列王記上

 

 

「イスラエルの神、主はたたえられますように。主は今日わたしの王座につく者を与えてくださり、わたしはそれをこの目で見ている。」 列王記上1章48節

 

 今日から、列王記を読み始めます。現在、上下2巻に分けられていますが、原典は1巻の書物でした。ヘブライ語原典(マソラ本文)をギリシア語に翻訳したとき(ギリシア語旧約聖書=70人訳聖書)、字数が多くなり、2巻に分ける必要が生じたのです。

 

 また、70人訳聖書では、サムエル記と列王記が「王国の書」として一つに括られています。もしかすると、それが本来の形だったのかも知れません。

 

 ユダヤ教の伝統では、列王記は預言者エレミヤが書いたものだと言われます。それは、列王記下25章、即ちエルサレムの陥落の記事が、エレミヤ書39,52章にほぼ同じかたちで登場するからです。

 

 また、マソラ本文では、列王記は預言者の書に入れられています。それは、エレミヤが著したものと考えられているからでしょう。また、ソロモンやヒゼキヤ、ヨシヤという、他の王たちに比べて詳しく紹介されている王たちにまさって、多くの分量を割いて描かれているのが、エリヤ、エリシャたち預言者の記事だということもあるでしょう。

 

 さらに言えば、この書物が単なる歴史の記述ではなく、イスラエルの歴史の中に表わされた神の御業を通して、私たちが神の御言葉を聴き、御旨を悟るために記されたものだからではないかと考えられます。

 

 さて、年老いたダビデには、もう国を治めていく力がありません(1節)。それで、誰がダビデの後を継ぐのということが、最大の関心事になります。そのとき、4男アドニヤが「わたしが王になる」と宣言しました(5節)。長男アムノンが3男アブサロムに殺され、アブサロムは父ダビデを追い落とそうとして、逆に命を落としました。現在、アドニヤが、王位後継争いの先頭にいるのです。

 

 本来なら、2男でアビガイルの子キルアブ(歴代誌上3章1節ではダニエル)がいるはずですが、彼の名が取り沙汰されることはありません。その理由は不明ですが、王位後継が話題になる前に、若くして亡くなったためではないかと考えられています。

 

 王になると宣言したアドニヤは、軍の司令官ヨアブと祭司アビアタルに相談し、二人の支持を得ました(7節)。そこでアドニヤは、自分の兄弟やダビデの家臣たちを招き、宴会を催しました(9節)。これは、自分の支持基盤を固めるためのものですが、司令官ヨアブと祭司アビアタルが同席していて、事実上の王位継承の儀といってもよいでしょう。

 

 ただし、列王記の記者は、アドニヤが王位継承の意思を表したのを「ハギトの子アドニヤは思い上がって」(5節)と記しています。即ち、アドニヤが選ばれるべくして選ばれたものではないと、はっきり示しているわけです。また、預言者ナタンや護衛長ベナヤ、そして兄弟ソロモンは招かれませんでした(10節)。彼らは、アドニヤの即位をよしとしない人々です(8節)。

 

 アドニヤらの動きを知った預言者ナタンが、ソロモンの母バト・シェバに、アドニヤが王になったことを聞いているかと尋ね(11節)、すぐにソロモンを王とするよう、ダビデに働きかけることを進言します(12節以下)。

 

 ソロモンは主なる神に愛されいて、以前そのことを、ナタンがダビデに示したことがありました(サムエル記下12章24,25節)。それで、ソロモンは「エディドヤ(主に愛された者)」とも呼ばれていました。

 

 先ず、バト・シェバがダビデに後継者について尋ね(15節以下)、次いでナタンがアドニヤのことを報告して、ダビデの意向を確認します(22節以下)。それを聞いたダビデはバト・シェバを呼び(28節)、ソロモンを王とすることを告げます(30節)。

 

 そしてすぐに、祭司ツァドクと預言者ナタン、護衛長ベナヤを呼び(32節)、ギホンでソロモンに油を注ぎ、即位式を行うよう命じると(33節以下)、彼らはソロモンをギホンに連れて行き(38節)、ソロモンに油を注いで角笛を吹くと、民は皆、「ソロモン王、万歳」と叫びました(39節)。

 

 郊外で宴会を催していたアドニヤたちは、ソロモン王即位を祝う角笛の音を聞き(41節)、やって来た祭司アビアタルの息子ヨナタンから、そのときの様子を知らされます(42節)。それで、アドニヤと宴席を共にしていた者たちは、自分たちが勝ち馬に乗り損ねたというか、王位継承の判断を誤ったことを悟り、恐怖に包まれ、それぞれ帰途につきました(49節以下)。

 

 ダビデは非常に年老いていますが、ソロモンに王位を譲る決定をするとき、王としての使命を果たしています。そして、ダビデには信仰がありました。王位を譲った後、彼は寝床の上でひれ伏し、冒頭の言葉(48節)のとおり、主を賛美します。

 

 ダビデはここで、主が王座につく者を与えてくださり、それをこの目で見ていると言っています。ダビデにとって、ソロモンの即位は自分の選びや決断ではなく、主なる神の賜物だというのです。

 

 司令官ヨアブや祭司アビアタルの目には、アドニヤがダビデの後継者となるのに相応しい人物と映ったのですが、主の決定はそうではありませんでした。確かに主は外側ではなく、人の内側、心を見られます(サムエル記上16章8節)。絶えず主の前にひれ伏す者であるか、主の御旨を求める者であるか、主の御声に聴き従う者であるかが問われているのです。

 

 そしてそれは、今ここに王とされたソロモンについても例外ではありません。右にも左にも曲がらずに主の道を歩むことは、王となることよりも難しい道でしょう。だから、常に主の御言葉に耳を傾け、その導きに従わなければなりません(詩編119編9節)。

 

 私たちにも、「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ書12章2節)と求められています。事毎に主の御心を尋ね求める信仰が必要です。それゆえに絶えず祈れと教えられるのです(一テサロニケ5章17節)。それも喜びと感謝をもって(同5章16,18節)。

 

 何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを主に捧げ、主にある神の平和で私たちの心と考えを守っていただきましょう(フィリピ書4章6,7節)。主の導きに従って、行動しましょう。そこに平和の神が共におられるのですから(同9節)。

 

 主よ、今日も王の王、主の主なるキリスト・イエスの御言葉に耳を傾け、導きに従って歩ませてください。欲に惹かれて道を違えることがありませんように。主の使命を果たすために必要な知恵と力を授けてください。ここ静岡に、そして全日本に、主イエスを信じる信仰の恵みが広げられますように。 アーメン

 

 

「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。あなたは勇ましく雄々しくあれ。」 列王記上2章2節

 

 ダビデは自分の死期を悟り(1節)、冒頭の言葉(2節)で始まる遺言を、王位継承者に決定した息子ソロモンに語りました。ここで、ダビデの語った「この世のすべての者がたどる道」とは、死への旅路ということです。その道を歩まずにすむ者はいません。誰もが、遅かれ早かれ、その生涯を閉じる時を迎えます。

 

 にも拘わらず、死について考えたり話したりするのは縁起でもないことといって、遺言の準備など全く考えようとしない人も、少なくありません。縁起でもないことかどうか、その備えの有無に拘わらず、誰にも死は訪れます。備えあれば憂いなしいう言葉がありますが、よく死ぬための備えが必要ではないでしょうか。

 

 よく死ぬというのは、人生を振り返って、これまで生きて来ることが出来て良かった、今ここで人生を閉じても思い残すことはないという死に方をすることでしょう。それは、毎日を悔いのないように生きる、そのような生き方をするということです。つまり、よく生きることこそ、よく死ぬための備えなのです。

 

 遺言するとき、勿論よく考え、言葉を選ぶでしょう。当然、大切なこと、必要なことを言い残そうとするでしょう。それが実践に裏打ちされた言葉であるとき、聞く者の心に深く刻まれる言葉となります。親の生き様を見て来た子が、その死に様を見て、しかも最後に遺した言葉を聞けば、親の生き方に倣いたい、その遺言を守ろうと決意するでしょう。

 

 私たちは、私たちの人生が死では終わらないことを学んでいます。人は一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっていると、ヘブライ人への手紙9章27節にあります。つまり、その生涯が、主の御旨に適うものであったのかどうか、主に判断されることになるのです。それはまさに、よく生きることが出来たかどうか問われるということです。

 

 ダビデはソロモンに「勇ましく、雄々しくあれ」と語りました。かつて、モーセの後継者ヨシュアに対して、主が同じように語っておられます(ヨシュア記1章6節)。約束の地にあって、主の律法をすべて忠実に守らなければならないからです(同7節)。そして、勇ましく、雄々しく歩むことの出来る根拠は、神がいつも共にいてくださるという約束でした(同1章5,9節)。

 

 ダビデがソロモンに、「勇ましく、雄々しくあれ」と語っているのは、自分が死への旅路をたどり、それ以後、息子ソロモンの後見役を務められなくなるからでしょう。けれども、ヨシュアに対する言葉と同じで、勇ましく、雄々しくあることが出来るのは、主なる神が共にいてくださるからこそであり,どんなときにも主に信頼するように、そう告げているのです。

 

 だから、この言葉に続いて「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ」(3節)と命じ、「そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる」と祝福の言葉を語っています。

 

 王として、すべきこと、すべきでないことを、モーセの律法、即ち主の教えに基づいて判断し、また、主の語られた命令を実行せよというわけです。「良い成果を上げることができる」というのは、平和の獲得、繁栄、発展などに表れてくるところでしょうけれども、何より、主がソロモンの信仰をよしとしてくださるということでしょう。

 

 ダビデは、自分の知恵と力では、その道を正しく歩むことが出来ませんでした。主の御前に姦淫と殺人という大罪を犯しました。しかも、預言者ナタンに罪を指摘されるまで、特別に罪責感を持ってもいなかったようです。絶対的権力者として、したいことは何でも出来るという立場にあったからです。

 

 しかし、主の教えという物差しを当てたとき、いかに自分が罪深い者であるかということを思い知らされました。特に、家庭が乱れ、国内に様々な亀裂を生むことになってしまいました。ダビデは、その罪を認め、悔い改めました。だから、勇ましく雄々しくあって、主の教えを守れというのです。

 

 主イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章6節)と仰せられました。主イエスの道は、父なる神によって罪人の世に敷設されました。荒れ野敷かれたのです(イザヤ43章19節参照)。主イエスに従ってこの道を歩む者が、真理を知り、命を得、父なる神のもとへ行けるようになるためです。

 

 主の御言葉に従い、死んでも死なない命の恵みに与らせていただきましょう。

 

 主よ、私たちを信仰に導き、命の言葉を与えて、この道を歩めと教えてくださり、有り難うございます。御言葉は、私たちの歩みを導く灯火であり、道を照らす光です。日々御言葉によって開かれる道を、右にも左にも曲がらずまっすぐに歩み通すことが出来ますように。御霊の力と導きをお与えください。 アーメン

 

 

「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 列王記上3章9節

 

 ソロモンが、ギブオンで千頭もの牛を焼き尽くす献げ物としてささげた夜(4節)、主なる神がソロモンの夢に現れ、「何でも願うがよい。あなたに与えよう」(5節)と言われます。何でも願えと言われたソロモンは、冒頭の言葉(9節)の通り「民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」と求めました。

 

 人の善悪の判断基準は、時と場合によって変わります。特に、他人には厳しいけれども、自分には非常に甘くなります。否、過ちをはっきり認めようとしません。そういう私が、どうして善と悪を正しく判断することが出来るでしょうか。正しい物差しが必要です。

 

 誰が正しい物差しを持っているのでしょうか。それは、主です。だからこそ、ソロモンは主の御声を正しく聞き分ける心を求めたのです。

 

 聞き分ける心を求める言葉の前に、6節で「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました」と、ソロモンは語っています。

 

 自分が王座につくことが出来たのは、何よりも主の慈しみによるのですが、それは、父ダビデが主の御前を、御言葉に従って忠実に歩んだから、主が父ダビデに豊かな慈しみを示され、それで、自分にも王位を受け継がせてくださったのだと言っているのです。

 

 そうであるならば、私たちの御言葉に聴き従う心も同様に問われ、それによって私たちの子孫にその影響が及ぶことになります。十戒の「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(出エジプト記20章5,6節)という言葉を思い出しました。

 

 そのように謙り、主に聞き分ける心を求めたソロモンを、神は喜ばれました(10節)。ですから、知恵に満ちた賢明な心だけでなく(12節)、求めなかった富と栄光、名声、長寿をも与えると約束されています(13,14節)。

 

 主イエスも、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの(必要な)ものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)と教えておられますが、ソロモンはその通りに行って、民の模範となりました。神と富に兼ね仕えることは出来ません。しかし、神に仕える者には、必要なものが十分に与えられるというわけです。

 

 ヨハネ福音書14章6節に「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉があります。主イエスこそ、父なる神のもとに行く道です。人通りが絶えてしまうと、道は荒れ果ててしまいます。朝ごとに、主の御前に進みましょう。主の御言葉を聴きましょう。主と共に歩みましょう。

 

 主に従い、主の道を歩む者は、真理を悟り、自由を得ることが出来ます(同8章31節)。また、主イエスを信じる者は、死んでも死なない命の恵みに与らせていただくことが出来る、とも教えられているのです(同11章25,26節)。

 

 主イエスはさらに、「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう」(同14章13節)と言われました。これは、ソロモンに語られたのと同じですが、続けて「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(同14章16節)と仰いました。

 

 つまり、「何でも願え」と言われた真意は、贖いの御業を成し遂げて天に携え挙げられる主イエスに代わり、「別の弁護者」を遣わし、永遠に私たちと一緒にいるようにしてくださるように、私たちが父に願いなさいということです。

 

 「別の弁護者」とは、父なる神が主イエスの御名によってお遣わくだ下さる聖霊のことで(同14章26節)、真理の霊とも言われています(同14章17節)。パウロは、「聖霊に満たされなさい」(エフェソ5章18節)と命じます。信仰生活には、聖霊の満たしが必要です。それが神の御心だからです。

 

 そして、この方が来られると、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにします(ヨハネ16章7節)。ソロモンが求めた、善と悪を判断することができるように聞き分ける心というのは、聖霊がお与えになる心、思いなのです。

 

 私たちもソロモンに倣い、主イエスの御言葉に従って聖霊に満たされ、神の御声を聞き分けることが出来るように祈りましょう。

 

 主よ、私たちに聖霊を注ぎ、満たしてください。聖霊の導きに従い、主イエスの道を歩みます。主との親しい交わりに加えてください。御言葉を聴き、祈りと賛美を通して主と交わることほど幸いなことはありません。日々、この豊かな恵みで私たちを養い、整えてください。主の御業のために用いられますように。 アーメン

 

 

