エステル記

 

6月11日(木) エステル記1章

 

「ところが、王妃ワシュティは宦官の伝えた王の命令を拒み、来ようとしなかった。」 エステル記1章12節

 

 今日から、エステル記を読み始めます。1節に、「クセルクセスの時代のことである」と記されています。ヘブライ語原典には、「アハシュエロス」と記されています(口語訳、新改訳)。クセルクセスは、紀元前486年から465年にわたり、ペルシア帝国を治めた王です。

 

 ということは、本書が著わされたのは、当然のことながら、それよりも後の時代ということになります。多くの学者は、紀元前400年から300年ごろ,エズラ、ネヘミヤ、歴代誌と同時代の著作と考えているようです。

 

 ちなみに、エズラ、ネヘミヤのときのアルタクセルクセス王(在位BC465~424年、エズラ記7章1節、ネヘミヤ記2章1節)、クセルクセスの息子です。

 

 インドからクシュ(エチオピヤ)に至る127州(実際には20ないし30州の間だった)の支配者であるペルシアのクセルクセス王が(1節)、その治世第3年(BC483年)に、大臣や家臣たち、軍人、貴族、諸州の高官たちを招いて大宴会を催しました(3節)。それは、その後に始まるギリシア遠征に備えて、国民を勇気づけるためのものではなかったかと推測されています。

 

 「180日」(4節)というのですから、半年にも及ぶ大宴会が催されたわけです。それによって、ペルシアがいかに富み栄えているかを国内外に示そうとしたのでしょう。しかし、半年も軍人たちを酒漬けにして、戦いになるのでしょうか。その結果とは思いませんが、多大な精力を費やしたギリシア遠征は失敗してしまいます。

 

 大宴会を終えた後、今度は7日間、首都スサの全住民を、身分の上下を問わず皆招いて、王宮の庭で酒宴を催しました。権力と富を欲しいままにしている王の寛大さを示すもので(7節)、招かれた者たちからどれほどの賛辞が王に贈られたのか、想像に難くありません。

 

 大変気をよくし、ぶどう酒に酔って上機嫌になった王は(10節)、宴会の最後の日、冠を着けた王妃を召し出そうとします(11節)。王妃の美しさを見せようとしたと記されていますが、王が自分の持ち物自慢の最後に、王妃を自慢の種にしようとしたのでしょう。

 

 宦官7人を介しての招請を拒否することは、王のメンツに拘わることになるので、王妃がそれを無碍に断るとは考えられません。このとき王は、王妃に冠だけを着けて出て来るように指示していたのではないかと考える学者もいます。あるいは、そのように酒に酔っていなければ要求出来ないような破廉恥な行為を命じていたのかも知れません。

 

 帝国の頂点に君臨し、号令一つですべてを動かすことの出来た王はそのとき、自分の思い通りにならないものあるということなど、考えたこともないというような状況ではなかったでしょうか。

 

 ところが、冒頭の言葉(12節)のとおり、王妃ワシュティは、宦官の伝えた王の命令を拒否しました。その理由は明言されていませんが、上記のような招請であれば、拒否して当然でしょう。そもそも、王妃は王の持ち物ではありません。人生の伴侶です。酒宴で王妃を見せ物にしようとするのは、許されることではないでしょう。

 

 王妃に拒否されたところで、酒の席でのことと笑って誤魔化して終わりにしてしまうべきだったのでしょうが、王は、自分の言うことを聞かない王妃に腹を立てます。王の寛大さを示すはずの酒宴が、とんでもない方向に進んでいきます。

 

 怒りに燃えた王は、自分の意に従わない王妃をどうすべきか、7人の大臣たちに相談します(13節以下、15節)。すると、大臣の一人メムカンが、「これを放置すれば、夫が妻に従わないという悪弊を生むだろう。それは、侮辱的で腹立たしいことだから、ワシュティを退位させ、別の女性を王妃にするという勅令を出すべきだ。そうすれば、女たちが夫を敬うようになるだろう」と答申しました(16節以下、19節)。

 

 それをよしとした王は、その通りに勅書を全国に送りました(21節以下)。そのようにして、王は自分の権威、権力を誇示しようとしているわけです。ただ、クセルクセスの妃はアメストリスという名前で、ペルシアの七つの名家の一つの出ということも分かっています。ここに記されているようなことが実際に行われたという記録はありません。

 

 ところで、著者がこの物語を記したのは、ペルシアの王の振る舞いを笑おうということではないでしょうか。王は、常に自分の権力を誇示するために行動しています。何でも自分の思い通りにすることの出来る、比類なき力を有している偉大な王が、実際には一人の女性の心を把えることが出来ません。一体、なんのための権力なのでしょうか。ここでは、ただの自惚れた愚か者になってしまっています。

 

  王の周りにいた「経験を積んだ賢人たち」(13節)、「王の側近で、王国の再興の地位にある、ペルシアとメディアの七人の大臣」(14節)も、王の顔色を窺うような対応で、「お出しになった勅令がこの大国の津々浦々に聞こえますと、女たちは皆、身分のいかんにかかわらず夫を敬うようになりましょう」(20節)と進言しますが、そのように女性が考えるとは思えません。

 

 むしろ、王妃ワシュティが何故命令を拒んだのか、何を守ろうとしていたのかを理解する心が必要だったのです。それが出来ないところに、クセルクセス王の、そして、私たち人間の、弱さ、愚かさ、罪があります。

 

 「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピ書2章3,4節)と語るパウロの如く、神の御言葉に聴き、キリストに倣って謙遜と柔和を学ばせていただきましょう(マタイ11章29節)。

 

 主よ、自分の思い通りに事が運ばないとき、私たちはしばしば愚かに行動します。そうして、事態を危機的に悪化させてしまいます。常に御前に静まって御心を求め、御言葉と御霊の導きに与らせてください。キリストに倣い、謙遜と柔和を学ばせてください。主の恵みと導きが豊かにありますように。全世界にキリストの平和がありますように。 アーメン



6月12日(金) エステル記2章


「王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。」 エステル記2章17節


 全国各州から首都スサに美しい乙女たちが集められることになりました(2節以下)。その中から、王の眼鏡に適う女性がいれば、退位させたワシュティに代わる王妃としようということになったのです(4節)。


 そこに、ユダヤ人「エステル」がいました(7節)。「エステル」はペルシア語で「星」という意味です。エステルのヘブル名は「ハダサ」で(7節)、「ミルトス」のことです。ミルトスは地中海沿岸原産の常緑低木で、別名「ギンバイカ(銀梅花)」と言います。


 花が結婚式などの飾りに使われるため、「祝いの木」とも呼ばれるそうです。葉と果実に芳香があり、香水などの原料に使われます。また、ユダヤ教3大祭りのひとつである「仮庵の祭り」では、現在でもミルトスの枝を使って仮庵が作られています。


 エステルは早くに両親を失い、従兄のモルデカイに娘として引き取られ、養われていました(7節)。エステルは王宮に連れて行かれ、後宮の監督ヘガイに託されました(8節)。ヘガイはエステルに目をかけ、特別扱いにします(9節)。それはしかし、エステルの「姿も顔立ちも美しかった」(7節)からというだけではないでしょう。


 集められた娘たちは、1年の準備、即ち、半年はミルラ香油、もう半年は別の香料や化粧品で容姿を美しく整えて、それから順番に、王のもとに召し出されました(12節以下)。やがて、エステルにも順番が回って来て、王宮に連れて行かれました(15,16節)。


 そのとき、王宮に持って行きたいと望むものは何でも与えられましたが(13節)、エステルは、ヘガイの勧めるもの以外は何も望みませんでした(15節)。続けて、「エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った」と記されており、彼女の美しさ、そして、自分の望むものを求めず、ヘガイの勧めに従う慎ましさが、王宮に持って行く、何よりの持ち物ということを示しているようです。


