エズラ記

 

 

「あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。」 エズラ記1章3節

 

 今日から、エズラ記を読みます。著者とされているエズラについて、祭司の家系に属し(7章1節以下5節)、ペルシアの書記官となっている人物で(同6節)、アルタクセルクセス王の治世第7年にエルサレムにやって来たと紹介されています(同7,8節)。アルタクセルクセス王の治世第7年とは、紀元前458年のこととされています。

 

 しかしながら、その治世第20年にイスラエルに戻って来たネヘミヤよりも(ネヘミヤ記1,2章)、エズラの方が後だったのではないかと考える学者も少なくありません。彼らは、アルタクセルクセス2世の治世第7年、即ち紀元前398年にエズラが帰還したとしています。この説の最大の問題点は、ネヘミヤ記8章9節で、ネヘミヤとエズラが共に行動しているところです。

 

 いずれにせよ、歴代誌下の末尾(36章22節以下)とエズラ記の冒頭(1章1節以下)が文書資料的にほぼ同一の記述となっていることからも分かるように、エズラ記は、歴代誌の続編としての役割を果たしています。即ち、歴代誌には、キュロス王による捕囚からの帰還命令が出たというところまでが記され、エズラ記には、その命令に基づいて行動した人々のことが記録されているわけです。

 

 主の目に悪を行って神の呪いを受け、バビロン捕囚の憂き目に遭い、50年を経過したイスラエルの人々に対して、ペルシア王キュロスから冒頭の言葉(3節)の通り、「主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい」という勅令が出ます。それは、紀元前538年のことでした。

 

 エズラ記の著者は、これはエレミヤの預言によって約束されていたことが成就するように、主なる神がペルシアの王キュロスの心を動かされたのだと言います(1節)。このことについて、エレミヤ書29章10節に「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」と告げられていました。

 

 イザヤも、「キュロスに向かって、わたしの牧者、わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い、神殿には基が置かれる、と言う。主が油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない」(イザヤ書44章28節~45章1節)と預言しています。

 

 捕囚の民とされていたイスラエルの人々は、このキュロス王の言葉をどのように聞いたのでしょう。50年にわたる捕囚生活、奴隷生活の中、どれだけの人が本当に祖国に帰ることが出来ると考えていたでしょうか。しかも、単に帰国を果たすだけでなく、その目的が、主の神殿を建てるためだというのです。

 

 また「すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、そのところの人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ」(4節)と言います。ペルシア王キュロスは、ユダの民に対して太陽政策を採ることで、彼らの忠誠を確保し、さらに、おのが治世の祝福を主の神殿で祈らせようとしていたのでしょう。

 

 ところが、バビロンに連行されて来た第一世代の主だった者たちは、もう既に天に召されていたでしょう。10代、20代の若者だった人々も、既に60過ぎ、70過ぎです。世代交代もかなり進んでいたものと思われます。そうした状況では、祖国に帰ることなどすっかり諦めていたとしても不思議ではありません。

 

 しかし、神はイスラエルの人々を奮い立たせます。冒頭の言葉(3節)でキュロスは、「あなたたちの中で主の民に属する者は誰でも」と言っていました。主から離れて久しく、主に捨てられたようになっていたユダの人々を、「主の民に属する者」と呼んでいるのです。

 

 これは、主なる神が、イスラエルの人々をご自分に属する民と呼ばれていることに繋がります。そこに、主の憐れみがあります。主はもう一度、ご自分に属する民を形作るため、呼びかけに応えて立ち上がるのを待っておられるわけです。

 

 そこで、キュロスが心動かされたように(1節)、主なる神に心を動かされた者たちが立ち上がりました(5節)。そこには、バビロンで生まれた若者もいたことでしょう。エルサレムがどんなところか、そこにかつてどのような神殿が建っていたのかも知らない者が、神に心動かされて立ち上がったのです。

 

 神殿は、主の前にいけにえを供え、賛美と祈りをささげて礼拝する施設です。神殿を建て直すことは、礼拝する生活を回復するということです。主がキュロスを通じて、エルサレムに神殿を建てることを命じられたということは、主がユダの人々、ご自分の民に属する者と呼ばれる人々を、主を礼拝する者として再び呼び集めておられるわけです。

 

 今日、私たちは、イエスを主、メシアと信じる信仰を言い表して、キリストの教会を形成しています。「教会」(エクレシア)とは、呼び集められたものという意味です。つまり、私たちはキリストにより、主を礼拝するために呼び集められた、主の民に属する者なのです。

 

 また、私たちは神の神殿、聖霊の宮であると言われています(第一コリント3章16,17節)。神が私たちの心にお住まいくださっているのです。教会は主を礼拝する群れです。主なる神が、霊と真理をもって礼拝する、まことの礼拝者を求めておられるのです(ヨハネ福音書4章23節)。

 

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ福音書6章33節)と告げられた主イエスの御言葉に従い、日毎に新しく神のご支配と神との正しい関係を慕い求めて御前に進み、御霊に力づけられ、告げられる御言葉に耳を傾け、主イエスと共に歩ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちは御子イエスを信じて神の民とされました。日毎御前に進み、その御言葉に耳を傾け、心から感謝をもって、賛美と祈りをささげます。私たちを、あなたを礼拝する真の礼拝者として整え、日々心の一新により、何が神の御心であるか、何がよいことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えさせてください。御心が行われますように。 アーメン

 

 

「総督は、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで彼らが聖なる食べ物にあずかることを禁じた。」 エズラ記2章63節

 

 2章には、「帰還した捕囚の民」の一族ごとの数が記されています。リーダーはシェシュバツァルで(1章8,11節)、その他に、ゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと11名の名が記されています(2節)。

 

 これら合計12名は、どのような立場の人物であるか明記されてはいませんが、12名ということで、イスラエル12部族の長という印象を与えようとしているのではないでしょうか。もっとも、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル10部族は、アッシリア帝国の各地に散り散りにされ、その後の行方は分かっていません。

 

 また、帰国した人々の一族は、3節以下で、氏族や家族の名で数えられてはいるようですが、それはたとえば21節のベツレヘム、23節のアナトト、25節のキルヤト・アリム、26節のラマ、28節のベテルとアイ、34節のエリコなど、町の名前で一族が数えられているという特徴があります。

 

 これは、ヨシュア記13章以下で各部族に領地として割り当てられた地域が列挙されていたことに似て、各一族は、神から与えられた嗣業の地と結びついて存在していることを示していると言ってよいでしょう。つまり、捕囚前の嗣業が、捕囚後も連続しているということです。

 

 エルサレムに戻って来たのは、イスラエルの神、主の神殿を建てるために神に心を動かされた者たちでしたが(1章5節)、その中に、自分の家族と血筋がイスラエルに属するかどうか示せなかった者がいたという記述があります(59,61節以下)。

 

