今日の御言葉

 

「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」 ホセア書1章2節

 

 本日から、ホセア書を読み始めました。ホセア書からマラキ書までを「小預言者」と言います。「大預言者」とは、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書のことです。大預言者は、それぞれが一つの巻物に記されましたが、小預言者は、12の預言書をまとめて一つの巻物に記されています。それで、ユダヤ教の正典の中では「12預言者」と呼ばれています。

 

 ホセアは北イスラエル王国で活動した預言者ですが、その人物について、具体的なことはよく分かっていません。ホセアという名前は、「ヨシュア」の変形で、「主は救う」という意味があります。ヌンの子ヨシュアはもとはホシェアという名であり(民数記13章8,16節)、モーセが彼をヨシュアと呼びました。原語では、ホセアとホシェアは同じ綴りです。

 

 1節に列挙されている王のリストで、南ユダの王ウジヤの治世は紀元前783~742年、ヨタムは742~735年、アハズは735~715年、ヒゼキヤは715~687年です。そして、北イスラエルの王ヤロブアム2世の治世は786~746年です。

 

 ホセアは、ヤロブアムの治世の終わりの紀元前750年ごろから、北イスラエルがアッシリアに滅ぼされた722年ごろにかけて活動したと考えられます。王のリストで、南ユダの王の名が4人記されているのに対し、北イスラエルの王がヤロブアム以外取り上げられていないのは、そうするに価しないということなのでしょう。

 

 一方、南ユダの王に、ホセアの活動が終了したと考えられる時期の後に王位に就いたヒゼキヤの名まで記されているのは、アッシリアにより首都サマリアが陥落して北イスラエルが滅んだ後、ホセア書が南ユダで編集されたためだろうと考えられます。

 

 冒頭の言葉(2節)で主なる神がホセアに、「淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」と命じました。淫行の女とは、カナンのバアル神に仕えていた神殿娼婦、つまりバアルの神を拝む礼拝儀式の中で男性に体を提供していた女性だったのではないかと思われます。

 

 イスラエルの律法に従えば、通常、そのような女性は生かしておくべきではないということになります。とすると、冒頭の言葉の主の命令は異常です。なぜ、主に従う預言者が、バアル神に仕えていた神殿娼婦を妻にめとらなければならないのでしょうか。

 

 その理由を、「この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ」(2節)と言います。全く理解に苦しむようなことですが、これがホセアに対する主の命令なのです。そして、ホセアはこの命令に従い、淫行の女性、ディブライムの娘ゴメルを妻としてめとりました(3節)。この女性のことも、名前以外のことはまったく分かりません。

 

 この夫婦の関係は、当時おかれていた北イスラエル王国とまことの神、主との関係を象徴しています。淫行の女が北イスラエルで、そのイスラエルを妻として迎えるホセアは、イスラエルを愛して恵みを与えようとしている主なのです。この関係はしかし、好ましいものではありませんでした。

 

 二人の間に三人の子どもが生まれて来ますが、最初の子は「イズレエル」と名付けられます。この地名は、将軍イエフがアハブ王の家族とその支持者たちを皆殺しにしたところとして、イスラエルの人々の心に刻み込まれています(列王記下9章30節以下、10章1節以下)。ですから、その地の名がつけられたということは、イスラエルの最後が迫っていることを意味します。

 

 二番目の子は「ロ・ルハマ」と名付けられました。それは、憐れまれないという意味だと説明されています(6節)。三番目は「ロ・アンミ」です。それは、わたしの民ではないという意味です(9節)。つまり、終わりのときが迫って来ているけれども、神はイスラエルを憐れまず、むしろ彼らはわたしの民ではないといって、見捨ててしまうということが、ここに示されているわけです。

 

 ホセアは、淫行の女性と結婚することや、産まれてきた三人の子どもにこのような名前をつけることで、イスラエルに対する主の裁きを預言しています。そうするように彼は召されたのであり、そして彼はその召しに忠実に歩んでいるわけです。

 

 イスラエルの民、特にホセアと親しい人々は、彼のこの奇異にも見える結婚、そしてその名づけを喜びはしなかったでしょう。しかしながら、これが主なる神の裁きの預言であるということを、人々は知らなければならなかったのです。

 

 もしも、異教の神との淫行を繰り返しているイスラエルの民が、この主の裁きの言葉に耳を貸さないなら、告げられているとおりの裁きをその身に引き受けることになってしまいます。しかし、主はこの民が裁きの言葉に耳を傾け、主を畏れて御前に謙り、「悔い改めに相応しい実を結」(マタイ福音書3章8節)ぶことを期待しているからこそ、ホセアを預言者として召したのです。

 

 「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを憂いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます」(ヤコブ書5章8~10節)。

 

 憐れみ深く(イザヤ書54章7節など)、忍耐と慰めの源である主なる神(ローマ書15章5節)に信頼し、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きに与り、御言葉を行う者となりましょう。

 

 主よ、私たちはこの国の同胞に対して、何をどのように語っていけばよいのでしょうか。どのようにあなたの愛と恵みを伝えればよいのでしょうか。御言葉をください。従う知恵と力、勇気を与えてください。私たちを御霊に満たし、愛と平和の道具として用いてください。 アーメン

 

 

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2014年8月6日サイト開設