 そして、冒頭の言葉(17節)のとおり、エステルは王の寵愛を一身に受け、ワシュティに代わり、その頭に冠を戴く王妃となることになりました。モルデカイはエステルに対して、王の前で自分の出自を明らかにするなと命じていました(10,20節)。ゆえに、出自、閨閥によって王妃となったのではありません。


 モルデカイがエステルに出自を伏せさせた理由について、ユダヤ人と知られることや既に両親を亡くしていることなどが、彼女の不利益になってはいけないと考えていたのでしょうか。逆に、出自を伏せることで、むしろ、王妃になることを回避させようと考えていたのではないかと考える学者もいるようです。というのは、エステルが後宮に入ることは、ペルシアの生活様式、習慣、そして宗教の影響を強く受けることになるからです。

 

 モルデカイとエステルは、バビロニアの神である「マルドゥク」と「イシュタル」に極めて似ています。彼らは、ユダヤ人でありつつ、異教徒の間で重要な役割を果たすことが、その名前によって暗示されているようです。


 モルデカイは、王宮に上がったエステルを気遣って、後宮の門の側にいました(11節)。19節以下の出来事から、モルデカイは王宮の門で仕える役人になっていたものと考えられます。

 

 モルデカイが王宮の門に坐していた時、偶然にもクセルクセス王の暗殺計画を知りました(21,22節)。早速そのことをエステルに伝え(22節)、その件が調べられ、容疑が確かめられて、謀反を計画した私室の番人である宦官二人が処刑されました(23節)。


 興味深いことに、エステル記には一度も、神が登場して来ません。神を求める祈りも、神をほめ讃える賛美も記されていません。しかし、目には見えませんが、歴史の裏側で、その歴史を支配し、動かしておられるのは神です。


 ユダヤ人のモルデカイとエステルがペルシアの首都スサに住んでいたこと、ワシュティに代わる王妃を選ぶ美人コンテストが開かれたこと、エステルがミス・ペルシア候補に選ばれ、王妃となる栄冠に輝いたことは、自然の成り行きではないでしょう。


 さらに、モルデカイが王宮の門の傍らで謀反の情報を手に入れ、それを王妃エステルに告げることができたこと、その容疑が裏付けられ、犯罪者が処刑されたことも、こうした出来事の背後に、歴史の支配者であられる神の御手が働いている証しです。というのも、謀反を未然に防いで王を守ったことが、将来、モルデカイとエステルだけでなく、ユダヤ民族全体を守る力を発揮することになるからです。


 そう考えてみると、王の酒宴に召し出されるのを王妃ワシュティが拒否したこと、ワシュティに代わる王妃を選ぶことにしたことなど、これらの出来事に背後にも神がおられたわけです。それらのことによって、エステルが王妃となる道が開かれたのです。


 更に言えば、モルデカイやエステルが首都スサにいたのは、バビロン捕囚の故です。そしてそれは、イスラエルの民が神に背いた結果ですが、しかし、それが民族にとってマイナスだったということではなく、巡り巡って、イスラエルの民を守る計画につながるのです。


 まさにエレミヤが、「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29章11節)と預言したとおり、ユダヤの民に将来と希望を与える出来事を産み出しました。


 このように、目に見える現実は災いとしか思えないようなものであっても、その背後で歴史を支配しておられる主の導きを信じ、絶えず主の御心を求めて神の前に出ましょう。御言葉に耳を傾け、主に従う者となりましょう。主を待ち望み、主に依り頼みましょう。


 主よ、あなたの深い憐れみと慈しみに感謝致します。歴史を支配しておられる主に信頼し、御言葉に耳を傾ける者に、恵みと導きが常に豊かにありますように。全世界にキリストの平和がありますように。そうして主の御名が高らかに崇められますように。 アーメン



6月13日(土) エステル記3章


「急使はこの勅書を全国に送り届け、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、しかもその日のうちに、ユダヤ人は老若男女を問わず一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ、その持ち物は没収されることとなった。」 エステル記3章13節


 ユダヤ人のエステルが王妃となり、その後見人役のモルデカイが王への謀反を未然に防ぐ重要な役割を果たして、いかにペルシアにとってユダヤ人の存在が有益なものであるかが示されました。しかし、エステルの出自は秘められており(2章20節)、モルデカイの功績は宮廷日誌には記されたものの、表彰されませんでした(6章3節参照)。


 その後、全く思いがけず、アガグ人ハメダタの子ハマンが引き立てられ、「同僚の大臣のだれよりも高い地位」、即ち首相の座につけられました(1節)。そして王は、自分が選んだハマンの前にすべての者が膝をかがめて敬礼するように、勅令を発したのです(2節)。


 ところが、モルデカイは、ハマンに跪かず、敬礼しませんでした。王宮の役人たちから促されても(3節)、耳を貸そうとしません(4節)。モルデカイは、自分がユダヤ人であると公表していたので、役人たちはハマンに、それを確認するように勧めました(4節)。ユダヤ人ということで、役人たちは何らかの恐れを覚え、ハマンにその対処を委ねたかたちです。


 なぜ、モルデカイがハマンに敬礼することを拒んだのか、明言されませんが、ハマンがアガグ人ハメダタの子であり、モルデカイがベニヤミン族に属するキシュの子であるということが、その原因ではないかと思われます。


 かつて、イスラエルの王サウルがアマレクと戦い、アマレク人の王アガグを生け捕りにしました(サムエル記上15章1節以下、8節)。イスラエルの王サウルは、主の命に背き、アガグ王に手を下しませんでしたが、そのことがサウルを王の座から退ける結果となりました(サム上15章11節)。サウル王は、ベニヤミン族出身で、父の名前はキシュです。


 アガグ人が、アマレクの王アガグの子孫であれば、モルデカイがハマンに膝をかがめないことも、ハマンがモルデカイを忌み嫌うことも、なるほど納得という感じです。エステルには出自を明らかにしないようにと命じていたモルデカイですが、このことに対して曖昧な態度をとることが出来なかったわけです。


 しかし、王の命令に背くその頑固なまでの態度が、ペルシア帝国内に住むすべてのユダヤ人を窮地に陥れることになります。自分の行動が自分だけでなく、娘エステルも、そしてすべての同胞をも危険にさらすと知っていれば、その対応は違うものになっていたのではないかと思います。


 ハマンは、モルデカイが自分にひざまずいて敬礼しないのを見て腹を立て(5節)、その理由がモルデカイがユダヤ人だからということを知って、モルデカイだけでなく、ユダヤ民族を一人残らず根絶やしすることを決意します(6節)。ハマンがそのように考えていたとは思えませんが、それはまるで、父祖アガグのための弔い合戦のようです(サム上15章33節参照)。


 ハマンは恐らく占い師にくじを投げさせ(7節)、ユダヤ人を絶滅させる日を決めます。それは、12月の13日に決まりました(7,13節)。それから、クセルクセス王に、ユダヤ人がいかに有害無益な民であるかということ、それにひきかえ、自分は王に銀1万キカル(約342トン≒今日現在240億円)を差し出すことの出来る有益な存在であるということを表明し、ユダヤ人根絶を進言しました(8,9節)。


 ハマンが首相に取り立てられた背景に、こうした資金力がものを言っていたのかも知れません。そして、王はハマンの進言について、事実関係を確認することもなく、また、資金提供についても、「銀貨はお前に任せる」と、使い道をハマンに委ね、その上、指輪(実印)をハマンに渡して(10節)、ユダヤ人を思い通りにしてよいというお墨付きを与えます(11節)。


