今月の御言葉

 

 

 

 わずか150節にも満たない短い文書に過ぎないガラテヤの信徒への手紙がキリスト教会に与えた影響は、計り知れません。マルティン・ルターが二度もこの手紙の注解書を著したほどに、彼の宗教改革の最も有力な武器になったのです。

 

 13節の「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです」は、手紙のこれまでの教えを要約し、また1節の「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」を思い出させます。キリストの私たちを解放にする御業が、キリスト者が自由をもってその使命に生きるためのものだというのです。

 

 キリスト者の使命は、律法の要求によらないということであり、また、人の評価を求めるものでもありません。律法で命じられたから、行うということではないということです。また、人が評価してくれなければ、しないということでもないのです。その自由がキリストから与えられた贈り物であり、自由に行動することが、それを受け取った証しなのです。

 

 自由は、「肉に罪を犯させる機会」となります。パウロにとって「肉」とは、「姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴」(19~21節)といった類いのものの源です。

 

 そのような罪への橋頭堡を造らせないために、「愛によって互いに仕えなさい」というのです。愛をもって奉仕することが、キリスト者にとって、与えられた自由を正しく用いる用い方だということです。

 

 「仕える」とは、「奴隷になる」(ドゥーレウオー)という言葉です。自由と奴隷、全く矛盾して聞こえる表現ですが、愛によって進んで奴隷になる自由こそ、キリストによって与えられたものということです。

 

 主イエスが「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10章43~45節)と仰っているのは、まさにそのことでしょう。

 

 愛によって互いに仕える選ぶべき理由を、レビ記19章18節を引用しつつ「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです」と提示します。「全うされる」という言葉について、ローマ書13章8~10節との関連で、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句が律法全体であり、同時に、隣人愛によって律法が成就すると、パウロは考えていたようです。

 

 レビ記19章18節は、律法の本質を表しています。マルコ12章28節以下などで主イエスが、最も重要な掟として示しておられました。

 

 前節とのつながりでいえば、キリスト者が召し出されたのは、律法への隷属のためなどではなく、愛をもって相互に仕える者となることです。それこそ、キリスト者が自由を与えられた意味であり、目的なのです。

 

 聖霊の導きに従って豊かな実りある自由を歩むことができますように。

 

 主よ、御子イエスが私たちをあらゆる縄目から解放し、自由にしてくださいました。この自由を放縦に献げるのではなく、愛をもって奉仕するために喜んで献げるものとならせてください。聖霊の導きが豊かにありますように。 アーメン

 

 

日本バプテスト

静岡キリスト教会

〒420-0882

静岡市葵区安東2-12-39

☏054-246-6632

FAX    209-4866

 

facebook「静岡教会」

 

当教会のシンボルマーク
当教会のシンボルマーク

当サイトはスマートフォンでもご覧になれます。

 

 

2014年8月6日サイト開設