士師記

 

 

「主は、『ユダが上れ。見よ、わたしはその地をユダの手に渡す』と言われた。」 士師記1章2節

 

 今日から、士師記を読み始めます。表題の「士師記」というのは、2章16節の「士師たち」(ショフティーム)という言葉から来ています。「ショフティーム」は「裁く」という意味の動詞「シャーファト」の分詞・複数形です。

 

 「士師」という訳語は、中国語聖書に由来するものです。口語訳、新改訳聖書は、「さばきつかさ」と訳しています。因みに、新共同訳聖書で2章以外に出て来る「士師」(3章10節、4章4節、10章2節など)という言葉は、原文にはありません。

 

 士師記の中で、士師とはどのような存在なのか、何の説明もされていません。「ショフティーム」は、申命記16章18節で「裁判人」と訳され、正しい裁判を行うために、部族ごとすべての町に「裁判人」を置くように定められています。

 

 士師記における士師は、裁判官、仲裁者としての役割を果たす者もいますが、主に軍事的な指導者として、イスラエルを守る働きをします。その中には、預言者と呼ばれる女性もいます(4章4節)。

 

 士師は、ヨシュアの死後、預言者サムエルが登場して来るまでの間、イスラエルの民を守り導く者として、歴史の舞台に登場して来ます。モーセやヨシュアは全イスラエルの指導者でしたが、士師は、イスラエル各部族のリーダーとして、主に選ばれて12名登場して来ます。

 

 ということは、ヨシュアの死後、しばらくの間、イスラエルの民全体を導く強力なリーダーが立たなかったということです。また、ある意味では、各部族の嗣業の地で同時に起こっていたような出来事を、あたかも時系列に並べたかのように編集して記述しているといってもよいのではないでしょうか。

 

 最近の聖書学者たちにより、士師記は、申命記、ヨシュア記、サムエル記、列王記と共に、出エジプト以後、王制誕生までの間に起こった出来事、物語の資料を、紀元前721年の北イスラエル王国滅亡後程なくして、申命記史家(申命記に示される教えの薫陶を受けた人々)の手によって編集起草されたものと考えられるようになっています。

 

 1章に「カナンの征服」という見出しがつけられています。このことに関して、ヨシュア記では、土地の占領が終了し、それを各部族にくじで割り当てたことが、既に語られていました(ヨシュア記11章23節、21章43節)。

 

 1節で「わたしたちのうち、誰が最初に上っていって、カナン人を攻撃すべきでしょうか」と主に尋ねていますが、これは、ヨシュア記とは別の出来事というより、割り当てられた嗣業の地において、各部族がいかに先住民と戦い、その地を征服しようとしたのかということを、ここに改めて記していると考えてよいでしょう。

 

 カナン攻撃の先陣を誰が務めたらよいのかという問いかけに対して、主なる神は冒頭の言葉(2節)の通、「ユダが上れ」と言われました。他の部族については、殆ど数節なのに、ユダ族だけで1章の半分以上が割かれていることと合わせると、士師記は、あらためてイスラエルにおけるユダ族の優位を示そうとしているように見えます。

 

 やがて、ユダ族から全イスラエルを治める王が登場し、数百年に及ぶ王朝の幕が開かれようとしているのです。冒頭の言葉(2節)で主はユダに、「見よ、わたしはその地をユダの手に渡す」と言われました。ユダの人々はそれを聞いて立ち上がります。主は、ユダが御言葉に従ってカナンの地を獲得し、他の部族の模範となることを期待しておられるわけです。

 

 そのとき、ユダはシメオンに「わたしに割り当てられた領土に一緒に上って、カナン人と戦ってください」(3節)と要請し、同行することになりました。そして、主はユダの手にベゼクを渡され(4,5節)、一万の敵を打ち破り、捕らえたアドニ・ベゼク(ベゼクの王という意味か)の手足の親指を切断しました(6節)。

 

 続いてエルサレム(8節)、山地、ネゲブ、シェフェラ(9節)、ヘブロン=キルヤト・アルバ(10節)、デビル=キルヤト・セフェル(11節)、ツェファト=ホルマ(17節)、ガザ、アシュケロン、エクロン(18節)などを占領することが出来ました。

 

 ヨシュア記19章1~9節で、シメオンはユダ族の嗣業の地から17の町々を分け与えられたようになっていましたが、士師記では、町が分け与えられる根拠として、シメオンがユダの人々と共に戦ったからと説明していることになります(3節)。

 

 ところで、19節に「主がユダと共におられたので、ユダは山地を獲得した。だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった」と言われます。ヨシュア記17章16節では、そのようなことをヨセフの子らがヨシュアに訴えていました。

 

 主が共におられたのに、なぜ平野の住民を追い出せなかったのでしょう。確かに、「鉄の戦車」に代表される近代化された兵器の前に、鉄の武器を持たないイスラエルの民が立ち向かうことは、殆ど不可能だったのかもしれません。けれども、主が共におられれば、きっと追い出すことができたはずです(ヨシュア記17章18節)。

 

 それと明言されてはいませんが、ここでの問題は、もしかするとユダの人々が主に頼るのではなく、兄弟シメオンを頼りとして助力を求めたというところにあるのではないでしょうか。確かに、二人が心を合わせ、力を合わせて事に当たるならば、大事を為すことが出来るでしょう(創世記11章6節、コヘレト4章9節など)。

 

 けれども、力と数、技術に勝る敵の前に、どうすることも出来なかったのです。先陣を任され、イスラエルの模範となることを期待されたユダ族がそのような有様だったので(21節)、後に続く部族も、カナン人をその地から追い出すことが出来ませんでした(28節以下)。先を歩む者の責任は小さくないと言わざるを得ません。

 

 「言うは易し、行うは難し」と言わざるを得ない状況ですが、先立って私たちを招いておられる主に頼り、絶えず主の御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、先陣のユダが強い先住民を追い出せなかったので、続くすべての部族も、先住民を追い出すことが出来ませんでした。改めて、先に召された者の責任を思わされます。主よ、どうか私の内を探り、御前に相応しくないものを追い出してください。主を畏れ、真心を込め真実をもって主に仕えることが出来ますように。 アーメン

 

 

「主の御使いがすべてのイスラエルの人々にこれらのことを告げると、民は声を上げて泣いた。こうしてこの場所の名をボキム(泣く者)と呼び、彼らはここで主にいけにえをささげた。」 士師記2章4,5節

 

 「主の御使いが、ギルガルからボキムにやって上って来て」と、1節に記されています。ギルガルは、イスラエルの民がヨルダン川を渡って、それを記念する石碑を立て、宿営したところであり(ヨシュア記4章19,20節)、シロに聖所を移すまで(同18章1節)、イスラエルの拠点が置かれていた町でした。

 

 一方、ボキムについては、1節と5節に出て来るだけで、他には全く出て来ないので、どこにある、どのような町なのか不明です。70人訳聖書(セプチュアギンタ:ギリシア語訳旧約聖書)は、「ボキム」を「ベテル」と訳しています。ベテルの町が「ボキム」になったということでしょうか。 

 

 ベテルは「神の家」という意味で、以前は「ルズ」と呼ばれていました(1章26節)。ルズとは「アーモンド」という意味です。イスラエルの父祖ヤコブが兄エソウの手を逃れ、母リベカの故郷ナホルの町に向かう途中、野宿していたところで神と出会い、祝福を受けました。それがルズで、ヤコブはその地を「ベテル=神の家」と呼んだのです(創世記28章10節以下、18節)。 

 

 かつて神は、この地の住民と契約を結んではならない、住民の祭壇は取り壊さなければならないと言われました(2節、出エジプト記34章12,13節、申命記7章1,2節)。ところが、民はそれに従わなかったと言われます(2節)。

 

 具体的に、イスラエルの民がカナンの住民と契約を結び、その神々を礼拝したというような記述は、ヨシュア記からここまで、見い出されません。ただ、追い払うべき民を追い出すことが出来なかったと、1章に述べられているだけです。

 

 想像をたくましくして考えれば、ただ先住民が強くて追い出せなかったというだけでなく、むしろ彼らの習俗に倣ってカナンの神々を礼拝し、また互いに婚姻関係を結ぶことで、何とかイスラエルの民がカナンの地で生きることが許されるようになったということだったのではないでしょうか。けれどもそれは、まさしく御言葉に聴き従わないことであり、主を信じないことでした。

 

 そう考えると、主の御使いがギルガルからボキムに上って来たというのは、エジプトの恥をすすいでくださった主の御業を記念する場所から離れて、偶像礼拝に走ったイスラエルの民を探しに来たということなのでしょうか。それで、ヤコブ=イスラエルが祝福を受けた「ベテル」に来てみたら、そこが、異教の神が祭られる町になっていたというのでしょうか。

 

 それはちょうど、アダムとエバが禁断の善悪の知識の木の実を食べ、神の顔を避けて隠れているのを、「どこにいるのか」と呼ばれたという出来事の再現のようです(創世記3章9節)。神に背いたアダムとエバは、エデンの園を追い出され、自ら額に汗し、労苦して糧を得なければならなくなりました(同17節以下、23節)。

 

 「ボキム」に上って来た主の御使いは、神は先住民を追い払われない、異教の神々がイスラエルの民の罠となると告げました(3節)。イスラエルの民が神に従わないので、神もイスラエルの民を離れられたため、もはやその庇護を受けることが出来なくなったというわけです。

 

 それを聞いたイスラエルの民は、冒頭の言葉(4節)のとおり、声を上げて泣きました。おのが罪の深さを思い知らされ、それゆえ、いかに神を悲しませ、あるいは憤らせたのかを悟ったのです。その悔い改めの涙のゆえに、その場所は「ボキム」と呼ばれるようになったと説明されています(5節)。

 

 「ボキム」は、「泣く」という意味の「バーカー」という動詞の分詞で、「泣く人」という言葉です。かくて、「ベテル」が「ボキム」となったわけです。その意味で、かつてどのような神の御業が示され、いかなる恵みを味わった場所であっても、私たちがそれを忘れ、主の御言葉に背いて歩むとき、そこを「ボキム」とするのです。

 

 しかるに、イスラエルの民は「ボキム」で主の御使いに出会いました。もう一度、神の言葉を聴きました。彼らが御言葉を信じて歩むことが出来るなら、確かにそこは、誰も知らない、どこだか分からない「ボキム」ではなく、もう一度、彼らの涙をぬぐってくださる神のおられる「ベテル=神の家」となるのです。民はそこで、主にいけにえを献げました(5節)。

 

 私は1968年のクリスマスに、信仰を公に言い表してバプテスマを受け、キリスト者としての歩みを始めました。そこが私の「ギルガル」です。それから今日まで、様々な「ボキム」を通過して来ました。その度に、ギルガルから御使いがやって来て、正しい道へ導き返してくださいました。それゆえ「ボキム」が「ベテル」となりました。今日あるのはすべて主の深い憐れみのゆえです。

 

 主はいつも私たちと共におられ、御手をもって私たちを守り支え、御言葉をもって導いてくださいます。もう一度、あなたのギルガルを思い起こしましょう。そして今、どこにいるのか、確認してみましょう。絶えず主を仰ぎ、その御声を聴き、導きに従うことが出来るよう、日々祈りつつ歩ませていただきましょう。

 

 主よ、あなたこそ、私たちのよい牧者です。私たちには乏しいことがありません。御名によって私たちを正しい道に導いてくださいます。あなたが共におられるので、災いを恐れません。御言葉と御霊によって、いつも励まされ、勇気が与えられます。常に恵みと慈しみが私たちを追いかけて来ます。ベテルに帰り、生涯そこに留まらせてください。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行った。彼らが主の目に悪とされることを行ったので、主は、モアブの王エグロンを強くすることでイスラエルを脅かされた。」 士師記3章12節

 

  1節に「カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせた諸国の民は以下のとおりである」とあり、異教の民を追い出せと言われる神が、イスラエルの民が主の御言葉に従うかどうかを試すため、簡単には追い出せないようにしておられたということです。

 

 イスラエルの民は、残念ながら、主なる神の試験に繰り返し失敗し、先住民との婚姻を行い、彼らの神々に仕えました(5,6節)。2章で告げられていたとおり、彼らは神の家=ベテルであるべきところを「ボキム」(泣く者)としたのです(2章3~5節)。

 

 そのことについて、7節以下にその実態が記されています。イスラエルの人々が主を忘れてバアルとアシェラに仕え(7節)、神の怒りを買ったため、アラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に渡され、8年間、クシャン・リシュアタイムに仕えなければなりませんでした(8節)。アラム・ナハライムとは、2つの川のアラム、即ち、チグリス、ユーフラテスに挟まれたアラムという、メソポタミア地方北西部のことです。

 

 民が主に助けを求めたので、主なる神は、ユダ族はカレブの弟ケナズの子オトニエルを「救助者」として立て、彼らを救われました(9節)。オトニエルについては、1章12節以下に登場して、キルヤト・セフェルを占領し、カレブの娘アクサを嫁にしていました(ヨシュア記15章13節以下も参照)。

 

 嗣業の地を受けたのは、カレブが85歳のときです(ヨシュア記14章6節以下)。士師記は、カレブと同年輩のヨシュアが110歳で亡くなった後の時代です。記述通りであれば、オトニエルはこの時、何歳になっていたのでしょう。よく分かりませんが、そのオトニエルが、イスラエルの救助者として、最初に登場する士師となりました。そして、その働きにより、イスラエルは40年にわたり、平穏な毎日を過ごすことが出来ました(11節)。