「ヨヤダの子ベナヤ、軍の司令官。ツァドクとアビアタル、祭司。ナタンの子アザルヤ、知事の監督。ナタンの子ザブド、王の友で、祭司。」 列王記上4章5節

 

 ソロモンは、祭司アザルヤ、ツァドク、アビアタル、ザブド、軍の司令官ベナヤなど、11人を高官として任命しました(2節以下)。その下に12人の知事を置き、王室の食料を調達する機構を整えました(7節以下)。これは、ダビデ時代にはなかった部門で、国家機構がソロモン王のもとで充実して来ています。

 

 ただし、知事としてここに名が挙げられているのは11人で、19節に「この地にもう一人の知事がいた」とあって、その名が記されていません。ギレアドの地に知事が二人いたということでしょうか。

 

 そして、12人が担当している地域には、ユダの地が入っていません。つまり、食料調達機構の中にユダ族の人々は組み入れられていなかったということです。ということは、7節のイスラエルは、ユダを除くという意味で、北イスラエルを指すことになりそうです。

 

 11人の高官のうち、補佐官ヨシャファト、軍の司令官ベナヤ(ダビデ時代は傭兵の監督官)、祭司ツァドクとアビアタルは、ダビデ時代の高官でもありました(サムエル記下8章16節以下、20章23節以下)。これは、王国としての体制が安定して続いている明確なしるしといってよいでしょう。

 

 そして、前述のとおり、ツァドクの子アザルヤ(2節)、ツァドクとアビアタル(4節)、ナタンの子ザブド(5節)の4人が祭司です。筆頭のツァドクの子アザルヤが、大祭司の役割を担ったのでしょう。ツァドクとアビアタルはダビデ王の時代からの祭司であり、ザブドの父ナタンは、ダビデに仕えた預言者でした。そのように神を畏れ、神に従う祭司たちがソロモン王の四方を固めています。

 

 ナタンの子ザブドは「王の友」(5節)と呼ばれていることから、ソロモンの相談相手を務めていると言えます。ザブドの父ナタンは、ダビデの罪を鋭く追求した預言者です(サムエル記下12章)。ソロモンはその子ザブドに、自分の考えを支持するイエスマンを願っているのではなく、是は是、非は非とはっきり意見してくれることを期待していたわけです。

 

 この人事を見ると、父ダビデが「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」(サムエル記下23章3~4節)と詠ったように、ソロモン自身も神に従い、神を畏れて国を治める者でありたいと考えていたことが分かります。そして神は、まさしく太陽が輝き出る朝の光のごとく、ソロモンを豊かに祝福されたのです。

 

 このリストの中に、一つ驚くべきものがあります。それは、祭司アビアタルの名前です。彼は確かにダビデの代から忠実に仕えてきた祭司でした。しかしながら、ソロモンは先に、「お前は死に値する者だ」(2章26~27節)といって、アビアタルを祭司の座から追放し、アナトトの地に帰らせたのでした。これは、アドニヤを擁立しようとしたことに対する報復人事といってよいでしょう(1章7節参照)。

 

 その背後に、大祭司の座を巡って、ツァドク家とアビアタル家の争いがあったと見る向きもあるようです。いずれにせよ、何故ここにアビアタルの名前があるのでしょうか。その理由は何も記されてはおりません。もう一度エルサレムに呼び戻されて、高官として直接ソロモンに仕えるようにされたとは、実際には考え難いところです。

 

 ただ、アビアタルの父アヒメレクとその家は、サウル王に背いてダビデに手を貸したという無実の罪で、剣にかけて殺されたのです(サムエル記上21,22章)。そのとき、ただ一人難を逃れたアビアタルに、ダビデは自分の非を認め、「わたしのもとにとどまっていれば、あなたは安全だ」(同22章20節以下)と、保護するようになったのです。

 

 その後、ダビデの子アブサロムの反逆の際にも、アビアタルはツァドク、フシャイと共に、ダビデのために意を用いて働きました(サムエル記下15章24節以下、30節以下、17章)。そのようなアビアタルの身の上、特にアビアタルがダビデに示した忠誠を、ソロモンが再評価したのかも知れません。

 

 少なくとも、アビアタルを退けることを、父ダビデは喜ばないでしょう。父ダビデのゆえに主の慈しみを受けて、王となったと語っていたソロモンです(3章6節)。アヒメレクのゆえに、その子アビアタルに慈しみを施すことにしたと考えてもよいのかも知れません。

 

 私たちは、イエス・キリストの贖いの業、十字架の死に至るまで従順であられた主イエスのゆえに、一方的に神の憐れみと慈しみとを受けています。御霊に満たされ、絶えず感謝をもって主を賛美しましょう。

 

 主よ、あなたは恵みと慈しみに富む方です。イスラエルの野で羊を飼っていた少年を王として選び、その子に豊かな知恵を授けて、王国を堅くされました。それは、彼らの能力の故ではなく、神に従う素直な心の故でした。人は様々なことを計りますが、ただあなたの御旨だけが堅く立つのです。私たちも、御言葉に傾け、導きに素直に従います。私たちの心の目、耳を開いてください。御心を行う者としてください。御旨がこの地になりますように。 アーメン

 

 

「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。」 列王記上5章9節(口語訳、新改訳は4章29節)

 

 主なる神はソロモンに、冒頭の言葉(9節)のとおり、豊かな知恵と洞察力、広い心をお授けになりました。それは、かつて主が「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」(3章12節)と約束されていたとおりでした。

 

 当代随一の知恵者としてその名が知れ渡ったソロモンのもとに(10,11節)、その知恵を聴くために世界中から使節が押し寄せ、近隣諸国からの貢ぎ物で豊かにされました(1,14節)。この豊かさも、神の知恵を求めたソロモンに、神が加えて与えると約束されていたものです(3章13節)。

 

 ソロモンは、この豊かな知恵と富を用いて、一大事業を興します。それは、主の御名のために神殿を建築することです(15節以下,19節)。

 

 そのために、ティルスの王ヒラムと条約を結んで、木材を確保しました(20節以下)。ティルスに毎年提供することになった小麦2万コルは(25節)、貢物として日毎に納められた小麦粉60コルの1年分に相当します(2節)。つまり、国庫に入って来た貢物の小麦を、そのままヒラム王に提供するわけです。

 

 また、イスラエル全国から神殿建築のために3万人の労働者を徴用し、1万人ずつティルスに送って(27節)、杉材を切り出させます。他にも、荷役の労働者7万人、石を切り出す労働者8万人がいました。この石工の働きによって、石材も調達出来ました(31,32節)。

 

 ここに記されている労働者の数は、ソロモンがいかに壮麗な神殿を築こうとしているかを雄弁に物語っています。8年前、大牟田で新会堂建築の業に関わらせていただきましたが、建築工事においでくださっていた業者は、毎日多くて7~8人ほどでした。工期は7か月半、225日です。そうすると、延べ1800人ということになりますが、ソロモンの神殿建築との差は歴然ですね。

 

 ダビデによって長い間続いた近隣諸国との戦いに終止符が打たれ、広く平和が確立された今(17,18節)、ダビデの時代から待望されていた神殿の建築が、ようやく始められるようになったわけです(19節)。ですから、徴用される者たちの方でも、勇んで労務に参加するという状況ではなかったかと思います。

 

 主はイスラエルに、「王は馬を増やしてはならない」、「王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない」(申命記17章16,17節)という、王に関する規定を授けられました。

 

 ダビデが民の数を数えようとして咎められたのと同様(サムエル記下24章)、多くのものを持つことで安心しようとしたり、それを誇ろうとすることは、主なる神を信頼せず物量に頼ろうとすることであり、それによって主の栄光を盗むと考えられているわけです。

 

 ソロモンは、既に戦車用の馬の厩舎4万、騎兵1万2千を有しています(6節)。厩舎が4万ということで、そこに馬がどれだけいたのか分かりませんが、仮に、一つの厩舎に戦車一台分の馬がいたとして、4万台の戦車があったことになり、騎兵1万2千と合せて、それらは周辺諸国とは比較にならない数の多さです。

 

 ですから、並ぶ者なき知恵を授けられたソロモンは、加えて与えられる富を、これ以上馬や騎兵、戦車を増やすために用いたり、金銀を蔵に大量に蓄えるというのではなく、主に栄光を帰すために、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして主なる神を愛し、礼拝するための神殿建設に用いることにしたということでしょう。言い換えれば、そのようにする者だからこそ、主の豊かな祝福を得たといってよいでしょう。

 

 復活された主イエスが天にお帰りになるとき、手を上げて弟子たちを祝福されました。祝福しながら天に昇って行かれたのです。主イエスを見送った弟子たちは、大喜びしたと記されています(ルカ24章50~52節)。主イエスとお別れするのは悲しく辛いことだったでしょうけれども、主イエスの祝福、聖霊の力が弟子たちを喜ばせていたのです。

 

 そして、彼らは絶えず神殿で神をほめたたえていました(同53節)。原語では、「祝福する」(50,51節)と「ほめたたえる」(53節)とは、同じ「ユーロゲオウ」という言葉です。つまり、主イエスの祝福を受けた者が主イエスを祝福する、主イエスに祝福をお返しする、それが「ほめたたえる」という言葉なのです。

 

 ソロモンが、主から受けた豊かな祝福によって主の神殿を建てようとすること、それが、豊かな恵みをお与えくださる主にその祝福をお返しすることであり、そのことを通して主をほめたたえるのです。

 

 私たちも、日毎に主の豊かな祝福を受けています。主に栄光をお返しし、心から主に唇の実、賛美の生け贄をささげましょう(ヘブライ書13章15節)。

 

 主よ、あなたの慈しみはあまりにも豊かで、量ることが出来ません。私たちを常に最善の道に導き、その恵みを味わわせてくださっています。私の魂は主を賛美します。主は私の魂を贖い、主を避け所とする者を罪に定められることがないからです。どのようなときにも主を讃え、絶えることなく賛美を歌います。全世界で主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「あなたが建てている神殿について、もしあなたがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を実行し、わたしのどの戒めにも従って歩むなら、わたしは父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。」 列王記上6章12節

 

 2節に、神殿のサイズが記されています。1アンマはおよそ45センチですから、奥行き60アンマは27メートル、間口20アンマは9メートル、高さ30アンマは13.5メートルという大きさです。

 

 奥行き27メートル(15間)、間口9メートル(5間)ということは、建坪75坪になります。労役に徴用された者3万人、荷役労働者7万人、石工8万人という数(5章27節以下)にしては、ずいぶん小さい建物という印象です。

 

 神殿は石造りで、石切場で切り出した石をその場で寸法通りに整えたので、建築場では、組み立てるだけでした(7節)。神殿の内側は木で覆われ、石が見えないようにされました(15節)。壁面には、ひょうたんと花模様の浮き彫りが施されています(18節)。

 

 特に、主の契約の箱を安置するための神殿の奥に設けられた内陣は、奥行き、間口、高さ共に20アンマ(=9メートル)の立方体で、内陣とその前に置かれた祭壇は、純金で覆われていました(19,20節)。

 

 この神殿建築には、上述の通り18万人もの労務者と、7年半(37,38節、ソロモンの治世第4年の春に基礎が据えられ、11年の秋に完成した)という時間が必要でした。

 

 1節に「エジプトの地を出てから480年目」という記述がありますが、これは、歴史的に正確な記述とは考えられません。完全数の「12」に、荒れ野で過ごした「40年」を掛け合わせた聖なる数です。それにより、エジプトを脱出してからきわめて長い時間が経過して、ようやくここに平和を得、神殿建築に取り組むことが出来るようになったということを示しているのです。

 

 この神殿建築の最中に、主の言葉がソロモンに臨みました(11節以下)。それは、冒頭の言葉(12節)にみるとおり、ソロモンが主の掟に従って歩むなら、ダビデに与えた約束を実現しようというのです。

 

 ダビデに与えた約束とは、万軍の主なる神が共にいて、すべての敵を退け、民は安住の地を得る。ダビデの家は堅く立てられてその王位を守り、王国が揺るぎないものとなる。主の慈しみが取り去られることはないというものです(サムエル記下7章8節以下)。

 

 続く13節で「わたしはイスラエルの人々の中に住み、わが民イスラエルを見捨てることはない」と言われます。かつて、モーセに率いられてエジプトを脱出した民に「わたしのために聖なる所を造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう」(出エジプト記25章8節)と告げられ、荒れ野をイスラエルの民と共に旅する神の幕屋が造られました。

 

 十戒を刻んだ石の板を納める神の箱の上に、「贖いの座」と呼ばれる蓋が置かれます(同10節以下)。そこには、一対のケルビムが付けられています(同18,19節)。贖いの座にケルビムが付けられるのは、至聖所と神の箱の警護という役割と共に、そこに神がおられることを示すという役割があるものと思われます。 

 

 というのは、ケルビム(ケルブの複数形)について、詩編18編10,11節に「主は天を傾けて下り、密雲を足もとに従え、ケルブを駆って飛び、風の翼に乗って行かれる」と詠われます。ここに、風を象徴するもののように描かれ、しかも、それに主が乗られると言われているのです。

 

 ソロモンが内陣に二体のケルビムを造って据えたのも(23節)、そこが主の臨まれるところということで、かつて、幕屋でイスラエルの民と共に旅をされた主は、今ここに、ソロモンの建てた神殿において、イスラエルの民の中に住まわれ、彼らを見捨てず守られるのです。

 

 しかしここで一つ、注意すべきことがあります。それは、主がソロモンを祝福するのは、神殿を建築している故ではありません。ここには一言も、神殿のことには触れられていないのです。ここにあるのは、モーセに語られたのと同様、ソロモンが主の掟に従って歩み、主の法を実行し、すべての戒めに従って歩むことです。

 

 そもそも、先の祝福が語られたのは、ダビデが神殿の建築を預言者ナタンに相談したのがきっかけでした(サム下7章2節以下)。その折り、「わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んで来たが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか」(同7章7節)と語られました。

 

 神が喜ばれるのは神殿ではなく、主と共に歩むこと、主に従うことなのです。サムエルがサウルに語った、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)という言葉を思い起こします。

 

 この神殿建築は、そのような神の祝福に対する感謝、神をほめ讃える行為であったことを、常に忘れてはなりません。それゆえに、いつも共にいてくださる主を仰ぎ、絶えずその御言葉に耳を傾けることが求められているのです。

 

 主イエスを信じ、聖霊の住まわれる神の宮とされた私たちも、常に主の御顔を慕い求め、御言葉に耳を傾け、御旨に従って歩む者でありたいと思います。

 

 主よ、あなたがソロモンを祝福されたのは、7年半の歳月と18万人の労役によって完成した神殿の壮麗さや、そのために支払われた犠牲の大きさなどではなく、主を喜び、主を喜ばせたいというソロモンの心でした。私たちも、主の祝福に与らせて頂いている者として、主を喜び、絶えずその御言葉に聴き従うものとなれますように。 アーメン