 バビロンとの戦いに負けて捕囚となり、50年の奴隷生活をしていたのですから、きちんと家系図を保管していて、求められればいつでも直ぐにそれを示すことが出来るという方が驚きでしょう。また、神殿再建のために神に心動かされた者たちが帰国したわけですから、家系は問題ではないのではないかと言ってもよさそうです。

 

 しかし、彼らはそれを問題にしました。イスラエルが滅ぼされたのは、神との関係を蔑ろにしたからです。今、神に促されて国を建て直す基礎を作ろうとしているところです。そのための神殿建築です。ですから、本当に主の民イスラエルに属する者なのか、神によって選び分かたれたレビの祭司の家系に属する者なのか、はっきりさせようとしているのです。

 

 その証拠を示すことが出来なかった者たちは、冒頭の言葉(63節)のとおり「ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで」、祭司職に就くことが出来ませんでした。ここで、「ウリムとトンミムをつけた祭司」とは大祭司のことで、「ウリムとトンミム」は神の託宣を求めるのに用いるくじのようなものでした。

 

 つまり、大祭司が立って、彼らが主の民イスラエルに属する者であるのか、レビ族、祭司の家系に属する者であるのか、主なる神に託宣を求め、真実を明らかにしようというわけです。そこで、証拠を示せなかった者たちが主に属する者なのか、主の選び立てられた祭司の家系に属する者であるのかどうか、大祭司を通して主御自身がお示しくださるのを待ったのです。

 

 68,69節に、エルサレムに戻って来た人々の中で、家長の幾人かが神殿再建のために随意の献げ物をしたと記されています。エジプトを脱出した民が、主のために聖なる所を造れという命令に従い(出エジプト記25章8節)、神に心動かされた人々が進んで主への献納物を持って来たという出来事を思わせ(35章4節以下、21節)、バビロンからの帰還が第二の出エジプトであることを物語っています。

 

 今日、私たちが神に属する者であるか、神に選ばれた祭司の系統であるかどうかを示してくださる大祭司がおられます。それは、私たちの主イエス・キリストです(ヘブライ書2章17節以下参照)。

 

 私たちは主イエスによって、国籍を天に持つ者とされました(フィリピ3章20節)。キリストを信じて神に属する者とされた私たちの名が、天の命の書に記されているのです(ルカ10章20節)。私たちは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖鳴く国民、神のものとなった民なのです(第一ペトロ署2章9節)。

 

 そして、私たちが確かに神の子であることを証明するのは、私たち自身ではなく、私たちが主イエスを信仰に導いてくださった聖霊です。聖霊は私たちに、「イエス様こそ私の主です」という信仰を与え(第一コリント12章3節)、そして、私たちが神の御国の世継ぎであることを保証してくださるのです(エフェソ1章13,14節)。

 

 絶えず感謝と賛美をもって歩ませていただきましょう。ハレルヤ!

 

 主よ、捕囚から戻った人々は、礼拝する民として、主の民に属する者であるか、祭司の系統であるかを尋ねました。今、私たちは御言葉により、神を礼拝する民、祭司の系統に属する者であることが明確にされています。喜びと感謝をもってその務めを果たし、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声を上げて泣き、また多くの者が喜びの叫び声を上げた。」 エズラ記3章12節

 

 捕囚から帰国した民は、第七の月にそれぞれの町からエルサレムに集まりました(1節)。イスラエルでは、7月1日を安息の日として守り、聖なる集会を開きます(レビ記23章24節)。10日は贖罪日です(同27節)。最も厳かな安息日として苦行(断食)をします(同32節)。そして、15日から一週間、仮庵祭を守ります(同34節以下)。

 

 エルサレムに集まって来た人々は、「律法に書き記されている通り、焼き尽くす献げ物をその上にささげようと」(2節)、「昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげ」(3節)ました。

 

 さらに、「書き記されているとおり仮庵祭を行い、定めに従って決められた数を守って日毎の焼き尽くす献げ物をささげ」(4節)ています。レビ記に記されている通りの祝祭を、帰国間もなく、まず行ったわけです。

 

 ここに、彼らは仮庵祭を祝いつつ、自分たちがバビロンから解放されたことを第二の出エジプトとして記念しているといってよいでしょう。特に、帰国したばかりで、仮の小屋を建てて生活を始めたばかりのイスラエルの民が、まず仮庵祭を祝ったのは、彼らにとって実に相応しいことといってよいでしょう。

 

 その献げ物の祭壇について、「イスラエルの神の祭壇を築き」(2節)、「その昔の土台の上に祭壇を築き」(3節)と記しています。ここにも、捕囚前の礼拝との連続性が示されます。

 

 ただ、3節に「その地の住民に恐れを抱きながら」と言います。捕囚を免れて残っていた人々とアッシリアによって植民された人々が、「その地の住民」です。列王記下17章32,33節によれば、彼らは、主を畏れ敬いつつ、異教の神々にも仕えていました。そのような混淆を排除するために、真の神を礼拝する祭壇を築いたのです。

 

 「第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた」という6節の言葉で、イスラエルの民が真の神を礼拝する生活が始まったこと、エルサレムに集い、「一人の人のようになった」(1節)というところに、帰還したイスラエルの民の信仰姿勢が表明されています。

 

 それから、民は神殿建築に着手します(8節)。手始めに、神殿の基礎を据えました。彼らは基礎が据えられると、レビ人、祭司たちは祭服を身に着けて、主を賛美しました(10節)。民も、「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」(11節)と唱和し、それは大きな賛美の叫び声となりました。

 

 かつて、ソロモンの神殿が完成したとき、祭司たちが賛美をすると、神の臨在を表す雲が神殿に満ちました(歴代誌下5章13節)。賛美は、主の住まい、または主の椅子であると言われます(新改訳、口語訳:詩編22編3節)。それは神が、賛美を最高の喜びとされるということです。

 

 神殿は、神の住まいです。どんな立派な建物を建てても、神が住まわれなければ、神殿ではありません。イスラエルの民は、自分たちが建てようとしている建物が神殿となるために、その基礎を据えるところから、そこに神を迎えようとして賛美を歌っているのです。

 

 今日、神は、私たちの心を神の神殿、聖霊の宮として住まわれます。どのようにして神を心に迎えるのでしょうか。そうです、賛美をもってです。賛美して主を迎えるのです。私たちの据える神殿の基礎とは、どんなときにも救い主を信じ、感謝すること、賛美することと学ぶことが出来ます。

 

 賛美しているとき、人の悪口は言えません。賛美しながら、無駄口を叩くことが出来る人もいません。「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」(ヤコブ書3章2節)とあります。主を賛美する思いで互いに語り合い、主に感謝をささげながら互いに交わることが出来れば(エフェソ書5章19節、コロサイ書3章16節)、どんなに素晴らしいことでしょう。

 

 冒頭の言葉(12節)に「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声を上げて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた」とあります。ここで、昔を知る者たちの泣き声、その涙は何を意味しているのでしょうか。

 