 

 2章18,19節に「主は彼らのために士師たちを立て、士師と共にいて、その士師の存命中敵の手から救ってくださったが、それは圧迫し迫害する者を前にしてうめく彼らを、主が哀れに思われたからである。その士師が死ぬと、彼らはまた先祖よりいっそう堕落して、他の神々に従い、これに仕え、ひれ伏し、その悪い行いとかたくなな歩みを何一つ断たなかった」と語られていましたが、それがどういうことか、直ぐにも示されます。

 

 士師オトニエルが召されると、冒頭の言葉(12節)の通り、イスラエルの民は、またもや主の目に悪とされることを行うのです。このことについて、懲りないというか、過去に学べないというか、これは、いにしえのイスラエルの民だけの問題ではなく、私たち日本人も含め、人間の愚かさを見ることが出来るのではないかと思います。

 

 そこで、主はモアブの王エグロンを強くされ、イスラエルを脅かされました(12節)。かつてモアブは、イスラエルの前に戦う以前に気力も失せてしまい、そのまま呑み込まれてしまうという危機感から、王バラクが、遠くユーフラテス川流域のペトルから高名な預言者バラムを呼び寄せて、イスラエルを呪わせようとしたという事件がありました(民数記22~24章)。そのとき主はバラムに、呪いに代えてイスラエルの祝福を語らせられました。

 

 しかしながら、ここで命に背いて主を怒らせ、主が味方されなくなったイスラエルは、モアブに対抗できません。それから18年にわたり、モアブの王エグロンに貢ぎ物を送り、仕えなければなりませんでした(14節)。その苦しみの中で、民が主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らのために再び救助者を立てられます。それが、二人目の士師、ベニヤミン族のゲラの子エフドです(15節)。

 

 エフドは左利きであったと言われます。ここには、言葉遊びが隠れています。ベニヤミンというのは、「右手の子」という言葉です。「右手の子」と呼ばれる部族に、左利きの士師エフドが立てられるというのは、何ともいえない主のユーモアでしょう。

 

 また、ベニヤミンは、関係の深いマナセ、エフライムの南に嗣業の地を得ました。「ヤーミン」には「南」という意味もあります。東を向いて祈るとき(オリエンテーション)、右方向は南を指すからです。マナセ、エフライムの南の民ということで、ベニヤミンと呼ばれたのかも知れません。

 

 同様に、モアブの王エグロンの名は4回言及され(12,14,15,17節)、「王は非常に太っていた」(17節)と言われます。エグロンが「小さい子牛」を意味するという註解もあります。貢物に対して貪欲というイメージを持たせるかのようです。 

 

 エフドは、貢ぎ物を携えてモアブのエグロン王を訪ねました(15節)。エフドは左利きだったので、通常は左腰に下げる剣を右腰に下げており、それを上着で隠していたために(16節)、それと気づかれずにエグロン王の執務室に入ることが出来ました。そして、まんまと王を暗殺することに成功したのです(21節以下)。

 

 部屋に錠がかかっているのを、王が用を足していると考え(24節)、従臣たちが王のお出ましを待っている間に、エフドは抜け出してセイラに逃れ(25,26節)、そこで今度はエフライム山地に角笛を吹いて兵を集め(27節)、エフドを追ってヨルダン川を渡って来ようとするモアブ人を打ちます(28節)。王を失ったモアブ人は、既にイスラエルの敵ではありませんでした。さんざんに打ち破り、それから80年は、国に平和が戻ったのです(30節)。

 

 私たちは、父なる神の許から遣わされた救い主イエス・キリストを信じて罪赦され、永遠の命を受け、神の子とされました。それは、考えることも出来ない驚くべき恵みです。心から主に感謝し、信仰の正道をまっすぐに、御言葉に従って歩ませていただきましょう。

 

 主よ、強力な指導者がいなくなれば直ぐに背き、異教の神々に仕えてあなたを怒らせる民の叫びに耳を傾け、その都度、救助者をお立てになります。そこに深い主の愛と憐れみを見ます。私たちもその愛と憐れみによって救いに与り、今日まで信仰の道を歩んで来ることが出来ました。感謝です。常に主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしも一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」 士師記4章9節

 

 ベニヤミン人の士師エフドが亡くなると、イスラエルの民はまたも神に背いてその怒りを買い(1節)、ハツォルを治めていたカナンの王ヤビンの手に渡されました。ヤビンは20年にわたり、イスラエルをその力で押さえつけました(3節)。

 

 カナンの王ヤビンについて、ヨシュアによって剣で殺され、ハツォルは火で焼かれたと、ヨシュア記11章10,11節に記されています。ハツォルを再建したカナン人の王が、ヤビンと名乗ったということでしょうか。

 

 イスラエルの民が主に助けを求めて叫んだので、神はエフライム人ラピドトの妻、女預言者デボラを士師として立てられます(4節)。アロンの姉ミリアムが女預言者と言われ(出エジプト記15章20節)、ヨシヤ王の時代には、見つかった律法の書を持って女預言者フルダの許に主の御旨を伺いに行ったという記事があります(列王記下22章14節)。

 

 また、清めの期間(生後40日)が過ぎて神殿に詣でた主イエスの両親を女預言者アンナが迎えて神を賛美しました(ルカ福音書2章22節以下、36節)。執事・福音宣教者として活躍していたフィリポの4人の娘たちも預言をしていたと語られるなど(使徒言行録21章8,9節)、旧新約聖書のあちこちに女性の預言者が登場し、よい働きをしています。

 

 デボラは、ナフタリのケデシュから、アビノアムの子バラクを呼び寄せます(6節)。「ナフタリのケデシュ」は、ガリラヤ湖の北およそ20kmにある町であり、また「逃れの町」」として選ばれたところでもあります(ヨシュア記20章参照)。

 

 エフライム人のデボラが北端の町の住民であったバラクを呼び寄せたということで、彼を予め知っていたデボラの活動の広さを思わせるところですが、むしろ預言者として、神の霊感によってバラクの存在を知ったのでしょう。

 

 ただ、デボラの夫の名「ラピドト」は「稲光」を表わし(出エジプト記20章18節)、「バラク」は「稲妻」を表わすヘブライ語の普通名詞です。「稲妻」と「稲光」、単なる言葉遊びかも知れませんが、もしかしてバラクのあだ名がラピドトで、二人は実は夫婦ではないかというのは、読み込み過ぎでしょうね。

 

 ハツォルはケデシュの南10kmにあり、ナフタリ族の嗣業の地に属する町です。後に、ソロモン王がこの町を要塞化し、北の守りの要としました(列王記上9章15節)。ヤビンは9百両もの戦車を有しており、イスラエルの民はその力に対抗出来ませんでした。

 

 バラクはケデシュの住民として、ハツォルの王ヤビンの力を知らないはずはありません。それでもデボラの要請に応えて立ち上がったのは、彼も女預言者デボラの士師としての働きを知っていたからでしょう。

 

 そして勿論、ここでヤビンを倒せば、同朋が苦しみから解放されて自由を得ることが出来ます。そこで、「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません」と言いました(8節)。

 

 冒頭の言葉(9節)は、デボラの返答です。「わたしも一緒に行きます」は、原文には、「必ず」という表現があります(口語訳、新改訳、岩波訳参照)。そこに、士師としてのデボラの意志があります。バラクの求めがなくても、そのつもりだったというところでしょう。

 

 しかし、バラクに同行を求められて、デボラは「今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と言います。これは、「わたしは彼をおまえの手に渡す」(7節)と言われた主の御言葉よりも、女預言者デボラの力と働きに頼ろうとしたため、主からの栄誉を受けられなくなったということなのでしょう。

 

 「女の手にシセラを売り渡される」 というのは、バラクよりもデボラの方が凛と立っているということで、栄誉が女の手に与えられることになると読むことも出来そうです。しかし、結末はもっと意外なものでした。

 

 ヤビンの将軍シセラは、主によってバラクの前に混乱させられ、軍勢が一人残らず剣に倒れました(15,16節)。シセラ一人だけが逃げ延びて、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に入り、身を隠します(17節以下)。

 

 ところが、ヤエルは天幕の釘を、安心して熟睡しているシセラのこめかみに打ち込み、死なせました(21節)。デボラが語ったとおり、主なる神がシセラを女の手に売り渡されたので、そこで命を失ってしまったのです。

 

 シセラがヤエルに、「人が来て、ここに誰かいるかと尋ねれば、だれもいないと答えてほしい」(20節)と言っていましたが、「誰かいるか」を正確に訳すと、「男(イーシュ)はいるか」です。

 

 確かに、女性のスカートの陰に逃げ込むような男は、既に「男」でなかったのかも知れません。シセラは同族のカイン人の女性の手に落ちて、生涯を閉じました。確かに、バラクがやって来たときには、へベルの妻ヤエルの手によって、彼女の天幕で「男」は息絶えていたのです(22節)。

 

 その後、戦局は一変し、カナンの王ヤビンはイスラエルの前に屈服させられ(23節)、やがて滅ぼされてしまうことになりました(24節)。ここに、自分たちを苦しめていた敵が完全に打ち破られたので、その栄誉が自分のものにならなかったからといって、バラクは嘆くことなく、きっと、その勝利を喜んだことでしょう。

 

 このように、デボラが語っていたとおりになったということは、ハツォルの軍勢を混乱させて打ち破らせられ、シセラがひとり走って逃げてヤエルの天幕で命を落とすことになった背後に、王ヤビンを滅ぼしてイスラエルをその苦しみから救うという神の御手の業があったということです。

 

 ということは、シセラを倒し、イスラエルをその苦しみから解放した栄誉は、バラクや女預言者デボラは勿論、シセラに手を下したヤエルのものでもなく、すべて、主のものなのです。

 

 日々主と主の御言葉に信頼し、その導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、私たちは目に見えるものに振り回され、しっかり握りしめられる確かさを持っていたいと思うものです。もういちど、目に見える一時的なものではなく、見えずとも永遠に続くものに目を留めます。絶えず御前に謙り、御言葉に従って行動させてください。御名が崇められますように。御心がなりますように。 アーメン

 

 

「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが、イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか。」 士師記5章8節

 

 1節に「デボラとアビノアムの子バラクは、その日次のように歌った」と記されていますが、「歌った」の動詞は三人称単数・女性形であり、5節の「わたしデボラは」などといった表現から、これは「デボラの歌」と言われています。同様の理由から、岩波訳ではこれを「デボラはアビノアムの子バラクを伴い、歌って言った」と訳しています。

 

 この歌は、20年にわたってイスラエルを苦しめたハツォルの将軍シセラの軍勢に勝利し、カナンの王ヤビンを滅ぼして、救いをお与えくださった神を賛美するものです。

 

 これはちょうど、過越の出来事の後、イスラエルの民が解放されて意気揚々と国を脱出したとき、エジプトのファラオがもう一度彼らを奴隷とするために追いかけて来たのを、主なる神が葦の海の奇跡をもって打ち破られて(出エジプト記14章)、モーセや女預言者ミリアムが主を賛美したのと同様です(同15章)。

 

 4,5節で「主よ、あなたがセイルを出で立ち、エドムの野から進み行かれるとき、地は震え、天もまた滴らせた。雲が水を滴らせた。山々は、シナイにいます神、主の御前に、イスラエルの神、主の御前に溶け去った」というのは、まさにエジプトからイスラエルの民を解放された神が、今ここに立ち上がって、デボラとバラクに勝利をお与えになったと歌っているわけです。

 

 「アナトの子シャムガルの時代、ヤエルの時代に、隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた」(6,7節)というのは、シャムガル(3章31節)が士師として働く前後の時代ということでしょうか。シャムガルは、フリ語で「シムグ(神)が賜った」という意味の名であり、父アナトも、カナンの戦いの女神の名であることから、カナン出身の人物だったと考えられます。

 

 そのころ、イスラエルが神に背いたために、カナンの王ヤビンが鉄の戦車を用いてイスラエルを苦しめ(4章1節以下)、主要な隊商路、街道では通行税を取り立てたので、人々は脇道を利用するようになったということでしょう。

 

 また、畑が荒らされて、農民たちは耕作を諦め、強い者に隷属せざるを得なくなったということで、イスラエルがカナン人に隷属させられるようになったということを示していると考えられます。

 

 「ヤエル」(6節)は、「ヘベルの妻ヤエル」(4章21節)を指すと考えられ、シャムガルの時代、ヤエルの時代と並列になっているということから、彼らの登場はほぼ同時代で、ここに描かれているのは、その時代状況ということになるでしょう。そんなときに、女預言者デボラが士師とされ、立ち上がったのです。

 

 冒頭の言葉(8節)で「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが」とあるのは、ヒゼキヤの代に、アッシリア軍がイスラエルに攻め込み、首都エルサレム陥落も時間の問題となったという状況を思い浮かべます(列王記下18章13節以下)。

 

 そのとき、そこにイザヤがいなければ、そして、主がヒゼキヤの祈りに応えてくださらなければ、北イスラエル同様、南ユダもアッシリアに打ち破られ、イスラエルの命脈は途絶えてしまったことでしょう。

 

 「イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか」というのは、鉄の戦車9百両を押し立ててやってくるシセラ軍に対し、兵士は4万人いるものの、なんとその手には槍も盾もない、ほぼ丸腰のような状態だったということでしょう。これでは、初めから戦いになりません。

 