 早速勅書が作られ、帝国内各州の長官、各民族の首長に送られます(12節)。その内容は、冒頭の言葉(13節)のとおりです。ここで覚えておきたいのは、ハマンが王に、「彼らの根絶を旨とする勅書を作りましょう」といったとき、「根絶」はアーバドという言葉です。それと同音異句で、「隷属」という意味の言葉があります。ハマンの進言を簡単に了承したのは、アーバドを「根絶」ではなく、「隷属」と理解したからではないでしょうか。


 7章4節にあるエステルの、「私と私の民族は取引され、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう」という言葉に、その解釈が間違いでないことが示されています。


 語られた言葉には、そのような誤解を生む曖昧さが含まれていますが、それが勅書に文字で書き込まれれば、その曖昧さはなくなります。その上、全く誤解の余地がないように、「一人残らず滅ぼされ、殺され、絶滅させられ」(13節)と、念を入れて書き込まれています。


 ここに、言葉を文字にする意義があります。文字は、読まれなければ、ただの文字です。いかにそれが真理であっても、埋もれたままです。それが読まれると、文字に込められた意志が伝わって来ます。真理が開かれ、働きを産み出すのです。


 ハマンの思いが文字になり、王の印が押されて、帝国の隅々に伝えられました(12,13節)。12月13日に、ユダヤ民族をペルシア帝国から断ち滅ぼすことが決定的となったわけです。しかし、ペルシアの民はこの決定を喜んだわけではありません。むしろ、首都スサにおいて混乱を引き起こしました(15節)。つまり、ペルシアの人々にとっては、ハマンが言うようにユダヤ人は有害無益な存在というわけではなかったのです。


 そんな混乱をよそに、ハマンと王は酒を酌み交わしています(15節)。ユダヤ人絶滅を企む首相ハマンと、自分の身勝手で王妃ワシュティを退位させた王クセルクセス。絶体絶命の危機にあるユダヤ民族にとって、最悪の組み合わせです。


 そして、ここにあるのも酒。酒に酔い痴れるのは身を持ち崩すもとと言います(エフェソ5章18節)。ことがうまく運んでいる二人には美酒かも知れませんが、酒は人の判断を狂わせます。破滅の罠が忍び寄って来ているのに、それに気づかないまま突き進んでしまうこともあります。


 目を覚まし、神の言葉に耳を傾けなければなりません。酒ではなく、聖霊に満たされて、神をたたえる歌を歌いましょう(エフェソ5章18節)。主なる神がすべてをプラスに変えてくださるからです。


 主よ、モルデカイの頑なな行動が、自分自身のみならず、娘エステルを含め同胞すべてを思わぬ危機に陥れました。古からの確執がその原因だったようです。互いに相手を赦さない態度は、幸せを産み出しません。私たちに赦す心、敵を愛する力を与えてください。私たちは主から、限りなく愛を注がれ、すべての罪を赦していただいているからです。御国が来ますように。御心が行われますように。 アーメン



6月14日(日) エステル記4章


「この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」 エステル記4章14節


 アダルの月(ユダヤの暦で12月、今日の2~3月)の13日にユダヤ人は一人残らず殺され、その財産は没収されるという王の勅令が発布され(3章12節以下)、その一部始終を知ったモルデカイは、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行って叫び声をあげました(1節)。ユダヤ人の間にも大きな嘆きが生じ、多くの者が同様に粗布をまとい、灰の中に座って断食し、悲嘆に暮れました(3節)。


 王妃エステルのいる後宮には、この勅書のことが知らされておりませんでしたので、モルデカイのいでたち、振舞を女官、宦官から知らされてエステルは驚き、人を遣わして粗布を脱がせようと、衣服を届けましたが、モルデカイは受け取りを拒否しました(4節)。


 エステルは、自らの出自、モルデカイとの関係を公にしてはいませんでしたが、モルデカイのいでたちや振る舞いの尋常でない様子が、王妃エステルに報告されたということは、女官たちが、モルデカイがエステルを気遣う様子(2章11節)、王の謀反をエステルに知らせた折(同21節以下)、その関係に気づいていたということでしょう。


 エステルは、あらためて自分に仕えている宦官ハタクをモルデカイのもとに遣わし、何があったのか、なぜ、粗布をまとって灰を被り、叫び声を上げているのか尋ねさせます(5節)。モルデカイは、ユダヤ人を絶滅して銀貨を国庫に払い込む、とハマンが言ったことについて、詳しく語りました(6,7節)。


 そして、スサで公示されたユダヤ人絶滅の勅書の写しを託し、併せて、エステルが王のもとに行って、自分の民のために寛大な処置を求めて嘆願するようにと伝言させます(8節)。モルデカイが、ハマンのわいろの約束まで聞き知っているということは、勅書が出されることになった原因が、自分にあるということを理解していたものと思われます。


 王のもとに行けというモルデカイに、エステルは、王の許可なく政を司る王宮の内庭に近づく者は殺されるという定めになっていること、自分にはこの一ヶ月、王の召しがないことを伝えました(11節)。ここに、元々、エステルが王妃とされることになった理由、ワシュティの退位を思い起こします。彼女は、王の召しを拒否して退位させられました。今度は、王の召しなく内庭に近づくという禁令行為です。王は、それをどのように処するでしょうか。


 それに対してモルデカイは、自分だけ王宮にいて死を免れると思うなと言い(13節)、冒頭の言葉(14節)の通り、この時のために、王妃の位にいるのではないかと迫ります。


 この時、モルデカイには確信がありました。それは、ユダヤ人の解放と救済が必ず起こるということです。そして、エステルは、それをするための器として、最もふさわしい場所に置かれているということです。だから、エステルがそのまま口を閉ざしていて何の働きもしなければ、他のところからユダヤ人の解放と救済が起こり、エステルとその家は滅ぼされるだろう(14節)、と言っているわけです。


 ということは、エステルにとって、王の前に出て殺されるか、それをしないで滅びを招くか、どちらにしても死が待っているのであれば、彼女の生きる道は、モルデカイの言うとおりに王のもとに行き、ユダヤ人救済の嘆願をするしかないわけです。


 エステルは自分の立場を理解しました。そして、決意しました。「スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」と、モルデカイに返事しました(16節)。

 

 あらためて、何故ユダヤ人滅亡の勅令が出されたのですか、それは、モルデカイが首相ハマンに敬礼せよという王の命令に従わなかったからです。それゆえ、エステルが定めに反して王のもとに行き、これまで隠させていた出自を明らかにさせたうえで、ユダヤ人同胞のために命を懸けて、寛大な処置を嘆願しなければならなくなったのです。


 1節でモルデカイが示した苦悩の姿は、勿論、自分と同族の身の上に降りかかる悲劇のためではありますが、同族救済のために死を賭して働かなければならない、娘エステルことを思ってのことだったのかもしれません。その種を蒔いたのは自分自身なのです。そして、エステルは、モルデカイと共に、同胞の運命を自分自身のことと考えて行動する決断をしました。確かに、「この時のためにこそ」、エステルは王妃になったわけです。


 神はイスラエルを繰り返し助け、導いて来られました。その究極の解放と救済の業を、神の御子イエス・キリストが十字架の上で成し遂げられます。エステルの役割は、まさにこの主イエスの贖いの業を予め告げ知らせることなのです。


 そして、モルデカイがエステルに「王の前に行け」と命じたこと、それは、娘に「死ね」と命じることでした。ユダヤ人救済のために娘エステルに死を要求する父モルデカイは、私たちを救うために独り子を犠牲にする父なる神の姿を映し出しています。


 この主イエスの贖いによって私たちが解放と救済の恵みを味わったということは、一方で、神が命じられるところに行き、命じられることを行うという、従順な信仰が求められているということではないでしょうか。


