使徒言行録

 

 

1月23日(月) 使徒言行録1章

 

「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」 使徒言行録1章3節

 

 使徒言行録はルカ福音書と同一人物によって記されました。著述時期は90年代、パレスティナ以外のエーゲ海沿岸地域の教会を背景とした場所であろうと想定されています。

 

 1節に、「先に第一巻を著して」とあるのは、ルカによる福音書のことを指しています。第一巻は、「敬愛するテオフィロさま」に献呈されていました(ルカ福音書1章3節)。「テオフィロ」とは、神を愛するという意味です。「敬愛する」(クラティストス)はローマの高官であることを示す形容詞で、口語訳では「閣下」と訳されていました。

 

 第二巻である使徒言行録も、「テオフィロさま」に献げられていますが、「閣下」と記されていません。閣下と言われなくてもカッカしない人物であったのかも知れませんが、あるいは、第一巻によって信仰に導かれたので、ルカとの関係が神の家族、主にある兄弟になったために、テオフィロ自身が閣下と呼ばれることを却下したのかも知れません。

 

 第二巻の書き出しは、冒頭の言葉のとおり、主イエスが甦られて使徒たちに姿を現されたことから始っています。ここに、福音書では見ることの出来なかった二つの事実が明らかになっています。

 

 一つは、主イエスが40日にわたって姿を現されたことです。ここには「現れる」という動詞の現在分詞形が用いられており、それは文法上、動作が継続していることを示しているので、時々現れたというのではなく、ずっと一緒におられたという表現になっています。

 

 もう一つは、40日にわたって姿を現されていた主イエスが、「神の国について話された」と記されていることです。「神の国」とは、神が王として支配されているという、その支配のことを指している場合と、神が支配している地域と言いますか、場所を指している場合があると言われます。厳密に二者択一的に考えなければいけないというよりも、いつもその両方の意味を含んでいると考えるほうがよいと思います。

 

 主イエスは生前、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と神の福音を宣べ伝えられ(マルコ福音書1章15節)、また、たとえ話を用いて「神の国」について度々使徒たちに教えておられました(同4章26節以下、30節以下など)。

 

 それは、終わりのときに神によって完成される神の国、完全な救いを表していると同時に(同9章47節、10章15節、23節以下、14章25節など)、主イエスの宣教と働きによって既にこの世にもたらされていることを示しています(ルカ福音書11章20節、17章20,21節)。

 

 主イエスが40日に渡って現れ、神の国について話されたというのは、さながら神がモーセと40日にわたってシナイ山で語り合い、契約のしるしとして十戒を授けられたようなものです(出エジプト記24章18節、34章28節)。

 

 使徒たちは、復活の主の教えを受け、約束の聖霊が天から降り(2章1節以下)、その力に満たされて大胆に福音を語り始めました(同4節)。それにより、一度に3千人もの人々がクリスチャンになり(同41節)、さらに、救われる人々が日々仲間に加えられましたが(同47節)、それらの人々に使徒たちが教えたのが、神の国の教えだったのです。

 

 それは、神の国では何が大切なのか、どのような生活をしなければならないのかというような、教義的なことから具体的な生活に至るまでの様々なことが含まれていたことでしょう。彼らは教えられたとおり、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(同42節)というわけです。

 

 私たちも使徒言行録を通して、神の国の教えを彼らがいかに実践したかを学びながら、神の国の到来を待ち望みつつ、復活の主の証人として神の国の福音を生きるために、聖霊の力に与りたいと思います。弟子たちはそのために一つところに集まり、皆で「心を合わせて熱心に祈って」(14節)いました。彼らに倣い、聖霊を求めて祈り合いましょう。

 

 主よ、キリストによって罪が贖われ、神の子とされました。「アッバ、父よ」と呼ぶことが許されており、聖霊が、私たちが神の子であることを保証してくださいます。私たちの信仰の目を開いて、さらに深く主を知ることが出来ますように。聖霊の導きに与り、神の国の力、栄光を悟らせてください。聖霊に満たされ、その力を受けて、復活の主の証人としての使命を果たし、主の教会を神の国としてくださいますように。 アーメン

 

 

1月24日(火) 使徒言行録2章

 

「わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。」 使徒言行録2章25節

 

 冒頭の言葉(25節)は、ペンテコステの日にペトロが語った説教(14~40節)の一部で、詩編16編8節から引用されたものです。

 

 詩編16編には、「ミクタム、ダビデの詩」という表題がついています。ミクタムというへブライ語の意味は、まだ分かっていません。「金(ケテム)」と関わりがあるとか、「汚す(カータム)」と関連して、「覆う、隠す」という意味ではないかといった解釈を聞いたこともあります。

 

 70人訳(セプチュアジンタ=ギリシャ語訳旧約聖書)では、「石碑、碑文(ステイログラフィア)」という言葉があてられています。詩を記念として石に刻み、後世に永く伝えるという意味にとればよいのではないかと思われます。

 

 そして、ダビデの時代から千年という時間を経て、ペトロがこの詩に新しい光を当てました。それは、この詩を書いたダビデは、自分のことを「わたし」と言っているというのではなく、この「わたし」とは、主イエスのことなのだというのです。それが、25節に「ダビデは、イエスについてこう言っています」と記されている意味です。

 

 ペトロがかく語り得たのは、27節に「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない」とあるからです。即ち、その言葉が、キリストが神によって甦らされることを預言しているもので、「わたし」が主イエス、「あなた」が父なる神と解釈されます。

 

 ペトロは、ダビデは預言者だったので(サムエル記上16章13節、同10章10節参照)、キリストの復活について前もって知ることが出来て、そう記しているのだと30,31節で語り、その預言どおり主イエスは甦られたこと、ペトロたちがその証人であることも告げています(32節)。

 

 ペトロが、キリストについての預言として引用した冒頭の言葉にもう一度目をとめます。ここで、「わたし」が主イエス、そして「主」とは父なる神のことと考えられます。そうすると、この言葉は、主イエスはいつも父なる神を見ておられ、そして、父なる神が主イエスの右におられるということになります。

 

 私たちは、ことが順調に運び、自分の思い通りに進むときに、神が私と共にいて、祝福しておられると考え、逆境に出会い、困難が続くと、神はおられるのだろうかと思ってしまいます。しかし、主イエスは「いつも」父なる神を見ておられました。特に、十字架の死を前にしながら、弟子たちに裏切られ、宗教指導者たちによって苦しめられるときにも、主イエスは父なる神を信頼して、揺らぐことがなかったというのです。

 

 「見る」というのは、「予見する」(プロオラオー)という動詞の未完了中態1人称単数形で、「目の前に置いている、目の前で見ている」という意味になります。現実には苦難と死の壁しか見えないときにも、信仰によってそこに神の御顔を見ているということです。

 

 永井訳聖書は、「我は常に我が面前に主を透視せり」と訳しています。問題の向こうに、直面している現実の向こうに、主を透かして見るという訳で、なかなか味わい深いものです。

 

 旧約聖書・詩編16編8節には、「わたしは絶えず主に相対しています」と記されています。「相対している」は、「比較する」(シャーヴァー)という言葉のピエル・完了形1人称単数の動詞が用いられています。ピエル形は、「置く」という意味になります。「自分の前に置く」ということで、新共同訳は「相対する」と意訳したのでしょう。それが、70人訳で「見る」(プロオラオー)と訳されたのです。

 

 私たちが自分の前に主なる神を置くことなど、出来ることではありません。もし、「絶えず主に相対しています」と言えるとすればそれは、主がわたしの前に常にいてくださったということです。私たちの目に主が見えなくても、主は常にわたしの前におられるというのです。

 

 それは、すべてのことが神の御手の中で、神の主権のもとでなされていると信じていることでしょう。自分自身にとっては最悪と思われることでも、それが神の御心によってなされていること、それが神のなさる最善のことと信じるということです。

 

 いつもそう思うことが出来るでしょうか。私には出来ません。逆風に悩まされ、逆境に陥る度に、その都度神の御心を問うでしょう。この杯を取り去りたまえと願い求めることでしょう。それが神の御心であるという信仰に達するまで、祈り続けるでしょう。けれども、もしそれが神の御心であるという信仰が与えられたならば、信じて進むことが出来るように、御心を行う知恵と力を与えてくださいと祈ります。

 

 いずれにしても、神の導きと助けなしには、自分の力では何もすることが出来ません。何があっても、主の御前に進みましょう。主の御顔を求めて祈りましょう。御声に耳を傾けましょう。

 

 そのとき、何事にも揺り動かされることのない主イエスが、私たちと共に、私たちの右にいて、私たちを助け導いてくださいます。御言葉を示してくださいます。それは、真理の言葉です。それにより、平安と自由が与えられます。約束通り、主にある喜びに満たしてくださるのです。

 

 主よ、私たちの信仰の目を開き、いつも主の御顔を拝させてください。現実に目が奪われて平安を失ってしまう私たちの右にいつもいてください。不信仰で失意の底にいるとき、義の御手をもって希の光の内に引き上げてください。私たちの名を呼び、真理の御言葉によって私たちを導いてくださることを感謝します。御旨を弁え、主の御業のために励む者とならせてください。 アーメン

 

 

1月25日(水) 使徒言行録3章

 

「ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』」 使徒言行録3章6節

 

 ペトロとヨハネが午後3時の祈りのときに神殿に上りました(1節)。信仰深いユダヤ人たちは、一日に三度祈りの時間をもうけ、エルサレム神殿に出向いていたようです。出向けなかったときには、その場所で祈りをささげました(ダニエル書6章11節、9章21節参照)。

 

 ルカ福音書の最後のところに、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(ルカ福音書24章53節)と記されています。初代のクリスチャンたちにとっても、神殿は主なる神をほめたたえ、祈りをささげる大切な場所でした。そのようにして約束の聖霊が注がれるのを待ち(1章5,8,14節)、そうして、再びおいでになる主イエスを待ち望んだのです(1章11節)。

 

 かつて、主イエスがエルサレムの神殿から商人たちを追い出されたとき、「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」(ル軽く韻書19章46節)と言われました。誕生したばかりのエルサレム教会の信徒たちは、主イエスが「祈りの家」と呼ばれた神殿で、時を定めて祈りをささげていたわけです。

 

 「美しい門」、すなわちエルサレム神殿の異邦人の庭から婦人の庭に入る青銅製の美しい門、作者の名をつけてニカノル門と呼ばれることもあるこの門の傍らに、生まれながら足の不自由な男が運ばれてきました(2節)。それは、物乞いをするためでした(3節参照)。礼拝をするためではなかったのです。

 

 ユダヤ教では、祈りや断食と共に、施しをすることが、神の前に徳を積むこととして奨励されていました。「山上の説教」(マタイ5~7章)の中で主イエスが施しや祈り、断食について教えられているのは(6章1節以下)、そのためです。その施しを当てにして物乞いをするため、神殿に連れられて来ていたのです。

 

 この男が二人に施しを乞うたとき、二人は、「わたしたちを見なさい」と言います(4節)。何をもらえるのかと期待する男に、冒頭の言葉(6節)のとおり、「金や銀はない」と、その期待を打ち砕きます。ペトロたちが金銀を持っていないということではなく、その男に施す金はないという意味でしょう。

 

 しかし、話はそれで終わりではありませんでした。続けて「持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)と語られます。そして、男の右手を取って立ち上がらせると、すぐに足がしっかりして、歩き出すことが出来ました(7節)。

 

 彼はそれまで、「美しい門」の傍らで物乞いするしかありませんでした。動かない足が、彼の生活を縛っていました。そして、その動かない足で物乞いをしながら生活していました。そういう生活が生まれてこのかた40年続いていました(4章22節)。足で立ち上がる日が来るという夢を見ることなど、とうになくなってしまっていたことでしょう。

 

 しかし今、彼はナザレの人イエス・キリストの名が持つ力を知りました。この後、この出来事を聞きつけて集まって来た民衆にペトロが、「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」(16節)と説いています。

 

 彼は特別な勉強をしたり、難行苦行をしたりしたわけではありません。主イエスについて、どれほどの知識を持っていたか分かりません。ただ、二人に注目し、ペトロの「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という言葉に従っただけです。それだけで、この男は、願い求めた以上のものを受け取りました。即ち、彼は施しを求めたのですが、癒されて立ち上がることが出来たのです。

 

 彼は、ペトロのように語る者に初めて出会ったのでしょう。そして、彼の内に常識とか人間の知識を超えた導きがあったのでしょう。素直にペトロの言葉に従って立ち上がりました。そして歩き始めたのです。ここに、聴いた言葉に従うことが「信仰」と呼ばれており、「イエスによる信仰」(16節)という言い方で、その信仰も、主イエスによって与えられたものであることを教えています。

 

 そうして、この男は主イエスの力を実際に味わいました。彼は、主を知る者となったのです。立ち上がり、歩き出した彼の足の向かった先は神殿でした。彼は生まれて初めて、自分の足で神殿に向かいました。何のためでしょうか。自分を癒し、歩かせてくださった神を礼拝するため、賛美をささげるためです(8,9節)。

 

 主イエスは私たちをも、ご自身の御名によって日々歩むように、朝ごとに右の手を取って立ち上がらせようとしておられます。御名をほめ称え、主の御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きを祈りつつ、聴いたところに従って歩みましょう。

 

 主よ、この世の荒波にもまれ、心萎えている私たちが、今日も主イエスの御名によって立ち上がることが出来ますように。どうか御言葉をお与えください。聖霊の導きと力に与らせ、おのが十字架を負い、主イエスに従った歩むことが出来ますように。私たちに信仰を与え、その恵みに与らせてくださることを信じて感謝致します。 アーメン

 

 

1月26日(木) 使徒言行録4章

 

「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。」 使徒言行録4章13節

 

 ペトロとヨハネが神殿で民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、宗教指導者たちはいらだち(2節)、二人を捕らえて牢に入れました(3節)。腹が立ったので投獄とは、ずいぶん乱暴な話ですが、彼らは、二人を最高法院の中に立たせ、「何の権威でああいうことをしたのか」と尋問します(7節)。ここで、二人が神を冒涜して処刑された主イエスの名を語るならば、二人も処罰するつもりです。

 

 それに対して、二人は足の癒された男と共に立ち、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」(10節)と答え、さらに、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(12節)と宣言します。

 

 つまり、処罰しようと考えている指導者たちの核心をついて、彼らが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられた主イエスの御名の権威が、この男を立たせたのだ。この御名によって、この男を救われた。この御名による以外に、人を救うことの出来るものはないのだと語ったのです。

 

 宗教指導者たちは、二人の大胆な態度を見、そして、二人が癒した人もその傍らにいて、言い返す言葉がありません(14節)。居並ぶ宗教指導者たちが、二人の無学な普通の人に圧倒されているのです(13節)。それは、二人が大胆に語っている以上に、彼らが語っている主イエスの御名の権威と力が、その場を支配しているからです。

 

 しかも、その権威と力の具体的な証人として、癒された男がそこに立っているのです(14節)。結局、二人を罪に問うことが出来ず、これ以上、主イエスの名によって誰にも話すなと脅迫するのが関の山でした(17節)。

 

 勿論、脅迫はただの言葉ではありません。無視すれば、次には実力行使が待っています。指導者たちにはその力があります。使徒言行録が著述されていた当時、既にペトロもパウロも殉教しています。教会は、迫害に苦しめられていました。当局者による脅迫は、彼らにとって現実の脅威だったのです。

 

 けれども、二人は、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と答えて(19,20節)、脅しに屈しない態度を表明しています。二人は、この言葉によって、主イエスを受け入れようとしない宗教指導者たちは、神に従ってはいないと言っているのです。

 

 かつてペトロは、大祭司の家の中庭で、「この人もイエスと一緒にいました」と言われて、それを三度否定したことがありました(ルカ福音書22章54節以下)。ところが今、大祭司一族の前で、「この人もイエスと一緒にいました」と言われることを喜び、胸を張っています。むしろ、尋問している宗教指導者たちのほうが、腰が引けています。何がペトロをそのように変えたのでしょうか。

 

 8節に、「ペトロは聖霊に満たされて言った」とあります。ペトロが変わったとか、ペトロに力があるというのではなく、聖霊の力で語ったということが示されているのです。ペンテコステの日に働いた聖霊、使徒たちを大胆に語らせ、聞く者たちの耳を開いて、その真理を悟らせ、悔い改めに導いた聖霊が、ペトロに主イエスを大胆に証しさせているのです。

 

 さらに脅されて釈放されたペトロたちは(21節)、仲間のところに戻ってことの顛末を報告しました(23節)。そして、皆で神に祈りをささげます(24節以下)。それは、権力者の暴力から守ってくださいとか、権力者たちを退けてください、彼らに報復してくださいという内容ではありません。

 