 それにも拘わらず、「奮い立て、奮い立て、デボラよ、奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ。立ち上がれ、バラクよ、敵をとりこにせよ、アビノアムの子よ」(12節)と言われます。到底、ほめ歌を歌えるような心境にはなれそうもありませんし、そんな状態で、奮い立ってシセラ軍に対抗しようというのは、およそ無謀としか言えないようなことでしょう。

 

 けれども、神はイスラエルのために特別な仕掛けを用意しておられたのです。20,21節に「もろもろの星は天から戦いに加わり、その軌道から、シセラと戦った。キション川は彼らを押し流した、太古の川、キション川が」と記されています。古代イスラエルでは、星が雨を造ると信じられていました。

 

 つまり、タボル山に集結したイスラエル軍に対し、シセラ軍はキション川に集結しますが(4章6,7節)、突然の大雨でキション川が溢れ、鉄の戦車も押し流されて、全く使い物にならなかったということでしょう。

 

 4章15節に「主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた」とありましたが、それは、川の氾濫が原因だったというわけです。

 

 イスラエルの兵士たちはほとんど武器を持っていませんでしたが、万軍の主が彼らのために、彼らと共に戦ってくださり、勝利を収めさせられました。デボラとバラクに「奮い立て」と言われたのは、「主を信頼せよ」という表現だったわけです。

 

 これは、ヨシュアに対して「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア記1章6節など)と主が告げられていたのと同じです。主を信じる者の幸いを、ここに見ることが出来ます。

 

 日々主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、いつも信仰をもって応答する者とならせていただきましょう。

 

 主よ、私たちの信仰の目が開かれ、どのような状況下においても共におられ、私たちのために御業をあらわしてくださるあなたに目を留めることが出来ますように。信仰の耳が開かれ、「奮い立て」と言われる主の御声をさやかに聞くことが出来ますように。そして、主の御業を拝して、心から御名を褒め称えさせてください。 アーメン

 

 

「ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、『平和の主』と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。」 士師記6章24節

 

 6章は、5人目の士師「ギデオン」が選任されるところです。当時、イスラエルの民が主の目に悪とされることを行ったため、主は7年間、イスラエルをミディアン人の手に渡しておられました(1節)。そこで、イスラエルは、助けを求めて主なる神に叫びました(6節)。

 

 その叫びを聞かれた主は、一人の預言者を遣わされます(8節)。しかし、4章のときとは違い、この預言者の名は記されていませんし、士師として働きもしません。預言者は、主がイスラエルの民をエジプトの奴隷の家から導き出し(8節)、約束の地を与えたこと(9節)、そして、アモリ人の神を畏れ敬ってはならないと告げておいたのに、聞き従わなかったと語ります(10節)。

 

 つまり、ミディアン人に苦しめられ、甚だしく衰えることになったのは、イスラエルの民が主に聞き従わなかったからで、それは自業自得、神がミディアン人によってあなたがたを懲らしめておられるのだと、ここに宣告されたわけです。

 

 けれどもそれは、主が彼らをその苦しみからお救いにはならないということではありませんでした。主はギデオンのもとに御使いを遣わします(11節)。それは、ギデオンを士師として選び立てるためです。

 

 しかし彼は、勇敢な人物ではなく、むしろ小心な男でした。彼はミディアンが襲ってくると聞いて、早めに収穫し、酒ぶねに隠れて脱穀していました(11節)。当然、その場所は脱穀に都合の良い場所などではありません。およそ、来るなら来い、いつでも相手になってやるというような勇ましさ、大胆さは、ギデオンにはなかったのです。

 

 主の御使いの呼びかけに(12節)、ギデオンは「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました」(13節)と言い返しました。

 

 ギデオンは、自分たちにはモーセやヨシュアのような指導者もいないし、かつてのような奇跡も起こらない。どこに、主が共におられるというしるしを見ることが出来るのかとかみついているのです。

 

 それに対して主は、「あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか」(14節)と言われます。周りを見回すギデオンに主は、わたしは選んだのはあなただと告げられたのです。

 

 それはギデオンにとって、全く思いがけない言葉でした。とても自分にそのような力があるとは思っていませんでした。だから、「わたしの一族はマナセの部族の中で最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です」(15節)と答えています。士師に就任することなど、出来る相談ではないと思っているのです。

 

 これはしかし、私たちの問題でもあります。私たちが課題を抱え、どうしたらいいのかと神に訴えるとき、それが自分のなすべき務めだと言われて、直ぐにそうですかと立ち上がれる人がどれほどいるでしょうか。自分の知恵や力の不足を思い、自分にような者に勤まる役割ではないと考えるのではないでしょうか。

 

 主の御使いは再度「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる」(16節)と約束します。するとギデオンは、「あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください」と言います(17節)。そうまで言うなら、確かな証拠を見せよということでしょう。

 

 主イエスが、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(マタイ12章39節) と仰っていますが、主の御使いの告げる言葉はギデオンにとって、未だ信じるに足るものとはなっていないということを示しています。

 

 しかるに主は、なんとギデオンの要求に応えられました。ギデオンが用意した供え物の肉とパンに主の御使いが杖の先で触れると、岩から火が出てその供え物を焼き尽くしました(21節)。それを見たギデオンは、自分のところに遣わされていたのが主の御使いであることを悟り、御使いをその目で見たことを恐れます(22節)。

 

 主は彼に「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない」(23節)と言われます。ギデオンを打つつもりで主の使いを遣わしたわけではないからです。そこでギデオンは、冒頭の言葉(24節)の通り、そこに祭壇を築いて、「平和の主」(アドナイ・シャローム)と名付けました。それは「主こそ、平和のお方」という意味です。

 

 強国に苦しめられていた当時のイスラエルには、平和がありませんでした。イスラエルの人々の心は、不安と恐れに包まれていたのでしょう。何とかしてこの状況から脱出したいと考えていたと思います。

 

 こちらの神を拝むと御利益があると聞けば行って拝み、あちらに霊験あらたかな社があると聞けばそこで手を合わせるという日々ではなかったでしょうか。それもこれも、平和を手に入れたいがための行動だったと思います。溺れる者はワラをもつかむという心境でしょう。

 

 しかし、溺れている者がワラをつかんでも、何の助けにもなりません。ミディアン人の前に、自分たちが拝み、救いを願った神々が何の助けにもならないことを味わったギデオンは、「主が共にいる」という祝福の言葉を聞いても、私たちは神に見捨てられた存在なのだと言うほかなかったわけです。

 

 けれども彼は今、目の前に生きておられる神を見ています。そのお方は自分を生かし、イスラエルを救ってくださるお方なのです。主なる神は、ギデオンが用意した供え物をお受け取りになりました。

 

 かくてギデオンは、主との間に平和を得たのです。ギデオンが平和を作ったのではなく、主がギデオンに平和を賜ったのです。だから、ギデオンは主なる神を「平和の主」と呼んだわけです。

 

 平和が与えられたギデオンは、自分たちの中にある偶像、恐れと不安から逃れたいと思って持ち込んだ神々を切り倒しました。もうそれらのものは必要がないのです。むしろ、偽りの神々のために、まことの神を信じることも、まことの平和を味わうことも出来なくなっていたことに気づいたのです。

 

 ギデオンは、こうして神の命令に従って内側にある悪を切り倒して取り除き、まことの神、平和の主に聴き従う道を開くことが出来たのです。ギデオンとは、「切る人、伐採者」という意味の名前です。主は、彼をイスラエルから異教の神々を取り除き、まことの神に従う道を開く者として、その生まれたときから選び、立てておられたわけです。

 

 私たちも、主の恵みを受け、その御救いに与ることが許されたものです。主は私たちにも、「わたしがあなたを遣わするのではないか」と告げられるでしょう。力の足りないこと、知恵に不足していることは、主がご存知です。だからこそ、主に頼るほかありません。

 

 私たちを選び立てられた主に信頼し、その御言葉に聴き従う者となりましょう。その使命を果たすため、必要な知恵と力、導きをいただきましょう。  

 

 主よ、私たちの信仰と祈りの祭壇は、壊れやすいのです。ちょっとしたことで、信仰が骨抜きになります。祈りの生活が疎かになります。絶えず祈りと賛美に導いてください。御言葉に聴き従う信仰が確かなものとなりますように。御旨を弁え、委ねられた使命を全うすることが出来ますように。そうして御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「主はギデオンに言われた。『手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分のところに帰しなさい。』」 士師記7章7節

 

 士師として立てられたギデオンは、イズレエル平野にあるモレの丘のふもとに陣を敷いたミディアン人、アマレク人、東方の諸民族に対して(6章33節)、マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリから兵士を集め(同34,35節)、イズレエル平野の南、ギルボア山の麓、エン・ハロド(「ハロドの泉」の意)に陣を敷きました(1節)。

 

 ミディアン人らは「イナゴのように数多く、平野に横たわって」おり、「らくだも海辺の砂のように数多く」いました(12節)。8章10節に敵将の率いている軍勢は1万5千で、戦死者は12万と言われているので、少なくとも13万5千人以上の兵士がいたわけです。

 

 それを迎え撃つギデオンの兵士の数は、3万2千人です(3節参照)。武装はもとより、兵の数においても、ギデオン率いるイスラエル軍は圧倒的に劣勢を強いられています。

 

 にも拘らず、主はギデオンに「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない」と言われました(2節)。その理由は「イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言う」からというのです(2節)。そこで、敵の大軍を恐れている者2万2千を帰らせると、残りは1万人になりました(3節)。

 

 もしも、この基準を厳格に適応させると、ギデオンは除隊させられたことでしょう。 そもそも、ミディアン人に奪われるのを恐れ、酒ぶねに隠れて小麦を打っておりました(6章11節)。主の御言葉に従って立ち上がるよう促されても、直ぐに辞退を申し出ており(同14,15節)、更には、確証を求めていました(同17節)。

 

 6章34節に「主の霊がギデオンを覆った」と記されており、これで勇気百倍、力と確信に満ちたかと思いきや、更に確証を求めています(同36節以下)。ギデオンが陣を敷いたエン・ハロドは、3節の「おののく」(ハレード)と同根で、「おののきの泉」といってもよいでしょう。ギデオンには、恐れ戦きが泉のように湧き上がっていたのです。

 

 その意味で、1万人も残ったこと、ギデオンが戦場を去らなかったのは、少々驚きです。しかし、敵の大軍の前に、1万では戦いにならないでしょう。結果は火を見るより明らかというところです。けれども主は「民はまだ多すぎる」(4節)と言われ、水辺に下りて、そこで民をえり分けさせます(5節)。

 

 それは、冒頭の言葉(7節)のとおり、手で水をすくい、すすって飲んだ3百人だけを残して、あとは家に帰らせるということでした。主は、この3百人の手にミディアン人を渡そうと約束されます。

 

 戦いに赴く兵士のえり分け方について、膝をついて水をなめる者たちは、戦いの心備えが出来ていない、水を手にすくってすすった者たちは、その「手」(ヤド)が単数であることから、片手に武器を持ち、いつ戦いが始まっても対応出来る心構えが出来ていたというような解釈をよく聞きます。

 

 それは、その通りだろうと思いますが、しかし、大の大人が膝をついて水をなめるでしょうか。全くいないとは言いませんが、97%の男性兵士がそうするなどとは、到底思えません。

 

 それに、3百人がそれぞれ、一騎当千の勇者というような力の持ち主、恐れ知らずの武者などであれば、これまた「イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言う」(2節)という事態になることでしょう。

 

 だから、「神の助けがなければ、到底ミディアンに対抗することなど出来なかった」と言わせるために、主はむしろ、小心な者たちを選ばれたのではないでしょうか。小心であればこそ、慎重にことを進めます。知恵を巡らすでしょう。そして何より、神に依り頼むはずだからです。

 

 開戦前夜、ギデオンは主に命じられ、敵陣をこっそり偵察します(9節)。一人では恐ろしかったので、従者プラを同行させました(10,11節)。ギデオンはまだ恐れと不安に包まれていたのです。

 

 敵陣で一人の男が仲間に「大麦のパンがミディアン陣営に転がり込んで、天幕を倒してしまった」(13節)という夢の話をしていました。するとその仲間が、「それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ」(14節)と、その夢解きをしたのです。

 

 それに力を得たギデオンは、ひれ伏して感謝を捧げます(15節)。陣営に戻り、3百人を百人ずつ三つに分けました(16節)。そして、敵陣のところまで近づいて角笛を吹き、松明をかざし、「主のために、ギデオンのために剣を」と叫ぶと(19節以下)、敵陣営の至るところで同士討ちが起こり、自滅の状態でした(22節)。

 

 何しろ、全員が右手に角笛、左手に松明の入った水瓶を持っているということは(16,20節)、誰も剣や槍を持っていないということです。それなのに、武装でも兵の数でも圧倒的に勝っているはずのミディアン軍が、ギデオンの前から蜘蛛の子を散らすように敗走したのです。

 

 夜襲で敵の不意を突くというのは、確かに効果的な方法でしょう。しかし、ここまでの圧勝になったのは、主なる神が味方されたからです。それで、ミディアン軍が同士討ちをするなど、大混乱に陥ってしまいました。それこそ、主なる神がギデオンのための剣となられたわけです。

 

 ミディアンの陣営は「モレの丘」の麓にありました(1節)。「モレ」には「教師」という意味があります。ギデオンが敵兵の夢とその解釈の話を聞いて、勝利の確信を得、戦いに臨むことを予見させます。

 