 主よ、断食して王の前に出ようとするエステルの姿に、ゲッセマネで祈られた主イエスの御姿が浮かびます。私たちのために死んでくださった主イエスの救いの御業に与った者として、主が私たちに委ねてくださった使命を、忠実に、喜びと感謝をもって果たすことが出来ますように。御業がなされますように。そして、全世界に今日も主イエスの平和が豊かにありますように。 アーメン



6月15日(月) エステル記5章


「この日、ハマンはうきうきと上機嫌で引き下がった。しかし、王宮の門にはモルデカイがいて、立ちもせず動こうともしなかった。ハマンはこれを見て、怒りがこみ上げてくるのを覚えた。」 エステル記5章9節


 王妃エステルとモルデカイとのやりとりから「三日目」(1節)、即ち、三日三晩断食することにして(4章16節)、その最終日のことです。すべてのユダヤ人の運命を担い、エステルは王妃の衣装をまとって、王宮の内庭に入りました(1節)。それは、「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」(4章16節)と告げていたとおり、決死の覚悟をもっての行動です。


 ここで、「王妃の衣装」と訳されているのは「マルクート(王国、統治、領土、王権)」という言葉です。岩波訳には、「字義通りには、『帝国風に(マルクート)着飾って』」という脚注が付けられています。「王妃の尊厳をまとって」という表現と採ることも出来るでしょう。因みに、4章14節では、同じ言葉が、「王妃の位」と訳されています。


 王宮の入り口に向かって王座に座っていた王が、庭に立っているエステルを認め、手にしていた金の笏を差し伸べました(2節)。それは、エステルを側へ来るように促す合図であり、禁令を犯して王に近づいたエステルの行為が許されたことを意味します(4章11節参照)。「満悦の面持ちで」(2節)というのですから、エステルを見た瞬間、禁令を犯されたことより、美しい王妃が自分を求めて立っているのを喜んだのです。


 内庭に入ること自体禁じられているのですから、もしも王がそこにいなければ、警護の者に追い出されるか、拘束されてしまう可能性もありました。しかし、王は庭の入口に向かって座っていて、入って来たエステルをすぐに認め、笏を差し伸べて招きました。神の導きを思わせられる展開です。そしてそのとき、彼女が王に近づいたのではなく、王が王妃を自分のもとに召したというかたちになったのです


 近づいて来たエステルに、「王妃エステル、どうしたのか」と尋ね、「願いとあれば国の半分なりとも与えよう」と久セルクセス王が語ります(3節)。これは、ヘロデの誕生日に娘サロメが踊りをおどって喜ばせたとき、「欲しいものがあれば何でも言いなさい」といって約束したのと同じ言葉であり(マルコ6章23節)、王はエステルの登場を喜び、どんな要求でも答えてやろうという思いを、少々誇張した表現で伝えるものです。


 エステルが王の前に立ったのは、同胞ユダヤ人の救済を王に嘆願するためです。けれども、「願いとあれば国の半分なりとも与えよう」という言葉を聞いたエステルは、その願いをすぐに切り出そうとはしません。「今日私は酒宴を準備いたしますから、ハマンと一緒にお出ましください」と願います(4節)。


 原文を正確に訳すと、王のために準備する酒宴に、今日、ハマンをお供にして来るようにという招きです。つまり、王妃が王のために酒宴を設けるから、そこにお供としてハマンを呼べということで、言葉を選んで慎重に自分の思いを王に届ける舞台を整えようとしているのです。


 ハマンは、王に賄賂を贈ってユダヤ人絶滅を進言し(3章9節)、勅書を帝国全土に発布した人物であり、彼らは、帝都スサの混乱をよそに、二人で酒を酌み交わしていました(同15節)。問題の張本人を、ユダヤ人の王妃エステルが自ら設けた王のための酒宴に招いたのです。自分のために王妃が酒宴を準備すると聞いて喜んだ王は、その願いを受け、早速ハマンと共に酒宴に赴きました(5節)。


 王は、その席で王が再度、「何か望みがあるならかなえてあげる」と約束します(6節)。王妃の願いが、自分のために酒宴を開きたいだけのこととは思えなかったのでしょう。また、「ぶどう酒を飲みながら」というのですから、上機嫌で気が大きくなってもいたことでしょう。するとエステルは、明日もう一度酒宴を開くので、ハマンと一緒に出席してくだされば、そこで王の仰せのとおり、自分の願いを申し上げますと答えました(8節)。


 王と王妃のプライベートな酒宴に2度続けて招かれたハマンは、もう有頂天でした。自分のことを、王族の一人にでもなったかのように感じていたのではないでしょうか。しかし、その上機嫌は、あっという間に吹き飛んでしまいます。冒頭の言葉(9節)のとおり、王宮を出ようとしたところでモルデカイを見ますが、彼は、自分に敬礼しないどころか、動こうともしません。それを見たハマンの心は、完全に怒りで満たされてしまいました。


 帰宅したハマンは、親しい友達を招き、妻ゼレシュも同席させて、憤懣やるかたない思いを彼らにぶつけます。そのことを告げるにあたり、自分の莫大な財産や大勢の息子たちについて、また王から与えられた栄誉、自分の栄進について、自慢します(10,11節)。さらに、王妃から特別な酒宴に招かれたことを語り聞かせます(12節)。そこまでは、この上もなく幸せな気分だったのです。


 けれども、そのすべてをぶち壊したもの、それが、ユダヤ人モルデカイの存在でした。人は、善事よりも悪事に心とらわれるものです。それを、「モルデカイを見るたびに、すべてがわたしにはむなしいものとなる」と、ハマンは妻や友らに訴えました(13節)。


 それに対して、妻たちが、「50アンマもある高い柱を立て、明朝、王にモルデカイをそれにつるすよう進言してはいかがですか」と勧めます。ハマンは、王の実印を与り、政を行う責任者なのですから、モルデカイを見たくないなら、彼を王宮から遠ざけ、閑職をあてがえばよいでしょう。そうでなくても、モルデカイは既に死刑を宣告された身の上、一年後には、その刑が執行されているのです。


 けれども、ハマンはそれを待てません。妻たちの勧めに気を良くしたハマンは、早速、家に高い柱を立てさせます(14節)。そして、明日行われる二度目の王妃の酒宴までにモルデカイをその柱につるして、本当に気分よく酒が飲めるようにしようと、はやる思いを静めるようにして、床に就いたのではないでしょうか。


 しかしながら、王妃エステルもユダヤ人であり、モルデカイはその養父であり、後見人となっている人物です。このつながりをハマンが知っていれば、どうだったでしょう。自分の計画が、自分を最高に気分に導いてくれているエステルを殺そうとすることだと知れば、どうでしょうか。


 知らないからこそのハマンの行動なのです。けれども、「人を呪わば穴二つ」です。彼は自分の蒔いたものを刈り取らなければなりません(ガラテヤ書6章7節)。


 また、「痛手に先立つのは驕り、つまずきに先立つのは高慢な霊」(箴言16章18節)、「人間の前途がまっすぐなようでも、果ては死への道となることがある」(同16章25節)という言葉があります。ハマンは、最高に幸せという状況にあって、自分自身を吹き飛ばすことになる地雷を自ら仕掛けてしまいました。


 「好事魔多し」というように、順調な時に足をすくわれるようなことにならないように、思い上がらず傲慢にならず、謙ることを学びましょう。一歩一歩着実に足を進めることが出来るよう、常に神の御言葉に耳を傾け、御心を悟り、御霊の導きに従って歩みましょう。


 主よ、エステルは真剣に祈り、神の力に押し出されて行動しました。そこに、主の守りと導きがありました。一方、怒りにまかせて行動したハマンは、自らに滅びを招くことになります。あらためて、私たちは、神の国と神の義を第一に求めて御前に進みます。御旨を行うことが出来るように、御声をさやかに聞かせてください。耳が開かれ、目が開かれますように。そうして、絶えず御名を崇めさせてください。 アーメン