 第一に、昔の神殿を知っている者は泣き、他の者は喜ぶのですから、ソロモンの神殿を比較して、規模の小ささやみすぼらしさに涙がこぼれたということではないでしょうか。あるいはそこに、捕囚とされた自分たちの哀れな姿を重ねたのかも知れません。そして、それが先祖の犯した罪の結果であったことを考えての悔い改めの涙であり、神に赦しを請う祈りでもあったのでしょう。

 

 そうすると、13節で「人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することが出来なかった」と言われている意味も分かります。神殿の基礎が据えられたということは、神がもう一度、ご自分のための神殿を建てさせようとしておられるわけです。主なる神がイスラエルの民の罪を赦され、祈りを聞かれたということです。

 

 天地をお造りくださった主なる神に相応しい神殿を建てたいと願うのは、尊いものだと思います。けれども、神殿に主がご臨在くださるならば、神殿が大きいか小さいか、豪華かみすぼらしいかということなどは、問題ではありません。ソロモンは、持てるすべてのものを用いて、この上ないほどに立派な神殿を建てましたが、主の礼拝が行われなくなった神殿を、神は捨てられました。

 

 大切なのは、神を礼拝する民の心です。神は、打ち砕かれ、悔いる心を喜ばれるのです(詩編34編19節、51編19節、イザヤ書57章1節、66章2節)。それが分かれば、その涙はもう、悲しみの涙ではないでしょう。むしろ感謝の涙、喜びの涙に変わっているでしょう。だから、人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別出来なかったのです。

 

 十字架の主を仰ぎ、感謝をもって主を賛美し、心の王座に主をお迎えしましょう。主の御言葉に従い、主の民に属する者として、主に用いて頂きましょう。

 

 主よ、どうぞ私たちの生活の中心に、心の王座においでください。あなたの御心に適う者となるように、聖霊によって取り扱ってください。御業のために整えられ、この地に御心が行われますように。御国が来ますように。全地に主の恵みと導きが豊かにありますように。 アーメン!

 

 

「建築を手伝わせてください。わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリアの王エサル・ハドンによってここに連れて来られたときから、わたしたちはこの神にいけにえをささげています。」 エズラ記4章2節

 

 主の神殿の基礎を据え、建築工事を進めているイスラエルの民のもとに、アッシリア王に植民されてサマリアに住んでいる人々がやって来ました。エズラは、彼らのことを「ユダとベニヤミンの敵」(1節)と言っています。

 

 彼らは冒頭の言葉(2節)の通り、「建築を手伝わせてください」と協力を申し出ました。それは、彼らがサマリアに住むようになって以来、自分たちも主なる神にいけにえをささげて来たからだというのです。

 

 ここに「エサル・ハドンによってここに連れて来られた」とありますが、エサル・ハドンは、ユダの王マナセと同時期のアッシリアの王です。歴代誌33章11節の「アッシリアの王」は、エサル・ハドンのことと考えてもよいでしょう。

 

 ところで、サマリアを陥落させて異邦の民を連れて来たのは、シャルマナサル王でした(列王記下17章3節以下、24節、18章9節以下)。エサル・ハドンも、シャルマナサルと同じような移民政策を採ったということでしょうか。

 

 植民された人々は、確かに主を畏れ敬うこともしたようですが(列王記下17章24節以下、32節)、しかし、彼ら自身の神々を拝んで、主の掟に従うことはなかったとも言われています(同34節以下)。そのような宗教的混淆が、イスラエルを迷わせ、結局、国を滅ぼしてしまうことになったのです。 

 

 だからこそ、捕囚から戻ったユダの民は、最初に自分たちの所属を確認させ(2章59節以下、63節)、仮庵祭をはじめとする、主なる神を礼拝する姿勢を明確にし(3章1節以下)、それまでの祭壇を排除して、新たにイスラエルの神の祭壇を築いたのです(同3節)。

 

 ゼルバベルやイエシュアらイスラエルの指導者たちは、神殿を建てるのは自分たちに託された仕事だから、自分たちだけで主のために神殿を建てると答えて、サマリアの民の申し出を断りました(3節)。

 

 すると、協力を申し出た人々は手のひらを返したように、神殿建築が出来ないように、ユダの民を脅かして建築の士気を鈍らせる一方、参議官を買収して建築計画を挫折させようとするなど、様々な手段で妨害し始めました(4,5節)。

 

 協力を申し出て、それが受け入れられなかったら、今度は妨害するというのは、人情といえば人情なのかも知れません。しかし、そうであれば、もともとの協力の申し出はなんだったのかということになります。

 

 即ち、「わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です」(2節)と言いながら、申し出が断られて神殿の建築を妨害するということは、最初の申し出が、真実に神を求め、神のために行動したいということではなかったということを、自らはっきり表しているわけです。

 

 サマリアの民が考えていたのは、仲間になりたい、仲間になって欲しいということでしょう。そしてそれは、イスラエルの民のようになりたい、真の神を拝むようになりたいということではなく、自分たちサマリア人のようになって欲しい、出来れば、自分たちの神を礼拝するようになって欲しいというメッセージでしょう。だから、「ユダとベニヤミンの敵」(1節)と言われるわけです。

 

 サマリアの民は、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムから連れて来られたと、列王記下17章24節に記されています。彼らは、確かにイスラエルに定住するために主を礼拝することを学びましたが(25節以下、28節)、しかし、自分たちの神の像を造り、礼拝し続けていました(29節以下)。即ち、一心に神を尋ね求め、その道に歩む者たちではなかったのです。

 

 ヨハネ4章18節で主イエスがサマリアの女性に、「あなたには5人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言われます。「5人の夫」とは、アッシリアの王がサマリアに連れて来た五つの民のこと、そして「今連れ添っているのは夫ではない」とは、五つの民が混血してサマリア人となり、ゲリジム山で神を礼拝してはいるが、それは真の神ならぬ異教の偶像礼拝だということを表わしているという解釈があります。

 

 ゼルバベルがサマリアの民のことを、詳しく知っていたかどうかは分かりません。しかし、捕囚からの帰還民の中で、イスラエルの血筋に属する者であるかどうかを示せなかった者を区別して、神の託宣を受けることの出来る大祭司が登場するまで、彼らを交わりに入れなかったほどですから(2章59節以下)、サマリアの民の申し出を聞いたとき、すぐに受け入れてはならないと考えたのでしょう。

 

 そしてそれは、御霊の導きだったのではないでしょうか。その判断が正しかったことが、彼らによる神殿建築の妨害によって、直ちに明らかにされたわけです。その妨げによって、建築工事はダレイオスの治世まで、中止のやむなきに至りました(4節)。

 

 その後、クセルクセス王の治世(紀元前486~465年)、またアルタクセルクセス王の治世(紀元前465~425年)に、告訴状がその地の住民から出されたことが記録されています(6節以下)。これは、第二神殿の建築という出来事(紀元前515年)から随分後の時代のことです。つまり、6~23節までの記事は、第二神殿建設に反対した者たちが、繰り返し敵対行動をとったという記録なのです。