 彼らが求めたのは、冒頭の言葉(29節)のとおり、「今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」ということです。イエスの名によって語ってはならないという脅しに逆らって、「思い切って大胆に」と、これまでに勝って思うまま自由に語ることができるように求めたのです。

 

 そして、彼らが語りたいのは、自分の思いや考えではありません。「御言葉」です。文字通りには「あなたの言葉」(ホ・ロゴス・スー:the word of you)、つまり、主の御言葉です。聖霊の力を受けたキリストの証人として、足の不自由な男を立ち上がらせたキリストの御名をもって、主なる神が語らせてくださるまま思う存分語りたいと祈るのです。

 

 神はその祈りを聞かれました。「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、御名、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」(31節)と記されています。2章1節以下に記されているペンテコステの出来事が再現されたかのような記録です。

 

 つまり、こういう出来事は一度あればそれで十分というのではなく、繰り返し引き起こされるべきこと、そのために絶えず聖霊の満たしと導きを祈り求めるべきこと、その力を受けて宣教の働きを進めるべきであることを、このように示しているのです。

 

  私たちも、御言葉を語り伝える伝道の働きに用いられる器となれるよう、心を合わせて聖霊の満たし、導きを祈りましょう。

 

 主よ、あなたが共におられなければ、聖霊に満たされていなければ、私たちは全く無力です。しかし、あなたはその無力な、無きに等しい者を選び、その傍らに立っておられます。共にいてくださいます。感謝のほかありません。いつも御顔を拝します。絶えず御言葉に耳を傾けます。どうか聖霊によって満たし、主の御業に用いてください。 アーメン

 

 

1月27日(金) 使徒言行録5章

 

「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。」 使徒言行録5章3節

 

 エルサレム教会では、神を畏れる思いが支配し、人々は心も思いも一つになり、一人も持ち物を自分のものだといわず、すべてのものを共有にしていました(2章43~45節、4章32節)。

 

 その例証として、キプロス島生まれのレビ族に属する、使徒たちからバルナバ(「慰めの子」という意味)とあだ名されていたヨセフという人物が、持っていた畑を売ってその代金を教会に献げたとあります(4章36,37節)。この行為がわざわざ聖書に記されているということは、それが信徒の交わりに影響を与えたということです。信者たちの模範とされた出来事でしょう。

 

 勿論、ヨセフが自分の行為を誇ったというわけではないと思います。ヨセフが使徒たちからバルナバ、すなわち「慰めの子」と呼ばれていたということから、使徒のために様々な心遣いをしていたのだろう、たとえば、迫害などを受けて辛い思いをしていても、バルナバの奉仕によって慰められたというような経験をしたのではないかというような想像を致します。

 

 まさに私心なく神に仕え、使徒たちに仕え、教会に仕えていたわけです。後にヨセフ=バルナバは、教会によって重く用いられるようになります。

 

 ヨセフの行為が模範として取り上げられたのを見て、真似をする人がたくさんいたと思いますが、その中に、アナニアとサフィラという夫婦がいました(5章1節)。彼らは土地を売って教会に献げることにしました。けれども、全部献げることを惜しみ、夫婦して代金をごまかし、その一部を持って来たというのです(2節)。一部だったのに、これが全部だと言ったということです。

 

 一部であったとしても、あるいは、金額はヨセフ=バルナバが献げたよりも多かったかも知れません。だから、一部といわず、全部といって誤魔化そうとしたのではないでしょうか。しかし、ペトロは、その行為を厳しく糾弾しました。アナニアがした行為が、サタンに心を奪われ、聖霊を欺き(3節)、神を欺くものだというのです(4節)。ここに、偽善は神を欺く行為であるという教えが示されています。

 

 財産を売ってそれを教会に献げるというのは、自発的になされていたことで、そうしなければ救われないというようなものではありません。また、財産を売ることを強要されはしませんでした。財産を処分しても、それを全額献げなければならないというものでもありませんでした(4節)。ですから、正直に土地を売った代金の一部であると言えば、それで十分だったのです。そしてそれは、天の御国に徳を積む行為でしょう。

 

 それを正直に言わず、全部と偽るところに、人間の愚かさがあります。すべてを献げた人という栄誉を受けようと考えたのです。一部を全部という、文字にすればわずかの違いですが、それが神の御前に裁かれました。神に打たれて息絶えてしまいました(5,10節)。

 

 このことで、滅ぼし尽くして献げるべきものの一部を盗み取ったアカンに下された罰を思い起こします(ヨシュア記7章1節以下)。アカンは、一枚の上着と銀200シェケル、50シェケルの金の延べ板を盗みました(同21節)。今の価格にして、金は270万円余り、銀は15万6千円余り、上着がどれほどの価値のものかは分かりませんが、それで命を落とさなければならないほどのものとは、およそ考えられません。

 

 にも拘わらず、神はアカンだけでなく、彼の家族も石で打ち、牛、ろば、羊、天幕など全財産を火で焼きました(25節)。神のものを盗んだということで、徹底的な裁きが下されたのです。実に厳しいものだと思います。

 

 同じ基準が適用されれば、誰も神の御前に生きられる者はいないかも知れません。私が今生きているのは、偽りがないからではなく、神の豊かで深い憐れみであることを知ります。どれほど神の憐れみによって守られてきたことでしょうか。

 

 けれども、神の憐れみに甘えて、神の御心を悲しませる生活を続けているわけには行きません。神の慈しみと同時に、その厳しさをも考えなければなりません(ローマ書11章22節)。アナニアらが特別なのではなく、私たちも悔い改めなければ、同じ裁きを受けると警告されているわけです。

 

 信仰によってはばかることなく神に近づき、その御言葉と御霊の導きに与ることの出来る恵みを感謝しましょう。しかし、神は侮られる方ではありません。真の畏れをもって主を礼拝しましょう。

 

 主よ、御子キリストを送ってくださり、感謝します。今、私たちの生活の中心に、心の王座にお迎えします。いつも私たちを、義の道へ、命の道へ導いてください。神の慈しみの道から逸れて、サタンの誘惑に陥ってしまうことがありませんように。たえず弱い私たちを憐れみ助けてください。 アーメン

 

 

1月28日(土) 使徒言行録6章

 

「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」 使徒言行録6章7節

 

 6章には、「ステファノたち7人の選出」(1~7節)と「ステファノの逮捕」(8~15節)が記されています。

 

 まず、「7人の選出」が必要になった理由が説明されます。それは、「弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た」(1節)というのです。

 

 弟子の数が増えたのは、弟子たちが聖霊の力を受けて大胆に伝道を進めた結果であり、また、信者たちが一つになって、すべての者を共有にするほどの愛の交わりに好感を持たれていたからあり(2章44節以下など)、それらすべてが神の豊かな恵みによるものでした。しかし、それが問題を生むことになりました。

 

 ギリシア語を話すユダヤ人というのは、外国に住んでいたユダヤ人でイスラエルに帰って来たか、時折エルサレムにやって来て居住している人々です。対して、ヘブライ語を話すユダヤ人とは、生まれながらイスラエルにいるユダヤ人ということでしょう。

 

 その二つのグループの人々が、主イエスを信じるキリスト者として共に集っていたわけです。そこには、上述のとおり、すべてのものを共有にするという麗しい愛の関係が存在していました。けれども、信徒の数が増えるに連れ、この二つのグループの間に問題が生じたというのです。その問題は、ギリシア語を話すユダヤ人のやもめたちが、日々の分配でヘブライ語を話す人々から差別されているということでした(2節)。

 

 ユダヤの社会では、やもめは特別な配慮を受けてきました。その配慮がエルサレム教会でも実践されていました。それをヘブライ語を話さないやもめたちにも同じように枠を拡げるべきだとは、当初考えられていなかったわけです。

 

 苦情を受けた12人の使徒たちは、信徒をすべて集めて総会を開きました。そして、食事の世話をする者たちを7人選んで欲しい、と提案しました(3節)。2節の「(食卓の)世話をする」は、ギリシア語で「ディアコネオー」と言います。その名詞形が4節の「奉仕、ディアコニア」という言葉です。さらに「奉仕する者、召使い」という意味の「ディアコノス」という言葉があります。ここから「deacon、執事」という言葉が生まれました。

 

 現在、わが静岡教会にも執事が選任されていますが、それは、この記事に根拠を置いています。つまり、この「7人」が現在の執事制度の原型プロトタイプと考えられているわけです。

 

 そこで、この「7人」が選び出された基準を見てみましょう。それは、「霊と知恵に満ちた評判の良い人を選びなさい」というものでした(3節)。「評判の良い人」とは、差別なく公平な仕事が出来るということでしょう。「霊と知恵に満ちた」というのも、その仕事が公正に行われるために、適切な方策を立てることが出来るということでしょう。「霊」が加えられているのは、事務的な能力だけでなく、信仰的な配慮が出来ることを重んじているからです。

 

 それによって選ばれた「7人」の名前が5節に記されていますが、これはいずれもギリシア名であることから、ギリシア語を話すユダヤ人の中から選び出されたのではないかと想像されます。まるで、「12人」の使徒がヘブライ語を話すユダヤ人であるので、それとバランスをとるかのような人選になっています。

 

 この後、選出された「7人」が日々の分配についてどのような仕事をしたのか、何も記されていません。しかし、同じような問題が他に起きてきていないことを見れば、12人の使徒たちと7人の執事たちの働きは、非常に良いバランスをもって問題を解決することが出来たと言えます。

 

 この後のステファノやフィリポの活躍を見ると、使徒と執事の働きがはっきりと区別されているということでもないようです。そこに、聖霊の導きに従う自由さがあると思います。

 

 こうして、「12人」の使徒の権威に基づいて「7人」の執事が選任されたことにより、教会の基礎が固まり、より強く一致することが出来、そこに聖霊の満たしと導きがあったので、神の言葉がますます力強く宣べ伝えられ、それによって弟子の数がますます増え、その結果、ユダヤ教の祭司たちも大勢信仰に導かれました(7節)。

 

 祭司たちというのは、以前、主イエスを十字架につけた側の指導者たちです。しかし今、彼らも聖霊の導きによって主イエスを信じる者と変えられたのです。ここに神の深い憐れみがあります。そして、すべての人にこの神の憐れみは注がれているのです。

 

 問題が起こることは問題ではありません。それは、人間社会において、当然のように起こることです。問題にどのように対処するのかが、まさに問題なのです。主なる神はその問題の中にお働きくださって、そのことも教会にとってプラスにしてくださいました。

 

 万事を益としてくださる主に信頼し、問題を主の御前に持ち出しましょう。解決をお与えくださる主に問題を委ねましょう。その際、私たちは何をすべきなのか、どこに立ち、何をどのように語ればよいのか、主の御心を尋ね、導きを待ち望みましょう。 

 

 主よ、エルサレム教会は、教会内に生じた問題に対して、霊と知恵に満ちた評判の良い者を7人選んだ結果、神の言葉がますます広められ、信徒の数が増えるという結果を生じました。問題が教会を前進させ、拡大させました。そこに聖霊の導きがありました。私たちも、祈りによって問題をあなたの御前に持ち出し、聖霊の導きに与らせて頂きたいと願います。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

1月29日(日) 使徒言行録7章

 

「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」 使徒言行録7章58節

 

 エルサレム教会が選任した7人の執事の一人ステファノは、恵みと力に満ち、素晴らしい業を行っていました(6章8節)。彼に議論を吹っかける者もいましたが、知恵と霊によって語るステファノに太刀打ちできませんでした(同10節)。そこで、偽証人を立てて最高法院に訴え出ました(同12,13節)。

 

 弁明をするように促されたステファノは、旧約聖書を用いて長い説教を行います(7章1節以下)。使徒言行録に記された最長の説教です。それは、自分の立場をよくしようというものではありません。むしろ、ユダヤの人々がいかに神に背いているかと、その罪を糾弾する内容になっています。それに憤ったユダヤ人たちは、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、石を投げ始めます(54,57,58節)。

 

 ステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言い、それから、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んで、息を引き取りました(59,60節)。この最期は、主イエスの十字架での最期を髣髴とさせるものでした(ルカ福音書23章34,46節)。

 

 ステファノが、自分を殺す者を赦し、その罪を彼らに負わせないでくださいと祈ることが出来たのは、確かに、彼のために立ち上がって応援してくださった主イエスの励ましと慰めのゆえではないでしょうか。そしてまた、私たちが互いに愛し合い、赦し合って生きるようにと、その模範が示されているようにも思います。

 

 ステファノ殉教後、エルサレムの教会に対して大迫害が起こりました(8章1節)。それも、ステファノの説教に端を発して、キリスト教をこのままのさばらしているのは、ユダヤ教にとってよいことではないという判断がなされた結果ではないかと思われます。

 

 その大迫害で一翼を担い、大活躍したのが、ステファノの殺害に賛成し、冒頭の言葉(58節)のとおり、彼を処刑する証人たちの上着を預かっていたサウロという若者でした。このサウロが、後に初代キリスト教最大の伝道者となります。クリスチャンになったばかりのころはサウロと呼ばれていましたが、後にローマ名のパウロを名乗るようになります。

 

 サウロは、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人という自負を持っていました(フィリピ書3章5節)。ベニヤミンは、ヤコブの12人の息子のうち、ただ一人イスラエル生まれでした。そして、イスラエルの初代の王はベニヤミン族から選ばれました。その名はサウルです(サムエル記上9章参照)。サウロは、明らかにサウルに因んで名づけられたものです。

 

 また、彼はキリキア州タルソスの出身ですが(使徒21章39節)、そこはローマ帝国の直轄地であったため、生まれながらローマの市民権が与えられていました。それで、パウロというローマ名も持っていたわけです。

 

 彼が家系や学歴などを重んじる立場であれば、ユダヤ名のサウロを名乗るのが当然と考えられます。しかし、自らサウロと名乗ったことはありません。むしろ、パウロ(「小さい」という意)と名乗ることに意味を見出していたわけです。ここに、キリストを信じて180度変えられたパウロの信仰を見ることが出来るように思います。

 

 しかし、なぜステファノを殺すことに賛成していた迫害者サウロが、主イエスを信じる者に変えられたのでしょうか。神のなされた憐れみの御業というほかありませんが、しかし、それこそ、ステファノが「この罪を彼らに負わせないでください」と執り成し祈ったからではありませんか。ステファノにかく祈らしめた主の御名を崇めます。

 

 自分に仇なす者を前にして、ステファノのように祈れるかと問われて、いつでも「はい」と答えることができる者ではありませんが、 「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)と招かれた主の御言葉に立ち、憐れみの源なる主に導きを祈りましょう。

 

 主よ、あなたはステファノが殉教したとき、彼に石を投げつける者の上着を預かり、その殺害に参与していたサウロを、主イエスの証人としてお選びになりました。それはあなたの深い憐れみによることでした。そして、その憐れみが私たちにも向けられ、私たちも主を知る者、信じる者として頂くことが出来ました。ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。栄光が神に永遠にありますように。 アーメン

 

 

1月30日(月) 使徒言行録8章

 

「しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女もバプテスマを受けた。」 使徒言行録8章12節

 

 ステファノが殉教したその日、エルサレム教会に対して大迫害が起こりました(1節)。サウロがその先頭に立ち、「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に」(3節)送りました。

 

 当時の教会は、独自の集会所を持たず、有力な信徒の家を集会所としていたと思われます。サウロは、その家に押し入って、エルサレム教会を根絶やしにする勢いで、クリスチャンたちを根こそぎ牢に入れたのです。「男女を問わず」というところに、その徹底振りが示されていますが、あるいは、教会の大切な働きが女性によって担われていることを、迫害者たちが知っていたからとも考えられます。

 

 そのため、使徒たちを除き、6人の執事たちをはじめ多くのクリスチャンは、ユダヤとサマリアの地方に散らされました(1節)。しかしそれは、逃避行というよりも、福音をイスラエル全地に宣べ伝える伝道旅行の様相を呈しています。ここに、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1章8節)という約束が実現しました。

 

 万事がプラスになるように共に働かれる神は、御言葉の約束を実現するために、迫害をさえお用いになられるのです。ということは、迫害の先頭に立っていたサウロは、知らないうちに神に用いられていたわけです。

 

 執事の一人フィリポは、サマリアの町に下り、人々にキリストを宣べ伝えました(5節)。「群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った」(6節)と記されています。フィリポの活躍がユダヤの人々とは疎遠のサマリアにまで伝わっていたということは、どれほど目覚しいものであったのかと想像させられます。

 

 かつて、主イエスがサマリアにあるシカルの町の井戸辺で一人の女性と出会い、それによってサマリアの多くの人々が主イエスを信じるようになりました(ヨハネ福音書4章参照)。それが再現されたような出来事が起こったのです。それは、先に述べた御言葉を実現しようとされる聖霊なる神の御業があったということでしょう。

 