6月16日(火) エステル記6章


「王はそこでハマンに言った。『それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい。お前が今言ったことは何一つおろそかにしてはならない』。」 エステル記6章10節


 ハマンが、自分に全く敬意を払おうとしないモルデカイを処刑するための柱を自宅に立て(4章14節)、その許可を得るため、朝を待っている間、クセルクセス王は眠れないので、宮廷日誌を読み上げさせます(1節)。それで眠気を誘おうというのでしょう。


 ところが、偶然にも、二人の宦官の謀反をモルデカイが未然に防ぐ働きをした記録が読まれ(2節)、かえって目が覚めてしまいました。王は、「このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイを受けたのか」(3節)と尋ねます。記録の内容を王は知らず、ゆえに褒賞を与えたという記憶がなかったのです。侍従は、「何も受けませんでした」と答えています。


 もしも、王が眠れなかったこと、そこで宮廷日誌を読ませて、モルデカイの働きの記録の箇所を開いて読むということがなければ、モルデカイは、ハマンの思惑通り、昼を待たずに処刑されることになったでしょう。この偶然が重なったのは、神が背後で働かれていたからということになるでしょう。


 王は、モルデカイにどのような褒賞を与えたらよいかと考えていました。そのとき、王宮の内庭に入って来た人物に目がとまります。それは、モルデカイを処刑する許可を求めにやって来たハマンでした(4節)。王は、侍従から庭にやって来た者の名を聞き、「ここへ通せ」と招きます(5節)。


 先に、エステルがそのように立っているのを見たとき、クセルクセスはエステルに、「何が望みか」と尋ねましたが(5章3節)、このときハマンには、彼の願いを聞く前に、「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいのだろうか」と尋ねました(6節)。


 ハマンは、王が誰に栄誉を与えようとしているのか、栄誉を与える理由は何かを確かめませんでした。彼は、王が栄誉を与えようと望んでおられるのは、自分以外にはあるまいと思ったのです(6節)。だから、王の言葉は彼の心に、「何が望みか」と響いたのでしょう。


 ただ、そうしたことを、本人に尋ねるはずはないことぐらい、考えてみるまでもないことでしょう。けれども、そのときハマンは、召しのないまま王宮の内庭に入る者は処刑されるという禁令を(4章11節)、まるで忘れていたかのようでした。それほどに、すべてを空しいものにしてしまうユダヤ人モルデカイを処刑することで頭がいっぱいになっていて、冷静な判断が出来ない状態だったのです。


 それで、「王のお召しになる服をもって来させ、お乗りになる馬、頭に王冠をつけた馬を引いて来させるとよいでしょう。それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与えることをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場でその人を馬に乗せ、その前で、『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる』と、触れさせられてはいかがでしょうか」と進言しました(8,9節)。


 ハマンはいつも、このようなことを空想して楽しんでいたのでしょう。王の服を着せ、王冠をつけた馬に乗せるということは、王権を手にすることです。ダビデが息子ソロモンを王にするとき、自分のラバに乗せ、角笛を吹いて「ソロモン王万歳」と大声で触れ回らせ、ダビデに代わる王の座につけました(列王記上1章33節以下)。つまり、ハマンは自分が王になりたいと考えていたのでしょう。


 そういうことをいえば、「お前はわたしに取って代わろうというのか」と、王の逆鱗に触れることになるかも知れません。しかし、ハマンはそのとき、「王の栄誉」という言葉に目がくらんでしまっていたのです。


 王はハマンの言葉を聞くと、冒頭の言葉(10節)のとおり、「それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい。お前が今言ったことは何一つおろそかにしてはならない」と命じます。


 クセルクセスは、モルデカイがユダヤ人で、王宮の門に座している役人だと知っていましたが、ハマンが絶滅させようとして進言した「一つの独特な民族」(3章8節)が、ユダヤ人だとは知らなかったのかも知れません。勅書には「ユダヤ人」と明記されていましたが(同13節)、それは、王宮や後宮には届けられなかったようです(4章5節以下参照)。


 王の口から、自分に与えられると思った王の栄誉が、憎きモルデカイに与えられ、そのうえ、彼の引き立て役をしなければならないと知ったハマンの落胆の度合いは、想像を超えたものがあります。首相の座から道化師に、幸福の絶頂から不幸のどん底へ突き落されたのです。


 もしも、それほどまでに性急にモルデカイを処分しようと考えていなければ、危険を冒して王宮の内庭に入っていなければ、モルデカイの引き立て役をさせられるという屈辱を味わうことはなかったでしょう。有頂天にならず冷静に判断していれば、王が栄誉を与えようと望んでいる人物がモルデカイと知って、それなりの褒賞で済ませることも出来たはずです。


 思い上がって王に進言したことが、全く仇になってしまったわけです。そのために、王によってハマンとモルデカイの立場が全く逆転されてしまいました。粗布をまとい、灰を被って座っていたモルデカイは、そこから引き上げられて、王の衣をまとい、王の馬に乗せられ、王の栄誉が与えられたのです。


 箴言26章1節に、「夏の雪、刈り入れ時の雨のように、愚か者に名誉はふさわしくない」という言葉があります。この時ハマンは、王の栄誉を楽しむことは許されませんでした。そして、エステルが用意した酒宴に出席するよう急かされます(14節)。自分の短慮を悔い、体勢を立て直す暇も与えられなかったのです。 


 パウロが、「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。・・・怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。・・・悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を必要に応じて語りなさい」(エフェソ書4章25~27節、29節)と語っています。


 それは、私たちの心に住まわれている神の聖霊を悲しませないためです(同30節)。むしろ、キリストの言葉が私たちの心に豊かに宿るようにしましょう。そして、知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめ讃えさせていただきましょう(コロサイ書3章16節)。


 そして、すべてを主イエスの名によって行い、主イエスによって、父である神に感謝しましょう(同17節)。 


 主よ、私たちは、罪人の代表者、裁かれて当然、神の怒りを受けるべき存在でしたが、あなたの深い憐みによって贖われ、罪赦され、神の子とされ、キリストという最上の衣を着せられました。すべて、主の恵み、憐れみによるものです。思い上がることなく、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけることが出来ますように。絶えず、御言葉と御霊によって私たちの歩みを導いてください。悪い言葉を口にせず、隣人のために祝福を祈り、人を作り上げるのに役立つ言葉を語ることが出来ますように。全世界にキリストの平和が豊かにありますように。 アーメン



6月17日(火) エステル記7章


「こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。」 エステル記7章10節


 王妃エステルが主催する2度目の酒宴に、ハマンと共に臨んだクセルクセス王は(1節)、前回同様、「何か望みがあるならかなえてあげる」と言います(2節、5章3,6節参照)。「国の半分なりとも与えよう」と約束するのも、三度目になりました。


 すると、エステルから思いがけないことが告げられました。王妃と王妃の民族をお助けくださいというのです(3節)。原文は、「私の求めに従って私の命を私に与え、また、私の願いに従って私の民を私に与えてください」(口語訳参照)という言葉遣いで、王妃エステルとユダヤの民は同一のもので、同じ運命にあるということを強調する表現になっています。


 ぶどう酒を飲んで上機嫌になっていた王は、その言葉をどんなに驚いたことでしょうか。さらにエステルは言葉を続け、「私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう」(4節)と言います。


 「私と私の民族は取り引きされ」というところで、王とハマンが舞台に引き出されます。これは、ハマンが、ユダヤ人絶滅を申し出て、その勅書を作るために銀一万キカルの賄賂を申し出たことを指します(3章8,9節)。