 

 

「ソロモンは十三年の年月をかけて宮殿を築き、その宮殿のすべてを完成させた。」 列王記上7章1節

 

 神殿建築に続いて(5,6章)、7章はソロモンの宮殿建築について、記述しています。それは、両方を比較してみなさいというような記し方です。神殿建築には7年かかりましたが(6章37,38節)、冒頭の言葉(1節)によれば、ソロモンは、宮殿建築のためには13年もの歳月をかけました。

 

 神殿のサイズは奥行き27メートル、間口9メートル、高さ13.5メートルでした(6章2節参照)。宮殿のサイズは、「レバノンの森の家」と呼ぶ倉庫が、奥行き百アンマ(45メートル)、間口五十アンマ(22.5メートル)、高さ三十アンマ(13.5メートル)と記されています(2節)。

 

 これは武器庫ですが、レバノン杉を用いて立てられた豪華な建物なので、「レバノンの森の家」と呼ばれています(2,3節)。この倉庫だけで、神殿の4倍の広さになっています。

 

 また、柱廊は奥行き五十アンマ(22.5メートル)、間口三十アンマ(13.5メートル)という大きさです(6節)。これも、神殿より大きなものです。そして、「裁きを行う所」即ち王の執務室として造らせた「王座の広間」、「裁きの広間」(7節)があり、それから、ソロモンが住居とした建物と、妻に迎えたファラオの娘のための建物があります(8節)。

 

 広間と住居は、床全面にレバノン杉が張り詰められているということ以外、聖書の記述では判然としません。ただ、新聖書辞典(いのちのことば社、1985年刊)によれば、神殿の南側、神殿に接するように王の住居とファラオの娘のための建物が並び、王の住居の南に執務室、その南に王に謁見するための待合室として用いられた「柱廊」、そして、宮殿の最南端に倉庫があったものと想定されています。

 

 建築にかかった年月や、その大きさを単純に比較しても、何の意味もないかも知れませんが、しかしそこに、主のことよりも自分のことに執着している人間の姿を見ることが出来るのではないでしょうか。確かに神殿が先に建てられました。7年もの歳月をかけ、十全の備えをもって建てました。けれども、自分自身のためにはさらに多くのものを用い、贅を尽くしているという事実があります。

 

 また、上に想定した建物の配置からすると、最大の建物として建造されたソロモンの住居を中心に、南に執務室や倉庫など、そして、北に神殿があるという光景です。ソロモンの知恵を聞くためにやって来た人々は、神殿よりも少し大きな待合室で待たされて、王の執務室に入ります。その向こうに、王の住まいを見ます。しかし、神殿は王宮の陰に隠れて、見ることが出来ません。

 

 神殿が宮殿の引き立て役というのは言葉が過ぎると思いますが、しかし、まるでソロモンの宮殿付属のチャペル、あるいは、王家の守護神殿といった形になっているわけです。王は、時に主の祭司として振る舞うことがありますが、しかし、ソロモンの建てた神殿と王宮を見ると、さながら、主がソロモンのために仕えているかのような印象を与えたのではないでしょうか。

 

 王は馬を増やしてはならないという規定(申命記17章16節)のほかに、銀や金を大量に蓄えてはならないという規定もありますが(同17節)、「レバノンの森の家」には、延べ金の盾や金の器などが大量に蓄えられました。金の量のあまりの豊富さに、銀の値打ちがなくなったほどです(列王記上10章17,21節)。

 

 こうした記述に、ソロモンに対する列王記の記者の批判があるようです。繰り返し、主の掟に従うように、その戒めを守るようにと語られているのに、そこから離れて行ってしまいます。彼が求めた、「民を正しく裁き、善と悪を判断することが出来るように、神の御声を聞き分ける心」(3章9節)はどうなってしまったのでしょうか。

 

 誰にも勝る知恵をもち、そのうえ、あらゆるものを豊かに保有するようになったソロモン王に対し、その振る舞いを諌めることが出来る者は、イスラエルにはいなかったのでしょう。あるいは、いても聞く耳を持たなかったのでしょう。人に聞かせる知恵知識は持っていても、自らの道を正すためにそれを用いることが出来なくなってしまったのです。

 

 祝福を受け、成功しているときこそ、心を引き締め、神の前に謙って、御声を聴かなければなりません。祝福を悪魔に奪われないように、また、祝福を呪いに替えてしまわないように、主の御前に謙り、御言葉に耳を傾け、御言葉に従う恵みに与りましょう。

 

 主よ、あなたは私のすべてを知っておられます。私の心を探って下さい。主の恵みを私し、栄光を盗もうとする愚かな罪に陥ることがないように、私の内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。主の御前に謙り、御言葉の祝福に豊かに与ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「箱の中には石の板二枚のほか何もなかった。この石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれたとき、ホレブでモーセがそこに納めたものである。」 列王記上8章9節

 

 ソロモンは、7年かけて完成した神殿に祭具を運び入れ(7章13節以下、51節)、そして、「ダビデの町」シオンから主の契約の箱を担ぎ上りました(1,4節)。

 

 「シオン」は要害という意味で、難攻不落と言われたエブス人の町でしたが、ダビデがギホンの泉に下る水汲みのトンネルから町に侵入して、これを攻略しました。そして、それを「ダビデの町」としました(サムエル記下5章6節以下、9節)。

 

 ソロモンがこのダビデの町の北側丘陵に神殿を建ててから、この神殿のある丘陵がシオンと呼ばれるようになりました。詩編48編2,3節に「わたしたちの神の都にある聖なる山は、高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都」と詠われています。「北の果て」とは、シオンの北陵に神殿が建てられたことを指しています。

 

 その後、エルサレム全体をさして、シオンと呼ぶようになります(イザヤ3章16節、4章3節など)。新約聖書では、神の都の完成という意味を込めて、天の都エルサレムを指して用いられています(ヘブライ書11章22節、黙示録14章1節)。

 

  ソロモンが契約の箱を担ぎ上ったのは、「第七の月の祭り」(2節)、つまりそれは、「仮庵の祭り」のときでした(レビ記23章34節以下)。神殿が完成したのは「第八の月」(6章38節)だったので、一年近く待ってということになります。ただ、7章の宮殿建築が間に挟まっているので、それを入れると、14年後になってしまいそうです。

 

 ソロモンは、契約の箱を担ぎ上るのに、この「仮庵の祭り」という舞台を選んだわけです。それは、主なる神との契約を、改めて確認するためと言ってよいでしょう(申命記31章9節以下参照)。

 

 だからこそ、そこに「イスラエルの長老、すべての部族長、イスラエル人所家系の首長」(1節)たちを招集したわけです。そして、契約の箱が神殿の至聖所に安置されたとき(6節以下)、雲が神殿に満ち(10節)、主の栄光が表されました(11節)。主が、この契約の確認を喜ばれたわけです。

 

 ところで、冒頭の言葉(9節)に、主の契約の箱の中に石の板2枚が入っていて、そのほかには何もないと記されています。ヘブライ書9章4節には、石の板の他に天から降って民の食料となったマナ(マンナとも言われる)を入れた壺と、アーモンドの花を咲かせ、実をつけたアロンの杖も入れてあったとされます。この違いは何なのでしょうか。

 

 出エジプト16章34節、民数記17章25節を読むと、それらはもともと、中に入れなかったのかも知れません。しかし、代々にわたって蓄えよと命じられているものでした。いつ、どのようにして失われたのか、なぜ、残されていないのか、本当のところは全く分かりません。

 

 しかし、ここにメッセージがあるようにも思われます。マナも杖も、荒れ野を旅するときに与えられたものでした。イスラエルの民は既に約束の地カナンに入り、長い年月がかかりましたが、ようやく今ここに国土の安定と平和を確立し、神のために神殿を建てることが出来ました。もはや、マナも杖も必要でなくなったわけです。

 

 この約束の地と神の宮が、イスラエルにとっての新しいマナであり、新しい杖であるということではないでしょうか。必要のすべてが神によって与えられているのであり、イスラエルの民は神によって養われているということです。

 

 そして、そのことを忘れないための契約の箱なのです。箱は内陣(至聖所)に安置されていますので、大祭司以外には見ることが出来ませんが、箱を担ぐ棒は、その先端を内陣の前の聖所から見ることが出来たとあります(8節)。つまり、祭司たちが日々の務めを行う際、その存在を確認出来たわけです。

 

 そして、「今日もなおそこに置かれている」(8節)というのは、安置されたその日ではなく、列王記が書き記された日、または、編集された日のことです。その日を確定することは出来ませんが、列王記にはバビロン捕囚までが記されており(列王記下25章)、その意味で、神殿が破壊され、町が焼かれても、契約の箱はそこに置かれていると言明しているわけです。

 

 そして、その中には契約書としての石の板のみがあったということで、神の民として生きるための法、教えが生きているということになります。勿論、契約の箱は現存しておらず、捕囚の時にバビロンに持ち運ばれたか破壊されたと考えられています。

 

 にも拘らず、「そこに置かれている」と記していることは、神とイスラエルの民との契約、その法と教えは、契約の箱が失われても、それで消滅してしまったわけではない、今日もなお、機能し続けていると宣言していることになりはしないでしょうか。

 

 伝承によれば、エルサレム陥落の際、エレミヤは契約の箱をネボ山の洞穴に隠し、主がイスラエルの栄光を回復する時まで、誰もそれを見ることが出来ないと言われています(第二マカベア書2章4節以下)。これも、主との契約が失われないようにという表現ということが出来ます。

 

 主なる神と契約を結んでいるというのが最重要なことです。壺も杖も、それを納めていた箱も、神殿も、形あるものはやがて崩れます。なくなります。けれども、主との関係は失われません。誰も奪うことは出来ないのです。

 

 主に選ばれ、心の王座にキリストをお迎えした私たちは、決して孤児とはされません(ヨハネ14章6節、ヘブライ書13章5節)。主イエスはインマヌエル(「神が私たちと共におられます」という意味)と称えられるお方です(マタイ1章23節)。常に共にいて、私たちを守り導いてくださいます。

 

 バビロン捕囚というような憂き目を見ても、すべてを益に変えてくださいます(ローマ書8章28節)。ハレルヤと主を賛美しましょう。

 

 主よ、御子キリストを信じる信仰により、主が私たちと共に、私たちの心の内にいてくださることを感謝致します。このインマヌエルの喜びと平安を、私たちのエルサレムから、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てにまで証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしはあなたがわたしに憐れみを乞い、祈り求めるのを聞いた。わたしはあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこにわたしの名を置く。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」 列王記上9章3節

 

 新築なった神殿において、ソロモンが主に向かい、祈りと賛美をささげたところ(8章12節以下)、主なる神が顕現されました(2節)。そして、冒頭の言葉(3節)の通り、ソロモンの祈り願いを聞かれ、①ソロモンの建てた神殿を聖別し、②そこに主の名を置かれること、そして、③絶えずこれに目を向け、④心を寄せてくださると言われるのです。

 

 聖別するというのは、神殿をご自分のものとされたということです。主の名が置かれるというのは、名はその実体を示すものですから、主がそこにいてくださるということです。そして、主が神殿でささげられる礼拝に目を留め、祈りに常に耳を傾けてくださるのです(8章28,29節)。

 

 ただしこれは、無条件の祝福ではありません。ソロモンの前に主の祝福と呪いが置かれます(申命記11章26節参照)。ソロモンが祝福を受ける条件は、「もし、あなた(ソロモン)が、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたし(主)の前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら」(4節)ということです。

 

 このような言葉が、何度もソロモンに対して語られて来ました(2章3,4節、3章14節)。誰よりも豊かで深い知恵を持っているソロモンに対して、同じ言葉が繰り返し語られるのは、勿論、主の道に歩み、その掟と法を守ることが何よりも大切なことだからです。しかし、それだけでなく、ソロモンの忠誠心がダビデのそれとは違うということを示しているのではないでしょうか。

 

 そう考えれば、これは祝福の条件というよりも、警告と言わなければならないかも知れません。そしてまた、この言葉を目にしている私たちも、主の御声を聴き、御言葉に従って道を歩むよう、繰り返し祝福へ招かれているのです。その招きに応じないとき、自ら主の祝福を呪いに変えているということになるのです。

 

 だから、祝福の条件に続いて、主に背いたときの呪いの言葉が語られます。7節に「わたし(主)は与えた土地からイスラエルを断ち、わたしのために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る。こうしてイスラエルは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる」と言われています。

 

 「わたしの前から」は「わたしの顔の前から」という言葉で、 新欽定訳は「I will cast out of My sight(わたしの視野から放り出す)」と訳しており、3節の「絶えずこれに目を向け」に対応する言葉になっています。つまり、イスラエルが守られ、祝福を受けられるのは主が目を向けてくださるからで、目を背けられれば、贅を尽くして建てられた神殿も廃墟となるのです。

 

 このことは、私たちが御言葉に背く歩みをしているとき、その歩みによって主の御名は汚され、主の教会自ら物笑いと嘲りの的にすることになると教えています。御言葉に聴く私たちの姿勢が問われています。

 

 主なる神の顕現の出来事の後、ソロモンがティルスの王ヒラムに、ガリラヤ地方の20の町を贈るという記事が出て来ます(11節)。ヒラムは、ソロモンから与えられた町が気に入らなかったようですが(12節以下)、関係が悪くなることはなかったようです。というのも、その後一緒に船団を組み、貿易を行っています(26節以下)。

 

 また、エジプトのファラオが攻め上って来てゲゼルを占領し、ソロモンの后となった自分の娘にそれを贈り物として与えたと記されています(16節)。ゲゼルは、エルサレムの西北西30km、ペリシテとイスラエルの国境近くの町ですから、エジプトが既にペリシテを支配下におさめていたということになります。そして、イスラエル国内の異邦人を根絶やしにする協力をしたわけです。

 

 その後、ソロモンは国境線の防備を固めるため、補給基地に戦車隊、騎兵隊を配備する町を築きました。神殿や宮殿の建築に続く労役で、イスラエル国民の負担はかなり重いものになっていたと思われます。これが、ソロモンの死後、国が割れる一つの要因となったことでしょう。

 

 こうして、イスラエルの力は増大していったと思われますが、逆に、主に信頼し、その導きを求める心は姿を見せなくなりました。民を正しく裁き、善悪を判断することが出来るようと求めた、聞き分ける心(3章9節)、主の知恵は、どこに行ってしまったのでしょうか。もう一度、6節以下の主の警告の言葉に耳を傾ける必要がありそうです。

 

 パウロも「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう」(ローマ11章22節)と教えています。

 

 今日、主なる神がその名を置き、絶えず目を留め、心を寄せてくださる神の宮は、私たちの内にあります。霊なる神が私たちの内に住み、私たちの体を神殿とされているのです(第一コリント6章19節)。そして、私たちの内に与えられている聖霊を通して、主の慈愛が注がれています(ローマ5章5節)。

