今日の御言葉

 

「彼に世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる。」 エレミヤ書23章6節

 

 1節に「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と記されています。ここで、「牧者」と言われるのは、10章21節、21,22章で言及されたゼデキヤ(21章1節、列王記下24章18節以下)、シャルム(22章11節)、ヨヤキム(同18節)、コンヤ(同24節)に代表される、ユダの王たちのことを指すと考えられます。

 

 牧者には、羊を養い育てる務めがあります。しかし、ユダの王たちは羊を養い育てるどころか、かえって羊の群れを追い散らす結果を招いてしまいました。だから、主なる神は彼らの悪い行いを罰すると言われるのです(2節)。即ち、エルサレムの都が敵の手に落ち、民は捕囚としてバビロンに連行されます。ダビデ以来およそ400年続いて来た王朝は、ここに潰えることになりました。

 

 そして、追い散らされた羊を再び集めてもとの牧場に帰らせ(3節)、その群れを牧する牧者を立てると言われます(4節)。その牧者を、「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う」(5節)と語ります。これは、イザヤ書11章1節の「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」という言葉を思わせます。

 

 ダビデ王朝は、神への背きと悪しき行いによって断ち切られます。「エッサイの株」というところが味噌です。エッサイはダビデの父です。エッサイからダビデにつながる部分で断ち切られているわけです。そこに、ダビデ王朝の王たちに対する神の裁きが示されます。しかし、その切り株から再び芽が出、若枝が伸びます。つまり、ダビデの子孫から、新しいイスラエルを牧する正しい王が生まれるということです。

 

 この王は、「正義と恵みの業」を行い、国が栄えます(5節、22章3節参照)。そこで、冒頭の言葉(6節)のように「彼の世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる」のです。

 

 ここに、ユダとイスラエルが並んで語られています。ソロモン王の没後、イスラエルは南北に分裂し、南はユダ、北はイスラエルと称しました。エレミヤがこの預言を語っているとき、既に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、その民はアッシリア帝国の各地に散らされていました。そして、これから南ユダがバビロンに滅ぼされ、民は捕囚とされることになります。

 

 「ユダヤ救われ、イスラエルは安らかに住む」ということは、正義と恵みの業を行う新しい王が立てられて、イスラエル12部族が再建され、ユダとイスラエルが再び一つとされると、エレミヤは告げているのです。

 

 その王の名は、「『主は我らの救い』と呼ばれる」ということですが、原文では、「主は我らの義(ヤハウェ・ツィドケーヌー)」という言葉遣いになっています。「主は正義」という名前というと、ダビデ王朝の最後の王「ゼデキヤ(ツィドキヤーフー)」を思い起こします。

 

 しかしながら、ゼデキヤは主が立てた王ではなく、ヨヤキンに代わり、バビロンが傀儡の王として立てた人物でした(列王記下24章17節)。そして、「彼はヨヤキムが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」(同19節)と評価され、その結果、「ついに御前から捨て去られることになった」(同20節)と断じられています。

 

 あらためて、「義」とは神との正しい関係を意味しています。その罪ゆえに裁かれ、北の地に散らされた民が帰国を許され、一つの群れとなれるのは、民の正しい行いのゆえではなく、神の憐れみのゆえです。その意味で、「我らの義」とは神の救いを表しているということになります。だから、新共同訳は「主は我らの救い」と、意味を汲んで訳しているわけです。

 

 また、「主は我らの救い」という表現は、主イエスのことを思わせます。「イエス」は、ヘブライ名の「ヨシュア」をギリシア語音写したものです。そして、ヘブライ名の「ヨシュア」とは、「主は救い」という意味なのです。

 

 イスラエルの人々はもはや、エジプト脱出ではなく、バビロン脱出について語って、「主は生きておられる」と誓うようになると、7,8節に記されています。これは、既に16章14,15節で語られていました。主なる神の民族的な救いの働きとして記憶されるのは、出バビロンだということです。

 

 さらに、神は私たちを、出エジプトでも出バビロンでもなく、御子イエスの十字架の死と復活を通して、罪と死の呪いから脱出させてくださいました。南北イスラエルのみならず、全世界のすべての民が永遠の天の御国に招かれ、神の民とされたのです。だから私たちは、私たちの罪を十字架の死をもって贖ってくださった主は生きておられると証しするのです。

 

 生ける主は、日毎に新しい恵みをもって私たちを導き、養ってくださいます。「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え」(詩編96編1節)と言われるように、絶えず新しい理由をもって主を賛美し、その恵みを証ししましょう。

 

 主よ、あなたこそ私たちの創り主にして、救い主、癒し主であられ、主の主、王の王であられます。主イエス・キリストの他に、この世に救いをもたらすことの出来る方はおられません。主イエスを心の中心にお迎えし、その導きに従います。聖霊の力を受け、主イエスの証人として、その恵みを告げ知らせます。私たちを用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

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