 そして、「滅ぼされ、殺され、絶滅させられ」というのは、勅書のままです(3章13節)。「私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう」とは、王が「奴隷として売られる」(アーバド)と聞いた言葉を、ハマンは、同音異義語の「絶滅」(アーバド)と勅書に記して、王を欺いたのだと仄めかします。


 「王を煩わすほどのことではない」というのは、「王を煩わすに足るような仇ではない」という言葉です。つまり、ハマンが王に告げたような、奴隷として売られるというだけなら、王を煩わすこともなく、黙って我慢するのだけれども、黙っていられないのは、王を欺いて自分とその民族を絶滅させることで、王の受ける損失はとても大きいからだ、という言い方です。


 王を欺いて、王妃エステルとその民族を絶滅させ、王に大きな損失を与えるこの「仇」は、王と王妃とすべてのユダヤ人の、共通の敵だというのですが、エステルは、このような正確な情報を、どのようにして入手したのでしょうか。この背後に、エステルやモルデカイに心を寄せる侍従や宦官の働きがあって、ハマンと王の密談の内容を知らせたということなのでしょうね。


 王妃の訴えを聞き、すっかり酔いの覚めたクセルクセス王は、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」(5節)と尋ねます。王妃の言う「仇」、自分たちの共通の敵とは、どこのどいつなのかということです。エステルは、「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます」(6節)と、明快に答えました。


 それで、ハマンは王と王妃の前で恐れおののきます。酒宴に出て来る前、自宅で妻たちから、「モルデカイはユダヤ人の血筋のもので、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただおちぶれるだけです」(6章13節)と言われた言葉が頭の中を巡っていたかも知れません。


 王は、初めてハマンの計画を正しく理解しました。そして、怒って立ち上がり、そのまま庭に出て行きます(7節)。怒りを鎮め、頭を冷やして考えようというのでしょうか。これまでの成り行きを思い起こし、情報を整理して、より良い判断を下そうとしたのでしょうか。


 それを見たハマンは、今のうちに王妃に命乞いし(7節)、王に口添えを頼もうと身を伸ばします(8節)。ちょうど王妃の長椅子に身を投げかけて懇願しているところに、偶然にも、王が戻って来ました。ハマンの姿を見た王は、「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか」と言います(8節)。王妃を暴行しようとしているように見えたわけです。


 ハマンは、王の実印としての指輪を預かり、政を行う首相です(3章1,10節)。そして、王の服を着、王の馬に乗ることを栄誉としていつも考えている人物です(6章8,9節)。それで、王妃に言い寄り、自分のものにすれば、クーデターは完成に近づきます(サムエル記下16章20節以下で、アブサロムがダビデ王の側女たちのところに入ったことを参照)。


 ハマンがそれを実際に行っていたわけではありませんが、クセルクセスは、ハマンはそういう人物だと判断したのです。「王妃にまで乱暴しようとするのか」という王の言葉を聞いた人々が、ハマンの顔に覆いをかぶせたというのは(8節)、王が不快に思う人物の顔を見ないで済むようにしたということでしょう。その顔を二度と見たくないということで、死刑が確定したといってもよいのでしょう。


 そのとき、宦官ハルボナが、「ちょうど、柱があります。王のために貴重なことを告げてくれたあのモルデカイをつるそうとして、ハマンが立てたものです。50アンマもの高さをもって、ハマンの家に立てられています」と告げました(9節)。命の恩人モルデカイへの悪意までも知った王は、即座に、「ハマンをそれにつるせ」と命じました(9節)。


 柱の高さは50アンマ、約23メートルあります。どこからもよく見えたことでしょう。ハマンは、すべての者が自分に敬礼するので、思い上がっていました。そしてただ一人、自分に礼をしないモルデカイとその民族を根絶しようと企みました。その結果、首相の座から引きずりおろされ、誰からもよく見える高い柱の上に自分の愚かな罪の姿をさらさなければならなくなったのです。


 それは、私たちの罪の姿でもあります。かつて読んだ芥川龍之介の著書、「蜘蛛の糸」に登場するカンダタの、釈迦の垂らした蜘蛛の糸を独り占めしようとして、再び地獄に落ちていく姿に、自分自身を見る思いがしました。誰も、自分が何をしているのか知らず、その結果、どのような報いを受けることになるのか、分からないのです。


 しかし、罪深い私に代わって、主イエスが木にかけられ、その呪いをご自分の身に受けつつ、「父よ、彼らをお赦しください」と執り成し祈られました(ルカ23章34節)。主イエスの死によって、私の罪は赦され、王の王、主の主なる神の怒りが治まったのです。今私たちは、神の子とされ、永遠の命に与っています。主の御名はほむべきかな。


 今日も、十字架の主を見上げ、その御足跡に従って歩ませていただきましょう。

 

 主よ、愚かで罪深い私たちのために、主イエスが贖いの業を成し遂げ、救いの道を開いてくださったことを感謝します。私たちは今、主イエスが「わたしの教会」と呼ばれる教会の一員とされています。主の御心がこの地になりますように。主の御名が崇められますように。私たちを主の御業を行う道具、器として用いてください。今日も、全世界に主イエス・キリストの平和が豊かにありますように。 アーメン



6月18日(木) エステル記8章


「お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。」 エステル記8章8節


 ユダヤ人の敵ハマンは処刑され(7章10節)、その財産は没収、すべてエステルに与えられました(1節)。そして、ハマンに預けていた王の指輪が、エステルとの間柄が明らかになったモルデカイに与えられます(1,2節、3章10節参照)。


 その指輪は、王の実印として用いるもので(8節参照)、それで勅書を作ることが出来るようになります。そのことは、これから、モルデカイがハマンに代わって首相となることを意味しています。そしてエステルは、自分に与えられたハマンの財産の管理をモルデカイに委ねました(2節)。首相となったモルデカイを、自分の傍に置くことで、ユダヤの民を守る体制を固めたとも言えるでしょう。


 これにて一件落着と言いたいところですが、しかし、これで作戦終了ではありません。ハマンが王の名前で発令したユダヤ人絶滅法が、まだ生きています。放っておいても、エステルとモルデカイ両名は、12月13日に定められている難を逃れられるだろうとクセルクセス王は考えているようで、ユダヤ人の行く末について、何も手を打ちません。勿論、エステルとモルデカイは、それでよいなどと考えてはいません。


 同胞のために、あらためて王に嘆願します(3節)。4節の、「王が金の笏を差し伸べたので」は、5章2節に続く記述で、エステルの嘆願が、やはり召しのないまま王の前に出る命懸けのものであったことを示しています。そして、ユダヤ人の運命に関心を持っていない王に対して、ハマンの考え出した勅書を取り消す勅書の作成を願い出ます(5節)。


 「私は自分の民族に降りかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡にを見るに忍びないのでございます」(6節)と、ユダヤ人の助命がかなわないなら、自分も生きていないことを訴えて、王に迫ります。


 王は、エステルに加え、モルデカイも呼んで、「わたしはハマンの家をエステルに与え、ハマンを木につるした。ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならない」と言い(7節)、冒頭の言葉(8節)のとおり、「お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい」と、二人に新たな勅令を出すことを許可します。


 新しく出された勅令は、ユダヤ人が自分たちの命を守るために集まり、自分たちを迫害する民族、軍隊に反撃して滅ぼし、持ち物を没収することを許すというものです(11節)。これは、いわば専守防衛を定めたもので、害を受ける前に攻撃することは許されていません。


 また、ハマンの出した勅令は、すべてのユダヤ人に暴力的に攻撃を加え、絶滅させるというものでしたが(3章13節)、モルデカイは、それを、自分たちを迫害する民族、軍隊に限定します(11節)。ハマンのものと同様、「女や子供に至るまで一人残らず」(11節、3章13節)と言われますが、「自分たちを迫害する」という限定がついているため、実質的には、それをする「軍隊」への、防衛の戦いが許されているだけです。