 

 さらに、弱い私たちのために、御霊自ら呻いて執り成していてくださいます(同8章26節)。それによって、万事が益となるようにしてくださるのです(同8章28節)。

 

 神を畏れ、その御言葉にとどまりましょう。主に従いましょう。私たちの体を通して神の栄光があらわされるように祈ります。

 

 主よ、聖霊が私たちの体を宮として内に住まわれ、あなたが絶えず目を向け、心に留めてくださることを、心から感謝します。主イエスの恵みと導きが常に豊かにありますように。主の慈しみのもとにとどまり、日々御言葉に耳を傾け、導きに従うことが出来ますように。あなたのご栄光のために私たちを用いてくだ下さい。 アーメン

 

 

「シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、また、食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官、それに王が主の神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、息も止まるような思いであった。」 列王記上10章4~5節

 

 ソロモンは、神から与えられた知恵と豊かな富により、20年という歳月をかけて、壮麗な神殿と王宮を建てました。ソロモンの治世は40年でしたが(列王記上11章42節)、その治世の半分を神殿(7年)と宮殿(13年)の建設に費やしたわけです。

 

 20年もの間、建築以外には何もしなかったということではないはずですが、それだけの手間と費用をかけて建設された神殿、宮殿というのは、本当に大したものだったことでしょう。また、それだけの時間をかけていられるだけ、国内外が安定していたということでしょう。ただ、その間、徴用されていた人々の生活はどうだったのでしょうか。

 

 シェバの女王がソロモンの名声を聞いて、交易を行うためにやってきました(1節)。「シェバ」の位置は、アラビアのどこかであろうと推測されています。コーランによれば、シェバはアラビア半島の南西端サベア地方、今日のイエメンにあたり、昔は交易によって富み栄えていたようです。

 

 女王は、大勢の随員を伴い、香料や多くの金、宝石などを携えて来ましたが(2節)、しかし、直ぐに交易を行おうというのではなく、難問をもってソロモンを試そうとしたということで(1節)、イスラエルが交易する相手として相応しいかどうか、しっかり見極めようとしたのでしょう。

 

 ところが、どのような質問を浴びせても、ソロモンは回答に窮することはありませんでした(3節)。それには、女王も舌を巻いたことでしょう。また、女王は冒頭の言葉(4,5節)の通り、美しい建築物やそこで営まれる礼拝、自分たちのために設けられた宴席に目を見張ります。「息も止まるような思いであった」(5節)と記されていますから、女王の驚き方、感激ぶりの一端を伺うことが出来ます。

 

 女王はソロモンに金120キカルと、非常に多くの香料、宝石を贈りました(10節)。1キカルは約34.2Kgですから、120キカルは4トンを超える量です。そんなに大量の金を、どのようにして持参したのでしょうか。現在、金の価格は、グラム5000円を超えています。4トン超は今日、200億を超える金額ということになります。

 

 また、香料について、これほど多量の香料は二度と入って来なかったと言われるほど(10節)、簡単に計量出来ない量でした。当時、香料は、金と同様、大変貴重で高価なものとされていました。であれば、その金額も、200億円を超えるほどのものだったかも知れません。

 

 それに対してソロモンは、返礼の贈り物をしたうえ、願うものは何でも望むままに与えたと、13節に記されています。つまり、ソロモンはシェバの女王の予想以上の人物だったので、通商条約が無事締結調印され、イスラエルとシェバとの交易が始まったわけです。

 

 女王は「あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです」(9節)と賛辞を述べています。

 

 ここで、シェバの女王がソロモンではなく、主なる神を称える賛辞を述べているところがミソです。そして、それは正しいことです。ソロモンを王とされ、知恵や冨などを与えたのは主だからです。間違ってはいけません。神の祝福を盗むことは出来ません。神の主権を侵すことは許されないのです。

 

 聖書第一巻の創世記で、アダムとエバは、エデンの園において、ただ一つのことを除いて、何でも自由にすることが出来ました。園の中央にある善悪の知識の木から取って食べることだけは、禁止されました。禁を犯すことは、神の主権に関わることです。それを侵したアダムは、園を追放されてしまいました。自ら祝福を呪いと取り替えてしまったのです。

 

 シェバの女王は外国人ですが、ソロモンの知恵、富、名声、祝福が神からのものであることを、正しく見ることが出来ました。だから、「あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように」と、主を賛美したのです。ソロモンの向こうに、あるいはソロモンの内に、主なる神を見ていたわけです。

 

 ソロモンに与えられた知恵は、主に聞き従い、公正と正義を行うために用いられなければならないのであって、交易を行って大量の金や香料を獲得するためのものではないのです。その意味で、シェバの女王の、主に対する賛辞は、ソロモンに対する警告でもあります。

 

 シェバの女王のように主に目を開き、絶えず主を仰いで賛美をささげましょう。御霊に満たされ、真理に従って歩みましょう。

 

 主よ、霊によるあらゆる知恵と理解によって御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、ますます深く主を知ることが出来ますように。そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことにも根気よく耐え忍ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「彼の息子には一部族を与え、わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともしびがわたしの前に絶えず燃え続けるようにする。」 列王記上11章36節

 

 これまで、「ソロモンは主を愛し」(3章3節)、「心を主に向け」(8章58節)、「主と心を一つにし」(8章61節、口語訳:「心は全く真実であり」)と語られていました。ところが、ここに来て「多くの外国の女を愛し」(1節)、「心を迷わせ」(2,3節)、(他の)「神々に向かわせ」るようになりました(2,4節以下)。

 

 ソロモンの違反の始まりは、エジプトの王ファラオの婿になったことで(3章1節)、ほかにも「モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など、主に禁じられている異邦の女性と結婚しています(1,2節、出エジプト記34章11節以下、申命記7章3,4節)。

 

 ソロモンが禁を犯して、それら異邦の女性を后として迎えたのは、后の母国との間に平和条約、通商条約を結び、国の安定、平和と繁栄を図るためでしょう。迎えた后の数は7百、側室3百、合わせて一千人です(3節)。完全数「10」の3乗という大多数を意味するもので、必ずしも実数ではないかも知れません。

 

 けれどもそれは、后の一人と3分ずつ話すだけで50時間を要し、一日に一人を相手にすれば、一巡するのに3年かかるという状況です。およそ幸福な夫婦関係、家庭を築くことは出来なかったでしょう。后たちへの気遣いだけで、いかに知恵のあるソロモンとはいえ、疲れ果ててしまいそうです。

 

 その上、自分自身の信仰生活がおかしくなって来ているソロモンは、彼女たちに主なる神への信仰の指導をすることが出来ません。かえって、彼女たちが信じる神々に仕えるように教育されていきます。

 

 申命記17章14節以下に「王に関する規定」があり、そこに「王は大勢の妻をめとって心を迷わしてはならない」(同17節)という規則があります。ソロモンのことを知って作られた規定ではないかと思ってしまいます。

 

 これが、かつて民を正しく裁き、善と悪を判断するために、聞き分ける心を求めて主を喜ばせた、あのソロモンなのでしょうか(3章5節以下、9,10節)。「こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった」(4節)と言われる始末だからです。

 

 既に、主なる神は二度も彼の前に姿を現して、ソロモンを祝福しつつ警告を与えておられました(9,10節、3章10節以下14節、9章2節以下4節)。けれども、ソロモンは父ダビデのように歩まなかったので、主はついに怒りを発し、ソロモンから王国を裂いて取り上げ、家臣に渡すと宣告されました(11節以下)。

 

 これが父ダビデならば、直ちにその罪を認めて謙り、悔い改めて主の御言葉に聴き従うところでしょう。それが分からないソロモンではないと思いますが、しかし老境に至った彼は、自分の行動を変えることが出来なかったようです。

 

 そこで、イスラエルに隷属していたエドム人ハダドが南から(14節以下)、ツォバ人エルヤダの子レゾンが北から(23節以下)、イスラエルを脅かし始めます。平和を謳歌していたイスラエルに、再び戦乱の陰が忍び寄って来ました。

 

 また、エフライムに属するネバトの子ヤロブアムが、ソロモンに反旗を翻します(26節)。ヤロブアムは有能な人物で、ソロモンに認められて、ミロを築き、ダビデの町の破れをふさぐための労役全体の監督に任命されました(28節)。

 

 ミロとは、ダビデの町とその北側の神殿の丘をつなぐ部分に築かれた、都の防御施設のことで、ダビデの時代に既にあったようです(サムエル記下5章9節)。それをソロモンが築いたと言われるのは(27節、9章24節も)、ダビデの町と神殿の丘の間の小さな谷間に盛り土をしてつなぎ、敵の侵入を許さないよう防御を強化したことを指すのでしょう。

 

 そのとき、預言者アヒヤが着ていた新しい外套を十二切れに引き裂いて’29,30節)、ヤロブアムに十切れを取らせ、「わたしはソロモンお手から王国を裂いて取り上げ、十の部族をあなたに与える」(31節)という主の言葉を伝えたのです。

 

 それが、ソロモンが異教の神々を拝んで、主の掟と法を守らなかった背きの罪の結果です(33節以下)。かくして、国の内外に敵対する者が立ち、ダビデが王として国を治め、近隣諸国との間に平和を確立する以前の状態に逆戻りしてしまいました。

 

 けれども、主は全部を奪われはしませんでした。一部族(ユダ族)は引き続きソロモンのものとされます(32節)。またソロモンは、生涯にわたって君主として全イスラエルの上に君臨することを許されました(34節)。

 

 それを、あらためて冒頭の言葉(36節)の通り、ソロモンの子にイスラエルの一部族を与え、首都エルサレムを与えると告げておられます。それは、ソロモンの父ダビデのゆえであり、そしてまた、主が全部族の中から選んでその名を置かれた都エルサレムのゆえだと言われています。

 

 私たちは不真実な者ですが、主なる神はどこまでも真実で、ご自分の語られたことを忠実に守り行われます(ローマ書3章4節)。また、憐れみ深いお方です(ヘブライ2章17節)。ダビデのゆえに残された一部族から、救い主が生まれます。エッサイの切り株から新しい芽が出るのです(イザヤ11章1節)。

 

 真実なお方であり、憐れみ深いお方であられる神の独り子が、私たちを愛し、救うために贈られました。キリストの誕生を喜び祝うのがクリスマスであり、私たちの罪の贖いのため、十字架に死んで三日目に甦られ、救いの御業を成し遂げられたのを喜び祝うのがイースターです。

 

 主の恵みによって救われた者として、主を愛し、御言葉に聴き従いましょう。主に忠実に仕えることを通して、幾千代にも及ぶ慈しみに与り、信仰による祝福のバトンを子々孫々に受け渡しましょう。

 

 主よ、深い憐れみによって御救いに与り、すべての罪が赦され、永遠の命が授けられ、神の子とされたことを、心から感謝致します。喜びをもって主の御愛に応え、右にも左にも曲がらず、忠実に御言葉に聴き従うことが出来ますように。その恵み、その喜びを、子に孫に、また周囲の人々に、しっかりと伝えることが出来ますように。 アーメン

 

 

「この民がいけにえを捧げるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。」 列王記上12章27節

 

 ソロモンの死後、その子レハブアムが王位を継ぎました(11章43節)。ソロモンはダビデの町に葬られましたが、その墓所は、未だに発見されてはいません。それは、父ダビデも同様です。「レハブアム」は「民が増し加わるように」という意味の名です。

 

 すべてのイスラエル人がレハブアムを王とするために、シケムに集まって来ることになりました(1節)。即ち、ユダ族にとって、ソロモンの子が王となるのは必然でしょうけれども、他部族にとってはそうではなかったということです。それは、ソロモンの威光が既に失われ、地に落ちているしるしということでしょう。

 

 そこに、ソロモンを避けてエジプトに逃亡していたネバトの子ヤロブアムもやって来ました(2,3節)。ヤロブアムは、ヨセフ族の労役の監督でした(11章28節)。そして、レハブアムに対して、ソロモンがイスラエルの民に課した労役、重い軛を軽くしてくれるように願いました(4節)。

 

 イスラエルの民の労役、重い軛とは、20年に亘る神殿と王宮の建築にユダ族を除く11部族が駆り出されたのですが(4,5章)、その後も、補給基地や戦車隊、騎兵隊の町を築くなど(9章17節)、様々な労役が課されていたことでしょう。

 

 それがとても重い負担になっているので、ユダを除く人々はずっと不満に思っていたのです。つまり、ソロモンによって分裂の種が蒔かれ続けていたわけです(16節以下参照)。

 

 ヤロブアムの願いを聞いたレハブアムは、まず長老たちに意見を求めます(6節)。長老たちはその願いを聞くようにと進言しました(7節)。しかし、レハブアムはその勧めをよしとせず、若者たちと相談し(8節)、更に重い軛を負わせ、父が鞭で懲らしめたのなら、自分はサソリで懲らしめると返答して、イスラエルの民を代表するヤロブアムの願いを退けてしまいました(10,11,14節)。

 

 こうして、イスラエル10部族の代表者ヤロブアムへの対応を誤ったため、国が南北に裂かれてしまいました(16節以下)。それは、主がソロモンに対して何度も警告していたのにも拘わらず、その命に背き、ほかの神々に従う罪を重ねたためでした(11章11節以下、31節以下)。

 

 だから、ユダ族と他の部族を切り離してしまうために、主なる神がレハブアムを頑なにして、長老のよい提言を捨てさせ、若者たちの声に耳を傾けさせたわけです(15節)。父の罪が子に報い、しかも、その父子が王という立場であれば、国に災禍を及ぼすという点で、その責任の重さを思わざるを得ません。

 

 預言者アヒヤが語ったとおり(11章31節以下)、エフライムに属するネバトの子ヤロブアムが、北イスラエルの王として迎えられます(20節)。彼は、エフライム山地のシケム、ペヌエルを築き直してそこに住みました(25節)。

 

 シケムは、アブラハムがカナンにやって来て最初に祭壇を築き、主を礼拝したところであり(創世記12章6,7節)、また、パダン・アラムから戻ったヤコブが土地を購入して祭壇を築いた町です(同33章18,19節)。また、ペヌエルは「神の顔」という意味ですが、ヤコブが神の人と一晩中格闘して祝福を受けた、ギレアドの地にある町です(同32章23節以下、31節)。

 

 そのようにシケムに都を定め、ヨルダン川東部の守りを固めたヤロブアムは、しかし、冒頭の言葉(27節)のとおり、北イスラエルの民がエルサレム神殿にいけにえをささげに行けば、やがて民心はダビデの家のもとに帰り、自分は殺されてしまうのではないかという恐れを抱くようになります。

 