 その話を聞かせ、ギデオンを立ち上がらせるために、主が彼を敵陣まで手引きしたということですが、皮肉なことにといいましょうか、彼は主の御使いの言葉(6章12節)やしるし(同21節)、主の霊に覆われること(同34節)よりも、敵兵の言葉に耳を傾けることで、確信を得たのです。

 

 「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ書11章6節)という言葉の通り、私たちが主に信頼するかどうか、主の御言葉に聴き従うかどうかが問われています。主の御言葉が実現し、主の御心が行われるように、共に主を仰ぎましょう。その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩ませて頂きましょう。 

 

 主よ、イスラエルの民は、苦難を経る度に主を仰ぎ、その救いの恵みを経験することが出来ました。確かにあなたは、御名を呼び求める者を皆お救いくださる憐れみ深いお方です。私たちも主を信じ、日々その御言葉に耳を傾けます。主の御業を拝し、御名の栄光を褒め称えさせてください。 アーメン

 

 

「ギデオンは彼らに答えた。『わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』。」 士師記8章23節

 

 ギデオンがミディアンの大軍を打ち破り(7章21節)、敗走する兵を追撃するため、ナフタリ、アシェル、全マナセに呼びかけ(同23節)、エフライムには、ミディアン人を迎撃するように依頼しました(同24節)。その結果、将軍二人(オレブとゼエブ)を捕らえて殺し(同25節)、そして、12万もの兵を打つことが出来ました(10節)。

 

 こうして、7年間にわたって苦しめられたミディアン人を完全に打ち破ることが出来たので、皆さぞ満足だろうと思いきや、エフライムの人々はギデオンに、ミディアンとの戦いになぜ最初から招集しなかったのかと文句を言います(1節)。

 

 それは、中心聖所が置かれているシロの町はエフライムに属しているという自負や、モーセの後継者ヨシュアはエフライム族だったということもあり、マナセで最も小さい氏族のギデオンに従うことをよしとしない思いや、栄誉を独占したいという功名心などが、そのような言動となったのでしょう。

 

 だから、「神はミディアンの将軍オレブとゼエブをあなたたちの手に、お渡しになったのだ。あなたたちと比べて、わたしに特に何ができたというのか」(3節)というギデオンの言葉を聞いて、溜飲を下げるのです。

 

 ギデオンはさらに3百の兵士を率いてミディアンの王ゼバとツァルムナを追い、ヨルダン川を渡りました(4節)。夕べからの戦いで疲れを覚えていたので、スコトに来てパンを求めたところ(5節)、スコトの民はミディアン人を恐れていて、ギデオンを信用しません。すでにイスラエルが勝利したというしるしを見なければ、パンはやれないというのです(6節)。次のペヌエルでも、同様の答えが返ってきました(8節)。

 

 スコトもペヌエルも、ヨルダン川東部のギレアドの地、ヤボク川流域の町で、ガドの領地ですが、ここはミディアン人の支配地域になっていました。下手にギデオンに協力をして、ミディアンに対する裏切り行為として仕返しされることを恐れているわけです。そもそも、たかだか300ほどの兵士でいったい何が出来るのかというところでしょう(6節)。

 

 結局、疲れと空腹の上に、同胞から信用されないという憤りや失望感を抱えたまま、二人の王を追撃しなければなりません。それでも、3百の兵で1万5千のミディアン軍を打ち破ります(10節以下)。これはまさに、主ご自身がイスラエルのために戦っていてくださるからこその勝利でした。

 

 しかし、考えてみると、ギデオンもミディアンの大軍の前に怖じ恐れて、何度も彼らをギデオンの手に渡してくれるという主の約束の確証を求め、それでもなお戦く思いでいたのですから、スコト、ペヌエルの人々のミディアンに対する恐れ、しるしを求める思いは、十分理解できたはずです。

 

 そんな自分のことは棚に上げて、自分の求めにすぐに応じなかったというので、スコトの町の長老たちを荒れ野の茨ととげをもって懲らし(16節)、ペヌエルの塔を倒して町の人々を殺しました(17節)。それが、主の命令だったということでもないでしょう。小心だったギデオンが数々の恵みを味わって、傲慢になってしまったという印象です。

 

 イスラエルの人々がギデオンに、「ミディアンの手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください」と言います(22節)。それに対してギデオンは、冒頭の言葉(23節)の通り「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる」と答えました。

 

 確かに、ミディアン軍からイスラエルを救ったのはギデオンではなく、主です。主が戦ってくだされば、勝利は約束されています。主に背き、その怒りを買うので、諸外国に苦しめられるわけです。「主があなたたちを治められる」と語ったところに、ギデオンの信仰を見ることが出来るように思います。

 

 しかしながら、その言葉とは裏腹なことを、ギデオンはします。それは、戦利品として手に入れた金の耳輪を差し出させ、それでエフォドを作らせたことです。エフォドとは、大祭司が身につけるものです(出エジプト記28章6節以下)。サムエル記上23章9節以下に、ダビデが祭司にエフォドを持ってこさせ、神の御旨を尋ねるという記事があります。

 

 ギデオンが金でエフォドを作ったのは、身につけるためではありません。27節に「(それを)自分の待ちにおいた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり」と言われます。つまり、彼らはエフォドを神の像として礼拝する対象としたわけです(33節、出エジプト記34章14,15節、申命記31章16節など参照)。

 

 主の目に悪とされることを行って7年間ミディアンに苦しめられ(6章1節)、それでギデオンが立てられてようやく解放されたというのに、今度はそのギデオンが民を偶像礼拝に導いたのです。「ギデオンとその一族にとって罠となった」(27節)も、2章3節との関連で、偶像礼拝に陥ったことを示しています。

 

 そして、ギデオンが多くの妻を持ち、70人もの子をなしたのは(30節)、優秀な男児を産んで後継者とするための仕組み(大奥のようなもの)でしょう。また、側女の産んだ子に、アビメレクと名をつけています(31節)。これは、「父は王」という意味です。ギデオンはいつしか、自分が王であるという意識を持つようになってしまっていたようです。

 

 当然のことながら、それは主なる神の御心にかなう道ではありませんでした。彼が作ったエフォドが民を偶像礼拝に導き、アビメレクと名付けた子が命知らずのならず者を雇って自分に従わせ(9章4節)70人の子らを殺害してしまいます(同5節)。

 

 どこまでも、へりくだって主に仕え、主を畏れて御言葉に聞き従いましょう。

 

 主よ、あなたは助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に助け出してくださいます。主は打ち砕かれた心に近くおられ、悔いる霊を救ってくださいます。あなたの身許に身を寄せる人は、なんと幸いなことでしょう。主の恵み深さを味わい知ることになるからです。常に主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩ませてください。 アーメン

 

 

「茨は木々に言った。『もしあなたたちが誠意のある者で、わたしに油を注いで王とするなら、来て、わたしの陰に身を寄せなさい。そうでないなら、この茨から火が出て、レバノンの杉を焼き尽くします』。」 士師記9章15節

 

 ギデオンの側女の子アビメレクがシケムに来て(1節)、母方の叔父たちに「エルバアルの息子七十人全部に治められるのと、一人の息子に治められるのと、どちらが得か」(2節)と尋ねます。

 

 ここで、「七十人全部に治められる」というのは、ギデオンの息子たち70人の合議による統治などということではないでしょう。ここでアビメレクが自ら王となろうとしているのと同様、70人がそれぞれ、自分が王となろうとして互いに争っていたのだと思います。

 

 だから、ここでアビメレクは、異母兄弟である他の70人の誰かが王となることを望むのか、それとも身内の自分が王となることを望むのかと、母方の叔父たちに尋ねているわけです。それで叔父たちは、自分たちの身内を推す方が得策だと判断し、その話をシケムのすべての首長に告げ、首長たちもそれに同意して、バアル・ベリトの神殿から銀70をとってアビメレクに渡したのです(3,4節)。

 

 バアル・ベリトとは「契約のバアル(主人)」という意味で、8章33節の「ギデオンが死ぬと、イスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫し、バアル・ベリトを自分たちの神とした」という言葉から、自分たちを守る神としてバアルとシケムで契約を結んだわけです。46節の「エル・ベリト」も同じ神でしょう。

 

 神殿の銀貨70枚が与えられたのは、バアル神がアビメレクに権威を与えたしるしというところでしょう。2章2節に「あなたたちもこの地の住民と契約を結んではならない、住民の祭壇は取り壊さなければならない、と。しかしあなたたちは、わたしの声に聞き従わなかった」と言われていますが、シケムの人々は聞き従わない道を選び取ってしまっています。

 

 アビメレクはその金でならず者を雇い、オフラにある父の家に行き、自分の異母兄弟70人を一つの石の上で殺しました(5節)。その石は、生贄をささげる異教の祭壇だったかもしれません。そこで、シケムの人々は、アビメレクを王としました。イスラエル全体の初代の王はサウルですが(サムエル記上10章参照)、アビメレクはここシケムの町の王となりました。

 

 「ベト・ミロ」(6節)とは、「盛り土の家」という意味で、シケムの町の神殿は、盛り土された上に建てられており、有事の際には、要塞にもなりました。つまり、「すべての首長とベト・ミロの全員」とは、町の長老と神殿の祭司たちのことで、彼らが勢揃いして,アビメレクを王に任じたのです。

 

 そのとき、ギデオンの70人の息子たちの中でただ一人生き残った末の息子ヨタムが、ゲリジム山の頂から、シケムの首長たちに向かって大声を張り上げ、話を始めます(7節)。それは、木々が相応しい木を選んで王となってくれるように頼むという話です(8節以下)。

 

 木々は、先ず実のなる木を選んで、交渉を始めます。オリーブ、いちじく、ぶどうの名が上げられています。しかし、それらの木は、主から託された大切な使命を捨ておいて、木々の王となることは出来ないと断りました。それで、次に茨を選び、王となる要請をします。ヨタムの語った茨の答えが、冒頭の言葉(15節)です。

 

 ここで、オリーブやイチジク、ぶどうの木は、ギデオンとその息子たちのことでしょう。ギデオンは、イスラエルの民らの要請に対し、自分も息子たちもイスラエルを治める者にはならないと答えて、それを断りました(8章23節)。

 

 しかし、アビメレクは茨ですから、その陰に身を寄せるならば、トゲに悩まされ、彼を裏切るならば、茨から火が出てすべてが焼かれてしまうのです(15,20節)。

 

 それはヨタムが語った呪いの言葉ですが(57節)、ヨタムはシケムの人々がアビメレクを王としたことを咎め、「それは誠意のある正しい行動だろうか」(16節)と言っています。アビメレクは、自分が王となるために兄弟を皆殺しにする男だからです。

 

 その後アビメレクとシケムの人々の間には、三年の間に陰険な空気が漂うようになり、次第に裏切りを画策するようになります(22節以下)。アビメレクはそれと知って戦いを仕掛け、シケムの町を破壊します(44,45節)。首長たちは神殿地下壕に逃げ込みますが(46節)、アビメレクはそこに火をつけて焼き殺してしまいます(49節)。

 

 さらにアビメレクは、シケムの北東15kmほどのところにあるテベツに向かい、そこを攻撃します(50節以下)。人々は町の中の堅固な塔に立て籠もりました(51節)。アビメレクがこれに攻撃を仕掛け、火を放とうとしたとき(52節)、一人の女が投げた挽き臼の石で頭を砕かれ、死にました(53,54節)。

 

 こうして神は、ギデオンの子らの血の報復をアビメレクに果たされ(56節)、また、シケムの人々の背きにも報復されたのです(57節)。それが、アビメレクを王とした結末でした。かくて、ギデオンの定まらない姿勢、無自覚にもその子にアビメレクと名付ける思い上がりが、大きな悲劇をもたらしました(8章27節参照)。

 

 どこまでも主を畏れ、主の御旨に聴き従って生きていれば、金の耳輪でエフォドを作り、それを拝むという偶像礼拝に手を染めることも、子どもたちによる後継争いも、アビメレクによる異母兄弟殺しも、従って、シケムの町が破壊されることもなかったでしょう。

 

 思い上がる心こそ、一番の問題であることを自覚し、絶えず謙って主の御言葉に耳を傾けるものでありたいと思います。

 

 主よ、あなたは高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになります。あなたに服従し、悪魔に反抗します。主の御言葉こそ、私たちの魂を救うものです。常に主を信頼して御言葉に耳を傾け、信仰と誠実をもって従う者とならせてください。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々は主に言った。『わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください』。」 士師記10章15節

 

 アビメレクの死後、イサカル人トラが23年間(1節)、ヨルダン川東部のギレアド人ヤイルが22年間(3節)、士師としてイスラエルを裁きました。主は士師と共にいて、士師の存命中、敵の手からイスラエルを救ってくださいました。イスラエルが敵に苦しめられ、呻いているのを哀れに思われたからです(2章18節参照)。

 

 ギレアド人ヤイルについて、息子たちの住む30の町が「ハボト・ヤイル」と呼ばれていますが(4節)、民数記32章41節に「マナセの子ヤイルも行って、アモリ人の村々を占領し、それをハボト・ヤイルと名付けた」とあり、彼はヨルダン川東岸に嗣業の地を得たマナセ族の一員、マナセの子ヤイルの子孫であろうと思われます。

 

 士師が召されると「イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕え」(6節)ました。「彼らは主を捨て、主に仕えなかった」(6節)のです。

 

