今月の御言葉

 

 

 今月の御言葉(25,26節)は、「あなたの兄弟は復活する」(23節)という主イエスの言葉に「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(24節)と応じたマルタの言葉に対して告げられたものです。

 

 ここには、ヨハネに特徴的な「わたしは~である」という象徴語句(6章35節、8章12節、10章7,11,14節など参照)がありますが、ここでは、「復活」「命」と、二つの象徴が並べられて登場します。

 

 イエスが復活であり命なので、イエスを信じる者は、たとえ死んでも生きる。生きていてイエスを信じる者は決して死ぬことはないと言われます。

 

 ここに二つのことが表明されています。第一に、信徒は現実の死を迎えても、また生きるであろうということ、第二に、今生きているキリスト信者にとっては、肉体の死が無意味になっているわけだから、その意味で言えば、もはや死は存在しないということです。

 

 マルタの告げた「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」という言葉は、後期ユダヤ教から継承した信仰告白と見られています。つまり、サドカイ派の人々を除くユダヤ教徒は死者の復活を認めていました。

 

 そこでは、「復活」と「命」は終末的未来の救いを示すものですが、主イエスが「わたしは復活であり、命である」と仰って、主イエスを信じる者たちにとって、それは今受け取ることのできるもの、今このとき、その力と恵みに与らせていただくことができるものと教えられました。

 

 つまり、終末において復活と命をお与えになる方が、今ここで「わたしが復活であり、命である」という言葉をもって、イエス・キリストこそ、復活と命をお与えくださるお方=神なのだと告げているのです。

 

 それが真実であるということを、主イエスはこの後の出来事ではっきりと示されます。

 

 主イエスがマルタの兄弟ラザロが葬られている墓に行き(38節)、死後四日経っているというラザロ(39節)を、「ラザロ、出て来なさい」(43節)と大声で呼ばれると、その声に応えて死んでいたラザロが、手足を布で巻かれ、顔を覆いで包まれたまま出て来ました(44節)。

 

 主イエスは、「このことを信じるか」(26節)と尋ねられました。「このこと」とは、「わたしは復活であり、命である」と仰ったことです。永遠の命を授け、復活の希望に生かしてくださる主イエスを信じましょう。そして、その希望と平安にご一緒に与りましょう。

 

  主よ、あなたのご愛を感謝します。私たちはここにおります。主よ、お語りください。御言葉を聴かせてください。あなたを信じ、命の恵みの中を、復活の希望をもって歩ませてください。恵みと平安が常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

 

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2014年8月6日サイト開設