば実を結ぶという、命の光に輝いているようなものです(3節)。その木の周囲に日陰を求め、あるいは雨を避けて来る人がいるでしょう。木の実の恵みに与ろうと、小さな動物や鳥がその木に巣を設けるでしょう。命の喜びが広がります。

 

 この詩で「幸い」と言われているのは、「神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座ら」ない人です(1節)。「神に逆らう」「罪ある」「傲慢な」者は幸いになれません。

 

 「従って歩む」「道に留まる」「共に座る」と、3段階で関係の深まりを示す表現が用いられていますが、私たちは幸いを得られる人の教えに従って歩み、その道に留まり、共に座るようにしなければなりません。

 

 そのために、2節が語られます。「教え」は、トーラーという言葉です。トーラーは、律法、掟と訳されますが、それは主の教えを命じ、指図するものだからです。「愛する」は、「喜び、楽しみ、欲求」(ヘーフェツ)という言葉です。また、「口ずさむ」は、「瞑想する、嘆く、話す、心に描く」(ハーガー)という言葉です。

 

 主に信頼するからこそ、その教えを愛し、その教えを絶えず口ずさむという行動になるといえばよいでしょうか。

 

 聖書に書かれているのは、幸いを得る呪文などではありません。私たちに祝福を与える神の言葉です。私たちを愛しておられる方からの個人的な私信として、その文章を繰り返し読み返しているという情景を思い浮かべてみればよいでしょう。

 

 主の教えを昼も夜も口ずさむというのは、主の御心を受け止めようと、祈りつつ真剣に耳を傾けることであり、その御言葉を通して恵みをお与えくださる主に感謝し、賛美することです。「主の教えを口ずさむ」という言い方にも現れている通り、詩人は、詩編を「主の教え」(トーラー)として読むこと、歌うことを考えているのではないでしょうか。

 

 私たちに幸いを授けてくださる主に信頼して日毎に御言葉に耳を傾け、その教えを胸に刻み、主に従う命の道を共に歩ませていただきましょう。

 

 主よ、御言葉を通して、私たちを絶えず幸いな道へ招き、導いてくださることを感謝します。主イエスと共に、真理の道、命の道を歩みます。御心を行わせてください。主の教えを愛し、その導きに従って、実を結ぶ人生を歩ませてください。主の御名が崇められますように。御国が来ますように。  アーメン

 

 

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2014年8月6日サイト開設