 そこで、2体の金の子牛を造り、一体をベテル(北イスラエルの南限)、もう一体をダン(北限)に置きました(28,29節)。これは、イスラエル全体に、子牛像を神として拝ませるというヤロブアムの明確なメッセージです。

 

 また、かつてモーセがシナイ山で十戒を神から受けている間に、イスラエルの民が自分たちの神を造れと祭司アロンに迫り、金の子牛を造らせたという出来事を思い出させます(出エジプト記32章参照)。

 

 ヤロブアムは、ダビデの家からイスラエルの王座を奪うために,主が立てた王です。それは、ソロモンが主に背いたからでした。そして、預言者アヒヤから、主の戒めに従い、その道を歩み、主の目にかなう正しいことを行うなら、主が共におられ、ヤロブアムのために堅固な家を建て、イスラエルが彼のものとなるという約束の言葉を聞いていました(11章37,38節)。

 

 それなのに、民心が離れることを恐れ、代わりとなる偶像を造ってそれを民に拝ませるというのは、どんなに人が主の恵みを忘れ易いものであるか、また、自分の思いに引きずられ易いものであるかというしるしです。あたかも、いつの間にか王位を自分で獲得したかのように思い込み、その地位を失いたくないと考えているわけです。

 

 ソロモンがそうであったように、また、イスラエルの最初の王サウルがそうであったように、ヤロブアムは、主なる神に忠実に聴き従うことができませんでした。そして、このヤロブアムの罪を犯し続ける北イスラエルは、やがて滅びてしまうのです。

 

 神の恵みを盗んで自分の力、自分の持ち物であるかのように錯覚する罪に陥らないよう、絶えず主の御声に耳を傾け、謙って主の御前に、主と共に歩ませていただきましょう。主を否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問われますが、主を愛し、主の戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ主の慈しみをお与えくださいます(出エジプト20章5,6節)。主を畏れ、御言葉に聴き従うことこそ、豊かな祝福に与る道なのです。

 

 主よ、ソロモンの死後、北イスラエル10部族の頂点に立ったヤロブアムは、御言葉に忠実に従うことが出来ず、反面教師とすべきソロモンと同じ道を歩み、選びの恵みを無意味なものとしてしまいます。私たちに、主を畏れることを学ばせてください。謙って主の御声に耳を傾け、喜びと感謝をもってそれを実行することが出来ますように。 アーメン

 

 

「あなたは主の命令に逆らい、あなたの神、主が授けた戒めを守らず、引き返して来て、パンを食べるな、水を飲むなと命じられていたところでパンを食べ、水を飲んだので、あなたのなきがらは先祖の墓には入れられない。」 列王記上13章21~22節

 

 主の御言葉に従わない北イスラエルの王ヤロブアムに対して、ユダから神の人が遣わされました(1節)。神の人は、ベテルの祭壇に向かって、「見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤという。彼は、お前の上で香をたく聖なる高台の祭司たちを、お前の上でいけにえとしてささげ、人の骨をお前の上で焼く」(2節)と預言しました。

 

 「ヨシヤ」とは、300年後に南ユダで律法の書に基づく宗教改革を行った王ヨシヤのことです(列王記下22,23章)。そのとき、北イスラエル王国はアッシリアによって既に滅ぼされていました(同17章)。ヨシヤは、神の人が告げたとおり、ベテルの祭壇を壊しました(同23章15節以下)。

 

 神の人は、更に一つのしるしを与えて「祭壇は裂け、その上の脂肪の灰は散る」(3節)と告げました。それを聞いて、神の人を捕らえよと命じたヤロブアムの手は萎えてしまい(4節)、そして、神の人が語ったとおりに、祭壇は裂け、脂肪の灰が散りました(5節)。かくて、この人が確かに神の人、主から遣わされた預言者であることが証明されたのです。

 

 王は「どうか、あなたの神、主をなだめ、手が元に戻るようにわたしのために祈ってください」(6節)と神の人に執り成しを頼みました。そこで、神の人が執り成し祈ると、王の手は元通りになりました(6節)。

 

 ヤロブアムの身の上に起こったことは、北イスラエルの上にも起こります。彼らが主なる神への反抗を続ければ、国は立ち行かなくなってしまいます。しかし、悔い改めて主に立ち帰るならば、主は国の繁栄を回復させてくださるのです。

 

 手を元通りにしてもらったヤロブアムは、神の人に礼をしたいと王宮に招きますが(7節)、神の人はそれを断りました。ベテルで飲み食いするなと、別の道を通って帰れと主に戒められていたからです(9節)。そうして、神の人はほかの道を通って家路につきます(10節)。

 

 ところが、ベテルに住んでいた老預言者が息子の一人からその話を聞き(11節)、ユダに戻ろうとしている神の人をロバで追いかけ(13節)、休んでいるのを見つけて声をかけ、食事を勧めました(15節)。神の人は王の招きを断ったのと同じ言葉で老預言者の招きを断ります(16,17節)。

 

 するとこの老預言者は、主が連れ戻して飲み食いさせよと告げられたのだと、神の人を欺きました(18節)。そうして、神の人が老預言者の家で飲み食いしているとき、老預言者に主の言葉が臨み(20節)、冒頭の言葉(21,22節)のとおり、「あなたは主の命令に逆らい、あなたの神、主が授けた命令を守っていない」と神の人に告げました。

 

 神の人にとって、ベテルの老預言者は同業者で、しかも目上の人です。そのような人から、主が告げたのだと言われたら、誰でも信用してしまうのではないでしょうか。しかるに主は、わたしの命令に逆らい、授けた戒めを守らなかったと、断罪されました。ここに、神の人が心しておかなければならない主の厳しさがあります。

 

 そして、彼は帰宅途中、獅子に殺されてしまいました(24節)。それを聞いた老預言者は、道に打ち捨てられていた神の人の亡骸を自宅に持ち帰って弔い、自分の墓に葬りました(29節)。老預言者に臨んだ主の御言葉通り、神の人は先祖の墓に葬られなかったわけです。このことを通して、神の人が告げた御言葉は必ず実現するということが証しされます。

 

 神の人が主の戒めに背いて打たれたからといって、彼が語った言葉が反故になるわけではありません。老預言者が「あの人が、主の言葉に従ってベテルにある祭壇とサマリアの町々にあるすべての聖なる高台の神殿に向かって呼びかけた言葉は、必ず成就する」(32節)と語っているとおりです。

 

 預言者が遣わされて、神の呪い、罪の裁きを告げるのは、主がその町を滅ぼしてしまいたいとお考えになっているからではありません。悔い改めて主に立ち帰ることを望んでおられるからです。悔い改めて主に立ち帰るならば、主なる神は下すと誓われた災いを思い返し、憐れみと恵みを注いでくださいます。

 

 ヨナ書に記されている、ニネベの町に対する主の振る舞いを見れば、それは明らかです(ヨナ書参照)。けれども、預言が語られているにも拘わらず、悔い改めを拒むならば、その災いを刈り取らなければならなくなります。

 

 神の人の預言とヤロブアムの身に起こった出来事、神の人自身の命令違反に対する主の裁きからヤロブアムが学び、悔い改めることを、主なる神は期待されたのです。しかしながら、残念なことに、ヤロブアムは悪の道を離れて立ち帰ることが出来ず、滅びに至る道を突き進んで行きます(33,34節)。

 

 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ1章45節)。この言葉は、マリアだけでなく、私たちも常に聞かなければならない大切なメッセージです。絶えず主の御言葉に戻り、そこから、主の開いてくださる恵みに与り、主の示される道を進ませて頂きましょう。

 

 主よ、主が語られたことは必ず実現すると信じる幸いを、常に私たちに授けてください。その道をまっすぐに歩んで、右にも左にも曲がることがありませんように。御言葉に耳を傾け、主が語ってくださる御言葉が、日々私たちの身の上に、その生活の中で実現しますように。 アーメン

 

 

「ユダではソロモンの子レハブアムが王位についた。レハブアムは四十一歳で王となり、十七年間エルサレムで王位にあった。エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。レハブアムの母は名をナアマといい、アンモン人であった。」 列王記上14章21節

 

 14章には、前半に北イスラエル王国のヤロブアムの子アビヤが病死することが記されています。ヤロブアムは、その子アビヤが病気になったとき(1節)、預言者アヒヤのことを思い出します。アヒヤは、ヤロブアムに王となることを告げた預言者です(2節、11章37節)。

 

 ヤロブアムは、妻を変装させてアヒヤのもとへ行かせます(2節)。それは、ヤロブアムがアヒヤの告げた言葉に背き、主の掟と戒めを守らなかったため(11章38節以下参照)、およそ堂々と会いに行くことが出来なかったのでしょう。

 

 ただし、その変装は無駄でした。アヒヤは、老齢で目が見えなくなっていましたし(4節)、ヤロブアムの妻が変装してやって来ることを、主がアヒヤに予め告げておられました(5節)。

 

 アヒヤは、ヤロブアムが誰にもまさって悪を行い、主を怒らせたことを告げ(9節)、ヤロブアムの家に災いをもたらすと宣言します(10節)。10節の「縛られている者も、解き放たれている者も」は、奴隷も自由人も皆ということでしょう。

 

 「男子であれば」は、原文を直訳すると「壁に向かって小便する者」(マシュティーン・ベ・キール)です。ヤロブアムの家の者が、礼儀をわきまえない不道徳な輩だと言おうとしているのでしょうか。岩波訳には「一般的に『男』の意味にとる。あるいは『犬』のことか。即ち、ヤロブアムに属するものは犬でさえ除かれる」という注が記されています。

 

 そのため、ヤロブアムの家は徹底的に裁かれ、病死するその子アビヤ以外に、弔われ、墓に葬られることもないようにされると言われます(13節)。ヤロブアムの妻が家の敷居をまたいだときに、息子アビヤが命を落とすというのは、親にとって実に厳しい宣告です。

 

 しかし、ヤロブアムの家の中で「いくらか良いとされるのはこの子だけ」(13節)と評価され、葬儀・埋葬が行われます(13,18節)。ただし、ここにも「親の因果が子に報い」という、旧約の定めを見ます(出エジプト記20章5節、エレミヤ書31章29節)。良いとされながら、癒されないまま死を迎えなければならないからです。

 

 14章後半は、南ユダ王国のレハブアムについて言及しています。冒頭の言葉(21節)のとおり、彼は41歳で王となり、17年間ユダを治めました。しかしながら、その治世は、主の目に正しいとされるものではありませんでした。

 

 ヤロブアムだけでなくレハブアムも、そしてユダの人々も、「わが僕ダビデがわたしの戒めを守り、心を尽くしてわたしに従って歩み、わたしの目にかなう正しいことだけを行ったのと異なり」(8節)と言われる偶像礼拝の罪で主を怒らせ、神の守りを失って、国内外で戦いが絶えなくなっていきます(25節以下、30節)。

 

 それとはっきり記されてはいませんが、レハブアムの母がアンモン人であることが、冒頭のことばだけでなく、31節にも記されていることから、これは、ソロモンが主の掟に背いて外国の女を娶り、その神々を拝んだ罪の結果であると告げているようです(11章参照)。

 

 レハブアムの治世第5年にエジプトの王シシャクが攻め込み、神殿と王宮の宝物すべてを奪っていきました(25,26節)。シシャクは、ヤロブアムがソロモンを避けてエジプトに逃れたときの王です(11章40節)。

 

 ソロモンはエジプトの王女を妃として迎え、王宮にエジプトの王妃のための住まいを造りました(7章8節、9章16節)。エジプトとの間に和平協定が成立していたと考えられます。けれども、ソロモンの王位を継いだのが、エジプトから迎えた王妃の子ではなく、アンモン人ナアマから生まれたレハブアムであったというのが、エジプト王シシャクを怒らせたのかも知れません。

 

 ところが、ユダの人々は、エルサレムの都にエジプト軍が攻め入り、宝物すべてを奪っていくという大事件が起こったにも拘わらず、その罪を悔い改めようとはしません。主がその御名を置くために選んだ都エルサレムは、異邦の民によってではなく、ユダの王並びにユダの人々によって汚され続けます(15章1節以下)。

 

 レハブアムは、奪われた黄金の宝物に代えて、青銅の盾を作らせました(27節)。それは、形はあるけれども、心は違うということ、主への純粋な信仰を失ってしまったと言い表わしているかのようなものです。

 

 私たちは、結局イスラエルは真の悔い改めに立つことが出来ず、北イスラエル王国は紀元前722年ごろアッシリアにより、南ユダ王国も紀元前587年ごろにバビロンによって滅ぼされてしまうことを、知っています。民は捕囚の憂き目に遭い、主の選ばれた都エルサレムは火で焼かれ、あらゆる宝物は奪われ、神殿も徹底的に破壊されました。

 

 しかし、それで終わりではありません。その後、イスラエルは再建のときを迎えます。再び、エルサレムに繁栄が戻ります。そこに、主の憐れみがあります。

 

 そして、人が汚したエルサレムの神殿を、神の御子、主イエスが清められました(ヨハネ13節以下、マルコ11章15節以下など参照)。ダビデの子孫の罪の呪いをその身にすべて受け、十字架にかかって死なれました。主イエスによってすべてが新しくなるのです(ローマ書6章4節、第二コリント書5章17節)。

 

 絶えず私たちの心の王座に主イエスをお迎えし、心から主を礼拝しましょう。日々御言葉に耳を傾け、その導きに素直に従いましょう。

 

 主よ、私たちは主に背く罪人でした。私たちの罪を赦すために、御子キリストが十字架にかかり、贖いの業を成し遂げてくださったことを信じ、感謝します。主を絶えず私たちの心の王座にお迎えします。私たちを日々新たにし、主の御言葉に耳を傾け、喜びをもって御心のままに歩むことができますように。 アーメン

 

 

「アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。」 列王記上15章11,12節

 

 南ユダ王国にダビデ王朝5代目の王として、アサが即位しました(9節)。アサの父は4代目の王アビヤム(1節)、その父は3代目の王レハブアムです(14章21節)。アサの母はアビシャロムの娘でマアカという名前であると、10節に紹介されていますが、何故かそれは、アサの父アビヤムの母,即ちレハブアムの后と全く同じ名前です(2節)。

 

 並行記事の歴代誌下13章2節では、アビヤ(アビヤムのこと)の母の名はミカヤといい、ギブア出身のウリエルの娘であったと記しています。また、七十人訳は、アビシャロムの娘アナとしています。これは、列王記の記述を修正しているかたちです。

 

 一方、母の名が同じなのは、アサの母が早死にして、祖母マアカが母親代わりを務めたからだと考えて、「母は名を」を「祖母は名を」とすべきとする学者がいます。

 

 また、アビヤムの王位がわずか3年足らずだったため、アビヤムとアサが兄弟と考える学者もいます。ただし、それは8節の「その子アサがアビヤムに代わって王となった」と矛盾することになります。

 