 

 そして、アルタクセルクセス王の返事(17節以下)と、その結果(23節)が示すように、反対派の行動が功を奏し、ペルシア王の力で神殿建設のみならず、イスラエル再建のための働きがしばしば妨げられることになります。

 

 主に心動かされたキュロスの命によって始められたのに、それがしばしば妨げられたのは、出エジプトのときにも、繰り返しエジプト王が心を頑なにして、民を自由にすることがなかったこと、また、約束の地に入るのに荒れ野で40年を過ごさなければならなかったことなどを思い起こさせます。そうしたことを通して信仰が練られ、何よりも先ず主を求める心を持つように、導いておられるのです。

 

 反対派によって繰り返された敵対行為にも拘らず、やがて、神殿を完成することが出来るように導かれます(6章13節以下)。真剣に神の御心を尋ね求め、その導きに従って歩んでいる者には、神の守りと助けが与えられるという証しです。

 

 私たちも、絶えず真実をもって主を求め、その導きに従順に従わせていただきましょう。

 

 主よ、真実をもって主を畏れ、神を尋ね求める人々の上に、恵みと慈しみが常に豊かにありますように。全世界に、主イエスの平和が与えられますように。御国が来ますように。御心を行う者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。」 エズラ記5章2節

 

 冒頭の言葉(2節)の通り、「ユダとベニヤミンの敵」(4章1節)によって中断された神殿建築が、もう一度開始されます。それは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤにより、神の預言がもたらされたからでした(1節)。そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは、神殿建築の再開に立ち上がったのです。

 

 エズラ記には、ハガイやゼカリヤがどのようなことを語ったのか記されていませんが、ハガイ書1章4節に「今、お前たちは、この神殿を廃墟のままにしておきながら、自分たちは板で張った家に住んでいてよいのか」とあり、神殿再建を放棄している民を叱責し、同8節で「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる」と命じています。

 

 また、ゼカリヤ書4章9節に「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる」と記されています。敵の妨害に加え、凶作などもあって(ハガイ書1章10,11節参照)、神殿建築どころでなかった民が、預言者の言葉に励まされ、立ち上がる力を得たのです。

 

 ところで、神殿建築が中断したのは、敵の脅迫や妨害工作に加えて、ペルシア王の中止命令が出されたからだと、4章4,5節、17節以下に説明されていました。敵は、王の命令を錦の御旗にして、強引に工事を中止させることさえしたわけです(4章23節)。

 

 王に中止させられた工事を再開するには、あらためて王の許可命令を受ける必要があります。しかし、ゼルバベルらは、預言者ハガイらの告げた神の言葉に従い、その許可を待たないで工事を再開したのです。そのことで、どのような制裁があるかを考えると、軽々に出来ることではありません。

 

 使徒ペトロがサンヒドリンの議員たちから、「主イエスの名前で話したり教えたりするな」(使徒言行録4章1節以下、17,18節)と脅迫を受けたとき、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(同29,30節)と答えました。

 

 それと同様、ゼルバベルたちの行動は、主が命じておられることを行わないわけにはいかないという、明確な信仰の表明といってよいでしょう。そして、そのように信仰に立って行動するゼルバベルには、神の預言を告げた預言者たちが共にいて、その働きを助けました(2節)。

 

 工事再開に驚いたユーフラテス西方の総督タテナイは、工事再開を誰が命じたのか、責任者は誰かと詰問します(3,4節)。それは、特にイスラエルの人々に対する敵対行為などではなく、総督として、事実を確認しようとしての当然の行動というべきものでしょう。というのも、タテナイはすぐに工事中止を命じなかったからです。

 

 タテナイはペルシア王ダレイオスに事態を報告し、返書を待ちます(5節)。6節以下に、ダレイオス王に送られた書簡の内容が記されていますが、その中に、タテナイの質問に対するゼルバベルらの返答が記録されています(11節以下)。

 

 それは、神殿の再建命令は、バビロン(ペルシア)の王キュロスが出したもので(13節)、責任者はキュロスが長官に任命したシェシュバツァルという名の人物で、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち帰った金銀の祭具をシェシュバツァルに託し(14節)、神殿をかつてあったところに再建せよと命じたのだというのです(15節)。

 

 併せて、神殿はイスラエルの偉大な王(ソロモン)によって建てられたが(11節)、イスラエルの民らが神を怒らせたので、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡され、王が神殿を破壊し、民を捕囚としたと語っています(12節)。

 

 これが今、イスラエルの民の立っている場所です。神に従うべき民が、その命に背いて神の怒りを買い、捕囚という辛酸を嘗めたけれども、今、神によって神殿再建の号令が発せられ、再び神を礼拝するイスラエルの民がここに集められたのです。この発言の中に、彼らの悔い改めと、神の憐れみに対する感謝、ゆえに、神殿建設に向けての確たる決意を見ることが出来ます。

 

 もし、預言者たちによって神の預言がもたらされなければ、ゼルバベルたちは神殿の工事を再開することは出来なかったでしょう。むしろ、神殿再建の思いを断念さえしていたかも知れません。あのキュロス王は、イザヤが告げたとおりの救済者メシアだったのか(イザヤ44章24節以下、45章1節)、神は本当に自分たちと共にいてくださるのかと考えて、再建を放棄しても、無理はなかったと思われます。

 

 そして、神殿建築の目標を失い、何をしたらよいのかも分からなくなっていたのではないでしょうか。「幻がなければ、民は堕落する(預言がなければ民はわがままに振る舞う)」(箴言29章18節)という御言葉のとおりです。

 

 御言葉なしに、言い換えれば、神の導きと助けなしに、自分の意志で大きな壁を乗り越え、神の業を成し遂げることは出来ません。神はイスラエルの民に預言の言葉を与え、彼らの上に目を注ぎ、その働きが妨げられないようにしてくださいました。

 

 私たちも今、御言葉を聴き、主の御旨を求め、神の御前に進むように導かれています。日毎に主と共に歩み、主の業に励む者としていただきましょう。

 

 主よ、武力をもって自分の意志に従うことを相手に強要する戦争が終結し、全世界にキリストの平和が実現しますように。全身全霊をもって神を愛し、隣人を自分のように愛せよという戒めが守られますように。互いに愛し合うことを通して、私たちが神を畏れ敬う民であることを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「祭司とレビ人は共に身を清めていたので皆清く、捕囚の子ら皆のため、また彼ら自身のために過越のいけにえを屠った。」 エズラ記6章20節

 

 ユーフラテス西方の長官タテナイの調査依頼の書簡を受け(5章6節以下)、ダレイオス王の命令でバビロンの記録保管所が調べられ(1節)、メディア州エクバタナでキュロス王の勅令が記された巻物が発見されました(2節)。それは、神殿を再建すること、その規模は以前と同規模にすること(3節)、費用は国庫負担とすること(4節)、神殿祭具は返還すること(5節)という内容のものでした。