 フィリポの伝道により、その町の有力な人物が主イエスを信じるようになりました。それは、魔術師シモンと呼ばれる人物です。彼はその魔術で人々を驚かせ、偉大な人物と自称していました(9節)。そして、町の人々はその魔術を「神の力」(10節)と言って注目していたのです。

 

 ところが、冒頭の言葉(12節)のとおり、「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女もバプテスマを受け」ました。シモン自身も信じてバプテスマを受けたのです(13節)。

 

 シモンは、魔術を自分を偉大に見せるために行いました。けれども、フィリポはしるしと奇跡を見世物にして、自分を偉大に見せようとしたのではありません。そのような力がフィリポにあったということでもないでしょう。フィリポは、「神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせ」(12節)たのです。

 

 すると、「すばらしいしるしと奇跡」(13節)が現われました。即ち、フィリポが福音を告げ知らせているところに、「神の国」つまり神の御支配と、「イエス・キリストの名」の力が示されたのです(3章6,16節、4章9~12節参照)。福音が宣べ伝えられ、それが信じ受け止められるところに神の国が訪れ、主イエスの御名の権威が現されるということです。

 

 マルコ福音書16章20節に、「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」と言われていて、フィリポの宣教に伴って、しるしと奇跡が現れ、サマリアの人々が信仰に入ったことを、そのように言い表しているかのようです。

 

 主イエスが、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ福音書6章33節)と言われました。神の国も神の義も、神のご支配について示すものと言えます。そこで、私たちの心とからだ、そして私たちの生活を、神が愛と義をもってご支配くださり、私たちの福音宣教を通して、神の国と主の御名の力、権威がそこに現されるように、祈り求めましょう。

 

 主よ、霊と知恵に満ちたフィリポは、ステファノ殉教と教会の大迫害という逆風の中で、大胆に福音を告げ知らせて行きました。彼の人生が、神の国とキリストの御名の力に支配されていたからです。ただひたすら、御言葉に従い、御霊の導きに従って歩んでいるフィリポに倣わせてください。私たちの生活を神の愛と義をもって治めてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

1月31日(火) 使徒言行録9章

 

「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」 使徒言行録9章4節

 

 新共同訳聖書には、9章1節以下の段落に「サウロの回心」という小見出しがつけられています。しかし、ここに記されているのは、サウロの回心というよりも、サウロの召命、神による選びというのが、正確な表現ではないかと思われます。

 

 サウロは、エルサレム教会を荒らしただけでは収まらず、さらに外国にまでその手を伸ばします。そのために、大祭司に許可を求め、ダマスコにあるユダヤ教の諸会堂あての紹介状を受け取ります(1,2節)。サウロの内側に、悪いことをしているという感情は全く見られません。むしろ、律法に背き、神を冒涜しているキリスト教徒を迫害することこそ、神に喜ばれることと信じて、邁進しています。

 

 ところが、ダマスコに近づいたとき、天からの光に打たれ、地に倒れました(3節)。そして、声を聞きます。それが冒頭の「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(4節)という言葉でした。サウロは声の主に向かい、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねました(5節)。サウロは、声の主が「主」、すなわち神のような存在であることを認識していることが分かります。

 

 サウロは、神に熱心に仕えていると考えていました。ところが、声の主、サウロが「主」と認識した神のようなお方は、「なぜ、わたしを迫害するのか」と語られます。サウロは、それまでの確信が崩されてしまいました。それで、「あなたはどなたですか」と尋ねるのです。

 

 声の主は、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えました。サウロは、主イエスにお会いしたことがあるのでしょうか。ただ、主イエスを実際に迫害したという事実はないと思います。しかし、サウロはこの声に反発していません。主イエスに、「あなたを迫害したことはありません」とは言いません。

 

 サウロは、正確にこの言葉を理解しました。サウロは、主イエスの福音を宣べ伝える信徒たちを、神を冒涜する者たちと断罪し、教会を根絶やしにするため、熱心に働いてきました。もし主イエスが生きておられたら、彼は真っ先に主イエスを亡き者にしようとしたに違いありません。まさに、主イエスの弟子たちにしたことは、主イエスに対してしたことなのです。

 

 主イエスは、マタイ福音書25章40節で「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言われました。有力な信徒たちに対する行為がそのように評価されたのではありません。特にだれも顧みることがなさそうな、名前すらおぼえてもらえない、そんな「最も小さい者の一人」を「わたしの兄弟」とよび、その人にしたことをご自分にされたことと評価してくださるのです。

 

 「最も小さい一人」とは、私たちすべての者のことでしょう。だれもが主イエスに「わたしの兄弟」と呼ばれ、私たちが受ける悲しみも喜びも、ご自分になされたことと受け止めてくださっているのです。私たちは断じて、主イエスから見捨てられはしません。主イエスは私たちのことをご自分のこととして、その心と体で受け止めておられるのです。

 

 その主イエスの愛と憐れみが、迫害者サウロを捉えました。主イエスは、「私をよくも苦しめてくれたな、決して容赦はしないぞ」などと語られたのではありません。「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と告げられます(6節)。

 

 すなわち、自分の意気込みや大祭司たちの命令などではなく、主イエスによって、新しい使命に生きる者とされるということです。そこに赦しがあり、愛があります。サウロはこの赦しと愛を受けて、新しく生まれ変わるのです。

 

 サウロはその時、目が見えなくなっていて、人に手を引かれてダマスコに行きました(8節)。そして、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」(9節)と言われます。目が見えなくなっている中、三日間飲食を断って、サウロは何をしていたのでしょうか。

 

 それは、祈りです。11節に、「ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を尋ねよ。今、彼は祈っている」と記されています。サウロは、「あなたのなすべきことが知らされる」(6節)と言われて、飲食を断って祈りながら、それまでの自分の振る舞いを悔い改め、主なる神が示される「なすべきこと」のために祈り備えていたわけです。

 

 サウロのところに遣わされて来たアナニアが、サウロの上に手を置いて祈ると(17節)、「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるように」(18節)なりました。「目からうろこ」という諺は、ここから出たものです。

 

 ファリサイ派の一員として教会を迫害するのは、神への熱心を示すものという、いわば身を飾る「うろこ」のようなものでしたが、それが、彼の目を見えなくしていました。その「うろこ」が取り去られたとき、サウロは自分のなすべきことがはっきりと見えたのです。そこで、「食事をして元気を取り戻し」(19節)ました。そして、「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた」(20節)のです。

 

 教会の迫害者であったサウロが、主イエスの福音を宣べ伝える伝道者となりました。まさに、コペルニクス的転回です。それは、サウロを赦し、愛された主なる神の深い憐れみがあればこそです。

 

 このように迫害者サウロをさえ心にかけ、愛された主は、私たちをも赦し、深い愛と憐れみをもって救いに導いてくださいました。私たちのなすべきことがはっきり分かるために、主の御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きを求めて祈りましょう。

 

 主よ、サウロの召命にあなたの慈しみを示されます。迫害者サウロが救われたのは、すべての者が救われるというしるしです。私たちが救われたのも、主のご計画に従って、なすべき務めがあるかです。それがどのようなものであるのか、御言葉と聖霊の導きにより、はっきりと知ることができますように。そうして、御心がこの地になるため、私たちを用いてください。 アーメン

 

 

2月1日(水) 使徒言行録10章

 

「神がイエス・キリストによって―この方こそ、すべての人の主です―平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。」 使徒言行録10章36,37節

 

 1~8節は、カイサリアに駐屯している「イタリア隊」という部隊の百人隊長コルネリウスが、天使に命じられて使徒ペトロを招くために、一人の部下を使者として送ったことを記しています。

  

 イタリア隊という名前で明らかなように、コルネリウスはローマの軍人です。ユダヤ人にとっては異邦人です。けれども彼は、ユダヤ人を尊敬し、ユダヤ人が礼拝している神を信じていたのです。ユダヤ人が礼拝している神とは、聖書によってご自身を啓示しておられる天地の創造主であり、祝福の源となる神の民を召して守り導いておられる方、そして、全人類の救いのために御子キリストをお遣わしくださった救いの神のことです。

 

 主なる神はコルネリウスのもとに天使を送り、4節以下、「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある」(4~6節)と告げさせました。即ち、異邦人の百人隊長コルネリウスの信仰が主に受け入れられているということです。

 

 一方、招かれたペトロの方ですが、9~23節は、主なる神がペトロに、三度も同じ幻を見せて、コルネリウスの使者を受け入れさせたという出来事が記されています。ユダヤ人のペトロにとって、また教会の指導者としても、異邦人を受け入れること、異邦人と交わりを持つことは、神の取り扱いなしには出来ないことであったわけです。

 

 そのとき、ペトロが受けた神の取り扱いとはどのようなものだったのでしょうか。それは、それまでタブーとされていたことを破るというものとでした。宗教上のタブーを破るというのは、その宗教の信徒でなければ何の問題もないようなことかも知れませんが、信徒にとっては大変なことです。ここでは、使徒ペトロがそのタブーに直面させられたのです。

 

 旧約聖書のレビ記11章に、神が汚れたものとされた動物を食べて身を汚してはならないという規則が記されています。その規定によれば、たとえば、豚の肉を食べることは許されません。旧約聖書を聖典としているイスラム教徒に豚肉料理を食べさせようものなら、撃ち殺されてしまうかも知れません。それほどのタブーです。

 

 ペトロはここで、汚れたものとされたあらゆる動物、たとえば、豚や地を這う蛇、空の鳥などを屠って食べよと言われたのです(13節)。しかし、ペトロはそれを拒みます(14節)。何しろ、それは自分が食べたくないというのではなく、神が食べてはならないと規定されていたものだったからです。ユダヤ教徒は、律法に違反するよりは、それを口にすることを拒んで餓死したり、殉教することを選ぶでしょう。

 

 そこに天の声がありました。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(15節)と告げられます。神が、それまでの方針を転換されたかのごとく、汚れたものとされていたそれらのあらゆる獣、地を這うもの、空の鳥を清めたと言われるのです。

 

 さて、聖書の御言葉と天からの声、どちらに従えばよいのでしょう。どちらに耳を傾けるべきでしょうか。基本的には、聖書に従うべきです。神は、昨日も今日も、とこしえまでも変わらないお方です。過去に記された聖書を通して、今を生きている私たちに語りかけることが出来ると信じます。

 

 ここに、主なる神とペトロとのあいだに、このやり取りが三度あったと伝えています(16節)。三度というのは、ペトロにとって印象深い数字です。彼は三度主を否み(マルコ14章66節以下など)、三度「主を愛する」という告白をしました(ヨハネ21章15節以下)。このように三度取り扱われたことによって、神の方針転換ともいうべき事柄が、ここに確定したことを示しています。

 

 そのことから、今まで神の選民ユダヤ人だけを対象としていたものを、異邦人にも伝道すること、彼らと信仰の交わりをすることであると展開していきます(28,34,35節)。今日、私たちクリスチャンにとって、ユダヤ人か異邦人かということなど問題にもなりませんが、初めは、ユダヤ人以外の人々と交わり、彼らに福音を伝えることによって、自分たちが汚れたものとされるということを恐れたのです。

 

 あらためて、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(15節)というのは、異邦人である私たちにとって、何と有り難い言葉でしょうか。主イエスによって神はすべての人を清めてくださったのです。そして主は、このことをペトロに示されたのです。私たちは神によって清められたものです。私たちは自分のことを「汚れている」という必要はないのです。

 

 34節以下に、ペトロが語った福音の要点が記されています。それは、①神は人を分け隔てなさらない(34節)。②イエスは方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人を癒された(38節)。③十字架で殺された(39節)。④三日目に甦られ、人々の前に現れた(40節)。⑤生きている者と死んだ者との審判者に定められた(42節)。そして、⑥主イエスを信じる者は罪の赦しを受けられるということです。

 

 神は、独り子イエスを私たちにくださいました。私たちを宝物のように考えてくださったのです。そして御子イエスは、私たちを「友」と呼んでくださいました(ヨハネ15章14,15節)。主イエスは、父から聞かれたことすべてを、私たちに知らせたと仰ってくださいました。それは知識量のことではなく、父なる神との交わりが与えられていること、その交わりには限度がないことを示しています。

 

 3章29節に「花婿の介添え人」という言葉がありますが、この「介添え人」が「友」という言葉なのです。花婿の友は、花婿の寝所にも入って相談しあうほど、特別な関係にあるものです。そんな言葉で、主イエスは私のことを呼んでくださっているのです。

 

 神は私たちに、キリスト・イエスによる永遠の命を授け、神の子としてくださいました。また、主イエスは私たちを友と呼び、私たちのために命を捨ててくださいました。主イエスを信じる信仰こそ、神によって授けられたこの上ない宝なのではないでしょうか。

 

 冒頭の言葉(36節)に「この方こそ、すべての人の主です」というとおり、キリスト・イエスは十字架の死と復活、昇天により、ユダヤ人の主であるのみならず、すべての人の主となられました。その恵みに心から感謝し、すべての人が主を信じる信仰という宝を手にすることができるよう、聖霊の力を受けてキリストの証人としての使命を全うさせて頂きましょう。

 

 主よ、御子イエスの十字架の贖いにより、すべての民に救いの道を開いてくださったことを感謝致します。独り子をお与えになるほどに私たちを愛してくださいました。主を信じる信仰こそ、私たちの宝です。私たちは土の器に過ぎませんが、その宝を内に納めています。私たちを聖霊に満たし、福音宣教の道具として用いてください。 アーメン

 

 

2月2日(木) 使徒言行録11章

 

「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」 使徒言行録11章19,20節

 

 8章には、ステファノの殉教に端を発した大迫害により、ユダヤとサマリアの全地に福音が告げ知らされたことが記されていました。9章には、隣国の首都ダマスコにまで迫害の手を伸ばそうとしていたサウロの回心が記されています。つまり、そこまでもキリスト者が行って伝道しているということです。

 

 10章には、カイサリアにいたイタリア隊という部隊の百人隊長コルネリウスが天使の声を聞いてヤッファにいたペトロを招き、福音を聴いている内に聖霊を受け、キリスト信者となったことが語られていました。しかし、ペトロが異邦人にバプテスマを授け、食事を共にしたことを問題にした人々がエルサレムの教会の中にいて、ペトロを召喚しました。そのときのことが、11章の始めの段落に記されています。

 

 ペトロは、事の次第を説明し(4節以下)、それが聖霊の導きであったことを告げました(15,17節)。それを聞いたエルサレム教会の人々は、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」(18節)と言って神を賛美したと言います。教会が公式に、異邦人伝道を承認した瞬間です。

 

 聖霊が、それまでのユダヤ人への伝道という方針を転換させ、すべての人々を対象とする伝道が始まったのです。方針が変わる、進む向きを変えることを、聖書では「悔い改め」(メタノイア)といいます。メタノイアを逆から読むと「愛のため」と読めます。主なる神は愛のゆえに方針を転換させ、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」(9節、10章15節)と、異邦人をも清いものと呼んでくださったのです。

 

 19節以下には、隣国シリアのアンティオキアに教会が形成される様子が描かれています。ここに、1章8節で語られていた「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という御言葉が実現している有様を見ることが出来ます。

 

 そのきっかけが、冒頭の言葉(19,20節のとおり、ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々が、行く先々で御言葉を語り、福音を告げ知らせたことです(20節)。彼らが聖霊の力を受けていたので、迫害というマイナスを福音宣教の拡大というプラスに変えることが出来たのです。

 

 さらに、彼らは宣教地を拡大しただけでなく、宣教対象も拡大させました。当初は、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」(19節)のですが、「キプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」(20節)のです。

 

 キプロス島は、バルナバと呼ばれているヨセフの出身地です。そして、キレネといえば、キレネ人シモンを思い出します(ルカ福音書23章26節)。バルナバやシモンの福音宣教により、キプロスやキレネ出身の人々が主イエスを信じるようになったのではないでしょうか。

 

 バルナバもシモンも、ディアスポラのユダヤ人です。そこで、キプロス島やキレネから来た者も、ユダヤ人だったのでしょう。彼らも最初はユダヤ人を対象に福音を伝えていました。けれども、導かれてギリシア語を話す人々、すなわち異邦人に対する伝道を始めたのです。

 

 異邦人伝道について、8章26節以下に、フィリポがエチオピアの女王の高官に対する伝道が記されていました。次いで上述のとおり、10章1節以下に、イタリア隊の百人隊長コルネリウスとその親類、親しい友人らへの伝道が記されています。

 

 一対一、一対複数の異邦人伝道から、教会による組織的な異邦人伝道へと働きが広げられています。21節に、「主がこの人々を助けられた」とあるように、異邦人を伝道の対象者としたこと、実を豊かに結ぶことが出来たのは、主のご計画であり、また主ご自身の御業なのです。

 

