今月の御言葉

 

 

 冒頭の「神の国」(バシレイア・トゥー・セウー Kingdom of God)は、ローマ書ではここだけ、コリント書に4度、ガラテヤ書、コロサイ書、第二テサロニケ書に1度ずつの計8回パウロによって用いられています。その代わり、「教会」について多くの言葉を用いて論述しているといってもよいでしょう。

 

 用例が少ないのは、パウロが「神の国」について重く考えていなかったからというようなことにはなりません。「神の国」は、主イエスの福音の中核をなすものです。使徒言行録1章3節には、復活された主イエスが40日にわたって弟子たちに現れ、神の国について話されたと記されています。

 

 その福音によって救われ、伝道者とされたパウロです。パウロは、「神の国」即ち「神の支配、神の働き」が、教会において実現していること、主イエスの教えと働き、救いの御業によって示された神の国が、教会を通して証しされていると信じ、弁えているのです。

 

 主イエス・キリストの福音の現実、出来事の現れである教会において、私たちは生きている、「神の国」=神の支配、神の働きが私たちの歩み、日々の生活をかたち作るということです。

 

 その「神の国」の特徴、主なる神が統べ治めておられるところに現れる「神の国」の本質は、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」です。ここで口語訳、新改訳、岩波訳などは「義と、平和と、聖霊における喜び」としています。「聖霊における」(エン・プネウマティ・ハギオー in the holy spirit)が「義と平和」にも係るのかどうかで、判断が分かれているわけです。

 

 ガラテヤ書5章19節以下で肉の業を行っている者は「神の国を受け継ぐことはできません」(21節)と語った後、「これに対して霊の結ぶ実は藍であり、喜び、平和、云々」(22節)と語っている関連から、「霊において」が新共同訳のように「義と平和」にもかかると考えてよいのではないか、と思われます。

 

 父なる神がお遣わしくださった御子キリスト・イエスの言葉と働きを通して、「神の義」(ローマ書1章17節、3章25節)=神と人との正しい関係が開き与えられ、その恵みに生きる私たちと隣人との関係も正しいものにされていきます。そこに産み出されるのが「平和」です。

 

 隣人と平和に過ごすといっても、それは簡単なことではありません。忍耐や寛容が求められます。しかし、すぐに忍耐の限界、堪忍袋の緒が切れるといった事態になることがあります。だからこそ、平和の実を結ばせる聖霊の導きと助けを祈り求めるのです。義も平和も、神の賜物だということです。

 

 そして、神との関係が正され、隣人との間に平和が作り出される、それを喜ぶ神の喜び、聖霊の喜びが私たちにも与えられます。ルカ15章のたとえ話が示しているところです。放蕩息子の兄は父の喜びを共に喜ぶことが困難でした。その兄にも、共に喜ぶ者になって欲しいと招くのです。

 

 神の義と平和に与った者として、主イエス・キリストの愛によって互いに愛し合う愛に生きる者としていただくべく、聖霊の満たしと導きを共に祈りましょう(ローマ書5章5節、ヨハネ13章34節)。

 

 主よ、御子キリストが私たちのために贖いの業を成し遂げ、救いの道を開いてくださったことを感謝します。救いの恵みに与った者として、隣人との平和を追い求めます。いつも聖霊の導きに与り、隣人との平和と愛に生きる喜びに満たしてください。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設