 いずれが正しいのか判断出来かねますが、常識的に考えれば、列王記の記述が誤りでしょう。列王記と歴代誌の系図を比較してみると、他にも違いが見つかったりして、結構面白いかもしれません。

 

 アサは、冒頭の言葉(11,12節)のように、主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼を追放し、偶像をすべて取り除きました。また、母マアカがアシェラ像を造ったので、皇太后の位から退け、アシェラ像は切り倒してキドロンの谷で焼き捨てました(13節)。

 

 曾祖父ソロモン、祖父レハブアム、そして父アビヤムの、主の目に悪とされることを行って主を怒らせるという悪しき習慣に染まず、主の道をまっすぐ歩むのは、決して容易いことではなかったでしょう。誰にでも出来ることではありません。

 

 彼の父アビヤムは祖父レハブアムが神に背いた同じ道をたどりましたし(3節)、母はアシェラ像を造った人です。罪が罪を生む悪の連鎖です。繰り返し学んでいるとおり、不従順の罪が子から孫へ3~4代に呪いを及ぼすと言われています(出エジプト20章5節)。

 

 しかしながら、アサ王はそうした環境にも拘わらず、主の目にかなう正しいことを行うことが出来ました。そこには、預言者アザルヤの適切な指導があったようです(歴代誌下15章1節以下)。アサはアザルヤの預言に力を得て、宗教改革を断行したのです。

 

 アサの曾祖父ソロモンは、人並み外れた知恵を受け、主の幻によって繰り返し警告を聞きながら、その道をはずれてしまいました。知恵がありさえすれば、それで万事がうまく行くわけではありません。あらゆる知恵に通じて、人々を驚かせることが出来ても、主を畏れることを忘れてしまうなら、一切は無益です。主を畏れることこそ、知恵の初めであり、無知な者はそれを侮るからです(箴言1章7節)。

 

 12使徒の代表者ペトロは、主イエスと寝食を共にし、主イエスの様々な奇跡や不思議を目撃し、直接その教えを聞いていながら、土壇場で主を三度も否んでしまいました(マルコ14章66節以下)。それを、主イエスは予め指摘しておられました(同27節以下)。そのときペトロは、主を否むようなことは決してないと断言していました(同31節)。

 

 以前は、その思いに偽りはなかったと思っていました。現在は、少々疑っています。闇に紛れて大祭司の屋敷に入り込み(同54節)、中庭から主イエスを見守っていたところを不意につかれて(同66,67節)、思わず主を否んでしまったようですが(同68節)、しかし、否認も二度、三度となれば、不意打ちでは済まされません。

 

 最後には、「呪いの言葉さえ口にしながら」、「『知らない』と誓い始めた(同71節)」というのです。これまで、「先生」と慕い、メシアだと信じていた人物が無抵抗のまま、罵られ、嘲られ、死刑が確定しようとしているのを見て、それは私が従って来た方ではないと、本気で否んでいたのではないでしょうか。

 

 そのようなペトロが再び使徒として立つことが出来たのは、実に神の憐れみです。特に、主がペトロのために、その信仰がなくならないようにと祈られた、執り成しの祈りのお陰でしょう(ルカ22章32節)。再び立ち上がったペトロは、聖霊の力を受けて、大胆に主を証しする者に変えられました(使徒2章1節以下、4章19,20節)。

 

 同じように、神はダビデの家の消えかかった灯火を消してしまわれたくはないのです。傷ついた葦を折り取ってしまわれたくはないのです(イザヤ書42章3節)。ダビデの故に、その家を建て、王座を永久に堅く据えてくださろうとしているのです(サムエル下7章11節以下)。そこに神の憐れみがあります。導きと助けがあります。

 

 私たちも常に主を信じ、奢ることなく高ぶることなく、謙遜に主に聴き、御言葉に従って歩みたいものです。

 

 主よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられる方はありません。御子キリストの命をもって私たちを贖い、ご自分の民として御国に連なることをお許しくださいました。聖霊の力に与り、主の愛と恵みを証しする者としてください。御名が永久に崇められますように。恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「彼はネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。」 列王記上16章31節

 

 南ユダの王アサの治世が続いているのとは対照的に、北イスラエルでは猫の目のように王が替わります。アサが即位したとき、北イスラエルの王はヤロブアムでした(15章9節)。それから、ヤロブアムの子ナダブ(同25節以下)、バシャ(同33節以下)、バシャの子エラ(8節)、ジムリ(15節以下)、オムリ(23節以下)と、猫の目のように王が替わります。

 

 在位期間が最も短かったのはジムリで、七日間の王位でした(15節)。次いで、ヤロブアムの子ナダブとバシャの子エラが2年ずつです。そのように期間が短いのは、王に対する謀反が相次いで起こるからです。列王記は、そのようになる原因は、彼らが主に背いてヤロブアムの罪を繰り返すからだと語っています(2,3,7,19,26節など)。

 

 主は、ヤロブアムの道を離れ、ダビデのごとく正しい道を歩むよう、警告されるのですが、それに従うどころか、背きの罪が少しずつエスカレートします。オムリは「彼以前のだれよりも悪いことを行った」と言われています(25節)。

 

 そして、その子アハブがイスラエルの王となりますが(29節)、「彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った」と告げられています(30節)。アハブは、冒頭の言葉(31節)のとおり、ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏します。

 

 即ち、首都サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築きます(32節)。また、アシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にも増して、主の怒りを招くことを行いました(33節)。

 

 さながら、罪が雪だるま式に積み重なり、滅びに向かって一気に転落していくといった状況です。今は亡き巡回伝道者・本田弘慈先生が「罪は積み重なるから『つみ』というのだ」とよく仰っていましたが、アハブはまさにそんな罪の様相を示しています。

 

 アハブがイゼベルとの結婚に踏み切り、熱心にバアル、アシェラに仕えるのは、不幸の重なった家がその災いから解放されるために、あらゆる宗教に救いを求めようとするのと同様でしょう。その心情は理解出来なくもありません。

 

 しかしながら、それでは信頼に足る確かな助けを得ることは出来ません。真の神に背き、その御言葉に従わなかったために主の恵みを失い、保護している傘の外に出た結果、その不幸がもたらされているからです。

 

 アハブの治世は22年に及びました(29節)。隣国シドンの援護を求めて王女を娶り、カナンの神々に助けを求めたことが、功を奏したかのように見えます。けれども、その道を突き進んだ結果、イスラエルはアッシリアに滅ぼされてしまいます(列王記下17章)。アッシリアに連れ去られた北イスラエルの民が、解放されて帰国することはありませんでした。

 

 列王記の記者が、王を評価するのは、その政治的な手腕や戦争を勝利に導く勇敢さ、軍略の巧みさなどではありません。王が主の目に正しいと見えることを行ったかどうかという、その一点です。それは、イスラエルの国が滅びたのは、イスラエルの王たちが主に背き、その怒りを買ったゆえだと考えていたからであり、元をたどると、亡国の原因は、ダビデの子ソロモンにあるということを示すためでしょう。

 

 使徒パウロが、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」と、ローマ書5章20~21節に記しています。

 

 主なる神に背き、御言葉に聴き従わないことを、聖書は「罪」と呼びます。罪によって、神との交わりが断たれてしまいました(ローマ書3章23節)。神との交わりが断絶した状態を「死」といいます(同6章23節)。死んだ者は、呼びかけに答えません。誰も、自分の力で死に打ち勝つことは出来ません。

 

 だから神は、独り子キリストをこの世に遣わし、十字架でその罪を贖い(第一ペトロ書2章24節)、すべての人が無代価で神の恵みを受け、永遠の命を受け継ぐことが出来るようにしてくださったのです(エフェソ書2章4節以下)。それは、神の深い憐れみです。

 

 主イエスを信じ、罪の赦し、救いの恵み、永遠の命を頂きましょう。キリストを心にお迎えし、親しい交わりに与りましょう(黙示録3章20節)。

 

 主よ、あなたを讃え、ほめ歌を歌います。あなたは私たちの祈りに耳を傾け、苦難から常に救ってくださいます。御使いが私たちの周りに陣を敷き、主を畏れる者を守り助けてくださいます。御許に身を寄せる人は、主の恵み深さ、その幸いを味わっています。どんなときにも主に信頼し、その御言葉に従って歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「女はエリヤに言った。『今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。』」 列王記上17章24節

 

 列王記に、ギレアドの住民であるティシュベ人エリヤが登場して来ました(1節)。ティシュベは、ヨルダン川の東、ヤベシュ・ギレアドから東におよそ10㎞の山地にある町です(新共同訳聖書後部付録聖書地図4,5参照)。エリヤは、紀元前9世紀前半に北イスラエル王国で活躍した預言者です。「エリヤ」とは「主こそ神」という意味です。

 

 エリヤはアハブ王に、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」(1節)と告げました。数年間の干魃ということは、その間、北イスラエルが飢饉に見舞われるということです。

 

 それは、アハブに対する主の裁きです。アハブが主なる神を捨てて、それまでのどの王にも増して、バアルとアシェラに仕え、主の怒りを招くことをしているからです(16章31節以下)。

 

 バアルは手に稲光を持ち、雨を降らせる神、アシェラは地に実りをもたらす女神として、信仰を集めていました。けれども、アハブがバアルに仕えた結果、数年の間、露も降りず、雨も降らなくなるというのです。ということは、イスラエルに雨を降らせ、地に実りを与えるのはバアルやアシェラではなく、主なる神だということを、ここに明確に示しているわけです。

 

 それから、主の言葉がエリヤに臨み(3節)、それに従ってケリトの川のほとりに身を隠します(4節)。そこで、主が語られたとおり、カラスの養いを受けます(4,6節)。カラスは人のものを盗んで食べるような鳥ですから、エリヤを養うというのは驚きであり、またなんともユーモラスです。カラスは、朝に夕にパンと肉を運んで来ました。

 

 一日に二度、パンと肉に与るというのは、とても豊かな食事でしょう。飢饉で町から食料がなくなっていくときに、荒れ野にいたエリヤには、豊かな食物が供されていたのです。このことは、エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野でパンと肉を与えられたという出来事を思い起こさせます(出エジプト記16章8節など)。

 

 やがて、ケリト川が涸れてしまい(7節)、エリヤは主に促されて(8節)、シドンのサレプタに行きます(9節)。サレプタは、イスラエル北方、ティルスとシドンの中間、地中海に面するフェニキヤの港町です。

 

 オバデヤ書20節に「捕囚となったイスラエル人の軍団は、カナン人の地をサレプタまで所有する」と預言されています。捕囚後に帰還した人々によって再建されるイスラエルの国土は、北にフェニキヤの地まで拡大すると言われているわけです。

 

 エリヤはサレプタで、一人のやもめから養いを受けることになります(9節)。町の入り口で薪を拾っていた一人のやもめに「水を飲ませてください」(10節)と声をかけ、さらに、パン一切れを所望しました(11節)。すると彼女は、最後のパンを焼いて死ぬところで、誰かに与えることの出来るような粉も油も、もう残っていないと答えます(12節)。

 

 シドンは、アハブの妻イゼベルの故郷です(16章31節)。イゼベルのゆえにアハブはサマリアにバアル神殿を建て、またアシェラ像を造りました。だから、神はアハブの妻イゼベルの故郷シドンを裁かれているわけです。

 

 このやもめは、二階建ての家に住む(19節参照)、よい暮らしをしていた人物です。しかし今、その命が脅かされています。バアルの神は、このやもめとその息子を養うことが出来ないというメッセージを、ここに見ることが出来ます。

 

 そうした状況下、少々の水と一切れのパンをとやもめに願ったエリヤが、「主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」(14節)という祝福を約束しています。

 

 女性はエリヤの言葉どおりにしたということで(15節)、初めて出会ったエリヤの言葉を信じることが出来たのかどうかは判然としませんが。最後のパンを食べて死のうと思っていたところだったので(12節)、エリヤの語る祝福にかけてみようと考えたのでしょう。すると、エリヤが告げたとおりになりました(15,16節)。

 

 パンを乞うたエリヤを通して、やもめとその息子は、主の豊かな養いを受けることが出来たのです。この出来事は、数百年後、サマリアの女性に語りかけられた主イエスの言葉や(ヨハネ4章7節以下)、五つのパンと魚二匹で五千人の腹を満たし、残りくずを12籠に集めた出来事(同6章1節以下)を思い出させます。

 

 ところが、やもめの一人息子が重病になり、ついに息を引き取りました(17節)。やもめはエリヤに、自分の罪を裁き、息子を死なせるためにやって来たのかと訴えます(18節)。先に夫を亡くし、今また息子に先立たれる悲しみを味わうくらいなら、飢えて息子と一緒に死んでいた方がよかったという言い方でしょう。

 

 エリヤは、自身にあてがわれていた階上の部屋の寝台に息子を寝かせ(19節)、「この子の命を元に返してください」と主に祈ります(20,21節)。主はエリヤの祈りを聞かれ、息子は生き返りました(22節)。この出来事は、主こそ命を与え、養い育ててくださるまことの神であられることを証ししています。

 

 それを見たやもめは、冒頭の言葉(24節)のとおり、「今わたしは分かりました」と語り、エリヤの告げる主の御言葉を信じました。エリヤの告げた祝福は、単に壺の小麦粉や瓶のオリーブ油のことだけではなく、命の恵みは尽きないことを表しており、この異邦の女性は、その恵みを味わったのです。

 

 ところが、アハブを初め、主の御言葉に耳を傾けようとしないイスラエルの民には、厳しい裁きが臨んでいます。主を信じ、真実な主の御言葉に日々耳を傾け、その導きに従って、ともに恵みに与りましょう。

 

 主よ、やもめはエリヤの言葉を聞き、信仰をもって答えた結果、壺の粉は尽きず、瓶の油はなくならないという奇跡を味わいました。主を信頼する者に与えられる祝福を見ます。私たちも、語られる御言葉を信じて、素直に従うことが出来ますように。そうして、主の御言葉が真実であることを味わい、その恵みを証しする者としてください。 アーメン

 

 

「『四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ』と命じた。彼が『もう一度』というと、彼らはもう一度そうした。彼が更に『三度目を』というと、彼らは三度同じようにした。」 列王記上18章34節

 

 旱魃が3年目に入り、サマリアはひどい飢饉に襲われていました(1,2節)。エリヤは、「行って、アハブの前に姿を現せ。わたしはこの地の面に雨を降らせる」(1節)と告げられた主の命に従い、アハブ王に会うために出かけます。

 

 アハブは宮廷長オバドヤを呼び、すべての泉、すべての川を見回らせ、水を求めています(5節)。つまり、ガリラヤ湖やヨルダン川も干上がっていたわけです。そして、アハブとオバドヤがそれぞれ水を求めて行き巡ります(6節)。

 