 

 3節に「建物の高さは60アンマ、間口は60アンマとする」と記されていますが、ソロモンの神殿は「奥行きが60アンマ、間口が20アンマ、高さが30アンマ」(列王記上6章2節)だったので、かなりサイズアップすることになります。

 

 その「覚書」(2節)を見たダレイオス王は、神殿再建の干渉を辞め(6節)、むしろそれを援助するように、ユーフラテス西方の税収をその費用に充てるようにと命じました(8節)。かくて、神殿再建がキュロスの命令であったことが確認され、あらためてダレイオスにより、ペルシアの公式事業として推進されることになったわけです。

 

 さらに、神への献げ物に必要な牛、羊、穀物などは毎日欠かさず提供することを命じ(9節)、イスラエルの民が神を礼拝するときに、ペルシア王と王子たちの幸福を祈るようにさせます(10節)。そして、この定めに違反し、彼らの礼拝を妨げようとする者は厳罰に処すということさえ、つけ加えました(11,12節)。

 

 そこで、長官タテナイは王の命令どおりに実行し(13節)、イスラエルの民は順調に建築を進めることが出来たので(14節)、ダレイオス王の治世第6年のアダルの月の23日に無事完成しました(15節)。

 

 ダレイオス王の治世第6年といえば、紀元前516年頃のことです。それは、キュロス王の解放令が出されて20年余り、バビロニアのネブカドネツァルによってエルサレムが陥落し、神殿が破壊されてから70年という年月が経ったということになります。

 

 完成した第二神殿をソロモンの神殿と比較すれば、サイズはともかく、壮麗さ、細かい装飾などをそのとおりに再現することなどは到底出来なかったでしょう。けれども、ここに主に属し、主なる神を礼拝するイスラエルの民が回復されたのです。

 

 出エジプトの際、主なる神がイスラエルの民の中に住まわれるための聖なる所、神の幕屋を造るために、金、銀、青銅、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛、雄羊の毛皮、ジュゴンの皮、アカシヤ材、灯火のための油、種々の香料、縞めのうやその他の宝石が集められました(出エジプト記25章2節以下、35章5節以下)。

 

 エジプトで長年に亘る奴隷生活をしていたイスラエルの民が、それらをすべて所有していたわけではありません。彼らは、エジプトを出る際、エジプトの民から金銀の装飾品や衣類を得ました(同11章2節、12章35,36節)。それが用いられて、主が共に住まわれる神の幕屋を造ることが出来たのです。

 

 今回は、キュロス王の命令により、そして、ダレイオス王がそれを確認したことで、ペルシアの国庫から神殿再建に必要なすべてのものが供給されることになりました(4節)。帰国したイスラエルの人々を、主に属する民、主を礼拝する民として整えるために、歴史を動かしておられるのは神であること、御旨の実現のために、異邦人をさえお用いになるということが、ここにはっきりと示されています。

 

 神殿完成を祝い、雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹が献げられ、また、全イスラエルの贖罪の献げ物として雄山羊12匹がささげられました。それを、「イスラエルの部族の数に従って」と言っています。即ち、バビロンによって滅ぼされた南ユダだけでなく、アッシリアに滅ぼされた北イスラエルの罪も贖われ、清められたということです。

 

 今回、エルサレム神殿を再建した民4万2千人余りは、かつて、イスラエルを建国した民の十五分の一というようなものでしょう(2章64節、民数記1章46節、26章51節参照)。まさしく「イスラエルの残りの者」です(イザヤ書10章20,21節、46章3節、エレミヤ書31章7節など)。

 

 イスラエルの民は、モーセの律法に従い、1月14日に過越祭を祝います(19節、出エジプト記12章1節以下、6,17,18節、レビ記23章5節)。それは、神殿が完成した翌月のことです(アダルの月はユダヤの12月、太陽暦の2~3月)。

 

 過越祭を祝ったということは、バビロンからの解放を第二の出エジプトと見なし、これまでの古いパン種を取り除いて、新しく完成した神殿で、心を込めて主なる神を礼拝するのです。そうして、神の救いは遠い過去の出来事ではなく、今現在、私たちが味わうことの出来る御業であることを知って、それを喜び祝うのです。

 

 冒頭の言葉(20節)に、祭司、レビ人たちが身を清めていたと記されています。これは、神殿が出来、礼拝が行われるようになったから身を清めたというのではなく、神殿再建の工事が再開されて以来、彼らが常に身を清めて、安息日や過越祭などの祝祭に備えていたということでしょう。この献身により、過越祭を滞りなく行うことが出来たのです。

 

 私たちは、主イエスを信じる信仰によって神の子とされ(ヨハネ1章12節)、私たちの内に聖霊を住まわせる神殿とされました(第一コリント3章16節)。主の恵みの御業を日毎に確認し、喜びをもって主と共に歩ませていただきましょう。「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです」(第二コリント5章17節)。

 

 主よ、イスラエルの人々は、主の憐れみを受けて神殿を再建し、再び主を礼拝する民として整えられました。今、私たちも礼拝の民として、自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げるよう、招かれています。日々新たに、感謝をもってその招きに応えることが出来ますように。 アーメン

 

 

「エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。」 エズラ記7章10節

 

 ペルシア王アルタクセルクセスの治世に、祭司エズラがエルサレムに帰って来ました(1節以下)。アルタクセルクセス1世の治世第7年(7節)は、紀元前458年頃のことと推定されます。ということは、エルサレム神殿が破壊されてから130年後、キュロス王の帰国・神殿再建命令が発布されてから80年後、そして、第二神殿完成からおよそ60年後のことです。

 

 ただ、1章で学んだように、エズラの帰還をアルタクセルクセス2世の治世第7年とすると、紀元前398年頃のことになります。つまり、エズラの帰還がさらに60年遅れるということになるわけです。そして、それを支持する学者も少なからずあり、議論の分かれるところです(岩波訳同箇所の脚注も参照)。

 

 バビロンからエルサレムまではおよそ1600㎞、ちょうど4か月の旅路でした(9節参照)。因みに、江戸城の無血開城に大きな役割を果たした天璋院・篤姫が江戸参府のとき、女中の警護の者200名余りを引き連れた1300㎞ほどの道程でおよそ2か月要しました。一日平均21.7㎞は、決してのんびりと物見遊山しての旅ではなかったことを示しています。

 

 エズラの旅に時間がかかったのは、15節以下にある通り、多額の金品を所持していることから、警護が物々しかったであろうということ、そして、献げ物のための雄牛、お羊、小羊、穀物にぶどう酒を買い集めて持参するという手間もあったからでしょう。さらに、8章には、レビ人を連れて行くために時間を要したことが記されています(8章15節以下)。

 

 1節後半から、エズラが大祭司アロンの子孫であることが、系図で示されます。その系図によれば、初代の大祭司アロンからエズラまで、合計17人となっています。しかしこれは、実際の数ではありません。アロンからエズラまで、ざっと800年以上の開きがありますから、30人ほどいて当然というところです。