 そこで、主はイスラエルに対して怒りを燃やし、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡されました(7節)。ペリシテはイスラエルの西、アンモンはイスラエルの東に位置する国です。つまり、東西の国々に挟まれて18年の間、苦しめられたのです。

 

 そこで、イスラエルの人々が主に助けを求めて叫びますが(10節)、主は「あなたたちはわたしを捨て、他の神々に仕えた。それゆえ、わたしはもうあなたたちを救わない。あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫ぶがよい。苦境に立たされたときには、その神々が救ってくれよう」(13,14節)と突き放されます。

 

 全くとりつく島もないといったところですが、確かに、そう言われても仕方のないことでした。主が恵みをお与えくださっているにも拘わらず、イスラエルの民は主に背き続けてきたからです。

 

 もしも、本当に主に見捨てられてしまうならば、イスラエルはどうして立ち行くことが出来るでしょう。苦境に立たされなければ、そのことに気づけないというところが、私たちの弱さ、愚かさです。しかしながら、主なる神は、悔い改めて主を求める者の祈りを無視されることはありません。

 

 イスラエルの民は、冒頭の言葉(15節)の通り「わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください」と、主に祈りました。そして、悔い改めのしるしとして、異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕える姿勢を示したのです(16節)。

 

 それで主は、イスラエルの苦しみを見て見ぬふりをするのに耐えられなくなり(16節)、再び彼らを助けるために、士師エフタをお立てになるのです(11章1節以下)。

 

 アンモンの人々がギレアドに陣を敷いたのに対して、イスラエルの人々は、ミツパに集まって陣を敷きました(17節)。「ミツパ」とは、見張り所という意味です。国境付近、また重要な場所にミツパが設けられました。

 

 旧約聖書中に数か所、ミツパが登場します(ヘルモン山の麓:ヨシュア記11章3,8節、ユダの低地:15章38節、ベニヤミン領:18章26節、ギレアドの地:士師記10章17節、モアブの町:サムエル記上22章3節など)。

 

 ギレアドのミツパといえば、ヤコブが叔父ラバンと契約を結んだ場所です(創世記31章43節以下、49節)。そのときラバンが「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように」と言いました。前述の通り、ミツパは見張り所という言葉ですが、ラバンは、神がここで自分たちの間を見張ってくださると考えたわけです。

 

 冒頭の言葉で、イスラエルの民は主に向かって「わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください」と言いました。「御目にかなうこと」は、原文では「あなたの目におけるすべてのよいこと」という言葉遣いになっています。「よい」とは、ヘブライ語で「トブ」と言います。神がその目ですべての「トブ」をくまなくご覧になります。

 

 そして、まるで語呂合わせであるかのように、ミツパに集結しているイスラエルのために、主は御目をもって周囲を見張られ、「トブの地」をご覧になって、そこからエフタを士師として呼び出されたのです(11章3節参照)。

 

 私たちの目が開かれて、周囲が見えること、目先が利くことは重要なことかも知れませんが、しかし、主が見ておられること、目を留めていてくださるということは、なんと素晴らしいことでしょうか。主が何事でも御目にかなうことをなしてくださるというのは、実に素晴らしいことです。

 

 主の御前に謙り、主に相応しくないものを私たちの内から一掃し、主に心からお仕えしましょう。

 

 主よ、私たちの内側を探ってください。主の御名を汚す、御前に相応しくないものを取り除いてください。御言葉と主の血潮によって清めてください。新しく確かな霊を授けてください。主の御業が前進しますように。 アーメン

 

 

 

 

「あなたたちが救ってくれることはないと思い、わたしは命がけでアンモン人に向かって行った。主は、わたしの手に彼らを渡してくださった。どうして今日になってわたしに向かって攻め上り、戦おうとするのか。」 士師記12章3節

 

 娘の死を悼んでいるエフタの許に、エフライム人がやって来て、「アンモン人との戦いに出向いたとき、なぜあなたは、わたしたちに同行を呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる」と言います(1節)。エフライムの人々は、ギデオンがミディアンと戦って勝利したときにも同じように、なぜ自分たちを呼ばなかったのかといって、ギデオンを責めました(8章1節)。

 

 それは、彼らがギデオンやエフタを助けたかったからということでも、共にイスラエルを守りたかったからということでもないでしょう。彼らは、ギデオンやエフタの勝利を妬ましく思い、その栄誉を奪い、戦利品を横取りしようとしているものと思われます。

 

 その背景には、臨在の幕屋がエフライムのシロに置かれており、かつ、モーセの後継者ヨシュアの出身部族なので、自分たちがイスラエルの中心部族だという自負を持っていたのでしょう。しかしながら、彼らが先頭に立って戦うつもりがあるのかといえば、実際には、エフタとギレアドの民がアンモン人と戦いを交えているときに援軍を頼んでも、それに答えてはいないのです(2節)。

 

 ギデオンの時に、スコトやペヌエルの人々が、むしろミディアン人を恐れて、最も小さい氏族出身で駆け出しのギデオンに助力することをはばかったように(8章4節以下)、エフライムの人々は、18年にわたって押さえつけられてきたアンモンに立ち向かう勇気を持ち合わせていなかったのでしょう。

 

 そして、前にギデオンに対して、エフライムの栄誉を要求したとき、ギデオンは、ミディアンの二人の将軍を討ち取る栄誉をエフライムに与え、彼らの憤りを和らげるという態度を示しました(7章24節以下)。それに味を占めて、エフタに対しても同じ要求をして来たわけです。

 

 しかし、このエフライムの人々の物言いは、エフタを怒らせました。実際、エフタが助力を求めたときには援軍を送ろうともしなかったのに、勝利が確定した今、「なぜ同行を呼びかけなかったのか」などと、よく言えたものです。冒頭の言葉(3節)の通り、エフライムから援軍はやって来ないと知って、エフタは命がけでアンモンと戦ったわけですし、そのために一人娘を犠牲にさえしているのです(11章31節、34節以下)。

 

 ツァフォンに集結していたエフライム人とエフタ率いるギレアド軍との間で戦いが起こり、そして、ギレアド軍がエフライム軍を打ち破りました(4節)。エフライムの人々の言葉によれば、アンモンとの戦いにおいては、ギレアドからヨルダン川を渡り、エフライムやマナセの領地に逃げ込んだ人々がいたようですが(4節)、今回は、逆になりました。

 

 エフタがヨルダン川の渡し場を押さえ(5節)、そこを渡ってエフライムを逃げ出そうとする者に、「シイボレト」と言わせます。それは、「川の流れ」という意味ですが、エフライム人は、それを正確に発音出来ません。エフライム訛りで「シボレト」という者は直ちに捕らえられ、4万2千ものエフライム人が犠牲となりました。

 

 この戦いは、全く無益なものです。エフライムの人々は、少なからずアンモンに苦しめられていたのですから(10章9節)、エフタの勝利を共に喜び祝うべきでした。ギデオンのときのように栄誉を横取りしようという彼らの貪欲さ、思い上がりが、この悲劇を招きました。一方、エフタにとっても、仮にエフライム人を全滅させたとしても、娘が生き返ってくるわけではなく、彼の怒り、悲しみは収らないでしょう。

 

 主イエスが、ベルゼブル論争の折、「国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない」(マルコ3章24,25節)と仰っています。このようにイスラエルの部族間で分かれ争い、殺し合っていて、どうして立ち行くでしょうか。

 

 パウロが、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピ2章3,4節)と語っているように、お互いに相手を尊敬し、互いに愛し合うべきです。私たちが互いに愛し合うならば、私たちが主の下僕であることを、皆が知るようになるのです(ヨハネ13章34,35節)。

 

 主よ、私たちは、人が褒められるとケチをつけたくなり、人がくさされると気分がよくなるという、屈折した感情を持っています。どうか私たちの心を探り、御前に相応しくない汚れた思いを取り去り、主の血潮によって清め、御名のゆえに絶えずとこしえの義の道に導いてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「主の霊が彼を奮い立たせ始めたのは、彼がツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンにいたときのことであった。」 士師記13章25節

 

 13章から16章まで、サムソンという士師の物語が記されています。サムソンは12番目に、最後の士師として登場して来ます。13章は、サムソンの誕生物語です。父親は、ダンの氏族に属するツォルア出身のマノア(「休息、平安」の意)という人物です(2節)。母親については、不妊だったということ以外の情報は、名前も含め、全く不明です。

 

 ある日、主の御使いが彼女に現れ、男の子が授けられると告げます(3節以下)。そして、「その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」と言われます(5節)。ナジル人とは、「ナーザル」(「聖別する」の意)という動詞に由来するもので、神のために区別された人ということになります。

 

 民数記6章に、「ナジル人の誓願」の規定があります。そこに、「ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない」と記されています(同5節)。それは、「神に献身したしるしがその髪にあるから」(同7節)です。つまり、長く伸ばされた髪に神の栄光が表されていると考えられていたわけです。

 

 彼女は、夫マノアに神の御使いから聞いたことを報告します(6節以下)。その中で、「その方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときからナジル人として神にささげられているので、わたしに、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないようにとおっしゃいました」(7節)と語っています。

 

 確かに、ナジル人の誓願期間中は、ぶどう酒や濃い酒、ぶどうの木から出来る物はすべて、食べてはならないと規定されています(民数記6章3,4節)。誓願の間、神に献身しているのですから、自分を楽しませ、酔わせるための飲酒が禁じられるわけです。

 

 特に、ぶどう酒およびぶどうを原料とした食物の禁止は、カナン文化とその宗教からの絶縁を強調したものでしょう。カナン土着の農耕神の祭儀では、飲酒は欠かせない要素だからです。それに対してナジル人は、酒を飲まないことで、何よりもまず神の国と神の義とを追い求めるという信仰の姿勢を示すのです。

 

 ただ、ナジル人となるのは生まれてくる男の子であって、母親ではありません。にも拘らず、母親となる女性に、「今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ」と言われているということは、彼女の胎内にいるときから、ナジル人として聖別されるためには、そのとき母親も、ナジル人として献身することが求められたわけです。

 

 さらに、ここには挙げられてはいませんが、死体に触れて汚れてはならないという規則もあります(同6章7節)。家族が死んだときも、死体に近づくことが禁止されるというのは、大祭司と同等の扱いを受けているわけで(レビ記21章11節)、汚れに近づいて、おのが務めが果たせなくなるような生活は、厳に戒められているのです。

 

 母親は命令どおりにして無事出産のときを迎え、産まれて来た男の子にサムソン(原典では「シムショーン」)という名を与えました(24節)。これは、「太陽(シェメシュ)」と関係する名前です。

 

 生地ツォルアの傍にベト・シェメシュの町があります。ここは、サムエルの時代、ペリシテに奪われた神の箱が戻された町です(サムエル記上6章)。ベト・シェメシュとは、太陽の家という意味で、家には神殿という意味もあることから、太陽神を礼拝する神殿がそこにあったと考えられます。

 

 あるいは、サムソンの家族が太陽神礼拝に関わりを持っていたのかも知れません。だからこそ、ペリシテからイスラエルを救う先駆者とするべく主がサムソンを選んだ時、生まれながらのナジル人として、神々との関わりを断ち、清い生活をするように、サムソンのみならず母親も守るべき注意事項を、繰り返し語り聞かせているのではないでしょうか(4,5,7,14節)。

 

 かくてサムソンは、生まれながら神に献げられたナジル人として歩み出しました。冒頭の言葉(25節)に、「主の霊が彼を奮い立たせ始めたのは、彼がツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンにいたときのことであった」と記されています。

 

 ここで、「マハネ・ダン」とは、「ダンの陣営」という意味です。ダン族の嗣業の地は、ペリシテと国境を接し、絶えず圧迫を受けていました。そこで、部隊の配置されたところが、「マハネ・ダン」と呼ばれたようです(18章11節)。「ツォルアとエシュタオルの間」(25節)、「キルヤト・エアリムの西」(18章11節)と言われますが、それ以上詳しいことは分かりません。恐らく、防衛上、部隊が移動して、陣営の位置が変わったということでしょう。

 

 また、「奮い立たせる」(パーアム)という言葉は、「強く押す、押し込む、かき混ぜる」という意味です。即ち、サムソンの士師としての働きは、ナジル人としての生活をしていて自然に始まったということではなく、サムソンの心に霊の力が押し込まれ、内側からかき混ぜられた結果であり、決して渋々というわけではありませんが、霊に駆り立てられるようにして、士師として立ち上がったわけです。

 

 神の霊によって心が動かされるということで、色々な解釈が出来ると思いますが、パウロがローマ書5章5節に、「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」と記しています。

 

 聖霊を通して神の愛が私たちの心に押し込まれ、かき混ぜられて、今までとは違う自分になる。艱難をさえ喜べる。確かな希望に生きることが出来る。憎んでいた人を愛せるようになるというような、今までとは違う内側からの主の霊の力、神の愛の力に突き動かされる。そのような体験をするというのです。

 

 主イエスが昇天される前、「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」と命じ(使徒言行録1章4,5節)、「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(同1章8節)と続けられました。

 

 主イエスの証人としての働きをするためには、聖霊に満たされ、その力を受けることが必須条件だということです。この地に福音を満たすため、主の証し人として用いられるよう、聖霊の満たしを熱く祈り求めましょう。霊の導きにより、栄光から栄光へと進ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちはあなたの計り知れない御恩寵によって罪赦され、神の子とされ、永遠の命の恵みに与りました。そして、主を証しする務めをお与え下さいました。聖霊を通して、私たちの心にも神の豊かな愛が注がれています。絶えず聖霊に満たされ、その愛と力を受けて、使命を全うすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「そのとき主の霊が激しく彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた。」 士師記14章6節