 岩波訳はその箇所を、「王はすべての町々にいるユダヤ人たちに、結集して自分たちの生命のために抵抗し、彼らを子供も女たちをも迫害する民のあるいは州のすべての軍勢を、絶滅し、迫害し、滅ぼし、彼らの財産を略奪することを許した」と、迫害されるユダヤの子どもと女性という意味にとって翻訳しています。 この訳の方が意味が通りますね。


 こうして、エステルが決死の覚悟で行動したことが功を奏し、ユダヤ人たちの命、財産、生活が守られることになりました。その勅書は、「王家の飼育所で育てられた御用馬の早馬に乗った急使によって」(10節)、帝国全土に、特に「ユダヤ人」に連絡漏れがないように(9節)、届けられました。勅書が届くと、ユダヤ人たちは喜び祝い、全土で宴会を開きました(17節)。滅びに定められた運命が、救いに変えられたからです。


 ユダヤ人を絶滅させようと考えていたほかの民族から、ユダヤ人になろうとする者が多く出たということで(17節)、それは、ユダヤ人に対する恐れと羨望があることを示しています。


 また、首都スサでは、王の命令によって、急使が送り出され、この定めが言い渡されました(14節)。モルデカイが粗布を脱ぎ捨て、紫と白の王服に、大きな黄金の冠と白と赤の上着を着けるという盛装で、それはハマンが望んでいた姿でしたが、王の前を下がって来たのを、歓声をもって迎えました(15節)。先のユダヤ人絶滅の勅令では、首都スサに混乱があったと記されていましたが(3章15節)、全く対照的な反応です。


 町の人々は、ハマンが首相になったときから、自分たちにとって誰が首相に相応しいのかということを知っていたかのような反応です。少なくとも、王に対する暗殺計画を未然に防いだという手柄を吹聴せず、そのための報償を求めようともしなかったモルデカイの清々しさを好感し、ペルシアに素晴らしい首相が与えられたことを喜んだのです。


 あらためて、この逆転は、エステルの命懸けの行動と、モルデカイによる謀反を未然に防いだ行動があったからですが、エステルの嘆願を王が受け入れ、また、モルデカイの行動に王が心を留め、栄誉を与える思いを持つように、すべての出来事の背後で匿名で働かれた神の御業、御計画があり、あらゆる「偶然」をもって、それを遂行されたからです。 


 使徒パウロが、「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」(コロサイ書2章14節)と記しています。私たちの主イエスが、自らを十字架に犠牲としてささげ、私たちを罪と死の呪いから救ってくださったのです。


 主イエスを信じた者には、神の子となる資格が与えられました(ヨハネ1章12節)。まさに、「いかなる恵みぞ、かかる身をも、妙なる救いに入れたもうとは」(新生讃美歌301番)というほかない、生まれながら神の怒りに定められていた私たちを、その呪いから救い出し、神の子とする、驚くべき神の計らいです。


 また、「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この栄光キリストの福音を信じて、約束された聖霊で証印を押されました。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうしてわたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです」(エフェソ書1章13,14節)と語ります。


 私たちが神に、「アッバ、父よ」と呼びかけることが出来るのは、私たちを神の子とする聖霊の働きなのです(ローマ書8章15節)。神の恵みにより、私たちに素晴らしい救いが与えられていることを感謝し、父、子、御霊なる神に向かい、絶えず賛美のいけにえ、唇の実を捧げましょう。


 主よ、私たちに救いの衣を着せ、聖霊をお与えになり、神の子として生きる恵みに与らせてくださり、心から感謝します。それはまさしく、アメイジング・グレイスです。喜びをもって御旨を行う器となることが出来ますように。主に栄光がありますように。御心が地の上に行われますように。全世界に主の平和が豊かにありますように。 アーメン



6月19日(金) エステル記9章


「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」 エステル記9章22節


 第12の月(アダルの月=私たちの暦で2~3月頃)の13日が来ました。この日は、ハマンがモルデカイのことで、ユダヤ人を征伐しようとした日でしたが、立場が逆転して、ユダヤ人が仇敵を征伐する日となったのです(1節)。「王の命令と定めが実行される」ということで、ユダヤ人の敵が帝国の権威をもって剣を振り上げ、振り下ろそうとしていたその日、形勢が逆転して、ユダヤ人がその権威で保護されることになったわけです。


 ユダヤ人に対する恐れ、モルデカイの日の出の勢いに恐れをなして、立ち向かう者は一人もいないだろうと思われましたが(2,4節)、この日、スサの町では5百人の者が剣にかけて殺され(5,6節)、ハマンの息子十人も殺されました(7~10節)。


 ハマンの息子たちを中心として、ハマンの処刑に対する報復行動があったのではないかと思われます。また、ハマン以外にも、ユダヤ人に対する強い反感のようなものを持っている人々がいたのでしょう。あるいは、ユダヤ人モルデカイが王の栄誉を受けていることを妬ましく思う輩が、蜂起したのかも知れません。


 諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れから、ユダヤ人の味方になっていましたので(3節)、ユダヤ人たちは敵対する者をすべて討ち滅ぼすことが出来ました。その数は帝国全体で7万5千人と記されています(16節)。ペルシアによるバビロン捕囚の解放で帰国したユダヤの民が4万2千人あまりでしたから(エズラ記2章64節)、7万5千人は思いがけず大きな数字です。


 ユダヤ人に対する恐れが広がり(1,2節)、高官たちがユダヤ人に味方する中で(3節)、なおこれだけの人々がユダヤ人征伐のために立ち上がったというのは、ユダヤ人に対する憎悪や反感の強さを知らされます。もしも、モルデカイによるユダヤ人防衛のための勅書が出されていなければ、どれほどの数のユダヤ人が、女性や子ども、老人たちも含めて、剣に倒れることになっていたことでしょうか。


 王が王妃エステルに、スサの町での死者の数とハマンの息子十人も殺されたことを告げた後、「まだ望みがあるならかなえてあげる」(12節)と言います。エステルはそれに応じ、「明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子十人を木につるさせていただきとうございます」(13節)と願いました。


 なぜそうしたいのか、理由は記されませんが、スサの都でユダヤ人への報復を企んでいる者の情報を得て、その攻撃からユダヤの民を守るために、自衛の戦いの許可を求め、そのように反感を持っている人々に対する見せしめに、ハマンの子らを磔にするようにしたのでしょう。その結果、スサの町では翌日14日にも戦いがあり、3百の人々が殺されました(15節)。


 ユダヤ人は、しかし、自分たちを迫害する者に対する報復という制限の下で防衛戦を戦ったので、女子どもに手をかけませんでした。その証拠にと言ってよいでしょうか。ハマンの妻ゼレシュなど、女性はそのリストに含まれていないようです。ただ、息子十人が殺されたことで、ハマンの血は途絶えることになってしまったでしょう。


 また、財産を奪い取ることが許されていましたが(8章11節)、誰も、持ち物には手をつけませんでした(10,15,16節)。この背景に、かつて、アマレクを滅ぼし尽くすよう命ぜられたサウル王が、「羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なもの」を惜しんで私し(サムエル記上15章9節)、そのために、王位から退けられるという経験(同26節)をしたことがあったからではないかと思われます。


 こうして、ユダヤ人たちはペルシャ帝国内で安らぎを得、スサの都以外では14日、スサの都では15日に宴会を開いて、その日を楽しみ、贈り物を交換しました(17節以下)。冒頭の言葉(22節)のとおり、彼らにとって、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わったのです。最悪となるはずの日が、最高の日になりました。


 当初、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために「プル(くじ)」を投げて日を決めたので、それに因んで「プリム」と呼び(24,26節)、プリムの祭りを祝うことを定めました(27節)。そして、この祭では、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることにしました(19,22節)。