 アンティオキアは、パレスティナとシリアを結び、東方へと通じる隊商路にあたっており、また町を流れるオロンテス河を下れば地中海に出ることが出来、当時、通商貿易の中心地として栄えていました。ローマ、アレクサンドリアに告ぐ第三の都ともいわれています。そこに、異邦人伝道を行う教会が作られたのです。

 

 後に、パウロとバルナバ、マルコ、シラスといった人々が、世界伝道旅行に派遣されます(13章1節以下、15章36節以下、18章23節以下)。それは、聖霊の導きであったと明記されています(13章2,4節)。

 

 教会が成長していった背景には、迫害にも負けない熱心な伝道があったこと、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも伝えようという自由さがあったこと、それは、聖霊の力、聖霊の導きによるものであったことが教えられます。主イエスの御名によって立ち、歩む私たちも、聖霊の力、導きを受けて、主イエスの福音を告げ知らせる者にならせていただきたいと思います。

 

 主よ、エルサレムの教会に注がれた聖霊、アンティオキア教会を異邦人伝道へと導かれた聖霊が、この静岡の教会にも豊かに注がれますように。主の御名によって大胆に伝道する教会となり、多くの実を結ぶことが出来ますように。神が愛してくださったように、私たちも互いに愛し合うものとなれますように。常に聖霊で満たしてください。 アーメン

 

 

2月3日(金) 使徒言行録12章

 

「ヘロデがペトロをを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは、戸口で牢を見張っていた。」 使徒言行録12章6節

 

 これまでキリスト教徒は、ユダヤ教の指導者たちによって迫害を受けてきましたが、ここに来て新しい迫害者が登場して来ました。それは「ヘロデ王」(1節)で、彼はヘロデ大王の孫ヘロデ・アグリッパ1世です。紀元41年に王位に就き、亡くなるまでの3年間、祖父ヘロデ大王とほぼ同じ領地を治めました。

 

 ヘロデ一族は、エドムの血の混ざったユダヤ人であり、ローマを後ろ盾にして権威の座に着いていたため、ユダヤの人々から嫌われていました。そこで、指導者たちの好意を得るため、様々な施策をとって来ました。壮麗な神殿を建築したことも、それに当たります。アグリッパは、ユダヤ教指導者たちにとって目の上のこぶであるキリスト教徒を迫害することで、好意を獲得しようと考えたのです(3節)。

 

 最初に使徒ヤコブが犠牲となりました。なぜヤコブが最初の殉教者となったのかは定かでありません。が、ヤコブとヨハネ、そしてペトロが主イエスに重んじられていたことから、エルサレム教会の重要な役割を担っていたヤコブが狙われたのだろうと考えられます。

 

 そして、次の犠牲者として、ヘロデはペトロを捕らえました。ヘロデはペトロを厳重な監視下に置きます。一人の囚人のために16人の番兵を選任し、4人一組で監視に当たらせます(4節)。そのうち二人がペトロを縛っている鎖の両側を持って見張るという徹底振りです(6節)。

 

 ヘロデはペトロを過越祭の後、大群衆の前で裁判にかけ、処刑するつもりだったのです(4節)。それはちょうど、主イエスがユダヤ教指導者たちに捕らえられ、処刑されたのと同じ時期でした。

 

 当時、ローマ帝国の権力を背景に王となっているヘロデ・アグリッパをとどめる手立てはなかったと思われます。だからこそ彼は、過越祭の後というタイミングを選び、ペトロの処刑を大群衆の見世物にして、指導者たちの支持をより堅固なものにしようと考えているわけです。

 

 けれども、ヘロデの計画は未遂に終わりました。神が教会の祈りを聞かれ(5節)、ペトロを救い出されたからです(11節)。祈りこそ、教会に与えられた恵みであり、力なのです。

 

 ペトロは、祈っている教会の仲間のところに行き(12節)、自分が神によって救い出された経緯を彼らに説明した後(17節)、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言います。ここで語られている「ヤコブ」は、殉教した使徒ヤコブではありません。主イエスの実弟のヤコブです。これはおそらく、主イエスの兄弟ヤコブにエルサレム教会の指導を委ねるという意味ではないかと考えられます。

 

 11章28節のクラウディウス帝の時に起こった大飢饉について、ヨセフスは紀元46年にユダヤに飢饉があったことを記録しています。そこでバルナバとサウロが援助物資をエルサレム教会に送りますが、それを受け取ったのは使徒ではなく、「長老たち」(30節)でした。ペトロの捕縛事件が紀元44年までにあり、主の兄弟ヤコブに指導権を委ねた後、使徒たちはエルサレム教会からいなくなっていたわけです。

 

 ペトロは「ほかの所」(17節)、すなわち主なる神がペトロを用いられる新しい場所、たとえばアンティオキア、あるいはローマへ出て行きました。つまり、ペトロの救出は、教会の祈りが聞かれたということだけでなく、神がペトロに新しい使命を託すためになされたということでしょう。

 

 12章を読んでいて驚いたのは、冒頭の「二人の兵士の間で眠っていた」(6節)という言葉です。教会では、熱心な祈りが夜を徹してなされていたことでしょう。彼を監視している番兵たちも寝ずの番をしています。ところが当のペトロは、処刑前夜、兵士に挟まれて眠っていたのです。

 

 どういう心境だったのでしょう。それは、嵐の海で枕して眠っておられた主イエスを彷彿とさせます(マルコ福音書4章35節以下)。それは、肝が据わっているということ以上に、一切を主の御手に委ね、心に神による平安を得ていたのです。

 

 「心を騒がせるな」(ヨハネ福音書14章1節)と語られ、「わたしは道であり、真理であり、命である」(同6節)と自己宣言されている主イエスの真理の道、命の道を通り、心に平安を得、主の使命を自覚して、主の御業に励みたいと思います。

 

 主よ、迫害の中でも大胆に福音宣教に励んでいた教会の信仰、殉教目前でも一切を御手に委ねて平安のうちに眠ることの出来たペトロの信仰を学ばせてください。熱心に祈る教会、御言葉に聴く教会、伝道する教会、そして賛美溢れる教会にならせてください。 アーメン

 

 

2月4日(土) 使徒言行録13章

 

「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」 使徒言行録13章1節

 

 アンティオキア教会の目覚しい伝道の成果について聞いたエルサレム教会は、バルナバを派遣しました(11章22節)。それは、教会の健全な成長を願い、信徒たちを励ますためでした。バルナバはその使命を忠実に果たし、彼の働きによって多くの人が主に導かれました(同24節)。その後、サウロを探しに彼の郷里タルソに行き、アンティオキアに連れ帰って丸一年、一緒に働きました(同25節以下)。

 

 こうして基礎の固まったアンティオキア教会には、冒頭の言葉(1節)のとおり、多くの指導者が立てられていました。その筆頭に「バルナバ」、そして最後に「サウロ」の名が記されています。これは恐らくく、年齢順なのでしょう。バルナバが最年長、サウロが最年少の指導者だったと思われます。

 

 その間の3名について、「ニゲルと呼ばれるシメオン」は、キレネ人シモンのことではないかと想像されています。また、「キレネ人ルキオ」は、使徒言行録の著者とされるルカのことではないかという説があります。「マナエン」とは、ヘブライ語の「メナヘム」という名前のギリシャ音写です。

 

 「メナヘム」とは「慰める者」という意味があり、バルナバとの共通点を見るようです。「領主ヘロデと一緒に育った」(シュントゥロフォス)という言葉は、「シュン」(「共に」の意)と「トゥロフォス」(「看護師、保母、母親」の意)から成り、口語訳では「乳兄弟」と訳されていました。乳を与えた母(乳母)を共にするという言葉です。領主とごく親しい友というところでしょうか。

 

 そういう人物までクリスチャンになり、しかも異邦人に伝道する教会の指導者になっているというところに、初代のクリスチャンたちがどんなに熱心に伝道したかを窺うことが出来ますし、その熱心な伝道を神が助けられたということを見ることが出来ます。

 

 マナエンだけがパレスティナで生まれ育った人物で、他はディアスポラ(離散)のユダヤ人です。そのマナエンがアンティオキア教会の指導者の一人となっているということは、彼もギリシア文化の強い影響を受けている人物と言ってよいでしょう。

 

 彼らのことが、「預言する者や教師」と紹介されています。誰が預言する者か、誰が教師か、区別されていません。発展途上の教会が、その働きに応じて指導者たちを「預言する者」とか「教師」という肩書きで呼ぶようになっていったのでしょうが、それが教職制度として整備されるのは、もっとずっと後のことでしょう。

 

 「預言する」とは、文字通り、神の言葉を預かって語ることです。それは、聖霊の導きによって語り、働くことでした。アンティオキアの教会には、伝統や制度よりも聖霊の導きに自由に従うという気風が満ちていたのでしょう。パウロが、「主の霊のおられるところに自由がある」と語っています(第二コリント書3章17節)。これは、彼がバルナバと共にアンティオキアの教会で学び、味わったことではないかと考えることが出来ます。

 

 その自由さの中で、ユダヤ人に対する伝道だけでなく、ギリシア語を話す人々、すなわち異邦人に対しても福音を伝えていこうという導きに与りました。そして、それが確かに聖霊の導きであったので、神がその伝道を助けて下さって、たくさんの人々が主イエスを信じるようになったのです(11章19~21節)。

 

 そして聖霊は、教会の指導者たちの中で中心的な役割を担っていたバルナバと、彼に見出されて売り出し中のサウロを、これから伝道旅行に派遣しなさいと語られます(2節)。そうはいっても、教会にとってそれは、簡単に「はい、そうしましょう」と言える話ではないと思います。

 

 ところが、彼らは断食して祈り、聖霊の導きに従って二人を送り出しました(3節)。教会の使命が福音宣教にあること、その成果を自分たちのものに出来なくても神の導きに従い、主の喜ばれることをおのが喜びとする信仰の姿勢が確立していたのです。

 

 かくて、宣教の拠点がエルサレムからアンティオキアに移り、エルサレム教会は、バルナバとサウルらアンティオキア教会の宣教の働きの実りによって守り支えられていくところとなっていきました。

 

 主イエスが「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3章8節)と言われました。霊なる神の思いが今、アンティオキアを動かし、アンティオキア教会(主にパウロによる働き)による世界伝道が始められるのです。

 

 私たちもその信仰を学ぶために、神の国と神の義とを第一に求める者となりましょう。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰を求めましょう。御霊に満たされるように祈り求めましょう。御言葉に耳を傾け、主の導きに従いましょう。

 

 主よ、アンティオキアの教会のように、聖霊の満たしと導きに与り、熱心に伝道する教会としてください。真剣に御言葉に耳を傾け、御旨に従うことが出来ますように。人々の救いのために祈り、主の福音を伝えることが出来ますように。その豊かな収穫のために、相応しい働き人を興してください。私たち自身がその働き人となれますように。 アーメン

 

 

2月5日(日) 使徒言行録14章

 

「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。」 使徒言行録14章19節

 

 バルナバとサウロが、アンティオキア教会から伝道旅行に派遣されました(13章2,3節)。13章9節に「パウロとも呼ばれていたサウロ」と告げられて以降は、「サウロ」の名が記されなくなります。そして、「バルナバとサウロ」と言われていましたが、立場が逆転したかのごとく、そこからは「パウロとバルナバ」と言い換えられています。年長者のバルナバが年若いパウロに道を譲ったかたちです。

 

 パウロが説教するとき、バルナバは背後で、パウロの説教を通して多くの人々が主に導かれるように、絶えずパウロが主にあって尊く用いられるように、熱い祈りをささげていたことでしょう。そしてパウロは、バルナバの執り成しの祈りに励まされ、大胆に御言葉を語り伝えたことでしょう。その熱心な伝道の故に、また、バルナバの真剣な祈りの故に、そして、パウロとバルナバの麗しい関係の故に、大勢の人々が信仰に導かれました。

 

 1節にも、「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った」と記されています。

 

 そのように伝道の成果が上がった一方、それに反対する動きも大きくなります。主イエスの福音を受け入れないユダヤ人たちが悪意をもって異邦人を巻き込み、それはやがて町を二分するまでの騒動になりました。

 

 そして、反対者たちが二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたので、二人はリストラとデルベ、その近くの地方に難を避けたと、6節までのところに記されています。それほど、二人の伝道の働きが大きな影響を町に及ぼしていたということです。

 

 我が国でも、かつて、秀吉の時、そして徳川幕府の時代、キリスト教が厳しい弾圧を受けたのは、キリスト教の布教に当時の為政者たちが脅威を感じたためでしょう。もう一度、日本全国でキリストの福音が力強く宣べ伝えられ、主イエスを信じる人々が各地に数多く起こされるように祈り願っていきたいと思います。

 

 イコニオンを後にしたパウロとバルナバは、南に下ってリカオニア州のリストラ、デルベの町、またその付近に難を避けました。「難を避けた」(6節)と言われますが、それは、身を隠すためではありません。7節に、「そこでも福音を告げ知らせていた」とあります。

 

 リストラに、生まれつき足の不自由な男が座っていました(8節)。パウロが彼を立ち上がらせると(10節)、町の人々はパウロとバルナバを神々の化身であると考え(11節)、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼びました(12節)。ゼウスはギリシア神話の主神、ヘルメスはゼウスの子で神々の使いです。

 

 住民がリカオニアの方言で話していたため、パウロたちは初め何をされているのか分からなかったようですが(11節)、おそらく通訳を通じて状況が分かったとき(14節)、二人は町の人々が自分たちを神として拝もうとしているのを、やめさせるのに必死になります(15節以下、18節)。

 

 というのも、彼らは勿論、普通の人間であって、神の化身ではないからです。そして、人々が神と崇めてくれるのをいい気持ちで聞いていようものなら、ヘロデ・アグリッパと同様、神に栄光を帰さなかったということで、主の天使に撃ち倒され、蛆に食い荒らされて息絶えてしまう結果になったことでしょう(12章20節以下、23節)。

 

 神として拝もうとするのをやめさせるための説得の言葉は、リストラの人々に対する福音宣教の言葉でもあります。人間を神の化身として拝むというような誤った神礼拝(パウロはそれを偶像と呼んでいます)を離れて、真の生ける神に立ち返りなさいと語ります。そして、パウロたちが宣べ伝えている主イエスこそ、真の生ける神であられるので、足の不自由な男を立ち上がらせることが出来たというわけです。

 

 この説教の結末は、「群集が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた」と記されているだけです(18節)。町の人々は初めて聞く話に、まだよく納得がいかなかったのかも知れません。ともかくも、本人たちがただの人間というのだから、それではやめようかといった調子で、ようやく帰ってくれたというような状況を想像します。

 

 ただ、全く信じようという者がいなかったということでもないでしょう。20節に、「弟子たちが周りを取り囲むと」という言葉があります。バルナバとパウロの働きで、この町に「弟子たち」、つまり福音を信じる者たちが生まれたのです。

 

 ところが、事態が一変します。それが冒頭の言葉(19節)で、リストラの町にユダヤ人たちがやって来て群衆を抱き込み、パウロに石を投げて殺したというのです。昨日は神として拝もうとした人物に、今日は石を投げつけるとは、ちょうど、「ホサナ」と歓迎した主イエスを(マルコ福音書11章9節)、数日後には「十字架につけろ」と叫んだ群衆と同じです(同15章13節)。

 

 しかし、状況によって掌を返すように態度を変えるというのは、私たちの常です。昨日の友が今日の敵になるのです。倒幕の功労者・西郷隆盛と、同じ薩摩出身の大久保利通が西南の役で対峙したという歴史的な事変もあります。

 

 石打ちの刑で生き残ることが出来た者はないと言われます。人の頭ほどもある大きな石を投げつけるのだそうで、皮が破れ、肉が裂け、骨も砕けてしまうでしょう。およそ死んだふりなどしても無駄という世界です。血まみれで動かなくなったパウロの死を確認して、遺体を町の外に放り出したのです。

 

 ところが、放り出されたパウロを弟子たちが取り囲んでいたら、息を吹き返し、起き上がりました。主なる神が彼の命を元に返してくださったのです。それは、パウロの語る福音が真実であることの明白なしるしでした。

 

 パウロはかつて、伝道者ステファノが石で打たれて殉教するとき、その殺害に賛成する側にいました(8章1節)。ステファノと同じように石で打たれそうになったとき、ステファノが最後に祈った祈りの言葉が、パウロの脳裏に浮かんだのではないでしょうか。

 

 ステファノはそのとき、「神よ、私に石を投げる者たちの顔を決してお忘れにならないでください」とは祈りませんでした。そうではなく、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と罪の赦しを願い、主に祈ったのです(使徒7章60節)。そのことを思い出したパウロは、同じように、自分に石を投げる者たちのことを主に執り成し祈っただろうと思います。

 