 

 また、歴代誌上5章27節以下に記されている大祭司の系図では、アロンからバビロンに連行されたヨツァダクまで23人の名が記されています。エルサレムが陥落した時、ヨツァダクの父セラヤが祭司長だったと、列王記下25章18節に記されています。つまり、セラヤが最後の大祭司で、ヨツァダクは大祭司になれなかったものと考えられます。ヨツァダクよりも後の系図は不明です。

 

 歴代誌の系図のうち、9人目のアマルヤから14人目のヨハナンまで、6人の名を除き、そして、最後のヨツァダクをエズラに変えるという手法で、エズラ記の17人の系図が作られたといってよいでしょう。ヨツァダク以降、エズラまでの間の子孫の名が省略されているのは、彼らが大祭司とならなかったからです。

 

 エズラ記の系図は、系図末尾のエズラと筆頭アロンを除く15人が、中間のアザルヤを挟んで、前後7人ずつに分けることが出来ますられます。つまり、エズラ、7人、アザルヤ、7人、アロンという順に並んでいるわけです。

 

 この系図で、エズラがアロンに連なる祭司の直系の子孫であることを示すと同時に、アロンが神に選ばれた最初の大祭司、そして、アザルヤはソロモンの神殿建築の時の大祭司(歴代誌上5章36節)であることから、エズラは、第二神殿が建てられて最初の大祭司となったということを示そうとしています。

 

 しかも、彼は表向き、祭司としてではなく、イスラエルの律法に詳しい書記官とされています(6節)。つまり、ペルシアの行政官に選ばれているのです。12節のアルタクセルクセス王の親書には、「天にいます神の律法の書記官」と記されています。即ち、ユダヤ関係担当者として、ペルシア王から派遣されて公式にイスラエルを訪問する訪問団の代表としての務めを担っているわけです。

 

 王の親書には、①神の律法に従ってユダとエルサレムの事情調査をすること(14節)、②エルサレム神殿のために献金を持参し(15,16節)、供え物を献納すること(17節)、③ユーフラテス西方の役人に対する神殿への銀、小麦、葡萄酒、油、塩の供給命令(22,23節)、④神殿に仕える者の免税(24節)、⑤司令官、裁判官を任命すること(25,26節)が記されています。

 

 つまり、これは、イスラエルの律法、祭儀をよく知っている内容となっているわけです。ということは、この親書を作成するのに、祭司エズラが書記官として深く関与していたのであろうと思われます。

 

 どのようにして彼が書記官の立場に就いたのか、分かりませんが、「神なる主の御手の加護」があったと、6節に記されています。バビロン捕囚という荒れ野を経験することで練り鍛えられ、新しい主の民イスラエルを建て上げるために、その力と知恵が用いられるのです。

 

 エズラは、大祭司という家系を示し、ペルシアのユダヤ担当書記官という立場でエルサレムに派遣されましたが、冒頭の言葉(10節)のとおり、彼の働きは、主の律法を研究して実行し、イスラエルの民に掟と法を教えることでした(10節)。

 

 帰国したエズラは先ず、主の律法を研究しました(9,10節)。彼は既に律法に精通していましたが、主の民に教えるためにさらに深く学んだのです。そして、それを実行しました。エズラにとって、神の掟と法を学ぶことは、単なる法律の研究ではありません。神の御心を探り知ることでした。だから、神の御旨が分かったとき、彼はそれを実行し、民に律法を教えたのです。

 

 初めに、キュロス王の命により、第二神殿を建築するためにユダヤの民の帰還が行われ、次いで、アルタクセルクセス王の命により、律法に精通した書記官であり、大祭司であるエズラの一行が派遣されて、神の民イスラエルが整えられて行きます。

 

 ゆえに、冒頭の言葉(10節)の「教えることに専念した」というところに、エズラの強い意思が表われています。主の御心を学び、それを行うこと以外に、イスラエルを主に属する民として活かす道はない、とエズラは考えていたのです。

 

 主イエスも山上の説教の最後に、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」(マタイ福音書7章24節)と教えておられます。私たちは日毎に御言葉を頂いています。主の御言葉を深く学び、実行する者としていただきましょう。主の導きを祈ります。

 

 主よ、あなたはご自分の民を礼拝の民として整えるために、祭司エズラをペルシアの書記官として立て、王に命じさせてエルサレムに派遣されました。万事を益とされる主の御名を崇めます。今日も御言葉に耳を傾け、御心を学びます。日々、主の御業に励む者としてください。御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。」 エズラ記8章22節

 

 大祭司アロンの子孫で、ペルシャの書記官エズラ(7章1節以下、6,11節)の帰国に随伴した者は、2000名に満ちませんでした(8章2~14節)。彼らはアハワの川のほとりに集まり、部族毎の登録をしました。

 

 

 その場所は同定されていませんが、アハワの町とユーフラテスを結ぶ運河があったものと考えられています。そしてそこが、西方への旅を始める重要拠点だったのでしょう。

 

 そこで予め一行を調べてみたところ、祭司はいましたが、レビ人がいないことが分かりました(15節)。そこで、随伴者の頭たちを遣わして、主の神殿に仕えるレビ人を送り出して欲しいと要請します(16,17節)。

 

 キュロス王の命令を受け(1章2節以下)、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心動かされた者たちは、ユダの首長シェシュバツァルに導かれて帰国しました(同5,8,11節)。彼らは、紀元前538年にエルサレムに上って来ました。

 

 エズラ率いる一団がエルサレムに上ったのは、「アルタクセルクセス王の第七年」(7章7節)と記されており、アルタクセルクセス1世であれば紀元前458年で、第一陣の帰国からおよそ80年後ということになります。2世であれば紀元前398年で、さらに60年遅れて140年後ということです。

 

 ということは、エルサレムが滅ぼされ、ゼデキヤを含むエルサレムの民が捕囚とされてから(紀元前587年頃)、既に130年ないし190年という年月が経過しています。イスラエルに戻っても、そこに親族がいるわけではありません。

 

 また、住む家が予め備えられているわけでもありませんし、長距離の旅の安全が保証されているわけでもありません。さらに、先住の異邦人との戦いに直面することもあるのです。となれば、イスラエルに戻って苦労するよりも、このままバビロンで落ち着いた生活を続けたいと考える者の方が多かったということでしょう。

 

 実際、エズラがペルシアの書記官になれたのも、彼の能力があればこそですが、その能力を発揮できる環境が、ユダヤの民にも開き与えられていたわけです。また、バビロンでは、神殿で献げ物をささげることがなかったわけですから、レビ人が祭司の補助としての務めを行うことはなく、世俗化して一般的な務めを持ち、資産さえ有するようになっていたのかも知れません。

 

 ただ、17節の「(カシフヤの)所」(ハ・マーコーム)は、旧約聖書において「聖所」を指すこともあるので、レビ人がユダヤの民に律法を教える会堂があったのではないかと思われます。だから、「カシフヤという所の頭」、「神殿の使用人」なる「イド」という人物に「神殿に仕える者をよこして欲しい」と依頼しているのです。