 「祭」という字は、「肉月」が神に供えるいけにえ、「又」がいけにえを持つ手、「示」が神、または供えることを表わしていて、いけにえの肉を神に供えるという意味を持っています。つまり、祭の中心は、神に対していけにえを献げることなのです。たとえば、レビ記23章には、「主の祝祭日」の規定がありますが、それらの日にささげるべき献げ物についても、記されています。


 けれども、プリムの祭では、特に神を礼拝する儀式が行われるような定めはありません。むしろ、喜びの日として、祝宴を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換し、貧しい者に施しをするという、与えられた恵みを分かち合い、貧しい人々に手を開くことで、さらに恵みを生もうとしています(第一コリント書15章10節参照)。


 同様に、キリスト教会で行う礼拝は、キリストの受難と復活を記念して行われますが、いけにえに注目が集まることは少ないと思います。そのいけにえとは、神御自身が用意された「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)なる神の独り子イエス・キリスト様です。


 私たちは、十字架という祭壇に御自身を献げられた贖いの供え物なる主イエスにより、罪赦され、永遠の命を授けられ、神の子とされたのです。ゆえに、主への感謝と賛美をささげ、主の日を喜び祝い、主からいただいた恵みを分かち合うのです。


 今私たちを取り巻いている状況がどうであれ、私たちの人生の土台には、マイナスをプラスに、悩みを喜びに、嘆きを祭りに変えてくださる主がいて(22節、ローマ書8章28節)、絶えず私たちの祈りを受け止め、いつも喜び、どんなことも感謝することが出来るようにしてくださいます(第一テサロニケ5章16~18節)。


 主イエス・キリストによる救いに与った者として、主なる神に対して霊と信実をもって礼拝をささげる真の礼拝者とならせていただきましょう。心から、唇の実、主をほめ讃える賛美のいけにえを献げましょう。


 主よ、十字架の贖いを通して、どんなマイナスもプラスに変えられる救いの道が開かれました。真理であり、命であられる主イエスの道を、永遠の御国目指してまっすぐに進みます。主を信じる者の上に、主の恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

6月20日(土) エステル記10章

 

「ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。」 エステル記10章3節

 

 冒頭の言葉(3節)のとおり、ユダヤ人モルデカイが、ペルシアにおいて王に次ぐ地位、つまり首相に正式に就任しました。ユダヤに反感を持つ者が一掃された今、ユダヤ人のみならず、スサの町の人々にも覚えのよいモルデカイを(8章15,16節参照)、王に次ぐ地位に据えることで、クセルクセスの治世はますます安泰というものだったのではないでしょうか(9章3,4節)。

 

 モルデカイは、娘として育てたエステルに対して、イスラエル絶滅の危機にあって解放と救済のために行動することこそ、王妃の位にまで達したあなたの責務ではないかと訴えました(4章14節)。そして、「死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」(同16節)というエステルの答えを聞いて、それをよしとした人物です。

 

 モルデカイは、地位を利用して私腹を肥やしたり、自分の利益のためにその権力を行使するという今日の権力者、政治家とはおよそ違います。だからモルデカイは、「ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束し」ました(3節)。自分に与えられる恵み、神の賜物は、自分のためではなく、隣人のために用いるものであることを、モルデカイは知っていたのです。

 

 これは、私たちにも示されていることです。パウロが、「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです」と教えています(第一コリント12章4~7節)。

 

 パウロにとって、各自の才能、能力、賜物などは、人に仕え、神に仕えるために与えられた神の恵みなのです(ローマ書12章6節以下参照)。その霊的な賜物により、ある人は使徒、ある人は預言者、ある人は福音宣教者、ある人は牧者、ある人は教師とされます(エフェソ書4章11節)。そして、めいめいが奉仕の業に適した者とされ、キリストのからだに例えられるキリストの教会を造り上げるのです(同12節)。

 

 主人に預けられた1タラントンを土に穴を掘って埋めておき、用いようとしなかった僕は、帰って来た主人から怠惰で悪い僕だと叱られ、その1タラントンを取り上げてしまいました。そして主人はそれを、5タラントンを預かって商売し、さらに5タラントンを儲けた別の僕に与えます。そして、その怠け者の僕を外の暗闇に追い出してしまう、というたとえ話があります(マタイ25章14節以下、28,30節)。

 

 このタラントンというお金の単位から、タレント、才能という言葉が出来たと言われます。才能は用いれば豊かになるが、眠らせておくと失われてしまうということで、なかなか考えさせられる話でしょう。

 

 モルデカイの娘エステルは、本名はハダサと言いました(2章7節)。ハダサとは、イザヤ書55章13節に言う「ミルトス」のことです。ミルトス(銀梅花)は、地中海沿岸やイスラエルの山地に生育する灌木で、葉は常緑、白い可憐な花を咲かせます。

 

 生命力が強く、干ばつにも耐える強木として、不死の象徴となり、そこから成功、繁栄の象徴ともなりました。ユダヤ教の伝統では、ミルトスの花を臨終の床に供えたり、結婚式で花嫁がブーケにしたり、ウエディング・リ-スに編み込んだりしています。とても意味深い名前ですね。

 

 それが、「星」という意味の「エステル」と呼ばれているのは、彼女の出自を分りにくくするために、バビロンの神イシュタルに似せてつけられたのかも知れませんが、死を賭してイスラエルのために働く運命にあったことから、星の光で東方の博士たちが主イエスの居場所を探り当てたように、エステルの生き方は、主イエスを指し示していると読んでもよさそうですね(マタイ2章参照)。

 

 その意味では、モルデカイについても、ペルシアの記録に、クセルクセスの治世の初期にマルドゥカヤという高官の名があり、それをモルデカイのこととする学者もあるようですが、それこそバビロンの神マルドゥクに肖ってつけられた名前のようです。

 

 しかし、9章3節で、「諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れに見舞われ、ユダヤ人の味方になった」と言われ、また、冒頭の言葉で、「彼(モルデカイ)はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した」と言われるのは、彼を通して、主なる神がそこに姿を現わしているからこそ、ということでしょう。

 

 エステル、モルデカイの活躍によって平和が守られたイスラエルの民は、今もイスラエルの子どもたちにとって最も楽しみな祭りの一つとして、プリムを祝います。モーセ五書に記されずに、重要な祭日として守られているのは、このプリムだけです。その意味では、エステル記は、モーセ五書に次ぐ地位を得ているといってもよいでしょう。

 

 エズラ、ネヘミヤ記は、捕囚からエルサレムに戻った人々を真の神の民として描き、彼らによって神殿の再建、城壁の修復がなされ、その完成を出エジプトになぞらえて、過越祭、仮庵祭で祝いましたが、エステル記は、キュロスによる解放後もエルサレムに戻らなかった者たちにも神の守りと導きがあること、つまり、ディアスポラ(離散)のユダヤ人も神の民イスラエルであることを示しています。

 

 私たちキリスト教徒には、プリムを祝う習慣は伝えられていませんが、エステル記を朗読することを通して、どのような時代状況の中にあっても、たとえ自分たちに逆風が吹いているとしか思えないようなときにも、その背後に恵み深い主なる神がおられ、私たちをその中で平和のために用いてくださることを信じるよう、励ましをいただくことが出来ると教えられます。

 

 私たちの主イエスこそ、すべての者に仰がれ、愛され、ご自分の民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束しておられるのです。 

 

 主よ、私たちは御子イエスの血の代価によって買い取られ、神の民とされました。私たちを御心のままに取り扱い、委ねられた賜物を互いに生かして用いることにより、この体をとおして神の栄光を表すことが出来ますように。主イエスの平和が全世界の民の上に豊かにありますように。 アーメン

 

 

 

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