 だから、息を吹き返したとき、彼はすぐに町に入って行き(20節)、自分に石を投げつけた町の人々に御言葉を語り始めたことでしょう。ここに、パウロの伝道者スピリットが示されます。

 

 死ぬ目にあったのに、否、本当に殺されたのに、奇跡的に息を吹き返すことが出来たら、またその町に戻る。伝道を続ける。勿論それは、パウロ自身の力ではありません。神の特別な計らいです。

 

 マザー・テレサがインド・コルカタで新しい修道会を起そうとするとき、ローマから派遣されて来た司祭に、「自分は神に選ばれた特別な人物などではない。神の手に握られた鉛筆だ」と言ったと伝えられています。

 

 神が鉛筆で素晴らしい言葉を記されたり、美しい図柄が描き出されたとき、人々は喜び、主をほめたたえるでしょう。その時、鉛筆をほめる人は誰もいません。しかし、主に用いられたことを光栄に思い、感謝と喜びにあふれることでしょう。

 

 私たちも主に選ばれた土の器です。すべてを御手に委ねて主の御業に用いられる幸いに与らせていただきたいと思います。 

 

 主よ、あなたの御力が死んだパウロを生き返らせました。そしてパウロは、主の福音を語り続けました。私たちは土の器に過ぎませんが、あなたのものとされ、御業に用いられることを喜び、感謝します。日々、御言葉に耳を傾けます。御霊の満たしと導きを祈ります。御心をわきまえ、委ねられた使命を全うすることができますように。 アーメン

 

 

2月6日(月) 使徒言行録15章

 

「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 使徒言行録15章11節

 

 エルサレム教会からやってきた人が、アンティオキア教会の人々に、「割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1節)と教えようとしたことで、パウロやバルナバたちとの間で激しい論争が起きました(2節)。

 

 そこで、使徒や長老たちと協議するために、アンティオキア教会の主だった者たちがエルサレムに上りました。そして、エルサレムの使徒会議が開かれました(4節)。それは、紀元49年のことと考えられています。

 

 ファリサイ派から信者になった人々が、「異邦人にも割礼を受けさせ、律法を守るように命じるべきだ」(5節)と主張しました。これは、旧約の律法は、キリスト教会にとっても、神との契約として妥当不可欠のものであるという主張であり、割礼を受け、律法を守るユダヤ人となってはじめて、福音に与ることが出来るという立場です。

 

 それに対して、使徒ペトロが立ち上がり、自分の体験に基づいて意見を述べます。ペトロは、神ご自身が異邦人を教会に受け入れようとされていることを悟らされました(10章)。そしてそれをエルサレム教会にも報告していました(11章1節以下)。ペトロは、神が異邦人を教会に受け入れられるのに、何の差別もなさらなかったことを告げ(9節)、異邦人がユダヤ人のようにならなければ救われないというのは、神の御心に反すると説きます。

 

 さらに、ユダヤ人は今まで律法を完全に守ることが出来ないできている。自分もそうだ。異邦人に守れという権利はないと言います(10節)。最も大切なことは、救いは福音を信じて与えられるということです。神は、人々を律法から解放して、イエス・キリストの恵みによって救われるようにされました。それを信じる者は、ユダヤ人も異邦人も救いに与ることが出来ます(11節)。

 

 この意見を聞いてエルサレム教会が出した結論は、「神に立ち返る異邦人を悩ませてはなりません」(19節)というものです。それは、異邦人は、ユダヤ人のように割礼を受けたり、律法を守ったりする必要はないということでした。

 

 私たちは、律法を守るから救われるのではなく、イエス・キリストの福音を信じることによって救われるのです。けれども、救われたからこそ守るべき戒めがあります。それは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)という規則と、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記19章18節)という規則です。

 

 主イエスは、律法の専門家の質問に対し、この二つが最も重要な掟だと答え(マタイ福音書22章37~39節)、そして、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(同40節)と言われました。ここで、「律法全体と預言者」とは、「律法=トーラー(モーセ5書)」と「預言者=ネビーム」、つまり旧約聖書全体という表現です。、この二つの掟を守ることが、旧約聖書の律法全体を守ることだと言われたのです。

 

 この二つの掟は、神様が私たちを愛してくださっているという土台の上に置かれています。この神の愛は、イエス・キリストがこの地上に人となって来られたことで明らかになりました(第一ヨハネ書4章9節)。私たちを極みまで愛し(ヨハネ福音書13章1節)、十字架で贖いの死を遂げられました(ヘブライ書9章15節)。

 

 主イエスを信じる者は、この神の愛に応えて、神を愛する者になろうとするでしょう。そして、隣人を愛する者になろうとするでしょう。主イエスを信じて、その愛に応えようとする者のために、神様は聖霊をお与えくださいます。聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれ、その愛をもって神を愛し、隣人を愛する者とされるのです(ローマ書5章5節)。

 

 聖霊が与えられるのも、キリストの恵みです。神に祈り求める者に聖霊が注がれるからです(ルカ福音書11章13節、ヨハネ福音書14章13~17節)。

 

 主よ、あなたから愛されていることを知ることは、素晴らしいことです。愛されている者として、聖霊の力と助けを頂いて、神を愛する者、そして隣人を愛する者となることが出来ますように。いつも私たちの心に神の愛を注いでください。 アーメン

 

 

2月7日(火) 使徒言行録16章

 

「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。」 使徒言行録16章9節

 

 パウロは、前回の同行者バルナバと別れて第二回目の伝道旅行に出発しました(15章36節以下)。それは、バルナバの従兄弟マルコ・ヨハネを伝道旅行に同行させるかどうかで、バルナバとパウロの意見が衝突し(37節以下)、バルナバはマルコを連れて故郷のキプロス島へ渡り(39節)、パウロはシラスを連れて陸路シリア州を通って、キリキア州へ向かうことになったのです(40,41節)。

 

 最初にデルベ、リストラに行きます(1節)。それは、第一回伝道旅行の最後に福音を告げ知らせた町々です14章8節以下、20,21節)。ということは、次にアンティオキア、その後、南に降ってペルゲに向かおうという計画を立てていたのかも知れません。

 

 パウロはリストラでテモテという弟子を一緒に連れて行くことにしました(1節以下)。マルコの代わりにしようということだったと考えられます。後にテモテは、第二コリント書、フィリピ書、コロサイ書、第一・第二テサロニケ書の差出人として名を連ね、また、テモテに当てて記された手紙も残されています。パウロにとって、大変重要な同労者となったのです。

 

 パウロたち一行は、それからアジア州で御言葉を語ろうとして、つまり、西に向かおうとして聖霊に禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通り(6節)、北方のビティニア州に入ろうとしますが、それもイエスの霊に妨げられました(7節)。そこで、ミシア地方を通ってトロアスに下ります(8節)。

 

 この旅程を巻末の地図で調べると、少々不思議です。ガラテヤ、フリギア、アジアと進めばスムーズですが、アジア、フリギア、ガラテヤと逆順になっているわけです。理由はよく分かりません。いずれにせよ、ここに示されているのは、パウロの旅行計画を神が変更させておられるということです。

 

 「御言葉を語ることを禁じた」というのは、伝道してはいけないということではなく、伝道地を変えなさいということでした。また、7節に、「イエスの霊」という言葉があります。これは、聖書中1回しか出てこない表現です。聖霊とは別にイエスの霊があるというのではありません。パウロの伝道旅行を導いておられるのは、聖霊を遣わしてくださった主イエスご自身であるということを示そうとしているのでしょう。

 

 とはいえ、伝道計画の変更を余儀なくされたパウロたちは、どんな思いだったことでしょうか。小アジアを西に東に移動し、腰を据えて伝道を始めようとするとストップがかかるというのは、どう判断してよいのか分からず、不安になることではなかったでしょうか。

 

 トロアスに下った夜、パウロは幻を見ました(9節)。「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」と言うのです。パウロはそれこそ神の導きと信じて、トロアスからマケドニアに向けて出発します(10節)。初めて主イエスの福音がヨーロッパにもたらされる瞬間です。伝道が禁じられたのは、マケドニアに渡ることが神のご計画だったからです。そのため、マケドニアに渡るための最適地トロアスに導かれたのです。

 

  今から467年前、ヨーロッパから東回りで、カトリックの宣教師が日本までやって来ました。多くのプロテスタント教会は150年ほど前、西回りに太平洋を渡ってやって来ました。もしも、聖霊がパウロの伝道計画を変更されることなく、彼がアジア州を回って諸教会を力づけるだけ、あるいは、その地域で教会を開拓することに終始していれば、日本にいる私たちのところまで福音が届けられることはなかったのかも知れません。

 

 つまり、パウロたち一行がアジア州で伝道が進められないというピンチが、世界宣教の鍵を開くとてつもなく大きなチャンスになったわけです。

 

 パウロは、マケドニア人が「わたしたちを助けてください」と語るのを、主イエスの救いを求めていると理解しました。主イエスの福音はユダヤ人だけでなく、すべての者を救うことが出来るからです(15章11節)。そして、主イエスによらなければ、ほかの誰によっても、救いは得られないからです(4章12節)。

 

 ここで、6節と10節の間に、記録に残されていない出来事があります。それは何かというと、6節ではパウロたち一行を「彼ら」と呼んでいますが、10節を見ると「わたしたち」と言っています。これは、使徒言行録の著者が一行に加わったので、代名詞が「彼ら」から「わたしたち」に変化したわけです。

 

 8節までの動詞は3人称複数形ですから、ルカがトロアスでパウロに出会い、一緒に行くことになったと考えられます。パウロとの出会いがこの人物を救いに導いたと考えれば、そしてルカ福音書、使徒言行録を著す者とされたと考えれば、この人物のために旅程変更がなされたと言ってもよいことになります。

 

 万事が益になるよう共に働いてくださる主に信頼し、その御言葉に耳を傾けましょう。主の恵みに感謝し、主の証人として用いられるよう、聖霊の満しと導きを祈りましょう。 

 

 主よ、パウロは自分の計画ではなく、神の計画に従ってマケドニアに渡るように導かれました。それによってヨーロッパに福音が伝えられました。そして、地の果て、海の果ての日本にも福音が伝えられてきました。御言葉の約束どおりです。私たちが信仰に立つことが出来たのは、あなたの愛と真実の故、その執り成しの故です。喜びと感謝をもって主を仰ぎ、主に従って歩ませてください。今も、救いを待っている人々がいます。私たちにも力と導きを与えてください。その愛と恵みの証し人になることが出来ますように。 アーメン

 

 

2月8日(水) 使徒言行録17章

「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいる者、それをわたしはお知らせしましょう。」 使徒言行録17章23節

 

 フィリピを後にした(16章40節)パウロたちの次の伝道地はテサロニケの町です(1節)。ここでも、半月余りで福音を信じる者が起こされました(4節)。ところが、町にいたユダヤ人たちがそれをねたみ、暴動を起こしました(5節以下)。

 

 パウロたちはすぐに次の町、べレアに向かいました(10節以下)。ここでもたくさんの人が主イエスを信じました。その噂を聞いたテサロニケのユダヤ人がここにも押し寄せてきて、町を騒がせました(13節)。そこで、パウロはアテネに向かいました(15節)。

 

 こう見て来ると、数日のうちに成果を挙げ、それに対する迫害がすぐさま起こって、次々に移動したように見えます。実際にはもう少し長い時間がかかったのではないかと思いますが、それでも当事者にとっては、あっという間の出来事といった感じかもしれません。

 

 パウロがアテネの町を巡っているときのこと、「この町の至るところに異教の偶像があるのを見て憤慨した」(16節)と記されています。

 

 「憤慨した」(パロクシュノウ)という言葉は、非常に強い感情が掻き立てられるという言葉です。その強い感情を「憤り」として表現してありますが、「深い悲しみ、悲嘆にくれる」という感情も含まれていたのだと思います。

 

 アテネには、神を祀る神殿や祠などが3000ほどあったと言われます。ありとあらゆるものを神として拝んでいたようです。冒頭の言葉(23節)にもそれが記され、その中には、「知られざる神に」と刻まれた祭壇さえあったというのです。

 

 考えられる限りの神を祀っているけれども、それ以外にも、まだ自分たちの知らない神がおられるかも知れないと考えて、そのような祭壇を造ったのでしょう。その動機は、神を祀らずに蒙るかもしれない神罰に対する恐れでしょう。その恐れが、ありとあらゆる偶像を作り、さらに「まだ知らない神に」という祭壇まで作らせたのです。

 

 パウロは22節で、「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを認めます」と言います。「信仰心のあつい方」とは、宗教心に富んでいるということでしょう。しかし、それにも拘わらず、「知られざる神」を拝んでいるというので、多分に皮肉を含めて「信仰心のあつい方」といっているのです。

 

 そこで、その深い無知に対して、「あなたがたが知らずに拝んでいる者、それをわたしはお知らせしましょう」と言います。「お知らせする」(カタンゲッロー)は、教えるというのではなく、宣べ伝えるという言葉です。パウロは哲学者ではなく、伝道者だということです。

 

 パウロは、ここからアテネの人々に福音を説きます。それを要約すると、①神は天地万物を造られた。それゆえ、人が造った神殿には住まわれない。人に 仕えてもらう必要もない(24,25節)。

 

 ここに、神はどのようなお方なのか、どのようなお方を神と呼んでいるのかという、大切なことが語られています。神は、天地万物を造られた方であるという、旧約聖書以来の信仰宣言です。人間の作ったものに天地を創造されたお方を入れることは出来ません。また、人の助けを必要とされません。

 

 ②神は人を造られ、命と息と、その他すべての必要なものを与えられた。すべての民を造られ、国境を定められた(25,26節)。

 

 むしろ、助けを必要としているのは人間のほうです。神は、人のために必要なすべてのものを創ってくださいました。人間は神の被造物ですから、お互いに知者だ、無学な者だとレッテルを貼り合ってはなりません。それぞれ、神の御旨に従って創造されたものだからです。神の前には、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もないのです(ガラテヤ書3章28節)。

 

 ③神を捜し求めれば、見出すことができる。神は遠くに離れてはおられない(27,28節)。

 

 人は神を求めるように造られており、そして、求めれば、見出すことが出来るようにしてくださいました(申命記4章29節、詩編145編18節、イザヤ書55章6節、エレミヤ書29章12~14節など)。というのも、私たちは「神の中に生き、動き、存在している」のであり、私たちは神によって造られ、愛されている「神の子」だからです。

 

 ④神の像を作ってはならない(29節)。

 

 私たち人間は、神のかたちに作られたものです。私たちを見れば、神がどのような方か分かるということです。神に造られた神の子たちのとるべき態度は、神を呼び求めて神と出会い、信じて従うことであって、自分の思いで神の象を造るべきでないことは明らかです。それは、まことの神を否定することだからです。

 

 ⑤キリストは死者の中から甦られた(31節)。

 

 キリストは死者の中からの復活を通して、世を裁くお方であること、それによって信仰を呼び覚まし、救いへと招いておられるのです。パウロは、主イエスの福音に耳を傾けることを求めています。主イエスの福音とは、主イエスが私たちの罪の贖いのために死なれたことであり、そして罪と死の力を打ち破って甦られたことです。

 

 人の知恵では、神に到達できません。「知られざる神」を知るためには、素直に御言葉を聞くことです。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉から来るのです(ローマ書10章17節)。

 

 そして、ベレヤの人々が毎日聖書を読み、素直に御言葉を信じ、受け入れたように(11節)、御言葉を日々読んで見ませんか。主イエスは、必ずその思い、願いに応えてくださいます。御言葉を通して、真実を教えてくださいます。

 

 主よ、パウロは主イエスの復活の福音を告げ知らせましたが、アテネの知者たちは信じようとせず、むしろパウロを嘲笑しました。理屈では説明出来ないからです。私たちも主イエスの復活を宣べ伝えます。聖霊の導きを与えてください。 アーメン

 

 

2月9日(木) 使徒言行録18章

 

「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 使徒言行録18章10節

 

 パウロはアテネを去り、コリントに行きました(1節)。コリントは、ペロポネソス半島の頸部の南に位置し、東西の海路の接続点、南北の陸路の接続点という交通の要衝で、アテネをしのぐ政治・経済の中心地となっていました。

 

 地中海東部からの舟は頸部の東・ケンクレアイ港、地中海西部からの舟は西・リカイオン港に荷を降ろし、8キロ陸送し、反対側の港から荷を出します。小型船舶は舟ごと陸上を運んだそうです。現在は、この地峡に運河が通っています。そうしなければ、風の強い半島の先端マレアス岬を320キロも迂回しなければなりませんでした。

 

 町はアクロコリント山の裾野にあり、山上にはアフロディテの神殿が設けられていました。神殿は多数の神殿娼婦を擁し、世界中から巡礼客を引きつけていました。「コリント人のように生活する」という言葉が、「不道徳を行う」と同義で用いられるほどでした。コリント教会が性的な問題を抱えていたのも、さもありなんというところです。