 

 マハネ・ダンで士師としての働きを始めたサムソンは(13章25節)、ティムナに下って行き、ペリシテ人の娘に心惹かれ(1節)、自分の両親に結婚の承諾を求めます(2節)。けれども、両親は、「無割礼のペリシテ人の中から妻を迎えようとは」といって、ペリシテ人女性を妻に迎えることに難色を示します(3節、創世記17章、28章1節、34章14節参照)。

 

 当時、イスラエルは40年に及ぶペリシテ人の支配を受けていました(4節)。それは、イスラエルの民が神に背いて異教の神々に仕え、神を怒らせたからです(13章1節)。ですから、両親には、サムソンの異邦の娘を娶るという振る舞いがますます神を怒らせると思われ、およそ承諾することは出来ないことだったでしょう。

 

 ところが4節に、「父母にはこれが主のご計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることがわからなかった」と記されています。サムソンがペリシテ女性を妻に迎えることが主のご計画というのは、驚くべき言葉です。それは、主はカナンの風習に習うこと、カナンの住民と契約を結び、互いに縁組みすることを禁じておられたからです(出エジプト記34章11節以下、申命記7章1節以下)。

 

 これはしかし、今後もペリシテ人との縁組みは許可するということではありません。いわゆる、方針転換などではないのです。「主がペリシテ人に手がかりを求めておられ」たので(4節)、サムソンがペリシテ女性に一目惚れしたのを幸い、それを利用してペリシテを打とうとされたといいますか、サムソンの婚姻を通してペリシテ人との間に問題を生じさせ、サムソンが暴れてペリシテ人を打つようにさせたということでしょう。

 

 そのために、サムソンがペリシテの女性に目を引かれるように、神が仕向けられたということになるのかもしれません。このあとも、ガザの遊女のもとに行きますし(16章1節)、デリラという女性を愛するようにもなりました(同4節以下)。もしもサムソンが、無割礼の異邦の女性を娶ることなど、断じてしないと考える人物であれば、このような神のご計画は、成り立たなかったことでしょう。

 

 サムソンは婚礼のため、両親を伴ってティムナに下ります(5節)。ティムナのブドウ畑まで来たとき、一頭の獅子が吠えながら向かって来ました。サムソンはそのとき、冒頭の言葉(6節)の通り、獅子に素手で立ち向かい、子山羊を裂くように、獅子をいとも簡単に引き裂きました。

 

 勿論それは、人間業ではありません。聖書はそれを、「そのとき主の霊が激しく彼に降ったので」と説明しています(6節)。まさに超人的な神の力が彼のうちに働いたので、サムソンには、獅子が子山羊のように見えたのでしょう。そして、獅子を引き裂くことが出来たのです。

 

 獅子と戦うといえば、ローマ皇帝がキリスト教を弾圧し、捕らえたクリスチャンたちを見せしめに獅子と戦わせたと伝えられています。第一ペトロ書5章8節に、「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」と記されているのは、クリスチャンに襲いかかっている獅子、教会を迫害しているローマ帝国の力の背後に、悪魔を見ているということになります。

 

 ペトロは続けて、「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」と言い(同5章9節)、「あらゆる恵みの源である神、即ち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神ご自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます」(同10節)と語ります。

 

 これは、サムソンが獅子に立ち向かって、子山羊を裂くようにそれを簡単に裂いたというような話ではありません。吠え猛る獅子の前に立ったクリスチャンたちは、それによって命を落としたことでしょう。帝国の圧倒的な力の前に、なすすべなく裂かれるほかないようなことだったでしょう。ところが、そのように命を賭して信仰に踏みとどまったクリスチャンたちの証しが、ローマ帝国を変えました。

 

 福音がヨーロッパ中に伝えられました。ルターがプロテスタントの運動を始めた頃、地球を東回りに幾つもの海を越え、我が国に、カトリックの宣教師によって福音が届けられました。また、信教の自由を求めた清教徒たちが大西洋を越えてアメリカ大陸に渡り、それから、太平洋を越えて我が国に、つまり、地球を西回りに、プロテスタントの信仰がもたらされたのです。

 

 信仰に立つ者は、どんな困難も、主の助け、御霊の導きによってそれを乗り越えさせていただくことが出来るのです。御霊の満たしと導きを祈りましょう。

 

 主よ、サムソンの結婚は、あなたを喜ばせる話ではなかったと思いますが、それを用いてペリシテ人を打たれます。しんがりを守ってくださる主が責任をもって、私たちの過ちさえも益となるように、働いてくださいます。主よ。私たちをも聖霊に満たし、力を受けて信仰に堅く立ち、悪魔との戦いに勝利を得させてください。あなたの御業が前進しますように。 アーメン

 

 

「神はレヒのくぼんだ地を裂き、そこから水が湧き出るようにされた。彼はその水を飲んで元気を取り戻し、生き返った。それゆえ、その泉はエン・ハコレ(祈る者の泉)と呼ばれ、今日もレヒにある。」 士師記15章19節

 

 サムソンが、子山羊を携えてティムナに妻の家を訪ねると(1節)、義父は14章12節以下の謎かけの一件により、娘はサムソンに嫌われてしまったと考えて、サムソンの友人に嫁がせたと言います(2節、14章20節)。「嫌った」は、申命記22章13,16節との関連で、「離縁された」と考えたということです。

 

 それに腹を立てたサムソンは、この件で「ペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない」と語り(3節)、300匹のジャッカルを捕らえて、結び合わせた尾の真ん中に松明を取り付けて火をつけ、刈り取った麦束や麦畑、ブドウ畑にオリーブの木まで、皆燃やしてしまいました(4,5節)。

 

 サムソンの犯行と知ったペリシテ人は、腹いせにサムソンの妻の父の家に火を放ち、妻とその父親を焼き殺してしまいます(6節)。それを知ったサムソンは、今度はそれを口実に、報復と称して、ペリシテ人を徹底的に打ちのめしました(7,8節)。

 

 そこで、ペリシテ人がユダに上って来て、レヒに向かって陣を敷きます(9節)。それは、サムソンを縛り上げて、仕返しをするためでした(10節)。ペリシテ軍の展開に驚いたユダの人々がサムソンに質すと、彼らがしたようにしただけ、とサムソンは答えます(11節)。これではラチがあきません。双方とも、相手が悪いと言うからです。

 

 ユダの人々はサムソンを縛ってペリシテに渡すと言い(12節)、危害が加えられないことを条件に、サムソンは縄につきます(13節)。ペリシテ人は、縛られているサムソンを見て、「歓声をあげて彼を迎え」ます(14節)。ここで、「歓声」(ルーア)というのは、原語を調べると、戦い開始の鬨の声という意味です。つまり、勝利を確信した雄叫びだったわけです。

 

 ところが、そのとき神がサムソンに味方し、主の霊が彼の上に激しく降ります。すると、縛っていた縄が簡単に千切れてしまいます(14節)。サムソンは、落ちていたロバのあご骨で、千人を撃ち殺します(15節)。「あご骨」のことを、ヘブライ語で「レヒ」と言います。それで、その場所がレヒと呼ばれるようになったということでしょう。主の霊の力が加えられれば、ロバのあご骨でも、主によって用いられる道具、主の器となるのです。

 

 その後、サムソンは主なる神に祈ります。まずは、「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました」と感謝します。それに続いて、「しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうです」と訴えます(18節)。死んでしまっては、もはや、勝利をもたらしたこの手で主のために働くことが出来ない、というわけです。

 

 そこで主は冒頭の言葉(19節)の通り、サムソンの願いを聞き入れて、そこに水の湧き出る泉を設けられました。サムソンはその水を飲んで、「元気を取り戻し、生き返った」と言われます。ここで、「元気を取り戻し」というのは、彼の霊(息)が戻った、即ち、死んでいたのに生き返ったという言葉遣いです。

 

 文字通り、泉の水を飲んで一息ついたということでしょう。先には、御霊が降って力づけられたサムソンですが、今度は、命の水でリバイブしたのです。

 

 そうしてサムソンは、20年にわたって士師として、イスラエルを裁きました(20節)。特にそれは、ペリシテ人の手からイスラエルを守る務めですが、40年にわたってペリシテに苦しめられていたイスラエルのために、よくその使命を果たしました。

 

 主イエスが、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4章14節)と言われました。この水は御言葉を象徴しており、それを飲むとは、信じるということを表しています。

 

 さらに、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と言われ(ヨハネ7章37,38節)、それは、信じる人々に与えられる御霊のことと説明されます(同39節)。

 

 絶えず、御言葉の恵みに与り、生き生きとした信仰生活を歩ませていただきましょう。御霊の力を受けて、主イエスの証し人としての使命を全うさせていただきましょう。

 

 主よ、あなたはご自分の選びの器として、敢えて無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれます。それは、有力な者、知恵ある者、家柄のよい者に恥をかかせ、だれ一人、神の御前で誇ることがないようにするためでした。故に、主よ、あなたに呼ばわります。助けを求めます。御言葉を与えてください。御霊に満たして用いてください。求める者に、聖霊をお与えくださるという約束の成就を信じて、感謝します。 アーメン

 

 

「わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16章28節

 

 1節に、「サムソンはガザに行き、一人の遊女がいるのを見て、彼女のもとに入った」とあります。ガザは、ペリシテ南部の町で、ツォルアからは勿論、ユダの地のエタムからでも、かなりの距離があります。サムソンがそこまで遊びに行けたということは、彼を恐れて、その行動を妨げることが出来なかったということでしょうか。

 

 ガザの町の人々が門のところで彼を待ち伏せして殺してしまおうと一晩中見張っていたところ、夜中に目を覚ましたサムソンは、町の門の扉と両脇の門柱を掴んで引き抜き、肩に担いでヘブロンを望む山の上に運び上げました(3節)。その恐るべき怪力に、待ち伏せしていた町の人々は、手を出すことが出来ませんでした。

 

 その後、サムソンは、ツォルアの近くのソレクの谷にいるデリラという女性を愛するようになります(4節)。ソレクの谷は、エルサレムの西南西約20㎞から始まり、ヤッファの南で地中海にそそぐワーディ・エ・サラールと同定されています。ワーディとは、降雨の時だけ水が流れる、涸れた川のことです。通常は、地中海とユダの山地を結ぶ要路の一つで、それに沿って、ベト・シェメシュ、ティムナ、ツォルアなどの町々があります。

 

 ペリシテの領主たちがデリラのところにやって来て、サムソンの力の源がどこにあり、どうすればサムソンを縛り上げ、苦しめることが出来るのか、その秘密を探り出すよう頼みます。ということは、デリラはペリシテの女性だったのだろうと考えられます。

 

 その際、ペリシテの領主たちがそれぞれ銀1100枚ずつ与えると約束しています(5節)。ヨシュア記13章3節に、「五人のペリシテ人の領主の治めるガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロン」とあることから、5人の領主が揃ってやって来たと考えると、銀1100枚ずつ、計5500枚を与える約束をしたことになります。

 

 銀1100枚は、エフライムのミカという人物が母親から盗んだという金額と同額であり(17章2節)、また、ミカが雇ったレビ人の年棒が十シェケルであったことを考えると、銀5500シェケルは驚くべき高額です。それほどの報酬を用意したということは、サムソンの人間離れした怪力に本当に手を焼いていたということが覗えます。

 

 高報酬に目がくらんだデリラは、早速サムソンに力の秘密を教えるように、迫ります(6節)。サムソンはしばらく適当にあしらっていました。けれども、しつこく迫るデリラの攻勢に耐えきれず(15,16節)、ついに、生まれながらのナジル人で、髪を剃られたら力が抜けてしまうということを打ち明けてしまいます(17節)。愛する女性に秘密を持ち続けることが出来なかったわけです。

 

 秘密を知ったデリラは、ペリシテの領主に使いを出し(18節)、サムソンが眠ったところで髪の毛を剃らせました(19節)。聖別のしるしを失ったサムソンは、主が彼から離れられたので、力を失ってしまいました(20節)。デリラとは、「だれる、元気がなくなる、衰える」という意味の「ダーラル」という動詞と関係の深い名前です。名は体を表すというごとく、デリラと関わって、サムソンはその力が衰えてしまったのです。

 

 ペリシテ人らはサムソンを捕らえ、目をえぐり出してガザに連れ下り、青銅の足枷をはめて牢屋で粉をひかせます(21節)。そのとき、サムソンは何を思っていたでしょうか。それは何よりも、髪を剃られて聖別のしるしを失ったこと、それゆえ、士師としてペリシテからイスラエルを守るために戦う力を失ってしまったことを、深く後悔していたことでしょう。

 

 「しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた」と、22節に記されています。それは、人間としての普通の現象ですが、あらためてそのように告げられているのは、生まれながらのナジル人として聖別された者であることが、再び示されたということでしょう。それは、サムソン自身というより、母親の献身のゆえであり、サムソンを士師とされた主の深い憐れみのゆえです。

 

 ペリシテの領主たちは、宿敵サムソンを捕らえることが出来たとして、神ダゴンに盛大な生け贄を献げ、祭りを行っていました(23節)。宴会が進み、彼らは上機嫌でサムソンを引き出し、見世物にして楽しもうということになります(25節)。自分たちを苦しめてきたサムソンの惨めな姿を笑いものにして、留飲を下げるわけです。

 