 そこでオバドヤがエリヤと出会います(7節)。新共同訳では訳出されていませんが、そのときオバドヤはエリヤを「わが主」(アドニー)と呼んでいます。それに対して、エリヤはオバドヤに「あなたの主君」(アドネイハー)に、エリヤがいたと言いに行けと言います(8節)。

 

 オバドヤは宮廷長ですから、たしかに彼の主君はアハブですが、彼は「心から主を畏れ敬う人」で(3節)、王妃イゼベルが主の預言者を斬り殺したとき、百人の預言者を救い出した人物です(4節)。だから、主の預言者エリヤを「わたしの主君」と呼んだのです。

 

 オバドヤの仲介でアハブがエリヤのもとに来ます。そして、「お前か、イスラエルを煩わす者よ」(17節)と、イスラエルに飢饉をもたらしたことでエリヤを非難します。けれども、それはアハブとその父の家が主の戒めを捨ててバアルに従っているからだと、エリヤは旱魃の原因を明らかにしています(18節)。

 

 そして、北イスラエルのすべての民と共に、バアルの預言者450名、アシェラの預言者400名をカルメル山に集めるよう求めます(19節)。主の預言者を殺したイゼベルが(4節)、自分の食卓に着かせているバアル、アシェラの預言者たちと(19節)、そこで対決をするためです(22節以下参照)。

 

 エリヤは北イスラエルのすべての民に「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であればバアルに従え」(21節)と迫りました。勿論、エリヤとしては、民が主に従う者となるようにと考えています。しかし、民は何も言いません。

 

 そこで、2頭の雄牛を用意させました(23節)。バアルの預言者とエリヤとがそれぞれの神の名を呼び、それに「火をもって答える神こそ神であるはずだ」というと、民は、「それがいい」と応じました(24節)。この対決に、北イスラエルのすべての民を証人としようというわけです。

 

 まず、バアルの預言者たちが、朝から昼までバアルの名を呼びますが、全く応答がありません(26節)。エリヤに嘲られて(27節)、彼らはいよいよ大声を張り上げ、体を傷つけ血を流すまでになって神を呼びましたが、結局、何の答えもありませんでした(28,29節)。バアルを神とする信仰の空しさが明らかになります。

 

 次は、エリヤの番です。エリヤは民を側に呼び、壊された主の祭壇を修復します(30節)。首都サマリアにバアル神殿が築かれているほどですから(16章32節)、北イスラエルにおいて、主を礼拝する聖所は破壊され、祭壇は壊されたまま、荒れ放題になっていたのでしょう。

 

 エリヤは、イスラエル12部族に因み、12の石を用いて祭壇を築き、その祭壇の周りに溝を掘りました(31,32節)。次に、祭壇に薪を並べ、そして、牛を切り裂いて薪の上に載せました(33節)。そして、冒頭の言葉(34節)の通り、4つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上に注ぐように命じます。それを三度しました。

 

 そうして、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたに御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください」(36,37節)とエリヤが祈ると、主の火が降って、献げ物の雄牛と薪、溝の水までもなめ尽くしました(38節)。

 

 これを見たすべての民は、「主こそ神です」(39節)と言いました。そこで、エリヤがバアルの預言者らを捕らえるように命じると、民はそれに従い、キション川で預言者らを殺しました。これは、イゼベルの行為に対する報いであり、申命記13章2節以下、6節の規定を守り行うことでした。

 

 ところで、エリヤはなぜ、祭壇に水を注がせたのでしょうか。簡単に火がつかないようにして、それらすべてを火がなめ尽くしたら、それは、神からの火であることがはっきりと分かるということでしょう。さらに、二つのことを思います。

 

 まず、4つの瓶の水を3度とは、12の瓶の水ということです。祭壇を築いた12の石がイスラエル12部族を表していたように、12の瓶の水も12部族を表しています。祭壇に水が注がれたということは、イスラエル全部族の民を満たす命の雨が与えられることの予表ということが出来ます。

 

 そしてもう一つ。旱魃が3年も続いており、王が国中の川や泉を見回って水を探させている中で、12の瓶に水を満たすというのは、決して易しくはなかったでしょう。宝のように貴重な水を、カルメル山の上まで運ばせ、それをすべて祭壇に注がせたのです。

 

 それも、一度に12の瓶をというのではなく、4つの瓶に水を満たして運ばせ、それを3度行うというやり方で。理由も説明されない中で、民が水を見つけ出し、瓶に汲んで三度も山の上に運び上げるというところに、主の御言葉に聴き従う信仰=献身が求められていて、なぜか民はそれに素直に応えています。

 

 主イエスがカナの婚礼に出席されたとき、ブドウ酒がなくなるという報告が主イエスにもたらされました。主イエスは召使いに水を汲ませました。100リットルほども入る大きな水瓶六つに水を満たすのは重労働だったと思います。召使いたちは、瓶の口までいっぱいに水を汲みました。その大量の水が、よいブドウ酒に変わったのです(ヨハネ2章)。

 

 そのように、エリヤの告げる言葉に従って、四つの瓶に水を満たして山頂に運び、祭壇と周囲の溝に注ぐこと三度という献身の行為をとおして、民の不信仰を作り替え、主を神と信じる備えをさせられました。そこに火が降り、まさに主こそまことの神であることを彼らが認めるとともに、これから、主なる神に聴き従う生活が始まるのです。

 

 「主こそ神です」という信仰の宣言に導かれたイスラエルの民の上に、待望の雨が降り始めます(41節以下、45節)。良いものを豊かにお与えくださる主を信じ、私たちも日々主の御言葉に耳を傾け、示される使命に自分の持てるものを精一杯献げて従う者にならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたはエリヤの祈りに火をもって答え、ご自分が神であることを明らかにされました。そのことを通して、主なる神こそ、雨を与え、地に実りをもたらすお方、命の恵みに豊かに富ませるお方であることを、すべての民に示してくださいました。全地に、御名が崇められますように。御国の平和と喜びがありますように。 アーメン

 

 

「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」 列王記上19章18節

 

 アハブ王からことの顛末を聞いた后イゼベルは、24時間以内にエリヤを殺された預言者たちのようにすると、呪いをかけてエリヤに告げさせました(1,2節)。それを聞いたエリヤは、何故か恐れに包まれ、直ちに逃げ出します(3節)。

 

 すっかり気力を失ってしまったエリヤは「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」(4節)と、主に死を願います。ここに、アハブ王の前に一人で立ち、バアルの預言者450人、アシェラの預言者400人と戦って勝利した預言者の姿はありません。

 

 荒れ野に生えていた一本のえにしだの木の下で眠っていたとき、主の御使いに起こされ、パン菓子と水が与えられます(5節以下)。その食事に力を得て40日40夜歩き続け、神の山ホレブに着きました(8節)。

 

 洞穴で夜を過ごしたエリヤは、「エリヤよ、ここで何をしているのか」(9節)という主の御声を聞きます。。エリヤは、自分は情熱を傾けて主に仕えて来たが、イスラエルは主なる神に背いて主の祭壇を壊し、預言者たちを殺し、今やただ一人残った自分の命も狙っていると答えました(10節)。

 

 18章の出来事と、このエリヤの発言までの間に、何があったのでしょう。「主こそ神です」と宣言したイスラエルの民が、イゼベルの呪いの言葉に恐れをなして主を離れ、またもやバアル礼拝に逆戻りしたのでしょうか。だから、主の祭壇が再び破壊され、バアルの預言者を殺したエリヤの命を狙うようになったのでしょうか。エリヤの言葉を素直に聞けば、そういう出来事が起こったとしか考えられません。

 

 主は「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われて、エリヤの前を通り過ぎ、激しい風、地震、火を起こされました(11,12節)。聖書において、激しい風や地震、火は、そこに主が臨在されていることを表すしるしです(出エジプト3章2節以下、19章16,18節、ヨブ40章6節、イザヤ21章1節など)。

 

 しかし、その中に主はおられなかったと言われます(11,12節)。それは、臨在のしるしと主ご自身の存在とを同一視することを拒否するための表現でしょう。激しい風が吹けば、必ずそこに主がおられるということではないのです。しかしながら、このときの激しい風や地震、火は、主が起こされたものであることは確かです。

 

 最後に、静かにささやく声がして(12節)、その声を聴いたエリヤは立ち上がり、外套で顔を覆いながら、洞穴の入り口に立ちます(13節)。そしてもう一度、「エリヤよ、ここで何をしているのか」(13節)と問いかけられ、エリヤは、10節と同じ言葉で答えるのです(14節)。

 

 エリヤは、もう疲れてしまって、預言者をやめたいと考えています。死んでしまいたいとすら、思っていました。主がエリヤの前を通り過ぎても、主の現臨のしるしを見ても、そこに主を見出すことが出来ません。だから、心が動きませんでした。ただ、かすかな声を聞いたとき、何かが彼の心に届きました。彼の心はまだ変わっていませんが、もう一度主の前に立ったのです。

 

 エリヤに対する呼びかけは、主なる神に背いて隠れたアダムを「どこにいるのか」(創世記三章九節)と呼び出されたのと同様です。イゼベルに命を脅かされ、またイスラエルの民の背信に心挫かれたエリヤは、預言者でありながら、主に聴き、主に従う心を失っていました。喜んで主なる神を礼拝することが、出来なくなっていたのです。

 

 主はエリヤに、ダマスコの荒れ野に向かい、ハザエルに油を注いでアラムの王とし(15節)、ニムシの子イエフに油を注いでイスラエルの王とし、アベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注いで、エリヤに代わる預言者とせよと命じました(16節)。

 

 そして、エリヤの働きは決して無駄ではないこと、孤軍奮闘ではないことを知らせます。それが、冒頭の言葉(18節)です。

 

 エリヤは、全イスラエルが再びバアルになびき、自分の働きは水泡に帰したと思っていたのかもしれませんが、なんとバアルにひざまずかず、口づけしない7000もの人々を残すと、主が言われたのです。「七千」は、完全数「7」×完全数「10」の3乗です。つまり、バアルになびかない人がとてもたくさんいるということです。

 

 そして、「七千人を残す」ということは、バアル礼拝に参加しなかった7000人以外の者は、17節に記されているように、主なる神に選び立てられるアラムの王ハザエルの剣かイスラエルの王イエフの剣、あるいは預言者エリシャによって打たれるということです。

 

 主の前にすっかり閉ざされていた心にかすかな声が届いて、主の御言葉に耳を開いたとき、祝福の言葉が心に響いて目が開かれ、エリヤは元気づけられました。もう一度立ち上がることが出来たのです。

 

 確かに主は、私たちを孤児とはなさいません。主を礼拝する7000人にまさる神の御子、主イエスが私たちと共におられます(ヨハネ14章18節、ヘブライ13章5節,マタイ28章20節)。主イエスは、インマヌエル(神は我々と共におられるという意味)と唱えられるお方です(マタイ1章23節)。

 

 また、真理の霊が私たちと共に、私たちの内にいてくださいます(ヨハネ14章17節)。そして、私たちにすべてのことを教え、主イエスが話されたことをことごとく思い起こさせてくださいます(同26節)。

 

 主を仰ぎ、今日も御言葉に耳を傾けましょう。

 

 主よ、インマヌエルなる御子イエス・キリストの恵みと平安が、私たちの上に常に豊かにありますように。主の御言葉に絶えず耳を傾け、その導きに喜びと感謝をもって、素直に従うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「主はこう言われる。『アラム人は主が山の神であって平野の神ではないと言っているので、わたしはこの大軍をことごとくあなたの手に渡す。あなたたちは、わたしこそ主であることを知る。』」 列王記上20章28節

 

 アラムの王ベン・ハダドが全軍を率いて北イスラエルの首都サマリアを包囲しました(1節)。アラム軍は圧倒的な軍事力で攻め寄せており、サマリアを陥落させるのは時間の問題と思われました。ベン・ハダドはアハブに使いし、明日までに王の銀と金、妻子たちを差し出せと要求しただけでなく(3,5節)、家臣の家の良い物も奪っていくと告げました(6節)。

 

 王は長老を招集し、アラム王の要求について知らせます(7節)。それを聞いた長老らは、その要求を拒否するよう進言したので(8節)、アハブはアラム王の使者に、今回の要求には従えないと返答します(9節)。それは、そうでしょう。家臣のものも奪い取って行くなどという侮辱的な要求を、素直に飲めるはずがありません。

 

 アラム王は、サマリアの全滅を誓う言葉を伝えて来ますが(10節)、アハブは「武具を帯びようとする者が、武具を解く者と同じように勝ち誇ることはできない」(11節)、つまり、勝負は下駄を履くまで分からないと言い返しました。勇気という表現では語れない内容です。それを聞いたベン・ハダドは、大軍に戦闘配置につくよう命じました(12節)。

 

 そのとき、一人の預言者がアハブ王に近づいて、「この大軍のすべてをよく見たか。わたしは今日これをあなたの手に渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る」(13節)という主の言葉を告げます。アハブが、誰を用いるのかと尋ねると、主は「諸州の知事に属する若者たちである」(14節)と答えられます。

 

 招集された若者たちは、232名でした(15節)。彼らは、指導者の側近としてよく訓練され、活躍することが期待出来たのでしょう。続いてイスラエルのすべての民も招集しました。そして、正午にアハブと若者たちが出陣しました(16節)。

 

 アラム王ベン・ハダドはその時、援護に来た王侯たち32人と共に酒盛りをしていました(12,16節)。そして、イスラエルの先陣がサマリアを出たとの知らせに、和平のためであれ、戦いのためであれ、彼らを生かしたまま捕虜にせよと命じました(18節)。

 

 未婚の若者たち2百名余りということで、完全に相手を見下していたわけです。そして、昼日中、大将が既に酒に酔っているという状況に、アラムの兵たちも完全に緊張感を欠いていたのではないでしょうか。

 

 イスラエルの先に出陣した若者たちと後続部隊によって、町を包囲していたアラムの大軍は敗戦に次ぐ敗戦、大損害を受けました(20,21節)。それは、我が国の戦国時代、桶狭間における今川義元の軍と織田信長の軍の合戦にも似ています。まさに油断大敵です。

 

 後続部隊について、15節に「すべての民すなわちイスラエル人七千人を招集した」とありました。これは19章18節で、神がイスラエルに残すと言われ、「これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者」たち「七千人」と同数です。

 

 主を礼拝し、主の御言葉に従う者たち七千人がアハブによって召集されたとは考え難いところですが、それと全く無縁とも思えず、預言者に従って若者を召集した後、全イスラエルなる七千人が召集され、主が共に戦ってくださったからこそ、一人一人が一騎当千の兵卒として、アラム王ベン・ハダドの大軍を打つことが出来たのです。

 

 無惨に敗れたアラム王の家臣たちは、「彼らの神は山の神だから、彼らは我々に対して優勢だったのです。もし平地で戦えば、我々の方が優勢になるはずです」(23節)と王に言い、年が改まったころ、再度イスラエルに挑みかかります(26節)。