 

 パウロは、ポントス州出身のアキラとプリスキラというディアスポラのユダヤ人夫婦と出会いました(2節)。アキラは、テント職人でした。パウロもテント作りをして伝道旅行の資金のたしにしていましたので、彼らの家に同居し、コリントの町のユダヤ教の会堂で宣教を始めます(3,4節)。

 

 この時点では、まだアキラたちはクリスチャンではなかったようです。ユダヤ人たちがパウロに反抗したので、「今後、わたしは異邦人の法へ行く」と宣言した後(6節)、パウロは、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移りました(7節)。これは、反抗したユダヤ人の中にアキラたちもいたということではないでしょうか。

 

 ティティオ・ユストはラテン名で、「神をあがめる」は、ユダヤ教の信奉者ということです。その人物がキリスト者となって、パウロに家を提供したわけです。彼の家は、会堂の隣にありました(7説)。それだからか、会堂長クリスポの一家が主イエスを信じるようになり、そして、コリントの多くの人々、すなわちギリシア人たちがクリスチャンになりました(8節)。

 

 そんなある夜、パウロは幻の中から語りかける主イエスの声を聞きました。それは、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」という言葉でした(9,10節)。

 

 この言葉が語られたということは、パウロの置かれている境遇が、決して恐れずにすむようなことではなかったことを示しています。「あなたを襲って危害を加える者はない」と言われていますが、マケドニアに渡って来て以来、繰り返し危害を加えようとするユダヤ人らの反抗に直面させられてきました。彼をして、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言わしめるほどのことだったのです(6節)。

 

 もし、神の助け、神の導きがなければ、逃げて帰りたい心境だったことでしょう。第一コリント書2章3節に、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と記されているのは、このことです。

 

 だからこそ、キリストはパウロに語りかけ、彼を励まされたのです。「恐れるな」と。そして、「わたしがあなたと共にいるよ」と(イザヤ書41章10節参照)。パウロは、この幻を見、主イエスの声を聞いて慰められ、励まされました。

 

 それから1年半、パウロはコリントに留まり、福音を語り続けました。その相手は、異邦人だけではなかったと思います。もう、あなたたちとは話したくないといったユダヤ人にも福音を伝えました。そして、かけがえのない人を得ています。それは、アキラとプリスキラ夫妻です。

 

 というのは、コリントを去ってシリア州に旅たったとき、この夫妻も同行しており(18節)、さらに、二人がエフェソに残されて、パウロはアンティオキアに戻りますが、そのとき二人は、伝道者アポロに「もっと正確に神の道を説明した」のです(26節)。熱心なユダヤ教徒だったアキラが、さらに熱心なキリスト教徒になっていたわけです。

 

 どうしてそういうことが出来たのでしょうか。それは、アキラ夫妻が主イエスによって「わたしの民」と呼ばれる者たちだったからです。そして、パウロは主イエスに従って伝道していたからです。そのために、必要な知恵も力も、キリストによって彼に注ぎ与えられていたのです(第一コリント書1章18節以下、30節、2章1節以下4,5節参照)。

 

 今、私たちが置かれている場所がどのように見えても、どのような苦しみを味わっていても、そこが主によって与えられた麗しい地であり、輝かしい嗣業を受けているのだと信じましょう。(詩編16編6節)。そこに留まるとき、主は私たちの思いを励まし、私たちの心を夜ごと諭してくださるのです(同7節)。

 

 この町に、主が「わたしの民」と呼ばれた人々が大勢住んでいます。主を信じ、聖霊と御言葉の励ましを受けて、大胆に主の恵みを証ししましょう。

 

 主よ、今日も私たちと共にいて、私たちを励まし、諭してくださり、感謝します。どうか主の福音を語らせてください。神の救いを待っている人々、即ち、あなたが「わたしの民」と呼ばれた人々が、この町に大勢いるからです。信仰によって前進させてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。御心がこの町になされますように。 アーメン 

 

 

2月10日(金) 使徒言行録19章

 

「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。」 使徒言行録19章18節

 

 第三回伝道旅行が始り(18章23節以下)、パウロがエフェソにやって来ました(19章1節)。エフェソは、アジア州第一の都市です。エーゲ海に面する港町で通商によって富み栄え、シリアのアンティオキア、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ東地中海の三大都市の一つに数えられていました。

 

 パウロがエフェソにやって来たのはこれが二度目ですが(18章19~21節)、最初の時は、ごく短期間の滞在でした。今回は、まずユダヤ人の会堂で三ヶ月間、神の国について大胆に論じ、人々を説得しようとしました(8節)。

 

 けれども、ユダヤ人の一部は頑なで福音を信じようとしないだけでなく、非難する者たちもいました(9節)。そこで、パウロは会堂を離れて、ティラノという人の講堂で教え続けました(9節)。その生活がいつの間にか2年に及びました(10節)。長い時間をこのエフェソで過ごしたわけです。20章31節には、3年間教えたというパウロの言葉が記録されています。

 

 「講堂」(スコレー)という言葉は、現在の「学校」に通じる言葉ですが、もともとは「暇、労働からの自由」で、余暇に議論を戦わせたり、学びをしたりというところから、講堂、学校という場所を指す言葉になったようです。パウロは、午前中テント作りの仕事をして生活の糧を得る傍ら、人々が昼寝をする午後の時間、講堂に入って福音を説き続けたのです。

 

 この宣教活動により、アジア州に住む者は、誰もが主の言葉を聞くことになったと、10節に記されています。勿論、パウロ一人ですべての人々に宣べ伝えたというのではないでしょう。エフェソや周辺の教会の人々がパウロの宣教活動に励まされて、熱心に福音を伝えたことでしょうし、また教会に好意を持つ人々によって口伝えに、ときには反対者の口によっても広められたと考えられます。

 

 そのような熱心な宣教活動に伴い、目覚しい奇跡も起こりました。パウロが身に着けていたものに触れると、病人が癒され、悪霊が出て行くほどだったと報告されています(11,12節)。それを知った占いや呪いをする祈祷師たちで、主イエスの名を唱えて悪霊を追い出そうとする者も出てきました。

 

 「ユダヤ人の祈祷師」とありますが、ユダヤ人は元来、占いや呪いを禁じられています(申命記18章9節以下)。それによって運命を先取りし、あるいはその運命を変えようという行為は、神の力を自分のために利用しようとすることだからです。神は、そのような異教の習慣を厭われるのです。

 

 祭司長スケワの7人の息子たちがそんなことをしていたとありますが(14節)、スケワという名の祭司長がいたという記録は残っていません。あるいは、由緒正しい祈祷師であると宣伝するために、そのように名乗っていたのかも知れません。

 

 悪霊に取りつかれた一人の男に、この7人が「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」(13節)と、イエスの名の権威で悪霊を追い出そうとしました。ところが、「イエスもパウロもよく知っている、お前たちはないものだ」と言い返され(15節)、そしてその男が7人に飛び掛り、酷い目に遭わせたので、彼らは裸で逃げ出しました(16節)。

 

 神の厭われることを行っている祈祷師たちが、真の信仰を持っていないのですから、主イエスの名を語ったところで、役に立つはずがありません。しかし、その事件がエフェソ中に知れ渡り、主イエスの名は大いにあがめられることになりました(17節)。

 

 冒頭の言葉(18節)に、「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した」と記されています。「悪行」と訳されているのは、「行い」(プラークシス)という言葉で、この言葉に「悪」というニュアンスはありません。口語訳などは「こうい、していること」と訳しています。新共同訳は、前後の文脈から「悪行」と意訳しているわけです。

 

 ここで「悪行」というのは、占いや呪い、魔術の類を行っていたことを指します。それが信仰に入る前か、入った後のことかは記されていません。あるいは、主イエスを信じた後も、その悪行をしていたのではないでしょうか。それを告白し、魔術の本を焼き捨てました(19節)。

 

 真に神を畏れ、ただ主イエスを信じる信仰に立つこと、悪霊との関わりや異教の習慣を断ち切ることを、明確に示したのです。それによって、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していきました。その信仰が神に喜ばれたのです。

 

 主よ、信仰に入る前だけでなく、信仰に入ってからも、あなたを悲しませることを繰り返している私たちです。あらゆる汚れを清め、清い新しい霊を授けてください。ただ御言葉に依り頼み、主の御足跡に従って歩ませてください。そうして、御心がこの地に実現されますように。 アーメン

 

 

2月11日(土) 使徒言行録20章

 

「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」 使徒言行録20章28節

 

 パウロ一行はエフェソからマケドニアに渡ります(1節)。正確な渡航時期は不明ですが、紀元55年の晩夏か初秋の頃と考えられます。

 

 このことについて、第二コリント書2章12,13節に「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスにいったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」と記しています。コリントが心配で、トロアスで宣教を展開する気になれなかったというのです。

 

 「この地方」(2節)とは、第2回伝道旅行で教会を設立した地方ということで、フィリピ、テサロニケ、ベレアを再び訪れ、「言葉を尽くして人々を励まし」(2節)ているわけです。それができたのは、恐らくフィリピでテトスと会うことができ、テトスはパウロに、コリントの教会の問題が解決したという報告をもたらしてくれたからです(第二コリント書7章5節以下)。

 

 そこで、第二コリント書を書いてテトスに持たせ、どれほど安堵し、喜んでいるのかを伝えさせました。それから「ギリシアに来て」(2節)は、アカイア地方コリントの教会を訪れたということで、紀元55年の冬頃のことと考えられています。滞在期間を「三か月」(3節)と言います。パウロがローマの信徒への手紙を書いたのは、この訪問の間でしょう(ローマ書16章1,23節参照)。

 

 使徒言行録の著者は、このあたりのことについて、全く関心を示していません。まるで旅を急いでいるかのように、第三回伝道旅行の終盤に向かって筆を進めます。パウロは、コリントから海路でパレスティナに戻る予定でしたが、「ユダヤ人の陰謀があったので」(3節)、陸路でマケドニア・フィリピまで行き、フィリピからトロアス行きの舟に乗ることにしました(6節)。

 

 ユダヤ人たちは、コリントで地方総督ガリオンに訴えてパウロを処罰するという計画を立てて失敗していたので(18章12節以下)、今回は、エルサレムの巡礼客の中に紛れて、船中に刺客を潜ませ、パウロを殺害しようとしていたのでしょう。

 

 4節に、パウロの同行者のリストがあります。パウロに対する陰謀を受けてのことですから、この7人以外にも同行者がいたのかも知れません。彼らは、マケドニア、およびアジアの教会の代表者たちです。パウロに同行して旅を守り支えると共に、それぞれの教会からエルサレムに届けるための献金を持参していたものと思われます。

 

 5節に、「この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが」とあります。航路の安全確認のためでしょうか、先発隊が先にトロアスに送られたのです。彼らに変わり、新たに一人加えられた人物がいます。それが、「わたしたち」という言葉に表されているように、久しぶりに使徒言行録の著者が同行するようになったのです(16章10~16節参照)。

 

 トロアスで先発隊と落ち合ったパウロ一行は(6節)、「週の初めの碑(日曜日)」(7節)にパンを裂くこと、すなわち礼拝を行うために集まったことが報告されています(7節)。ここにも、教会が立て上げられていたわけです。

 

 その後、アソスから海路(14節)、ミレトスまで行きます(15節)。そこから隣町のエフェソに人をやり、教会の長老を呼び寄せました(17節)。旅を急いでいたので、エフェソには寄らなかったのです(16節)。しかし、素通りすることも出来ませんでした。

 

 というのは、エルサレムで苦難が待ち受けており、パウロ自身、もう二度とエフェソの人々の顔を見ることはないだろうと思っていたからです(25節)。

 

 そこで、集まって来た長老たちに訣別の説教をします(18節以下)。そこで、アジア州(ことにエフェソ)における宣教活動を思い起こさせ、試練の中でも福音を宣べ伝えてきたように(19節)、これから投獄と苦難の待つエルサレムに行くけれども(22,23節)、福音を証しする任務を果たすことが出来るなら、命は惜しくない(24節)と告げます。

 

 ここに、パウロの使徒としての福音宣教にかける心意気があります。そして、ここで長老たちにこのように語ったのは、エフェソの教会を彼らに託し、福音宣教と共に群れの世話をしてもらうためです。そこで、冒頭の言葉(28節)で「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」と語るのです。

 

 それは、パウロ亡き後、残忍な狼ども、つまり迫害者がやって来て、群れを荒らすからです(29節)。また、内部からも邪説を唱える者、つまり異端の教えで信徒を惑わす者が現れるからです(30節)。だから、そのような者に惑わされないように、パウロが3年にわたって語り続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさいというのです(31節)。

 

 パウロは長老たちに、「聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」(28節)と言います。

 

 教会は、神を信じる者の集まりであり、神は信じる者のために御子キリストの血で贖いの業を成し遂げられました。だから、教会は神のものなのです。そして、神のものである教会を長老たちに委ね、神に代わって群れの世話をさせるために、聖霊が、長老たちを群れの監督者に任命したというのです。

 

 「監督者」(エピスコポス)とは、見守る者、保護する者という言葉です。教会を支配し、群れを自分のものとするようなことではありません。あらためて、「あなたがた自身と群れ全体とに気を配りなさい」と言われているのは、自分の使命を忘れ、勘違いして、群れの支配者になろうとする誘惑があるという警告ではないかと思わされました。

 

 そうではなく、群れ全体に神の恵みの言葉を説き明かし、教えるという牧会の働きを通して、教会が神のものであり、キリストの命という高価な代価を払って買い取られ神の民であることを、教会内外に示すのです。そのために必要な知恵も力も、群れの監督者に任じてくださった聖霊を通して与えられます。

 

 監督者自身の、神を畏れ、御言葉に聞き従う姿勢が、絶えず厳しく問われています。御言葉は、「あなたがたを造り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(32節)。祈りつつ、謙って共に主に仕えて参りましょう。

 

 主よ、御言葉の前を離れると、自分の姿を忘れてしまいます。時に高ぶり、愚かになります。憐れみ助けてください。私たちの群れが、御子キリストの血によって贖い取られた神のものであることを、うちに外に現していくことが出来ますように。 アーメン

 

 

2月12日(日) 使徒言行録21章

 

「それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」 使徒言行録21章30節

 

 第三回伝道旅行の終わり、エフェソを発って海路パレスティナを目指し(1節以下)、プトレマイオスで上陸して(7節)、カイサリアに赴き、福音宣教者フィリポの家に泊まりました(8節、6章5節、8章4節以下、40節)。そこからエルサレムに上りました(15節)。

 

 エルサレムに着いたパウロは、教会の指導者ヤコブを訪ねました(18節)。そして、自分の奉仕を通して異邦人の間で神がなさったことを詳しく報告しました(19節)。それは、多くの異邦人が救われ、そして異邦人の教会が各地に作られたということでしょう。

 

 人々はそれを聞いて神を賛美しますが、あわせてパウロについて聞いている噂を話題にします。というのは、パウロが外国にいるユダヤ人に対して「割礼を施すな、ユダヤの慣習に従うな」と、モーセの律法に背くように教えているという噂が、エルサレムまで流れて来ていたからです(21節)。

 

 エルサレム教会の人々がこの噂を真に受けていたとも思われませんが、しかし、この種の噂が流されることは、エルサレム教会の宣教活動によい影響を及ぼさないので、教会としては、この噂が真実でないことを証明したい、証明してほしいという考えがあったのでしょう。

 

 その考えに従って、教会の中に誓願を立てた者が4人いるので(23節)、彼らの誓願の費用を出してほしいと、パウロに提案します(24節)。「頭をそる費用」というのは、散髪代ではなく、誓願に関わるすべての費用を指しています。あるいは、4人は経済的に貧しい人々だったのかも知れません。

 

 「頭をそる費用」という言葉から、これは、「ナジル人の誓願」と呼ばれるものと考えられます(民数記6章5,18~20節)。それは、特別な誓願をかけて、主に献身をするというものです。そのとき、清めの儀式のために神殿に行き、種々の献げ物をします。パウロがこれらの儀式の費用を支払うことは、善い業を行うことと考えられたのです。

 

 ガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパが多くのナジル人の出費を支払ったことが、当時、信心深い行為と見なされていたという記録もあるそうです。また、費用を請け負うことは、その清めの儀式に自ら参加することでもあったので(26節)、パウロが律法に従って生きていることを証明することとも考えられたわけです。

 

 ところが、それがかえって仇になりました。清めの期間が終わり、最後の清めの儀式を受ける前に、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内にいるパウロを見つけ、「律法に背くことを教えているパウロが、異邦人を神殿に連れ込んで聖なる場所を汚した」(28節)と大騒ぎをしました。

 