 一方、異教の神が礼拝される中、そこに引き出されたサムソンは、主なる神に祈りを捧げます。それが冒頭の言葉(28節)です。サムソンが主に祈ったというのは、これが最初で最後です。それまでサムソンは、主を側近くに感じながら、力に満ちて活躍して来ました。しかし今は、三千もの人々が自分を嘲笑するために集う競技場のようなところで、見えない目を神に向けます。

 

 神の助けがなければ何も出来ない自分であることを、いやというほど思い知らされています。愚かにも聖別のしるしを失って主から見放されてしまいました。主が顧みてくださるという確信もなく、けれども、祈らざるを得なくて祈りました。「わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください」と。

 

 「復讐のために」という祈りの言葉に問題を感じないわけではありませんが、しかし、神はサムソンの祈りを聞かれました。主は、御前に謙り、助けを求める祈りを聞かれないお方ではありません。打ち砕かれ悔いる心を神が侮られることはないのです(詩編51編19節)。

 

 建物を支えている柱にもたれかかり(29節)、力を込めて押したところ、建物は崩れ落ち、サムソンも、ペリシテの領主たちも、その建物の中にいたすべての人が死にました(30節)。サムソンは、その死をもって40年に亘るペリシテの支配に終止符を打たせ、イスラエルの士師としての務めを全うしたのです。

 

 私たちの主イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、人々に捕らえられ、嘲られ、罵られ、十字架に死なれました。その死により、すべての人々の罪を赦し、永遠の命に与る救いの道を開かれました。私たちは、信仰により、恵みによって救われたのです(エフェソ書2章1節以下、8節)。 その恵みに感謝しつつ、主の愛の証し人としての使命を全うさせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちも弱さ、愚かさをもっています。何度もあなたを悲しませて来ました。あなたの憐れみにより、今、ここにいます。どうか私たちの祈りに耳を傾け、御霊の力をお授けください。赦す愛を授けて下さい。あなたの慈しみ深さを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」 士師記17章6節

 

 17章、18章の物語は、「エフライムの山地に名をミカという男がいて」という書き出しで始まります(1節)。「士師記」の中にある物語ですが、17章以降に、士師は登場して来ません。ミカは母親に、「銀千百シェケルが奪われたとき、あなたは呪い、そのことをわたしにも話してくれました。その銀はわたしが持っています。実はわたしが奪ったのです」と告げました(2節)。

 

 10節で、ミカがレビ人と、年に銀十シェケル、衣服ひとそろい、および食糧で祭司として雇うという契約を結んでいます。それを見ると、銀千百シェケルがいかに大金であるかが分かります。母親が盗人を呪ったのも当然です。ただ、レビ人の年棒の110倍という大金を盗まれても、その後の生活に特に支障を来し、困窮したということでもなさそうですから、ミカの家は相当の資産家だったということでしょう。

 

 ミカが自分の罪を告白したとき、大金を盗んだのが自分の息子だったと知った母親は、その罪を咎めもせず、「わたしの息子に主の祝福がありますように」と言います(2節)。自分のかけた呪いが息子に及ぶことがないようにという親心でしょうか。

 

 息子が金を母親に返すと、「息子のために彫像と鋳造を造っていただこうとして、この銀はこの手で聖別し、主におささげしたものです」と言い(3節)、二百シェケルを取って彫像と鋳像を造らせます(4節)。息子を祝福してくれる神の像を、彫像と鋳像で造ったということです。5節によれば、それは、エフォドの彫像、テラフィムの鋳像ということのようです。

 

 ただ、千百シェケルは、そのために聖別していたものだと言いながら、実際には二百シェケルでその像を造らせたというのですから、この母親の言動は、神を愚弄しているというか、とても滑稽です。

 

 主なる神は、十戒に於いて、「あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト記20章4節)、「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(同5節)と命じておられます。申命記27章15節には、「職人の手に業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、密かに安置する者は呪われる」と規定されています。

 

 また、ナホム書1章14節でも、「お前の名を継ぐ子孫は、もはや与えられない。わたしは、お前の神の宮から、彫像と鋳像を断ち、辱められたお前のために墓を掘る」と断じられています。つまり、息子を祝福するつもりで造らせた彫像と鋳像は、実際には、息子の呪いとなるのです。

 

 ミカは神殿を持ち、エフォドとテラフィムを造ってそれを神殿に安置し、息子の一人を祭司としていました(5節)。そこに、母親が造らせた彫像と鋳像も置かれました。18章14節は、そのことを示しています。神の御心を尋ね、幸いを得ようとして偶像を造り、拝んでいるわけですが、それは、神を喜ばせる礼拝ではなかったのです。

 

 息子を祭司としたことについて、出エジプト記28章1節によれば、神が祭司として立てたのは、アロンとその子らであり、民数記3章10節には、「アロンとその子らを監督して、その祭司職を厳守させなさい。ほかの者がその務めをしようとするならば死刑に処せられる」と規定されています。

 

 後で、ユダのベツレヘムの町から来たレビ人が祭司として雇われることになりますから(7節以下、12節)、ミカ自身、息子を祭司とするのは変だと思っていたわけでしょう。10節で、祭司として雇うレビ人の若者に、「わたしの家に住んで、父となり、祭司となってください」と頼んでいますが、ミカは、祭司とした息子に対しても、「父」として、また「祭司」として、敬意を払っていたとは考えられません。

 

 「ミカ」というのは、「誰がヤハウェのようなものであるか」(ミカーイェフー)という名前です。それは、ヤハウェのような神はどこにもいない、誰もヤハウェに並びうる者はないという信仰を表明しているものです。けれども、ここには、主に対する畏れも、主の御言葉に従おうとする信仰も、全く見出されません。

 

 冒頭の言葉(6節)は、相応しい指導者が不在で、「自分の目に正しいとすることをする」というのが、自分の思いどおりに生きることだったということを示しています。そこに、すべての問題の根源があるのです。このことが、後に、指導者として、王を立ててほしいということになっていくのですが(サムエル記上8章5節)、それも、「自分の目に正しいことをする」ということでした。主はそれを喜んでおられなかったからです(同8章7節)。

 

 私たちの内から、神の御旨に相応しくないものをとりのぞき、「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6章33節)と言われた主イエスの御言葉に、日々耳を傾けましょう。

 

 主よ、日々、御言葉をお与えくださり、有り難うございます。私たちは、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる者だからです。開かれた耳を持ち、絶えず御言葉に聞き従う者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。」 士師記18章29節

 

 1節に、「ダンの部族は、住み着くための嗣業の地を探し求めていた。そのころまで、彼らにはイスラエル諸部族の中で嗣業の地が割り当てられていなかったからである」とあります。けれども、ヨシュア記19章40節以下には、ダン部族に与えられた嗣業の土地の領域が記されています。

 

 ヨシュア記と士師記の間に乗り越え難い断絶があるようですが、間をとって、ダン部族には、ヨシュアの時に割り当てられた領域があったけれども、そこは、国境を接する隣国ペリシテによって絶えず脅かされる場所だったので、安住の地を探し求めていたということではないかと思われます。

 

 そこで、ダンの人々は、士師サムソン所縁のツォルア(13章2節)とエシュタオル出身の勇士5人を選び、相応しい地を探させます(2節)。彼らはエフライム山地のミカ(17章参照)の家の近くまで来て、そこで一夜を過ごし(2節)、そこにいたレビ人の声を聞いて(3節)、祭司の務めをしていることを知ると(4節)、旅の成否を祭司に尋ねました(5節)。

 

 祭司は、「安心して行かれるがよい。主はあなたたちのたどる旅路を見守っておられる」と答えました(6節)。そこで、5人は勇気づけられて、北方のライシュまで進みました。それは、ヘルモン山の麓、ヨルダン川の水源地フィリポ・カイサリアの側にあります。5人はそこをつぶさに調べ、仲間のところへ戻りました(7,8節)。

 

 そして、「彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわずに出発し、あの土地を手に入れて来るべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな民の所に行けよう。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つかけることのないところだ」と報告しました(9,10節)。

 

 そこで、ダンの人々はすぐに出発し、ユダとベニヤミンの相続地の境界線の町キルヤト・エアリム(「森の町」の意)の西に陣を敷きました。その地に宿営したという意味でしょう。そこが、「マハネ・ダン」(「ダンの陣営」の意)と呼ばれました(12節)。

 

 彼らは、そこからエフライム山地のミカの家まで進み、先の五人の者が家の中に入り、彫像、エフォド、テラフィム、鋳像を奪いました(17節)。さらに、そレを咎めた祭司に、ダン族の祭司となるよう求めました(19節)。すると、彼は快くそれに応じました(20,21節)。 

 

 レビ人のすべてが祭司となれるわけではありません。アロンの子孫だけが祭司となるのです(出エジプト記28章1節)。彼は、ユダのベツレヘムから、適当な居留地を求めてエフライム山地にやって来ていました(17章7,8節)。恐らく、アロンの子孫ではなかったのではないかと思いますが、ミカによって一個人の家の祭司となり、今度は、イスラエルの12部族の一つ、ダン部族の祭司となるのです。

 

 祭司を連れ去られ、 彫像、鋳造を奪われたことを知ったミカが、家族を呼び集め、ダン部族を追いかけました(22節以下)。ところが、ダンの人々は、神々と祭司を奪ったことを詰問するミカに、「そんなたわごとを我々に聞かせるな」(25節)といって、彼を脅します。敵わないと見たミカは、すごすごと引き下がるほかありませんでした(26節)。

 

 やがて、ダン族の人々はライシュを襲って焼き払い、そこに住み着くために町を再建します(27,28節)。そして、冒頭の言葉(29節)の通り、町の名をダンと改めます。ヨシュア記19章47節に、「ダンの人々は領地を奪われた後、北上し、レシェムを攻めてこれを占領し、剣をもって住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだ」とありますが、これが、同じ出来事を指しているといってよいのかも知れません。

 

 ダン族の人々は、ミカの家から盗って来た彫像を安置し、そこで礼拝を行います(30節)。前述の通り、ライシュはヨルダン川の水源地フィリポ・カイサリアの側にあるのですが、そこは、主イエスが弟子たちに、「あなたがたはわたしを何者だというのか」と尋ね、シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた場所です(マタイ16章13節以下)。

 

 ちなみに、ヨルダンとは、「下る」という意味の「ヤーラド」という動詞と関連のある言葉です。おそらく、「ダンから下る」ということで、ヨルダン(原語で「ヤルデーン」)と言われるのであろうと思われます。 

 

 フィリポ・カイサリアについて、水源地にはパン神が祀られていて、もともとパネアスと呼ばれていました。紀元前193年にシリアのアンティオコスⅢがエジプト軍を破った場所として、初めて文献にその名が登場します。紀元前20年にアウグストゥスがヘロデ大王にこの地を下賜し、ヘロデは皇帝の像を安置した神殿を建てて皇帝に敬意を表わしました。

 

 後にヘロデ大王の子ヘロデ・フィリポが町の名をカイサリアと改め、父が地中海沿岸に設立したカイサリアと区別するため、自分の名を加えてフィリポ・カイサリアとしたのです。その後、ネロ皇帝の名を冠してネロニアスと呼ばれたこともありますが、現在は、もとのパネアスに戻っています。

 

 主イエスとシモン・ペトロのやりとりは、かつてダン部族によって彫像が安置され、パン神が祀られるところとなり、後にローマ皇帝の神殿が建てられたこの地で、誰を礼拝するのか、誰を主と呼ぶのかということを、確認したわけです。

 

 また、主イエスを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになると言われたように(ヨハネ7章38節)、ヨルダン川水源地でのペトロの信仰告白は、この信仰が聖霊によってイスラエル全地に広められることを示しているとも言えるでしょう。それはまた、ダン部族のむさぼりと偶像を礼拝した罪が全イスラエルを汚染して来たので、主イエスを信じる信仰が、それを清めたというかたちでもあります。

 

 「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(第一ヨハネ書1章7節)。主イエスに対する信仰を言い表し、主の恵みの光のうちを歩ませていただきましょう。 

 

 主よ、人は自分の知恵や行動で救いを獲得することは出来ませんでした。聖書がいうとおり、人々は腐敗して忌むべき行いをし、善を行う者はいないのです。けれども、主はなおもこの世を愛され、私たちのために御子イエスをお遣わしくださり、主を信じる者に永遠の命を与え、神の子となる資格をお授けになりました。ただ感謝するほかありません。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。」 士師記19章30節

 

 「エフライム山地の奥に一人のレビ人が滞在していた」(1節)とあります。エフライムには、シケム、ゲゼル、キブツァイム、ベト・ホロンというレビ人の町があると、ヨシュア記21章20~22節に記されています。ここで、「一人のレビ人が滞在していた」という表現は、その理由は不明ですが、彼がレビ人の町を出て、エフライム山地の奥に、他のレビ人から離れて一人で生活していたということになるでしょう。

 

 そして、ユダのベツレヘムから一人の女性を側女として迎えたと記されます(1節)。レビ人は側女を持ってはならないというような律法はありませんが、神に仕えるために身を清めなければならない者として(民数記8章5節以下)、それはいかがなものでしょうか。

 

 ところが、その側女がレビ人のもとから逃げ出し、実家に帰ってしまいます。「側女はを裏切り」(2節)ということについて、岩波訳には、「側女は夫を〔裏切って〕淫行に走り」と記されています。そして、「恐らくヤハウェ祭司である夫の立場を無視してバアルの祭儀に参加したことを示唆するもの」と注釈をつけています。