 

 アラム大軍の進軍に対し、小さな山羊の群のようなイスラエルに主が語られたのが、冒頭の言葉(28節)でした。バアルとの戦いにおいて、天から火を呼び下し、雨を降らせることが出来るのは、バアルではなく、主なる神であることが明らかにされたように、アラムの民は、主が山の神ではなく、全地の神であることを思い知らされることになるのです。

 

 既に一度、「わたしこそ主であることを知る」(13節)と言われた主の御言葉の真実を味わっていたイスラエルは、さらに力を受けて大軍に立ち向かい、一日で10万の歩兵を打ち(29節)、アフェクの町に逃げ込んだ敗残兵2万7千人の上に城壁が崩れ落ちて(30節)、アラム軍に壊滅的打撃を与えることが出来ました。

 

 なぜ神は、このような勝利を北イスラエルにお与えになったのでしょうか。それは、アラムの王たちの高ぶりに主が鉄槌を下されたというところですが、しかし主は、アハブとイスラエルの民が、繰り返し、主こそ神であることを知り、悔い改めて主のもとに立ち帰り、主の御言葉に聴き従う者とならせたかったのではないでしょうか。

 

 今日も神は、その独り子を遣わされて、彼を受け入れる者、その名を信じる者に、神の子となる資格をお与えになります。愛と憐れみに富む主を信じましょう。主の御言葉に聴き従いましょう。 

 

 主よ、あなたは甚だしく背き続けているアハブ王にすら、深い憐れみをもって勝利を与え、ご自身を知るようにと導きをお与えになりました。主に信頼し、その御言葉に聴き従う者たちは、どれほどの恵みを頂いていることでしょうか。主こそ神であられることを知り、常にその恵みを味わって、いよいよ御名を崇め、賛美をささげさせてください。 アーメン

 

 

「アハブがわたしの前にへりくだったのを見たか。彼がわたしの前にへりくだったので、わたしは彼が生きている間は災いをくださない。」 列王記上21章29節

 

 イスラエルの王アハブは、宮殿の側にあるブドウ畑を譲ってくれと、イズレエル人ナボトに、持ちかけました(1,2節)。ユダヤ教の伝承によれば、ナボトはアハブの従弟だそうです。しかし、先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることは出来ないと、ナボトはそれを断ります(3節)。

 

 それで、アハブはすっかり機嫌を損ね、腹を立てて宮殿に帰りました(4節)。機嫌を損ね、食事も摂らないでいるので、妻イゼベルがそのわけを尋ね(5節)、いきさつが分かると、「わたしがイズレエルの人ナボトのブドウ畑を手に入れてあげましょう」(7節)と言い、アハブの名でその町の長老と貴族に手紙を書きます(8節)。

 

 そこには「断食を布告し、ナボトを民の最前列に座らせよ。ならず者を二人彼に向かって座らせ、ナボトが神と王とを呪った、と証言させよ。こうしてナボトを引き出し、石で撃ち殺せ」(9,10節)と記されていました。町の人々は、イゼベルが命じたとおりにしました(11節以下)。それはただナボトだけでなく、その一族をも滅ぼし尽くすことになったことでしょう。

 

 ナボトが打ち殺されたという知らせを聞いて、イゼベルはアハブに「イズレエルの人ナボトが、銀と引き替えにあなたに譲るのを拒んだあのぶどう畑を、直ちに自分のものにしてください。ナボトはもう生きてはいません。死んだのです」(15節)と告げました。

 

 アハブはただちにナボトのブドウ畑を自分のものにするため、行動しました(16節)。神と王を呪ったという偽証によって処刑されたナボト一族の、その持ち主のいなくなった畑を没収すればよかったのです。

 

 しかし、この蛮行を見られた主は、預言者エリヤをアハブのもとに遣わします(17節以下)。それは、主の目に悪とされることに身を委ねたアハブに、「犬の群れがナボトの血をなめたその場所で、あなたの血を犬の群れがなめることになる」(19節)と告げさせるためです。

 

 アハブの前に進んだエリヤは、「見よ、わたしはあなたに災いをくだし、あなたの子孫を除き去る」(21節)と語り、またイゼベルにも、「イゼベルはイズレエルの塁壁の中で犬の群れの餌食になる。アハブに属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば空の鳥の餌食になる」(23,24節)と告げました。

 

 これらのエリヤの言葉を聞いて、アハブは衣を裂き、粗布を身にまとって断食し、粗布の上に横たわり、うちひしがれて歩きました(27節)。聖書は、アハブのように悪とされることに身を委ねた者はいなかったと言い、それは、妻イゼベルに唆されたのであると語っていますが(25節)、一方では、エリヤの言葉で、あっけないほど素直に悔い改めを示しています。

 

 これを見ると、アハブは小心者の善人で、妻のイゼベルがとんでもない悪者ということになりそうです。その要素が全くないとは言いませんが、しかし、神の前に義人なし、一人だになしです(詩編14編1~3節、ローマ3章10~12節)。神の赦しなしに、神の前に立てる者はいません。神の憐れみがあるからこそ、救いの道が開かれるのです。

 

 神の断罪の言葉を聞いて謙ったアハブは、しかし、それで義人になったわけではありません。主を信じて従順に聴き従う者になったわけでもありません。この後、主の預言者ミカヤの語る御言葉に耳を傾けることが出来ず(22章8,16,18節)、結局、ラモト・ギレアドにおけるアラム軍との戦いにおいて、命を落とすことになります(同29節以下、34,35節)。

 

 けれども、主なる神は、私たちのどんな罪も見逃すことなく、きっちり罰を与えたいと考えておられるわけではありません。神の御前に悔い改め、謙って真理の道、命の道を歩んで欲しいと願っておられるのです。

 

 だから、裁きの言葉を聞いてアハブが謙り、悔い改める姿勢を示したのを見られた主は、冒頭の言葉(29節)の通り、アハブにくだすと言われた罰の実行を思い留められました。

「わたしは彼が生きている間は災いをくださない。その子の時代になってから、彼の家に災いをくだす」と、その執行を先延ばしにされたのです。

 

 そして、確かにアハブには主が語られた罰はくだされず、戦死した彼は、サマリアに葬られました(22章37節)。しかしながら、それで罪を不問にされるわけでもありません。血が流されることなしに、赦しが実行されることはないのです(ヘブライ書9章22節)。

 

 アハブには刑が執行されなかったかも知れませんが、神の御子、主イエス・キリストが、神の御前に私たち罪人に替わってその律法の呪いを受け、十字架で血を流し、死なれました。それにより、私たちに対して罪の赦しが実行されたのです。この神の慈愛に絶えず留まりましょう(ローマ11章22節)。

 

 今日も十字架の主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾けつつ、歩みましょう。「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(詩編51編18,19節)と詠われているとおりです。

 

 主よ、あなたの深い愛と憐れみに心から感謝致します。その恵みの御翼の下に身を寄せ、御言葉に耳を傾けつつ、豊かな慈しみの内を歩みます。常に私たちに聴く耳、見る目、信じる心を与えてください。私たちの上に、主の恵みと慈しみが限りなく豊かにありますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの王は、約四百人の預言者を招集し、『わたしはラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか』と問うた。彼らは、『攻め上って下さい。主は、王の手にこれをお渡しになります』と答えた。」 列王記上22章6節

 

 ユダの王ヨシャファトがアハブ王を訪ねて来たとき、アハブが家臣に(2節)、ラモト・ギレアドをアラムの手から奪い返そうと言い(3節)、ヨシャファトに「わたしと共に行って、ラモト・ギレアドと戦っていただけませんか」(4節)と、援軍を要請します。

 

 それを聞いたヨシャファトは、「わたしはあなたと一体」と、すぐに承諾します(4節)。歴代誌下18章1節に「アハブとも姻戚関係を結んだ」とありますから、アハブから嫁を貰っていたのでしょうか。詳細は不明ですが、北イスラエルと南ユダの間には、友好関係が成立していたわけです。

 

 ただ、ラモト・ギレアドに攻め上るにあたり、ヨシャファトはアハブに、先ず主の託宣を求めるようにと要求します(5節)。そこで、冒頭の言葉(6節)のとおり、アハブは預言者400人を集め、託宣を求めます。彼らは王に、「攻め上ってください。主は、王の手にこれらをお渡しになります」と答えました。

 

 ヨシャファトはしかし、「このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」(7節)とアハブに尋ねます。なぜそう思ったのかはよく分かりません。ただ、ヨシャファトは、どこか400人の預言者の言葉に満足できず、真実な主の御言葉を聞きたいと考えたのでしょう。

 

 アハブはヨシャファトに、「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに好運を預言することがなく、災いばかり預言するのでわたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です」(8節)と答えました。しかし、ヨシャファトは「王よ、そのように言ってはなりません」(8節)と諫めました。

 

 そこで、預言者ミカヤが呼ばれます(9節)。王に幸運を告げてくださいと求める使いの者に(13節)、ミカヤは「主は生きておられる。主がわたしに言われることをわたしは告げる」(14節)と答えました。預言者として、それは当然の姿勢です。

 

 そうして、アハブのもとに来たミカヤは「攻め上って勝利を得てください」(15節)と言います。主がそう語れとミカヤに告げられたのでしょうけれども、語った内容はしかし、真実ではありませんでした。

 

 アハブが、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」(16節)と念を押すと、「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました」(17節)と告げます。それは、アハブがこの戦いで命を落とすということで、アハブがアラム軍に戦いを挑んで命を落とすよう、最初は偽って預言したということになります。

 

 アハブはヨシャファトに、言った通り、災いしか告げないだろうと確認を求めると(18節)、ミカヤは続けて、主がお見せになった幻を明らかにしました。それは、アハブをラモト・ギレアドで倒すために偽りを語らせる霊によって、アハブのすべての預言者たちが唆されているというものです(19節以下)。

 

 ここでミカヤは、「彼のすべての預言者」(22節)、「あなたのすべての預言者」(23節)と言います。それは、アハブが呼び寄せた400人もの預言者が皆、主の言葉を告げる主の預言者ではなく、アハブにとって心地のよい幸運ばかりを告げる、「御用預言者」だということです。

 

 アハブはミカヤを、自分に幸運を告げないと言いますが(8,18節)、神が幸運を告げられれば幸運を、災いをくだすと言われれば災いを語るのが、真の預言者というものです。どんなに王が喜ぶからといって、幸運しか告げないというのであれば(13節)、それは確かに、「御用預言者」と言わざるを得ません。

 

 それでは、王の気分をよくする以上の効果を期待することは出来ません。今回は、主が王に災いを下そうとしていて、王は銃口が自分に向けられているとも知らず、預言者たちに唆されて引き金を引いてしまうのです。

 

 ミカヤの言葉を聞いた御用預言者の一人ツィドキヤがミカヤの頬を殴り、「主の霊はどのようにわたしを離れ去って、お前に語ったというのか」(24節)と言いました。確かに、彼自身には偽りの霊に唆されているという自覚はなかったのかも知れません。むしろ、主に導かれて、真実を告げていると考えていたのでしょう。だから、ミカヤの言葉に腹を立てたのです。

 

 ツィドキヤの振る舞いに、今、400人の言葉に従って出陣すべきだと,アハブはいよいよ確信したことでしょう。それが、アハブを惑わそうとする主の御計画でした(19節以下、エゼキエル書14章6節以下、9節参照)。 

 

 アハブは、先ず主に問うべきでした。真実を語る主の預言者に耳を傾け、謙って御言葉に忠実に従うべきだったのです。そうしないので、ミカヤは主の命令に従って、アハブに災いを告げざるを得ないのです。とはいえ、主なる神はアハブを滅ぼしてしまいたいと思っておられるわけではありません。

 

 前に、エリヤの告げた裁きの言葉を聞いて、「衣を裂き、粗布をまとって断食した」(21章27節)ときのように、ミカヤの告げた災いの預言を聞いて謙り、あらためてまことの主に聴き従おうとするなら、今回も、神は彼にくだそうとしていた災いを思い返されたことでしょう(同29節)。

 

 アハブはしかし、悔い改めて主の御前に謙る代わりに、預言者ミカヤを捕らえて獄につなぎ(26節)、「わたしが無事に帰って来るまで、わずかな食べ物とわずかな飲み物しか与えるな」(27節)と命じます。

 

 「わずかな食べ物とわずかな飲み物」とは、「苦悩のパンと苦悩の水」という言葉です。岩波訳はそのように訳し、脚注に「ごくわずかな食べ物と水での意」と記しています。空腹と渇きを癒すことが出来ないという意味でしょうか。原語を素直に読めば、味にも問題がありそうです。そのうえで、帰還後にミカヤを処罰するつもりだったのでしょう。

 

 アハブは、ヨシャファトを伴ってラモト・ギレアドに攻め上ります(29節)。そのときアハブは、ヨシャファトがイスラエルの王であるかのように偽装して、戦場に赴きました(30節)。70人訳は「御自分の」(30節)が「わたし(アハブ)の」(ムー)という言葉になっています。まさにヨシャファトをイスラエルの王に仕立てるという表現です。

 

 それは、アハブの内に、ミカヤの預言に対する不安があったということでしょう。一方、ヨシャファトはミカヤの告げた主の言葉をどう聴いたのでしょう。それに真剣に耳を傾けていれば、戦いに臨むことはなかったのではないでしょうか。何のためにミカヤを呼んで、主の託宣を伺ったのか、意味が分かりません。

 

 結局、当初の予定通りヨシャファトはアハブと共に戦いに臨んだため、彼の身代わりに命を落とすところでした(32節)。戦車隊の長たちに攻めかかられましたが、主に助けを求めて叫んだので、すんでのところで戦死を免れたのです(33節)。

 

 変装して戦いに出たアハブは(30節)、しかし、それによって運命を変えることは出来ません。流れ弾とでもいうような、何気なく引かれた弓によって深手を負ってしまい(34節)、帰らぬ人となりました(35節)。

 

 アハブに主の災いが臨むと告げた預言者ミカヤの言葉、そして、そのために彼が見た幻が、確かに真実なものであったということが、ここに証明されたのです。かくて、偽りの羊飼いが主によって退けられました。

 

 私たちにとって、まことのよい羊飼いは、主イエスのほかにはおられません(ヨハネ10章11節)。よい羊飼いは、羊のために命を捨てられます。それは、羊が命を受けるため、それも豊かに受けるためです(同10章10節)。

 

 主の与え尽くす愛のうちにとどまり、主の豊かな命に生かされ、委ねられている主の使命を全うしましょう。

 

 主よ、あなたの御愛に感謝いたします。私たちの心が、主の愛と恵みとで絶えず満ち溢れますように。すべての民が主の御声に耳を傾け、平安のうちに一人の羊飼いに導かれる一つの群れとなることが出来ますように。御国を来たらせてください。御心がこの地になされますように。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設