 それで、神殿だけでなく、エルサレムの都中の大問題になり、人々がよってたかってパウロを捕らえ、神殿から引きずり出しました。聖なる場所の外で殺してしまおうと考えたわけです。悪意のある噂話に勘違いが加わって、根も葉もないことでパウロは殺されそうになっています。

 

 しかしこれは、宗教指導者の指導の下になされていたことなのです。というのは、冒頭の言葉(30節)に「門はどれもすぐに閉ざされた」とありますが、それは、神殿守衛長の指示がなければ出来ないことだからです。

 

 ですから、パウロを捕らえ、殺害することについては、祭司や神殿守衛長など、指導者たちの間で予め合意がなされていたと言えます。もともとキリスト教を迫害する急先鋒だったパウロが、キリストを信じ、その福音を宣べ伝える者に変わったときから、機会を狙っていたのでしょう(9章20節以下、23節以下など参照)。

 

 一方、パウロが教会の指示に従って誓願の儀式に立ち会うことにしたとき、このような結果になることを予想していたのではないでしょうか(13節)。けれども、福音のためにはどんなことでもするというパウロには(第一コリント書9章23節)、教会を愛し、教会に仕えて苦しみを受けることは、キリストの苦難に与る光栄なことだったのです(ローマ書8章17,18節など)。

 

 パウロはフィリピ書1章29節でも、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」と語っています。 

 

 主よ、今の日本で聖書にあるような迫害や苦難を経験することはありません。そのために生温くなっている面を,今日はっきりと指摘されました。パウロのように、福音のためならどんなことでもするという信仰に立たせてください。臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊に満たしてください。 アーメン

 

 

2月13日(月) 使徒言行録22章

 

「すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」 使徒言行録22章21節

 

 神殿でアジア州から来たユダヤ人たちに誤解を受けて捕らえられ(21章27節)、神殿の外で殺されそうになっていたとき、町の混乱を沈めるためにエルサレムに駐留していたローマ兵が出動しました(同32節)。

 

 ローマ兵はパウロを2本の鎖で縛り、兵営に連れて行きます(同34節)。パウロが何をして暴動になっているのか、真相をつかもうとしても、あまりに混乱していて、その場では調書を取ることが出来なかったからです。

 

 そのときパウロは、神殿にいる人々に話をさせて欲しいと求めると(同39節)、なんと千人隊長はそれを許可しました(同40節)。鎖をはずされたパウロが兵営に上がる階段の上から、神殿の庭を見下ろして手を振ると、さらに不思議なことに、人々がすっかり静かになりました。そのようなことはあり得ないというところですが、背後に神の力、神の導きがあったということでしょう。

 

 パウロは、「兄弟であり、父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください」(1節)と語り始めます。自分を殺そうとしている人々を、「兄弟、父」と呼んでいます。ステファノも、殉教前の演説の初めに同じ言葉で最高法院の議員たちに語りかけていました(7章1節)。そして、パウロにとってユダヤ人は、仇敵ではなく福音を伝えるべき愛する同胞であるということです。

 

 「弁明を聞いてください」といって話を始めていますが、語られていることは、自分を弁護する言葉ではありません。弁明というのであれば、エルサレム神殿で捕えられたのは、アジア州から来たユダヤ人の誤解なんだ、自分は異邦人を神殿に連れ込んだりしていないし、ユダヤ人にモーセ律法に背くように教えたこともないという趣旨のことを言おうとするでしょう。

 

 ところが、彼が語っているのは、自分の回心の体験談です。「この道」(4節)と呼んでいるキリスト教を徹底的に迫害し、抹殺してしまおうと思っていた者が、復活された主イエスの天からの声を聞いて、この道に従って生きる者、それも、遠く異邦人に主イエスの福音を伝える者に変えられたという顛末を語っています。

 

 それを聞いていた人々がいきり立ち、「こんな男は、地上から除いてしまえ」とわめき立てます(22節)。神を冒涜した罪で十字架につけて殺したイエスを「主」と呼ぶこと(8,18節など)、復活された主イエスの証人として神に選ばれたということ(14,15節)、そして冒頭の言葉(21節)のとおり、異邦人に遣わすと主から告げられたと、パウロが語っているからです。

 

 即ち、それはイスラエルが唯一神に選ばれた民であるという地位を無にし、イスラエルに与えられた律法の意義を失わせる行為だからです。それは、律法に背くことを教え、神殿に異邦人を連れ込んだという訴えが、正当なものだったということを、自ら証言していることになると受け止められたわけです。

 

 けれども、パウロがここで彼らに語った言葉は、自分で考えた理屈などではなく、実際に見たこと、聞いたこと、体験したことです。彼としては、「見たことや聞いたことを話さないではいられない」(4章20節)というところでしょう。そのためにパウロは神に選ばれ、用いられて来たのです(15,21節)。

 

 かつてステファノの殉教に立ち会い、キリスト教徒を迫害していたパウロが救いの恵みに与り、伝道者とされたのは、深い神の憐れみによることです。ということは、その恵みから漏れ、憐れみを受けない者など一人もいないということですから、自分の話を聞いた人々の中からも、そのような人が起こされると信じ、期待していたのだと思います。

 

 騒ぎがひどくなったのを見た千人隊長は、パウロを兵営に連れて行きます(24節以下)。パウロはローマ兵に守られ、やがてローマに移送されます。彼はローマ皇帝の前で福音を証しすることになります(23章11節、25章12節参照)。囚人とされたことで、その道が開いたのです。

 

 主のなさることは、不思議としか言いようがありません。「ああ、神の富と知恵のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(ローマ書11章33節)というとおりです。

 

 私たちも、主イエスを信じる信仰によって神の子とされました(ヨハネ1章12節)。そのために、どれほどの愛を注いでいただいたのか、思い起こしてみましょう(第一ヨハネ書3章1節)。いただいた恵みを無駄にしないよう、主の業に励む者となりましょう。 

 

 主よ、パウロはどんなときにも、自分を守るためではなく、福音の前進のために語り続けます。主イエスの福音によって完全に造り替えられた者であることが分かります。どうか私たちも、神に喜ばれる信仰の歩みをすることが出来ますように。日々御言葉に耳を開かせてください。導きに従う力を与えてください。 アーメン

 

 

2月14日(火) 使徒言行録23章

 

「千人隊長は百人隊長二人を呼び、『今夜9時カイサリアへ出発できるように、歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名を準備せよ』と言った。」 使徒言行録23章23節

 

 千人隊長は、パウロの罪状が知りたいと、最高法院を召集しました(22章30節)。鞭打ち、拷問をもってパウロを取り調べようと考えていた千人隊長でしたが(同24節)、それは、ローマ市民に対しては許されていない行為でした(25節以下)。最高法院を召集したということは、パウロの罪状がローマ法で裁けるものではないという感覚ないし理解があったのでしょう。

 

 最高法院の議員がファリサイ派とサドカイ派で構成されているのを見て、パウロは「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」(6節)と言いました。すると、ファリサイ派とサドカイ派の議員の間に論争が生じ、法院が分裂したと報告されています(7節)。

 

 復活や天使の存在などで、両派の間に対立があることはよく知られていました。けれども、キリスト教徒を迫害することにおいて、利害は一致していたと思われます。また、律法に背くことを教えているという点では、ファリサイ派のほうがパウロに対して厳しい態度を持っていたと思われます。

 

 それなのに、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」(9節)と言っています。本当にそんなことを言ったのかと疑いたくなるような状況です。ともかくも、両派の論争が激しくなったので、またもや千人隊長はパウロを兵営に連れて行くように命じなければならなくなります(10節)。

 

 この背後に、神の手があったことが11節の言葉で示されます。主がパウロに、「エルサレムで証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と言われているからです。

 

 一方、最高法院でパウロに対して極刑の判決を期待していたユダヤ人たちは、それが適わないことを知って暗殺を企てます(12節以下)。ファリサイ派の議員たちがパウロの側について法院が分裂したことから、暗殺を企てた40人余りの人々は、祭司長ほかサドカイ派の人々に助力を要請したのでしょう(14節)。

 

 ただ、陰謀を知る者の数が増えることは、それが漏れる危険性が高まることをも意味します。実際、エルサレム在住のパウロの姉の子、つまりパウロの甥が暗殺の陰謀を聞きつけ、兵営のパウロに知らせます(16節)。パウロは百人隊長を呼んで(17節)、甥を千人隊長のもとに連れて行かせ、陰謀について伝えさせました(18節以下)。

 

 千人隊長は、パウロの安全を図るため、身柄をエルサレムから総督フェリクスのいるカイサリアに移すことにします。それは、パウロの罪状が異邦人には理解しがたいユダヤ教の信仰の問題であることから(29節)、取り扱いを委ねるということでしょう。そして、ローマの市民権を持つパウロに対する暗殺の陰謀を知ったので(27,30節)、身の安全を図るため移送を実行したのでしょう。

 

 それで、冒頭の言葉(23節)のとおり、百人隊長二人を呼び、護送の準備をさせます。パウロ一人の護送のために、470人という、エルサレムに駐屯している部隊の半数近くを動員するというのは、陰謀を企てている40名余の者たちに対応してのことでしょうが、主イエスの復活の証人(11節)を無事にローマへ護送させるため、主なる神によって呼び出されたかのようです。

 

 護送部隊のうち歩兵と補助兵は、襲われる危険のあるアンティパトリスまで行き(31節)、あとは、騎兵たちがパウロを馬に乗せて護送しました(32節)。

 

 ただ、エルサレムからアンティパトリスまでは約60kmあり、400人の歩兵部隊が夜中に出発して、その夜のうちに到着するというのは無理ではないかと思われます(31節)。あるいは、翌日の夜中にと考えたほうがよいのではないでしょうか。

 

 いずれにせよ、パウロはローマ兵に守られながら、エルサレムから110km離れたカイサリアに無事到着しました。かつて、大祭司からローマ総督の下に身柄が移された主イエスは、ローマ兵によって鞭打たれ、十字架につけられましたが、今パウロは、彼を亡き者にしようというユダヤ人からローマ兵の手によって守られています。

 

 今はまだ、どのようにしてローマまで行くことになるのか、全く分かっていません。しかし、パウロがローマで証しをするために、一方ではユダヤ人らの訴えや陰謀を利用し、一方ではローマ市民権を持つパウロを守る責任を負うローマの兵士らを用いて、神ご自身が時をはかり、御旨を実行しておられるのです。

 

 どんなときにも、万事を益となるよう共にお働きくださる主に信頼し、その御声に耳を傾けましょう。平安のないとき、主を賛美しつつその思いと考えを主に申し上げましょう。主は人知を超える平安(エイレーネー=シャローム)をもって、わたしたちの心を守ってくださいます(フィリピ書4章6,7節)。

 

 聖なる主よ、私たちはあなたのご計画のすべてを知っていないので、目の前に起こる様々な出来事に振り回されてうろたえていますが、あなたはそれらすべてを、私たちの弱さや欠点さえも益とされる、マイナスをプラスに変えてくださるお方であることを信じて、感謝致します。委ねられている使命を悟り、御旨に従って歩むことが出来ますように。アーメン

 

 

2月15日(水) 使徒言行録24章

 

「しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。」 使徒言行録24章15節

 

 ローマ総督フェリクスのもとで、パウロの審理が始りました。わざわざ大祭司アナニアが長老数名とテルティロという名の弁護士を連れて、カイサリアにいた総督フェリクスにパウロを訴え出たのです(1節)。テルティロという名前は、彼がローマ人か、ギリシア語を話すユダヤ人であったかも知れないということを示しています。

 

 彼らはパウロについて、「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります」と言います(5節)。当時よく知られていた疫病には「ペスト」があり、新改訳聖書は、「ペストのような存在」と訳しています。英・欽定訳(KJV)も「pestilent fellow」となっていました。

 

 14世紀にペストがヨーロッパで大流行したとき、イタリア・フィレンツェでは3人に1人が感染して亡くなったと言われ、ヨーロッパ中で3500万人、世界で6~7千万人の死者が出たと百科事典に載っていました。

 

 パウロを「疫病のような人間」、「ペストのような存在」と呼ぶということは、パウロの伝道がいかに大きな影響力、伝染力を持っていたか、それがユダヤ教の指導者たちにとっていかに脅威であったかということを、雄弁に物語っています。パウロは、教会外の人々からも、キリスト教会最大の指導者、伝道者と目されるようになっていたわけです。

 

 その告発に対して、パウロは、自分がエルサレムに上ってからまだ12日しかたっておらず、何の騒動も起こしていないと答えた後(11~13節)、冒頭の言葉(15節)のとおり、「しかし、はっきり申し上げます」と言ってフェリクスにも聞いて欲しいことを語ります。

 

 それは、「私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」ということです。そして16節で「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております」(16節)と言います。

 

 ここにありますように、①神を礼拝すること、②聖書を信ずること、③復活の希望を持つこと、そして、④神と人に対する愛の奉仕に努めるということです。ここにパウロの生き方が示されています。そして、その信仰の根拠を、「彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って」という言葉で表現します。

 

 「この道」とは、信仰の土台である主イエス・キリストです。道という言葉には、人や車が通るように作られたところ、道路という意味のほかに、人の進むべき方向、人がそれに従って行動すべきだと考えられている筋道、そこから、宗教上の教義などを表すこともあります。信仰の道、神の道という意味で用いられるわけです。

 

 かつて、主イエスご自身が、「わたしは道であり、審理であり、命である」と言われました(ヨハネ14章6節)。この道を歩む者は、父なる神の御許に行くこと、神にお会いすることが出来ます。この道を歩めば真理が示され、命が与えられます。その命は、たとえ死んでも生きる命、復活の命なのです。パウロは、この復活に与る希望を強く持っていました。

 

 パウロは初め、この道に逆らっておりましたが、主イエスと出会ってキリストを信じ、この道を歩む者となりました。パウロも真理を悟り、復活の命に与ったのです。そして、この道を知らせる伝道者になりました。

 

 自分のようなキリスト教の迫害者、神に敵対していた者が神の憐れみを受けて救われたということは、この世に、主イエスによって救われない人は一人もいない。主イエスは私を救うために死んでくださった。私のような者を必要だと仰ってくださる。「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」(イザヤ書43章4節)ていると語ってくださった。

 

 パウロはこの主の愛に満たされて立ち上がりました。フィリピの信徒への手紙1章29節に、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」と記しています。キリストのために苦しむことが、恵みの賜物としてプレゼントされたというのです。

 

 そして、その賜物はパウロだけでなく、「あなたがた」、即ちフィリピの教会の信徒たちを含むすべてのクリスチャンに与えられているというのです。それが主イエスの道、キリストに従う道だからです。主イエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)と言われました。

 

 ローマの総督フェリクスの前に立ったパウロの顔は、キリスト教最初の殉教者ステファノのように、輝いていたと思います。殉教の死を前にして、ステファノの顔は「さながら天使の顔のように見えた」(使徒言行録6章15節)と記されています。パウロもそうでしょう。それが、この道に従って歩む者の姿、聖霊に満たされた者の姿です。

 

 そしてパウロの目にも、ステファノが見たのと同じ、神の右に立ち上がっておられる主イエスの御姿がはっきり見えていただろうと思います。そこが彼の帰っていくべき真の故郷、自分の国籍のあるところだからです(フィリピ書3章20節)。彼はいつも主イエスの御顔を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、御霊の導きに従って歩んでいたのです。

 

 私たちも、主イエスの導きに従って神を礼拝し、御言葉を信じ、復活、即ち永遠の命の希望を持ち、神と人に愛をもって仕えることが出来るよう、努めて参りましょう。

 

 主よ、罪と死の力を打ち破って甦られた御子イエスがパウロに出会い、信仰に導かれたように、私たちをも主イエスを信じる信仰に導いてくださいました。心から感謝と喜びをもって神を礼拝し、主の御言葉を信じ、復活の希望を持ち、神と人への愛の奉仕に努める者とならせてください。 アーメン

 

 

2月16日(木) 使徒言行録25章

 

「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」  使徒言行録25章19節

 

 パウロは、総督フェリクスのもとに2年監禁されていました(24章27節)。行動にはある程度自由があり、友人との面会や、彼らがパウロの世話をすることも許されていました(同23節)。しかし、ここまでひたすらキリストの福音を宣べ伝えてきたパウロにとって、軟禁状態に置かれるというのは、全く望ましいものではなかったでしょう。

 

 もしもフェリクスが、ピラトのように、ユダヤ人に気に入られようとしてパウロの身柄をユダヤ人に渡すことにすれば、その日のうちに殺されてしまうでしょう。その意味では、死刑の執行を待つ死刑囚のような心境ではなかったでしょうか。

 

 そうした中でパウロを支えていたのは、「ローマでも証しをしなければならない」(23章11節)と語られた神の御言葉です。神がそう語られたということは、いずれパウロは必ずローマに行くということです。勿論、ローマに行けば安全が保障されているということではありません。神が使命を与えられたのだから、御旨のままに従って行けば、実現されるということです。