 

 エズラがレビ人の同行を願ったのは、捕囚から解放され、バビロンからエルサレムに帰還することが、第二の出エジプトであるならば、第一の出エジプトにおいて神の契約の箱と幕屋、祭具などを持ち運ぶ役割をレビ人が担ったように、第二の出エジプトにおいて、重要な役割を担うべく、彼らに立ち上がって欲しかったのでしょう。

 

 この旅が第二の出エジプトと捉えられるのは、2節以下の帰還民のリストの中で、ピネハスとイタマルという祭司族に、ダビデという王族に続いて、12の一族が登録されていることにも示されます。王と祭司、それを補佐するレビ人に率いられて12部族が旅する、そして、約束の地イスラエルに入るという構図です。

 

 エズラの呼びかけに応えて立ち上がる者が出ました。「有能な人物」と称されるシェレブヤに、その子らと兄弟18人(18節)、ハシャブヤに、兄弟エシャヤとその子ら20人です(19節)。そこには、神の御手の導きがありました(18節)。彼らは、安定した豊かな生活よりも、主に従ってその使命を担うことを選び取る決意をしたのです。

 

 エズラは神の助けを喜びつつ、集まった人々に断食を呼びかけ、旅の無事を祈りました(21節)。特に断食を呼びかけたのは、この旅が必ずしも安全なものではなかったからです。そこには、盗賊の剣や獣の牙が待ち受けていたのです。

 

 エズラは、祭司、レビ人の中から12人ずつを選び、神殿への礼物としてささげられた金銀や祭具を、彼らの手に託しました。それは、銀650キカル(22.23トン)、銀の祭具100キカル(3.42トン)、金百キカル(3.42トン)などです(26,27節)。その重さもさることながら、たとえば、金100キカルは現在の価格にして、およそ160億円という大変な価値のものです。

 

 エズラは、ペルシアの書記官として派遣されるわけですから、当然、道中の護衛を王に頼むことが出来たはずです。あるいは、王の方から護衛の兵を同行させようと言われていたのではないでしょうか。ネヘミヤ記2章9節では、ネヘミヤの帰国に際して、アルタクセルクセス王が将校と騎兵を共に派遣してくれたとあります。

 

 しかしながら、冒頭の言葉(22節)にある通り、エズラは王に護衛兵の派遣を要請することを恥としたと言います。それは、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と、王に対して証しをしていたからだというのです。

 

 「旅の無事」(21節:デレフ・イェシャーラー)とは、「正しい道、まっすぐな道」という言葉で、平坦な道、障害や危険のない道という意味を表しています。主なる神を尋ね求めて、その道を正しい、まっすぐな道にしていただけると信じ、そのようにアルタクセルクセスに証ししていたわけです。

 

 第二神殿建設の折、強力なペルシアの支援を受けました(6章1節以下、8,9節)。その背後には、神の御手があったのですが、今ここでエズラは、目に見えるペルシアの力ではなく、目には見えないけれども、背後にあって歴史を動かしておられる主なる神にのみ頼る道を示され、それを実行しようとしているのです。

 

 レビ人がエズラの呼びかけに応えたように、エズラは神にのみ信頼を置いて、道を歩むことにしたのです。そのためにも、主の召しに応えるレビ人の参加がどうしても必要だったわけです。そして、主なる神はエズラの祈りを聞き入れられ(23節)、無事エルサレムに到着することが出来ました(31,32節)。

 

 私たちも、主イエスに属する者として、日々自分の十字架を背負って主に従う者にしていただきたいと思います。

 

 主よ、あなたの恵みと導きが私たちの上に常に豊かにありますように。それは、私たちがエズラの如く、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と語って主の愛と恵みの証し人となるためです。御名が崇められ、御心がこの地になされますように。そうして、全世界にキリストの平和がなりますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」 エズラ記9章15節

 

 エルサレムに到着したエズラのもとに、「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません」(1節)という知らせがもたらされました。それは、カナンの地の娘を娶り、彼らの習慣に従って生活するということでした(2節)。

 

 エズラは衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、呆然として座り込みました(3節)。それは非常に激しい驚き、悲しみ、憤りを表しています。どうして、イスラエルの一般民衆のみならず、祭司やレビ人まで、そのようなことをするのか、エズラには到底理解が出来なかったのです。

 

 かつて、イスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから救い出された神は、カナンの住民と婚姻を結び、その地の習わしに従ってはならないと命じられました(レビ記18章3節、申命記7章3節など)。にも拘わらず、彼らはその戒めを守ることが出来ず、神に裁かれて国が南北に分裂し、さらに罪を重ねた結果、北はアッシリア、南はバビロンによって滅ぼされ、捕囚の憂き目を見たのです。

 

 しかるに神は、イスラエルを完全に滅し去ることをよしとなさらず、深い憐れみによって民が生き残れるようにされました。それは、バビロンで捕囚として生きるという道でした。それも永遠にというのではなく、70年の捕囚生活によって罪を償い、その後にエルサレムに帰り、国を建て直すことが出来るように計画しておられたのです(エレミヤ29章10~14節)。

 

 神は、ペルシアの国庫負担で民に神殿を建て直させ(6章)、そして、大祭司エズラを派遣して、再建されたイスラエルの民に、掟と法を教えさせられました(7章)。それなのに、再び神に背く道を歩み始めるのです。しかも、「長たる者、官職にある者」、即ち民の指導者たちが率先して道を踏み外したのです(2節)。

 

 1節に「カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人」と、イスラエルの民と婚姻を結んだ「この地の住民」の名が列挙されています。しかし、エズラの時代、既にヘト人、ペリジ人、エブス人らはこの世に存在していません。これらの名を挙げることで、出エジプト時代の課題が繰り返されていることを、印象づけています(申命記7章1~3節など参照)。

 

 かつて、出エジプトの民は、約束の地カナンでの生活を始めるにあたり、異民族と婚姻を結び、その習慣を採り入れたので、彼らの宗教行為にも関わるようになりました(士師記2章2,11節以下など)。バビロンから戻って来た民がイスラエルでの生活を始めるに当たり、同じようにする誘惑に駆られ、またも神に背いたわけです。

 

 ここに、私たち人間の罪の現実があるとしか、言いようがありません。何度叱られても、どんなに罰を受けても、同じように罪を繰り返し、本当に悔い改めるということが出来ないのです。

 

 そのことを、エズラは祈りの中で神に懺悔し、「わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです」(10節)と告げます。

 

 それをご存知でない神ではありません。洪水ですべてが滅ぼされた後、箱舟を出て祭壇を築き、いけにえをささげたノアに、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(創世記8章21節)と仰っています。深い憐みをもって、罪深い私たちに関わり続けてくださるのです。 

 