 

 なぜそのような行動に走ったのか、理由は記されていません。彼は、4ヶ月たって側女を迎えに出向きます(3節)。「その心に話しかけて」は、イザヤ書40章2節、ホセア書2章16節にも同様の言葉遣いがあり、それは、主なる神から離れていた者の帰還を促す愛情を示す表現です。

 

 義父はレビ人の訪問を喜び、彼が帰ろうとするのを何度も引き留めます(4節以下)。それは、婿との交わりを楽しんでいるというより、娘のことを案じてのことだったのではないかと思われます。一方、レビ人は直ぐにも家路につきたかったのでしょうが、再び側女が離れて行くようなことがないようにと、気を使っていたのでしょう。

 

 ようやく、5日目の夕暮れ近くに帰途につきました(9,10節)。同行の若者が、エルサレムで一泊してはどうかと勧めるのに(11節)、「異国人の町には入るまい」とレビ人は答え、ベニヤミン領のギブアまで足を伸ばすことにします(12節以下)。確かに、エルサレムは、ダビデが攻め落として「ダビデの町」とするまでは、エブス人の支配していたところでした(サムエル記下5章6節以下)。

 

 レビ人は、ギブアに宿をとることにしましたが、レビ族の中でも祭司となるアロンの子孫の住むギブオンやゲバ、アナトト、アルモンという町が、ベニヤミンの嗣業の地にはあります(ヨシュア記21章17,18節)。どうして、それらレビ人の町に向かわなかったのかは、不明です。

 

 そして、ギブアには、「彼らを家に迎えて留めてくれる者はいなかった」(15節)と記されています。仕方なく、彼らが広場で夜を過ごすようにしていると、一人の老人が畑仕事を終えて通りかかり、彼らに声をかけ(16,17節)、家に迎えてくれました(20,21節)。

 

 ところが、そこに事件が起こります。町のならず者が家を囲み、「お前の家に来た男を出せ」と要求します(22節)。「我々はその男を知りたい」というのは、男色をするということでしょう。主人は、それを思いとどまらせるつもりで、自分の処女の娘と、旅人の側女を出すという提案をしますが(24節)、彼らは聞く耳を貸そうとしません(25節)。

 

 これは、かつて、ソドムのロトの家に二人の御使いがやって来たときに起こった出来事に、よく似ています(創世記19章1節以下、5,9節)。 違いは、この時、老人の家に御使いはいなかったということです。

 

 そこで、レビ人が側女を押し出すと、彼らは一晩中もてあそびます(25節)。朝になって、解放された女がようやく老人の家までたどり着きますが、そこに倒れて息絶えます(26~28節)。レビ人は、側女の遺体をロバに乗せてエフライムの家に帰り、それを12の部分に切り離して、イスラエル全土に送りつけます(28,29節)。冒頭の言葉(30節)は、それを見た人々の反応です。

 

 これは、神の選びの民イスラエルに本当にあったことでしょうか。旅人を慰み者にしようとするのは、当然、言語道断でしょう。また、神に仕えるレビ人が、危機を逃れるために側女を町のならず者に差し出したことは、神の前に問題にならないでしょうか。神に仕え、律法を人々に教える使命を持ったレビ人や、祭司たちが住む町ギブアの人々のこの非道な振る舞いは、どう考えればよいのでしょうか。

 

 そしてまた、レビ人が側女の遺体を12に切り離して、イスラエル全土に送りつけたというのには、どんな目的があったのでしょうか。これらのことについて、本当に、「このことを心に留め、よく考えて語る」必要があります。

 

 今日の箇所には、神の言葉がありません。祈りもありません。それが一番の問題でしょう。詩編119編9節に、「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉通りに道を保つことです」(詩篇119編9節)と言われるとおり、神の御言葉を聞くことです。その導きに従うことです。レビ人、祭司たちがその務めを果たさなければなりません。

 

 今日、我が国でも、性をもてあそび、命を粗末に扱うような事件があとを絶ちません。キリスト教会に重い課題が委ねられています。世の光であり、地の塩であるキリストの教会が、御霊の力を受け、御言葉と祈りをもって、その責任を果たせるようになりたいと思います。

 

 主よ、私たちの国に、町に、御言葉の光を与えてください。皆の心が光で照らされ、希望、愛、喜びで命が輝きますように。キリストの教会が、その使命を果たすことが出来ますように。私たちに上からの知恵と力を授けてください。真理の御霊の助けが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。」 士師記20章26節

 

 レビ人の送りつけたものに全イスラエルは鋭く反応し、ミツパに集結しました(1節)。「一団となって一人の人のようになり」というところにその驚きぶりが窺え、その後の対応が全く一様であったということです。「ミツパ」とは、見張所、物見櫓という意味で、イスラエルの各所にその名で呼ばれるところがあります。ギブアで何があったのかを知ろうとして、そこに集まって来たのです。

 

 イスラエルの人々は、レビ人から事の次第を聞き(3節以下)、イスラエルの中で行われた非道を制裁することに決し(10節)、ベニヤミンに対し、ギブアで犯行に及んだ者を引き渡すように求めます(12,13節)。ところが、ベニヤミンの人々は引渡しに応じないだけでなく、ギブアに集結して、イスラエルの人々と戦うために出て来たのです(13,14節)。

 

 そこで、イスラエルの部隊はベニヤミンに制裁を加えるため、主の託宣を受けて、ギブアに攻め上りました。しかし、二度にわたってベニヤミン軍に打ち破られ、4万人もの犠牲者を出しました(21,25節)。神の命により、敵の10倍以上の軍勢を送り込んでいるのに、敵軍に倍するほどの犠牲者を出したのです(15,17節)。いったい、どうなっているのでしょうか。

 

 そのとき、イスラエルのとった行動が、冒頭の言葉(26節)に記されています。イスラエルの民は、ベテルに上り、主の御前で泣きました。あまりにも多くの犠牲が出たからです。イスラエルの中に起こった事件で、その悪を取り除こうとしているのに、悪に悪が重なるように犠牲が増えていくという、耐えられない状況でした。親が、伴侶が、子どもが犠牲になったとすれば、どんなに悲しいことでしょう。誰も笑ってはいられなかったのです。

 

 そして、夕方まで断食しました。イスラエルの民がその日一日断食したのは、あまりの悲しみのために食事をするにならなかったというのが真相かもしれませんが、断食するのは、祈るためです。命を懸けて主と対話するという姿勢です。人々は祈らずにおれなかったでしょう。それから、イスラエルの民は、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。

 

 主の御旨に従いながら、多くの犠牲を払うことになり、ただ悲しく辛いという思で涙を流し、断食をしている中で、イスラエルの民は神の御声を聞き、あらためてその御心に触れたのではないでしょうか。

 

 ベタニヤのマルタとマリアが、兄弟ラザロの死を悼んで泣いているのをご覧になった主イエスは、私がいるのに何故泣くのか、泣く必要などないだろうとは言われませんでした。「イエスは涙を流された(Jesus wept)」と聖書には記してあります(ヨハネ11章35節)。主イエスは、涙する者と共に涙を流してくださるお方です。それこそ、主イエスの愛です。

 

 イスラエルの民は、主の御前で泣いたと記されていますが、それは、主なる神が、泣いているイスラエルの民の前においでくださった、泣くイスラエルの人々と一緒にいてくださったということでもあるでしょう。その主の愛に触れました。主の憐れみに触れました。それは、本当に心慰められ、癒される体験だったことでしょう。主の御心を聞いた民は、献げ物をささげました。それは、悔い改めの献げ物であり、また感謝の献げ物です。

 

 ベテルは、かつてイスラエルの父祖ヤコブが孤独な逃避行の中で神と出会った場所、そして、神の前に祭壇を築いた場所です(創世記28章、35章)。ベテルとは、「神の家」という意味です。荒れ野で神と出会った、ここにも神がおられたという信仰の表明ですね。

 

 士師記の時代には、ベテルに神の契約の箱が置かれ、祭司ピネハスが御前で仕えていた、と記されていますが(28節)、イスラエルの人々は長らく、それぞれが自分の目に正しいと見えることを勝手に行っていて(17章6節)、神に祈り、御旨に従うことをしておりませんでしたから、ここでもう一度神と出会い、神との交わりが再開されたということなのでしょう。神と民との心が通じ合うようになったのです。

 

 それから、イスラエルの民はあらためて、出陣すべきか否かを主に尋ねました。すると主は、「攻め上れ」と命じられ、そして、「彼らをあなたの手に渡す」と約束してくださいました(28節)。そして、約束通り、ベニヤミンをうち負かすことが出来ました。この勝利の秘訣は、イスラエルの民が神の前に謙り、泣いて祈ったこと、御旨を悟り、御旨に従ったことです。

 

 長い間不従順であった民は、二度の敗北で打ち砕かれ、謙遜を学びました。従順を学んだのです。祈りを回復することが出来ました。主の憐れみは無限大、その慈しみは永久に絶えることがありません。

 

 主よ、私たちに憐れみと祈りの霊を注いでください。真の悔い改めに導いてください。主の命に与り、清められ、癒され、救われ、平安になり、何より主との深く豊かな交わりに与るためです。御言葉と御霊の導きに聴き従うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「共同体の長老たちは言った。『生き残った者に妻を与えるにはどうすればいいだろう。ベニヤミンの女は絶えてしまった』。」 士師記21章16節

 

 いよいよ、士師記最後の章です。ベニヤミンの町に残る者は皆、人も家畜も残らず撃たれ、ギブアのみならず、どの町にも見つけ次第火が放たれたので、荒れ野のリモンの岩場に逃れた600人の兵士以外、ベニヤミンの民は死に絶えてしまいました(20章47,48節)。

 

 イスラエルの人々は、ベニヤミンには嫁をやらないという誓いを立てました(1節)。これがどのタイミングでなされたのかは不明ですが、この誓いが実行されれば、男性600人しかいないベニヤミン族は、最終的に滅んでしまうことになります。かくて、ギブアでなされた非道に対する制裁が完了するわけです。

 

 ところが、イスラエルの民は、再びベテルに上り、神の御前に声を上げて泣きました(2節)。それは、ベニヤミンに勝利した嬉し泣きなどではありません。ギブアの住民は確かに酷いことをし(19章)、ベニヤミンはその罪を取り除こうとするどころか、皆ギブアに集まって、制裁しようとするイスラエルに刃向かいました(20章12節以下)。

 

 それによって、イスラエル軍の兵士に4万もの大きな犠牲が出ました。だから、徹底的な裁きを受けることになったのです。とはいえ、ベニヤミンもイスラエルの大切な家族です。だから、イスラエルの家族から、ベニヤミン一部族が欠けてしまうことを嘆いているのです(3節)。

 

 翌朝、民は祭壇を築き、神に献げ物をささげます(4節)。その後、全部族の中でミツパの集会に来なかった者がいるか、調べます。その者は死なねばならない、という誓いがなされていました(5節)。すると、ヤベシュ・ギレアドの住民が一人もいなかったことが判明します(8節)。そこで、イスラエルはヤベシュに1万2千の兵を送り、処女の娘4百人を残して、他は滅ぼし尽くしました(10~12節)。

 

 民は、リモンの岩場にいるベニヤミンの兵士たちに使者を送って和解を呼びかけ(13節)、ヤベシュの娘たちを彼らに与えました(14節)。しかし、女性がまだ2百人足りません。残りは、シロの町で行われる祭りに出て来る娘の中から、妻とする娘を捕らえてベニヤミンの地に連れ帰ることを許します(19節以下)。

 

 およそ、尋常なやり方ではありません。しかし、制裁のために、娘をベニヤミン人の嫁にはやらないと誓った手前、通常の方法で嫁を取らせることが出来ません。一方、嫁をとらせなければ、ベニヤミン族は滅びてしまいます。それを黙視しているわけにはいかないということで採られた、苦肉の策なのです。

 

 25節に、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」と告げられて、士師記が閉じられます。民を治める指導者がなければ、いかにわがままになるかという表現と読めます。このような状況が、強力な指導者の登場を待望させることになるわけです。

 

 因みに、ベニヤミンのギブアは、イスラエルの初代の王となった、サウルの出身地です(サムエル記上10章20節以下、26節)。ならず者が首長として治めていたような町ギブアが、この苦しみを経験した後、イスラエルの初代の王を送り出す町になったのです。

 

 また、イスラエルの民がベニヤミンに制裁をするために集まった町ミツパは、サウルがサムエルによって油注がれ、王に即位する場所となりました。まさに、主の憐れみは限りなく豊かであり、その慈しみは永久に絶えることがないのです。

 

 そしてまた、17,18章でダン部族が北に移動する物語と、続く19,20章のベニヤミン族の犯行の物語にも、ユダのベツレヘム出身の人物が登場して来て、士師記の後に配置されているルツ記への道備えのようになっています。

 

 振り返って私たちのことです。私たちもベテル(「神の家」の意)に上りましょう。主が共におられるという信仰を新たにしましょう。御前に思いと願いを注ぎ出して祈りましょう。主が触れてくださいます。リモンの岩場に逃れましょう。主が私たちをご自身の命で豊かに養い、守ってくださいます。主の恵み豊かに味わい、心から御名を褒め称えましょう。

 

 主よ、御名を崇めます。あなたは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流されます。ルズをベテルに換え、水をぶどう酒にし、万事を益となるように働いてくださいます。主を信じ、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛する者とならせてください。 アーメン

 

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