 

 また、パウロは軟禁生活で何も出来ないからといって、不貞腐れて自堕落な生活をしていたわけではありません。聖書に保存されている彼の手紙のうち、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙は、獄中書簡と呼ばれています。つまり、軟禁されている監獄の中で、大切な書簡が執筆されたわけです。

 

 それらが、カイサリアの獄中で記されたものかどうかは、明確ではありません。伝統的にはローマで書かれたと考えられていました。最近は、エフェソで書かれたという説が最も有力であろうと思われています。

 

 いずれにしても、行動の自由を奪われ、直接人々に福音を語ることが出来ないばかりか、いつも死を覚悟していなければならない厳しい環境の中で書き記されたこれらの手紙によって、これまで、どれほど多くの人々が励ましを受け、勇気が与えられ、救いに与って来たことでしょうか。

 

 もしもパウロの手紙が残されなければ、彼の言葉、教えは、その時その場所にいた人々だけのものでした。けれども、こうして手紙が残されましたから、今もそれを読み、学ぶことが出来ます。パウロは、自分の書いた手紙が2000年後の今日、世界各国の言葉に翻訳され、読み続けられているということなど、思いもよらなかったことでしょう。

 

 そう考えれば、パウロの軟禁生活は、考えられないほど大きなプラスを生んだと言わざるを得ません。そして、それを為さしめたところに、主の御心、聖霊の導きがあったのだと思います。

 

 パウロは、総督フェストゥスの裁判に出席していて、無罪を主張しました(8節)。ところが、フェストゥスは、エルサレムで裁判を受けたいと思うかと尋ねます(9節)。それは、彼がユダヤ人の気に入られようとしたのだと説明されています。

 

 パウロはフェストゥスの言葉を聞いて、公正な裁判を受けられないと考えたのか、「私は皇帝に上訴します」(11節)と言います。総督は陪審と協議した後、それを受け入れました(12節)。法廷がローマ皇帝のもとに移されることになります。

 

 パウロは、身の安全を図るためにローマに行くのではありません。ローマで主イエスの福音を宣べ伝えるため、証しをするために行くのです。それがどういう結果を招くかは、保証の限りではありません。パウロはローマで殉教したと伝えられています。「証し、証言」(マルトゥリア)をすることが、英語で「殉教者」を意味する「martyr」(マーター)という言葉を産みました。

 

 ローマ皇帝に会いたいといっても、普通は適わないでしょう。けれども、皇帝が判事を務める法廷に行けば、彼に直接福音を伝えることが出来ます。その周りに居並ぶ高官たちにキリストを証しすることが出来ます。ここにも、福音のためならばどんなことでもするというパウロの宣教の姿勢が現れているわけです(第一コリント書9章23節)。

 

 冒頭の言葉(19節)で「イエスが生きていると、パウロは主張している」と言われています。これは、総督フェリクスが皇帝に上訴したパウロの罪状を明確にするために、アグリッパ王にパウロの問題を告げている言葉です。

 

 「彼ら自身の宗教」とフェリクスが告げている「宗教」(デイシダイモニア)という言葉は、「迷信」とも訳せるものです。「イエスが生きている」というパウロの主張を、フェリクスは「迷信」と考えている言葉遣いでしょう。そして、そこに問題の核心があると見ているのです。

 

 けれども、パウロにとって「イエスが生きている」というのは、単なる主張ではありません。それは事実なのです。パウロは復活された主イエスと出会って、人生が180度転換しました。ファリサイ派に属するものとして、キリスト教撲滅に血眼になっていたパウロが、命がけでキリストの福音を宣べ伝える人に変わったのです。 

 

 パウロを伝道者とし、どんなマイナス状況にあっても、それをプラスに変えてくださる主を信頼し、御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きを求めて祈りましょう。聖霊の力を受けて、共に主の御業に励む者としていただきましょう。 

 

 主よ、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とパウロが記していますが、彼はまさにそのように生き、そして死にました。それがパウロに与えられた神と人とに対して行う愛の奉仕、主に委ねられた使命でした。同様に、私たちにもそれぞれ使命が与えられています。弱い私たちですが、その使命を自覚し、いつも主の御業に励むことが出来ますように。 アーメン 

 

 

2月17日(金) 使徒言行録26章

 

「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。」 使徒言行録26章19,20節

 

 新共同訳の26章冒頭の小見出しは、「パウロ、アグリッパ王の前で弁明する」となっています。その内容は、①自分がファリサイ派の一員として行動していたこと(4節以下)、死者の復活という、神がお与えになった約束の実現に望みをかけていること(6節以下)、初めは自分も主イエスの名に反対し、教会に迫害の手を伸ばしていたこと(9節)です。

 

 次に、「パウロ、自分の回心を語る」の段落で、ダマスコへ向かう途中、復活された主イエスに出会ったこと(12節以下)、主イエスがパウロに姿を現されたのは、パウロを主の奉仕者、また証人とするためであること(16節)、それによって、ユダヤ人のみならず異邦人をも救いの恵みに与らせるためであること(17節以下)が語られます。

 

 続く19節以下の段落に「パウロの宣教の内容」がつけられていますが、それは、天からの啓示に背かず、すべての人々が悔い改めて神に立ち帰るように伝えたこと(19節以下)、それは「預言者たちやモーセ」(22節)即ち旧約聖書に記されていることで、「メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになる」(23節)と宣べたのです。

 

 パウロのこれらの弁明を聞いたアグリッパは、「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」(28節)と言いました。アグリッパは、パウロが語っているのは弁明などではなく、彼が信じているキリストの福音の宣教だと、正しく理解したわけです。

 

 もしも彼の回りに誰もいなければ、彼が王という立場でなければ、素直に信者になったのかもしれません。それほどの迫りをアグリッパが感じていたからこそ、「わたしを説き伏せて、信者にしてしまうつもりか」と語ったのです。

 

 パウロは、自分の置かれている状況がどうであれ、自分の前にいる人が誰であっても、臆することなく福音を語りました。殉教の死を覚悟しているパウロには、神以外に恐れるものはなかったのです。

 

 改めて、冒頭の言葉(19,20節)でパウロは、「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず」と言い、天からの啓示に対しては、従順に従うのが神を信じる者にふさわしい態度であるということ、だから自分はそれに背かず歩んで来たということに同意を求めます。そうしながら、アグリッパにも、その声に従うようにと呼びかけているのです。

 

 そして、「天から示されたこと」とは、20節の「ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝え」ることでした。

 

 パウロはダマスコでキリストの声を聞き、まずそこで主イエスの福音を証ししたと語ります。それから、「エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して」と言います。それは、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたし(キリスト)の証人となる」(1章8節)という御言葉のとおりに行動したということです。

 

 彼が語ったのは、「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするように」ということでした。これは、18節で「彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前に与るようになる」と語られた言葉の要約です。

 

 悔い改めとは、「ごめんなさい」と謝ることというより、方向転換、正しく神の方向を向くこと、神の声に聞き従うことです。そしてパウロは、主イエスこそ主なる神であり、主イエスに立ち返り、主イエスの御声に聞き従いなさいと、どこでも語り続けてきたのです。それは、その信仰によって、誰でも罪の赦しを得、神の恵みの分け前に与ることが出来るからです。

 

 主イエスを信じましょう。御言葉に聞き従いましょう。そして、神の恵みの分け前に与りましょう。

 

 主よ、私たちに御子イエスの福音を告げ知らせ、御子を信じる信仰の恵みに導いてくださり、感謝致します。主イエスの十字架の贖いによって罪赦され、恵みの分け前に与ることが出来る者となりました。常に主を信じ、主の御言葉が私たちの心に豊かに宿りますように。 アーメン

 

 

2月18日(土) 使徒言行録27章

 

「こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。」  使徒言行録27章35節

 

 ローマ皇帝に上訴したパウロを護送するため、カイサリアから海路ローマに向かうことになります(1節以下)。「わたしたちが」(1節)と冒頭にあることから、使徒言行録の著者がパウロの護送に付き添うことになったことが分かります。その他に、アリスタルコも同行しています(2節)。

 

 皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスがパウロの他、数人の囚人を引き連れているということは(1節)、部下を百人連れていたかどうかは分かりませんが、一定の兵卒が同行していたはずです。その際、いわゆる軍艦ではなく、民間船を徴用していました(6,11節参照)。

 

 シドンからの航行は、偏西風に行く手をさえぎられるかたちになり、予定よりも時間がかかってしまいました(4,7節)。それで、航海に危険な季節になったので(9節)、パウロは危険だから航海を中止するように忠告しました(10節)。彼は、囚人という身分ですが、ローマの市民権を持つ者として、ある程度行動の自由が与えられていたようです。

 

 けれども、百人隊長は船長や船主の意見を受け入れ(11節)、クレタ島西部のフェニクス港に行こうということになります。島中部の「よい港」と呼ばれるところは、冬を越すのに適していなかったからです(12節)。

 

 折良く南風が吹いて来たので出向したところ(13節)、間もなく暴風に見舞われて島から沖へ流され(14節以下)、積荷や船具までも捨てなければならない絶体絶命の事態になりました(18~20節)。「イタリア(ローマ)に行くアレクサンドリア(エジプト)の船」(6節)には、大量の穀物が積まれていたと想像されています。

 

 誰もが望みを失い(20節)、食事もとれずにうなだれているような中で(21節)、ただ一人パウロは上を向き、「元気を出しなさい。舟は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」(22節)といって皆を励まします。

 

 船員でもないパウロがそのように語ることの出来たのは、天使の告げる神の言葉を聴いたからでした。神は、パウロが皇帝の前に出頭しなければならないこと、そのために船に乗っているすべての者を守られることを、パウロに伝えられたのです(24節)。

 

 パウロに神の言葉が告げられたのは、彼がこの嵐の中、神の言葉を聴こうとして祈っていたからでしょう。既に殉教の覚悟を決めていたパウロは、嵐よりも神を畏れて、御言葉を傾聴しようとしていたのです。

 

 主の僕と海の嵐という点で、神の命令に背き、ニネベ行きを拒んでタルシシュ行きの船に乗り込んだヨナのことを思い起こします。ヨナの場合、海の嵐はヨナの反抗によって生じました(ヨナ書1章3,4,12節)。それによって同船のすべての人々が犠牲になるところでした。一方、パウロは彼の使命のゆえに、同船のすべての人々の命を救うことになります(37,44節)。 

 

 それから数日後、漂流して14日目の夜、確かにどこかの陸地に近づいていることが分かりました(27,28節)。闇の中で暗礁に乗り上げることがないように錨を降ろし、夜明けを待つことにします(29節)。

 

 パウロが語ったことが実現しつつあることが明らかになり、パウロは次第に指導的な立場をとるようになりました。ところが、船員たちが夜の内に小舟で逃げ出そうとします(30節)。闇夜の中、暗礁に乗り上げないよう、錨で舟を固定した船員たちが、本当に小舟で逃げ出そうとしたのかと、不思議な思いがしますが、ともかくもパウロは百人隊長に知らせてそれを阻止しました(31,32節)。

 

 夜明けに、パウロは一同に食事を勧めます。そして、冒頭の言葉(35節)のとおり、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めました。食事を始めたパウロを見て、アリスタルコや使徒言行録の著者も食卓に着いたことでしょう。そして、その姿を見た他の人々も、元気づけられて食事を摂ることが出来たのだと思います(36節)。

 

 パウロがパンを取って感謝の祈りをささげ、裂いて食べ始めるというのは、「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた」(ルカ福音書22章19節)という、主の晩餐式の言葉に似ています。

 

 パウロがここで主の晩餐式をしようとしたと考えるのは、読み込み過ぎでしょうけれども、パウロは、神の言葉と食事によって、同船の人々の不安な心に平安と喜び、希望を満たしました。そのことを通して、主イエスを信じる信仰に導かれた人も起こされたのではないでしょうか。そうした人々にとっては、この朝食がキリストの命に与る食事だったといってもよいのではないでしょうか。

 

 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16章33節)と言われる主イエスを信じましょう。主のお与えくださる平和に与らせていただきましょう。

 

 主よ、パウロは嵐の中で神に祈り、御声を聴きました。それに勇気づけられたパウロは、同船の人々を元気づけることが出来ました。パウロの告げた言葉が真実だったからです。どうか私たちの信仰の耳を開き、御言葉を聴かせてください。聴いた御言葉を信仰によって実行させてください。御名が崇められますように。御心がなりますように。 アーメン 

 

 

2月19日(日) 使徒言行録28章

 

「パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。」 使徒言行録28章3節

 

 漂流していた舟がようやく陸地を見つけ、入り江に乗り入れようとして進んだとき(27章39節)、浅瀬に乗り上げて動かなくなり、船尾が激しい波で壊れ始めました(同41節)。そこで、泳げる者は泳いで、残りの者は板切れや船員につかまって何とか無事に上陸することが出来ました(同43,44節)。

 

 そこは、マルタと呼ばれる島で(1節)、島民は、「降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれた」、と記されています(2節)。その親切さは、パウロたちだけに示されたものではないでしょう。そうではなく、島の人々は、漂流してきた人々に常に親切にしてきたのではないかと思います。

 

 というのは、彼らも海の民として嵐に苦しめられる経験をしており、人の親切を受ける経験があっただろうと思われるからです。「優しい」とは、人の憂いを知る、人の悲しみが分かるという字です。漂流する苦しみを知っていればこその親切、優しさを、パウロたちに示してくれたわけです。

 

 冒頭の言葉(3節)のとおり、そのたき火に、パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべました(3節)。何気ない文章ですが、パウロの行動力に驚きます。彼自身、2週間も嵐に悩む舟にいて、ようやく助かったというところです。その間、パウロは先頭に立って人々を助け励まして来ました。

 

 寒い冬の海に飛び込んで泳ぎ、冷えた体をたき火で温めるため、やれやれと腰を下ろせば、安堵と疲れで動けなくなり、立ち上がるどころか、眠り込んでしまうでしょう。それなのに、パウロは驚くべき行動力で枯れ枝を拾いに行き、一束抱えてきて、それを火にくべるのです。

 

 以前パウロがエフェソの人々に、「主イエスご自身が、『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと,わたしはいつも身をもって示してきました」(20章35節)と語りましたが、まさにここでもその言葉どおりに行動しています。

 

 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ6章12節)ということが身についている伝道者の姿に感動すると共に、自分を省みさせられます。

 

 ところが、たき火の熱気で蝮が出て来て、パウロの手に絡みつきました(3節)。口語訳には、「かみついた」と記されています。一難去ってまた一難、ようやく嵐から助かったと思えば今度は蝮です。

 

 島の住民が、「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ」(4節)と互いに言ったということも、さもありなんというところでしょう。

 

 自分の身に「泣き面に蜂」のように次々と災難が襲いかかってくると、神様なぜですか、と訴えたくなります。ともかく大慌てで何とかしなければと思うでしょう。けれども、パウロは特に慌てることもなく、蝮を火の中に振り落として平然としています(5節)。

 

 そこには、「ローマでも証しをしなければならない」(23章11節)という使命のために、神が嵐の海から同船のすべての人々らと共に守り助け出してくださったように、蛇の毒からも守られると、パウロは確信していたためでしょう。

 

 実際、 パウロに絡みついた蝮は、パウロを害することができませんでした(5節)。いつまで経っても何も起こらないのを見て、住民たちは「この人は神様だ」と、その思いを変えます。ここに、パウロがその評価に対して、14章15節にあるように反論してはいません。

 

 ただ、ルカ10章19節の「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた」という主イエスが言葉がパウロにおいて実現しているということが、ルカにてっと重要なものであったのでしょう。

 

 あらためて、蝮は神の使命が果たされることを妨げようとするシンボルのようなものです。エデンの園に蛇が登場して、神と人との麗しい関係を破壊し、人が神に託されたエデンの園を耕し、守るという使命を果たせなくしたことを思い出します(創世記3章参照)。

 

 私たちの日常生活の中に潜んでいる蝮に気をつけなければなりません。冷えた体を温めようとする親切のたき火の熱気で登場して、親切に行動している者に絡みつき、それを台無しにしようとします。小さなすれ違いが、やがて大きな対立を呼び起こします。裁き合いが始るのです。

 

 神に頂いた愛と信頼の関係が損なわれないように、心の平安を奪われないように、絶えず主を見上げ、主の軛を負って柔和と謙遜を実につけさせていただきたいと思います。

 

 主よ、少しのことで心の平安を失い、眠れなくなる私たちです。憐れんでください。あなたに心を向け、御言葉に耳を傾けます。あなたの平安で私たちの心と思いとを絶えずお守りください。どんなときにも信仰で勝利することが出来ますように。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰で歩ませてください。 アーメン

 

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