 エズラはここで「彼らは罪深い者です。やっつけてください」と言っているのではなく、「お怒りになって、わたしたちを一人残らず滅ぼし尽くされても当然です」(14節)と告げており、続けて冒頭の言葉(15節)のとおり、「御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております」と語っています。即ち、自分もその罪深い者の一員だという告白が、ここにあります。

 

 この姿勢は、シナイ山で神に背いた民のために、「確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください」(出エジプト記34章9節)と祈ったモーセに倣うものであることを思い起こさせます。 

 

 これはパウロが、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ書9章3節)といって、ユダヤの民の罪を神から見捨てられるべきものだと断じながら、彼らの救いのためならば、自分がそれを身に受けてもよいと、同胞との強い絆を示していることに通じます。

 

 勿論、主なる神は、パウロを見捨てるようなことはなさいません。かつて迫害者であったパウロを憐れんで救いに導き、さらに伝道者としてお立てになったように、今は不従順の中にいる同胞イスラエルの民も、憐れみを受けるようになると、パウロは信じているのです(ローマ書11章25節以下)。そしてそれは、すべての人を憐れみ救うことにつながると言っています(同32節)。 

 

 「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」(詩編34編19節)、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(同51編19節)、「わたしは、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ57編15節)と言われています。

 

 自分を知り、エズラのように、パウロのように、神の御前にぬかずきましょう。神に向かい、神を慕い求めて祈りましょう。神の御心に聴き従いましょう。

 

 主よ、あなたは私のことをよくよくご存じです。あなたの目に隠れているものはありません。このような有様で御前に立ち得ないのですが、憐れみにより御前に額ずいております。主の憐れみと慈しみが常に豊かにありますように。恵みに応えて歩むことが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン

 

 

「お立ちください。あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください。」 エズラ記10章4節

 

 エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていました(1節)。「身を伏せる」(ミトゥナペール)というのは、分詞形の動詞が用いられていて、身を起こして祈り(9章5,6節参照)、罪を告白して身を伏せるという動作が反復されている様子を窺わせます。エズラがひたすら嘆き祈る姿に、イスラエルの人々は深く心さされ、彼のもとに集まりました。彼らも激しく泣きます。

 

 その一人、エヒエルの子シェカンヤがエズラに、「わたしたちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました」(2節)と罪を告白し、そして、「今、わたしの主の勧めと、神のご命令を畏れ敬う方々の勧めに従ってわたしたちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします」(3節)と悔い改める約束をしました。

 

 26節の「エラムの一族の(マタンヤ、ゼカルヤ、)エヒエル」がシェカンヤの父エヒエルであれば、父親が異民族の女を嫁に取ったこと、自分はその子であることに心を痛めて、「わたしたちは神に背き」と、その罪を自分のこととして告白し、悔い改めの約束をしたのです。

 

 シャカンヤは、「今でもイスラエルには希望があります」(2節)と言い、そして、冒頭の言葉(4節)のとおり、「あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください」と告げました。それは、イスラエルの民の総意を代弁した発言でした。

 

 ここで、エヒエルとは「神は生きておられる」という意味、シェカンヤとは「主が住まわれる」という意味です。罪を告白し、悔い改めを約束した者自身が、「イスラエルには希望がある」(2節)と語るのは、少々心中複雑なものがあります。

 

 しかし、「神は生きておられる」という名の父を持つ、「主が住まわれる」という名の人物が罪を悔い改めて、泣いているエズラを励まし、立ち上がらせるというところに、神の赦しと導きを見ることが出来るようです。

 

 「あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください」(4節)と言われて立ち上がり、エズラが行ったのは、律法に従って嫁と嫁の産んだ子を離縁するというシェカンヤの提言をそのとおり実行すると、イスラエルのすべての民に誓わせることでした(5節)。

 

 集まった者たちに誓いを立てさせた後、エズラは神殿の前を立ち去り、エルヤシブの子ヨハナンの祭司室に行き、飲み食いせずに徹夜で民の背信を嘆き続けていました(6節)。神の赦しをいただくまで、神の御前で悔い改めの祈りを献げ続けていたのでしょう。

 

 その後、エズラはイスラエルの全会衆を召集し(7節以下)、「今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい」(11節)と言うと、彼らは、「必ずお言葉どおりにいたします」(12節以下)と答えました。

 

 それから3ヶ月に及ぶ調査の後(16,17節)、異民族の女性を嫁に取った者のリストが作成されました(18節以下)。1月1日に調査が終わり、祭司らは、妻を離縁することに同意し、罪を認めて償いのいけにえをささげました(19節)。新しい年を心新たに主に従う年とするということでしょう。

 

 25節以下には、祭司、レビ人以外のイスラエルの人々のリストがありますが、彼らはどのように行動したのでしょうか。その結果、何が起こったのでしょうか。神はそれを喜んでくださったでしょうか。エズラ記の記述はこのリスト作成で終わっていて、その後のことは分りません。

 

 しかし、ネヘミヤ記13章23節以下を読めば、ユダの人々がアシュドド人やアンモン人、モアブ人の女性と結婚していることが分かります。ということは、イスラエルの民は、エズラと共に立てた誓いを徹底して守り行い続けることが出来なかったわけです。

 

 同じ罪を繰り返しているというこの事実は、人間が自分で罪から離れること、罪の誘惑に打ち勝つことは、容易ではないということを表しています。否むしろ、不可能なのかも知れません。

 

 イスラエルの民のなすべきこととは、何だったのでしょうか。まず、自分で罪の力から逃れることは出来ないという事実を認めることです。救いは神から与えられるものです。義を追い求めながら、神に背く人間の罪深さを悟ったパウロは、救い主を求めました。

 

 「死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ書7章13節以下、24節)と神に訴え、救い主なる神を求めるとき、真に罪を赦し、救ってくださる主と出会うことが出来ます(同25節)。ここに、罪の赦し、救いの確信があります。

 

 エズラはその事実を悟ったからこそ、民に誓わせた後も、神の前に嘆き、祈り続けていたのです(5,6節)。誓ったことは守らなければなりませんが、それを実行させてくださるのは、神の力、御霊の導きだということです。

 

 主イエスが復活された後、弟子たちに姿を現わして、「父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい」(使徒言行録1章5節)と言われました。聖霊が降ると力を受けて、立ち上がることが出来ます。そして主の使命を果たすことが出来ます。主イエスの十字架の血潮で罪清められ、聖霊に満たされ、その力を受けて、主の御用に用いて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは常にあなたを必要としています。私たちの心の王座においでくださり、私たちをあなたの望まれるような者に造り替え、御旨のままに用いてください。主の祝福と導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

日本バプテスト

静岡キリスト教会

〒420-0882

静岡市葵区安東2-12-39

☏054-246-6632

FAX    209-4866

 

facebook「静岡教会」

 

当教会のシンボルマーク
当教会のシンボルマーク

当サイトはスマートフォンでもご覧になれます。

 

 

2014年8月6日サイト開設